作品投稿掲示板 - B-REVIEW

蛾兆ボルカ


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蛾兆ボルカの記録 ON_B-REVIEW・・・・

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モグラ注意報

2022-11-12

雨(川柳)

2022-03-10

雨(川柳)

2022-03-10

眠りと目覚め

2022-02-15

獣のソネット

2021-12-16

2021-12-01

2021-02-24

2021-01-24

犬のしっぽ

2020-10-09

海猫

2018-12-02

オルガンの死

2018-10-07

ビサイド

2018-07-07

2018-03-10

アサダチ

2018-02-26

薔薇

2018-01-06

寒月とその他

2017-12-12

獣の変身

2017-08-13

考察と「苺」

2017-07-04

純粋ラーメン

2017-06-28

六花という言葉を知らなかったのと、桜の花びらが五枚であることへの違和感を見過ごしたこともあり、春の花に雪が降るイメージは受け取れたものの、読み落としたものが多かったようです。 失礼しました。 あらためて拝読すると、その引用箇所は、植物の花への咲いてくれと、雪を花と比喩した消えてくれが二重になり、加えて遠くには、私がイメージしたように散るときに(消えゆくときに)美しい桜のイメージにも繋がりました。 (漂白)

2023-05-28

その「随句」というパワーワードで、やっとピンと来ました。鈍くてすみません。 紅茶猫さんの作品を、田中さんがどう評しているのか、本文を何度か拝読しても私には今ひとつ解らなかったのですけど、私の中では「随句」という言葉で繋がりました。 随筆は(徒然なるままにおもいついたままのことをテキトウに書きましたよ〜)、みたいなことを標榜しながら、実は人生の様々な想いを込めまくって、知識も手持ちを総動員し、文の推考も頑張ったりして書くものと思います。 ソレでも、その本質はといえば、誰でもできるはずという構えとしては、やはり庶民的な生活の文芸だとも思いますし、わかりやすく書くことに労力を配分する文芸でもあり、いろんな意味で自由な文芸でもあると思います。 定型詩との関わりの中でも、そうした文芸を志した人がいたということを背後に、紅茶猫さんの作品を味わうのも、確かに面白そうな観点ではありますね。 (生活の中の芸術の詩とは)

2023-05-26

ありがとうございます。 【律】とは、法律、規律、戒律とか云うように、他者にも要求することが可能なような、みんなが守ってて共有物として使用できるルールのことを意味します。 ですがそんな【律】としての【文語】というものが日本語の詩歌千年の伝統で決まっていたのかというと、決まっていませんでした。 そのため、文語というものを【律】と受け取ると、あなたご自身も述べておられるように、啄木はおろか芭蕉の【ことば/コトダマ】をすら「正しくない」と否定することになります。 私はそれに合意しません。芭蕉も一茶も啄木も尊敬してます。 そこから先は私見ですが、そうしたことなので、田中さんに於かれましては、文語を【律】と堅く考えず、もう少しソフトに、「文語というレトリック」の在り方や意味を論じて頂きたい、というのが私の希望です。 他方で、あなたが指摘しているように、自由律(五七五ではないこと)である事と、口語俳句であることとは、自由律俳句の黎明期に関連して論じられた、ということは、今後私も意識しようと思います。 (とはいえ、探してみると、やはり文語の自由律俳句や自由律短歌もあるみたいでしたよ。) ちなみに私は自由詩を書いていますが、気が向けば文語も使用します。自由なので。 (生活の中の芸術の詩とは)

2023-05-25

私は、文語を使用することは律ではなく、レトリックだと思っております。 それを律だと考える方には、なにより困惑を感じますが、ときには対立も発生します。 ものすごく大きな断絶が生じてしまうためです。 なので、最小限必要なこととして、私にはあなたの自由律定義は迷惑であり、あなたとは異る考えもあることを、自分の立場として言明させて頂きます。 (生活の中の芸術の詩とは)

2023-05-22

日本語の詩において律といえば、音数律と韻律があります。 文語を用いることが律の問題であるという根拠があるのでしょうか? あなたの用語法には、大変違和感があります。 https://kotobank.jp/word/%E9%9F%B3%E6%95%B0%E5%BE%8B-455862 (生活の中の芸術の詩とは)

2023-05-22

失礼。 この句には、作者様のコメントに自解がありましたね。 箱男はやはり余計でしたかw (豆のうた)

2023-05-21

安部公房の「箱男」という小説が、ついに映画化されるとのニュースに接して、私は喜んでおります。 〉公衆電話BOXの中の人が歩いている この句なのですが、私に起きた個人的なこととは思いますが、「箱男」に自分の意識が向いていたために、なんだか特別に面白く感じました。 公衆電話ボックスは、そんなに広いわけではないので、物理的には中で歩けません。 しかし、特定の他者までの長い距離を歩くような思いをしながら、電話をかける人もいるでしょう。 そして、変なことですが、公衆電話ボックスに入って歩いてる箱男も、想像できなくはないです。 そんな勝手なことを想像していて、ふと我に帰ると、そういえば携帯を見ながら歩く人って、透明な電話ボックスを着て歩いてるようなものですね。 (豆のうた)

2023-05-21

この作品の殆どは、良く言えば分かりやすい、悪く言うとありふれた表現でできているように思ったのですが、 鎖骨、というものから静かに詩を立ち上げてゆくところは独特で面白いと思いました。 体感的に、鎖骨が悲しみとどう関係するのか、私には分からなかったのですが、わからないまま、心に残りました。 (心の骨)

2023-05-21

自分というものの儚さを思いました。 この世界は、乱雑さが増す方向に変化してゆきますが、生命現象はそれにあらがい、様々な分子を組織だてて組み込み、秩序を維持しようとします。 でも死んでしまえば、バラバラに拡散してゆきます。 アミを、「物理法則」の隠喩のように解しました。 (水の中の網)

2023-05-21

〉あなたが生きることが、成功で、正解。 これはアバウトに言うなら、おそらく、不特定の「あなた」に対して、だいたい正しい場合か多そうだ。と、私は思いました。 しっかりと考えようと思うとかなり難しそうですが、場面を想定して、例えば「学校教育の目的は、その人が幸福になることを力づけることだ。」と言う場合とかを考えると、その場合は「あなたが生きることが成功で、正解」だということも肯定されて、踏まえられてると思います。 (あなたへ。)

2023-05-21

Gストリングスには2つの意味があることを思い出しました。 一つは弦楽器の弦の一つ。大事な弦ですが切れてしまいやすい。 もう一つはストリッパーがステージに登場するときに身につける、極端に布面積の少ない下着のヒモのことを指すとか。 例えば貝殻を透明なビニールのヒモで腰に結び止めたりする場合、それをG線というようなのですね。 アリアについても、いくつか思うところがありますが、そういった類の豊かな雑念に誘われつつ、この作品を拝読しました。 マリアについては、ロシアのオバサンたちの(私たちの苦しみを、マリア様だけはわかってくださる)という言葉をどこかで聞いて覚えています。 プーチン大統領は、今ごろマリア様に何を祈るのか。 色々と雑多な連想をコメントさせていただきましたが、この詩には、読者を豊かな雑念に誘う働きがある、と私は思いました。 私の場合、それは、日常に隙間を産んでくれました。 (共感線上のマリア)

2023-05-21

傑作ですな。 ラブを感じましたし、ふたりとも可愛い。 とても好きです。 (走る姿)

2023-05-21

誤字ですね。 本当に粗忽物ですみません。 以下に訂正させて頂きます。 自由律俳句とは、五七五ではない、別の音数や長さの【短詩】のうち、何らかの理由で俳句と名乗る流派の作品群を指すと思います。 (生活の中の芸術の詩とは)

2023-05-21

素人ながら、一つ指摘させて頂きます。 自由律俳句とは、五七五ではない、別の音数や長さの俳句のうち、何らかの理由で俳句と名乗る流派の作品群を指すと思います。 口語であるから自由律なのではなく、口語であることと、自由律であることは無関係であると私は思います。 (生活の中の芸術の詩とは)

2023-05-21

何度か読み直すまで、僕はこの批評の凄さに気づかなかったのですが、月末になってやっと気が付きました。 ここでは、黒髪さんの文の【天使性】が、批評対象作品の【展翅性】と激しくすれ違ってると思いました。 黒髪さんは言葉を言葉の通りに受け取るという所作において、神に使える天使のようであるし、批評対象作品は、あたかも展翅板のように開示、すなわち贈与の仕事に徹して何も受け取らない。 良い批評作品だと思いました。 なお、対象作品も拝読しました。 そこで読む前からまた驚いたのは、3年前、すなわちコロナ前の作品なのですね。 拝読して、とても僕の好みでした。 素晴らしい作品だと思います。 紹介してくださり、ありがとうございました。 (『「詩」と「詩論」』を読んで)

2023-05-21

死んでゆく、ということ。また、看取る、ということが、作品の全体に響き、そうした仕事を実行している精神において生成する言葉を聴いているような感じがしました。 人によるのでしょうけど、私はコーヒーを飲んでいるときも、散歩をしているときも、主語ー述語といった文では思考していません。 ましてや誰かを看取りつつあるときなど、思考を文に翻訳するのも、なんだか億劫になります。 この作品がこういう形をしているのは、私の関知しない、意図とか理由とかによるのかも知れないですし、そういう意図とか理由とかとは無関係なのかもしれません。 しかし、経験として、言葉がこういう存在の仕方をするのは、状況によっては、自然なことのように思いました。 (khefa)

2023-05-21

この作品が私にもわかるということは、思えばちょっと変な話なのかも知れないのですが、何かしら理由もあるのでしょう。 とてもよくわかりました。 子どもの頃、高熱で死にそうになったことがあり、幻覚が視えていました。小人なんですけど、たくさん出てきます。 それが変なことに、戦争をしているのですよ。 その音や声が嫌で、「うるさい!」と大声で叫ぶ。 すると消えるのですけど、またすぐ出てきました。 あとから聞くと、家族は私が音に苦しんでいると思って、なるべく静かにするようにしていたようです。 戦争は嫌ですよね。 心のかなり底のほうとか、人格の基礎とかに、戦争への嫌悪がある人というのが、案外たくさんいるのかもしれません。 ティアラは私の単純な戦争嫌悪より、さらにひねくれてて、大変そうですね。 (俺とティアラ)

2023-05-21

世の中、優しいけどろくでもないウソが多いですよね。 サンタクロースが本当にいるとか。 騙されたい人のためにウソをつくのも、ウソをつく人のために騙されたふりをしてあげるのも、あまり頻繁だと面倒くさくて嫌になります。 でもときにはやむを得ないのでしょうね。 (うそつき)

2023-05-21

黒髪さんという鏡は、現在をこのように映すのか、と思いました。 私も共感を感じる詩行が多かったです。 (白い景色が次々と映る、愛は生まれてから世界に何を見たか)

2023-05-21

最終連の「落とされた枝」の解釈に少し迷いましたが、そこも記述のとおりに拝読しました。枝はどこかの地点から何処かまで空間的に移動し、それは「落とされた」という状態であり、そこからさらに下方に水滴が降るのでしょう。自分の重さゆえか、風のためか、或いは小鳥でもとまったからか、枝がおち、そこから水滴が落ちてくる。 それは体表の温度より、冷たくはないのかもしれません。 各連のイメージが明瞭に感じられて、心地よかったです。 (窓際)

2023-05-21

詩論でもあり、人生論でもあるように思いました。 人との距離の取り方やコミュニケーションの仕方は、何かと難しいものだと思います。 (都合のいいとこだけちょっとだけ)

2023-05-21

寂しげな作品だな、と思いました。 冒頭、枯れ葉のあるひとつの情景が提示されます。しかし直ちに続けて、それを見る主体としての鶴が提示されます。 そしてさらに続けて、文は、記述における「私ーあなた」と「私たちーあなたたち」の間で、寄る辺なくゆらぎます。 仮主語といったか偽主語と言ったか、私は覚えてもいませんが、記述における主語は意味内容を考えれば、その語で本当は何を意味しているのか曖昧な場合も多く、ただ文の形を取るために要請されているのに他ならないときもあります。 意識するにせよ、しないにせよ我々はそれを知っているから、論述では英語でも、「我々」も「私」も反射的にというには不自然なほど、極力避けられます。 ましてや日本語は、もともと主語を持っていないとも言われますよね。 なので私も、思考の上では、文を作成するときに、主語を記すことへの戸惑いを感じることは理解できます。 しかし共感するかというと、私にはそのことはあまり重要ではないなぁと、あらためて思いました。 一面の枯れ葉を言葉で記そうとするとき、私なら「一面に枯れ葉がある」と記すことに、不自然は感じません。このとき仮の主語のようなもの(本当は主語ではなく、主題ですが)にあたるものとしては、枯れ葉があれば別に座りの悪さは感じませんから。 思えば不思議なことですよね。 記述において、主語に不安を感じるのは言語の性質のせいですから、むしろ一般的なことであり、そう感じない私こそ孤独を感じても不思議はないと思うのですが、この詩の語り手は、そう考えていないように思います。 そんなことを考えつつ読み進めると、いつの間にか孤独は、文の作成に際して必然的におきることからはズレて、感情としての孤独が記されてゆきます。 そちらは存在の必然的な孤独ですから、私にも理解することも、共感することもできます。 しかし冒頭からの展開を共感しないために、少し遠く感じました。 (no title.)

2023-05-21

薄氷の向こうに、いる存在。 例えば屋外の路上のちょっとした水溜りの表面に氷が張り、その氷の向こうにいる存在。 それをダンサーに喩えると筆致、とても良いと思いました。 (frigidarium)

2023-05-20

その裏に真実があるのならば、嘘も悪くないと思います。 (嘘)

2023-05-20

喜びも悲しみも、豊かな人生であることが望ましい。と、私は思います。 明るく、カラフルで、私の好きな作品です。 (氷と春)

2023-05-20

ラストが不穏で良いですね。 〉代え難いよ。おまえ しかし語り手は、ヒッチコックを見たことがないのであり、誰が代え難いのか、わからないです。 (めまいへ)

2023-05-20

素晴らしいです! 〉夜桜に天使の梯子だ。ね、いいっしょ。 これは参りました! 非常にステキな、詩的発見だと思います。 素晴らしいです。 全体の構成としても、この発見が響いていて、ラストでは物理要素が転換する比喩になってると思いました。 空間が時間に置き換わるとかの、大胆な変化など。 (春色低音)

2023-05-20

冒頭からのまとまりは、階段、坂、銀貨(落とし物だろうか)、蛇、八重桜、部屋などの名詞から、昔住んでいた西早稲田のアパートを思い出しました。神社や坂道が近くにありまして。 魔館みたいなアパートでした。 この初連は、動詞では「ある」が印象的です。 おそらく意図的に文意がわからない文で構成された詩なのだろうと思いましたが、単語を直接読むと、初連は何かしらが起きる「場面」(そしてそんな場所が【ある】ということ)が想像されました。 続く連では触る、抱くなどの言葉が目立ち、〈洞察・発見・直感〉と、いったんはまとめられます。 の、でそれらはすべて受け取られる。 事件が起きたのでしょうね。 そこからあとは、事件の隠蔽と同時に、叙情があると思いました。 そのような読みをして再び全体を眺めますと、バランスに疑問を感じました。 冒頭、事件が起きてないわりに長く、後半が短いような気がします。 (仕事着の男。)

2023-05-20

こんにちは。 これは朗読で力を発揮しそうな作品だな、と思いました。 (おばさんから見た)あなたの娘さんと、朗読者の関係性が、ぐいっと影響しそうな気がします。 (This is the Chuo-Sobu Line train for)

2023-05-20

なるほど! と、納得しました。 私は生物系がバックボーンで、ネトゲにあんまりハマれなくて、老いや死や介護について思うところが多々ある日々を送ってるのですが、そうなると後段がしっくり来るのは当然なのかも。 幸福追求ということは、ゲームとしては普遍的なのでしょうけど、生命にとってはどうでも良いオマケなのでしょうからね。 前半のクレームに同意点が多々あるのもむべなるかな。 幸福というどうでも良いことに労力を使うなら、極力低コストにしてほしい。 ゲームは簡単にしろ、と。 投資なんかも何も考えずにやれないなら、やりたくない。 選挙とか戦争とかも、なんで俺がこんなくだらないこと考えなきゃならないんだ、みたいな、、、自分の傾向性の合理的なことも良くない傾向もすべて繋がるな。 たいへん共感する作品でした。 (特異点)

2023-05-20

個人的な人間関係が強く反映してる作品なのかな、と思いました。 でも、表現が面白くて、なぜか気持ちの良い作品だな、と思いました。 宮沢賢治にも、実は、単なる悪口の詩がいくつかあると思うのですけど、もちろん傑作ではありません。でもちょっとほっこりします。 この作品はあんな感じだな、と思いました。 (知った風)

2023-05-19

なんだか凄いなぁ、と思いました。 〉傷を見せ合いっこしてすごいねってよく泣かないで我慢したねって褒めてくれたのに 私にはこのような対話や批評感想のやりとりはできないのですが、こうした詩のやりとり、そして詩の愉しみ方や苦しみ方をする人というのは、そういえば居たのかも知れない、という気もします。 私もこれまで様々な詩の場所にでかけてみました。 詩人会にも行ってみたし、詩誌主催の合評会とか、自主的な合評会とか、ポエトリーリーディングにも行きました。インターネットにも参加してきました。 なのにこういうコミュニケーションは、一度もなかったです。 数十年もの間、全く気が付かなかったのてすが、もしかすると私は、避けられたり仲間ハズレになってたりした面が、いくらかはあったのかもしれないですね。 軽くショックを受けております。 この作品の世界観からみると、私はおそらく詩人ではないのではないか、と思うのですが、それを受け入れてこの詩を読みたい誘惑に駆られます。 完全にはそうできないけど、頑張ってそう試みて、この作品へと分け入ってみると、この苦しみ方というのは、なんだか楽しそうだな、と思えました。 最終連、関わりをもってきた詩人たちから断絶した、独自の言葉というのを愛について見つけようとしたら、たしかに困難そうです。 ですが、見つかったら詩人たち、きっとびっくりしますよね。 びっくりさせるのって面白いのでは、と思いました。 (盗癖)

2023-05-19

〉ザクは出撃して居るのに 〉自分の出撃は遅れがちだった このフレーズ、良いと思います。 もしかしたら、「ザグは」は、出撃の枕詞なのかもしれません。 異様にぴったり来ます。 (ガンダムかウルトラマンか)

2023-05-19

悲しみとか怒りとかが、地雷みたいに埋まってる作品だと感じました。 その存在感の強さが、この詩の良いところだと思います。 出口はないけど、歩いた距離はある、みたいな、喩えると地雷原を歩くような読みをさせて頂きました。 (角度)

2023-05-19

静かでロマンチックで絶望的な良い作品だと思います。 最近私は、ハデスの妻ペルセポネーについて、時々ぼんやりと想います。 男も女も、絶望と希望、そして時々は愛をセットで手にするものなのではないでしょうか。 それが不当だと詩では歌いつつ、人生ではあと千年、男と女で話し合いたいです。 (生きる)

2023-05-19

声と音がいいな、と思いました。 言葉はあまり使ってないと思います。 例えば涙が止まらないような想いを、涙が止まらなかった、と言ってしまう。 しかし、そうであることにより可能な表現もあれば、そうであるときしか伝わらないこともあると思います。 主題はとても大きい。 人類の罪と、我々の滅び。 と、解しました。 成功することが難しいトライアルと思いますし、この作品も成功してるとは私は思わないのですが、共感はありました。 拝聴して楽しかったです。 (詩の朗読「よごした海、しぶきあげて海」)

2023-05-19

ポエジーを発生させる書き方、その戦略として、この作品は私にもよくわかるやり方のように思いました。 余韻の詩だと思います。 そしてどうしてこの素材で詩作しようとするかも、なんだか共感します。 語りかけようとする相手である『誰か』がいる。 不満はタイトルでした。 作品に比べて、少しだけ大きいと思います。 (知らな(い方が)くてもいいこと)

2023-05-19

死に化粧という、非常にセンチメンタルな素材を、距離をとって考察したり観察したりしてますね。 あらためて思考に誘われます。 (死に化粧)

2023-05-19

飛蚊症のイメージとDNAのイメージを混ぜたようなイメージを想像しました。 その奥への展開は、私には読めなかったのですが、なかなかカッコ良い作品だと思います。 (糸のような光)

2023-05-19

これは素晴らしい。 どうもクモというのは、機械仕掛けのようにも見える生物だと思います。 それを配して、工場の雰囲気をよく表現してると思いました。 (工場)

2023-05-19

3連構成であることから、プリズムの形を連想しました。 そんなふうに読んでみよう、と決めてみると、第1連は入いってゆく光、第3連は出てゆく光に見えました。 また、たましひ、にはじまり、「ひ」が目立ちます。それをリフレインと決めてみると、第1連から入って、いくつもに分かれて第3連から出てゆく。プリズムの形とよく合ってると思いました。 青春の終わりというのは、振り返る年齢ごとに異る感傷をもたらすものなのではないか、と思います。 この詩が書かれた数年後には、もはやこの感傷は生じないのでは、と思います。 別の感傷はあるかもしれませんが。 このときしか捉えられないものを、しっかりと捉えた作品、と思いました。 (trace)

2023-05-19

ギリシャのアントニーを誑し込んだ絶世の美女で古代エジプトの女王でもあるクレオパトラは、最後は毒蛇に身を噛ませて自殺したと言われますが、この詩からはなんとなくクレオパトラと蛇のイメージが喚起されました。 第一連で、舌先の分かれた蛇のことではないのは明瞭なのですが。 舐められる/舐めさせる、ということはスリルを伴うからなのかも知れませんね。 (舐めないで)

2023-05-19

文の意味はわかるのに、意味を伝えることがメインになってません。エッセイや小説であることを拒否するような、詩的なテキストだと思いました。 じっくりと流れるテンポも、しっかりと世界を見つめる視線も、行かないでくれる彼女も、素敵だと思います。 (2063)

2023-05-19

大変面白いエピソードが読み込まれた詩だと思います。 〉生きているってそんなだよ と、いうのは、納得しました。 実は私にも似た経験があります。 ある仕事をチームでしていて、私の任期が終わって去るときに、大したことはしてないはずなのに、駆け寄ってきた専門職さんに感謝されて泣かれてしまいました。 何故?と訊くわけにもいかないまま別れ、意味が分からず、心に少しだけ暖かさが残ってます。 この青年の説明に、なるほどと思うところが多々あり、ラストの旅立ちの予感もしっくり来ました。 たいへん面白い詩だと思いました。 (旅のウルトラC)

2023-05-19

普通の言葉で書かれた、ひとつの怪異譚が、名詞と形容詞はそのままに、文の他の要素がすべてランダムに変化してしまったら、このようなテキストになるのかも知れない。と、思いました。 名詞と形容詞を繋ぐ言葉を信用せず、名詞と形容詞だけに着目すると、恋や悪霊も絡んだ吸血鬼の怪異譚が、ぼんやりと浮かび上がるように思いました。 タイトルは理解できませんでした。 (節:拈圖)

2023-05-19

面白いです。 しかし、いやこれは!彼が見失ったものとは何なのか! うーん、と考え込みました。 もしかすると、彼は特に何も見失ってないのでは? この最後の行で、何かを見失ったのはもしかして『読者』で、テキストの意味は作者ではなく読者が決める、ということを僕は見失っているのか? いや、違うな。 でも誰も不幸にはなってないような気がします。 (そしてヤンキーはいなくなった)

2023-05-19

これは不思議な作品ですね。 いささか氏について、たくさんの情報が手渡されたのに、何の印象も残りません。 謎の人物とはこういう人なのかも知れません。 (いささか氏)

2023-05-19

タイトルが良いですね。 惹かれて読むと、一行目、出オチのようでもありながら、3連目で明かす。 しっかりと最後の言葉まで連れてゆかれました。 (かつてブスと呼ばれた俺たちに)

2023-05-19

なるほどー、と思いました。 忘れ草の2つの歌、物語の中にあることで生命をもつような感じがしました。 忘れ草、カンゾウですね。その一種を私の住んでいる関東でも、街の所々で見かけます。 栽培して芽を食べたり、沖縄のものをお茶にしたりしたことがありますが、そういえば辛いことを忘れてしまうような草でした。 (山城合戦)

2023-05-18

拝読して面白かったです。スリルがありました。 優れた短編小説を読むと、詩的昇華というものを味わう事があると思うのですが、優れた散文詩を読むときも、今度は逆に詩に収まらない、神話的な物語を感じる事があります。 この作品には、詩であるからこその言葉の自由さと、物語の深さを感じ、面白いなぁと思いました。 昔から、世の中には散文詩をみると、それを小説にするように薦めるひとがいます。 なので私のような者も一人いても良いのではないかと思うのですが、私は詩と小説ほど異なるものも少ないと思っています。 詩を小説にするなんて、詩を書けてしまう人にも、小説を書けてしまう人にも不可能なのではないでしょうか。 両方とも書けないならともかく。 または、シェークスピアのように、詩と小説(戯曲)の混成を書くならともかく。 今後どのような作品を書かれるにしろ、作者様次第ですけど、私はこの作品、好きです。詩的なものを芳醇に感じました。 (わたしはあなた/ぼくのきみ)

2023-05-18

こんにちは。 私は男性なので、もしかしたらこの詩の作者と感覚が異なるのかどうか、微妙なところもあるのかも知れないのですが、現実にイイコトが無くても、インムはインムを見れただけでラッキーだと私は思います! 朝にはどのみち身体が朝ですから。 どうせなら、気分も、と。 そんなことも思いつつ、この詩からは日常に立ち向かう励みみたいなものを少しもらうような気がして、良い詩だと思いました。 (朝の詩ばかりになって困る)

2023-05-18

お久しぶりです。 また黒髪さんの作品を拝読できて、嬉しいです。 これは色彩的に綺麗な、構えの大きい作品で素敵だと思いました。 (雨と海)

2023-05-18

奥深い寓喩の作品として拝読しました。 決定的な対話について、私にもいくつかの後悔があり、それに囚われまいとする想いもあります。 また、相手への敬意のためにやり直しの効かない対話もあります。 そういうことは、共感として誘発されるのですが、このように寓喩によって通底することもできるのだな、と気付きました。 これは私の好きな作品でした。 (夕暮れの鐘が鳴る頃に)

2023-05-18

君を木に喩えて讃えた作品として読み、次には木を人に喩えて讃えた作品にも読みました。 綺麗な詩で、好きです。 (木)

2023-05-18

端的な内容の作品ですが、きちんと突き詰められてます。 清々しさを感じました。 (嫌い)

2023-05-18

非常に丁寧に逡巡を描いていて、その丁寧さが良いな、と思いました。 〉まったく、味が、ない。 〉まるで、どこかに甘酸っぱさを置いてきたように。 〉この味のない関係に 〉なんて名前がつくだろうか、 〉味はないのに、確かに私達の元に存在している 見つめてますよね。 簡単に名付けない。 〉この関係は目的地のない迷路。 でもそれで良いのだとも言ってしまわない。 丁寧な生き方だなぁ、と思いました。 大事なことが書き留められてると思います。 (回り、回って)

2023-05-18

面白いし上手いですね。 展開が、なさそうでありそうで、読んでいて、繋がりはそんなすぐにわからないのてすが、どこか自然な並びのように感じます。 眺めると、 宇宙音楽(チャルメラ)→時間(ジョン・ケージ)→年金(漫☆画太郎)→金玉、名前(犬)→名前、クラスメイト(結果)→授業、淀(先生)→大阪の人間 最後だけちょっと繋がりがわかりませんが、やはり繋がってますね。 一つ一つも面白く、拝読して楽しかったです。特に思ったのを1つあげると、「わん力」。こうゆうのどうやったら滑らないで書けるのか。僕には難しいです。 とても好きな作品でした。 (雑文集)

2023-05-18

〉皆栄養のバランスは気にするけど 〉情報のバランスは気にしてますか? このフレーズ、良いですね。 なかなか難しいことですが、大事なことだと思います。 (過去と現在と未来)

2023-05-18

これは「かなしみ」に関する研究だな、と思いました。 筆者はいくつかの仮説をたててからこの研究に取り組んだと思われますが、このレポートは「材料及び方法」から始まっていて、残念ながら緒言がないので、仮説は明瞭にはわかりません。 でも、他人が自分の「傷口」を教えてくれることが、自分の「かなしみ」にとって何らかの作用をし、かなしみに関する知見が得られるはずだと筆者が想定していることが推察されます。 そもそも人はなぜ、何かを研究するのでしょうか? 私は人生のほとんどを研究に費やしたので、この問はそれなりに重く感じます。また、私の親も研究をする人だったので、研究に身を捧げる人を多く見てもきました。ですが、この問は未だ謎です。 何を研究するにせよ、人はその何かを完全に理解することはほぼありえません。 そのことを、おそらくすべての研究者が、骨の髄まで知っています。 解明しつくせる謎に取り組むのは、研究者ではなく、他の人たちですから。 それでも人は、研究することによって、研究対象を解明しようとします。 それはいったい何故なのか。 それはおそらく、人類の知に貢献するためなのでしょう。 この研究レポートから、協力した人の、研究ということへの理解度の違いを読み取ることもできるように思います。 コンドームを入れた人は、この研究が研究者個人のかなしみを解決するために行われていると考えたのだろうと思います。 みかんを入れた人は、研究ということをかなり知っていたと思われます。しかし、どうやら彼は、この研究報告の作成者に「かなしみ」をもたらさず、従って研究に寄与できなかったものと思われます。 または、【他人の心の傷を知ることは、知った者にかなしみをもたらさない】という事例となり、語られていない仮説の反証となったのかも知れません。 そして最後の研究協力者の事例です。 この場合、研究者は、回答を読みません。 従って語られてはいない彼の仮説は、検討もされなかったと思われます。 確かに、検討するだけ無駄ではあったでしょうね。この協力者は、研究ということを、どうやらまるで理解してないように思われますから。 にもかかわらず、研究者は自分のかなしみが少し減少したことを報告してます。 どゆこと?と私は思いました。 私がこの作品を解釈できたのは、ここまでです。 さらに考えたこともありますが、それは次の研究の緒言となり、新たな方法を構築するための素材でありましょう。さらなる実験を行わない限り、この研究とは関係ないと言えると思います。 何故、他人の傷口を知ることによって、自分のかなしみについての何かが解明されるという事が起きなかったのか、大変興味深いとは思うこということまで、コメントして私のコメントを終わります。 (かなしみについて)

2023-05-18

ブラジャーを被るM氏の肖像       ▲▲ (╹◡╹) (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-17

花は植物の性器なわけですが、動物である昆虫たちを誘惑してやまず、行動を誘発させます。花粉媒介、と呼ばれる行動です。 理由は不可思議ですが、花は何故か我々人間にも、その形態、色彩、香り、そして動きで情動を起こさせ、何かを考えさせたり、行動させたりしますね。 この詩は、花のもつ形態に着目したあと、その色の変化と、散る動きに着目して、花に言葉を返します。 〉花よ 〉咲いてくれ 〉消えてくれ と。 それが花にとって何なのだろう。 でも花は、何故か我々にそう言わせたいのかも知れません。 不思議なことだなぁ、とも思いつつ、花とコミュニケーションする語り手を想いました。 たぶん桜ですよね。 この感覚はよくわかりますし、なるほどと思う表現でした。 (漂白)

2023-05-17

短い詩ですが、4つの場所の4つの情景が読み込まれていると私は解釈しました。 なんてゆうか、新婚旅行での4つの情景を詩にとどめたような、素敵な作品と思います。 (傍にいたい)

2023-05-17

「儘」という言葉の使い方が独特でした。 読みは、ママ、またはジン。 もし送り仮名をふるなら「ことごと(く)」 意味は、 ①まま。思いどおり。 ②ままよ。まかせる。 ③ことごとく。みな。 [類]尽 (グー辞典より) ままは、「ワガママ」や「ほしいまま」などを喚起しつつ、母親を意味する「ママ」にも音で通じるのですが、この詩でどう読むか、私は迷いました。 ママ、とも読むことを意識しつつ、仮にジンと読みました。 すると、ジンは神に音でつながるので、世界創生の物語として全編が読めると思います。その場合の「僕」は、地を創生しに(同時に人と自分の神話を創るために)降りてきた神の子ですから、イザナギのような地母神でもあり、英雄でもあり、というの感じに読みました。 と、同時に、そういう形をした、人の誕生から青春までの物語とも読めまして、その場合は、一度捨てた「ママ」が再び響いてきました。 二重の詩として拝読し、使われてる言葉の隠喩としての広がりが面白かったです。 (聖なる群青)

2023-05-17

素敵な詩だと思います。 好きな作品です。 特に好きな点は、「キャンディーのように、」という直喩に導かれる1語と、それに触発されて展開する詩行の流れ。 それと、今度は「ダイヤモンドのように、」という直喩に導かれる1語と、それに触発されて展開する詩行。 その二箇所の「、」の使い方が面白く、私は好きです。 あくまで私の個人的な趣味としてですが、若干物足りなく思ったのもまた、その同じ2箇所でした。 どんな味や香りのキャンディーなのか、私の中でイメージが立ち上がりません。 ダイヤモンドも様々な光方があると思うのですが、これはよりぎりぎりで伝わりませんでした。 ダイヤモンドの光は、おそらく、室内での、光がフレアにならない時の散乱光の1つか2つじゃないてしょうか。そのうち、青と白色の強くて揺れない光なんじゃないかな。などとも思いました。 揺れながら赤く燃え上がる、ダイヤモンド特有のフレアならより素敵ですが。 (スウィートキャンディ)

2023-05-17

これはとても良くわかります。 こんなことあるなぁ、と共感しますし、とても大事な瞬間なのに、この詩のようである時もありますよね。 表現にも雑味がなく、スッキリしていて好きです。 (気にしています)

2023-05-17

言われてみれば、詩って何なんでしょうね。 詩を読んでもらうことによって、誰かに自分を理解して欲しいという気持ちが自分にあるのかというと、私はよくわからないです。 あるような、ないような。 それはともかく、自分は人間だし生きてるし、だから書くような気もしますね。 なんだろう。 共感はするけど感動はしない、みたいな不思議な感覚になりますが、そんなことを言いつつも案外心地よい詩で、静かな深さも感じました。 (詩ってなんだろう)

2023-05-15

今晩は。遅れてのコメント、失礼します。 坂本龍一が世を去ってしまったことは、僕もとても残念に思いました。 でも彼に捧げる詩は、僕には思いつかなかったので、拝読できて、ささやかな慰めをいただきました。 人は死ぬ、という言葉を死者に捧げるって、なんだか色即是空と唱える般若心経みたいだな、とも思いました。 そのとおり、人は死にますが、生きてる人は生きてゆきますよね。 (教授に捧ぐ For Mr professor)

2023-05-15

こんにちは。 月を越えて遅くなり、すみませんが、コメントを書かせて頂きます。 運動と停止、フラッシュ(光と闇)、そして生と死と麻酔などの要素が、それぞれの有り様を邪魔せずに完遂してる感じがして、愉しく拝読しました。 矢印は状況の不可解さにとらわれず直進し、にも関わらず何者か(矢印かもしれない)は停止したいがままに自在に停止して数を数えます。 そして昆虫の図鑑は、目にそれを見よと強要せず、開かれたいように開かれる。 光と闇も、生と死も、この詩では互いを邪魔しません。 それが気持ち良い、不思議なハーモニー(協力しないバラバラのままの)になってると思いました。 (実験12)

2023-05-15

ランナー 「(╹◡╹)」 (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-15

遅れて月が変わってからのコメントですみません。 私はこの詩は非常に好きです。 なんか素晴らしいと思う。 リスは、出てこないけど、リスの気配が可愛いし、その上に空はあるといいな、と思います。 そこへ至る展開も、飛躍に飛躍を重ねるのですが、とてもしっくりきました。 (豆詩)

2023-05-15

遅れてのコメント、すみません。 この作品の書かれ方やかたちは独特であり、とても面白いと思います。 改行詩ですが、スタンザに分けず、また改行の場所も、「。」の位置とは限らない。 作者の思考と一致するような、独特のリズム感があり、私は好きです。 内容も個性的でした。 〉だったら自分が存在したという証拠を 〉俺は残したい具体的に言うと ここまでは、なるほどと共感する内容でした。 しかし、その【具体的な】の中身としての次行から数行は、私には意外なことに、文末が「させて」なのです。 大変なご苦労のすえ、やりたいことをやろうじゃないか、と思考が展開したのですから、他人ではなく自分が何をしたいかを語るのだろうと予期するので、ここで「あれ?」と思いました。 〉今まで思ったことを書いてきたけど 〉響かないよねなぜなら 〉俺の苦労がみんなに伝わってないから これも大変意外でした。 響かないのは、私の場合はそこではありません。それは感覚で伝わるのだけど、その結果、何をしたいと思うようになったかが共感できないのです。 しかも、共感できないということは、この詩では、良いことのようにも思いました。苦労されて、本当にやりたいをやる、というような生き方をするのですから、他人にはわからないような価値観であることは、喜ばしいことのように思ったのです。 その後の展開も意外でした。 さて、私も長く詩を書いてまいりました。 こうしたとき、私が、「この詩はそこが独特である。奇妙ですらあると私は感じる。そういうことがこの詩では素敵で、こういう詩が私は好きです。」と、コメントすると、作者様はそれを素直に受け入れてくれないことを経験から知ってはおります。 しかし私は本当のことしか言いたくないので、ここでも率直にコメントするのですが、この詩は思考の展開がストレートではなくゴツゴツしてます。そのため私は共感はしないのですけど、でもそうやってゴツゴツした思考で世界平和とかを日本の未来とかを語るまでに至る在り方が、とても詩的だと思いました。 (死)

2023-05-15

月を超えてからのコメントになり、すみません。 タイトルが面白いと思ったのですが、地球の回転をコマに喩え、容赦ない強力な恒常性で過ぎてゆく時間と、その中で生きて死ぬ生物とを対比したものと解しました。 最終連には、嘴から「私達の長い溜め息」が漏れるとあるので、詩の冒頭から烏イコール私たちだったのか、とも思いました。 ですが思い直して、やはりこの「烏」はこの詩に登場する塀、蝙蝠、家路を急ぐ人々、コンクリ橋、娘などと共に、地球の情景をなす要素と読み、それらを背景として「私達」の誰かが語っていると場面を解しました。 「泣き止むきっかけを」の連と、「しゃっくりが止まらい」の連を含む、第1、3、4連では、動作の主体が語り手と思われましたので、そこでは語り手が背景より前に出ているように感じましたが、そのように語り手でもある「私達」の姿は読者には不可視だと思います。 叫びが届かない、ということでもありますから、私達とは、想念とか思念のようなもの、或いは記憶とか幽霊や生霊のようなもの、と解しました。 自分の心の声、それも怨嗟のようなものが、カラスの嘴から出てきたら、恐ろしいことですよね。 しかしこの詩の最終連では、そのような事が起きている、と思いました。 そしてその事態を、一人の「娘」は、体内の共鳴器のようなもので、知覚しているのだと思います。 もしかすると、この「娘」が語り手なのかも知れません。 彼女は知覚してるのですから。 拝読し終わって、生き物の想い(願い、または叫び、でも良いのかも)をまとうようにして、苛責なく過ぎる時間の象徴のように回転する地球をイメージしました。 独特の構造を持つ詩だと思います。 (地球独楽)

2023-05-15

いま、4月の投稿作品をすべて読み直してるのですが、これは難しい作品ですね。 私はこの作品の思考の流れに共感しませんでした。私はそもそも、誰かに詩を書くことをあまり薦めてませんが、それは詩を書くことが場合によっては危険だと思っているからです。 死んだような詩を書く人は、そうして生きてるのですし、詩を書けなくなった人もそうして生きてるのなら、それで良いのではないでしょうか。 詩を書くことによって死んでしまう人が本当にいるのかどうかはわからないのですが、もしそういう人もいるのだとしたら、それは理想の詩が書けないことに絶望したからではなく他の理由なのではないでしょうか。 例えば、むしろ非常に優れた詩を書いてしまい、自分の知らなかった自分を見出し、自分の真実本当にやりたいことは死ぬことだ、と、それに誘われてしまうからなのでは、と想像してます。 この作品は、とらわれをはなれ、もっと自由な詩を書くことが、生きることに繋がる、という思考の元で、言葉が編まれてると思います。 それも一つの思想で、そのとおりなのかもしれませんが、私は共感しませんでした。 (ぶっ殺すぞ)

2023-05-14

今晩は。 際どく、重いテーマを直截に書いておられて、しかも思考は短い作品の中で深まります。 私は武者小路実篤の思想詩など好きなのですが、そうした短編の思想詩は「出オチ」になりがちと思っています。 この詩は思考が展開するところが面白かったです。 内容ですが、生きる意味を探すために生きる、というのは、なんだか納得してしまいそうなフレーズですけど、言われてみれば、それじゃあぐるぐる回ってますよね。疑問の解決になってるようでいて、実はぜんぜんなってません。 非常に重大で、面白い発見だと思いました。 思考の陥穽(かんせい/落とし穴の意)という言われ方をするのですが、そう考えちゃうと抜け出せない、というような思考が、いくつかあると思います。 この詩は、重大で面白い発見から始まるのだけど、だからってこの詩の中盤のように展開するしかないわけではありません。それこそ宗教も他の答えを持ってるかもしれないし、宗教じゃない他の答えもあると思います。 この詩の中盤の思考は、他の道が見えなくなる落とし穴なのでは、と思います。 終盤で、この語り手が落とし穴に落ちそうで落ちてない事が語られるので、私も立ち止まり、そこでゾッとして引き返すのが正解ですよ、と思いました。 冒頭に書きましたが、詩のスタイルとしては面白いと思いますし、内容も、この難しい課題に取り組むとは、と面白かったです。 (なんで)

2023-05-14

こんにちは。遅れてのコメントですみません。 ジャズに喩えるとは面白いです。ぴったりだな、と思いました。 先ず、いびきというのはだいたい四拍子なんじゃないかな。変則的なリズムのいびきもあるだろし、ジャズにも五拍子のスタンダードナンバーもありますが、いびきは少なくともワルツじゃないですよね。 この詩ではベースだと喩えるのですが、音色的にそうかもと思います。 それに時々、いびきは、リズムを変えたり、なんかフリーソロみたいな演奏になったりしますよね。 面白い比喩だと思います。 私が少し物足りなく思ったのは、そうしたいびきが、ジャズ全体で表現されていて、具体的な音としては伝わってこなかったことです。 もっとも、私も具体的なイビキの音をそんなに聴きたいのか、というと、やはりこの詩はこのような洒脱で苦いユーモアのまま、余計なことは書かないほうが良いのかもとも思いました。 (真夜中のジャズ)

2023-05-14

対処ではなく、対象でした。 毎度で申し訳ありませんが、失礼しました。 (蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』読解一例)

2023-05-13

そうでしたか! なんと北園のあのときですか! あれは僕の無茶ぶりだろうと、ある人にクレームも頂きましたが、そこまで深く読んで下さったんですね。 とても嬉しいです。 また何かの折に、澤さんと語り会いたいと僕が思うことが増えちゃいますねw 拝見すると、澤さんはこちらでの投稿はまだ少数のご様子。今後もご活躍を祈念します。 この批評作品は、その一読者としても私は高く評価いたしますが、対処作品の作者としても深謝します。ささやかなワンダーを受け止めて頂いたと感じます。 ありがとうございました。 (蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』読解一例)

2023-05-13

拙作にご批評を賜り、深謝します。 ありがとうございます。 私は澤さんの批評をいくつか拝読して来て、その度に驚かされてきたのですが、これは特に素晴らしい批評作品なのではないでしょうか。 レイチェル・カールソンの「センス・オブ・ワンダー」という言葉が私は好きです。ワンダーという言葉を直訳すると大袈裟になってしまうのですが、レイチェルのそれは、例えば鳥の声を聴いて、「イイナ」、と思うような、素直な驚きの事だと思っています。 拙作が澤さんにワンダーとして響いたこと、そしてこの批評が私に暖かいワンダーをもたらしてくれることを、大変幸甚に思います。 この批評作品を称賛する言葉に続けて、本来なら「自分が批評対象の作者であるとこを差し引いても」ーーーとも言いたいところですが、私はそんなに出来た人間ではないですし、この素敵な批評作品を、「差し引き」して読むことはとてもできません。なので、作者として作品に何かを付け足してしまうことをさけるため、この批評作品についても、細部については、ここでは私からは言及を避けます。 そうせざるを得ないほど、作者としての私にとっても非常にありがたい、詩作の励みになる批評でした。 (蛾兆ボルカ『青い空の下だと銀色の車は青い』読解一例)

2023-05-13

仕組み ╹◡╹)╹◡╹)╹◡╹) (╹◡╹(╹◡╹(╹◡╹  ╹◡╹)╹◡╹)╹◡╹)        ◆ (╹◡╹(╹◡╹(╹◡╹   ╹◡╹)╹◡╹)╹◡╹)       ◆ (╹◡╹(╹◡╹(╹◡╹   ╹◡╹)╹◡╹)╹◡╹)      ◆ (╹◡╹(╹◡╹(╹◡╹       ╹◡╹)╹◡╹)╹◡╹)   ◆ (╹◡╹(╹◡╹(╹◡╹             ╹◡╹)╹◡╹)╹◆╹) (╹◡╹(╹◡╹(╹◡╹              ╹◡╹)╹◡╹)╹◡╹) (╹◡╹(╹◡╹(╹◡╹                 ╹◡╹)╹◡╹)╹◡╹) (╹◡╹(╹◡╹(╹◡╹                   ╹◡╹)╹◡╹)╹◡╹)   (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-12

8条 1 天皇 (╹◡╹)ハ(╹◡╹)公共 (╹◡╹)ノ安全ヲ保持シ又 (╹◡╹)ハ(╹◡╹)其 (╹◡╹)ノ災厄ヲ避クル為緊急 (╹◡╹)ノ必要ニ由リ帝国議会閉会 (╹◡╹)ノ場合ニ於テ法律ニ代 (╹◡╹)ル(╹◡╹)ヘ(╹◡╹)キ勅令ヲ発ス 2 此 (╹◡╹)ノ勅令 (╹◡╹)ハ(╹◡╹)次 (╹◡╹)ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出ス  ヘ(╹◡╹)シ若議会ニ於テ承諾セサルトキ (╹◡╹)ハ(╹◡╹)政府 (╹◡╹)ハ(╹◡╹)将来ニ向テ其 (╹◡╹)ノ効力ヲ失フコトヲ公布ス (╹◡╹)ヘ(╹◡╹)シ (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-12

帝国憲法 第1条 大日本帝国ハ万世一系(╹◡╹)ノ天皇之ヲ統治ス 第2条 皇位ハ皇室典範(╹◡╹)ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス 第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘ(╹◡╹)カラス 第4条 天皇ハ国(╹◡╹)ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此(╹◡╹)ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ 第5条 天皇ハ帝国議会(╹◡╹)ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ 第6条 (略) 第7条 (略) 第8条 1 天皇(╹◡╹)ハ(╹◡╹)公共(╹◡╹)ノ安全ヲ保持シ又(╹◡╹)ハ(╹◡╹)其(╹◡╹)ノ災厄ヲ避クル為緊急(╹◡╹)ノ必要ニ由リ帝国議会閉会(╹◡╹)ノ場合ニ於テ法律ニ代(╹◡╹)ル(╹◡╹)ヘ(╹◡╹)キ勅令ヲ発ス 2 此(╹◡╹)ノ勅令(╹◡╹)ハ(╹◡╹)次(╹◡╹)ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘ(╹◡╹)シ(すべし)若(もし)議会ニ於テ承諾セサルトキ(╹◡╹)ハ(╹◡╹)政府(╹◡╹)ハ(╹◡╹)将来ニ向テ其(╹◡╹)ノ効力ヲ失フコトヲ公布ス(╹◡╹)ヘ(╹◡╹)シ 第9条 略 第10条 略 (後略) (╹◡╹)♡   (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-12

三島由紀夫 ︙ ︙ ︙ ︙ ︙ ︙ ︙ ︙          (╹◡╹) (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-12

↑ 三浦氏への返詩であります。 (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-11

(╹◡╹)青虫青虫青虫/ 良いお天気だね、とアオムシは言う 晴れすぎだよ、とカタツムリは言う 雨ふりすぎだよ、とアオムシは言う 雨ってイイよね、とカタツムリは言う 幼かった娘が作った 手作りの絵本の中で 最後のページでは 二人とも笑ってる アオムシとケムシとイモムシの区別がつかない人は、 立派な人とはいえない あの子はちゃんとアオムシの絵を描いていたから 偉いなって想う 父はアオムシですから 明日は晴れるとイイね、と思っております 雨でも、それなりにイイけどね (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-11

スフィンクス2 、         石 、        石、石 、       石、石、石 、      石、石、石、石 、     石、石、石、石、石 、    石、石、石、石、石、石、 、   石、石、石、石、石、石、石 、  石、石、石、石、石、石、石、石 、 石、石、石、石、石、石、石、石、石 、砂、砂、砂、砂(╹◡╹)猫、砂、砂、砂 (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-11

スフィンクス 、         石 、        石、石 、       石、石、石 、      石、石、石、石 、     石、石、石、石、石 、    石、石、石、石、石、石、 、   石、石、石、石、石、石、石 、  石、石、石、石、石、石、石、石 、 石、石、石、石、石、石、石、石、石 、砂、砂、砂、砂 (╹◡╹)砂、砂、砂、砂 (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-11

︙  (╹◡╹) ︙ せせせせせ ︙ ︙ か か か ︙ ︙  い、い ︙ ︙   みのむしがぶるーべりいの枝で ︙ ︙   ︙   光    水    光 (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-11

︙  (╹◡╹) ︙ せせせせせ ︙ ︙ か か か ︙ ︙  い、い ︙   みのむしがぶるーべりいの枝で ︙ ︙   ︙   光    水    光 (B-REVIEW 5月のお題詩「(╹◡╹)」)

2023-05-11

ありがとうございます。 この作品はまだ手元からしっかり離れてなくて、距離をとって見れてません。 自信がなかったので、ホッとしてます。 それとレクター博士を引用してくださり、たいへん光栄です。 残念ながら、僕はアンソニーみたいな美声の持ち主ではないのですが。 クラリス・スターリング、可愛いですよね。 羊たちの沈黙 The Silence of the Lambs 1991 https://youtu.be/0dIhagt937o @YouTubeから (薔薇と不在のカタツムリ)

2023-05-09

こんにちは。 はじめまして、でしたでしょうか。 じっくり拝読してみたのですが、どうもこれは最初の段階で、お巡りさんが悪いのではないでしょうか。 例えば公然わいせつ罪というのがあるらしく、その昔、一条さゆりさんという方が、引退イベントであったショーでその容疑で逮捕され、引退後のささやかな夢を潰されたと聴いたことがあります。 実刑ですので前科がついてしまう。 夫と二人で小さなお店を開こうとしてたそうなんですが。 彼女はそんな仕打ちを受けるほど悪いことをしたのかと思う人もいたらしく、当時はフェミニストが一条さんを応援したりしたのですが、裁判で負けました。 一説によるとインテリ男子が、いざ裁判となったら証言してくれなかったと。一説というか、ただの風説ですけどね。 猥褻とは、吐き気を催すようなモノを人に見せることらしく、僕はソレを見て吐き気なんか催してません。と、当時のインテリ男子はこぞって証言すべきだったと僕は想像するのです。 そこでこの詩の警官さんですが、考えてみればヒドイことですよ。良いじゃないですかねえ。変な人が女神様の髪に触りたいと叫んだって。 ちなみに英語だったと思うけど、どこかの国の言葉では、恥丘のことをビーナスの丘、と呼ぶそうです。 確かに痴漢はダメですよ。 なので、宇宙人の罪も解釈次第な面はあるでしょう。女神様の髪を陰毛と解する警官もいるのかも知れません。(そんなスケベな警官もどうかとは思いますが。) しかしそれでも痴漢より公然わいせつ罪のほうが重罪なこの国のような国の場合、僕にはよくわからないことが多々あり、この詩の場合は警官及び警察組織に、宇宙人よりも重い問題を感じます。 以上は冒頭についての感想です。 そんな風に早々に宇宙人支持を決めてしまうと、中盤や後半で宇宙人が奇異ではなく感じてしまうという欠陥もありそうですが、今回は私は、冒頭から前半への感想のみをコメントさせて頂きます。 (宇宙の法面に張り付いた奴)

2023-05-08

リンクが張れるかどうかわかりませんが、これは以前から僕が好きだった講演で、今はユーチューブで聴けます。 https://youtu.be/LPFPhd44BNI 大江健三郎「信仰を持たない者の祈り」 大江健三郎はここでいくつかの事を語ってますが、一つは自分の経験として、祈りが通じた、とか、奇跡が起きた、としか云いようのないことが起きた、という事だと思います。 起きるだろうな、と僕は思います。 人って、本気だったらヤルじゃないですか。 祈ってる、と言えるほど何かを願ってるひとは、その人が自分で自分のことを何と言ってようと、なんかしてるから、何かしらしてるんですよ。だからぴったりでなくとも何らかの形で「祈り」が届いたり願いが実現することもあるし、実現したら見逃さないって事だと思います。 実際、神というのがいるにしろ、いないにしろ、祈りというのは神を信じてると自分で言ってる人だけが叶えるものではありません。信仰がなくても叶うこともあります。 大江が語っていることは、暗示的ですが、僕はそれは、真剣に祈る、という事が大事なんだ、ということだと思います。 僕も、信仰を持ってるかどうかより、祈る事が大事だと思います。 前半部分であなたは自分は信仰を捨てたということ。それと、日本人の多くは信仰をもっていないと言われるけど、無自覚に信仰をしていると自分(田中さん)は思う、と云う事を述べてます。 その2つをどう繋げて、だから何だと仰りたいのか、肝心のことをあなたは書いていないから、はっきりはわからないのですけど、それについての僕の意見は、上述で自分なりに解釈した大江の意見の発展形です。 どうでも良いことでしょう、と。それより祈る事が大事なんじゃないか。と、僕は思います。 中盤ではあなたは、上段で述べたことから話題を変えて、詩を上達したい自分がどう感じてるか、を述べてます。 いろんな事をいう人がいて、誰についていったら良いかわからない。とでも云うようなことを仰ってるのではないか、と私は思いました。 それはそうでしょうね、と僕は思います。 僕の個人的な経験をいえば、いま振り返ればそれは奇跡でした。 僕は先生に恵まれましたが、奇跡なので迷うとかわからないとかはあり得ません。そんなぼんやりしたものじゃないから奇跡なのです。 それは僕が、大江が上記の講演で述べてる意味で、詩の神に祈っていたからだと思いますよ。 あなたもしっかり祈れば良いのかもしれません。人は自分のことしかわからないので、それが答えかどうか、僕にはわかりませんけど。 さらに後段であなたは、他の人にあなたの方法を薦めています。 確信は持てないのですが、それは、このサイトで見かけた優れた詩人の作品をよく読むように、と仰っているように思いました。 これについて私は意見はありません。 私が「祈り」の結果もあって奇跡を得たのは、そんな簡単なことではありません。 また、あなただってその方法で成功したのかどうか、ご自分で結果を述べていませんから、他の方に薦められるかどうか、わからないので、意見はないのです。 以上のように思いましたが、もちろん一人の私見であって、正解とか真理とかではありません。 それに私は、あなたの文をかなり真剣に読んではみましたが、正直、どこまで理解できたのか自信もありませんから、ご参考までにとどめてくださいね。 (ビーレビューという道、「キラキラ」して。或いは自分語り。)

2023-05-06

ここで本文作者の思考とも、この流れとも乖離したことを述べて良いのか、危ういラインとは、自覚しますが、本文企画に反対してしまった責任もありますので、ユーザーとしてのささやかな私見をコメントいたします。 私は「国破れて山河あり」の一行を古いものだと忘れることのできるレベルに、人類の文学があるとは思いません。 自分は短くとも数千年、おそらくは数万年の人間の営みとしての詩に、微力を以て参加してるのだと自己認識してます。 そうしたユーザーが多いか少ないか、それがこの場の運営に寄与した誰かの考えと一致するかしないかは、確かに論点ではありうると思うのですが、私のようなスタンスもまた、人類の誰かが口にしそうなことではあると思います。 私にとっては目先の真新しさや賑わいは、どうでも良いとは申しませんが、あまり重要ではないです。 重要なのは、自分や他の天然詩人とか先天性詩人が、こころ静かにポエムできる環境です。 そしてそこに、時には人々との交流や称賛の受容があって欲しいと思ってます。 このところの管理者さんたちによる管理は、その結果の一つとしての私へのオレンジもあったわけですから百パーセント私に都合が良いわけではありません。 同じ理由で、私と同じことを考えておられるわけでもありません。 しかし、私および、私のような感覚の人にとっては、(時には自分に不利でも)とても快適で素敵な環境が、現在維持されてる、という想いと、現スタッフへの感謝を、私見ながら申し上げておきます。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-05-03

この批評の対象作品を読んで、フレーズの文末が「ました」で終わる雰囲気から、僕は中島みゆきの「ファイト」を思い出しました。 その反響もあって、あとは僕なりに読解した結果ですが、あの作品は、複数の声が混じるポリフォニックな作品のように思います。 そこから考えて、みうらさんのこの批評の「すべてのメンヘラに」と、いうところは、不適切とはいえないのだろう。と僕は結論しました(難しかったー。) 引っかかるとすれば、メンヘラ、という言葉の曖昧さかな。 対象作品の本文を読む前に、タイトルだけから対象作品の中身を想像すると、自己肯定感を持つことの大切さについての詩なのかな、と想像する人もかなりいると思います。 みうらさんのこの批評は、そうした先入観を高める。 で、拝読して思うのは、やはりその面でもセーフかな、というとこでした。 ただ、その観点には目新しさや面白さがないです。しかしそれをモハメド・アリがサポートしてくれてますね。 (自分だけでも自分を愛するということ)

2023-05-03

冒頭語られるボンバイエの話は、「キンシャサの奇跡」と呼ばれた一戦ですね。僕もリアルタイムで衛星放送で観ました。 (ところであのボンバイエは、最近は「やっちまえ」と邦訳されているようで、町山さんもそう紹介してますが、「殺せ!」という意味ですよね。) 僕は映画では、「アリ かけがえのない日々」で観ましたけど、町山さんが薦めてるのも面白そうですね。 この批評の対象作品を、自己肯定感から批評したこトを、僕はどう考えるのか、ということを考えて、思いあぐねてます。 (自分だけでも自分を愛するということ)

2023-05-03

皆さんは、現代文明の経済システムにあまり疑問を持ってないから、送り出すとか、利益とかの考えが自然に出るのじゃないかと思いますが、今はもう、地球全体がサステナブルな文明を模索したり、現代文明に疑問をもったりする時代に至っているという面も考慮して欲しいな。 旧来の価値観で、文化の話をするのは僕は違和感があります。 僕の個人的な感性はおくとしても、プロデュース(資本主義的な経済活動)をやりたいのか、お祭り(蕩尽、祝祭)をやりたいのか、遊び(ゲーム、スポーツ、鍛錬)をやりたいのか。 最低限、そうした指向性は明瞭になっててほしい。 そういうことを考えずにやっても、何も良いことはないような気がします。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-04-30

失礼。補助者ではなく、相談者。 そして換気ではなく喚起でした。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-04-30

さらにたとえば、目的がプロデュースなら、自分のお金を出して応援する人が見つからなかったということで、該当作品なし、はわかるんですけど、その他の目的なら、該当作品なしは単に選者の無能を示すことでしかないと思います。歴史と伝統ある○○コンテストにふさわしいか否か、みたいな評価軸はないんですから。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-04-30

目的や方向性によって、選べる方法は異なると思います。 ピックアップして示す事で、称揚したいのでしたら、またそれによって参加者の励みを換気したいのなら、Bレビ大賞じゃなきゃダメで、蛾兆が選んでも蛾兆賞みたいなショボイ名前じゃダメだと思いますよ。 それと、本文を読むと、三浦さんが提案してる補助者は、補助するだけで、最終的には三浦さんが独断で決めるとの提案です。 なので僕は協力しませんし、三浦さんが最終的には独断で決めるものに、僕の名前を冠することはオッケーできないです。 目的がプロデュースなら、三浦賞として、それに魅力を感じる参加者が活用すれば良いのでは。 目的がユーザーへのゲームの提供なら、ルールをわかりやすく、公平で、ストレートなものにしてほしいですね。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-04-30

優れた才能を発掘したいとか、それを世に広めたいみたいなことは、【コンクール】でやることですよね。 コンクールは人(アーティスト)の能力を選考するもので、作品を選ぶものではないのでは、と思います。 僕は参加したことないけど、ショパンコンクールなどのピアニストのコンクールで言えば、課題曲や参加資格や技巧に対する評点なんかが決まってるわけですよね。そういうのは、何を誰が競うのか、物差しや価値観が決まってるからできる事だと思います。 それに似たことをここでするのは、目指すべきものが間違ってるようにしか、僕には見えないです。 芥川賞や中也賞は、新人の顕彰を規定演技ではなく、自由作品の選考でやってるけど、新人が、この人を突破してやると思うような選考委員を組んで、イベントを開催し、お金や事務も山口市とか財団とか出版社とかがケツモチしてますよね。 それも全然違う話だと思います。 少しでもそれに似た方向性を持ちたいのなら、毎月選者が変わるとかは、話にならないと思います。 最低でも一年ぐらいは選者を観測できないと、基準が揺れすぎで、ゲームにならないですよ。 その一月に最も優れた作品や、みんなに称賛された作品をピックアップして顕彰したいなら、それは参加者にとっては純然たるゲームですよね。僕はそういうのは好きで、面白いと思います。 最も優れた作品というなら、誰か個人が、俺はコレを推すというのを決めるんでしょうね。三浦さんと月代わりの誰かが組むというのは、わざわざ妥協を導入するようなことで、なぜそうするのかわからないです。一人で選んでもらう方が良いでしょう。 みんなに評価された作品を取り上げるというなら、今のシステムから、ゲームの公平性を阻害する要素を止めて、変なひねりのない一人一票の互選をやれば良いと思いますが、それはきっと、僕から見たらつまらない作品が選ばれることになるでしょう。 投票と三浦さんを混ぜるというのは、自信がないということなのでしょうか。まるで意味不明で、全然期待できないと思います。逆に自信がありすぎて、投票で一位の作品を落として、自分の推すものを賞する理由を示せるとでも言うことなら、それは実際にできるのかも知れないけど、する必要がないと思うな。 (大賞レースをみうらに任せてみないか?)

