詩情と詩はお分かりの通り別物です。
詩情というのは釈迦に説法ですが感性的な気分です。
これは遠くを見てじっとしているうさぎにもあるかもしれないし
遠吠えする犬や猫にもあるでしょう、たぶん。
しかし詩というのは、とくに戦後一時期の現代詩というのは
詩情の発露ではないわけです。詩情を発露したければ歌でも歌って
いれば十分なわけです。
つまり「詩」というのは"詩情"ではなくあたりまえのようですが”ことば”なんです。
そして言葉にはある分け方をすると二種類ありまして一つは「みんなのことば」です。
「みんなのことば」というのはどういう言葉かというと
探偵スパイミステリィなどの翻訳本の言葉がどれも同じ調子の言葉で個性がないですよね。
ああいうものが「みんなのことば」です。
あるいは欧米の映画の吹き替え音声もどんなドラマであれ同じ調子ですよね。ある「型」が
あってある一つの同じ調子がある。あれが吹き替え音声です。
これが「みんなのことば」です。もう一つが「このわたしの言葉」です。
これが詩です。つまり詩ってのは「詩情」じゃなく「ことば」なんです。それも「このわたしの言葉」
なんです。
だからね、ゼンメツ氏の「無題」という作品がある若者言葉のパターンを踏襲している〈型〉に
はまったものであるから、わたしの区分では詩にならないのです。
それは「みんなのことば」だから歓迎され、評価されているけどほんとうは詩じゃないんです。
作文なんです。
しかしそういうものに飽き足りない人たちが戦後の現代詩といわれる
世界をつくりあげたわけです。
でもその世界にアニメやマンガや漫才という戦後の娯楽的表現が
接近してきてねじめ正一のような人の漫談も現代詩といわれるようになった。
そしてゼンメツ氏の作文も詩と扱われるようになった、
わたしはそう思っています。 (詩の批評とは何か )
9 時間前
お読み下さりありがとうございます。
引用先の詩やレスやレスレスを読んでいただいたということで
なんだか手間をとらせて申し訳有りません。わたしは例にあげたゼンメツ氏の作品の
価値の是非や優劣にはあまり関心がなくて、ないどころかそういう評価はしたくない者の側の人間でして。
ただ、例にあげた作品が文学極道で次点になったことを未だにお怒りのネット詩批評専門の
方がおられて、ゼンメツ最高! ゼンメツ作品大好き! あの最高傑作を批判するやつは
「罵倒家」だ「変質者」だというので、どうしてそこまで文学極道側の評価やわたしの感想と
その方の評価のあいだに落差が生じるのかその点に興味を関心をもって書こうとしたのですが
その方の批評をとりあげる胴体から下は途中でうざくなってやめちゃいました。
中心をなくした拙文になりましたがお読み下さりありがとうございます。
(詩の批評とは何か )
05:07:37
お読み下さりありがとうございます。
もし胴体から下を続けていたとしても投稿というもの、
あるいは不特定多数への一般公開掲示板というものを
ある程度は尊重していますから会員の雑談スペースである
フォーラムのようなものいいはしなかったと思います。
(詩の批評とは何か )
04:51:59
途中で甘いものを食べたために睡魔が襲い尻切れトンボになってしまった。
糖尿のケが少しあるとすぐにこうなる。今読み返してみてタイトルは「詩の批評について」
が正解だった。「詩とは何か」などという大げさなタイトルに少し顔をあからめてしまった。
正直いうと、
尻切れというよりお腹のあたりで輪切りにした感じなのだが、書きたかった要点が抜け落ちて
いるので追記しておくと、自分の作品、それがたとえどれほど自分と分かち難い
大切なものであっても「投稿」というのは読んで字の如く「稿」を「投げる」のですね。
投げられた作品はもうあなたじゃないんですよ。投げてしまったんだからそれを拾った人の
自由な感想にゆだねなければならんのです。
だから酷評があったとしてもその人物を恨んで「罵倒家」といってみたり、
それでは鬱憤が晴れないから「ストーカー」と叫んで、ついには「変質者」とまで誹謗するような
そんなみっともない憎悪をつのらせないでくれということです。
わたしはいっこうに平気だが、このサイトではなく
世間のまともな常識のある人がみれば、ほとんど狂気の館かと思われます。そしてですね、
6期の運営がそういう発言をたしなめると、逆ギレして「六期運営がわたしを出入り停止にした」
みたいなデマを言い出す人もいる。完全な被害妄想だし、事実、そういう人の批評というのは冷静な
目から見てほとんど熱病のようなうわ言ばかりなんです。わたしはそういう憎悪と熱に浮かれた
「うわ言」に対して精密に分析した反論はできますよ。でも、相手が冷静な人物ならともかくどうみても
6期運営に対する妄想的発言をみれば、うざくて相手になんかできません。こちらがおかしくなる。
ですから、途中でまあ、うんざりしまして尻切れというか腹切れトンボになりました。ご容赦。
(詩の批評とは何か )
2023-09-20
>即時アクセス禁止を運営内で提案いたしますので、
凄い権限だね。笑 投稿者にして運営だから気にいらないコメントは
即時アクセス禁止か。それでおまえのレッドカードについて投稿者は
アクセス禁止を提案できないのだからな。嗤わせるなよ。これじゃナチと
どう違う。現運営に名前を並べるゴロツキともどもさっさと失せてもいたいのは
こちらのほうだよ。 (いかいか道場 B-REVIEW支部 )
2023-09-20
あのですね、ナチュラルな詩人にとって一番大事なことは
「降りてくるのを待つ」ってことなんですよ。
気長に「降りてくるのを待つ」といえばもうそれだけで分かる人には
分かってもらえるはずです。詩を書きなぐることで技術を磨くということを
やっていると確実になにかが「降りてこなくな」りますよ。
その代わりに手グセで書くことだけは上手くなって現代詩フォーラムあたりで
トップ10のイイネをもらえるかもしれない。
みなさんはそれを詩だといっている。しかしそれは詩じゃないんだ。
わたしはなにかが降りてくるまで焦りもせず一年だって二年だって待つタイプです。
凡人だから。詩人の才能がないから。
入沢康夫とか吉岡実のようなのは待つ暇もなくどんどん降りてくる。
これを天才という。でも、もし入澤や吉岡が書き換えなんていう練習など
やっていたら高校の校歌をお願いしますといわれてすぐにさっと作れる人になっただろうけど、
そのかわりもうそこでなにかは降りてこなくなる。
そういうことをやればやるほど技巧的になって感性のいぼいぼは増えるだろうけど
二度とどこかから落ちてくるなにかに触発されるナチュラルな詩に触れることはできなくなる。
自分より書けてない作品や作者を評価するつもりはあまりないね。
歴代の運営の中でもゼンメツ君や私みたいに書ける人間が複数入っ
ている運営は珍しいかもね。
といかいかが言ったらしいけど唖然とした。
わたしは表舞台で活躍している現代詩人を何人も知ってるけど
詩が書ける人たちはおしなべて物凄く謙虚だよ。
いかいかやゼンメツなんかが広い詩壇の世界に出ていけば相手にされないことは
明らかだけどそういう方たちでもこの狭い界隈では大風呂敷を広げられる。
それってのは滑稽と思わないのかな。みずからをお笑いの世界にすることはなかろう。
きみたちはほんとうに詩がなんであるかわかっているのか?
わたしは
(いかいか道場 B-REVIEW支部 )
2023-09-19
最近やっとわかってきた。
致命的に詩はだめだね。手癖でうまそうに書いているが
いかいかと同じでほんとにつまらない。
精神的な成長がもう十年二十年まったくない。いかいかも同じく
もう十年二十年まったく精神的な成長がないのと似ている。
甘ったれで人の批評をきかないからだ。
しょせん歌を歌うしか無い人だ。詩には無縁だ。 (ムンクの星月夜)
2023-09-18
白犬氏案外詩がだめだったんだ。
いや構わないけど、あのねえみなさん。
人の詩の書き換えなんていくらやっても無意味なんだ。
いかいかが「おれはこんなに書けるぞ」というチンドンのために
やっているだけで詩の本質をむしろないがしろにしている行為だ。
だからいかいかなんかに群がるやつらはまったく詩が書けないし
読めてないことがこれまでの三人ですぐにわかる。
人の詩の書き換えなんてまったく意味がないどころか
きみたちの詩心を踏みつけていることになるのだが
わからないのかなあ。 (いかいか道場 B-REVIEW支部 )
2023-09-18
ふふふ。おれは不死身だぞ。
死に損ないどころかこれからがおれの出番だ。
余談だが
詩人をなめるなといった三浦がいたけど
詩人でもない小使いの器でしかない三浦の尻をなめたのかも
しれないな。臭かった。笑 (いかいか道場 B-REVIEW支部 )
2023-09-18
次の言葉や句や節が読む前から浮かぶようなのは
詩とはいわない。ただの作文だ。あなたはどうしてそんな退屈なものを
許容できるのか。つまりあなたが詩人の感性で生きていないから
そんな退屈なものを書いても退屈しないのだ。
斑に染まる山もみじ、
濃くたちこめた秋の匂いに騒ぐ、
枯れ落ちた葉のざわめき
そして悪戯な、
木蔭を這う下(しも)風 )))
これ全部順接でしょ。笑 つまり次の句や言葉や節を
読んでみても、ぜんぜん驚かない。予定どおりのお約束どおりのものが
そこにあるからだ。それっていわゆる現存在の動かざるいやったらしさでしょ。
詩人がどうしてそんなものに耐えて平気で書けるのか。
ラストも最悪だ。
君と住む、永遠の部屋の片隅で
これ全部見透かされるよ? 読む人が読めば。まず、
「君と住む」こんないい加減な頭の句をもってきてもあとがよければいいのだが、
「永遠の部屋」? あんた何も考えてないだろ。笑 なんとなくかっこいいからこれを付けた。そして、
「の片隅で」これも何も考えてない。
●●の片隅でと書けばなんとなくかっこいいから書いているがの丸わかりだ。
なんでこんなものが書けるのだ。恥ずかしくないのか。
どこかでなにやら難しい思想書を口にしていたがそんなもの何千冊読んだって
詩なんか一ミリもわかりゃしねえよ。
まずはつまらねえやつを盲信して自分を見失うことから脱しろ。話はそれからだ。
(いかいか道場 B-REVIEW支部 )
2023-09-18
もじゃおさま
ひょっとしたら嫌な思いをさせるかもしれないから
前もって謝罪しておきますが、
失礼ながら
2歳児3歳児のような身も心も幼い精神があるなら
この世の定食のような思考回路で
ものを考えるでしょうか?
プライバシー恫喝専門の暴力教師のデタラメな道場
に通うのはご自由ですが
ここの教え方は文学極道にもあるとおり一ミリだって
進歩しませんよ。ご自由ですが。
それより入沢康夫全集でも読んで好みを筆写すれば
この恫喝専門の詐欺師のいう方法がいともかんたんな原理で
できていることを了解するでしょう。
わたしは本気も出していませんがいかいかごときの詐欺的な
手口で詩を書くのは朝飯前ですよ。
あなたもほんとうに身も心も幼いと自負するのなら
どうしてこんな愚劣なやつのもとに参集するのか。
がっかりだ。
(いかいか道場 B-REVIEW支部 )
2023-09-18
レベルの低い人生観
誰の味方にもなれないと
路傍の電柱に願ったとしても
誰かの味方になって古い歌を歌っているのが
カナリアの宿命だと
キリギリスがギターを奏でている
誰の敵にもなれないと
鰯の頭に祈ったとしても
誰かの敵になって碁盤に置かれているのが
碁石の宿命だとカラスが鳴いている
幻燈を映すランタンと
それを受けるスクリーン
そこでは幾つかのことが同時に起こる
影絵師は
今日も一人であることから離脱してゆく
あなたの味方になったから
あなたと私は朝のために別れる準備をする
あなたの敵になったから
あなたと私は夜の握手のために手を洗う
『四人の僧侶』のように
そわそわと
向き合う ウソと宿命
耐えきれない僕は
たんに何も知らないだけだというじ実に
背を向け
星に身を投げるポーズをみせたり
消えたふりをしてみせるが
そんなふりふりのぼくを
ぼくがまだ知らない (いかいか道場 B-REVIEW支部 )
2023-09-18
戦争中さんざん庶民を罵倒し、なってないと侮蔑していた
憲兵があの終戦の日を境にとつぜん古本屋をはじめ
好々爺の表情で手もみをしている。
よろしければ読んでいきませんか? 立ち読みもオーケー
わからなければ字も教えますよ。
過去アカを捕まえては拷問し牢に送っていた鬼軍曹とは
思えぬ笑顔。
しかし、けじめはつけたのですか? という昔を知る男が
尋ねるとその眼がぎらっと光った。
男は知らぬ間に消えていた。かくいうわたしも消えるだろう。
おお! なんという、なんという時代か。
くわばらくわばら。 (いかいか道場 B-REVIEW支部 )
2023-09-17
室町礼です。
これまで一年ほどのあいだお世話になりました。
アカウント削除をお願いします。
(アカウント削除申請専用窓口)
2023-09-17
うんちが落下するまで、子どもたちは、厠で
歯を食いしばっていたが、
落下したからといって、それで終るわけでは
なかった
貧しい食卓に新しい秋の実りの晩餐があったとしても
季節は必ず巡り
天国の色あいは絶滅するトキのように失われ
すこしずつ終局へと整えられる
毛沢東同志が「造反有理」と泣き叫ぶ一幕劇には
つづきがある
毛沢東が太鼓腹を抱えて走ったあとにできた
新しいうんちの山をみて
鄧小平おじさんが「共同富裕」と泣き叫ぶPart2
それをみた毛沢東は
鄧小平を投獄し毛沢東を知らないatsuchan69
はまた、
鄧小平同志が牢獄から出てきてつくった新しいうんちに向かって
「超限戦」と喜んで泣き叫び求めていった同志習近平
の劇のことも知らない
このように
この世からうんちが消えることはない
うんちを否定するものは必ずうんちをつくる
うんちをないがしろにするものは
必ず
新しくうんちをつくり
あたらしいうんちをないがしろにするものを弾圧する
という、ことわりに気がつかないatsuchan69は
机上でものをかんがえているからだ
青いうんちも赤いうんちも
同じ
大事なことはうんちの色ではない
まるで神のようにあらかじめそこにある現存在(ルール)、
姿を変え色を変え場所を変えても存在つづけるそれを
どのように扱うか
その手さぐりのゆびの、
その手のひらの影の、
そのゆらめきや
光の孵っていく、所作の、ありどころだけが
わずかに
この世に隙間をみつけるのだ、
というウソを
つくることではないか、と
うんちをふんばる子どもたちは教えてくれる
気休めとめくらましの天国なんかないのだし
カルトなんかに子どもたちは縁もないのだ (悦びが、落下するまで、子供たちは、私達を、天国においた、)
2023-09-16
一連から三連までちょっと緊張して読みました。なぜかというと
偶然見つけた障碍児の施設で
暴れて窓を叩いてこっちを呼ぶ子供が
看護師に引きずられて中へ消えるのを子供時代に見たときの衝撃よ
これが幼いときの自分に重なってみえたからです。
それで一連に再び読み直しのためにかえっていくとき
実はわたしはウクライナ戦争で死んだ40万のウクライナ兵士と
手足を失ったといわれるウクライナ兵士10万人のことを思ったのです。
10万人の身体障がい者がいてウクライナの病院は満杯だそうです。
そしてもはや赤子同然の状態になったウクライナのネオナチ政権は
60代の老人と十代の少年そして女性による兵士徴集をかけて戦争末期の日本軍の
ような腐敗と混乱の状態にある。それでも欧米巨大寡占資本はウクライナのネオナチ
政権にはっぱをかけて対ロ戦争を遂行させようとし、それを欧米日の新聞テレビは
デマを流して称賛している。とても悲惨な世界がわたしたちの向こうに展開している。
そういうことを想像しました。
年寄りだから偉そうなことを書くけど大目にみていただきたいのですがこの詩からは
これまでのものと違って思想的な面での深化と詩表現の面での進捗を感じました。
いずれもごくわずかですが。笑
あいかわらず「~よ」という詠嘆詞で言外のものを空のほうに投げてしまう
独特の傾向性があるのですが、みずからの経験からしても
書く方にしてみれば「~よ」と詠嘆するのはけっこう気持ちがいいものです。
その気持ちよさに溺れて書いていいのかという懸念があって最近はできるだけ
「ああ」とか「嗚呼」とか詠嘆詞はめったに使わなくなったのですがそれにしても
「~よ」てのはなかなか使いづらいものです。これは平安朝時代の女流文芸家の
傾向性と重なるところがありますからそれはそれで風流なのかな
とおもったりもします。 (最果てを思い慰む)
2023-09-16
もう十年も二十年も変わらない
手グセで
かってに動く手グセが
たんに言葉のあやをひねって
一皮むいたり
あやめのように一皮むかせたり
それもまた哀しい手グセで
うれしい洗濯を
あ、いや
うれしい選択だけに、ちんこを
めまいさせながら
やっぱり後退りでかいている
いつもの
あるいは
きのうの
明日もない政治もわからない
から政治はだれにでも書けると
いってみて
とぼとぼと
ひとりぽっちの惑星に
とんでみたり
ああ悲しいとつぶやいてみたり
酒はまだ残っているのだろう
手グセが
しこしこと鳴くから
いつまでもだらだらと
書いている
(生活に剥がされていく、私が、 落下しなければならない惑星が生まれる、)
2023-09-16
>ここまで感情的な攻撃を受けるとは思いませんでした。しかも投稿者以外の方々から。
全く不可解です。
不可解っていっても感情が動かない発言なんて厳密にはないのだよ。
たとえば、では、きみの上記の発言は感情はからんでないかね?
不快を感じたから上記のような発言になったのではないかのかね?
でも、人ってのは幾ら感情が動機で返事をするにしても論理的でなかればならない。
それだけの話だと思うが、どうして相手の動機だけをやり玉に上げるのかな?
もう少しじぶんに正直になろうよ。それから、
投稿者の返事がないのにって......本文への批評コメントに対して反論や批判をすることは
許されているはずだがね。 開かれたコメント欄としてもそうあるべきだ。
ましてきみは人様の「謝罪」という心の問題にずかずか踏み込んでいった。
みるにみかねての反論は許されると思うね。
しかし、きみのコメントにはイイネが6つ付いているのだからわたしも会員としては
むげにはできない。きみのような考え方を支持する方々が多数いることは
胸にとめておくつもりだよ。ここは対立や分断を煽るところではない。みなが
この素晴らしい掲示板をいかにして守り大事に育てていくかを考えるところだからね。
(2023/9/14付けでフォーラムに投稿された「B-REVIEWから大事なお知らせ」について)
2023-09-16
ついでにいっておくと
「謝罪」というのは足を踏んだとか誹謗中傷されたとか器物を破損された
というレベルとは別に倫理的なレベルの「謝罪」もあるんだよ。
足を踏んだとか器物を損壊したとか誹謗中傷の場合の謝罪は
相手の気持ちがどうであれ被害者の気持ちを重視するものだ。
だから謝罪を求めるのは相手の思惑なんかどうでもいい。
しかしそれとは別に恋人が裏切ったとか友人が約束を破ったとか
そうい類の場合はm.tasaki くんのいうように相手の自発的な「謝罪」で
なければ無理強いに「謝罪」させてもあまり意味はない。
恋人に無理強いに謝罪されせもうれしくもないだろう。それこそ関係が
終わっている証拠になる。しかし友人や恋人が自発的に謝罪してくれるのなら
これほどうれしいことはない。関係がまたはじまるからだ。
しかしだね。誹謗中傷しておきながら相手に黙ったままの人間が自発的に謝罪などする
わけがない。しかしケジメとして無理にでも謝罪を求めるケースもある。
m.tasaki くんはそれをごっちゃにしちゃいけないよ。しかも何も知らないと
断っておきながらきみは人の心の深いところに土足でずかずか入っていった。
だからおれは不快になってコメントしたんだよ。こういうことはやっちゃいけないことだよ。
自分では何かかっこいい倫理的な発言をしたと思っているかもしれないが
「謝罪」という概念ひとつとっても一から問題意識をもって考えたことがない
のじゃないか。まあきみだけじゃないけどねいまどきの人たちはみなそうだから
しょうがないけど。少しおれのようなバカな人間のいうことも聞いてみてほしいね。
(2023/9/14付けでフォーラムに投稿された「B-REVIEWから大事なお知らせ」について)
2023-09-15
それとですね、
人はだれでも足を踏まれたら「痛い!」と声を上げるものです。
そのとき相手に社会常識があれば「すみません」と謝罪するでしょう。
あるいは「踏んだのはわたしじゃない」と対話によって説明するでしょう。
足を踏まれた被害者側は踏んだ相手に謝罪もしくは対話を求める。
これが社会常識です。
もし足を踏まれた側に「痛い!」と声をあげるな、謝罪を要求するな
と観ているだけの第三者から批判されたらどんな気持ちになるでしょう?
しかも話し合いを求めているのにです。
お互い最低限の常識を持ちましょうよ、大人なんでしょう。 (2023/9/14付けでフォーラムに投稿された「B-REVIEWから大事なお知らせ」について)
2023-09-15
できれば本文にコメントはしたくなかったのですが
あたの横槍が不愉快でコメントしたのです。
本文の最後の言葉がすべてでしょう。
対話をすればすべての行き違いはたいていは
理解できますし理解できればたいていは水に流せます。
最後に謝罪を要求しているのではなくまずは対話といっているのが
わかりませんか?
(2023/9/14付けでフォーラムに投稿された「B-REVIEWから大事なお知らせ」について)
2023-09-15
クラッキングが運営しか知らないパスワードを用いた方法であったことから元運営の可能性が高いと公式X(Twitter)にありました
そんな名誉毀損にすら該当する憶測を証拠もなくほんとうにTwitterで公に語られていたとすれば
それこそとんでもない犯罪でしょ。いったいどういう神経をしているのかと思うね。
わたしはTwitterに感心がないからみないがもしそれが本当とすればそんなことを語っていた人たちは
全員謝罪反省してほしいね。 (第8期運営方針)
2023-09-14
わたしは『9月前期(1日~10日)の投稿作から』
という雑文を投稿したのですが
この作品ではfiorinaさんのいうとおり
「詩を書こう」ということを書いたのですが運営に対しては今一度
根本的な基本に帰ってばからしいかもしれないが
「投稿」とは何か
「批評」とは何か
「賞与」とは何か
ということを字義を覆すほどの原理的な考察をうながした
かったのです。
そういう根底からの見直しなくして投稿掲示板の発展や他板との差異化は
ありえない。
ところが運営の一人である田中恭平 new氏が
些末なところに拘泥していることにうんざりしてしまった。
もちろんコメントは自由ですがこの投稿の肝がどこにあるか
わからないものでしょうかね。
それでちょっとなげやりな辛辣な返信になってしまったことを
反省しているけれども、ほんとうにこんなことでいいのか。
いいわけないよね。なんにも考えていないのだから。
やっぱりね毎月の大賞を取捨選択して詩評するにも運営一人ひとりが
根本的なじぶんの「文学観」を公開して具体的なじぶんの立ち位置を説明し、
そういう立場 思想 哲 学文学観からおれはこう考えこれを推した
ということをみなに示すべきだと思うんですよ。
そういうことが思惑にないから田中氏はこういうコメントになると思うんだけど
わたしはそういうのに今のところがっかりするんですよ。 (第8期運営方針)
2023-09-13
わたしはこの作品ではfiorinaさんのいうとおり
「詩を書こう」ということを書いたのですが運営に対しては今一度
根本的な基本に帰ってばからしいかもしれないが
「投稿」とは何か
「批評」とは何か
「賞与」とは何か
ということを字義を覆すほどの原理的な考察をうながした
かったのです。
そういう根底からの見直しなくして投稿掲示板の発展や他板との差異化は
ありえない。
ところが運営の一人である田中恭平 new氏が
些末なところに拘泥していることにうんざりしてしまった。
もちろんコメントは自由ですがこの投稿の肝がどこにあるか
わからないものでしょうかね。
それでちょっとなげやりな辛辣な返信になってしまったことを
反省しているけれども、ほんとうにこんなことでいいのか。
いいわけないよね。なんにも考えていないのだから。
やっぱりね毎月の大賞を取捨選択して詩評するにも運営一人ひとりが
根本的なじぶんの「文学観」を公開して具体的なじぶんの立ち位置を説明し、
そういう立場 思想 哲 学文学観からおれはこう考えこれを推した
ということをみなに示すべきだと思うんですよ。
そういうことが思惑にないから田中氏はこういうコメントになると思うんだけど
わたしはそういうのに今のところがっかりするんですよ。
(9月前期(1日~10日)の投稿作から )
2023-09-13
コメントありがとうございます。
子どものころは結構テレビで漫才をみていたのですがダウンタウン
あたりがボケとツッコミという単純化をしきりに言い出して以来
もう三十年以上聞いておりません。
漫才芸の一番中心にある〈構造〉というものを表に出して語るなど
愚の骨頂だと思っています。しかもその〈構造〉がボケとツッコミ
という条件反射のような非常に単純なものであることを意識化するなど
まったく無意味なことです。
そりゃあ確かに人の生活も単純化すれば食って寝るというただそれだけの
ことですよ、ええ。でもね、そんな基本構造を語るバカがいますか?
(あなたのことではないですよ、漫才師のことです)
わたしたちには精神というものがあるんです。
近代的な漫才ってのは大阪の吉本興業が発祥なんですが
これは日本のお笑い芸を白痴化(単純化)させたと思っています。
だからわたしは大阪はダメだというんです。
"きみのいうことは立派だ。しかし人間何を食っても出るものは皆同じだよ”
という、大阪人特有のこういう下劣な人間哲学。
かつて大阪だけにみられた電車の列を我先にと横から入るおばはんたち。
それを注意するとそのおばはんが席をとって「ほら、あんたの席も
とってやったで」という。人間を薄笑いしつつ斜めから見上げるその傾向性。
なんてのかな、もうすべての精神性を唾棄しつつ平気の平左で踏み潰して
単純化していく。
かつて永山則夫が小説『異水』で描いた大阪地域の人間性の徹底的に下劣な
側面をまざまざと思い出させます。
わたしの主眼はですね
新運営になろうと要するにどこかのお役所みたいに
波を荒立てないように代表が出てこずいかいか氏中心に回っている
今の運営の在り方を揶揄したんですが、わかりませんでしょうか。
ぜんぜん詩なんか投稿されてない。むしろ悪くなっている。
出る杭は打たれるという。じっとしていればどうせ静まるという
まるで小作農の小作人みたいに縮こまった精神性。役人根性。
偶然かもしれないけど現運営もほとんどが大阪人であるらしいけども
そんなことで詩の投稿サイトの活性化なんかあるわけがない。
正直いってほんとうのところ
わたしが読める詩は9月に入って二編しか投稿されていない。
そんな状況でですねボケとツッコミなんていう二項構造的な
くだらない単純化からのお話など申し訳ないけどわたしにはできないですね。
酒場の気楽な与太話としてもできないレベルのお話です。
もうしわけありません。
(9月前期(1日~10日)の投稿作から )
2023-09-12
なにかほっとするコメントを頂きありがとうございます。
わたしもfiorinaさんと同じですよ。
正直にほんとうのことをいうとこの30年、詩誌といわれるものは
2度しか読んだことがないのです。それからこれもほんとうのことですが
わたしの家には本は二冊がしかありません。今現在は図書館から二冊
借りていますから計4冊です。
そのうち自分の本二冊はあまりおもしろくないので三年がかりで読んでいます。
一ヶ月に一度か二度任意のページをめくるので読了するのに十年かもっと
かかりそうです。
もっぱらnetflixとAmazonの動画サイトをみており詩のヒントなんかも
そういうドラマを観ていてふとひらめくことが多いのです。
でも仰るとおり「詩を書いてよ、詩じゃなくちゃだめだよ」という気持ちが
強くあって今回のこの雑文もそういう気持ちから出たものです。
ここに投稿されるもののほとんどは作文であるという感想にみなさまから
お叱りを受けるのを覚悟しておりましたが
一番言いたかったことを押さえてくださったので感謝です。
世界の大きさ、言葉の世界の膨大さに今更ながら驚きつつ、
詩じゃなくちゃだめ、の秘密にもっと自分として触れたいと思いました。
これにわたしも強く共感いたしました。 (9月前期(1日~10日)の投稿作から )
2023-09-11
すみません。もうコメントしないという前言を翻すようですが一つだけ。
べつに日和るわけじゃないですが、いかいか氏と蛾兆ボルカ氏が
カードを食らった件についていえばゼンメツくんのいう通り当時の運営の
過剰反応だったとわたしは思っています。思っていますじゃなく論理的に
反駁できますよあの裁定は間違っていたと。
あれにカードを出せばだれも思い切った批評や論議ができなくなる。
わたしは当時まだ登録してなかったしこのサイトを見てもいなかったので
異議申し立て出来なかったけど、どうしてみなさん黙っていたのですか。
ゼンメツくんもあれっ? と思っていたのなら正式な手順で抗議しておけばよかった。
でも決まったものはしょうがない。今更あれは個人的にたいしたことじゃないと思っていると
表明しても元の木阿弥だ。でも会員登録してからカード発行の経緯をみて、
まさかあんなことでカードを食らったのかと、じつはいかいか氏に同情した。
ただですねえ、あんなことはちっとも問題じゃないんだけどふだんの一般会員をさげすむような
発言。あれはほんとうにどうしょうもないよ。ただ、今のところこのサイトではある種の
褒め合いで成り立っている。褒めてもらうのはうれしい。投稿者の快楽でもある。
でもどうなのかな。わたしは厳しく批判することでその投稿者が成長してくれるのを見るほうが
うれしい。褒めることでそのままでとどまり同じことが繰り返される掲示板って、死んでるじゃないですか。
極楽かもしれないけどあの世のように死んでいる。そういう掲示板じゃなくて現運営が別の世界を目指すのなら
つまり「あの人のコメント不愉快だからいや」なんていう掲示板から脱却するのならわたしは
おおいに新生運営に拍手を送りますよ。
おまえのは批評じゃなくてただの嫌がらせだ罵倒だという人もいますが......批評というのはね
「おまえのその世界観は間違っている! その世界観じゃ世界が成り立たない」という一面もあるから
とうぜん叩くわけです。おまえのその考え方冗談じゃねえって。だから当然罵倒になる。
罵倒のない批評って要するに世界も人間も社会もどうでもいいってことなんです。そういうお花畑は
見るに耐えない。
さてどういうことになるのか見守っていきたいと思います。
(第8期運営方針)
2023-09-09
たぶん今年いっぱいで現運営は自爆すると思うから
そのあとの新しい運営が誕生したときにまたコメントさせて
もらうかもしれません。みなさまご苦労さま。ありがとうね。 (第8期運営方針)
2023-09-08
代わりの謝罪なんて意味のないことが解っているから
僕個人としてできることしかできないのです。
↑
代わりに謝罪して自らを永久追放することが「僕個人としてできること」じゃないって
いってるんですが.......わかってもらえないかなあ。
そんなことしてもらってもたぶんだれもよろこばないし一種の脅迫でしかないのです。
真剣に語っておられるのでしょうけども、申し訳ないですがなにかヒーローマンガの
主人公のセリフを聴くようでリアリティがまったく欠落している発言です。
わたしはこれにて現運営へのコメントをいっさいやめます。賽の河原の石積みはもうごめんです。 (第8期運営方針)
2023-09-08
現運営を批判する方々は
これ以上対話を求めても無駄でしょうね。
もうほんとうにどうしょうもないと思うな。
いかいか氏についてはこの先問題があるように見えたら、僕が僕自身を永久追放する。
ゼンメツくんの発言だけど、いかいか氏に問題があったらいかいか氏に責任を求めないと被害者は
ゼンメツくんがなにをしようとそんなもの関係ないことくらいわからないのかな。
被害者がもし出たとして、そんなことをされても被害者はちっともうれしくないしある意味不愉快になるだけでしょ。
どうしてわからないのか。もうこの人たち全然他者性とかないのかな。
私とは一個の他者なのです
これはアルチュール・ランボーがイザンバール宛の手紙に書いたことばの一行ですけど.......
詩の最低条件はわたしを棄てて路傍の石のようにみることができるかどうかじゃないかな。
いかいか氏とゼンメツくんお二人の詩にはいつも「おれが」ばかりだと感じたのはどうやら
こんなことだったのか、あるいはそうじゃなかったのか。ちょっと感心と興味がわいてきた。 (第8期運営方針)
2023-09-08
①べての寮生の総意が総会(最高意思決定会、月一回開催)などで尊重され、
ていたのにどうして
②強迫観念は、全ての寮生が持っていました、
となるののか?
それはつまり最初は①のように全員の総意にもとづく決まりであったものが途中から
学生委員会が権力を濫用しはじめて②のように総ての学生が窮屈さを感じたということ
じゃないですか。
つまりまったくわたしのいうとおりじゃない。決められたものを学生委員会が
きみのいう「恫喝」によって押し付けたからじゃないですか。
構造としては今の状況とどう違うというのですか。
ここで目下話し合われていることの中心はガイドラインの尊重ということですが
(いかいかの問題もそこから出てきています)
黒髪くんはガイドラインの尊重に対して批判的なニュアンスでコメントしたのでしょう。
そこで、
ここのサイトのガイドラインのどこが「恐ろしい強迫観念」なのか具体的に
指摘してくれませんか。 (第8期運営方針)
2023-09-08
最初きみはこういうふうに言っていたよね。
先輩方から受け継いだ決まり、伝統を守らねばならないという強迫観念と、
一部の人の圧力で、寮が崩壊寸前になった
ところが次には先輩から受け継いた決まりや伝統ではなく
すべての運営を学生からなる学生委員会が行う完全自治が行われていました。
という。ぜんぜん話が違うじゃない。完全自治ってのは全員参加の民主的な運営をいうのだよ?
強迫観念じゃないだろ? それにその場合だって構造をみれば同じだよ。
わたしの意見を変える必要はない。要はきみは自分の都合のいいように話を順次変え、また
自分の都合のいいように順次解釈しているだけじゃない。そういうのを卑劣というのだよ。
まあわたしの長い経験からいえばふだん真善美などを大声でいってる御仁にかぎって
実務の場では体制側について非常に政治的なスタンスを取ることが多い。わたしは最初から
お見通しだよ。でも黒髪くんはもうすこし柔軟で倫理的な人間かと思っていた。
がっかりだ。
(第8期運営方針)
2023-09-08
黒髪くんは
寮の規則とネット投稿板のガイドラインを同じように語っているけど
これはまったく別物だよ。
こういう問題は《言表》ではなく《構造》で考えてほしいね。
構造的にみるなら、
寮の規則というのは上のほうのお偉いさん(学長とか管財部長)などの承認の
もとに決められたものであって新入の寮生は代々それを渋々守ってきたにすぎない。
しかし、
ネット投稿サイトは入会するかしないかの選択の自由がある場所であり、そこのガイドラインは
そこの会員たちの了承のもとで代々受け継がれてきたものだ。
つまり、構造的にみると黒髪くんのいうことは事実に対して逆立している。
きみこそがきみが否定すべきその「お上(学長や寮監)」の側の論理を語っているのであって
むしろ花緒氏や沙一氏らこそがきみのいう「寮生」の側の自主性を語りお上の強制や無謀に
異議をとなえているんだよ。
おフランスの構造主義というはね本を丸暗記するんでなくこういうときにちゃんと応用できるか
否かが問題なんだ。そういう意味ではいかいかなんかいくら批評の歴史を本で丸暗記しても
一ミリだって批評理論を理解していないしこれからも一ミリだって応用もできない。
黒髪くん、もうさあいい加減、言表上のつまり言葉尻だけを掴んで
ものいうことはやめましょう。
(第8期運営方針)
2023-09-08
それから第8期運営方針やけどな
規模がせせこましすぎる。
ミミズのケツの穴より小さい。
なんで世界を目指さへんのや
でけへんかてええ。目標ぐらいはなんぼデこうても
だれも文句いわへんやろ。
なんやねん。「投稿作品を開いていく」?
あのなあ。世界をみてみい。いま世界がどう動いているか
考えたこともあらへんやろ。
もうなあ仏文やってレヴィナスやってまんねんていう時代やないんやで
そういうのもう時代遅れの文学的反動の時代や
欧米の文学的価値観が根底から崩れてもうた。その価値観の下で
植民地的収奪にさらされていたアフリカ諸国や中東諸国が
目を覚まして欧米の脅迫に断固たちあがったんやで!
日本のテレビしかみてへんからなにもしらんやろけどな
いま世界はめちゃくちゃな全否定と肯定の岐路に立っている
そういう世界を猊下においての発言くらいでけへんのか
なに? 「作品を開いていく」
それっておまえ単にいかいかの例の下手な(それこそ既存の欧米翼賛体制的日本文学的な)
返詩や
澤あずさ氏の分析的手法偏重の(それこそ既存の欧米翼賛体制的日本文学的な)
この二人の、いつもの営為への
たんなる融通でしかあらへんやないか。いや悪いとはいわんでそのおもねりも。
せやけど なんやねん。世界をみて 世界を指呼の下においての威勢のええ新展開かと
期待してたらなんやねん。もうミミズも恥ずかしくて逃げていくほど ちいせえやないか。
もっとでかい打ち上げ花火もせんかい。
いかいか程度の時代遅れの文学におもねっていてそれで新展開がどこにあるねん。
おまえさんがたもっとじぶんを信じていまの世界の危機的状況を文学にでけへんのか。
世界的な声明のひとつも出せへんのか。
まあ無理だよなあ。これだけ狭い世界でおんぎゃおんぎゃやってんだから。 (第8期運営方針)
2023-09-08
まあまあ落ち着きなさいな。
物事はすべて事実性や具体性をもとに話ませんか?
ゼンメツくんは現運営への質問や批判が「他参加者に迷惑をかけ」る行為になると書いている。
①二連目一行──実際、他参加者のことは何も考えてない
②三連目二行──一般参加者から直接「迷惑」だということを告げられても
③四連目四行──ガイドラインによって守られるはずの掲示板を自ら進んで荒らしている。
④四連目四行──自分達で自分達が掲げてるマナーガイドライン踏みつけながら。
⑤五連目一行──他参加者に迷惑掛けている時点で方法論間違えてるからな?
⑥五連目二行──人様の創作活動を邪魔しに来てるんじゃねえよ。....etc
つまり今の運営に質問したり物申していることが「他参加者に迷惑をかけている」行為に
あたると断言している。
では具体例をあげてくれたまえ。
現運営に対する質問や批判は9月に入ってからはじまっている。
そのあいだに投稿された作品は全部で80作品だが具体的にどのように
それらの投稿者の投稿行為や作品に迷惑がかかったのか?
とくに
②三連目二行──一般参加者から直接「迷惑」だとい うことを告げられても
というゼンメツくんの発言だが
きみたち運営こそ「一般参加者」からあまりにひどいのでこれまで投稿した作品を
削除してくれ二度とかかわりたくないとまでいわれているがあれは運営批判じゃないのかな?
いっておくが現運営のガイドライン破りへ質問をした方々だって一般参加者だ。
その参加者に対してきみたちはどれほど取捨選別した態度をとってきたか。
澤あずさ氏のような方にだけはいかいかがこそっと出てきて反応しながら他の参加者の質問は
無視していたのもみている。きみたちが参加者に迷惑をかけている事実は無視してじぶんの思い込みだけをこうも一方的に吐き散らかせるものかね。たとえば
③四連目四行──ガイドラインによって守られるは ずの掲示板を自ら進んで荒らしている。
ガイドラインを自ら進んで荒らしているのはきみたち現運営かもしれないという自省はまったくなしかね。
いかいかは何度もアク禁をくらっているわけだから当人の反省や説明なしに
運営なんかもってのほかじゃないのかな。
むしろ一般参加者──本件に声を上げたユーザーは、未だかつて無いほど多数いるわけだが
そういう人たちに迷惑をかけたのはあなたがた現運営でもあるわけだが
そういう発想がいっさいないんだねえ。それをしてわたしは幼稚と指摘しているんだが
いつになったら自省してものを語ることができるんだよきみたちは。 (第8期運営方針)
2023-09-08
詩人は、あらゆる感覚の、長期にわたる、途方もない、筋の通った乱用によって、
おのれを見者に作り上げるのです。あらゆるかたちの愛や苦悩や狂気でね。
自分自身を探求し、自分の中でいっさいの毒を汲み尽くし、その精髄だけを残しておくのです。
これは言語を絶する苦悩ですよ。その場合彼には、欠くるところなき信念と、
あらゆる超人的な力が必要になる。そして、何よりもまず、大いなる病者、大きなる罪人、
大いなる呪われ人となる、—そして、至高の知者になるんです。―だって、彼は、
未知のものに到達するんですからね!—彼が未知のものに到達し、そしてそのとき狂乱して、
自分が見たものについての知的認識能力を失ってしまったとき、
はじめて彼は、それを真に見たと言えるのです。
アルチュール・ランボー全集から
おい現運営のみなさんやい。
だれよりも孤独でだれよりも悪い毒を飲み干してだれよりも罪深く
だれからも忌み嫌われるこのおれ室町礼をまだ無視するというのか?
このほんものの詩人最後の愚者最期の忌み人ほんとうのこの真の詩人を
ここではたれよりも大切にすべきじゃないのか。この知的認識能力すらさっぱり
失ってしまった廃人つまりまことの詩人であるミーを現運営はどうしてもっと崇めないのか。
........てのはまあジョークだが爆おいCeremony=いかいか何かモグラ叩きのげっ歯類みたいに
ちょろちょろ頭を目の辺りまで出しては引っ込めていく姿は滑稽だぞ。いかにもおまえらしい本性が
あらわれているので失笑するぶんには愉しいが。おまえをあがめるネット投稿御仁のいうには
大した詩人らしいがぷっおまえせいぜい起きて半畳寝て一畳の世界でしか動けてない。
おれのように世界を睥睨する視線をもてよ。そうすればもっとおおらかな気持ちで人に
接することができる。それはほかの運営もそうだ。こそこそとまあ気に入った会員だけに
こそっと声をかけるなど見ていてほんとうになにかこちらが悲しくなるぜ。 (答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-07
あなたや室町氏の発言にはその他様々な論理の穴が見えるがそこは指摘をしない。いちユーザーだった頃の自分はそういうものをすべて突いていた。だからそうやってあえて穴だらけの内容をチラつかせて挑発して、僕が乗ってきたらそこを突きたいのかもしれないけれど、本当に掲示上でそれをやって荒らすのはこりごりなのだ。
↑
こんなことを書いて恥ずかしくないのか?
ゼンメツくん、あのねえきみの欠点はもうレントゲンをあてられたみたいにすっかりわかっているんです。
きみはすぐに"おれのいったことを歪曲している"だの"論理をすり替えている"だのというが
きみの考えているイメージや意味を、きみが言葉にして外にだすとき、相手はその言葉だけをみてさまざまに
判断するんだよ? きみが考えているイメージや意味を言葉にしたときにはそれがそのまま相手に
通じるわけないだろ? ところがきみはじぶんのイメージや意味を言葉に表現すれば相手もそのまんま
きみと同じくイメージや思考を受け取って当然だと思っている。そうじゃないんだよ。
言葉を介してきみが外に出した考えは言葉をみた相手によってさまざまに受け取られるんだよ!
あたりまえのことだ。だけどきみは「どうしておれのいったことを曲解するのだ」と怒る。
曲解されてあたりまえなんだよ。言葉を介しているのだから。大人ならそんなことは常識だから
すぐにきみのようには腹を立てずどのように表現すれば真意が伝わるか考える。ところがきみは
そうじゃなくすぐに沸騰して曲解されてるだのわざと理解しないふりをしているだのと悪意に解釈する。
そして出てきたのが冒頭のようななんとも陰気な妄想だ。
それをしてわたしはきみが幼稚園児以下だと断定しているんだよ! 少しは頭を冷やせよ!
いや冷やせないだろ。冷やせるならとっくに冷やしている。
そんな精神年齢のきみたちが投稿板の運営をやるなんて不可能だといま気づいたよ。
おまえらさあもうとっと失せろよ。ネットにとってネット詩界隈にとって有害無益だよ。
(第8期運営方針)
2023-09-07
吸収さんありがとうございます。言葉もありません。
まあわたしなんかはよそ者でして本来偉そうにいえることはなにもないのですが
現運営のゼンメツさんはじめ
吸収さんまでが波や泥をかぶるのをさけないで発言してくださって
なにひとつ裏の事情をか知らなかった一投稿者のわたしですがみなさんの
このサイトへの愛情みたいなものはやっとこさわたしにも少し
理解できそうに思えてきました。
わたしはとっても単純な人間でしてこうやって話せばだれも悪い人なんか
いないじゃないかとそう思えてくるんですよ。
でも哀しいかな「片々」氏のように最初から明白な悪意をもって近づいてくる人間がいる。
それが哀しいですね。ネットではそれをさけることができない。
「いかいか」氏も被害者にとっては悪意のかたまりだったでしょう。わたしもある人にとっては
悪意のかたまりと受け取られたでしょう。これに対して前運営の沙一さんはぎりぎりまで
その責任を果たしたと思っています。それが証拠に沙一さんらが退いたら一気にこれですよ。
この混乱ぶりですよ。沙一さんらが
どれほどの重責を担って縁の下で支えていたか現運営は今一度考えてほしいところです。
ともあれ少ない時間を割いてみなさまへのコメントをわたし宛にいただき感謝です。
(答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-06
おまえさあ「Ceremony」かそれとも「いかいか」かどちらかに絞って使えよ。
まあそれは置くとして
おまえがいつまでたっても幼児的な「全能感」から離脱できないでその幼稚な
全能感覚を満たすために詩やネットの投稿サイトを利用していることはわかっている。
それは「ゼンメツ」くんも多少そういうものを持っている。「天才詩人2」くんもそうだ。
多かれ少なかれ現運営の多くがじぶんの無能無力を自覚できない つまり己を見通した大人に
なれない幼稚な子どもたちばかりであることはもうはっきりしている。
そういう子どもたちを大人であるわたしがあれこれいうのは正直みっともない。いい歳をして
子ども相手になにをしているのだと恥ずかしいからだれにも言ってないが言ったら嗤われる。
でもねおれにしてみればこのサイトは思ったよりいいところなんだよ。想像とは違って良いサイトだ。
それをねおまえのようなの幼稚な子どもの全能感の餌にして荒らして欲しくないんだ。
どうだろうおれも消えるからおまえも一緒に消えてくれないか。このサイトの未来のために。
返事を待っているぜ。 (答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-06
知らない人もいるだろうからこの捨てハン氏の
初コメントを見ていただきましょう。
↓
《さよならポエムくん コメントセクション》
https://www.breview.org/keijiban/?id=11598
>片々
>さっそくセカンドレイプが発生していて、まさにネッ>ト詩ってこういう感じだよね、
というのを顕在化させ>るべく投稿されたのかな、と愚考
>Lisacoさんかしら……とか勘繰ってしまいたくなるけ>ど、これもセカンドレイプになるね(なってるね)
>古のネット詩壇の歴々は過去のしがらみもたくさん持>ってるから大変ね
わたしが匿名氏に丁寧なコメントをつけた直後の捨てハンによる誹謗中傷だが
現運営はこれも不問に付すのかな?
(答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-06
おい。捨てハンの荒らしくんよ。笑
きみはいつになったら作品を投稿するんだよ。
約束は守れよ。きみが約束どおり作品を投稿すれば
わたしを「セカンドレイプ」などと根拠もなく誹謗中傷したことは
水に流してやる。
綺麗事の口と薄汚い誹謗中傷の口を場面によって使い分けるその性格も
許してやるからさっさと約束を実行したまへ。 (答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-06
現運営の中にももののわかる方がいたのだなと知って
ほんとうに心から胸の中のもやもやが少し晴れました。
すっとしました。
現運営のことはまだよくわかりませんが第6期までのガイドラインは
投稿者の芸術的なあるいは娯楽的な自由な表現の幅を阻害するものではないし
なんら変える必要なないと思っています。それから
現運営が手続きをへてガイドラインを変えても要はそれを運用するのは
人間ですからもののわかった大人が運営するなら問題はないのです。
ところがおっしゃる通り複雑な人間関係で運用されたんじゃ被害を受けるほうは
たまったものじゃない。沙一さんなんかは知らずしらず無意識に澤あずさ氏の
名前に押されてわたしにカードを出したと思っていますよわたしは。
最初のわたしへのカードはそういう不当なものだったと今でも思っています。しかし、
だからといってガイドラインが間違っているとは思わない。
また沙一さんら前運営を恨んでもいない。それどころか彼らは出来る範囲でよく
やったなと感心しているのです。ところがですね、そのあとまた澤さんに猛烈に非難にさらされると
突然三浦が動き出して突然なにかベビーカーに乗った赤ん坊の集団があらわれて運営を宣言した。
これ自体は失礼ながら冷徹な表現者の一人としてはとても面白い現象でしてねなんか連中を
半分からかいながらコントや掌編小説にでもしたいくらい滑稽かつ愉快な舞台なわけです。でもね
いかいかのような御仁が真面目顔で居直っているのをみるとむかっ腹が立つんです。
言葉と映像の表現の違いもわからないやつが
批評は大きな文脈(文学の歴史とかそういうもの)を前提としたものだと思うよ。
だから素人がなかなか書けるようなものではないと思っているね。
いまだにこんな滑稽なことを真顔でへらへら書いているのをみるとねもうアホかとか通り越して
ほんとうにこんなやつを崇め立てる現運営集団って一種のカルトじゃないかと。
そんなところにだれかと同じで投稿するのに抵抗があるわけですよ。大好きなサイトなんですけどね。
発展してほしいし有名な詩人がここからどんどん巣立ってほしいと願ってるんですけどね。
こんな連中がここやっててそれでどうなるかというのがあるんです。ですから内部から目が覚めるひとが
一人でも現れてくれないかと。そればかり願っていました。
わたしは一人いらっしゃったらもうそれでいんです。そういう人が一人現れたことでここも
現運営も救われたんじゃないかなと思うし わたしもあなたのお陰で救われました。
素直にありがとうとそれだけいっておきます。 (答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-06
正直この一年このサイトにはほんとうにお世話になったし
これからもこのサイトが無限に活力満ちて発展していってほしいと願って
いるのですがね。しかし
>室町氏もそうですが、自分勝手に悪意のある受け取り方をして、
>それをさも事実であるかの如く流布し、
>さらにはその悪意ある妄言を前提とし、
>その上に論理を組み立てているのだから、対話になる訳がないんですよ。
わたしの発言を悪意だの妄言だのと感じているわけですね。
具体的にどこがどう悪意であるか妄言であるか指摘できないから
その発言は〈論理〉ではなく〈感じ〉であるわけだが......こんな〈感じ〉で物事を進めたり
詩を書いたり運営をやっていけるのですかね。いやほんとうに心配だ。
でもここで賞をとりたければゼンメツを納得させろというアナウンスがあったから
この程度の〈感じ〉でとつぜん上り詰めて花火のように爆発させるような短絡な御仁が
ここの象徴的な存在として運営のみなさんが認めておられるのだとすれば
もはや運営全体がこの程度の幼稚な〈感じ〉だけで物事を決めつける集団であると
受け取らざるを得ない。かなりひどい精神的な未熟さと退行をきたしている集団だ。
運営の中からだれか自ら批判する人いないのですか。こんなことでこれから
やっていけると思っているのですか。「片々」なんていう捨てハンの荒らしを自由に
泳がせているし......はじまってすぐにもう文極の末期症状と同じじゃないですか。
すこしでいいから、ほんとうに少しでいいから頭を冷やして下さいな。
誠実に論理的に話せばいいだけなのにどうして子どもみたいな感情で物事を決めつけて
いくのですか? 運営のなかに一人でも大人はいないのですか。
まあわたしはこれまで散々お世話になったから感謝しかないですし恨みなんか毛ほども
ないですけど
これからこの調子でやっているのかほんとうそれだけが心配ですね。
こうなったら自ら去るしかないみたいなので残念だけど去りますが
もう少しここでいろいろと試したいことがあったのだけどね。いや
残念なサイトになってしまって少しがっかりあ。
(第8期運営方針)
2023-09-04
だれがみてもおまえのコメントは棄てハンの荒らしだろうが。笑
おまえがたんに感情的かつ陰湿な憎悪で人さまにからんでいることはみなさんお見通しだ。
今調べてみたがただの一つだっておまえにイイネがついてないじゃないか。
おまえにイイネが一つでもついてからおれにものをいえ。投稿者や閲覧者はそんなバカじゃない。
おまえが問題ありなのはみな瞬間に見抜いている。せいぜい匿名の被害妄想とつるむのが
関の山だ。
しかも
作品も投稿していない。なに? これから投稿する? だったら投稿のひとつも
してからおれにからめ。ほんとにおまえなんかに言葉をかけてやるのも情けだ。
これが最後だとおもえ。
(森おじさん - Creative Writing)
2023-09-04
片々のような捨て垢が出てきて荒らしはじめるというのは
文極も末期はそうだったらしいが投稿サイトの荒廃を示していると思うのだが
運営はどうして対処しないのか。これじゃ末期の文極と同じになりかねませんよ。 (森おじさん - Creative Writing)
2023-09-04
「見ること」について考えるなとは一言もいってません。
あまりにも視野が狭いことを指摘しているだけです。
耳も聞こえない目も見えない口も聞けない両手両足がなくても
人間は存在できるという基本を指摘しているんです。
「見ることによって人間が決まる」ことなどありえないといってるんです。
それは知の処理法を間違えた知的エリートの妄想です。
全感覚をつぶして障碍者と同じになればいいのですか。
別になってもいいじゃない。どう違うのか。人間存在としては同じだ。
生命の価値も同じだ。違うと思っているからそういう傲慢な哲学が生じるのでは?
そんな生命倫理だの人間の価値規定などわたしは絶対に認めませんがね。 (空(から)おじさん)
2023-09-04
>人間は見るものによって決まると思うのです。
また視野狭窄だ。じゃあ全盲の人はどうなるのよ。
揚げ足とりじゃないんだよ。見るものによって決まるというのは短絡的な
断定でしかないといってるんだよ。
人間てのはねえ。見ることも聴くことも触ることもできなくったって
両手両足もがれていたってそこに存在していることだけですでに決まるんだ!
なにを差別的なことを平気で語っているんです。わからないかい?自分がどれほど
優生学的なことを語っているか。
何かを教えるというのは副次的なことですというけどそうは書いてないでしょ。
きみは一次的なことのように書いていた。それが突然なぜ副次的なことになるの?
最初から一次的なことを書けばいいじゃないか。
わけのわからんことをいってないでまずは人間の基本に帰れよ。 (空(から)おじさん)
2023-09-04
いくら意見が違っても対話ってのは大事ですよ。
具体的な指摘をしないで一方的に違う意見の者を詭弁と決めつけるのは
きわめて危険な兆候だと思います。
参加者に迷惑を掛けたというのならあなたもかけてませんか?
お互いに迷惑かけているのじゃないかと少しでも思いませんか?
そもそも天才詩人2の欄への書き込みはそういう議論を開放していたのでは?
だれもいっぱん投稿へそういう書き込みはしていないでしょう。
運営に関する投稿にだけ疑問を投げかけているだけでしょう。
いや。構わないですよ。あなたたちの好き放題のサイトにしたいのでしょうから
好きにやればいいですよ。でもねえ。それって幼児のサイトそのものですよ? (第8期運営方針)
2023-09-04
①(いかいか氏が)過去運営からレッドカードを出されてはおりますが
それは過去運営の取った結果の話です。
わたしが見る限り過去運営の処置はルールにそっていた適正なものだったと
おもいますよ。
②僕は氏の言動に作者を貶めようという悪意を感じられませんので単なる
「荒らし」とはまったくの別物と見ています。現に氏は現在、
非常に真摯に活動をなされております。
いかいか氏=Ceremony氏なら開始早々老人差別発言や初心の書けない会員への
差別的な言動があったよね。主にコメントにおいて。かなり乱暴で暴力的な発言が
あなたには「真摯なアドバイス」にとらえられるわけだ。それは個人の感想だから
べつに構わないですよ。その線でやっていかれればいい。しかし大丈夫ですかね。 (第8期運営方針)
2023-09-04
丹念に読ませていただきました。
会員へ周知された要点は2つあると思いました。
※一つは投稿者の作品を「開く」つまり朗読してみたり再構築して
返詩にすることは自由になるということですね。これが新ルール。
ただですねそういうことが「開く」ことであるとしても別にそれ
ほど大したこととは思えないんですよ。失礼ながらイカイカ氏の
返詩なんかが開かれた詩とは思えないしだれかさんの投稿詩への朗読も耳を
塞ぎたくなりましたしね。
要はですね大した技量も思想も感性もない人がどれほど他作品を開こうが
別に大したことではないような気がするんです。
それよりまずは批評なり感想ですね。わたしなんかの真摯な感想が読めるように
なってもらいたい。そのほうが先のような気がしますけどね。
※次の周知事項はイカイカ氏が運営に就任したことへの批判は禁止する。それは荒らし行為と
みなして警告なしにその者を消す。
いかいか氏の名前は出されておりませんが具体的にはだれがみても現運営への批判に対する
答えがこれであるとしか読めません。現運営がなにをしようとおれたちは投稿できればいいという
方だけがいればいい。文句があるなら出ていけということだと受け取りました。
素晴らしいサイトになりつつありますね。
(第8期運営方針)
2023-09-04
作品も黒髪氏のコメントもそうだけどなんでこうも視野が狭いの。どうして?
どうしてそこまで一面的な見方考え方しか出来ないの?
たとえばだ、
「問う」とは当たり前のことだがまずは子どもがある出来事を何故?と
問うことからはじまる。問うとは、わからない(はっきりしない)事を
相手に聞いてみることじゃない。自分があることに問題意識をもつことが
「問い」ということの初源にある。
しそんなことは常識でしょう。
他人に聴いてみるっていうけど
それだって自分がわからないから自分を納得させるための問いでしょうが。
そのさあどうして? どうしてきみたちはこうも物事を
一面的な非常に視野の狭いところからしか見れないの? かちかちに硬直しているの?
おじさんはまったくわけがわからんよ。 (空(から)おじさん)
2023-09-04
えーとねえ。どうしてこうも一面的な視野の狭いことしか書けないの?