2023-04-30

ありがとうございます。 確かに、こうして時間をおいて眺めると、ぎゅうぎゅう感やパンパン感があります。 4、4のあと、少し短くして3、3にしなければならないのが、ここではうまくこなせてないようにも思います。 時間を超えた距離のこの感じについては、ご指摘に僕も賛成で、悪くないように思いますので、この作品はリライトするかも知れません。 ありがとうございます。 (思い出してみたんだが)

2023-04-30

ありがとうございます。 なるほど、その不安定感は作者としても(ごもっともかも)と思いました。 もしかすると、語り手と場面の関係が不安定なのかも知れません。 ゴッド・ファーザー、僕はアル・パチーノもロバート・デ・ニーロも好きだし、映画の場面もいくつか好きなのに、何故かあの映画はあんまり見直してないので、作品の視点は思い出せないです。 そのうちまた、観てみます。 (思い出してみたんだが)

2023-04-30

これでお別れとは、いささか残念に思うのですが、ご丁寧なご挨拶をありがとうございます。 これはとても素敵な作品でした。 どこかで私を見かけましたら、お気軽にお声掛けください。 大林様の今後のご多幸と、良いご武運を祈念申し上げます。 (空手が最高の格闘技 大林 満)

2023-04-29

現実を見つめ、しかもひるまず、固い決意を述べたとても素敵な詩だと思います。 良いです。 (空手 修業に修業を重ねる 大林 満)

2023-04-29

確かに! 町山さんは色々と鋭いのですが、坂本龍一とは相性が良くなかったようですねw (きみは変態さを詩にぶちこめるか)

2023-04-29

デビッドボウイが調子っぱずれになっちゃうの、実に等価交換不可能で良いですよね。アート作品に個性があるというのは、ああゆう事だと思います。 あの揺らぎや外れ方が深い味わいになってるし、デビッドの白人おっさんぽい身体性や限界を感じさせてセクシーです。 あなたがいう「変態」というのは、僕はそういう事だと思います。 (きみは変態さを詩にぶちこめるか)

2023-04-29

いや。グッモーニンじゃなくてメリー・クリスマスだったかな。 (きみは変態さを詩にぶちこめるか)

2023-04-29

補足の補足 ごめんなさい。 真一ではなく、中沢新一でした。 中沢新一はチベット仏教の「死者の書」とか、バルセロナ秘数3とかで有名だけど、文化人類学者です。 ちなみに坂本龍一は細野晴臣とかとYMO組んでたピアニストでボーカリストなんだけど、等価交換可能な、つまり西洋で確立したハ音で始まるドレミファ音階をはみ出す音を探求して、様々な和音やリズムを使ったりしてました。グッモーニン・ミスターローレンツなんかも、不思議な音なんだけど、ユーチューブで見ると、ほとんどの音を黒鍵で演奏してますよ。 (きみは変態さを詩にぶちこめるか)

2023-04-29

補足 例えば坂本龍一は、等価交換なんかしないんです。だから命がけで、徹底的にカッコつけるけど、その効果としてのモテなんて、本当は頭にないんです。カッコよさを提供する対価としてお金をもらう、みたいな等価交換を信じていない。 彼は人類に音楽を贈与します。そして愛を不謹慎に受け取る。 彼がバタイユを好きなことは、対談に残ってるよ。 それは企業がお金さえ払えば、神宮の木を勝手に斬っても良いんだと考える小池のりことは相容れない考え方で、神宮の木と等価交換できるお金なんかないんだ、というのがサステナブルな考え方です。 モテでいうなら、シモーヌはモテるのかどうか、そう簡単にいえないわけですよ。それは根性のある男なら、ああゆうエロい人と、付き合いたくなるてましょう。でも大半は逃げるでしょうからね。 坂本龍一だって、すべての女にキャーキャー言われるわけじゃないです。 グレタさんの可愛さがわかんないおっさんもいるしね。 そういう事です。 あなたも迷ってないで、こっち側に来たほうがイイですよ。 (きみは変態さを詩にぶちこめるか)

2023-04-29

十回は読んだのですが、論旨がわかりにくいですねー。 苦労の甲斐あり、かろうじて、僕には意味がわかったように思うのですけど、他の人にとってはどうなんだろう? この文がわかりにくいのは僕の個人的な資質や自己認識のせいで、他の第三者さんには分かりやすい文だったりするのでしょうか。 こうなるともはや、文章の意味より、そのわかりにくさの方が印象にのこりました。 論旨がどうであるにしても、よくこんなに意味がわかりにくい文が書けますね。と、思います。 そのことに感心しました。 論旨としては、中沢真一や坂本龍一みたいなことだと思いました。 人類は一万年ほど前までの文明では、等価交換を基礎とする経済ではなく、【贈与】を基礎とする経済で暮らしていました。 現代文明は、価値が同じものは交換可能だと考えていて、紀元前五百年ぐらいからあとの、我々の社会にはそれを疑わない単純な人が多いわけですけど、それは病んだ価値観なのです。 だって我々ヒト族は死ぬでしょう? 死ぬってことは消えるってことです。 だから、価値は永遠には等価交換されえません。 それをやろうとしてしまったことで、交換の主体が我々ではなく、お金とかになってしまうんです。我々は労働しても、資本を出すにしても、お金に踊らされる側になる。これをマルクスは【疎外】と言うわけで、それじゃあダメなんだということは、二百年ぐらい前からは、わかってる人はわかってる。等価交換なんてのは、サステナブルじゃないわけです。 それが、坂本龍一とか中沢真一の思考やグレタさんの主張のベースにあることなんです。そして、そういう考えをする人は、僕を含めて、みんなジョルジュ・バタイユが大好きなんですよ。 バタイユの創造したマダム・エドバルダとか、シモーヌちゃんとかのえっちな人は、贈与し、蕩尽するのです。 ジョーカーも頑張って贈与し蕩尽します。彼はちまたま銀行強盗して、せっかく稼いだお金を、燃やしちゃったりしますから。 ま、ジョーカーはエドバルダやシモーヌちゃんと比べたら、全然小物ですけどね。 三浦さんが言いたいことは、わかるよ。 (きみは変態さを詩にぶちこめるか)

2023-04-29

ありがとうございます。 なんてゆうか、オデンみたいなものかも知れませんね(笑) (思い出してみたんだが)

2023-04-29

二段昇段おめでとうございます。 お気持ちを語って余念のない、とても素敵な作品だと思います。 (空手が最高の格闘技 大林 満)

2023-04-28

ぶっ殺すぞ、という、その作品にしかないたった一つのキーワードだけをこれだけ熱く称賛しながら、最後の一言で台無しにする(作品ではなく、作者にこの一文を捧げる)アナーキーな生き様が素敵♡ これはとても良い推薦文だと思いました。 思わず被推薦作品を読み返してしまい、思うところ多々ありました。 私も他者に、そのカビの生えた詩論を捨てて、もっといきな(生きな)詩作品を書けよお前は。と、言ってしまう場合が過去にはありました。なるべくやりませんが。己は己、人は人ですからね。 でも、たまたま昨夜、ジャンルは詩ではないのですが、死に粛々と歩み去ったある作者様のことを思い出して、自分はこの人に何か言えなかったか、何も言えるわけなかったよなぁなどと忸怩たることを想っていましたので、この批評と被推薦作品を拝読し、ちょっと明るい気分になれました。 三浦さん、こないだ切ないけどイキの良い作品を書いてましたからね(当社独自評価)。 (タイトルが最高ですので。大林 満)

2023-04-28

のびのびした、感じのいい作品で、ギャグのセンスもイイと思います。 エリ子にさらに、じょうへきを重ね、吉哉さんにもってくところ、面白かったてす。 何か読み落としたかも知れませんが、僕はラストの一行は、余分なので無い方が引き締まったかな、と思いました。 (エリ子の情癖)

2023-04-28

ありがとうございます。 ここでは音韻を工夫してないので、あまりペトラルカ式になってないのですが、僕なりの様式解釈として、4つの連を起承転結にしました。 1連と2連が問、第9行が答えへの転換となってると様式的には良いのですけど、2連は1連を受けてるということで、1連2連を併せて問いとしちゃおうと、自分の中では許しました。 ラストをどうするかはちょっと悩みました。 このパート、好評いただけて嬉しいです。 (思い出してみたんだが)

2023-04-28

ありがとうございます。 (シブくてニクい)

2023-04-27

深い解釈とご批評、ありがとうございます。 澤さんに読んで頂けて、とても幸運でした。作品も私も。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-27

ありがとうございます。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-27

いえいえ、昨日はありがとうございました。 ビート詩、ご存知でしたか。アレンは良いですなー。また、シュールとは時代が違うけど、僕はシュールの人たちが好んだと聞くロートレアモンやランボーは好きです。 差し出がましいことを書いてしまったかもしれませんが、詩法はそれぞれですので、ご自身の道を探求されると良いと思います。 大賞のシステムは私もよくわかってません。私見ではあまり良い詩を選出できていないと思っておりまして、やはり一人の人がしっかり選ぶか、逆により単純な、誰でも参加できる人気投票のほうが良かったように思っています。 それにまだまだ今月は終わってませんから、まだ決まってないはずですよ。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-27

ありがとうございます。 おっしゃる意味はだいぶわかったのですが、私は、先行作品で成功している技巧をマネるということにはあまり関心がありません。 そうした書き方を【作為】ということをおっしゃったのであれば、作者としては意外に思います。しかし、ご批評としては、頂いたことを感謝します。そのように読まれる側面がこの作品にあるのでしょう。 あなたの作品も拝読しました。 技巧としては自動筆記そのものとは異なる書き方で、他の技巧も使われていそうですけど、文を終わらせない【遅延】の手法が使われてると思いました。 柴田幸元の翻訳したアレン・ギンズバーグの「吠える」という詩を私は好きなのですが、アレンは様々な手法を駆使して詩文を遅延しつつ、その到達点は明瞭に意識してる感じがします。破滅なのですけどね。経路は不明でめくるめく道行きだけど、到達点はわかっていて、そこへ向けて突っ込んでいく感じです。 あなたの作品は、作者も作品がどこへ到達するかわからないまま、遅延を実行してるような、危うい感じがしました。その意味で、あなたの書き方は【作為】とは違うものを志向していると思いました。 そういう意味で【作為】を手放す書き方は、私が目指さない、むしろ避ける書き方なのですけど、その理由は危険だからです。また、私はそうした危険を犯す必要が自分にはなく、別のもっと気持ちイイ、安全なやり方で、自分の思考や感覚を拡張できると思っています。 そうは言っても、実は私も、同じ意味で【作為】を手放した作品もしばしば書いてはいますが、コレは違いますね。 この作品の制作では、そうした意味で【作為】を手放すことは目指していませんので、その詩論から見たら、面白く感じる点はないかもしれません。 おっしゃることは、私なりにはよくわかりました。 私の理解が的外れでしたら、ご容赦ください。 このあとは、ご無理はなさらず。ありがとうございました。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-27

〉進めない君が春の浜辺で 〉流れ着いた貝殻のかけらを 〉今日だけはと 〉真ん中に一つだけを包んで このフレーズ、切なくて良いです。 愛のずらし方(「君」を愛するのではなく、自分の想いを愛してる)も丁寧だと思います。 作品全体の響きを止めずに書かれていて、心地よいです。 好きな作品です。 (む ゆ う)

2023-04-26

更に訂正。北村ではなく、北川透でした。 重ね重ねすみません。、 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-26

失礼。マラルメではなく、理論はブルトンかな。 いずれにしろ、それを私は理解してないのですが。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-26

ご批評ありがとうございます。 興味深いです。 詩の評価は人それぞれですし、率直なご意見を頂けて嬉しいです。 ところで、あなたの規定する詩とは、何なのでしょうか? 例えば中桐雅夫は「詩の読み方、詩の書き方」で世界の詩人たちによる、詩の定義の膨大な事例を列記します。どれもまったく異なります。少なくとも詩人の数と同じ数ぐらいは、詩の定義はあるのではないか、と思えるほどです。 まぁ、誰かとおんなじ事を言ってたらその人の名言とはされないわけですし、詩人たるもの、ちょっと奇をてらってでも、他ならぬ詩の定義ぐらいは、独自の事を言いたくなるものなのでもあるのでしょうけど。 とはいえ、他の著名な詩人も、多数の例をあげて、誰もがが同意するような単一の詩の定義は、存在しないことを主張してます。 私も、そうなんだろうなと思ってます。 星の数ほどある既存の詩論の中で、私が最も身近に感じる詩の定義は、残念ながらどなたがどの本に書いていたのか思い出せず、正確な文言も今となっては不明な定義です。それはたしか、四季派の誰かが書いた、小中学生向きの本にあった説明で、「詩とは何かや誰かをそれにふさわしい言葉で、心をこめて褒めること。」「その特別なもの、特別なこと、特別な人のことを表現するために、これまでに存在していなかった、それだけのための特別な言葉や工夫を使って書かれた文芸作品のこと。」と、いうものです。 とは言うものの私自身は、その定義にフィットしない作品も書いてはおりますが、誰だか忘れた先輩から受け取って、大事にしてきた詩論です。 他にも、野村喜和夫が「現代詩作マニュアル」で述べている、「詩とは言語による世界の再構築である」という定義なども、そうだろうなぁと思ってます。 北村透が「詩的レトリック入門」で示した余白論による詩の定義も、私には身近なもので、しばしば顧みます。それは、詩とは余白だ(時には、余白が無いということも含む)、というごく過激で、極端なものです。 以上はいずれも、「作為」を否定しない詩論ではないかと思います。 対して、私がピンと来ていない詩論に、マラルメによる自動書記の詩論があります。あれは作為を否定する詩論なのでしょうね。 狭いながらも私は私なりに複数の詩論を理解し、それなりの幅の詩の概念を持っていますが、すべての詩論を理解できるわけではありません。人は誰しも、向き不向きや、好き嫌いはあるものです。 あなたのご指摘や評価は、ごもっともなものであり、実際私は、詩作において作為を否定しません。 なので出来上がった作品からも作為を読み取ることは可能でしょう。 そうしたこと、すなわち「詩の定義が、私とあなたは異なるのではないか?」ということを思うのですが、せっかくですから、それを超えて、できればもう少し詳しく、ご意見を伺いたいです。 あなたが詩の要素として考える、「作為」と「作為ではないもの(無作為?)」は、具体的にはどんなもの(または文)でしょうか? また、あなたの詩の定義では、なぜ「作為」がマイナス評価されるのでしょうか?または「作為がないもの」にどのような良さがあるのでしょうか? もしお嫌でなければ、教えて頂けると幸甚です。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-26

凄い、キレッキレの明晰さですね。 感謝も多々あるのですが、まずは驚嘆と尊敬を記しておきます。 色彩というものは、光波長というたった一つの数字で示せるはずのものでありながら、我々は色指定する際は少なくとも3つ+強弱(明暗+コントラスト強度)と、白色の設定(補正)など、5〜6個の数字で指定します。社会的には一次元で示せない、言い換えると他者と色彩を共有するにはいくつもの次元が必要なのだろうと思います。 家の壁の塗装なんかのときは、それですら足りず、効果は不明だけど、隣接する屋根のこの色のペンキを少し入れてくれ、などと塗装業者さんに頼んだりしますよね。 さらに錯視を含むその瞬間の主観ということや、記憶とか、感情などその色彩への意味づけ、そして個人的な状況、その他により、「○○は○色」と言うような、一見単純な文となる、色名を含む文が、含みや揺れを持ちます。 その豊かさに、本作品がどうトライしようとしたかを、藤さんは大変豊かに鑑賞してくださったと思うのですが、、、ええっと、つまり感謝ですね。感謝の前に驚嘆と尊敬を述べようと書き始めたのですが。書いてみたら、当然ながら、僕は感謝を感じてたみたいです。 嬉しく思います。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-25

ありがとうございます。 色の出し方やバトンタッチについて、コメントして下さり、嬉しいです。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-25

コメントありがとうございます。 銀色の車は、しばらく前まではどんな時間にもネズミ色でした。 ここ5年か十年で、ミラーのような効果の塗装に変わったのではないかと思います。 いつからだったかわかりませんが、僕は一昨年前、初めて気づきました。 夕焼けの下では、ピンクになるのですよ。 白と銀色の関係はとても不思議で、おっしゃる通り、銀色の何処かに白は見え隠れもするし、でも見えなかったりもするようです。 二十代のはじめ頃読んだ、哲学者のウィトゲンシュタインが色彩を論じた本の中で、青みがかった透明や赤い透明はある。青い鏡面や赤い銀色もある。だが、「白い透明は存在しない」、それは白濁した不透明になる。何故なのか?って書かれていたのに衝撃を受けました。 以来、僕は繰り返し、白いということを、詩のモチーフの一つにしてます。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-24

ありがとうございます。 武田地球さんの詩集、素晴らしかったです! しかし素晴らしい本を読むときいつも感じるあの感じとして、ラストのほうでは、ああ!あと○ページで地球さんの世界を読み了ってしまう!と、寂しさつのる想いがしていました。 なので、あの詩集と何処かで繫がる作品を、しかも新作でここで拝読できるのは、僕にとってとても贅沢な愉しみです。こんな幸運はあんまりないです。 それが、拙作にコメントも頂けて、とても嬉しいです。 ありがとうございます。 2連は以前亡くなった、僕よりはだいぶ若かった方の思い出を込めたので(パンツは関係ないけど)、実は作者的には、書いてしまって良かったのかとも思うほど、僕の胸にはチクリと来るパートなんですが、可愛い雰囲気とかの何かしら(パンツは無関係、他の想いを重ねたものです)が、ほんの少しでも書けていたようで良かったです。 タイトルは自分では解析できませんが、降りてきたヤツです。ラッキーでした。 5✕4については、思うところを地球さんのお作にコメントさせて頂きましたが、この作品では効果があったかどうか、作者としては迷いが残りました。 形を崩してでも、あと一行、書くべきこともあったかも知れません。 時間をおいて、後日、形も見直してみようと思ってます。 コメントありがとうございました。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-24

それと「や」ですね。 ご意見ありがとうございます。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-23

ネット検索では出ませんでした。 「単調な空間Ⅰ」という作品です。 あの作品では、「○○は」と、「である」が削除されて、特殊なテキストで色彩を示す名詞が使用されてます。 この詩が何なのかは読者の解釈することなので、作者からは言えませんが、割と普通の文法を使ってるつもりです。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-23

こんにちは。コメントありがとうございます。 そうなんですよ。コレもそれなりに見つけたこともあり、なかなか素敵な詩でしょう?自分で言うものではないのでしょうけど(笑) 色というものを、日本語の文法に沿った語法をはみ出してしまう、特殊なレトリックになるように扱った実験としては、北園克衛の優れた先例がありまして、ググって見つかったら、次に紹介しますね。 ここで起きているのは、そんなに高度なはみ出しじゃないと思ってます。 日本語では、格助詞とされる位置に現れる「は」が、「主語を示している」という説明では理解できない作用もしてる事がしばしばある、と、いうことが背景にあるために、ここでもちょっと揺らいで見える、ということがあって、でもよくよく見るとここでは普通に主語を示す語法だったりしてるのではないでしょうか。 または、色彩を示す名詞は、形容詞として多用される言葉であるのですが、この作品ではソレを形容詞以前まで差し戻してると解釈するなら、比喩論になるのかもしれません。 そういったことは、ご自由に解釈して、楽しんで頂けると、作者としては幸甚です。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-23

ありがとうございます。 僕は最近、色彩を機械判別することに興味を持っているのですが、その関係の勉強をはじめてみて、「色彩っていうのは世界の様々な波長の光に対する、個人の「解釈」なんだな」、と、しみじみ思っています。 そしてそれでは私は、「白」やその他の色をどう解釈するのか、などのサブジェクトにこの作品では取り組んだつもりなのですが、その結果としての作品への解釈や鑑賞は読者夫々に、ご自由に、と、お任せするといたします。 そう前置きしまして、それにしても、、。 澤さんの感じられたこと、思われたこと、僕はとても良くわかるような気がします。 白は赤より恐ろしいですよ。時には網膜が何を写していようと、人の視神経や脳はそれを白色に解釈すると思います。 でもそんな白色に対してすら、我々は、それなりの限界の範囲ではあっても、多少なりと自由な解釈や鑑賞ができるし、そうやって心を動かして、また生きてゆく。 酒でも汲み交さないと、うまくは喋れないことですけど、温かいご批評、ありがとうございます。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-23

おはようございます、いすきさん。 僕が住んでる国ですが、政府の要職についている政治家の多くは、資本主義の豚です。 それと黄色については、僕が以前から探求してる課題なんですが、ゴッホとかも探求してたでしょうから、特別なことではないかも知れません。ゴッホのも僕のも特別なことかも知れませんが。 今ぐらいの季節には黄色い花も多いですね。 ウィトゲンシュタインは、「AはBである」という命題の真偽については、本当にA=Bなら馬鹿げた無価値な同語反復だし、AとBが異なるなら偽である、というようなことを論理式で示していたように思うのですが、この場合は関係なさそうですね。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-22

〉トイレ、それは地獄へ続く穴。 この一行、なんか格言みたいで面白いです。 続く行で、実際、トイレを見つめる視線が掃除する視線として示されるので、納得は納得なのですが、ふと冒頭を再読すると、やっぱりなんとなくユーモラスでもあると思います。 (穴)

2023-04-20

冒頭で、人の少なくなったシャッター街のような商店街のイメージを想像しました。 〉牧夫救済を語れども脱輪の列車傾きて菜の花 この一行の不穏さが、他の行の静謐さと鮮やかなコントラストをなしていて、印象深いです。 (かみありづき)

2023-04-20

なんかぐっと来る詩だと思いました。 空ってある意味、死神とかに近い存在にも思えて来るのですが、なにせデカいですからね。空が死神だったら、嫌だなぁと思います。 そうじゃないって、空本人に答えてほしいものでありますね。 (応答願います)

2023-04-20

移動しながらぼんやりと書いたかのような、筆致の作品。 地球の上で座標は移動してるけど、視線や眼差しは動かず、車窓の外に放り投げるように向けられたまま。   春の放心って感じがしました。 こういうひとときって、描写されなければ消えてしまう。 書き留めるのってイイナ、と思います。 (春を観ること)

2023-04-20

こんにちは。 ある日々が終わりを告げたと、始まりますので、語り手は何か一段落した生活をしているのでしょう。 そこに来た人の一言で、語り手は走り出し駆け上がります。 上方に移動してるわけですが、元気にいろいろ爆走して、叫んでる女の子を置き去りにして、男の子から彼が抱えていた丸いものを奪い、最後は花壇にゴール。 花壇が屋上にないとは限りませんけど、もしかして飛び降りちゃったのかなぁと、不穏な宙づりで僕は読み終わりました。 でも作品は最後まで元気がないわけでもなく、湿っぽくもなく、明るい空の下でトライゴールが試みられる。 結果なんかどうでも良いと言わんばかりに。 何とも言えない読後感ですが、何故かすがすがしさに近い心地よさを感じました。 (トライゴール)

2023-04-20

三浦さんのそのコメント、そのままでとても興味深いです。 たぶん今後僕が、何かを考えるヒントになったと思う。 でも、今は三浦さんのこのコメントから逃避して、いろいろ撤退して違うことを言うと、 詩人というのは、何か素敵だな、とか綺麗だな、と感動したとき、それを他の人にもわけてあげて、みんなで幸せになりたい人なんじゃないかな。 だとすれば、その人にはそういう優しい【心】があるのでは。 と、いう面もあると思うな。 でもなー。 僕は相当前から、初音ミクには優しい心があると思ってるんですよね。 (AI)

2023-04-18

それと、美の生成ってのも、本当にそういうことかも知れないですね。 ありがとうございます。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-18

ありがとうございます! なるほどそれで白いんですね。 つまり、もしかしたら、深夜には僕の眼ではブランコなんか実際はよく見えていない。 でも僕はブランコが好きだから、想像で補って、明瞭に見えてるように感じてしまう。 その場合、物理的に働いてるのは色素をもたないほうの、白黒しかわからない視細胞だから、脳はそれを色覚を判別できる細胞からの信号と誤認して、「白いなぁ」と感覚する。 なるほどです。 そうだったのかぁ! 作者のくせに、とても納得しました。 すると例えば、普通の亡者なら白黒しか感じない死後の世界の、本当は真っ暗な地獄で、血の池の赤色を見るひとは、実は非常に元気で、たくましく生き生きした色覚細胞を持ってるってことかも。 (青い空の下だと銀色の車は青い)

2023-04-18

まさに。 我々の足元の小石のうちの1つが、地殻や降雨の物理的メカニズムで偶然にできたくせに美しいってことは、十分ありえます。それは確率の問題と思われます。 さらにそれどころか、ある場所から見える景色は、一切人の手が入っていないのに、どのパーツに目を向けても百発百中で完全に美しいってことすらあり得ますよね。 ところが、そうした人間の作品ではないものに、人間のくせに僕らが感動するのは、逆に人間的で豊かな経験だと僕は思います。 もしかしたら猫も夕日を美しいと思うかも知れませんが、人としても感動の有り様はあると思います。 なので制作者がAIであっても、美ということに関しては何も問題はなく、それがどうやって発生したモノであっても、要はただ、それが美しい存在でありさえすれば、鑑賞者にとってそれはごく普通に美しいんじゃないかな、と僕は思うのです。 より安心かもしれない言い方をすると、AIの詩は人類のキモチを総合、代弁するのかも知れないし、それが傑作であるなら結構なことじゃないか、と僕は思いました。 もっもと、AIだろうが、シェークスピアや中原中也だろうが、誰であれ、僕でない詩人と、僕の詩作の価値は、僕にとっては断然異なる。と、言うことは別にあるからこそ、安心なのであるとも思いますけど。 (AI)

2023-04-18

冒頭、誤字でした。 こういうことじゃないかな、と書こうとしました。 (AI)

2023-04-18

こういうこと時じゃないかな、と思ったりします。 例えば夕焼けは生きてないけど、美しい。 宝石も美しい。 ビルや駅や道も、生きてはいないけど美しかったりします。 星や月も、誰が造ったにせよ、美しかったり。 美はかなりの割合まで、見る者がつくるのでは? (AI)

2023-04-18

(追記)すみません、わかりにくい書き方だったかも知れません。 第2連の冒頭二行をズラして、すべての連を5行にするという提案です。 しかし、各連の時制も工夫されてますので、そう簡単にはいかないのかもしれませんね。 (ムーンショット)

2023-04-17

ステキな詩だと思いました。 誰かすでに言及したかも知れませんが、アポロ計画を推進したアダムズ氏は、こんなことを語ってるそうです。 ー50 年前に、人類が月面着陸するのに重要だったことはなんでしょうか。 アダムス氏:50年前、アポロ11号が月面に着陸し、さらなる探索のために5回のミッションが実施されました。72年以降、月面着陸は行われていません。あの時、人類は自らが夢に描くよりもさらに難しいことを実現できるのだと誰もが実感しました。われわれは、地球の重力や政治などに縛り付けられる必要もない、むしろ目の前の難題に挑み、対応できるということを理解し始めたのです。 なるほどなぁと僕は思うのですが、成果より意思が大事ですよね。 と、なるとこの詩の2連第6行と7行はとても大事な機能があるように思うのですが、初読ではそこまで全体に響くように感じ取れませんでした。 そこで僕なりの勝手な意見ですが、第2連1行目と2行目は第2連から切り離し、一連につけてしまうというのは如何でしょうか? もしそうすると、場面のまとまりが少し乱れますが、2連のキレは良くなり、その末尾2行はより響くようにも思いました。 ほんとに勝手な思いつきですが、機会がありましたらご検討くださいませ。 いずれにしても、なるほどなぁと思う、ステキな作品でした。 (ムーンショット)

2023-04-17

コメントありがとうございます。 ノスタルジーですよね。時代って変わるなあと思います。 こうして振り返ってみると、あの頃僕はもっとモテても良かったのではないかと思うのですが、何故かモテませんでしたね。 内向的だったのかなぁ。 自分ではわからないのですが。 (思い出してみたんだが)

2023-04-17

診は誤字です。失礼しました。 (思い出してみたんだが)

2023-04-17

気に入っていただけて嬉しいです。 返答しにくいコメント、ありがとうございます。 うーん。 あの頃の僕はその頃のあなたよりピュアだったかもしれない気がするのですが、そうでもないのかもしれないし、今の僕もあなたよりピュアなような違うような気がします。 魔界も身近にあったような気もするし、なんなら可愛い淫魔のお姉さんもいたような気もしますが、気の所為のような気もするし。 まぁいろんな時期がありますが、僕はいつも詩を書いてたしこれからも書くでしょう。あなたも今後も、魔界に来ると良いですよ。 春樹のそれは、デビュー前に書いてボツにした作品をリメイクしたというアレかな。いずれ読んで診ましょう。 (思い出してみたんだが)

2023-04-17

三浦さん、Tasakiさん、ご感想ありがとうございます。 【以下は書き忘れてた補注です】 ショッポとは、タバコの銘柄の一つのショートホープです。 5センチ4センチほどの小さな紙製の箱に入っているので、メモに便利なタバコでした。 (思い出してみたんだが)

2023-04-16

よくまとまっていて、好感をもちつつ拝読しました。 出オチみたいになりかねない主題なのに、しっかりじっくり転がして、次々と側面を見せてゆくような作品で、面白かったです。また、共感しました。 ちょっと残念に思ったのは最後の締め方でした。 〉どちらもお腹が空いている 〉おやつの時間はもうすぐだ お腹が空くということには、戦争をする/しないと同等なほどの、政治的に重要な意味があるという発見は、重要な発見であり得ると思うのですが、あまりに重要であるからこその、既視感もあります。 この二行をここに持ってきて作品をシメてしまうと、何だか軽くなりませんか? 僕はそこを残念に思いました。 (跳ね橋のある風景)

2023-04-16

おはようございます。 今日が福まるさんにとって、良い一日になるといいですね。僕にとっても良い一日でありますように、と祈念します。 核戦争とか、大きなテロとかのない、自分や身近な人に凶悪な事件や事故のない、それなりに落ち着きのある一日だと良いです。 この作品ですが、拝読して文体やリズムが、僕はたいへん気に入りました。そこで他の作品も拝読して「ティアラ」の雰囲気や、「幻聴」ということなども想像できたので、より味わい深く拝読してます。 僕は大江健三郎の多世界解釈で人生をやってます。 階段とかから落ちそうになって、危うくはっとしたこと、ありませんか? 僕はあります。 そういうとき、そこで世界は分岐したのかも知れない、と大江健三郎は考えます。 向こうの世界では自分は死んでる。こっちは生きてる側の世界だ、と。 それは他の人にも起きてるから、死んでしまったとこちらで思える親しい人も、実は別の世界では生きているのかも、と。 核戦争、他の世界でも起きないと良いですね。こちらでも気をつけましょう。 (朝)

2023-04-16

読み落としておりました。 すみません。 (引喩についてー「イリュージョン」批評)

2023-02-06

ご感想ありがとうございます。 アリュージョン(引喩)も一つの伝統的な技術ですから、大げさに構えなくても、古来より誰もが日常的に使用しているレトリックと思います。 とは言え、この手法は文学の営為の中で特に知的な手法の一つです。なので使用するのであれば、その正当性を自分で説明できるのは当然かと。 この本文ではアリュージョンの本質を説明することに限定し、使用上の注意等は割愛しました。そこは自己責任でお願いします。 (引喩についてー「イリュージョン」批評)

2023-02-06

すみません。言葉の意味そのものを書き漏らしたので、本文の注釈として以下を、付記します。 □□□ 精選版 日本国語大辞典「アリュージョン」の解説 アリュージョン 〘名〙 (allusion 「ほのめかすこと」の意) 修辞法の一つ。古人のことばや故事などを引く法。引喩(いんゆ)。 (引喩についてー「イリュージョン」批評)

2023-02-06

室町さん 5度目だか6度目だか知りませんが、繰り返します。管理者から指示があったはずですが、それに従い、私に話しかけないでください。 〉coco(略 さん 立ち去らず、ログイン不可にしてもらう気もないなら、そもそも何も要求がない。揚げ足どりしかやってないということですよね。 私は詩的交流を愉しむためにここにアクセスしてます。それはそれを可能にしてくださっているBレビ管理者のお陰ですので、あなたの陰湿な攻撃には大変心が痛みます。やめて欲しいですよ。 管理者へのそうした嫌がらせを、あなた自身がやめることができないなら、迷惑なので立ち去ってほしいです。 非常に不快です。 なお、今後返答しないとのこと。了解しました。 私もあなたとは今後は対話を希望しません。 (出口がない)

2023-02-05

自分のことばかり考えてないで、少しは人の気持ちも考えてはいかがでしょうか。 (出口がない)

2023-02-04

※このコメントは削除されました。 (出口がない)

2023-02-04

そこからネット詩サイトへと自分の頭の中で話を繋げてみて、僕が思うのは、これは実は、ネットでしか出会わないような、極めて低品質な罵倒を【受け慣れる】ことで作者が被る被害の事とも思えるなぁ、ということです。 対面で合評する席で、作品を全く理解できなかった参加者が、「この作品はまるで分からなかったのだけど」と前置きして、作品と無関係の話を延々と演説するとか、作者の人格否定をしつこく続けるとか、そんはなこと有り得ないと思います。やろうとすれば、ツマミ出されるでしょうから。 ネットでも、大半の場ではそんなの許容されないと思うのだけど、見かける場合があるですよね。 仮にそうした、いわば【偽のG】を受けた場合、作者の人体並びに人心はどういうのダメージを受けるのかな、と考えてしまったのですが、たぶんその時より、その偽Gがない飛行中に、危険ですよね。 僕も気をつけようと思いました。 (Project Wingmanについて)

2023-01-29

VRとProject Wingmanと三半規管の話、面白いなぁと思ったのですが、いまあるかどうか知らないのですが、昔遊園地にそんなのがありました。 入るとそこは1つの部屋なのですが、少しすると床は動かず、床以外の部屋全体が動いたり回ったりするんですよ。そうすると床は止まってるのに、立っていられなくなります。あれの名前はビックリハウスで良いのかな。 また、そういえばフライトシュミレーターってゲームがあったけど、あれで練習しすぎて慣れちゃうと、逆に実際の飛行中にも三半規管がGを予知修整しなくなっちゃうのかな。などとも思いました。 更には、そうなると、飛行機乗りの人体としての限界を、遠隔操作や人工知能で補うことになるかも知れないと思うのですが、更にそれが進むと、なんだか人間魚雷みたいな航空戦闘機になっちゃうのかも知れない。とも。 (Project Wingmanについて)

2023-01-29

あ、いや黒髪さんで良かったのか。 どツボにハマりました。 重ね重ねすみませんでした。 (創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)

2023-01-26

失礼。お名前、誤記しました。 くろかみさんでした。 他意は無かったのですがミスしました。大変申し訳ありませんでした。 お詫びします。 (創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)

2023-01-26

今晩は、黒髪さん。 拝読して、自分勝手に「なるほど」、と思いました。 私とあなたの間ではたびたび起きてしまうことですが、もしも今回もまた、私が的外れなことを述べてましたら、どうぞ気にせずに流してくださいね。 比喩の代償は誰が支払うのか、という問いは僕にも興味深いです。 ここで黒髪さんが思考実験したゲームでは、出現させたモノ(コト?)が他者と共有されるため(共有しないという卑怯が禁じられるため)、増えますよね。 しかし現実または物質は増えていないので、存在する数が合わなくなります。 僕は神についても錬金術についても浅学なので、もっと通俗的な口裂け女伝説を連想しました。 共有されたモノ(コト)は、存在しないと言いきれなくなる。そのことは世界に影響を及ぼす。 批評対象の先で、水俣が言及されたのが、僕にはとても納得がいったのですが、そのような、我々の知識や論理では把握しきれないところで。 暫定的かつ個人的な意見ですが、比喩の使用等により(比喩ではないかもしれない、例えば幻想と呼ぼれるものなども含めて)、共有されるイメージの世界の増殖や変化に、詩人は倫理的な責任は無いと僕は思います。 だって、ソレは、書く前から(当然、共有される前から)有るんじゃないか、だから書いたんじゃないか、と。 人によって、もしかしたらソコが大きく異なるのかも知れませんが、僕の経験ではそうなので。 いや、ソコはやはり、詩を書く人ごとに違うんでしょうね。 遡って「おまえ」まで読めて楽しかったです。 レビューありがとうございました。 (創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)

2023-01-26

そこなんですよ。 加害者が、これは犯罪であると自覚していなければ、止まるわけもなかったのです。 実際、止まらずにエスカレートして殺人事件にまでなるケースがあるため、法律が必要になりました。 現在は、上に管理者さんが紹介してるサイトに詳しく説明されてますね。僕も読んで勉強になりました。 先にあなたがくださったコメントに関連しては、(被害者のアラを探すより、既に始まりつつある惨劇を防ぐことを全力優先すべき)、と僕は思うのですが、場が落ち着いてるとき、また機会がありましたらその先も語り合いましょう。 ここでは無理ですが。 ↓お読みになりましたか? もしまだでしたら、御一読をお勧めします。 コレがあるのに現実には被害が起きてしまっているのですが、僕はコレを読んで、ちょっとだけ気持ちが落ち着きました。世の中、少しずつは改善の努力がされているのかも知れません。 参考:ストーカーは犯罪です! 被害を受けたらすぐ警察に相談を | 暮らしに役立つ情報 | 政府広報オンライン https://gov-online.go.jp/useful/article/202109/1.html (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

最初のレスから私はあなたに一貫して申し上げてますが、迷惑なので書き込まないでください。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

自らデタラメな事を言って難癖をつけておきながら、それを指摘されると、さらにネット検索ででも仕入れたようなマメ知識でまとわりつこうとする。 私が本文に、その日以後の2人については語らないと書いていることには、たぶん一週間ほど騒いだ後で気づくつもりなんでしょう。 まったく迷惑です。 直ちにやめてください。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-26

2点目は、室町氏がストーカー行為という犯罪行為を肯定していることです。 (引用) それにストーカーといっても、ある種のストーカー行為は純愛であることもあるし、変態であることも ある。ストーカーの人を一律にダメ人間というのならもう恋愛はやめてもらいたい。笑 (引用終わり) この点は、実は既にお気づきのことと思いますし、考慮の上で、室町氏が言葉を勝手に定義してのこととか、勘違い等何らかのお考えにより案分された上、ご判断されたこととは思います。 しかし、犯罪行為の助長については、影響もありえますし、今後室町氏が私への不当な虚偽を述べる根拠にしかねませんので、私からも明確に指摘させて頂きます。 私からの主張は以上ですが、判断については、了解いたしました。 今後、気をつけます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-25

お世話になっております。 ご指摘の点について、了解いたしました。 しかしながら、二点、主張いたします。 一点は室町氏が金色夜叉を読まず、その内容と矛盾した思い込みに基づいて私をこうげきしていること。 引用 》そもそも『金色夜叉』のレビューといいながらちゃんと読まれたのかどうかすら 疑わしい。「お宮さんに飛び蹴りかまして......」ってそんな、笑 新日本プロレスじゃあるまいし お宮が膝を屈して言い訳をするからその肩あたりを足で押し返した程度でしょ。笑 お宮が立っていたら両腕でドンと向こうに押し返していたようなその程度のはなしです。 飛び蹴りって....笑、作品のレビューどころか事実無根で天国の尾崎紅葉から訴えられますよ。 (引用終わり) これは金色夜叉のテキストの真逆です。 必要ならばテキストを提出します。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-25

最近のストーカー被害に関して、犯人男性が接近禁止命令を無視して接近し、かつ被害者を殺害した場合、アウトでしかありませんな。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-25

個別のケースについては、色んな事がわからないと何とも言えないですし、わかっても言えない場合がありますね。 本文で言及したケースだと、オセローの場合は、奥さんが悪くないのはもちろんだけど、オセローも恋愛関係の持ち方としてはそんなにタチ悪くないです。偏執的な悪意をもつ人にハメられたので、二人とも気の毒な面もあります。 とはいえ、僕が個人的に知ってる僅かな例では、男性が100%悪いです。 でも、連続保険金殺人とかもありますからね。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-25

室町氏については嫌悪感しか感じないので、言及しませんが、みうら氏によるこの批評文には、1つの間違いがあると思います。 それは、メタバースにおけるポエム界をソシャゲフィールドであると素朴に信じてしまい、その結果(プラス知性への歪んだ劣等感も手伝って)それがパズルゲームでもあるという一面を見落としていることです。 メタバースというのは、ちょっと前の映画でいうとサマーウォーズのオズですよね? オズにおけるバトルの勝敗を決するためにはチームワークも大事でした。あなたのいうとおり、好感は大事ですよね。 でもそれだけで勝てたと思います?そう思うなら甘いなw 異常な天才少年がパズルを解いたから勝てたんですよ。 そこは大事だと思うな。 (ネット詩はメタバースによってゲーム化する)

2023-01-25

【追記】 自分のコメントに追記します。 》被害者Mは、のちに腰を蹴られていますから、突かれた際、反射的に容疑者Kに背を向ける姿勢をとったと思われます。すなわち半回転してます。このことから、かなりの力で突き飛ばされたと考えられますので、1メートルから2メートルの間隙が2者間にあったと推定されます。 たった今、ハタと思いついたんですが、被害者Mが容疑者Kに背を向けていたのは、物理的な威力で回転させられたからとは限らなかったですね。 背を向けるとは、腹部を容疑者Kから遠ざけることでもあります。本能的な防護の動作として背を向けたのかも知れません。 被害者Mの察知した通り、もしMがKのほうを向いていたら、腹を蹴られていたのかも知れませんから。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

言うまでもありませんが、謝罪?など拒否します。言いがかりはやめてください。 謝罪どころか、私はあなたと一切対話したくないと言っているのです。 【運営の方へ】 室町氏は私に対して、合評にかこつけた攻撃をしつこく続けています。 対処されることを希望します。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

あ、そうか(苦笑 大事なことなので3回書きいておきます。 あなたが作文、感想、批評、詩、その他あらゆる形において、どの場所、どの形に置いてであれ、私及び私の作品に言及したり暗示したりすることは、大変不快であり迷惑ですから、一切やめてください。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

そうした嫌がらせや、ストーカー行為は非常に不快です。甚だしく迷惑ですのでやめてください。 大事なことなので、2度書いときますね。 そうした【あなたが別の作文等で私や私の作品に言及すること】は、迷惑です。不快なのでやめてください。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-23

失礼。16文キックでした。 【追記】 なお、澤さんの文意からはまったく逸脱してしまいますが、別の1つの連想と言いますか、想像としまして、もしも下記の技のようなフロントキックが、暴行として女性の腰部になされた場合、下半身不随などの危険もあったのではないかと思いました。 貫一容疑者がどのような犯行に及んだのか、警察による検証の結果をお待ちしたいような話だと思います。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/16%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%AF 》一見すると簡単な技に見えるが、当たった時の衝撃は大きく、過去にミスター珍が馬場と対戦したさい、16文キックをまともに食ってしまった珍が、ゴムまりの様に吹っ飛ばされ後頭部からキャンバスに叩き付けられ昏倒し、左半身の脳天からつま先まで完全にしびれ、瞳孔が開き舌も喉の奥に巻き取られる程の重体となり、救急搬送されるアクシデントも起きている。その後、珍は療養生活を経て無事復帰したが、この件は完全なアクシデント(事故)であったが、当時馬場はひどく落胆し「もし珍さんが復活出来なかったら僕はプロレスを辞めようと思った」と語った程落ち込み、珍を心配していたと言う。 (引用終わり) (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-22

お宮貫一事件、現場からの実況ありがとうございます。 貫一容疑者の犯行については、事実関係の確認と、情状酌量の余地があるのかどうかの検討が問われると思います。 事実関係の確認を要する問題の1つは、貫一は宮さんに十六問キックをしたのか、やはり飛び蹴りをしたのかです。 被害届は提出されるとさすれば宮さんからてすから、まずは被害を検討しましょう。 問題にする犯行の直前、貫一容疑者(以下K)は被害者Mを突き放します。蹴られた際の状況から、これにより、Mは転倒はしてないと推定されますが、斜め下方へではなく水平に突いてますから、容疑者Kと被害者Mの間にはそれなりの距離があったと考えられます。その距離が2メートルを超えているとは考えにくいのですが、被害者Mは、のちに腰を蹴られていますから、突かれた際、反射的に容疑者Kに背を向ける姿勢をとったと思われます。すなわち半回転してます。このことから、かなりの力で突き飛ばされたと考えられますので、1メートルから2メートルの間隙が2者間にあったと推定されます。 さて、容疑者Kはその直後に短い一定量の暴言を投げつけますが、朗読してみるとその時間は10から15秒と推定されます。その間被害者Mは容疑者Kに背を向けてますから、会話を継続する意志はなく、もはや逃げ出そうとしているのかもしれません。ですが、あまり遠くまでは動いてはいないものと推定されます。なにせその時間があれば、オリンピック選手なら百メートル走りますから。 そこで数歩逃げたのではないか、と私は推測しますが、この推測を加えると二者の距離は2から3メートルです。 容疑者Kは上記の暴言を口にすると同時に逆上を高め、被害者Kの腰を蹴ります。それにより被害者は激しくテントウしますので、容疑者Mは蹴られたとき、立っていたと推定されます。腰とは尻の上ですので、地上から70センチから1メートル程度のところと推定されます。 容疑者Kの脚はそのままの位置では被害者Mの腰に強打を加えられませんので、追いかけて接近したのではと疑われますが、容疑者Kが走ったという記述はありません。また走りながら喋った台詞としては息が切れないのが不自然ですので、台詞を述べてから一瞬で数メートル離れた被害者に接近した可能性が濃厚であると思われます。よって容疑者Kの犯行は、飛び蹴りだったのではないか、と推測されます。 被害者Mは、それにより地響きがするほどの激しさで転倒し、声が出せないほどの苦痛を与えられます。また、かなり出血したことが証拠の中から報告されています。 容疑者Kには、情状酌量の余地がまったくないことは、別の箇所からの引用が必要ですが、私が飛び蹴り説をとる理由は以上であります。 また、澤さんのコメントにあります一般論に関しましては、私も同感とするところがあります。 社会全体の問題もありますし、特に家族を人質に取るような、会社の行いは批判されるべきと思います。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-22

失礼。 誤字でした。 こんは簡明な✕ こんな簡明な○ ちなみに簡明とは、簡単でかつ明瞭という意味です。 バカではない人なら、わかるはずなので、賢いのにわからないふりをしている人がもしもいるのなら、そいつはクズのストーカー野郎なんじゃないかな、と、いうニュアンスで申しました。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-22

こんな簡明はメッセージすら、繰り返さないとわかりませんか? 【あなたは二度と書き込まないでください。】 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-22

私がサヨクであるとかリベラルであるとか、そうした決めつけは不快なので、すみませんが二度とコメントしないでください。 また、個人的な趣味としまして、私はストーカーは嫌いでして、そうした犯罪行為を肯定する人ととは交流したくありません。 その点からも、この文を含めまして、私の作品等へのコメントはお断りします。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)

2023-01-21

偉大な英雄についての、私の誤解と無知を正してくださり、ありがとうございます。 いずれまた、何かの機会に。 僕はアンもまだ入門したてなのですよ。 NHKでやってた、現代感覚に翻案したドラマで、興味を持ったところです。 アンのツンデレぶり、ハンパなくて可愛いっす。 澤さんとアーサーの話をする機会に恵まれるその日までに、アーサーについて少しは学んでおけて、アンも読めると良いのですが。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-18

いやいや、かっこ良くはキメすぎない。 カッコ悪いやり方に流しとくってことですね。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-18

追記 1980年代に奥平イラが作中のアンドロイドの言葉として語ったファション美学に、 「キメすぎはムカつく。」 と、云うのがあります。 なるほど詩神たるものが使うレトリックをカッコ悪い詩法と規定して良いのかという疑問もありましょうが、良いのです。 カッコいいことは、キメるところで、時々キメる。 カッコ悪いこともピッとキメとく。 その方が総合的にはカッコいいのですから。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-18

ご質問ありがとうございます。 あなたが挙げたケニングの例から先の話となりますと、やはり言語がどのように生成するのか、という言語学の話になるのではないか、と思います。 とても面白い話題ですけど、私はその方面に明るくありません。ケニングに興味を持ちましたので、引用による紹介はとても有り難いのですけど、数ヶ月から数年の時間をかけて、読んでみることにします。 なので、あなたのほうが、先に考察にたどり着くと思いますよ。 ここで脱線を1つだけ。 最初のリンク先の最初のほうに、こんな説明がありました。 》例えば、「剣」を意味する"íss rauðra randa"「赤い盾のつらら」というケニングの基底語はiss(つらら)であり、決定素はrǫnd(盾)である。そのケニングが指すもの、人、場所などを、指示物(referent)と呼ぶ(上記の例では指示物は剣である)。 (引用ここまで) íss rauðra randa には、なんとなくですが、英語の名詞ソールドに通う音が散りばめられているように思います。 こんなふうにして一つの言葉の音素分解から、意味をずらしつつ複合名詞をつくるのであれば、それは十分に人の言語的本能に響くなら、一つの新たの名詞の誕生に行き着くことでしょう。面白いことだなぁと思います。 さて、諸学を参照した妥当な見解には、あなたのほうが早く到達ㇲるとは思いますが、せっかくのご質問ですので、本文に私の述べたことを応用するとどうなるかお話しますね。 ケニングは、クラスではちょっと友達の少ない、中二病ぎみのボクっ娘さんが、お家で頑張ってコスプレして暗黒騎士のなりきりとかして、東急ハンズとかで買った材料で心を込めて作成したプラスチック素材の剣に、镸い名前をつけるときとかのレトリックのことだと思いました。 「我が名は○○の○○、またの名は○○を○○せし者。我が魔剣、○○の○○○○○、またの名を○○○○○○の○○○○○○と呼ばれし○○○○よ。我が○○○○に答えよ。」 なんて台詞をスラスラ言えるほど覚えて、充実したボッチぎみ中二ライフを送るときに使用するレトリックかと思います。 悪くないですよね。僕もできることなら、星の名前や、昆虫の学名や、毒薬の名前を覚えてうっとりしてた時代に戻りたいです。 しかし、本文で私が述べたことに沿って言うと、それは大部分の場合に、カッコ良くないレトリックです。なので、大部分はシネクドキーです。 僕の考えでは、シネクドキーは、異化の輝きを失い、死にゆく比喩です。まったく普通の言葉として人々に流通したとき、それは一つの名詞となり、比喩表現ではなくなります。なので詩的にはかっこ良くないのです。 この種のレトリックが例外的にカッコいい場合もあると思います。 例えば、アーサー王の異名には、妖精の王というのと、熊の王というのがありますが、妖精か熊が隠喩として不可解さを遺す限り、カッコいいです。なので私が本文に述べたことの応用でいえば、「熊の王」は換喩です。 つまり、あなたが例示したオーデンの異名には、メトニミーとシネクドキーが混在してる、ということになります。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-18

無理そす。 本文は一般向け公開講座。 縄文の話はプライベート・レッスンですから。 プライベート・レッスンは、親切、丁寧、カジュアルにやるさ(*^^*) (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-17

コメントありがとうございます。 おっしゃることは、大変よくわかります。僕もいくつかの分野から数冊読んで独学しようとしたのですが、数年たって初めて、各著者がまったく違う定義をしてることに気づきました。 覚えられなかったのも当たり前なのですw 換喩と提喩についての、AとBのカテゴリ分類や関係解析は、たぶん結果です。それで定義するのは外延定義で、そうなる理由や本質は、違うところにあるんだろうな、と思ってます。思ってはいるんですが、それに踏み込んだ言語学の本は、僕は理解できてないです。 僕のは個人研究と言いますか、今の僕の考えでして、一つの説としてお読みください。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-16

コメントありがとうございます。なるほど、と、思いました。 ところで僕は過去に、あなたに向かって縄文人のお墓の話はしましたっけ? https://ohakakiwame.jp/column/memorial-service/jomon-period-grave.html 縄文時代は長いから色んな事例があるんですが、これ↑などは、わりとショックじゃない方の話です。 もっと昔の遺跡でも見つかってるんですが、性格は同じです。 縄文人は赤ん坊が死んだとき、遺体を見えないところに埋めて、忘れてしまおうとは、しなかったんですよ。逆に、いつも通るところに大事に埋めて、その死を忘れまいとしました。 他の理由もあるですが、このことからも、縄文ってなんて高度な文明なんだろう、と僕は思います。亡くなった子どもを埋めたところを毎日通るなんて、悲痛だったことでしょう。そういう悲痛を忘れまいとするなんて、凄く人間的なことです。 例えば生まれてから5分しか生きられなかった子どももいたでしょう。5分なんて短いですよね。 でもその5分でも、忘れまいとするのが人間の文明なのです。 あなたが言う社会というのは、一人じゃないってことでしょう? それが時間というものの本質でしょうね。 そしてそれは、僕に言わせれば、人間の文明というものの大事な本質だと思います。だから、時間というものを無かったことになんかしてはいけないのだ、と僕は思います。 また話は変わりますが、ところでもし僕が、時間という言葉で社会について語っていたのだとすると、その場合の時間というのは、社会というのものを構成する要素の一つだと言えるのではないですかね。そうなら、包括関係でいうと、時間が社会に含まれます。社会には時間以外にも、僕とか君とか、いろんな要素がありますからね。 要素の一つ(時間)で、それを含むもの(社会)を語ったのだとすると、それがシネクドキーです。 地味でしょう? シネクドキーとは、普通のひとは気が付かないような、地味であり、かっこよくないレトリックなのです。でもだからこその、良いところもあると思っています。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-16

細かいことを言うようですみませんが、僕にはこの作品が、誰かをディスるスタイルで書かれているように見えたし、そう述べたのですが、誰かをディスっているとしか読んでいないのではない旨は、既にコメントしたつもりであります。 (Planet Poem)

2023-01-15

こちらこそ、読んでくださり、ご感想ありがとうございます。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-15

失礼。検討ではなく、見当でした。 (Planet Poem)

2023-01-15

誰かをディスるというスタイルの作品で、その誰かが誰なのか僕には検討がつかないのですが、喧嘩を売ってる相手はその誰か氏ではなくて、地球さんだと言うことが僕にはよく伝わりました。 作品をそのように僕なりに解釈して、その上での僕なりの感想ですが、「どうして勝てないってわかんないかな(*^^*)」と、思いました。 (Planet Poem)

2023-01-15

コメントありがとうございます。 天文学に3星の問題というのがあります。 2連星というのがあるのはご存じでしょうか? 古いアニメですが、「宇宙戦艦ヤマト」のガミラスなどです。2連星の軌道は、代数的に解けることが古くから分かっています。しかし、もう一つ星が増えて3連星となるとどうか? 実は特異点に限定しない一般解については、その軌道計算は代数的には解けないことが証明されています。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%93%E5%95%8F%E9%A1%8C この発見は、カオス論の始まりの一つだそうです。 そんなこともありまして(もちろん他の理由もあって)、僕は、人間の言語的思考(=論理思考)というのは「2」には強いんですが、「3」以上にはかなり弱い、と思っております。恋人に言葉で愛を伝えて二人の関係を構築するのは、人生の一大事業ではありますが、平均の成功確率だけで言うと、どちらかといえば容易です。人類平均で少なくとも10%は死ぬまでに一度は成功に至るでしょう。ですが、三角関係を言い訳で納得させて維持するのは、格段に難しい。浮気は、たいていの人がしたくなりますから、40億人ぐらいでチャレンジするという調査モデルを考えたって良いと思うのですが、そうしたって成功例は特別な事情のある数例のみ、成功率は特異点を除けばゼロになるだろう。みたいなことです。 なので、ここではカテゴリーを「隠喩」と「直喩」の二つだけに絞りました。 これはあえてそうしているので、他の読み方や批評の切り口ももちろんあると思います。 それはそれとしまして、諷喩というツールであなたの作品を読むことは、大変面白そうだと僕も思います。 ここで取り上げさせて頂いた、あなたの作品でそれをやるのであれば、僕ならきっと【諷喩】という言葉と【寓喩】という言葉の間にあなたのレトリックを置いて、考察するのではないか、という気がします。 いずれにしても、比喩(AのようなB)として考察するのではなく、言葉Aをそのままに、実態Aの意味を実態Bに転換する「転義」のレトリックとして考察することになると思います。(または「抽象化」や「一般化」のレトリックと見るかもしれません)。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-13

イイですね。そうですか諷喩を得意技としておられましたか。 実をいうと、それは僕も、得意技にしているレトリックでもあります。 そういえば、諷って文字は、諷刺の諷ですが、言偏に風って、風の言葉ってことなんですかね。 カッコいいかも。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-13

コメントありがとうございます。 嬉しいです。 メトニミーとシネクドキーは、AとBがどんな接近関係にあるかや、どんなカテゴリー分類にあるかで分けている説明をよく見かけるのでは、と思うのですが、それはどうも僕の場合、詩作や読詩の実感に合わないので、カッコ良さで分けてみました。 ここで述べました「カッコ良さ」は、もしかしたら、澤さんが使っておられた「異化」と相性が良いのかも、とも思っております。 また、ご指摘のAB考察、面白いです。 おそらくメタメトと直喩の3つは、澤さんのおっしゃる観点からグラデーションにして、ネット詩を読むときにも応用できそうに思うのですが、シネクドキーをどう考察するか、と、ワクワクしてます。 ここではカッコよくないレトリックと叙述しましたが、作中では、カッコつけるばかりがカッコ良さでもありませんから。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)

2023-01-10

ますたが✕ ますが○ ますたが、って何なのw すみませんでした。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

》メタ詩はすなわちメタ読詩、詩を読んでいることを読んでいる詩。作者も自作の一読者にすぎないことを書けていない、すなわち読めていないメタ詩は話にならない。 (本文より) なるほど、その通りと思いました。 この批評は作品に差し出された花束と思いますたが、拝読して、他の詩人のことも想起しました。 自分がなぜ、あの詩人を好きだったのか、ハタと気づいたりしてます。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)

2023-01-10

すみません、面白いご指摘過ぎて、追記したくなりました。 メタファー(隠喩)と身体性については、様々な分野で論じられていることと思います。 身体の感覚器官の様々な知覚機能が、メタフィジカルに世界を把握していることを始めとし、昆虫の他種への擬態や、その他多くの場合に、生命活動ではメタファーの働きをしていそうに思います。 なのでこの批評で僕は女性の語り手を措定したので、「女性の身体とメタファー」という主題のすぐ脇を僕の思考も通っていました! なのに、自分で気づかずもったいなかったなあと思います。 まあ気づいても、僕の知識では言及できなかったかもしれませんが、女性の身体とメタファー、興味深い課題です。 この作品は、横書きのテキスト全体を女性の身体と見立てたとき、 (1)直喩が多用されるパーツを、一人の女性の頭部。 (2)ケーキ/クリームを肩や乳房 (3)ロケットをへそから性器と尻 (4)サンダルから、後半の比喩を使わない文 を、脚 とも見立てることもできたことを追記して置きたい気がしました。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-04

おはようございます。 コメント拝読して、なるほどと思いました。 ハツさんのおっしゃる身体性について再考する観点から、藤さんのおっしゃる「切々とした感情」に近づくことも可能なのかもしれません。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-04

お久しぶりです。 文中に引用させて頂きましたが、澤さんの自転車説、採用させて頂きました。 書きはぐりましたが、僕としては、あのロケットを飛ばすために、発射台として直喩の積み重ねが必要だったのだと思った次第です。 澤さんの批評、興味深く拝読しました。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-04

面白いコメント、ありがとうございます。 僕はこの作品を読んで、ご指摘のちぐはぐさを、たぶん希薄さと感じたと思います。 最も奇妙に感じたのは、「どこまで行けば、この香りを感じなくなるのだろう。」というフレーズだったと思います。 この人は何故、どこまでなのか知らないのか?と、思いました。少し移動してみればわかることじゃないですか。それほど身体に障害か病があるにしては元気そうですから。 そうしたことなどを、僕は、書かれていないことの多さ、ということで納得し、この作品を通り過ぎようとしたのですが、、、。意外と身体性のある作品かもしれないな、と思った次第です。 そう思うには、あなたのご指摘にある、語り手の死の運命を読んだこと。そして語り手を女性と読んだこと、があると思います。 また、ロケットを女性器と解するのは秀逸ですね。大変面白い解釈と思います。 三段変速を、性交、妊娠、出産と解するのか、もう少しロマンチックに解するか、あるいはもう少しエロティックに解するか。色々と可能かと。 実は僕は、この部分全体を自慰と解釈し、ロケットをデイルドーと解することも試みて放棄したのですが、それよりずっとスッキリするように思いました。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)

2023-01-04

今日は。 味わい深い作品だと思います。 好きな作品です。 いくつか、特に詩を読む愉しみを感じた箇所がありましたが、うち一つあげると、「のだ」のところ。そこは言葉に追いつかれ、それを追い越そうとするような感じがして、しかし焦りとかではなく、ユーモアを暖かく愉しみました。 「そして、草花が置かれた」のリフレインが、生と性と死を次第に色濃くまといつつも、繰り返し立ち戻られるその一時においては、揺るがすに命を示し続けるのも、なんかイイなぁと思いました。 (そして、草花が置かれた)

2022-11-13

今日は。 着眼や主題が独特であり、愉しく拝読させて頂きました。 近代というとき、何処を振り返るのかは読み手や書き手人それぞれと思いますが、18、19世紀を置いて、20世紀の初めから終わりまでを想うというのは、あまり無いような気もします。 しかし、私の感覚にはよく馴染み、確かに前世紀の終わりと共に近代が終わったのかもしれないな、と考えたりしました。 打ち捨てられた近代という船を、ノスタルジックに望観する思いがしました。 ところで、「21世紀は未だ羽を休めない」、というフレーズとそれに続く一連には唐突さを感じました。 文の時制から見ても、ここで意識は、その前と違う時間にシフトしてると後からは想いましたが、読み直してもこの箇所は、何かが足りないような気がしました。 (近代船)

2022-11-13

今日は、または初めまして。 端的に作品への感想を書かせて頂きます。 拝読して、「結晶していない」、という感じがしました。 例えば、 》舌とクリスタル ここは作品の流れの中で重要なところと思いますが、平凡ですよね。 平凡なのはとても良いと思います。 ここで非凡だとあざとくなるので。 キメるところは外す。その鉄則がよく守られてはいます。 でもクリスタルじゃないな、と感じました。 ここは【クリトリス】一択でしょう。 それを日和るから、まんこ、なんて言葉を使うことになります。 キメるところは外す。それは正しいのですが、ヤルときはヤルんですよ。 ヤリはぐるのも良いのですが、それならヤリはぐることをその瞬間にヤリ抜かないといけないのに、レトリックをツルっと滑らせるのか、コケずに頑張るのか、「そこは違うだろう」と感じてしまう箇所がクリスタル以外にも見受けられました。 あと、初連は丸々削除しても詩の味わいが減らないように僕は感じます。つまり、僕にとって効いてない。 むしろブレるから要らない、と思いました。 私の感想は以上でございます。 もちろん、このテイストが好きな方もいるかも知れません。 (まいりとるばぶおぢさん)

2022-11-13

木倉マキちゃん、、、イイですね~。 とても良い芸名だと思います。 コメントありがとうございました。 (モグラ注意報)

2022-11-13

ありがとうございます。 モグラ、可愛いですよねー。 モグラはけして触ってはいけない、と心得ておりますが、死んでいると気の毒に思いますし、あのお手手は可愛いです。 オフ・ビートの詩というお言葉、嬉しいです。 (モグラ注意報)