相変わらずといえば相変わらずだが.......たとえば
二十代の頃、私は高く飛ぶことを考えていた。森など興味がなかった。
人にも、何もかもに。詩とはそういうものだと思っていた。
誰よりも高く遠くへ飛ぶことのみを考えていた。
あのねえ世の中には「高さ」とは別に「深さ」というものがあるんだよ。
高さは人の目につきやすいが深さってものはどれほど深くても人の目には
つきにくい。音楽や絵画とは違って詩てのはとうぜん深さをもつものだ。
しかしそこへの視点がまったく欠けている。では二十代ではなく今は
どうか。深さ(詩)への眼差しを獲得したのか注意深く読んでいったが
どうもそうじゃない。いつものごとくまた一面的な視野狭窄がはじまる。
どこまで自分を信じれるか信じれないのか世界だ。
そういうものじゃないだろうか。書くって言う事は。
書くという行為だけを見ればそうかもしれないが投稿するという行為はそうじゃない。
この二つは別々でかつ一緒だ。きみの書いたものは投稿されなければ存在しない。
親しい友人の一人に詩を見せることも投稿の一つのかたちだ。書いたものは投稿という行為を
欲している。というか書かれたものは投稿しなければ社会的には存在しない。
詩を書くのに場所など本来問われないのだ。なぜなら、自分自身が
場となって書くものだからだ。
そんなバカなことがあるか! 切羽詰まったからと言って逃げるな!
人間が生まれた瞬間から社会的存在であるのと同じように詩も書かれた瞬間から
社会的存在なのだ。言葉はそこから逃げられない。
ネット詩サイトに価値を見出せなくなってからこそ本当の創作行為が始まる。
始まらないよ。なにひとつ始まりません。はい。
わたしがきみに助言するとすればもっと力を抜いて自分に正直になれということだ。
難しい本を何千冊読んだからといって世界や人間についてわかるようになることなどありえない。
そういう既存の価値意識をまずは見直すことからはじめることじゃないかね。
(空(から)おじさん)
2023-09-04
あのねえ。みんなダサいの承知で一所懸命話してるわけ。
ダサいから話し合いにも加わらずそれを遠くで見ていて
ひとしきり波が引いてから横合いからスターさんのように
出てきて「あ。ライトこっちね」と概括的なセリフを述べる。
そんなことは誰にでも出来ることだからむしろそういうことを大人は
恥ずかしくてしないものなのだよ。大人ってのはねえダサくても
ちゃんと話し合いの場に出て真剣に話して泥まみれになる。
それがほんとうのカッコよさなんだよ。
なにもしないでそれを遠くからみているだけのやつが後出し
ジャンケンで現れ
私達は、土が掘り返されることそのものはどっちでもよかったし、
如何に土を掘り返すか、などという議論なんて以ての外だった
などと幼稚園児のようなことをいう。ダサいかもしれないがでも話し合いもなしにね
議論なんて以ての外だった。新鮮な土の匂いを感じたかったし、
新しい、栄養満点の地面を優雅に這いたかった。
その栄養満点の地面は無から生まれそして管理もなにもなしに持続するわけでも
ないだろう。ただ与えられたものを自由に使いたかっただけだっていうのは
幼稚園人の世界のはなしだとおもうよ。ほんとにもう唖然とする世界だね。
いやあもうほんとうにびっくりした。 (森おじさん - Creative Writing)
2023-09-03
どこまでいっても自分を対象化できないのだなこの書き手は。
私達は、土が掘り返されることそのものはどっちでもよかったし、
如何に土を掘り返すか、などという議論なんて以ての外だった。
新鮮な土の匂いを感じたかったし、新しい、栄養満点の地面を優雅に這いたかった。
そんなワガママは幼稚園児でも言えることだし中学生になればもういわない。
他者の側に立っていろいろと想像できる年頃になるからね。その精神的な域に
すら達していない。愕然とする文章に愕然とした。ただただ呆気にとられて愕然とした。
(森おじさん - Creative Writing)
2023-09-03
いや。やっぱり意味理解はなければならんよ。
意味理解を拒む理由なんかないしそれはただのサロン的モダン的な
ポーズにすぎないと思うよ。
もっと素直になればほんとうの意味で
意味理解を拒むのではなく意味理解を超えたものがつくれると思う。 (rwoydlM)
2023-09-02
「沈黙」ってことについて面白いことを思い出した。
むかし駒沢公園の近くにあるK大学の管財部に派遣臨時職員として
通っていた。
公園近くの富裕な邸がどうしたことか庭の中に木造のアパート
を建ててそれを賃貸していたからそこを借りて大学に通っていた。
それにしても豪壮な屋敷の門をくぐらないとその粗末なアパートに入れ
ないから知人などはわたしが借りたアパートがこの門をくぐった中庭に
あるといっても信じてくれない。それはさておいて周りは田んぼがまだ
いくつかあってそのあぜ道をとおってゆくとK大学の裏庭に入る鉄網の
ほころびた抜け道があって時間ぎりぎりでもいつも間にあった。
ある日の朝屋敷の門を出てあぜ道を歩いていると道の真ん中にカエルが
一匹微動させずに座っている。わたしが歩いていっても逃げようともしない。
まるで陶器の焼き物みたいに動かないカエルを跨いでK大学へいった。
お昼にはアパートにもどって昼食を食う。帰りのあぜ道をみるとまだ
そのカエルが同じ姿勢同じ方向を向いて微動だせずに座っていた。
カエルってのは凄いなと思って夕方あのカエルまだいるかなと思って
帰り道をゆくとくだんのカエルは同じところでぺっしゃんこになって
道にはりついていた。動かざることカエルの如しもいいけどぺっしゃんこ
になるのはまずいよね。 (答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-02
前の運営のときですがシステムが規定回数のコメントをしてなければ
排除していましたよ。わたしも何度か三度目の投稿をしようとして
システムに除けられました。二回目は2コメントが必要。3回めは30コメントでした。
まあ匿名の方だから何度コメントされたか確認のしようはないですがちょっと
不思議に思ったもので。
それにしてもatsuchan69さんは前の運営へのアカンベーが強烈ですね。笑
(答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-02
追記
まあ匿名だからその人物が30コメントしたかどうかすら
検証できないので上記のような疑問となりましたが
この匿名投稿制度にはほんとうに不愉快かつ大反対です。 (答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-02
投稿者が自分の作品について何やら言及されているが
この発言がなかったらこの投稿作は一種の神秘性を担保できたかも
しれない。わたしはざっと眺めただけだが。もちろんこれは
眺める以外なにもできない。読もうなんて人がいたとすればご苦労な人だ。
つまりどういうことかというと作者がほんとうは自分の行為に
確信がもてないから思わず自分の作品について書き込んだ。
そのト書きのようなものがじつはこの投稿者の詩になりうる心の部分である。
このト書きのような心の動きをなぜ詩にしない。できないからだ。
つまらない自分が許せない。ということはつまり詩が書けないのだ。
この作品に限らず9月からの投稿は他のもすべて詩ではなくただのト書きだ。
ただの散文表現ばかりがならんでいてつまらないことこの上ない。
おそらく新運営関連の方々が力作のつもりで投稿されているのだろうけど
すべて詩ではなく散文だ。それも「おれを見よ」という散文ばかりだ。
それに比べればまだ読まれることを拒否しているというこのゴミ箱のような
作風は一回きりの珍奇さで人の目を惹くことはできるかもしれないが二度はゴメンだ。 (rwoydlM)
2023-09-02
ルールなんか無視して自分たちで勝手に好き放題したいということでしょう。
たとえば匿名氏の「インソムニア」。三回投稿されているが三回目の投稿には
最低30以上の作品へコメントが必要なはず。しかし一回目投稿からまだ30以上の
投稿はないからコメントできない。にもかかわらず三回投稿できている。
もうなんでもありなんでしょう。この運営はじぶんたちの好きなようにじぶんたちだけは
特別に利用できるということでやっていくでしょう。いやなら去れということです。
おれたちが好きなように投稿板を使うがそれでもかまわない好きなやつだけが集まればいいということです。
これはふつうシステムから跳ね除けられるはず。だれかが自由にシステムをいじっている
としか思えない。 (答えられない質問たちのために_20230901)
2023-09-02
ご返信ありがとう。
ワケワカメよりもっとカメハメハだけどね。
つまりイカイカは黒髪氏風にイカイカの表見上の発言だけを消すという
"言葉の表示上"のことしかしないってわけだ。
いつも真善美を気取ってやがるやつに限ってリアルな
政治の舞台では姑息で腹黒なことはもはや大人の常識的知見だが
ああそれにしてもカメハメハだ。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-09-01
教えてほしいのですが
atsuchan69さんが詳しいみたいだから教えていただきたいのですが
いかいか氏=Ceremony氏じゃないのでしょうか。
運営名(いかいか)とは別名(Ceremony)で投稿していることは
その作風からあきらかだと思うですが。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-09-01
とりあえずこの議論の場を閉じないで思う存分意見の機会を
与えてくれている代表の天才詩人2さんへ感謝を申し上げます。
その上で「現代詩フォーラム」トップ10のトップに君臨するatsuchan69さま
に朝のご挨拶を申し上げます。
もはやわたしなど近づきがたい大詩人におなり遊ばしたatsuchan69さま
えーとねあまりよく知らないけど多分ガイドラインてのはもしこれが
強いルールだとすればそれは生まれた瞬間から作った人も会員も全員を縛るものになる。
つまり全員がそのガイドラインから《疎外》されるわけだ。
ここでいう《疎外》てのは人間にだけある《刑罰》で 自分で自分の首を締めることをいう。
ふつうこういうことは動物はあまりやらない。
だから幾ら財閥でも大統領でも法や国家から《疎外》される。自分でつくった法で裁かれる。
これが大金持ちや権力者は気にいらない。こんなに金持ちなのにそこらの乞食と同じく
裁かれる。金持ちは許されるべきだし自由に使用人を殴って人だって殺していいことにすべきだ。
そう思いはじめる。世界の富の98%まで独占した巨大富裕層たちはサロンでそんな話をする。
それを実践しはじめたのがオバマという表向きは「イエス・アイ・キャン」なんて民主家
気取りの腹黒い大統領だった。この男はあらゆる邪悪のシステムをつくってきた。
いまのバイデンなんかも実質オバマに動かされている。オバマの背後には巨大財閥がある。
9.11もパンデミックもウクライナ戦争もみんなこいつらの仕業ですよ。
要は国家と法を破壊して自分たち金持ちの権力者が自由になんでもできる専制奴隷ワールドを
つくりたいわけだ。
そこでねわたしの持論だけどあらゆる現象は細部にまで相似化しているわけ。
つまり世界のこういう潮流はこんな世界の隅っこのこんなネット上の世界にも反映しているわけ。
現運営の在り方や思想というのはこういう世界の潮流の小さな小さな小さな雛形なんですよ。
そういうものと戦うってことはもの凄く消耗するわけ。
でもそういうものと戦うってことは世界と戦うってことでもあるわけだ。でなければわたしは
こんな井戸端でこんなつらまないことしてませんよ。
でもね世界の権力者たちの現場へはだれも行けない。そこで意見をいえない。だけどどんなところにも
世界があるわけでそこで世界に屈服したりニワトリや豚や羊みたいに従順に飼われたりするよりも
ちゃんと抵抗することがすなわち世界とも戦っていることになるのじゃないかとぼんやり考えているんだよ。
現運営はいい人ばかりだと思うし個々人を責めるつもりはなくてね要するに共同体としてはでも
世界の潮流を反映するような動きをしているわけ。
詩人ならそのことに気がついてほしいのだけどね。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-31
クヮン・アイ・ユウさま真摯なご投稿ならびにわたしのコメントへのご返事
ありがとうございます。
とくに最後のコメントへの返信についてはわたしが言いたかったことの核心を
ついてご返事下さり驚くと同時に感謝しております。
投稿者のみなさまがあまり運営のことを考えることなしに空気のような存在として
自由闊達に投稿や批評ができる日が来ることを貴方さま同様に祈っております。 (今のB-REVIEWに思うこと)
2023-08-30
わたしの名前を出さないでくださいよ。人気なんか無いよ。
それよりあなたは子どものようなダダをこねているとしか思えない。
「名前は言えませんが調べてみたところ直近で2回ほどのアクセスのあった
参加者のひとりでした。悪意はなくただの悪戯目的だと思います」
とかを伝えてくれればそれで良かった。
それができるならやってるでしょう。笑 警察ですら裁判所の許可がいるのに
運営がかってにアドレスなど調べて個人情報を調査&開陳できますか?
もしIPも個人情報も合っていても本人じゃなくだれかがやっていることだって
ありうる。そういうことの責任をおうのは運営ですよ。
もちろん出来るものならやりたかったはずですよ運営だって。法に抵触しなければ。
よほどしこりになって残っているようですがわたしだっていろいろ不満はあるけど
そういう事務的な問題ってのはいろいろ投稿者にはわからない困難があるのだと
わかってやってはどうかな。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-30
だれのものでもない"参加者全員の財産である投稿サイト"が
"自覚されて"生まれたのなら快挙なんですけどね。
いまのところそんな素晴らしいサイトの構築や出現に関心のある方が
果たしているのだろうか。
最初の頃天才詩人がいっていた「ワイヤード」(つながり)とはそういう
ことだったのじゃないかい? 御本人すら自分が何をいっていたかわかっていなかった。
また多くの初期運営がわかっていなかったとわたしは思っているが今そういう
ことが表に出てきた。さてどうする?
これからもここが発展するか消滅するかを決めるのはそこでしょうね。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-30
わたしはだれの肩を持つわけでなくまた個人的な感情でコメントする
タイプの人間ではないつもりなのだが
ここの書き込み 中盤からは実のところ花緒氏の明晰な論理展開を示すコメントに
驚いている。いちいち己の頭のバカさ加減をつきつけられるような気がしている。
上記のコメントもそうで「なるほど」と目が覚めるような発言だと思う。
勉強になります。それにしてもわたしはいつも輪郭があいまいで余計な話が多い
つまらない書き込みをしているなあ。まざまざと思い知らされる。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-29
わたしが今回の運営交代劇にしつこくコメントしているのはこの問題を
井の中のカワズの話だとは思ってないからなんだよ。
もしそうならあまりにも矮小な話だしバカバカしくて相手にすること自体
不毛な出来事だと思う。登場人物もじつは相手にもしたくないイカイカ=セレモニーだしね。
ただ世界を見ているとすべてが相似系になっていることがわかる。
たとえば沖縄問題をどうするかというときそれは日本全体の問題の縮小版になっている。
あるいは北海道でもいいしその他の地方都市の問題でもいい。それはよくみると日本全体の
問題の縮小版になっている。
日本の問題というのもよくみると世界の問題の縮小版になっている。
そこでたとえばこのサイトの運営のほとんどは関西とくに大阪人なのだけど大阪の問題も
日本全体の問題の縮小版になっておりそういう人たちが集まってつくっている投稿サイトも
じつは世界の問題の縮小版として扱える部分がある。だからわたしはコメントしている。
そうでなければこんな矮小な問題にしつこく口出ししない。
いまここで起きていることは世界や日本や大阪で起きている問題の縮小版矮小版として十分
思考の対象になると思っている。だから天才詩人2さんの報告欄にもコメントしている。
要するに人間の劣化だ。それにつきる。その人間のあらゆるもの感性とか想像力とか伝統意識とか
そういったあらゆるものが劣化している世界の縮小版矮小版としてここは論じることができる。
みなさんも積極的に発言されることを願っていますが「今だけオレだけ利益だけ」では
詩なんかますます貧困化矮小化するだけだと思うんですよ。 (今のB-REVIEWに思うこと)
2023-08-29
atsuchan69くんがしきりになりすましされたーとうるさいから
どういうことかそこのコメントみてみたけど......どう見てもなりすましてまで
していうほどのことなのか意味がわからない。
個人の印象としては悪意ある第三者がやったにしてはなんとあまりにも意味のない
なりすましに見える。
つまりさあatsuchan69くんこれはあんたの周囲の人間がだれかいたずらでやったんじゃ
ないの? わざわざ第三者がなりすまして悪意で書き込みしなければならない内容じゃなく
友人か知り合いかあるいはもっと親密なだれかさんにきみはケーターイかパソコン
みられてからかわれたんじゃないの?
あくまでも推測ですがね。それをなにか前の運営のせいにするのはいくらなんでも無理が
あるよ。
今回のクラックでもおかしいんだよね。前の運営がやったみたいなことだれかコメントしていた
みたいだがこれは前の運営じゃないよ。直感だけどね。ともかく現運営に代わってすぐの出来事だ
から現運営の責任だし現運営が謝罪すべきことだよ。それをなにか謝罪もなく疑念を他へ転嫁するなど
ちょっとおかしいよ。いかいかなんかこの程度の常識しかないやつが運営にいる以上これからも
どんどんおかしなことが生じる。そしてそのたびに今の運営は「相手にしなきゃいいんだ」と
互いに連絡しあって沈黙するということになる。それでいつまで続くのかね。心配だ。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-29
わからず屋が多いから再度強調ておく。
この掲示板が三浦の私物としてその財産権をだれが脅かしているわけでもない。笑
三浦が保持しているのは私物としての投稿サイトという財産であって
そこでの一般投稿者の活動/人権/表現の自由を制限できるものではない。
わたしがいう「三浦の私物ではない」というのはこのような一般投稿者の文芸活動/
人権/表現の自由などをいうのであっていくら私物といえど違法な運営は法によって裁かれる。
あたりまえのことだ。
だれから三浦の私物を奪おうとしたのかね?笑 どうやって無形財産を奪えるのだね?
はなからkuu133くんのいってることは次元の違うトンチンカンな話なんだよ。
おれがネット投稿板はみんなの共通の財産というときはそういことを意味している。
文句があるなら出ていけというなら最初から不特定多数に公開するな。そして出ていけと
いうのならその人が投稿したすべてのものを削除しろ。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-29
忘れてはいけない、一つの重要なことは、この掲示板は、料金を支払い維持し続けてくれている所有者、三浦果実さんのものだということです。
これがすべて。
↑
kuu133くん。それはとんでもない言いがかりだよ。「これがすべて」でもなんでもない。
ネット上で広く不特定多数の人たちを集めてひとつの会員制公開掲示板を開いている以上
それは個人の所有とはいえない。運営と会員をふくめた全員の財産だよ。
五年間で積もり積もった会員の投稿作やコメントはサイトの財産だがここが三浦個人のものだというのなら
会員が自分の投稿を自由に削除できるようにしてからいえよ。人のもので成り立っている公開サイトのくせに
おれのものだって三浦ひとりで五年間に書いた詩なのか。笑
つまり
三浦くんが公開掲示板ではなく閉じた友人同士の投稿会をネットに作っている場合は
彼らの持ち物だから何もいわない。
kuu133くん。社会性ってわかるか? 子どもじゃないのだろう?
世間の人からみて失笑しるような恥ずかしいこと書くなよ。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-29
atsuchan69さん
わたしは何度もいうけど現運営を支持するとかしないとか
言ってるんじゃないんです。そこんところあなたもだれかさんも間違っている。
この作品は支持表明のために書かれたんじゃない。わたしは
まだはじまったばかりで現運営をダメだとか断定するには早すぎると何度もいってる。
現運営じゃなくいま行われている具体的なことがらの可否をわたしはいってるんです。
代表の天才詩人2さんなんかもそれほどたぶん悪い人じゃないと思っている。
ああやって議論の場を閉じないで提供してくれているからね。
だから現運営というより今の具体的な措置については疑問を呈しているわけ。
いかいかは何度もここで赤紙を出された。詩が書けるかどうかは関係ない。
いやでもいかいかが歴史に名を残すような天才だったらすこしは無茶も
構わないよ。サルトルやコクトーが作家ジャン・ジュネの才能を惜しんで
政府に罪の軽減を嘆願しそれが通ってジュネが刑務所から出てきたことがある。
しかしいかいかはそれほどの才能があるわけじゃない。
一部に熱狂的なネットファンがいるけどせいぜい十五人ほどだ。
これが田中広輔さんならアク禁を食らっていても運営に入ってかまわない。
生まれつきの詩的感性があるから。芸術至上主義ゆえに世間にうといけど。
この狭い日本の詩壇には様々な傾向性格感性の人がいて
才能があるならかならずだれかが持ち上げてくれるはずなのに出版者や評論家や詩人の
だれからも注目されていない。そんないかいかを特別扱いすることには反対だね。
これまで三十年近くのネット詩の歴史をみてもこういう男が荒らしてきたといえる。
それを指示するきみも同罪だ。きみも荒らしだよ。といっても考えもしないで
居直るだろうけど。それがきみたちの感性だ。
いい加減すこしはこの人生経験の長い男の話を聞いてみてはどうか。一文くらいの
足しにはなるよ。 (今のB-REVIEWに思うこと)
2023-08-28
性急なかたちでの引き継ぎとなってしまい、
第六期運営として退任前にやるべきと考えていたことについては、
三浦氏の判断により却下されての運営交代となりました。
2023年8月5日(運営交代のお知らせ)
「第六期運営として退任前にやるべきと考えていたこと」が
どうして三浦氏に「却下」されるのか。できるのか。まだ運営であった方を
さしおいて。これをみても明らかなように運営とは名だけで実は
三浦氏が陰で好きなように運営を統御できていたことになる。
「性急なかたちでの引き継ぎ」とは名ばかりで
つまり「おまえらもうさっさとやめろ」ということだったのか?
その背後には「おれたち書ける」系の自己評価と世間の評価に乖離のある
人たちがいて「今の運営はけしからん」という憎悪があったのでしょう。
そこで三浦氏にお尋ねしたいのですが
「第六期運営として退任前にやるべきと考えていたこと」とは何か
またどうしてそれを「却下」したのか。
お教え願いたい。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-28
クヮンさん。頭の悪いわたしには現情況がはっきり俯瞰できていないのですがまず
①ルールが変わってここに戻ることが出来た。(人)
というのはちょっと違いうと思いますよ。まだルールは変わっていないと思います。
もし会員投稿者に説明もなくルールを裏で好き勝手に変えているとすれば
そんなことは見たことも聴いたこともない前代未聞の公開掲示板です。
②しかし現運営は平気でルールを破って平気で違反者を運営にそえているという
ことになります。
しかもその違反者の言う通りにルールを変更しようとしているのです。いやあびっくりです。
つまりその違反者の過去の発言を好き勝手に削除しようとしている。
ルールの変更というのはその何度となくアク禁を食らってきた違反者の予告です。
③それについてクヮンさんのいう通り会員投稿者との話し合いの場が設けられる
べきですが天才詩人2のコメント欄で
いかいかという当人は創設者の花緒氏の疑問をまったく無視しています。
④ですから問題はそういう人間の誠実性のはなしを越えて「文句があるなら出ていけ」
のレベルになっています。
⑤そういう現運営を支持する人というのはクヮンさんのいうような人間の誠実性のはなし
ではなく要は「ここはもう書ける人だけが残ればいい。現運営のやり方に賛同できる人だけ
が来ればいい」という考えの人たちで固まりつつあるといっていいでしょう。
⑥哀しいかな狭い井戸から出ればここで自慢している方々の作品の優劣なんか霞んでしまうのに
未だに狭い狭い世界で優劣を自慢したい方々がいてそういう方々が自慢する場をつくりたいのだと思われます。
⑦それは御本人たちの勝手ですがじゃあこれまで面々とこのサイトを築き上げてきた
歴代運営人やこれまでここに拙くとも必死の思い出投稿された方々の記録はどうなるか。
そういう問題があるとおもいます。
⑧それをむげにするなら現運営はいったんここを閉じて仲間内の会員制にすべきだと思うのです。
クヮンさんいかがでしょうか。
(今のB-REVIEWに思うこと)
2023-08-28
新運営にもいっておくが
きみたちが突然サイトをつくったのではなく連綿とレンガの積み重ねで
ここまできたのだ。
前運営なんか関係ねえ。前運営の一人がやりたいというのならおれらの勝手だってそんなことが
世間に通用するとでも思っているのか。歳はいくつだ?
前運営の宣言を否定するなら前運営時にわたしが投稿した作品コメント全部消してからいってもらいたい。
つまりこのサイトの財産であるこれまでの投稿と会員をむげにするならきみたち全部消して一からやれよ。
できねえだろ。できねえのなら前運営が投稿会員に宣言したことも守れよ。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-27
一切の責任を負わないものとしますと宣言しながらどちらかが次期以降の運営に関わったら
今回のように必ず責任問題が出てくるでしょう。でも責任ないよと宣言したから責任ないよなんて通らなでしょ。そんなこともわからんのかね
要するに今後は運営に関わらない。関わる場合は宣言した投稿会員のみなさまにお伺いを立ててから
関わるということに決まってるじゃないか。
黒髪くんの頭の中には会員登録した投稿者の存在はないのかね。投稿した作品やコメントをかってに
消させない以上は過去の運営にもそれだけの責任もあるだろうが。だからそう宣言したのだ。
黒髪くん。文句があるなら前運営時にわたしが投稿した作品とコメント全部消してからいえ。
ことじゃないか。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-27
しかし前代未聞の
男根的な家父長的管理人いかいか様だな。
もうどっとそそり立っているぜ。
前運営人が民主的なルール重視の運営をしていたから
それの反動かな。
かつていかいかが文学極道の運営をしたいとザーザインに
願い出て断られたという風聞を耳にしたことがある。
どこまでほんとうか知らないがやっといかいかが念願の王座についた。
これからはやり放題だね。いや大統領就任おめでとう。
大統領補佐官かもしれないけど実質大統領だ。
あの真面目な沙一さんに「犯罪者が運営しているサイト」といわしめた。
これも大統領の条件だわな最近の国際情勢をみていると。
ゼレンスキーしかりバイデンしかり。
その男根のようにそそり立つ独裁者の下で忠実なヒトラーユーゲントたちが
右手を斜め前方に指して行進する光景が浮かんでくる。
どんなサイトになりどんな詩が生まれるのか。
投稿者が同じだからたいして変化はないだろうけど愉しみではある。
わたしは成功を邪魔したくないからこれからは
遠くから眺めていることに徹したい。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-27
すでに、要請の件についてでお答えしたように、個人間のプライバシーにかかわることを良しといたしませんのでそのようなことは行えません。
↑
そういうのを利益相反というのでは? いかいか氏が突然じぶんで新規定をつくって情報の公開ができないようにしたのでは説明がつかない。
あのねえ運営のみなさなま子どもじゃないんだから。大人でしょ? 恥ずかしくないの? (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-27
いかいか氏の運営としての書き込みを拝見しましたがあまりにも自分勝手ではないでしょうか。
じぶんの書き込みは都合よく削除しあれだけ人のことを書いておいて今後は容赦しないって
いまの運営はいかいか氏にかき回されている。恥ずかしくないのかな。それから根拠もなく
まるで前運営がクラックをやったようなことを書いていたのもあまりにもひどいとは思っていた。
なにか余程の証拠があるのかと思っていたら憶測じゃない。
まずはいかいか氏が運営から退いて反省もして謝罪もすべきではないのか。あれでは謝罪になっていない。
子どもでもあるまいしひどすぎる。いかいかの文の削除はそれからだと思います。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-27
作者はこの台本を本格的に書いたわけでなく手慰みのつもりでさらっと
書き上げたのだとおもう。だから薄くて軽いけど作者が根底にもっている
思想は出ていると思う。一口にいうと
あなたが世界と折り合えないで異端として排除されるのはあなたが
我執が強くて世界と和解できないからだ
そういうものの見方考え方がみえる。
ハンナーアーレントのような「世界との和解」的なものの見方考え方
あるいは「きみと世界との戦いでは世界を支援せよ」
(『夢・アフォリズム・詩』F.カフカ)
のような思想
これは日本が近代化される過程で西欧から入ってきた倫理観であって底には
キリスト教的な教義がある。
ただ日本では異端とか異形とか悪人とか非人とか呼ばれた浮浪無職の人々は
西欧とは違って「まれびと」とも呼ばれていた。日本では古来は異形異相異端の外れ者は神だった。
そういう宇宙論的な広大な視点はこの脚本にはない。そもそもこの作者の想像力が
非常に貧しいところで完結していると思われるのは生活破綻者へのワンパタの固定観念にある。
命にかかわる水についていえば余程の滞納がなければ止められないし借金とりが戸別訪問して戸を叩くこともいまでは法的に認めてないから警察を呼べばすぐに排除してくれる。
もちろんこの作品の設定が一種の舞台まわし=比ゆであるとしても今どき少し
時代感覚がずれているというより作者の世界観がそこに及ばない。
あなたが世界と折り合えないで異端として排除されるのはあなたが
我執が強くて世界と和解できないからだ
というのは文学的な問題でいえばそうではない。
ある人が排除されているのはその人が世界と和解できない折り合えないからなのではなく世界から《疎外》されているからだ。
この《疎外》という概念は山のような解釈や説明があるけど
わたしが《疎外》というときは"芸術的なひらめき"そのものを指していっている。
つまりある人が突然なにか天啓のようなものがひらめいて芸術的な創作意欲にかられたとき
その瞬間
その人は世界から《疎外》されているのである。あるいは世界からも自分からも
排除されて意識は両者の境界線上に存在しているのである。
だからアーレントのいうような「世界との和解」などまったく意味がない。
それはまさしく机上のたわごとにすぎない。ニューヨーク富裕層のサロンで交わされる
退屈な哲学思想遊戯のこぼれ話でしかない。
(一人芝居用戯曲)おともだちの詩)
2023-08-27
キュレーターアノンによるあやめ池惨殺事件を担当した三浦警部補はハイウェイを山人小屋へと急ぐ勉強しすぎの中学生を補導したと本部へ伝えたが本部は如何なるわけかいかんともし難い連中に乗っ取られゼンメツしていたので返ってきた返事はなんと「それはただのCeremonyだから釈放せよ」だった中学生は「いろいろ迷惑をかけました」といって帰り際果実を出して「いりましゅか」といい「お約束のセレモニーでしたね」といったら年収828万円の警部補は「セレモニーじゃなくimitate」だろ水道も完備されていない田舎の人殺し騒動はおれは嫌いだ都会の殺人事件がいい弔ったり弔われたり夏の場面にはふさわしい広末なんかほれ墨の旦那なんかを殺して逃げたら最高なんだけどね今は火葬待ちだろキャンドルのように溶けた旦那の彫物が氷づめの湯船から浮き上がってきて炎に照らされてさあ「あのぼく中学生なんですけどがんばります」といって少年は迷惑そうに帰っていった「おい中学生おれの詩おれの天才的ゲージュツがわからないのか」「すみませんぼくはこのロストウエイをどこまでもさまよっていきます」「お~い気をつけろよその先は田んぼだ」「田んぼでも構いません」といって中学生は肥えたごに足をふみいれてしまった。
(三浦果実にいかいかがハッキングされた件について)
2023-08-27
今日も、
私の名前を叫んでいる人がいる、
私は、もっと遠いところを今は見ている、
またしても「おれ」か。
どこまでも「おれはおまえたちよりすごぞ」なんだね。
もう詩書かないでいいから
タイトルも本文も
「おれはおまえたちよりすごぞ」
だけでいいんじゃないの?
私は、ずっと、ずっと、考えている、
どうやったら、遠くへいけるのか、
まだまだ、遠くへいるのだろうか、と、
ああ はい。
「おれはおまえたちよりすごぞ」だね。
どこへでも行けよ。
私だけがそれを知っている
ああ はい。
「おれはおまえたちよりすごぞ」だね。
ご苦労さん。ほなさいなら。 (三浦果実にいかいかがハッキングされた件について)
2023-08-26
まあみなさん仲間内でえびすさんのようにニコニコ笑って褒め合っていれば
これほど幸甚なことはないと思います。
これからもこれでいきましょう。ああ めでたいことじゃ。万歳じゃ。
ではお手を拝借。一本締めで「シャンシャン!」ご苦労さまです。 (ブルーエンハンサー)
2023-08-26
すみませんね。最近ぼけてまして。
さて続きですが
自分でも意外なんだけどまったく話したこともないのに
現代詩フォーラム内のメールに結構女流の詩人さんからもらうんだよね。
これはじぶんでも驚きなんですけどね。おれみたいなだれからも相手にされない
者に田中修子さんのような内面的によさげな女流詩人さんから相談を受ける。
ある人はたんなる技術上の問い合わせであったりするけど ある人は
だれそれを見守ってやって下さいとか あなただけが頼りなのですとか赤面するような
内容でもちろんそういう話にはのりませんけどね。てのはね
現代詩フォーラムのメールは唯一管理人の片野氏だけが見れるようになってるわけ。
一応なにかトラブルがあったときの緊急時だけだろうけどやっぱり他人の眼を意識してしまう。
人さまが見ているのに嫌ったらしい話は出来ないしどうしても生真面目に対応してしまうんだよ。
まあそういうことはなくともわたしは倫理的な人間だから本質は。
古いマンションにもう15年近く住んでるけど一階の自転車置場から自転車を新参の住居人に
外へ放り出されてもいっさい苦情言わないで外に自転車を何年でも置いて我慢する。
それから台所で瓶や皿が割れたらもうしつこいくらい何重にも新聞紙で巻いて
マジックでそこら中に「注意 ガラス」と書いて収集者の方が手にケガをしないかそればかり心配する。
人並み外れて倫理的な人間なんだけどそういうわたしのことを一発で見抜いた人が一人だけいた。
原口昇平さん。「かれは倫理的人間だよ」と一発で周りの人に告げたことがある。
原口さんのポリコレにはあまり感心しないけどさすがだとおもった。
わたしは自分でいうのもなんだけどリアルにはめちゃくちやさしい人間の部類に入る人なんですよ。
やさしさというのはじぶんではどうにもできない。考える前に動いているわけです。
ただそれだけに自己欺瞞てのが目につくとほんといやになるわけです。
( 文芸投稿掲示板「ビーレビ」について①)
2023-08-25
今現代詩フォーラムのメールを開いてみると
田中修子さんからは4度メールを頂いていました。
いずれもかなり深刻な内容だったことに改めて驚いていますしショックですし
もう燃やしてしまいたいほどひどい内容です。
しかし相手の方はもうお亡くなりになっているのでこれを公開することは
できないのが残念です。これはいろいとろ他のネットでは優秀な女性詩人のこともからんで
くるのですがもしいかいかが今後も偉そうにヒーロー気取りで彼女にかこつけて
あれこれいうのならわたしも非難を覚悟でネット上に公開することもありえます。
それにしてもあれだなあネットの自称詩人てのはまあなんというか綺麗事を書くやつに
限って女に飢えてんのかね。
ヨダレを垂らした狼みたいな野郎ばかりでそのくせてめえはヒーローを気取ってやがる。
いやはやほんとうにいやだ。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-25
腹を割った忌憚のない意見を下さってほんとうにうれしいです。
わたしは文学極道投稿板の投稿コメント欄のことしかしらず裏で投稿者同士
あるいは管理人と投稿者の間で何があったかまったく何も知りません。
またもし流言を聴いたとしてもこの眼で見ないと噂話だけで男女の間のことを
とやかく憶測するのは間違いのもとだと思っています。
《彼女をたった一人で守り、代表の首を絞め上げたのは他でもなくいかいかさんであり、》
失礼ですが
それatsuchan69さんが全体の経緯を正確に知った上でその出来事をその眼で見たことじゃないでしょう?
おそらくいかいかからあるいはその周辺から耳であるいは文章で聴いたか知ったのでしょう。
そして多分おそらくですが推測するに田中修子さんをどうかしたという文極の管理人側はほとんど
釈明をしていないのじゃないですか?
もしこういう構図があるのだとすればわたしにはだいたいわかるのです。歳の功というか長年の
経験から。おそらく管理人もいかいかも田中修子さんにふりまわされたのですよ。あるいは逆に
二人とも争って田中修子さんを振り回したともいえる。
こんなことは言いたくないのですが実はわたしも現代詩フォーラムのメールに田中修子さんから
相談を受けましたが相手にしませんでした。どうしてかというとそこになにか御本人の精神的な病から
くる作為のようなものを感じたからです。つまり彼女は多くの男性投稿者にそういうことを持ちかけて
いるのじゃないか。それは悩みや病いへの恐怖からくるので
あって彼女の責任じゃないから責めはしませんがわたしは
そういう状態の人の話をまにうけて行動するということはあまりやりません。
すると二三度打診があっただけでわたしがだれの批判もしないとわかるとメールが途絶えました。
あとでお亡くなりになったと聴いてああもっと親身に相談に乗っておけばよかったかもと思いましたが
現代詩フォーラムにですね田中修子と男女の交わりをして寝たとしかとれない露骨な詩が投稿されたのです。
ひだかたけしという御仁の詩でしがたわたしは厳しくその詩を指弾しました。亡くなられた方をその方の
了承もなく男女の仲をほのめかす詩はその方を誹謗中傷するに等しいと。
その一方でね哀しいかな田中修子さんはこんなやつとも関わっていたのかということでした。つまり
手当たり次第に男性投稿者に声をかけてリアルに落ち合っていたわけです。ですから管理人だけが悪いとかそういうことはどうも信じられないのです。
いかいかがヒーローだとかそんなことはいかいかが作り上げた物語であって実際には管理人は田中修子
さんからありもしない物語の悪役として他の男性に語られた可能性もあるのですよ。
そういうことはわたしに相談してこられたメールが今も残っているから今見直してみてわかるわけです。
田中修子さんを責めているわけではなく被害者だと思っているんです。というのはわたしならこれは
病気から来ているな不安と恐怖から来ているなとピンときて安静を進めるのにどいつもこいつも──
自分からのめり込んで物語をつくってじぶんがヒーロー気取りになって
しまったのじゃないかと思っているんです。ほんとうの男ならどなたも冷静に相手にしないで
御本人のために冷たく突き放してやるのがやさしさだったと思うのですがほんと自称詩人てどすけべ野郎ばかりでゲスの極みだとおもうな。
だからわたしはあなたのヒーローであるいかいかなんかますます話を聴いて嫌になっただけです。
atsuchan69さんはまっすぐで純粋な方だから男女のあいだてのはだれにも言い難い問題などがあることをまだ
お気づきにならないかもしれませんがひょっとすると弁解や説明をしようとしなかった
文極管理人のほうがまだいかいかより田中修子さんに対して少し誠実であったかもしれないのですよ。
そういうことは前のビーレビ管理人のことにもいえますがおそらくatsuchan69さんはいかいか側の
一方的な話を聴いていかいかを信じているから同じように不快感をもっただけだともいえるのです。
ボクはボクで今のところ自分の考えを曲げるつもりはありません。ということですからこれ以上何も
いいませんが田中修子さんをめぐる文極管理人といかいかの話はいかいかの作り話である可能性は少しお考えください。本人は本気でヒーロだと思い込んでいるかもしれませんがただのアホです。田中修子さんのためにも。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-25
腹を割った忌憚のない意見を下さってほんとうにうれしいです。
わたしは文学極道投稿板の投稿コメント欄のことしかしらず裏で投稿者同士
あるいは管理人と投稿者の間で何があったかまったく何も知りません。
またもし流言を聴いたとしてもこの眼で見ないと噂話だけで男女の間のことを
とやかく憶測するのは間違いのもとだと思っています。
《彼女をたった一人で守り、代表の首を絞め上げたのは他でもなくいかいかさんであり、》
失礼ですが
それatsuchan69さんが全体の経緯を正確に知った上でその出来事をその眼で見たことじゃないでしょう?
おそらくいかいかからあるいはその周辺から耳であるいは文章で聴いたか知ったのでしょう。
そして多分おそらくですが推測するに田中修子さんを苦しめたという文極の管理人側はいっさいの
釈明をしていないのじゃないですか?
もしこういう構図があるのだとすればわたしにはだいたいわかるのです。歳の功というか長年の
経験から。おそらく管理人もいかいかも田中修子さんにふりまわされたのですよ。あるいは逆に
二人とも争って田中修子さんを振り回したともいえる。
こんなことは言いたくないのですが実はわたしも現代詩フォーラムのメールに田中修子さんから
相談を受けましたが相手にしませんでした。どうしてかというとそこになにか御本人の精神的な病から
くる作為のようなものを感じたからです。つまり彼女は多くの男性投稿者にそういうことを持ちかけて
いるのじゃないか。それは病気からくるのであっても悩みからくるのであっても死の恐怖からくるので
あっても彼女の責任じゃなくすべて恐怖や不安がもたらしたものでしょう。責めはしませんがわたしは
そういう状態の人の話をまともに聴いて行動するということはちょっとやりません。
すると二三度打診があっただけでわたしがだれの批判もしないとわかるとメールが途絶えました。
あとでお亡くなりになったと聴いてああもっと親身に相談に乗っておけばよかったかもと思いましたが
現代詩フォーラムにですね田中修子と男女の交わりをして寝たとしかとれない露骨な詩が投稿されたのです。
ひだかたけしという御仁の詩でしがたわたしは厳しくその詩を指弾しました。亡くなられた方をその方の
了承もなく男女の仲をほのめかす詩はその方を誹謗中傷するに等しいと。
その一方でね哀しいかな田中修子さんはこんなやつとも関わっていたのかということでした。つまり
手当たり次第に男性投稿者に声をかけてリアルに落ち合っていたわけです。ですから管理人が悪いとか
いかいかがヒーローだとかそんなことはいかいかが作り上げた物語であって実際には管理人は田中修子
さんからありもしない物語の悪役として他の男性に語られた可能性もあるのですよ。
そういうことはわたしに相談してこられたメールが今も残っているから見て直してみてわかるわけです。
田中修子さんを責めているわけではなく被害者だと思っているんです。というのはわたしならこれは
病気から来ているな不安と恐怖から来ているなとピンときて安静を進めるのにどいつもこいつも──
いかいかなどはとくにそうですが自分からのめり込んで物語をつくってじぶんがヒーロー気取りになって
しまったのじゃないかと思っているんです。ほんとうの男ならどなたも冷静に相手にしないで
御本人のために冷たく突き放してやるのがやさしさだったのですがね。
だからわたしはあなたのヒーローであるいかいかなんかますます話を聴いて嫌になっただけです。
atsuchan69さんはまっすぐで純粋な方だから男女のあいだになるだれにも言い難い問題などまだ
お気づきにならないかもしれませんがひょっとすると決して弁解や説明をしようとしなかった
文極管理人のほうがまだいかいかより田中修子さんに対して少し誠実であったかもしれないのですよ。
そういうことは前のビーレビ管理人のことにもいえますがおそらくatsuchan69さんはいかいか側の
一方的な話を聴いていかいかを信じているから同じように不快感をもっただけだともいえるのです。
ボクはボクで今のところ自分の考えを曲げるつもりはありません。ということですからこれ以上何も
いいませんが田中修子さんをめぐる文極管理人といかいかの話はいかいかの作り話である可能性だけは
少しお考えください。田中修子さんのためにも。 ( 文芸投稿掲示板「ビーレビ」について①)
2023-08-25
さあて。まあどうなんでしょうね。
正直いってわたしも忙しいからここにこれ以上かかわって
られない反面この騒動をどこかで面白がっている自分もいる。
イライラしつつうんうんとのめり込むという矛盾したね。
つまり従来の探索欲というかラジオの分解組み立てに惹かれる
少年の探求心のようなものがあるからこういうゴタゴタに関心が
惹かれるんでしょうけど一番いい展開は最後にいかいかが切れて
わたしをアク禁にすることなんだよね。笑 いやほんと。
そうなると非常に面白いし愉しいんだけど。待ってますよ。
( 文芸投稿掲示板「ビーレビ」について①)
2023-08-25
読み終えて最後にだから? としかいえない。
現代詩風に練る技術はあるけど
長年かけてやっと習得したのだからその技術を弄ぶのは
面白いだろうけど読者としてはそれで? だから?
としかいえない。 (ベツレヘムの灯火を)
2023-08-25
いやビーレビの問題はそこだけじゃないよ。
あまり気がついている方は少ないだろうけどいかいかが
花緒氏に対して「おまえ関東だろ」という非難めいた口調で
難詰したから確信したんだけどね。ずっと何年も前からどうしてこうも
関西人とくに大阪を中心として連中ばかりなのか不思議に思っていた。
おそらくこのビーレビは80%が近畿の気圏かその外枠の地域の人たち
だと思う。
つまり大阪人の感性でやっている。
そういう特殊性が張り出していくとこうなっちゃんだよ。
本人たちは気づいていないだろうけどね。
つまりいかいかはまず年齢差別をはじめた。「ここは年寄りが多すぎる」という
非難だ。これは要するに若いものだけでやっていこうぜということだ。
しかし詩ってのはある伝統の道の上に最先端があるのであって最先端だけてのは
道じゃないしまた最先端にもならない。過去をひきづっている老害の存在や
発言を認めてはじめて最先端が成り立つ。ところがいかいかはまずは年齢差別を
始めて次にはさまざまな排除や差別の思想を次々に語っていった。
そしてついには地域差別だ。「おまえ関東だろ」という言い方には少しぎくっとした。
要するに大阪人の感性が出てきている。
あのね田中さんは黒髪さんのいう「他人の靴」を履いてみようとしているが
そういう人はいまのところ運営から発言はない。だからしょせんあなたも異端として
放り出されるかもしれない。
わたしの個人的意見だがいかいかは何度も何度も忠告や指摘を受けてきたが
じぶんが一番偉いと思っている。だから他人の忠告などいっさい耳を貸していない。
このバカをもう少し社会性をもてよでないとこういう公の仕事には向かないよと
説得するのは不可能だ。
どうせかならず田中さんにもこのバカの矛先がくる。三浦なんてのも大阪人だし
どいつもこいつも一種の地域性でかたまっている。そうなるともうどうしょうもないよ。
( 文芸投稿掲示板「ビーレビ」について①)
2023-08-25
いかいかの思想(サイト投稿者に年寄りが多いという
わけのわからない年齢非難も含めて)に心酔するatsuchan69さんから
コメントをもらえてうれしいですよ。でも教祖に叱られるんじゃないでしょうね。
無理しないで下さい。 ( 文芸投稿掲示板「ビーレビ」について①)
2023-08-25
お読み下さりありがとうございます。
わたしは頭も悪いし学もないけど苦労だけは
してきているからこうしてはいけないという見本にはなる
と思うのです。 ( 文芸投稿掲示板「ビーレビ」について①)
2023-08-25
作者の名前をみていないつもりになって頭を真っ白にし真摯に読もうとしましたが.......
いきなり「俺」が出てきて最初からいや~な予感がした。
ああ また"イカイカ"風の自分語りがはじまるのかと。
そういうのは赤ん坊の盲目的なおっぱい目当ての”お母さん”に対する"ぐずり"でしかなく
文学としては何の価値も意味もないのだということがいつになったらわかるのか。
読んでみると見事予感は的中して無国籍文体のわけのわからない"ぐずり"がはじまる。
つまり「おれをみろ」「おれをみてくれ」「ここにおれがいるよ」だ。
つまり"母親"(読者=社会)に甘えているのだ。そしてコメント欄をみてもわかるように
同じように成長のとまったおなじような感性の仲間が
それをもちあげるのは予定されたことだ。とはいえ
単に「おれをみろ」じゃさすがにだれも見てくれないから味付けをする。
どこかで読んだ外国文学の一節みたいな懊悩のポーズで味付けしてみる。
ブルーエンハンサー ノライヌ チューインガム エトセトラ。ほんとうにただの
エトセトラだ。
それは外部からみれば模倣でしかないのに当人は完全にナルシズムに浸っていて本気だ。
イカイカの『私がいない、私達の、そして誰のものでもなかった、者達の、共同体への、』
と同じくどこまでいっても「おれ」「おれ」「おれ」だ。
黒髪氏もそういうところがあるからこれは今の運営関係者全員の傾向性なのかもしれない。
田中氏くらいか外部にも横目を使い新しいものや自分とは違うものをみようとしているようだが
このままじゃ永遠に出口なんかないよ。 (ブルーエンハンサー)
2023-08-25
ゼンメツという投稿者がどういうメンタリティの御仁か伺い知る
機会がなかった。でもこうやってはじめて論理の箸の使い方や倫理の碗の持ち方を
見てみるとああイカイカとかいう腐った神経・精神の持ち主と同じだなと残念ながら
半分がっかりしつつ納得した。おれがゼンメツという御仁の詩の底のほうを見逃して
いなかったことに少しほっとしつつやっぱり残念だ。
鼻緒氏のいうとおりまったくいうとおり
幾度となくレッドカードを受けた方、すなわち、ルールを反故にしてまで何度も温情を受け、
その度に裏切ってきた方をそうと知って運営に迎え入れられた
ことにおれは呆れ返ってるんだよ。どういう神経してんだおまえら。しかも当人の謝罪も弁明もなくだ。
前運営があれほど注意したのにかき回していた人物を運営にし しかも途端にテメエがすべて回している
ようなでけえ口を利いてやがる。糞みたいな詩しか書けないくせに。
三浦の情報をバラすぞとかそれ脅迫以外の何者でもないだろ! しかもおめえ関東だろうとかそういう地域性
まで持ち出す。口とは裏腹にとんでもない差別野郎であることはお見通しだ。そんな野郎を入れて
そんな野郎が脅迫しているのにいつまで知らぬふりしてるんだよ。さっさと謝罪させろ!
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-25
連載大作『文芸投稿掲示板「ビーレビ」について② 一部予告
2
青木由弥子氏を知るために彼女のビーレビ投稿詩を読んでみた。
思ったより手堅いが華がない。
これは女性詩人全般にいえることだけど女性の詩というのは案外理詰めである。
そして案外に散文的である。
短い随筆のような説明的表現のなかにひとつの謎を放り込みそれをことばで理知的に語っていく。そういうあんばいのものが多い。
何が言いたいのかというと女性なのに女性詩人の詩には案外華がない。弾けるようなあでやかさやどんでん返しのような劇的な比喩がない。男性詩人のほうがむしろ色彩豊かである。
あえていうと女性なのに女性詩人の詩には全般にエロスがない。
青木由弥子氏の詩には失礼ながら詩のことばに詩的なエロスをまったく感じなかった。しかし中学校の教科書のような公務的な骨格があってそれが今どきの安全安定を求める人たちには受けるかもしれないと思われた。
ことばが背広になって堅苦しく歩いているような詩ばかりでまったく興味や関心を呼ばなかったとはいえ
逆にいうと女性のこういう傾向性は詩の批評には向いているのかもしれない。
青木氏の詩の批評のほうはなにか教科書のように整然としている。
間違いはないのだろうけど──これがまったく読んでいておもしろ味のない批評なのである。これならまだ同じくビーレビの常連批評専門投稿者の古株澤あづさ氏のほうが面白いかもしれない。しかし批評の正確さでは青木由弥子氏に軍配があがるだろう。
だって以下のような批評があるだろうか。
抒情は心理の描写ではない。情を抒(く)むというのだから、むしろ読解に近い。
(田邊容『花鉢』読解以前 澤あづさ)
辞書を引けばたしかに*情を汲むという語源的な意味もあれば第一義的には*情を述べるという意味もある。多種多様な解釈がある。あたりまえのことです。
それにもかかわらず「汲む」というひとつの意味だけをとりあげて「抒情は心理描写ではなく読解だ」と断定するのは無茶苦茶な論理だ。
それは詩の解釈ではなく言葉の語源の一解釈にすぎない。
にもかかわらずそれをもとに後の批評を展開していくというのはどうなんだろう。
でも唯我独尊的なむちゃくちゃで強引な論理は面白いといえば面白い。ただまったく信用ならないただの個人的な妄想である。
批評というのは妄想になっても構わないけどそこに至る道程は論理的でなければならない。一般性が担保されていなければただの妄想だ。
しかし「ビーレビ」や「文学極道」の批評なるものを知らない方々はこういう批評を両手をあげて評価する。
いやべつに称賛してもいいですよ。でも狭い世界で第三者からの批判をシャットダウンして十人かそこらの仲間内の世界で自己自足していてもつまらないと思うのですがね。
青木由弥子氏がそこらあたりどういうふうに考えていたのか聞いてみたいと思うのだがなぜか澤あづさ氏の批評文には彼女はコメントしていない。
青木氏のような几帳面な詩人からしてみればあまりにも相性が合わなくてコメントすらできなかったのかとも思われる。
澤あづさ氏がどのような詩を書いているのか今ちょっと過去ログをのぞいてみたがビーレビには詩は投稿されていない。
果たして詩の批評というものは詩をうまく書けないでもできるものか。
わたしはそこのところ関心を強くもっている。
一度”いかいか”という文極ビーレビを常連とする投稿者が澤氏のアメリカかどこかを舞台にした詩をけむりという男と二人で褒めていたことがある。
申し訳ないけどわたしはその三人の会話と当該詩をみて三人とも詩がダメだと断定した。
もちろんわたしごときにダメだと断定されてもどうってことはないですがね。
そこで文学極道をのぞいてみるとあった!
http://bungoku.jp/monthly/?name=%E0V%82%A0%82%C3%82%B3
文学極道選出作品 澤あずさ 全五編
さっと読んでみたが印象としては青木由弥子氏のときと同じで意外に散文的なのである。
表見的には精一杯現代詩風に言葉を駆使しているのだけど言葉についての決定的な〈転換〉がどこにも見られない。
つまり豊かな華やかさと自由奔放さはなく散文的で理詰めである。しかも性的なイメージが散乱しているので言葉は悪いけど使い捨てられた生理綿がいたずらに散乱しているような雑駁さを全体に感じる。
部屋ちゃんと掃除していのかね。この方は。いやどうでもいいのですが。
これは散文的で理詰めであるという言葉への姿勢が詩にも現れているのだなと理解できるけれど詩的な世界としては批評と同じくあまりにも一面的で閉じている。
( 文芸投稿掲示板「ビーレビ」について①)
2023-08-24
まあそう焦らないでわたしの大作
文芸投稿掲示板「ビーレビ」について
を読んで下さい。現代詩フォーラムに毎日連載するので「イイね」も
忘れずにお願いしますよ。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-24
そういう言い方もできるでしょうし
その逆の言い方もできる。
つまりこの断定にはあまり意味がないような気がします。 (人間)
2023-08-24
ライトノベル的人生観&人間観というか
マンガ・アニメ的人生観&人間観というか
机の上の倫理を地球儀のようにまわしている若い人の姿が
浮かんできました。
もちろん実人生や現実はもう何枚も倫理の皮をめくらなければ
みえないものでそれに気づく頃にはおそらくこの人生観はまったく
裏返ったものになって身に張り付いているような気がします。 (宛先のない記録係)
2023-08-24
今日丸一日だけは運営がCeremony=いかいかの花緒氏に対する脅迫について
どういう態度をとるかみているつもりです。
もし現運営陣がこの脅迫を社会人として人としてなんとも思わないのならわたしは
今後このようなサイトを非難せざるを得ません。わたしはやるとなれば徹底的に
やりますよ。
どうしても好き勝手したければかんたんなことです。
自分たちだけの同人的な会員制クラブにすればいいのです。あたなたちには広く
世界に向かって開かれた公開文芸掲示板を運営する資格はない。いまの運営人は。
ただのお仲間によるデタラメなお遊びサイトだ。脅迫への謝罪があれば別ですが。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-24
※Ceremony=いかいか曰く!
悪いけど、私達運営と、その運営に賛同してくれる人達で今後は場を作っていくつもりだからもういらないよ。
それなら前からいってるようにおまえら閉じた会員制にしろよ。
OPENの場にする資格はないぜ。広く門戸を開いて集まってきた人たちが
おまえらの酒のさかなにされるなどあってはならないことだ。
※Ceremony=いかいか曰く!
なんで、ここまで牽制するかって言うと、この花緒ってやつは、何人も過去の運営の有能な人を辞めさせる原因になっての。
おまえがいうな。おまえこそがこのビーレビで何度もカードを出された札付きの荒らし野郎じゃないか。その札付きの荒らし野郎が
のこのこ出てきて今は他の運営をさしおいててめえがここの主で何でもできるみたいな口を利いてやがる。小手先のワンパタ詩しか書けないやつが!
※Ceremony=いかいか曰く!
三浦さんの色んな人に対する「発言」や「情報」を全部俺が勝手に公開して暴露して爆破させるからな!
三浦は投稿者の情報を集めていたのか。そんなことをしてそれを脅しの材料にするっておまえ頭だいじょうぶか。何を言ってるかわかってるのか。
明白な脅迫だぜこれは。
おまえらがこういう脅迫を批判しないで黙認し花緒氏に謝罪しないのならおれも脅迫されているのと同じだから
おれはこれまで一切他人の悪口は他所で書かなかったけど今日から戦闘開始するぜ。あらゆる手段を用いておまえらを糾弾する。
もう一度いう
おれはこれまで一切他人の悪口は他所で書かなかったけど今日から戦闘開始するぜ。あらゆる手段を用いておまえらを糾弾する。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-24
>今の運営に批判的な、貴方やボルカや室町は別に必要ないんだよねまじで。
おれは花緒氏へのあなたの批判には概ね賛成だからイイねを推しておいたけど上記の発言は
不用意だとおもうよ。
必要だから置いておく必要ないからいつでも放り出すという問題じゃないだろ投稿板ってのは。
そんな実用性や利便性や効率主義で投稿板やるものじゃない。必要のある人間てどういう人なんだよ。
あんたの詩を褒める人が必要な人なのか。あんたの都合のいい人が必要な人なのか。
おれはおまえの綺麗事の発言(介護施設で人間を知っただのなんだのから始まっていつも
なにやらおれは社会奉仕やってるみたいなほのめかし。etcほんとにうざいんだよ)の割に
こころの裏にあるそういう実用主義的な冷酷で歪んだ感性がほんとうに目がつぶれそうなほど
見てられないんだよいつも。
それにおれは今の運営を批判なんかしてない。批判するにもはじまったばかり今のところ何の材料もない。
おれはたんにツィキャスの感想を述べただけだ。
それだけでもう運営批判!? どこからそんな発想が出て来るのか。なに?いつでもおれを追い出せる?