2022-11-13

「ふたば」というサイトにアクセスすると、「2次裏」という板が3枚あります。そのうちの一枚に毎日夜11時頃、ゲーミングちんぽ華道部というスレが立ちます(12時頃には削除されます)。 そこへアクセスしてみると、ご指摘の対比の片側については、ご確認頂けます。もちろん、たいへん奇妙な趣向のものですから、強い興味を持たれる方にしかお勧めはしないのですが。それはリアルから極めて遠い一方で、なんだか妙にリアルに経験される先端文化であります。 一方で核兵器は、確実に実在はするものの、私個人は実物に触れたことはありません。あれは人類が情報だけでイメージ共有している、極端な人造物だと思います。 自己分析すると、私はもしかしたらゲーミングちんぽを、核ミサイルの代わりとしてプーチン氏にお薦めしたいのかも知れないな、と思いました。 (モグラ注意報)

2022-11-13

お付き合い頂き、ありがとうございます(*^^*) 作品は読者のものと思っておりますので、どのように読んでくださる方もありがたいのですが、作者にとっても興味深い気づきとなるコメントありがとうございました。 》【ゲーミングちんぽ華道部】が~」と「核戦争が~」の対句が第三連のリズムを準備しているように思ったのですが、しかしゲーミングちんぽ華道部と核戦争が並置されていることに、少し落ち着かない印象は拭えませんでした。 確かにその2つ、対比の構造です。 なぜ(・・;?と考えてます。 (続けます) (モグラ注意報)

2022-11-13

家族、先生、友だち等とそれとの関係が、「・・・かった」という修正不能なはずの完結した過去を語る形式の文で語られ、その合間にも性愛、犯罪、詩等が片時も休まずに現在形で語られ続ける。 何かを決定することがまだできるのかどうか不安定なままに言葉は止まらず続けられてゆきますが、決断可能な「僕」は、これが詩なのか、犯罪なのかと、どこまでも他者に答えを委ねたまま、問い続けて何も決断しない。 尋ねられた先生も答えません。 人は、あるいは読者は答えるでしょうか?これは詩だと、または犯罪だと。 先日、社会学者の宮台真司氏が山上容疑者を論じる流れのなかで、この社会はコール・アンド・レスポンスに、誰もレスポンスしない社会だと言ってました。 これは詩なのか、犯罪なのか、小泉真一郎が新自由主義で壊したこの国や社会は答えませんが、もちろんそうでなくても国や社会は答えません。では共同体は答えるのか?家族は?父は?姉は?友達は?先生は?詩壇は?読者は? きっと誰も答えないのでしょうね。 ステージで表現者がコールしても、誰もレスポンスしない社会の、誰もレスポンスしない共同体。 できることはレスポンスしまくるカルト宗教で公認コールをし続けるか、そうでもなければテロぐらいだ、と誰かが思うとしても、わかりみがなくもないし、それをそうだと言うのも愉しくはありません。 そんなことを私は想いました。 ところでこの作品は流れがとても快適で、言葉がしみじみ伝わってきて、拝読していて自分の心が共鳴する感じがしました。 好きな作品です。 (ぼくは詩人ごっカー)

2022-11-12

うーん。難しいけど、この写真の方はカッコイイですし、優しそうではないとも言い切れないところがありますね。 この方がどんら氏だとして、とりあえずどんら氏とデートしてみて、あとはフィーリングしだいが良いかも知れません。俊哉氏は会うまでに疲れちゃいそうなので僕ならパスかなぁ。 どちらの殿方も良さはあるのでしょうけど、どんら氏と俊哉氏が愛し合ってしまうパターンはナシのような気がしますので、二人同時とお付き合いするのは避ける方がよいのではないかと思います。 お相手を選ぶのも、なかなか難しいものですね。 文として、とても強くて引力があり写真も良かったです。 面白い作品と思いました。好きです。 (【言葉の選択よりも男女の選択!!】昭和49年生まれ。東北住み。女です。夫婦別姓断固反対!!です。なのであたしと同じ姓の人を選びました。どちらの殿方の方が【幸せ】になれるのでしょうか?殿方の写真は、申し訳ないです、片方しかないです。【幸せ】になりたい!!から聞いています。)

2022-11-12

拝読しながら、晩生品種の紅いりんご、フジとかをイメージしてたんですが、「なんかフジとは違うかな、」と感じつつ、ラストにクルミのイメージがサッと現れました。 5年ほど前まで、近くにあった鬼胡桃を拾うのを毎年愉しみにしてたんですが、その間にクルミの樹を丁寧に観察しておかなかったのが悔やまれます。 どことなく透明感があり、素敵な作品と思いました。 (女樹 (めじゅ))

2022-11-12

「かぐや姫に帝が贈った手紙と  かぐや姫が帝に遺した手紙」 化生なんてどうでもいいと 思っていたけれど 今夜あ、死んでもいいから 綺麗になりたい こんなことなら あいつに取り憑きゃよかったと 最期の最期に 変幻に想われたい あなた変わりはないですか 火鼠の皮衣がカビてます 来ては貰えぬ月面で 酒を呑んでは くだ巻いてます なんちゃって なんて、ね 君の手紙、焼いたよ 薬は捨てた 悪いね 良いのよ 永遠に待ってて、なんて そんなシャセイ管理プレイ あなたには無理よね 無理だなぁ ごめんね けむりたてちゃう 良いのよ 死ぬまでに 何度か月を見てくださるなら 見てほしいの? 見てよ 君、俺のこと 20年もお預けしたあげく 消えたんだぜ 見るとコーフンする? しないよ 月ってわたしの性器なのよ マジ? 月光はわたしの愛液 ちょっとコーフンしてきた またまた、 ウソばっかり ウソだけどさ 元気でね たまにはちんちん たてなさいよ 君も良い生殖を 俺は百年ももたずに 死ぬけどね 私の子ども 次の世界なの 不老不死の薬だって聞いたけど 飲まないでよかったよ 二百億年とか 僕なんかに待てるもんか ごめんね いいのよ 月を見て射精して そしたらあなたを 次の世界に産んであげるわ 無理 月までとぶかよ 無理かあ 無理だね でも時々、コーフンしてほしいな するよ 今だってしてるし 素敵 すてきだね ありがとう ありがとうね (B-REVIEW 8月のお題詩「化生」)

2022-08-16

ご批評ありがとうございます。 わかります。 この女神様だけなんですよね。木こりの美質を認めて、褒美を取らそうと思ったのは。しかも上から目線の押し付けの褒美ではありません。世の倫理も女神の誇りも関係なく、木こりが本心から欲しいものを上げようというのです。 ジョンのために女を選んであげた、オノ・ヨーコみたいかも知れません。 つまり、そりゃあジョンはヨーコを選ぶよ。ジョンだからそれができます。普通の男は燃やされちゃうから迷うよw (正直な木こりと泉の女神についての考察)

2022-08-06

212°Fというと100°C。 その温度では地球の生命は死滅しないけど、常圧で水の沸点となるから、大量の熱水が降り続け、地形すらも保たれない。 僕らは煮沸されながら白骨となり、地上はすべて洗い流されるのでしょう。 僕らの骨と炭は海底のどこかに集積して、それは石灰とダイヤモンドの巨大な鉱脈になるのでしょうね。 明日の6時に何が起きるにせよ、それは世界の終わりのように感じられることでしょう。 (波間の終わり)

2022-08-04

この女神様、こんな質問してくるなんて、だいぶめんどくさい女神様かも知れませんが、僕は好みかも。 でもそれやると、殺されそうな気がするなぁ。 室町氏に乗っかると、ここで女神様を選ぶのは、詩を書くのをやめてメタに走るみたいなことと似てるのかも知れません。 (正直な木こりと泉の女神についての考察)

2022-08-03

それはもしかしたら、魚の上半身と魚の下半身、恋人だったらどちらが嫌か?ということを考えしまうのかも。 ポニョとかも魚の顔されると、ちょっと怖いですから。 人魚姫は王子様攻略については、死んでもいいぐらいに本気ですからね。研究したんでしょうな。 (正直な木こりと泉の女神についての考察)

2022-08-03

ご批評ありがとうございます。 私は詩人なら○○すべし式の文には警戒してしまう質なのですが、このご考察は、そんな私もしてやられるほど面白いですね。 なるほどです。 (正直な木こりと泉の女神についての考察)

2022-08-03

「ミルキーウェイ」 子どもの頃からの未解決な疑問というものが、私にはたくさんある。 そのうちの一つが、「お風呂に入って汗を流すと、どうしてさっぱりするのか?」だ。お風呂から出ると火照った身体からたくさんの汗が出るではないか?その証拠に、一度湯水をタオルで拭っても、また体は濡れてしまい、2度も3度も拭くか、2度目の汗はそのままにしておくか、それが嫌なら水でも浴びるしかない。 なぜお風呂から出たあとの汗ではベトベトの身体にならないのか? 小学二年生の頃だった。 当時私の住んでいた集落は、ガスは文化プロパンガスを購入してはいたものの、高価だったのか、風呂は薪を焚いて沸かしており、それは子どもの仕事だった。 人は火の前に長時間座ると、ついウッカリ哲学してしまうものだ。 ある日私は件の疑問が考えれば考えるほど不思議になり、ついに父親に質問した。 父は次のように答えた。 「どうもおかしな事なのだが、風呂に入る前と入ったあとでは、出てくる汗が違うもののようなのだ。」 流石にそれは違うでしょ。 と、子ども心にも私は思った。そんなにいろんな水を、使い分けて皮膚から出すなんて変だ。 私の住んでいた集落には街灯は一本もなかった。街ではないのだから当然だ。 集落では牛を飼っていたからミルクは美味しく星は綺麗だったが、私のその疑問には誰も答えなかった。 (B-REVIEW 7月のお題詩「ミルキーウェイ」)

2022-07-30

お久し振りです。 「た」音が韻律になっていて、雨だれの音のように優しく響いてきました。 感じのよい詩だと思います。 (朝顔)

2022-07-27

ごめんなさい、素直に褒めるべきだったんだけど、つい変な理屈をこねようとしてしまった。 これ、イイと思います。 次作も愉しみ。 (無題)

2022-03-26

この作品は作品の一部であり、まだ核心が現れていないのではないか、と僕は感じます。なので良くも悪くも評価できない、と僕は思います。 しかし前作よりスリルがましていて、クライマックスへ少しずつ近づく気配があり、続きを期待してますし、単独でみても彫琢に面白さがありました。 以下、すみませんが少し長く脱線します。 人の記憶ということについて、僕はちょっと変わった独自の考えを持っています。 産科医の書いた本に、出産の痛みは記憶できない、と書かれたのを読んで印象的だったことがあります。 アレはあまりも痛いので、記憶できてしまうと次の子どもを産む気になれない。だから記憶できないように人体はできているのは合理的なのだ、と思いました。 古い知識ですし、正しいかどうかは知りません。 しかし気をつけて考えてみたり、人と話してみると、出産に限らず、過去に経験した身体的な痛みというのを、痛さとして思い出せる人はまれのようで、ほとんどの人はただ痛かったという事実を物語として記憶しているだけのようだ、と気づくに至りました。 大人では出会ったことがありませんが、子どもだとごく少数、本当に痛さそのものを記憶する人がいて、そういう人は思い出すと痛がります。痛がったり泣いたりする。そういう人は例えばホラー映画などは観ることができません。痛さを身体的に感じてしまうから、小説などもあまり読みません。 それに気づいてから、記憶できることと記憶できないこと、そして想像できてしまうこと想像できないことの限界領域に、僕は強く興味を持つようになりました。 その結果、僕が個人的に至った結論によれば、大人のほとんどは、ほぼすべての感情を短期間しか記憶できません。物語は断片化しつつも長く記憶できるけれども。 人が感情を記憶できているように感じているのは、その都度、記憶している物語の細部や断片から『悲しかった』とか『嬉しかった』いう事実を拾ってきて、感情を作成しているのです。 僕の考えでは、そうなのです。 ただ一つ、自分の場合はですが、『愛』だけは感情として記憶できます。過去を想起するとき、それがキーになって想起します。人によっては『寂しさ』や『喪失感』など、他の感情を直接的に記憶している人もいるのではないか、とも思っています。 僕はそんな考えなので、一つには過去を改ざんしたり捏造したりすることは、人間が生きる上で日常的なことだと思っています。人は過去を記憶によって常に新たな物語として創造する。そうすることによって感情を獲得しているのだ。それは自然なことだから、文を書くときにも行われる、と思っています。 またもう一つ、詩の中には、以上の考えからは不思議なことに、時々ですが、本当に感情そのものを直接記録したケースがみられる、とも思っています。 長い上、わかりにくいことですみません。以上はこれまでの経験上、ほとんどの人に同意されない、伝わりにくい意見なのですが、僕はそう考えてます。 この作品に戻りますが、読んでいて、姉の顔が想像できないことが特徴的だと思いました。 おそらくそれは、技巧上の欠点のせいではなく、語ろうとする感情が記憶できないものであることと関係してる、と僕は思います。 スリルがある、と書きましたが、それは作品に即していうと、姉の顔が読者である僕に、見えてしまいそうになってきている、ということです。 (無題)

2022-03-26

可愛らしい作品で、良いんじゃないでしょうか。 僕はエロティックな言語作品が好きなので、これでは刺激が少ないのですけど、楽しそうな雰囲気は伝わります。 微エロには微エロの良さがありますよね。 犬と恋人との微妙で曖昧な比喩関係(人っぽい犬なのか、犬っぽい人なのか曖昧)については、むしろこの作品の面白いところ。作者が説明せず、読者に読みを任せて、ノンビリしてて大丈夫かと。 これで詩的くわだては、成功してると僕は思いますよ。 (可愛いあなた)

2022-03-15

僕は自分が女好きだからか、【女嫌い】とか【女の悪口】を言語作品とするのは、エンタメとして面白いテーマの一つだと昔から思っています。 学生時代に惹かれたのは、哲学者のショーペンハウアーによる女性憎悪と、カントの歪みきった結婚観でした。学生同士での酒席の話題で、盛んに引用したものであります。 振り返るとなんか大正時代のことみたいですね。僕もそこまで高齢じゃないんですが。 エリアス・カネッティの「目眩」など、思い込みの激しい男が女に手酷く失敗する話も興味津津だったものです。 さてそんな青年期に始まり、その後、女性に大変お世話になったり、まるで命を救われたり、ご迷惑をおかけしたりもしつつ、なんとかやってきた自分の人生を振り返りまして、その上で僕はこの作品を拝読したのですが、なんと言いますか、絶妙にビミョーな作品ですね。 「ブス」など身体特徴を一方的に低評価して押し付けるなど、言語暴力の基本を抑えてはおられるのですが、望みは長期戦にかけてしまってます。 ですがその戦い方だと男性必敗じゃないですか。平均的には男性のほうが早死ですし、なんなら毒殺されますよねw 退職金を守れば生命保険でとられる、みたいな。 (かと言って、浮気なんか更に貢がさせられたり搾り取られたりするだけですから、選択肢にも浮かばないですよね。) その、そこはかとなく全編に漂う家庭戦士としてのダメさが、この作品の味わいと思うのですが、とてもビミョーであります。 (責務を果たす男の姿)

2022-03-15

すごい。 これは感情のアートだと思います。 ある種のスタイルが握られた瞬間の爆発を、単なる爆発ではなく流れる線に変えて、それで絵を描いていくような感じ。 以下は余談ですが、アレン・ギンズバーグの「吠える」という詩があります。この作品とは全然違うのですけど、感情のアートという点では、この作品は「吠える」に通じるものも感じました。 (声明 流木から)

2022-03-14

素敵な作品ですね。 心に響きます。 (がんばらなきゃ)

2022-03-12

恋の歌(待ち人来たらず)系なので、作品の後ろの「吾」としては本当は終わってしまったことは残念なのです。 コメント頂いた通り、シメの句は、未練たらたらに色々詰め込みまして、作者としてはそれが本作の自慢でもあるのですけど、語り手は本当なら「永遠に愛してるぜ」的な自由詩を詠みたいところなのかも知れません。しませんけど。てか僕がさせませんが(^o^) 終わるものがあってこそ、始まるものもありますからね。 思えば変なことですけど、こうして春が来ると、冬もまた懐かしいです。 (雨(川柳))

2022-03-12

ありがとうございます。 そこは、おわる、なんかもそこはかとなく入れました(^o^) (雨(川柳))

2022-03-11

確かにその句はエモっぽいほかは何も仕込んでませんし、最後は七音ですよね。駄句かも知れません。 僕の入ってる句誌は自由句と言っていて字余り字足らず他、何でもアリなんですが、タイトルをつけて、十句詠むルールです。 いくつかの句を並べてゆくと、何故か僕は、最後は七七にしたくなったりするのですが、句誌でもそれを褒められたことは無いですね。 五七七って俳句や川柳が好きな人には好まれないリズムなのかも知れません。 (雨(川柳))

2022-03-10

自己流川柳、なかなか楽しいですよね。 冬の雨と春の雨の硬さの違い、想うところです。 (雨(川柳))

2022-03-10

まあ俳句か川柳かは難しいですよね。 僕は小林一茶って、ずっと川柳だと思いこんでいて、俳句として扱われているのを数年前に知り、驚いたりしてます。 (雨(川柳))

2022-03-10

とん、と置かれた茶碗みたいに意識の流れが集中して終わるのが俳句。 そこを洒脱に、サラリと流して終わるのが川柳。 みたいに僕は考えてます。軽妙洒脱をムネとするって事であります。 ですがそれは個人の考えですので、この作品は俳句と思ってくださっても特に異議はありません。 (雨(川柳))

2022-03-10

下記は高校生を対象としたイベントのサイトですが、説明文は日本川柳協会さんを参照しているようですので、ご参考までに紹介します。 https://www.fukuoka-u.ac.jp/unv_gide/fkus/senryu2012/about.html#:~:text=%E5%B7%9D%E6%9F%B3%E3%81%AF%E3%80%81%E4%B8%80%E8%A8%80%E3%81%A7,%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E4%BD%93%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82 (雨(川柳))

2022-03-10

コメントありがとうございます。 タイトル通り、これは川柳(短歌は五七五七七)として作成したものなんですが、川柳とは何かってのもまた難しい話で、私は理解しておりません。 川柳っぽい何かの作品と思って頂けると幸甚であります。でもさすがに短歌ではないと思います。 (雨(川柳))

2022-03-10

二重投稿になってしまいましたので、こちらを削除依頼、申請します。 (雨(川柳))

2022-03-10

サキュバスは、だいたいみんな可愛いもんなのです(^o^) たいてい有害ですけどね。付き合い方かな、難しいし、たいていは失敗するわけですが。 (眠りと目覚め)

2022-03-07

以下は、同格として互いの作品への意見を交換し合う、「合評」の話に限定しますね。 その場合、僕はすべての作品について、良いところを見出す努力をします。自然に見つからないのであれば、それは自分の読詩力に至らないところがあるのだと反省し、他の方の意見を拝聴します。 加えて、ここが良いのでこうすると更に良くなるよ、ここでダメにしてるよ、という点が見いだせた場合は、率直にそれを述べます。 良いところが一つも見つからないのに、悪いところが見えているような気がする場合は、たいていは読者の思い込みで大事なことを読み落とした上での感想になってしまう。 または、その作者とは全然タイプが合わないのだから、交流自体やめれば良いのです。 それが合評における、僕の基本的な振る舞いなんですが、今回のこの散文との関係はあるのか。 一言で結論をいうと、関係あると思っています。 合評においてこそ、自分の詩論を他人に押し付けるような「作家的嫉妬」は控えなければなりません。その作品は他人のものなのですから。 その作品を自分は書こうとすることを出来なかった。それだけで、その他人氏には、自分にはない才能を持っているのです。それを意識しないと、無意識な嫉妬が評言に顔を出してしまう。そんなのは恥ずかしいことです。 羨望。まさにそうですよね。世界に無数の作者がいて、皆、この私にはない才能を持っている。世界のすべての作者の着想がぜんぶ自分のものだったら、この脳は瞬時に情報過多で燃え尽きるでしょうけど、そりゃあスゴイでしょうよ。その意味では何を見ても羨望しますよ。 しかし合評においては、自他を峻別すべし、と思っております。 (作家的嫉妬ということ)

2022-03-06

神への嫉妬。ってこと。 あるいはゲーテとか紫式部への嫉妬ということ。 この散文のレベルすら乗り越えられないイカイカさんには、ちらりとも見ることのかなわない領域だと思うけど、その差に目がくらむ思いぐらいはしてみると良いのにね。 (作家的嫉妬ということ)

2022-03-06

引喩ということを、この散文の延長ではどう考えようかな、ということがあると思います。 僕の書き方に関連すると、現実世界での経験だって自分が一人でつくるものではないのだ、とも思えますし。 でもそれらはイカイカさんのような初心者むきの嫉妬の話ではなく、先のレベルの話ではありますまよね。 どんなに高尚な嫉妬でも、嫉妬は苦しさを伴うのではあろうとは思うのですが。 (作家的嫉妬ということ)

2022-03-06

書いておいたけど、君にはわかんないんだろうな。 まあ君は詩はやめたほうがいい。君自身が傷つくだけなんだろうから。 でも、せっかく君のために書いたんだから読んどけば。その性格じゃ、役には立たないだろうけど。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-06

あ、その前に一つからかっておきます。 君は2ちゃんみたいな場所でコテやっときながら、裏でなんて言われてるかなんて気にしてたのかよ。 さらには誰それくんは、誰それくんに裏でこう言われてた、とか何十年もたってから言うとか、真面目な話、君、人物が小さすぎるぞ。 今回はあんまりイジらないであげるけど、直そうな、そういうとこ。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-05

で、君がベソかいて出てゆき、僕はやりすぎたと反省したんだったよな。 可哀想だからあとで一つ散文を書いて贈るよ。君にはすでに言ったはずの内容だけど。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-05

うん。 最近の君は、くだらない。 だが、僕に評価されなくていいなら、良かったじゃないか。 失せろ。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-05

なんだ、君の方こそ泣きべそかかされてたのを忘れてたのか。 なんでまた絡んでくるんだか不思議だったんですが、そういう事だったとはびっくりだな。 それにしても、君は本当に衰えたね。 地球さんの詩も僕の詩もわからないって、僕にはもうどうしょうもないたろ、そんなひと。もう少し若ければ、俺が自分で自分の良さを教えるわけにいかないから、他の人に教わってこい、って言うとこだけど、君とは付き合い長いからなぁ。 君には随分まじめに、ちゃんと自分の詩作を究めるよう、奨めたと思うし、もう少しイケるやつだと期待してたんだけどなぁ。 ま、雑談過ぎる話だよね。 僕はここの大賞がどうしたら良くなるかについて、例えば君の最近の活動はどうかというと、マイナスにしか評価しない旨、述べました。 それは僕の見解なので、君として悔しくてもしょうがないでしょ。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-05

小さな学習会ですが、僕のやってるギルドも一年になります。他にもギルドが何個か、それぞれの方針で学習活動や合評、交流をやってきたようですよね。三浦さんも修行してたようだし、得たものをツイキャスで普及してるわけでしょう? なので民度(と、三浦さんがよぶもの)は上がってるはず。 この投票システムのアウトプットは現状あるようになる。って考えるほうが自然なんじゃないですかね。 こんな作品に投票しちゃだめだ的な、恫喝するようなコメント活動は、イカイカ風味のひとがここ数ヶ月やってたようだけど、大賞選定には良い効果はなかったようです。結果がコレじゃあね。 他の人がアレをやることも考えられなくはないけど、そういうのは批評眼のない人ほどノビノビと暴言をはく結果になって無益だろう、と僕は思うな。そうじゃなかったとしても、投票を捻じ曲げるなら投票に意味がないし、他人の言いなりに投票する人の意見なんか価値がないです。 まあ、何かしら工夫は必要なんでしょ。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-05

ところで、僕はこの批評を書いた三浦さんは女性から叱られてもやむなしと思うけど、それはともかく誘導されて僕も「平等」を読みました。 12月は僕の作品もそれなりに良かったはずだし、それは言わないにしても他にも佳い作品や力作はあったはず。 12月にあの作品が大賞で1月がこの作品というのは、問題を感じるな。選考があまり上手く行ってないのでは、と個人の感想として思います。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-05

三浦さん ちょっと話が錯綜してるように感じますので、自分の関係だけ整理します。 三浦さんはこの批評作品で、複雑な文脈においてではありますが、対象作品(あるいはその作成、投稿行為)を褒めてます。 だけど、どこをどう読んでそう褒めんのよ?と、いう疑問が私にはあったので、コメントしました。 回答してくれて、ありがとうございます。 》こちらの私のコメント、前提を言うのを忘れていましたが、この対象作品本文の佳境箇所には宗教的儀式の文脈がありますよね?で、あるとしたら、結語の「書かされているのかも」のこの放り投げは、神降りで書かされているおばさんへの皮肉だと私は捉えますね。 (三浦さん) なるほど、仰ることを理解しました。 僕ら詩を作っている者は、書いているのではなく、書かされてしまったような詩句を自分の作品に見出すとき、割と嬉しかったり、自慢したりしますよね。 才能を確信したり、そこまでではなくても、もしかして俺って選ばれた特別な人かも的な気分になったりとかします。良いことですけどね。そういう気持ちいいことがあるから、人は楽しく詩作して、その中の誰かは、いつかは傑作も書くかもって思います。 でも、横から皮肉を言いたくなる事でもあるでしょうね。 詩句が「降りてくる」ように感じるなんて、割と普通のことですから。 そうではない書き方を探求する人もいるでしょうけどね。 三浦さんは、書く派と書かされてる派の間のどっかで揺れてるように私には感じられて、あなたがこの作品をどう読んだか、私なりに得心しました。 つまりあなたは困惑したわけだw まあ、そうですよね。 感動はしない。 でも、面白がろうと思えば、面白いてしょう。困惑してる自分もまでが。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-04

なるほど。 その部分(「私の例からして」前後)をそのように読んでおられるのなら、この詩が「おばさん」から怒り、反発、軽蔑などを示されるであろうことの理由も理解されてることと拝察します。 それらの前に、ひとをおばさん呼ばわりする君は、いったい何歳のボーヤなんだ?という疑問もあるわけですが、前半と後半で語り手の性別が変化してるようにも読めなくはないし、そう読ませようとして失敗して曖昧になってる感じもします。結局のところ語り手が非おばさん(ボーヤなど)なのかどうかすら確定しません。 しかしそれを脇に置くとしても、叱られるのは当たり前で、三浦さんのおっしゃる 》「こんなことを書くあなたのスタイルが不快です」という作者宛てに不快感をはっきりと示してあげることではなかろうか。 は、反語としてではなく、普通に妥当だろうと私は思います。 次に後半ですが、アイロニーというのは、また私にはわかりません。 もしかして三浦さんは、「書かされている」状態は「書いている」状態より、低レベルだという価値観をお持ちなのでしょうか? 私はここにはアイロニーをほとんど感じず、中二少年的な高慢な誇りを見ますが。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-04

あ、ごめんなさい。 つまらない、じゃなくて、「下手くそな」でしたね。 失礼しました。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-01

みうらさんは、以下のフレーズをどう解釈したのでしょうか? 》また一方で、彼女たちの託した瓶の中身が、流れ着いた渚の誰かに読まれ、その人を感動させるいった、童話的希望があるなんて、【私の】例からして絶対とは言えないはずだ。 ・【】は蛾兆ボルカが付けた。 これは(自分もそうなんだよね)、という共感なんじゃないかな?と僕は思うのですが。 つまり、作者は詩人の根源的姿を、ツイッターでつまらない詩を書いているおばさんに感じ、その心情は自分と同じてある、と述べているような気が僕はするけど、みうらさんはどうですか? でも僕はつまらない詩を書きたいとも、書いているとも思ってないし、投げ瓶なんか投げないので、作者に共感しないです。 また、つまらない詩を書いているのはおばさんだけしやないのに、なんでおばさんだけがこんなに気になるのかわからないし、なんならどういう詩をつまらないと言ってるのかもわからない。 なのでこの批評が取り上げてる作品は、別に思い切り批判する必要も感じないけど、特に惹かれるところもない駄文だと思ってました。 みうらさんのこの批評文も、なんか何が言いたいのかわかんなくて困惑してます。 つまらない作品はたくさんあると思うし、つまらない作品ばっか書く人もたくさんいると思うな。 それが何だと言うのか、なんだろうけとを、何だと言うのかな。 (2022年1月大賞作品「Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん」)

2022-03-01

そもそも詩なんてものは自由に書くものであって、戦争についての詩を書くときは君の変な理屈に付き合わなきゃならないけど、ちんこの皮の詩は書いても良いです、みたいな屁理屈どうでもいいことだとしか僕は思わないよ。 じゃあな。 君の書きたい詩を君が自分で書けて、他の人が他のやり方で他のことをするのを見て楽しそうにしていても、嫉妬しないでいられるようになるまでは、もう詩界隈に戻ってくんなよ。 (戦争のすこしまえ)

2022-02-28

いや、ポエムの話をしてるのだし、ここはポエムが好きな人が集う場所だと僕は思うよ。嫌いなら他へいけば? (戦争のすこしまえ)

2022-02-28

と、僕はおもいます。 (戦争のすこしまえ)

2022-02-27

この世にはニ種類の人間がいる。 世界の運命を変えてゆく主体となる人間と、成り行き任せの奴隷の2種類だ。 詩は奴隷にとってもなにかであるかも知れないけど、これは主体的な人間のための詩だと思うので、奴隷の意見はいらない。 (戦争のすこしまえ)

2022-02-27

僕は僕の詩を書きました。 ここには投稿しませんが。 もともと僕はだいたいいつも詩を書いてるので、ここに投稿するのは一部です。 この詩は傑作だと思う。 もちろん、わからない人もいるだろうし、いて構わない。構ってるヒマもないですしね。 ただほんのちよっと私見を書いておくなら、この詩は戦争の始まりを迎えるシイちゃんを主軸にすえて、次元の軸を伸ばす。そして他の視点で世界を見て、ある真実を語っていると思う。その伸びやかさ、閉塞されない自由さが私達の心に、重要なことをもたらす。ちなみに老害と化したナレハテの者は「私達」に含まない。 座標軸は世界観ではない。 世界観は世界を見据えるひとみが作る。 (戦争のすこしまえ)

2022-02-27

僕は僕の詩を書きました。 ここには投稿しませんが。 もともと僕はだいたいいつも詩を書いてるので、ここに投稿するのは一部です。 この詩は傑作だと思う。 もちろん、わからない人もいるだろうし、いて構わない。構ってるヒマもないですしね。 ただほんのちよっと私見を書いておくなら、この詩は戦争の始まりを迎えるシイちゃんを主軸にすえて、次元の軸を伸ばす。そして他の視点で世界を見て、ある真実を語っていると思う。その伸びやかさ、閉塞されない自由さが私達の心に、重要なことをもたらす。ちなみに老害と化したナレハテの者は「私達」に含まない。 座標軸は世界観ではない。 世界観は世界を見据えるひとみが作る。 (戦争のすこしまえ)

2022-02-27

この詩を今日読めて良かったです。 書いてくれてありがとう。 しばらく書いてなかったのですが、僕もまた詩を書こう、と思いました。 (戦争のすこしまえ)

2022-02-26

そういえば、何かの詩に、 生きてるってことは、 まだ死んでないってだけのことじゃない ってフレーズがありましたよ。 たしかブローティガンだと思います。 (自分の話をしよう)

2022-02-07

コメントありがとうございます。 そのとおりだなぁと思います。 せっかく生きてるのですから、詩を書きましょう。 萎縮したり遠慮するのは、もったいないことです。 (自分の話をしよう)

2022-02-07

コメントありがとうございます。 お気づきではないかも知れませんが、三浦さんの詩は鋭さと光量を増してきてますよ。 勉強してつけた基礎体力は、忘れた頃に本人の知らないところで効いてるものなのかも。 詩と詩論、どっちが先かと問うことは、僕にはちょっとためらわれるのですが、詩的経験を豊かに持つことは、詩的な「杖」を持つことに劣らず重要と思います。 (自分の話をしよう)

2022-02-07

なかなか印象に残る、感じの良い作品だと思いました。 下記はたまたま最近見かけたツイートなのですが、この作品への僕の印象はこんな感じです。 https://twitter.com/Manga_archiveM/status/1489241347005743104?t=h5CGXbM0x_ZnQqpGxLtb6Q&s=09 (魔法はある)

2022-02-06

そうですか。 お気になさらず。 あの小説は、読もうと思ったけど未だ読んでない小説のイギリス1位だか世界1位だかなんだかをとってますから。 でもイイ小説ですよー、あれ。 全体にキラキラした感じと自然な感じがあって、落ち着きます。恋愛小説ですしね。 映画は過去に何本かありますが、僕は観ていません。どれも大きな賞はとってなくて、傑作とは言われていないようですね。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-04

小説「1984」は僕も大好きな作品の一つです。 この文に二度出てくるから、室町さんも読んだのではないか、と思うのですが、もし読んでいないのならお薦めです。 ああゆう世界文学を読むことは、いくぶんかは孤立から救ってくれますから。 (情況論2 日本防衛論)

2022-02-04

お久しぶりです。 拙作を読んでくださったとのこと。ありがとうございます。 ところで、一つだけ指摘させて頂きます。 私はこの作品へのコメントでも、拙作でも、「詩についての詩」については何も語っていません。「詩作についての詩を書くこと」については私見を書きましたが。 以前の話を蒸し返してすみませんが、その点だけコメントさせていただきます。 (Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん)

2022-01-29

ご意見ありがとうございます。 2点、コメントさせて頂きます。 一つは、私はシャーマン系アーティストを4区分しており、シャーマンだけど詩人ではない人もいると考えてます。 2つ目は「賢さ」の関係ですが、私はシャーマン系アーティストのカテゴリの下では賢さはグルーピングの基準にしません。 理由の一つは、シャーマンは自分一個の脳で思考していないからです。 シャーマンは人々の喜びを代弁します。 そして世界の苦悩を苦悩します。 風の歌を歌い、星のささやきを囁やきます。 シャーマンの一個の脳のIQなど、50億の民の歓喜する脳を代弁するときに、なんか意味があるんでしょうか。 いや、それぐらいならまだ意味もあるでしょうけど、世界の苦悩とか宇宙のささやきとか、自分の一個の脳のIQとかでなんとかなることじゃないと僕は思います。 以上は私の私見です。 三浦さんの考察、楽しみにしてます。 この散文を読んでくれて、ありがとうございました。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-26

私のような、あまり真面目なカタブツとは名乗り難い者までがそんなことを考えるのは、我々にとって倫理というものが大切なものだからではないでしょうか。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-26

室町さん ありがとうございます。 重ねての反論はないとのこと、了解しました。 私があなたのご意見を理解できていたか、私の理解力に反省すべき点はあったかもしれませんが、室町さんに私の意見をご理解いただけて嬉しく、対話してくださったことを深謝しております。 本筋からすこし離れた話題と思いますが、森さんと川勝知事について。 オリンピック関係では、森さんのは言葉のアヤだけではなく、その言葉は組織運営において女性の意見を抑圧していたことの現れととれますので、左派に批判されただけではありませんでした。小池都知事からも強く反発されましたし、辞めたのは当然でしょう。それは組織運営上も必要だったろうと推測しますが、倫理的にも当然だったと思います。 しかしオリンピック関係での炎上直後の自爆は、倫理の問題ではなかったかもしれないように思います。 「女性と言うにはあまりにもお年」森喜朗元首相、再び女性蔑視発言:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/94020 彼はもう辞めたくなったから(利権確定したから)わざとやったのではないか? と、私は疑いましたが、もし失言だったとしたら、文脈上、これはただの軽口だろうと思われます。 対して川勝氏の大学の話は、倫理の問題であり、軽口ではすまされないレベルの悪質さを感じます。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-26

鉛筆の例について追記します。 日常使うのに推奨されることではありませんが、現実に人を殺す場合に道具を探すのでしたら、その目的に応じた目で世界を把握する必要があります。 殺傷力の有無を上位の判別基準においた上で、下位の分類をしていくことになるでしょう。もちろん一瞬の間に犯罪者の脳内で起こることですが。 ワインの瓶で睡眠中の夫を殺した女性の事件が報道された例があります。 その人がどんな目線でワインの瓶を見たのか、私にはわかりませんが、おそらく鈍器として、電子レンジや花瓶と同じカテゴリに分類する世界観で見たことでしょう。 そのように、実生活では人は自分の目的に合わせた分類体系を選択します。 しかし、より冷静に、妥当な分類について考えてみるのも、悪いことではありません。 ワインの瓶は液体を入れる容器として、鉛筆は人を刺すツールではなく、文字や絵を書くツールとしてカテゴライズする世界観を、大事にしたいと思っております。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-25

「役にたたないこと」と申しましたが、分類があまり役にたたないことの一つは、アイデンティティの確立です。 我々は自分自身の分類上の位置を認識することで、自分の属するカテゴリの近傍にどんなカテゴリが存在してるかを知ることができます。 しかし、自分自身の本質は分類からは分かりません。 なぜなら、人間の場合は、実存が本質に先立つ(サルトル)からです。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-25

分類はツールです。その意味では棒とかと同じと思います。 ツールは使う人次第。天井から吊るしたバナナを、取りたいならツールを役立てれば良いし、取らずに眺めて問題を解決せず、ただ恨み言を言っていたいなら、その棒をあらぬところへ振り回してれば良いのです。 そんなわけなので、分類というツールも、何も無理して、役に立たないことに使おうとしなくても良いでしょう(笑) では分類はなんの役にたつのか? と、お思いかもしれません。 ですが、分類というのは古代文明を含めた世界の多くの文化で、学術の中心を担ってきたツールですから、そこを根源的に疑うのは、まず疑うこと自体、無益なのではと僕は思いますよ。 先に少し申しましたが、私の分類では詩人カテゴリの下に「賢い詩人」と「賢くない詩人」を作りません。 その利点としては、利用価値のない分類項目を作らないことにより、無益な差別を回避することが一つにはあります。 シャーマンを賢いのとバカなのに分類しても、何か得るものがあるのでしょうか? それより、シャーマンはみんな賢いのだと考えるほうが、正確で有益な世界認識だと私は思います。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-25

鉛筆の例は、道具の目的外使用の例です。 道具は目的により作成されてますので、外見や物理・化学的な特徴よりも、目的にフィットする分類が便利なケースが多いと思われますが、目的にあわせた分類は、目的外の使用には役に立ちません。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-25

また、同じ判別基準を2つ以上の段階で使うのは、無意味というか不可能です。一度使った排他的判別基準を、その先で使おうとするなら、分類しようにも一つのグループのままでしか有り得ません。 従いまして、ここに示した分類では、「賢い詩人」と「賢くない詩人」いう判別段階はありません。 詩人であるなら、と言う前に、人間であるなら猿より賢い動物であり、賢さによる分類はその段階での使用が適切だからです。 猿と人の区別すらできない考察では、詩人と詩人ではないものについて考察したって、混乱するばかり。下手をすると差別にすらなりかねませんから。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-25

分類では、下位の基準による判別は、その上位にあるすべての基準による判別を正しい順序で行った上で行います。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-24

教育の目的は、学習者が幸福になることが一つ。もう一つは、学習者が成り行き任せの奴隷ではなく、自分や世界の運命の決定に参加する主体になること。 なので教育を受ける権利は人権であり、平等であるべきであります。 (詩人のオーダー(詩人であることの要件としての「賢さ」についての覚書として))

2022-01-24

どんな記録手法を用いるにしろ、宇宙そのものをもう一つ作って、時間ごと保存しない限り、完全な事実記録はできません。 文字表記でできるわけもないので、その意味では僕も文学作品はすべて、非「ノンフィクション」だと思ってます。 でもそんなふうに考えてしまうなら、なんとかして事実を破片でも断片でも書き残こすんだ、なんてことを考える意味がなくなってしまいますよね。 それとフィクションは、事実でなければ良いと言うものでもないので、フィクションとは何かってのが、非「ノンフィクション」とは別にあるのでは?と思います。 (物語をノンフィクションと断言できる人)

2022-01-15

僕の好きなノンフィクション文学は「チェルノブイリの祈り」という作品で、その本を書いた人はノーベル文学賞を受賞しました。実際にチェルノブイリ原発事故に遭遇した人からの聞き取りをして書かれた作品です。 しかしその本の内容は聞き取りを事実通りには書いていないそうです。 「苦海浄土」というノンフィクション文学も、感動しながら読んでいます。これは 水俣病患者と共に歩み、自らも患った人が書いたもので、大佛次郎賞というノンフィクション文学の賞を受賞した作品であり、河出書房新社の世界文学全集に日本文学では唯一収められている傑作ですが、フィクションなのだと作者が証言してます。 後者を評した言葉として、これは石牟礼道子(作者)の宇宙で起きた真実なのだ、という言葉がありますが、実際ほんの千年もたてば、石牟礼さんが書き留めたことだけがこの時代の真実として歴史に残っても何も不思議ではないと僕は思います。 そんなわけで、事実とかフィクションという区別は、実はあまり重要じゃないのかも知れないですね。 (物語をノンフィクションと断言できる人)

2022-01-11

そう。 例えば三浦さんに簡単に騙されるなよ、という主旨です。 でも欠点はあって、三浦さんは優れた詩も書いているので、この批評では否定しきれないですね。 (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-11

すみません。詩作と投稿詩の違い、よくわかりません。 詩を書く行為と、詩を発表する行為(投稿含む)の違い、ということでしょうか? その2つが全く一致しないことは、アウトサイダーアートなどでは起きると思います。 もしできるのでしたら、完全に一致しないまでも、少しは一致したほうが楽しいそうな気がします。 (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-11

そりゃまあ、たまには書きますよね。 僕も書いてますよ。 (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-10

確かに、「詩についての詩」にも過去名作が書かれた事例はあるのですが、それしか能のない、それ専門の大詩人というのは思い出せません。 だれか居ましたっけ? 素人ポエマーにはいるんですよ、コレコレの詩が素晴らしいだの、ここにはコレコレの詩じゃないのばっかりでつまんないだのと、阿呆みたいなことばっか何十年も書いてて、自分自身はちっとも成長しないゴミみたいなやつが。 (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-10

この批評作品の内容に意見がないなら、ここに何も書かないでほしいです。 ここで私はあることを述べました。 何を述べたかわかりますか? (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-09

あ! やっぱり。。 じゃあこの作品とは関係ないのですね? それでは少し冷却期間をください。 来週以後、私信でやり取りしましょう。 (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-09

誤字が多くて失礼しました。 質問した理由は、あなたが私の書いた批評を誤解してる可能性があると感じたからです。 この場合の対象(つまり「あなたの詩作」)に他人が感動したりするのでしょうか? 文脈上、そうおっしゃりたいようにも思うのですが、確認させて頂きます。 (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-09

きょこちさんからは、上記コメントの前に私信で自分への批判なのかとの問い合わせを頂きましたが、お答えするのを断り、疑問があればコメントとして書いてくださるようお願いしました。 理由はこうしたことについては、他人から見えるところでの、形に残すやり取りしかしたくないからです。 まずはお願いを請けて下さり感謝します。こちらにコメントを頂いたので、あわせてお答えします。 この批評は詩論を述べたものであり、あなたを批判することを念頭においていませんでした。 私にはあなたのどの作品がこの批評にを批判と受け取るのか、わかりません。 しかし、あなた自身がそう感じたのであれば、私とあなたは詩作についての考えが異なる、ということだと思います。 あなたが私がここに書いた批評作品の文意を正確に理解したと仮定して、以下を述べます。 あなたは対象(この場合、私が批判してるのは「詩作することについての詩」だけですから、あなたの書いたそうした詩作品が対象としている、あなたの詩作)が、情緒あふれるものとして描かれ、胸を締め付けられたり感動したりする人がいる、という主張をあなたはしているのですね? 違うのでしたら、ソレはなんなんかと、私のこの批評作品に対するコメントとして、なぜ違うソレについての話がコメントできるのかを教えて下さい。 違わないのでしたら、さらに私の考えを述べます。 (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-09

やっぱ現代詩カテゴリになってますね。 すみませんがこれは詩ではありません。批評です。 お間違いのないようにお願いします。 (詩作についての詩はやめたほうがいい)

2022-01-09

正しいかどうかわからないけど、思いつきました。ズレの説明。 詩を書くことについての詩を書くのは、傑作の詩を書けるようになるまでやめたほうが良いと思います。 そこに一線があり、その一線を超えて歩む人と、その一線を越えないでつまらない詩を書くことから動かない人がいて、どちらでも悪くはないのですが。 成長するひとは、詩を書くことについての詩なんか書きません。そんなヒマやエネルギーがあるなら、詩を書きます。詩を書くことについての詩ではなく、そうやって書かれた詩作品のほう。 一つ成長して方法論を振り返るまでは。 (Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん)

2022-01-09

インターネットが一般に普及し始める1995年の十年ぐらい前に僕は青年期に入ったのですが、インターネット普及より前から、いつも下手くそな詩を書いてる少女はいましたし、いつも下手くそな詩を書いている女子学生はいましたし、いつも下手くそな詩を書いている大人のお姉さんはいましたし、いつも下手くそな詩を書いているおばさんはいましたし、いつも下手くそな詩を書いているお婆さんはいました。 それが上手な詩を書くこともあったし、傑作を書くこともあったし、上手な詩を書く女性に成長することもありました。 そして僕はいつも詩を書いていたけど、それは別に特別なことではなかったので、彼女達も特別な人だと思っていません。 書く人は書くし、下手な人と上手な人はいるし、傑作も駄作も佳作もあり、成長もあります。 この作品は別にどこも悪くはないのだけど、何かズレを感じました。 多分、詩を書くことが特別なことであり、それが唯一の自己実現、みたいなことかも知れないのですが、それはそのようであることは理解できます。共感はしないけど、実際僕は詩を書いてきたし書かないということは考えられないから、上手かろうが下手だろうが書きます。 ズレは小さい何かで、非常に繊細だな。明瞭に指摘できません。 (Twitterによくいる下手くそな詩を書くおばさん)

2022-01-09

ちなみにこの作品はかなり良い作品だと自分では思っておりますし、そんなに暗くないつもりなんですが、「この作品は暗いな」と思った人にとっては読まない方が良い作品です。 それは断言できるな。 (獣のソネット)

2022-01-08

はい。まさにそんな事をお伝えしたかった。 暗い作品は読まないで、明るい作品だけ読む方が良いです。暗いのはたいてい駄作ですし。 いい加減なひとがカッコつけようとすると、だいたい無責任に暗い詩になるんですよ。 (獣のソネット)

2022-01-08

うーむ。これだと石を投げておいて、当たったひとに「なんでよけないんだよ!」と言うようなものか。。 まあでも、避けたほうがいいのは間違いないよ。 心の傷もバカにはできない。軽く見てると痛い目にあいますよ? (獣のソネット)

2022-01-08

どう返すのが、あなたのために適切なのかわからないけど、たぶん気持ちが落ち着いてませんよね? そういうときは、バナナ食べると良いのですが。 この詩と出会ったのは、たぶんあなたにはちょっとしたアンラッキーでした。 僕はもっと性(タチ)のよいのも書いているので、そっちを読めばいいのに、と思わずにおれません。 この詩には呪いも、苦痛もありますし、見た目ほど軽くもありません。 あなたは中途半端にしか解釈できないまま、無防備に呪いを受けます。 そういうタイプのテキストはザラにありますよ? そんなのは、むしろゴミというか、石ですね。数がありすぎて価値がない。どこにでもあるよ? こんなものではなく、もっとタチの良い作品を書くために人は努力も修練もするのだし、そっちを愛好することをおすすめします。 (獣のソネット)

2022-01-08

コメントありがとうございます。 たいていの哺乳類は可愛いですよね。 (獣のソネット)

2022-01-07

コメントありがとうございます。 僕は自分の世界観として、人間という生物は獣の1種だと思っていますので、少し戸惑ったのですが、おっしゃりたいことは何となくわかるような気がしました。 (獣のソネット)

2022-01-07

ありがとうございます。 生きるとは殺すことであり、また時には殺されることでもあり、と思います。 (獣のソネット)

2022-01-07

鈴木さん 素敵なレビューを書いてくださり、こちらこそ大変光栄です。 ありがとうございました。 (「死者はなにみて微笑むか。」~「泉」をよんで~)

2021-12-30

ところで、悪趣味な提案をしている人がいるようですが、あの作品をパスティーシュすることの可否に関わらず、合評を邪魔する行為として、作者としては不快に思っております。 できれば、提案を無視してください。 (「死者はなにみて微笑むか。」~「泉」をよんで~)

2021-12-29

鈴木海兎さん 拙作に丁寧なご批評を頂き、ありがとうございます。 あの作品に「涵養」という言葉を添えてくださり、作者もあらためて思うことが多々ありました。 詩作のかてにさせて頂きます。 (「死者はなにみて微笑むか。」~「泉」をよんで~)

2021-12-29

ご批評ありがとうございます。 タイトルのとおり、この作品はソネットとして作成したものです。 (獣のソネット)

2021-12-17

海、という視覚的に提供されるイメージと、「明日」などのリフレインが産むゆっくりした、波のようなリズムが、効果的に響き合ってると思います。 (明日、泣こうと思う (齧りかけの林檎 5))

2021-12-09

なお、それはそれとして、ファンタジーという言葉は、ここではフィクションということも含意していたのかもしれないですね。 なるほど、と思いました。 (小さな戸建てのファンタジー)

2021-12-09

そうでしたか。 これは方法論なので、余計なお世話である可能性が高いのかも知れないのですが、僕は詩の危険の一つは予知性だと思っています。 望まない未来を描いてしまうと、自分が心の底で望んでいることを知ってしまって傷ついたり、描いた場面に引き込まれたりすることもあると僕は思っています。 本当に余計なことかも知れず、詩作の方法は人それぞれなのですが、老婆心から申し上げると、そうした主題は小説で書くほうが安全なのではないか、と思っています。 聞き流してください。 (小さな戸建てのファンタジー)

2021-12-09

シチュエーションを想像したのですが、一戸建ての家を何度も買うのは大変なので、戸建ての家を去るということは人生で回数の少なめなことで、特段の感慨があるよなぁ、と思いました。 かくいう私は一度しか経験したことがなく、その家は埋められ、その家だけではなく集落ごと巨大な穴に埋められました。 その光景を見てから、僕は何年か、「穴」を主題にした詩を書いていたなぁ、と思い出しました。 この作品では撒かれた種が芽を出す前に語り手は家を去るのですから、さすがに廃村ってわけではないでしょうけど、何か本意ではない急な事情があったのかなあと思いました。 語り手は一つの音を聴き、それが何の音なのかはわからないのですが、いるはずのない他者の気配みたいなものを連想させます。でも語り手のほか誰もいない。 場面はそんなふうに拝読しました。 叙情は「ファンタジー」という言葉に集約されていってると思います。 おとぎ話、みたいな意味で受け取りましたが、諦めを前提に悲喜こもごもが自然と溢れ出て回想されるときの気分をまとい、無理なく流れていると思いました。 カタカナ書きでファンタジーと書かれたことにより、少し明るい語感があり、ちょっとだけ前向きな感じがして、それがこの詩の救いというか、良いとこだなぁと思います。 (小さな戸建てのファンタジー)

2021-12-07

こんにちは。 拝読して、遠いな、という感じがしました。 透明という言葉が使われているなど、もしかしたらその遠さこそが表現の中心なのかもしれませんが、叙情が鮮明に伝わって来ません。 例えば、 〉世界とひとつになれたような午後 というフレーズを、 「世界と一つになれた午後」 〉せっかく買った暖かいお茶も手に持ったまま を、 「暖かいお茶も手に持ったまま」 と、すると、いきなり伝わり方がダイレクトになると思います。 ここでは、修飾や説明の言葉が、イメージをハッキリさせるのではなく、逆に遠ざけてしまっているように感じました。 目指す表現が、むしろ遠さかもしれないとも思うのではっきり言えないのですが、私はそれはこの詩の欠点なのではないか、と思いました。 (無題)

2021-12-07

もしかしたら間違いではないのかも知れないけど、見た瞬間、「主席番号はないだろう」と思いました。 出席番号だと考えて拝読したのですが、感じの良い作品だと思います。 なんか、スカッと気持ちよく広がる、開けてるところがあります。 文の示す意味としては、何かしら心にひっかかることを気に病む、という事と思ったのですが、それとは矛盾した印象で、好きな作品です。 (主席番号四〇番)

2021-12-07

「さやかの後輩」 ねぇねぇね。 さやかの後輩がぁめちゃくちゃ天然。 天然っていうか純粋なコらしくて、 ふうん。うん。 うん。 (笑い) (笑い) (笑い、笑い) キャバクラの客引きに立っている 二人の若い女の笑い声が 遠ざかってゆき  そうか、さやかの後輩は天然なんだ   と、僕は思う 幹線道路の下をくぐると 早くも場末で もう人影もまばらだ さやかの後輩は 色白で胸の大きな 目の細い娘なのだろう と、星の下を歩きながら僕は想う 名前はきっと、アムリタ と言うのだろう アムリタ座、という星座はないが あっても良かった 純粋セックス、という概念について 僕は考え始めている 純粋セックスは、 純情セックスのようにむずむずしない 純白セックスや、純金セックスよりは ずっと気持ちいい 何だそれ、と思うころ 家について ただいま、という (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-06

ご批評ありがとうございます。 頂いたコメントは、私へのアドバイスも、友好の言葉も含まないように思いますので、こちらからのコメントは控えさせていただきます。 私自身、作品を批評するとき、作者がどう思うかは意識しないことが多いので、不満ではありません。 同じことの言い換えですが、私は私が書きたいことを書きたい手法で書きます。 あなたはお好きに読まれるとよろしいかと。 (泉)

2021-12-05

ありがとうございます。 ちょうど今、ペンネームの変更を考えていたものですから(変更するのをやめました)、拝見して、すごいペンネームだなぁと思ったのですが、初めまして、の方でしたでしょうか。 よろしくお願いします。 本作をよい作品と批評して下さり、感謝します。 私はいろんなのを書いておりまして、お気に召さない作品もあるかも知れませんが、率直なご意見を頂けると喜びます。 よろしくお願いします。 (泉)

2021-12-05

ご批評ありがとうございます。 よしおかさんの朗読は、僕はとても好きです。この詩だとどう読むのかなぁと思うととても楽しい。 もし機会があったら、朗読していただけると、非常に光栄です。 雨が激しくなってゆく様子の表現や、それが至る後半を評価してくださり、嬉しいです。 (泉)

2021-12-05

ご批評ありがとうございます。 死者への思いというのは、生きる、ということへの想いを通過して初めて言葉になってくる場合もあるのかも知れませんね。 雨が、いてもではなく、時によって死者への想いを連れてくるのは、雨が命への恵みだからかも知れません。 (泉)

2021-12-05

いえいえ、解釈も鑑賞も人それぞれ。感性が乏しいなどと言うことはありませんし、前半を面白いとコメントして頂き嬉しいです。 ありがとうございました。 (泉)

2021-12-04

ご批評ありがとうございます。 他を差し置いてタイトルにまでした「泉」について、この作品では明示的にも暗示的にも多くの言葉を書きませんでした。 何かの隠喩または象徴として、誰かの墓石の前にいる読者のどこかに、ほんの少しでも何処かへの通路へ続くことが伝われば作者としては嬉しいです。 言及して下さり、感謝します。 (泉)

2021-12-04

ご批評ありがとうございます。 率直なご意見を書いてくださり、深謝します。 (泉)

2021-12-04

ご批評ありがとうございます。 頂いた評を何度も読み返しましたが、読むたびに首筋に刃物が当たってるような気がして、ゾクゾクしました。 もちろん解釈も鑑賞も、詩は読者それぞれとなるものと思っておりますが、殺気を感じるほどの肉薄、深謝いたします。 (泉)

2021-12-04

ありがとうございます。 黒田三郎のあの詩の喧騒と静謐、素晴らしいと思っています。 ああした大技のレトリックこそが、詩的レトリックである!小手先で言葉をイジるのが詩のレトリックなのではない!と、男塾の江田島塾長の如く主張したい、とワタクシは思っております。未整理ですが。また、今に至るまで自己の詩論をまとめられていない僕のことですから、これから気が変わるかもしれないわけですが。 僕もあんな大技を決めて多くの人の熱い感涙を誘っておきながら、バスに轢かれて当の奥さんに激怒されたりする、というタイプのステキな詩人で有りたいものです。奥さんにはナイショですけどね。 (泉)

2021-12-04

すみません、付記します。 青い空を青空と書いたり、広い海を大海と書いたりすることは、情景描写の詩では避けるのが一般的に推奨されうる技術だと僕は思っています。しかしあえてそうした言葉を使う、セオリーに当てはまらない詩人も何人かはいると思います。 この詩で使用した「虚空」は、作者としてはクリシェを敢えて使用したわけではなく、意味と音で選んだ言葉ですが、削除して「泉の上」とだけ書いても外見上の文意は通じますので、通常は少なくとも片方は削除すると思います。 すなわち、ステレオタイプさんのご指摘は妥当なご意見と思うのですが、この作品ではこのままで良いと思っています。 この箇所で違和感を感じられる方は、テキストのマチエールとして、この言葉が選ばれてるとご理解頂けると幸甚です。 その上での好悪は、読者次第となることと思います。 (泉)

2021-12-03

ちゃんと五七五七七になってるところが律儀で良いと思います。 数えてみて、なんか安心しました。 (短歌一発)

2021-12-03

藤 一紀さん お嫌いとのこと。 光栄でございます(^o^) (泉)

2021-12-03

田中宏輔さん ありがとうございます。 この詩では、擬音が効果的に使えているのかどうかは、作者にとって大変気になるところですので、大変嬉しいです。 (泉)

2021-12-03

stereotype2085さん なるほどクリシェ。そういう意味でしたか。 ありがとうございます。 虚空というのは、例えば天空の城の「天空」とかと違って、ごくありふれたものと僕は思ってます。 しかし大げさな比喩を含まなくても、例えば青空について書くのに、「青空」がどうこうと書くのは、クリシェと言えばクリシェなのかも知れません。 そういう意味では、虚空という言葉にクリシェを感じるひともいらっしゃるでしょう。 僕はそういう意味でのクリシェは避けない書き方をしていて、青空のことを「青空」と書いたりしてます。それはスタイルですが、これまでに他の方からも、その選語はどうかと言われたことはあります。 ありがとうございました。 (泉)

2021-12-03

こんにちは、stereotype2085さん。 お久しぶりです。 ご批評ありがとうございます。 この詩は、いつか音楽の好きなひとに朗読して貰えたらイイな、と思っている作品ですので、読後感が良いとコメントして頂き、とても嬉しいです。 気になるところのご指摘もありがとうございます。 「の」を重ねた文体については、意図した表現ですが、効果があるのかどうかやデメリットについて、考えてみます。 「虚空(こくう)」についても、ご指摘、深謝しておりますが、もしよかったら、少し詳しくお願いします。 この言葉は「何もない空中」という字義通りの意味を示そうとして使いました。もしもそのまま「何もない空中」と書くと、説明になってしまい、後のフレーズ(何も見えない)と衝突してしまうので、ここは一語で示したかった箇所です。 作者としては、特に迷わずにこの語を使ったのですが、stereotype2085さんとしては、この語はどのように響いたのでしょうか。 (泉)

2021-12-02

エイクピアさん ご批評ありがとうございます。 泉と空と雨についての解釈、歴史認識への誘いというご感想、とても嬉しく思いました。 オノマトペも工夫したところですので、印象的と言っていただき、嬉しいです。 (泉)

2021-12-02

可愛いです! あとラストのいい加減ぶりがいい感じだし、そこへ着地するための伏線として「ねむい」が効いてる。 生きてると震えて眠らなきゃならない時も、わりと頻繁にあったりもしますが、そういう日はせめてプリンのように眠りたいものですね。 (ふるえ)

2021-12-01

『うちの娘』 うのもり、という町が近隣にあるが 平らな都会で森なんか無い 先月からそこに 僕が良く知っている若い女が住んでいる 「昔は鵜(う)が沢山いたってことかな?」 と、僕が言うと 「う、って何だっけ?」 と、妻は言った ウとは、 ペンギンと鶴の合いの子の姿の 黒い妖怪だったような気がする 「鵜が原っぱにいっぱい立っていてさ。 いっぱい過ぎて森みたいだった、とか。」 そもそも森ではなく、 巨大な鵜を祀った鵜の杜なのかもしれない 「みんなでUNOをやってる町 だったりして。」 と、妻が耳元でささやいた (「びーれびしろねこ社賞」 応募スレッド)

2021-12-01

お久しぶりです。 相変わらず良い詩を作りますね。 青いハンガーと、白いハンガーが視界の中で揺れる。 それら物体と世界と心の内面世界が繊細に響き合う。 味わい深いです。 (Thinking Thing)

2021-12-01

ありがとうございます。 丁寧に読んでくださり、幸甚です。 死もまた未知への冒険と考えて、ワクワクしながら旅立ちたい。などと、私のような悟りのない者が言ったら、とたんにウソがまじりますが、そんなふうな心境になる機会がありました。 一年に一つずつ年をとってゆくのにあわせて、少しずつ、気持ちを整えていきたいです。 頂いたコメント、詩作の励みにさせて頂きます。 (石)

2021-03-10

みちたいではなく、みたい、でした。すみません。 (宿場町の夏)

2021-02-26

文について私が思ったことを追記します。 まず体言止めが多用されてますが、上手に文脈が流れているので、これだけ多用してても意味を損ねない。効果としてはモノを際立たせる働きを感じ、物語との差異が際立っていて、それが詩作品としての佇まいにつながってると思いました。 それと、アメフラシが比喩としても効いている、と私は読みました。 当初生物としてのアメフラシをイメージし、それが「アメフラシみちたいな存在」という意味で比喩的なものに変化し、雨をも喚起して、またさらに変わって行きます。 その変化のスムーズさに驚きました。 安易な修飾語で記述していなことや、文に特有のマチエールがあること、それが語り手の生きるテンポをも感じさせること等も、詩的です。 私は別に小説が嫌いなわけではないのですけど、詩の言葉の在り方として、面白さを感じました。 (宿場町の夏)

2021-02-26

先日私は、女子美術大学の油彩等を含むアート系学部の展示で、あるアーティストさんが龍神を「作る」という制作を出展してたのに感銘を受けたところでした。 実在の土地に、目撃写真等とともに伝承その他のツールを総動員して神様を作ってしまう作品です。 最近、アニメの「むし師」を少し観てることもあって、感覚的に、神や精霊や妖怪を作る事にどこか惹かれていたところです。 この作品ではアメフラシという言葉に、何か宿るものがあったのを、読み進むうちに思い出すような感覚で、「確かにそんなやついたよな」と、思いたくなりました。 文の端正な手触りも、作品にマッチしてると思います。 ラストの思考も、私がたまたま「神を作る」ということに関心をもっていたせいか、それとも時代に通底するなにかなのか、わかりませんけど、親しく感じるところがあります。 人は妖怪の棲家なのかもしれません。 または、妖怪とともに生きるとき、自分の存在をよりはっきり感じるものなのかも。 (宿場町の夏)

2021-02-26

明るさと元気さ、詩作する喜びや驚き、詩の中で思い出(あるいは思い出の人の心?)と遊ぶ嬉しさ。 等などを感じました。というか満たされました。拝読してとても愉しいです。 僕も子供の頃、父のバイクのカゴに入れてもらったりしたなー。 等とも思いました。 生も死も思い出も空想も、狩ることも食べることも走ることも、全てが輝きを伴っていて、ベリーグッドであります。 (ピーティクル・パーティクル)

2021-02-25

ありがとうございます。 想像して鑑賞してくださり、作者として嬉しいです。 (石)

2021-02-24

細部まで、丁寧な読みをありがとうございます。 メイドイン・アビスは、最近ハマってまして、本作品はアビスからの影響を受けております。 引用ではないので、厳密な出典では示しませんが、「第2連はパスティーシュを含む」と、させて頂きます。 (石)

2021-02-24

【補注】 第2連は、「メイドイン・アビス」からのパスティーシュを含みます。 (石)

2021-02-24

最初の行からしっかり引き込まれる感じがしましたが、特にラストの不穏さが作品に迫力を加えてると思います。 (請求)

2021-02-24

足と散るの間には省略があるような気がして、足と横断歩道の間には関連があるような気がしました。 散ると浮かぶの間には、音では韻ではないのだけど、反復のリズムがあるように感じました。散ると「葉の」もそんな感じ。 冬の都市で、人々の足に蹴散らされながら、しかしそこを去らずその場所に舞う枯れ葉に、斜めから差す冬の真昼の光が、微細な振動の波のように踊っている情景を思い浮かべました。 綺麗な作品だと思います。 (粒子性を失った光)

2021-02-24

こちらこそ、読んで頂きありがとうございます。 (スノッブについての考察)

2021-02-23

なるほどと思いました。 思考は参照を伴い、参照は選択を伴います。そして選択は価値判断を伴いますが、価値は所詮、身勝手で不完全な主体がある瞬間にたまたま身につけているものに過ぎません。 ですので、「考察」などしようとする者は、自らがスノッブであることを免れない。と思います。 作者はその入れ子構造を自覚して、作品にヒネリなりオチなりを加えた方が良かった、と私は思います。 (スノッブについての考察)

2021-02-23

率直に言って、私には作品「クロソイド曲線」の良さがわからなかったので、この批評を期待して読んだのですが、やはりわかりませんでした。 批評の執筆者に共感できない、ということの方はこちらの感性に起因することだから何でもないことだと思うのですけど、できればどこを面白く思い、どこに感動したのか、ポイントが知りたかったなぁと思います。 批評文に記述されてることが、詩作品に書かれていることはわかります。 でもひとは、批評に書かれたそれだけで、詩に感動するものなのでしょうか? 何か、まだ語られてないことで、私が見落としてることがありそうに思っています。 (人にやさしい曲線)

2021-01-28

拙作へのご批評ありがとうございます。 作者が批評に対して語ってしまって良いものか、という疑問が私にはあるのですけど、それは封印しまして、お礼と若干の感想をコメントさせて頂きます。 まず私の考えでは、詩は作品自体が、作者にとっても全体は描き難い(ときには認識すらし難い)大きなヴィジョンを、一本の糸のような言葉で綴り、特定方向から描いたものですから、多様な読みは実際に可能であり、一見誤読のように見えても、多くのケースで誤読ではないという事が起きると思います。 この場合、第一の読みは、まず作品に使われた言葉を字義通りに解釈する、限定的な意味の確認としても、誤読とは言えないように思っています。 より深い鑑賞としても、この場合ヴィジョンとして作者が得ていたものの一面にフォーカスしていたという事を私は知っており、そのような深さまで読んで頂いたことを深謝しております。 そして第2の批評ですけれども、読者の中で作品の読みが変わることは、私も度々経験しており、自然なことだと思います。 第2の批評も言葉の意味するところの確認としても、ヴィジョンを経験した者からの感想としても、誤読とは思えませんし、書いてくださったことに深謝します。ありがとうございます。 最後にひとつ。 この作品のクセとして、エロティシズムというものが、作者も読者も含めた1人1人にとって、だいぶ違うものだという点が、この作品の受け取り方をよく言えば多様に、悪く言えば混乱して起こす。と、いう面もあると思っています。 何をエロいと感じるかから人によって違いますし、エロいと感じることを心地よいと感じる人も、気持ち悪いとか不快とか感じる人も、その許容度も違います。 火を消す指についても、指でなければならないのか、火消しの金具で摘むのでも良いのかは、おそらくそうした事も関係あるかと。 その上で、指で消す「女」についての想いも鑑賞者によって感想は異なり、あなたの第2の批評も、作者としては嬉しく拝読しました。 以上、作者がコメントして良いのかどうか、わかりませんが、感謝を伝えたいと思いまして、コメントさせて頂きました。 ありがとうございました。 (恥ずかしいったらありゃしない)

2021-01-28

ご鑑賞ありがとうございます。 僕は鑑賞されるのは好きなのですけど、ローソクのサイズと作者の横顔を並べた鑑賞を拝読しますと、流石に恥ずかしさというか照れのようなものを感じますな(笑) 昔僕は、踊り子さんの体よりも顔をじっと観てしまって、叱られたことがあります。 何にしましても愉しんで頂けたようで幸甚です。 (女)

2021-01-28

コメントありがとうございます。 とても嬉しいです。 私は男性なので、書きやすい男性視点で書きましたが、この作品ではタイトルがタイトルですので。この作品は女性から全く嫌われてしまうようでは、独りよがりなんだろうな、と思ってました。 ありがとうございました。 (女)

2021-01-28

コメントありがとうございます。 おそらく、水中を進む光のようなものなのかも知れません。 光はある意味直進しますが、場の影響で屈曲しますし、反射や分岐や散乱もします。 作者的には直球を心がけたのですが、男と女も(人生と性愛も)密度や温度がいろいろですから。 (女)

2021-01-28

エロティックなもの以外の角度へのご鑑賞、ありがとうございます。 殆どいつでもですが、この詩についても降りてきたヴィジョンそのものは大きな球体のようなもので、それをある角度から一次元的に言葉の連なりで記しています。 ヴィジョンには多様な側面や部分がありますので、読者によって受け取りも様々かと。 他所である方から、この詩は死と生に関する哲学的な作品だと言われまして、その時に明かしましたので、こちらでも記しますが、最初に言葉した瞬間には、「女の部屋」ではなく、「泣いている女の部屋」でした。 ご鑑賞ありがとうございました。 (女)

2021-01-28

コメントありがとうございます。 最終行について、何故カッコなのか(カッコ書きであることが良い感じだけど)、というご意見を別所である方から頂きました。 その時、他の行と視点が異なるから(死後の?/射精後の?)、このカッコは作者にとってはわりと必然なんですよ、とお答えしました。 その時の心境で感想がゆらゆら揺れそうとのこと、この作品にとっては光栄です。私も年中「女」が好きなわけではありませんし、様々な想いがありますし、人と人はそうしたものでしょうから。 (女)

2021-01-28

ご鑑賞頂き、ありがとうございます。 死の影をエロスの光に変貌させてくれる女性って素敵だな、と思います。お仏壇に向う寡婦にせよ、SMの女王様にせよ。または共に生きるふつうの女性にせよ。 比喩については恥ずかしいので自解はしませんが、自分では気に入ってます。ありがとうございました。 (女)

2021-01-28

大きくのびのびした詩で、素敵だと思います。宮沢賢治の春と修羅は、修羅のカメラで叙景してると思うのですが、この詩も不思議な視点で書かれていて、惹かれます。 アニメ「天気の子」も、ちょっと思い出しました。あれも好きなアニメです。 (海で)

2021-01-24

アで韻を踏んでるのですけど、なんちゅうとこで踏むんや!と、思いました(笑) アナルというものは、まだまだコレからのところもある言葉/イメージ/部位だと思います。言い換えれば、開発の余地のある冒険の舞台。 頑張っていただきたいなぁと思いました。僕は手を出しませんが。 (WANNA BE A DEVIL)

2021-01-24

静かで綺麗な詩だなぁと思いました。 海辺で死者を弔いつつ生きる人々、そして陸上生物たちの姿が、丹念に描かれてると思います。 (ひとりぼっちの、歌)

2021-01-24

個人的なことですけど、僕がイエスに感じる親近感の中で最大のものは、「マリアという名前フェチ」なんですね。 人を名前で好きになるって気持ちはよくわかるし、砂漠の聖人だからあんまりエッチな事は出来ないんだろうけど、デリ嬢をもし呼ぶとしたら、僕も名前で選ぶだろうと思うな。 詩的なものやインパクトはあまり感じなかったのですけど、アイデアが面白くてほっこりしました。 ヘンタイと認識しながらも、なんかちょっと好きになってしまうマリアちゃん(仮)がかわいいですね。 (ノリ・メ・タンゲレ)

2021-01-24

音について、感覚のみでしか話せないのに語ってしまい、大変失礼しました。 このあとツイッターで谷川俊太郎の「かっぱ」という詩の不思議な発音しやすさについてブツブツ言ってたところ、ある方からアドバイスを頂き、自分の無知を強く自覚しました。 少し時間がかかりますが、勉強してきます。今回は、勉強不足のまま間違ったことを書いた可能性がありますので、すみませんが差し引いて受け取って頂けると幸甚です。 >でも推敲した結果、中途半端な出来になってしまう事が多々あって、中々難しいですね… これに関連しそうな事が、ごく最近、私が同人らとやってるウェブ合評会でも話題になりました。 詩はあまり直してしまうと、悪いところがない代わり、ちっともおもしろくないモノになってしまいまう。 一見、ダメな所やムダな所がその作品の一番大事な良いところなのだ、と、先輩詩人に言われ、なるほどと思ったばかりです。 推敲し過ぎないのは大事ですし、なかなか難しいですよね。 (カルフォルニア・スウィング/河童肉付きぺりかん船便)

2020-11-02

拝読しまして、作者が意図して音読しにくくしたわけではないことを理解しました。 失礼なコメントに終わらせないためには、なぜ私が音読しにくいと感じたかを音素などから説明できると良いのですが、申し訳ないけど私には説明できません。 一読者の感想ということでお許しください。 (カルフォルニア・スウィング/河童肉付きぺりかん船便)

2020-10-31

追記です。 作者が既にリーディングについて語っておられましたけど、上記は未読でコメントしました。 これから拝読します。 それと、もしこの作品を読むとしたら、私には読みにくくても、朗読者がこれをスラスラ読むと独特の迫力が出ると思います。 (カルフォルニア・スウィング/河童肉付きぺりかん船便)

2020-10-31

こんにちは。 皆さんのコメントや作者からの返信をしっかり読んでませんので、重複があったらすみません。 以下、私の感覚で。 先ず黙読での読みやすさと、それに反する不思議なほどの音読でのよみにくさが並行しているところが、迫力とか引力みたいなのを生んでるように思いました。 黙読で読む限り、わかりにくい言葉も、つながりの不明な文節もなくて、すっと読めたし、イメージも青さと水で展開して、途中ちょっと河童からスイカで赤いイメージが閃いたりして、ラストも爽やかでしたし、なんとなく纏まる感じもあり、比較的読みやすい詩と思いました。 だけど声に出して読んだ途端、何なんでしょうか、この読みにくさ。 おそらく、作者が意図して発音しにくく音を配置したのでは、とも思ったのだけど、どうやったのか見当もつきません。 結果的に、一枚の絵であることを強固に主張するような作品になってるという印象を受けましたが、それがポップアートっぽいというか、タイトルにフィットしてる感じがしました。 驚きを感じたと言う事と、感じの良い作品と思った、というところであります。拝読しまして、私にとって面白い作品でした。 (カルフォルニア・スウィング/河童肉付きぺりかん船便)

2020-10-31

コメントありがとうございます。 ご丁寧な追記と訂正もとてもありがたいです。 僕は性格に難があり、もし文末が「?」のままだったら、「それ、俺に訊くなよ!」とレスポンスしたくてむずむずしたのではと思います(^^) 私は作品は作者のモノと思っておりますが、作品の解釈は読者のモノと思ってます。作者の意図は意図として実在はしますけど、あとからの作者の意見は作品を書き換えない限りは、作品に殆ど何も付加しないとも思ってます。 読まれてこその作品ですから、どのような解釈も大歓迎ですが、湯煙さんの解釈も、優しく丁寧な解釈でとても嬉しいです。 犬と語り手の存在が相通じる、そんな奇跡が必要な朝もありますよね。 ピックアップへのご紹介もありがとうございます。大変光栄です。 これを機会に、サンマのしっぽ、ネズミのしっぽ、タヌキのしっぽ等、しっぽの詩を書く方が増えるとイイナ(いや、どうかわかんないけど^^;) しっぽ詩談話会とか、日本しっぽ詩会議とか、しっぽ詩派とか、そうゆうのが発展すると、、、いやどうかな。そんなもんでもないか。 (犬のしっぽ)

2020-10-31

この作品、今月「犬のしっぽ」という詩を書いた私にとって、なかなかの問題作であります。 私ごとき小物が泰然とするのも相応しく有りませんから、どういう反応をしようか、などという小心なことをやはり思いますし、しこうしてしかりますに、読んでも簡単には(イイっすねー)等とかわせない作品ではありませんか。 ドキドキしながらコメントさせて頂きます。 先ずはタイトルですが、詩の形によって示されているように感じました。イメージしたのは、銀色にも見える灰色と、黒のしましまの、細くて長いしっぽです。 言葉の意味の並び代わりの流れを感受して、全体から受けたイメージも、猫のしっぽっぽい感じだなぁと思いました。猫のしっぽというのは、犬のしっぽよりは落ち着きがあり、ちょっとクールな感じだと思います。 この詩もそんな感じがしました。 無理に楽しい顔をしないで、感情はその時その時のあるがまま。マイペースで自分の現実を生きてゆく。 とくに2連後半の詩行からは、そんなことを連想しました。 (猫のしっぽ)

2020-10-28

ステキなコメント、ありがとうございます。 違和感や不思議さのようなもの(ちょっとした驚き?)と、それが納得される感じが、もし作品に宿っておりましたら、本作では作者冥利につきます。 コメント拝読しまして、嬉しく思っております。 (犬のしっぽ)

2020-10-28

ありがとうございます。 実は私も雨は苦手で、晴れた日以外は寝ていたいもんだと、常づね思っております。 犬はどうなんでしょうね。 もしかしたら、犬にとっては、雨なのに散歩に行けるというのは、ミラクルな楽しさなのかもしれませんが、この作品に登場する犬がそう言わないのは、なるほど僕も、杜さんと同じく、雨が苦手だからかも知れません。 短い詩ですが、いろいろ伝わって嬉しいです。 ありがとうございます。 (犬のしっぽ)

2020-10-28

ありがとうございます。 傘のところ、語り手の気持ちを想ってくださり、作者としてはとても嬉しいです。 ここは「と、○○に思った」とか「と、○○な気持ちだった」などなどのように、何かのコトバや客観を入れるか入れまいか、作者としてはかなり迷ったところです。 犬が嫌いな方にも伝わったと拝読しまして、ほっとしております。 (犬のしっぽ)

2020-10-27

コメントありがとうございます。 この「!」は、その形から、しっぽらしさを視覚的に出そうとした名残です。 ですのでご指摘のように、語り手の台詞にはつけていません。 効果のほどは自信が無かったのですが、少しでも読者の意識下に作用すればイイな、と思ってました。 細部まで丁寧に読み取っていだけて、嬉しいです。 (犬のしっぽ)

2020-10-16

コメントありがとうございます。 ご指摘の通り犬は喋りませんよね。 なので、「喋ったような気がした」というのも解釈としてあろうかと思います。 一方、世の中にはいろんな事がありますし、まして作品の中ですから、この犬に限って、実際に喋ったのかも知れません。そういう解釈もまた頷けるものと思います。 ありがとうございました。 (犬のしっぽ)

2020-10-16

コメントありがとうございます。 深く読み込んで抱けて光栄です。 私はこれまで黒か青か透明の傘を使用していて、緑色の傘を買うことは記憶の限りありませんでした。 この詩に出てくる傘は、たまたま先日、ゴミ捨て場に捨ててあった傘を見かけて、開いてみたらまだ使えそうだったので拾った傘です。 そんな由来で手元に来た傘ですから、朝持ってゆくのに一瞬の躊躇いがありました。 私は補色の輪は覚えていないのですけど、青と黄色は合わないな、とか緑ならあの黄色と合うな、という感覚は作成時にあったと思います。 なので直感的に、ご指摘のような配色への着目になったのかな、と思います。 例示を青にするか黒にするかは迷いました。青だと理が勝って固くなるかな、と思って黒にしたのですが、補色ということなら作者も得心がゆきます。 犬の色覚のことも、作者の頭をよぎった一つでした。 犬は散歩を喜んでいるのでしょうが、ここでは語り手と「しっぽ」がテレパシーで対話してる様子を描こうとしました。そこは解釈の幅かもしれませんし、筆が足りてないのかもしれません。参考にさせていただきます。 (犬のしっぽ)

2020-10-16

I(つまりは愛)とL(つまりはライター)で、もう一ひねり意外性なのが欲しかったなぁというのが身勝手で個人的な私の無い物ねだりです。そんなのは私がオッサン趣味だからで、このスッキリした作品でのIとLがぐっと良いのかもしれません。 不思議なことに綺麗なリリシズムが漂っている良質で気持ちの良い作品と思ったのですが、ラストのカフカが大きく効いていると思います。 (順列問題)

2020-10-15

たまたま私は今、久しぶりにパソコンでダンジョンを攻略するファンタジックなゲームをやってるんですが(18禁ではありますけど)、ゲームの主人公としてゲーム内にいるような感覚を毎日楽しんでいると、それはそれで一つの生活のような感じがしてきて面白いなあと思っていたところでした。 この作品にもその感覚に通じるような共感を感じました。 ラストの魔王をやっつけたいという想い、絶望の漂うようなのと、それと逆にスッキリした潔さみたいな感じを両方同時に感じたのですけど、私がエロゲーにハマる感じもそれに似てるかもしれません。ゲーム楽しいです。作者様は「一緒にするな」と思うかもしれませんが。 表面の現実との乖離の語りと同時に、ゲームを現実の隠喩として、また逆に現実をゲームの隠喩としても読めると思ったのですが、そうした迷宮性も面白いと思いました。 (敵を倒す)

2020-10-15

付記します。 すみません、作品を読み直してみて、「さんざん修飾語使ってんじゃん。」と、思いました(^^) この犬は小型から中型ぐらいの犬なんですが、この時、描こうとした場面では、犬はカッパにすっぽり包まれて、しっぽしか見えてないんですね。背中も足も顔も後ろ上方からは見えません。 それなのに嬉しそうな様子や元気な感じがハッキリわかりました。 犬がしっぽで感情表現するのは知ってましたけど、ここまでか!と驚きました。 そういうのをどうやったら描けるんだろう、と思いまして、三連と最終連を工夫したり、「元気に」「嬉しそうな」「明るく」などいくつか避けて、それらの感じを詩のボディで出せるかやってみました。の意であります。 作者にはそれが出来てるのかどうかわからないので、コメント拝読して嬉しかったです。 ありがとうございました。 (犬のしっぽ)

2020-10-15

ありがとうございます。 あのしっぽの動き、どうやったら表現できるのだろう、と思って、良い企みは思いつかなかったのですが、とりあえず修飾語などでの描写は諦めてみました。 いくらかでもイメージが表わせていれば幸いです。 ラストも迷いました。これで上手く行ってるのかわからなかったので、コメント頂けて大変参考になります。 (犬のしっぽ)

2020-10-15

ありがとうございます。 とても良いしっぽでしたので、伝わると良いなぁと思うのですが、楽しんで頂けたようで嬉しいです。 まどさんの感覚、僕も好きです。 まどさんの詩は不思議ですよね。 (犬のしっぽ)

2020-10-15

雪女が好きでして、タイトルを拝見して楽しみにこの作品にアクセスしました。 雪女っぽくて、良いなぁ、と思いました。 理由はわかりませんが、なぜか白いイメージがして、最後の血の赤さが綺麗です。 (雪女)

2020-10-12

最初から最後まで淀みなく、スッキリと纏まって印象が鮮明でした。 詩形も綺麗で良いと思います。 急に寒くなりました。 蛾や蝶の仲間には成虫で越冬する虫もいるのですが(例えばモンシロチョウ)、秋はやはり蛾の成虫の死ぬ姿が目立ちます。 その姿を哀れと言ってしまわない丁寧な抒情が良かったです。 (夜に迷う)

2020-10-12

こんばんは。 前半部分の呑んだくれを語り手の友人と読み、自殺未遂か転倒か、今は病院にいるその友人の悲運に触れつつ、半ばからはそれをきっかけに自分の大事なもの、そしてある一人の彼女へと抒情した作品と拝読しました。 語り口に一つの落ち着いた文体があるので、鑑賞しやすく、スムーズに流れている作品と思います。 残念に思ったのは、 ーそんなことを吟遊詩人とやらが歌っちまう世ん中で に至る三行で、吟遊詩人というのが今そんなにポピュラーではないと思いますし、誰なのか僕にはわかりませんでした。この詩は重くならないよう造られたポップな作品と思ったのですけど、ここで愛に関する一つの考えを否定するのは、この詩の流れでは大事なところと思います。 「吟遊詩人」という言葉で軽く逃したのはバランス上の工夫かも知れませんが、やはり軽すぎるというか、ここは決めどころだったのではと思います。 端的に言うと、吠えるなら吠える、みたいな。 それと逆にアスタリクスで強調したニ語ですけど、そこはまだ友人がお気の毒な状態にあることが第一に心配なので、そこでそのニ語にあまり集中してしまうのは、人生論的には前向きで良いのですけど、状況としてはまだ単語の強調で乗り越えるには数行早いように思いました。 勢いも流れもあるし、内容も転換があるので、全体としては良い作品と思います。 (ロマンティストの遊歩)

2020-10-12

こんばんは。 タイトルが良いなぁと思いました。 共感を覚えましたし、こんな風に端的なタイトルはすてきだと思います。 でも、この形でタイトル含めて3度繰り返すと、少し弱くなるように思いました。 それと、 ーとろとろと ーとろけてしまいそうな ーオーガズムの快楽 この母音Oのたたみけるような繰り返し、耳に心地よいです。 (もう一度あなたとセックスしたい)

2020-10-12

ありがとうございます。 自分でもこの作品は気に入ってます。 コメント、詩作の励みになります。 (犬のしっぽ)

2020-10-11

藤 一紀さん ありがとうございます。 この詩はボートに乗ってる時に着想したものですので、コメントを拝読して、なるほどなぁと思いました。 思い出すというのは案外難しいことと思うのですが、連想は自然に訪れ、記憶と、目の前の景色に色彩をもたらします。 ワンス・ア・ディという奇妙な名前ですが、おっしゃるとおりでして、薬の処方箋などに使われるイディオムだそうです。この詩を書くときは忘れていましたので、ご指摘頂いて作者ながらハッとしました。 ワンス・ア・ディは出処はあるSF小説のヒロインの名前ですが、一日一度どころか、ごく気まぐれにしか登場しません。 しかしこの詩を書くにあたって、作者は無意識に、一日一度、毎日会っていた少女にその名前をつける選択をしたようです。 (ワンス・ア・ディ)

2020-10-11

沙一さん ありがとうございます。 少女が少女として生きるのはほんの数年。思えば儚いものですが、その少女は、彼女の成人後も彼女の中に小さく生き続けるでしょうし、しかしそれは地母神のように巨大なものかもしれません。 コメント頂けて嬉しく思います。 (ワンス・ア・ディ)

2020-10-11

主題にしっかり集中していく作品と思いました。 ネコの入ってた袋の描写が印象的です。ここは余計な説明(その直喩的な解釈)なくポツンと置かれているため、隠喩として利いているのだと思います。 このネコのところに「孤独死はやだなぁ」みたいなことがもしも書かれていたら、この作品は台無しと思うのですけど、書かずに耐えきったため、後半と響き合ってると思います。 (生きるためにパイを焼く)

2020-10-09

手を打つ身体が消えて、手を打つ動作と音だけが残ってるような感じがして、面白いなあと思いました。 怖い感じもして、引き締まった良い作品と思いました。 (鬼)

2020-10-07

すみません。 引用先は動画じゃなくて静止画プラス音源でした。 (imagine)

2020-03-28

暗闇が欲しい 不可思議/wonderboy - YouTube https://m.youtube.com/watch?v=LSxZLd9pAUQ 僕が「ポエトリーリーディング」という言葉から連想するものの一つは、こういうのなんですが、これは音楽を使ってますし、作者のワンダーさんが自分を詩人だと思ってたかどうか僕は知らないけど、この動画の言葉にも彼が詩人の仕事をしようとしてるという、そんな想いは溢れてると思います。 で、ワンダーさんが善人なのか悪人なのかは僕は知らなかったし、僕は彼の動画が好きだけど、彼が善人か悪人かは気にならないというか、それはわかんないかなあと思いました。 み○らさんのこのイマジンって作品は、この「善人?或いは悪人?」が、ポイントの一つと思いましたが、うーん、どうかなあ、と。そこ、み○らさんが表現しはぐって伝わらないなんかがありそうかな、と思いました。 確かにポエトリーリーディングの場所には、わりと良い人が多いとは思うけど、このひとにあんまり舐めた態度とるとぶん殴られるかも知れないな、と思う事だって、ぜんぜん無くはないです。色々だと思うんですね。だから誰のどんなのをポエトリーリーディングっていってるの?と、いうのが引っかかりました(自解しないのは良いことだと思うので、答えは要りませんが)。 作品として、聴いて面白かったかどうかというと、面白かったです。イマジンを全然ダメに歌っておいて、ウイ アザピーポーで締める(締めてもらう)のも、よく出来てると思います。 でも評価ということなら、例えばワンダーさんとは僕もスラムで戦ったことあるし、この作品はポエトリーリーディングに「反」と一応は(この「反」は単純ではなく、作者的には複雑な想いがこめられてるとしても)言葉を出しているのだし、それに主題も上記紹介した「暗闇が欲しい」とかさなるところもあると思いますので、僕は個人的に上記とこの作品の脳内スラムをさせて頂きましたところであります。 結果は「暗闇が欲しい」の勝ちだったな。 俺判定で決め手になったのは、「突き抜けたところがあるかどうか」でした。 (imagine)

2020-03-28

非常にツッコミたくなる詩であり、その意味では実験性が高いのだと思います。 先ず、「いやいや、ちょっと待って下さいよ。4千回トライ練習してしまったら出ませんかね?」と、思ったのですが、 次に (一本指じゃ出にくいか) と思い、最後に 「でもなんでそんなハードル上げるのよ。」 とも思いました。 もちろん出にくくするため(失敗して偶然出るものの方に期待してるから)でしょうけど、何故、という想いは残りました。 少し落ち着いて読み直してみて、これは出そうとしてるのがシェークスピアであることがイマイチなのかも、と思いました。 もちろん作者にはシェークスピアである目的があったりなかったり、理由があったりなかったりするのでしょうけど。 (目をつむって右手の人差し指でキーボードを叩き、シェイクスピアを打ち出すまでの実験詩 実験No.4873)

2020-01-19

リズムが良いなあと思いました。 「こ」げた「こ」あら 「く」ろい「く」も など音そのもので韻を踏んでるところとと、口の形で、ということは母音の並びで反復してるところがありそう。 感じの良い詩だと思います。 (カンガルー森のうた)

2020-01-19

ふじりゅうさん コメントありがとうございます。 丁寧に読んでいだき、たいへん励みになります。 踊り子というのは、物理的にはそのへんのスーパーマーケットとか居酒屋とかにも出現してるはずなのですけど、実際そうであることを私は知りましたが、それでもある意味ではステージにしかいないものなのだと私は思います。ましてや私の詩の中になどなかなか降臨してくれません。 ところで、詩作する「私」というのも、ダンスするダンサーと似たようなものなのかもしれないな、と思います。 (ルビー・ダイアナのための28行の詩)

2020-01-19

沙一さん ご了解くださりありがとうございます。 出版業界的には(書籍の何行目かを示す際などは)私の数え方でも間違ってないのですが、詩作品を語るとき詩が何行でできてると言うのかについてだと、たぶん国文学関係の学会誌の投稿規定とかにあるんじゃなかろかと想像してます(汗) この場合、もし私の数え方が間違っていましたら、作者が間違った数え方をしたもの、という事で。 (ルビー・ダイアナのための28行の詩)

2020-01-19

沙一さん コメントありがとうございます。 ドキッとして数え直してみました。 この場合、空白行をカウントしてるんですが、例えばソネットを14行詩と呼ぶ場合、空白行は数えませんよね。 その数えかただとこれは「ルビー・ダイアナのための23行の詩」というタイトルにすべきだったのかもしれません。 どうなのか私にはよくわからないのですけど、「〇〇についての88行の詩」というタイトルで、88行分の空白が空いているだけの詩も実在しますので、この場合は作者は空白コミで28行と名付けたとご理解くださいませ。 (ルビー・ダイアナのための28行の詩)

2020-01-19

離さず引き込むことが入口。そのあとラストまでスピード感と情感をキッチリと指定している(ように読者の一人である私が感じる)。最後も無駄なく作品を読者に手渡して終わり、意味ではなく印象を残す。私にとってそんな作品で、拝読する愉しさがありました。 背後にいる作者の存在感と、作中で発話行為する「わたし」の不安定な存在感が、繊細に交錯する感じで、叫びとか苦しみとかが統御されて叙情に高まってるなあと思いました。 (盆)

2020-01-18

左部右人さん コメントありがとうございます。 空と飛行機を代表するもの、ある意味では象徴するものとしても読んで下さり、作者としては嬉しいです。 1、2は、本作品とは異なる作品と作者は考えているのですが、実は他にも同じヴィジョンからいくつも書きました。 私にとって何かしら重要なことがここにあったのだと思いますけど、書けたかどうかは心許ないところであります。 このヴィジョンからは離陸し、この主題についての、また別のヴィジョンが降りてきてくれる日を愉しみにします。 (飛行機 / テイク3)

2020-01-18

詩の雰囲気は明るめなのだけど、とても絶望的な状況にも思えます。 僕はこのところドストエフスキーの作品にハマっていたのですが、あの時代のロシア文学では病気や寒さはダメージが重くて、読者が油断してると登場人物が死んじゃうから、なおさらそんな風に感じるのかも知れません。 肺に穴があいてるのは比喩なのだろうけど、そのままそのお父さんの病状なのかもしれないし、比喩としても不吉な比喩で、彼に死が迫っていることを暗示として受け取っても良いのかもしれないな、と思って読むと、かなりハードな状況を背景とした叙情とも思えます。 希望が少ない状況で希望を見る作品としては、印象的で良い作品と思いました。 でもお父さんは身体的には問題ないのだとすると、少し表現が過剰なのかな、とも。 (家族の星)

2020-01-18

クイズとしての出来不出来から始めると、栽培経験がある自分としては、「スイートコーン」イコール「未成熟とうもろこし」であり、爆粒種とか餌料用とか色々アタマに浮かんだ上で、やっぱりこの問題はコレでなかなか良い出来なのではないか、アリなんじゃないかなと思いました。 問題とすると、「ー」は記号であって文字ではないのではあるまいか的なことだけど、真剣に考える間もなく答えが書いてあるから、「なるほどね」と、スルーして読みました。実際、そこがアリかナシかは僕はわかんないです。 とりあえず、コーンは誤答なのだとして読んでみて、作品としては「誤答も個性」的なものとしてむしろアリかも知れない、などと思いました。 なんでそんなことを言うかというと、僕はこの作品、わりと気に入ったからであります。 「え、それだけ?」って感じで終わっちゃうんですが、なんかトボケてて、読後感が良いです。 (個性)

2020-01-18

藤 一紀 さん コメントありがとうございます。 解題としても、ご紹介とても嬉しいです。ランボーについてはベルレーヌも想起すべき件、僕もそう思います。 たまたま気づいたのですが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の序文も、「もし気に入らなかったら2ページで読むのやめていいから。」的な事が書いてあり、「またまたぁ。無理してカッコつけちゃって。」と、思いました。 (フランス文学に関する俺の見解)

2020-01-05

石村さん コメントありがとうございます。 先日は私、大変無様で失礼しました。いろいろと反省しております。もっと真面目なひとにならねば。 この作品は巧まざるユーモアと申しますか、本当にたくんでないので、笑って頂けて嬉しいと同時に、笑っちゃうようなインチキ臭い僕であります(^^) (フランス文学に関する俺の見解)

2020-01-05

Snowmen911Snowmen911さん コメントありがとうございます。 画家にはときどきツンデレなのか、マジギレなのか、はたまたこれで本人としては至って真面目なだけなのか、という名言があって面白いですね。 デュシャンはいかにもやりそうですね。 観客へのディスは、あえて鑑賞する、という鑑賞者の能動性を触発するのかも知れません。 (フランス文学に関する俺の見解)

2020-01-05

僕はこれ、最高の傑作だとまでは思わないです。 ちょっと急いで書いてしまったのかな、と、思う。 でもタイトルを読んで、次に一行目を読んだ瞬間、鮮烈なビジョンに包まれて、僕が僕の脳内世界で独り言を言ってるのとは明らかに別の文脈(すなわち世界)に連れ出されますね。 なんだか大事な作品。 みうら氏が僕の作品について最近言った言葉ですけど、「丁寧な」言葉、丁寧な「見るということ」だと思いました。 (待降節)

2019-12-27

るるさん。 コメントありがとうございます。 あなたに読んでいただけて、僕はとても嬉しいです。 年神様かあ。僕はまだ来年の干支を知りませんが、確かにこの飛行機には何か搭乗してそうですよね。もうすぐ降りてくるかもだし、もうコッソリ来てるのかもであります。 (飛行機 / テイク3)

2019-12-27

藤一紀さん コメントありがとうございます。 この詩がこの詩なりに空を主体性の相で描けていれば、作者としてはとても嬉しいです。 この詩における死者たちの在り方、その分離と重なりについても味読してくださり、深謝であります。 読んで頂いて、しみじみと感じられて来たのですけど、この詩は私としてやはり、書かなければならない作品だったのだなぁ、と思えてきてきました。 (飛行機 / テイク3)

2019-12-26

いや、重ねて失礼。 亡くなった方を、作者が抱く詩的ヴィジョンの中で、作者が見ている。その作者の姿。(それを読者である私が感受さする)。 と、いう意味の事を記述しようとしました。 (あ、)

2019-12-24

失礼。誤字がありました。 ✕亡くなった方を捧げる詩のヴィジ ○亡くなった方に (あ、)

2019-12-24

これは死者に捧げる詩なのかもしれないな、と思って読みました。 私は、親族や友人が亡くなると、大抵それを契機に詩を書きますけど、しばしば後悔してます。良い詩にならなかった、とか、その人に似合わない作品だったとか、浅はかな言葉で書いてしまったとか、後悔も色々です。 そうした時や、逆に自分なりにはよく書けたと思うとき、よく立ち返っている基準のようなものとしては、「自分は、【捧げる】ことが出来ていたかな?」という、振り返りがあります。 捧げる、という事が何なのかというと、自分でもよく整理されてないので、迷宮めきますが、「余計なことを言ってないか」、「全力、全技術を尽くせたか」、「無言で手放せるか」みたいなことに言い換えることができそうな、僕なりの自分用基準です。 例えば、「ご冥福を祈ります。」という言葉が私は嫌いです。親しい人が亡くなった時には、出来れば言いたくない。 それはあたかも、生きてる自分が冥界について何かを知ってるかのようで、ウソがある空っぽのレトリックで、そんなことは「捧げる言葉」にはなってない、みたいな振り返りを僕はする(してしまう?)のです。 この詩は物理的な現実存在としての作者としては、自己の心情を吐露したものかもしれないし、作品化したものかもしれません。そこは預かり知りません。 でも私がこの詩を読んで、自分に伝わってきたと思うのは、そういうことではなく、亡くなった方を捧げる詩のヴィジョンの中で見ている作者であり、これは捧げる詩としてイイナ、と思いました。 (あ、)

2019-12-24

すみません。 アーティスト・ステートメントを兼ねて追記します。 この作品が想起しているのは、ロートレアモン「マルドロールの歌」、ボードレール「悪の華」、ランボー「地獄の季節」の3冊です。 「マルドロールの歌」と「悪の華」には、「読者」という言葉を使用した直接的な序歌があります。「地獄の季節」には直接的に読者への献辞と言えるものはありませんが、その第一歌の「悪魔」という言葉を読者の隠喩ととる解釈が可能と思います。 (フランス文学に関する俺の見解)

2019-12-20

藤一紀さん コメントありがとうございます。 私には、うずくまるものへの想いは「最終形態」への思いなのだ、という感じもしますが、そうではない、という想いもあります。迷宮というのは、誘われる思考で、そういえば生命とは迷宮のようなものなのかも知れません。 理由はわからないのですが、コメントを拝読して、墓石というのもうずくまるモノだよなあ、とイメージが拡がりました。 もしこの詩の3を書く機会があれば、墓地の風景を書きたいな、と、今ふと思いました。 (うずくまるもの)

2019-12-19

stさん コメントありがとうございます。 おっしゃるとおり、フランス文学にもいろんなひとが登場しますな。 ロートレアモンとボードレールは直接「読者」という言葉を使ってますから言わずもがなでしょうけど、ランボーについては、僕は「地獄の季節」の第一歌に出てくる「悪魔」を読者の隠喩と解釈しています。それを詩集のなかで「季節の上で死滅する人々」とか色々と言い換えてるのかな、と。 (フランス文学に関する俺の見解)

2019-12-19

失礼。誤字でした。 ✕栄誉 ○栄養 (うずくまるもの)

2019-12-18

真清水るるさん コメントありがとうございます。 僕はるるさんの詩が好きだし、長年に渡ってチラチラ拝読させて頂いたので、色んな良い影響を受けてますし、着想の栄誉も頂いています。 この詩は直接るるさんに捧げる作品ではありませんが、この詩を書くに至った思考過程には、るるさんのお名前の「る」という文字の影響はかなりあったと思います。 「る」と「の」は可愛らしくて僕も好きなのですが、どうもうずくまってますよね(笑) なかでも「る」は、うずくまるだけではなく「の」より動的でちょっと面白いです。 あなたのペンネームをみながら、そういうことを長年(ときどき)考えてました。 そう言えばるるりら作品にも、うずくまる「る」を主題とした作品があったような気がします。記憶が定かじゃなくてすみませんが、もしあったとしたら、この詩の根っこには、その作品からのエネルギーを貰ってます。 (うずくまるもの)

2019-12-18

おー!鮮やかですね。 途中、イキナリ分断されてる女の子が登場して、飛躍とか驚きがありますけど、光と影で分断されてるみたいに見えたって教えてくれてるのも、後半の自己の主体と客体への分断のイメージまで連れてってくれる助けになって、いい感じでした。 (ビキニアーマーの女戦士にはなれない)

2019-12-17

金属の中で、銀というのは独特の魅力があり、私も好きです。金や銅やプラチナも好きですけど。 この詩は、冷たいとか、蒼いとか銀の特徴を捕まえて、さらに水にとけ、涙などの体液にとけこみ、と銀のイメージの展開を面白く思いました。 横に読むと銀銀とかののとか、2文字並びに目を引かれ、それもアクセントになってるなぁと思いました。 (聖銀 (※右からお読み下さい))

2019-12-17

stereotype2085さん コメントありがとうございます。 過日、Bレビにおける私の代表作10をめぐる放送をして下さったケイセイさんが褒めてくださるのですから、拙作の中では出来の良い方なのかも知れません。 またはケイセイさん的にヒットする何かがあるのかな、と嬉しく思います。 ちなみに私はオーディエンスに対してはヤザワ流です。 アナタがた最高デス! 最高のアナタがたに楽しんで頂ける、ヤザワ最高デス。 みたいな。 ほんとかなー。ほんとですけど。 (フランス文学に関する俺の見解)

2019-12-17

たもつさん こんにちは(*´∀`*) お久しぶりであります。 たもつさんの作品を拝読できて、またこうして拙作へのコメントも頂けて、嬉しいです。 私も管理者ではなく参加者なのですが、たもつさんのご参加はとても嬉しいです。 このサイトもちょうど盛り上がるタイミングのようにお見受けしてます。 「強敵」と書いて「とも」と読む、少年漫画の心持ちで、詩を拝読できる愉しみはもちろんですが、月間賞におけるたもつさんのご健闘ご活躍もワクワクと期待しております。 どうぞごゆっくり楽しんでください。 頂いたコメントは、私も大事にしているところです。生きて、何事かを見て、書く。私にはたいしたものは書けませんが、行けるところまであるき続けようと思っております。 コメントありがとうございました。 (うずくまるもの)

2019-12-11

原口昇平さん コメントありがとうございます。 この作品は作者にとってもなかなか居座る作品で、実はまだこの時のヴィジョンに再トライしてみたりしています。 「誰も知らない」を引用して下さり、とても嬉しいです。 あの映画は、絵的にも私の好きな作品で、よく思い出しますので、この詩を書いている時にも、あのラストの風景は思い出していたかも知れません。 ですがご指摘のとおり、時代も違いますし、私とあの少年は生活も違いますので、等しく憧れることも、絶望する事もありません。 しかし私も飛行機を自分では作れない、という意味では未だ20世紀の科学技術も、ましてや現代の高度な飛行機も手の届かないものであり、その意味では現代人は等しく現代文明を理解できないまま生涯を終わるように思えて、そこに寂しさや疎外感のようなものを感じます。 その感情をテコに、文明というモノの残酷さと私なりに対峙できないものか、等と思いつつ、テイク3を試みたりしています。 おそらくこうした事の発端は、今年亡くなったともちゃん9さいさんに導かれて、不可思議ワンダーボーイの描いた「銀河鉄道の夜」の世界へと思いが巡り、そこから触発されたのかなぁ等と思っています。あれは一つの文明論だと私は思うのですが、私にとっての文明論はまた違ったものになるのですが、どうなるのかな、と。まだ自分にも答えが見えてないようにも思うのですが、このテイク1で、端的には既に書けてしまっていたのかも知れません。 (飛行機(テイク1))

2019-12-11

曇鸞さん コメントありがとうございます。 深く味わって下さり、詩作の励みになります。 (うずくまるもの)

2019-12-09

個性を感じます。 想いをきちんと言葉にできていて、こちらに伝わって来ると同時に、書いた人の存在感がしました。 ただ私が思ったのは、これだと思考が自分を苦しいところへ向かわせてるように思いますので、感情はあるがままにしても、やはり思考は状況を打破することに向けたほうが良いのではないか、と感じました。 もちろん書かれていないこともあるでしょうから、総合的に考えれば、この思考が賢いのかもしれませんが。 (怒りの矛先はあくまで内向きに)

2019-12-09

曇鸞さん コメントありがとうございます。 この詩はテイク2もこちらに投稿させて頂いたのですが、既にテイク3まで書いております。 私にとってなかなか難しいところに触れている作品のようで、長い旅になりそうです。 「文明」という言葉から深く読んでくださったり、さらにイメージを展開して下さったりして、ありがたいです。 (飛行機(テイク1))

2019-12-08

沙一さん コメントありがとうございます。 出発の緊張からリラックスまでへの旅を共にして下さり、嬉しいです。 (うずくまるもの)

2019-12-08

みうらさん コメントありがとうございます。 丁寧に書くということを考察/評価して下さり嬉しいです。 おそらく、筆者は目に映ることを丁寧に見ることを通じて、詩作をしようとしてます。 (うずくまるもの)

2019-12-08

冒頭、  麦茶の入ったコップ達とぼくは、冷や汗をかいている  きみは緩い服を着て  這ってくる この部分、表現が面白く、上手いなあと思いました。 ホラー映画的な作りというか、気配だけで「君」の外側を描き、接触や接近だけで、その意味を描くのも面白いです。猫の暗示も効いていて、ドキドキ感がありました。 後半の余白は効果的ですけど、そこに頼りすぎていてバランスを崩しているようにも思いました。 (這う詩)

2019-12-08

私の知らない事がいくつも書かれていました。 風函、ストリートオルガン、「私が聴いていたあの音」、風の本、迷子を探すための地図、風使い様。 そうした事が語り手には身近である感じが伝わり、エキゾチックな魅力を楽しみました。 少し離れた距離からしか伝わって来ない物語のようなものを、それらエキゾチックな言葉たちが届けてくるように思ったのですけど、その物語の中では、文字が書かれていない風の本を読む子が、本を文字が書かれたものとして読む「風の本がいらない子」たちの隅っこで、寂しげにしているように思いました。 でもただ寂しいだけじゃなくて、その子だけしか聴いていなかった、貴重な音もあるんだろうし、それは美しい音や声であったようにイメージしました。 (風函(かぜばこ))

2019-12-06

読んでいて、一人の人間が酷い暴力にさらされ続ける感じをイメージしました。 理屈では逆に暴力を振るうイメージも、集団的な暴力の起きるイメージも抱けたはずなのですが、なぜか私の中ではイメージが確定し、不思議な技術で、よく仕組まれた詩だなあ、と思いました。 私の勝手な印象かも知れませんが。 最後の方で裏方のようなものを垣間見るのですけど、あまりはっきりとは意味はわからないです。幻聴なのだろうか、とも思ったけど、確定せず、チラリと見える感じです。 でも、何か、そういう事があるんだろうな、と、いうリアリティがありました。 (おのまとぺ)

2019-12-06

失礼。タイトル誤読しましたm(__)m このタイトルは、良いタイトルと思います。 (Human in the drum)

2019-12-06

バレリーナの缶詰は、面白い着想だと思いました。 缶詰に限らないけど、私は加工食品には、調理された食材と共に、それを作った工場労働者の人生も一緒にパッキングされてるように感じるときがあります。 このバレリーナ缶にも、バレリーナの身体と一緒に、生きてきた時間もが入っているように想像しました。 ですが、このタイトルは、タイトルとしては面白いのですけど、作品を弱めているようにも思いました。作品の印象がズレてしまうように思います。 (Human in the drum)

2019-12-06

ひじょうにくっきりとして印象を遺す、個性的な作品だと思いますし、行間という言い方がありますけど、作品の背後に感じる率直な人柄が好きとでもいうのか、あるいは、言葉から香りたつ人間性みたいなものがとても心地よいとでも言うのでしょうか。 私の好みの詩です。 この詩は言葉の選び方や活かし方も、上手く、特に主題である「しるし」の不可解さも、私秘というものと神秘ということの混ざり合うようなところへ連れて行かれるような感覚を引き起こしていると思います。 総じて切ない抒情を感じます。切なさが抒情として作品に宿るときに、こんなふうに一種の美を湛えるのは、イイな、と思いました。 (私のしるし)

2019-12-06

読者によって解釈に幅がある作品かもしれませんが、一連目、私は約束と植物が譲り合う、というように読みました。 タイトルの中にある石油という言葉が「約束」と結びつき、水が植物と結びつく感じです。 仕事と休息の混淆した、部屋での一瞬、という風に読んで、それがトゲトゲしくない、こんなふうなテイストで表現されてるので、雑念がはらわれて日常を直視するような感覚に誘われました。 (石油、ときどき水)

2019-12-05

年を取るとひとは思い出を語りたがるのですが、詩ではそれは失敗することが多いと思います。 ひとが過去のことを覚えていられるのは、ひとというのが、過去の痛みを素早く、自動的に忘れる生き物だからなんですね。もしそうでなければ、とても覚えていられません。 なので、過去を抒情するのは、人間にはあまり向いていない作業なのであります。寺山修司は、距離を取らず、過去をそのまま抒情するけど。 この詩の良いところは、そんな寺山からはるか遠い立ち位置に諦め、今のココロで抒情してるところだと思います。そのほうが、ずっと成功率が高いです。 なので、方針としては良いと思うのですけど、でもなんというか、作品の迫力としてはイマイチかな。面白みみたいのがあんまり無いです。 (どうでもいい沢尻エリカと寺山修司記念館までの旅路)

2019-12-05

ピシッと決まっていて、しかも動的です。 スリリングでイイな、と思いました。 鬱蒼としげる植物からは、なぜかこちらが見られているように感じます。 それはもしかしたらこんな事だったか、と思いました。 (葡萄葉)

2019-12-05

穏やかでメロディアスな哀しみを感じました。 私はサザンオールスターズの「私はピアノ」という曲が好きです。  ひともうらやむよな仲が  いつも自慢のふたりだった  あなたとなら どこまでも  いけるつもりでいたのに この詩はその歌みたいな良さがあり、かつ音楽を使わずに、言葉だけで表現しています。 こうゆうの僕も書きたいなぁと思いました。 「私はピアノ」が失恋の唄であるのに対して、この詩は死別を感じさせる作品なのですが、別れには叙情って必要な時があるよな、と思います。 (いるのですか?)

2019-12-05

とても上手だな、と思いました。 前半、いかにも歯医者氏っぽくて、そのいかにもさが可愛くかつちょっと恐いです。 タイトルが平仮名なので、歯医者さんに落ち着かず、後半へも繋がるし、なるほどこれは怖いや、とも思いました。 (はいしゃ様)

2019-12-05

非常に美しく、鮮烈な詩だなぁと思いました。 いい澱みがなく、突き抜けてると思います。 (瞬きの蒼空)

2019-12-05

「この場所」がどこなのかが空白になっている。 何らかの効果のために意図的にそうしたのだろうと思いますが、なんのためにこうなったのか、私にはわかりませんでした。 かつてネットでは、詩の中心部分を空白化する事によって、読者がそこに様々なものを持ち込む。なので解釈が広がる。という論者がいたのですけど、そういう事ではないという好例かなぁと思いました。 空白は空白として謎のまま存在し続け、空白があるからって、読んだ人がそこに何かを入れたくなるわけではないのだと思います。 戦後期シベリア帰りの人で、許されざることをして生き延びた詩人のなかには、核心を隠蔽する事により強烈な詩情を発生させた人がいましたけど、自殺同然の亡くなり方をしました。 語れないことは空白になります。それは詩では必然であり、空白のまま作品として完成できるし、それによって鮮烈さに至るケースもあると思うのですけど、この作品では詩情を阻害してると思います。 (crow)

2019-12-05

このタイトルで、ラスト「市役所」と言うのがびっくりしました。 ご無事を祈りますとともに、それはのっぴきならないなあ、と思いました。 鬼と蛇では、よく口をついてでる言い回しでありながら、リアルに想像すると確かに困ったものであります。どっちも嫌です。 淡々とした運びの中に、そうした機知があり、楽しんで良いのかどうかわからない主題ですけど、みんな大変だけど明日も頑張ろうね、みたいに思いました。と、いうか正直楽しいです、こういう詩。他人事だからだろうな。自分なら大変。 (流出事故)

2019-12-05

拝読していて、とても心地よい詩でした。 奔放に展開する、複数の豊かなイメージが、バラバラにならずに重なって言って、奥さんの事をちょっとなのか深刻になのか、心配したりしながら旅をする一人の男の心情がそこはかとなく漂い、味わい深いです。 何故か能登半島の海辺を歩きたくなりました。 (稚内)

2019-12-05

いきなり読者に、ポンと丸投げするような詩だな、と思いました。 私は丸投げタイプの詩がわりと好きなのですけど、この場合、個別具体の奇形のイメージがなく、概念としての奇形が手渡されるので、「うん、まあ奇形ってそうかも。」と思いつつ、なんか戸惑いもしました。 概念って、一個一個が、具体的なすべて(例えば宇宙)より大きいじゃないですか。思考や歴史の中にあるから。 この詩も面白いのですけど、ちょっとデカすぎるかなあ、と感じました。 (奇形)

2019-12-05

いい詩だな、と思いました。  ある意味才能と呼べた というフレーズだけ、引っかかっているのですが、どうなのでしょう。そこだけ浮いて見えます。 この「ある意味」は、無いほうがスッキリするようにも思います。意味的には、独特の着想をするなら、それは才能に決まってるのですから、ある意味、と限定するのは奇妙に思えます。また、「言えた」も同様に違和感がありました。 しかし、その次の行の「差別」は良いと思いますし、そこへと流れを捻じ曲げていくのには、この「ある意味/言えた」が効果的なのかも知れません。 別の言葉や仕組みで、同じ効果が出せるなら、そうするとより良いようにも思いました。 (自由について)

2019-12-05

言葉の使い方が寓話風なところが面白かったです。生身の人間の生活の匂いがしない、言葉の使い方だなあ、と。 そういう言葉で統一されてる感じがしたのですけど、その効果として、軽さや美しさが出ているのかな、と思いました。 ラストの軽暖という言葉は私には耳慣れず、文脈からも意味を取りにくかったです。 この言葉にすべてを背負わせる書き方ではないように思いますが、カナメの一つではあるように思いました。 祈る偶像というか相手先みたいなものは、もはやひとではないという展開があるので、「あなた」は「冬」なのかな、と思いましたけど、すっと読んで腑に落ちません。 タイトルの「詩情」というのが重すぎて、解釈に誘われないのかも。 タイトルが例えば「小春日和」とか、「冬」とかであれば、より腑に落ちるかもしれません。 (秋の詩情)

2019-12-04

中程さん コメントありがとうございます。 参考になります。 (飛行機(テイク2))

2019-11-15

藤一紀さん 一つの事件に対して、2つの解釈と印象を同時にいだく、という事は、日常生活でしばしば経験するように思います。 その発展形として、「一つの対象を2つの主観で感受する」ということを考えると、一応は作者としての説明になるように思いました。 地球上の何処かに二人の男がいる。一人はテイク1の抒情、もう一人はテイク2を想った。と、仮に受け取って頂けると作者の意図に近いかも知れませんが、この二人は二人とも私でもあります。 読み込みありがとうございました。 (飛行機(テイク2))

2019-11-15

失礼。 渡辺さんのコメントへのレスですが、文明のことろではなく、「空を諦めるまい」ですね。 私の中ではつながっていたので誤記になりましたが、フレーズとしては、仰るように、その一語を変えると違うかもしれません。 ありがとうございます。 (飛行機(テイク1))

2019-11-14

藤一紀さん コメントありがとうございます。 あどけない空、良いですな、やはり。私も好きです。 おっしゃるように、私も文明というものは、時々、個人のはかなさや、個人の運命の寂しさを感じます。 私は発着所からあまり遠くないところに住んでます。そんなに近くもないけど、国からお金が出て窓が防音になるぐらいは近くて、積み重なる想いの反映もあるのかもしれません。 (飛行機(テイク1))

2019-11-14

渡辺八畳さん コメントありがとうございます。 なるほどと思いました。詩は難しいですね。描写の少なさが、ここではラストの明るさを表現する効果になることは、気づきませんでした。 文明という言葉や、そこへ意識を持って行くことはそれを引き下げてしまう効果を持ちますね。 頂いたコメントを参考に、もしかしたら後日、別の仕組みで、二者への想いを整理した別の作品をつくるかも知れません。 (飛行機(テイク1))

2019-11-14

藤一紀さん、るるりらさん。 私は優柔不断で、いくつものバージョンがある作品が多いのですけど、この場合は、作者としては改稿バージョンではなく、ふたつとも完成作と考えてます。 それにしても、参考になります。 もしテイク1からテイク2の詩情や主題が読み取れるのなら、テイク1の方が出来が良いということになるかなぁ。やはり。作者的にはバージョン違いではないつもりでも、バージョンとして読まれるという事かも知れませんし。 そう考えて見直してみると、テイク2の方が説明が多いのではと思うのですが、無くてもよい説明をしてる言葉があるのかも知れません。 (飛行機(テイク2))

2019-11-14

るるりらさん コメントありがとうございます。 るるりらさんのイメージとは違うのかも知れませんが、るるりらさんの上記コメントは、ビルの谷間から見上げても、通ってしまうのでは、と思います。 たぶん空の大きさが違うのかな。 テイク1の方が空が大きく描けているのかも知れません。 (飛行機(テイク2))

2019-11-14

/舜舜さん コメントありがとうございます。 そういえば銀河鉄道999という漫画のイントロにも、少年が自分とは無関係に旅立つ宇宙船を見上げるシーンがあったような、なかったような。いや、あれは着陸だったかも、と、今、ふと思いました。 ご好評に頂かり、幸甚です。 (飛行機(テイク1))

2019-11-13

ふじりゅうさん コメントありがとうございます。 発展性がないとのご指摘に、なるほど、と思いました。 閉塞感や圧迫感を表現するときも、発展性ということをヒントに、突き抜けた感じにもなれるのかもしれません。 今後の糧にさせて頂きます。 (飛行機(テイク1))

2019-11-13

こんにちは。 視線ということから、視る/視られる、の関係へと思考を誘われますが、この詩では少し違う、大気圧とか重力みたいなものを感じました。 「反転」を挟んで、前半では他者など自分ではないものの視線に満ちた世界が感じられ、後半では語り手の視線が世界に向けられて様々なモノを捉えていると思います。 しかし、前半では視線は強烈な力で有刺鉄線のように、こちらを縛り付けてくるように感じましたし、後半でも、世界を語り手の視線が従わせるかに見えて、でも見たいと思うような風景ではなく、美しいのだけど、孤独とか哀しみがあると感じました。 なんかどちらから見ても絶望だった、みたいなことも感じて、これは苦しいなあとも思ったのですけど、最終連に向けて、少しずつ開放されていく感じもしました。 目を瞑るということが、視る/視られるの関係から逃れる機会になる、そういう知恵とか気づきということもあるのかもしれないよね、という想いも重なりました。 (反転)

2019-11-12

おー。テキストで読むとあまり波を感じず、平板にすら見えたのですが、聴くといきなり陰影がついて、ぐっときました。 それからまたテキストを見ると、奥深く違って見えます。 どうしようもない時はあるけど、そんなときにどうしようもない事についての歌を聴くと、ちょっと、ガンバロ、とか思ったりします。そんな何気ない良さでした。 (どうしようもないときの歌 )

2019-11-12

沙一さん コメントありがとうございます。 私は飛行機の詩をいくつも書いてきたように思うのですが、そういえば(少なくとも表面的には)ほとんどが着陸の詩だったように思います。どうしてだろう、と考えてます。 離陸も良いテーマですよね。 この詩をある意味では離陸と解釈して頂いたのは、なるほどなあと思いました。 ありがとうございました。 (飛行機(テイク1))

2019-11-12

すみません。 一行目はタイトルです(うっかり重複しました)。 (飛行機(テイク1))

2019-11-11

ヤフー知恵袋に、「メランコリーとセンチメンタルの違いを、わかりやすく教えて下さい。」という質問があり、ベストアンサーは、 試してみたら メランコリックは息を吐き、喉の奥が詰まった感じ センチメンタルは息を止め、鼻の奥に力を入れた感じ でした と、いう回答でした。 この作品はメランコリックな気持ちと、センチメンタルな気持ちの間で揺れながら書かれているように思うのですけど、どちらかと言えばセンチメンタルを抒情した作品と思います。 僕の意見では、センチメンタルというのは未だ泣いてないのね。メランコリックというのは、泣きつくして涙は枯れていて、あとはささやき声しか出ません。 この詩に即していうと、作者がまだ童貞だな、と。(良い意味で) いずれにしてもそれは底流に流れる雰囲気のことで、詩のボディーを読みますと、1行目が効いてないですね。 1行目はタイトルのとの間で、様々な仕事ができるのですが、ここではタイトルのインパクトを逃してしまってると思います。 読んでいくと、性的な営みや繰り返されるものと、喪われたり忘れられてゆくものとの間で、一つのまとまりのある作品を鑑賞できるのですけど、冒頭1行が弱いので、全体が鮮明にならない。 それと、同じ構造なのだけど、「ものづくの神様」は、それに続く、面白い数行を弱めてしまってると思います。 全体を通じて、悪くないな、と。 でも、グサッとは来ないな、と思いました。 (はじめてのSEX)

2019-09-23

すみません、後半に、覚え書きのため貼っておいた詩作品の一部を、消し忘れてそのまま付けてしまいました。 作品全部でないこともあり、作者に大変失礼しました。 (ラファエロ)

2019-09-14

(3)作品「ラファエロ」の解釈と感想 冒頭のスタンザは、その表面的な意味が難読だ。 ①軌道から外れた惑星の旅が、終わっていく夜。②2019年の大晦日には、宇宙の隅で方舟が燃え上がる。 この夜、すなわち語り手の現在と、2019年大晦日は同じ時間なのか? 同時刻だと仮定しない理由がないから、同時刻と解釈するが、2019年末が読者と筆者の現在より未来であることと、もしも惑星というのがこの地球であるならば(違うと解釈する根拠がない)、既に現在から兆候が現れているはずであることから、違和感が残る。 第1スタンザには黒ヒョウなど重要と思われるキャラが登場するし、場面を描いたのであろうとは思うが、読者には言葉の表そうとする意味が伝わらない。宇宙の隅という言葉の意味も、理解できない。 しかも、作者コメントを参照すると、これは意図的に意味を脱臼させ、言葉の独立性や強度を上げることを意図したものではないようだ。 なので、私としてはこの第1スタンザは全てカットしたほうが詩として良くなる、と思いました。 次に目につくのは、作中に登場する「僕」だが、言葉の表面的な意味として描かれた作中の階級社会で、「僕」はどの階級なのか? そこもわからない。 ラファエロ、人々、奴隷、天使などが夫々描かれてゆくけど、「僕」がもし「天使」なら、この作品を流れる一つの情動を読み取ることもできる。 天使について、3行のフレーズが、2度あるが、「僕」が天使なら、天使階級だけをこんなに丁寧に描くのも、さもありなんと思うわけだ。 しかし、そうなのだろうか? どこにもそれを読み解くキーはない。 なので、「僕」の位置とともに、天使を語ることに語り手が熱心であり、しかしこの詩のタイトルが「天使」ではないことは、不可解なこととして私の中に残されました。 その他にも多々あるのですが、この詩は、意味を示すという、言葉の基本的な部分で上手くいっていない箇所が多々あると思います。 前述したように、言葉の行う仕事のうち、意味を伝えるという仕事には重きをおかず、他の仕事を際立たせる詩法もあり、それを歓迎しうる詩論もあります。しかし、それは作者がコメントにより、この詩の作成意図としては否定したものと思われますので、そうとすると、これら意味の取りづらさはこの詩の欠点である、と私は思いました。 また、この詩を隠喩として読むために、私はこれを近未来を描いた予言として受け取るのですが、そうすると狂王ラファエロは、どんな隠喩と解せるだろう?と、考えました。 もしも隠喩ではなく象徴であるならば、ラファエロはこの国を支配する権力を表しているとも読める。だが、隠喩として安倍晋三と読むのは、アベのお腹の出っ張りは格好悪すぎて、難しい。 そこでもっと私的な、実際には権力というほどのものでもない人物の比喩として受け取りました。王というのは大げさでも、何かのリーダーであり、ある空間を破滅に導くことも可能な人物なのでしょう。 ラファエロを解釈すれば、他の補佐的、または奴隷的な登場人物も解釈される。ただ、隠喩としては、これは像を結ばない曖昧な隠喩だ。誰を示しているのかわかないが、わからないことによる効果が感じられず、私はこの詩ではラファエロが誰の隠喩なのか、読者が解釈できるヒントを入れるべきだったと思いました。 全編を通じて、この詩には情動が不足しているか、流れが混濁しており、それが作品の鑑賞を難しくしていると思う。 狂王ラファエロの悲しみや苦しみを歌うなら、天使を嘆く3行2回はやりすぎだ。ラファエロにより齎された惨状を、人々の憎悪として歌うなら、「肖像を焼く」ではあまりにも弱い。 詩を書くひとの感情の流れのラインを整理し、そのラインを乱さないように再構築したほうが良いのでは、と思いました。 以上です。 それと、これまでの鑑賞のなかで、黒髪さんのコメントは、私は共感しました。そう読む読者も理解できます。 降り注ぐ火花を仰ぎ見ている黒豹。 僕らの差し伸べた手は、炎に焼かれて誰のもとにも届かず。包帯だらけの天使は、ガラス張りの天井を見つめている。誰が望んだのでもない結末。不幸せな血肉。片目を失ったバッドエンディング。 「幸せの余りをあげるよ」 かつてそう口にしたラファエロは、今では僕らを冥府へとエスコートする死神。天使の涙も枯れてしまった。憐憫も慈悲もない荒れ地。そこではヒビの入った墓碑が、粉々に砕かれるのを待っている。 天使の日々は無為だった。 天使の日々は徒労だった。 天使の日々は無駄だった。 「幸せの余りをあげるよ」 ラファエロ、あなたは夢の都へ人々を導くはずではなかったのか。彼の描いた天使は、血で汚れた羽根をもがれてなお、神を信じている。誰も望まないディストピア。誰も望まない終焉。 「幸せの余りをあげるよ」 ラファエロ、あなたは誰をも傷つけない理想郷を目指したのではなかったのか。彼の描いた聖人は今では、空を舞う天使を機関銃で撃ち落としている。誰がこんな惨劇を望んだというのか。 手放したはずの絵画にこだわり、手放したはずの画材を引き寄せ、誰にも絵を描かせない。誰にも自由を与えない。画廊では黒豹が飼い殺しにされている。 奴隷たちが涙ながらに、黒い太陽のもとを歩き、夢魔がわずかな寄贈品で、王でさえ操れると思い込む世界。わずかな捧げもので女王でさえ娼婦に出来ると盲信する宇宙。 天使は邪魔だった。 天使は目障りだった 天使は駆逐すべきだった。 誰もが疲れ果て、ラファエロがその饒舌で、天使を自害へと誘う独断の地。ラファエロ、それがあなたの望んだ夢だったのか。それがあなたの望んだ未来だったのか。 ラファエロ、天使が監獄の中で凍えながら、祈りの手を燃やし尽くされる終末。それがあなたの望んだハッピーエンディング。 ラファエロ。 お前の肖像が燃え尽きていく。 (ラファエロ)