すごいやつだ。おまえはナチか。どうれ追い出せよ。この糞みたいな精神しかもてない糞野郎が。
さっさと追い出してみろよ。出禁の赤紙出せよ。おまえの名前でな。
おまえは実は花緒氏以上にそういうことが大好きな奴だ。さっそくやってみろ。華々しくナチ野郎の
登場だ。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-23
井上陽水『夢の中へ』
https://www.google.com/search?q=%E4%BA%95%E4%B8%8A%E9%99%BD%E6%B0%B4%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%8E%A2%E3%81%97%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B%E3%80%8D&rlz=1C1TKQJ_jaJP1068JP1068&sourceid=chrome&ie=UTF-8#fpstate=ive&vld=cid:5f7354b2,vid:zIxBzIgdPeE (Honesty)
2023-08-23
わかるんですけどね。人間てのはとくに若い時はそうですけど時代が変わって
今どきはいつまでたっても自分は他人とは違って特別な人間だと思いたがる傾向が消えない。
だからこんなニーチェの「この人を見よ」みたいな文体というかあるいはイエス・キリストの
伝記のような書き方によってじぶんを際立たせようとする。コメント欄の
僕は、お釈迦様が言ったような最低の人間かも知れません。
というのもそういう傾向性の反語です。
これは別に黒髪さんだけがそうじゃなくて自称詩人の方々の多くがそうです。
人とは違う存在。人とは違うオレ。人とは違う特別なわたし。そういうわたしの
自己実現というか自分探しをはじめる人たちが多い。
井上陽水の『夢の中へ』の歌詞「探しものは何ですか」じゃないですがそんなもの
探してみつかるわけがないのです。
他人の靴を履いてみて、その状態でその人の世界を追体験するのですね(村上春樹が言っていました)。
村上春樹みたいな似非作家がそんな追体験できるわけがないでしょ。またやりもしないことは彼の
日頃の発言をちゃんと洞察していれば明らかなことです。
だけどどういうことを発言すればあなたのような方々からウケるかだけはよく知悉している。
そういう愚劣な人間が集団となって今の世界の知識階級をかたちづくり今では文芸の分野を席巻している。
あなたもそういう一団に入りたがって結果もう入ってしまった人だ。
だから何をいっても無駄だろうし馬耳東風だろうからほんとうは無意味なことなんだけど
一応こういう態度ではいつまでたっても何もわからないよとだけ指摘しておきます。
詩文のほうはいかにもらしいけど読む人読めばすぐにスカスカであることは一目瞭然だと思います。 (Honesty)
2023-08-23
最終あたりの
見返りなんて殆どないのに、それでもまた今日も、心を千切って与える。
"無償の贈与"ということじゃなく現世利益を望みつつ神仏を拝むような姿勢かも
しれないけどこういうの面白いです。
見返りがあれば心を千切って与えたという満足感は半滅するのだろうか。
それともそこで互いに心の充足を覚えるのだろうか。
わたしもいっとき心もカネもすり減らして人助けをしたことがあるけど
たぶん二十年は寿命を縮めたかとも思われるほどひどい自己犠牲だったけど
唯一の矜持はそれを絶対にだれにも語らないし自慢しないというものだった。
もうずいぶんたつので今初めて自慢していますけど。笑
でもそのときはそういう矜持だけがじぶんの他者救済の無償の姿勢を支えていた。
自分語りになって申し訳ないけどそういうことを思い出させてくれました。
(あいかわらず)
2023-08-22
神などいないと知りながら
なぜか
彼岸の君は変わらないままなのか
それとも塩梅よく老いてきているのか
と書く矛盾。
ポエジーを感じたのはここらあたりだけかな。
なんの関係もない他人の家族の死に感激するには
作者にそれなりの腕力が必要で
この文章でもし感動したといえばウソになる。 (盆準備)
2023-08-22
追記
うーんと一連は一種のフェイトですね。
二 三連がキモなのですがこれは
一種の投稿サイト批判です。 (8月の風景から)
2023-08-22
あいかわらず「横目」に執着する方なんだなあと
ちょっと驚いてみています。
一連は現代詩としてはふつうに練れてます。
二 三連がくせものでわたしにはわからない。
わからないものはわからないけど作者はとにかく
「横目」を書きたかったのだけはわかる。
一種の横目フェチかな。 (8月の風景から)
2023-08-22
スペースの談話には関心がないのでこれからも聴く気はないつもりでしたが
三浦さんへの返信上仕方なくネット座談会をいやいや聴いてみました。頭が痛くなった。
一言でいうと世間も人生も人間もなにもかもわかっていないガキがわけのわからない
ことをわからないままに夢遊病患者のようにもぐもぐもそもそ語っているなという
もので無理して聴くのが拷問のように苦痛でした。いまも頭が痛いので頭をもんでます。
その話のなかにコメントする人を揶揄するような発言があったのでほんとうにがっかりしました。
コメントするやつはなにかじぶんでは得意げなつもりでも人からどう映っているかちっともわかってない
という主旨のものでしたがこんなこをいうやつにほんとうに腹の底から哀れみを覚えました。
人にどう映るかびくびく考えながらコメントなんかするくらなら人間やめるよ。ほんと。
真摯に作品にじぶんの考えを注ぎ込んでいるから作品のことしか考えてないから作者の気持ちも
考えていないし他人にどう映るかも考えていない。
そういうことを考えろというのならコメントなんかできないよ。ましてコメントしない「書ける人」を
褒めていいたがそれならもうコメント欄も閉鎖しろよ。ほんとひどい連中だ。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-22
なるほど好きな詩人のことを語る。それはいいことだと思います。
わたしも反対しません。ただですね
じゃあなぜひとりで語らないのですか?
つまりあなたが一人でネットラジオやってもいいし独演でもいいのだけどやるのは
大いに結構ですよ。わたしも久遠恭子さんの最近の詩が気に入っているから。
大いにやってもらいたい。それで久遠さんから苦情が来たら一緒に謝りましょう。
でも
多人数でそこにいない人間の名前を出すということは三浦さんがリスペクト
していようといまいと
そうでない人たちに向かってその人のことを丸投げすることなんですよ。
詩人を舐めるとか舐めないとかいう話じゃないしエチケットの話でもない。
個人で責任がとれないことなんです。
まあ自分がそういう目にあったことない人に何をいっても無駄でしょうかね。
現代詩フォーラムに登録してから全部女性の方々からですけどよくフォーラム内に
メールをもらいました。
これは当人たちにしか見えませんが一応二者間のはなしですからわたしは掲示板では
酷評した方のことについてであっても決して否定的な発言や悪口はいわないように
意識してきました。その方がどれほど苦情を訴えても悪口を語っても乗りませんでした。
そうすると肩透かし食らったような気になるのでしょうか一度二度でメールはたいがい
収まります。
掲示板では厳しい批判をしてもそこから離れればいっさいその投稿者の悪口はいわないことを
じぶんにいましめていましたが
おかしなことですよね、わたしに罵倒家だのなんだのという方に限って掲示板を離れたところで
悪口を言い回っている。わたしとは正反対です。
そういう方ばかりなんですよここは。それがいやなんですわたしは。
倫理というものが逆立している。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-22
なるほど好きな詩人のことを語る。それはいいことだと思います。
わたしも反対しません。ただですね
じゃあなぜひとりで語らないのですか?
つまりあなたが一人でネットラジオやってもいいし独演でもいいのだけどやるのは
大いに結構ですよ。わたしも久遠恭子さんの最近の詩が気に入っているから。
大いにやってもらいたい。それで久遠さんから苦情が来たら一緒に謝りましょう。
でも
多人数でそこにいない人間の名前を出すということは三浦さんがリスペクト
していようといまいと
そうでない人たちに向かってその人のことを丸投げすることなんですよ。
詩人を舐めるとか舐めないとかいう話じゃないしエチケットの話でもない。
個人で責任がとれないことなんです。
まあ自分がそういう目にあったことない人に何をいっても無駄でしょうかね。
現代詩フォーラムに登録してから全部女性の方々からですけどよくフォーラム内に
メールをもらいました。
これは当人たちにしか見えませんが一応二者間のはなしですからわたしは掲示板では
酷評した方のことについてであっても決して否定的な発言や悪口はいわないように
意識してきました。その方がどれほど苦情を訴えても悪口を語っても乗りませんでした。
そうすると肩透かし食らったような気になるのでしょうか一度二度でメールはたいがい
収まります。
掲示板では厳しい批判をしてもそこから離れればいっさいその投稿者の悪口はいわないことを
じぶんにいましめていましたが
おかしなことですよね、わたしに罵倒家だのなんだのという方に限って掲示板を離れたところで
悪口を言い回っている。わたしとは正反対です。
そういう方ばかりなんですよここは。それがいやなんですわたしは。
倫理というものが逆立している。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-22
詩の批評や評価というのは「謎解き」ではない。
そういう面も確かにあるけど多面体の詩の一つの面でしかない。
詩をトータルに評価するにはやはりじぶんもちゃんと詩を書いて
評価を受けなければいけない。
そうすると自分が至らない詩の他面を知らされる。
詩を書いてちゃんと公表してちゃんとじぶんの力量を思い知ることが出来ない人の批評など
わたしはいっさい信用しない。
(生き延びるために十九から音楽を食べている)
2023-08-22
スペースの談話には関心がないのでこれからも聴く気はないです。とはいえ
コメントからわかったことですがどうして「きょこち」さんの名前を出すの?
投稿板はあくまで投稿板の世界でしょ。スペースの談話に談話出席者以外の者の名前を出して
あれこれいうのは感心しない。彼女は現代詩フォーラムにていい感じのリズムでいい詩を
発表されている。読めばわかるが非常に繊細な感性をもった方です。そういう方の名前を
断りもなく出して雑談のさかなにするなどあまり感心しない。御本人の詩の投稿リズムなどが
壊れたりしたら責任もてるのですか。いったい何を考えているのかあなたがたは。
田中恭平氏にはこういうところがあって前にも注意を促したが相変わらずやっている。
これが許されるのならわたしがここの人たちの名前を出してそれをどこかで雑話して
いいということですか。
そういうことならこれから先わたしはバンバン書きますよ? いいのですかね。
というのは冗談ですが心配なのは名前を挙げられた方々の中に細心な感性で息をしている方も
いるということです。掲示板にて心いくまで批判するのならまだしも雑談のつまみにしちゃあ
いけませんよ。当人にどんな副作用があるかわからない。詩人ってのは繊細だから。そういうことよく
考えてほしいですね。
雑談なら出席間の話題に徹してほしい。人の名前を出してあれこれいうのなら公のスペースでやらないで
いただきたい。非常にたちが悪い。
(ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-22
内容はよくある世間話なので井戸端的な好奇心はあるけどそれは
通俗的な関心であって詩的な関心とは少しずれるので一旦脇に置きます。
そこでこの詩?を眺めてみると五七調の韻律で書かれている。
五七調の通俗的な韻律が内容とぴったり合っている。
それだけでなくこれは今の日本社会の退潮し劣化した情況 とくに日本人の
退化した精神状態にもぴったり合う。だからそういう人たちの意識と
共鳴する部分があるのではないかと思われました。
どこまでもどろどろへろへろに沈下していく日本人。それをへらへら笑って
みている自虐的かつ自殺的な日本人。そういうなんというか目がつぶれそうな
日本人の姿がこの詩ではなくこの詩の周辺を含めてまざまざと浮かび上がってきた
という意味では(という意味ではですよ)この詩ではなくこの詩をとりまく情況として
なかなかに興味深いものを感じさせてくれたと思います。 (友がみな われよりえらく なりました)
2023-08-22
思想的にいえばもう一段踏み込めよ もう一枚皮を剥がせよと
少しいらいらしながら読んでいたのだけど
最後の一行で少しほっとした。つまりこれで
前の文も最後の一行もほんとうであるということになる。
人間てのはそういう矛盾を含んだ存在だからそうこなくてはお話に
ならない。青年の主張コンクールじゃないのだから。 (だいじょうぶだー♪)
2023-08-22
このさいだからあえていわせて頂きますと
m.tasakiさんのそういう詩の評価の仕方というのは間違っていると思うのです。
これは他のみなさんも誤解しているようですが詩ってのは「何を書くか」じゃなく
「どう書くか」なんです。
もし「何を書くか」が大事なら評論でも作文で小説でも随筆でもいいんです。
「巧みな表現」と書かれていますがどこがどう巧みであったか言わないと上手くなりたい
方のためにならない。
ほんとうはどこがどう「巧み」であるか指摘できない。あなたが巧みだと感じているのは
じつは「どう書いたか」ではなく「何を書いたか」の部分なんです。
作者の人生観とかあなたのいうそういう人生観なんかより「どう表現されているか」が大事なんです。
予定調和的にシーランカスが出てきたりオウムガイが出てきたり すべて意図的でありきたりでしょ?
ということは作者がじつはつきつめて何も考えていないということを示しているんです。
すごく表層のところで筆を収めて考え抜いていない。
そういうものを褒めているとね そういうものしかここには出てこなくなるんです。
ほんとうに猛省をお願いしたいのですが まあおそらくこの必死の思いや願いも罵倒家とか
そういう憎悪のことばで反発され葬られるのかもしれませんが
ああどうすればいいのかな。無能なわたしには表現するすべはないけど
ほんとうに哀しいほどにみなさん何も考えていない。
(生き延びるために十九から音楽を食べている)
2023-08-21
どうして最後に本物を登場させないのか?
偽物はまあだいたいそんなものだろうとわかるが
本物はどうなのか。ここまで偽物をかいているから
わかっているのでしょう。
教えていただいきたいものだ。
(空言)
2023-08-21
わたしは三浦さんが天才詩人2さんのコメント欄でだれかを想定してあげていたような
「詩の読める人」でも「詩が巧い人でもない」でもないけど
あるレベルまでの現代詩ならなんとか読める。それ以上になるとまったくちんぷんかんぷんです。
だからといってそういうレベルの詩がいい詩とも思わないし思想的に上等とも思わないけど
この詩も正直わかりずらいのですがまあ詩といのはどうせわかりずらいから詩なんですが
この詩をさっと眺めてみたのですがまず
①詩は表現じゃないってことを言いたい ですね。
わたしもそうですが
小説や短歌やってたひとは現代詩書くときに詩は表現だと思って形容に力を
入れがちになる。この詩でいえば
燃え尽きてゆく家々は茜色に震え、凛々しく立ち上がったスカーレット......うんぬん。
冒頭からこういうのみると「あ、やってるな」と思うわけです。わたしもそうだったから。
過剰に表現しようとしてしまう。それが詩だ現代詩だと思いこんでいるから。
だけど表現してしまうともうその分詩興は遠ざかる。おそらく詩ってのは
表現としてはことばを削ることを追求したほうがいいような気がする。
この詩なら冒頭からどんどん削ってゆく。どこを削るか。
そこに書き手の感性やひらめきや経験や思想が生きる余地があるとおもうのです。
そして
② 小説のような説明書きはできるだけ必要最小限のほうがいいような気がします。
身体中が敏感に恐怖する。体形も体長も自閉の美学を優先に生きたい、......
こういうのみるとやっぱり「あ、やってるな」とおもう。
この一節はそのまんま小説の一行なわけです。小説の登場人物の行為や心理を説明しているだけなんです。
わたしも含め初心者の方の投稿にはこういう小説まがいが多い。
どうしてこうなるかというとじぶんが思念した通俗的で一般的な「みんな」の思考や感情を「みんな」に
知らしめようとするからです。
そうい通俗的で一般的な「みんな」の思念など知りたくもないしどーでもいいのです。そういうものに
わくわくもしないしドキドキもしないから詩を読もうとしたり書こうとしているのが詩人ですから。
と ここまで書いてこの詩を再度眺めてみると人生哲学というか世相心理学というかそういうものが詩風に書かれているのが最後の行分けのようなものじゃないかと。
永遠に続く
退屈な音楽を
聴き続ける
乳飲み子のように
満たされて
ここに少しほんの少しポエジーのようなものがあるかなしか流れているような感じがします。
どうしてかというと初めて作者の実感のようなものがウソ(詩っぽい表現)抜きに語られ
ているような気がするからです。
つまりその作者に実感というものがあると自然にというか必然的にことばは読み手を裏切る。
乳飲み子が永遠に続く音楽に満たされているのならそれは「退屈」なものではないはずなのに書き手は「退屈」とかいている。おそらく作者にはそれほど深い考えがあったのではなく永遠だから退屈だという"=カテゴリー"が浮かんだのでしょう。でも読み手のわたしとしてはここに「おや?」と少しばかりの風を感じる。この風というか抵抗というかそういうものがポエジーのかたわれのようなものじゃないでしょうか。
そうすると
燃え尽きてゆく家々は茜色に震え、
よりも
燃え尽きてゆく家々は水色に震え、
のほうがいいわけです。
いや燃えているんだから赤だろ。そしてこれは夕焼けのあの茜色にかぶせてるんだよ。
どうだ詩的じゃないか。そう反発されるでしょうが......まあ水色はやりすぎにしても
そこはとどまるのが詩人というものじゃないでしょうかね。
三浦さんなんかも含めてここに投稿される方々は詩の批評というものをどう考えておられるのか知りませんが
今ここで持ち上げられている批評の達人?さんがたの詩評は詩評になっていない。しかしなぜか評価されている方々がいる。それは詩もそうです。
あのねえみなさんほんとうにちゃんとじぶんの眼で自分の頭で自分の経験で詩というものをちゃんと評価できるようになりましょう。
わたしの尊敬する吉本隆明はさまざまな場所で何度も断言しているのですが詩に才能なんか関係ない。どんな人でも10年やれば詩人としてプロになれると。
最初はウソだろと思っていたのですがどうやらそうじゃないみたいです。でもいまのままここのサイトの批評をいい批評だと思い込んでいたり
ここのサイトの例の投稿する前に投稿者を罵倒するタコだかイカだかのあのようなものを尊敬する人が大勢いるようじゃ永遠に
素人のだれもまともな人は見向きもしないサイトに成り果てる可能性がありますね。
まずはじぶんの感性や既成概念を疑ることが最初の一歩じゃないでしょうか。 (生き延びるために十九から音楽を食べている)
2023-08-21
わたしは運営の方々の内部事情やそれぞれの権限については
まったく知りませんので憶測でしかものをいえませんが
わたしがコメントを投稿した直後にコメントが削除され
クラックキングが起きております。
あるいはコメントを投稿してすぐにクラッキングが起きて
回復すると消えてたという言い方のほうが正確かもしれません。
しかし内部事情を知らないのでとっさに疑わざるを得ませんでした。
過去から連綿と続く運営経験者や運営関係者あるいは現運営のだれかが自在に
投稿者のコメントを消すようなことが仮に万が一でも可能であったと
するならルール重視モラル重視のこのサイトにおいて嘆かわしいことです。
まさかとは思いますが万が一そのようなことがあったのなら
このサイトの信用は地に堕ちかねません。
運営にとっては一番大切なことじゃないでしょうか。 (ビーレビがハッキングされた件について)
2023-08-20
わたしは真宗だけでなく宗教全般にまったく関心も興味もないけど
親鸞の「悪人正機説」ほんの少しは知ってます。
ただあなたの親鸞の読み込みはわたしからみると非常に薄っぺらいですよ。
たとえば「悪人」という言葉ひとつとっても鎌倉時代に「悪人」という言葉がどういう風に
使われていたとか考察したことありますか?
鎌倉時代に「悪人」というのは時代の曲がり角にあって次々とじぶんたちの
これまでの安住していた地位などを失って浮浪放浪の身に落ちた人たちやあるいは
差別的なあつかいを受けていた人々を意味する言葉として一般的に使用されていた
という説が大勢をしめているんです。
それから非人間的な悪行をなすものももちろん指している。親鸞の場合はみずからを
非人間的な悪行をなす罪深い存在であると規定していたらか当人はほんとうに後者の意味での
「悪人」と考えていたといっていいでしょう。でも他者においては当時「屠沽(とこ)の下類(げるい)」
と呼ばれた人々のことを考えていたとも思われるんです。
いずれにせよ親鸞の仏教思想では善人だろうと悪人だろうとすべて救われるんですよ。
悪人だから救われる。善人だから救われないなんて解釈はデタラメもいいところです。
善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
「善人すら救われるのだからまして悪人が救われないことがあろうか」
こういってるのに悪人も善人もないわけです。たしかに善人をバカにしてますが。
善人というのを今の知識人 悪人というのを今の一般大衆庶民と考えれば
親鸞が当時から知識人というものの愚かさを知悉していたということで知識人をバカにして当然でしょう。
詩人てのは本来いや詩人でなくとも"知性の誠実さ"あるいは”誠実な知性”というものは常に
あなたがいうところの"ばさら"のようなものとして否定されるのが大昔からの常なんです。
そもそも親鸞が信仰していた阿弥陀如来というのは法蔵菩薩が四十八願を成就して
その結果阿弥陀如来になった伝説の如来仏です。
すべての人々が仏になるまでわたしは最後まで仏にならないといって立てた願いが成就して
法蔵菩薩が阿弥陀如来になったのだからつまりは悪人も善人もぜーんぶ浄土へいって
仏になっているということを意味します。おとぎ話ですが一種の説話でしょう。
つまり人はみな何もしなくともそのままで救われるという真宗の教えの源にこれがある。
それから
善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
なんでこんな遠回しの表現をせざるを得なかったかという問題もある。ずばり
"善人より悪人のほうが偉い"といえばよかった。もちろんこの場合の「偉い」とは宗教的な
悟りに出会える契機の有無のことをいっているのことくらいはおわかりでしょう。
どうしてこんなまわりくどい表現を使ったかというと浄土宗門徒への建永の法難があります。
興福寺奏状というのがきっかけで浄土宗弾圧がはじまり親鸞は越後に流罪となるのですが
勅免の宣旨が下ってからは教えを説くさいの表現にもの凄く用心が必要になった。
それがこんな独特の味のある表現法を生んだといってもいい。
表現弾圧があると逆に表現の技法は進化するもので親鸞は迂回的な表現を好んで使うようになった。
越後流罪中の親鸞は非僧非俗のまま北陸の各地で独特の教えを説いて回るのですがもうこのころは
完全に浄土宗から離れて自らの仏教思想をかたちづくっている。これをして法然は一言こう書いている。
北陸の一の狂のもの
宗教だけでなく文学だってそうですよ。詩人だってほんものは"一の狂のもの"です。それにはね中途半端な上っ面の
勉強だけで真宗がわかったようなことは書かないほうがいいんですよ。ある程度勉強してから書いてもらわないとわたしなど素人であってもバカバカしくて読めない。
親鸞にしろ、ばさらにしろ、なんかもう飽きちゃったというのか。
ってわたしからみると飽きるほどなにも知らないし勉強もしてないじゃない。いつも表層をさっとかすめあちこち食い散らしているだけだ。そして飽きたという。
そういう軽薄さというのが今の人の傾向だけどそういう軽さでものごとにかかわるとそりゃ飽きますよ。
わかった気になるから。わからないことがないから飽きるんです。
わたしは浄土真宗に興味も関心もないしそもそも宗教にはなんであれ魅力を感じないけどそれでもやはり
もし勉強するとすればとほうもなく巨大なものだから一生かかってもなにもいえないとおもうけどね。
あのねえわたしがばさらでも悪党でも一の狂のものでもなんでもいいけど
かれらがあなたたちのような方々から後ろ指をさされて笑われていてもIntellectual Honestyだけはだれよりももっていたということは否定できない。いまどき
Intellectual Honestyなんかもっている人はどこを見回してみてもいないわけだ。思っていることを隠さすに
正直に話せば必ず流罪になる。テレビで気候温暖化ってほんとうかどうかわかりませんよといっただけで
13本ものレギュラー番組への出演がゼロになった吉本の芸人がいる。今の世の中ぜったいに本当のことは言えない。そういう
時代世紀に入っている。そんなときに本当のことをいえばそりゃあ 一の狂のもの といわれます。あなたのようにあまり知らないことでもわかったようにいってすいすい泳いでいけば一番いい。
でもね親鸞て人は結局吉本隆明も『親鸞和讃』で歌っているように「少し頭の弱い愚かな人だった」と。そういう愚かで頭の少し弱い人だったんです。だからできた。
でもねそういう人が必要なんですよ今の時代は。それがあなたが飽きたという人々のことなんです。 (私がいない、私達の、そして誰のものでもなかった、者達の、共同体への、)
2023-08-18
俺の才能と、お前らの才能、
どっちが、よりクズか
勝負しようじゃないか、
まだこんな愚劣で幼稚なことをいってるのか。
この発言がどれほど思考停止でどれほど腰の重い発言かいまだに
わからないようだな。
投稿するときにいちいち他の投稿者をクズ扱いしてからでないと
不安でしょうがないほど実はじぶんに自信がなくてノミの心臓の持ち主であることは
もうバレバレであるのに
いつまでこんな精神の退化したところに居座るのか。
そしてどこまでいっても「この私」「このおれ」「このぼく」だ。
それにしか関心がない。この地球上のほんのゴミカスのような
せまぁ~いせまぁ~いもっとせまぁ~いさらにせまぁ~いその上まだせまぁ~い
そういう非常に小さな微小な集団数十人以下のなかでしかやっと己の矮小な才能意識が
認めてもらえないからそこにしがみつく。
現代詩フォーラムなんかに投稿してもとうぜん無視されるからクズのプライドがゆるさない。
ほんとうに情けないけど一日中どういうことに全神経をついやしているかというと
驚いたことにおたくはそのことだけだ。そのことだけのために詩を書き神経をついやしている。
もうさあ衒学的なちらしは結構だからちゃんと詩を書けよ。おまえのことなんかどうでもいいんだよ
読者は。どうせクズなんだから。いくら厚化粧してもここ以外ではだれもおまえのおれおれ詩なんか
読まないよ。
批評なんてものは、高等教育と権力や権威の産物でしかないのであって、
素人集団のネット詩でそれが成立するとは思えない、
そんなバカなことがあるか。それはお前が批評がなんであるかわかってないからだ。
デリダやフーコーなどの偉大な哲学者の緻密で重厚な知識と読解が
ある世界で、なぜわざわざ批評なんて書かなければならないのか、
そもそもおまえが批評なんか書けるわけもないし書けてないことくらいわからないのか。
デリダやフーコ? かれらはお前じゃなく他人じゃないか。おまえの批評はおまえだけの批評だ。
おれはいつだってデリダでもフーコでも対一なら堂々と対峙できる。キチガイじみた用語抜きなら。
おれがやつらのキチガイじみた用語に入る必要はないし かれらもおれの土俵に入らないでいい。
一般的な現象の世界について日常語で話せばむしろかれらの幼稚さや世間しらずや世界観の未熟が
さらされるはずと確信している。
そうでなければここまで世界がおかしくなっていないだろ。知の狂気の世紀に向かってなにをぼけた
こといってるんだよ。全否定するならまだしもそれでもおまえは詩人か。
おまえそれほどのことすらわからずやたら既存の個人を崇拝する時点で終わってるんだよ。
もうさあガキじゃないんだろ? いい歳なんだろ? いい加減にこんな鳥かごで虚勢を張るのやめて
大空にみずからを解き放てよ。そんな自信も勇気も才能もないからいつまでもこんなところに
死ぬまでしがみつくしかないのはよくわかってるよ。
ほんとうのクズとはおまえのことだ。前におまえに似た投稿者には今後いっさいコメントしないと
したが初見のハンドルのおまえも今後いっさい相手にしないからな。一度相手にしてもらえたことをありがたくおもえ。 (私がいない、私達の、そして誰のものでもなかった、者達の、共同体への、)
2023-08-17
ガキの演説なんか聴く気もないし聴いてもいないが
新運営の顔ぶれを見て「ひでえもんだな」と思った。
こんな悲惨な連中で学芸会でもやるのか。踊るのか知らないが。
まずどなたもこなたも運営をできるだけの精神的な成長がなっていないのに
どうしてこの先詩の投稿サイトなんかできるのか。
だれが見たってどこから見たって程度の悪いガキが集まって
投稿者そっちのけで
たんに「オレを見ろ」「オレたちをみろ」といってるだけであることは
一目瞭然。
まあ長くは続かないサイトだから動物園を観察するみたいに
ときどき開いておもしろおかしい生態の観察だけは
続けていこうとおもう。 (ビーレビュー運営就任の挨拶)
2023-08-16
的を射た矢ならわたしが抜いてあなたに手渡ししますが
外した矢はじぶんで拾うのが世の習わしだとおもいます。
「喧嘩を売る」だのなんだのわけのわからない話にはのれません。
もう少しですねちゃんと文章読解を勉強して下さい。
それしか今のところいえません。
(なんで貴方たちの詩をまともに読まなければいけないのか?)
2023-08-15
いやですからねそういう議論自体どうでもいいことなんですよ。
老害がどうしたこうした。つまらんでしょ。どうしてそこに目がいくのか
まったくわたしなど目がテンになるわけです。だって詩作にかんけーねーでしょ。
そんなことを云々していることじたいがまったく無意味でしょ。
何で老害は同じような論調でしかでしかもの言わないのかなという単純な疑問そんなことは
詩作にはどーーでもいいことなんです。そんなのはただの井戸端論議つまり世間話でしょ。
"書けない人を書かせるのにそんな机上の論理だけでいいのか?っていう。"
書けない人を書かせるなんていうだいそれたことを考える前にちゃんとまともな詩を書いてみせて
下さいな。それだけのことじゃないの? (見下して読んではいけないのか)
2023-08-15
これはひとつの提言ですがあのね もうさあ いたずらに褒め合うのやめましょうよ。
せめてここが表題どおりのサイトなら。もっと問題意識を出し合いましょうよ。
既存のものをそのまま無批判に受け入れるのじゃなく必ずなんらかの問題意識をひとつそこで
持ちましょうよ。
そうでないとたんにあたたかく互いに褒め合うサイトというのは腐りますよ。腐敗します。
ずぶずぶどろどろになってます。そうじゃなくもっと精神や感性がわくわくするサイトにしましょうよ。
この朗読についていうならば
まず詩の朗読ってなんなのかというせめて最小限の問題意識もって語り合いましょうよ。
以下はひとつの見本と思って下さい。
まず詩の朗読ってこれを聴いて思ったのは「化粧」することであるのだなということ。
化粧(たとえば口紅)というのは本人の身体の一部じゃなく完全な他のものですよね。
だから朗読に音楽を付けるということはもうそこで生の詩を殺して「化粧」していることになる。
断っておきますがそのことの当否や善悪や真偽を問題にしてませんからね。
そうではなく朗読における「化粧」はどこまで許されるのかというのがひとつの問題意識として
ふっと出てくるわけです。これは別に何かの本を読んだわけでもだれかの思想や意見でもない。
ふつうに向上心と問題意識があれば必ず出てくる問いだとわたし個人は思っています。
こういう問いが人それぞれ出揃ったらどれほどわくわくする知的興奮に満ちた空間になるのかと
思うわけです。
そこでたとえば朗読という詩の「化粧」を極小から極大の範囲で考えてみるとこの朗読は
「厚化粧」なわけです。極端な厚化粧というわけじゃない。
もう詩の朗読なんてのはある意味もとの詩が原型をとどめなくてもいいわけです。
極端な話この朗読は最初に音楽が流れますが最初から最後まで音楽でもいいわけです。これが
「化粧」の最大化です。なぜこれでも詩の朗読が成り立つかというと要は朗読とは加工ですから
フランス料理みたいにね最終的には材料の原型も色も香りもとどめなくても材料の持ち味さえだぜばいい。
ときにはキムチみたいに持ち味全部消して辛味とその興奮だけで成り立つ食材もある。
──とここまで書いて こういう話あまりおもしろくないでしょ? わたしは面白いのですが褒めることと
褒められることで成り立つサイトなら面白くないと思います。
わたしの知っている高学歴で知性の高い人たちってのはみなわたしに会いたがる。話が意表をついて
面白いからです。そこに知的興奮を覚える。一方学歴のないわたしはヒントを出してあとは知的な
人たちの構築や解釈を愉しむということが多い。
でもそういう愉しさ面白さがネット掲示板にはない。最初から定まったことを定まったとおりに
儀式する。それを否定すればわけのわからないやつが「喧嘩を売っている」という。そうじゃないのだよ。
いま
朗読についてわくわくするような思索をここに展開してもおそらくうっせえなで終わると思われるから
展開をやめたが.......ひとつだけ。もうさあ、ここが玄関に掲げている現代最高の詩や批評のうんぬんというなら
褒め合うだけのサイトは一旦やめて必ず問題意識をひとつ出し合うサイトにしましょうよ。
そうでないとほんとに新しい才能は寄り付きませんよ?
(星月夜 朗読)
2023-08-15
どうせ読んでもどうせつまらないだろうな
程度の低い視野の狭いことを語り合っているのだろうな
と思って読まないつもりだったのですがもしかしたらひょっとするとすこしは
わくわくどきどきするようなことが語られているかもしれないと思って開いてみたら......
やっぱり予想通りでそうとうにがっかりしました。まあこれが現実でしょう。
もの凄く頭が悪いというか想像力が皆無というかそいういうことをたとえばイカイカ氏がよくいう「老害」
「年寄り」という話ひととっても
それ実年齢のことを言ってるのならもう阿呆としかいいようがないわけですよ。
投稿者の実年齢じゃなく作品がどれほど現在に対して問題意識を持ち言葉が先端化しているかだけが
「老害」か否かの問題であって実年齢なんかをもし妬みではなくほんとうに非難していってるのだとしたらもうそいう人は詩なんかにかかわるなよといいたい。
ニワトリってのは羽があるのに空を飛べないのはあれは時代がたつにつれて飛ぶ能力が退化したからだ。
つまり家畜化されたからだがそれを進化と呼ぶのか退化と呼ぶのか。
退化する前の古いニワトリに向かって家畜化されたニワトリが「老害」といったって笑い話でしかない。
わたしにいわせれば今の若い投稿者の詩ってのはもの凄く退化しているわけだよ。相手にもしたくないほど家畜化されて古い。それは戦後の教育のせいもあるだろうけど時間をかけて問題意識をもてないようにされてしまった。
問の正解さえ求めればいいという教育でみずから問題意識を持つみずみずしい能力を退化させた。
つまり正解があればこそそこから新たな問題意識が生じるはずでそこではじめて人間のほんとうの面白さがはじまるのにそれができないようになっている。だからみてごらん
今の東大出なんてほとんどサイコか低能か異常者かという連中ばかりだ。
現代詩フォーラムのトップ10なんかもひどいもので若い人かどうかしらないけど問題意識が欠如した
老人の舞台中継をみている感じでどきどきもわくわくもない。なにかこう実父の死を濡らして書けば
すぐにイイネがはいるような世界。あるいはわたしこんなに善人なのってなにか強調する出来事を綴れば
イイネが入る。それってもうほとんどNHK朝ドラの世界で詩でもなんでもない。
そういうことを指して「老害」とか「老人」とかいいうのならいいけどイカイカ氏のように実年齢が
高いひとがいることをバカにしているのならこういう人間てのはどういう神経をして詩人と自称しているのか
まったく理解できない。詩を書く前にまず人間として一人前の精神的な最低限の発育をまっとうしろよ
といいたのだよね。だからイカイカ氏の書く詩はまったく進歩がない。それは自分への問題意識が完璧に
欠如しているからだ。そういう人がいっぱい集まるところが投稿板なんですよ。からときには厳しい
批判も必要なわけだけど問題意識がなければ当然だれだって批判されると怒るわけ。
つまり腹が立つんだよね。もし問題意識や向上心があれば考えてみようとするわけだ。あるいは人間の最大の美徳である謙虚さがあればひょっとしたらおれが間違っているかもと考えるわけだ。しかしそういうのがほとんど皆無の世界なんだよ今の投稿板ってのは。
知識の断片をまるで学校のノートを出すみたい広げる。たとえば「親鸞」なら「親鸞」を書くのは
結構だけど「歎異抄」ってのは親鸞が書いたものでないことすら注意深く押さえてない。これはもっとも大事なことなんだよけどね。「歎異抄」が口伝ということは世界的な意味をもつ。世界の聖典「聖書」でも「仏典」でも「コーラン」でもそうだけどそういう世界性をもつものはすべて「口伝」であって当人が書いたものじゃないんです。そのことの意味すら探ろうとしないで知識の断片を並べるような通俗的な投稿を平気でする。そういう人たちってのがわたしには信じられないんです。幼稚園や小学生じゃあるまいしと思ってしまう。
そしてそういう人たちが詩を読む時の特徴として詩を太い線で読まない。なにかこう細部の細部を取り上げてここがどうだこうだとかここがこうだああだとか。もうなんというかいい加減にしろよ。人間をバラバラにしてなにがどうなるのだ。まずは全身をみろといいたいのだけどね。そういう批評がみられない。
三浦さんが面白いことを書いているけど
詩が好きな若者はみんな既存の詩誌や既定路線で無難に「計算して」快楽を走ればいいと.....
これはそのとおりで「問題意識」で詩を書くのじゃなく「計算」で詩を書いている。計算高い詩ばかりだ。
学校で優等を取りたがっている。現代詩フォーラムのトップ10なんかみなそういうつまらない詩ばかりだ。
そうじゃなくてね詩の投稿板ってはどういうフィールドであるか今一度みなさんに考えてもらいたいわけ。
採点者の目が厳しく光っている真剣勝負の舞台なのかそれともあらゆる可能性を試し 自由に無限にかってなことができる意識と思考の実験場なのかということを。
ネット上の詩の投稿板というのは当然後者だと思う。だからそこには問題意識が満ちていつもわくわくどきどきの空間であってほしいのだがそれにはまず自分をいつも疑えよ。むつかしいことだから人さまに言えた身分じゃないけどネット投稿板というのは優良をもらうために受験勉強するような学校じゃないてことだけはわきまえてほしいものですね。
(見下して読んではいけないのか)
2023-08-14
たとえば
"今一番したいことは、これから先、一生口を噤んでいていいと言われることだ、と思う。"
という一節を読むとすぐにこちら側の意識がある種の混乱に誘われる。
それは表現のなかに
したいことは(→自動的な意思)=言われることだ(→他動的な命令)
という自他の意識の混在があるからで
ふつうならここは「されたいことは」「◯◯されることだ」あるいは
「したいことは」「〇〇することだ」でなければおかしい。
単なる「てにをわ」のミスかもしれないがこの意識の混濁が一種の落ち着きの悪さ読者に与える。
せっかちかもしれませんがいつもならここでわたし個人としては読むのをやめる。
でもこのことをちょっと考えてみたい気にならないわけでもない。
この小説の特徴のもうひとつは
通俗的な口語話体と冒頭のような妙に文語的な書き言葉が分在していることにあるような気がする。
そしてその切替があまり自然とも思われないし実際には表見上のことだけなのかもしれない。
作者は関西弁の口語話体に一番安心感をもちそこに意識的な安住を見出していることは
そのなめらかな筆はこびから感じられるのだけどそれなら
どうして冒頭一章のような文語的な書き方が出てくるのか?
ちょっと現代詩風でかっこいいからなのかな。
でもよくみるとそこにも大阪周辺の世話物浄瑠璃のような通俗的な感性や感情の
発露がひそんでいる。
ここでもやはり背広を着て下駄を履いている人みたいなちぐはぐさを感じる。
山のどこかに死体が埋まっているという小話は梶井基次郎
桜の樹の下には屍体が埋まっているをすぐに想起させるので
申し訳ないですがそれらに斟酌はできない。これらはあくまでも上方風世話物の
通俗的感性を語るための小細工的背景のようなものにおもわれる。
ラストは新国劇の見せ場のようでなにやら忠次が大見得を切って下町の観客から
喝采を浴びている一コマが浮かんできた。
いやこうやって書いてみるとこの作品はそれほど悪くはない。
大衆浴場の湯船に描かれた富士山や五条の橋のような独特の面白さがある。
へんにインテリに近づかないでいられたらこのネット投稿板特有の独創的な
絵はそれなりの価値をもつかもしれない。
(花鉢)
2023-08-13
詩による自己批評ということでしょうか。 (体を剪定する)
2023-08-12
これはだれに対して反論でも返答でもコメントでもなく一般論ですが
運営が新しくなるということは別サイトになるということだ。
オーナーが同じならそれは運営が変わったとはいえない。そういう詐欺みたいなことを
して運営がいつまでも表に出てくるのは不愉快。投稿サイトというより
真の運営者オーナーの遊び場だ。いつまでそんな愚劣なことを愉しんで投稿者を無視するのか。
運営が変わるのか変わらないのか。変わればそれは別サイトだ。
一度だって運営に加わったことのない御仁に限っていつも不服ばかり言っている。
こういうのもうやめてはどうか。 (コーリャさんへのレッドカードを提案させて下さい(フォーラム投稿です))
2023-08-05
マナーガイドラインは運営が決める。
それだけのことだ。渡辺八畳さまも運営として当然あたりまえの
提案をしただけ。コーリャさまも運営として当然あたりまえの意見をいってるだけ。
それだけのことだ。 (コーリャさんへのレッドカードを提案させて下さい(フォーラム投稿です))
2023-08-05
あえて正直ほんとうのことをいわせていただきますが
これは作品(と書き手)へのコメントであって作者さまへの言いがかりではないことを
最初にお断り申し上げておきます。
文体もありきたりだし
ましていかにもありきたりな倫理を装った思想もありきたりであると
思いました。脚が地についていない。
書き手のためにもあえていわせていただきますがこんなものを褒める人間の
いうことを真に受けていたらあなたの人生にとって一生の不覚になりますよ。
こういうファンタジーはたしかに素人の詩人もどきには受けがいいでしょう。
だけどあなたがなにかほんとうに大事なことがあるのなら
まずは足もとで起きている人殺しをやめさせることしかない。ほれ足もとで
邪悪な人殺しが起きているでしょう。それに対してなんにもしないでいるなら
何を書いても無意味ですよ。
一言これは作者さまへですが書けないやつから書けるといわれてよろこんでおられるのを
みると純粋でおおらかで無邪気で素朴な心持ちに拍手を送りたくなりました。
(私たちもこのロスト・ハイウェイの先を急ぐ)
2023-07-27
m.tasakiさま
ABさんがほんとうに真面目に提案しているのなら
ほにゃらら
ほにゃらり
ほにゃられ
ほにゃれろ
-------
というひとを小馬鹿にしたような文言は必要なかったはずです。
破線で十分です。
ABくんになんらかの意図があったかなかったはもちろん他人の心の中を伺えませんが
わたしは真剣だからこそいろいろと提案したりしています。
こんなコメントにありがとうというのならわたしはどうも申し訳ないことを
したように感じますのできっぱり連詩からは外していただきます。
連詩を求め真面目にそれに加わるものがいればちゃんとその人間を守るべきでしょ。
これはあきらかに不快なコメントですよわたしにとっては。
ほにゃらら
ほにゃらり
ほにゃられ
ほにゃれろ
-------
なんていうコメントにはきっっと注意すべきじゃないですか。
ひとになにかを求めるのならそれなりの筋の通った姿勢であって
いただきたいものです。
もうしわけないですがわたしのこの詩は
ほにゃらら
ほにゃらり
ほにゃられ
ほにゃれろ
-------
の類じゃないです。こういうコメントに感謝をするようなら
きっぱりお断りします。
(郷愁の視線 (連詩の試み))
2023-07-24
訂正
そこでさらに訂正申し訳ないですが
わたしは内容や技巧より語順を何より大切にするものですから
いかのように四行を組んでいただきたくお願い申し上げます。
わくらば二つ空中ブランコを演じ
真夏が光る
濁流のメニエールの渦のなかにひとつまみの鹵をほる
きょうも道に迷い透明人間に挨拶をして見ぬふりをする人々の注視の中
老人はいつまでも探しもとめる郷愁という名のひとを
(郷愁の視線 (連詩の試み))
2023-07-23
そうですか。連詩は初めてでなんですが正直
机の前にすわってたまたまこの連詩要請をみて失礼ながら元の詩があまりにも
地味だから(ごめん)おれならこう書くというふうにやってみたのですが
違和感あるでしょうが採用いただきありがとうございます。 (郷愁の視線 (連詩の試み))
2023-07-23
あまり深く考えずに机の前に座って数分で書いたものです。
現代詩風に飛躍の多いイメージで書いたので面食らわれたでしょう。
こういうのは目を瞑っていてもさらさらと書けるのですが
これまではずっと抑えていました。しかしもうそろそろ爆発させて
いこうと思います。
これはちょっよ改変して『郷愁』というタイトルで現代詩フォーラムに
投稿しようと考えています。もしそれは困るというのでしたら
この参加詩ははねのけてください。失礼しました。 (郷愁の視線 (連詩の試み))
2023-07-23
わくらば二つ空中ブランコを演じ真夏が光る
濁流のメニエールの渦のなかにひとつまみの鹵をほる
きょうも道に迷い透明人間に挨拶をして見ぬふりをする人々の
注視の中老人はいつまでも探しもとめる郷愁というひとを
(郷愁の視線 (連詩の試み))
2023-07-23
お互い"結果を出すこと"はまあ二の次でいいじゃないですか。
そんなことよりも言うべきことを言わなかったほうが後悔が残りますし
問うべきことを問わなかったほうが未練が残ります。
そういう意味ではこれも立派な詩ですよ。
これだけコメントがついたのだからなにかが生まれたのは間違いないでしょうね。
いやだとぼくは
いやだと ぼくは叫べば よかった
なぜだと ぼくは問えば よかった
入沢康夫『いやだと ぼくは』
今朝たまたま分厚い入沢康夫の全集本を開くとこんな詩でした。
(カード発行してくださいよ。)
2023-07-23
yamabitoさまの作品にしては実存系?
の心模様がこもった詩だなと思っていました。
背景に苦悩があるのでしょうがぱっとみて驚いたことに
色鮮やかな印象派のモネの『水仙』が浮かび上がってきました。
漂っているのか漂っているようにみえるのかそのあたりの定かではない
描写の仕方にいろいろと評価がわかれるところでしょうが
わたしはこれはなかなかのものだとおもいました。
(漂っている)
2023-07-23
朝からどうもすみません。
了解いたしました。 (輝きは祈りのなか)
2023-07-23
眞嶋くん
おれあてにもうコメントするなといったのにしつこいねえ。
しかも運営批判まで。おれだけ批判していればいいだろうに。
おれは二度カードもらったけど現運営は立派だったと思っている。
それを間際にからかうなど不謹慎だよ。おれは次の運営集団にかわったら
たぶんもうあまり顔をみせないとおもう。(だれかさんのようにコピペしておけよ)
いまの生真面目な運営だから安心して投稿できた。
こんなコメントの場にわざわざ「いただきます」などと大仰な作法をみせつけたのだから
最後まで人間としてもまともな作法をみせてはどうだ。
(輝きは祈りのなか)
2023-07-23
追記
眞島脈博くん 一方的で陰湿な反論を読み返してみると
しきりにエビデンス エビデンスとしつこくからんでいるようだが
短歌好きの東大教授が短歌の音数律をPCで解析し.....と書いた時点であああの本だなと
わかる人にはすぐにピンとくるはず。有名な本だから多くの人は知っているだろうから
あえて書かなかった。
きみが知らないのならそのうちなにかの機会で知るだろう。
陰湿にからんでくるきみにいちいちエビデンスを示す義務もないので
これで失礼するよ。不快だからもう二度とおれにはからまないでくれよ。
以上。 (輝きは祈りのなか)
2023-07-22
眞島脈博さん
いいたいことはわかるのだけど......それでわたしにどうして欲しいの?
鷹枕可さんへも返信するなということかな?
確かに中田さんの今後の「投稿」にはこれからはコメントしないと書いたが
せっかくわたし宛に鷹枕可さんがコメントしてくれているのだからいいじゃないか。
よそからきて投稿もせず横から陰口専門の御仁が見苦しいヒステリィ起こすなよ。
これくらいのことでいちいちつっかかるようじゃ「いただけません」よ。
は。は。 (輝きは祈りのなか)
2023-07-22
>定型を考えることとは、私のなかでは。天皇制の亡霊と膝を突き合わせることなのでございます。
これはまあそういうことだと思うし意義のある姿勢だと思います。
教科書的なあるいは知識的な返信ならコメントするつもりはなかったのですが思想的なことを
仰ったので付け加えますと。
日本の天皇勢力は大和の気圏に突然到来してそれまで日本に土着していた何十何百という小豪族
を次々に征服していったのですけどその統治の仕方は独特であったといわれています。
つまり西欧のようにあるいはモンゴルや中国のように相手を滅ぼすようなことはしないで
それを包み込んで
その小豪族たちや小王国の文化や習俗やらを我が文化として全部取り入れていったのです。
まるでジブリのアニメ「千と千尋の神隠し」のカオナシのように。
そうするとどういうことが起こるかというと他所からやってきたのにまるで日本に太古から存在していた
おおもとの王権のように振る舞えるしそのように見えてしまう。非常に巧妙なやり方です。
近畿の気圏から最終的には蝦夷地の手前くらいまで征服していったといわれていますが
こういうやり方でどんどん膨らんでいく。
そうするとこれはある意味外来の征服王権ではなくそのなかに太古の日本人たちの習俗や
文化やらが取り入れられているから天皇家は万世一系であるといえてしまう。
まったくもって狡知に長けたしかも平和的といえば平和的な征服王権だったといえます。
そこでアホなことに
王権によって強制された
短歌こそが日の本の、本流本元の詩文学だぜというひとが出てくることになる。
わたしはとうぜん小野十三郎の詩論は読んでます。小野十三郎が開いた文学学校で詩を
学びあそこは三段階あるのですが最後のクラスまでいって歴程の詩人たちと合評もして
きましたから小野十三郎のことをしらなきゃウソになる。ただ小野がいろいろ言ってますけど
どうして短歌が嫌いなのかはやはり自分でもその感情の由来はわからないといってます。
わたしはたぶん短歌でもなんでもいいのですけどようするに57577という音数律に反応したのだと
思っているんです。これはあきらかに新興王権おそらく今の天皇家の当時の王権
による押し付けであった。
だから奴隷の韻律と小野が感じたその無意識の背景を語ってみたのです。 (輝きは祈りのなか)
2023-07-22
>短歌こそが日の本の、本流本元の詩文学だぜ。
そういうファンタジーを信じるのはきみのかってだが科学的かつ歴史的にはそうじゃないよ。
短歌と和歌は違うものだがその区別もしないきみにあわせて和歌だけでなく長歌・旋頭歌・仏足石歌
それから沖縄の古謡もあわせてここではあえて”短歌”と総称してもいいが
ある"短歌"好きの東大教授が日本の古代からの"短歌"をすべて研究用パソコンにかけて
音数律の相違を統計にとったところ飛鳥時代に57577の音数律に断絶があることがわかった。
つまり突然この音数律の”短歌”形式が日本の歌の歴史のなかにねじ込むように出現していることが
統計図から明らかになったんだ。
ふつうはすこしずつこの音数の形式が広まっていくものだがそうじゃなく意図的政治的制度的に
この音数律が飛鳥時代に突然出現して貴族たちに強要されている。
これにはいろいろな説や憶測があってなかでも聖徳太子の出現と関連して半島からやってきた王権
勢力が無理に古来の権力層にねじ込んだのじゃないかというものもある。
いずれにせよこの音数律の強制と強要は飛鳥時代の政権によって貴族におしつけられたものだ。
ではそれ以前の日本のほんとうの土着の歌(たとえば沖縄の古謡などはどんなものであったか。
音数律によるものではなく西欧のたとえばシェイクスピアのような「弱強五歩格」がいい例だが
音声の強弱によってリズムをつけるものだった。
https://www.youtube.com/watch?v=MqNP7SdMcvY
(朗読「おもろさうし 原文」「おもろそうし 原文」 第一巻)
日本の土着の源流の謡や歌は"短歌"のような音数律によってうたわれたのではなく
西欧の詩のようにもともと音の強弱をつけることによって韻律をもたせる自由形式のものだった。
そういうことだよ。
>日本の自由詩って呼ばれるものは翻訳文学から派生したなにかであって”なにか”以上のものではないんだよ。
というが翻訳文学から発生しようがしまいがもともと日本の土着のほんとうの日本人の歌というのは
そもそも西欧の詩の韻律の形式とほとんど変わらないものだったんだ。
ところが諸説あるとしても突然出現した飛鳥王権によって57577の音数律が近畿の気圏で
貴族たちに強要された。
小野十三郎はじぶんがどうして短歌の形式を嫌いそれを"奴隷の韻律"と呼ぶのか自分ではわからなかった。
ただ無意識にその形式に違和感を覚え短歌の形式を"奴隷の韻律"と呼んだ。しかしそれは日本人としては
間違った感性ではなかったとおれは思っているよ。
飛鳥王権の進出によって土着の日本の豪族が片っ端から新王権の制度を強要されたのだから
まさに”奴隷の韻律”だよ。
半島から渡来した王権であるかあるいは九州からのぼってきた王権であるかはどうでもいい。要するに
きみのいうように「"短歌"こそが日の本の、本流本元の詩文学だぜ。」というのはきみの勉強不足から
くる妄想にすぎない。
わたしにいせると口語自由詩こそが日の本の、本流本元の詩文学なんだよ。翻訳小説うんぬんなんていう
底の浅いたわごとなんかわたしにはどうでもいい。
それからきみのいうなんとかさんとは今後いっさいの関わりを絶ちたいので関係させるな。正直なんの興味も関心もない。
それから今後はきみの投稿にもいっさいコメントしないようにする。以上。 (輝きは祈りのなか)
2023-07-22
コメント欄のインターフェイスにもあるようにこれはあくまでも
「作品へのコメント」であって投稿者へのコメントではないことを最初に
お断りしておきます。
唐突ですがわたしは宮沢賢治が読めない。無理に読もうとしてもとても
前置きが長ったらしく退屈に感じてその自分の気持を抑えて賢治読めないと恥だと
言い聞かせつつ読もうとするのだけどもはや拷問のような退屈さにやはり本を閉じる。
わたしが尊敬する巨大な詩人二人が賢治に心酔している。
賢治に関する詩を書いたり批評もしている。だからどうしても読みたい。
でも絶対にわたしには無理だ。読めない。
これはなぜなのかだいたいわかってきた。それを語ると長くなるので割愛するけど一端をいえば
わたしらの世代は西洋文学の翻訳もので育った。小学校低学年でフランス文学の
「愛の妖精」なんかの翻訳小説を読んで号泣した。そうするとどういうことが起こるかというと
ことばが村上春樹のようなああいう無国籍なつるつるの文体になってしまう。
でも入沢康夫とか吉本隆明などはそれこそ日本の昔話とかそういうもので幼年期に
ことばに接している。おそらくだから宮沢賢治がするっと入っていったのだとおもう。
前置きが長くなりましたがこの短歌というものが同じようにどうもわたしにはわからない。
この形式はすべてのものを水に流してしまう性質をもっている。
それこそ短歌的じょーじょーです。「短歌的抒情」じゃなく小水のように地に放つところがある。
立ちションの快楽ですかね。でもあとに残るのは地面に吸い込まれた小水とわずかの水たまり。
そんな感じがあるのです。
たとえば上から二つ目の
寂しさを指折りかぞえ駅まえの自販機のみに告げる憂愁
なんかはいいなあとおもうのです。
自販機というのはむかしは声を出すものがあって大阪なら「おおきに」とか
いうものがあった。そうすると旅人がコーヒーの自販機に「おおきに」といわれて
声をかけかえせぬことにさらに孤独を深めると同時になにか非人間的なものに人間を感じる瞬間をおぼえて
汽車かバイクかしりませんがそこを出立していく。いかにも現代の人間と機械の
関係までが入り込んでくる歌。でも残念なのは短歌はそこに「"のみ"に告げる」というような
ものが入ってくる。この"のみ"がわたしは苦手なんです。あるいは一首目なら「酒に酔うわれ」の
この"われ"が苦手だし三首なら「苦悩とは」の"とは"が苦手なんです。以下省略しますが短歌には
かならずこの手のものがはいってくる。これがせっかくのイメージや思想をじょーじょーと地面に放水して
しまう。垂れ流してしまう。で最後はどんな言葉もなにか同じように地面の水たまりに化す。
これがおそらくわたしが短歌をちゃんと理解できないし読めないし関われない最大の原因だと
思っています。
(輝きは祈りのなか)
2023-07-22
コメントというのはほんとうにむつかしいものでして
作者さまは信じてくれないでしょうがわたしはこのサイトを開く時
いつもびくびくしています。
カード発行のお知らせ欄にわたしの名前が載っていないかどうかまず確かめて
更新がないのを確認してほっと安堵してから閲覧をします。
つまりはコメントしてもあとでいろいろと悩むんですよ。あれでよかったのかな。
ちょっときつかったかなとか。逆にもう少し本人のためにきつくいえばよかったかとか。
それできっと次にはカード候補にあがっているに違いないと妄想したりすることがある。
だからここを開くときはいつもびくびくですよ。
みなさんはたかが一投稿サイトのカードだからとお考えでしょうが貰った方にとってはなんであれ
一生つきまとうわけです。その否定的な懲罰が刻印のように。だからそれは一生の記憶として
カードを与えた方の人生を刻印する。いい加減なあるいは中途半端な判断でカードをやたら発行
されてはたまらないと思うのですよ。しかしですね一方でこれはカードを発行した側の一生の傷にもなる
ことがある。
発行した御本人は屁とも思っていなくともそのことの是非にゆるみがあったら一生記憶のどこかに残るし
それが無意識にその人の人格に影響を与える。
つまりカードって何かってことを考えるとこれはどうもむつかしいのじゃないか。詩の投稿サイトに
カードってものがほんとうに必要なのかってことが考えられる。しかし一方で
たいせつな詩を一言コメントで片付けられるというのもまたこれは非常に大きな問題でして
わたしのようにねちねちと多言を用して否定されるほうはもっと不愉快だと思うのですね。
いつもこの問題で悩んでいるのです。わたしは作善的なやさしさをつくろうことができないので
そういう作善的なやさしさで充満する詩のコメントサイトをみるとなんというかこれで詩が
やっていけるのかと暗澹とするのです。だからといって筋の通らない批判というのはこれは確実に
人を傷つけますし人を傷つけるということは何にまして一番いけないことですから最優先の課題に
なるのは否定しません。
でも懲罰というのが果たしてこの課題解決になっているのかというとどうも疑わしい。
わたしはカード発行ではなく吊し上げのほうがいいような気がする。
つまりカード発行の代わりにその者に毎日一遍の詩を投稿させてみなで吊し上げてイイネが少なく
否定票が多かった場合は一日2編の詩投稿を義務化させる。
それができなかった場合はそれを履行するまでコメント禁止とかそうすればいいような気がします。 (カード発行してくださいよ。)
2023-07-21
句読点「、」はなぜ付けられるのかということを
考えてみた。
もともと日本語には句読点はなかったという。
句読点の代わりに改行とかそういったことで補っていた。
そうするとこの詩の場合どこでもいいのですがたとえば
傷つきながら、
小梢は
と書かれているところは二重に句読していることになる。
つまり
これは句読の意味よりも別のことを示していると考えられる。作者が
どう考えていようと読み手としてそう考えることは自由であるという前提での
お話ですが。
そこでですがこの詩の場合の句読点なんですがわたしにはこの句読点が
①狐の尻尾にみえる。まあ狸の尻尾でもいいのですがね。
要するに化けたつもりがちょろっとのぞいてるよというふうにみえる。
それから
②盃から酒が漏れ出ているようにもみえる。なんのこっちゃと首をかしげられる
方もおられるかもしれませんが要するに
ちょっと飲みすぎて手元がふらついてついこぼしてしまったというふうにみえるのです。
ことばってのは面白いし怖いものだなとあらためて感じた次第です。
一言でいうとこの詩は「、」が自己陶酔を表してしまっている。そこがちょっと
まあなんというか残念だなとそういうことを感じた次第です。 (ゲオルグ・トラークル練習曲『夜』)
2023-07-21
わたしが一番大事にしている形式まあ外観の感想からですが
一行あけの詩文を読むのは苦手だということにあらためて気づいた。
一週間待ちの連続ドラマみたいでできれば一気観したいほうだから
字面があたまによく入ってこなかった。
これは一連目一行の発想がまず最初にあったのだとおもう。
それが人を惹きつけるのだけど書き手がそこに拘泥するとわたしのような
いらちにはちょっと苦しい読み物になってしまう。
もっと縦横にとんでいいのだけどそれがかんたんに出来たら天才だ。
でもかんたんに出来ないから面白さがある。どこまで自由になれるか。拘泥しないか。
そこがたぶん詩の一丁目あたりじゃないかとおもう。 (Comic Sans)
2023-07-19
この詩は詩的感性のとぼしいネット自称詩人や投稿者閲覧者向けに
水で薄めて読みやすく通俗化したものだろうけど
もし本気で書いていたのだとしたら少し残念だ。
投稿者は生まれつき詩人の感性をもっている。ほんとうなら詩誌で
活躍していいはずの人だが今や詩誌のほうがクソのようなイデオロギー雑誌に
なっておりむかし文学極道でダーザイン氏がいったように「お局」のような
見苦しい連中ばかりだ。和合亮一なんていう商売人のたいこもちは心底軽蔑する。
そういう非文学的な空間から抵抗を受けてそういう世界で活躍できていないと
すればそれはむしろこの作者が未来において評価される可能性もあることを示している。
何も水で薄めることはない。これまで通りの感性を発揮していただきたい。 (【希望】ヤ_サイ 一株 【秘密厳守】⇒(001))
2023-07-18
無理筋の"草書体"つまり疑似分裂的イメージの詩であるか
ある必然から統合性をもって生まれた作為的な分裂イメージであるかは
韻律からわかります。韻律がまったく統合性をもたずうつくしく感じられなかれば
この手のアクロバットはわたしにとっては無意味です。
しかしお疲れ様でしたと徒労をねぎらう価値はあるでしょうね。
(羅針盤)
2023-07-16
自己愛というか.......それだけであることがこの板に投稿される方に多い。
この詩の場合は「僕」だけである。
波打ち際も波の音も主題ではない。それを聴いているこの詩人のように
純粋な僕をみてほらすごいでしょ。すごいナイーブでしょといっている。
まあここに投稿される詩はほぼ100%(たまに例外もありますが)
そういう詩もどきが多いわけです。
この詩もし冒頭の「僕は」がなくてあと一行書き足せたらいい詩であった可能性があるのに
ほとんどのひとはこの可愛くてかっこいい「僕」を消せない。
それがちょっと痛い。もっともこの書き手だけでなくほとんどすべての
ここの板の投稿者にもいえることですから作者様をとくに非難しているわけじゃ
ありません。 (ある朝に見た夢)
2023-07-16
わたしは筆者さまの詩については現代詩フォーラムでも評価してきました。
でもあなたさまの詩は安易に評価されたくない詩でしょ?
安易な連中から安易に評価されることを是とするような詩だったのなら
ちょっとがっかりです。もっともこのがっかりはわたしの問題ですから筆者さまの
責任ではないですが。
いずれにせよこういう形式の詩を否定しているわけではないことをお伝えしておきます。
(草書体)
2023-07-16
奇をてらっただけの茶番であるとしても
それを非難すればワルモノにされるだろうから
あえて何もいわないが
これはただひとつのことを示している。
こういうものの是非はともかく
こういうものが出てきたということはそろそろ
ここも終わりに向かっているとういうことだ。
ここの運営がここを店じまいする気があるなら
だれかに遠慮せずそうしたほうがいい。
でも心優しい今の運営さんたちには出来ないだろうな。
なんどもいうがこういう詩の是非をいってるのではい。
でもほんと情けないなあ
批評的に冷静にみれる人がいない。
外部から見たら恥ずかしい世界でないように祈る。 (草書体)
2023-07-15
だれがモンスターなんだよ。
そもそもかつては詩人なんてみなモンスターであり のがれものであったりで
いまだってここに投稿している人たちのほとんどは精神に障がいをいくらか
抱えてばかりいるやつばかりじゃないか。
カムアウトしている人たちだって統合失調症が何人もいる。
最初から投稿者をそういう区分けしてるからお前らだめなんだよ。
あまり失礼なことを平気でへらへらいってるんじゃないよ。
なにかじぶんたちだけは特別まともとでもおもってるのか。
ったくこんなやつらばかりだから永久ににおまえらなにをやってもだめなんだよ。 (くたばれビーレビュー その三)
2023-07-14
夢の葦原にて
(続 ある村の思ひ出)
蛍が舞うことをあきめた
くらい葦原に
何度もまかれた毒に耐えるべく生まれてきた
鋭い葉先をもつ堅草が一面に
おい茂っている
もうだれも
夢や希望を信じなくなった
献身と犠牲の人は投棄された地の底に
眠っているのだという
かつてオレは石になることができた
樹になることもできた
見るものすべてがオレだった
雲にも
そのはるか彼方を飛ぶ鳶にもなって
オレは空を飛んだ
今は
追い立てられて流れ着いた岸辺に
枕飯を添えている
静かな川の流れと青空は
むかしのままだ
おそらく追放も私刑もこれからも続くだろう
あなたの献身も
自己犠牲も無駄だった
こうべをたれて
菜箸を垂直に突き立てる
二つにわれた
丼を水にしずめる (B-REVIEW 7月のお題詩「思い出」)
2023-07-14
ある村の思ひ出
その村には不労所得者もいれば乞食もいたが
多くは葦の舟に乗せられて流されてきた
物ぐるひのものばかりであった
村人は機織りを生業としていたが売れるわけ
ではなくまた売れるようなものでもなかった
村の者はそれぞれアルバイトをしてなんとか食いつないで
なにかしら織物を織っては互いに
品評しあっていた
かつては村の入り口に門もあったが今は
それも朽ち果て吹き抜ける風にバタバタ
と板切れが鳴っている
門をこしらへなくとももうだれも来るものが
ないのだ
そこへ笑うことしか芸のない男がひとり
ふらっと漂白してきた
しばらく厄介になるという名前は忘れた
じぶんがどこにいるかもわからないといい
ただ笑ってはいけないときに笑うという
妙な性癖をもっていた
村人たちはただの怪しい奴という意味で
男を阿4と名づけた
じつはかつてこの村にはみずから街を逃れてきた
機織りたちが隠れるように住み着いて
仕方なく機を織って暮らしていたのだが
それがいつのまにかごっそり入れ替わっていた
殺されたのか襲われたのか自滅したのかだれも知らない
いま住んでいるのはみな親譲りの機織り職人ではない
あるとき村の長老が
めずらしくみずから織った布を真面目に品評しているとき
阿4がけらけらと笑い出した
織物の出来を笑ったのではなくその老人が小人のような
幼児にみえたのだ
半鐘が鳴った
「荒らしが来たぞ」
「荒らしが来たぞ」
もともと物狂いの性分をもつものたちの目が光った
村中からマサカリをもったものたちが走り出て
数分後に阿4は血まみれに惨殺されていた
バラバラになった臀部や腕や足首はかれらを運んで
きた運河に棄てられて阿4は町へ返された
おかしなことに阿4の首は川を流れながら
ぽかり浮かびあがりまだ笑っていた
汚らわしい出来事のあと村の者たちは
うつくしい織物を織ることにした出来上がったもの
にはこう記されていた
人権平和愛表現の自由お父さんお母さんを大切にしよう (B-REVIEW 7月のお題詩「思い出」)
2023-07-13
追記
たいへん失礼しました。
さいごの「しまして」は文章の消し忘れです。
無視して下さい。 (ダフネーの琥珀色の瞳)
2023-07-11
過去作にもみなさん的確な感想を述べられているので
西欧の神話のように幻想的な描写がとても印象的ということについて
わたしごときが付け加えられることはなにもないのですが
ある日、あなたは冬に吐く白い息のように去っていった
なんていう独白調のフレーズなんかが
なかなかいいなあと目にとまったりしておりました。
しまして
(ダフネーの琥珀色の瞳)
2023-07-11
もっとがんばれ もっとうまく書けという意味で
もう一歩片方の足を踏み出してみてはといったんじゃないですけどね。
そのようにとられたのだとすればわたしの言葉足らずです。申し訳ない。
疲れたのならそれはしょうがないですよ。
(僕だけ寂しい)
2023-07-11
わたしは乾いた批評をしたいだけです。
作品内容の当該箇所を具体的に指摘して具体的に論理で語る。これがやりたいだけ。
そこへ脇から私的な憎悪感情を持ち込まれても不快なだけです。
わたしのコメントを切り取った上でそれをベースに
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりにわたしの居もしない「取り巻き」?にまで
憎悪や侮蔑を向けるのはいくらなんでもやりすぎです。
おそらく当人の頭の中には居もしないわたしの取り巻きが想定されているのでしょう。
そうだとすればこのままではその取り巻き?まで私的な感情の標的になりかねません。
もうほんとやめていただきたい。
どうして怜悧で冷徹で非情な対応が出来ないのか? イカイカさまの件で白犬さまが
コメントされていたように無視すればいいだけでしょうにどうして愛憎をからませてくるのか。
シンクロスキーの異化をわたしがどうしたというのですか。そんなことこちらは知りもしない。
名前を出して罵倒でもしましたか。もうほんと関係妄想的な言いがかりは
やめていただきたいのでいっさいのコメントはしません。わたしが語ったことをいちいち
関係妄想されるのも迷惑です。
(からっぽえむ)
2023-07-11
詩ならばそういうことがなければならないでしょうが
社会批評においてはむしろだれもが考えるべきことを書くべきだと
思っています。
ただしあなたがおっしゃるような何を書くかではなく
わたしは「どう書くか」が重要だとおもっています。
詩も同じでして人と違った独自の視点なんかより同じ視点でいいから
どう書くかが大事じゃないでしょうか。
お言葉には反するようですがwatertimeさまは多分
そういうことを仰ったのだと思います。
そういう意味ではわたしはどう書けばよいのかまったくわからない
状態です。やっぱり詩を書くしか無いかとこのごろは思い始めています。
貴重なご意見ありがとうございます。
(卑しい日本人)
2023-07-11
こころのうちにある恋情をこんぱくとにまとめている。
こういう想いはいつの時代でも世界中に満ちているものだと
想像できる。はたしてじぶんたちの恋や愛がそういうものと同じであるとは
だれも思わない。自分にとってだけの大事件だとおもっていてあたりまえだ。
つまり純粋な恋情というのはかならず大事件が起きる。
それを書いて下さればもっと関心を呼ぶような気がします。
恥ずかしければ現代詩ふうにごまかして書いてもいいのじゃないかな。 (ブルーモルフォ)
2023-07-11
これであなたへのコメントは最後にしますが残念なご返事でがっかりしました。
では失礼いたします。さようなら。
(からっぽえむ)
2023-07-11
まあ孤独なときはだれしも自分だけが寂しいと思うものだけど
じっさいにはそういう人は多くいる。
もう一歩片方の足を無理にでも前にすすめた詩が書けないのかなと
欲を出して思った次第。
(僕だけ寂しい)
2023-07-11
話を変えないで下さい。
わたしは詩の朗読における音声の話をしているのです。
批評の話をしたければわたしのコメントを切り取って語るのはやめて下さい。
またわたしの発言を切り取って語るならちゃんと音声論やってください。
そしてちゃんとわたし宛にコメントして下さい。わたしのコメントを切り取っておいて
作品論をやるならひとことあってしかるべきでしょう。
ストーカーみたいであまりいい気持ちはしません。
いっておきますが過去の経緯からわたしはあなたにもうコメントしたくないしわたしの発言を
切り取って語ってほしくもない。迷惑です。
わたしも今後いっさいコメントしませんから澤さわもそのようにお願い申し上げます。 (からっぽえむ)
2023-07-11
「声はぜんぜんダメですね。まったく話にならない。」
これだけじゃなにかまた罵倒家の汚名を着せられそうなので聞かれなければめったにしないけど
じぶんでこの辛口な感想の説明しておきますね。
そのね詩を書くにはだれでもすこしばかりことばの仕組みを知ったり
ある程度最低限の予備知識みたいなものは仕入れるわけです。
ところが朗読てのは声なわけです。文字としての言葉ではなく音声を
使う。ところが詩を書くときの言葉使いの修練ほどには音声を勉強しないで
発生の基礎や訓練や知識を得ようと知ないで朗読やってる。音声ってそんなあーた
バカにできるものじゃないでしょ。文字としての言葉にそれだけの時間を
かけているのにどうして音声の世界を軽く扱ってなにか田舎のぽっと出が舞台に出て
へらへらと平気で自作朗読なんかやるのかまったくもって信じられない。
いや。詩の朗読だからナレーションとは違うからいいんだという方がいるかもしれない。
だからいってるんですよ。それならなをのこと徹底的な音声の学的基礎と音声の訓練が必要だと。
専門的な発声の世界とは違うというのなら詩的な朗読の理論を打ち立てるぐらいのことやれよ。
この投稿で紹介されている朗読を聴いていて耳をふさぎたくなったのは全部一本調子の尻上がりでしょ。
最後の最後にほんの少しだけ尻上り調がわずかに抑えられる箇所があるけど音として伝わるのは
ただひとつのことなんです。あなたがたにはわからないかもしれないけど「この詩は凄いぞ!」とわめいて
いるだけなんです。書かれた詩としてはさまざまなことがイメージできるでしょうが音声にのったとき
この朗読はそれしかわめいていないんです。だから耳をふさぎたくなったんです。
でも朗読者がほんとうに「凄い詩」だと考えて朗読してたらこうはならないから実のところ「凄い詩だ!」
とわめているのではなく「凄い詩だと思え!」とわめているだけなんです。
だから尻上がりの一本調子になったのです。このサイトに投稿されているどれほどひどい詩でもじつは
音声にのせるのせかたがうまければ逆にとてつもなくいい朗読になる。声というのはそれほど凄いもの
なんです。それをあまりにも舐めているし。あまりにふざけているとおもう。
日本の自称詩人たちの朗読というのはすべてがこんなものでそれを自称詩人たちが神妙に聴いている図。
これほどコッケイな光景もあったものじゃないとおもうのです。恥ずかしい連中だとおもう。
でもまあ幼稚園児のお遊戯だと思えばめくじら立てて批判するほうが間違っているのでしょうけどね。
(からっぽえむ)
2023-07-11
こういうのが大きめの額に入って
焼肉屋の座敷なんかの壁にかけてあったらけっこう
知らない人は大家(たいか)の作品とおもうかも。 (きみが、よ)
2023-07-11
生きるってことはもっと具体的で小さなことじゃないでしょうか。
苦悩だの歓喜だの戦慄だのという言葉はドラマやマンガや小説の世界の
ことばであって今まさにここに生きている人間の口から出ることばとは
とうてい思えないのです。
蒸らす時間がすこし足りなかったからご飯がすこし固いとか
みかんがもうメロンみたいに高くなっているのに皮を棄てるのが
もったいないとかそういうことが生きるといことだと思うんです。
つまり非常にきつい言い方になりますがまじめに生きておられるのは
みなさん同じですが表現としてそれを表現するときには
こういう概念を並べることにはあまりその意味がないとわたしには思われる
のです。そこらあたりに詩がもつ魅力と問題点があるように思えます。 (沃野)
2023-07-10
哲学思想的にいうならば人間はたしかに空っぽだけど空っぽなだけではないですよ。
外部にはあらゆる世界が充満している。人間てのは今更子どもに説明するようなことを
わざわざいうまでもなくその空っぽの内部と外部世界とのあいだにある
境界(線)が人間を描いているのです。つまり散々いいつくされてきた〈自意識の疎外〉というやつで
これはいうまでもなくヘーゲル的な疎外概念ではもちろんありません。
空っぽだから空をとべるのではなく幅もなにもないまさに境界的存在だから人間は空を飛べるのです。
それがどうしたといえばどうってことはないのですがちゃんと人間存在の源に触れておられての
発言とは思えなかったので一言。
それから音声化された声はぜんぜんダメですね。まったく話にならない。
なんにもわかっていない子どもさんたちだからこういうことになるんでしょうね。まあ
しょうがないか。時代が時代だから。
*きついコメントかもしれませんが正直なため息のような感想です。
もうすこしまともな批評とか書ける方いないのかな。いや他人に期待するほうが悪いのかな。
もうしわたしのコメントが不快ならどなたでもそう仰って下さい。二度とその方には
コメントしません。昨日ある常連の方に厳しいコメントをして悲鳴のような反応が返ってきて
びっくりしました。そんなに傷ついていたのかと。そういう方は大勢いらっしゃると思います。
わたしのコメントが不快なら二度とコメントしません。そのうちだれにもコメントつけられなく
なって黙ってお引取りてことになるのがなんか「……かっけーな」といえば「……かっけーな」とじぶんで
思っていますがね。
(からっぽえむ)
2023-07-10
煙かあ。まるであの世とこの世のあいだにあるあわいの
ような中間的世界があるとしてタバコの煙なんかもそうだけど
火葬場から上る煙もそうだなあとふと思った次第です。 (煙)
2023-07-10
なんかほんと出口なしって感じですね。
どうにかならないものですかね。 (お買い物)
2023-07-10
う~ん。むつかしい話ですねえ。
死にゆくものをみつめるというのはキツイです。
そういうことを改めて思い出せてくれました。 (マナツノユキ)
2023-07-10
少女に対する性的な関心があるのかどうか
じぶんの心のなかを覗いてみたところ
どうも熟女好きのわたしにはないようだった。
しかしこないだスーパーで脚の見事にすらっとした
少女をみたときはこれは美しいものだなとはじめて
おもった。しかし性的な関心ではない。どれほど美しくても
少女なんかに性的な関心をもったことはない。
あっても悪くはないのだけど熟女のほうがいいなやっぱ。
現在国連の法律研究機関が小児性愛を認めるような報告をして
世界中で大問題になっている。国連は火消しにやっきだが
背後には小児性愛大好きな権力者たちの影がある。
バイデンとゼレンスキーは世界中で小児売買ビジネスを展開し
Twitterで糾弾されている。息子のハンターバイデンはこないだ小さな罪だけ
をみとめて法的責任を逃れたが今後の展開がみものだ。 (日曜日のプール)
2023-07-10
わたしが詩を選んだ理由はただひとつ。短いから退屈な文章でも読める。
それが唯一の理由です。正直詩でも小説でも何でもよかった。暇つぶしですから。
もちろん退屈でない文章なら膨大な量の小説でも読めますがそういうのは万に一つもない。
ほかの人と違ってわたしはかなりうるさい。まそんなことはどうでもいいのですが
この短文が詩として一連目はかなり良かった。しかしそのあとが長い。
そして文章が退屈でひじょうにまずい。いちいち指摘するのもなんですが怒らないで聴いて
下さいね。感性ってものだと思うんですよ。あることばを選ぶときの感性。
それが読む相手を選ぶ。たとえば二連目の
時は経ち、いつしかきみは大人になった。
なんていう出だし。こういう表現はもうお金を貰っても読みたくないんです。
そしてこういう表現を何の疑問も抱かずにさっと書いてしまう感性をみると
もうあとの文章を読む気がなくなるんです。
もちろん他の方は(詩的感性なんか実のところ皆無だから)こういう
文章でも巧みだと思い気分よく読める方もいます。
ただわたしなんかよりポエジーへの嗜好性や指向性はもっておられる
と思うんです。そういう詩的なある種のなにかをさてどう表現すればいいか
というときに安易な表現をさっと採用してしまう。急いでいるときにタクシーを
拾うように。ここはそういう人ばかりです。わたしもそういうところがありますが。
ところで『世界人類が平和でありますように』という札が下町の軒下のあちこちに
貼られていましたね。今はどうかしりませんが。わたしはあの札がとても好きで
たとえ貼った人たちがカルトだろうと詐欺師だろうとあの言葉はとてもとても好きですね。
いまでも好きです。
(マッキー)
2023-07-10
一連目はわたしにとってはとてもいい詩になってます。
この一連がどうしていいか。偶然できたのかもしれないけどこれは
詩のプロ野村喜和夫や荒川洋治でも見せればいい詩になっているというはずです。
偉そうでほんと申し訳ないのですが。
ところで二連目から最終連までは一気に様相が変わって「私小説」のような
感じになった。詩の場合はなんというのかな私詩とでもいうのかな。
二連目を読み出してすぐにこれは武田地球さまの影響かなとぴんと来ました。
中田満帆さんがいうようになにかあるのかな
私詩というものにはそのなんとうか周囲の仲間へのよりかかりのようなものが。
そのせいか二連目以降はたしかに武田地球さまの詩のような「まったり」感が出ている。
寡少な仲間内に安心して気分を託すことができる心持ちがことばにそういう作用を
もちこんでいるのかもしれませんがそれが悪いとはいわないけど
とてつもなく広い世界がこういう寡少な仲間内の安寧のなかに閉じてしまわない
ように祈っておきますといって感想を終わらせていただきます。
(雷鳴)
2023-07-09
詩の場合はときたまそういうところがあると思います。
でも表現というと政治外交治安戦争文学批評なども一種の表現であり
とくに冷静で厳密な分析をへた国際関係論(そんな大層なものじゃなく
わたしが読めるのはただの雑文ですが)などをよむときは
魂の露出よりもなにかこう世界の破滅を防ぎたいというような
使命感に燃えているような気がします。それとて必ず魂の露出もありますけど。
それと現代において精神や神経を病むということはやむをえないところがあり
またなかなか自覚することがむつかしい。死んでもわからない人がほとんどでしょう。
哀れだしコッケイだけど─わたしのことですよ。まあしょうがないです。
神様がそういう役割を与えたのでわたしはわたしのつまらない役をまっとうする
までです。ある人はある人の役割をまっとうするでしょう。
(表現者は魂の露出狂(エッセイ))
2023-07-08
幻視と違って幻聴というのはだれにでも経験があるものでして
たとえば風のひゅうひゅうと外を駆け抜けていく音が
なにかの声のように感じるときがある。
それから町の騒音とくにバイクやダンプの轟音が遠くから届いて
くるときふとしたはずみに人の声のように感じるときがある。
幻聴というのは
ある音を人間が観念の中で了解しようとするときに生じる
空間化から時間化への変解における転換の齟齬からくるものらしですが
ある意味まさに詩そのものであるともいえる。
詩というのはそもそもそういう何らかの転換の齟齬ではないでしょうかねえ。
(未知の声との付き合い方)
2023-07-08
文学極道とその幽霊達についてさま
わたしは一昨日わたしの散文を厳しく「アジ演説だ」と指弾なされた
中田満帆さまの詩に現代詩フォーラムにて「イイネ」を一票つけてまいりました。
いい詩はいい詩ですからだれから何をいわれようとそういうことは致しません。
その程度にはわたしも文学バカなところがあります。
文学極道とその幽霊達についてさまの詩についてもいつも水準以上だと思っております。
でなければしょうしょうきつい言い方はしません。これがもし初投稿の方で初心の方の
作品だったらベタ褒めしていたとおもいます。
以上誤解がありましたようですが文学極道とその幽霊達についてさまがわたしのコメントは
ご不快のようですから今後いっさいのご投稿作品にはコメントをつけることを自粛いたします。
どうかご気分をなおしてこのサイトでの投稿をお楽しみ下さい。
(水の中で、生き物を飼うのを辞めた、 と告げた私に、 それはまるで、かみさまみたい、 と、言った人の、横顔が思い出せない、)
2023-07-08
冒頭に紹介があったので読んでみましたが......
詩ではなく散文だからこれでいいのでしょうけど
手垢のついた形容詞句や俗語がひんぱんに出てきましてちょっと
面倒というか退屈というか所在ないというか。そんな感じでした。
わたしの解釈ではこれはどういうことであるかというと書き手は
ひとつも絶望もしてないし落胆もしていないしほんとうに苦しんでもいない
ということを表していることになります。やけっぱちになっているかもしれませんが
やけっぱちというのは苦しみの状態ではなく単なる自己中の意識の在り方にすぎません。
仮にほんとうに落胆したり絶望したり苦しんでいたとしてもその苦悩の意識は
下町的な「みんな」のワンパタ化し総合化されたお約束の意識に溶け込んでいる。
もちろんだから詩にはならないわけですが
あのですね自殺する子が間際に書いた単純でまずい殴り書きってのはちゃんと読む人が読めば詩にな
っているものなんです。それがわからない人が詩を書いているということが少し不可解ですが
この散文はじつはわたし目が少し悪くて最初「輝けよ、馬鹿」と誤読してしまった。
いいタイトルだなとは思っていたのですがそうじゃなかったのですね。
なんというのかなあ。いつまでたってもネット投稿板というのはなかなかに大変だなとあらためて
思った次第です。
(轢けよ、馬鹿)
2023-07-08
申し訳ありません。凡愚なものですからやっと気がつきました。
ああそういわれればそう簡単なはなしじゃないですね。たしかに。
わたしも現フォに世界権力情況のようなものを書いていますが自分ではかなり
凄いことを書いているつもりなんですが笛吹けどだれも踊らない。
つまりご指摘のとおり相手の質にもよるわけですね。せっかく知的興奮にみちた
退屈しないものを書いても豚に真珠猫に小判馬の耳に念仏犬に論語兎に祭文ですね。
ほんとうに失礼致しました。わたしが文学極道とその幽霊達についてさまの文学世界を
堪能できるだけの知性と感性をもっていないということは100%ありえることです。
いやたぶんそうでしょう。そうでなければわたしごときがこれだけの修練を経られた
表現に対してめくらヘビに怖じずのたわごとが書けるはずがない。
うすうすわかってはおりましたが
そこのところご理解いただきましたお許し下さいますよう
お願い申し上げます。
(水の中で、生き物を飼うのを辞めた、 と告げた私に、 それはまるで、かみさまみたい、 と、言った人の、横顔が思い出せない、)
2023-07-08
あいかわらず手癖で書き殴っている。
最初の一行で書き手の自己中心的な対他的感性がわかってしまうから
こういう出だしは損だなと思う。最初の一行で書き手の心に通底するものがわかってしまう。
自分以外のだれであれ例えば世界が全滅したところで
いったい自分の何が変わるというのか。
ピーマンを食べられないから詩人になれない」といったところであるいは
雷が鳴るから妻を迎えに行かないといけない」といったところで
その語彙のつらなりには何の意味もない。こういう意味のないことばの
つらなりは手癖でいくつでも次々でてくる人なのだろうけどそれはべつに
たいしたことではない。
たけしのキッズマンリターンがわかることは本人には結構なことかもしれないが
わたしたちにはまったく関係がない。
どんな深淵な哲学思想であれ漫談であれ小説であれ深刻な詩であれ読まれるときには
ひとつのことしか相手に火花を発せない。それはだれかに興味と関心をもたせるべく
一貫して緊張した知的蠱惑が流れつらぬかれていることだ。
そういう意味でこの詩は途中で長く感じた。本人が手癖で面白がっているだけでこちらには
最初の一行でもうある程度の予見があるとしてもほんとうに知的な関心を呼び寄せるだけの
緊張感というか知的引力を感じない。
退屈であった。
(水の中で、生き物を飼うのを辞めた、 と告げた私に、 それはまるで、かみさまみたい、 と、言った人の、横顔が思い出せない、)
2023-07-08
ひとつ またひとつ 雨だれが落ちて
ことばの小さな波紋をひろげていく。
スローなジャズバーでカクテルでも飲もかと思ったが
顔を上げてみると部屋のなかはやもめの乱雑でありました。 (梅雨前線)
2023-07-06
わたしは50近くになるまで気がつかなかったのですが
PTSD(外傷後ストレス障害)によって他者とのコミニケーションが
うまくいかない。それを50近くなって初めて精神科医と話してわかった。
わかったからといってすぐに治るわけじゃないのですがどういうコミ傷害が
あったかというと親しい人にある分野の大先生といわれる方のお宅に連れて行って
もらう機会がってそこの奥さんがすごく美人でわたしは何の悪意もなく心底褒める
つもりで「奥さん美人ですねえ。浦安にあるキャバレーのNo.1みたくぞくっと
する色気感じる」
これがどれほど失礼なことであるかわからないけど一瞬にしてその場が凍りつくのは
なんとなくわかるけどどこがどう悪いのかわからない。こういうふうに世間と折り合えなく
ずっと生きてきた。そりゃあ物凄く傷つき打ちのめされへとへとになりながら生きてきた。
もう少し勉強してからわたしには自閉スペクトラムの要素もあることがわかった。
こちらに悪意がなくとも人は少しでも理解しようとせず世間の規範を絶対のものとして適用し
一瞬にして断罪されボロボロになった。そういうことが何十年も重なるとやっと凡愚なわたしにも
自分に病状があったことがわかる。
そして結構身の回りにはそういう人多い。類は友を呼ぶというのか登山家や詩人などコミ障の人が
多くてなにか世間にいたたまれなくなって山に登ったり家に引きこもったりしている。
詩人というのは比較的その感性の研ぎ澄まされたところから発しているのかもしれないが
関係妄想的傾向の方が多くいらっしゃるような気がする。そうするとただでさえコミ障のわたしは
そういう方々の妄想を煽って敵意を与えてしまう。こちらに悪意はないのだけど
だれかの代わりをしてまで悪意を探し出そうとする方もときにいるような気がする。
こういう場というのはある程度のハンドルの遊びが必要だ。でないと多くの人が傷つく。
なにも自己弁護のためにこんなことをいっているのではなく悪意なるものを探し出そうと
するなといいたいだけです。そんなもの一円のとくにもならない。悪意などもってだれかに
何かいう人などいるとは思えない。だからおそらくたいていの
場合わたしたちがここで感じる悪意などというものはたかがしれたものだと無理にでも
思っていたい。もう全身あざだらけきずだらけへとへとです。
どうかもうやめましょう。悪意探しは。お願いします。
(サンデイ)
2023-07-06
何度もすみません。
あのどこまでも青い青空は
人間への慰めのためではなく人間を許すためです。
しかし人間からは決して許されるものじゃありませんね。 (間違った世界)
2023-07-06
えーとですね。
なぜあのようにうつくしく澄み渡った青空がいつもあるかというと
わたしの個人的な見解ですが
人間がその下でありとあらゆる醜く悲惨でむごくいたましい事件を
日々起こしているからです。
もし人間がそんなことをするケダモノでないのなら
あのうつくしい青空も必要なかったのです。 (間違った世界)
2023-07-06
お読み下さりありがとうございます。
なぜロシアの肩をもつのかということですが
ロシアの肩をもつというよりわたしの場合は米国と戦っているプーチンの肩をもっているのです。
その理由を述べますと
ウクライナを実質支配しているのは米国民主党バイデン政権の中枢にいるウクライナ系ユダヤ人です。
国務長官のブリケンやヌーランドなどがそうです。この二、三十年この勢力は
トランプは別にしてそれ意外の米政権の中枢にいつもいて世界中で戦争を起こしてきました。
かれらがウクライナから民主主義を奪いロシアを攻撃するためにゼレンスキーという傀儡政権を
打ち立てたのは世界の常識です。
なにが言いたいかというと今ロシアと実質戦っているのはその民主党の米国です。
そこで逆にお尋ねします。たしかにロシアは北方領土を占拠していますがロシアが米民主党のように
日本の広島長崎で40万人の一般市民を虐殺したかというとそんなことはない。
ロシアが米民主党のように東京を大空襲して焼夷弾で無辜な非戦闘員である一般市民を25万にも
死傷させたかというとそんなことはない。
ノルマンディ上陸記念日には毎回世界の首脳が出席して広島長崎への原爆投下を祝って最後に原爆投下映画が上映されますが
その原爆投下映像をみてとっさに十字をきって瞑目したのはプーチンただひとりでした。
オバマごときはガムを噛みながら手を叩いていたのですよ?
わたしが米民主党よりロシアの肩をもつのは大阪の無差別大爆撃もいれると米国による日本への
無差別大量殺戮は60万人以上にのぼります。
中田満帆さんはどうしてその米国の肩をもつのですか。どうして戦後あらゆるところで大量殺戮を
繰り返してきた米国の狂気を容認しそれに唯一立ち向かっているド・ゴール主義者のプーチンロシア
を非難できるのですか。
バービ・ヤールで殺されたのは何人ですか? って......多くはロシア人やロシア系ユダヤ人なんですよ?
少しはちゃんとした資料をもとに歴史をみなおしてくださいよ。
これだから日本の詩人はだめだとわたしは口を酸っぱくして広言しているのです。
中田さんがもし日本人なら米民主党の大量殺戮の犠牲者になった同じ日本人生活者のために
瞑目していただきたいものです。
わたしのようにプーチン支持者になれとまではいいませんが少なくとも汚職と虐殺を繰り返して
きたゼレンスキーのような狂人を支持してはいけません。
(卑しい日本人)
2023-07-06
お読み下さりありがとうございます。
現在の社会に読むに耐えるものがあればそれを語りたいのですが
残念ながら忘れ去られた過去のものに結構面白いものがありそれを
ときどき思い出しております。
通俗小説好きのわたしがなぜ通俗小説を書かないで詩もどきを書くか。
わたしは詩とはおもってなくて「短い書き物」と自分では規定しています。
小説は長いのでとても面倒臭くてかけません。そこで短かい文章で何か書ける
ものはないかと探していて結局利便性からいやいや詩もどきつまり「短い文章」
を書いております。
そんなわたしに本来詩に内在するポエジーが批評性を濃厚に含んでいるための必然的な内容
とはじめて言われましてなにかありがたいような気が漠然としております。 (卑しい日本人)
2023-07-05
さまよう孤独なたましいの報告のように読みました。 (・・・)
2023-07-05
お読み下さりありがとうございます。
質問への答えですが完全に100%利己的な動機です。
ただし哲学思想としては自分がしあわせになるためには他者も
しあわせになる必要がある。自分一人ではしあわせにはなれないという
一文がはいっていると思ってください。
(卑しい日本人)
2023-07-05
お読みくださりありがとうございます。
冒険というのは何なのか。わたしにいわせると一種の
薬物中毒です。ナチュナルな薬物中毒ですね。
炭酸水をコップに注ぐと一瞬にして泡が弾けるでしょう。
あれが人間の身体のなかでもリアルに生じます。
死と隣り合わせの行動をすると生物学的医学的に体内に
ピュアなアドレナリンが大量に生成される。それが行動の成就に
よって一瞬にして霧散するのですがそのときの痺れるような爽快感。
これを一度味わうともうだめです。人間はこれに勝てません。
セックスよりよいとすら思う人が続出する。堀江謙一も植村直己も
本多勝一も憑かれたようにその世界に消えていく。
しかし身体能力がない人でも言語活動によっても冒険はできると
思っています。むかしの多くの言論人(詩人もふくめ)は表現によって
冒険を重ねてきました。今はそういう人は皆無ですが。
今のサヨクリベラルなどむしろ銭になるし体制権力から歓迎されている。
冒険というのはアウトローの誇りです。
(卑しい日本人)
2023-07-05
透明人間のヘアヌード写真集は、
ただの風景写真にしか見えない。
あ。これはやられた。ほんとそうですね。
こういう無垢な眼でみた発想のようなものが散りばめられていて
けっこう愉しめました。 (ダイヤモンド・メロディー)
2023-07-04
作者はいい人なんでしょうけどわたしにとって
こういうのはほんとうに身震いするほど気持ち悪い書き物なんです。
それなら読まなきゃよいのですがいちおう扉に注目詩ということで
推奨されているのでどうしてこの詩がそんなに気持ち悪いかを少し
書いておきたいと思います。
全体にあまりいい気分にさせる感触じゃないのですが最後の
わたしはすこしだけ遠くを見た
を読んでなにか公園を歩いていて毛虫が肩にとまっているのに気づき
身震いするようなあんな気持ちが最高度に達しました。
というのもわたしのような陰影のある人生を否応なく生きてきた
苔むすような心ばえの人間にはこの書き手のウソとか欺瞞とかが
全部手にとるようにわかるからです。これは大人であるわたしが
こういうところに来てはいけないということでもあるのですが
でもやっぱりいっておきたいのですね。
この書き手はいわゆる「ゆとり」というつくられた世代のタイプの人間で
煩雑なことにせこせこしないようだけれど表に出さないだけでじつは
哀しいほどになにか口にだせない抑圧というか不安のようなものを
抱えている。そしてそれがまたひとつのスタイルでもあり同じような
美意識の人たちの共感を得るべく存在している。そのことに自覚的であるが
ゆえにこれを称賛する人たちをふくめていかにもイカガワシイ。
このイカガワシさはでも今の日本社会の吐き気のするようなイカガワシさに
通じている。そうでないと共感は得られない。
でもそういうものがラストの一行についに漏れ出てしまっている。
ここでわたしは「ギャー!」と叫んでしまった。この哀れなほど痛々しさを
誘い呼び込む姿態ポーズ。ここに投稿される一見難解詩を書かれる方も一種の
手癖に慣れてしまってみるに耐えないのですがこの書き物にはそういう愚劣さは
ないものの同じように
手癖になれてしまっている。そしてそれは一種の集團として成り立っているなにか
なんですがわたしはそういうなにかが正直ぎゃーーーーとおぞけをもよおすほど
耐えられない。
何度もいいますが作品の書き手と作者とは違うという意味は作品の書き手は
共同の幻想のなかの存在で作者はひとりの生活者でもあるのだから
その生活者である作者のことをわたしは何も知らないし批判することなど
できない。たぶんいい人であると想像できる。でもこの手癖のしみついた書き物は
わたしにはギャーと心のなかでおぞけをもたらすものでしかない。
でも"大人"にしかわからないから
わたしの感想など多分ここではだれにも理解されないでしょうね。
(サンデイ)
2023-07-04
心のなかになにか鬱屈したものや不満があって
それをこのようなかたちで手癖のようにさらさらと
語れる書き手がいる。
一度書けてしまうと同じ構造ばかりだけどそれが手癖となって
一種機械化されるとそれをするのが面白くなるものなのだろう。
でもこの「手癖」というやつは曲者じゃないだろうか。
"詩"というのは本来そういうものを否定するところにあるのじゃ
なかったかと思うのだがまあ
ケッサクだというご宣託がありそれをコッケイと感じる
たぶん
知的エリートからぷっ取り残された愚かなわたしという
人間がいるだけのことなんでしょうね。
(明滅)
2023-07-04
お読み下さりありがとうございます。
愛国の人との感想ありがたく存じます。当人としては
国を愛するなど考えたこともなく天皇に関してもまったく
どうでもいいという感じです。おそらく右翼の方からは
殴られるかもしれません。
わたしはわたしの生活を守るために政治的な発言をしてるだけで
それ以外にいっさいの動機はありません。
右左なんかで政治発言するほどバカでもなく
好き嫌いでだれかの政治発言を批判するほど卑しい人間でもないと
じぶんでは考えております。
わたしの発言の拠点は科学的な事実にもとづく論理的な世界認識。
これを唯一の武器として語りたいと願っておる次第です。 (日本人のバカ)
2023-07-03
よんじゅうさま お読みくださりありがとうございます。
のんびりした性格は才能より大事なものだと思います。ただ
日本人はそんな能天気な民族じゃないようですよ。
わたしの経験からの想像ですが今にわかると思います。
たいへんな地獄が来ます。そういう地獄というのは実際に遭遇するまで
わからないのです。
いまのうちにのんびりお暮らしください。わたしもそうしてますけどね。 (卑しい日本人)
2023-07-02
グローバリストのあやつり人形であるバイデンという滑稽なしかし危険きわまりない呆け老人を
適確に表現されていると思いました。
かれら富裕層知的エリートたちがニューヨークに集結し(その中には日本生まれの村上春樹や坂本龍一
などがいる)なにひとつ世界も人間も洞察できていなくせに次は倫理的な名誉とばかりに弱者を利用して
権利や環境や公衆衛生で名を高め大衆庶民を虐殺する行事に裏で加担している滑稽な現実があることを
見抜いている方がどれほどいらっしゃるかと思っていましたがこの詩的政治批評は中味が濃いと思いました。
過去作をさっと読ませて頂きましたが今度時間があるときにゆっくり読もうと思いました。 (私的(あるいは詩的)政治批評.2)
2023-07-02
お読み下さりありがとうございます。
この質問への答えはむつかしいですね。
というのもわたしがここでいう「日本人」というのは共同幻想体として集団的な
思考をしているときの人間のことをいってます。
わかりやすく例えますと日本人というのは一人のときはみなさん小心者で
おとなしいのに三人が連れあって歩いているときには個人的な思考がそれぞれ
人数分だけ失われる。つまり個人的な思考感情理性常識が三分の一になる。
わたしの個人的な体験を話しますとむかし独身寮に住んでいて夜間の洗濯が
うるさいから昼間にしてくれと文句をいったことがあります。
その男は黙ってわたしを睨んでいましたがやめました。ところがこいつが仲間に
話したらしくある夕方その三人がやってきてわたしをビルの五階の窓から逆さに
吊り下げたのです。普段おとなしい男が三人寄るとここまで豹変するのかとびっくりして
とにかく謝りました。死にたくないですから必死で謝ってとにかく落とすのだけはやめてもらい
ました。そうしておいてその中の一人をわたしの部屋に入れたまま鍵をかけました。
廊下に残された二人は人数が少なくなってすこし我に返ったみたいでしたが部屋にわたしと
残された男はもう借りてきた猫みたいにおとなしくなってます。
わたしは殺されかけたのですからちょっとお仕置きをする必要を感じボコボコにな殴る蹴るの
暴行を加えましたが残りの二人が警察に通報したので仕方なくお仕置きはやめました。
わたしはお咎めなしでした。だって相手は殺人未遂ですからね。そのことがあってからその三人は
わたしを見ると逃げまどうようになりました。
集団というのはその集團として動いているときの人間は個人の脳味噌や意識がその数の文だけ
失くしてしまい集團の意識として盲目的に行動してしまうわけです。
吉本隆明という詩人は戦争体験をどうしても解明したいと思いどうしてわたしたちは太平洋戦争なんか
に加担して政府とともに天皇万歳と嬉々として赴いたのかということを『共同幻想論』によって
明らかにしたわけです。かれが戦後自殺せずに生きたのは人間が集團として行動するときにその
意識はどうなるかを解明することが戦争への償いであると自覚して死ぬまでその探求を続けたわけです。
それが共同幻想と個人幻想そしてもうひとつ対幻想という人間の幻想領域の発見でした。
つまり人間というのは西欧の近代思想や哲学ではその意識は一体のものであるどんなときも一つで
あるという考えにノーをつきつけて人間は共同幻想のなかにあるときと個人幻想にあるときはまったく
別人であると喝破したことでした。そこでそれをふまえての答えですが
◯バカでない日本人にはどのような人がいるでしょうか。共同幻想の中にあるときの日本としては
ほとんどいません。0.00000001%くらいのものでしょうか。今はとくにバカばかりです。
◯バカでない日本人にはどのような人がいるでしょうか。
日頃道や会社や近所で出会う個人としての日本人はバカではありません。
多くの人がわたしより頭がいいです。尊敬もしております。
という回答になります。わたしが日頃批判している相手は共同幻想としての発言に対してであって
その人の個人幻想としての発言を批判したことは一度もありません。 (日本人のバカ)
2023-07-02
鷹枕可さま
ご返信ありがとうございます。
鷹枕可の立ち位置はとてもよく理解できました。
今後学習の参考とさせて頂きます。 (70代の純情─殺せさあ殺せ─)
2023-07-02
お読みくださりありがとうございます。
ワンピースという面白いマンガがあるらしいのにまだ読んでおりません。
わたしは今この国が第二のウクライナ化されて戦争に参加させられるのじゃないかと
ほんとうに心配しているのですが一方でこの事態を面白がっているのかもしれません。
反体制反権力とは心の冒険であるからです。
つまり反抗とは孤立することであり絶望することでもあるけど一方で飯を食うより
おもしろい危険な冒険でもあるべきです。でなければだれも反権力反体制なんか辛いだけで
やらないはずです。
そこで目下の体制とは権力とは何かというと「リベラル思想」とくに「反日的なリベラル」思想が
世界の中枢的権力と紐付きになっているといっていいと思います。
そういう意味では今の日本の文壇詩壇などはそろいもそろって権力に媚びるクズ野郎の集まりです。
ましてそのように腐敗堕落した日本の文壇詩壇にあこがれる自称詩人たちもほとんど半分ちかくが
そのクズのさらにクズです。ポリティカル・コレクトネスとかウォーク(WAKE)を振り回すクズが
詩を殺していますし現実世界にも少なからずろくでもない影響を与えている。
そういうものをわたしはわたしたち大衆庶民のささやかな生活と命の敵の末端とみそえて発言している
つもりです。
まあそのときが来るまでだれにも理解してもらえないしそのときが来てもいまの呆けた日本人には
なにが悪かったのかすらわからない可能性がありますが。 (70代の純情─殺せさあ殺せ─)
2023-07-02
鷹枕可さま
ご返信たいへんありがとうございます。
しかしまことに申し訳ないのですがいささか首をひねらざるをえませんね。
あなたさまの言によれば「政府が統制している」はずのマスゴミを
人のケツの穴を覗くのが専門の三面記事週刊誌と それに乗せられる情弱な国民によって
いともかんたんに世論が形成され いともかんたに全マスゴミが朝から
晩まで政権の中枢アベを非難するちうことになります。それも二年三年にわたってです。
そうするとですね それじゃあちっとも政府が統制なんかしてないじゃないですか。
権力による統制というのはですね たかだか愚劣な桃色週刊誌ごときが
根拠のない憶測記事を載せようと力によって放送局や新聞を黙らせそれと反対の
論調の報道すら強制させる力をもってして統制というのです。たとえば今の米国のように。
政府が統制なんかしてないじゃないですか。政府より力をもつ週刊誌があるわけでしょ。
バカな国民がすぐにのせられるドタバタ三面記事週刊誌のほうが力があるなんてそれじゃ
政府が統制しているなんていえないじゃないですか。
かつて吉本隆明が「政治が宗教化し宗教が政治家」していると嘲笑しましたが
今のリベラルとはまさにカルト信者のあつまりといえますね。
現実からじぶんの考えを訂正できなければそれはカルトといいます。
わたしがリベラルを非難するのは彼らが政治を真面目にやらないで空疎な倫理を
ふりまわし結果としてグローバリストの補完勢力になって国民を戦争へ駆り立てているからです。
おそらく鷹枕可さまに限らず内田樹の講演に集まったのはもはや残骸となった知的エリート主義者
でしょう。知的エリート主義がグローバリズムと結びついているだけなのにちっとも
自分がみえてない70歳以上の老害たち。
はてさてこの年齢の方々をいまから目覚めさせることは不可能ですから
ときがすぎて引退されることを願うしかなさそうです。 (70代の純情─殺せさあ殺せ─)
2023-07-01
陰(かげ)と陽(日なた)ですね。
これね語られている思想や哲学は置いておくとして
結局ことばというものが権力者に都合のいいように
つくられていることがわかります。
自分たちに都合の悪いものはぜんぶ陰とか裏とかいうことばで
向こうにおいやっている。
たとえば山陰なんてね。あるいは裏日本とかね。
これならまだしも陰謀論とかね。陰謀がない歴史も世界もないのに
陰謀論ということばで権力者に都合の悪い言説を抹殺する。
こういう言葉使いてものでいいのかいつも気になってます。
(陽と陰)
2023-07-01
鷹枕可さま
お読み下さりありがとうございます。
ほとんどはなるほど流石に鷹枕可さまさだと勉強になるご指摘ばかりで
反省しております。ただひとつだけ
因みに、大手マスメディアの情報を統制して居りますのは「政府」です。
というご発言。
ここだけは世界認識の根本にかかわるお話ですのでちょっとだけ異議を唱えさせて
いただけますならば
まず「政府」とは日本の政府のことだと思うのですが.......とくに安倍政権の頃からそれが
顕著になったとか。
しかし安倍政権がメディアを統制していたのなら朝日や毎日や文春や
テレビですが4大ネットワークがどうしてあそこまでモリカケやら桜ですか
大騒ぎしたのかと不思議なのですよ。
つまり鷹枕可さまの認識を現実が裏切っているようにわたしには映るわけです。
できますればそこのところどのようにお考えか教えて下さいませんでしょうか。
(70代の純情─殺せさあ殺せ─)
2023-07-01
m.tasakiさまお読み下さりありがとうございます。
歴史の繰り返しということは要するにロシアとウクライナの業のようなものですよね。
ウクライナの背後にいるのはアメリカ国務省の高官──ウクライナ系ユダヤ人たちつまり
ブリンケンやヌーランドですから
そこのところまじめに一度勉強させていただきたいとおもいます。
以下は余談ですが
ところで事実だけをみるなら世界の主要メディアの報道とはまったく違うと思います。
ロシアのウクライナ侵攻の当初の目的はウクライナ東南部のロシア系住民を救済するための
「特別軍事作戦」ですからロシアはいわゆる現代的な戦争行為はまったく行っておりません。
ロシアがほんとうにウクライナを「侵略」したいなら一週間で戦争は終わっているはずです。
まず巡航ミサイルを数百発ウクライナの主要軍事施設や空港倉庫港湾政府施設に撃ち込んで火の海にし
次に世界最高の空軍力をつかってウクライナ全域の軍事力を無力化します。そして最後に
ロシア陸軍を投入して占領政策を実施する──これが侵略戦争です。
ところがロシアはこういうことをやってないわけです。むしろ最後に行うべき地上戦を
最初から選択してまる地虫が地を這うような面倒で辛気臭い進軍を続けている。
そして陸軍の正規軍はいまだ使わずに今回明らかになったように傭兵軍団を使っています。
(これはウクライナ軍もそうですがウクライナの場合は正規軍が崩壊してしまったからです)
つまりロシアはじつのところ片手どころかその指の数本でウクライナの相手をしています。
西側の主要メディアの報道とはまったく逆なのです。
戦後一貫してわたしたちはG7国家のメディアによる洗脳を受け続けてきましたからこういうことは
まったく知らないわけです。堂々と未だに西側主要メディアはデマと嘘とフェイクを垂れ流しています。
それを頭から信じている日本の知識人のほとんどはわたしからいわせると話にならないクズです。
宮台真司内田樹辺見庸このジャーナルな三馬鹿トリオをとくに糾弾しておきたいと思います。
(70代の純情─殺せさあ殺せ─)
2023-07-01
お読み下さりありがとうございます。
やっぱり内容があれなものですからとにかく読んでもらうために
内容から少々外れてもタイトルには
お客様を呼び込むための工夫をこらしています。ぴーちゅ! (70代の純情─殺せさあ殺せ─)
2023-06-30
99人対1人というふうな対立軸で物事をとらえていいのか問題ですね。
立ち止まってですねいつも必ずきちっと立ち止まって考えることが
大事なような気がします。つまり人間は必ず飛行の軌跡を振り返る
ことが大事です。99人対1人というのは対立軸ではなくいつも不変に
存在する人間の在り方なわけです。ある人はトランスじゃなくても
貧困や美醜や学歴や体力などさまざなま場面で99人対1人というところに
存在する。あるトランスジェンダーがマイノリティだといっても別の場面では
そうじゃなくて差別する側にいる。これは必ずそうです。
それから99人対1人という人間存在の在り方は共同幻想の次元と
個人幻想の次元との対立であるわけでそもそも次元が違う。それをごっちゃに
しているからここからは間違ったものしか生まれてこない。
倫理以前の問題なんです。かつてナチは人種差別という外套を着て優生思想を
敷衍しようとしたが失敗してその失敗から学びいまや人権や環境などという
倫理的なことばで国民大衆を管理し強制し殺戮しようとしている。
かつてポリティカル・コレクトネスなどということばを振り回している
自称詩人がいましたが.......それが新たな殺戮を生みだしそれを正当化している。
そのような時代の流れのなかに真っ逆さまに流されていくことのないように
常に立ち止まって冷静に自分自身を眺める視線をもつことがこれから
大事なような気がします。
(ロックンロール)
2023-06-30
うーんとわたしは女のことを書いた詩にはあまり興味がないのですが
この詩はいつものお約束で女のことを書いたように見せてじつはほとんど
自分のことを書いている。自分への愛やいとしさやいつくしみを書いている。
わたしは自分のことを書いた詩は女のことを書いた詩よりもまったく関心も
興味もない人間だからじつに残念ながらこの作品を読み飛ばすしかなかったけど一方
この方は詩が巧い。じつに巧い。生まれつきの感性というか才能というか
詩的なことばの紡ぎ方を知っている。
今はこんな詩はあまり書いておられないような気もするのだがやっぱり自分が愛おしくて
ときどきこうやって過去の詩を開いて見られているのだろうか。そんなことを感じました。 (それはまるで毛布のなかの両手みたいで/詩篇:2019(抄))
2023-06-29
最後の「それもまたいい」というのがいいね。
恋愛というものの煩わしさがわかる大人びた登場人物に救われた。
だいたいあれだな正直みなさん心の底では考えているかどうかしらないけど
わたしはあれだなうーんと愛人というか彼女はせいぜい三ケ月。
三月ごとにとっかえひっかえするのが理想だと思う。
そして孤独を苦いコーヒー好きのようにたのしむ。 (島)
2023-06-29
作者の才能からすればまだアイドリング程度で
一連目これでも結構たのしいですがもっと放恣に自由に
言葉を弾けさせることができそうな方のように感じられました。
二連目以後はわたしにもあることで共感できました。
総じて三時のおやつに正統派の上品な羊羹が出たような味わいのある
透明でクセのない作品を読んだ感じが残りました。good。
(書きたい)
2023-06-28
詩を読むとはそれに触発されて自分を語ることだと思っています。
もし投稿された詩のことしかコメントできないとすれば
いったい投稿サイトの読む主体である読者はどこへ棄てられたのか。
たいへんさみしいサイトになると思いますし読者をないがしろにしている
とも思います。そんなサイトがもしあるならば非常にやせ細ったさみしいサイト
になることでしょう。
そういえば昔からわたしは詩の感想を述べるときに自分語りをしてきました。
あたりまえの話です。詩を読んでなにか胸に去来するものがあるのだから自分語りの
どこがおかしいのか。また自分語りやってやがると文句をいわれたことがありますが
そういう方は詩を読むということがどういうことかまったくわかっていないのだなと
哀れに思っていました。
どうしてこんなことを感想を述べる前にわざわざ書いたかと言うとわたしには
生まれつき母がいないのです。
ですからこういう詩を読むと感想はどうしてもああ自分に母がいたらなあ
というところへ落ち着きます。
つまり自分を語ることになってしまう。とても美しい詩だとおもうし
ああいいなあと思うのですが母のいないわたしは理解が足らないことに
なるでしょうね。どうしても自分のことを語ることになる。
それで長い前置きをしてしまいましたがどうかご容赦。ちょっと長いかなと
思いましたが前半はかなり好調だっと思います。
(月下独酌/母のために)
2023-06-27
追記
わたし中田満帆さんは天才だと思っているんです。
でも天才にも二種類あって才能という暴れ馬を暴れ放題にさせるのがアマの天才
それを統御して才能を抑えることができるのがプロの天才だとおもっています。 (紹介 中田満帆/夜の雷光)
2023-06-26
紹介されている中田満帆さんの詩読んでみました。
偉そうなことを言うようですがわたしにとって詩になっているのは
最後のほうでした。
するとこの詩はこうなる。
夜の雷光
新神戸駅が驟雨のなかに建ってる
この詩を書くために駅まで歩き、
そして帰ってきたおれには、
おれのような男にふさわしい死をおもうことの、
ほのかな愉しさだけが千年の雷みたいに
窓を照らしつづける
これだけでよかったというかここだけが詩になっていて他の
ところは自分語りですね。別の言い方をすればこの自分語りがあるから
最後のほうの詩が成り立つのでしょうけど
でもやっぱり自分を突き放していない。
やっぱり自分語りの多くのことは隠さなければいけないのじゃないかと
思う。この感慨はわたしなど足元にも及ばない生来の詩的才覚を持たれている
中田氏へのことばじゃなくわたしの詩作に対する勉強のことばです。
つまりいい詩というのはいつも何事かを教えてくれると
改めて感じた次第です。 (紹介 中田満帆/夜の雷光)
2023-06-26
一般論ですが
作者が何をどう書こうとどこへ投稿しようと本人さまの自由です。
読み手がとやかくいう資格も権利もないことを付記しておきます。
([生きた僕の証])
2023-06-25
んとむかし詩の学校に通っていたとき通信教育生の方も参加して
合同合評会というのが年一くらでありまして沖縄など遠方から投稿だけで参加している方も
その日は学校のほうに来られた。上は90歳くらいから下は大学生まで。
その中に車輪つきベッドに寝て点滴をつけたままの70歳くらいのおばあちゃんが
参加していた。ベッドを押すのは娘さんのようでこの方は40代くらいの方だった。
おばあちゃんはすこぶる元気で講師に厳しい質問や批判をぶつけてその結構有名な
詩と哲学の講師に冷や汗をかかせていた。
合評のあとは恒例の飲み会になりおばあちゃんは点滴の先を口に入れてお酒を飲んだ。
いろいろ詩の話をしたけどなにか元気をもらったというのか励まされたというのか
ああこういう方が無理をおして参加してくれてほんとうにありがたいとおもいました。
つまりなんというのかな命とか生命の限界なんか知らねえよというか
そういうものをまったく考慮に入れていないまっすぐに文学に向かう精神に打たれたものです。
そういうものをこの詩からも感じました。 ([生きた僕の証])
2023-06-25
まっぴらごめんというならわたしは
投稿された詩作品について語るのはまっぴらごめんですね。
詩の感想とはその詩を読んで触発された自分について語ることが詩の感想であるのに
なぜかここではそれが禁止されている。
自分を語らずして作品についてのみ語るなど不可能。
そんなことは詩の投稿サイトとしては自殺行為であると個人的には思うのに
どうして詩の感想を語ることが
自分語りになるとそれがサイトの秩序を乱すことになるのか。
まったく不可解です。
詩はだれのためにあるのかよく考えて欲しい。そういうことを
この詩を読んだ感じましたね。詩作品だけについての解説などまっぴらごめんです。
(まっぴらごめん)
2023-06-25
吸収さま
お読み下さりありがとうございます。
三浦果実さまの推薦文を読んで「わからない」ことの可能性というか
未来性というかそういうものを少し触発されて書いたのですが
わたしもここまで丁寧に気づきのヒントを与えて下さった
吸収さまに感謝をいたします。
投稿作品ぜひ読ませていただきます。 (詩が「わからない」とはどういうことか)
2023-06-25
出ていく時に傘は忘れないを書くために書かれた詩文なんですが
ほんとうにもいやな男だったという思いが伝わってくるように
仕向けられているような気がします。
(こいつが一番世の中でわかってない)
2023-06-24
作品本文を読んでみましたが.......かなり怖い話ですね。
いろいろな職業や立場の人が出てきますが要は自分の心の中なんて覗きたくないということを
強調するために繰り返し語られている。
それで自分の心の中を覗くなんてことはほんとうにやっちゃいけないことだと思う。
それはそれは怖いことですよほんとうに。わたしもまっぴらごめんです。
つまりどれほど難解な詩を書きあるいはどれほど倫理的な哲学思想を書き
あるいはどれほど国際的なそれこそ国境なき医師団みたいな仕事をやっていても
あるいはどれほどやさしい女性......やさしい女性の場合は例外としてちょっといいたくないけど
つまりどんな人間でも本心を探るなんてことをやれば結局はおれてケダモノとどう違うと
ようするにその人がほんとうに誠実に純粋に自分を客観的に心を覗けばそれはもう死ぬしか無い。
別に死ぬ必要はないとしてもチラ見するだけでも怖いと思う。
そういうことが想像されました。
クヮン・アイ・ユウ さんのことだから何か鋭い嗅覚で何かを感じられたのではないかとおもい
興味深く読ませて頂きましたが
ああやっぱりこれは怖いです。まっぴらごめん.....お約束みたいな終わり方でわるいけど
これでも聴いてください。
「傷だらけの人生」
https://www.youtube.com/watch?v=ntwUMb5ze18
♪まっぴらごめんと大手を振って歩きたいけど歩けない.....