2019-09-14

(2)詩とレトリック さて、(1)で述べたように、レトリックと意味をブラックボックスにしたまま、詩を鑑賞することも可能であり、そこに触れずになされた批評もありえます。もう少し例を加えると、「この詩は短すぎるので、この3倍は長いほうがよい」という乱暴な批評も、(1)の観点から可能ですし、稀にはそれが有意義であるケースもありえます。 次に、レトリックは直喩と隠喩が全てではない、ということを書きます。 我々の国の超古代の神話では、クマかオオカミは獣の王と考えられており、それは人の一般より高い存在で、人の王や英雄と対等であると認識されてますから、当然思考したり語ったりします。 時代を数千年下って古事記までは、そうした神話的な思考が行われました。 古事記に記された神々の戦いは、朝鮮半島から侵略してきた民族がこの国を支配してゆく過程と関係はあると思われますが、テキストはその比喩ではありません。そこでは神の事柄が神の事柄として、そのままオフィシャルに語られ、それがこの国で共有されました。 古事記を最後に、公文はそうした神話を事実としては語らなくなってゆきます。一部に呪いや祈祷は(隠喩ではけっしてないものとして)あるわけですが。 そして現代では公文の中では、そうしたレトリックは消滅していますが、例えばジブリの「もののけ姫」や「となりのトトロ」では、隠喩ではけっしてないモノたちが大活躍して、国民に共有されます。 隠喩(メタファー)に似たものとして、一つにはそうした神話的な表現があり、それは批評したり説明したりするとなると、最も難しいレトリックなのですけど、作品そのものは無学でも、それこそ子供でも楽しめるし理解できるものとして現れます。 ラファエロの頃は人文主義と思いますが、その美術表現は、この神話的な思考に支えられているのでは、と私には思えます。それは隠喩とは違うものです。 また、ラファエロよりはるかに下る時代の美術で、神話を既に信じてはいないが、隠喩でもない表現を語る批評の言葉として、象徴という言葉が使われました。 象徴も隠喩ではありません。私事ですが、私は隠喩よりは象徴を詩作に多用します。 シュールやダダを踏まえると、更に隠喩ににて隠喩ではないものを指す言葉は増えますし、現代の我々となると、もはや読者としては戸惑うことが多いのですけど、作品「ラファエロ」の登場人物たちや事柄は、本当に隠喩なのか、という疑問を私は感じました。 作者が隠喩としているので、とりあえずは隠喩として読みますが、カフカの短編がそうであるように、意味深く、しかし読みとかれぬよう巧まれた表現として、「ある特殊な意味で、隠喩」だと私は解釈します。 (3に続く) (ラファエロ)

2019-09-14

こんにちは、stereotype2085さん。 3点、3レスに分けてコメントさせていただきます。(外出先からなので、ご容赦ください)。 前2点は、この詩を私が語るための詩論。最後の1つがこの詩への私の評価です。 (1)意味と言語 詩を構成する言葉も、他の散文における言葉と同様、意味を担っています。でも、詩では、それだけではない、と言うことが強調されますし、詩を書いていても、読んでいても、そこでは言葉が意味の担い手以外の仕事をしていることを実感する人が多かろうと思います。 その、「意味の担い手以外の仕事」を何と呼ぶか、それは諸説あり、我々の時代にはまだ、主流と呼ぶべき見解はない、と考えるべきかと思います。 現代の日本人である我々の中には、例えば、丸木正男によって名付けられた概念で理解している人も居るでしょうし、吉本隆明により理解している人も、岩成達也による人もいるでしょう。 夫々少しずつ違うのですが、どんな理解をしておくべきかというと、どれも最強学説ではなく、私はあなたにどれも薦めません。 しかし、「諸説あるけど、とにかく、意味以外の働きを言葉にさせることが、詩では重要と思われている。」と、認識しておくことは強くお薦めします。 言語と詩というものへの、こうしたベーシックな理解の影響で、詩を読むときにある一つの姿勢が我々の間で一般的になってます。 それは、(理由や理論はどうあれ)、詩に使われた言葉(時には文も)を、その言葉が伝える意味と無関係に、純粋に言葉として【も】読む、という姿勢です。 私は、【も】を強調しておきますが、そうした観点や姿勢を全く無視することは、あまり勝ち目のある戦法ではありません。 言葉のみを見る鑑賞を想定した詩作は、1980年代には既に山場を超えた古いレトリックの詩であり、私は読むにしろ書くにしろ全く逆に近い立ち位置なのですけど、想定外とするのは避けています。 そう読まれる、ということは、詩の内容や、そこで使われているレトリックをスルーして、単に個々の言葉の色や温度が作りなす一枚の絵として、眺められるということです。 例えば、この言葉は古語ではない現代語のほうがいい、という批評が起こりえます。その理由が、単に音として、隣にならぶ単語とイメージか韻か音の明るさなどが揃うから、とかでも、それはそれなりに尤もな一つの意見ではあると考えるしかないのです。 私はそうした言語観によって詩を書かないけど、語の強度にヌケやアナがある詩は良いと感じないし、その感覚は磨こうと努めています。 作品「ラファエロ」では、既に指摘されているように、冒頭の軌道を外れる惑星が語として浮いている、と私も感じました。この冒頭数行は弱くて、それに続く言葉とバランスがとれません。 私なら第2文から始め、第1文は第1スタンザの末尾に移動したうえ、この表現とは違う言葉を選びます。 (2、3)に続く (ラファエロ)

2019-09-14

ふむふむ。では探偵として推理しましょう。 詩人とは、自分では事実を書いているつもりなのに、または真実を語っているつもりなのに、猛烈に素敵だったり美しかったり、逆に怖かったり真っ暗だったりすること(すなわちはたから見たらフィクションとしか思えないこと)を語ってしまう人々なのである。 と、仮に定義します。 例えば僕なんか詩を書いて、俺は事実しか書かない、っちゅうのに、何度「フィクションでしょうか」とかって言われたことでしょう。じつにほとんど毎回ですよ! 伺えば、あなたのこの詩も、ある意味では事実で構成されており、だから心の何かしら深いものを表現しているのでありましょう。 真実とフィクションの間に生き、語ることすべてがフィクションであると(客観的には)思われつつも、語る本人は真実の何かしら重要なことを語っているひと。 それを詩人と定義してもかまわないではないか、と僕は思うのです。 で、上述1、2、3に戻りますと、それはそういう感じなのであります。 (詩人が語る言葉は、すべて詩でなければならない)

2019-08-16

おー!なんかコンクリな感じでよいですな! これ、この●を伏せ字とみなして、ここに文字を入れてマンダラみたいな詩を作ってみたくなります。 言葉でモノを考えるタイプのひとは、数珠つながりというか、一次元的にスラーっと考えるのではないか。と、僕は想像してます。それが我々の文学の【かたち】に現れているのだと思うのです。 僕はどちらかというと違うタイプで、思考に飛躍がありますし、述べてる途中で本人はとっくに結論に至ってるので、途中から別ルートをとったりします。 そういうタイプのひとは、今の文学の形より、こういうタペストリー状の形の文学のほうが合ってるのかもしれません。 そんなことを思いました。 (まるでシカク)

2019-08-16

1彼女が語ることはぜんぶ真実 2彼女が語ることはぜんぶ事実とは真逆 3彼女が語る彼女はとても醜い これらを満たしているので、この人は詩人ということでも別に良いのでもなかろうか、などど思いました。 面白かったのは、スリルですね。 彼女は信用できない。彼女について語るひともどこまで信用できるのか少し怪しい。いや、後半では確実に嘘をついている。言葉なんて調べれば良いだけですから。この人は父親か。いや、ストーカーなのか。 なんて感じでした。 (詩人が語る言葉は、すべて詩でなければならない)

2019-08-16

ふじりゅうさん ご批評ありがとうございます。 自分でもこの詩の寄ってくる思考は、確かに雑念まみれだなったなあと思います。思わないわけないですよね(笑) そこから作品化するところを読んでいただけたのかなぁと思い、嬉しいです。 タイトルも自分でもこのタイトルが気に入りまして、例えば「ヌーディストビーチ」だとダメだったように感じています (ヌーディスト・ビーチにあこがれて (version2.1))

2019-08-16

タカンタさん(追記) ガイドラインには関連事項がないのですが https://www.breview.org/forum_blog/?p=376 の中の「5」にありました。 それによると、スレトップの作品について以外の論旨のことを書き込むのは、厳密にではないまでも大筋で禁止のようですから、「夜」についてのコメントをここに頂くことは遠慮させて頂きます。 (ヌーディスト・ビーチにあこがれて (version2.1))

2019-08-16

玄関の人さん ありがとうございます。ご好評を頂きまして、嬉しいです。ビーナス、良いですね! この作品にそうした拡がりがあると読んで頂けて光栄ですし、それとこれ、例えば「ビーナス」というタイトルにして、その他少し工夫したバージョンにしても面白いかもしれません。他にも、なんかビーナスの詩を書きたい気持ちがしてきました。 (ヌーディスト・ビーチにあこがれて (version2.1))

2019-08-16

タカンタさん 拙作「夜」にご着目頂きありがとうございます。 ルールを確認しましたが、他作品へのコメントをここに書くことは禁止されていないようです。 しかし、ユーザーとしての私の1意見ですが、それをすると、一定期間しかコメントできないように設定したシステムを無効化してしまいます。なるべく運営者の意図を汲んでシステムを利用させていただくほうが良いと思いますので、ご提案の件は遠慮したほうが良いのでは、と思います。 個人的にも、合評的な扱いの終了した作品については、作者としては特に付け足すことはありませんので、 作者の感知しないところで論じて頂ければ、作品のためにも幸甚と思います。 (ヌーディスト・ビーチにあこがれて (version2.1))

2019-08-16

いや、ごめんなさい。 これは夕日ではなく、月をイメージした背景画像のようにおもいます。 誤読したかもしれません。 印象をリセットして、月の夜半として読み直しました。 池という大きくはない場面が、ファンタスマゴリアという言葉に介在されて、大きく広がるなぁと思いました。 (鬼灯フアンタスマゴリア)

2019-08-15

人は夕暮れの空を見るとき、沈みゆく太陽そのものを見ているときは言葉を失うものなのではないか、と思います。そこから視線をずらして雲や身の回りを見たり、ほんの少し時間がたって、闇の訪れの頃になると、感じていたものが言葉になったりするのかも、とも思います。 私はこの作品の右半分は夕方の太陽をイメージし、左半分ではもう少し涼しくなった街中をイメージしました。 テキストの配置も、私が太陽をイメージした部分では空白になっていて、上手く作品の叙情に乗れるように思いました。 テキストが伝えてくるものからは、夕方から夜半にかけて、ひやりとした古い民家の池の回りを場面として想いました。 ファンタスマゴリアという、異国情緒のある言葉と、和風というか、日本の誰は彼時の庭のイメージの融合がいい感じだなぁと思いました。 (鬼灯フアンタスマゴリア)

2019-08-15

ファルセナ語のみゅーせるなー、、、 というのが、意味がわからないぶん、押し付けがましくなくて、音もなんとなく可愛い感じで、イイなぁと思いました。 あぐりふぁんぼ。というのも、直訳の意味はわからないのですけど、なんとなくハードボイルドな感じとでもいうか、「大丈夫だよ、心配しないで。」を、かっこよく言ってる雰囲気があります。 作中の二人の間で通じていて、読者に見えないことというのは、たくさんあると思うのですけど、仲良しな同僚みたいな雰囲気が素敵だな、と思いました。 (ファルセナ語を話す少女)

2019-08-15

藤 一紀さん ご批評ありがとうございます。 視覚詩として読み込んで下さり嬉しいです。 やや専門的な話題になりますが、「したちち(下乳)」という用語をご存知でしょうか? 前のバージョンでは白という言葉を強調しまして、下方から見上げる日焼けしてない部分のイメージを伝達することが念頭ありましたが、こちらは中心から全体を鑑賞するイメージになったと思っております。 海の色も、こちらは僅かに赤みがあるように思い、喚起されるイメージの色も少し違うかもしれません。 そこはどんな色のが好きかという、ごく純粋な神学的議論になろうかと思いますが、ご批評を頂き、安心しました。作者も、こういうイメージも悪くないんじゃなかろうかと愚考しておりました。 たぷたぷと、たゆたう感じも鑑賞してくださり嬉しく思います。 (ヌーディスト・ビーチにあこがれて (version2.1))

2019-08-15

月隠緯檻さん コメントありがとうございます。 エロく感じて頂けて嬉しいです。 (ヌーディスト・ビーチにあこがれて (version2.1))

2019-08-15

ふじりゅうさん ご対応ありがとうございます。 また、所定のフォーラムにて相談せず、大変失礼しました。 送信前の確認について、今後は注意します。 お手数おかけしてすみませんでした。 (ヌーディスト・ビーチにあこがれて (version2.1))

2019-08-15

後半への異論について一点。 これは、あえて以下を無視して、一つのまとまりある観点から、読者がおもしろ感じるテキストを作成したのかも知れないのですが、一応というか、指摘したいと思います。 それは、表現の自由は、基本的人権のひとつであり、すべての人間が生まれながらにして持っているものだ、ということです。要るとか要らないとかは二次的なこと。と、私は思います。 その展開として、同じく基本的な人権である、他者の生存権などどバッティングする場合や、他者の表現の自由とバッティングする場合は、合理的に制限されます。その制限は不条理ではありません。同じ人権ですから。 でも、この作品の語り手の思考にはなくても良い、というかあると破綻することかもしれません。 (表現の自由展・その後)

2019-08-13

拝読しながら、私は楽しく笑った。スカッとしました。と、言うことをまず報告します。 前半、後半、共に私には楽しい。しかしなぜ楽しかったかというと、少し不思議な想いが、私の内部に発生します。前半については、私はこの論旨を是とすべきかどうかについて、情報不足で判断できない。後半については、後述する点で論旨に異論があります。 それでもこうした身体反応が生じたということは、紛れもなく「共感」の作用を受けたのでありますけれど、何故か? 書き方が上手い、ということ。着眼が面白く引き込まれる、退屈しない、ということ。それらを言い換えれば作品的に優れている、ということかと思いました。(続けます) (表現の自由展・その後)

2019-08-13

花緒さん、ご批評ありがとうございます。 いいなー。僕も行きたいです。 (ヌーディスト・ビーチにあこがれて (version2.1))

2019-08-13

私はこのゴダールの批評のカケラを、るるりらさんの詩について語ろうとして、今回初めて読んだのだけど、とてもわかり味が深い。これはまさに我々の根本的な理念であり、僕が詩を書くときにしばしば憧れる地点でもあります。 そして、このるるりら詩にもぴったりだと思うのです。 るるりらさんの詩は抽象的な場合もあるけど、この人魚の詩を含む多くで、具象を手放さない。可読性を手放さないまま、軽々と伝説を、情景を、主題を、科学と文学史を含む文化や文脈を、そして言葉を脱構築する。そしていい笑顔で微笑む。その裏には死があり、逆らえない運命や悲しみがあるのでしょうけど、るるりら詩はそこから自由になるテクニックをしっかり持ってる。 ・・・やはり僕は批評が下手なのだけど、そんなふうに思いました。 この作品は、とても良い詩だと思います。 (めるふぇん)

2019-07-13

同じレポートの8枚目で、映画監督のゴダールの大野批評が2つ引用されてます。 「我々はナンシーでフリルをひらめかせる死を見た。その永遠の顔と、その奇妙な眼差し、その笑みの健やかさを見た。」 「一雄は自然の源の中に最高の基礎を見出した。ーーー即ち、歓びである。」 (送信して続けます) (めるふぇん)

2019-07-13

しかし大野のダンスは進化とも、海底とも、ましてやヒラメとも無縁なんですね。ダンスを見ていてそうは解釈できません。のみならず、大野のダンスはそうした抽象的な動きではなく、具体的です。老いたお母さんが、ちゃぶ台でご飯食べて美味しいと思ったりする。全く別の文脈、具体的に解釈できる可読性があります。 引用したレポートでは、日本のダンスという文脈を逸脱することに躊躇いがない大野が、どれほどビックリされたがコレクションされ、冒頭でまとめられてると思うのですが、るるりらさんのこの作品にも、そうした文脈からの自由、デ・コードが愉しく起きている、と思います。合わせて、進化や生命の力も(進化とは(両性類の変態も)、それ自体がデ・コードです)現れてる。 (送信して続けます) (めるふぇん)

2019-07-13

大野一雄は、後にテレビ番組の中で、自分のダンスを説明し、進化について語っています。正確に引用できませんが……… 例えばヒラメという生き物は不思議である。あんなふうに海底にべったりくっついて、それがしやすい身体に目が寄って進化した。でもそのヒラメがある時、サメとかマグロとかになる、そういう生き方をしてそういう体になることを決心して、海底からグワッとたちあがつて泳ぎだす。そうだとすれば、それは生命の歴史何十億年を背負い、その果で、はるか未来の何億年かの起点になるグワッなのだ。でもそれはその一匹のしか見てない、密かなグワッなのだ。 私が舞台で着るフリルの動きは、そういう動きだ。 と、大野一雄が言ったのではないけど、正確な言葉は記憶してません。でも、私がそう解釈したことを大野は語りました。 (送信して続けます。) (めるふぇん)

2019-07-13

すみません。この作品は、とても素敵なんだけど、きちんと批評することは僕の能力を超えます。 でも、素敵なので、中途半端な語りになるかもだけど試みてみますね。 曖昧な引用で申し訳ないけど、以下のレポートの一枚目と2枚目に、僕が(出来るなら)語りたいことの枠組みがありました。大野一雄というダンサーについての批評です。 https://www.google.com/url?q=http://www.kazuoohnodancestudio.com/japanese/archives/analysis/pdf/ana-002-mutohwithout.pdf&sa=U&ved=2ahUKEwiVupaArrHjAhWPwosBHelVAdEQFjABegQIBBAB&usg=AOvVaw14F-wXlQvN958tbQWu83Hx (一度送信して続けます) (めるふぇん)

2019-07-13

あっと!空欄でも名前だけ記録されるのですね。 まだ批評を書く用意はできてないのですが、悲劇であるアンデルセンの人魚姫を転換する手際の見事さに感嘆しました。 悲劇という言葉を、私はアリストテレス/ニーチェ/バタイユを踏まえて、惨劇とは区別して使うのですが、この作品へのコメントとしてはどう説明するのが良いのかまだ整理できていません。 でもこれは悲劇を別のものに構造的に変えるにあたり、語ることを=カタルシスを支点として用いていると思います。 そこが素敵だなあ、と。 あと、音素がとても良いです。先行する名作「一つのめるふぇん」の影響により、メルヘンとは、砂であるような感覚を我々は予め持っていると思うのですが、かの名作を凌駕して、とても素敵に泡の印象を上書きされました。 (めるふぇん)

2019-07-04

(めるふぇん)

2019-07-04

イイね(^^) 一つだけ、無自覚なれば、を無自覚ならば、の方が良いのではないかという躊躇いが残る。 そこ、踏み切れない/踏み切らない のがこの作者のアジと思っておきますが、気合の入った詩人なら「無自覚ならば」にすると思う。言葉に頼らない、ということであります。 (わたしは死ねばいい)

2019-01-03

時分→自分てした。 重ねて失礼しました。 (秘法(第一巻))

2018-12-10

冒頭誤変換でした。 ×  この詩他の場合、フレーズを ○ この詩の場合、フレーズを 失礼しました。 (秘法(第一巻))

2018-12-10

追記させて頂きます。 この詩他の場合、フレーズをフレーズ自体てはない他のイメージに置き換えたり、比喩を読者である私の役にたつ(意味のわかる)文=教訓として受けとるということより、詩文そのもので味わいたいように私は感じます。 でも、一つの感想(なのか連想なのか)のようなものとして、トランプの話をしたくなりました。 私はトランプが割合好きだった時期があります。神田のカルタ店に時々トランプを買いにいったりしました。私は何につけ、詳しい知識を記憶するのは苦手だし、トランプについてもちゃんと勉強することもない、いい加減なことなのですが、自分で勝手に各カードの性質を決め、出た位置を勝手に解釈するのです。 例えば8は戦争や派閥間の深刻ないさかい、2は正向きなら友愛。スペードであったり逆向きのクラブなら、二人の間の対立。 3は硬い結束を示す聖数。4は世界の状態を示す聖数。 と、いった具合です。 トランプは、一見上下のないカードも、マークと端っこまでの間隔などが僅かに異なり、時分なりの上下を決めることができます。 引用  Ⅱ ばら瑠璃(月夜のトランプ) 「ペルシャンブルーの砂漠がですね、   象の骨を磨いてゐたのですよ。」 キャラバン隊のポスターを剥がす少女の初恋。  例えば、この詩文は、トランプのハートの2が正位置で示されたようなもの。  そんな風にも楽しみつつ、私は読んでいます。 (秘法(第一巻))

2018-12-10

気持ちがいいですね。 各スタンザが独立、表記上では分断したものとしてナンバリングされてますが、カウントアップで終りが予感される十で終わってますし、タイトルが儀式を連想させるためもあり、また全体に通低する流れが感じられてひとまとまりの詩として、愉しみました。おそらく無意識レベルでの、選語のセンスが良いです。 魔術にせよ、祈祷にせよ、ひとは何かしら希求するものをポジティブに実現するために祈る。 てもこのメランコリックな調子は、そして明るい雰囲気は何でしょう。 もし二回、創造を祈り、それが実現するなら、この世は滅びるわけですが。 (秘法(第一巻))

2018-12-09

思考の深さや、背景の濃さは、作品を読み込まなくても言葉選びから伝わります。 合評でやり取りする価値があり、実際にも可能なのは、その詩のレトリックが完璧であるか、読者に効果があったかだけだと私は思います。 もちろん、私以外の人は、他の交流の仕方もするけど。 (大海の王者)

2018-12-07

あるいは「島影」とかの、海から見た陸のイメージと夕陽で締めると絞まるかも。 (大海の王者)

2018-12-07

小林さんのコメントを読んで思ったのですが、この詩はラストの地平線を水平線にすると、それだけでがらりとかわり、現在より良くなりますね。 世界の全体ということで海以外の陸のイメージを持ち込みたいのかもしれないけど、面白いことに水平線は陸地を感じさせる。 水平線は、船からも見えるが、それよりはるかに多く、浜辺から見られるからだ。水平線というだけで、陸地に立っていることがイメージされます。 (大海の王者)

2018-12-07

つきみさん つい先ほどのことなのですが、リリースされたばかりの「抒情文芸」という雑詩を読んでいて、そこに掲載されていたリクター香子氏の「イタチ」という詩が素晴らしく、感銘を受けたところでした。 その影響を受けつつコメントを追記しますと、何か一つ、この詩に欲しいものをあげるなら、サスペンスてはないか、と思います。 この詩を拝読したとき、私は第4スタンザで気持ちが離れてしまいました。 第3スタンザまでは葛藤と苦悩の影が背景に漂うので、どうなのだろう、作者は私(読者)を何処に連れてゆくのだろう、という緊迫感の高まりがあります。 全体の構造では、最後から2つ目のスタンザが、起承転結でいえば転にあたり、最後のスタンザがクライマックスになってると思います。 もちろん第4スタンザ以後も重要で、切り落とせば良いというようなことではないのですが、読み進むに従って緊迫感や思いがけない恐怖の到来といった、あるいは逆に、自在な解放の高まりとか、そうした何らかの変化による流れのようなものが第4スタンザ以後もないと、この密度の優れた詩行は、読者として咀嚼するのが難しいなあと思うのです。 ご参考になるかどうかはわかりませんが、リクター氏の「イタチ」は、時間軸に並べず、サスペンスの有効な並びで展開します。 この詩のスタンザを並べかえたほうが良いということではなく、そうした何らかの細工があったほうが良いのでは、ということです。 あくまで一人の読者の感想として。 このままでこの詩は素晴らしく、私との相性というだけかも知れません。 (それは素粒子よりも細やかそれはあやとりそれは贈り物)

2018-12-06

まず、何これ?と、思いました。 次に最初と最後から2001年宇宙の旅を連想し、連想しても無駄に終わりました。 それから、記憶術として、頭の中に箱みたいなのを作って、その順番が思い出せるようにしておき、そこに数字でも何でも入れてくことを連想したけど、やっはり無駄で、何だったのかなあと思いました。 (ニューヨーク天神駅84「小児教育」)

2018-12-05

非常に豊かで多彩なイメージが展開して楽しいし、暗闇の中で手探りし、母の張り巡らす透明な糸に縛られ、言葉による内的自由に活路を見いだす語り手の闇と、その闇の深さがかえって浮き彫りにする柔らかな魅力。 そういったものを感じました。 でもこれは長いです。 人が何か印象を持つためには、それを記憶できなければならないと思うのですが、私には難しい長さでした。 構成として、各スタンザを記憶しながら読めれば、ラストですべてが洪水のように打ち寄せるようになっていると思います。でも私にはそれは起きない。他の読者には起きるかも知れないけど。 愉しく、ある意味、愛らしい、好感と興味を喚起する言語感覚がここにはあり、宇宙全体と人生全体という、チャレンジしたオブジェクトも、物語に頼らず言語そのものの性質を使って勝負するという手法も、とても良いと思うのですが、何かもう一段階、高めることができたのてはないか。と、いう印象でした。 (それは素粒子よりも細やかそれはあやとりそれは贈り物)

2018-12-05

>けれど貴方の病と娘への深い愛を知り、 この文の意味がわかりませんでした。 貴方というのは、楢の樹なのかな、と思ったのですが、 「貴方の病」への愛と「貴方の娘」への愛、その2つを僕が知った なのかそうではないのか。 順列組み合わせみたいに、いく通りか受け取れますが、どうとっても今一つしっくりこないように思います。 (鬱の治療)

2018-12-05

みうらさん コメントありがとうございます。 (海猫)

2018-12-05

つきみさん 引用ー もし宜しければ、私の言葉の中に何か、擦れ違う言葉や、蛾兆ボルカさんの立ち入ってはいけない部分に、私が入ってしまったのかなと考えています。 引用終わりー そういったことはありません。 拙作にコメントを頂き、ありがとうございました。 (海猫)

2018-12-05

つきみさん なるほどそういうことですか。 私はそういうのは作品の残念な点だとは思いません。 何故なら、もしあなたが思ったとおりなら、それは作品の欠陥ではなく、読者が残念な読者だっただけのことじゃないですか。作者にはどうしようもないし、私の場合はどうにかする気持ちさえない。関心外のことです。 それにどの読者も、読んで感じたことの一部しか語りませんので、語らなかったことはあるでしようし、実はコメントに暗示されているとも読めるけど、あえて私が(有り難く思いつつも)そっとそのままにしてコメントを返さなかったことも多々あります。 特にこの作品では、分析的ではなく直接的に伝わったかたの場合は、何が伝わったか言葉にしにくい場合もあったのではと思っています。もしそうなら、それは何か手品が成功したときのように作者は嬉しいです。 どのコメントも有り難いし、どの読者様にも深謝しているので、何も残念ではないのですよ。 そしてもちろん、あなたの評価(選考)も、楽しみにしております。 ありがとうございました。 (海猫)

2018-12-04

つきみさん 惜しい点だったのですか! 私としてはそこが自慢の点だったので、てっきり貴方もそこを誉めておられるのかと(>_<) それは残念というかビックリです。 でもありがとうございます。 今後も精進しますので、お目にとまりましたら、またコメント頂けると幸甚です。 (海猫)

2018-12-04

誤 このバージョンではり落としました 正 削り落としました 失礼しました。 (海猫)

2018-12-04

つきみさん あなたのほうこそ、その読みの深さと鋭さ、タダ者でない感が(^-^ゞ 絨毯を使った海や空への詩の解放、作者としては狙って、そのために改稿まえはこの後に続いていた行をこのバージョンではり落としました。コメント嬉しく拝読しました。 (海猫)

2018-12-04

galapagalapaさん ありがとうございます。 私も将来は、ウイリヤム・ブレイクのような立派な詩人になりたいと思っているのですが、 まだちょっと道は遠そうなので、そうなるまでマイペースとユーモアとリリシズムを大事に、精進します。コメント、励みになります。 (海猫)

2018-12-04

帆場蔵人さん ありがとうございます。 ネコごろん、狙い通りにウケがとれて嬉しいです。 (海猫)

2018-12-04

とても面白く鋭い論評、愉しく拝読しました。 個別の論評も面白かったのですが、総論として冒頭でおっしゃってることも、とても参考になりました。 引用ーー 「リフレイン、同じ言葉の重複」と「接続詞」と「括弧」と「言葉の順番による強調」と「半角全角スペース、区切る。連」については、ちゃんとした意味、作法が有ります。 引用終わりーーー この部分で、他のことはなんとなく思いあたったのですけど、リフレインについては、私は感覚的に使用していて、その効果は自明と思い込んで思考停止、その作法については読んだ記憶がありませんでした。 そういえばどうなんだろうと思って、とりあえずネット検索してみたところ、「やっすん」という人が管理している歌詞サイトに分かりやすい概説があり、参考になりました。 今後、図書館などで、調べてみようと思っています。 ヒントありがとうございました。 (十一月分フル選評)

2018-12-03

柿原さん ありがとうございます。 そうですね。 ゴロゴロして、サバってる(サボってる)のかも知れません。 るるりらさん ありがとうございます。 で、ほっとするやら わかります(^^) ほっとするやら、これではなんか残念でもあるやら、というところかも知れません。 ウミネコは、僕も子どもの頃は、ネコか魚の一種だと思ってたのではないかと思います。 (海猫)

2018-12-03

私は別件で、わかり易い/難解 関係について考えていたところでしたので、その観点からコメントさせていただきます。 この詩は意味がわからないとか、意味がないのではないか、という捉え方が(それをプラス評価するにしろマイナス評価するにせよ)あると思います。 しかし、その場合、たぶん本当は意味がわかったりわかりにくいのではなくて、この詩の「教訓」がわかりにくい、もしくは教訓がないと思われる、ということなのではないかな、と思います。 読者は案外教訓を求めるもので、その作品を読んだ、その作品でなんか感じた。それだけで停止しません。その作品に接して受け取ったことに、どう反応したら良いのだろうか、と考えてしまいます。 この場この時に笑えば良いのか、泣けばよいのか。それともしっかり記憶して、思考や感情の肥やしにすべきなのか。どういう影響を受けるべきなのか。 それがよくわからなくて、作者に訊いてしまうとすると、「この詩はどんな意味なのですか?」という質問になります。 その質問をもっと正確かつ直截に言い直すなら、「この詩を読んだ僕は、今後どう生きていったら良いのですか?」ということなのです。 しかしもしそう質問されたら、作者としては、「お前の人生だろ?勝手にしろよ。そんなの知らねえよ。」といいたくなることでしょうね。 詩の教訓がわからなくても、その作者には文句をつけないほうが良い所以です。 しかし、読書という行為において、教訓を求めることはダメなのかというと、そうではなく、結局のところ優れた詩は優れた教訓となり、人類史に残るのだろうとも思います。 (そうではない、教訓などいらない、という立場も取ることはでき、そうした作品は現代詩では過去に少なくなく、この詩も作者としてはそうした立場で書いたものなのかもしれません。私はその可能性は無視して勝手に教訓を読みます。) ただし、この詩における教訓は標語みたいな文や言葉で語れるものではなく、クレーンがびっくりするほどながく、やたらと、バカみたいに伸びること、それそのものとして読者の中に啓示される、のだな、と思いました。 (たったひとりで伸びていったクレーンへと捧げる詩)

2018-12-03

亡霊にはテロメアなんてなくて、 というフレーズがいいなあ、と思いました。 そういえば「墓場の鬼太郎」の、鬼太郎たちにはどうもテロメアがありそうなのではないか、と思います。 (夜空)

2018-12-02

回転が自転なのか、何か(例えば僕)を中心にした公転なのかに関して、イメージが少し不鮮明なように思いました。 自転と解釈して、君の視点で僕が目を回す、という感じが僕は好みかもしれません。 (恋)

2018-12-02

追記)つきみさんへ もう少し踏み込んだことを書くと、この散文で私は、化粧とは画一化だ、と仮定して記述しています。化粧により、何で女性は同じような顔にするのか、という疑問があり、それに私なりの答えを書きました。 つきみさんは、逆のご意見ですよね。まず化粧とは、肌の色や個々人の個性を踏まえてそれを引き出す個別化と捉えておられるのかな、と思いました。 どちらが、どうということはここに書きませんし、私には結論出せませんが、大変参考になり、興味深く思いました。 (女性の化粧について(エッセイ))

2018-12-02

つきみさん 表現は大事なことですから、出来ないまま放置されたとか、一度もまともに教わる機会がなかった、ということは人権(学習権)侵害にあたる残念な実情だと私は思います。 化粧ももし本当に自己実現のために大事なことなら、貧困や家庭環境が理由で学ぶ機会に恵まれないケースが無いよう配慮されるべきですし、そういう学科があれば、そこで化粧とは何なのかという本質も科学的または美学的に解明されてゆくのでは、と思います。 (女性の化粧について(エッセイ))

2018-12-02

鬱海さん 私の意見は、日本人男性の中でも少数派なのではないか、と思っています。 それ自体は本文にそう書いて置きましたので、あとはマイナーな意見をどう記述するか、という技術や技巧の問題だと思うのですが、そうした場合、自分の考えがマイナーであることは一旦脇においておいて、むしろ合理的で一般的な見解であるかのように書きすすめるのが普通なのではないか、と思います。 とは言え、ご指摘のアマゾンの箇所については、もしこれが論文であるなら論拠にあたりますので、もちろん数値を添えた根拠が求められる箇所でありましょう。 そうしたご批判に耐えられるようには作文していませんので、我々とあるが私は違う、とか、我々日本人の過半数が違うとか、といった異論は成立しうると思います。 (女性の化粧について(エッセイ))

2018-12-02

fiorinaさん 包装紙の最も大きなお役目は、剥がされること。そして剥がされるまで内部を保護することだと思うのですが、トッピングの要素もありますね。 つきみさん アイヌの人が好んだ眉は太くて繋がってるやつで、女性もそうした化粧(刺青)をしたようですね。縄文土偶も、女性の眉は太く繋がってます。 そうしたものは文化なので、その文化の外にいる者には自明には共有されてませんし、それを理解するには、あなたが書いたような「意味づけ」が一つの手段なのかなあと思います。 教育については、おっしゃる困難はわかりますが、原則的には私は違う意見です。 例えば美術教育も、詩作や小説作成の技術も、あなたが指摘したのと同じような課題があるにはありますが、できないというわけではありません。それらは、日本の学校教育ではかなり軽視されてきましたし、最近も減らされてますが、私は残念におもっています。 (女性の化粧について(エッセイ))

2018-12-02

つきみさん コメントありがとうございます。大変、勉強になり、興味深いです。 引用ー 肌呼吸をしないけれど、他者様と立ち会う際は、会う人によって化粧を変えるのは当たり前ですし。女同士で合う時の女子会でも、化粧を変えます 引用終わり まさに異文化!と、いうかほとんど異界(笑) それ、文字通り「化け」てますよね。すごいなあ。 私、やはり文化人類学的なツールを携えずに、この散文を書いたのは無謀だったかも知れません。 それと、ケアはやはり、別の話として興味深いです。 化粧は肌を痛めてもするじゃないですか。でもほとんど化粧しない人も、女性は肌に気を使うひと多そうですよね。それが出来てるかどうかは、ある種の優秀さのディスプレイでもあると思うし、魅力を感じます。 文化としての化粧ということでは、おっしゃるように技術であるにも関わらず、義務教育で基礎を教えてないのは、教育の欠陥でもあり、その文化がきちんと 尊重されてないか、理解されていないのか。あるいは私が主張するように、それは奇妙な風習に過ぎないとも言えたり、種の生き残り戦略として、理解されうるものなのか。 いろいろ思いました。 (女性の化粧について(エッセイ))

2018-12-01

落ちぶれる時に、何故か労働する方向に落ちぶれる人っていますよね。 早朝からパチンコ店に並んでる人とか、お金もうけを目的に苦労してるんだから、働いてるのと全然変わらないように思うのですが、わからないものです。 こういう甘い話につきこんじゃうのも同じで、そんなの夢とか自由とかじゃなくお金もうけなんだから、普通に働くほうが効率いいじゃん、と思うのですけど、やむを得ません。 くたばる時もキリギリスはキリギリスなように、落ちてもアリはアリなのかな。 そう考えると、冷めた寓話だな、思いつつ、なんか面白かったです。 (アリとキリギリス)

2018-11-24

あなまどい、という言葉を初めて知りましたが、「穴惑い」と書くと、無闇に性的な連想を誘いそうな言葉だなあ、と思いました。 この作品は、タイトルと一連を平仮名にすることで、無色の盲目的とも言えるような手探り感の辛さ・苦しさ・哀しみを醸し出しているように思いましたが、私はタイトルは漢字表記のほうが良かったのではないか、と感じました。 それと、心情のメタファとして拝読した葛餅を砕いて運ぶ、従って外的なアリの行き来する様子を比喩に重ねると、まだ穴に籠れない蛇のイメージを弱めてしまうので、私の感覚では、第3連を落として、第4連に繋いだほうが良いのかな、とも感じました。 秋の終わりのあり方が、過去の苦しみと、苦しくはなくともいや増す死の気配と共に定着せれてて、印象深い作品だと思います。 拝読したとき、おお!と思いました。 (あなまどい)

2018-11-24

ちなみにこの作品が登場人物のモデルと受け取られる人物を誹謗中傷したり、事実無根のデマを拡散して活動を阻害するものであるかどうか、というと、ギリギリセーフではないかと思います。 理由のひとつは、登場人物「なかたつ」と登場人物「三浦」は、ここでは役者が役を演じているのと同じことをしているのであり、事実とは無関係である、と読者が受けとるような細工がされているからです。 (ビーレビの昼ドラ)

2018-11-23

こんにちは。 僕はこの作品は好きだし、冒頭あたりの記述の混乱(登場人物の年齢設定など)以外は、よく出来ていて、文章も魅力的だと思います。 フイオリナ氏が指摘してるように、3人とも敗者だというところに工夫がある。また人か指摘してるように、「三浦」「なかたつ」など作品内部で完結せず、外部を参照する構造なので、それらをよく知らない私にはこの作品の評価はできない(内至、したくない)し、でもそうした評価不能な作品としての作りが面白くもあります。 作品の筋だてとなってる物語の恋愛に関する倫理的評価としては、語り手の分裂は無視するとするなら、3人ともセーフだと私は思います。 「俺」は浮気されて婚約破棄なので、彼女さんとよりを戻さないのは賢い選択でセーフ。 「貴音」は浮気したので少しアウトだけど、婚約破棄されたので応報。そのあとは、誘惑されたという言い訳は、有効に作用しなかったので、セーフ。堕胎は個人の自由なので倫理とは無関係。 「三浦」は、友人の恋愛と婚約を破壊したので少しアウトだけど、「なかたつ」と「貴音」の結婚はまだ成立してないから、まだギリギリで「貴音」は恋愛申し込み受付中。金銭等による賠償責任が「なかたつ」に対してあるかも知れないけど、「なかたつ」は請求より報復を選択したので「なかたつ」に対してセーフだし、「貴音」に対しては咎められる要素はない。 なので3人ともセーフなので、3人とも自分が幸せになるよう、今後は行動すればよいところですが、まだ不幸の中にいますね。 ここで一度気持ちをリセットして、まず「三浦」と「なかたつ」でホモセックスし、さらに同性結婚する。そこに「貴音」をセフレ兼家族として迎え、3人で仲良くやると良いと思います。 (ビーレビの昼ドラ)

2018-11-23

なんと!あなたでしたか! 先日、投票をした際に何方かが拙作を推して下さったことに気づき、探していましたが、十月私がもっとも深い憧れをいだいた詩作品「虹」の作者であらせられる、あなただったとは! 非常に光栄です。 ありがとうございました。 選評も楽しく拝読しました。 引用)春の萌え出ずるかのような思いだなと感じたら春。夏のような激情であると思えたら夏。秋の実りのような芳醇さだと秋。そして冬の継承という具合に分類しました。そして、四季のそれぞれを感じさせる詩の中から、るるりらの好みだったものを ピックアップさせていただきました。(終わり) 良いですね、こういうの。 自分の頭を、より柔らかくして選ぶために、偶然が入るゲーム性を仕組みとして入れ、本来の趣味趣向の他の要素を選考過程に入れて居られる。 そんなふうに選ばれたことも、とても嬉しく思います。 (十月のるるりら選)

2018-11-22

私の作品も、優良にご推薦くださり、ありがとうございます。 コメント拝読して、嬉しく思っております。詩作の励みになります。 (【フル】かるべまさひろの選評<2018年10月分>)

2018-11-22

コメント投稿後に作者のコメントを見ました。 私は作成意図ととはかなり違う読みをしたかもしれません。他意はありませんのでご容赦下さい。 (嗚咽 *)

2018-11-22

こんにちは。 仕事が辛い、泣けるほど辛い、ということを、効果で言えば明喩にあたるレトリックで語っている詩なのかなあと思います。 不登校の子どもみたいに辛いとか、兵士に家族がいることみたいに辛いとか。 そういう構造ではないのですが、効果としてはそうなることを、「あなた」と作者が共感できるであろう典型的な悲しい事例の提示という構造で、逆説的に語っているのかもしれない、と解釈しました。 しかしこうして拝読しながら感じたのは、あまり共感できないなあ、ということでした。 もしかしたら、典型的な例を抽象的にあげたために、明喩としての効果が弱かったのかもしれません。「○○のように悲しい」と、いう場合、○○は具体的なほうが伝わるように思うのですが、それと少しは何か関係あるかも、と思いました。 (嗚咽 *)

2018-11-22

村上春樹は、小説はしっかり書くのに、詩はびっくりするほど下手だと思います(海辺のカフカの作中作や、翻訳詩など)。いや逆、下手すぎてびっくりした、というのが、私の村上春樹詩の読書経験でした。 この三浦作品は、それと通じるところがあって、流れとか、バランスとか、極端さとか、そういった言語芸術としての美の追及への意志が欠如している。そのように【私には】感じられます。 どうしたんだよ、って感じ。過去の作品はもっと濃密なのもあったように思うのですが、「お話」として経験や思考を物語りにまとめることしかしてなくて、その物語を、それこそ夢見ていない感じがします。 (たとえ偽りに終わったとしても)

2018-11-18

推薦への推薦、ありがとうございます。 選評も励みになります。 (10月分 フル選評(まりも))

2018-11-10

引用 〉「イエス・キリストにもし会ったらどうしますか?(ボスケ)」「特に何も。なぜって私は彼を知らないから(ダリ)」 ほほう! つまり、ダリはもし神に会ったら、 「君、だり?」と訊くわけですな(*´∀`*) 優良への推薦と選評ありがとうございます。 私的には、豪速球を目指してはいないのですが、そういうのも良いかなあと思っています。 (【選評】201810XXの乱。ステレオが行く!「見せてみよ。己が勝負魂」)

2018-11-03

これ、問題作だなあ。 難解と言っても過言でないかも。 詩は、謙虚な文芸だと思う。 言いたいことは誰にでも、いつだってたくさんある。 その中で、心に偽りとなるものを捨て、妥協したものを捨て、飾りを捨て、お涙頂戴や物語への依存や説明を捨て、言葉少なく、詩的ビジョンの正面に立つ。 その鮮烈さにより説明ではないものを語る。 なんてことを私は時々考えてますが、この詩は! とにかく気持ち良いですね。 あと、るるりらさんの独特な柔軟さ、伸びの良さがある。 たぶん相当良い作品なのでは。 (よしっ)

2018-11-02

ふじりゅうさん 推薦への推薦ありがとうございました。 作品へのレスでのご批評も、こちらでの選評も拝読しました。ありがとうございます。 前文の、「自己表現と自己承認を詩の目的とする人は多くいるでしょう」って、パワフルなイントロですね(^^) 私はかなり長いこと詩を書いていますが、振り返ってみれば、誰にも(一人にも、詩作能力を)認められていないと感じたことは無かったように思います。あったとしてもごく短い期間だったのではないか。 でも満足したことも無いなー。 私にとって詩作で目指すところは、掛け値なしの傑作を書くことです。 詩作する動機は、わからないか、もしかしたら存在しません。何故かわからないけど書いています。書かないということはあり得ません。 だから自己承認って言葉に出会うと、驚きがあります。 ものすごく当然に承認を求めてる自分(承認を求めるのが当たり前と思ってる自分)があり、それは詩作においてはどうでも良いこととして、ほとんど忘れているのだけど、この作品では微妙だな。 もともと後半のみの作品だったのですが、後半に自信があったのに承認を求めて前半を付け足してしまったのか、おっしゃるように前半があってはじめてそれなりな作品となれるのであり、そのことを自分で気づいていたのか、(楽しく)考え込んでます。 (10月分 藤井のフル選評 「ネットの海の端くれで」)

2018-11-02

stereotype2085さん ありがとうございます。私はスペルを覚えるのが苦手でして、もし間違ってたらすみません。 なるほど。 投球に喩えると、この詩はいくつかの球種や球速を混じえた配球で、120キロの速球を160キロに見せ掛ける技術を使っているのかも知れません。 最終連、評価して頂き、嬉しいです。 (雑談と「ままならぬ恋の詩」)

2018-10-25

前半がうまく機能していないように思いました。 切りつめて、また、ストレートにしても良いように思います。 (例) 白色の花と朔月の真夜中に目印を付け、ずっと待っている始まり、十二の弦を張り替え奏でる他に、生があることを知れない。 誰かが金字塔を打ち立てても東京の夕暮れは変わらず再び暗渠の奥へとゆく。 出口にあるはずの朝焼けからひとりだけ、ひとりだけのユキがいる。 中盤、後半の流れは、感じよく思います。 語り手の、少しヌルイ感じがすーっとキープされてて、最後のほうは粋な雰囲気だと思います。 最近のモテる男子の特徴として、「死んだ魚みたいな目」というのがあるそうですが、沢田研二とかも昔からそういう目でした。 一瞬下を向いた時に、そうじゃない目をチラッと見せたりとかするわけですが。 この詩もチラリズムの詩なのかもしれません。 (コーヒーを飲もうか。)

2018-10-24

かるべさん ありがとうございます。 作者としては、前半と後半では、カメラの位置(視点)と語り手の関係を変えてるつもりですが、効果は明瞭ではないかもしれません。語り手が交代する、或いは語り手が消える(または語り手の属性がそぎ落とされる)、とも読めるかもしれません。 読み込んで頂き、嬉しいです。 構造を作った事が、奥行きみたいなものになってるといいなあと思います。 ひとを恋うる歌、ユーチューブで聞けるのですが、男性というものへの先入観や前提が揺らぐような歌い手が歌うと、一味違いますよ(^^)v チャ子さんという方ですが、オリジナルの歌を歌う方で、この歌はめったに歌わないそうです。 (雑談と「ままならぬ恋の詩」)

2018-10-23

待てよ(;-ω-)ノ これ、ホントに完璧なのかも知れないな。 「あのこ」の死をどの重さで読むかだけど、僕はこの春、大本萌景さんのライブ動画を繰り返し観ていて、なんかお留守のふりしていたい気持ちがしてました。 そんな時もあるし、もっともっとキツイときもありますね。 (仮死)

2018-10-22

とても良いなあ、と思いました。 平仮名も効果的で、「死んだら」ではないことにより、言葉にくっついた色や湿度が脱色されて、どこか遠くから聞こえてくる声みたいになってる。言葉の素材化がうまくいってると思いました。 少し気になったのは、説明しすぎなのてはないか、ということでした。 「しんだら きれいなものになれる」が冒頭でいきなり内容を説明してしまうし、そのあと繰り返されるので、強すぎる感じがします。 さらに、最後の2行も、全体とタイトルを説明してしまう。 そんなことを思いながら再読してみたのですが、例えば最初の行を削るとどうなるかなど、考えてみても、これは構成が緊密で削れないですね。 この詩はこれで完璧なのかも知れないけど、どこかをもう少し読者に委ねて、説明を控えると、より魅力的になるのかもしれません。 (仮死)

2018-10-22

るるりらさん ありがとうございます。 ロシア系のひととか、銀色の瞳の日本人のひとって、割りと居るものですよ。新潟あたりの別嬪さんとかに。 気がつくとドキッとしますな(^-^ゞ 合体ミチコは、なんかもう太陽の塔みたいなもんで、大したものですな。 皇后陛下の末永いご健康と、お静かな日々を祈念します。 (雑談と「ままならぬ恋の詩」)

2018-10-22

こんにちは渚鳥さん コメントありがとうございます。 拝読して、嬉しく思いましたし、はっとさせられるところもありました。 私にとっての言葉は、時々、盲人にとっての杖のようなものであったりするのかも知れません。 地下水の匂いのフレーズ、自分でも気に入ってます。 (雑談と「ままならぬ恋の詩」)

2018-10-21

こうした詩の難しさとして、 「そこ、気づいたのなら直せばいいじゃん。直しちゃうなら、直す前に書いても意味ないじゃん。」 と、いう感想を持つ人もいる、ということがあるように思います。 現実にはそういう無粋なひとはごく少数で、それを気にしないほうが良いのかもしれませんが、私は上述のように思ってしまう一人です。 たぶん感傷(センチメイント)という事なのだろうと思います。 感傷は何も改善しないし、この先ダメになってゆくことも、ダメになってしまったことも、今一時だけダメなことも、区別しないで平等に、そのまま見つめる。 ただ詩情だけでそれを乗り切る。または、詩情に逆らわない。 そうした作品として、まとまりが良い、という所には、この詩の良さがあると思います。 よく言うと、ヴィヴット。若い感性がないと書けない詩かな。 (Sunday Afternoon)

2018-10-21

詩を書くことに躊躇いや恥らい、その他ネガティブな想いを抱いて、詩を書いている他者にそれを示そうとする人が現れるのは、インターネットの特徴の一つに数えられると思います。 それは現代的で新しい現象とも言えるし、ネットの詩のサイトでは見慣れた風景とも言えます。 でも、詩(純粋な詩?)と詩作そのものを蔑まず、詩をツールとして使うことへの嫌悪ないし自己嫌悪に特化して作品化するのは、斬新で面白いかも(^^) それをやると、この作品が示してしまうように、自己承認を求めるツールとして詩を使うことへの否定になる、そしてそれはより深い矛盾を含む、ということは、私にとっては発見でした。 確かに詩をコミュニケーションのツールと考えることへの否定は、通説とか常識の地位にある、人気の思想だと思います。 でも、そうした考えの人々の多くも、自己承認のツールとしては否定してないのではないでしょうか。 自己承認は、まあ、求めるよなあ、と私は思います。 そこを否定しちゃうというのは、斬新ではあると思います。 (『藤井龍平の肉迫』より。)

2018-10-21

stさん こんにちは。お久しぶりです。 コメントありがとうございます。 昨夜私は盲目の老いた(というにはギリギリ早いか)女装者と、ライブをご一緒したのですが、そのひとが素晴らしい技巧のギターと、セクシーな美声で、与謝野鉄幹の「ひとを恋うる歌」を歌ってくれたのがとても印象に残りました。 惚れたかもしれない(^^) 「一を恋うる歌」は、ユーチューブとかで聴くと全然面白くないのですけど、そのひとが歌うとなるほどなあ、と沁みました。 (部分) あゝわれコレッジの奇才なく バイロン、ハイネの熱なきも 石を抱きて野にうたう 芭蕉のさびをよろこばず 「柔肌の熱き血潮に触れもみで淋しからずや道を説く君」 とエロく歌う晶子に、これでは負けてしまうわけですが、敗北にも美学はあります。 今回の拙作は、鉄幹の熱にすら遠く及ばず、芭蕉のさびにも甘えたかも知れないなあと思いつつ、ご指摘の構成においては、私なりに頑張れたかも知れません。 ありがとうございました。 (雑談と「ままならぬ恋の詩」)

2018-10-21

こうなんと言うか、投げやりなようで繊細。磊落のようで前向き。粗雑なようで構成的。 どうにもならない運命への諦めを背景にした美意識の一つに「意気(粋)」というのがありますが、そんなのを感じました。叙情的。 (癒ゆ)

2018-10-21

こんにちは。 この作品は詩としては、素直に面白く読みました。私はこれは詩なのではないかと思うので、面白い作品だと思うという結論になります。 ですが、このサイトは「詩ではないもの」をも曖昧に応募しているので(設立以来のコンセプトですが)、以下にすこし回り道しなければならず、個人的に面倒に思います。詩を応募していたなら、以下は述べる必要のないことなのです。 このテキストは、エッセイか小説として眺めたとき、甚だしく文が下手です。 その部屋は、時計の秒針の音が常にしていた。(完了) わたしはその音がとても苦手なので(時間を意識し過ぎてしまうからだ)自分の部屋には時計を置かないようにしている。(現在) しかし、その部屋はずっと音が鳴っていた。(過去) まるで、鳥が柔らかくて削りやすそうな木を見つけ、くちばしで木の側面を削っているみたいな、規則的で実際的な音がした。(過去) 『カチカチ』『カチカチ』 わたしは時計を探した。(過去) その部屋は、壁も家具も白で統一されて(受け身)いた。(過去) 小さなソファも、化粧台も、テーブルも、座布団も、ベッドの枠も、ベッドカバーも、全てが白だった。(完了) わたしはここが何処だか分からなかった。(過去) これでは、いつ起きたことを、どの時点から誰が語っているのかわかりません。 また、その部屋をそのように誂えたのは他人で、あたかも閉鎖病棟に幽閉されるように、閉じ込められているかのようですが、これに続く後半を読むと語り手の意思でこの部屋を調整し、ここに閉じこもっているようにも読めます。 しかしこうした下手な文により生まれる混乱した雰囲気が、積み重ねられて次第に切なさや悲しさのようなものを表してゆきます。 また、白さの積み重ねも絶望の美しさみたいなものになってゆく。 ここでは、文の破綻が詩としての面白さになっているなあと思いました。 それと死番虫でしょうか。見えない時計は最後まで説明されず、効果的な主題として狂気を高めてゆく。 その構成は技巧として上手いと思いました。 (白い部屋の秒針)

2018-10-21

かるべまさひろさん ありがとうございます。 男女を書き筋で異化するとは、語り手に関する解釈でしょうか。 味読していただき、嬉しいです。 (雑談と「ままならぬ恋の詩」)

2018-10-21

三浦さん 私はこの場で最も有益な文芸理論は、「限界芸術論」だと思っています。 その帰着する方法論は、ラスチ人協会、農民芸術要綱概論、ブレーメンの音楽隊等で賢治が示した理想的な合評であり、なるほど選考ではありません。 また、限界芸術論がこれまでの歴史的史な成果としたのは、農民の鼻歌の中に現れる、無名の天才の作歌を、作者不詳の民謡にまで高めたことであり、今後見込まれる成果は千年に1人の天才を召還する、千年の宴の実践です。 それも選評によってはなされません。 伝わったかどうかは知らないけど、私はあなたに繰り返しそう語りました。 しかしそれは私の勝手な考えですし、選評を嫌いだとか思ってないですよ。 選評は選評で、するのもされるのも全然嫌ではないです。 むしろどうして嫌なのか理解できません。 そういう私をあなたがどう理解するかはあなたの自由です。 でも私の気持ちはそうです。 (選評 詩についての詩は、一生に一つ書けば良いじゃないか)

2018-10-10

羽田さん、三浦さん、こちらこそ作品を読ませて頂き、また交流の場をご提供頂きありがとうございました。 三浦さん 誤解があるようですから、以下で少し、それを解こうと私なりに務めてみます。 (選評 詩についての詩は、一生に一つ書けば良いじゃないか)

2018-10-10

藤一紀さん ありがとうございます。 冒頭は、6、7、7、7と始まりますが、作者も気に入ってます。 私は3と4の戦いに惹かれるところがあり、それが関係するのかも知れません。 例えば、  わたしそれが  とても好きなの (3、3、3、4) と、いうのは気持ちよく感じます。 「の」への着眼も嬉しいです。 「の」の偏った出現と、ご指摘の箇所でのリフレインが、この詩のリズムとして伝わり、この詩にも生まれてきたかいがあったなあと感じています。 (オルガンの死)

2018-10-09

ふじりゅうさん コメントありがとうございます。 2連3連を性交解の表現と解釈する読み、嬉しく思います。 子どもの頃は、小さな刺激も大きく響くので、他愛ない思い出も性交のようでもあると思います。また逆に大人が経験する性交は、子どもの頃の他愛ない交流で比喩されうるものなのだ、と作者も感じています。 3連がオルガンへの皮肉という解釈も、ありがとうございます。 (オルガンの死)

2018-10-08

訂正します。 黒髪作品へ × がなければない ○が無ければならない 友達 作者名 羽田恭 が抜けました。 失礼しました。  (選評 詩についての詩は、一生に一つ書けば良いじゃないか)

2018-10-08

こんにちは。 今日はこの詩を読めて、私は嬉しいです。素敵な詩だなぁおいっ!って感じです。 今、「ビブリア古書堂の事件簿」というラノベを読んでいるのですが、その一冊、ちょうど読み終わった五巻が寺山修司の詩集を巡る事件という設定です。 寺山はそれを二十代の若さで死に瀕した病室にいたときに出したのですが、非常に広く美しい空を歌っています。 登場人物の一人がそれを不思議がって、とても病室で書く詩てはないのに、ととうシーンがあるのですが、名探偵がそれに答えて、寺山のフレーズを引用します。   どんな鳥も、想像の翼より高くは飛べないだろう この詩を読んで、寺山のその言葉を想いました。 (虹よ)

2018-10-08

stereotype2085さん コメントありがとうございます。 私はひたすら速度だけの豪速球や、絶対にキャッチさせない変化球にも自信(当社比)があるのですが、機会がありましたら、そうした作品もお目にかけたく存じます(^-^ゞ この作品では、ご指摘の通り、ひたすらコントロールの精度を磨くような詩作をしてるのかな、と作者も思います。 読み返して、例えば(幸福な眠りに落ちてゆくのだろう)というフレーズがありますが、ここは対面での合評にもってゆけば、十人中六、七人からは言葉選びが甘い、とお叱りを頂く所かと思います。 幸福な、という形容詞が響き過ぎて他の言葉に影響しているからです。 でもそれを(静かな眠り)とか(穏やかな眠り)にはしないところに、私の修練があるのであります。 そういう意味で、これはコントロールの精度をといたい作品であり、コメントは光栄です。 ダイナミックな解釈にも深謝です。 (オルガンの死)

2018-10-08

沙一 さん ありがとうございます。 私は花言葉には驚かされることがたびたびあります。 花言葉を知らずに詩を書いて、人にご指摘頂いて調べると、まさに作者の意図の通りみたいなことが頻繁に起きるのですが、記憶の奥にしまいこまれて忘れていた知識がそうさせるのか、本当に知らなかったのだけど、人類共通のイメージがあるのか、いつも不思議に思います。 複数の方からコメントを頂き、おかげさまで、作者にもようやくこの詩が見えて来たのですが、イチジクと「はだか電球」は、繋がるようにも思いました。オルガンという言葉のどこか尊大な響き、そこからの老人の死の連想も、有り難く思います。 (オルガンの死)

2018-10-08

エイクピアさん コメントありがとうございます。 イチジク・クリニックは、作者もその言葉をこの詩に使うことを思い付いたとき、ひとりでドヤ顔になっていたあろう言葉です。引っ掛かりを持って頂けて嬉しいです。 子どもの頃、私はピアノが欲しかったのですが、裕福ではなかったので買ってもらえませんでした。 代わりに買ってくれたのが安価なオルガンで、私はそれでピアノの練習をしました。当時はまだ電子ピアノも高価なのしか出ていなくて、仕方なかったのですが、タッチも音も違うし、鍵盤の数も少なくて、残念な思いもしましたが、買ってもらったときは嬉しかったのだろうと思います。 この詩は全編をいきなり思い付いたものを紙に写したものですので、作者もまだこれがどんな詩なのか解釈できていないのですが、オルガンという言葉との器官・臓器という意味は作者の意識にもありました。 人物の名前とする解釈も、その場合、全体と部分が交錯する効果のご指摘も、有り難く拝読しました。 (オルガンの死)

2018-10-08

あ、鈴木海飛さんに賛成。 鈴木さんと僕で意見が合うのは珍しいよね(^^) 、そして誰かを大賞に推すときも自分の好きを通す。 これは大前提。いちばん好きな作品でないものを大賞ノミネートに推挙するのは当然すぎて明文化が不要だけど、当然にダメダメだと思うのです。他のひとが、その作品を推挙するかしないかと無関係に、自分の感じ方考え方で選考すべき。 それは大前提でしよう。 私としては、そんなの当たり前だと思ってますが、今回は実はそこがポイントなのでは? そこはハニキヌ着せたり、気をつかったりしないで、運営としてビシっと言うべきですよ。 準大賞は、大賞と競り合った事実がないと、看板に偽りあり。と思うので、せいぜい1、2作品が良かろうとの私見。 とにかくいちばんいけないのは、ルールをコロコロ変えること。 それと、ルールがわかりにくいことだと思います。 「ガイド」に選考ルールを入れたり、トップからリンクするのが、いちばん大事なことだと思うなりよ。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-06