(「まっぴらごめん」なことをやるのがアーティスト)
2023-06-24
なんかまさに犯行直後の血のりがべっとりついた現場の様子がまざまざと浮かびあがってきました。
(短歌研究新人賞落選作「犯行」,)
2023-06-24
いやでもあのね現フォに書いたわたしの時事雑文にある方がコメントをくれて
丁寧になにかの寓話を語ってくれて要するに「真実なんかない」と仰った。
暫くそのコメントを考えていたのですけど真実なんかないということはつまり
「わからないものなんかない」というに等しいなと。
わたしがどうして真実や事実を探したがるかというとそれが隠されているからです。
隠れていなくてその全体像がさらされているのなら真実も事実もないのであって
そして
隠れているものや隠されているものがあるからそれを探し出すのが面白いのです。
そういえばもうだれも「隠れんぼ」をしなくなったなあ。
じゃあ詩における「難解さ」がわたしのいう面白いわからなさかというとそうじゃない。
難解な詩はだれにでも書ける。難解でわからないのがいいとは限らない。
どうして難解な詩が戦後の絶望と混乱の時期に生まれそれが難解ななりに面白かったかという
ことを考えなければならない。
戦後のある時期の超難解な詩はわからないけどとても面白かったし凄かったし美しかった。
名前をいちいち出す必要すらない。吉岡実なんかわからないけどめちゃくちゃ面白い。美しい。
玄妙であった。
入沢康夫なんかも難解だけど超絶面白いし難解なのになにを書いたかすぐにわかる。
わかるけどそれが説明できないというのが本来の難解さと面白さをもった詩なんですね。
昔、泡尻鴎斎という儒者がいた。
不機嫌に世を過ごし、そそくさと不機嫌に死んだ。
これが泡尻鴎斎第一号である。
入沢康夫「泡尻鴎斎という男」
こういうのは難解だけどその良さや思想はわたしにもすぐにわかるわけです。
この例は「現代詩の思想」という講演で吉本隆明が例題として出している詩ですが
わたしもこういうのはすぐにああ凄えおもしろい詩だなとすぐにピンとくる。
ことばは平明そうに見えるから詩の初心者には「なにいってんだこいつ」と映るでしょうけど
詩を書いているというか文学ヤッている人にはすぐにわかる。
吉本隆明はこの三行についてこういうことを話している。
非常にうまい。入沢さんの詩はいつでもうまいけれど。言葉に対して苦心している
ことがわかります。
皆さん、詩を書いている人が大部分だろうと思いますから、そんなことはすぐわか
るでしょうが、一見何でもないようだけど、これはとってもうまい。詩の表現には
そういうところがあります。何でもなく思える表現にまでへずってへずって行く。
表現を的確に選んでいくためにはその背後に、泡尻鴎斎をどういうふうに設定しよ
うかなと何百行かやっている。やっているかどうかは知りません。入沢さんは天才
だと言う人がいるから、すぐに三行ができてしまうかもしれませんが、天才でない
人を考えると、泡尻鴎斎を設定する時には何百行かいる。こいつを設定した場合、
こいつをどういうふうにやろうかと考 えたりやってみる。背後で何十行、何百
行とやってみる。それから言葉の、表現の不的確性、不定性をどんどん排除してい
く。そうすると、最後にこの三行が残る。
そこでですねじゃあA・O・I さまの「四方山話」がそういう意味で難解で面白いかと
いうとぜんぜんそうういう意味での「わからなさ」も「難解さ」もわたしには感じないんです。
この詩がどうしてわたしにとってすかすかでつまらなかったかあまり詮索する気にも
ならなかったけどあえて詮索してみると田中恭平 newさまとA・O・I さまのやりとりで
「はは~ん」とわかるものがありました。
つまりうまい表現ではないですが一種「難解さを狙って」書かれておられる。
それが悪いというのじゃなくそれはその人の勝手だし読む人が評価するのも勝手です。
でもわたしが好きな戦後の難解詩や難解詩詩人たちは「難解さ」なんか狙っていなくて
戦後の混乱のある必然からそういうかたちで書かざるをえなかったところがある。
つまり根っこのところで無学無明のわたしたち庶民のボウっとした人間と繋がっていた。
だから「わかる」わけです。だから探してみようという気になるわけです。
でも
申し訳ないですけど個人的な好みとしてA・O・I さまの「四方山話」はわたしにはだれかが
どこかでだれかと対戦ゲームをやっているようなものでわたしにはまったく興味も感心も
ないものでした。それをもし
わからないことを面白いと思える余裕、衝動/好奇心、探究心。これを持って
詩に触れてほしいものです。知っていることだけで答えを出さずに、終わらせ
ずに、興味を持つこと。そこから湧き出る魅力に気付けるかどうか、
こういうことを仰っているとしたらちょっとそれはどうなのかなご自分の詩がどういうもので
あるかほんとうにわかっておられるのかなと心配をしてしまうのですがね。
いや三浦果実さまの大嫌いな長文になりました。
申し訳ありません。 (わからない)
2023-06-24
読めたかどうかまったく自信はないのですが
わるくはないんですが
いちおうなにかについて考え抜かれているとはおもうんですが。
詩ってのはいい詩表現のためには全部さらすのではなく
隠すということも必要なのかと自分なりに勉強させてもらいました。
全聯二行目と四行目だけでもよかったのじゃないかとかふと思いました。
(Lily)
2023-06-22
わたしの場合は詩に限らず人様の書いたもので「わかった」といえるものは
ほとんどないのですがそうじゃなく「面白かった」「なにかすっとした」「ケッサクだ」
と感じるものにはたまに出会います。小川国夫というカソリック教徒の作家がいますが辛気臭そうだ
という理由だけで読まなかったのですが中年になってから偶然図書館で本を手にとり夢中に
なってその辛気臭いうじうじした世界に引き込まれてしまったことがあります。
蓼食う虫も好き好きというけどわたしにとって小川国夫なんかもっとも正反対の世界の感じなんですが
ほぼ全著作を読んでしまいどれを読んでもそのネチネチとしめっぽい世界の展開に引き込まれます。
でご批評の作品本体ですが正直まったくわかりませんでした。
わたしの場合わからなくても詩の場合は必ずなんらかの情感や思想あるいは哲学めいたものは感じら
れるはずだと自負しているのですが当該作品の場合は数行読んでかすかすのなにかを口にしたような
感じがしまして読むのをやめました。それが今コメント欄をみるとかなりの評価で驚いています。
やっぱりおれは読めないんだなとがっかりしております。
そこでちょっと最後まで読んでみましたがやっぱりすかすかで意味不明です。
おそらく作者さまは現実世界というか実人生での体験とか経験は薄くて詩の題材をアニメから
観念的に受け取ってそれをもとに書いているような気がしました。
(あくまでもわたしの勝手な想像ですが。)わたしはどれほど難解な詩でも地に脚がついたところ
から書かれた言葉でないと反応しない旧式人間ですからこの手のすかすかの詩の時代にはそぐわない
のでしょうね。先行き不安です。
いずれにせよこの「わからない」という批評はすこぶる色々なことを考えさせて
くれました。ありがとうございます。
(わからない)
2023-06-22
思ったり感じたりしたことそのまま書くと相手を傷つけることがある。
ましてちょっとばかり自閉スペクトラム──いやそうとうそのケのあるわたしが
感想など書くとあまりも素直にことばを口に出しすぎてすでに二回もカードを
発行されている。この世はあまりにも自閉スペクトラム症に無理解で差別的だと
いうつもりはないがせめてLGBTにあれだけ大騒ぎするなら自閉スペクトラムにも
少しあたたかい目をと......いやこんなことを書くこと自体が病気の発現なのでしょうけど
わたしはじぶんの病気について人に相談したことがある。その人のいうにはカードを食らっても
いいじゃないですか。自分は自分らしくあればいいのですと。その言葉を信じて感じたことを
素直に書きますとそのうなんというか
この詩のことばというのは統合を失調しているわけですね。作者がそうだというのではなく言葉の
連合が統合を失調しているとみえるわけです。そうするとわたしのような詩的感受性のないものは
これをどう読めばいいのか悩む。それなら読まないでいいじゃないかということなんでしょうけど
現代詩がそういうものになりつつあるからそこをとばすことはまずいような気がしている。
統合を失調している表現をどうとらえるか。現在というか現実の社会は全体としては統合を失調して
いるのは間違いないのですが現代詩はそこを掴み取っているのかもしれない。
そうだとすればいいのですが.......どうもそうじゃなくて単に影響されて書き手自体も統合を失調して
いるだけだとすればこれは困った時代だなと思う次第です。
どうもすみません。まったくわけがわからないのでこんな感想で申し訳ない。 (わたしはうさぎをたべたとき)
2023-06-19
今のテレビ新聞雑誌には──とくにネット上には《物語》しか存在しないと
個人的には思っています。そこでこの投稿詩を読むために
キャンドルジュンさんという方の謝罪全文をネットで読んでみましたが
感心しました。巧みな《物語》になっている。演技もうまい。でも中身は
臭い。いかにも臭い。ストーリーが巧みだし演技もうまいので吐き気が
するほどではないけどいかにも臭い。身内のごたごたをそも外部に釈明すること
なんかないのだけどそれにしてもなんで原発反対がメインになって出てくる
のか嘲笑ってしまいましたが要するにこの程度に低俗なやつらなんです。
一ミリだって夢も希望もない。だれか意識高い系のバカがいうことをオウムの
ように拡声すれば「ウォーク」扱いされて拍手がくると思っている。
広末涼子とかいう賞味期限切れのばあさんにもう一度脚光を向けたいから事務所が
仕組んだお芝居と演出かもしれないけどそれだったらそれで面白いのに原発反対って
あははは。吉本よりも面白かった。
お陰でちょっと愉快な時間を過ごさせていただきました。
(東京の二日目。)
2023-06-19
作者さまへの批判じゃなくて
これを読んでラップのことを考えてみたんですが
アメリカのラップミュージックの世界というのは
ことばだけをとりあげてしまうと日本の現代詩の暗喩の深さや複雑さに比べて
ちょっとびっくりするくらい底が浅いのでそういうものを凄いと感じている
いまの日本の若者に暗澹とした知性の低さを覚えてしまう。
ヒップホップの歌詞は米映画と同じくハイコンテキストなものだから身振り手振りや
表情声の抑揚までまとめてなんぼだから詞だけをみても評価はむずかしいんだけど
どう考えてみても無理があるような気がしますね。日本の文化に融合するのは。
(10代終了のゴングと共に去りぬ)
2023-06-18
飛び込んでおいでよ 大丈夫
これをみて愉快な笑いがこみあげてきました。
(初めて恋をしたあの日)
2023-06-17
いろいろと調べる必要があり返信が遅くなって申し訳ありません。
田中恭平newさんの私生活の一端は現フォのご発言から伺い知ることができまして
電験3種をめざしているし奥さんのことも大切にされているし仕事も大車輪でこなしているしで
もの凄く生活自体が圧縮されている中でさらにご負担をかおけることになりますが
もし運営をやって下さるのならこれほどうれしいことはありません。
そこで今まではやや放言じみたコメントでしたがご指名でコメントを頂きましたので
ちょっと圧縮したご返信をさせていただきたいと思い考えるのに時間を要した次第です。
さて
マイクロアグレッション(microaggression)という言葉はあまり日本ではなじみが薄いかもしれませんが
米国ではこのことの是非をめぐり対立が起き
かなり問題化してます。
どういう意味をもつ言葉であるかといいますと
韓国あたりでは「差別以前」というふうな解釈もされているようですが要するに喋った本人に悪意がなくとも
相手が傷つくことがあるならばそれは"マイクロアグレッション"だと。
だからイエローカードだというのです。
するとこんなことどうするのということになる。
これをつきつめるとすべての言葉はマイクロアグレッションにつながるわけです。
「悪意のない人を悪人に仕立て上げる危険性がある」とwikiには書かれていますが
マイクロアグレッションなんか知らないよ。ビーレビでは考慮してないよというかもしれないけど
「あの人のコメント不快だからやだああ」「あの人にはぼくの名前も出してほしくない」というワガママが
ここでは認められておりそれに反すればカード発行の根拠にされています。
じつはこれがマイクロアグレッションそのものなのです。
これを深掘りしていくとマイクロアグレッションというものはある人の感情を少しでも害すれば
意識的な高さを否定され糾弾されることになる。
「気分を害した」という感情が規範的な道徳や倫理そっちのけで重視されるということは価値判断のアナキズムです。
「あの人のコメント不快だからやだああ」「あの人にはぼくの名前も出してほしくない」というワガママとは
要するにそういうことなんです。
マナー重視を掲げるあまり表現文学のサイトとしては規範や道徳や倫理そっちのけでだれかの「気分」を
優先させるひじょうにアナーキーで幼稚で過保護のサイトになっている。
結果多くの人がここから去っていった。
この問題を考えないとこれからも表現サイトとしては空中分解はさけられない。
ちっともおもしろくない表現プラットフォームがネットの場末に取り残されるでしょう。
だからあのですね、みなさん運営をするならおれは「カードあまり発行しない」と仰るけどその理由や
根拠は書かれていない。なんとなく漠然とそう語るのではなく根拠を示してほしい。
そうすればなぜみなさんが「おれはあまりカード発行しないよ」といっているかご自分のことがわかると思いますし
そこからこのサイトの最大の問題点が浮かび上がると思います。
(次期運営についての提案)
2023-06-17
ご返事ありがとうございます。
今正に、国家と民衆自らの意思に拠って、「新しい戦中」へ突入しようとしているという危惧が、杞憂で終ります事を、私個人と致しましては、祈願し。
復、敵愾心、恐怖と謂う、人間理性を動物化せしめる、みずからの感情と、対決を果たしたいと思う所存でございます。
このところのお気持ちにはまったく同感いたします。
ただ
わたしごときは大衆の良心をうんぬん出来る立場にはありません。
わたしが申し上げたのは大衆庶民が愚鈍であろうが賢明であろうがとりあえず
「ささやかな大衆庶民のささやかな生活とそのささやかな命」を守ることを唯一の立場としているだけです。
それなしにはその大衆庶民が愚鈍になるか懸命になるか狂気に走るかの選択すら奪われて
奴隷のように死滅してしまうからです。
詩人のような芸術至上主義からみれば大衆は愚鈍なものかもしれません。
あるいは宮台真司のような
賢明な頭脳からみれば大衆はクズなのかもしれません。
それならなをのことその眼の見えない大衆に寄り添い愚鈍な大衆のための代弁をすることが
思想家や批評家の努めじゃないかと思われます。
そして大衆が愚鈍ならば知性もないので賢明な思想家の話を聞かないでしょう。
それなら身を呈して
権力に対峙して無名のまま埃のように死するのもまた誰にも知られない英雄の生き方じゃないでしょうか。
わたしはここに一丁のピストルがあれば
死ぬ前に霞が関に突撃するかもしれません。
(だん塊の世代はどうやって遊んできたか)
2023-06-15
コメントありがとうございます。
鷹枕可さまの仰ることはわかっているつもりです。
絶対的な真実や正義や倫理などはなくそれぞれの〈立場〉それぞれにその
真実があり正義があり倫理があるということであるということだと思います。
それは一面真実でしょうけどそれならそれはもう互いに下手をすると殴り合い殺し合いしか
解決の道はないわけです。しかしわたしは唯我独尊になっている今の官僚の〈立場〉になんか
立てませんし金儲けしか念頭にない人殺し人類殺しに邁進する資本家の〈立場〉にも立てませんし
知的富裕層エリートのパシリでしかない「videonews.com」のあの阿呆な連中の〈立場〉になんか
ましてや絶対に立てません。たとえ殺し合いをしてもあの連中の位置には立ちません。
わたしにとっての真実 倫理 正義とは仰るとおりわたしが立つ場のことですし拠点のことです。
それはもう何百回もTwitterでも宣言し現代詩フォーラムでも宣言していますが その〈立場〉とは
ささやかな大衆庶民のささやかな生活命です。
これを守ることがわたしの立場です。わたしのすべての哲学文学思想行動言説の根拠です。
それを守る言説以外のすべての思い上がった言説にはくみしません。
わたしは投稿のなかで島田のテロ発言を批判してはいませんが批判するとすれば「おのれがやれよ。
おまえがテロをやったのなら褒めてやるが邪魔者は殺せというゲスな陰謀を安楽椅子に身を沈めて
称賛するなどクソのすることだ」とツバを吐きかけてやりますね。島田がいま眼前にいたらら
ツバを吐きかけます。それほど卑劣ですよこういう口だけの知識人てのは。顔をみてみなさい。
酒焼けして栄養過多で頬も赤らみぶくぶくに肥えている豚じゃないですか。周囲の連中も
ひとつも苦悩も知らないでへらへら笑っている。こういう連中に安倍を批判する資格はない。
そもそも安倍のことも
米国のことも一ミリだって知らないんですよコイツラ。あなたもそうだけど情報源が戦後の
G7体制下にある欧米の主要メディアからしか得ていないでなにがわかるというのか。戦後体制の
一面的な偏向報道を鵜呑みにして語っているだけの「videonews.com」の言説を鵜呑みにするなど
愚の骨頂だと思います。
精神病をいつも気にしておられますが精神病でない人間なんていますか? そんなものを実存の
根拠にしてまあ あなたの仰るところの〈立場〉でもいいですがそんなところから何が生まれるというのですか。
己のエゴに固執しているだけじゃないですか? いい加減につまらないこだわりを棄ててつまり自分を棄てて
ちゃんと世界をみてはどうでしょうか。
(だん塊の世代はどうやって遊んできたか)
2023-06-15
『ウンコのおじさん』ぜひ読ませていただきます。
感想を書くかもしれません。
コメントありがとうございました。 (だん塊の世代はどうやって遊んできたか)
2023-06-15
不用意には返答できないお話なのでしばらく考え込んでいました。
言葉使いにはもっとめちゃくちゃ慎重にならないといけないなと思います。
丸一日ちょっと本を読んだり調べたりしてあらためてじぶんを見直す
ことができました。ありがとうございました。 (だん塊の世代はどうやって遊んできたか)
2023-06-15
失礼
m.tasakiさまへの返信が黒髪さま宛になっていました。
黒髪さまと三浦果実さまへはのちに返信させていただきますとして
間違いをお詫び申し上げます。
(だん塊の世代はどうやって遊んできたか)
2023-06-14
今のリベラルがなぜ邪悪かということで
今回もだれか具体的な人物を例に出したいのですが──
東京新聞(中日新聞社系列)に望月衣塑子という記者がいます。
リベラルな活動家としては
たいへん精力的で無邪気な無茶ぶりを発揮している方ですが
この方の陰影のない太陽の方にしか視点が向かない一線的な姿勢をみていると
この人は果たして「善悪」に一度でも触れたことがあるのだろうか?
といつも疑問に思うんですよ。
望月氏だけでなく島田雅彦氏もそうですし宮台真司氏もそう。
あるいは茂木健一郎氏や辺見庸氏なんかもそう。
毎週TBSの朝の報道番組「関口宏のサンデーモーニング」に出てきて
そろいもそろって
暗い顔で日本の政治を憂うポーズをとる人たちもそうなんですけど
この方々は一度でも物事の「善悪」に触れたことがあるのだろうか。
と首をかしげます。
切り詰めて通俗的にかんたんにいうと自分が「悪人」であると感じたことが一度でも
あるのだろうかと首を傾げるんです。
なぜなら
そういう意識からしか「倫理」というものは生まれようがないと思うからです。
例外的に内田樹のように若いときにグレて映画女優の女房ヒモのような
生活を送り
その女優にも一人娘にも嫌らわれて離婚し一人娘のほうは家出をしてしまう。
仕方なく裕福な親戚に金を無心して生活をつなぎ苦渋と後悔の日々を送った経験のある
内田のような人の場合はさすがに世界観がまったく違います。
そういう人は一度ならずも「善悪」に触れている。つまり倫理というものを
骨の髄まで考え込んだ形跡がありそれがその人の世界観を奥行きと
深みのあるものにしている。
内田氏独特の屈折のある言葉はそこから出ている。
ところが晩年になってあまりにも華々しく成功してしまった。
内田樹が今自分を見失ってしまったように見えるのは残念でならないのです。
くだらないリベラルに成り下がって
「善悪」というものが見えなくなっているような気がします。
島田雅彦氏や宮台真司氏あるいは茂木健一郎氏のような
頭脳優秀な方々にわからないはずはないと思うのですが
日本という国は80年ほど前に欧米諸国と戦って敗けた国です。
米国に直接ないし間接的に統治されつづけている世界で唯一の国ですから
建前としては独立国ですが実際はそうじゃない。
田中角栄のようにアメリカの意向に逆らって独自に中国と国交正常化を行えば
米国の逆鱗にふれて政治的に失脚させられる。
さらに
田中角栄の失脚以来日本の政治家は米国の報復を怖れて米国の意向に抗えない空気が出来てしまった。
日本が米国の紐付きではなく
独立国として自前の政策を好きなように運用できるのなら
安倍晋三は
政策の責任をとって批判されてもしょうがないけどそうじゃない。
日本の政治家を批判するときには
必ず米国(とくに米民主党)の対日政策を脇に置いて言及しなければ意味をなさない。
太宰治が『如是我聞』でこういってます。
敵の神をこそ撃つべきだ。でも、撃つには先ず、敵の神を発見しなければならぬ。
ひとは、自分の真の神をよく隠す。
ところがいまの日本の文学者にはこういう視点が抜け落ちている。
安倍政治を批判非難するときはそれをさせている米国を批判しなければならないのですが
そこが抜け落ちている。
それから安倍を非難するときには霞が関の官僚組織を非難しなければならないのですが
それはできない。
米国民主党批判も霞が関批判もテレビ新聞雑誌にとってはタブーです。
テレビ局や新聞社は巨大企業の広告料で成り立っている。
日本と違って米国の民主党政権というのは巨大グローバル企業の中央管制センターですから
そんなことをすればすぐにそのテレビ局は間違いなく報復を受けます。
とうぜん今どきの作家も詩人も批評家も米国を安倍と結びつけて批判できない。
それをするとそういう人はテレビ新聞雑誌から呼ばれなくなります。
そこでどうするかというと
安倍だけを非難する。それも激烈に罵倒し非難することでかろうじて自らのリベラリズムを
成立させることができる。
安倍を非難するなら官僚組織を非難しなければならにのですがそれもまたタブーです。
官僚を怒らせれば放送法なんかかんたんにひっくり返されてしまいます。
安倍という人は生前から様々な人につぶやいていたけど「政治家より官僚のほうが権限や権力を
もっている。世間の人はそれを知らない」
なぜ安倍という名前が政治家の悪の象徴のように非難されるかというと都合がいいからです。
ほんとうの巨悪を攻撃することができないからそれに踊らされている人間を吊るし上げることで
「リベラル」という名を手に入れる。
でもそんなものは欺瞞です。
安倍を集中的に非難しても何も変わりません。安倍が死んで岸田が出てきましたがこの一年で
日本はもうめちゃくちゃになっています。
岸田は米民主党のポチですから安倍と違って日本をまっすぐに戦争へ戦争へと導いています。
ああみえて安倍は安倍なりにせめてこの国を戦争にだけは近づけないように必死で動いて
いました。
つまり安倍は独立した政策を立てられないこの国にあってあらゆる手立てを講じてなんとか日本の
平和を維持させるべく命がけで動いていたのです。
だからこそ安倍が死んだ時プーチンからも欧州のトップからも東南アジアからもオーストラリアからも
悲鳴のような言葉が発せられた。
その安倍が米民主党ネオコン政権にとっては邪魔でならなかった。
リベラルを自称する方々がほんとうにリベラルなら安倍を擁護すべきだったし朝日毎日が
ほんとうにリベラルなら安倍を支援すべきだった。
きょうび安倍を非難することはただそれだけで欺瞞なんです。それは大事なものを隠すことに
なる。大事なものというよりは太宰のいう真の敵を隠している。
それをリベラルというのならそれはたいへんな不幸を日本にもたらすものです。
こういう物の見方というものは知識や頭脳の明晰さで獲得できるものかというと
そうじゃないと思うんです。
こういうのは一種の宗教的な感性で
カルト的な偏執と関連しているような気がします。
望月衣塑子という記者の発言や行動をみていると(山本太郎なんかもそうですが)
この人たちはおそらく「善悪」というものに触れたことがないのだろうと感じます。
自分を一度でも悪人であると感じたことがない人々からは倫理など生まれるはずが
ありません。
三浦果実さまから「観念的な話」についてのコメントを頂きましたが
今のリベラルを自称する方や他称される方々は
まさしく観念的な話と現実との見分けがつかなくなっている。そこに一種カルト的な
蒙昧がすべりこむ余地がある。
多くの人が誤解しているようですが論理というのはモデルのことです。モデルとはつまり
仮説です。とうぜん現実ではありません。ところが論理を振り回す人たちはここを間違えている。
現実とつきあわせてモデルを手直しする操作が論理であるのにそれとは逆に
モデル(論理)にあわないから現実が間違っていると錯覚する。
この錯誤から
つまり望月衣塑子氏のような「今のリベラル」がうじゃうじゃと湧いて出ている。
しかも善悪観がないから良いことをしているつもりが多くの人々を地獄に送っている。
それはテレビ局もそうですし新聞も雑誌もそうです。
そして今の
詩人の多くが政治的な世界観が望月衣塑子氏とほとんど変わらないほどに単純で粗雑です。
素晴らしい詩を書くのにねえ。
(だん塊の世代はどうやって遊んできたか)
2023-06-14
三浦果実さま
黒髪さま
コメントありがとうございます。
お二方から興味深い身のひきしまるご返事をいただき感謝です。
昨夜なぜか朝までどこかから大きな騒音が響き今も寝不足で頭がぼうとしております。
ゆっくり頭を休めあるいは寝直してからしばらく時間を費やしてコメントさせていただきたいと
考えております。多謝。 (だん塊の世代はどうやって遊んできたか)
2023-06-14
追記
なぜ邪悪かということについては明日かってに追記させていただきます。
もうしわけありません。所要でここまでとりあえず思うところを殴り書きさせていただきました。
何度も申し上げますが質問して下さってありがとうございます。 (だん塊の世代はどうやって遊んできたか)
2023-06-13
お読みくださりありがとうございます。
質問して下さったことに感謝申し上げます。一生懸命返信させていただきます。
まず「今のリベラル」の定義ですが
わたしには学問的な意味でのリベラリズムの定義はできませんので
通俗的あるいはジャーナルな意味での「今のリベラル」ということになると思います。
それでわかりやすくするために具体的な人物名をあげますと
法政大学教授で作家の島田雅彦氏。
島田氏はyoutubeの番組で安倍元首相暗殺事件に触れて
こう発言しています。
「顰蹙を買うかもしれないけど今まで一矢報いることもできなかった
リベラル市民として言えばね、せめて暗殺が成功してよかったなと」
https://www.youtube.com/watch?v=OX1FdwLB8hY
島田氏がここで自称した「リベラル市民」という発言に座談に参加のみなさん
動画の中でうなずいておられます。ですから青木理氏白井聡氏のお二人も
島田氏のいう「リベラル市民」であるということでいいと思います。
またこのあとすぐに島田氏と歓談した宮台真司氏茂木健一郎氏もまた
島田氏のいう「リベラル市民」といっていいとおもいます。
それから内田樹という自称思想家で自称武道家がいますがこの方もお仲間
でしょう。あと辺見庸というわたしの大好きな作家がいますがこの方も
ジャーナルな意味で島田氏と同じであるとわたしはみなしています。
こういう人たちの特徴というのは倫理的な価値観を標榜するくせに
だれかを批判するときは政治的にふるまうというところでしょうか。
つまり
倫理的な義憤から発した政権批判や保守批判あるいは社会批判なら
そこでは批判や議論の勝ち負けは二次的なものになるはずです。
つまり
倫理的な義憤がなにかに向かって批判をはじめるときには反論者に対する
勝ち負けではなく
事実や真実の解明が何より優先されるはずだとわたしは思っています。
ところが
政治的イデオロギーが倫理を偽装しているときには批評の妥当性が
いつも倫理的な誠実性を犠牲にして粉飾されるのですね。
たとえば裁判における弁護士と検事の争いのように事実を解明すること
よりもどうやって相手に勝つかということが優先されると事実は二次的に
なります。
そのためには倫理的な誠実性をドブに棄てても構わないと平気で思ってしまう。なぜなら「いいこと」
をしているのだからそのためには隠蔽もウソも暗殺もありだということになる。
わたしがいう「市民リベラル」というのはイデオロギーのために倫理を
平気で偽装する人たちのことです。しかも厄介なことにじぶんたちが倫理をドブに屠って
いることにすら気がついていない。
わたしのいう「今のリベラル」とはそういう人たちのことをいってます。
たとえば女性差別批判。これは政治ではなく倫理のはずです。
ところがサヨクリベラルとみなされている弁護士たちは反論や異議に対して
政治的にしか対応しない。これ以上批判すると訴えるぞと訴訟ハラスメントが飛び出す。
誠実さが最初から完全に放棄されている。
「いいこと」をしているのだから誠実さはむしろ弱さ─敗北の要因になる。勝てば良いのだとなる。
つまり倫理を偽装して政治的にしか行動していないのが「今のリベラル」ということです。
こういう「今のリベラル」が日本をどうしてしまうか、御本人たちは倫理的にふるまって
いるつもりでも内実は政治的で極めて不誠実なのにやたらむつかしいフランスの
思想家の文言やツエランの文言などを持ち出して苦悩のポーズを決めて見せる。
辺見庸なんかの今がそうですね。
滑稽の極みなんです。
死刑は邪悪だという倫理的な発言が安倍晋三暗殺という現実に対面したときに
自動的になんのちゅうちょもなく政治的になってその行為に無批判になってしまう。
島田氏もそうです。
ほんとうのリベラルは誠実さのあまり弱点をさらけ出す。だから倫理や誠実性はドブに
棄てられています。
その結果、世界中に厄災をもたらしている米民主党ネオコンの世界戦略にかれはら
知らずに組み込まれている。
ついこのあいだも米国では邪悪の象徴のようにいわれているエマニエル駐日大使と
日本のリベラルが手をとりあってLGBT法案の国会成立をパレードしていました。
これはじつは明らかな偽善なのですがだれも偽善とは見抜けない。
基本的に日本の詩人は政治については幼児と同じ見識しかもっていない。
わたしはちょっとしたいきさつから日本の最前線で活躍している著名詩人や
韓国の英雄的な詩人さん方と酒席の末席に同席する機会が何度かあり
かれらの政治意識が稚児に等しいことに腰を抜かしたことがあります。
それはかれらの倫理と政治をごっちゃにする倒錯がどこから来たのか
詩壇の御大のことはわかりませんが新鋭の詩人さんたちでいえば
戦後の受験優先教育ゆえにじぶんの頭でものを考える能力が欠損したからじゃないか
とかってに思っています。
頭もいいし知識も凄いけど精神性はほとんどの詩人は稚児に等しい。
これが今の日本の文学情況の悲劇だと思います。
(だん塊の世代はどうやって遊んできたか)
2023-06-13
つつみさんが辛いことになったかどうかわたしには確認のしようがない。
実のところ女性か男性かすらわからない。子育てしながら一生懸命投稿されていたことも
ほんとうかどうか今現時点ではわからない。わかるのはそういう表現を残したということだけ
であって残された《物語》の観想を述べることしか出来ない。
ひょっとしたら辛さのあまりなにかよからぬことになりかねないかと心配したけどそれはあくまで
《物語》の展開についての観想であってぶっちゃけわたしにとってつつみさんはネットという幽霊の世界の
人でしかなくわたしに確かなことは作品とことばが残ったということだけ。
そうでないと幽霊の世界のことでいちいち責任感じたり精神的に落ち込んでたりしたら身がもたない。
おまえは人のいうことを信じられないのかといわれるかもしれないけど
わたしはもともともの凄く陰険で意地の悪い人間で自己本位だから非難は甘んじて受けます。
かといって居直っているのではなく日々もっといい人間になろうと努力してます。
つつみさんがからからと笑って戻ってくることがあればそれほど悪くないなと思っています。
(次期運営についての提案)
2023-06-13
最初緊張されていたのかもしれませんが
途中ふと浮かべた微笑がいいですね。
それからはいっきに自然な語りになり見ている側も
緊張がとけてその語りに同期していったようです。
何ものも及ばない無限の空をひとすじにかち割っていく
飛行機雲の軌跡はわたしにはひとつの英雄譚にみえます。
(「残光は還らない」+動画メッセージ「今まさに、線を引く」)
2023-06-13
コメントありがとうございます。
疲れて眠ってしまいご返事が遅れ申し訳ありません。
ひとつ思うんですが
わたしたちを規定しようとする時代の壁をやぶらないと
今の窮屈な倫理の装いを強要してくる閉塞した空気を蹴散らすことはできそうにないですね。
若者たちはどんどん既存のリベラルへの嫌悪を強めています。まるで戦前の
翼賛体制思想家のようなふるまい(たとえば先日神奈川県の水着大会を女性差別だ
といって閉会に追い込んだ共産党やリベラルの表現や集会への介入や弾圧)
あきらかな公演の自由表現の自由への弾圧なのにリベラルがそれをすると黙っている。
そういうことにまったくうとい詩人たちの感性の重さ。
まるで座布団に穴があくほどに重く動かないでそこに安住している。
そのくせ詩ではパウル・ツェランがどうのと悩むポーズをとってみる。
そういうのは知性とか知能とかじゃなくて精神の頽廃だとおもうのです。つまり
アマチュアリズムとは既存の知的権威への抵抗や知的抑圧に対するピュアな反抗の精神
だとも位置づけられると思います。ナチュラルな風のような素朴さと斬新さと
まっすぐな感性が倫理的な装いをした抑圧にたいする抵抗のための武器であると思っています。
だからそういう人が往々にしてカードを発行されるような掲示板であるなら
若い人たち新しい人たちは寄ってきません。
昨日ある投稿サイトに斬新でさわやかな感性をもつ新入会の書き手を2人発見しましたが
ポイントがついていなかったのでその3作品にポイントをつけてコメントもしました。
現代詩フォーラムに初投稿された「撫川」という方と「蕎麦屋の娘」という方です。
こういう新鮮な方がどうしてここに寄ってこないのかあるいはあそこでどうしてポイントがつかないのか
興味深く考えています。
*いま確認したらすこしばかり星がついていましたが。
(ネット詩投稿掲示板から消えていく才能たち)
2023-06-13
お読み下さりありがとうございます。
わたしにはまだまだわからないところがありまして今どうして
そうなるのか興味をもって眺めてときどき考えにふけっているのです。
この問題はなかなか言いにくことがいっぱいありましてとてもむつかしい。
アール・ブリュットにしても進化をなくし硬直した芸術の壁を破るために出てきたところも
あるのでしょうから
アイデアとして出されている「詩人スカウト」みたいな面白いことつまり
だれか書き手を探し出してここに投稿してもらうというのも活性化につながるかもしれません。
現代のアルチュール・ランボーが
ポケットに手をいれて口笛を吹きながらどこかに歩いているかもしれないですから。
歩いていてほしいな。型破りな天才詩人がどこかで。
(ネット詩投稿掲示板から消えていく才能たち)
2023-06-12
「ありがとうございました」とおっしゃっているのだからもう返信はかまいません
よということなのでしょうけど
クヮンさんと違ってわたしはがさつな人間なのでクヮンさんのように丁寧な返信はできませんでしたが
気持ちのなかでは同じくらいの気持ちがあるつもりなのです。
はたして真摯な対応をする気持ちがほんとうにあるなら必ず表現に出てくれるものか
心配しながら自分の備忘録として少し書いておきます。
加藤 典洋『言語表現法講義』にあったのですが
加藤は明治大学で作文の講師を受け持ち学生たちに作文を提出させてそれを合評するの
です。ですが学生たちは作文を提出してもだれからも読まれないと書かなくなるというのです。
わたしのいう評価というのは褒めるということではなく確かに読んだよということです。
Twitterならポイント数だけでなく何名の人がこのツィートを目にしたかが表示が出ますよね。
わたしはポイントとか評価というより何名の方が投稿を目にしてくれたかが投稿者に
わかれば随分違うんじゃないかと思ったんです。
わたしもじつはポイント数よりもそっちのほうに関心があってそれがわかればなにか
投稿したかいがあるなとおもえるんです。でもそういうシステムの投稿板は皆無です。
イイネやポイント数しか表示されない。そうするとポイントがゼロの場合おれのわたしの
投稿はだれにどの程度読んでもらえたのかわからない。なんとも宙に浮いた気分になる。
「評価」ということばをかいておりましたが「評価」というよりどれだけの方が読んでくれた
かということに近いかもしれません。
ただそれだけのことであえて返信させていただきましたがもちろんご返事はいりません。
わたしのほうこそクヮンさんの真摯な態度に感銘をうけました。
ありがとうございました。 (ネット詩投稿掲示板から消えていく才能たち)
2023-06-12
ばあちゃんが言ってたことが1番正しかった
これはほんとうそうですよ。この一文でこの檄文はダルマの目を
真っ黒にして生命を吹き込んでいる気がします。
つぎに
いちいち今の言い方は100点だね!とかうーん20点…とかわけのわからん採点をされるとしたら新しい地獄みたいなもんである。
これがダルマさんの二つ目に真っ黒な瞳をいれている。
一般論ですがだれかが好きな詩を別のだかれがきびしく批評したらどうして悪いのか?
関係妄想を抱くような変なのがもし自分の好きな詩を非難したからそれを罵倒家と呼んで
だれかが好きな詩を誹謗したことになるなら
そんなものただのワガママと関係妄想の産物でしかない。気味が悪い。おまえのために世界が
あるのじゃないよといいたいね。
そしてそんな関係妄想からだれかの作品やコメントがあらしになるのなら
そういうワガママな人たちだけで閉じた会員制にすればいい。
でないと一般投稿者にははなはだしく迷惑だということも付け加えておきたいですね。
(成仏せよっ!ブンゴクの亡霊どもっ!!)
2023-06-12
お読みくださりありがとうございます。
それで前から考えていたのですが創作と公開はもちろん違うと思います。
まったく別のものでしょうね。少なくともわたしにとっては。
そして公開とは創作が一体となっているものです。
つまり創作には創作しかないけれども公開というのは創作がいったいとなって
なんらかの反応を求めています。それがなければ公開をやめてしまいますし
創作もしなくなる方がでるでしょう。
『徒然草』のように公開が目的でなく障子紙や壁などに気がついたことを
書き留めていた古典が残っていますがこれだってこころの底ではいつかだれかが
読むかもという気持ちがあった気がしてならないのです。
そうでなければ冒頭「つれづれなるがままに」という自己の書く姿勢の意味を
わざわざ書き記すでしょうか。それがほんとうならそんな弁解でもないでしょうが
だれかに聞かせようとするような言葉は必要なくすっと本題を書いていけばいい。
「つれずれなるがままに」と書いたときに全体の構図が出来上がっていたのじゃない
かという気がします。
つまり吉田兼好は創作したのではなく投稿したのです。
話は変わりますが
ここが門前に書かれた表題とおりの表現の最先端のサイトなら
引きこもってばかりいるのではなく一度みなさん総出で現代詩フォーラムに
殴り込みでもかけてはどうでしょう?
あそこには暴言もなにも存在しません。遠慮会釈なく罵倒もしてくれます。
だからこそ そのあからさまな非難誹謗中傷暴言ともみまがうコメントに
すっかり身体をまかせてコメント者に許しを与えることができるでしょう。
わたしはここもそういう大人のサイトであってほしい。
ひだかたけしさんの詩についての以下の感想などこのサイトならレッドカード
を十回くらいくらっていたかもしれません。
『ひだかたけしの「あまだれ一夜」を読む』
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=377327
でもどこもまったく微動だにしませんでした。
御本人も読んでないかもしれませんが投稿者も微動にもしなかった。
つまり現代詩フォーラムというサイトは微動だにしなかった。これが投稿サイトです。
精神がまだ幼い方は反対されるかもしれませんしそういう常連さんが舌打ちしてここを離れていく
かもしれませんがそういう方々がいくら新しいサイトを作ろうがどんなシステムをつくろうが
永久に同じだということは決定していると思うんです。
(ネット詩投稿掲示板から消えていく才能たち)
2023-06-12
ついでにですね「あいつの批評やだ」「コメントいやだ」で幼稚園児でもいわない
わがままだだこねにいちいちセンセーがついて「もうぼくあの子にいっさいものいっちゃだめよ」
といってカード切るのもやめてもらいたい。
大事な大事な数少ない「少し書ける」常連「少し人よりはなんとなく凄い批評にみえるアクロバットな
批評」ができる常連がここから離れるのをふせぎたいからでしょう。気持ちはわかります。でも
いくらキッズランドだといっても年齢的にはたぶんおとなのサイトがそんなことしてちゃいけません。
しょせんアマチュアの集まりなんだからアマチュアの良さをなぜ追求しないのですか。
プロにはできないものがあるんですアマチュアには。次元が違うのに必死でプロのマネをしようと
している。殿堂とかいうわけのわからないお遊びもそうです。そうじゃなくてプロが歯ぎしりしても
かなわないものがナチュラルなアマチュアリズムであってそういのはプロでも読みたがっていることが
どうしてわからないのか。いまやネットのほんとうのアマチュアリズムは死滅していますよ。
きみたちが読めないから。読めているつもりでもアマチュアリズムの素晴らしさを知らないから。
もう一度初心に帰って一からみつめるほうが先だよ。なにが殿堂ですか。なにが詩集ですか。
浮ついてないで静かに自分たちがほんとうにどこでなにを書いているか。そしてそこがどのように
詩誌やらその手の専門家たちよりも素晴らしいものを見いだせるところであるか
考えてみてはどうかな。鳥なき里のコウモリなんかいらないのですよ。 (新運営者の打ち合わせスレッドです)
2023-06-12
あのね「あらし」やヘンな投稿者を今から心配してあーでもない
こーでもないと運営について議論するなら一発で「あらし」や変な奴を
心配しないで済む方法があるから申し上げておきたい。閉じた会員制にすれば
いい。同人にして仲間だけで詩を投稿し合評すればいい。あなたがたには
広く世界から有名無名のさまざまな人たちの投稿をもとめるだけの資格など欠片も
ない。最初から同人会員制にすればあなたがたの一番の悩みはすぐ解決なのに
なにかといえばすぐに
文句があるならお前やってみろだの運営はこんなに大変なのに少しはおもんばかれよとか
幼稚園児のような恥ずかしいことをいっている。そしてそれが大人としてどれほど恥ずかしい
ことかすら理解できない。幼稚園児だからしょうがないとしても。
だからねもうめざわり耳ざわりだから閉じた会員制にして一般の人たちに迷惑かけるなよ。 (次期運営についての提案)
2023-06-11
全部を読み進めているうちにもの凄く不快になってきたのでひとこと。
いちいち「あらし」がどうの「やばいひと」はどうのと口をすべらせている方が
多いが自分たちはぜったいに「あらし」や「やばいひと」じゃないという
絶対的な自信と揺るぎない高所から自分以外の新参やあまり発言しない初心者たちを
見下している目がある。わたしからみればあんたたちが「あらし」や「やばい」人なのか
もしれないんだよ。でもじぶんだけは頭からそんなことをかんがえたこともないようだ。
じぶんを一度だって対象化してみたことのない唯我独尊の幼稚なぼくちゃんの集まりにこの先なにが
できるんだよ。同じことを繰り返してその繰り返しのなかで己の唯我独尊を際立たせてだれか他者を
見下す。それの自己永久運動のサイトなどさっさと店じまいしてしまえよ。ほんとうにくだらない精神の見本市だ。
(次期運営についての提案)
2023-06-10
追記
それと柳煙さま。お礼にというわけじゃありませんが
フォームに立てられて問題的に「批評について」へコメント
したいのはやまやまなんですがわたしのフォーラムへのコメントは
すぐに反映されず一旦検閲にかけられます。荒れているトピックスへの
対処ならわかるのですが新規でもそういうことがありました。
わたしは検閲にかけられるというその事自体が非常に不快ですので
今後いっさいフォーラムにはコメントしないようにしております。
いいお題のトピックスで残念ですがじぶんが書き込んだものが検閲
されているという意識だけでも不快を通り越して非常に不愉快なもので
もうしわかありません。
そのうち投稿作品へのコメントまで検閲するようになるのかな。どうなんだろう。
ひどいことをひどいと思わないで平気でつづける運営さまを見守っていきたいです。
( ちがう人間ですよ )
2023-02-06
柳煙さま。お読み下さりありがとうございます。
おっしゃるとおりだとおもいます。
ただ運営と対峙しているわけじゃございません。
申し訳ないですが運営さまが対峙するほどのお相手とは
まったく思っていおりません。またひどいコメントをした方にも
対峙しておりません。こんなことをいうとなんですが歯牙にもかけておりません。
ほんとうにすみません。幼稚で単純で自己愛一辺倒の大人になりきれない
方々を相手にしたり対峙するほど暇ではありません。わたし忙しいしやること
いっぱいございます。失礼をいたしました。 ( ちがう人間ですよ )
2023-02-06
Comoestanuquiさま
お読み下さりありがとうございます。
いったい何から語れば良いのか語ることが多すぎてまた自分の心の隙間も
心配りの至らぬこともありそうでしばらく天井を見上げていると一番最初に思い出したのは
ご病気で亡くなられた投稿者の田中修子さんのことなんです。
わたしは田中修子さんがそこまで深刻なご病気だとは知らなくて何度かメールを
頂いたときも軽い調子でよもや話程度にしか相手にできなかったことを悔やんでいます。
そんな御病気だと知っていたらもっと慎重に用心深く語ったのにと。
そのときつくづく思ったんです。みんな一人一人それぞれ違った重みを抱えて生きている。
みんな自分とは違うのにそのことへ想像が至らなかったことを情けなく思いました。
そしてそんな情けない悔しい思いをしたことをいつもすぐに忘れてしまっている。
田中修子さまだけじゃない。知らない相手を相手にしていることに配慮が足らなかった。
わたし自身もそうだったんですよ。幼いとき親父から風呂場で湯に頭を押し付けられ殺されそうになりました。
あとで母から聞いた話ですが腹を蹴られて腸捻転を起こし救急車を呼んだこともあったそうです。
ずっと虐待を受けていたのに風呂のことが少し記憶に残っているだけなんですね。
おそらく怖くて何も思い出せないんです。だから小学生の初めてのプールで水に入るのを大暴れして
拒んだのですが同級生は大笑いするし教師は力ずくて水に引き込もうとして結局わたしが泣きじゃくるので
舌打ちをしてやめました。わがままなただの臆病からきているとしか考えなかったのです。
みんなが水泳を楽しみに来ているのにわたしの恐怖のせいで波乱が起きたことをわたしは謝罪すべきなのか?
子どもたちは水泳を愉しむためにここにきてます。
きみは迷惑なので立ち去ってほしい。
非常に不快です。
ここにいるのなら死んでもいいからプールに入れ。
もしこんなことをいう教師がいたとすればその教師の神経がどうなっているのか実のところわたしにはまったくわからない。
ましてや
それでも人間か。
というのは、相手を人間とみていないということになります。
だれかがプールに入れないトラウマを抱えて拒否しているだけで本人が無理にプールに入れられようと
しているわけじゃない。いわば傍観者です。そいつが「それでも人間か」と叫んで憎悪を撒き散らしている。
この心的構造がわたしにはまったく理解できない。どうすればここまで他人を憎悪できるのか?
これは詩作品にもいえます。
ひとつの作品はその作品をつくりだすもとの感情や思想がなんであれ作者の人格とはまったく独立した
ものです。それが芸術的昇華ということであることは中学生でも知ってます。
その作品を見ようとしないで作者の人格を憶測して憎悪までつのらせる。作品をみようとしないでかってに憶測して
「嫌がらせに困ってます」とTwitterでおおやけに宣言する。これこそ人間のやることでしょうか?
数回言葉を交わしただけでていねいに話し合おうともせずにここまでやるなんてありえない話です。
不快だといえば何でも通る集団というのは幼稚園児の未熟な世界です。不快。つまり気持ちよくない。
世の中には気持ちよくないことなんていっぱいあるし大人の世界ってのはそういうものと関わりつつ
成長していく構造になってる。そんな社会人としてのいろはもわからない御仁が詩を書き運営をしている。
もっとわからないのはこういう方に限ってナチの強制収容所体験をしたユダヤ系詩人のことを
苦悩のポーズで語ることが大好きだということです。おそらくそういうことを語れば
知的な人間でヒューマンだとみなされるのでしょうね。なんという茶番か。わたしの見るところ今日
ことが起きれば一番かんたんに顔色も変えずに気に入らないやつらを皆殺しする思想や体質の人間に
かぎってリベラルやヒューマニストを気取っている。
ああ、話が脱線してしまいました。怒りは何も生み出しませんね。
そもそもわたしには何も語る資格はないのですよ。『出口がない』という作品を読んで的確なコメント
をなされていた湖湖さまには頭が下がります。わたしこれからは湖湖さまに足を向けて寝れないです。
湖湖さまの以前の投稿作品に批判的なコメントを付けたことをいま反省しています。これほどの方だから
わたしになんらかの読み落としがあったのかといま狼狽しているところです。
吸収さまも最初のコメントは作品だけをみていたと思います。
それでも人間かといったコメントをした方は謝罪の気配もないし運営はカードを出すような動きがありません。
なんとも情けないし残念に思いますが他のコメント者にこういう方々がいたことはわたしには救いでした。 ( ちがう人間ですよ )
2023-02-06
蛾兆さま。
管理人さまから忠告されたのはあなたの投稿欄へのコメントをやめることですよ?
他の投稿者のコメント欄でも批判するなというのなら蛾兆さまはその後三浦果実さまの投稿
【ネット詩はメタバースによってゲーム化する】
https://www.breview.org/keijiban/?id=10568
で
室町氏については嫌悪感しか感じないので、
とわたしの名前を出して誹謗中傷してますよね? これに対してもわたしは言われっ放しを
我慢しろということなのでしょうか? 蛾兆さまはいくらでもわたしを誹謗してもいいが
わたしはそれに対して反論や注意はできないのでしょうか? 運営がそういう不公平を認めているのでしょうか?
いい大人でしょ? 子どもじゃないのですから話し合いもできず、上から目線で一方的に相手を抑圧し、
すぐに感情や憎悪を爆発させてキャンセルしかできないようで他者とどうやって交流できるのですか?
ご自分がいかなる場所でも名前を出して批判されたくないのなら、いかなる場所でも
わたしの名前を出さないことをまずはあなたが実践すべきです。話かけるなといいながらわたしの名前を出したことを
謝罪もしてませんよね? とにかくあなたの投稿欄へのコメントはしませんが、他の方の投稿にコメントしようとして
蛾兆さまのコメントで非常に不愉快な思いをして、コメントする気持ちにヒビが入りました。
「それでも人間か」って人間はみな人間です。人殺しだって狂人だって人間です。
そんないいざまはないでしょ! 人間をなんと思っているんですか!
今後とも蛾兆さまが不愉快な言動をしてわたしの表現活動を妨げるようなことがあれば
それについては批判させていただきますよ。
(出口がない)
2023-02-05
蛾兆さま、わたしはこの作品、白血病の問題を中心にどう評価批評
しようかとずっと考えていました。ある作品の受け取り方は読み手それ
ぞれの自由裁量であるとおもいます。それをこのようなコメントで非常に
不愉快な思いをしております。
蛾兆さま。すぐに感情的になって出ていくか出ていかないかという
関係遮断思想を持ち込むのはあまりよくないですよ。
どうしても自分の好みの人だけのサイトにしたいのなら運営と
話し合って会員制の投稿サイトにされては如何でしょうか。
オープンに開かれた投稿サイトならそりゃあいろいろな人が
入ってきます。じぶんの好みに合わない方もそりゃあいらっしゃる
でしょう。それをいちいち話し合いも拒否して、出て行けば?
という話にもっていくなら運営と話合われて会員制にすればいいと
思うけどなあ。でないと表現や批判の自由があると思って参加された方は
とまどいますよ。蛾兆さま、どうかご一考を。 (出口がない)
2023-02-05
蛾兆ボルカさま、あなたは間違ってますよ。
作者のこころのなかでどんな作詩欲求があろうとそんなことは詩作品の出来や価値とは関係ない。
あなただってじぶんの投稿欄で人から不快なことをいわれるといやだといってコメントを封じられた。
それならなをのこと人さまにだれがみても異常なこんなコメントをするべきではない。
いきなり「あなたはそれでも人間ですか」って、それは説明をつくして相手に意見も聞いてから
最後にいうのならともかく、読んでいても不快になるコメントです。こんなコメントをしても運営がなにも
あなたに注意しないのだとすれば問題だとおもうけどね。少し頭を冷やしてください。
わたしはこの作品のことをどう批評するばいいか何度も読み返しています。そこにこんなコメントされては
不愉快です。
(出口がない)
2023-02-05
追記
これがほんとうの最後。笑
コメントをする前にわたしは夏立むぎさまの過去作をすべてひとつひとつ読み直し、
その上で最果タヒに匹敵するほどの感性豊かな詩作者だなと驚愕かつ震撼しておりました。
これからさらに伸びていくために夏立さまにひとつだけ足らないのは才能ではなく
厳しい批評だけだなと思いました。もちろん厳しい批評にさらされなくとも最果タヒの二番煎じのような
詩人にはその才能ならなれるでしょうけどもったいない。わたしのは批評ではなくただの
感想にすぎませんでしたが今後のご成長と詩人として唯一無二の存在になられることをお祈りしております。
いやな気分にさせてもうしわけありませんでした。これにていっさい関わることはありませんのでどうか
ご安心ください。
(システム)
2023-02-03
>痛い思いをしてセックスをすること=犯罪=わるいこと
それはすぐにわかりました。わたしもそれほど暗愚じゃないので。おそらく田中さまも
わかっていたはずです。しかしそれなら痛い思いをしてセックスをすることは犯罪......
で終えなかったのかと考えたのです。そこに「わるいこと」という尻尾がついてくる。
あるいは痛い思いをしてセックスすることは悪いことだで終わらなかったのかと考えました。
三段になっているのはなぜか。
すると犯罪=悪いことという価値観が入り込んでいるのじゃないか。御本人が意識しているかどうか知りませんが。
わたしにはそれは表現者としてほんとうにどうしょうもない考えだと思われました。
コームインというのはあなたのことではなくコメント寸前にコームインの男から低学歴者はワクチを打たない。
バカだからということを公で平気で差別的偏見を吐いていて非常に不快になったことが原因でつい出てしまったのかもしれません。
このところコームインの男らのそういう発言ばかりに出逢ってしまってコームイン的な発想という意味で書きました。
もちろん「すべての」公務員がそうでないのはあたりまえのことですが。
いずれにせよ、今後はいっさいのコメントは控えます。不快にさせる意図はまったくありませんが不快にさせたのなら
今後はいっさいの投稿を読まないようにしますしもちろんコメントもしません。
(システム)
2023-02-03
犯罪は悪いことです
犯罪=法律に抵触することなのでしょうけど、
それなら1935年、ドイツで成立した「ニュルンベルク人種法」に反した人は犯罪者ですか。
あるいは1983年に成立した日本の「国家総動員法」に反したひとは悪いひとですか。
たしかにその共同体の中では犯罪者であり悪い人なんでしょうけどね。
時代が代わり法が変われば犯罪者も悪い人の範疇もころころ変わるというのもなあ。
偏見や差別意識の強い、コームインの発想だとわたしはおもっています。 (システム)
2023-02-03
膿でもなんでもなくあたりまえの言葉であると思います。
ただ、このような言葉を配信することは
きょうびは孤独に耐えなければならない。ひとりぽっちの道を
歩くことになっています。本来ならそれが詩人のたどる道であるはずなのに
どなたも詩もどきを書く方々は知らぬふりをしている。
いやな世の中です。 (間引き)
2023-02-01
おはようございます。
読後感ですが、
非常に愚かで幼稚な人間がマンションの管理をしている。
頭もそれほどよくない。
それに「間引き」というよりは「検閲」でしょうね。
そういうことをして平気な幼稚さ、頭の悪さ、精神の未熟さには
あ然とする。
まともな神経をもつ住人は去ったということでしょうね。
あるいは去ったはずの一部のもと住人が外から管理人に司令している
とか。どっちにしろ幼稚な管理人と住人だからそうなるのでしょうね。 (間引き)
2023-02-01
お恥ずかしいはなし、わたし三浦さまからメタバースという単語を知るまで
メターバースなんて語彙、目にも耳にもしたことがないので、しばらく暗澹としておりました。
それでいろいろ調べて、ああ、バーチャル仮想空間のことかと納得した次第です。
正直なところ、わたしにはこの話題に関して何もいう資格はないし、また、何も考えが
浮かんできません。
ただ、世界は必然的にこの世界へ向かっていくことは確実なんじゃないかと憶測しております。
わたしはもう十年近くblenderをいじっており、4Kの精密な3Dフィギアを自作できます。
メタバースという言葉を知ってさっそく中国百度のメタバースエリアをみたのですが、そのフィギア
というかアバターってんですか? それのチンケさに驚愕しました。わたしなんかが操作、造形している
3Dフィギアはリアルな人間とほとんど変わらないほど精巧です。それでも表情や動き、陰影などは
まだまだあと十年ほどはかかるでしょうね。でも、メタバースが将来資源がつきて社会関係も貧困化した世界の
救世主になるかあるいは家畜化への先駆けになるかはしれませんが、これからますます拡大していくことは
確実だと思います。
(ネット詩はメタバースによってゲーム化する)
2023-01-26
B-REVIEWさま
どうか私情は一旦脇に置いて、運営者として公平な管理をお願いします。
わたしはB-REVIEWさまに、わからない点や疑問点を列挙して質問しております。
最初に疑問点や要望をしたのは蛾兆さまです。わたしはそれが許されているのをみて右に習っただけです。
ところが運営さまがわたしにコメントするなといった蛾兆さまの、わたしへのコメントはいまだに許しておられる。
どうか蛾兆さまによるわたしへのデマ誹謗中傷は即刻やめるようご指摘下さい。どこがデマであるかは
これまで丁寧に指摘したはずです。
運営さまのお立場を考えてこれまで言わなかったのですが、わたしへのイエローカード発行の際の理由も
じつは論理的におかしいところがありました。反論すればよかったのですが我慢しました。
しかし、このような不公平が続くと、最初のカード発行の、論理的にだれもがおかしいと感じる疑点も問いたいと考えます。
どうか私心、私情は脇に置いて、公平な、公平な運営をお願い申し上げます。
(ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-26
追記2
B-REVIEWさま
わたしが『金色夜叉』を読みもしないで蛾兆さまを攻撃していると蛾兆さまは運営に申告していますが、
蛾兆さまが『金色夜叉』を初めのほうしか読んでないことは御本人が投稿作品中で自ら語っています。
その後、貫一君は頑張って出世したんじゃないかと思うけど、どうだったか覚えていません。
そんなやつのその後なんか、どうでも良いですから。
またお宮さんもどうなったんだか。新彼氏はやっぱダメなヤツかもしれないし、
貫一君と寄りを戻すのかも知れないし、それは覚えてないんですけど、僕には興味もないんですよね。
『金色夜叉レビュー』と銘打ちながら、レビュー前に読み直しすらしていない。理由は「そんなやつに興味がないから」
だそうです。レビューを書くなら一度くらい読み直すのが筋でしょうし、
興味が無いなら最初から書くなとも考えられるわけです。そんな人がわたしのことを「読みもしないで」と運営に申告し、
対処を求めている。信じられないほど身勝手な話です。そもそも、その後の貫一お宮の生き様に興味がなくとも
一度でも読んだことがあるなら忘れるはずのない直截なストーリです。いったいどちらが読んでないで語っているのか。笑
この伝で言えば、お宮を「飛び蹴りした」とかいう主観的でデタラメな読み方も、当然であるといえば当然と思えます。
貫一とお宮の恋愛(対幻想)は、他人が横からストーカーだのなんだのと調子外れな解釈を許すものではありません。
ほんとうにお宮がストーカーと感じているのなら、何年も忘れられず自ら手紙を出し、返事がなければわざわざ会いにいきますか。
恋愛というのは第三者の解釈なんかを受容しない独特の二人の世界なんです。そういう意味では、貫一の行為は激烈な
愛情表現であったとみてもいいでしょう。だからこそいつまでもお宮は貫一のことが忘れられなかったのです。
こんな程度の恋愛のいろはも知らないで、ストーカーだ、暴力だあと叫ぶような人間が文学を語ることに恐ろしさを
覚えます。
B-REVIEWさまが蛾兆さまの言い分を聞いてわたしを批判しましたがちゃんと文学がわかっている人たち、それも目上の
経験も実力もあるちゃんとした方にどちらがあたりまえのことをいっているか感想を聞いて下さい。
そうでないと最先端の言論サイトなんてとてもいえないと思いますよ。
(ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-26
追記
それから『金色夜叉』ではストーカー被害者であるはずのお宮がいつまでも
貫一のことを何十年も思い続けるわけです。ストーカー被害者がいつまでも加害者のことを
思い続けてしつこく追いかけるわけないのです。お宮は手紙を出しても貫一に相手にされないと、今度は
直接、貫一に会いにゆく。そんなしつこいストーカー被害者がどこにいますか。笑
この時点で蛾兆ボルカさまは『金色夜叉』をまったく読み違えているのです。それどころか、
恋愛という対幻想についてまったく知見がないし、恋愛というものの本質も知らない。
だからわたしは「ストーカーが必ずしもダメ人間とは限らない」とコメントしたのです。
ところが蛾兆さまは、わたしが『金色夜叉』も読まないで思い込みにもとづいて攻撃しているという。
わたしはそのデタラメな誹謗中傷に呆れ果てて反論する気にもなれないのですよ。
おそらく蛾兆ボルカさまは『金色夜叉』が未完の書であることも知らないでしょう。
最近、かんたんに青空文庫あたりで読んだにすぎないことはその表面上の解釈だけで
貫一をストーカーと決めつけたことでわかります。
こういうことすら反論も批判もできないでいて、ここが先進的な言論空間であるといえますでしょうか。
B-REVIEWさまもおそらく『金色夜叉』のような古いものをお読みになっていないでしょうから無理はいいませんが、
もう少し、冷静かつ公平な運営をお願いしたいとおもいます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-26
B-REVIEWさま
>「ストーカー」という語は現代の社会では一般的にストーカー行為をする犯罪のことを指していると指摘しているまでです。
ということですが、
B-REVIEWさまそんなことはわかっております。よくお読み下さい。ストーカーを肯定もしていませんし、犯罪じゃないともいってません。
わたしがコメントしたのは法的解釈ではなく倫理的な側面からの考えをコメントしたのです。
「ストーカーは犯罪ではない」とコメントしたのではなく「ストーカーは必ずしもダメ人間じゃない」とコメントしたのです。
これは思想信条、表現、発言の自由の範囲内です。ストーカーの心情や精神状態への文学的な掘り下げの一環です。
政府広報オンラインのURLを持ち出されていますが、わたしの思想信条とはなんの関係もないですよ?
運営さまはいつから投稿者の思想信条や認識の是非、正否まで判断されるようになったのでしょうか。
システムや規約の判断を超えて、表現や発言や認識の是非まで踏み込むのは行き過ぎではないでしょうか。
それから、蛾兆ボルカさまへのコメントはしないと了解しているはずです。でも、犯罪者容認発言はデマだから
訂正と謝罪を求めているのです。これがどうして懲罰対象の発言になるのですか?
どこで蛾兆ボルカさまに要請できるとお考えでしょうか。お聞かせ頂ければ今後の参考にします。
また、蛾兆ボルカさまがこのようなデマを流して懲罰対象にならない理由もお聞かせ願えればありがたいです。
(ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-26
追記2
B-REVIEWさま
あえて法律論に立ち入りますならば、なをのことあなたがた運営さまの発言は間違っています。
まず、刑法はいっさいの倫理的な判断を避けております。ある犯罪行為が「良い」とか「悪い」とかいう
判断をあえて下しておりません。たんに「法文に抵触する」という判断を示すだけです。そりゃそうですよね。
殺人は「悪いことだ」と刑法に書いてしまったらその国は戦争などできません。刑法は殺人も窃盗も詐欺もすべて「悪い」
とは書いておりません。「刑法●●条に抵触する」という判断を示し、被告に法文が定める刑罰を言い渡すだけです。
「ストーカー規制法」もそうです。「ストーカーは悪い」とか「ダメ人間だ」という倫理判断、道徳判断は示しておりません。
しかし宗教書などは、法とは逆に、倫理的判断を示します。たとえばモーゼの十戒などがそうです。しかし法律はいっさいの
倫理判断、道徳判断は性質上、下せないのです。そういう主観的なものは人、国、習慣などによって違うから、判断材料から斥けるのです。
そこで運営にお聞きしますが、
仮にわたしがストーカーは「ダメ人間とは限らない」とコメントしたとして、そのどこが法律の文言に反しているのでしょうか?
ストーカーは犯罪ではないといってませんよ? ダメ人間とは限らないと、倫理的精神的な発言をしているのです。
ストーカーについて認識に誤りがあるのは室町礼氏であると考えられます。
B-REVIEWさま、わたしの認識のどこが、どのように誤っているのか、お教え下さい。
(ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-26
追記
むかし芹沢俊介という批評家の講演を友人とふたりで聴きに行った時、
芹沢が熱をこめて恋愛論を語ったのですが、そのとき、友人が不意に立ち上がり、
「それって、ストーカーじゃないですか」と指摘した。芹沢は長い間、呆然として
返答ができませんでした。それほどにストーカーの精神的な部分については恋愛の精神状態と
重なるわけです。なんなら資料を調べてお出しします。たんに法律の問題だけなら
なにも文学など必要ないわけです。あなたがたは文学をなんと考えているのですか?
法律論だけで「ストーカー」という精神の問題を解析できるのですか? 信じられないほど無知だと
思いますよ? (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-26
よく読んで下さい。わたしはストーカーという精神的な側面を言ってるんです。
犯罪行為を認めている文言などどこにもありません。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-26
蛾兆さま
というのはまあ、冗句でして、じつは
パソコンを閉じて、くつくつ笑って噴き出していたのですよ。
わたしは長いことネットやってますけどだれかについて
「嫌い」とか「嫌悪を覚える」とか一度も使ったことがないのです。
まあ、目に見えない知らない相手に憎悪を抱くほど関係妄想が
ないこともありますが、それよりそういう言葉の乱発は
「好き」と同義語なんです。裏返しの愛の告白なんですよ。
気になって気になってしょうがないのです。まあ、蛾兆ボルカさまは
なんと、愛いやつかと、苦笑していました。そんなに好かれても
困るんですよ。だってオレ、あんたのこともう念頭になかったんですから。
でも、蛾兆さまのコメントでまたしても蛾兆さまのことを
いろいろ想像させていただくことになりました。本来、
ストーカー的な性質、わたしゼロでして、よく女性からは冷たいと
いわれるし、ある年上の相談者からは「きみ、株やれよ。きみは
"損切り"が平気で出来る人だ」といわれました。
事実、わたしは蛾兆さまみたいに憎悪のような感情を持続できないタチで
蛾兆さまのような精神的ストーカーの性質からは
もっとも遠い人間であると自覚しております。なぜ蛾兆さまがそこまで
ストーカーを憎むのか、なんだかわかってきたような気がしております。
本人がこういうかたちでいつまでもわたしを追いかけているのですからね。
どうかご自愛下さい。
寒波が襲来しておりますので、お風邪など召しませぬよう。
(ネット詩はメタバースによってゲーム化する)
2023-01-25
室町氏については嫌悪感しか感じないので、言及しませんが、
そうやって言及してるじゃないですか。
名前を出して、嫌悪を覚えるといってる。
どこまで卑劣で卑怯な話法を使うのですか。強く抗議します。
そういう話法を肯定するのなら、以後、わたしもそのような話法を
使わせていただきますよ? それが嫌なら、このことについても
謝罪して下さい。謝罪がないならあなたの今回の話法はオーケーと
みなします。 (ネット詩はメタバースによってゲーム化する)
2023-01-25
おもしろかったです。
バイオリンをギターのようにかき鳴らすとか
悲鳴を集めてガソリンに変えるとか、好みの転換です。
ただ、それならなぜタクシーの運転手に大絶叫させてしまったのか。
ここは沈思黙考させるかして”静”への転換が欲しかったところ。
でも、まだまだこれからの方でしょうから、期待しております。 (産声サブスクリプション)
2023-01-25
くろかみさま、お読み下さりありがとうございます。
思想について熱く語れる場があることは、本当に楽しいことですね。
おっしゃるとおりです。同意致します。
ただし、思想学と思想とは違うと思うのです。
既存の思想家の思想を語るのは思想学であって、それは思想ではない。
思想とはその各々の方の思想を
その各々の方々の経験や生き様を通して語ることであって、有名思想家の思想を
聞かされるようなことがあってはなりません。そういう思想学をわたしは必要としないし
興味も関心もないです。たとえどれほど稚拙であれ、ある人の生きざまや経験体験から
出た独特の思想なら
たのしくお聞きしたいものだとおもっています。これは詩にも批評に対しても
いえることで、既存の思想家の一視点をもってねじこむようなことは良としません。
そのかたの稚拙であっても独特の批評を聞きたい。わたしがもっている考えです。
黒髪さまも同じだとおもっています。どうかよろしくお願いします。
(ネット戦争の方法論)
2023-01-25
聖性とは 万物の檻なす世界にて事実のみつぐひとの知性は
これがどうも反省的に目にとまりました。 (または帰れ)
2023-01-24
黒髪さま
という理由で、推薦文や批評文への考え方を変えたのですが、
自己を戒める意味でといっては身勝手ではございますが、この推薦文への
批評を書かせていただいてもよろしいでしょうか?
黒髪さまと同じく、これのどこが推薦文なんだというようなものになるかも
しれませんが、決して、もとの作品を非難するものになることはないとお約束いたします。
ただし、あまりにも違う話じゃないかと憤られるかもしれませんが、一応この作品によって
自己批判したことを告白する体のものになるかとおもいます。どこが自己批判なのかと
首をかしげられるかもしれませんが...... (創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)
2023-01-24
不明瞭な批評文であってもわたしはそんなことで批判めいたことはいいません。
でもこれは批評文じゃないですよ。どうみても意味不明な暗号です。
批評というのは最低限、多くの方々に伝わるように詩の構造を解析、解体して平易に解説
するものをいうのであって、もとのものから逸脱してあさっての方向にとんでいくようなものは
おそらく詩とかそういうものになるのじゃないでしょうか。
推薦文の推薦文とは知らず、まじめに読もうとひらいてみて、がっくりしましてね。
そこでなんかこういうのやめてほしいなと思ったのですが、でも、コメントを読んで、
ああそういう療養的側面が詩の投稿サイトにはあったなと思い、考えを改めたということです。
ただですね、
必要な人の名前を出すのは当然としても、有名思想家の名前を出しただけで、そこから実際的な
批評の展開をみせなければ、ただの自慢や威圧にしかならないような気がするんです。
名前を出す必然があるとはとても思えません。
また、詩を書く人は世界人口80億の人たちすべて一人一人にそれぞれ思想や方法や考え方があるのですよ。
一人の思想家の思想はただその人、ひとりの妄想的な思念にすぎません。普遍性なんかありません。それを振り回しても
なんの意味もないどころか、たんに自分を否定しているだけの話のように思われるのですよ。
詩は一人一人その人の思想で受け止め、その人のやり方で解析するべきであって、他人の思想を露骨に
あてはめて解釈したようなものなど
わたし個人は読みたくないどころか、何のために詩を批評しようとしているのかさっぱり理解を
超えているとしか思えないのです。
あ、こういう正論、またしても恫喝とかになるんでしょうかね。困った、困った、
どうかお上に訴えるのはお許し下さい。乱文乱筆失礼いたしました。ご内密に。
(創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)
2023-01-23
上記文言一部訂正
もちろん蛾兆ボルカさま本人へのコメントは本人の謝罪がなくとも今後一切コメントをやめる旨、
すでに申し入れております。
当人へのコメントではなく作品への批評です。以下の要求は法律違反、憲法違反なので
容認することはできないということです。
あらゆる形において、どの場所、どの形に置いてであれ、私及び私の作品に言及したり
暗示したりすることは、大変不快であり迷惑ですから、一切やめてください。
大袈裟に憲法の表現の自由を持ち出すまでもなく著作権法でも引用は批評などに
用いることが許されています。表現の自由を何人であれ検閲することはできません。
だからこそ、蛾兆ボルカさまが法を犯す行為を運営に要求までするなら謝罪が必要であると
申し上げているだけです。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-23
運営の方へ
蛾兆ボルカさまはわたしからのコメント拒否の理由のひとつとして、わたしが
犯罪行為を肯定しているからと書いております。
しかしわたしはストーカーにも種類と程度があると書いただけで犯罪を肯定してはいません。
もし蛾兆ボルカさまの言い分を認めるなら、わたしが「犯罪行為を肯定している」というデマを認めたことになります。
ゆえに、蛾兆ボルカさまの言い分を認めるかわりに、そのデマへの訂正と謝罪をもとめたわけです。
(ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-23
追記
どうしても「私の作品に言及することは、大変不快であり迷惑ですから、一切やめてください。」
というのでしたら、仕方がありませんので要望にそいたいとおもいますが、
まずは蛾兆ボルカさまが根拠のないデマを流したことを謝罪ないしは訂正して公にコメントして下さい。
そうでなければわたしはデマを訂正する権利と資格を保留しておきます。即座に謝罪訂正をお願い申し上げます。
(ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-23
それからわたしが「犯罪行為を肯定している」と書かれていますが
そういう事実無根のデマを流すことはご遠慮ください。
そういうデマに対してわたしが弁明することは大事だと思うのですが、
一方的にデマを流しておいて弁明する機会も与えてくださらないのですか?
それは民主的で公平な態度とはとても思えないのですが。
ふだんからたいへんリベラルな態度をお示しになっているお方でしたら
そこのところようくご配慮下さいますようお願い申し上げます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-23
投稿作品は独立したものですから、蛾兆ボルカさんへのコメントじゃなく
作品それ自体への批評は問題ないのじゃないですか?
どうしても不快なのでしたら運営に相談してください。独立した作品それ自体への
批評行為もダメというのなら納得します。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-23
この独白的な文体の語りの内容は、
ブンガクにとってかなり重要な想像力の問題を指さしてますね。
多分もの自体が僕の感情をハックするのだと思う。
と語り手は語っているけどそうじゃなく、たんにモノが想像力の撃鉄に
なるだけのことだとわたしはおもう。
わたしたちは誤解しがちだけど、人がモノと一緒に在るときには何も想像できないように
なっているのです。うまいことなっているものだと感心しますね、この世は。
教室の上り口に乱雑に脱ぎ捨てられた靴や、灰皿に四方八方から置かれたタバコの
吸い殻などから、わたしたちは子どもたちの歓声を聞き、乱雑な吸い殻の山から
そこにいた人々の動きや思いを想像する。でも、人がモノとあるときはつねに時間は
動いているから、そこに他者の想像力が介入することはできない。
文学的な想像力というものはじつはそういうものであることをだれも知らない。
文学的想像力とは死肉をくらうハイエナの所業なんです。
この告白調の語りの内実については一時間でもニ時間でも語れるものがある
のだけど、それはだらだらとした長舌になるからやめておくとして、
最後の
神だか神々なんて所詮はその程度なんだなとおもった。
という一行がよくわからなかった。
神々は万能だし、すべてにおいて人間を超越している。
またいつでも人間を殺すこともできるだろうし、事件に貶めることもできる。
知恵や狡猾さにおいて人間は神を超えることはできない。ただ、神にも
ひとつだけ勝てない存在がある。
幼児の無垢な笑顔。これには勝てない。殺すことが出来ても神は幼児の
まざりっけのなにもない笑みにはどうしょうもなく無力だとおもう。
神ってのはその程度だといえばその程度だとしても......
(no title)
2023-01-23
本音をいいますと、こういうの、やめてほしいのですが、
でも、コメントを読んで、他者にとっては意味不明な、こういう行為が投稿者にとって
精神分裂症の治療になるのなら、しょうがないなという気になってきました。
鷹枕可さまも精神分裂症であるとおっしゃっておりますし、
ほかにもそういう病いをもっている方がおられるようですから
この場をそういう方々の治療の場として活用されることはむしろ社会奉仕になるのでは
ないか。そういうことは知らぬふりをして見過ごすべきだと改めて考えなおしました。
ただね、いちいちガタリのような生のことばを出すことなどが必要なのかと
不思議に思ってしまうのですがね。たえず自分は凄いのだよ、こんなに何でも知ってるのだよ
と二十四時間証明する必要などなく、その人間がどれほどのものか、一読すればすぐにわかります。
批評はとくに一瞬でわかります。黙って書けばいいですがね。笑
(創造的分裂症━言語ゲーム?会話ゲーム?錬金術ゲーム?ある種の伝言ゲーム?━)
2023-01-23
再掲
蛾兆ボルカさま個人へではなく、また、投稿欄へのコメントでもなく
↑
この2点、お忘れなきよう。つまらない論争などしたくないので蛾兆ボルカさまの
投稿欄への書き込みやコメント、意見、反論などはこれにて終了させていただきます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-23
こんな簡明はメッセージすら、繰り返さないとわかりませんか?
【あなたは二度と書き込まないでください。】
承知しました。
今後は蛾兆ボルカさま個人へはいっさいコメントを致しません。
ただし、蛾兆ボルカさま個人へではなく、また、投稿欄へのコメントでもなく
一般閲覧者への批評文は投稿させていただきます。
その一般閲覧者への作品批評文はあなたへのコメントではないので
個人的なわがままはどうかご容赦ください。作品は投稿した時点であなたの手を
離れていると存じます。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-23
蛾兆ボルカさま
誤解を招いたようでまことに申し訳ありません。
しかしわたしは蛾兆ボルカさまを「サヨクであるとかリベラルであるとか、そうした決めつけ」は
しておりません。よくお読み下さればおわかりになると存じますが、
サヨクリベラル系の精神構造をお持ちの方によく見受けられる傾向
と書いております、一般的な傾向性を論じていますが蛾兆ボルカさまがそうであると断定しておりません。
ただ、そういう傾向性をこの投稿作から感じるというだけであることは、よくお読み下さればわかると思います。
それから「犯罪行為を肯定している」という決めつけも蛾兆ボルカさまの誤読です。
ストーカーにはさまざまな種類と程度があるといっているだけで、犯罪行為を肯定してはおりません。
ずいぶんご立腹のようですが、間違った読みから相手が犯罪行為を肯定していると断定するのはよくないと思います。
日本の古典名作である『金色夜叉』について事実とは違うことがさも事実であるように書かれていたから
ご指摘させていただき、かつ、ストーカー批判と物理的暴力をごちゃまぜにして論じていることへの疑問から
コメントさせていただいた次第です。これからも事実関係や論理に間違いがあれば指摘させていただきます。
それは日本の古典を愛するものとして、かつまた、間違った論理でだれかを誹謗中傷しかねないことへの人的義務と考えます。
ただ、このコメントを頂いて蛾兆ボルカさまが「深い軒のある世界」をお持ちでないのだという指摘は間違いでは
なかったのだなと確信した次第です。もっと他者に対してやさしくなれますことを軒の陰からお祈りする次第です。
乱文乱筆、失礼したしました。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-21
英語わからないので中味でタイトルの意味がだいたい憶測でき
たのですが、
ここは「胸騒ぎ」というタイトルでもよかったのか、
いや、「胸騒ぎ」でもないな。最後の逢瀬、わずかな時間が永遠でも
あるような決意がみなぎっている。それを、なんとかことばに包もうと
した。小品だけどいい詩だとおもいます。
(Waiting for the last concert)
2023-01-21
追記
それとストーカーにたいする非難の仕方が曖昧で、ある意味姑息にみえます。
いったい投稿者はストーカーを非難しているのか女性に対する物理的暴力を非難しているのか
どちらなのだろうか。ストーカーといってもさまざまな種類、レベルがある。
ストーカー行為を物理的暴力行為とくっつけて非難しているが、それならストーカーでなくとも
物理的暴力行為自体があたりまえにやってはいけないことであり、いうまでもないことだ。
そのあたりまえにやってはいけない物理的暴力を無理にストーカーにかぶせてストーカー行為を
非難しているが、サヨクリベラル系の方に多く見られる論理のすり替えがある。
それにストーカーといっても、ある種のストーカー行為は純愛であることもあるし、変態であることも
ある。ストーカーの人を一律にダメ人間というのならもう恋愛はやめてもらいたい。笑
聖書の言葉にならうなら頭のなかでその人を追いかけているのならそれはストーカー行為である。
恋愛とは恋するその人を観念的にも感情的にも追いかける行為である。
いったいストーカーがダメなのか物理的暴力がダメなのかどっちなのか。物理的暴力がダメといのなら
そんなことはいちいち書くまでもないことのように思うのだが。そこを混同させているから姑息あるいは
支離滅裂のどちらかであるといったのですがね。
以上、乱文乱筆失礼したしました。
(ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-21
何を語ろうとしているのか、わたしには支離滅裂で、さっぱりでした。
そもそも『金色夜叉』のレビューといいながらちゃんと読まれたのかどうかすら
疑わしい。「お宮さんに飛び蹴りかまして......」ってそんな、笑 新日本プロレスじゃあるまいし
お宮が膝を屈して言い訳をするからその肩あたりを足で押し返した程度でしょ。笑
お宮が立っていたら両腕でドンと向こうに押し返していたようなその程度のはなしです。
飛び蹴りって....笑、作品のレビューどころか事実無根で天国の尾崎紅葉から訴えられますよ。笑
それから、思いますにこの投稿者様は深い軒のある家や環境で育ったことがないのでしょうね。
サヨクリベラル系の精神構造をお持ちの方によく見受けられる傾向ですが、
じぶんの外部にクズやカスや悪いやつがいないと我慢出来ないというか、そういう存在を
外部に無理矢理でも探し出してそれとの対比のなかでしかじぶんが確定できない。宮台真司とか
いう通俗的評論家がそうですが、外部にクズがいてそれをクズと叫ぶこと以外何もできない。
クズがいないともうじぶんには何もないから必死で「クズ」をつくりあげる。そういうものを感じます。
深い軒のある家には7つの効果があるといわれています。
1.空気を調和する効果
2.風通しをよくする効果
3.多目的遊戯の共生をゆるす空間
4.家の劣化を抑止する効果
5.つば効果(家の威圧感を与えない効果)
6.親和効果
7。めりはりの効果
これらすべてが欠落しているかに見受けられます。
この投稿者さまは人がただそこに「ある」ことを認めず
必ず何者でかないと許せないご性格のご様子ですが、それじゃ周囲が
いつもギスギスしないでしょうか、同情せざるをえません。 (ストーカーの人はダメ人間です/金色夜叉レビュー)
2023-01-21
申し訳ありませんが、わたしがどの詩に批評を書くか、書かないか、
あるいは能力不足で書けないかはわたしの決めることです。
柳煙さまのこの推薦批評は、わたしには批評文ではなく返詩のようなものに
映るのです。くろかみさまや鷹枕可さまのも推薦批評というのはあまりに
意味不明でした。推薦するのならできるだけ多くの人に推薦する理由をわかって
もらえるように書いて頂きたい。かといって、
このサイトに規制があるわけではないのでおのおの投稿者の自制心に依拠する
ものであって返詩のようなものが書かれてあっても、とめることはできません。
しかしそれならコメントで書けるわけでして、どうしてわざわざ推薦批評などでこんな
意味不明な返詩など書くのかわからないのです。
わたしのような、いまだに詩の門前で習っている過程の初心者にとっては
今回のようにわからないところがある詩についてどれほど教えてくれるものが
あるかと期待して批評文を閲覧して見るものです。平易にふつうのことばであの「水底」について
なにかわかりやすく解説などもなされているではないかと。
それがこれだったのでガッカリしましてね。ま、わたしの要望みたいなものです。
柳煙さまやくろかみさま鷹枕可によって意味不明なものが
書かれてあってもそれを批判するつもりはありません。もう少しわかりやすい
批評文のお願いにすぎません。 (病的な自然回帰)
2023-01-20
正直これはじぶんの詩を規定数以上投稿するのに似ており、
とても批評とはいえない。
批評というのは因数分解をわかりやすく展開するようなもので、多くのひとに
難解な作品を平易に解析ないし説明するものだとおもっています。
対象作品にさらに未知数xやyの因数を増やすような行為がわたし個人は
批評とは思っていないのです。
最近、このような批評?が増えていますが、なにかを取り違えて悦に入って
いるように思えてなりません。詩がわからなければ
わからないでいいのですから無理をしないでいただければありがたいです。
鷹枕可さま、くろかみさま、そして柳煙さま、平易に解体できる技量をまずは
身につけていただきたく存じます。
(病的な自然回帰)
2023-01-20
伝統的なほんとうの寿司職人の世界なんてもう
無形文化財に指定してもいいような実現不可能な世界じゃないかな。
いまどきは
新しいしゃりと新しいネタを両手に、さっと握ってさっと出す。
ニュース詩とでもいうか、
この投稿詩なんかもニューすし風なんだけど、
あ、さむいダジャレ失礼しますた。
(すし職人)
2023-01-19
わたしは無政府主義というより無思想主義ですけど
天皇主義はそう悪くないと思いますよ。少なくともマルクス主義よりは、はるかにましでしょうね。
それから内田はグローバリストです。宮台はただのバカでしょうね。二人とも天皇主義がどういうものかわかっていないから。
あの、わたしが天皇主義(というものがあるなら)どうしてましかとおもうと、日本天皇制のもとである大和朝廷というのは
アニメ『千と千尋の神隠し』に出てくるカオナシのようなものなんですよ。世界中の侵略者の歴史、実態のなかでも
天皇系の日本侵略の形態というのは特殊で唯一独特のものでした。ヤマト政権がどう発生したのかあるいは半島から
やってきたのかはわかりませんが、とにかく近畿の気圏に突然発生して日本中にあった数百の小国家を次々、制圧
していった。その手口が独特であったのは、今の中国や英米蘭仏、ジンギスカンのように相手を壊滅させて文化や政治形態や
風俗、風習を
侵略した側の自分たちの国家と同じように相手に刷り込もうとしないで、ヤマト朝廷は制圧したその国家の文化、習俗、風習などを
すべて丸のまま取り入れていったのです。つまり「カオナシ」のようにそのまんまじぶんの帝国の風習、文化、習慣として
あらゆる文化を破壊、否定するのではなく逆にどんどんそのまま取り入れて膨らんでいった。だから天皇家は万世一系を偽装できた。
また、
実質的には万世一系と偽装しても文句は言われない。実質はそうだから。そういう平和的?というか狡猾な侵略方法をとった
天皇家の源にあるヤマト朝廷の性質というものをわたしは否定はしません。
しかし内田も宮台も天皇家のそういう性質ひとつ、まったく知らないし、わかってないでしょ。
でもネットでも読めますが吉本隆明などはわかっていた。(ネット講演『敗北の構造』)あるいは
松岡正剛などはわかっていた。(ネット講演『千夜千冊』)。
さて、以上はどうでもいいのですが、笑
それより、こういう表現の空間はつねに「物議をかもして」いてほしいですね。
そのほうが面白いし、退屈しない。三浦さんがおっしゃるようにそもそも「物議をかもさない」
凪のような表現投稿サイトは文学的であるとはいえない。むしろ表現者として異常であるといえる。
どうしてたえず物議をかもしている文学サイトが生まれないのか。それをアラシといって抑えていて退屈しないのかと
わたしは思っています。
三浦さんのお力で運営にお話ししていただき
この投稿サイトもせめて月4作の投稿がゆるされる場になってもらいたいですね。そうでないと静かすぎます。笑
(Planet Poem)
2023-01-19
サヨクリベラル系の方々、詩はお上手なんですけど、
かれらが詩など書くにまったくふさわしくないのは
倫理なるものをまったく毛ほども持ち合わせていないことじゃないでしょうか。
もちろん、というか、そのくせというか、かれらは必ず
倫理を口にして、人びとに善行や正義をちらつかせて寄っていきますが
倫理的な批判に対して倫理的な説明はぜったいにせず、
そういう批判は戦闘攻撃であると受け止め最初から戦争として対応しますから
サヨクリベラルが倫理的な集団だと誤解している人たちは
その攻撃性、耳を貸さない傲慢さ、一方的な被害者意識などにびっくりするでしょうね。
この作品を特定個人への攻撃などと解するひととまともな対話など
成り立たないとわたしはおもいます。それほどひどい。
(Planet Poem)
2023-01-18
こんばんわ。
これはある意味、批評的なメッセージ詩とも読めるのですが、
その批評的な部分に注目して感想を述べさせていただくとすれば、
これは事実とはちょっとだけちがうような気がします。
わたしのような人間ですら他人が幸せな顔をしているのをみるのが大好きで、
まして幸せな気持ちをうまく表現しえている詩は大好きですから、
たぶん多くのひともそうだとおもうのですけどね。
ではなぜ作者がこのような批評をするかというと、認識にねじれが生じている
としか考えられない。
サンタクロースはいないんだよと告げる子どもはリアルな現実を知ってるよ、と
その知識を披露することで、わたしはおとなよと自慢して鼻を高くしている。でも
作者はそんなことを知らないほうがいいんだよ、知っていても信じたほうが
じつはおとな、なのかもしれないよといっている。しかし、
これがどうして前置きの「幸せになったことがないから、幸せについての詩は共感されない」
という間違った現実認識を補強してする例になるのか論理的にどうもなっとくできない。
おそらく作者は、ぼくは幸せについての詩を書いて、人にみてもらうのだけど、あまり高評価をえられない
といっている。わたしはそれが現実認識にたいするねじれなのじゃないかとおもうのです。
いくら孤独についての詩、あるいは幸せについての詩であろうと、どちらでも
たんに詩表現が稚拙もしくは下手な場合も他人は共感や評価をしない。その原因を冒頭の間違った
世界認識にふっていないだろうか。そんなことをふと考えてしまう。
他人に評価されない原因を内容がゆえだと錯誤していないだろうか。
「それにいまのわたしにとって、孤独は......」以降、「いまだからこそ」うんぬんまで
すべて弁解のように聞こえてしまうのですね。
そうすると結局、下手な詩でも笑顔でドキドキしてくれる、実は詩にはまったく関心が
なく、相手を恋しているからその詩を認めてくれる恋人としか詩の評価をわけあえないことになる。
そいううドキドキ文芸部がはたしてどうなのか、ちょっとさみしいような
気がしないでもありませんでした。
(ドキドキ文芸部しようよ)
2023-01-18
失礼しました。
みなさんが次から次へと推薦批評を書くさきぶれとなった
推薦批評をひとつだけ書いておりました。
波打ち際の腰掛けの椅子
です。この批評文ひとつでたしかこの方、ポイントとって月間の賞をとられたの
じゃないかな。それでにわかに物議が起きましてみなさまが
推薦批評をされはじめたのだと認識しております。 (レトリックではない)
2023-01-17
なんかわたしひとりが悪者になってしまったようなコメントにみえますが
yasu.naさまの個人の無力感を否定しているのではなく、むしろ深く共感するのです。
それを否定しているのではなく、公共的なものと個人の問題を無理に結びつけて
関係があるかのように書かれているのは間違いだと指摘したかったのです。
こういう混同や無理筋の関係つけはサヨクリベラルが善意の大衆を洗脳する
ためによくやる手口で、結果、グローバリズムがまん延して大衆は貧困や
失業、自殺に追い込まれます。そういうことを指摘したかっただけです。
(ものづくり日本)
2023-01-17
こたつの温もりなんかで
わたしのこころが
いやされてたまるか
個人的にはここでくすっと笑いました。
ぜんたいに、
濃淡とうごきのある
雪の降りつもるようなおもむきをもった
ドラマを感じさせる
ことばのつぶやきだったとおもいます。
(海)
2023-01-17
ああなるほどなとおもいます。
こういう句切れのない歌はいかにも今どきの
飽食平和になれ、水のようにながされていく日本人に
ふさわしいのかもしれません。
きついドラマをもとめず、激烈な愛憎を求めず
ただ、ただしずかに流されていくいまどきの日本人の
心境をここにみることができたような気がしました。 (冬に咲く 短歌3首)
2023-01-17
いすきさま お読み下さりありがとうございます。
結局こういうのって、ヤクザ映画とか、スパイ映画の、
ごっこ遊びの延長線で人を殺すような雰囲気を感じてキツい、
たいへんよくわかります。
社会の裏面をリアルな現実展開で語るものは
戦後77年間続いてきた飽食平和社会が紡ぎだした
やすらかな安寧につつまれた繊細な日本人のこころには
とても受け付けられるものではないでしょうね。
よほど面白く味付けして書くか、よほど読者御本人の身近にある事でないと
だれも読みたくないとおもいます。
大江健三郎がいうように表現者にとっては想像力が大事ですね。
どうも失礼いたしました。
(アニメファンの心意気に感動)
2023-01-17
批評や推薦文書くなら徹底的な分析的態度で臨みたいという身の丈にあわない
願望がありますけど、いわゆる詩的レトリック用語など使いたくない。
だから自分独自のことばで語りたいのですが、おそらくわかりやすく
使っても、むしろそのわかりやすい言葉や造語の表出するものが
だれにも理解できないものになるとおもうんです。詩の分析ってめちゃくちゃ
個人的な世界観を一般的な言語に平易かつ科学的にのせるということですから。
そうするとそんなものは「批評」の名に価しない。
そうすると、やはり共通言語である詩的レトリック用語を使うことになる。
それはつまり限られた狭いギルドに属して。ギルド内の特権的な知的傲慢ニストたちの
お仲間に入らなければならない。それは死んでもいやですから、いずれにせよ
無能であることと、傲慢ニストに属したくないからの2つの理由で
推薦文というか批評は、わたしごときにはとても書けないと思います。 (レトリックではない)
2023-01-16
これはいわゆるメッセージ詩のようなものになるのでしょうね。
そしてこのメッセージの内容は、本来語ろうとしていた内容を
みずから否定しているようにわたしにはおもわれます。
世の中にはいろんな人がいるのだから
事を決めつけて押しつけるのはやめよう
「ものつくり日本」という標語をまじめにとらえようとしているのは
感心しますけれど、これが個人や私人への押しつけではないことは
必死で生きようとしている人ならだれもがわかっているはずです。
「ものつくり日本」とは日本の雑草のごとく生きてきた中小企業の
たくましさを指しているのであって、その伝統の灯火を消さないよう
訴えているのです。
グローバリズムが日本にも浸透してきて菅内閣のアドバイザー、D・アトキンソンが
日本の中小企業はぜんぶ倒産させてしまえと提言したことは有名です。
狂人のたわごとですよ。
そんなことをしたら日本の中小企業は壊滅し、企業は外資にすべて吸収され
失業や自殺の山になります。
くろかみさんがあげている「ひろさちや」はタンスに講演料1億5千万を隠していて
泥棒に盗まれた男です。脱税対策だったのかどうか知りませんが、
こういう富裕な世間知らずの男はいまが飽食の世の中ではないことすら知りません。
それはのんきなくろかみさんもそうでしょう。
みなさん、必死で生きているのですよ。
世の中にはいろんな人がいるのだから
事を決めつけて押しつけるのはやめよう
それはそっくり作者さまにもかえってくることばなのじゃ
ないでしょうか?
日本が衰退してよろこぶのはだれなのか、考えてほしいし、
必死で生きようとしている庶民のことも少しは考えてほしいですね。
(ものづくり日本)
2023-01-16
>読解を加えてしまうことによって変質してしまう作品のエッセンスというものが一方であるようにも思うのね。
それは多くのひとがいつも詩の批評をしてみようかなと思い立ったときに感じる
いわく言い難い思いのひとつであるとわたしもおもいます。
せっかくいい感じに受け止めて心の中に仕舞っているなにかが分析的態度の前では壊れてしまうように
思われ、また、なぜかことばにして作品の本質とおもわれる〈それ〉が伝えられそうにもないという感じ。
おそらくこのような感じは純粋な鑑賞者のそれであって、詩の専門家の態度としては無に近い態度なんで
しょうけど、おとなになるということはそういう大事な無垢なものを乗り越えてばうばうたる荒れ地に立つ
ということなんじゃないかなと思ったり、思わなかったりします。さて、
わたしは推薦批評文が出たら必ず当該作品を読むようにしているのですが、
この「お前」という作品はわたしにとっては敬遠するタイプの「まっちょ」な文体なんですよ。笑
それでも、仕方なく、いやいや読んでみようとしましたが......ああ、だめですね。勃たない。笑
わたしはどうもマッチョな文体の前では萎縮してしまってどうもだめです。
この作品のご評価はおまかせいたします。
(レトリックではない)
2023-01-16
詩としては書き方が古い感性なんだけど
こういういかにも詩らしい詩は読後しばらくこころに溜めて
上等のはちみつの味わい方と同じく
あたためながら、丁寧に舌のうえでころがしていなければ、
ほんとうの真価をみとおせないような気がしました。
どうせ妄想をこれみよがしに開くだけで真の読解などできないくせに
一読して断定するなんてことは詩をなめた人間のやることだと
わたしはじぶんに言い聞かせている。
そうして、しばらく胸にとめて自然発酵を待ってみると
ラストの「雨が降るにはあまりにも暗すぎる!」で
突然、詩もどきは物語もどきに転換する。
ようするに
壊れた竈のように投げ捨てられたわたしは宙に舞い
壊れていくよ、と慨嘆しているだけなのだとわかる。
そこにさまざまな物語を想像できるのだけど、
こんなふうにいかにも意味ありげに語る必要があったのだろうか。
(雨後)
2023-01-15
すべてに段階や順序があります。当たり前のことです。
あの、すみません。当たり前のことをおっしゃっているから「通俗」だと申し上げました。
そういう「通俗」を乗り越えてすべての段階、順序に同じようにひとしく価値があるのだよ
尊いのだよというのが聖なる存在であると。当たり前のことをいうのならだれでもいえます。
(ポルポトと青空)
2023-01-15
漢字とひらがなの比重が絶妙に拮抗した日本文はうつくしい。
最後の羊だけがそこにいたというのは悪くない。
(あんてぃっく)
2023-01-14
批評性っていうのはたぶん詩そのものでもあるわけですが、
この詩の語り口は音楽的で構えることがなく読める。
がさつでな書き方しかできないわたしにはうらやましいが
真似ができるようなものじゃない。
屋根裏部屋にはどんなものが仕舞われているのか、
たぶんじぶんに愛情をもっている方にしか見せられませんよね、
(私の屋根裏部屋を、あなたに見せられないとしたら)
2023-01-14
目に見えぬ圧力によって小さく縮こまっている精神が
なんとか息をしようとしてこういう世界に避難するのは
仕方ないと思うのですが......たしかに高踏的な宗教的境地の世界と
詩人の自由奔放な夢をもとめる姿勢とは否なるけど似ているとしても、
やっぱりこういう宗教的境地にはまったく否定的ですね。
ある意味、もっとも通俗的でもっとも安易で、もっとも即席であるともいえる。
ほんとうに清らかで静寂を身にまとった天使のような人物に何度か
出逢ったことがあるけど、かれらはこんなことはいっさい語らなかった。
また語る何ものももたなかったし、語る必要もなかった。
一番やってはいけないことは他者をこんなふうに段階つけることだ。そういうのは
もっとも卑俗な行為で、宗教的な境地の極北にある通俗にすぎないと
そういう人たちのやさしい眼をみてわたしは雷に撃たれたように悟った
(ような気がした)ことがあります。 (ポルポトと青空)
2023-01-14
三浦果実さま
お読み下さりありがとうございます。
高学歴で富裕層出身の、わたしの友人が西成複合体NPOの総本山である
●●連にもぐりこんでいまして、そこから生々しい情報を
いただいております。身の毛のよだつような話ばかりです。
わたしが体験したことや友人の情報をもとに告発も考えたのですが
かれに相談するとたった一言「間違いなく殺されるからやめたほうが
いい」。
実際、正義や善行のためなら平気で人を殺すことをなんとも思っていない連中が
山ほどいます。狂気の沙汰です。
市や府の担当者からは「NPO法人にメスを入れないで下さい。手が
つけられないほどぐちゃぐちゃです」泣きそうな顔でいわれました。
NPOや一般社団法人という隠れ蓑を使ってうん蚊のごとく税金がたかられており、
それがもう複雑怪奇にからみあって、そこをちょっとでもつつくと今回のように
国会議員会館に弁護士が7人も出てきて、開示請求者を恫喝するという事態になります。
わたしごときが西成の闇をつつけば、即、殺されるでしょう。これは間違いありません。
でも、
わたしのように根っこを切った人間は失うものがないので、連中はもっと怖れるべきでしょうね。
新年そうそう、危ない話でみなさまのご機嫌を伺いましたこと、恐縮です。
(アニメファンの心意気に感動)
2023-01-13
重厚。森がそこに迫ってきました。 (森)
2023-01-11
ハンドル名とちがって
意外に古風なものを感じた。 (花をつくる)
2023-01-11
ちょっとだけまえより違ったような気がします。 (都市讃歌)
2023-01-11
わたしも構成がすごいなとおもいました。
美術ですね。 (昏さの反し)
2023-01-11
ストレートで爽やかな詩だとおもいました。 (呪い)
2023-01-11
冬、何も彼もが凍っている…
うーん、これだなと思いました。 (斜面)
2023-01-11
終了なんかしません。老婆になってもこころは
少女のままですよ。それはその歳になってみればわかります。
ずっとまえに思想家の内田樹が友だちの某と語り合っていて
ふたりとも六十半ばですが、高校生時代のまま心がそのままで
おまえおれ、ぼくという感覚であるのが不思議だとお互い
わらってびっくりしていました。こころは不滅で永遠なんだなと。 (少女終了)
2023-01-11
六段目の
珈琲を零しぬその染み血のごと......
がいかにも作者らしくて、とくによかったです。 (花と落日)
2023-01-11
逆抱負詩 抱擁
同情を下さい
乞食に恵むようにではなく
じぶんを癒やすために
わたしに
一ミリの愛もまじらない
あなたの同情を下さい
ああ
はるか、遙か
手の届かないところにある
夢のような奇跡が
もう一度、などと
願うなんて
なんと恐れ知らずなことか
その、
生臭い、体臭を振り返ることもなく
永劫回帰のごとく
愛を語るひとばかりのこのせかいで
互いの傷を
ふれあう者たちなど
もう二度と生まれはしない
同情すら
失ったものほど
愛を語る
セックスすら
星のように洗いさらして
同情のために
すべてを抱擁に捧げた
恋人たちは
おじぎをしあい
そして
ここから永遠に
立ち去ったのだった
(B-REVIEW 1月のお題詩「抱負」)
2023-01-11
逆ナンパというものがあるから逆抱負があってもいい
タイトル 逆抱負
①
愛より同情を下さい
わたしに同情して同情で死んでください
わたしは
生涯あなたを忘れないでしょう
愛のような
うそくさい
オ●●コの前戯のようなものは
水洗に流してね
②
顔もみえない
年齢も性別もわからない
ネット上の相手を
憎悪しないよう、チンはつよく希望します
なにもわからにゃい
目に見えぬ相手を〈恫喝〉だの〈罵倒〉だの
〈邪推〉だのと憎悪できるのはなぜか
考えてみましょう
じぶんじしんの深層にある
別の顔をしたじぶんを呪っているだけなんです
新年そうそう一人相撲ですか
あいてはじぶんなのに
けっちゃくがつきますか
③
外国人をなめちゃいけません
外国の文明をなめちゃいけません
それぞれ数千年の歴史を経てきているのです
コンビニの店員と
作り笑いでかんたんに握手して
わたしたちは仲間だ博愛だなんて
それ
文明も人間も歴史もこけにしてますよ?
尊重するならかならず衝突があるはず
衝突もないのは
頭から友になろうと認めていないからです
ニッポン人
ガイジンを舐めるな!
と
要望しておきますとくに詩人の方々、
安易なルベラリズムやポリコレは
野蛮ですよ
※寸秒でさっと書いたから、詩になってなかったら
ごめんなさい
逆抱負の最後っ屁
長い眼で見守ってください (B-REVIEW 1月のお題詩「抱負」)
2023-01-11
内容は通俗的な小説のようなものなので詩や批評や思想としては
ほとんど興味も関心もわいてこなかったのですが、
この世界は、常に生じては消えるが実在はする「時間」というものに従って、不可逆的に進行すします。
というのはどうも違うような気がします。
時間というのはほんとうに実在するものなんでしょうかね。
ああ、もちろん「動くもの」は存在します。それを人間がかってに割り振りして
時間というのなら
たしかに時間とよんでもいいですが、正確には時間という観念的なものではなく
生きた、ナマの動きだけしか実在はしないといったほうが正確で正しいような
気がします。それにしても詩的な表現にかかわるものが、かんたんに
実在はする「時間」と断定するのはどうなんでしょうかね。
そこでもうひとひねりほしかったような気がします。いや、
乱文乱筆失礼しました。 (提喩と換喩ー「君の名は」と「天気の子」の違いについて)
2023-01-10
追記
澤さまの〈邪推〉というキーワードを得て初めて、澤さまが
だれかのコメントの
何に反発を感じておられたのかやっとわかってきました。
たとえばわたしのコメントはこうでした。
①なるほど、これなら、それはいわば対象作品に対する〈愛〉であって批評ではないわけです。
わたしは澤さんがよほどゼンメツさまのあの作品が好きなのだな、だから過剰な賛美になったのだな
と考えたから、それは「対象作品に対する愛」のようなものだと書いたわけです。
「批評ではない」という意味は過剰に作品に肩入れしてしまっているから冷静さがないという意味です。
そして作品へのその愛の強さや質を例える例として、その次の文言。
②わたしはあの人が好きです。愛しています。そのことに理由なんかないです。好きだから好きなんです。
という恋愛の当事者のよくある語りにふさわしく、
まさしく怒涛の推薦者にふさわしい激烈な表現であったことは認めるわけですが、
と書いたわけです。
恋愛の当事者のよくある語りに ←→ 怒涛の推薦者にふさわしい激烈な表現
とは並列的にイコールではなく、似た熱烈な表現であるという比喩であることは明らかです。
だれが①を読んでもはっきりと「作品」への愛と書いています。
そしてその愛の比喩として②が来ていることは明らかです。
それを澤さまがかってに個人的な恋愛感情を「邪推」したと、もし仮にとられている
とすれば正直、わたしのほうがびっくりするでしょうね。
澤さまがわたしのことをいったのかどうかは知りません。
あくまでもわたしのコメントを例にだしての〈邪推〉の考察です。
いまのところ澤さまに対しては何をいっても懲罰にもっていかれかねないので
これ以上は指摘しませんが、
とにかく〈邪推〉はだれであれやめるべきですね。
そのことには賛同します。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)
2023-01-10
追記
澤さまご批評、読んでいないと申し上げましたが
やっぱりそれでは居心地がよくないので読んでまいりました。
批評というより小説や詩に近いのかな。
あれはあれで小説として読めばそれなりに面白いのかも
しれません。
失礼しました。 (いつまでもそらにいる)
2023-01-10
澤さま。
一般論ですが投稿作品への批評や評価なるものは
すべて「邪推」といえば邪推じゃないでしょうか。
じぶんの気にいるものだけが正しい推測であるとするなら
そういう感情や態度は幼稚な子どもの精神だと思われます。
冒頭に述べましたように以上は一般論ですが、でも、澤さまの
この批評もまた一種の主観的な妄想であるわけで、
だれかのコメントに対して「邪推」という苛烈な非難や憎悪は
ご自身が固執する正しさへの偏執であって、あまりからだに
よくないとおもわれます。
どうか、ごじぶんの作品への批判に対する怒りを心理学専門家
でいらっしゃるなら冷静沈着に対処されて、
次からは、せめて冷静な批評など読ませていただければ
このサイトの利用、閲覧者として幸いです。
乱文乱筆失礼したしました。 (ゼンメツ『いつまでもそらにいる』推し活)
2023-01-10
「愛」という感情を無造作に使われる方が多いのですが、
ようするに男女のあいだの「愛」てのはようするに最後は
ヤルわけです。つまりヤルことのまえの前戯です。
こんな言い方をすると身も蓋もないことはわかっているのですが
とうぜんヤッたあとはもう「愛」は用済みでだんだん薄くなる。
だから歌謡曲とかポップ・ミュージックで「愛の讃歌」とかあるけど
あれは「オ●●コの讃歌」でもいいわけです。
でもそれじゃあまりにも露骨で都合悪いし、子どもの教育上まずいから
「愛の讃歌」とまあ、いちおう隠喩(爆笑)を使っている。
考えてみるとわたし小説や雑文、詩もどきなどおそらく千ちかく書いて
来ましたが、「愛」とか「友情」とか「正義」とか使ったことが
ありません。あまりにもおそれおおくて。
いや、なにがいいたかったかと申しますと、ここで語られている
「愛」とはなんだろうとあまり深く考えると、
少し人間がさもしく、また、同時に愛しくもなる、
不条理な生き物であるなとまざまざと感じた次第です。
乱文乱筆、ご容赦。
(愛の欠片)
2023-01-10
澤さまの推薦文はまったく読んでないのですが、
どなたさまであれ推薦されている作品はいちおう読む主義なので読みましたが......
みなさんのコメント、どれもそれなりに素晴らしいのだけど
ひとつ疑問があるのは、どなたもこなたも、
どうしてそう詩の意味や内容に踏み込んでいくのかな?ということ。
詩を書いたり読んだりしているくせに......どうして? というのがやはり払拭できない
個人的な謎ですね。
詩ってものの存在価値、良さ、おもしろさはそんなところにあるはずが
ないことくらい、先刻承知で詩にかかわっているのじゃないのでしょうかね。みなさん。
そういいたい。
この詩についていえば、ことばのもつ音楽性というか語感というか韻律というか
そうものへの、なんというか、ある意味、どうしょうもない鈍感さ(笑 失礼)、
その鈍感さを生み出しているのが
ある種の周辺への甘さというか、周辺への傲岸さというか、そういうものじゃないのかとすら
感じる。
冒頭からすぐにピンとくるのが、語り口や言い回しのワンパタ、マニュアル的な、
出来合いの韻律。それをなんの疑いもなく使っているその感性のなんともいえない
重鈍さと、同時に、その裏にある一種の小さな小さな仲間内的世界へのおもねり。
ひょっとしたら作者さまは童話なんかを書いていたのかもしれない。
童話っての、日本の童話はわたしは太っきらいなんですが、あれ、大人が考えたことを子どもに
強制しているだけのもので、中味はすべて一種のワンパタ、出来合いの韻律と倫理で出来ている。
勇敢な者たちに破壊されたい。ばらばらになりたい。粉々にして欲しい。
きみを後ろへ乗せてどこまででも飛んで行きたい。僕たちは粉々だ。
あの、人間、墜落して粉々になるとき痛みが走るんだよね。人間てのは神経があるんだ。
「ぼくたちは粉々だ」ではなく「ぼくたちは痛みだ」と書かれていたら読む気になる詩に
なったかもしれないけど、どこまでも、まったく他者もなければ己もない。
あるのは幻影として裏にひそんでいるヒーロー意識だけ。でも作中の語り手の意識がどうであれどうでもいけど、詩は
おとなにとっては、まずおもしろくなければいけない。その大人にとってのおもしろさが
欠けているような気がする。とくに韻律というか、語感というか、それが
まったくのワンパタで流れているのが致命的ではないのかな。
こんなことを書くとまた恫喝とか罵倒家とかいわれるんでしょうね。ああ、
ほんとに窮屈な世界になってしまった。わたしはだれであれ作者なんかに感情的な
個人的うらみなどまったくないし、作品しかみてないのだけどなあ。
乱文乱筆失礼しました。
(いつまでもそらにいる)
2023-01-10
やっぱり問題意識ってのはこの今、現在の存在を確保するにおいて
もっとも重要なものだと思いますね。
ところが分断どころかキャンセルキャルチャーがまん延している。
問題意識をぶっつけてもさらっとかわして
じぶんの世界の幼稚な正義や良い子ぶりの露出にみなさん余念がない。
忙しい仕事人ならともかく、表現にかかわるものがそれだから
これでどうせよというのかと、頭が痛い。77年たって振り出しに
もどろうとしているのだけど、だれもそのことに気づかない。
そんなことでいいのかよと思うけど、ま、これがいまのニッポンなんですなあ。 (文弾)
2023-01-09
武田地球さま
温かいまなざしと深い胸の厚みで
わたしの真摯なコメントを受け取っていたただき
ありがとうございます。 (あおい空)
2023-01-09
柳煙さま。
戦争が、付属品!ですか。ほお、
戦争を付属品にしてるんですか、そりゃ凄い。笑 (あおい空)
2023-01-09
いつきさまへのコメントついでに、
あまり読む気にはなれなかったこの作品失礼!笑 にひとことコメントさせて頂きますと、
......たのむからもう少し大人になって
ちゃんと戦争とはなにか反戦とはなにか一から真面目に考えてほしいと思いますね。
幼さゆえの無邪気な世界は純粋ですが、それは別の言い方をすれば虚無です。
幼さゆえの無邪気な感覚で戦争への嫌悪を語るのは
幼児よりよほどまずいとおもいます。
だれよりも戦争を嫌い、抵抗したいと考えている現在のわたしからすれば
まずは世界認識をしっかりしてはどうかと思ういます。
嫌だ、嫌だなんてだれでもそうでしょうから。
こんなコメントをするとだれかからまた「恫喝」だの「罵倒家」だのと非難され
ここから排斥されるのでしょうね。
でも、いまだからこそ全員から出て行け! といわれても指摘しておきたいですね。
それがわたしの今の文学ですから。 (あおい空)
2023-01-09
いすきさま こんばんわ。
>戦闘航空機乗りって、ありとあらゆる兵士の中でも群を抜いて孤独なんですよ。
それは彼らが空の中で実際に孤立してるからじゃなく、何よりも、その才能が孤独だからなんです。
もうしわけないですけど、この言明にはひとこと異議をはさんでおきたいと思います。
パイロットが一般兵士"より"孤独なんてことはありえないでしょうね。
そういうのはやっぱり一種の差別や偏見、ときには優生思想につながりかねないので
強く指摘しておきたいとおもいます。
”パイロットが孤独”なのではなく、世の中には”パイロットの孤独”があり、また、
"兵士の孤独"があるんじゃないでしょうか。それぞれ固有の孤独であって、
それぞれ質が違うだけで孤独の過酷さや程度なんか比べたりできるものじゃないでしょうね。
そもそも戦場に出てパイロットの経験がないからパイロットの英雄物語やアニメからの
想像でしょうけど、そういう想像はまったく何の意味もないとおもいます。
その確信はゲーム世界の”物語設定”でしかありません。それをリアルな人間世界にあてはめると、
もの凄く危険な思想が、もの凄く安易に、また、もの凄く正義の様相をしてあらわれることが
往々にしてあります。そういう発想や思想、考え方を一から見直して欲しいなとこころから願望しての
コメントです。黙っていてもいいのですが、あまりにもちょっとなんなので、まことに...失礼しました。
(あおい空)
2023-01-09
誠に、まことに失礼しました。
『竹田一穀』ではなく『竹見一穀』でした。(-_-;)
申し訳ございません。 (パブロンゴールドA)
2023-01-08
ゼンメツさまのあの短編小説風作品ですが、みなさまは頭から詩として受け取り、
さながら純文学小説の謎解きをするようなコメントや解説をされておられました。
もちろん、詩と受け取ろうが小説と受け取ろうが個々人の自由なんですが、別に
わたしは呪いをかけたわけじゃなく笑 もう、ほんとに、すごく純真かつ素直に
感想を述べただけなんです。
わたしにとって詩というのはまず、ことばの韻律なんです。意味は正直どうでもいい。
あたりまえのことだと思っていたのだけど、どうやらそうでもないみたいだ。でも、
わたしが詩と認めるものはまずは韻律がそのまま謎をはらむようなものでなければ
とうてい詩とは認められないのですよ。
意味なんかをあれこれ探ってほじくり返して「どうだ、まいったかー」と悦に入って
どうするの?という気持ちがわたしには強固にあります。
わかいころ、吉増剛造の"凄い韻律になればいいのさ"という一行に出会ったときの
爽快さは忘れられない。
かといって吉増のは、やりすぎで、そうだなあ、野村喜和夫くらいの韻律の流れ、
そしてその韻律そのものが謎をはらむ、そういう詩。あの程度のバランスがわたしには最高です。
でなければただの純文学小説じゃんという気持ちがある。
わたしは純文学なんかいっさい読まないですからね。笑
でも、投稿作品のほとんどは韻律の愉悦を感じるものは少なくて、どちらかというと
中学の作文のような、●●でした、とか✘✘であるというようなものが多い。
そういうものが一番容易に苦労しないで書けるし、そういう作文でも詩といえば
詩として通じる。でもそれはわたしの考える、韻律を優先させた詩じゃない。
そういうものはただの作文だし、どれほどアクロバチックな比喩で、死だろうが
絶望だろうが愛だろうがを謎解きのように隠していても、それはただのクロスワード
パズルでしかない。いったいそんなことのどこにことばの深淵があるの???