(ノミネート」受賞扱いをイメージします。 その意味で、推薦を受けた作品は全て準大賞で良いのではないでしょうか。) ここも間違えました。 すみません。 大賞に推挙された全作品を、ノミネート賞としては、と提案します。 グレードは3で、準大賞より一つ下です。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-06

佳作は、3ではなく4でした。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-06

こんばんは。最近ご無沙汰してます。 まず賞の名前ですが、私もわかりにくく感じますし、推薦はやめたほうが良いと思います。 案としては、 1大賞 1から数作品(同点の場合両方受賞) 2準大賞 次点作品(大賞複数の場合、次点なし) 3大賞ノミネート賞 大賞に推挙された全作品 3佳作 審査員が褒めた全作品 です。 これまでの「優良」というのも、私は言葉としてあまりピンと来なかったのです。その作品は大賞を競えないのですから。 ベストに推薦しないけど、イイと思うよ!ということでしょうから、それには佳作という言葉が合うように思います。 これまでの推薦というのは、大賞に推薦していないのですから、それも佳作なのでは、と思います。 ベストに推薦したものは、アカデミー賞などの「ノミネート」受賞扱いをイメージします。 その意味で、推薦を受けた作品は全て準大賞で良いのではないでしょうか。 投票は、大賞を決めるためのものでしようから、ノミネート作品から大賞になりそうな上位だけで良いと思います。 5も悪くないけど、たぶん4か3のほうが割れないですよ。十は多くてあまり効果的ではないです。 あと、サイト名は、変えたほうが良いかもです。 もし変えるなら、検索ヒットを上げるためにも、このさい「詩」という言葉を入れてみては? あと、選考の仕方を「ガイド」に書いたほうが良いです。例えば私など、どうやるのかもう忘れています。 選考ルールは、トップからもガイドの当該箇所にリンクしたほうが良いと思います。 (《ビーレビへの意見とそれへの議論を書くスペース》)

2018-10-06

私もBReviewには大変お世話になりました。楽しかったです。 ありがとうございました。 インターネットでも公共概念はキーになると思うのですが、オフィシャルではなく、パブリックを、という想いを私は何度も感じてきました。 ここは日本のネット詩史の上で、「パブリック」な交流を実践した最先端のシステムの試みであり、最良の場だったと私は思っています。 今後につながるのであれば、今後の参加者自らの成長も、店主の裏方化も、英国の酒場「パブ」がそうであるという在り方を思わせます。 3人共に辞めると聞いて、思わずお引き留めしたくなったのですが、初代経営陣が消耗しきる前にオーナーとOBになるというのも、なんか面白いかも知れません。 BReviewが今後益々発展しますように祈念しますとともに、花緒さんの文学的冒険に豊かな稔りがありますよう祈念します。 (退任のご挨拶)

2018-08-05

stereotype2085さん ご丁寧な返信ありがとうございます。 私は、あなたを不快に思ったことは記憶していないので、海江さんのコメントを確認しました。 詩の作成方法や理解の方法は、人それぞれなので、私は私なりの考えもあり、それを述べることをあまり躊躇いませんが、他者の方法について感情的にどうこうはありません。 読み直すと確かにキツイ言葉遣いになっていて、申し訳なく思います。すみませんでした。 また、贋作詩人チャタトンについては、説明が不十分でした。 贋作は、現代では認められた一つの方法です。チャタトンは早すぎたために、また年齢に見合わない才能がありすぎたために迫害されました。 私はチャタトンの伝記を確か昨年読んだのですが、その伝記作者もチャタトンに対する特別に深い愛によりそれを編んでおり、英国の著名な詩人たちも、多くの賛辞をチャタトンに捧げています。 私自身は自分の得意な方法とするところではありませんが、否定はしていません。 (サンプリング)

2018-07-23

すみません、一つ自解を付けます。 私の所にビラブドという言葉がやってきた来歴ですが、複数の経路のうちの重要な一つが、トニ・モリソンの長編小説「ビラヴト」です。 トニは、1993年にノーベル文学賞を受賞したアフリカ系アメリカ人女性です。 単語はそうなのですが、この作品とは関係しないと思っています。 (ビサイド)

2018-07-22

誤) 私はパスティーシュはいい加減に引用するケースがあります。記憶で引用し、その際間違えが起 正) 私はパスティーシュを作るときは、いい加減な引用をするケースがあります。記憶で引用し、その際間違えが起 失礼しました。 (サンプリング)

2018-07-22

いまね。ほんたう、という単語に鳥肌が立ちました。 ありがとうございます。 (道は遠いです。) (ビサイド)

2018-07-22

以下は全て私見ですが、法的にも倫理的にも責任は取りません。参考にのみして下さい。 これは私は、ゴダール監督の映画における引用手法である「パスティーシュ」を連想しました。 パスティーシュというのは、一種のサラダです。 キュウリも美味いし、緑豆もトマトもレタスも美味しい。 でもサラダには、包丁技術、組み合わせの手際、そして何よりドレッシングがあり、キュウリそのものとは別に評価されます。素材ではなく、料理人が。そしてその味わいを確かめる(批評する)うえでは素材が。 ゴダールは、膨大な詩、批評、哲学書などからフレーズをサンプリングしますが、引用を改変したり、組み合わせたり、さらにはクレジットを(恐らくわざと)不完全にしたりと、元ネタを乱暴に扱います。その手際(の悪さ?または良さ?)を含めて、ゴダールらしさです。 そしてそうした手法を多用した彼の映画は、カンヌ国際映画祭で、かなり古い時代から昨年だかの新作まで、通ってしまってます。 まあ作者の責任でして、ゴダールも私も、この作品の適法性には無関係ですが、私はパスティーシュはいい加減に引用するケースがあります。記憶で引用し、その際間違えが起きることに、むしろ意味があると、私自身は考えるからです。 さて、作品としてですが、今ひとつインパクトが低いかなあ、と私は感じました。 もっとフレーズとフレーズの切断面を活かしたほうが良いように思います。異質さが際立つ並べ方とか。意味が変わってしまう並べ方とか。 サラダで言えば、トマトとレタスは大きく違うからこそサラダの面白さがあり、トマトの単独の味わいはときには犠牲にしても良いわけです。この詩は少し親切すぎかな、もっと乱暴でいいかな、と。 とはいえ、素敵だな、はどの言葉が素敵なのかを、うまく壊してると思いました。 また、サラダで言うところの包丁技術。すなわち切れ味。ここ切ってきたか!という感じ。引用に驚きが欲しいです。 それとドレッシング重要です。 作品全体を作品たらしめるため、自然な足し算からは出てこない、歪めて味付けるものが欲しいです。 以上、私見です。 その道に詳しくはないので、自信はありません。 (サンプリング)

2018-07-22

真夏の白すぎる光のなかでは、暗闇やよりむしろ幽霊に会いやすいというか、いや、そうは言えないか。会いそうな気がする、とでも言うような気分になります。 熱中症ぎみってことかな。私(読者)が。 そんなとき、会いたくない幽霊より、会っても悪くないとか、良い悪いじゃない幽霊のことを考えられるってのは、ある意味で幸せかなことなあと私は思うのですが、死に近づくようで、幸せに感じることが少し怖くもあります。 静かな味わいの恐怖。 ひさおとらん(字がわかりません)の、真昼の放浪を描いた小説のような、微かなズレを愉しんで拝読しました。 切なさの、品位ある表現と思いました。 (夏の木陰)

2018-07-22

流れがとても心地よいと思いました。思考の展開が自然でのびのびしてると思います。 例えば進化論で有名なダーウィンは、冒険旅行から帰った中年以後は百歳近くで死去するまでミミズの研究に没頭しましたけど、彼が行った実験の一つに、ミミズにピアノを弾いて聴かせたものがあります。 その結果、ミミズは耳がないけど、どうやら音は聴こえる。でも音楽は解さないようだ、と結論してます。 そんな風に、またこの詩みたいに、鳥とかって何考えてんのかなー、と思ったり、我々もするよなー、と思いました。 ダーウィンは最後までやり切るタイプだし、この詩も突き抜けるカタルシスまでやっちゃう詩作もあり得たとも思うのですが、こんな風に、アンチ・クライマックスに、ポンと置いてしまうのも、なんかイイな、と思いました。 (カタルシス)

2018-07-22

藤 一紀さん、ありがとうございます。 方法と思想を作品から読んで下さり、嬉しいです。 これは旧作のリライトなのですが、いまそれをやりたくなったのは、物理的な時間関係とは数日から数週間矛盾するけど(私は詩作は、日常的に、頻繁に、予知すると思っています。)、麻原の処刑に、残された者の心の在り方の側面から関心を持ったこと(持つこと)や、自分の身内が他界したこと(すること)と関係したと思っています。 ひとは色んなことを「とにかくそうなんだ」で乗り越えて生きるし、それはなかなか愉快なことです。そうとばかりは言えないにせよ、その側面だけ見れば、それも一つの明るさだと思っています。 まどみちおの「りんご」という詩があり、私の憧れです。あんなふうに、とにかくそんなんだと書けるとイイなあ、と思っています。 (ビサイド)

2018-07-22

ankoさん、ありがとうございます。 この詩はささやかな、ごく小さい作品だと自分で思いますが、こんな小さな気づきでも、伝わって嬉しいです。 (ビサイド)

2018-07-22

るるりらさん、コメントありがとうございます。 ビサイレント、ありましたね。 あれは当時中高生かつ当時から言葉フェチだった僕には、激しくエロかったです(^^) 今日は妻と喧嘩しました。たぶん私が悪い。そして今は、漱石の我輩は猫で【ある】を読んでいます。 Be動詞について、また考えてます。 (ビサイド)

2018-07-22

まりもさん、ご批評ありがとうございます。 ごく見慣れた物、例えば車のバックミラーとか、シャーペンとか、例は何でも良いのですけど、眺めていてふと、あれ?これ何だろう?と、何か異変のようなものを感じるときがあります。 観念にも似たことが起き、例えば「長さ」という観念が、ふと独り歩きしたりすることも有ろうかと思います。 言葉というもの(事?)にはそういう側面が割に強くあり、ある単語が普段見過ごしていた相貌を見せる時があって、そんなとき、おっしゃるような、何だろう?と思うような「ざわざわ」感を持つように思います。 この詩では先ず、ビサイドというカタカナの言葉が、ムカデのような姿で(直感的な喩えですが)私には感じられました。 (ムカデは夫婦二匹いると言い、一匹殺すときは、もう一匹に警戒します。喩えるなら、そんな想いです。) そんな風に、完全には把握できない生き物としての未知を隠した単語を、叙情してみようとしました。 ぞわぞわが伝わって、嬉しく思います。 (ビサイド)

2018-07-16

花緒さん、ご批評ありがとございます。 この詩は、かなり以前に書いたもののリメイクです。私は自作品を読むことが下手なのですが、時間をおいたために、この詩の場合は、作者としては距離をとって眺めることが、比較的可能な作品のつもりでいます。 そこで、コメントを頂いて作品を読み直したのですけど、作者としては、ミスによって分かりにくくなってる箇所は無いように思いました。 コメントを拝読して、どうもテキストの意味のレベルで伝わらない部分もあるような気もしたのですが、それは一つには相性かなあ、と思いました。もう一つには、意味を語る文体を用いて、実は意味ではないものを表現しようとしたフレーズや構成もあり、それは必然的に読むひとに戸惑いをもたらすかも知れません。 また、その逆に、言葉遊びのような形で、意味を表現したところもあります。 これらは一種の(あなたに対してはスベってしまった)ユーモアと思って頂けると、実情に近いかもしれません。 意図としては、死別やその他の離別 を宿命として受け入れた上でのラブソングであり、ある言葉が持っている叙情性を表現しようとしたものです。 (ビサイド)

2018-07-16

上記ニ作品を、全作品を審査していないし条件下での最高賞に推薦します。 大賞一作でしたら「るーしー」を大賞に。 大賞を推挙できないのでしたら、それに次ぐ優秀作品に、二作とも推薦します。 (【選評】笑顔はアートのお行儀です【一部作品のみ査読】)

2018-05-15

医師は、余命を告げた後でも、医療行為のことを治療と言います。 私事ですが、「治せないのに治療というのか」、と、違和感を持ったことがありました。  種を蒔くという行為には、治療ということとは異なる生命の根源的な活動に繋がるものがあると思います。 この作品では、治療ということが深められるわけではないのですが、種を蒔くということと並べて眺められる。 何かしらはっとするような思いがありました。 (ジニア)

2018-05-14

嫁という言葉が違和感としてよく効いていて、親しみを醸し出しつつ、完全には描き得ない実在の他者、その確たる存在感を感じました。 そのせいで、軽妙で不思議なやり取りも、すっと受け取れます。夫婦の愛として。 ラストの切り方も鮮やか。 とても良い作品だと思いました。 (入院)

2018-05-13

古いフランス映画の中の女優さんなんかの、なんとも言えない色気を、アンニュイ(倦怠と訳されます)という言葉で表現したりします。 それはメランコリック(憂鬱)ということを背景に置いているけどさめざめ泣くわけではなく、場面への向き合い方がクールな感じ。そして、破れかぶれでもなく、保たれて堪えられている感じ。 そんなのをアンニュイというのかなと思うのですが、この詩にはそんな感じを受けました。 好きな詩です。 なんか生きてく力を貰える。 場面の豊かさが良いのかも。栄養があると思いました。 (或いは)

2018-05-13

猫に目を向けられた私、そのため息、その立ち止まり(あるき出す前)。 そうしたことが猫の目に映るように、最小の言葉で綴られるように思いました。 でもちょっと、最小すぎかな。と、思いました。 たぶんですが、地面が書かれると違うのでは。コンクリートか、アスファルトか、土か、乾いていたか濡れていたかなど。 「私」はおそらく、視線を落として地面を見ていたのでしょうから。 直感的なコメントですみませんが、最終行は、るではなく、「た」のほうが余韻がでるのでは、とも思いました。 (この道の先)

2018-05-13

今日は。 描写が鋭く、楽しく拝読しました。 予感と予兆の季節の訪れを、小さな部分で啓示のようにキラリと光る美しい青で描いていると思います。 晴れる前の空。 そんな空もありますね。 (夏待ち、曇天)

2018-05-13

今日は。 難しい作品でした。僕には。 イメージや場面など、その詩が全体として表そうとするものが思い描けません。把握できない、という感じです。 また、感情の波がどこで盛り上がるのかもわかりませんでした。 作者様が自解しているように、短いフレーズの集積なのかな、と思います。 ですが、夢の中と、夢を思い出しているときと、こんな夢をみたいという想いを述べたフレーズが、その夢の中に流れる歌というものとともに、複雑な構成をなしているようにも思えます。 雰囲気や気分としては、拝読して心地よく、フレーズとしてもよく磨かれて角が取れているように思います。 音によって伝わるものが加わると化けるのかも知れません。 (青い街で見た夢)

2018-05-13

今日は。 内容は、カウセラーへのなんか納得できない感じを、結局あまり役に立たないというような「有効性」の観点から語った詩なのかなぁと思いました。 しかし語り口に微妙な心地よさがあり、ちょっとした明るさや軽さ、客観性みたいなものも感じました。 各行の長さを揃えたのがきいているのかも知れません。 ラストはカウンセラーの言葉を、皮肉な、または批判的な比喩で表現したのだろうと解しました。 その部分など、ちょっと、イキイキした感じがあるなあと思います。 言葉によって何かを届けてくれる詩だとは思わなかったのですが、誰かはどっかでいろいろ考えたり思ったりしてるんだな。と、作者の存在感を伝えてくれる作品でした。 (《 ソレ待ちカウンセラー、現在%d人待ち, it=comments 》)

2018-05-13

こんにちは。 拝読して、長すぎるな、という事と、全体に説明的すぎるのではないかなあ、という印象を持ちました。  (慟哭、今流れゆき)

2018-05-13

今日は。 拝読して、流れはとても感じが良いと思いました。 緩急というのか。 おさらムーム国と、場ルンバ国と、アクタ共和国について、僕も時々考えますが、この詩では意味を知らなくても感じが伝わるように思います。 百ppmは、アンモニアとかクロルピクリンなどの場合を除けば、自明に高い濃度ではないので、百パーセントのほうが良いようにも思います。 気分的なものとして、皆が同じ意見ではなく、それぞれが正義と考えるものを持って争うことへの他人たちへの残念な思いが、この詩に含まれているように思いました。批判というか。 私はそういう思いを共感しないのですけど、「もしそんな状況があれば、そう感じるかもしれない。」と、思いました。 (軽薄な自我か記憶無き散文か)

2018-05-08

あと、2連の最後がキラーフレーズだと思うし、それは悪くない感じなので、2連と3連を入れ替えたほうが良いように思いました。 内容的には2連を乗り越えて3連を出したいのかもしれないけど、2連のほうが詩情が美しいと思いますので、それを犠牲にして入れ替えたほうが響くように思います。 (恋という138億年のビートが詩になって)

2018-04-24

こんにちは。 一連目、音がスムーズじゃない気がしました。 朗読すると、出だしの「つ」と「っ」でカミそうになるけど、アクセントのような何かの効果になってないような気がします。たぶん、韻のくる場所のリズムが悪いのかも。 例えばだけど、ペンキより便器のほうが音的に並びがイイ(直感で言って)。 8音ごとにアクセントが来ることを、なんとなく意識してみては。 (恋という138億年のビートが詩になって)

2018-04-24

エイクピアさん コメントありがとうございます。 パウル・ツアランの孤独について、また彼の薔薇について、私も時々考えますし、この詩を書いたときも考えていたように思います。 (夜)

2018-03-28

まりもさん ご批評ありがとうございます。 この作品では、普通の引用ではなく、サンプリングした文のあったテキストのもとの文脈を無視したコラージュをしています。 しかし、読む上で不便であることに気づきましたので、以下に自解します。 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。そしてそのことがまた、今日詩を書くことが不可能になった理由を語り出す認識を侵食する。絶対的物象化は、かつては精神の進歩を自分の一要素として前提したが、いまそれは精神を完全に呑み尽そうとしている」 この部分は引用です。 「から、 私たちは詩を書こう それとも」 この部分は引用ではありません。 「聖母マリアを強姦しに行こうか」 この部分は引用です。 他に引用はありません。 通常の引用ではなくコラージュで示したのは、私(作者)の言葉として、作者の詩情のなかで語るためですので、まりもさんの解釈は嬉しいです。 ありがとうございます。 改造と、戦後における日本未来派に私も関心を持っていますが、不勉強で語れません。 また、宮沢賢治と土壌肥料分野の業績や限界については、準備不足で語れません。石灰肥料と窒素肥料のことで、また水稲の栄養生理を「やませ」対応を踏まえて理解することであり、準備すれば整理できるのですけど、今は語れずすみません。 結論だけ端的に言うと、賢治は土壌分析をして花巻の土壌マップを作った上で、当時の土壌学の先端から無理からぬ設計をしていたのですが、及ばぬところもあった、と私は思っています。 東北の稲作については、近年でも失敗を防げなかったことがあります。 それらの、頂いたコメントは今後のヒントにさせていただきます。 言葉そのものを暴力的に扱うことによりあることを示す、というご批評の趣旨、またそこからの展開については、作者ながら興味深く、また作者としてありがたく思います。 (夜)

2018-03-28

るるりらさん ご批評ありがとうございます。 同人誌で付き合いのある先輩の詩人たちが、第二次大戦のことをよく話してくれるのですが、日本では一夜で変わったのだそうです。 その前夜まで横浜ではダンスクラブで男女が踊っていた。 だけど次の日から、誰も彼もがそんなことは知らなかったかのように、体制に順応した。 恐ろしいことです。 1933年、何があったのかを私はすつかり忘れていて、この詩を書きました。 でもたぶん知ってはいました。 日本人は、ナチスが全権掌握する前に小林多喜二を殺したのですね。ファシズム先進国です。 そのことを私は知っていた(だからこそこの詩が生まれた)のに、ご指摘いただくまで自覚しませんでした。 先に進めます。いろんなことが見えました。 ありがとう。 (夜)

2018-03-26

藤一紀さん ご批評ありがとうございます。 カンパネルラがザネリを救おうとして死亡するのは、事故です。 ですが、ジョバンニがカンパネルラに質問して、カンパネルラが、「お母さんに申し訳ない。でも許してくれると思う。」というようなことを語るシーンがあります。 深い解釈をありがとうございました。 (夜)

2018-03-11

そう解釈するのは文学史的に妥当だと思いますし、上述のとおりでして、詩のレトリックとして解釈する上では、作者からはなんとも言えません。 (夜)

2018-03-10

さらに追記。 ここで布教活動してはいかんのでしょうけど、話の流れ的に、僕のお薦めのグルを一人上げるなら、宮沢賢治先生です(^^) (相対化する宗教の欠片~まがいもの~)

2018-03-10

追記 最後の部分。 神秘体験において、作者が適切なグルと出会う必要がある。の意です。 良い経験がないと、悪い経験も客観化できません。 (相対化する宗教の欠片~まがいもの~)

2018-03-10

設定としては、アーチャリー氏のことを少し思い出したけど、私は彼女の新教団のことは全く知らないので、この詩がどうなのかなんとも言えない。 田口ランディがオウム死刑囚について書いた本には、神秘経験を我々がどう考えるかについて、参考になることがありましたよ。ぐらいしか私に言えることはないですね。ごく簡単に言うと、適切なグルの指導に依らずにチャクラを解放すると身体もアタマも壊れちゃうし、悪い人になっちゃうよ、という事ですが具体的に書かれています。 この詩の、設定ってだけではない叙情ということにると、難しいな。 叙情というのは、人に何かの作用を及ぼす生命エネルギーや宇宙波動の実体化したものだ。とも経験から私などは思うわけです。てか、割と誰でもそう思うものだよね。 主題との相性が悪いというか、この詩の流れが美しいためには、グルが適切であり、素敵な人である必要があると思うよ。 (相対化する宗教の欠片~まがいもの~)

2018-03-10

このテキストには出典が示されていませんので、このテキスト(注を含む)のその文が示していることの言語学的な解釈としては、他のあらゆるテキストが出典の可能性があると解釈するのが妥当と思います。 文学的には、その注1で示したのは「夜と霧」ではなく、他のテキストを指していると解釈するのが妥当なのではと思います。 (夜)

2018-03-10

注1)アウシュビッツ以後〜 あるテキストからの引用 注2)聖母マリアを〜 別のあるテキストからの引用 (夜)

2018-03-10

論文を書く、という仕事のことを思いました。 百年後にも読まれる論文を、書くことはもちろん素晴らしい。 でも三年後には不要になってしまうほど、世界を革新する論文を書くことはますます素晴らしい。 人生と仕事について考えると、結局、真摯さってことに行き着きますね。 なんかしみじみする作品でした。とても良いなあと懐います。 (ROBOT TEACHER, WHAT CAN I WRITE?)

2018-03-09

今晩は。 この詩を私は、相当イイ詩だなぁ、と思います。 この一年ほどの間に、この掲示板で私が読んだ詩(一部しか読んでませんが)のなかで、五本の指には数えるだろう、と思っています。 明晰さが良いです。 苛烈な混乱や、大きな感動が背景に伺えるのですが、作品はしっかりしている。 それと、豊かさがイイナ、と思いました。 イメージの突き抜けた広さ(高さ、において)とか、言葉から空気になって満ちる青い色彩の美しさとか。登場する(イメージされる)二人の、生き生きした、心の動きや交流とか。 それとレトリックが素晴らしいです。 小細工ではなく、むしろ小細工を避けるようにして、傷と青空と、何か魂みたいなものとの間に張られた大きなレトリックの生み出すスリルが、素敵だなあと思いました。 (左手の蒼穹)

2018-03-06

高階杞一ね。 失礼しました。 (猫)

2018-03-03

こんにちは。 私はまだ今月の詩と思想を読んでいません。読んでまた、この詩については考えてみようと思うのですが、その前の私のコメントを書いておこうと思いました。 高橋源一郎はある批評で、短歌と小説両方に通用する歴史観として、「私」というものについての変化を述べています。 端的に要約しますが、彼は明治期には、「私」の輸入や獲得が短歌でも小説でもなされたと述べます。 しかし、そうした「私」は戦争で挫折し、戦後は「私」を疑うことが大きな流れとなります。高橋はそれを「私のモノ化」と呼んだりもします。 しかし、何故かそれがある時、終わってしまった。そうした「私」をモノ化する文学がなぜか唐突に書かれなくなります。高橋はそう書いています。 ここから高橋を離れ、私の意見ですが、現代詩では、それが1980年代に起きました。 その後現代詩はポップになります。「私」はその無力を断罪されるのでも、モノ化されて玩具にされるのでもなく、希薄になって行くのです。 しかし、それもニ十年続いたトレンドとして、すでに終わりました。 他ならぬ平居さんが、終わらせた一人だと私は思っているのですが、つまり、2000年ぐらいから、(やっぱこういうのつまんなくね)という意識が無詩の現代詩に向けられ、様々な形で「私」が復権してきたのです。 象徴的だと私が思ったのを3つ挙げます。 ひとつは現代詩手帖が山之口貘の特集を組んだことでした。 もう一つは、ライトバースの書き手である高階き一が、息子の死という私的な主題の作品化に成功したことでした。 そしてもう一つは、現在のこの時点ですら、「詩と思想」という「考える私」「社会的な私」を前提とした誌名の詩誌が生き延びたことです。 そうしたことを踏まえて、日本の詩は311を経験しました。 失われる私、死んでしまう私、というものは、本当には、どうでも良いものだったわけもなく、戦後から2000年ぐらいまでの文学史は決定的に古びたのだ、と、私は思うのです。 と、いうか、平居氏はそう思っているのではないか、ということに私は前から関心があり、こんどやはり会いに行こう、と思いました、今そう思ったのだけど。 さて、以上を踏まえまして、この詩についてコメントします。 私の読んだところでは、この詩は語り手のモノ化を前提として書かれています。 感情とか倫理観とかいう、私が「私」を世界の中心に位置づけて世界を客体にするためのツールは、放棄されています。 本当の意味での他者性、世界のよそよさしさが作品のすみずみまで充満し、「私」による統合(ここでは猫、または猫への同情)はありません。 つまり私によれば、これは古いのです。少なくとも「そのはず」だ、と考えられます。 しかし、実際読んでどう思うのかというと、もしかしたらこれが新しいのかなあ、と思いました。 ここでは「私」ではなく猫がひどい目にあいますね。猫の他者性を侵害せず、猫が不幸である世界を現しています。 無力であり保守的だけど、しかし実際、世界は「私」の思い通りにはなりません。それより、本当の意味での断絶した他者。引きちぎられてもその痛みを共有できない猫、という存在と同居している世界をそのままに受容することが優先するのかもしれません。 (猫)

2018-03-03

大丈夫ですね。 こんにちは、作者殿。 日本語には、文末の数語で主旨がまるきり変わってしまうという性質がありますが、この詩はそういう日本語の性質を上手く使った面白い詩だと思いました? 内容的にはナイーブな感じなのですが、表現は攻めてるというか、実験的な詩だなぁと思います。 (鰹節)

2018-03-03

テスト。 先程コメントを書き込んだのですが、反映されなかったので、テストコメントします。 (鰹節)

2018-03-03

今晩は。 出会いというのは、想像力を刺激するものだと思います。 どんな人なのかなあ、と考えながら、会話で探ったりするのでしょうけど、そういうこと自体が、楽しかったりもします。 しかし職業によっては、誰かと出会うとき、相手が死体であるということを日常的に経験するひともいますよね。 そういう場合も、やはり出会いは出会いで、ひとはそれを大事にするのだろうな、と思いました。 この詩の語り手は死体なのですが、私はそれを、解剖しているお医者さんの空想、と解釈しました。 そう解釈して拝読しまして、医師の優しさみたいなものを感じました。 私もこの解剖される女性に、なんだか優しい想いをいだきました。 (或る女の剖検)

2018-03-02

今晩は。 感傷ということをひとはしたくなるし、感傷的な作品に心を動かされる場合が、しばしばあると思います。 とくに若い人は感傷的な気持ちになりやすいように思いますが、年をとったらとったで別れとか絶望とか、感傷的になる機会にはこと欠きません。 しかし、感傷的な作品を書く技術というのはなかなか難しくて、北園克衛などはセンタメンタルの達人と呼ばれた詩人ですが、私などはセンチメンタルな詩を書いたつもりが、なぜかひとの怒りを買ったり、笑いをとったりしてしまうこともしばしばです。 いかにしてセンチメンタルな詩を書くかということ、それは詩というものの一部として、永遠に追求されることなのかなあ、と思います。 この詩は静かさがあり、雨音があり、切り詰めた会話があって、感じの良いセンチメンタルな詩だなぁと思いました。 表現としては、一つにはザーザーが横書きであることが、面白い効果になっていると思います。 雨は視覚的には縦に降るわけですが、雨音は横から来るような気がします。 もちろん、作者には選択の余地がなかったのかもしれませんが、私には横書きが効果になっているように思われました。 最後のフレーズの不可解な雰囲気も、なんだか暗闇を感じさせられ、しんみりしました。 (お星さまになった)

2018-03-02

くつずり ゆうさん ありがとうございます。 昨日私は、高橋源一郎氏の書いた「大人にはわからない日本文学史」という本を読んだところなのですが、この本は樋口一葉への批評が柱の一つになっていて、久しぶりに一葉の文に触れました。 一葉は学問は出来ませんでしたし、当時の最新流行の言文一致に背を向けた文体で、自分と同じように貧しい娘を描き、たった一年と少しだけ創作活動をして死んでしまったわけです。 しかし、圧倒的ですね。 どうにもならず、ひれ伏すしかない。 老若男女ひっくるめて、文学への知識のあるなし問わずに、全員薙ぎ倒す的なパワーが、一葉の文にはあると思います。 この作品はちっとも一葉的ではないかもしれませんが(^^)、 私の目指すことのひとつは一葉のようであることですので、ふだん詩を書いたり読んだりしない方にも届くと良いなあ、と思っております。 (アサダチ)

2018-03-02

誤字失礼しました。 見ていただけます○ (アサダチ)

2018-03-01

エイクピアさん ありがとうございます。 そうですね。 別のことでしょう。 サブジェクト(画題)を持つ殆どの絵が、おそらくは何か別のオブジェクトを持つように。 2月の拙作「トイレット・ペーパーの芯」が、ブローティガンのパスティーシュです。この作品の題名の横の、私の名前をクリックして頂ければ、見たいただくことができます。 (アサダチ)

2018-03-01

kaz.さん ありがとうございます。 口語自由詩は自由なので、目指すものがひとそれぞれ違う、と思っています。 あなたの作品をいくつか拝読しました。そして、私の作風とどんな距離にあるのかを考えたのですが、ベースになる地図(現代詩観)によって様々な観測の仕方がありますね。我々は9次元以上の構造を持つ宇宙で暮らしているのだなあ、とあらためて思いました。 北園克衛のコンクリートと、あなたの作風と、私の作風と、宮沢賢治を、どんな距離にプロットするか。上述のようにそれは地図によるのですが、昨年来私が贔屓にしている「限界芸術論」の地図は、純粋芸術と生活芸術(大衆芸術)を両極に置き、その中間に限界芸術の領土を置きます。 私なら北園の実験は純粋芸術の極北に、あなたの作風は南極大陸にポップアートやジャンル文学とともに、私の作風は賢治とともに南回帰線と北回帰線の間の密林に置くでしょう。 あなたはおそらく、別の地図に別のプロットをするのでしょうね。 芸術の面白いところは、ある地図で遠い地点も、別の地図では近くなることだと思います。 また、ある人にとって地理の分からない遠方の作品は、その人にとっては確かに評価はしにくい。 やはり地図を見るのと踏破するのは違いますから。 (アサダチ)

2018-03-01

こんにちは。 この詩は、寓喩として読みたくなるのですが、「詩」が何かの比喩なのか、詩が何かされたり存在したりするその動作のほうが何か別の行動や現象の比喩なのか、どっちかなあ、と思いました。 例えばウナギというのは、取りすぎだったのか、そろそろ絶滅が懸念されているようなのですが、生物として詩情がなくもないです。 この「詩」はウナギなのか。違いますよね、きっと。 それと同じぐらい勝手な空想として、もしかしたら「紙」かなあ、とか思いました。紙にもラブレターとか、0点のテストとか、破られた日記とか、本とか、いろいろありますが、ウナギと同じぐらいの速度で絶滅しかかっているのかもしれません。 述語のほうが比喩だとするなら、解剖的な批評が、詩を味わうことや、詩の命である詩情を楽しむことから乖離していることとかなのかなあ、とも思いました。 不思議な表現をした、綺麗な詩だと思います。 (思い出す詩のことなど)

2018-02-28

藤一紀さん ありがとうございます。 最近、「新しい小説のために」という批評書が気になっています。 分厚い本で、読めそうにないのですが、そこでは、近代文学と批評を見直して、ある対立軸が比較整理されます。 それは、書くということは、「このように書いたから、このように世界が作られた。」ということなのか、それとも「世界がこのように見えたから、このように書いた。」のか、ということです。 フィクションの批評は、もちろん前者を前提に書かれることが多いわけですが、どんなにそう論じられようと、後者の立場で創作していると告白する作家は現れ続けます。 私は後者であり、「作品において語り手と作者は同一人物である」、と、全ての自作品に脚注してかまわない、と思っています。美観を損なうのでしませんが。 そして、あなたが言及しておられる宮沢賢治も、そうした「作者」であり、語り手である、と私は思っており、私のこの作品も、メンタルスケッチ・モディファイドなのだと思っています。 最近、「永訣の朝」を繰り返し読みました。 それとこの作品を並べると、やっぱり少しだけ、照れちゃいますけどね(^^) (アサダチ)

2018-02-28

今晩は。 緊密な詩行、無駄のない言葉、注意深い構成といった、詩のボディが好ましく、ストレスなく愉しく拝読しました。 選語については、作者自身のコメントに反するかも知れませんが、私はこの詩の選語はスタンザを超えて統一感があると思いました。 例えば「距離」と「時間」の入れ替えを、あざとくなくやっていたり、「あまり」「ひたすら」など、詩語を意識するテクニシャンが避けるであろう言葉を、あえて無造作に使う(それによってわざとらしさを避ける)ところとか、色彩をイメージさせる言葉を限定的に用いてモノクロームな場面をつくり、「女」と「旗」そして血の2箇所のみでパーツカラーのように赤を表現しているところなど、(私の勝手な受容ですが)心地よく愉しみました。 表現で私が面白く思ったのは、手への意識の指向性です。 運命線、という言葉が、深く伏線となっていると思いました。 また手が繋ぐものであったり、何かを手渡す器官であることも、先人から我々の子どもたち世代への眼差しも、統一感のある表現となって主題を表していると思いました。 そんなふうに読んで感じたのは、共感ですね。 どんなに悪い時代になっても、誰かの家に集まって、小さな朗読会を開いたりすることはできると思います。 そうやって生き延びることが、来るべきときのレジスタンスか、または破壊後の再生につながるのではないでしょうか。 そんなことを思いました。 (    )

2018-02-27

蔀 県さん ありがとうございます。 ブローティガンをパスティーシュした詩では、「かっちりしている」、というご意見を複数の方から頂きました。 これはもう少し、ややフリーダムよりな感じの詩なのでは、と思っております(^^) 両方にコメント頂けて、嬉しいです。 詩であることを担保していない、というコメントを頂きましたが、それは私が個人的な詩論として心掛けていることの一つです。 思想に頼らず、形に頼らず、詩語に頼らず、熟語に頼らず、副詞や形容詞に頼らず、描写に頼らず、批評に頼らない。 ただミューズに頼るのみ。です。 エレガには頼るけど(^^) (アサダチ)

2018-02-27

こんにちは。 私もこの詩は、とても緻密に組み立てられた作品だと思いました。そして、緩急がうまく、畳み掛けも効果的で心に響きました。 加えて思ったことなのですけど、まず初読から私は、 「政治的思想に溺れる主婦」 と、いうフレーズに引っかかりました。 貧困の問題や、セイフティネットを弱体化させてきた近年の状況は、やはり政治的課題でもあると思います。 むろんその前に、個別の現実として、眼前にあるものを目に入れる、ということがあり、この詩の語り手はそこを語っているので、ここで語り手が政治的解決を語るのは違うようには思います。 しかし、上記のフレーズは、解決を遠ざけてしまっているように感じて、そこに違和感のようなものが私には生じました。 しかし、再読してみると、この語り手は、他のことについても、自ら解決への道に背を向けているようにも思いました。 例えば母の死についても、この叫びは自らを傷つけることに立ち止まっているようにも思えます。 気をつけて、そこを見ると、「私」が別行に置かれたフレーズも、あえて何もしない語り手を表現しているように思えました。 この詩には一枚奥があって、語り手の悲痛や混乱を隠さず率直に解き放ちつつ、しかし語り手への批判的な(もしかすると自己批判的な)、より大きな眼差しが全体の裏側にあるのではないか、とも思いました。 (ゴミ)

2018-02-26

こんにちは。 水死した父親である語り手が、誰かに送る怪文書。そこには自殺した息子や気のふれた妻が書かれますが、後半から最後は死そのものの詩といった趣だと思いました。イメージしたのはビジュアル系といって良いかどうか知りませんが、衣装や化粧や歌詞などに死を表現するタイプのロックでした。ヘビメタというのかな。 読んでいて、語り手が「詩」にこだわりをもつことを、なぜなのかなあ、と不思議に思いました。もちろん、詩に思いのある亡霊の語り手(書き手)だからこそ、作品の後半が出てくるのだろうともおもいますが、死んでまで様々なタイプの詩を試みる、前向きな亡霊というのがナチュラルな仕掛けだったかどうか、と思いました。 一つのスタイルに絞るか、様々なタイプの詩であることをキャラに位置づけるかすると、受け取りやすいかなとも思いますし、私が大きく読み落としたことがあるのかも知れません。 (安泰宛の怪文書)

2018-02-26

好きなところは、3連でした。 名探偵ではない自分。すなわち語り手でもなく、登場人物でもない自分。かと言って批評家でもない、作者が、ひとつの激情に耐えて、穏やかに立っているイメージでした。 社会は、そんなふうな個人でできてますし。 (社会)

2018-02-24

主題的に魔女の宅急便に通じるものがあるのかも知れませんね。 ひとは何度も何度も成長します。 でもひとつのステージが終わるごとに、感慨はあるし、それをセンチメンタルに感受するか、ドライに眺めるか、雨の日に缶ジュースを飲むような内面的な経験とするか。 その反応の仕方もステージごとですね。 初々しさがこの詩の魅力だとすれば、二連は少し硬いかな。 地を出そうとして緊張してしまった感があります。そこが流れたらリズムが内向的な詩情を生んだのでは、と思いました。 (社会)

2018-02-24

蔀 県さん ありがとうございます。 ブローティガンは茶目っ気やサービス精神に溢れているように見えるところと、猛烈にマイペースなところが混ざっているところが魅力だなぁと思います。 僕の好きな詩では、彼が酒かなんか呑みながらだと思うけど、ロウソクを見ていて、ロウソクの外と中をひっくり返すことを思いつくんですね。 で、彼が勝手にそれを想像して、イイだろ?とか言って詩が終わってしまう。 こんなのアリかよ!と思うのだけど、実際に想像するとものすごいことになるんですね、読者の頭の中が。ブローティガンはとっくに詩を書き終わってあの世で知らんぷりなのに(笑) 僕はもう少しイサギ悪く、もう少し長生きします。そしてもうちょっとネタを割る(^^) 偉大な詩人の作風と比べて読んでくださり、光栄です。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-23

るるりらさん 素敵なご批評ありがとうございます。 あなたが、書かれたそのコメントのようなものこそを詩の批評というのではあるまいか。そうしたものを書きたいものだ、と私は思うのですが自分では書けたためしがありません(^^) 詩を生きること。 そのささやかな生活を、まあせいぜいのんびりと、楽しみましょう。 この小さな詩が、しばしのあいだあなたとご一緒できて幸甚です。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-23

コメントしてから思ったんですが、1999、2011、2017は素数だったんですね。 そして1984は素数ではなかった。 素数であることに、それがどうという格別の思いは私には無いのですけれど、この詩にはそこになにか、静かな語り(むしろ沈黙)を感じます。 (カズオ・イシグロ)

2018-02-19

2つの点で面白かったです。 一つは改行。 この作品は改行されていないのですが、スマホで縦表示で見ると、最終行までピッタリと並んでいます。 半角数字四桁は改行されないとか、表示の仕組みをいろいろ知ってるひとが工夫したのでしようけど、どうやるんだろう、と思いました。 もう一つは素数の出現率です。 素数と素数を掛けて素数じゃない数ができるわけですから、大きな数になって行くほど素数じゃない数が出現しやすくなって、素数は出現しにくくなりそうなものですが、二千代までを百づつ眺めると、おんなじようにたくさん出現してますね。 (カズオ・イシグロ)

2018-02-19

ある場所に作品を発表する意味というのは、その場における常識の破壊にほかならない、と私は思っています。 一例を上げれば、ネット詩の今というシーンでは、「作中の「私」は作者ではない。」と、いう論が、あたかも妥当であるかのように流通していますが、これを文芸批評で誰が言い出したかというと、軽く五十年は前の論ですし、小説技巧だと、二百年ぐらい昔の生まれで、ホコリをかぶりまくりですわな。 そのまんま進化しないのかよ、と私などは思います。 背表紙を見ただけで未読ですが、「新しい小説のために」という最近の批評書籍では、作者と語り手の問題をモロに扱ってるようですし、学術としての文学は、いくらなんでも五十年寝たきりということはなく、もう少し進んでいるのでしょう。 さてこの作品ですが、もし語り手を作者と峻別して読みますと、語り手はバイバイと言ってるけど作者は去らないよ。とも、読めます。作者がこのあと、そうコメントしたらどうなのか?アリかナシか。 でもそれは、私の世代(ネット詩第一世代)の言葉で申しますと、 「ネタにマジレス乙」 と、言って言っているのと同じなのではあるまいか。 そんなのアリでいいのか? と、いうことがあろうかと思いますが、アリなんでしようね。ネット詩の今のシーンでは。 だけど、ナシだと見なしうる場合のみ、この作品の発表は芸術行為だと私は思います。 (さよなら、インターネット)

2018-02-18

今日は。 私もこの詩は、面白くないとは思いませんし、面白さの向こうにいろんな経験もあるのかなあとも思いました。含蓄が深い、みたいな、ですね。 でも表現について、私が自分で思っていることからすると、どうなのかな、という点があります(後述します)。それは私の考えだから、作者はそれと関係なくご自分の目指すものを書かれたら良いと思うのですが、感想の一つとして書かせて頂きます。 我々は、非常に頻繁にドラマ化されたものを観ます。テレビ・ドラマとか、ビデオ・クリップとか、お笑いコントとかですね。 その結果、現実と作り物の間に、あまり意識がいかくなっているところもあるような気がしているのですが、それが無防備に作品に出てしまうと、安っぽい印象になるのではないか、と思っています。 (引用) 愛」と書いた紙を丸めて 窓の外に投げ捨てました この部分なのですけど、これは現実にはやらなそうな気がします。 では比喩なのかというと、そういうことではなく、語り手が場面を演じているのだと思うのですね。 非常にビデオ・クリップ的だと思います。 そうであることによって、この詩は、想像の軽やかさにより、状況を乗り越える物語を差し出している、とも言えるのですが、、、果たしてそうかなあ、と私は感じてしまいました。 おそらくビデオ・クリップそのものは、自然に非現実的なのではなく、意識して、演劇的なのだろうとおもうのですが、ここでは、語り手が半分だけパペット人形に入れ替わってしまったような、感じがしました。 詩の在り方は多様なので、違う感覚や意見もあろうかと思います。 一つの感想として。 (誰かに愛されたいならば)

2018-02-17

破壊されたギリシャの彫刻が、連想されました。 トロソーとか、腕を壊されたミロのビーナスとか、サモトラケのニケとか。 メルとは何なのか、私もわかりませんでした。 メモリーに似た音の言葉だな、と思いました。 (メル)

2018-02-16

全部ひらがなで、句読点もないので、ぱっと見にはとっつきにくい感じがしたのですが、タイトルがパワフルで読みたくなりました。 夜が来たのだ、と私も感じます。この詩の語り手の知りえない、私の日常と私の精神における、私の隠喩において。 共感にむけて開かれた詩だなぁと感じました。拝読して、ほっと息をつく感じ。 (しらないものをさけることはできない)

2018-02-16

非常に注意深く、丁寧に言葉が選ばれていると思うのですが、「絶望感」という言葉だけが、荒削りだと思いました。 そこが良いですね(^^) その前後でユーモアが装われ、それが全体に伸びやかさや華やかさを、ごくささやかにもたらしていると思います。 その一語は、逆に全体を壊してしまいかねなかった、勇気のいる粗雑さであり、あざとさと紙一重の技巧だと、そんなふうに私は味わいました。 できることはやる、という感じの、力を尽くす、良い追悼だと思います。 (可愛くない犬だった)

2018-02-16

何だろう。 何故か惹きつけられました。 ある語り手が、あまり一般的ではない経験を語る。 語り手は太陽の落下を無力に見ている。それは当たり前のことだけど(地球は回るし、ときは流れるから)、語り手は当たり前ではないかのように見つめます。 また、鏡の中に、アフリカの凧を見てしまう。それはちっとも当たり前ではないのですが、語り手は当たり前のことであるかのように意識の焦点を移動させ、携帯が鳴るのを見る。 世界に対して、ここまでどうにもならん感を感じることは、僕にはないので、この詩は共感をあまり感じないはずなのだけど、感じますし、惹きつけられますね。 大雑把には、メランコリーと呼ばれる感情は、実は物凄く多様な、ほぼ個別な感情なのかもしれない、と思うのですが、何故か伝いあえる。 そして、メランコリーは詩情豊かに描かれると、何故か、美しくなりますね。 この詩も綺麗だなあと思います。 (未処理)

2018-02-16

二重送信になり、失礼しました。 ねむのきさん 今日は。 コメントありがとうございます。 13個も思いつくとは、素晴らしい。 お察しのとおり(かな?(^^))この数字は、私が実際に試みてみて、そこから無茶となる数字を出してます。また、もし2分に1個思いつくなら、3時間とすこしで、つまりは夜明け前に書き上がる数です。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-16

夏野ほたるさん ありがとうございます。 この詩を収めた詩集は、発行直前まで「詩が書けない」というタイトルにする予定でした。同タイトルの詩篇も収められています。 私自身、あなたがおっしゃるようなことをブローティガンに言われたような気がします(^^) (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-16

夏野ほたるさん ありがとうございます。 この詩を収めた詩集は、発行直前まで「詩が書けない」というタイトルにする予定でした。同タイトルの詩篇も収められています。 私自身、あなたがおっしゃるようなことをブローティガンに言われたような気がします(^^) (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-16

奇偶さん コメントありがとうございます。 うむ。皆様真面目ですな(^^) 私もですが。 もうひと工夫欲しいというのは、私もこの詩に感じるところなのかも知れません。だからこそ、詩集の巻頭に置いたのかも。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-16

失礼。極みなのでは、と思いますが、ブローティガンはそれに通じるところがあると思います。 この詩はパスティーシですので、マネにも程が有るほど真似ています。とはいえ、盗みにも、盗みの手口にも鮮やかさということはあり、そこで競えるのでは、と思うのですが、どうもブローティガン本人のイカス盗賊ぶりには遠く及びません。彼の場合、何を盗んだのかわからないぐらいですから。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-16

藤一紀さん ブローティガンの影響を受けたのであろう詩を、私は現代の日本の詩誌や詩集で時々見かけます。ブローティガンは詩の手品のように、お茶目なテクニックを次々使うので、マネしたくなるのだと思いますし、ブローティガンの使うテクニックには、入沢康夫と同じ趣向のものもあり、もともと彼にある東洋趣味が私達に響くのかもしれません。 端的にかっちり書くことでは、俳句や川柳がそのきわみ (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-16

私がこの詩を初めて読んだのは、もう1年以上前になると思うのですが、やはり私の詩を読む力は、あまり進歩しなかったようで、この詩は私にとっては今もとても難しいです。 私の解釈では、ここではポエジーと現実の衝突が起きていて、それはシュールレアリズムの美であるところの、異質なものの偶然かつ明晰な出合、(文が長くなりますが)、即ち女神に引き出しのついたダリの絵のようなものを思わせられます。 完成度の高い作品だと、あらためて読んで思いました。 シュールの絵画は、私に沈黙を齎すのですが、この詩も、これを前に自分が何を感じているのか、私はうまく語れなくなります。 しかし、魅力を強く感じますね。 この暖かく素敵なものと残酷な現実の、冷たい衝突の向こうにあるものは決して描かれない。だけど見つめ続けたくなるんですよね。 反美学とか反ポエジーとか言ってしまいたくなるけど、こうして読むと、やはりそうではない、と思います。 この反復の穏やかなポエム的味わいは、それ自体も仮象ではない。 不思議な詩だなぁ、と思います。 こういう視力でしか見えない何かが、現代にはあるのかも知れませんね。 (うしのはんすうし (B-REVIEW EDITION))

2018-02-13

渚鳥さん ありがとうございます。 励みになります。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-13

Rさん コメントありがとうございます。 展開を褒めてくださり、ありがとうございました。 四連もブローティガンのパスティーシュだったかどうか、正直に言って私は覚えていないのですが、村上春樹の文体を意識してはいなかっただろうと思います。 実は私は他の作品について、春樹のファンの方からは、春樹っぽいと言われたことがあるのですが、春樹を読んだことがない方から言われたのは初めてで、少し驚きました。 私は村上春樹の小説でしたら、ほぼ全作品を読んでいますし、彼の小説を高く評価してもいますが、彼はあまり詩的ではないと思っています。悪い意味ではなく、彼は小説家として、特殊な才能を持っている人だと思うのです。 春樹は詩人と対談することもあり、詩の翻訳もしていて、詩について面白いことも述べてはいるのですが、自分の詩作への影響となると首をひねるばかりです。 しかし春樹のクセを模写した文体にすら似ているとのことでしょうから、やはりどこか似てるんでしょうね。 少し意識してみたり、ひとに聞いてみたりしようと思います。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-13

KURA_HITO さん ありがとうございます。 この作品はパスティーシュの小品ですが、詩集では巻頭に置きました。この詩のウィットがすべっていなくて、イメージが伝わったようですので、作者はとても嬉しいです。 ありがとうございます。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-13

いやぁ参ったな、と思いました。 どうやったらこんな素晴らしい作品が書けるのだろうか、と思いますがどうやるもこうやるもなく、思考や心を縛らなければこういう詩がかけるのであろうと愚考し、自分もかくありたしと思います。 かつて映画「おっぱいバレー」で私を泣かせた、女優の綾瀬さんが、最近、新作お披露目会見で、希望は何ですか(夢は何ですかだったかな)と、訊かれ、 「世界平和です。」 と、答えたそうです。 また泣かされてしまいました。 あなたはオードリーヘップバーンかよ(良い意味で)(^^) とも、私は思いましたけど、そういうもんなんだろうなあ、と思います。 自由、というのは気持ち良いですね。クジラのお刺身、美味しくご相伴にあずかりました。 (おもてなし妖怪2018)

2018-02-13

これは素敵な詩だと思いました。 最初、パッと目に入った瞬間、なんだか切ない感じがしたのですが、言葉を追ってみると何かが苦しいとか切ないとか書かれているわけではないのですね。 でも何かぐっとくるものがあって、何なんだろうと思ったのですが、三次元の実物としては実現しない、涙ではない涙、みたいなものを感じました。 それが制御されていて、大人な感じ。アベンチュリンが効いてると思います。 綺麗ですし。 上手く言えないのですが、わかりみが深いです。 (過眠)

2018-02-13

夏野さん ありがとうございます。 よろしくお願いします(^^) (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-13

花緒さん、survofさん ありがとうございます。 コメントを頂けて嬉しいです(^^) 花緒さん ブローティガンは、ボードレールが気に入ったらしく、いくつかの詩に「ボードレールの猫」が登場しますが、とてもお洒落な引用の仕方をします。 確かにボードレールには、禁断詩篇のなかにあると言えばあるんですが、実は無関係なようでもあり、そうでもなさそうでもあり、、、冗談と真摯さ両方をたっぷり持った詩人です。 ここでは、変な引用の仕方も、ブローティガンに見習いました(^^) survofさん ありがとうございます。 拙者は、男の美学とは誤魔化しの技術、あるいは強がりの技術と心得まする(^^) 微細な陰影を読んで下さり、幸甚です。 (トイレット・ペーパーの芯)

2018-02-13

今日は。 僕もコメントを読んで初めてコンセプトがわかりました。 まず、その時点で(僕に対しては)作品が失敗していますので、おそらく、ポエムしか愛さず隠喩を嫌うひとに対しても、嫌悪より前に無理解を齎してしまうかもしれないな、と思いました。 再読して、感想としては、「この作者さんは宮沢賢治を愛してしまえば良いのに。」と、思いました。 「マルドロールの歌」は、幼児を虐殺することを喜びとするシリアル・キラーを主人公にした、数百ページに及ぶ長編詩ですが、この詩でパスティーシュされてるところは、直喩の一部です。 直喩は、AがBではないことを前提に、AはBのようだ、と語ります。 例えばマドンナのライク・ア・ヴァージンは、ヴァージンじゃないことが前提であり、マルドロールの歌も、そこで直喩が使われたことは意味深であり、全編をピュアなラブソングと解するひともいたと思います。 それと対象的に「俺は一人の修羅なのだ」、と語ったのが宮沢賢治であり、ふわふわした童話しか愛さない読者層に、彼は強烈なビンタをかまし続けて、もうすぐ百年ですか(^^) そんなことを考えました。 (ワタシのきもち (エルサポエム))

2018-02-12

今日は。 この詩は、スタイリッシュでイイな、と思いました。 一番と二番みたいな構成になってるし、「まあそんなんだろうな」の所はスリリングに変調するし、その次の行はシャウトする感じがあります。また、文節は五音をベースに整えられてます。 最後のキレもイイと思いました。 (蔑まれ者)

2018-02-11

すみせん。石ではなく、すみれでした。 (letters)

2018-02-11

今日は。先日は「姉の自慰」の朗読を許可して下さりありがとうございました。ステージで読んでみて、新たに深く、孤独な感動がありました。 この作品ですが、私は冗長さを感じました。途中で魅力を感じなくなってしまい、集中できず、読み返して、3度目にやっと全体がつかめました。 4回目、読み直したときは、すっと読めて、情感も伝わりました。 言葉に頼って、言葉で伝えようとしてしまって、弱い表現になっている感じがします。 また工夫の効果のわからないレトリックがあり、印象を散漫にしていると思います。 (引用)  これは紗代ちゃんのおめかしなの、と あや子が摘んできたものだ その花びらに刻み込まれた皺の一つを辿り 幾重にも錯綜する筋に多くのまちがいを繰り返して やがて最初の皺がすみれの一枚の花びらを横断したころ 昇ってきたのが朝陽だった (引用終わり) この部分、さやちゃんと、石と、語り手と、あや子が登場します。また隠喩としても書かれている雰囲気があります。 例えば引用冒頭は、台詞が地の文に融合しているため、語り手視点で読みましたけど、あや子がまだ登場したてなのに、語り手が邪魔なように思いました。二重フィルターを通過しないとあや子に届きません。 シワの表現に漢字が多数使われていますが、最初の筋への着目に戻ってしまい、読んでいったイメージがリセットされてしまうので、これだけの説明をスルーして意味を追ってしまい、隠喩としてはあまり作動しません。 最後も、冒頭からの伏線のラインが浮き上がれば締まりますが、そうでもないように思いました。 内容は味わい深いですし、言葉を検討した気配を感じますが、もっとガッと掴んでドンと置くような、目覚ましいフレーズが、この詩の着想を活かすのではないか、と思いました。 (letters)

2018-02-11

「ひとをののしるひと」を、上手に罵る詩だなあ、と思いました(^^) 冒頭からの三角の形態は、私には狙いがわからなかったのですが、わからないためにかえって、「なんだろう」と思ってじっくり読んでしまいます。 その結果、「ひとを罵る言葉は君の精神だ」というメッセージを受け取ってしまい、哄笑されてしまう。 一つの思想詩として、効果的にできてるなあ、と思いました。 でも感想としては、だから何?的な想いはありました。 ひとを罵るひとは、おそらく醜い心の持ち主でしょうし、自らの醜さに気付いていないのでしょう。 それは一読者である私自身についても、批判として受け取らねばならないなあ、と思いましたけど、この詩も、そうしたひとを罵る以外のことをしていないように感じました。 (ノノシル)

2018-02-11

今日は。 他界した私の母は、童話作家だったのですが、実体験した怪談を書き残しています。 空襲の直前に、親しかった軍医が現れて「起きろ」と言う。 怖くて泣き出して大騒ぎして家から飛び出し、何事かと家族も出てくる。そこへ焼夷弾が降ってくる。 間一髪で助かった話ですが、あとから調べるとその軍医さんはそのときすでに、出征した戦地で亡くなっていたというのですね。 この場所を去らねばならない、という強い想いにとらわれることは、多くのひとが経験すると思います。母の話もあり、そういうときは行動したほうが良い、と私は思っています。 ましてや、異界から何者かがそれを教えてくれたのなら、その場所から去る方がいいなあ、と私は思います。(一般論として) ありがたいのだろうけど、でも、異なものとのコミュニケーションは怖いですね。 この詩は、そんな、背筋がゾッとして走り出す瞬間を、鮮やかに描写しているなあ、と思いました。 (曖昧な憂鬱)

2018-02-11

改行に特徴があるなあ、と思いました。 北川透は「詩的レトリック入門」で余白の重要性を強調します。 そして、改行詩の改行とは、余白を生じさせるレトリックだ、というようなことを述べていましました。 (作品より引用) きみの言葉をかき消す たびに風が抜けて この部分は文としては、「きみの言葉をかき消すたびに、風が抜けて」だと思ったのですが、繋がってるところで改行されています。それによって、一度流れが止まり、息も止めさせられるような気持ちになる。そしてすぐまた、つながる。 この詩にはそういう改行がいくつもあり、小さいけど強い余白が、いくつも発生して、「わたし」と「かの女」の別れのあり方を、上手く表しているように思いました。 解釈としては、二年前の別れがあったのだけど、そのときバッサリじゃなくて、2年かけて少しづつぷちぷちと切れてゆき、それをふと見かけた、傘をさす女から認識した。と、いうように私は読みました。 それと「彼女」は、男性をさす場合もある「彼」という言葉が入った表記を嫌い、「かの女」と書く書き方をしたのかなあ、と思いました。 僕の学生時代の女友達に、 「彼女とは、「彼(かれ)の女」という意味。女は男の所有物じゃないから、自分は使わない。」 と、主張して、いつも「かの女」と書くひとがいました。 そのひとの説明が正しいかどうかは知りませんが、私もその影響で、「かの女」という書き方に違和感がなくなり、そのまま今日に至ります。 漫画「最終兵器彼女」が描かれるずっと前です。 (quasi-)

2018-02-11

追記します。 なかたつさんの論考を私は過去に読んだ記憶がありますし、その趣旨を興味深く思い、賛同しました。 それはこの詩を着想するより前だと思いますので、なかたつさんの論考に影響されて私も思考したのではないか、と思います。 記して感謝します。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-06

なかたつさん コメントありがとうございます。 あなたのその論文は、拝読した記憶があります。虫歯の例はとてもわかり易いし、論旨について同意です。 その上でですが、この詩では、どこまでも科学が進化し、無限の時の果で悲しみの理由が解析しつくされた、というSF的な仮定をします。そして、そうその時すらも、どうしても理由が分からない悲しみがあった、とも仮定されている、と思います。 あるいは、一つの解釈としては、そうも読めるのではないか、と私は思います。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-03

るるりらさん ありがとうございます。 あなたからコメントを頂いて、私も温かい気持ちになりました。 ここに出して良かったです。 投げ瓶通信だな。いつか読んでくださると思ってました(^^) コメントを拝読して、一つ、忘れていたことを思い出し(思い付いたのかも)ました。今思いついたのか、前にも言ったか、どっちだったかなあ。 「悲」という漢字は、一般には非と心ですが、実はダンゴムシに由来する象形文字なのかもしれません。 それは嘘ですが、そんな気がします。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-03

この詩は、私は好みで、イイなあと思いました。 言葉が何かを意味したり伝えたりする過程の、生なましい現場を繊細な写真技術で写し取ったような、喩えとして良いか悪いかわかりませんが、短歌ではなく俳句を思わせる作品でした。 一連と二連は場面を歌い、言葉を生きた状態のまま保つことについては、繊細で高度ではあるけど、特にわからない描写はありません。 強いて上げるなら、短歌的な我の心情吐露ではなく、私を横に置くようにして、場面が読者にポンと渡されます。子どものいる風景、だと思います。誰の記憶にも、キラキラした川面とビーズみたいな子どもたちがあろうかと思います。 3連は、悼む、ということを巡る心が、意味や情景としてではなく、言葉の向こうや隙間に定着されます。なんというのでしょう。吐露ではない、とは思うのですが、表現とでもいうのか。 メモリー、というのはとても大切なものだと私は思うのですが、詩とは、メモリーを大切に、言葉少なく、メモリーのままに置くためのものなのかも知れません。 四連は、この作者の個性や独創性なのかなあ、と思うのですが、読者に渡さないものが何かあり、隠蔽と封印の気配の中に留め置かれます。 しかし、記憶というものはそうしたもの、個人がそれを握りしめ、お腹に押し付けて、さらに体をダンゴみたいに丸めて、守り抜くものでもあるなあ、と思います。 感じの良い隠蔽というか、或いは逆に、語り得ないものまでも表現した、ということかもしれません。 (撹拌)

2018-02-03

わかりにくさは、たぶん方言の女言葉と男言葉のちがいなんじゃないかな。 (相対化する高校生の欠片)

2018-02-02

コーリャさんのおっしゃるように、これ、エモいです。 僕は好きです。青春ラブポエムだ(^^) 昔、もう二十年ちかく前のことだけど、ポエトリーリーディングのスラム(投げ銭全額獲得、タイマンバトル式の大会)で、審査員をしてた詩人のMさん(あなたもネットで知ってるひと)に、実に印象深い言葉で褒められたことが僕はあります。 とても真剣な、ちょっと怖い顔でね、 「とても良い。まず、剥けてるかどうか、と言うと、ズルムケですね。」 と、言われたのですが、それは確かに褒めてるんだろうけど、女性もいるのに何言っちゃうのよこのひと、みたいに、そのときは思いました。でも、その後、それは僕のモノサシになりました。ステージを降りるとき、(今夜、俺のココロのちんぽは、むけていたか。)と、自分に問いながら降りますよ…。 そんなわけで、この詩は一皮剥けてて、良い。と僕は思いました。 読んでてイライラしないし、ジンとくる。オーディエンスに敬意を払ってるし、スタートラインに立ってから書き始めてる、と思います。 いくつかの言葉がとても良くて、しかも阻害されずのびのびしてます。 言葉をナイフに喩えるなら、エッジが立ってるね。 「卒業」、「夜逃」、「好いとう」、「先生」。 どれも刺さってくるけど、「夜逃げ」が研がれてて良いです。 それと、ある言葉を詩で、どう活かすか、についての話に回り道しますが、白井さんというひとから、明示と暗示のことを聞いて、勉強になったことがあります。 この詩では、「夜逃げ」他は、言葉として(意味ではなく言葉そのもの)、とても良い状態で【明示】されてます。それも良い。 でも、暗示されている「自殺」と言う言葉も、その言葉の運命のままに暗示されてるよね。そのあり方も、とても良いと僕は思いました。 描写としては、お父さんがイイね。先生はエロくないのでそれほどでなもないけど、この詩ではこれで良いような気がしました。 (相対化する高校生の欠片)

2018-02-02

グーグルグル夫 さん ご批評ありがとうございます。とても有難いです。 コメントを拝読して、この詩には、仏教的な世界観や思想につながるものがあるのかもしれないなあ、と思い、光栄に思っております。 この詩を収めた詩集も、宗教的な伝説と(やや遊び的に)関係します。 アガルタとは伝説の地底国であり、シャンバラとはそこにあるとされる理想郷です。 横尾忠則は、宇宙の生物は、シャンバラのビラミッドから放射される生命エネルギーで生きている、と解釈した時期があり(今もかもしれません)、この詩集に収めた標題作「アガルタのシャンバラ」は、横尾の描いた曼荼羅図により着想した詩です。 とは言え、それもかなりふざけた詩でしたし、あなたのコメントを拝読するまで、この作品と仏教の関連は作者は意識していなかったのですが、いろいろ考えてみると作者ながら頷かされるところが多々ありました。 地蔵菩薩は、一切諸衆が救われるまで自分は成仏しないとの悲願を立て、地獄に立っておられるとのことですが、この「悲願」という言葉の「悲」という言葉は、悲しみではなく、「強い想い」の意味だといいます。 そのことを私は十代の頃、小耳にはさみ、今に至るまで時々思い出します。 作品を豊かにする読みを、ありがとうございました。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-01

夏野ほたる さん ありがとうございます。 理由のない悲しみ、ということについて、私に説明ができると良いのですけど、難しいです。すみません。 あまり良い説明ではないかも知れませんが、自分が(いつかは)死んでしまうこととか、そのあと忘れ去られることとか、そういうことと漠然と関係していそうな、全身を包み込まれるような感情です。 「ダンゴムシや生きる人々への無理やりじゃない、寄り添うような優しさが感じられてとても好きです。」 と、コメントして下さり、嬉しいです。 三浦さんのご批評にも通じますが、そうした詩を書くことを目指しております。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-01

岡田直樹 さん ご感想ありがとうございます。 今後の詩作の糧にさせて頂きます。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-01

survofさん ご批評ありがとうございます。 先月、「焔」という同人誌で、稲村さんという方が私について作家論的な批評を書いて下さいました。 その中で、「純粋おっぱい」という拙作を取り上げて、「おっぱい」を全部消してもいいのかも知れない、という実験的な読みがあり、面白かったのですが、この詩でも、もしかしたら「悲しみ」を全部消しても何かが残るのかも知れません。 「本当には、 「理由がない○○を悲しむことに意味がないかどうか、 「私はわからない と、いった調子です。 それは、あなたがおっしゃるモノへの変換ということと、何かつながるのかもしれないです。 クセかもしれませんが、たぶん私なりの技巧です。ですが、それについては、まだ作者にもよくわかっていないことが多く、コメントを興味深く拝読しました。 ありがとうございます。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-01

まりもさん ご批評ありがとうございます。拝読して、作品が広がるように思いました。有難いです。 生きとし生けるものは喜怒哀楽を感じるのだ、と私は思っています。まだ科学がそれを理解していないだけで。と。 それはきっと、詩人VS科学者の長い戦いですが、あと数千年は決着が着かず、それまでは「擬人化」という言葉の仲裁を受け入れて(あるいは受け入れたふりをして)、我々人類はやっていくのだろう、と思います。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-01

花緒さん ご批評ありがとうございます。 拝読して、なるほどなあ、と得心しました。 三浦さんの、言葉に対する感覚を私は高く買っているのですが、彼はしばらく前にツイッターで、「死にたみ」がどうのとかほざいていやがりました(笑) そのとき、私はスルーしましたけど、「それだよね」、と、思いました。 消えたみ、とかね。 「よごれつちまつた悲しみに」 と、いうフレーズが、若い人たちの唇に戻るのは、今ではないのかも知れません。 その感覚を私も持っています。 しかし、私は悲しみということを大事にしたい気持ちがあり、この作品が、そこへと誘う力を、もつことができていたならば、それは光栄です。 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-01

緑川さん ご批評ありがとうございます。 頂いたコメントの中の、花を生けない生活、という言葉にハッとしました。 私は詩をかなり意識的に書いていますけど、出来上がった作品には、無意識に書いたのだとしか思えないことをしばしば見出します。 おっしゃる通り、このテーブルには薔薇は生けられていません。 そして、その秘密がどんな秘密なのかは、、、 秘密なので秘密なのですが(^^) 藤一紀さん ご批評ありがとうございます。 秘密というのは、とても大事なものであり、それを持つことができたときは、そのことに感謝する、、、しかないのかな、と私には思えます。 そして、互いに秘密を許さない契約と言うものも、大事なものだと思います。そうした大事な契約を持つことができたことに、、、それも感謝するしかないなあ、とも思いつつ。 この詩を愉しんでくださり、幸甚です。 (薔薇)

2018-02-01

三浦さん いや、僕のほうが、あなたよりカッコイイじゃんか!ダンゴ虫、イカスし!ナウシカなんかダンゴ虫の上歩いて伝説ですよ!と、思いました(^^) なんちゃって、ありがとうございます。おっしゃることは、ありがたく、よくわかります。私の目指すところでもあり、光栄です。ドブネズミみたいに美しくありたいですよ。クロマニヨンズも良いけどね(^^) (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-02-01

ユーチューブ聴きました。 携帯からだと、アドレスを選択して、点々から「ウェブ検索」を選ぶと、聴けますね。 私も時々、詩を朗読するのですが、朗読は朗読で作品であるという面もあり、テキストで読むときと少し違う面もあると思っています。 例えば、 「お前一度は思ったことあるんじゃないのか判んねえけれども」 というフレーズですが、テキストで読むと、「あるんじゃねえか」、と「判んねえけれども」の力の配分がぴったり同じに読めてしまい、「あるんじゃねえか」がいくらか打ち消されて弱まってしまうと感じました。 でも、朗読ではそうならなず、むしろ突き放されることによって「あるんじゃねえか」が強まると思います。 これは朗読を作品として味わって、テキストは理解を深める補助と考えたほうがイイかも、と思いました。 で、私は朗読作品として、これはとても好きです。いいなあ、と思いました。 「上手く騙せてると思ったら大間違いなんだよ バレバレなんだよこの野郎」 この↑フレーズ、炸裂してますね。グッサリ来ました。 ここから、疾走感が心地よいです。真っ直ぐに展開していて、何一つ間違ったことを言っていない。 間違えていない、ということを軽くみる風潮が世間には(それこそ世間には)あるけど、それは違うと私は思う。間違えてない、というのは大変なことで、みんな這うようにしてそうしたもの(それを思想と言うと思うけど)にたどり着くわけですね。それには価値があると私は思います。 「これは個人的な話じゃないんだ 「本当の気持ちに誇りを持てよ人類と言いたいんだよ 怒りというものが、何らかの美であるのは、正当性を伴うときであると思います。しかし、正当性をロジックで示せるときと示せないときがある。それが戦いなので、勝てるときも負けるときもあると思うのですが、真実を大切にすることによって、勝てる見込みが出てくるのだ、と思います。言い換えると、このフレーズは腰が座ってる、ということで、さらに言い換えると、そういうのがカッコイイです。 「己の道をゆく苦しみは 己を抑圧する苦しみと比較すれば随分と開放的だ」 これもグッサリと差し込んでくる、真っ直ぐなフレーズだと思いました。 (スカルブレイン)

2018-01-31

この作品、仕組みに気付いたときに何故かゾクっと来ますね(^^) ミステリはそれ自体がサスペンスを誘発するんだなあ、と思いました。 (もぬけの穴のけもの)

2018-01-31

あ!化物じゃ(笑) (もぬけの穴のけもの)

2018-01-29

も も  へ へ の の  の の  も    も  へ    へ こうして比べると、ものもの氏のほうが、ちょっと思慮深そうだつたり、ちょっと平安時代っぽかったりするかな。と、思いました。 へめへめ氏とかも、良いように思います。 も抜けの穴というのは、もを入れましても「もあな」では意味にならず、フレーズからもを引いても隠した意味にならず、さらには「も」と「穴」が漢字の部首にならないかなど愚考しましたが、わかりませんでした。 でもなんか暗号っぽい雰囲気がありますね。 音としては、もこもこして言いにくいのが、面白いかも、と思いました。 へ へ め め (もぬけの穴のけもの)

2018-01-29

タイトルと、作中に使われた「さもしい」という言葉がイイですね。 私は意味を知らなかったのだけど、さもしいとは、極めて強い罵倒語なのですね。ひどすぎて、あまり使われない言葉なのかな。 例えば特定の女に、「あなたはさもしいひとですね。」と、言うなら、それは凌辱するに近いような人格否定であり、日本語にこんな言葉があったんだなあ、と思いました。 そこがこの詩の良いところだと思います。 坂口安吾の小説に「白痴」というタイトルのものがありますが、あれも作中である女を嘲って白痴と呼びます。私がとても好きな小説なんですけど、「さもしい」という言葉のもつ暴力は、あれを連想するなあ、と思いました。 ただ、私が感じたのは、そのせっかくの「さもしいひと」という言葉を、この詩は殺してしまっているなあ、ということでした。 先日、カリフについても思ったのですが、作者の言葉に対する感性の鋭さ、というものを私は感じます。 だけど、それを安全に運用してしまっていると思います。 さもしいひと、という言葉を危険に使ったら、もしかしたら逮捕されるかもしれないし、「カリフ」を危険に使ったら、暗殺指令が出るかも知れません。 だからブレーキをぶっ壊せ、とは言いません。そこは自己責任で。 でも、ブレーキを踏む前にアクセルを踏まないと、読んで面白い詩にはなりようがないのでは、と思いました。 (さもしいひと)

2018-01-29

良い詩だなあ、と思いました。 濃密で官能的。快楽と退廃。 それでいて、わびさびとでもいうのか、自分の運命への諦念と、相手への配慮を背景にした、軽やかな絶望。 イキですね。 (フライングバレンタイン)

2018-01-29

詩を書くときに、描写も暗示もしないで、読者に作品をポンと投げ渡してしまうような書き方もあると思います。名作にもそうした詩はあると思いますし、じつは私もそういう書き方が好きで、ときどきするのですが、一発勝負なので、わりと勇気がいる書き方なんじゃないかなあと思っています。 この作品は、そうした投げ渡された作品のようである反面、受け取る直前に、最終行で取り返されたような感じもあり、戸惑いました。 ボールに紐がついていて、キャッチする直前に戻された感じです。 もし、最後の二行がなければ、そうした感じにはなりません。取るとスッキリすると思います。 しかし、もし最後の二行がこの詩の大事なフレーズなら、前半や中盤になにか仕込むなど、構成を工夫して、この最終行の思いが唐突でないようにした方がいいのでは、と思いました。 冬の寒さと人気無い静かな感じは、しっかり伝わるように思いました。 (あっちいね)

2018-01-28

こんばんは。 人工知能の進歩により、様々な未来が想像されます。 この作品では、人類と人工知能の戦争の可能性が指さされ、それと愛や恋が関係するケースが挙げられています。 可能性としては、それもあるでしょうし、それにも様々なケースが想像できます。 大切なひとを守ろうと頑張らなければならない未来もありえますが、ここではどんなふうにそうなるのか、書かれていません。 また最後には、恋人が人間ではなく人工知能である未来が想像されていますが、それもあり得ると思いますが、いろんなケースが想像されると思います。大切なひとを守って戦うことと、恋人が人工知能であることが同時に想定されるケースが、どんなケースなのかも書かれていません。 いずれの段階でも、この作品では、どんなケースが想定されているのか、私にはわかりませんでした。 そういう点で、これはひとに伝わりにくいテキストなんじゃないかなあ、と思いました。 面白さとしては、題材と語り口両方が新鮮だと思いました。 やはり、主題が花鳥風月や、生老病死とかばかりではなく、いろいろあると読んで楽しいです。 語り口も、語り手が自分の考えを語る語り口で、SFの掌編として書かれていません。そのために、このテキストが存在する必然性が増していると思いました。 (Singularity)

2018-01-28

注2):POEM ROSETTA掲載、「悲しみについて」 (昨日私は悲しみについての詩を書いた)

2018-01-28

今日は。 例えば、ですけどね。 今、この語り手が一人の女を刺殺したのだとします。 返り血で、男の白いワイシャツは赤く濡れ、この事態は覆い隠すことがもはや出来ません。 どれだけの時間、ぼんやりしていたのか、気がつくと雪が、降っている。 体は冷え切り、このまま凍え死にそうな予感がしている。 雪は全てを埋め尽くす勢いで、大量に降り注いでくる。 そんな場面を想像します。 するとなんだかしっくりきました。 俺はそんなに白くない 俺はそんなふうに埋め隠せない 呟きが聞こえてきそうです。 そして、そんな場面のことは忘れる。 ただの空想ですから。私の。 そしてもう一度読むと、白くなくて、そんな風にはできない誰かが、雪に敗北しながら、雪を見ていますね。 この誰かの気配が、なんか感じがいい、と思いました。 上に述べた殺人犯と違い、わからないことがものすごく多い、ほぼ知らない誰かなのですが、むしろ親しい感じがします。 それはリズムとか流れによって、ダイレクトに伝わるものがあるからかなあ、と思いました。 (〈 雪 〉)

2018-01-27

上述、特殊な場合とは、主に擬人化のケースです。 お茶碗や風やRobotが、「私はまるまるした」、と語る詩を少数の例外として、私の詩においては、「私」とは作者を指しています。 加えるなら、セリフ引用の場合です。 (薔薇)

2018-01-23

原口さん ご批評ありがとうございます。 久しぶりにコメントを頂けて、とても嬉しいです。 この詩は、言葉や文が、散文としても成立するように書いたつもりですが、同時に明示されたこと以外のことを暗示したり、比喩したりするようにも書いたつもりです。 ですので、全体を通じてどういう詩であるのか、散文的には語られていない部分が多いと思うのですが、それはこの詩の欠点というよりは特徴だろう、と作者としては考えています。 そうした作品ですので、原口さんがおっしゃるような読みもあり、ご批判ももっともかなあ、と思いました。 そのうえで、これを散文として見た場合の、文意のレベルで、一つ可能であろう読みを冒頭について申します。 そこだけを作品から切り離して眺めていただくと、「あなた」が誰を指しているか不明確なのではないか、と思います。それは、もしかしたらハムスターとかかもしれないし、人間であるにしても、どんな人なのかは不明と思います。語り手の子どもとかかも知れない。 ただ、曖昧にせよ、薔薇でだけはない、という解釈も可能かと、思います。もし、薔薇だったら、と言うのですから。 そう読めば、薔薇の秘密なら(例えば香りの仕組みなら)、花弁を全てすり潰して、成分分析するかも知れない。でも、あなたは人間なので、それはしない。と、いう文にも、表面的には解釈可能かと思います。 ただ、本当にそう言いたいなら、そのフレーズのあとにカッコして、(だがあなたは薔薇ではないから、殺せない)と、書けるのだけど、この詩では作者にはそうしたことはできません。 原口さんの鑑賞のとおり、暴力としての殺人を読むことが可能であることが、この詩には必要なのです。 作者としては、この作品を、他者への暴力の肯定(可能性としても)として書こうとしたのではありません。 暴力とは無関係な、ある贖罪または感謝として、またある愛についての描写(記録)として書こうとしたのですが、それは作品そのものとしてそうなることを目指し、散文の言葉では作中に書かず、むしろ暴力の肯定とも受け取れるであろう要素を含めて構成しました。 そうなっていない、と解釈された読者の中には、ご不快に思われる方もいたのかなあ、と思いますし、そうした作品であろうと思いました。 なお、個人的なことですが、拙作においては、特殊なレトリックを使う少数の例外以外は、いつも、「私」は作者を指します。 そこは個人的なスタイルなので、わかりにくかったかもしれません。 話者を女性と仮定して読み直しましたが、そうすると、作品としてすんなり読めますね、確かに。 そしてその場合、原口さんがおっしゃるのと、殆ど同じ理由で、私もこの作品の愛に、自分が好きではないものを感じました。 (薔薇)

2018-01-22

藤井さん ご批評ありがとうございます。 ダークの反対はブライト。ねじ曲がるの反対は素直、でしょうか。 ご批評を頂いて、ダークでねじ曲がった愛について、考えたのですが、それはある意味では、眩く、素直な愛なのかも知れません。 (ゲド戦記、巻頭詩) ことばは沈黙に 光は闇に 生は死のなかにこそあるものなれ 飛翔せる鷹の 虚空にこそ輝けるごとくに (薔薇)

2018-01-22

KURAさん コメントありがとうございます。 何度も読み返してしまう、とのこと、嬉しく思いました。 この詩は、生活についての詩なので、書く方もそんな反復的な感じがありました。 (薔薇)

2018-01-22

まりもさん ご批評ありがとうございます。 この詩では、色を色名で示していないのですが、作者としては、前半は紫系、後半は赤系の雰囲気にしたいと思っていました。 「か」音の反復の狙いは、正確には作者にも不明なのですが、効果としては「赤さ」を出すことに繋がっていれば、と思っています。 深い解釈、ありがとうございます。 (薔薇)

2018-01-22

あ、すみません、追記します。 早くしてよ、と言うのだから、夫か子供あたりの誰かと一緒に玄関を出るのかな。 何重かの画像が重なってる感じもしますね。 もっとガッチリと現代詩な感じでも書けるのだけど、あえてポエムなテイストにしているように感じます。しかしそれがあざとくなく、親近感を感じました。 (花子はある朝突然比喩した)

2018-01-17

誤字が多くてすみません。 ☓ 仮定 ○ 過程 ☓ 作者としては自身 ○ 作者自身 テンポがよく、また嫌味がなく、読みやすく分かり易い。と、思います。 感じの良い詩だなぁ、と思いました。 (花子はある朝突然比喩した)

2018-01-17

情景としては、ポスティングの仕事に出掛ける女性をイメージしました。それは日常なのだけど、花子は今朝はなぜか詩に出掛けてしまう、みたいな。 玄関には夫や子どもの革靴が散らばっていて、一瞬イラッとくる。でも、地平線はいつも気持ちが良い。 見渡す未来を持たない、老人たちばかり残る平日の昼の街に於いてすら。 なんてゆう感じをイメージしながら拝読しました。 詩を書こうとするとき、作中の主体とか視点となるようなものと、作者そのものとの距離をきちんととり、独り言とかではなく、作品として手作りする、というような方が多いように思います。 短歌の書き手には、心を集中させ、内面吐露することによって作成する、みたいな方も多くいると思うのですが、自由詩ではそうではなく、もっと作る仮定を意図的に行う方が多いと思います。 しかしこの詩では、そうした「作る過程」が、さらに作品化されて断片として入れられています。 その効果として、逆に作者としては自身の体温を感じさせられる、と思いました。 端的にいうと、作者自身がうっかり(を装い)顔を出すことで、柔らかな暖かい言葉になってるなあ、と思いました。 (花子はある朝突然比喩した)

2018-01-17

すみません、語り方をミスしました。 人生と生活の全事象が、政治と関与する。そして、森羅万象が詩の主題となりうる。したがって、ある詩の主題が政治の課題となったいることをもって、その詩を批判することは出来ないと思う。 と、いうことを述べようとしました。 (メリークリスマス)

2018-01-12

渡辺八畳さんのコメントについて、私にはいくつか異論があるのですが、一つだけ示させて頂きます。 「人間においては、人生と社会の全事象が、政治と関与する。」 と、私は思います。 例えば、性的関心の対象者にどんな属性のひとを選ぶかは、もちろん個人の勝手なのですが、現実には同性愛はしばしば政治的に抑圧されます。 しかし、サッフォーが同性愛を歌い上げたからと言って、彼女はレスボスの詩人ではなく、レスボスの思想家ないし政治家だ、などと主張できるとは、私には思えません。 戦争を嫌悪することも、嘆くことも、本来的には人の自由ですが、政治的な場面においては、政治の課題になる場合もある、というだけなのではないでしょうか。 戦争の惨禍を扱った詩としては、「国破れて山河あり」で始まる漢詩が著名ですが、作者杜甫の詩人としての評価は、現在のアジアにおいて、確定していると私は思います。 (メリークリスマス)

2018-01-12

今日は。 現在というものについて、私はトランプは、中国に核兵器の販売を密約しただろう。その売り込みに行ったのだろう、と想像しています。 アメリカの軍事費を抑制する方法としては、核兵器がどこかで使用されて、一発あたりの効果を人類が再認識するのが近道ですし、売れば儲かる。戦場がアメリカでない限りは。 そうした非常に残念な、殺伐とした現状認識にいる私が、昨年しみじみ思ったのは、自分は「生の言葉」のシャワーを浴びて、詩的にずいぶん痩せたなあ 、ということでした。 言葉が出て来にくくなりましたよ。 しかし、それを避けて美しい言葉に閉じこもるのは、より大きな野蛮さに加担するようで、嫌であり、「マイペース」の在り方を探しています。 この詩は、生の言葉ではない、詩的な構成とフレーズにより、地球の人々の有様を描いていて、拝読してほっと息をつく思いがしました。 閉塞感を感じさせず、状況から目も逸らさず、神の沈黙と神を語る者の欺瞞を、生の言葉で語らず、希望や理想を手放しません。 映画の引用の仕方としても、エンドロールが流れるシーンで語るとことこか、カッコイイと思いました。 (メリークリスマス)

2018-01-11

りんごは、始め絵のサブジェクト(画題)であり、詩のオブジェクト(意識の流れの向かう対象)なのですが、事物としては具体的なりんごであったり、絵であったり、イメージであったりします。 そうなりながら、詩の中では、具体的な事物であったり、隠喩性をまとう事物か概念であったりします。 その自然な移り変わりが、りんごを「象徴」または「イデア」に昇華してゆく。 拝読していてそれが愉しかったし、そうした詩的昇華は難しいので、良い詩だなあと思いました。 エピソードのクライマックスは絵本で、そこも切なくて良いのですが、私は携帯が震えるとこが良かったです。 あれ、不思議なことですけど、親しい女性からは、そのひとがかけなかった電話がかかってくることがありますね。確かに震えたのに誰からも着信してなくて、変だなあと思っていると、数分後にそのひとからメールが来る。作品にはそんなこと書かれてませんが、そういうことを思いました。 それと写真の笑顔のエピソード。イイですね。 海は新潟の海を想いました。もちろん私が勝手にですが。どこの海も繋がっていて、同じ海だけど。 言葉については、「古本屋へ」という語りは、少し気になりました。 そこは、誰かが誰かに説明する口調で、作者が言葉の背後に登場します。それが効果的かどうか、私は疑問でした。 (齧りかけの林檎)

2018-01-11

沙一さん コメントありがとうございます。 何故だろう。昨日私も三島の金閣寺のことを考えていました。不思議な気がします。 作品と薔薇への解釈とご感想をありがとうございます。想像上の存在だからこそ、何よりも美しく、魅力的なのだろうとのコメント、嬉しく思いました。 そう言えばこの詩は、もし三島が読んでくれたら、彼には好まれたかも知れませんね。 それと、この詩では、読者に対して、薔薇への興味をそそるような書き方はしていません。それはこの詩の特徴なのではないかな、と、作者としては思っています。 実際、植物としての薔薇は、沈黙してただ咲くだけです。 人がどんな名前で呼ぼうが、どう思おうが、薔薇自身は関知しません。薔薇ですから。 それはツレナイようでもありますが、薔薇としての誠実さなのかもしれません。 (薔薇)

2018-01-11

仲程さん コメントありがとうございます。 ご指摘のこと、作者である私には、思い当たります。 おそらく私は、どうしても薔薇の詩を書きたかったのでしょう。 そして(或いはしかし)、これは不在の(或いは不可視の)薔薇ですね。 それはこの詩の欠点かも知れないし、何かしらの限界みたいなものなのかも知れません。 ゆらゆら感がいいというコメントも嬉しいです。ありがとうございます。 (薔薇)

2018-01-10

花緒さん コメントありがとうございます。 コメントしにくい詩かなあとも思いつつ、自分では気に入ってますのでアップしてみました。 妙に強い叙情というコメントを頂き、また どのレトリックが効いているのか、分析できないところがある、とコメント頂きました。 光栄です。 何故かそうなってしまっている、というような詩を書きたいと願っています。 survof さん コメントありがとうございます。 僕はセイウチ、でしょうか(^^) ドラムスの乾いた感じとか含めて、カッコイイ歌ですね。連想して頂き、光栄です。ジョン・レノンの作詞らしいけど、イカスなぁ。 解釈とご批評も感謝します。感受により場面と薔薇を見て頂き、嬉しいです。 (薔薇)

2018-01-08

日常の中で、何も日常を超えていない、でもこの一瞬を忘れるのがとても嫌だなあ、という一瞬があると思います。 心がピンチのときに、それが立ち直りのきっかけになったりすることもあったり。そんなのでは立ち直れないなりに、何か良かったり。 ごく正直に言って、私の場合、それが「パンチラ」の風景である場合も、無いではないですね。あると言い切りにくい世の中ですが(^^) この詩は、詩的技巧によりパンチラを描くことに成功していると思います。それは手柄だと思います。 ここでは小説的描写を使わず、「でも見えなかった」だけでいくつものことや感情を表現しています。 そして1枚の写真みたいに、記録する。上質な表現だなあと思いました。 (moment)

2018-01-07

これは強いなあ! 鮮明に描かれてると思います。 悲しいとか、痛いとかといった安易な言葉がないために、かえって詩のベースに場面を静かに見つめる作者の視線を感じたのですが、表面的には語られない、無声慟哭みたいなものがそこから感じられました。 明るい陽の下の絶望みたいな。無関心にとても近い、一種の優しさをまとったテキストだと思います。 (種子)

2018-01-07

今日は。 昨日私は、仕事で車を運転していたのですが、運転しながら聞いていた「子ども電話相談室」で、 「にじは、だれがかくんですか?」 と、いう質問がありました。質問したのは未就学児だったかな。 回答は聞き漏らしましたが、回答者の先生は大学の理系の先生などですが、「別に誰も書いてないけど」、などと答えるわけにいかなかったでしょうし、子どもの感じかたや世界観って油断できないなあ、と思いました。 この詩も油断できません。 これは、子どもの感性にまで通じるような、幅広い、自由な発想をどんどん続けて、そこから生まれて来た詩なのかなあ、と思いました。 素敵な詩だと思います。勉強になりました。 (虹)

2018-01-06

感性の柔らかさや、言葉の伸びの良さ、元気さを感じました。拝読していて、楽しかったです。 若さの良さかなあ、作者の年齢は存じませんが。私も詩の言葉の流れは、この作品のように濃密で柔らかくありたいと思うのですが、なかなかままなりません。 形としては、切れが鮮やか。内容的には皮肉が、逆になんとなく可愛らしく、ユーモアを感じました。ジョン・レノンで自信なくして壁から落ちる丸い奴とか。 あと、確かに涙の味って、甘さを引き立てて、美味しいときもあると思いました。それを描く詩的発見みたいなものに、はっとしました。 (嫌な夢)

2018-01-06

今日は。 乳児が花を見て、嬉しくて笑う、というのではなく、 花に笑いかけているというのが面白いなあと思いました。 私の子どもも生まれて退院前だった頃、襖(ふすま)に描かれた鳥に興味をもち、何やらコミュニケーションを取ろうとしていました。 相手が鳥だと普通な気もしますが、花に笑いかける、というのは面白いことで、たぶん他の動物は、花とコミュニケーションしようとしないのではないでしょうか。 小さくても人間だなあ、という感じがしました。 (未明)

2018-01-06

追記、失礼します。 落書きとしての文学の場としてのネットの可能性、探求する価値があると私も思います。 また、テキストのそうした在り方ということにも、(私の場合は安部公房の「箱男」に導かれて)関心を持っております。 昨年は、ドーアの「すべての見えない光」という小説を読み、現代文学における落書きの重要性がますます増しているのを感じました。 次作も楽しみにしています。 (泣けたい。)

2018-01-06

一人称文体で語り手を伝える技術が優れているなあ、と思いました。 この語り手は、身長も髪型も何も描写されませんが、そこはかとなく手渡されます。 それと、非ー詩であることが、くっきりしてる感じがしました。一人称でありながら、この語り手には作者を感じません。 抒情に関する何かなのか、作者の目指すものはわかりませんが、 もし作者が、詩の技巧も使いつつ詩ではなく、小説でもないものを書こうとしているなら、成功しているように思います。 ストーリー以外の面で、読んで愉しむ観点から見ますと、文字化け部分ですが、詩の読者は私ならずとも、この羅列に何かしらを読もうとしてしまう、あるいは鑑賞しようとしてしまうと思います。 そうすると、2行ぐらいで反復しているのかな、と気づいてしまい、迫力とか執念に驚かされません。 つまり、コピーするなり、エクセルなどを使えば出来てしまうことに気づいてしまいます。 この長さがあることによって、その部分で、このテキストが小説であることは、よく破壊されていると思うのですけど、もう一つ圧倒的な詩的技巧が凝らされると、なお良いのではないかなあと思いました。 あるある的な面白さは共感するところが多々ありました。 このコメントも、こんなに長く書かず、「それな」とだけ書こうかとも思ったところです。 一つは才能を巡る悲哀。踏んだり蹴ったりと言いますか、ブラックジョークと言いますか、私なども歳をとりまして、いろいろあります(笑) (泣けたい。)

2018-01-05

今晩は。 この詩は、カリフという言葉が良いと思います。なんか磁力みたいなものがあるのでは。 でも、フレーズが殺してしまっています。 書き換えるなら、この詩の一行目は、 カリフを探す 砂漠で と、いうフレーズで始めると良かったのかも知れない、と僕は思いました。 語り手のいる【ここ】は、本当に砂漠ではない別の場所なのか? 語り手は本当に「待って」いるだけなのか? と、いうことなのですが、作品の通りにフレーズを味わうと、「他人事」感があり、読者のひとりである私に、差し込んで来ません。 こういうテロリストに殺されたのでは、浮かばれませんよ。 何の比喩であるにせよ。ないにせよ。 もっと元気に、私を殺して、美しい星の下、砂漠にマントを翻し、カリフを見つけにゆくオトコの子(オトコの娘でも可)が、あらま欲しいです。 ()

2018-01-02

今晩は。 タイトルが秀逸だと思いました。 また、ネットの投資でしょうか(詳しくないのですみません)お仕事の進みと、お姉様の盛り上がり具合が同時に描写されていく感じがとても上手く、言葉の真摯な離れ業となっていて、濃密な詩情を感じました。 一方で、 「お腹のへそのゴマあたりがとてもいたくなる」 と、いうフレーズには、少し小技というか、わざとらしさを感じてしまいました。 その後の、「このことの作品化」を思わせる、ライブハウスでの演奏についての云々も、少し興醒めな感じがします。 この語り手の優しい耳のすまし方からすれば、感じの良い、素敵なお姉さんというか、お姉さんの素敵な自慰じゃないですか。その寂しさや虚しさも含めて。 むしろ「曲にして演奏したい」ぐらいがしっくり来るように思います。 最後の一行はまた、ふわっとして、とても良い後味の作品だと思います。 (姉の自慰)

2017-12-31

今日は。 この詩は素敵な、美しい詩だと思います。ひとは死を素敵だと思ってしまうときもあれば、生きることを素敵だと思えるときもあります。何れにしろ、また何を描こうと、詩人は性(サガ)として素敵な詩を書いてしまいますが、死を素敵に描くことは出来ればさけたい。 この詩は、揺れつつも、生きることに繋がる、「食べる」ということを描きます。泣きながらも、そこにこの詩の、詩行は、唐突にではなく自然に、たどり着く。そこに美しさがある、と私は思います。 私はかつて、チーズケーキに救われたことがあります。 何気なく食べたチーズケーキが涙がでるほど美味しかったり、たかがチーズケーキに救われる自分を面白く思ったりしました。 そのような体験は、特殊ではなく、割合ひとが経験することではないかと思うのですが、美しく書けるひとは稀ではないかと思いますし、この詩は、しみじみと来るものがあります。 なお、私はこの詩の表現は、散文とは違うけれど、わかり難くはないと思いますし、味わい深いと思います。 試みに、いちど詩行を飛ばして読んでみます。(私はそうも読んだあと、それを放棄して、そのままの行の隣同士の並びを味わいました。) (1) 街中にちらばる (クリスマスのすこし前にも) (幾つものいのちが死んで終わる) 神の無慈悲は (季節に祝福されてしまうから) (キリストはひとり) 讃美歌を絶叫している (2) 街中にちらばる (クリスマスのすこし前にも) 幾つものいのちが死んで終わる (神の無慈悲は) 季節に祝福されてしまうから (キリストはひとり) 讃美歌を絶叫している その他、様々な組合せをスタンザの骨格とし、その隙間から複層を読むことも出来るし、そうせずに、そのままの流れを読むことも困難ではありません。 街というもの、そして世界と言うものの大きさが、この表現によって描かれていると思いました。 それが、カピカピした小さなケーキの、悲しいほどの美味しさに反射してると思いました。 (ケーキと福音)

2017-12-25

今晩は。 呪いについて、なのですが、誰かに呪われたとき、その被害を避けるための様々なオマジナイがあると思います。それらによって受け取り拒否された呪いは、どうなるかと言うと、色々なお話や漫画とかで、大抵の場合、呪った者に倍返しで帰ってきてしまいます。 お話の話ですけどね。 でも呪いには、そんな面も無くはなくて、受け取られない呪いは危険を齎すように思います。 この場合、俗物という言葉ですが、誰かが手を上げて、「ハイ、僕が俗物です。」と、グッサリ来てくれれば良いのですが、そうしないと作者に帰ってきて、作者を刺しちゃうなあ、と思いました。 なかなかそんな、気の利いた大人物の俗物はいないですよね。 ですので、私としては、こういうのは、もっと鋭く研いで、もっとコッソリ至近距離に詰め寄って、逃げようがない一撃をかますと良いように思います。 情感はよくわかります。 俗物だけが幸せな世の中かもしれません。それは嫌だなあと思います。 (泡)

2017-12-24

今晩は。 私は詩を書くとき、意識の流れを偽造して、そこにリズムのようなものを誂え、いわば一本の紐のような書き方をするのですが、この詩は絵のように意識を対象全体に拡散して書かれているように感じました。 時間を止めることに優れた叙述で、感情も止まって見えます。無音が耳に聞こえるような印象がありました。 とても個人的な偶然ですが、私は数千か数万匹の蛾を解剖して、その卵巣を取り出して、ある実験をしたことがあります。ですので、複雑にビーズを繋げた首飾りのような、あの卵巣を想像しましたが、それを冬の蜂の巣に喩えるのは、不思議な感覚でもありました。無音の中に、何か始まるもの、と解そうかと思いましたが、腑に落ちず、残りました。 この詩は、もしかすると、ある種の原初的な風景であり、そこへのノスタルジーを誘うのかも知らない、という気配を微かに感じましたが、どこかまだ、物足りなさも感じました。 (*)

2017-12-24

まりもさん コメントありがとうございます。 解釈、構成、語り口を丁寧に検討して下さり、また率直なご意見をいただき、嬉しいです。 この詩の口調を選択したのには、シャープさを減じて、キメを先延ばししたいという気分もあったように思います。また感情の流れも、語り手の動線も、行きつ戻りつします。ですから、ご指摘の通り、人によっては弛緩した印象となるかも知れません。 (黄色くて丸いパン)

2017-12-24

今日は。 「僕」とはシモベを意味し、「君」と対をなしてへりくだることを語源として響かせつつ、今は「坊や」的な素直さの雰囲気をまとって、フランクに自分を指すコトバだ、と私は感じております。 それは本当です。 ところで、僕(シモベ)の由来ですが、古代に主人が奴隷を躾けるとき、言葉を交すと主人の穢れとなりますので、黙ったまま棒で殴って教えました。奴隷は物覚えが悪いので、かなりの力を込めてなぐりましたので、そのたび、奴隷の身が、ボクっと鈍い響きをあげました。撲殺するとか、ボクなんとかという語に残っていますが、これが「ボク」の由来です。嘘ですが(^^) 今、思いついたことなので、もしかしたら、偶然、本当にそうかもしれません。 それはとにかく、このように沢山読むと、「僕」の音がボクであることに、なんか不穏が漂いますね。 「僕」が異化されてる、とも言えるかと思いました。 (僕)

2017-12-24

今日は。 一句目、情景がうかび、良いなあと思いました。 乗り継いだ経験はないけど、矢切の渡しを渡って散歩したことを思い出しました。 (四季)

2017-12-23

まりもさん コメントありがとうございます。 今回は、切れ字は使用せず、多くは体言か終止形により、句末で切れを表そうとしました。 今回は、語り手を含めた光景を描く、客観的な写生をしようとしました。 たとえばヘビ玉の句で、「寒月や」と切ると奥行きは増しますが、作為がまさり、主観を語り手が語る句になる、と感じて避けました。 ご意見は、そのまま戴きます。ありがとうございました。 (寒月とその他)

2017-12-23

hyakkinnさん 花緒さん コメントありがとうございます。 この詩は、最初、黄色いパンの素敵さに心撃たれて、ニコニコしていた子どもへの心からの賛同、「いいパンだったねえ!」と、いう思いを作品にしたくて書き始めたのですが、さんざん難航しました。 推敲していて、ある時ハタと、そうか俺はあの子に謝りたかったんだ、と気づいて(最初は全く気づきませんでした)、この形にこぎ着いて、なんとか自分で納得できた作品です。 でもこの件だけで言えば、僕はそんなに鬼畜な所業をしたわけではありません。この子は僕のせいではなく、神から罰せられたようなものですが、何の罪なのか。罪びとは神秘ですね。罪と言うことも、自責ということも。 戻ったとき、無かったというのは、ご指摘のとおり、宙吊りにしていると思います。 もしそのまま落ちていたら、僕はそのパンを拾ってどうしたのか。どうするつもりで駆け戻ったのか。 そう言えば、初期のバージョンにはそれを書きました。 なぜそれを削除したのか、正確には思い出せませんが、拾ったとしても母子をホームまで追いかけはしなかったでしょう。たぶん、少とも踏まれるのは嫌だった。せめてゴミ箱に捨てたかった。でもそんな自分は、そのまま書きたくはなかったのかもしれませんし、なぜか上手く書けなかったのかもしれません。 パンの落下を、夢や見間違いとする解釈は、個別具体的な解釈ですから、その可能性もあると読むかどうかは読者にお任せです。それが許したりうるかどうかも。 しかし、パンが消えてしまったことで、事態が語り手には完結不能なものとして、読者に渡されてしまうことでは、作者も花緖さんのおっしゃる通りだと思いますし、そこに着目いただき嬉しいです。 動機はともあれ、作者もあえて、パンがそのまま落ちていたケースを語らない形にしました。 (黄色くて丸いパン)

2017-12-19

数ヶ月前の作品で、既に作者からのコメントもあるところに、コメントして良いのか、迷ったのですが、私もこの詩を拝読して、他のコメントされた方とは、たぶん少し違う感覚から思うところがありました。お邪魔でしたら申し訳ありません。 今、旧暦(太陰暦)生活を勧める本を読んでいるのですが、その中に、我々の体は7割がたも水でできている、という指摘があります。 月はあの大きな海すら変形させる。で、あれば人間の体の水分も引っ張って、影響を与えるのではないか。と、いう指摘で、私はなるほどと思いました。 それを思い出しつつ、音楽も、我々が水でできていることと深く繋がるものがあるかもしれないなあ、と、この詩を読んで私は感じました。 波紋のような図を鉤括弧で示し、少しづつ、水を語ってゆく。音楽も波紋であることが、腑に落ちました。 また、給水塔の穴からの小さな虹と水を視覚や触覚に感じ、それが展開して、無限定の巨大な水への感覚を呼び起こされます。 僕は、この詩はイイなあ、と思いました。 (音楽)

2017-12-19

今日は。 昨日、うちの子供が「有名人の顔を描く」と、いう美術の課題で、誰を書くかという話をしていて、美男か美女で、しかもアイドル歌手は外したいと言うので、私はフランスの新大統領とかどう?とか、ドストエフスキーか夏目漱石は立派で良いのではないか、どう?とか勧めたのですが、やはり若く、しかも個性的な顔の人が良ろしかろう、という話の流れになりました。 僕はジェームス・ディーンやアル・パチーノを勧めたのですが、子供はそんなやつ駄目だと言う。もっとカッコイイやつがいい、と。 そしたらすかさず、妻が映画「時計仕掛けのオレンジ」の主人公の青年を勧めました。あの三角形のポスターのやつです。それで困ってしまって、皆でビックリしたり、確かにあの目つきヤバイよね、とか話したり、それなら草間彌生さんの若い頃とかどう?と、団欒しました。 で、この作品のなかの「この作品」ですが、文字作品ですよね。でも映画に喩えたら、僕はなんか「時計仕掛けのオレンジ」を思い出しました。 あれ、うちの夫婦間では傑作扱いなんですが、家庭教育には向かないよなあ。一般向けにあれの愉しみかた注意事項を書くとしても難しいけど、この作品みたいな感じになるかもしれない。 作品としては、食べられないので延髄から入れてください、と、いうところで、作中の「この作品」の謎感が増して、その後も途切れずラストまで連れて行かれた感がありました。 (作品)

2017-12-19

hyakkinnさん、渚鳥sさん コメントありがとうございます。 私は短歌は好きでして、「週間実話」でゴーストライターと言いますか、常勝投稿者をさせて頂いていた時期もあります。自由詩を主に書いてはおりますが、なぜか時々短歌を書くと、体調が整うような気がして、煮詰まったりスランプを感じたりしたら短歌を書いています。 一方、同じ定形なのですが、俳句には苦手意識があり、数年前、小林一茶を読んで目覚めたばかりです。 今年は、口語自由詩の先輩が創立した句誌に、強引に、ではなく豪快に誘われまして、「短歌ではダメですか?」と伺うとダメだ、との仰せ。ただし、季語字余りその他一切、まるまる自由に気軽に作ってよろしいとのことですので、フリースタイルで書いております。 安達太良の句は、雪はまだ、と、冬眠す、と季節を示す語を重ねた、季語重ねになる句かと思うのですが、フリースタイルとしては問題なく、自分では気に入っています。目に止めて頂き嬉しく、福島に住んでおられた方に、想起して頂けたのは光栄の至りです。 また、詠まれた事象と作者の間の紙一重の距離をご指摘頂き、そちらも何となく得心がいきました。 私は、自分の内面に、何かしら語るべきことを見つけ、自分の口の語るに任せる、「短歌的な真実、真情」で作るフレーズを多用します。それは、自分の自由詩の方法として、僅かながら自覚してもいます。 しかし俳句は文字数制限があまりに厳しいため、「私」を描く余地がありません。その結果、情景を見ている「私」を含めた、客観視点の情景描写で書くことに落ち着いているようです。現実の、また作中主体の左肩から30センチだけ、ずらした、カメラ視点のようなもので、私の自由詩と短歌にはあまり使いたくない、ある意味「スカした(意気がってカッコつけた)視点」なのですが、普段は使わない分、禁を解いて楽しんで書いています。 細かいところ、コメントして頂いて嬉しいです。 (寒月とその他)

2017-12-19

今晩は。 武者小路実篤の詩を、僕は非常に好きなのですが、あれは詩ではないとか、ああゆうのは現代詩とは違うものとして評価すれば良いのではないか、などと言うひともいます。 ある人は、武者小路実篤の詩は、描写の詩ではないし、叙情の詩でもない。しかし、詩には思想詩というものもあるのだ、と言います。 歴史的には、思想詩こそが自由詩の始まりであり、それはアメリカの思想詩人ホイットマンに始まる、という見方もあります。 ホイットマン(「ぼく自身の詩」で検索すると、雰囲気がわかると思います)と、自由詩というものを初めて日本に紹介したのは、武者小路実篤からさらに時代を遡り、おそらく夏目漱石そのひとでありました。 下っては吉本龍明が、バカみたいに愚直な、泣かせる思想詩を書いてもいます。 さてスタイルとしては、そのように僕は肯定的なのですが、思想詩は思想が正しいかどうか、正しさでひとを感動させるものだと思っています。だから、誰でも書けると言えば書けるけど、むしろ難しいです。 この詩は、一言も間違ったことは言っていない、という爽やかさがこの詩にあるか? そう思って拝読すると、まだツッコミどころがあるかなあ、と僕は思いました。 ツッコんでみますと、 (1)天才に雑用させんなよ。天才は自分の仕事してもらえばいいじゃん。 (2)あなたこの詩で、「考えて」るじゃん。 などです。 俺は俺で良いんだ、という思想は正しいと思います。また、天才に任せときやいいんだ、と言うのも思想としてアリかと思います。 だけど、もう少しギリギリの真実みたいなので作らないと、思想でひとは泣かないよね、と思いました。 (バカモノ論)

2017-12-18

まりもさんも同じところをあげてますが、僕も「ファインディング・ニモ」が、固有名詞かどうかが気になりました。ニモならいそうですが、ファインディング・ニモは長いですよね。 例)ニモという名のクマノミを〜 これの良し悪しはわかりませんが、「ニモ」でよいなら二文字(^^) でコンパクトに納まります。 (短歌~無題)

2017-12-17

祝儀敷さん コメントありがとうございます。しかし、おそらく、「うまく言えて」いません。 エッセイには、文芸として歴史もありますし、現在の日本にも、エッセイを主目的にした協会やクラブがあり、教育コースや理論があり、お金が動き、自費出版も盛んで、まともに修練してみたことのない者には、とても口が出せません。 まずそこ、「エッセイとは何か」への考慮が、あなたのコメントには欠落しているように思います。 正面から受け取ると、そんな感じなのですが、おそらくあなたは「うまく言えていない」のではないか、と思います。 スタイル論として、他人のスタイルを否定するのは、多くの場合、不毛です。あなたの好き嫌いに合わせたスタイルで、私が書く道理がありません。 「エッセイのような詩」に、どれだけ膨大な数の、文学史上の傑作や名作が当てはまるか、、、 こんな話ではなく、もっと有意義な対話を希望します。 (黄色くて丸いパン)

2017-12-17

り さん コメントありがとうございます。 丸い、ということ きいろい、ということ たべもの(パン)である、ということ その3つの出会いは、何なんだろうか、と思うのですが、何なのか考えるだけで嬉しくなりますね。 パワーワードという評価、ありがとうございます。詩作の励みにさせて頂きます。 (黄色くて丸いパン)

2017-12-17

岡田直樹さん ありがとうございます。 小さいけど、悩ましい痛みをくんで頂き、また好評を頂けてとても嬉しいです。 (黄色くて丸いパン)

2017-12-16

今晩は。 一口に高橋っていっても色んなひとがいるでしょうし、コメントで作者が具体的な高橋モデルについて、もし語ろうと思えば作者には語れることを示しているので、読者が勝手に「高橋」を想像できるのかどうかわからないのですが、僕は高橋源一郎を思い浮かべました。 僕は、高橋源一郎が翻訳してくれたお陰で、ある面白い詩に出会えたし、彼の小説は面白いので、わりと愛してます。僕にとって高橋先生といえば、愛の対象です。 さて、この詩は第一連では、何か抱えて捻くれたひとが、高橋先生に、自分はひとになれましたか、と問う。 その問自体が鋭いけど、第2連では少し変わったやり方で問が鋭さを増す。 第2連では、どの文も、文が、ポキンと折れてます。折れることによって、なんだか心も折れるような痛みを感じるし、折れた断面の鋭さを感じました。 第3連はさらに鋭く、鋭く断面を露出させ、最後は高橋先生に、グッさり刺す。 気の毒な高橋源一郎さん(^^) では、さすがに私にとってもなく、最後の高橋先生は、もう少し人でなしなのかもしれない、顔のないイメージの先生でした。 語り口と内容が、相互に高めあっていて、面白い詩だと思います。 (高橋先生)

2017-12-16

今晩は。 こうした些細な、未来の自分すらもが忘れてしまうかもしれない、むしろ忘れる自分で在りたいような、小さな、珍しくない日常の一コマというのは、描き止めなけれ消えてしまうものだと私は思います。 それをどうやって描いたものかと、私はよく想うのですが、この詩は、こりゃあイイですね(^^) ゆったりとした、力強い言葉の流れによって、のびのび書かれていて、気持ちよく思いました。 (ある朝にぼくは)

2017-12-13

内容的には、アイロニーと解しました。ただし、このアイロニーは誰に向けられた、どんなアイロニーなのか明かされません。 中島敦の「名人」という不可解な小説に、不可視の矢で鳥を射落とす、弓の名人が登場します。アイロニーの矢は、思いがけぬ方角から飛来するとき効果的であると言いますが、見えぬ矢はその極致で、この作品のアイロニーもそうしたものかと思いました。 その関連として、カフカの短編の不可解なアイロニーも想起しました。 さらに解釈したのですが、私の解釈では、この作品のアイロニーは、カフカの作品のアイロニーが(私の解釈では)もしかしたらそうであるように、作者自身を射抜くものであり、しかしそうは記述不能なものなのではないかと思いました。 この作品は、嫌な緊張感のなかで、アンチクライマックスに終わります。スカッとしないし、何か足りないような思いを残します。 だから私はこの作品は傑作ではない、と思います。 しかし、これはこれで良くて、この不可解のまま、静かに存在を示し続けると良いなあ、と思いました。 (かみさまのはなし)

2017-12-13

今晩は。 第一印象として、私は小説として拝読しました。1つの視点から後半もう1つの視点に移動しますが、描写では何れでも視点のブレがなく、スムーズに読めました。設定された書き手が、前半では回想中の人物に感情移入して語るという構造で、書き手と視点が特殊な関係にありますが、それもそれが崩れて書き手と視点が近づいていく後半の、嫌な緊張感(一種の恐怖感)を産んでいて効果的だと思いました。 この恐怖感は、詩を書く人の多くが、その入り口で感じるであろう「詩を書くことへの恐怖」に似ていて、面白く思いました。フィクションの中の語り手と違って、この私は何を書いてしまうかわからない。私は何を書いてしまうのか、という恐怖です。それを思いました。 (コメント、続きます。) (かみさまのはなし)

2017-12-13

三浦さん コメントありがとうございます。 苦笑というのは分からなくて、少し読み直したり想像したりしてみたのですが、安達太良山は、名は有名ですが思いがけないほどたおやかな面影の山で、それと教えてもらわないと、あれが安達太良だと気づかなかったりしますね。 (寒月とその他)

2017-12-13

今晩は。 拝読しまして、一人の人、ひとつの心(作者)が、冬の日の家々のひとつの、その窓の向こう側に存在し、もの思う気配を感じました。 冬が来るなあ、って、窓の外を見てる。 言葉の流れの深部に、心の在り方みたいなものがシッカリとあり、寒々しくもその寒さがしっかり見つめられていると思います。「君」へと思いが動くのもナチュラル。心地よく拝読しました。 (再開)

2017-12-12

今晩は。お世話になっております。 拝読して、なんかもやもやするなあ、と、思ったのですが、もやもやの正体がわからず、しばし考え込みした。 以下はもやもやを切り捨ててサクッとコメントしますが、本当はもやもやしながら考えました。 このクレーム爺さんは、(詩などの)表現者としては最悪で、こういうのを甘やかすと、シーンが腐敗すると思います。 才能がある作者には敬意を、優れた作品には称賛を贈るべきです。そうではない作者や作品を、つべこべ言葉を貼り付けて讃えたり、優れた作品を放置したりすることは、芸術を損ないます。 一方で、才能を見抜いたり、優れた作品を正当に評価したりするのは、とても難しいことであり、例えば私など、私を高く評価しない評者や読者は、全員すべてボンクラだと思っています。 表現者とは、そういう生物ではないでしょうか。 才能がないとか、つまらぬ作品しか作れないとか自ら思うなら、表現することをやめれば良いのです。 そうした傲慢な表現者と、冷厳な批評家の相克なら、私は面白く拝読したかも知れません。 しかし、この芝刈りの翁さんは、自ら負けを認めた上で、立つ瀬を求めます。未練がましいです。そこを認めたら、創作などできないのではないか、否、しないほうが良い、と私は思うのです。 この作品は、私が今述べたような考えによらず、迷いながら書かれているように思いました。歯切れが悪いです。 それと、創作者は、批評ばかり気にして、批評家に受けることをモチベーションにしたりはしないほうが良いと私は思います。 むしろ批評から距離をおくことも、しばしば重要なのでは。 コンテストに勝とうが負けようが、花咲爺さんは、アーティストですし、花を咲かせることに余念がないことでしょう。 (芝刈レビュー 〜あなたの芝刈り見せてください〜)

2017-11-13

まりもさん ありがとうございます。 結果部分を最初におき、他をそれをあとから注解する書き方のご提案やご意見は、理解しておりますが、より親しく納得しました。 やっぱり、作品にどう感動したかを語ることが重要ですよね。私もそう思っております。また、そういうスタイルをとる、岡部糸子や、岡本太郎にかつて親しみましたので、ご意見はわかります。 科学論文には、ときどき、砂を食むようなドライな論理で固めているのに、それを乗り越えて我慢して読んでいくと、一文だけ、あるいは一語だけ、コッソリと歌い上げているものがあります。この散文では、そうしたツンデレ論文のスタイルを意図しました。 ですので、ツンのあとにデレ、としないと作者的には納得出来ないのです。 ですが、それに効果はなかったかもしれず、また考えてみます。 (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-25

追記 ここに述べた提喩や隠喩の定義は、ヤコブソン他の複数流派の言語学を参考にしつつ、最終的には防衛大の赤木氏の説を中心に取捨選択して、この論考内での用語使用として、私が独自に定義したものです。ヤコブソンだけでも引用しておけば、違いが分かったかもしれず、レファレンス不足を反省してます。 また、言語表現でないもの(ポスターなど)をレトリック論で解析した部分は、その論旨は「材料と方法」に書いた部分も私の独自見解ですが、その方法として「寿司批評」などを敢行したロラン・バルトの方法や、高橋源一郎が小説で行った各種の記号論的応用を参考にしました。そこはバルトのエクリチュール概念だけでも引用で示すべきだったかもしれません。 それらはこの散文の欠点だったと思います。 (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-23

いや、「結果」は、ベルさんと森田さんに、複雑に依存して発想していて、今回書いた以上には、オリジナリティを整理できない、か。 「材料と方法」について、この書き方は、どこまでが独自見解か分離してないから良くないかも知れない、というところですね。 (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-23

丁寧な補足、ありがとうございます。 ご指摘について、レスポンスに悩ましいところがあります。 どうしようかと思ったのですが、書いておきます。 この論考は、冒頭の全文引用以外、ほとんど引用はありません。 「材料と方法」に記したシャネルと糸井の隠喩的な手法についてなども、ソンタグの写真論やその他、記号論の影響を受けていそうですけど、実は私の独自見解を、さも通説のように偽装して書いたものです。 というか、過去の説の参照をきちんとやつてなくて、実は誰かの説であるかも知れないかとを、「私が思うこと」として書いており、論文でやるようにはオリジナリティの検証を固めていません。 結果」部分はフルオリジナルですが。 やはり、論文として、もっとガッチリ書けばよかったような気がしてきました。 (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-23

まりもさん ご批評ありがとうございます。 なるほど、この散文は、主要な主張がわかりにくいかもしれません。と、いうか、かなり混乱した文章かもしれません。わざとではないのですが、わかりにくく、長くてすみません。 「結果」とした部分から書き始めたほうが良かったかも知れないし、むしろ「要約」を冒頭につけると良かったように思います。 それか、普通のわかりやすい論理立てで書いてしまえば良かったかも知れません。 まりもさんがおっしやる批評の定義は、素敵な定義だなあと共感します。 実を言えば、私自身もそのように思う場合がほとんどですし、この散文を作成していたときは、 「批評とは、テキストについて、人々とコミュニケーションすること。それにより、テキストを人々と自分の言語の海の中に受け取ること。」 と、考えていました。 まりもさんのおっしゃる批評観と同じではありませんが、繋がる部分もあるのではないか、と思っています。 (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-22

とても気になる作品だなあと思いました。 カフカの小説には、軽妙な面白さと、ひとが意識したがらないような最悪の予感が混在しているように私は思うのですが、この詩もそんな感じがします。 (フランツカフカと遊んでる)

2017-09-21

おはよう御座います、12時間前のるるりらさん。 コメントありがとうございます。 ・佐藤イイよね (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-19

読者の創作とは考えていませんが、(2)は、糸井の予知能力を前提するため、「考察」で退けました。 残る(3)を妥当な解釈とした上で、(2)を結論に採用して作品評価しました。 これは、批評対象としたテキストに対して、可能な全ての思考を検討し、最も妥当なものを採用する、という網羅法を行い、その上でそれらより「感動」を根拠にしたということだと思います。 (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-18

ハアモニィベルさん コメントありがとうございます。 今回立てたスレにおいては、「批評とは何であるのか」と、いう問に前提としての答えは無いという設定で出発し、実践によって、参加者がそれぞれ自分なりの答えに、(なるべく遠回りしながら)近づいていくことを目指します。 このTOKIO論では、私に可能だった3つの解釈を示しましたが、そのうち最もニ次創作的だったのは、(1)ではないかと思います。(1)については、それがテキストだけからの読みでは困難であり、読者側からの持ち込みが多すぎるから、という理由で、「考察」で却下しました。 結果(2)と結果(3)については、ど (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-18

追記。 最後の一行は、無い方が良いと僕は思いました。  にたいと思ったり、 なたくないと思ったりは、ある種の状況や気分のときに、頭の中に巡る言葉だとは思うのですが、この詩のこの場所にはしっくり来ないような気がします。 それまでの流れから浮いてしまっているのでは。 (日記)

2017-09-17

今日は。 心配してるんだからね、と、いうフレーズが核になって、しっかり纏まった作品だと思います。 平仮名に開くことも含めて読む速度の緩急が工夫されていて、読み手を飽きさせない、ということも、優れた特徴だと思います。 (日記)

2017-09-17

今日は。 リズミカルに言葉がコロコロ展開して、感じのよい詩だなあと思いました。 タイトルは、18歳、というような意味にとりましたが、全体の流れや「おばあちゃん」という言葉の出現させかたや、ラストの切り上げ方が絶妙で、色んな事が唐突に起きたり、それでいて何にも起きないような気もする18歳を、どう暮らそうかなあ、みたいな感じが伝わりました。 (18)

2017-09-17

緒言において、誤字がありました。すみません。 ☓ 太郎政 ◎ 多様性 森田拓也さん コメントありがとうございます。 褒めて頂き、嬉しいですし、プレイヤーたちや仕掛け人たちが、あの歌に何を思ったのかとかは、この論考を否定的に乗り越える視点を出してもらって嬉しいです。 でも僕は、六十歳のジュリーがTOKIOを、実に楽しそうに歌う姿をユーチューブで見て、ジュリーらしいなあ、と思ったよ(笑) (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-17

考察において、以下を書き間違えました。 すみません。 >しかし、この歌詞を作者が好きなのは(誤) 正しくは、 この歌詞を、筆者が好きなのは (歌詞「TOKIO」について(批評))

2017-09-16

ハァモニィベルさん ご批評ありがとうございます。 詩作の励みにさせて頂きます。 (獣の変身)

2017-08-24

(るるりらさん) 伊藤桂一の「溶ける詩集」という詩を、遠い未来で構わないので、いつか読んでみて下さい。私からのオススメです。 夢は、それを見たひとに、おそらく何かを、時には見つめにくい何かを語っています。しかし、それは詩も同じ。作品は作者に、何かを語ってしまう。作者は作品に、語られてしまいます。 それに耐えて(伊藤はそれを知り、詩から離れましたが)、あなたはスランプ脱出されますことを、願っております。 私たちは、焦らず弛まず、自分の詩作を続けていきましょう。 (獣の変身)

2017-08-24

るるりらさん コメントありがとうございます。 (返詩) 山の谷間の、湖のほとりで 私は焚火を見詰めていた タキギをくべようと手に取ったマキに ナメクジが一匹くっついている 眼柄の上の、2つの小さな目が、 たぶん私を見ている 私はナメクジが嫌いだから そのまま火にくべようかと思案する 立ち上がり、 私から2メートル離れた地面にマキを置き もとの場所に戻って、ベツのマキを火に投げる 炎を、 私は見ている たぶんナメクジも炎を見ている ある観点では美しい、ビーズみたいな目で ぬめぬめした肌を、 ある見方では美しく光らせながら 無数の星たちが、私たちを 哄笑しながら 無音で 見おろしている (獣の変身)

2017-08-24

(続き) 門番について考えたりしながら、うーんなるほどと思いました。ありがとうございます。 文体についても、ありがとうございます。 一見、ユルい選語に見せる文体を、私はときおり好んで選択するのですが、この作品については、作者ながら自信がない、とは言いませんが、まだ切り落とせる感があります。 ありがとうございした。 (獣の変身)

2017-08-19

まりもさん ご批評ありがとうございます。 足なんかあってもなくても、怪獣は怪獣ですよね(笑)心とは不思議なものですね。 コメントを拝読して、私はカフカの短編に出てくる不思議で意地悪で怪物的な門番についてかんがえめ (獣の変身)

2017-08-19

私は『月と6ペンス』をまだ読んでいなかったようです。タイトルは、「6ペンス(現実)の1ペンス前に」という含みに解しましたが、『月と6ペンス』を読んだら、またこの詩を読んでみたいな、と思いました。 冒頭と第2パーツは、静かに個人的な想いを立ち上がらせてきます。 ここでは、 (引用) 埋めたい距離を隔てた  目の前にある  《こちら》    に、 彼女が、時折激しく語りかけるから。 (引用終わり) という表現。これは精密な描写とでも言うのでしょうか。遠い、しかし、その隔絶のこちら側にとっては切々と近く。印象的な、素敵な詩的表現だと思います。 続くパーツは、我らは何者か、何処から来て、どこへ行くのか。ということに、拙速に答えるのではなく、過去を呼び出し、近づいていく『マグネシウム』。 現実、現在を高次な隠喩で語るサハラ。そしてそこで(5枚)で終わる。 そういう詩かなあ、と私は鑑賞しました。 感じの良い詩だと思います。 砂漠のオアシスが幻影か現実か。それは砂漠を征く者しか知りえないことだと私は思うのですが、いつか砂漠のオアシスで一緒に美味しいジュース飲みたいね。そんな、感想も抱きました。 (ファイブ・ペニーズ)

2017-08-19

ハァモニィベルさん ありがとうございます。 頂いた解釈は、ひとは悪夢を、悪夢から醒めたときに、今は悪夢の状態でないことを実感するために見ている。と、いうセオリーを背景にしたもののように思いました。 この語り手の語る内容は、それで解釈しきれるように思いました。おそらく、おっしゃる通りなのです。朝が美しいとすれば、その美しさの細部に、(私の嫌いな)ナメクジの跡をも含まれていることの発見は、それもまた良し、というしかないことであります。 迷っているときに、地図を頂いたような気がします。 ありがとうございます。 (獣の変身)