こういう考えを披露したり、こういう考えで作品にコメントすることがもはや
呪いをかけたように非難される世の中になってしまったのは感慨深い。
時代の変化とはおもしろいものです。難解な作品やその手のクロスワードパズルにはやはり
わたしは詩としての評価を与えられない。でも、極度に針がふれた作文だと
詩を感じる。わたしがビーレビさまに投稿のお世話になってから唯一、
推薦したくなった、だんとつ、トップレベルの唯一の詩はだれからもコメントも評価も
なかってけど、
DaysXMa≠naさまの『竹田一穀』は現代詩の傑作だと思っています。
(パブロンゴールドA)
2023-01-08
飲んじゃいけない! なぜかというと
作中の"ぼく"はまだいい女に出逢えていない。
いい女に出逢えればもうおれなにかんげーてたんだよ
ということになる。ただ、
昭和と違ってへーせー以後、いい女はめっきりいなくなった。
昭和のころはどこへいてもひとりはそういう女いたけど。
でも、飲んじゃいけない! じつは理由なんかない。
ただ、飲んじゃいけないんだ。
(ない)
2023-01-08
藤 一紀さま、お読み下さりありがとうございます。
カワイイとのご評価、ありがたくおもい
今後とも精進を心がけます。 (小児性愛天国ニッポン )
2023-01-07
湖湖さま、お読み下さりありがとうございます。
日本人の小児性愛性はこの先、戦争のような〈割礼〉によってしか修正不可能でしょうね。
しかし戦争は断固拒否するわたしとしてはもうしょうがないとあきらめています。
たしかに昭和のエロ的女性像は男尊女卑的なものがあります。でもこれは表面的なもので
日本人の社会ってのは歴史的には女性上位です。鎌倉時代でもそうでした。
武家の世の中になってから変質したのでしょうね。わたしも団鬼六のSM小説なんか
を一時愛読してましたが、実際のリアルではそんなこを思い出すことはありませんでした。
完全に忘れてますね、ああいう実際には形而上の観念なんかリアルには出どころがないもの
だと納得しました。
>ところで小児性愛傾向の詩って私ですか?
小児性愛の傾向性は現在の日本人男性ならみなもっている一般的傾向性として述べたもので、
じつは女性の場合はどうなっているのか、まっこと興味深いのですよ。
ただ、今の女性は男性に成り変わることが女性優位だと錯覚しているので、
知的な女性が男性の小児性愛性傾向に迎合しているのは間違いないですね。
男性の知的脆弱性に対して何もいわない。それもまた女性の狡さかもしれません。
小児性に迎合するのが知的女性に多いのは知的社会がいまだに男性優位だからでしょうね。
(小児性愛天国ニッポン )
2023-01-07
訂正
ひとりではまちがいなんてない。
ふたりならまちがいをすることができる。
さんにん以上ならまちがいばかりだし
ゆるしもない。
そういう普遍性への言及を思い出しました。
0 (わたしたちはひとりではないから わたしたちはまちがえることができる)
2023-01-07
ひとりではまちがいなんてない。
ふたりならまちがいができる。
さんにん以上ならまちがいばかりだし
ゆるしもない。
そういう普遍性への言及を思い出しました。 (わたしたちはひとりではないから わたしたちはまちがえることができる)
2023-01-07
失礼。
メモ帳にかいてからそれをコピペしているので
前のほうがコピペハズレのままペーストされました。
お詫びもうしあげます。訂正、書き直してコメントします。
アニメ作品に「かける」というタイトルのものが
多いことをラストの一行でふと思い出しました。
(かける)
2023-01-07
「......かける.....」というタイトルのものが
おおいことを知りました。
(かける)
2023-01-07
こんにちわ。
いや、とにかく凄い。凄いとしかいいようがない。
こういうものよく書けますね。大袈裟でなくどういう
頭の構造をしているのか。驚愕します。
わたし短歌はまったく書けません。
その上での感想なのですが、短歌の黙読のスピードですね。
短歌というのは今の日本人は、意識して、そうとうにゆっくり
長がぁ~~~く伸ばして読まなければ、ちゃんと味わえないの
じゃないかと、今、ふと思いつきました。
戦後、英語の影響とか社会変化の影響もあると思うのですけど
黙読のスピードがおそらくむかしより速い。そのスピードで
こういう古風な短歌を読むと、ちゃんと味わえないのだなと気づきました。
ためしに今、youtube上でむかしの和歌の朗読をさまざま聴いて
みると、思った通り、速い。ゆっくりのつもりがそうとう速い。
このてんでいえば、黙読のスピードはたとえば俵万智の短歌なども
そういうことはまったく意識の埒外にあって、ふつうに速く読むように
つくられている。
こういう古風な短歌がいま、なかなか受け入れられないのは、
現代人の黙読のスピードにもはや合致できなくなっているのが
大きいのではないかと推測しました。
英語の影響でしょうかね。わたしたちは今一度、
黙読のスピードという(だれも考えもしなかったでしょうけど
わたしは罵倒家だからそういうことすぐに今ピンときました)
そういう問題も考えてみるべきでしょうね。
ちなみに、今、これを昔の朗読のスピードを推測して黙読してみると
かなりしっくりするものがあります。でも、それはまったく異次元の
古い世界に意識が戻らなければならないから身体がなかなかなじまない。
それにしても凄いですね。こういうものが書けるなんて。
脱帽です。 (和歌 勉強中)
2023-01-06
鷹枕可さま
詩人はバカばかりという言明が、世間や世情にうとくて
失敗ばかりしているお人好しな詩人への愛情表現である
ことは読み解いて下さっているものと思っていました。
ほかの罵倒も同様です。ところで、
人参というのは大根おろしのように擦れば、まっことに
甘いです。むかしむかし新宿歌舞町に乱立する喫茶店では
モーニングセットの組み合わせのひとつとして
どこでもそれを小さな小さなカップに入れて出してました。
それを思い出しました。お読み下さりありがとうございます。 (あえて「罵倒家」の汚名を着て)
2023-01-06
三浦果実さま
新年のおはなしがでましたので、あらためて、
新年あけましておめでとうございます。
最近は運営の発表があるたびにびくびくしている
小心者のわたしですが、いつお白洲に引き出され島流し
打首獄門になるか
わかりませんが、それまではどうかよろしくお付き合い
お願い申し上げます。
お読み下さりありがとうございました。 (あえて「罵倒家」の汚名を着て)
2023-01-06
湖湖さま、お読みいただきありがとうございます。
あなたが言ったなんて一言もいってないし思ってません。
また、当、投稿板の他のだれかがいったともいっていません。
あくまでも「罵倒家」というえげつない罵倒表現が面白くて
あえて身にまとって、ということです。
(あえて「罵倒家」の汚名を着て)
2023-01-06
米【100万再生超えの無限白菜】塩と油と○○だけ!野菜炒めの極意教えます!中華料理の技法で仕上げる『白菜と塩だけの炒め物』の作り方!これぞ引き算の美学!【白菜の塩炒め】【大量消費】【本格】【アレンジ】
https://www.youtube.com/watch?v=malhZXqwTIk&t=663s
COCOCOROチャンネル (あえて「罵倒家」の汚名を着て)
2023-01-05
う~ん、あのですね、
もう、ちょっともう辛口の感想コメントになるかもしれませんが、
通俗人生論の本を開けば多分並んでいるようなマニュアル的記述が
ここに書かれているわけですが......その、ですね、
言葉というものが必ず持つ両義性に気づいてほしいのです。
たとえば「人生は無意味だ」、あるいは「永遠なんてなかった」云々。
人生が無意味だという言明は、意味のある人生を知っていなければ言えない。
あるいは「永遠なんてなかった」というのなら一瞬もないわけだ。笑
だってそうでしょ。永遠というのは一瞬のことです。写真をパシャっと
撮りますよね。そこに静止画ができる。静止画は永遠なんです。
いや、こんなこといわなくとも永遠がないということは、永遠なものを
知っているから言えるという指摘をしてもいい。
基本的に永遠でも幸せでもなんでもいいけど、そういうのは瞬間、瞬間に
感じるものなんです。だってそうでしょ。セックスしたときに男なら
射精しますよね。あの快感がもし永遠につづいたら発狂してしまいますよ。笑
人はなんでそんな永遠の幸せを求めるのか。永遠の幸せがもし存在したら
いっさいの幸せは存在しなということと同義なのに。
ここに書かれた俗流人生論のマニュアルのような文言、すべて一から
根底から考えなおしてほしいな。哲学やるならちゃんと哲学やってほしい。
根底から考え抜くこともしないで、そこらにあふれている俗流人生論を
タクシーを使うようにお手軽に使って語ってはいけないのじゃないかと
思います。おそらく作者さまな一味だって絶望なんかしてないはずだし、
真剣に人間や人生や世界について考えたことはないはずです。
もししてたら、
こんなお気軽な俗流人生論をコピーできないとおもいます。
いや、こんな激烈なコメントしたくなかったけど、
もうあと一枚、裏がしてほしいな。自分の思考をそこで完結しないで。
一気呵成に殴り書きし、また推敲もしてませんので、
誤字脱字ありましたらご容赦ください。そしてカバーして読んで頂ければ
幸いです。失礼しました。
(ドンキホーテの風車)
2023-01-05
それにしても歌がよめる人がうらやましい。
いまから返歌ひとつひねろうと思っても
どうしていいかすらわからない。
えーと、ラララ記念日と題して、
スカートをひるがえして行きし女歌人の豚鼻は東海林さだおの愛らしさ
(ここで一句)
2023-01-05
失礼。
今読み返してみるとコメントが長文に過ぎました。
お詫び申し上げます。
それと、教えたとかそういうつもりはなくて
もしそう感じられたのならお詫びします。
そのように受け取られたとすればわたしの書き方が
失敗です。キャッチボールてのはむつかしいですね。
いきなり暴投すればキャッチャーもたいへんだとわかりました。
あくまでも自分自身への照り返しを書いたという独白
これだけは信じていください。これを最後にします。
失礼しました。 (暁の夢)
2023-01-05
まずはいろいろなものをいっきに詰め込もうとしないで
シンプルに、ほんとうに薄味で、それこそ少量の塩と油だけで
味付けしたようなものを書いては如何かとおもう。
山ほどの思索を抱えているのはわかる。だからこそ、薄味で書けば
じゅうぶんに、いや、それゆえに、このような内容の詩の場合、
こころは人に伝わるのに、
どうしてそうあれもこれもと欲張って人からよく思われようとするのか?
と首をひねる。ここに書かれたものは、
たった一行の思いだけでもたいへんなことなんです。
もしご自身が哲人のようなあるいは、聖職者のような心ばえを書きたいなら
そういうことをおもてに出した瞬間、ことばってのは
効力を失うんです。
やたらに「やさしさ」だの「愛」だのといった、たいへんな言葉を
安易に振り回すものではないと思います。
嘘の聞こえないように愛を口にしたいのだ
それならもっと言葉に対して謙虚にならなきゃいけないのじゃないかと
おもいます。
つまり、もっともっとへりくだっていかなきゃ、これじゃもう、
どうしょうもないですよ。
作者さまの書きたいこと、言いたいことはこれまでの投稿作から
わかっているのです。そういうことはむしろそっと語らなきゃ
そういう言葉は外へ出るとすぐに腐敗するんです。
まず、自分自身を冷静に外からみれないと、言葉ってのは
ぜんぜん動きませんから。
あの、こんなことを書いても、まったく作者さまには通じない
ことはわかっているけど、罵倒しているのではなく
わたし自身に言い聞かせている言葉だとご理解下さい。
こうやって人様の作品を目にして自分自身に詩とはなにか、
言葉とはなにかを確認することが多いのです。
罵倒家といわれていますが、わたしは作者さまには
まったくなんの意趣もありません。むしろ惜しいとおもうのです。
こんな書き方をして、ほんとうに大事で良いものがゴミのように
捨てられていくような気がしまして。
乱文乱筆失礼しました。 (暁の夢)
2023-01-05
鷹枕可さま
わたしのような無学の小者を辛抱強く相手にしてくださり感謝いたします。
>同一内容を難読‐易異に隔てる記法の問題とは、
>言語の比喩的機能の問題に行き当たるのではないかと。
ええ、これは、聞けばすぐにそのことに思い至る事例だとおもいます。
別によいしょするわけではありませんが、さすが鷹枕可さまだと思います。
ただ、言語の比喩的機能をかってに持ち出してかってに都合よく当てはめたのは
言語学者やおフランスの構造主義系の自称思想家たちであって、
わたしたちが日常の会話においてかなり高度な問題をかなり平易に語り、読み解いて
いるのは、とうぜん比喩など意識しているわけではありませんし、
また、言語の比喩機能がもともと話体にあるのかどうかというと、それとも
外部から言語学者たちにかってに持ち込まれた概念でないかと疑う必要もあります。
>比喩とは、相違する事柄を同一化せしめる機能、つまり統合的機能の成果である、と仮定をさせて頂きます。
>私は、その同一の自明性が破れた作品にこそ興味を抱く癖があるようでございまして。
>相異を個性、同一を普遍性とも換言し得るかもしれませんが。
なるほど筋が通ってる。
ただ、あの、これもう、ぶちゃけはっきりいっちゃいますけど、
言葉ってのはなんであれ、どれもこれもすべて比喩なんです。
なんでもいいですけど、面倒だから
おはようございます。きょうもいい天気ですね。
という日常挨拶ひとつとっても、これ、言語学者ならすぐに比喩のなかの
提喩であるか換喩であるか隠喩か寸秒で指摘できるわけです。
すべての言葉が比喩であることは、これは考えてみれば当然でして、もともと
言葉に実体なんかないから、比喩なしでは成立しえないわけです。空気みたいなものだから
だれもそんなことを指摘してこなかったけど、言葉はどんなことばもすべて比喩です。
だから空気のようなものでいちいち意識する必要はないと思うんですが、言語学者は
どうしても一枚噛みたがる。そして詩の本質が、あるいは批評の本質がどんどん中心から
些末な知のほうへ逸脱してゆく。そういうこと、詩を書くものならちゃんと意識して
もらいたいのだけど、中学生レベルの批評に対してそこまで注文はできない。
>如何にも、個性の強い作品が好きなのですよ。
>結局は好き嫌いでしか語れぬ自らの価値基準を羞じつつも、返答とさせて頂きたく存じ上げます。
これもまったく依存はありません。結局は好き嫌いです。
ただ、たとえば芭蕉の
夏草や 兵どもが夢の跡
という俳句ですけど、この"夏草や"ということばが、好き嫌いでは
絶対に出て来ないことばだと思うんですよ。
このことばの選択は好き嫌いを超越している。"兵どもが夢の跡"の前に
"夏草や"以外のどんな句をもってきても名作にはならないし、万人が簡単する
句にもならない。この"夏草や"という、それ自体ではなんの変哲もないことばが
ある下句に対しては永遠の輝きをもつものとなって出てくるのか、
どこから選択されて出てくるのか、どういう構造のもとでどういう効果をもつのか
それが批評というものだとわたしはおもっています。
ほんとうの詩の批評は好き嫌いを超越している。だけど詩を好むという読者の
態度として好き嫌いで十分すぎるほど十分であると思っております。
そこでね、
くろかみさまの、なんかよくわからない書き物を読んでみるとですね、これはもう
すぐにピンとくるわけです。
"ああ、ここには何もないな"と。この何もないという読感は何千という詩を読んでくれば
わたしのようなどんな凡庸な人間でもすぐに感受できるわけです。
そしてこの何もないなという感覚はべつに驚くべきことでもなんでも無いわけです。
そこに今という時代をみるだけです。でも、作者がそれに気づいていなければ
失礼ながらマンガじゃないかとおもうのですよ。
鷹枕可さまには感謝しますが、わたし個人としてはくろかみさまについては
まったく個性を感じないし、また、知性も感じません。
とにかくかの作者さまに関しては御本人がご自分で今のガチガチの状況を
なんとかするしかないとしかいいようがないですね。
本来はスルーする作品ですが鷹枕可さまにはずいぶんお世話になっており、
仕方なく読んだ感想、仕方なく読むなよと叱られそうですが、
いちおう格闘家ならぬ罵倒家と誹謗されている身ですが、
支離滅裂ななぐり書きにて失礼致しました。推敲しておりませんので
誤字、脱字などありますれば、斟酌してお読みくださりますよう
お願いもうしあげます。
(知恵の実を選ばしめたリヴァイアサン)
2023-01-04
腹の中にたまった鬱屈や理不尽なものに対する憤怒を
こういうかたちで吐き出したくなる気持ちはよくわかります。
そういう意味で詩にはこのような療養的効果がある。
これは詩の効能の特筆すべき点じゃないかと思いますが、
それよりそういう事態こそがなくなればいいなとわたしも
おもいますね。 (饅頭だらしない)
2023-01-04
『第三の男』という映画のラスト近くを思い出しました。
渋谷あたりの交差点を上から見下ろしていればたしかに"虫籠"という発想が
わく人はいるでしょうけど、それをどう書くかは非常にむつかしい。
つまり頭のよさだとか思想とかの問題ではなく、この詩は、表現の仕方がクールで
頭一つ、抜けている。だれもこういう書き方は思いつかないだろうし、
多分、ふつうは、こんな書き方でいいのかなと心配になるだろうけど、
思想や内容の問題じゃなく、この書き方が、虫籠を表現しえている。
クールです。
(虫籠)
2023-01-04
追記
あの、偉そうに「比喩」なんかひとつの用語で十分などと書いてしまいましたが
これ、実はわたしがいっているのじゃなく詩人で戦後最大の思想家といわれる吉本隆明が
いってるんです。その理由について吉本はなにも書いてませんが常識的にすぐにピンときますよね。
直喩でも隠喩でも、言語学者によってはさらに分類していける。細分化できます。
そうなるともうきりがない。そしてそれを詩表現にあてはめる場合、たんに批評としては
二次的、三次的な些末なことについて分類学的な仕分けを示していることでしかない。
親子丼は「鶏肉+玉子」を合わせて「親子」と比喩したもので「提喩」である。
きつねそばは「お揚げ」からそれが好物である「きつね」を連想した比喩で「換喩」である。
月見うどんは「玉子」を「月」に見えることからの比喩で「直喩」である。
こんなことを言っても、それで表現についてなにかを言ったことにならない。単に分類しただけです。
ある絵画が第何号の毛筆で書かれているとかそういう問題は批評の本質としては些末な
末梢の問題じゃないかとおもいますね。
ただ、ビーレビには批評も文学だ、妄想だと主張される方がいるようですから、
凡庸な作品を批評によって飾り立てることを否定はしません。
以上、念のために追記をしておきました。乱文乱筆失礼します。笑
(直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)
2023-01-04
>妄想でも宜しいではないですか。その作品が面白ければ。
もちろんもろ手をあげて同意賛同します。
そんなことに異を唱えているわけじゃないのですがね。やっぱりご理解
していただけませんかねえ。
>当方は高可読性の海に辟易を致して居ります。
失礼ですがほんとうにちゃんと読めているのですか?笑
たとえばですが、美味いものを食べるにはどうすればいいかという
高可読性の議論があるとして、それ、簡単な話だと思います?
フッサールだのウィトゲンシュタインだのと振り回すより余程むつかしい、
しかも生活的思考が即超難度な哲学思考にもなっている、そういうこと、
ちゃんとわかった上で、おっしゃっておられるのでしょうか?
上手いものを食うには2つの方法があると、仮にラーメン屋の学のない
二人の職人が話だしたとする。
1つは腹を減らすという道。これ、めちゃくちゃなんでも美味しくなりますよね。
2つ目は有名レストランに足を運び手の込んだ高級料理を食う。
この2つ、考え詰めていくと主観と客観という問題にいきつく
いわば下らない思想用語なんか使わなくてもちゃんと現象学や近代哲学の問題に
行き着き、しかも、めちゃくちゃ難解なことを解こうとしている。
こういうことがわからないから、意味もわからないで高踏的な哲学思想用語を振り回し
逆接的な用語法でなにか意味ありげなことを語ったつもりになろうとする方がいらっしゃる。
そういうのはわたしの場合は鷹枕可さまとは逆で、非常に可読性が高くてつまらない
それより「おいしく食べるには」という議論のほうがよほど面白いし、ほんとうは可読性は
高くない。そういうことがわかっていただけるかとも思いましたが、まあ、無理なようで
これからは注意するように致します。
失礼いたしました。 (知恵の実を選ばしめたリヴァイアサン)
2023-01-04
こんにちわ。
仕方がないので、スルーしていた当該作品を読ませていただきましたが正直、
意味内容としては、
まったく意味不明であることは議論の余地はないと思われます。
1分34秒に1人女性をかくまえ。さもなければ爆弾を破裂させる。
そうして、6人の女性がかくまわれ、全ての女性がかくまわれ、何事も起こらなかった。
この"1分34秒"も”6人”という数字もそれ以下の言明も、作者の内的な固有の妄想以外に
何の意味もないことはおそらく多くの人が認めるところでしょう。
"意味"とはもちろんつきつめれば個々の人々の主観であり妄想であるとはいえ、その主観や妄想が
他者と共有できるベースの上に存在しているからこそ"意味"と呼ばれるものになるわけです。
しかしこの作者にとって非常に個的な妄想が強固な妄執によって支えられているから
それがこの作者の内部だけにおいてある種の意味(この場合、他者にとってはただの根拠のない"妄"想ですが)
となって存在できているといえます。
もしこの作者がちょっとでも内省的なフレキシビリティをもてば、そのことによって個的な妄想が崩壊し、
下手をすれば自我の崩壊にまで至る可能性がある。
だからこの方は共ー主観性へ踏み込むことはなかなかむつかしい。だから常に断定によってしか外部に表現を発信できない。
たとえば
キリスト殺害という「間違い」が「正しく」起こった。ゆえに人間はもう死を恐れることなく不死であり、
という断定。キリストという架空の物語があって(実在したと信じても自由だが)、その物語は多くの聖的な書が
そうであるように、人々の心の深層にある真実を言い当てている。キリストの死という寓話は、人間が生贄を
必要とするという真実の一面を指し示しており、その宿痾のような生物としての宿命を無化する構造をもっている。
だからここではそういう構造をわしずかみにして引き出し、人々の前にさらけだすことこそが今のような
ウクライナ、コロナといった邪悪な世界の現象においては大事なことであって、
キリスト殺害という「間違い」が「正しく」起こった。ゆえに人間はもう死を恐れることなく不死であり、
などという、そんな脳天気な話はないわけです。
共ー主観性、つまり社会性のある現場ではありえないというかバカバカしい妄言でしかないわけです。
そして文学としても批評としても何の意味(「価値」ともいっていいでしょうけど)もないわけです。
ではなぜ、にもかかわらず作者はこんな言葉に固執しているかというと、おそらくある種の劣等感でしょう。
そもそも文学というものの原動力のひとつに劣等感というものがある。
しかし批評や思想、哲学における劣等感など聞いたこともないという人が多いでしょう。
でも案外、そういうものの克服のつもりで意味不明な言葉の羅列の罠にハマってしまう方が非常に多い。
これこそが哲学、思想というもののある暗黒の一面であるともいえます。
とはいえ、作者さまには無理はいえない。
このままそっと自然に自己分解していく以外にない。無理に反省とか内省とかやると、とりかえしのつかない自己崩壊につながりかねない。
今のままでいいでしょうとわたしがいわなくとも、おそらく、いっさいの外部からの批評的言辞は当該作品の作者には届かないようになっているはずです。自分を守るために。 (知恵の実を選ばしめたリヴァイアサン)
2023-01-04
これを書かれたのが三浦果実さまとは知らなかったです。
というか、わたしは匿名の投稿をいちいちだれが書いたものか?
などと考えたこともないし、考えもしない。あたりまえの話で、
わたしたちは作品そのもの向き合うことしかできない。
それをなにか作者がわからないようなことは規制せよなどという
意見が出ているが、いったい何のために作品を読もうとしているのか、
さっぱりわたしにはわけがわからない。
それと、文学てのは個人幻想だからこれは孤独に決まってます。はい。
主体もテクストも関係ない。個人幻想にとって関係があるのは
ホタルのように一瞬、一瞬明滅する他者との関係性だけです。
どうしてテクストだの主体だのといったわけのわからんことをここで
いうのか、それこそわけがわからん。 (Planet Poem)
2023-01-04
この文章を読んだ若い人や初心の方にいっておきたいのだけど、
詩を読む上でも批評する上でも直喩だとか隠喩だとかあまり考える必要はないと思います。
まあ、ほかにニワトリのうんこの数ほど●●喩とかありますがそんなもの意識する必要はまったくないです。
まして書く上では若い人や初心の方はこんな区別は無意味ですから、はい、
まとめて風呂敷に詰めて「比喩」、詩はこれで十分いけます。
それから詩作品を心理的な述語を使って、たとえばフロイトのカルトチックな概念を使って
説明するようなそういうアクロバットも、やめたほうがいい。
そもそも心理学も思想哲学も詩の生がもつ複雑さにはとうてい及ばない。
逆にいえば、心理学や哲学思想ごときに解体されるようなそういうつまらないものはむしろ
詩とはいえない。子どもだってそんな詩は書かない。
まして「異化」だっけ、笑 そういうの振り回すような人の批評はほんとうはあまり信用しちゃいけない
のだけど、ま、虚仮威しにはなるかもしれないけど。
さて、この批評、
蛾兆ボルカさまの労力には感心しますが、正直、途中で退屈になって読むのやめたい気が焦って
きました。いや、間違いが書かれているからではない。むしろまことにまっすぐに「ほんとう」だと
思ったことを書かれているのでしょうけど、批評といえど読むものを愉しませる必要がある。
これを面白く読んだ方もいるでしょうけど、わたしにはまったく砂を噛むようにあたりまえで
おもしろさを感じませんでした。
こういう書き方をする人が詩を書いている、それが驚きでした。 (直喩と隠喩 ゼンメツ氏の「飛べない」について)
2023-01-04
ストレートな気持ちのいい発信だと思います。
わたしの場合は
こども時代が悲惨だったせいか、はやくから本と映画に耽溺し、
言葉とか映像とか、ようするに精神やこころが虚構としてつくりあげたものが
ほんとうの世界であって日常生活世界はうその世界だった。
しかし活字や映像の世界から一歩我にかえると苛烈で厳しい現実世界が
待っていた。だからそれゆえに、たかが詩、たかが映画とはいかないで、
そういうものには、かなりきびしい指摘をする。
現実世界ではそういう指摘や批評はしない。
むしろだれからも瞬時に「やさしい人だ」といわれる。人を傷つけないように
気を配るし、できるだけ人を救けてきた自負もある。
しかしそれはウソの世界だからそうできるのであって、文学や映像の世界に
入ったら、そこにいい加減なウソがあると許せなくなる。
というのも、活字や映像から一歩外へ出ても、日本の戦後世代にはそれほど
苛烈で厳しい現実が待っているわけではない。
東南アジアやアフリカや南米ではいまだに子どもたちが病毒性の化学物資に
まみれながら労役をしていたり、危険な廃物をあさって生きている。
そうではなく日本の戦後世代の場合、多くの者にとって、詩や映像世界が
わたしのようにリアルな生活世界ではないから、つまり一歩外へ出ても
それほどの圧力がない世界が待っているからどうしても活字や映像の世界も
趣味的なものになる。虚構世界というものが、わたしのようにほんとうに大事でリアルな生活そのものの世界ではない。この齟齬が、わたしに他人の表現に対する辛辣さを
生み出す。それをして「罵倒家」といった怖ろしく愚劣な非難をも頂いたが、
ひとつ言っておきたいのは、
手放しで褒めるということは、たしかに相手は気持ちいいかも知れないけれど
わたしの経験からするとそれは「虚無」にひとしい行為であるといえる。
わたし自身、人から褒められたら、外見上はうれしそうにしているが、内心、どこか
半分がむしろひやっと白けている。あまりうれしくはない。
罵倒や非難や批判は猛烈に頭にくるし、バカヤロウ、何も知らないくせしやがってと
おもうのは人並みに同じだが、しかし、どこかでむしろ確かな手応えを感じている。
いまの詩のサイトはちょっと厳しく指摘すると傷つく人たちがいるのはこれは
本人のせいではなく時代のせいだからしょうがないとしても、
それに輪をかけて褒め合うというのは、どこかで病んでいるとしか思えないときがある。
それもまた時代のせいで御本人方のせいではないのだけど、
こんな時代に詩を書いたり投稿したりすることには、いろいろとハラハラがつきまとうものかと
おもうと人々に対してではなくこんな時代に対してやはりうんざりするのも事実です。
基本的には作者さまのご意見には頷く所多々あり、小笠原鳥類だっけ、わたしは詩ちょっと読んだだけで御本人には逢ってませんが、
やっぱりそうとうの書き手だとおもうし、そういう人に褒められたらわたしだって飛び上がるほどうれしいですよ。
いや、つまらない雑文、失礼いたしました。
なかなか最近、コメントしずらいので、これはなんか素直に書かれていて、
失礼ながら長文コメントを書かせて頂きました。ご容赦。 (Planet Poem)
2023-01-03
追記
運営の方々への要望ですが、あなたがたにはものを見る目があるのですか?
作者さまには申し訳ないですが、この程度に表面的な幼稚な作品を
「話題の......」といって門前にさらすのはどうかと思います。
また三浦さまや鷹枕可さまのコメントも幼稚で単純かつ不明にすぎます。
こういった作品とコメントが表に「話題」といってさらされ、これが大人の意見だと
すれば、これはもうネットの投稿サイトなど世間からバカにされる危険性があります。
わたしはほんとうにもう泣きそうなほど落胆しています。
罵倒、恫喝とみなされて懲罰されるなら、そうしてください。これではあまりにも
詩がかわいそうです。
(大虐殺の後で)
2022-12-27
この詩が「話題の作品」ということで、本投稿サイトの入り口にあがっていましたので、
会員のみなさまのコメントを読み、その上で二回目のコメントをさせていただきますと、
湖湖さまが観られたwowowのそのドキュメンタリーは主に西アフリカの自然と現在を三回にわけて放送したものですが、
その西アフリカでいえば
旧フランス植民地であった14ケ国はいまだに「CFA(セーファー)フラン)という通貨です。しかも独立したはずなのに通貨発行権はECB(欧州中央銀行)がもっている。
つまり欧州は、いまだに西アフリカ諸国の経済を自由勝手にあやつれるわけです。こんな無茶クチャな話は最近まで世界の有識者のだれも知らなかった。しかし三年前にイタリアのメローニ首相がフランスのマクロンを弾劾してテレビで明らかにした事実です。
そのような話はおそらく絶対にWOWOWの一般市民向けドキュメンタリーでは明らかにしないでしょう。
いまだに欧米はアフリカ諸国から富を収奪しているわけです。西アフリカのブルキナファソの金山で小学生が奴隷のように働いている。そしてそこから上がる収益の50%をフランスが手も汚さずに横取りしている。これもイタリアのメローニ首相が欧州を弾劾してテレビで明らかにした事実です。
ドキュメンタリーの中でだれかが詩を朗読していたということですが、どんな詩でしょうか。
ルワンダ大虐殺。ちょっと資料にあたればすぐにわかりますが双方、死者の90%が
最低貧困層の若者たちばかりなんです。そういう非民のような、奴隷のような貧困層の人々が対立においやられ
殺し合いをするように仕向けられている邪悪な構造。
ほんとうに戦争で犠牲になった人々の魂の叫びなら、放送する側はちゃんとその人の名前も詩のタイトルも明らかにすべきです。
アフリカの貧困層には、そんな余裕はないですよね。アフリカにおいて詩は現在でも有閑層の暇つぶしでしかない。アフリカには字も読めない書けない人たちが一杯いる。
作者さまはわたしが"富裕層の町が出来上がった"というコメントに対して
ブルジョワタウンという印象は受けなかったです。
とおっしゃっていましたが「印象」というのはたいへんむつかしい話です。できれば、史実をたしかめてほしかった。
その感動がいかに甘美なものであれ、その感動のせいで、あるいはその感動によって隠蔽されていくものによってこれからも殺戮と収奪が全世界に蔓延することになるともかぎらない。
日本人にとってもっとダメな部分こそ日本人である文学にかかわる者がきびしく指摘すべきではないかとおもうのですが、
まあ、ネットのなかのここですらこうですから、なかなかむつかしいものですね。
また「恫喝」とか「罵倒家」といった非難を受け懲罰をくらうことになるかも知れませんが、こういうことは
わたしの影のような、死んでいった無名の貧しい人々の原像にことよせて語るべきことであると考え、懲罰の口実になろうともあえてコメントさせていただきました。 (大虐殺の後で)
2022-12-27
学校のイジメについては......これはもう満身の怒りを覚えるけど
どうしてこんなものが発生し、大人が放任し、子どもたちが
まるで割礼の儀式のように傷ついていくのか
責任ある立番の者たちがだれも解決しようとしないのか、首を
ひねるばかり。
わたしの時代にはイジメはなくてその代わり、みなから
怖れられるガキ大将が一人、教室に必ず一人いた。
これはうまい仕組みで、みなから嫌われる代償として
全員の上に君臨していた。
ガキ大将を大人たちが殺してしまってから陰湿なイジメが
誕生した。このことの奥にある仕組みをあからさまにすれば
わたしは世間から非難を浴びる。そういう構造になっている。
なんともつまらない社会だ。 (夏の日の夕日が落ちた後で、存在よ)
2022-12-25
嫌なことを言っている人がいれば、あの人は感じの悪い人だね、と考え、
素晴らしいことを言っている人がいれば、あの人は偽善者だね、と思うのだ。
これは間違ったこころの動きとは思えないですね。非常に冷静で正しい。
人間、どちらかしか選べないなら、人それぞれでしょうけど、わたし個人は
偽善者になるくらいなら嫌われたほうがせいせいするような気がします。 (死ぬのは難しい)
2022-12-24
わたしも一度、むかし
とぼとぼと歩いてゆく一人ぽっちの旅について
ある人生の先達に電話をしてそのことを問うたことがあります。
その方の答えはこうでした。
「たしかに一人はつらい。だけど一人は強いんだよ」
どこまで真実かわからないけど、
仮にだれかが一人ぽっちであることに嘆いているとしたら
このことの可能性も一人ぽっちの数のなかに忘れないでほしいと思います。 (ひとりぼっちの旅人)
2022-12-23
鷹枕可さまの数ある投稿作のなかでは
非常にわかりやすくまた読みやすい詩歌であるうえに
ほとんどのものに日本人として共感を覚えました。
とはいえ、この手のものはなじみが少ない形式であるがゆえに
読むものはひとつひとつ、語彙について、せめてネットで
検索して、そこにあらわれる未知の概念や歴史について
新鮮な驚きを覚えてほしい気がします。わたしもわからない
言葉は検索してさまざまな未知に出会い、それもまた
面倒だけどおもしろい体験でした。
嘆きもあり失意もあり人類への警笛もあり孤愁もありと
鷹枕可さまの、現在というか現代への思いを放たれたものでしょうけど
現代の詩の書き手に、これを「わからない」という人がいるということが
まさにこの作品の示すところの抒情が追放された世を物語っているのかもしれません。
日本人の主体は、規範じゃなくて、心なんです。千変万化する個人の心
死を前にした作家、色川武大の絶叫ですが、その心が滅びようとしているとき
"日本人"というものも滅びてゆくのかもしれません。 (抒情追放)
2022-12-23
澤さま
澤さまがTwitter上でわたしがこの投稿作品について
間違ったことをツィートをされておられますのでご指摘させて頂きます。
わたしについて澤さまがTwitter上でどんな悪口を書こうと罵倒しようとわたしはまったく気にしておりません。
また、そのことについては基本的に粘着するつもりも読む気も返信するつもりもありません。
そうではなく
このサイトへ投稿した作品について事実とは違うことを書かれている場合にのみ
この場を借りてご指摘をっせていただきたいと思います。
知り合いからの連絡を受けて今朝、拝読しさせてもらったのですが
それは以下のツィートです。
Pinned Tweet
澤あづさ
@adzwsa
・
9h
わたしに粘着してる罵倒家が、わたしのRTをもとに詩を書くというきもい趣味を始めたので、
わたしが「反知性主義」についての雑文『犬』を投稿したきっかけは
三浦果実さまの
批評投稿作品『村上すうというすごい投稿者を発見した』における
三浦さまとのやりとりが起因です。
「反知性主義」についてわたしが根をつめて考え抜いてきたことを
ざっくばらんに表明しておいたほうがいいと考えました。
投稿したあとに澤さまがTwitter上で「反知性主義」について
ホッパーの労作の断片だけを切り取った文章を載せておられていたので
わたしのほうこそ逆に澤さまはいまだにわたしを注目されているのかと、
思ったくらいです。
まさか人さまのTwitter上でああだこうだ
と反論するほどわたしは非常識じゃありません。
もともと澤さまのツィートをみたのは、連絡を受けて今回が初めてで、
澤さまを粘着もしておりませんし、興味もありません。
澤さま、わたしについてどのような悪口を書かれても構いませんし、
そのことに一切、反論するつもりはありませんが、
投稿作品について事実とは違う話を拡散しないでくださるようお願い申し上げます。
おそらくわたしの投稿のほうが早いはずです。
わたしは澤さまにはまったく関心がないし粘着もしておりませんことを
ここに表明しておきます。
できればわたしの『犬(いぬ)論』投稿時間と澤さまの当該、
「反知性主義」に関する都合のいい切り取り断片の
リツィートとの時間を確認ください。
おそらくわたしの投稿のほうがはやいはずです。この件については
以上です。
フォーラムに投稿しようと思いましたが反映されなかったので
やむをえずコメントしておきます。 (犬(いぬ)論)
2022-12-22
追記
『アメリカの反知性主義』という素晴らしい本があります。
古いですが見事な洞察に頭が下がります。丹念に読めばわかるのですが
ここで著者のリチャード・ホーフスタッターは米国中南部の農民たちが
知性に反感を覚えているとはいってません。
生き馬の目を抜く東海岸のこすからいインテリにだまされつづけてきた
農民たちは知性を否定しているわけではなく「あなたがたのはほんとうの知性じゃない」
といってるのです。つ
つまり反知性ではなく非知性主義です。知性を否定された非知性側の方が
知性を擁護しているとすればそれは噴飯というものです。笑
あの良書の一部それも数行だけを抜き取って知性の擁護なども噴飯というものです。 (犬(いぬ)論)
2022-12-21
こんにちわ。
興味深い視点だと思いました。
しかしルワンダ大虐殺の後
都市キガリはアフリカでナンバーワンの復興を見せた
立ち並ぶビルに整備された歌壇の花が揺れる
ゴミの落ちていない
女が夜に出歩ける安全な活気ある街への変身だ
むしろこれが怖ろしいですよね。
おそらく富裕層を始めとして仕事も家もあるルワンダでは
特権的な方々の美しい町が出来上がったのでしょうけど、
そのために貧民層にどれほどの犠牲が出たかと考えると、
その美しい街並みをみるのがわたしなど怖気づきます。でも、
いい、気づきを与えてくださってむしろお礼をもうしあげます。
(大虐殺の後で)
2022-12-21
>ついにドーナツは穴の部分だけが残った。
むかしアフリカのどこかの部落にドカンと何かが落ちた。
酋長以下、全員が見にゆくと大きな穴があいているが、
落下物、もしくは隕石らしきものはどこにもない。
占い師の老人に村人たちが尋ねにゆくと
それはあれじゃ、と老占い師はいったとか。
「穴が落ちたんじゃよ」。
そんな話が浮かんできました。だれが書いた
お話かもう忘れましたが。 (約束)
2022-12-21
ああ、なるほど! とおもいました。
ありきたりといえばありきたりなんだけど
これだけシンプルに言った人はめずらしい。 (無題 2305)
2022-12-21
わたしは24日ごろになるといつも
クルシミマスといってました。
ことばを減量させるとこの詩のように
気持ちよく軽く弾けていく。勉強になります。 (予知者)
2022-12-21
わたしが尊敬している阿佐田哲也という麻雀小説家がこういうことを
いってます。
>群れから離れて一匹狼になると、自分を否定していたのでは辛すぎてかなわない
お気持ちはわかりますが、じぶんだけは愛してやってください。好きになってやってください。
ほかはもう呪おうが、中指立てようが構いません。全部嫌いになってもいいですから。笑 (ある男の独白)
2022-12-21
こんにちわ。
一見、わかりやすい言葉で書かれた
なんでもないようにみえる詩ですが、
読み込んでいくと、これは、凄い詩ですね。
人生や人間や社会に真っ向から向かい合っている。
共感するところやなるほどと思う所よりも作者さまが
愚かな弱い存在をあたたかく抱き込もうとしている姿勢が
読む者としてのわたしをとても安心させてくれます。
良い詩だとおもいました。 (受容)
2022-12-21
こんにちわ。
七五調にじぶんの思いをのせて歌われているわけですが
わたしはこういう音韻は苦手なんです。でも、
タイトルに作者さまのおもいのたけがこもっていて、それを傍らに
置いて読むと、まっすぐな気持ちが伝わってくるような気がしました。
(聖夜に夢よ降りそそげ)
2022-12-21
こんにちわ
ざっと読んだだけですが共感するところ大です。
とりあえず感想を書かせていただきましたが、
このあと用すませてゆっくり読もうと思います。 (エピメテウスの希死念慮)
2022-12-21
こんにちわ。
七条というタイトルがわかりませんでした。詩はわからなくていい
という人もいますがわからないとつまらないものですね。
もっと勉強しなくてはとおもいました。
(七条)
2022-12-21
運営さまへ。
こういうことがあるからフォーラムでの説明を求めたのです。
澤さまがフォーラムでの説明を拒否し、
ここでいつまでも議論がつづき、あげく、くろかみさまから非難されたので
わたしなりの反論をしただけで、くろかみさまから説明を求められればいつでも丁寧に
なぜイデアだけが上滑りする議論であるか細かく教えて差し上げる用意はありました。
しかし、運営さまの判断は正しいとおもいます。
フォーラムでやるべきことだとわたしもおもいます。申し訳ありませんでした。
(ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-21
失礼、
三浦さまに文が長いとたしなめられましたので
それはその通りだと反省し、上記のコメントを一言でいいますね。
くろかみさま
あなたの言葉はいつもイデア的に軽々と滑りすぎている。
この一行だけで十分でした。
失礼致しました。わたしはいつも理解していただけるかどうか
疑わしくなって言葉をつらねるくせがありますが、
わかる人なら一行で全部を知ると信じるべきだと三浦様から
教わったような気がしてきましたので、今後はできるだけ
短く書くように致します。
この一行でわかっていただけないのならあきらめます。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-21
くろかみさま
>独りよがりでない自己表現はない、表現は暴力、同意します。
暴力はいけないでしょ。
冗談ではなく、表現だろうと何だろうと暴力を肯定してどうするのでしょう。
いや、これはそうじゃなくて高尚な文学的姿勢や表現の本質のことを言ってるんだと
おっしゃるかもしれませんが、失礼ながらおそらく実際には何も考えてないでしょ。笑
表現の暴力を肯定するならことは重大だから他人の理論をもってくるのじゃなく
じぶんが実際のリアルな人生や人間とのあいだに生じた軋轢などのリアルな体験とそれに
もとづく思考の結果として論理的に説明して下さい。できますか?
あまり無茶なことをいうものじゃないですよ。わたしは暴力反対ですね。
でも、いや、あんたのコメントも暴力だよというかもしれませんね。
だったら徹底的にわたしの暴力を論理的に暴いて非難すべきですよ。
あなたがたのお話を聞いていてあまりにもいい加減に上滑りしていく言葉の
羅列にちょっとあっけにとられました。
どうしてそうもイデア的に軽々と「表現は暴力」などと平気でいえるのか。
わたしには理解の外ですね。こんなことでいいのですかね。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-21
ゼンメツさま
>僕のどう見ても「みんながみんな面白い」みたいなそういうタイプじゃないですよ。
みんながみんな面白いなどというタイプの詩ってどういうものですか?
たとえばどんな詩がそうなんでしょうか? こう問われたとしたら、むつかしい話ですよね。
そもそも詩にそういうものがあるなら詩人がもっと詩で食っていけるはずですから。
でも、詩人のギルドは狭いし、中でもネットの素人投稿者の数ってかなり限られており、
その中でも昔からネットに素人詩を書いてきた人はほんのわずかだ。とうぜんお仲間が出来る。
そういうお仲間たちを「みんな」といえば、そういうお仲間たちから面白いといわれる
タイプの詩をゼンメツさまは書かれてると思いますよ。
でもそういうものには総じて、ある狭い世界の思想や哲学や世界認識しか見受けられないことは
おそらくトータルな詩の世界にかかわるものの一致した意見だと思うのですがね。
そういう狭い世界にうんざりして、なにごとか変わってもらいたいと思って異論をいえば
"犯罪者扱いされかねない"世界なんですよ、ネット詩の世界ってのは。それが被害妄想だというかも
しれませんが、批判的な奴は被害妄想と言って除けてるとすればいい気なものだと思いますよ。
しかし狭い世界だし、どこからも批判の矢がとんでこない表現世界だとすればこれほどの天国はない。笑
湯船につかって浪花節でも歌っておられる狭いけど快適な世界だ。
そこへ侵入して平和を見出してはいけないと最近、反省をしはじめております。ただ、
初心の真面目な投稿者を大事にしたいだけですね、わたしは。
(飛べない)
2022-12-21
みなさまのコメントお聞きしましたが、
なんかクリスマスか忘年会の宴会の席でお仲間さんたちの雑談を聞いているようで
怜悧で冷静な批評的態度の方は残念ながら一人もおられなかったことが
ほんとうに残念です。失礼ながらみなさんいつものメンバーとしか思えませんでした。
わたしはそういう見慣れた聞き慣れた方々の一方的な応援雑話はもう結構なんです。
ほんとうに冷静な方の辛辣な、的を得たわたしへの批判をお聞きしたかったのです。
わたしはこうみえてもわからず屋じゃないですよ?
心に響く、あるいは論理的にまとを得た批判ならどれほどきつくても受け入れるし
相手を尊敬します。それだけは、だれにもまけないわたしの美点です。じぶんでいうのも
なんですが。
あなたがたの少ない美点も承知していますが、それはあまりにも小さな美点であって
大きくかつ包括的な詩についての観点からいえば、やはりあまりにも狭い。内輪のなかで
今後ともそうやって褒め合い、批判する人を笑い飛ばして一方的に「処罰は望みません」などと
もうなにか相手を罪人のように決めつけているという自信をもちつづけてください。
いえ、もう、何もいいません。ご自由にどうぞ。しかし、今後とも、あなたがたが投稿者のどなたかへ
批評などされたときは間違っていると思ったときは正直におだやかに指摘させていただいきます。
うろんな素人の乱文乱筆失礼いたしました。
(ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-21
追記
今回は批評文(推薦文)なのでコメントしましたが、三浦さまが
不快を催している以上、今後、コメントをすることはありません。
だいたいいろいろなことが理解できてきましたので、
自分自身のことを見直すことに専念します。
(じぶんが間違っていたとかそういうことじゃありませんが
場違いなところで場違いなことをいっていたことに愚かさを
覚えております。とうぶんのあいだは沈思黙考期間です) (村上すうというすごい投稿者を発見した)
2022-12-20
失礼。
わたしが考えたのは批評文が投稿されたら対象作品には
いっきに5ポイント入るということでした。
(もしそうでなかったのなら謝罪します)
黙々と投稿をつづけている投稿者の方々の手前、
批評文を投稿された方には5ポイントの重みをちゃんと受け止めてほしいのです。
批評投稿文には少々、細部にわたる問いかけをしてもこれはその重みの手前、
丁寧に答えてもいいのじゃないでしょうか。
そうでないと、「やあ、上手な詩ですよ。凄いですよ」と
書いただけ対象投稿作品に5ポイントつくなら、なんか推薦されない方々に対して
比重が軽すぎるような気がしますしね。
それから「反知性」とか「反リベラル」とかいうことば、考え抜いた上で使っておられますか?
荒川洋治とか野村喜和夫の名前を出したら「知性」的だとは少しも思わないです。
あなたの好きな内田樹という方はいつもそういう文章を書いてるじゃないですか。
これはわたしが言ってるんじゃない●●という偉い●●が言ってるんです
よくこういう末尾で終わるコメントが多い。
なぜ内田樹がじぶんの考えとしてではなく、じぶん以外の優秀な思想家や批評家らの
名前をだすのか? それはじぶんを卑下しているからです。
「わたしみたいなそこらの無価値なフンドシが言ってるんじゃなく、偉い先生がいってるのだから
どうかこの意見や主張を信じてくだい」そうへりくだっているのですよ。
わたしもそうであって、わたしごとき素人で無知な人間が思いつきでいってるのではなく、
そういう偉い先生、優秀な詩人の精鋭のみなさんとの交流の中から教えられて得た詩に対する
姿勢ですよ、どうかわたしは愚劣な素人だけど、そういう方々から得た知見を信じて頂きたいと。
じぶんに自信がないし偉いとも知的とも思わないから意図的に事実を書いたのです。
三浦さんがわたしの書き方を否定するのなら、あなたが憧れている内田樹に向かって同じことを
言ってみて下さい。はたしてどんな返答が返ってくるか。わたしの憶測が間違っていたら
おっしゃられる通り、わたしを今後いっさい拒否してもいいです。
それと「優しさ」などというものは他者に講釈するようなものでしょうか?
それをじぶんのなかに仮に認めたとしても、そういう感性はもっとも外部にさらして
誇ってはいけないようなもののように思えるのですが。
わたしは優しさについて講釈するほどのものは一片とも持っていませんのでもう語りたくは
ありませんが.......。
えーと、それと文章が長いのをやめろということですがそれはわたしが愚鈍だからです。
人はそれぞれその能力に短所があります。長文でしか書けない、一種の
生い立ちからの精神的外傷 ptsdを抱えた人間にありがちな障がいともいえます。
三浦さんがそうとう不愉快に思われているとしても、わたしはこういう下手な長ったらしい
書き方しかできないのですよ。どうか生まれてからすぐにボコボコにされてきた人間の
傷口をぐじゅぐじゅにかき回すようなご発言はほんの少しだけ、考えてからお願い申し上げます。
なぜ長いの? と発言の前に一言聞いてくれればいいのに、そういう言葉のキャッチボールもせず
三浦さまは短絡的に要求されますがSPY×FAMILYのアーニャはそういう人間なのでしょうか?
SPY×FAMILYのアーニャがいいと思うのは三浦様の好みで勝手ですが、SPY×FAMILYのアーニャは
だれかの障がいからくる不具合の可能性を考えるとか言ったむつかしいことを考えずとも
まず相手に尋ねてから、じぶんの意見をいわないような自分勝手な人物なのですか?
尋ねるということは大事なことですよ。だからわたしはいつも尋ねている。それがある人には不快な
流言といわれようと。まずはキャッチボールをしてから、
長い文を書くのやめろというのなら、わたしも気持ちよく受け止めたかもしれませんが、
今のところ、短い文だろが長い文だろうが、中身さえまっすぐなら問題ないと考えます。
以上、いっしょうけんめいに書きました。できれば丁寧にじっくり考えてお読みくだされば
うれしいです。
(村上すうというすごい投稿者を発見した)
2022-12-20
わたしにはとても書けない詩だけど、佳い詩であることは愚鈍で素人な
わたしでも感じでわかります。
電磁雨や粒子の嵐を抜けてきた惑星間飛翔体がひとつ
まばゆい星座を背景に
蒼空の宇宙空間にひとつぽつんと浮かんでいる。
そんなイメージが広がっていきました。 (睡眠の技法)
2022-12-20
そういえば上記の合評の場でひとつ思い出したことがあります。
わたしだけがなぜか詩のわからない素人だったので
ある、めちゃくちゃ幼稚、かつ単純でデタラメともいえる詩が出てきたとき
とうぜん、その詩はだれからも相手にされず、もちろん評価もされなかったのですが
その詩人はみなからひそかに尊敬を集めていた。
愚鈍な素人であるわたしはどうしてあんな詩を書いたやつがみなから尊敬
されるのかとある女性に訪ねたことがある。
たしかに下手な詩だけど、あんな下手な詩を合評に出す勇気はわたしにはないし、
書く勇気もないといわれてなんだか肩の荷がおりていったような覚えがある。
その下手っぴーな詩を書く男はその後、あまり名は知られていないが詩の賞を
とった。上手いとか下手とか、そういうのは詩にとっては
あまりに狭い世界の話なんじゃないのかとおもった次第です。
愚鈍な素人の暴言、ひらにお許しをお願い申し上げます。 (村上すうというすごい投稿者を発見した)
2022-12-20
三浦さまの推薦文読ませていただきました。
>技巧の上手い下手いをあやふやにする人間が上手くなるわけがない。
なるほど仰っしゃりたいことはよくわかりますが、上記の発言は正確にはこうでしょ。
技巧の上手い下手いをあやふやにする人間が詩の技巧が上手くなるわけがない。
なるほど。これはそのとおりだと思います。
ところで、
>ポエムかよwって揶揄されないギリギリを書く村上すうさんの技巧に注目。
とのことですが、
三浦さまが技巧だと感じている村上さまのその技巧がどんなものであるか説明できるものでしょうか?
村上さまがポエムと非ポエムとのぎりぎりを書いていることはどこからわかるのでしょうか?
どのようにその技巧を説明できるのでしょうか?
構造的に説明が出来るのならばぜひお聞きしたいのですが。
たんに三浦さんの「感じ」としてそう見えるのならそれは「技巧」じゃないと思うのです。
おそらく「技巧」とおっしゃるのだからご自分の「感じ」を分析的に堀り進めて
なんらかの表現思想ないしは理論に行き当たったのだとおもいますが、ぜひ、
それをご披露願いたいとおもいます。
「感じ」として「ぎりぎり」だというのでしたら、それはあまりにも大雑把な
ただの雑話でして技巧などという言葉を持ち出すのがふさわしいかどうか疑問です。
村上すうさまの詩がおもしろいのはわたしも賛同しますが、その面白さの要素の
ほとんどは「転換」が巧みだというところに起因しています。
ラストの「逆接」など見事ですよ。そこにわたしたちは何らかのカタルシスを覚えて
炭酸水を飲んだような爽やかさを覚え、ニコッと笑う。
しかし三浦さまのいう「ポエムかよw」っておもわせてそうでないという技巧の
構造を今後の参考のためにぜひお伺いしたいものです。
>上手い下手いを意識しない言い合わない勉強会や合評会にいくら参加しても上手くはならないよ。
これも何をもって「上手い」といい「下手い」というのか、ちゃんと定義など前もってしてないと
うまくなるもなにも混乱するだけじゃないでしょうか。
わたしは野村喜和夫や荒川洋治を筆頭として
中也賞候補になるような才気あふれる若手の詩人たちら錚々たる面々の方々にまじって
三年近く毎週二回、まる一日費やすような詰めた詩の合評に顔を出してきましたが「上手い」
「下手」なんていう発言を聞いた記憶がありません。
しかし酒席の雑談ではだれか詩人の話題が出たときに確かにそういう、
軽い反応としての発言はひんぱんに飛び出したことは事実です。
三浦さまの「上手い」「下手い」の詩の定義とは
どんなものなのでしょうか。今後の参考のため、ぜひお聞かせ
願えないでしょうか。
愚鈍な素人のお願い、どうかひらにご容赦。 (村上すうというすごい投稿者を発見した)
2022-12-19
ゼンメツさま。
ほんとうにもう勘弁してください。
本人が否定しているのに「事情があるのでしょう」って
これ以上口にするのはやめるといいながら、
「ほんとうはこいつは一輪車だけど」とデマを流しているのとかわらないですよ。
わたしが一輪車さまである明確な証拠を示してください。
あるいは被害妄想を匂わせてみたりしていますが、被害妄想なんかないですよ。
あなたがわたしをかってに一輪車さまだと決めつけ、それを根拠にわたしの感想を
無視していることはご自分がおっしゃっているじゃないですか。
被害妄想があるとすればどちらでしょうか。
「どうみても」などという言葉を根拠に人を誹謗してもらいたくないだけです。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-18
ゼンメツさんへの返信を作品にしてしまいました。
ご容赦。上記のコメントがゼンメツさまへの返信です。
わたしは一輪車さまではない。これは断言しておきます。
「どうみても」などという根拠での
つまらない、いやがらせはやめて下さい。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-18
本人でないといってるのに本人といいつのるのでしたら
それは誹謗で、嫌がらせですよ。
「どうみても」が根拠になるのなら、ゼンメツさんはそれでいいのですか?
「どうみても」あなたの詩はダメだといわれて反発されているのじゃないですか?
いや反発してないよといっても「どうみても」反発してますよなどといわれて
ゼンメツさん、否定してるじゃないですか。もう、そういうのやめましょうよ。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-18
>長々モラハラお疲れさまでした室町さん。わたしいちおう心理学部卒ですので、あなたの所業がどういうことだか存じてますよ。ごきげんよう。
澤さま。
「モラハラ」などという過激な言葉はそれを受けた相手も精神的なショック(外傷)を
受けかねないものですから、心理学の専門家ならなをのこと、よほどの根拠と必要がなければ
そんなことばを不用意に相手に投げかけないものです。
そんな行為はその心理学者自身がモラハラを平然と行ったことになりかねません。
澤さまが素人で、素人の感じとしてモラハラでは?とおっしゃったのならまだ許せますが、
心理学の専門家と名乗り、その上で根拠を示さずに平然と「モラハラ」という言葉を
わたしに投げかけたことについて、なるほどと会得いくものがありました。
わたしは澤さんの批評なるものの、そういう側面にいつも眉をひそめていたのだなと。
澤さんご自身はまだご自分がどんなことをなさったからちっとも自覚されていないでしょうけど
わたしは澤さんのそういうところが大人として未熟であり、そういう未熟な精神をみずから批判的に対象化しないで
知識が先行するような批評について「謙虚」ということを指摘させていただいたのですが、
やはり、なかなか真意は伝わらないものですね。
とはいえ、ほんとうにわたしが「モラハラ」をやったというのでしたら、ぜひ、ご教唆をお願いします。
これはたいへんな問題だと思いますので。
(ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-18
ゼンメツさま、こんにちわ。
ただ自分としては、欠けているものを描くのが好きなので、
ゼンメツさま、
欠けているものを描いておられたのなら指摘などしません。
というより欠けているものが本人にわからないから欠けているのでは?