2017-08-14

(続き)非常に鋭利な、有り難い解釈ですね。これはおそらく、寓意詩なのです。 ご指摘の、不足部分についてもよくわかりました。あと少し、例えば五文字ぐらい必要だったように思います。 (獣の変身)

2017-08-14

花緒さん そうかなるほど!と、思いました。ありがとうございます。 寓話における寓意というのは、表面的な意味とは「違う意味」でもありますが、むしろ表面とは「逆の意味」であるケースもあると思います。 おっしゃるように解釈すると、この作品を (獣の変身)

2017-08-14

アーティストステートメント 「怪物の多様性」 妖怪とか、お化けとか、怪獣とかいうもの(ひつくるめて怪物)は、人間の想像力の産物と言ってよいのかどうか、ちょっとわからないところがあります。もしかしたら、単純に実在かもしれません。でも、おそらく現在主流の考え方では、それを人間の認識力と想像力のアイノコ産物と考えるのではないでしょうか。 ところで、なぜ怪物にはこんなに多くの、しかし生物種数よりはずっと少ない、「種族」があるのでしょうか。 想像力の産物なら、一匹一種ぐらいで、何億種族もありそうなものだし、実在なら十種族ぐらいになりそうやものです。 私の実生活で、明日にも私の生命が失われかねない、恐ろしい存在と言うと、まずはクマです。次はスズメバチか、マムシかなあ。そらからマダニとか、ヤマビルとかがいて、寄生生物や病気を媒介する生物がいます。クモもゴケグモとかいますし、トビズムカデも嫌ですね。 一つ一つの遭遇リスクはひくいのてすが、やはり恐怖というのは生活の中に結構あります。道を歩いていても、トラック何かは結構な怖さの存在ですね。 怪物がたくさんの種類いるのは、もしかしたら、恐怖を分割、分類するためも知れせん。もし、怪物が一種類しかいないのなら、出会ったら即死てすよね。 それは、クマに対する恐怖とヤマビルに対する恐怖が混ざるようなことで、怖すぎてとてもやってられません。クマに会ってしまったらダメかもしれません。でもクマだからと考えれば、心構えもあるのかもしれません。 この詩はかなり前に作ったものですが、この夢は実際に見た夢で、これを見てすごくホッとしたのを覚えています。どうせこの怪物に殺されるのは、変わらないわけですが。 (獣の変身)

2017-08-13

失礼。七五五の間違えてす。 (青)

2017-08-12

撥音便(ん)をノーカウントにしますと、 私の青は(5)、あの夏に(7)死んだままだ(5)。 と、なり、定形詩なのかなあ、と思い、拝読しました。 「青」がよくわかりませんでしたが、わからないながらも、「私の青」という言葉に惹かれました。 (青)

2017-08-12

こんにちは。 私は定形詩と自由律は、批評できませんし、短詩も批評できません。 そこで、ごく私的な感想を書かせて頂きます。 長音を一音とすると、 山盛りの(5)トマトスープ(5)・パスタ、氷水(7)。明日(あす)も晴れ(5)。 と、いう音数で、すらりと読めるのですが、これは何か詩形を踏まえた作品なのでしょうか? その疑問で、私は立ち止まりした。 私がよく知らないからかも知れませんが、もし音数になにか踏まえたものがあるなら、それは解説を付して頂いたほうが、よりたくさんのひとにわかるんじないかな、と思いました。 今回は、定形でも、自由律短歌でもないと考えて、鑑賞しました。 最後の、明日も晴れ、が決め所かな、と思い、勢いは、そこによく集約していっているようにおもいましたが、肩透かしと言いますか、「何で?」と感じてしまいました。 ほんとに明日晴れるかどうか、よく伝わってこない、という感想です。 (無題)

2017-08-12

だいぶ前のことになりますが、レス中、ずるぷかる君の名前を間違えてしまい、大変失礼しました。 (縁)

2017-08-12

こんにちは。 電気といえば科学技術の代表みたいなところがありますが、電灯と言えば、何だかわびしげな気配も漂います。 マメ球となると、昭和な感じとでも言いますか、和風な感じで、むしろ光の外の闇を暗示するようでもあります。 そんなこんながありますが、これ、茶色の光なのかな。「淡く」のサンズイが、水に通じることとか、何か惜しいところで活かせてないように思います。きゅう、という面白い音が耳に残ることも、タイトルと打ち消し合ってしまい活かせてないし、と、いうのが私の感想でした。 (電灯)

2017-08-12

続けようと思ったのですが、このステートメントはここで終わりにします。 急いで一つ記すなら、私は結晶のような詩を志向しながら、それに反する詩論を我が詩論としたい。と、思っています。 それが、荒地にいると思いつつ書く者には、適しているのではないか、と。(ステートメント終わり) (ペペロンチーノ・半熟目玉焼きのせ)

2017-08-10

(ステートメントの続き) 黒田三郎を薦められてしばらくした夜、隣で呑んでいる寺西さんに、私は「紙風船」のことを聞いてみました。 荒地派とはこういうものだと語られていることと、「紙風船」の作風は、と、いうか黒田の他の詩の作風は、なんだかしっくりこないような気がしたのです。 「どうして書いたんですかね?」 と、聞いて、その答えに納得できず、また別の日に 「あれはどうやって書いたんですかね?」 と、聞き直したりしました。 寺西さんが何て答えたか、思い出せなくなっちゃったんですが、 「ふと、書けてしまったんやろね。」 とか、 「降りて来たんやろね。」 みたいなことを、ぽつんと言ってました。 黒田を知ってからもしばらく、僕は荒地派とは、コウチハだと思っていました。 何ヶ月だかわからないけど、気づくまでそう発音していました。だって、アレチなら「荒れ地」と書きそうなものではないですか。 でもアレチ派が正しいですね。 インターネットは荒地だ、と私は思います。 (ツヅく) (ペペロンチーノ・半熟目玉焼きのせ)

2017-08-10

Kaz.さん 返詩ありがとうございます。 アノマロカリス、私は知らなかったので、画像検索してみました。 これ、欲しいです。  https://goo.gl/images/i185Tg (ペペロンチーノ・半熟目玉焼きのせ)

2017-08-10

(アーティストステートメント) 「私は「荒地派」っぽくありたい」 私は詩のことを殆ど何も知らずに詩を書いていたのですが、いや、今もそうなので、先輩諸氏や研究熱心な若い方々に、非常に多くを学ばせて頂いてきました。 ある時期、詩学社社長の寺西さんに、それこそ「詩学(エチカ)」手ほどき連続講義みたいなことを、(振り返れば)していただいたなあ、と思います。 と、言っても、今にしてみれば講義だったと思うだけのことで、その時は酒を呑んでいただけのことだったのですが。朗読会の隅っこなどで、私などは親しくしてくれる人もなく、一人で呑んでいる。すると、いつから居たのか、いつの間にか寺西さんが横に居るんですね。 せっかくね、色んな人がくる夜会に来たわけですから、僕だってホントはイカス美女さんとかと知り合いたいわけですよ!まあ、そんな野望は潰えて、独りで飲んでるわけですが、寺西さんが横に居るのに気づくと、なんだよー、と思うわけです。 だけどそういうとき、あの人はとっても良い笑顔をしてるんですね。しょうがないんで、会場に生じた別空間に入るみたいな感じで、二人で呑むのですが、私があまりにも無知だから話ははずみません。お互い、ポツン、ポツンと話すのでした。 印象的なのは、当時の私は、「四季派」を知らなかったですね。ポエニクを主催していた「いとう」さんが、その頃、何かの弾みに四季派の話をして、私は知らなかったので、知ってるふりをしたのを覚えています。 荒地派は、もっと赤面エピソードで、寺西さんが私に、黒田三郎を読むよう薦めてくれたんですね。私は知ったかぶりをして、実は黒田も知らなかったんですが、 「ああ、黒田イイですよね。あれが詩だよナー。やっぱ四季派じゃないですよ。」みたいなことを言いました。 寺西さんはそういうとき、ニコニコ笑って黙って呑む。そういう人なんだよね。 後日、焦りながら黒田を読んで、僕はほっとしました。ホントに黒田が良かったからです。 後年、私は結晶性の高い詩、という言い方で一部の詩を呼ぶようになりました。これは黒田の紙風船を念頭においています。 (続く) (ペペロンチーノ・半熟目玉焼きのせ)

2017-08-10

ご批評、ご感想、そして返詩、ありがとうございます。 最初、なかなかレスがつかなかったものですからドキドキしておりましたが、好評を頂きとても嬉しいです。 また、しっかりした解析によるご批評や、深い味読を反映した「讃」のような返詩を頂き、光栄です。 (ペペロンチーノ・半熟目玉焼きのせ)

2017-08-10

て、ゆうか、やっぱり釣られておこうかな(笑) 死んだ語り手と言うのはユーゴーでしたっけ?死刑囚の最後の一日を一人称で描くのですが、死ぬとこまで書いてしまうので、誰にも書けたはずがなくて変。ってのが、文学史で引用されますね。 落書きの場合、それは有り得てしまう。落書きは、誰かが書き足したり、書き加えてしまうから、です。その場合、語り手が何処からか偽者なのだということになりますが、実は語り手は、そもそもの初めから偽者なのかもしれない。と、いうことになりましょう。 (「便所の落書き」としてのクリエイティブ・ライティング)

2017-08-08

2000年代初期、陰口専門の人に侵略される前の2ちゃんねるで、北さんも楽しんでいましたが、私や私の仲良くしてたひとたちも、テキストが自分から離れたところから発生することを楽しんでいました。 ポチツトナー氏による、現代詩自動生成ソフト「詩人の辞書」や、最強詩人氏による、いったん書いた詩のテキストをランダムカットバックをするためのマクロ「テキストツイッター」が面白かったです。 そうしたことをしても、最後は何故かそのひとらしい詩になってしまう。不思議なことです。 この作品でも、だいぶ「北さん節」みたいなところがあり、なんかイイね、と、思いました。 (草花ノート)

2017-08-08

面白いと思います。 私の鑑賞では、最後のブロックが作品で、そこに至る過程も読者に経験させる、インスタレーション作品として読みました。 その鑑賞だと、澤さんのディスプレイでは、力点が最終パーツに集約せず、分散してしまうことと、写真が鑑賞でかてしまうため、詩が発生してしまうことを読者が経験する、ということからは逸れてしまうように思いました。 (草花ノート)

2017-08-08

この作品を私は、十六文字改行で見ています。 それで拝見すると、フォルムがとても綺麗で、良いなあと思いました。 折り返しなしの表示にすると、三角の連続で、やや単調で、私の好みとしては折り返しがある方だな。と、思いました。 (門)

2017-08-08

私は1980年代から95年まで、落書きコレクターでした。 主にトイレの落書きですが、その他の壁とかも、写真に撮ったり、ノートに書き写したりしてました。 1980年代に、私はダンボール一箱分の詩を書きましたが、その頃の代表作が、その名も「便所の落書き」というタイトルの一篇でした。 コレクションした落書きをコラージュして、私のフレーズと当時の愛読書の数ページをアレンジしたものです。三人しか読んでないけど。 当時は、デジタルカメラも、インターネットもありませんでした。 花緒さんのこの詩を拝読して、時代だなあ、としみじみ思います。 植松聖を称賛するバカが、未だにネットにはいるそうです。新聞にそう書いてありました。 落書き、と言うものは、政治になってしまいました。とても野蛮な政治にです。 この詩は、その現実を踏まえますが、意見を述べず指し示す。 一種のアイロニーの詩なのかなあ、と思います。 (「便所の落書き」としてのクリエイティブ・ライティング)

2017-08-08

私は、語り手は真実を語っている、と考えて詩に向き合ってみる、という読み方をします。 それでうまくいくときもあれば、それではうまくいかない時もありますが、この詩については一つの解釈が可能でした。 語り手が十四年前に産んだ子供「きみ」が、お気の毒なことですが意識不明な状態になり、そうなる過程で語り手は、延命のための選択なり行為なりをした。 と、いう背景で、語り手が自分は二度、きみの命を作ったね、と「きみ」に語りかけている。と、いう解釈です。 その解釈で鑑賞すると、ひたすら切ない詩ですが、でも奥深い。 必要なら、何度でも生み直す。死体としてしか産めないなら、死体としてでも産むよ、という、これを何と言うのか。やっぱり愛かな。 (手作りの命)

2017-08-08

パンテイをかぶることで変身するヒーローの映画、「変態仮面」で、ヒーローがヒロイン(非変態)に、自分が変態仮面であることを隠していたのですが、 「君のパンテイをくれ、正義のために。」 と、泣きながら頼む、(一部のひとにとって)感動的なシーンがあります。作者は知らないかもしれませんが。 それを思い出しながら拝読しました。 現実には、この詩のようにヒロインには裏切られるよね。しかし、そうわかっていても、「君のパンテイをくれ」、と言った変態仮面は、正しいのであるし、この詩の女の子にパンツをあげた語り手は正しい。何故なら、言葉というものは、真実を語っていると信じて読む(聴く)べきものだからですよ。そこからしか始まらないのです。 なんてことを考えました。夕日に染まる白パンツ、イイね。あと、このヒーローは、真正変態ですね(笑) (白を信じて染みが付く)

2017-08-02

すみせん。 ☓ 発現 ○ 発見 (△)

2017-08-01

星を見る視線、という言い方では、僕の解釈は語れていないな。 太陽エネルギーを浴びる視線で、水平方向を見ることの発現。と、解釈しました。 (△)

2017-08-01

私は朗読もするので、この詩の言葉の速度とか、染み込みとか、広がり(会場へ言葉が拡がっていくときのナチュラルさ)みたいなことを想いながら詩を読みます。 この作品の、「底辺確保」というフレーズは、オーディエンスを圧倒するよ。その一言のポエジーの炸裂で。 これによって、僕らはピラミッドに閉じ込められたまま、その側面から外を見るのではなく、頂点から見る視点を発見する。 そして、そのピラミッドを九十度立てて、ピラミッドの頂点から星を見る視点で、過去や未来、また空間的な水平方向を見る視点を発見します。 星を見る視線で、隣にいるひとや、過去にいるひとを見ることを見つけるのです。 なるほど、序列や制度の檻は砕け散るよ。 凄まじい、魔法の一言です。それが飛躍ではなく、しっかりした言葉の繫がりで出てくるのは、この場合、僕はプラスに評価します。 るるりらさん、Poetry Japan出ればいいのに。勝てばパリに行けるよ。 (△)

2017-08-01

私はネットで詩を見るとき、ごく僅かな例外わ除けば、どの作品にも読む楽しみを感じるのですが、それと同時に、これは詩になってないじゃないか、と感じることが多いのも、ネットの特徴だと思っています。 私の感覚で詩ではない作品も楽しんでは読めます。しかし、「なぜこの作者は詩から逃げたがるのかな。」とか、「斜に構えて、詩をズラしてるけど、これで作者は楽しいのかなあ。」とかといった疑問が残り、なんとなく寂しさのようなものを感じることが多々あります。 その点、この作品は詩を書こうとして書かれた作品であるなあ、ということを明瞭に感じ、気持ちが良かったです。 レトリックとしては、テレビではバラエティ番組をやっている。それを写しているテレビごと部屋が映画館として幻視され、その映画館では淫らな映画が上映されている。あるいは淫らな場面が、かな。テレビにADULTものとか、エロティックな場面が映ってれば簡単なんですが、そうしない。 この構造であるための力が、彼女の描写になつてるのかな、と思いましたが、裸で映画館にいて、淫らでありながら冷めていることについて、もっと個人的な経験からくるものが伝わってくると、もつと良かったのでは、と思いました。 (氷の女王)

2017-08-01

ごめんなさい。思いついてしまって追記です。 女が動かず、変化し、男が動く形は、中心を真ん中に、持ってくれば保てますね。 性で男女反転させると、婚も生きますよ。 (結婚)

2017-07-30

その自解は、無い方が良かったかな、と思いました。 これ、くっついてるとき、イタシているから、性という言葉があるのかと思ったのですが。一行一月ならシテから二十月後の出産なので、そのオトコの子ではなくなってしまいます。 文字が離れているときにイタシていたか、妊娠判明前は時間の流れが速いのか。 破綻までいかないけど、作者コメントによって、「減ってしまった」感があります。 (結婚)

2017-07-29

(追記)読み返すと、言葉足らずなコメントでした。 「大麻でまちおこし」で検索すると、厚生省のページに行けて、隠語としての「まちおこし」がなんとなくわかります。 まちおこし、には言葉として他の意味へのつながりがあったはずだが、この作品ではそれには繋がっていない。大麻などを栽培するとか、それを販売したり吸引すること。また、それを目指すひとが集まること。と、いう意味で、まちおこし、という言葉が使われていて、そこにとどまっている。 と、私は解釈しました。 (カニ族)

2017-07-29

そこでこの風変わりな詩をどう考えるかですが、一種の「贋作」として理解しました。 詩は不思議な文芸で、天才と称えられる贋作詩人もいますね。チャタトンという少年贋作詩人のことを想いました。 ところで、もし作者に自責の念があるのなら、自己処罰としては、海江さんが死ぬ詩をたくさん書くと良いかもしれません。色んな死に方をすると、なお良いかも。たくさん書いて、詩集にまとめると、味わい深い贋作詩集になるのではないか、と思います。 (海江さん。)

2017-07-29

クレタのパラドックスではありせんが、例えば誰かが、 「俺は常に嘘をついている。」 と述べるなら、その言明は何も意味しない文であるとしか、受け取りようがありません。もしその言葉が本当なら、語られた台詞は嘘なわけですから。 同じ事情で、小説家が、「この作品はフィクションです。」と語ることは、とても滑稽なことだと私は思っています。 また詩は、小説ともエッセイとも、リアルとの関わりかたが違い、ある詩作品を、これはフィクションか?と、問うことはナンセンスでもあり、不可能でもある、と、詩の読者としての私は思っております。書き手としても、詩に嘘を書くということは、私には想像することもできません。 (海江さん。)

2017-07-29

すみません。 操作が下手で、不注意もあり、コピーに失敗しました。 上記は、(蛾兆ボルカ)と、あるところから下がこの作品へのコメントで、その上は他の方の他の作品へのコメントを、間違えてコピーしてしまったものです。 (続けます) この作品における天使とか、天国という言葉ですが、詩とは何か、ということを、暫定的にせよどう考えるかで、評価が別れるかなあ、と思いました。 私は一般論としては、吉野弘の詩論を信頼しています。 彼は、詩とは、対象(作者にとって大切な、特別な何か)を褒めることだ、と述べていました。 特別なものを褒めるためには、用意された言葉なんかない。そのための唯一無二の特別な言葉を作るしかない。それが詩だ、というロジックであり、なかなか強力な詩論だと思っています。 しかし私は、しばしばこの詩論を捨てて詩を書きます。 この言葉で書いてしまうのは安易なのではないか、というまさにその言葉をあえて選ぶのです。 それは、また異なる、詩とは降りてくる言葉だ、という詩論の帰結です。 その詩論を実感するとき、それに逆らうことに私は意味を見出しません。言葉とは、みんなで作るものだからです。 この詩で、天使という言葉がこのフレーズに使われたということは、人類の歴史の(微細ではあるが)一部であり、この天使という言葉の運命のひとつだ、と、私は考えるのです。 以上です。いろいろミスがあり、すみませんでした。 (海江さん。)

2017-07-27

やや熱を帯びた 真夏を過ぎて 悲しみの向こうに からりと乾いた汗は 優しい匂いがするのかもしれない コメント欄を隠すTwitterでシェアFacebookでシェア 花緒 花緒 (1 時間前): 初めまして。生きること、と、悲しみ。相反する訳ではないのかもしれません。ポジティブとネガティブが対比された作品ではないですが、生、と悲しみが、繰り返しリフレインされ、ぐるぐると回っていくところに、音楽、があるのかもしれません。後半、もう一段伸びやかさが欲しかった気もしなくはないですが、楽しく拝読いたしました。 蛾兆ボルカ 蛾兆ボルカ (3 分前): この詩は結晶度が高く、何万年もかけて育ったクリスタルのように美しいと思います。 にも関わらず、これは今月亡くなった方に捧げられた、今月書かれた、機会詩です。 話が脱線しますが、私は、人生のほとんどの場面は、たった一つの言葉でしのげると思っています。「俺はまだ本気出してない。」と、いう言葉です。 でもこの言葉でしのぐからには、一つの言葉をときどき言えるようでいたい。「俺は、キメるときは、キメる。」と、いう言葉です。 しかしそれは、難しいんだな。 機会詩を書くときに、この詩のように、結晶として書くというのは、日々の鍛錬が偲ばれるし、亡くなった方との交流の素敵さを証すものだと思います。 人が死んだとき、人間に何ができるか。ある関係にあるある人は泣くでしょう。例えば、最愛の息子を亡くした母親の誰かは、涙が涸れても泣くでしょう。因みに、涙って意外とすぐ涸れますね。本気で泣くと、一晩で、泣いても出てこなくなります。それでも声だけで泣きつつけたひとを、私は知っています。 そんなこともしてあげられないひとは、何をするか。 詩でも書くしかないよなあ、と、思うのですが、なかなか難しいことですよ。 この作者は、それをしっかりやっているなあ、と思いました。 (続く) (海江さん。)

2017-07-27

ちなみにこの作品におけるカニ族の語は、ヒッピーの隠語として、さらにヒッピーとはマリファナ吸引者の隠語として使用されていている。そしてそこに停止している。と、私は解釈しました。 花緒さんの解釈は素敵だし、なるほどそう読みたいところだが、もしそう解釈するなら、前に進めずに、旅行者というより車内引きこもり者であった自分が、もっと切なく、カニ族として自覚されなければならないし、禁制品の運び屋であることが暗示されている箇所も、語り手の立ち位置の混乱になつている。 まあ、一読者の一つの読みなのだが、私には、上述の印象だつた。 (カニ族)

2017-07-27

カニ族とまちおこしを、単に隠語として使用している。象徴や隠喩として芯が通っていない。それは、いささか下品なのではないか。と、思った。 例えば、SMの女王様は、「たたせろ」という命令に奴隷が応えようとするとき、 (よしよし。芯が入って来たわね。) という言い方をします。 これは、象徴や隠喩に通じてるから、なんか、もののあはれ、みたいなのが漂うわけです。 でも、この作品でのまちおこしは、単にマリファナをめぐる隠語として使用されていて、だから深みや味わいがない。 花緒さんとは逆の読みになるが、だからこそやっと安心して書けるわけですけどね。 花緒さんのように読む人もいるかもしれない。僕もこの作品に、青春の抒情があることは認める。 (カニ族)

2017-07-27

おはようございます。 作者の内心を知るすべのない、いち読者として、なんですが、ひとつコメントを付け加えさせていただきます。 この詩は、スマホから読むなら、スマホを横長にして、小さめの文字で表示したほうがイイね。 (BACK TO THE ACID PLANET   (B-REVIEW EDITION))

2017-07-27

これはまた、ものすごい傑作なのではあるまいか!と、思いました。 数週間、私は「アガルタのシャンバラ」という自作品を改稿して、それを表題作にした詩集を作りました。 シャンバラというのは、地底国アガルタにあるという都なのですが、そこにピラミッドがあると言うのですね。 そのピラミッドに私も惹かれていたのですが、ピラミッド自体は主題にできず、温泉の詩になりました。 なんで僕には、ピラミッドの詩が書けないのか、不思議だったんですが、この詩を拝読さて、「ユリイカ!」と叫びたくなりました。 これでしたか。あれは三角つてより、四角いんだよな。底辺に寝っ転がって宇宙を見る、ものすごい視点マジックです。 (△)

2017-07-25

まあ指摘は長々できますが、要するにタフな作品だよね。コイツわかってねーな、と言わせない作りです。 それと、エスプリがイイね。 経済がなぜこんな無茶苦茶なのかと思考する、クールヘッド、バット、ウオームハートな感じもよいです。以上なり。 (BACK TO THE ACID PLANET   (B-REVIEW EDITION))

2017-07-25

とても面白い傑作だと思います。センスの良さが、感じいいナ。 二本の五階建てビルの形状の詩ですが、その縦横比や一行空きのシマシマ模様など形状の美しさと、ビルの現れ方の偶然性(少し環境依存するため、読者ごとにいくらか違う形になる)と設計性のバランスも良いと思います。 テキストは、各連に、無自覚な映画的手法がない、という特徴がハッキリあり、文を書くということへの意識の高さが、この作品が読むに値するテキストであるための水準を超えることを支えていると思います。 例えば、映画のエスタブリッシュ ショットのようなものは、この詩では各連冒頭にありません。カットバックや、切り返しショットのようなものもない。もともとそんなものは現実には無いのだから、文と現実の関係を思考したことのある書き手なら、安易に映画的な手法で書いたりしません。 他の観点でも、「お話」や「説明」ではないものへの集中など、 (BACK TO THE ACID PLANET   (B-REVIEW EDITION))

2017-07-25

アバウトな紹介をしてしまい、すみませんでした。 僕が連想したのは、藤田嗣治の、アッツ島玉砕、という絵です。 画像検索してみたところ、残念ながら、形が分からないまでに低品質な画像しか私は見つけられませんでした。この絵には、ところどころに花が描き込まれています。それが判別できる画像がもしありましたら、その絵です。 しかし、関連書籍や、図版を収録したムックは多く出ていると思いますから、後日、図書館へ行く機会がありましたら、観ることができるかもしれません。 (唸る絵筆と折れた傘)

2017-07-23

こんにちは。 拝読していて、僕はフジタが戦争協力して描いた(とされる)絵を、ふと想いました。実物は見たことがないのですか。 ただ、僕が想起するフジタ作品とこの詩の情景は細部が一致しないし、フジタは積極的に戦争協力したと思われることとか、彼は無名ではなかったことなどから、フジタがこの詩の主題とは思いませんでした。もっと後悔しながら戦争画を描いたひとを想像しましたが、あまりはっきりせず、作者の感動の在り方がわからない、という印象でした。 この詩は、色面、空間構成、量塊など、絵画的な要素を言葉で表現しようとする苦闘みたいなものは、私にはあまり感じられなかったし、主題も曖昧なように私は思いました。 (唸る絵筆と折れた傘)

2017-07-22

詩を書いている成人の男女が、自分の子供が自分の詩をどう読むのかな、などと、ふと思ったりするのは不思議な事ではないし、時々は詩に自分の子供を登場させて、いつか子供に読まれることを織り込みずみの詩も書いたりしたいのも奇妙なことではないと思います。 僕も時々、子供に読まれることが前提の詩を書くし、知人もそうした詩を書いています。 また、そうした語り口の詩には、口語自由詩にも過去の名作もたくさんありますね。 種類としては、そうした、取り組みの多い、ある意味王道、ある意味ライバルの多いジャンルじゃないかと思います。 この詩は、産まれた日、という、その子供固有のものを丁寧に詩に昇華し、慈しんでいて、そのオリジナリティの高さが、その子供へのプレゼントとしての素敵さになっていると思いました。 ただ、細部がどうなのかな、と思いました。 詩は読者により読みが違うので、あくまで僕の読みにより感じたことにすぎません。また、どちらにせよ、小さな違和感に過ぎないのですが、二三個を具体に上げておきます。 タイトルについて。 タイトルは、英語で不合理な、の意味。 実数をリアルナンバーと呼ぶのは、ずいぶん面白いことで、無理数を不合理な数と呼ぶのも、変で面白いことです。この語から予測不可能な子供の歩みを連想するのは、詩的な発見だと思いました。 でもそういう詩だと思って読むには、なんか物足りない感じがします。それは、ルート5が無理数になることのおどろきが、論理の必然として、または感情の困惑としても、しみじみわかるようには表現されてないからではないか、と思いました。 とほく ここはなぜ遠くでないのか、違和感がありました。 右目と左目について 右目は左脳、左目は右脳に関わりそうに思うし、そうだとすると、この詩は逆のように思ったのですが、違いましたでしょうか。すみません、調べてはいないのですが、なんかそうだったように思います。 僕が間違つてるのかもしれませんが、もし僕が勘違いで違和感を持ったとすると、他にもそんな人はいるかもしれません。 そのあたりの科学的な話は、注があったほうが良いようなきがしました。いや、それは常識とみなせるからこれでいい、と、いう意見もあるかもしれません。 どっちだろうと思うのですが、いずれにせよ、僕はそこで引っかかりました。 (irrational)

2017-07-20

書きはぐりました。 後半の扉は、朝まで呑んで、店を出るときに押し開ける扉を主に、そして灯台の海への扉を重ねて、僕はイメージしました。 (扉)

2017-07-20

バッハのピアノ曲に、三個とか四個の複数のメロディーが同時に進行するものがあり、グレン・グールドのような名手が弾くと独特の哀しさと明るさが漂います。そんな詩を書きたいものだと思うことが僕はあるのですが、これは、三声(三つのメロディー)の詩として拝読しました。 冒頭の扉は、崖の上にある、灯台のような建物のなかにいて、海に面した扉を開くイメージ。そしてそこから最後まで、海辺のイメージが続きますが、それを綴る言葉で、僕には新宿ゴールデン街で飲み歩いている初老の詩人のイメージが浮かびました。 さらに、それらと別の、第三のメロディーとして、街に立つ晩年の老婆のイメージが浮かびました。ちょうど、グールドが右手の一部と左手の一部で、第三のメロディーを弾いていくように。 昔、新宿冬子さんから買った詩集に、街頭詩人についての記述がありました。 街頭詩人は民衆の根源的な在り方なのではない。街頭詩人は群衆の根源的な在り方なのだ。 その詩集は既に手元にありませんから、正しい引用はできませんし、そもそもその詩集は引用禁止が明記されたものなのですが、そんな群衆論がそこにあつたと僕は記憶していて、その記憶が、白島さんのこの詩を拝読していて、老婆の下りで僕の脳裡に蘇りました。 (扉)

2017-07-20

そうか、タイトルをクリックしてから、コメントを入力すればいいのか!! 今、気づきました! 世の中、僕の気づかない、他の人たちが気づいてることつて、たくさんあるんだろうなー。なんかびっくりです。 この作品ですが、とても難しいことをやっていて、気持ちがイイです。上手いなあと、思いました。 日常語では簡単だけど、詩ではなかなか書けやしない、難しいこと、例えば「お兄ちゃん、最近どう?」、みたいな大事な言葉を詩で書くには、たぶん呼び水みたいな魔力のある言葉がいるのでは無いかと思うのですが、作者はずるぷうか君を上手く掴まえました。 チャンスには前髪しかないとか。 (縁)

2017-07-19

腰が座ってるとでも言うのか、感情がコントロールされた強度で展開してて、流れがしっかりしてるかんじがしました。スター性を感じるなあ。 僕は、ロックンロールな朗読詩人に、四人ぐらい出会いました。 ジュテ―ム北村さん、TASKEさん、ワンダーボーイさん。一人は出会えずに、死後に詩集を読みました。それはカウミン タウリさん。 あなたのフレーズはそういう素敵な人たちに共通する響きを持ってると思います。朗読で聴いてみたいな。 それと、この作品は、言うまでもなく、あなた自身を追い込んでしまいかねないわけですが、これだけにとまらないで、他の詩も書けば続けられると思います。マイペースを大切に。 (泣きボクロちぎり取って投げた、金魚たちが食ってら)

2017-07-19

文があちこちして、散漫になりました。失礼しました。 (四番目の息)

2017-07-18

今晩は。 僕は、タンスの描写のあたりまでは、これは猫かなあ、と思いながら読みました。 マントと表情が出てきたところで、ああ、コウモリでしたか!と、思いました。 斧が出てきたので初めて、仕方なく妖怪の類いとして読みまして、我ながら疑い深い読者もあったもので、どうかと思います(笑) しかし、そんなことにも、僕にはない、龍人さんの個性が出ているのかもしれません。 不意に出現して、告げる者。それは不当な、許しがたい存在ですよね。あってはならない、と感覚させる存在です。そして恐ろしい存在です。 それが龍人さんの感覚なのではないでしょうか。 異形が現れるより前に、不可視の者たちが走り回りますが、龍人さんは、それは異形の者に対してほどは怖がらない。それはもしかしたら、不可視の者たちは、何も告げないからではないだろうか。 僕なら、不可視の者たちのほうが怖いかもしれないのです。 龍人さんは、異形の者に対して、話しかけません。また、逃げたり戦ったりもしません。布団を被る。 僕なら怒鳴りつけたり、話しかけたりして、関わりを持ってしまい、結果、困ったことや恐ろしいことになってしまうのかもしれません。 何気ない作品ですが、具体的に、主人公に感情移入してみると、僕とはずいぶん違うところがあります。 そこに龍人さんの個性とか、生きかたみたいなものを、そこはかとなく感じるなあ。 龍人さんは、たぶん、生き物として正しい、生き延びる確率の高い反応をしてるような気がします。 それが作品全体に、不思議な安定感とリアリティを与えたますね。 お話的には、不可視の者が訪れてきたら、追っかけて廊下や階段を走り回る子供が主人公のほうが、たぶん面白いお話になります。異形の者がこっちを見てたら、迷わず話しかけちゃう子供のほうが、お話的には展開します。 でも、人生はそういうもんじゃないのかもしれないし、そうじゃない子供をこの作品で今読むことに、何か面白さわ感じました。 (四番目の息)

2017-07-18

読み方に気づくのに数分以上かかりました。 数時間ではなかった。 認識を引き伸ばす異化として、ちょうどいい難しさだなあと思いますし、階段を登る感覚が表現されていると思います。 (十三階段)

2017-07-16

(追記) すみません。 タイトルと内容の乖離について、龍人さんのご指摘にレスを追記させて頂きます。 そこは、仕込みました。龍人さんの解釈の、レスの中の後半部分のようなことを、読者の内部から、それぞれに違う形で引き出し、一人の少女の姿のイメージを描くためです。 (パップリポンから来た少女)

2017-07-16

(続き) こちらの不慣れのせいですが、書きかけのコメントが、しばしば失われそうになります。 その度、失われるよりはと、急いで送信したなるので、ぶつ切りになってます。すみません。 タイトルを副題と入れ替えるなど、幾つか考えましたが、タイトルにも仕事をさせていますので、この書き方でぎりぎりかなあ、と作者としては考えています。 しかし、作品の評価にもかかわり、ご指摘は大変重要と思いますし、今後の参考にさせて頂きます。 ありがとうございました。 (パップリポンから来た少女)

2017-07-16

私は、詩と説明を融合させられないため、作品ごとに色々とジタバタします。 この場合、副題ではどうなのかですが、これは背景説明であると同時に、「この詩を特定の故人に捧げる」という献詞でもあるため、脚注では失礼になるのでは、と思います。 また (パップリポンから来た少女)

2017-07-16

龍人さん コメントありがとうございます。 様々な細部を読んでくださり、また全体を踏まえた解釈や、好意的なご感想を頂き嬉しく思います。 一方で、副題については、どうなのだろうというご意見も頂きました。 作品の背景に係る説明的な要素を、作中に書かず副題に書いたのは、詩語を綴るときと、説明をするために言葉を使用する時とでは、私の場合は、私自身の意識の在り方が異なるため(主観的には、「何処から来た言葉か」も異なります)、混在させるのが難しい、という作者の個人的な事情によります。 これは私の個人的な性向で、必ずしも一般的ではないかもしれませんが、私はしばしばそこで苦労します。 語りたいのは詩なのですが、説明がなければ通じない、と感じる場合、詩に説明を (パップリポンから来た少女)

2017-07-16

白島さん コメント、ありがとうございます。 この詩は、ごくささやかな捧げものにすぎませんが、私にとっては書かなければならない詩でした。詩的真実という言葉をいただき、大変光栄です。 私は、これよりは気楽な詩を、たくさんや書いておりますが、また折折には、こうしたものを書いてゆきたいと思います。そのととき、詩作の励みにさせて頂きます。 (パップリポンから来た少女)

2017-07-15

(続き) 赤ちゃんには、そうした時期があります。あれって可愛いですよね。 コメント拝読して、音を読む、ということの深さや鋭さに驚き、学ばせて頂きました。 (パップリポンから来た少女)

2017-07-15

まりもさん コメントありがとうございます。 赤ん坊って、ぴぴぴぴ、とかいちてる (パップリポンから来た少女)

2017-07-15

(続き) キリエル人って、かなりKYなんじゃないかな、と思うのだけど、これを読んでしまうと、彼らの経験とか、知識とか、思想とか、なんかちょっと偉いのかも、とも思えてしまいますね。 それと、キリエル人つて、僕も検索してみたのですが、姿がなんか少しデビルマンに似てるかもしれないな。 (キリエル人(きりえるびと・ウルトラマンティガ))

2017-07-14

(続き) 角田さんの怪獣への眼差し(それは変な眼差しですが)で、怪獣の素敵さを僕らは見る。 この作品では、キリエル人にたいして、僕らは、そうした眼差しを持つ贅沢を手に入れます。 (キリエル人(きりえるびと・ウルトラマンティガ))

2017-07-14

僕にとっては、怪獣記、とでもいうようなものを読む面白さだと思います。 例えばシートン動物記を読んだひとにとっては、キツネというのは(オオカミも)、特別な獣になるだろうし、白鯨を読んだひとには、マツコウクジラというのは、海獣となるでしょう。 ●●記の約束として、僕らは作者が、その生物(とか怪獣とか)の基本的なスペックについては正しい記述をしている、と、期待して、それらの●●記から愉しんで学びます。 生き物にかぎらず、小泉八雲の伝えるお化けたちにたいしても、そうできます。 この作品では、キリエロイドについて、僕らは作者を信頼できる。まんいちそこで間違えていたら、僕らではなく作者が悪い。 だけどシートン動物記に出てくる一匹のキツネが世界の子どもたちのキツネ観を変え、白鯨に出てくる一頭のクジラが世界のおっさんのクジラ観を変えるように、この作品は、この作品以前のキリエロイド観を、作者が勝手に変えてしまいます。 その代わり僕らは、キリエルびとの観点でものを見ることができるようになる。 そして、シートンの、動物への敬意の眼差しをたのし (キリエル人(きりえるびと・ウルトラマンティガ))

2017-07-14

この作品は、未完成なのではないか、という感じがしました。 四部構成で起承転結にわりふられた形態をしていますが、割り付けただけで、まだ力学的エネルギーが発生していません。 起承転結は、結にドラマ(対立、相剋)のクライマックスが来て、そこでラスボスがぶっ殺されたりしないといけません。あるいは転で鮮やかに決め抜くか。 これでは、転はツナギだし、結も流れていて、締まってません。 (RETURNING_TO_THE_SECOND_UNIVERSE)

2017-07-14

これはすごい。 大量の工夫が惜しみなくつぎ込まれ、ハーモニーを奏でています。 冒頭、かわいた風を連想させる「は」と「ほ」が丁寧に、ナチュラルに押韻され、また、口をすぼめて静かに発音される「そ」が押韻され、同じように静かな「つ」や「す」、物質に喩えるなら「水」が予感されています。 この繊細な流れが、3連「すいこまれるように冷たい」で、最初の小さなクライマックスに至ります。そこは、ため息が出るようにうつくしい、と、思いました。 意味においては、読む、ということへの(語り手自身への)端正な厳しさ、言いかえれば優しい冷たさ、を感じました。 (惑星)

2017-07-13

(続き) この詩論のさらにうらに、詩の地底国を築くような詩論を私は探していこうと思っています。 地底国アガルタには、シャンバラという美しい都市があるのだ、と伝説に言いますよ。 (詩論 ルドンの眼)

2017-07-13

僕には、この詩論は、親しみを感じるものでした。 僕にとっても、十代の終わり頃にしていた詩作は、内なる深淵を見ることでしたし、この散文の筆者はそうした詩論を新詩集に至るまで、おそらくは中年期の初めまでに捨てたということなのかな、と、拝読したのですが、私も若い頃の詩論は捨てました。捨て去るのが数日か数ヶ月か、分からないけれども少し遅ければ生きていなかったでしょう。 さらに、この白島さんは、若い頃の詩論を離れても、そこと不可視のケーブルを接続して詩を書いておられるのかな、と思うのですが、私もそうです。 むしろちょっとぐらいは、ここに書かれていないことをコメントしたいなあ、と愚考しまして、安部公房を持ってきました。  安部公房BOT 安部公房BOT @abekoubou_bot 見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる傷みに耐えようとして、人は歯をむくのだ。しかし誰もが人間になるわけにはいかない。見られた者が見返せば、今度は見ていた者が、見られる側にまわってしまうのだ。 『箱男』 清水氏がいうように、深淵を見つめるひとに、なんでわざわざ深淵を見たりするのかを問うても、おそらくは、まだ生きているからだ、としか言いようがないのでしょう。 しかし、その深淵を見るときですら、見るからには見るものは対象への愛を差し向けているのではないでしょうか。絶望への愛も愛である、ということから、この詩論のうらに (詩論 ルドンの眼)

2017-07-13

角田さん コメントありがとうございます。 作者である僕は、この詩について、またパップリポンについて、何も語れませんので、読者に語って貰えてありがたい。とても嬉しいです。 (パップリポンから来た少女)

2017-07-12

るるりらさん コメントありがとうございます。 嬉しいなあ。読んでもらえて。 この詩には、様々なバージョンがあり、それぞれのバージョンをネットや朗読会で披露したり、それにご意見を頂いたりしました。 るるりらさんは、別バージョンも読んでくださったと思います。 メビや現フオに書いてから、こうしてネットに里帰りするのに何年もかかりましたが、最終的にこうなりました。それを報告できて嬉しいです。 眼福という言葉、知っていたけどご無沙汰していた言葉でした。見る幸福。素敵な言葉ですね。 (考察と「苺」)

2017-07-12

(続けるつもりでさしたが、やはり続かない。) (パップリポンから来た少女)

2017-07-11

花緒さん コメントありがとうございます。 この作品は、副題に示した通り、童話作家であった亡き母の想い出を主題としたものです。 そして、それ以外のことを(この詩については)語るすべを作者たる私は知りません。 なぜならこれは、既に何事も語り得ないひとに捧げた歌ですから。 コメントを頂き、この詩を解釈することや、批評することの困惑について、私も考えました。 そして、なるほどなあと思いました。 私にとって、死は謎であり、生は神秘です。 (続く) (パップリポンから来た少女)

2017-07-11

副題は「想い出」の誤入力でした。 初出は「焔」107号(2016.7.)ですが、異同があります。 (パップリポンから来た少女)

2017-07-08

追記)僕は最終連がズキュンと来ましたねー。 あと、それなら最初から悲しく透明に叙情すりゃいいのに、どうしてこんなことしちゃうかなあ、というとこが素敵。 (変なプレイ)

2017-07-08

(続き) 他にも、この作品が、もしかしたら世界初かもしれない詩的てがらと言うべき表現が、いくつもありますし、推理小説的な構成も、効果的に、孤独や絶望感みたいなものを表していると思います。 しかし、何故か、(ああ、面白いなあ!)という感想に至りませんでした。 何が不足だと自分は思うんだろう、と、しばし悩んだのですが、 ここにはやはり、名探偵が欠けています。そこなんじゃないかなあ、と私は思いました。 (よせばいいのに)謎を解いてしまう怪物的阿呆。その怪物性への哀しい共感が、この作品では寸止めされていらるように思います。 (皆殺しの比喩)

2017-07-08

良いとこがたくさんある詩だと思いました。 例えば、 (引用) 包茎を長い年月をかけ剥いていくように 「花びらを (引用終わり) 簡単に剥けるひともいますが、剥くのに、二三年かかる家系のひともいると思います。人によってはもっとかかりマスよね。 でもそれが語られるのはとても珍しい (皆殺しの比喩)

2017-07-08

たいへん面白く、軽やかに思考の翼を拡げて、自由に、かつ細やかに構築された、労作な駄作なのではあるまいか。と、思いました。 実に心地よく、才能が浪費されていて、イカス詩だと思います。 読後、(それがどうした)としか言いようがないのですが、そこがイイ。 センスが良く、読んで楽しい作品、DETHね。 (変なプレイ)

2017-07-08

先ずは学名や亜種名で主題の植物を固定し、食味や毒性に関する注意や葉の形などを語るほうがわかりやすいですし、言葉としてのタビラコとかホトケノザとかが何を意味したかは、まずそれが複数種を総称して指したのか、変遷はしたにせよ、単独の種を指してきたのかについて、見解をのべてから、北さんのご意見を論述したほうが良いと思います。 (タビラコと仏の座のロゼット)

2017-07-08

拝読して、想いは伝わるのですが、情報の伝達の面ではあまり良くなく、分かりにくい作品だと思いました。 まずは学名で属名と種名を明記したものを文の主題や主語にして、それがどう呼ばれたかで整理してほしいです。 そのうえで、ある言葉(タビラコとか)が、がくめい(続く) (タビラコと仏の座のロゼット)

2017-07-08

こんにちは。 湾岸戦争からそれはどたっていない頃だったと思うのですが、四元康祐さんによる「世界中年会議」という詩集が世に出ました。 私自身が、若い衆から『おつさん』に脱皮というか變態というのか、変わりつつあったころで、カフカや安部公房とともに、おっさん化の美学について私が考えるとき、必ず立ち戻る地点となりました。 ひとは乙女というくくりで人間を束ねることに対しては、流されるなり、反抗するなり、積み重ねがありますが、おっさんでくくられることにはまだ慣れていません。 ビンラディンも、ミックジャガーも、駅員も、(もしまだ存在してるなら)イエスも、おっさんであることの悲哀において同質であり、それをカテゴライズすることは、世界には非おっさんなものもあるけど、吾はおっさん道を征くしかあるまい的な諦めを私にもたらすのですが、悪くないですね。 この詩には、それがそこはかとなく漂うのを感じ、愉しみました。死して屍ひろうものなし。それがおっさんの生きる道、なのである以上、半田も熊も我等の同輩です。 (DO_NOT_CROSS_THE_BORDER)

2017-07-08

エイクピアさん コメントありがとうございます。 星空の星から、苺のつぶつぶへの、この詩の展開の仕方を何と言うのか、実は私は知りません。 これも、メタファーの一種なのかも。 (考察と「苺」)

2017-07-06

花緒さん コメントありがとうございます。 ワイアーで細部まで接続された、ある意味、外部を喪失してゆく世界というのは、宗教や封建的な観念でひとびとががんじがらめに接続された社会、さらに言えば全体主義的な社会ということと、一見似ていると僕は思います。はたして、同じような極限に向かうのかもしれませんし、全く違うかもしれません。 双方向通信による情報社会が、これから全体主義や管理社会というのとは方向の違う、もっと素敵なものに向かうためには、個を押しつぶしてしまわないことが大事だと思うのです(人格の尊重)が、このサイトはそのあたりよく練られていて、快適に参加させて頂いてます。 それでも僕は、協働の反対の志向性、個を拡張して他者と繋がるのではなく、逆に、個のままの自分に他者を取り込むことで複眼性に至るとか、個のままの他者に自己をインストールすることに向かいたいなあ、と思っています。 (考察と「苺」)

2017-07-06

まりもさん コメントありがとうございます。 構成を細く読んでくださり、とても有り難いです。 (考察と「苺」)

2017-07-05

生命観→生命感 車体→被写体 誤字です。すみません。 (被写体)

2017-07-04

こんばんは 。 面白い詩だなあと思いました。 きゅうん、は、何だか良いですね。 私は、写真と言うのは死体を映す機械だと思っています。機械としては、です。 そう思い込んでいると言った方が正確かもしれません。 生物は動いています。しかし写真の中では時間が止まっていて生物も止まっている図で映されます。生きてる間は生物は動いていて 死んだらこうなるというものが写真にはうつるのだと 私は思うのです。 しかし実際には写真家は 人物をその人の生命観と共に うつします 不思議と言うか理屈に合わないというか そんな風に思います。 被写体から切り取られた肉のような画像であるはずのものから、何故か、おそらくは文学のようにして、 車体そのものが部分的にとはいえ ある瞬間のそのものが その生命ごと 定着される。その奇妙な感じに、この詩のきゅうん、はよく似合うなあと思いました。 質問の所も面白いです。 質問されて答えるまでの間に、むしろ、質問をされているまさにその間に、 質問された我々は質問者に何かを盗まれるようなそんな気がするときがあります。 その感じは、そういえば snapshot を不意にとられたような感じかもしれません。 (被写体)

2017-07-04

子、は詩の誤変換です。すみません。 (砂糖菓子とブレスレット)

2017-07-02

こんにちは 皆様のコメントを拝読して、詩を読むことに長けていてすごいなあ、と思いました。 この詩では、表層で語られていることから直接物語を無理やりに読み取るのではなく その断片それぞれから 構成される 一つのまとまりとしての心の動きを味わうのが豊かな読みなのかな、と思いました。 私の読みは、誤読と言っても良いほどの、表層のみの貧しい読み方だったかなと思うのですが、強く印象に残りましたので、コメントさせて頂きます。 私は人が死んだ後しばらく魂はこの世に残って、そして去っていくのだというような世界観に わりあいと親近感を感じるのですが 、この詩はそういう場面を描いたものとして 拝読しました。 そしてふと 千と千尋の物語の 主題歌の中のフレーズ、 生きていく不思議 死んでゆく不思議 というフレーズ 思い出しまして、どんな歌だったのかなと思いました。 そこで検索してみました youtube でウクライナの美女が歌っている https://youtu.be/d4Kijkkz4f0 これを見つけました。 既にご存知の方も多いものかと思いますが、私は初めて見まして、衝撃を受けました。 知っていたつもりの詩が、 全く違うものに聞こえたからです。 解釈によってこんなに変わるんだな。怖いけど、それが詩なんだろうな、と思いました。 さて、そんな風に読んだり思ったりしていた私ですけれども、皆様のコメントを拝読して、さすがに自分の読みが浅いのではないかと思っているのですが、 私の読みでもこの子はなんとなくてはありますが 去っていく人の 思いを丁寧に叙情したものとして、感じいるところがありました。 (砂糖菓子とブレスレット)

2017-07-02

今日は。 拝読して私は、視覚詩とは違う意味で、ビジュアル系の詩だなあ、と思いました。 私も天才美少年に萌を感じる質なのですが、この詩には、失踪直前の元祖自分探し、デカルトをイメージしました。 ニーチェ自身またはそれ以後なので、もちろんこの詩ではデカルトがモデルということはないのですが、私がデカルト少年に感じる萌要素がここにもあるなあ、と思いました。 (内省モラトリアム)

2017-07-01

花緒さん、まりもさん ありがとうございます。 細部まで味読してくださり、また激賞頂き、大変励みになります。前半が丁寧過ぎる(もたついている)ような印象、または疑問についても、忌憚なくコメントしてくださり、嬉しいです。 まりもさんが上げておられる詩書を私は読んでいないのですが、詩の現在を捉えようとする意識のなかに、私とも共有する問題意識もあるのかもされません。 もしいつか、機会がありましたら、「民衆詩派ルネッサンス」という、最近の評論を手にとってみて頂けると幸甚です。口語自由詩の歴史を見直し、詩の現在を、ちょっと新鮮な観点から考える一書だと思います。 この詩を書いたとき、私にはイデアという言葉を隠喩と並べる意識はありませんでした。 この春、小説「騎士団長殺し」を読んでイデアという言葉に出会い、今また、まりもさんから、イデアという言葉との出会いを拙作への批評の中で頂き、大変嬉しいです。 (純粋ラーメン)

2017-07-01

誤変換すみません。 草野心平を遠く反響しながら、 でした。 (シュール)

2017-07-01

もしかすると、ですが、この誤字のちゃあは、そのままの方が良いかもしれません。 この詩を読んで、僕が感じるのは語り手の魅力です。 最も一般的な、通俗的な意味で、です。 この人は何を言ってるんだろう。 この人の言葉を聞いてみたいなんとなくこの人と話がしたいこの人と友達になりたい そういう言明すると馬鹿馬鹿しいような非常に通俗的な意味で、この語り手はとても魅力的だと僕は思いました。 先日ある女流歌人が、最近の歌人は、言葉を大事にはするけど、あまりガチガチな言語的細工は今の流行りではないと言ってました。 一見、化粧してないように見せるお化粧が、いいと思う、と言うのです。 この詩も、ナチュラルメイクの魅力によって この作者が というかこの語り手がこのように表現されるのかなと思いました。 ナチュラルメイクと評したものを、分析しちゃうのがどうなのかと思いつつ、深読みもしてしまうと、 草野心平トーク反響しながら るの魅力 しかしここでは 逆に欠損不在によって語るという 素敵なシュールなんじゃないかな。フリーダムでイイネ、と思いました。 (シュール)

2017-07-01

こんにちは。 ちょっと面白い詩だな、と思いました。 比喩を逆にしてみると、しないより、よっぽしっくりくる場合があります。 たとえばビアガーデンでビールを飲んでいて、ふと、ビールのジョッキってビルみたいだなぁ、と思う。 でも、ビルみたいなビールってのは、詩としてはなんかイカシていないなあ、と思ったりして、逆にしてみる。 ビールみたいなビル、と言ってみる。 そんなことを僕は時々やってみたくなります。そうすると、思いがけなく、しつくりきたりも、時々は、します。 この詩は、もしかしたらそんなふうに書かれたのかな、と、楽しく空想したりしながら、僕は読みました。 (ビールみたいに運ばれて)

2017-06-30

誤変換  数年前、焰で知り合った詩友として、純粋詩、と言う言葉がこぼれました。 正 焰で知り合った詩友と話ていて、純粋詩、という言葉がこぼれました。 誤変換  だから今更 この歯茎を 指定してより散文的なものを書くことが 正 だから今更この詩形を否定して、より散文的なものを書くことが どうもすみません。   (純粋ラーメン)

2017-06-28

(アーティスト ステートメント) 数年前、焰で知り合った詩友として、純粋詩、と言う言葉がこぼれました。 それは僕ら二人の間に ころん、と何かが転がったような唐突さで、そのまま二人、少しだまり、その話はまだ宙に浮いたままです。 その時僕らは 民衆詩派の話をしていたのだし、 口語自由詩の100年の歴史の話をしていました。 面白い話だったしこれからもその話を続けていくのですが しかし僕は不勉強なので、いったい自分がどんな話をしていたのかも、相手が何を言っていたのかも、ここに書くことができません。 ただそのパーツとしてちょっとした小さな一つの課題として 今から 後60年ほど前に書かれた 韻律や改行や古語に頼らない、見た目が小説みたいな散文詩 の一つ について話をしていました。 そういう詩は 口語自由詩の初期からたくさん試みられたし、試みたと言うより傑作と言われるものもたくさんあります。 ずっと昔に そういう形式と 北原白秋の様な もっと詩らしい詩の対立があり、 色々あって、、、。しかし結局のところ、それら二つを共に遠く先輩として、たとえば僕が今書いているポエムっぽい詩が 歴史の先端ではないか、 というようなことを僕は 語ったと思います。 だから今更 この歯茎を 指定してより散文的なものを書くことが詩の先端だとは思わないのだ、と。 話し相手はその時 ポツリと でもご融資が僕は好きだな 憧れるんですよまだあるんだとかな 純粋詩って言うとかな。 と、言いました。 僕が不勉強のためその会話はそこで終わってしまい 純粋詩という言葉はそのままそこに放り出されたその時から僕の課題になっています。 詩らしさに頼らないのは 純粋な詩の本質。何だろう、それは。とも思うし、 そう言いながらそれが詩として読まれるのは 詩らしい詩が あるということを前提に、そこからの距離で存在しているのではないか 。だからあんまり純粋じゃないじゃないかと思うし。 1年ほど前に、「純粋おっぱい 」という書名の私家版詩集をだしました。 僕なりの純粋詩を 探求しています。 (純粋ラーメン)

2017-06-28

真摯な願いに素直に生きられたか、 と書こうとしまして、推敲途中で送信してしまいました。 すみません。 (「最後の花」)

2017-06-28

こんにちは。 拝読して、とても良い詩だなあとおもいました。 見る、見られるを逆転したようなうまれつきの花ですが、宿命がねじれたようになるのかと思いきや、ラストでさらに逆転します。 見られたい、という想いは、それを本当に宿命として真摯に受けいれるなら、実際に見られたかどうかより、見られたいという真摯なに生きたか、ということに逆転します。 (「最後の花」)

2017-06-28

懐かしいですね 。 当時、詩板には いろんなスレッドがあったけど 僕は 面白いなーと思ってよく覚えているのは「 35歳だけど うんこを漏らした。俺を慰める詩を書いてください。」ってスレです。 誰も慰める気なんかなくて、珠玉のフレーズ (笑)がたくさんあった。 そういう変なのとか 殺伐としたので埋まる掲示版の中に、ときどきほんとにピュアな詩があったんだけど、書いてた一人が北さんだったわけですな。 当時も今も ピュアなものの良さが分からない奴は 素人童貞だと僕は思ってます。 とは言え僕自身 、ピュアを意識しては書かない たまたま偶然 何十個に1個ぐらい自分で これはピュアな詩だなと思うよな 、しかも事後的にそう思うものを書いてしまうというぐらいです。 武者先生は僕も詩法としては否定するに至りましたが 、やっぱり凄いですよね。90歳超えてあのピュアさですから。 この詩のタイトルからは このフレーズを 書いた時と今と作者の間に距離がある ことを 思いました。 でもそれを再構成するということに今の作者をも感じます。 少し長くなりました。とりとめのない感想、失礼しました。 (2005-2006 詩・ポエム板 北 ◆FUCKcjokcg 恋の短編集 )

2017-06-25

るるりらさん チャオ! また交流できて嬉しいです。よろしくお願いします。 コメントありがとうございました。ご指摘のところは、作成にあたり作者が 仕組んだ場所です。 丁寧に読んでいただき深謝します。 ある人の人柄にたとえたところは 花緒さんも 着目してくださいましたし 、るるりらさんにも 拡げて読んでいただいたようですので、よかったな、と思います。 コロッケを崩すところは わざと コロッケではなく蕎麦を食いました。 蕎麦の香りと だし汁の湯気の中で 美味しいコロッケが溶けていく様子を 表したかったのですが、成功していないかもしれません。 作品と距離がとれたら、再考してみます。 ありがとうございます。 (コロッケそばが食べたい)

2017-06-24

田中恭平さん コメントありがとうございます。 人は食べ物に対して 保守的で、食べ馴れないものを食べてみたいとは、なかなか思わないものだと思います。 田中さんは食べてみたくなったとのことですので、大変光栄です。 耳を傾けてくださり有難うございました。 (コロッケそばが食べたい)

2017-06-24

バツ その他の子の子の多くの部分で死んでいない少女、 その他のこの詩の多くの部分で の誤変換です。すみません。 (2005-2006 詩・ポエム板 北 ◆FUCKcjokcg 恋の短編集 )

2017-06-24

こんばんは北さん 拝読して、非常に ピュアな詩だなあ。 と思いました。ピュアというのは 混じらない方がいいものが混じっていないということだと思います。余念がないことかもしれません。 冒頭と最後の所に明示されますが、と、思うわけですが、 一人の少女が死にます。その他の子の子の多くの部分で死んでいない少女、あるいは女が描かれていると思います。 時間軸をシャッフルするということが行われて寺山修司のような感じでしょうかアフォリズム的な外観をまとい、またはアフォリズムになっている。 そして寺山修司的な優しさ、記憶への寺山的な手付きと同時に、ギリシャ神話のオルフェイウスみたいだなあとも思いました。 悲恋を描く時 男は ごめんなさいとか悪いことをしたなーとか そういう雑念が交じれがちたと思います。 それが混じると森鴎外がエリスに行ったしうちのように、あるいは太宰が女中さんにしたことのように、それはお前が悪いんじゃないかみたいな変な作品になってしまう。 北さんのこの詩には、それがないのが、ラブソングとして、とてもイイなあ、と思いました。もちろん、悔恨には悔恨の叙情があるでしようけど、このピュアな感じは僕は好きです。 悔恨の混じらない悲恋と言うのは、私は経験がなく、想像すると身を切るように辛い悲恋かなとは思いますが。 (2005-2006 詩・ポエム板 北 ◆FUCKcjokcg 恋の短編集 )

2017-06-24

レス削除ありがとうございます。 私が指での タップが下手なためのミスです。すみませんでした。 ステートメントも誤字や句読点の変なところが多く、読みにくかったと思います。 読んでいただきありがとうございます。 (コロッケそばが食べたい)

2017-06-22

誤字が多くすみません 。「作品全体を見渡して)、の誤入力です。 (離反)

2017-06-22

すみません操作ミスで途中で送ってしまいました。続けます。 私はこの作品に 、主人公が自分ではない主体が自分ではない という感覚を読むのですが、それが孤独であると同時に 世界の豊かさの感覚につながっているような気がして、そこが良いなと思いました。 ラストの可塑性と言う 言葉での 表現も、面白いなあと思いました。 見ている 主体はあちら側 。でもそれ に、 応力とかレスポンスで詩的に、柔らかく反撃もする。 確かにそうですよねもし私が粘土なら 粘土をこねる指が感じる応力が、指の側から私向きに、個と個の断絶に、小さいけれど大事な 一撃を与える。 ウィットと言うのでしょうか。そんなことを想いました。 作品に大体を見渡して 、たんなる私の好みではありますが、やはり冒頭からの入り方が読みにくく、 (読み込んでしまえばあこれが端的な表現なのかも知らないと思えますが、) 私はこの作品では、それは、つまり読みにくさは効果をあげておらず、むしろ欠点ではないかなと思いました。 (離反)

2017-06-22

こんにちは 母親と娘のシーン、 鮮やかでいいな、と思いました。 主人公が自分ではなくその2人であるというような感じがしました。 (離反)

2017-06-22

すみません。掲示版の反応を待たずにタップしてしまった。 (コロッケそばが食べたい)

2017-06-22

祝儀敷さん、花緒さん こんにちは。 あまりにも素朴すぎる詩、というご意見と、そうでもあるまい的なご意見を頂き、嬉しいです。 私は作品の意味は読者が付与するのが、作品の幸福と思っておりますので、作品の自解しませんが、作者なりの詩論を語るのは愉悦とするところです。 そこで、以下にステートメントを書かせて頂きます。 (ステートメント) ミツバチのダンスのように 詩で食べ物の美味しさを描くとか、美味しく描く、ということ課題に、私は魅せられてきました。 ミツバチは8の字ダンスで、花畠の場所を伝えあい、カラスは一県に数ヶ所ほどあるネグラと呼ばれる広域集合場所に、数万匹も集ってカアカア鳴きあつて餌場を伝えあいます。 しかし、人間が言葉で、美味しさを描いて伝えるのは、実のところ、とても難しいことです。 とは言え、美味しさを描くことに成功した詩人もいないではあらません。 じっさい、智恵子抄の智恵子が噛んだレモンは、なんて瑞々しいのでしょう。また、賢治の描いたアメユジュはなんて爽やかなのでしょう。 かれらは何故、あの奇跡のような詩を書けたのか。私が思うに、彼らは、妻に、或いは妹に、なんとしても美味しいあれらを食べさせたかった。その想いが、秘技に通じてじたのではないでしょうか。 しかし、まどみちおの、りんご、はどうでしょう。この美味しさ は何なのか。不思議としか言いようがありません。 私は、カラスのように語り、ミツバチのように踊る詩人でありたいと願っています。 (ステートメント終わり) (コロッケそばが食べたい)

2017-06-22