わかるのならそれはもうちゃんと見えていることになります。
欠けているものは他人からしか指摘されえないものです。それを拒否したり
あるいはそれがわからない方からの肯定的な賛辞だけを受け止めていれば
いつまでたっても何も変わらないのではと憂慮するのです。
それと感想やコメントはみなが同じじゃないから意味があるのだと思います。
右から左まで同じであるほうがおかしい。澤さまのように、
否定的な感想やコメントをするからモラハラだと根拠もなく指摘することこそ
わたしはモラハラだと思うのです。
わたしはゼンメツさま個人には何の個人的感情もありません。作品と作品の後ろにいる
作者さまだけをみて正直な感想をしたためているのです。それが否定的であったとしても
正直な感想を述べる機会や場だけは守ってもらわないと、今後いっさい正直な感想やコメントはできないことに
なります。そういうの、もうやめようではありませんか? 自分たちの意にそわないコメントや感想を
非難したり、だれかの名前を持ち出して同一人物であると誹謗する、
それこそ幼児のようなわがままの世界になりかねません。どうか大人としてのふるまいを
澤さまともどもお願い申し上げます。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-18
思い返せばレスのやりとりの半分くらいは一輪車さん(室町さん)とのものだった気がしています。
ゼンメツさま、
これは違います。まったくの誤解というより誹謗ではないでしょうか。
根拠のない思いつきでのこういう決めつけはやめていただきたいとおもいます。
わたしはなにか底意をもってコメントや感想をしたことなどありません。
いつも真面目にコメントしております。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-18
虚無の世界を歯を食いしばって生きているのか、
そんなことを思いました。 (ホワイトワールド)
2022-12-18
早くカワウソの尻尾で歯を磨いて、向こう町のオノマトペにいきましょう。
全体にきれいきれいに、また、洗練された知的な読み物として書かれようとしていたのでしょうけど、
この一行がなにか隠されていた舞台裏をみせてしまったようなブサイクなものになっている。
そんな感じがしました。用意周到なのにその用意周到さがこういう一行にしわ寄せとなってあらわれる。
詩ってのはおもしろいとおもいました。
愚鈍な素人の感想、どうかご容赦。 (対岸)
2022-12-18
余談申し訳ないですが、ほんとうに余談ですが、
辛口の感想、あまりお気になさらないで下さい。
わたしがこういう(正直な気持ちではあるけど)何か批判的な感想を
書くと必ず作者さまへの応援がざわざわとやって来ます。
つまり、もっと活発なコメントや感想が来ることを狙って作者さまの
詩が賛美されることを半分期待もして
書いた部分もありまして、どうか、ひらにご容赦。 (アナグラムの夜明け(即興ゴルコンダ(仮)より))
2022-12-18
やっぱりなにかすこーーーんと欠けてますね。
素人でも下手でもみなさんが全円的にもっている人間や世界や自分を
見る目が半分すこーーんと吹っ飛んでいる。
うまく書ける人であるのでしょうが、詩なんてそんなふうに半分欠損した
視点からいくら美味そうに書いても、
人や世界をちゃんとまじめに見ようとしない詩は大人にはとても読めない
ような気がします。
辛口の感想申し訳ないですが正直な感想です。
愚鈍な素人の感想ですが、ちょっとでも参考になればうれしいです。
(アナグラムの夜明け(即興ゴルコンダ(仮)より))
2022-12-18
素晴らしい才能をもつ、非常に熱心な詩の研究者、批評家である
ネット界の巨人ともいえる澤さまのおっしゃるとおりだと思います。
愚鈍な素人であるわたしめへ
今後ともご指導、ご教唆ほほどよろしくお願い申し上げます。
ではこれにて。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-18
昨日読んでから、かなり気になっている作品でした。
とくになにかがたいそうなポーズで書かれているわけではないけど
ところどころ共鳴するところがあり
それがなんというか、できるだけ外気に触れない
ようにそっと書かれている。それがとても
気になる作品でした。
(ビーレビが重い間は)
2022-12-18
なるほどね、なるほど、みなさんの仰ることはよくわかります。
たぶんそうなんでしょう。でも、やっぱり世界認識とか世界観が貧弱で
幼稚だったらいくら異化で装ってみても、あるいはタヒさんのように
ずば抜けた感性で詩を書いても、それはただそれだけのもので、
何重にもこころの襞や経験や感性の積み重ねを持つ大人の鑑賞に耐えるものにはなりません。
でもそういう大人はまずここへは姿をあらわすことはないでしょうから、
この評価でいいのだと思います。これまでどおりずっとこれでやっていかれたらいいと
思いますね。それではみなさま、お疲れでした。御機嫌よう。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-17
わたしの場合はおかしいんですが、
朝、目が覚めたら「なんだ、死ぬのって快楽なんだ」
と思うこと。そのくせ、起きてしばらくすると
死が怖くなる。昨晩、死んだ状態があれほど気持ちよかった
のに。これの繰り返しですね。 (夜)
2022-12-17
強者には弱者に奉仕する義務がある。
このイギリス貴族の教えは、普遍的なものである。
まずもって、これがさっぱり意味不明でした。
現実には強者は弱者を徹底的に痛めつけ収奪しているだけ
のことですから、普遍もなにもない。
おそらく投稿者さまは弱者と強者の問題について
真面目に考えたことなどないということを、こういうかたちで
まずもって宣告されているのでしょう。
このイギリス貴族の教えは普遍的なものである、と書きながら
歯を食いしばってそんなことあるか、ボケッと内心で吐き捨てている。
その表情までまざまざと浮かんできますが、
まず、それが読んでいてとてもなにか、なんというのかな、顔をそむけたくなる。
なぜ、そこまでして意に反するこんなことを冒頭に書かねばならないのか?
そこに、もの凄く複雑な投稿者の心的な背景がある。
冒頭の、こころにもない忍従の裏返しとして、二連では
イジメやアトピーといった当事者にとって深刻な問題を、さつまいもの食べ過ぎで
おならが出て困ったというお笑いに茶化すことでカタルシスを味わい、それに勢いをえて
けっこうに筆がすべっていく。
「私が今、優しいのは、女として数々の屈辱を受けてきたからよ。
これだけ屈辱的な思いしてきた人が優しくないわけないでしょ。」
どうしてこんなかたちで裏返しの侮蔑を表現しなければならないのか、まったく理解に苦しむし
投稿者の心裏に哀れな同情すら覚える。いったい何があったから作者はこんな、本人は手の込んだ
裏返し表現のつもりで、だれがみても底意のある下手なコントのようなものを書き続けるのか?
これは詩の問題というより、むしろ投稿者の心の問題のほうに読み手を惹き付ける。
しかしわたしたちは投稿者のカウンセラーでもなんでもないから、
迂遠に甘えてこられても相手になんかできるわけがない。前回の投稿作にも感じたのですが
あまりいい気分にはなれない。
作者と一緒になって目も手も汚れることに何も感じないという人たちのサイトにはなって
ほしくないが、評価される方がいるのならそれも仕方がない。
人にとって一番大切な「優しさ」を内心ケといって吐き捨て顔で哀しみをつくっている
その心裏がどうして形成されたのか、そのような表現でいったいどんな人の何が解消されるのか
まったく理解の外としかいいようがない。
(優しさの理由)
2022-12-17
霜焼けになる人など、いまだいるだろうか。
わたしはこどものころよく霜焼けになって、膨らんだ指に
針をさして血を抜いた。
過去作のタイトルをざっとみさせてもらったのですが
それを並べただけでもなにかひやっとする醒めた感触が
伝わってくる。
その冷気のようなものがこの御作にも流れている。
薄紫のけあらしなんて、この目で見てみたいものだと思った。
(ラベンダーの薄靄)
2022-12-17
澤さまの、ご自分の好きな詩をみなさまに推奨したいという純粋な気持ちと
そこにある熱意と熱量は決して無碍には出来ないものだったと感じています。
でも、
すこし奇矯がすぎたような気がします。
一連、ニ連では対象作品を最大級の賛辞で機関銃を乱射するごとく褒め称えた。
銃弾の一つ一つが天井知らずの褒め言葉で、しかも、次から次へと息も切らず連射されるのだから
読む方も息がつまる思いをした。
おそらくわたしだけじゃなく多くの方々はそれらの賛辞がどのように具体的な論理のことばで展開されるのか
わくわくして次を待ったと想像します。
ところが、ニ連の終わりで >そうした国語教育的な特長について、説明は不要であろう。
と読者に肩すかしをくらわせている。
つまり超弩級の賛辞をしておいて、しかも、物凄いことに、それに説明は不要であると
言い放っている。
なるほど、これなら、それはいわば対象作品に対する〈愛〉であって批評ではないわけです。
「読解一例」とは銘打っているけど、これは「作品愛」の一例です。
わたしはあの人が好きです。愛しています。そのことに理由なんかないです。好きだから好きなんです。
という恋愛の当事者のよくある語りにふさわしく、
まさしく怒涛の推薦者にふさわしい激烈な表現であったことは認めるわけですが、
説明を待っていた読者のほうは椅子からずり落ちてしまうのじゃないかと心配しました。
この一連、二連と最後の肩透かしは、
第三者にはやはり、ちょっとばかり奇矯で冷静さを欠いているものに映った。
こういう書き方をする人と、果たしてこの詩について正面から冷静に議論できるのだろうか?
そんなことをすぐに考えざるを得ませんでした。
澤さまご自分では気がついていないかもしれませんが、ゼンメツさまの投稿をこれまで絶賛してきた方々は別として、
この作品に熱くなれない人を説得できるだけの冷静さがあるとはとても思えませんでした。
失礼ながら御本人さまは「異化」の手応えを感じた如く絶賛しておられましたが、
たんに自分の好きかってに作品を「暗号」化しただけじゃないかと首をひねりました。
もうひとつ奇矯だったのは、鷹枕可さまとのやりとり。
あれも椅子からずり落ちそうになった。ああいうものが出てくると、まるで一幕のコントをみるような
なんとも珍妙なおかしさがこみあげてきて、なんかぶち壊しじゃないのかなと危惧したのですが、
お二人ともそのおかしさにはまったく気づかれていないようでした。
その後、
三連からは正気にかえったみたいに
「.......不時着した惑星ではじめての外気に触れた異星人みたいに、しずかにひとりで肺を蝕まれていた。」
などという詩の章句をとりあげて「異化」という概念と並列されている。
惑星に不時着した経験を持つ人なんて地球上にだれもいないから、
書き手はこのイメージをマンガやアニメなどから借りてきているわけです。
だからわたしはこれは「異化」でなく、ただの形容詞句だといいました。
「暗く小さな部屋の、バカみたいに大きすぎるベッド」が、
箱に入ったまま売れ残ったホールケーキを惹起する。
これも、連れ込みホテルのベッドと部屋はだいたいこんなものですよ、どこのホテルも。
狭い部屋にベッドだけが大きくどんと居座っている。それのどこが異化か?
たんに澤さまがかってに暗号化しているだけじゃないのかと。
要するに冒頭からなんとか対象作品を持ち上げようと作品への「愛」が語られていた
だけで、わたしから見ると批評の一例としては冷静さを欠いた作文のように見受けられた。
そして、またそれを絶賛する鷹枕可さまが、憎めないピエロのように現れて、失笑を誘った。
澤さまはわたしなどより数倍も頭はいいし、数百倍も知識がある方だから、
この奇矯さをもう少し制御されれば、わたしなど愚の音もいわせないものが書けるはず。
しかし、こんなことをいう資格も権利もないのですが、
人間の一番の武器は謙虚になることだと思うのです。謙虚になった人間が一番怜悧で怖い。
そういう人が批評をしたとき、わたしなどはただただ平服するだけです。
これでもうゼンメツさんに推薦文書く人いなくなっちゃうだろうなーとか、
おっしゃられていますが、
失礼ながら、そういうことを語る態度、口ぶりには賛成できません。
どうしてそこへいってしまうのか、わたしには理解できません。そういう激しい愛を
すこし抑えれば、もっと多くのただの通行人の気持ちをとらえるだけの力がある方だと
期待しているのですが、謙虚ってことの怖ろしい力をまだご存知ないとすれば残念です。
素人の乱文乱筆ひらにご容赦。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-17
やまびとさま、大変失礼したしました。
この作品は大分前のものを試験的に投稿したものです。
こういうことであるとはしりませんでした。
わたしなんかが昔、詩の専門学校で三年間学んだときに第一に
言い聞かされたマナーは脱稿した日時を詩の末尾に明記することでした。
それがないと詩の合評をするときにちょっと間違ったことを言ってしまうことがある。
わたしがここに投稿するものはいつも最新の直近に書いたものばかりなので
そういうことはいちいち明記しませんが、昔、どこかへ投稿したものや、あるいは
昔書いたものはそれを末尾に書くことが一番最初のもっとも大事なマナーであると
教えられました。
勘違いをして、やまびとさまともあろう方がすこしも進歩していないと
考えてしまい「愚鈍」などと、冷静に考えてみればちょっと言い過ぎた表現をしてしまい
申し訳なく思っています。でも、できるならば作品の生まれた日付は、古い作品なら
明記していただいたほうが、感想を述べやすかったし、間違いもなかったような気がします。
いずれにせよ、失礼な物腰、心からお詫び申し上げます。 (労働)
2022-12-16
つまらないものは、ちゃんと「つまらない」といわなければいけないけど
なにか、ある種の強引なものに気圧されてそういえない方々が
たくさんいるような気がします。
そういう人がもしわたしのコメントを目にしたら遠慮なんかいらないから
思ったことを素直に表明したほうがいいと告げたいですね。
つまらないものはつまらない。もちろん、これをよいという人たちが
多ければそれはそれでいいのだけど、でも、そんな人たちの"物語"を
まったく考慮する必要はないと断言しますから。
つまらないものはつまらない。これが自然のことわりです。
(飛べない)
2022-12-16
鷹枕可さま
ご教唆ありがとうございます。
わたしはですね、あの、できれば鷹枕可さまも戦後の現代詩が落ちこんだ糞溜めのような
穴から、出来れば這い出して陽の目を見ていただきたいのですよ。
日本人の特徴かも知れませんがどんどん詩の世界に知が介入し、現代詩が、
悪しきエリート主義の道具みたいになってしまった。
それを「文学極道」というネットサイトがなんの批判もなく、エリート主義の
道具となった現代詩の性質をそのまま無批判に受け入れ、
それの小さな相似形である、詩のエリート主義のままごとサイトをつくってしまった。
「文学極道」が犯したあやまちは致命的だと思っています。
たいして読めない書けない人たちに賞なる滑稽なものを付与してなにか
エリートへの仲間入りを認めたような誤解を与えてしまい、
そういう人たちがおれたちは凄いんだ、ちょっと違うんだという
わけのわからない思い上がりでつながる意識集団をつくりあげてしまった。
あのサイトの大賞の詩なんて人より一ミリか二ミリテクニックが上手いだけで
詩にもなににもなっていない。また批評もまともな人から見れば噴飯ものですが
思想用語をふりまわせばエリート主義に組み入れてもらえたような錯覚を覚え
困ったことにそういう人たちがネットの投稿板を結果として睥睨して荒らしてきた。
もうそろそろこういうマンガみたいな幼いことはやめるべきだと思いますね。
ネット上の投稿詩なんてそれほど大差などありません。異化なんていう用語を
ふりまわしても多くの人は腹の中で嗤っているだけです。
ほんと、もうそろそろわたしたちは世界の詩のあり方を見習って
つまらない日本のエリート主義の道具としての現代詩を卒業すべきだと
思います。
いくら思想用語をふりまわしても、つまらない詩はつまらないし、
おもしろい詩はおもしろい。それだけのことじゃないでしょうか。
そろそろお気づきくださることを願っております。ま、そのお歳では
いまさら考えを変えることは死に等しいほどの痛みをともないますから
無理にとはいいませんが。
では失礼します。あ、それとわざわざネットサイトまで
ご教唆、ありがとうございました。
(ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-16
やまびとさまの旺盛で強靭な創作姿勢や活動には
いつも敬意を覚えています。その上で、
やまびとさまが初心者でないからあえていうのですが
つまらないです。
まったくつまらないです。
おそらくこの先、何十年たっても今のまま一ミリも進歩がないのじゃ
ないかと、そんなことすら危惧させるほどに、
何年たってもまったく変化がない。
語句への注意深いまなざしがいっさい欠けている。
なんの躊躇もなく
使い古された形容句などを平然と置いてゆく。
ただし、小説としては中の下くらいの文章力があって
まったくつまらない
というわけではない。でも、これが詩としてならまったく箸にも棒にもかからないほどつまらない。
逆にいえば太い芯のようなものが一本、創作の中心を貫いており、
その愚鈍とすらいえる頑強さを認めざるをえない。
まさにハンドル名どおりやまびとのような大きさと強さを感じます。
しかし愚鈍だ。失礼、愚鈍などとはほんとうに失礼ですが、やまびとさま
が愚鈍なのではなく、詩の言葉としては愚鈍という意味です。
もう少し、言葉へのやわらかなまなざしや配慮があっても
いいのではないか
そんなことをおもいます。
ほんとうに愚鈍なわたくし素人の感想、失礼をいたしました。 (労働)
2022-12-16
来よ とか 底いといったわたしには耳馴れない
ことばが使われているので無学なわたしとしてはネットで即席に
調べるしかなかったのですが、
(もちろん調べなくとも意味はすぐにわかりますが)
たしかに、ある種の境地を語るのにこういう使い方が
文章全体にメリハリをつける効果はありますね。
わたし個人としては、
湾岸にまっすぐ対立して建っているマンションの上階にいるので
物音が非常に強く反響して困っていまして
町から聞こえる建付けの金槌の音も非常に強く響きまして
うるさいだけで苦手なんですが笑
でもこの詩から響いてくる建設的な明るい希望のような
境地はよく汲み取れます。
太陽は東から昇り、風は西から吹く。
自然のことわりを改めて思い出しました。
(来よ、西より)
2022-12-16
ダニの死骸が出てきた時点で
うげっとして読むのをやめたのですが笑
この板では優秀な読みて書き手であると自負されるご三人さまが評価されているのを
おや? と何気に見て、これは読まないといけないなと思いました。
しかし、やめておけばよかった。笑 失礼ながら、
イデアに偏りすぎてまったく面白くない。
詩といのはそんなにやせ細ったものじゃないとはずだと以前から思っていて、
澄んだことばの底には隠れるように演歌がひそんでいてももいいものだ。
おそらく年配の方でしょうが、こういうのは、失礼ながら、もう、
ちょっともう古いのじゃないかと思います。
もちろん古かろうがイデアに偏ったものであろうが
面白ければいいのですが、一読して「気取り」とはなんだろうかという
一般的な疑問に気持ちが向かい、「気取り」の起源みたいなものをネットで
調べたりするほうに気持ちが向かいましたことは、収穫だったかもしれません。
愚鈍な素人の乱文乱筆失礼いたしました。 (靴下が便利な事を知ったのは今週)
2022-12-16
追記
上記のコントのような短文詩はあくまでも虚構です。
大昔、詩の教室で出会ったある白髪の女性講師さまのことを
思い出し、決して悪くは思っていないその教師の厳しい
教え方をいまならもういいだろうと茶化してみました。
特定個人のモデルがあるわけではありませんが、もし、
わたしのことじゃないかとお気を悪くされた方がいらしたら、
そんな気を回させることになったわたしの配慮が悪かったということで
ここに謝罪もうしあげておきます。 (B-REVIEW 12月のお題詩「ギフト」)
2022-12-15
あの、同じことを書くのは気が引けるのですが
こういう内輪ネタはできればフォーラムでというのがわたしのこの作品への
素直な感想コメントです。詩の投稿の場が内輪ネタで盛り上がるというのは
ちょっとそのなんというか、外聞が悪いのじゃないかと。
それから......またしても再掲しますが、
ビーレビは書ける人がいなくなったねー、こんな読めない人、批評出来ない素人の人らばっかりだからねーって。
こういう、なんというか書けると思いこんでいる方々による一般投稿者への誹謗は過去、もう何十回となく目にしてきているわけで、
わかりましたからもう、もうけっこうですとしかいいようがないのですよ。笑
書ける人たちはご自分では書ける読めると思いこんでおられるのは、それが思い込みとしても
だれしもじぶんのかあちゃんが世界一だと思い込むのは微笑ましくていいことです。
でも他人がじぶんのかあちゃんを世界一だと認めないのは素人だとか言い出したらそれはちょっと
違うのじゃないかというのがわたしの感想です。
わたし個人としてはゼンメツさまの詩はまだ精神的に少し幼いと感じているからわたしには批評の対象にすらならならないけど
他の人にとっては超絶現代詩という方もいらっしゃる。それはそれでいいと思うのです。でも、
じぶんを評価しないからといってそういう人たちを全部、読めないとか素人とか、だれかが言い放ったとすれば
それはちょっと違うのじゃないか、他の人たちへの誹謗じゃないかと思うのです。
なかなかむつかしい問題ですけどね。
この件について反感や不満を感じられたならできればフォーラムでご自由にご批判、ご非難なさってください。
対象への否定的感情が排除を生み出すのではなく、
排除への欲求が生け贄を強引に作り出す。(赤坂憲雄『排除の現象学』)
という言説もあります。
あくまでも一般論ですが、わたしは小さなお仲間が結束するために必要な排除のためのある種の生贄になりたくはないので
いつの場合でもこういう事態に遭遇したときは
応答はぎりぎりやって最小限でひかえます。わたしは生贄になりやすい匂いを発散しているのでいつもそういう目に逢ってきて
そこから得た知恵です。
今回も応答してしまったことで荒らしだああといって糾弾される危険性があります。
もうしわけありません。これにてこの件への返答はごめんということにさせていただきます。
(Generation Terrorists〜あんたが大賞)
2022-12-15
新興カルトおばさんに追いかけられて
なんなのだろうな
この世は右から左まで
真ん中なから隅々まで
一律、かつ均質に
正しくなければいけないような
そういう妄執
たとえば
たとえばだが
ネット投稿板は書けるやつばかりが
いてあるべきで
書けないやつは消えるべきだという
根拠のない幻想
宝石だってゴールドだって
あまたの価値のない砂石のなかにわずか
しか見いだせない
それが自然のことわりなのに
素人がのさばってやがるから
こんなところに詩のうまい俺様はとても
いてられない
ど素人がいるから出ていく
という、とんでもない傲慢
そういう方々がほんとうに自賛するほどの
玄人かというと
ネット上の素人同志のなかで少し
上手に書けるというだけ
の、人たちが日陰にあつまって自賛しあっている
むしろ中途半端に少し上手に書けるだけに
読んでいてつまらない
素人の方の素直な表明のほうが面白い
要するに
詩壇では相手にされないし
ネットでも相手にされないから
素人投稿者を侮蔑し
おまえらのせいでここはつまらなくなった
サイトになったと声を張り上げる
その見苦しさ
それを支えるのが
新興カルトおばさん
おばさんは詩の理論を髪振り乱して
熟読し
詩の知識を得すぎて髪が真っ白だが
ニタっと笑って
素人投稿者のわたしを追いかけてくる
まてえええええ
見逃さんぞおおお
このオバアの目はごまかせん
ワハハハ
おまえはどシロウトだ
書けない読めないくせにわが仲間に
嫌味な注釈なぞつけおって
覚悟せえええええ
──正直わたしは怖い
いや、笑っている場合じゃない
どうすればいいの?
ねえ、
だれか救けてよ ほんと
こんなの勘弁なんだけどねえ
投稿作へのコメントだって
真摯なギフトのつもりなんだけど
わたしは
怖いんだあ
カルトおばさんが
詩の理論をふりまわして追いかけてくる
そんな
恐怖の妄想の只中にいるのですよ、
くわばら
(B-REVIEW 12月のお題詩「ギフト」)
2022-12-14
ビーレビは書ける人がいなくなったねー、こんな読めない人、批評出来ない素人の人らばっかりだからねーって。
そうするとかつては玄人の方が多くいらして、詩や批評を書いておられたのですか。
それは知りませんでした。ここがそんな凄いサイトであったとは初耳です。
初心者よりほんのちょっと書ける人たちが自画自賛しあっているだけでは
玄人とはいえませんから
ここを去っても、おそらく詩壇から引く手あまたなのでしょう。
詩誌でご活躍されているのでしょう。新聞でも書評や詩評が扱われておられるのでしょうね。
どうかそういう玄人の方々が戻ってきてくださることを期待しますが、
まさか、初心者より
ほんのちょっと書けるネットの人たちのお仲間さんたちの自画自賛であったとは
そんなことはないでしょうね。
そんな情けないことではないことを祈ります。
愚鈍な素人の乱文乱筆ひらにご容赦。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)
2022-12-14
追記
あ、それから書き忘れていましたが、
詩は観るものであるし聴くものでもありますね。これを
忘れてはいけない。笑
むかしちょっとの期間ですが一年ばかり仲良く酒を酌み交わした
某詩人のことを思い出しました。
かれはその後、フィリピンで性転換手術を受け
現在は女性として生きているのですがこの詩は、
その手術を受けるまでと
受けたあとの一連の出来事を思い出させました。
中也賞やそのほかの賞、いずれも次点で泣いてましたが
すばらしい詩人でした。 (自傷(ピアス))
2022-12-14
まず、こういう内話ネタはできればフォーラムでやってはどうかなと
ふと思いました。
詩の投稿枠が内輪ネタの文章で盛り上がるなんてちょっと寂しい。
さらには、
じぶんは頭から上手い書き手だと思いこんでいるコメント者の愚痴の発露の場になっているのも
見ていて心苦しい感じを催してしまいまいました。
さらには
なんでしょうね、ある人がおれは上手い書き手で、一方に、おれの素晴らしいその詩が理解できない、詩の読めないやつらがいるというご自身がつくられた物語設定を
ふと反省したり見返すこともなく頭から信じているという、
そういう方々がこのサイトを嘆いているという、
そのことの滑稽さが、たまらなく虚しいという慨嘆になってわたしを襲ってきました。
ほんと、こういう愚痴的な内輪ネタで盛り上がるって、
じぶんにブーメランするだけじゃないのかと危惧する次第です。
愚鈍な素人の乱文乱筆ひらにご容赦。 (Generation Terrorists〜あんたが大賞)
2022-12-14
追記
申し訳ありません。一晩中、北風が強く、物音でよく寝ていないので
ぼうっとした頭で長い愚劣な前置きを知らずに書いてしまいました。
最後の三行だけでよかったのに寝ぼけ眼で、つい失礼しました。
お詫び申し上げます。 (自傷(ピアス))
2022-12-14
わたしにとって詩というのは
読むものじゃなく見るものです。そこが
小説とは違う。小説は読むものです。
また俳句や短歌とも違うと思っています。
俳句や短歌もじつは小説的な本質のものだから
面倒なことに読まねばならない。だが詩は違う。
つまり見るものであるから、一読ではなく一見すれば
素人でも熟練の詩人でも、その詩がいいものかどうか
すぐにわかる。
やれ「異化」がどうの「両義性」がどうのと大騒ぎして
だれがみてもつまらない詩を持ち上げようとするひとも
いるけど
大騒ぎしなくとも、その作品がいいものかか、つまらないかはだれでもわかる。
才能のある人でもない人でもちょっと年季をいれれば判断できる。
詩とはそういうものだと思っています。多分、この洞察には
一般性があるはずだと確信しています。
ぱっと広げて全体を俯瞰すればいい。詩はだれにも
すぐにわかる。そこが詩のいいところです。
ところがこんなことすらわからない人がネット上に
は意外というか当然と言うか非常に多い。
そこが残念なんですが、前置きが長く失礼しました。
この投稿作はぱっとみたところ、まあ、見やすくてなかなかいい詩じゃ
ないかと思いました。
愚鈍な素人の感想、失礼いたしました。
(自傷(ピアス))
2022-12-14
以前から思っていたのですが、
ネットに詩を投稿される方々の一般的傾向性として
じぶんの作品への批判には強い関心をもって反応され、ときには
荒らしととまでいって糾弾される方がいらっしゃる。ところが、
他者への差別的な言動にはまったく鈍感というか、無関心な方が非常に多い。
しかも指摘されるとほとんどの方は逆ギレされる。それがわたしには
詩を書く人の、まったく理解できない不思議な傾向性のひとつでした。
差別を指摘したからといって糾弾しているのではないのでして、
わたしも含めだれだって差別はしているし、知らずにやっている。
サヨクリベラルのようにだれかの差別発言をほじくり出してそれを政治的に
利用し、その人を糾弾するようなみっともない愚劣な真似こそ卑劣だと
わたしは考えています。
そうじゃなく、差別的な意識なんてだれしもにあって、わたしだって
山のように差別的なことをしらずに書いたりやったりしている。
大事なのはそれを糾弾するのではなく指摘することです。
気づきのきっかけをもっていくことだけです。つまり差別なんて指摘
されたらただうなずいてこれから注意するむね返信すればいいだけの
ものなのに、なにか差別を注意されると逆切れされる方がいるし、また、
注意したほうも糾弾しているような偉そうな高みからもの申す傾向がある。
それではいつまでたっても差別はなくならない。
そもそも社会構造的に差別などそもそもなくなるわけがないのですが
ただ詩を書くものならば、ひとつひとつ指摘をうけて気づきを蓄積していけば
いいだけのことだとおもうのですが、どうも投稿板の傾向性として
差別にはまったく鈍感だというのが長年の感触です。
なかにはそれをなにか常識を超越した芸術の特権であるとか言い出す人も居ますが、
つまりじぶんのことにはついては非常に関心があるが、他人のこととなると
無関心という、詩を書くものに特有のなにかがあるのかなと考えるのです。
そういうのがネット投稿板の特徴であることは確実なような気がします。
じぶんのことを書いていようが他人のことを書いていようが読むのは他者です。
他者がある言辞をみてどんな気持ちになるか少しでも想像力を働かせることは
言葉を紡ぐものの基本じゃないでしょうか。
これはわたしにいい聞かせるべきことでもあると思っています。
ここの運営の方も荒らしには非常に敏感に構えておられます。しかし、
差別発言にはこれまでどのような対処をされてきたか見ていると、
まったく鈍感の極みでして、それはどこでもそうです。ここは一番ましな
ほうでしょう。
それにしても情けないほどにひどく荒れたたものが平気ではびこるような
そんな情けないサイトにしてはいけないのじゃないかと憂慮します。
(おっさんまた引きこもっちまった(愉快なる底辺達の痴情))
2022-12-14
失礼ながら、
統合失調症の方を「統失」と短く言い放つ言葉使いには注意が必要じゃないでしょうか。
赤坂憲雄が名著『排除の現象学』で鋭く洞察しているように、そこには
差別や揶揄の含意があって病気を持つ人は病名を短くした発言に侮蔑を感じる人が多い。
また、何の根拠もなくだれかがあまり外出しないからといって
「引きこもり」と決めつけるのも、デタラメな風説を垂れ流すことにつながる。
そういったことに配慮がないこのオチャラケた文全体が読んでいて非常に不快を
催すし、言葉に敏感であってほしい、詩を書く方々がいっしょになって
こんな文章をもちあげて注意すらしないのが不思議でもあった。
しかし、コメント者を見渡してみて、やっぱりなあ、しょせんわたしも含め
こういうネット上の投稿サイトだからというわけではないでしょうけど、
言葉には鈍感なシロウトの方々ばかりのことだし、しょうがないよなあという諦念も
湧き出てきました。
まともな人たちはみな相手にしていないのが救いではありましたが、
それにしても、あまりにもゲスで薄汚いおちゃらけであるという感触は
拭えなく、不快のあまり吐き気すら催しました。
統合失調症という病をかかえた方や、ほんとに引きこもりという病を
抱えた方々にこの場をかりて登録会員のひとりとして謝罪申し上げて
おきます。
(おっさんまた引きこもっちまった(愉快なる底辺達の痴情))
2022-12-13
澤あづささま、ご苦労さまでした。
澤さまの熱量のこもった縦横な語り口のご批評は当投稿サイトを
活性化するうえで非常に大事なこころみであったとおもいます。
個人的には澤さまのこういった厚みのある批評は大好きなので
鷹枕可さま同様、わくわくして
多くの方々が得て勝手な奔放な感想を寄せられることを期待していたのですが、
対象作品の投稿者とそれを賛美する澤さんとのあいだで互いに褒め合うという
言葉は悪いかも知れませんが、
予定調和的なしゃんしゃんで終わってしまったのはちょっと残念な気がします。
作品の称賛者と称賛された作品の投稿者が互いに相手を称賛しあって拍手などという光景は、あたりまえすぎて
あまり目にしたくはないもので
ネット投稿サイトとは、しょせん素人同志が"手の込んだ"「文学ままごと」をするところで
しかないのかという、まことに失礼ながら正直に吐露させていただきますとそんな感慨がちらっと頭を横切りました。
"異化"ということばがしきりに使われ、あるいはマルロポンティの思想からくる"両義性"などといった文学的見識が披露されているわけですが......
これも失礼ながらあまりにもその語り口が文豪や大学教授のそれらしくてリアルな批評に接しているという現実感がわいてきませんでした。
たとえば"異化"ということばひとつとっても、澤さまがほんとうに文学表現の側からこのことばを真摯に考えて使われているのか
不審を抱いた次第です。
もちろん"異化"などという概念は、所詮は頭でっかちな知的ひま人の、ことばのアヤにしかすぎないのですが、あえて、
仮に"異化"のようなことがあるとして、おそらくそれは修辞上のテクニックだけの問題じゃないような気がします。
表現世界において修辞上の技術の問題じゃないものがどこにあるのかと嘲笑されますでしょうが、
もしわたしが「異化」などという、ちょっと小っ恥ずかしいことばをあえて批評に使うとするなら
それは修辞上のレトリックだけの問題とは考えないでしょう。
表現世界はそんな浅い狭いものじゃないという考えです。ですから、
今日に限ってわたしは、不時着した惑星ではじめての外気に触れた異星人みたいに、しずかにひとりで肺を蝕まれていた。
という作文に接してもそれが澤さまのいう
見慣れたあたりまえの日常を、いま初めて遭遇したかのように叙述しなおし、発見しなおす芸術的営為。
習慣と経験則で練り固めた自動思考を、読者もともに脱せよと、作品が冒頭から訴えている
とおっしゃるところの"異化"の好例とは思えない。
そもそも澤さんが持ち出された「異化」という批評概念そのものがどうみてもイカサマでしょう。
ことばは悪いですが詐欺師のたわごとです。だれが言い出したのか知りませんが、たしかに言葉尻としては成立している。
「見慣れたあたりまえの日常を、いま初めて遭遇したかのように叙述しなおし、発見しなおす」
「習慣と経験則で練り固めた自動思考を、読者もともに脱」する。
字面だけをみると才能や天才があれば出来そうな感じがしますが、そんな芸当がほんとうにできるものでしょうか。
澤さまが好例としてあげた上記の
わたしは、不時着した惑星ではじめての外気に触れた異星人みたいに、しずかにひとりで肺を蝕まれていた。
って作文、わたしはこれ、「異化」された表現ではなく、ただの形容詞句にすぎないと思うのです。
仮に「異化」などということがあるとすればそれは
床に落ちた碁石を拾おうとしたがもう少しのところで指が届かない
というような一見、あたりまえの記述になると思うのです。日々の日常であたりまえに生起する現象を
たんにそのまま著述したような表現。
そういうあたりまえの表現をもってわたしなら「異化」を試みようとするでしょう。(わたしにできるわけもありませんが)
また、
そういう表現にこそ、仮に、詐欺師のようなその"異化"というウソっぽい言葉に身を寄せて批評するとすれば異化が生じていると考えます。
こんなことを書くと、それはおまえさんがそう思うのならそうすればいいじゃないか、
あんたが"異化"をどう考えようと、そんなことは普遍的でもなんでもないあんた個人の趣向にすぎないと反発されるでしょう。
わたしも澤さまが"異化"などという内実のない言葉を縦横に振り回されようとそれが澤様の精神的な"物語の世界"の表出であると
わかっておられるなら何の文句もないのです。ところが、澤さまが"異化と脱臼の区別もつかない人がいる"というような
ことを言い始めたらそれはそのようなただの物語でしかない”異化”という架空の概念を、いつのまにか一般化したことになる。
他人は他人のかってと言いながら、まるで"異化"という概念が普遍性をもつかのように錯覚されておられることが
異化と脱臼の区別もつかない人がいるという批判にあらわれてしまった。
これはちょっとまずいような気がします。
詩は"異化"といった架空の概念やメルロンなんとかいった方々の知的なイデアの世界にあるのではない。
それとはまったく逆の、正反対のことろに生起していると考えるのですが、こういう考えもまたわたしの
私的な物語であるのかもしれません。ま、最後は読まれることによってしか詩はその身体を現わしませんので、
あまりとやかくいうつもりはありませんが、それにしても澤さまの熱のこもった投稿が、
結局は当事者同志で互いを称賛しあうという残念な結果に終わったことが心残りです。
愚鈍なシロウトの乱文乱筆失礼いたしました。
澤さまのさらなる変容と精進とご活躍を期待しております。
ご投稿、一読者として、ほんとうにありがとうございました。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-13
ギフト
そのころわたしは親に棄てられた子どもたちを引き取って
自費で養う篤志家の大きな家で集団生活を送っていた。
(そうはいっても市役所や市民、企業から些少の援助はあったが)
家の前には小さな街道を隔てて小学校があり、校庭にはプールがあった。
わたしは初めての水泳の体育でプールに入るのを怖がった。
教師は発狂したように泣いて抵抗するわたしを力ずくでプールに引き込もうとした。
でも、どうやってもわたしが水を怖がって大暴れするのをみると
あきらめた。生徒たちは大笑いし教師はしょうがない子だといったふうに憮然としていた。
篤志家に拾われる前のわたしは父親に風呂場で殺されかけたのだ。
なぜ父親がそんなことをしたのか理由はまったくわからない。
小さな湯船に入っているわたしのところへとんできていきなり風呂蓋を
頭に強引に押し付けられ、
息もできず溺れて、必死で逃れようとした記憶だけが残っている。
気絶したのかどうなったのかそれから先、なにも思い出せない。
ただ、息もたえだえになって死ぬ思いをしたことだけが記憶にある。
そういうことがあったから無意識に水を怖がったのだと今ならわかる。
少し学年が上がったある日、悪ガキたちと度胸比べのあげく
校舎の屋上にある柵を越えて歩いているところを教師にみつかった。
職員室でさんざんしぼられた。
しかし度の強い眼鏡をかけた中年の女教師は
わたしのほうを見ると侮蔑したような笑を浮かべ「でも、あなたは
そんなことをする勇気があるとは思えないから、この子たちに
強制されたのでしょ」といった。
わたしはたしかに水を怖がったが、むしろ喧嘩などは得意なほうで
悪ガキたちの先頭をきっていた。なるほどプールの一件以来
わたしは教師たちからそのように思わているのかと驚いた。
現在の教育の水準がどこにあるか知らないが戦後の昭和時代の小学校
などはその程度に粗い教育が行われていた。
水を怖がることの理由が幼い記憶にある父親の虐待があるのかもと
想像を働かせることがもし教師たちに出来ていれば、わたしはもう
少し救われていて、今とは違った人格形成が出来ていたかもしれない。
わたしはこういう教師たちを徹底的にバカにして否定していた。
そしてその後、いっさいの体育を拒否してわたしは町内野球もふくめて
集団でやる運動をすべて忌避した。
そうするとわたしは引きこもって本ばかり読んでいる運動音痴の本の
虫だと女生徒たちからも誤解され、女の子からもてることはなかった。
篤志家に養われている子どもたちはいずれもわたしと同じように親から
棄てられたという傷を背負っていたはずなのに、まだ子どもだったわたし
はその事実を客観的にみることなど出来なかった。
そして養われている三十人ほどの子ども同志で朝から晩まで腕力を競う
喧嘩ばかりやっていた。
勉強などする者はだれもいなかった。夕食後には広い食堂に
学習用の長いお膳が4脚ほど並べられたが、勉強など不可能だった。
ドタバタとお膳をまたいでの大騒ぎが毎晩演じられるのだ。だれ一人
教科書を広げようなどという者はいなかった。
わたしはだれからも憎まれ嫌われいるのだとかってに思いこんでいたよう
な記憶がある。
あるクリスマスの夜だった。
クリスマスイブの夜には親しい者が夜のあいだに枕元に置いた靴下に
こっそり贈り物を入れておくという遊びが行われていた。
わたしはみなから嫌われているし、親しいものなど一人もいないと信じていたから
いつもどおり畳んだ衣服の上に靴下を置いて
さっさと眠ってしまった。
大広間と食堂、それから玄関をあがったところにあるテレビ室にまで
布団をしいて総勢三十人ほどのわたしたちは眠った。
ほかに女の子たちが十人ほどいたがその子たちはちょっと離れたところにある
小さな家に帰って眠った。
イブが明けた朝、目を覚ましてみると驚いたことに
わたしの靴下の両方とも贈り物で膨らんでいっぱいだった。
これにはびっくりした。いったいだれが?
靴下をあけてみるとビー玉やメンコや輪ゴム、鉛筆などといった
棄てられた子どもたちがようやく手に入れることができる貧しい私物ばかりだった。
そうしてメンコの汚れ具合や鉛筆の種類やよれた手袋の柄などから、
だいたいだれがそれを贈ってくれたのかわかるのだった。
親しみをもって考えたこともない相手ばかりだった。
わたしが毛ほども相手のことを思ってもいないのにかれらはわたしのために
貴重な私物をギフトしてくれた。
そのことに子どもだったわたしは深く驚いた。
信じられない奇跡だった。
そうしてわたしは、
素知らぬ顔でまだ眠っている仲間たちを見渡しながら
これはもう一から考えを変えなきゃこれから先やっていけないぞとおもった。
(B-REVIEW 12月のお題詩「ギフト」)
2022-12-12
冬の夜を過ごす人たちへ
わたしからの詩の贈り物です.....なんちって。
夜にねむる
夜にねむる
日暮れになると
わたしは
狭い箱から
ソトと呼ばれる空気の清明な夜へ押し出されていく
空の怪物が羽を広げたようなソラの下には
わたしの知らない物語が
きちっと
矩形(さしがた)にならんで
カフカの門のように
門番と旅人の一幕のように
静まり返っている
わたしはその只中でねむる
夜はときどき声をふるわせ
湾岸からの風を吹きつけてくる
サイレンの音
酔っ払いの哀しき罵声
傷つき死にゆく者のものらしき物音も
みな舞台の小道具にすぎない
夜よやさしくあれ
そう願うと
夜はやさしく静まる
なにも難しく考えることはない
異化もなければ構造もない
わたしはただ
選択するだけだ
わたしはそんな夜を抱きしめて
ただひたすら
ねむる
(B-REVIEW 12月のお題詩「ギフト」)
2022-12-11
こういう倫理的な強制力のある内容の文章を書くときには、
作者は倫理にたいして、かなり繊細な配慮を要求されるものですが、
だいたいにおいてそういうことはまったく考慮なしに
すっとばされるものです。
なぜなら
NHK朝ドラ的な、馴れ合いの情感とお約束のやさしさで事態を収束させることは
もう最初から決まっていて
"べべ"に接したさいの作者さまの心のなかの情感は、すでにして作者さまが
どこへ出してもだれしも「うんうん、そうだよね」と涙を浮かべて肯定せざるをえない
「いい情感」であると確信していることがありありとわかります。
また、"べべ"に対する人間の圧倒的優位性からくる慈愛の虚構性についても吟味されることはなく
作者さまが内心に感じたその慈愛は最初からまったく無自覚かつ肯定的にもろ手をあげて許容されている。
どんな理由をつけようとも畜家なんていう営みは、本質的には人間の得手勝手でしか無いのは作者さまのおっしゃる通りだとおもいます。
わたしたちは生きている限り、何かを貪っている。それは動物に限らず、すべてを。わたしはそれに懺悔しない。
いや、それは自然の摂理だからしょうがないとしてもそう簡単に懺悔しないと言い切らないでほしいような気もします。
人間と動物、植物、他生命体との関係はそんな簡単に割り切ることなどできないし、いつまでもぐだぐだ考えるのが人間であるのだけど、
そういうふうに割り切るところに、やはりある種のドラマ性を感じる。
つまりすべてが作り物なんだなと。作者が作者の心の中のNHK朝ドラ的な感動の情感を掴んで、「これは書ける」と
確信したまではいいけど、その情感それ自体を疑おうとはしなかった。
ほんとうは現在の文学的な状況はそういうものをもう一歩踏み込んでいくところまで来ているような気がするのですが、
いつまでたってもここに投稿される皆様は昭和的な停滞と劣化の薄暗がりのなかで、なにか馴れ合いの情情が垂れ流されている
そのような感じをもちます。
わたしは、生き物を食べることをやめない。食べる事のために生まれた命は、皆歪められた命だ。
いや、やっぱりせめて数日は生き物を食べることをやめるとか躊躇するとかしてもいいと思う。
そしてその責任を取る最大の方法が、食べてやることなのだと、思う。
えっ!? そんな馬鹿な! と失礼ながらあっけにとられてしまったのですが、その責任をとるために食べてやるっている論理がどこから来ているのか
やっぱりちゃんと探るべきですよ。それが"べべ"に対する罪悪感がもしあったとするならば
それへの唯一の人間的な態度ではないかとおもいます。
責任を取る最大の方法が、食べてやることなのだって、ほんとうは.....作者さまは何も考えてないのでしょう。
なにか思いつきと感じでそう言えば一件落着と安易にそこへ走っている。そういうことがすぐにわかる。
こういう生命とそれを消費して生きている人間の問題というのはいつまでも結論なんか出ないものじゃないか、
いつまでもぐずぐずくすぶり続ける問題じゃないか、また、そうでなければいけないのじゃないか、
そんなことを考えされられました。
愚鈍で無知なゆえ乱文乱筆どうかご容赦。 (bebe)
2022-12-11
作品鑑賞の仕方の一例をお示し下さりありがとうございます。
批評対象作品についてはさっと読んでしまった覚えがありまして、
どうしてさっと読んでさっと忘れたか、思い返してみますと、作者さまがゼンメツさまの
批評文でおっしゃられていた「様式」があまりにも昭和的だったからというか、いや、
あまりにも様式(失礼)だったからかもしれない。
批評対象作品のことばのリズム、そのリズムの流れ方、特定の言葉使い、すべてがある一定の
出来合いな、あるいはお仲間だよと示す様式をもっている。
どういう様式かというと日本アニメ的なイメージ様式ですね。あるいはNHK朝の連ドラが
もつお定まりの倫理とお仕着せの情感、それらに自らハマってゆくことのファシズム的な幸福、
安心感。そういうものに詩のことばを流していく、なんとなく甘い孤独や感傷。
これらも、あえていうなら昭和文学の残照というには酷すぎる停滞や劣化の具体的な表出と
いうふうに見えまして、
投稿者さまには申し訳ないですがあの詩はほとんどすっと読んですっと忘却しておりました。
なんというのかな、時代は残酷なもので、その時代の変化を感じられないいまどきの日本人は
なかなか文学をやるといってもむつかしいのじゃないかと、愚鈍な素人はそんなことを
感じた次第です。失礼いたしました。 (武田地球『ライチと花』酣賞一例)
2022-12-10
まずは長文の本格的な批評文の投稿に作者さまへ敬意を表したいと思います。
ただ、そのうえで、
なんでこんな文章を書くのかなあというのがまずは最初に浮かんだ疑問です。
批評対象作品とほぼ同じレベルで、(だから批評されたのでしょうけど)強烈に、あの、
昭和文学の臭いがもつ戯画的な側面が誇張されて伝わってきて、ほとんど、
久しぶりにあけた押し入れの中からホコリの積もったメンコやビー玉を発見したような
面妖な感動がある。
(「昭和文学の臭いがもつ戯画的な側面」というのは今の時代からみてのことであって
当時はむしろ文学やってる当事者たちにとってはもっとも真摯な部分であったのでしょう。
「異化」だの「修辞」だの「様式がすべて」だのといったもろもろのそれらしい必死な言明......)
もちろん、なんでこんな(様式の)文章がいまだに書かれるのかという問いは自分の興味関心事でしかなく
投稿者のことを批判しているのではありません。
どうしてこんな文章がいまだに書かれるのかということへの一種の文明論的、社会学的なインタレストです。
作者がなにをどう書こうが、読者は自分の読みたいようにしか読まない。この批評がそれを実証したはずだ。
こんなことはまあ、いわずともあたりまえのことなので、みなさま黙って実践されていることだと思うし、また、
自分の読みたいように読めるなら実証する必要もないことは当然のことだと思うんだけど、この文章がそれを
実証しているのですか。
うーん、もひとつ、なんかよくわからないなあ。
このような感想コメントを読まれて、もしかわたしが何か皮肉をいっているように聞こえるかもしれませんが
わたし個人はそういう意図はなく、ただ単に「異化」とか「様式がすべてだ」とかいったご発言に、なんとういうか
いつまでそこに座ってるの? もうそことっくに燃えちゃって、焼け跡になってて、作者様は焼け跡の煙の中に座って
頭ボーボー、顔真っ黒で笑顔みせながら胸を張っているだけように見受けられるのです。
たしかに凄い。でも......なんというか、その.....もう、そこ、ぜんぜん座布団だけが残ってて、本体の汽車のほうは
とっくにはるか先にいってしまっているのじゃないかという、そんなものを見たような気がして、作者さまには
たいへん申し訳ないのですが、読んでいる内になんというか笑が自然にこみあげてきた次第です。
でもこういうのがいまだに主流なんでしょうね。いまどきの文学は。いまだに。うーん、困ったなあというしかありません。
愚鈍な素人の乱文乱筆、どうかひらにお許し下さい。失礼いたしました。 (ゼンメツ『飛べない』読解一例)
2022-12-10
鷹枕可さま お読み下さりありがとうございます。
表現は、倫理や社会規範を超越した場所にしか結晶しない。
たしかに倫理や社会規範がしっかりしていれば超越も存在しうるでしょう。
わたしたちの昭和にはそれがある部分きちっと岩盤のように生きていたから
超越という精神も存在できた。その多くはきちっと倫理や社会規範を
守ってくださっていた名も無いフツーの人々のお陰であったことを
おそらく超越?していたゲー術家のほとんどは忘れているか、
あるいは、表現のカタルシスが
そもそもそういう構造をもっていることをすら知らない。
わたしがここであえて建前を重視して、いまはそれが大切だと声を
ひきつらせたのは、もう足下の基盤が表現を支えるほどに強固ではなく
むしろ基盤のほうがかってにわたしの常識を超越しちゃって、笑 どうにもならないほど
ひどいことになっている。そういうときには、やはり原点、ゼロに
帰って、大事な基本の建前をまず構築することが大切だとわたし個人は
思っています。大事なことに気づかせていただきありがとうございます。 (宮台襲撃)
2022-12-05
柳煙さま
お読み下さりありがとうございます。
バカを連発するとちょっと気持ちがいい。炭酸の効いた飲料を飲んだ気分です。ただし、
他者を否定すれば自分が優位にたつとおもいこんでいる、何も読みえていない単なるバカである
可能性も大いにあることをわきまえていないことはいつも心に言い聞かせています。
でないとほんとうのバカになってしまう。 (宮台襲撃)
2022-12-05
こんにちわ。
田中さまの日常些事をかいた短歌がとても味わいがあって好んで
読ませて頂いています。
ところで山頭火というのですか、あの方のは
わたしは読めないんです。山崎方代とか尾崎放哉とかは読めるんですが
山頭火はちょっと困ったなとおもって眉をひそめます。
倫理が入ってるんです。ちょっといい人になろうとしている。美談を
どこかで押し出そうとする険がある。放浪なんてそんなかっこいいもの
じゃないのに、わざとそこをなんか、かっこ悪いと言いつつかっこを
つけようとする。そこへなにか人生訓的なものが入ってきたりする。
そういうのはわたしは、一般的な詩としてもぜんぜんだめだと思うんです。
倫理もかっこよさも意識してはぜったいにいけないものであって
むしろそういうものを意図的にさける感性がほしい。
究極のただの日常些事をじぶんの感性で書いたものがあれば
倫理もかっこよさも全部あとからついてくるし、そういうものこそが
究極の倫理でありかっこよさだと思っています。
哲学思想的なものは胃でこなされ腸で吸収されればほんらい
もとのカタチはなくなってしまって出てくるはずもないのですけどね。
ところがそういうのが出てくる詩や短歌がけっこうある。いやだなあと
思うんです。
田中さまが山頭火に惹かれたのはおそらくわたしが嫌いなそういう
いやったらしい思想哲学的な倫理の色付の部分だと思うんですけど
そういうのが田中さまの短歌から消えればもっと凄いものになると
わたしはかってに考えているのです。
愚鈍な素人の感想です。かってな放言まことに申し訳ありません。
(自由律俳句 2022)
2022-12-02
こんにちわ。
コメントがないことに気づき、少し感想を。
まず、なにか勘違いされているようですがAI? ですか、これ
人工知能でもなんでもないですよ。
小方 孝なんていう方のお名前をだしてその方の主張の一端を紹介されていますが、このセンセーは、まず「人工知能」ってものがどういうものか
基本がわかってらっしゃらないような気がします。
そのまえに、まずAIの判断や選択を決定するのは人間ですよね。
もちろん、AIと人間がしばらくは
一緒に運用していく期間は必要だ。
とおっしゃっているように、
人間がインプットした判断や選択の条件をAIが記憶して、条件反射的に伝達しているだけのことです。
こんなものは人工知能でもなんでもなく、ふつうにわたしたちが使う金槌や包丁と
ちっともかわらない道具のひとつです。いや、べつに金槌や包丁が自動で動くのならAI?でしたっけ、AI
といってもいいですが、人間がインプットしなければ判断できないようなものは
単に人間の判断の伝達手段にすぎません。大学のセンセイ方はカッコつけて「人工知能」なんていってるだけです。
現在のところすべての、その手の「人工知能」なるものはただの金槌や包丁となんのかわりもありません。
金槌も包丁も人間の知的な判断が運動神経から道具に伝達されて動くわけです。
この点に関しては世界中の「人工知能」なる言辞を振り回すアホな学者センセイ方の一種の詐欺といっていいと思います。
まあ、大学教授や研究者も、食うために、あるいは名を売るためにそういう詐欺を平然とするのでしょう。
ほんとうに人工知能を開発したいのなら、それにはまず人間における「受胎期」というか「胎児期」の問題を解決しなければならない。
人間の感性は胎児期における母親との交信の内(内言語)に育まれ、生後およそ一年以内の母親との関係のなかで完成決定される部分がある。
文学的な感性のコアの部分もほとんどがこのような胎児期、幼児期に根源をもっていると考えられている部分がある。
この部分を人工知能に組み込むにはあと数百年はかかるはず。胎児期をどうやって人工知能に組み込むかなんて
考えている学者はひとりもいないけど、いずれ必ず、本気で人工知能をつくるとすればこの問題にぶつかるはず。
それは非常に困難な問題で、工学者では解決不可能。文学、生理学、哲学者などの協力が必要になるでしょう。
いまのところ人工知能学者も害学教授もだれ一人この問題を考えていないから今の人工知能学者はぜんぶアホです。笑
これなしで単に知識だけのインプットの増減で人工知能が動作するはずもないし、ましてや文学!? を
人工知能に創作させ創造させるのはなかなかむつかしいでしょうね
それと同じく、人間の交流するサイトで人工知能がどうやってなにを判断できるのか。いや。そもそも
それって人工知能じゃなく、たんに管理者の価値判断や主観をPCに記憶させて、臨機応変に条件反射させる
ものでしかありません。YouTubeや、TwitterのデタラメなAI?活用がそうでしょ。イーロン・マスクがTwitterを買収してはじめて、解雇されたCEO以下、Twitterの幹部たちが政治的な立ち位置から隠していたツイートが暴露された。
トランプが国会議事堂へデモをするな、家へ帰れとTwitterから支持者に呼びかけ、発信しているさまざまなツイートが隠されていた。
民主党が政敵トランプをテロ首謀者と断定するために必要な陰謀だったがこれをAIに組込み、「トランプ」、「不正選挙」に関する発言を
片端からAIに削除させていた。あるいはコロナワクチンへの疑問もそうです。疑問を書くと削除、凍結される人が出ている。
話がそれましたが、
......AIに人間の文学的交流を監視、判断さるとはいいながら実はAIに名をかりて自分たちの強引な排除、差別、抑圧を責任転嫁することがこれまで行われてきた。
それはAIじゃなくAIという幻想に名を借りた詐欺にすぎません。
長文乱筆失礼をいたしました。
(AIがビーレビの運営をする日)
2022-11-23
東京都の非課税家庭に米の配給がされるとか
貧乏人は麦を喰え
標準米すら買えない人が出始めている
これ本当ですか。わたしは新聞テレビは一切みないので
こんなことになっているとまではyahooニュースと吊り革広告からは
伺えませんでした。
一連目の、飴を手のひらに落としてくれた人を
失ったという描写、目の覚めるようなものがありますね。
それがその後もつづいて、非常にすばらしい作品になっているとおもいます。 (食う)
2022-11-22
>これは嘘のような本当の善人たち
嘘のような本当の善人たちをたくさん知ってますが
そういう人たちのことを思い出しました。
そういう人たちは何もしなくてもいいんですよ。
宮沢賢治のように大仰に嘆かなくても、あるいは、
人様の涙を拭いたりしなくても
嘘のような本当の善人って、ただそこに存在していれば
それでじゅうぶんにいいものです。 (夜)
2022-11-21
もの凄く古い時代に還れた気分です。
いまどきこういう感性の方がいらっしゃっても不思議じゃない。
まだまだ昭和初期の生まれのお方も健在でしょうから。
君よ人たれ。ま、君ってのは君主もひとつの語源?というのかな
流れからくる敬称でしょうけど、
大日本帝国陛下万歳!という、もろ手をあげて
なにかを称賛する声と重なるものがありました。
投稿作者さまの本意にはそわない感想でしょうけど、
申し訳ありません。大日本帝国陛下万歳、
愚鈍なものでそれかし思い浮かびませんでした。 (君よ人たれ)
2022-11-21
ちょっと長くなりますがこの詩を読んで突然思い出したことがあり、
申し訳ありませんがそのことを書きたい衝動を抑えることができないので書かせて頂きます。
わたしは長い人生、生きてきて山のように本も読み、映画も見、
絵画も見てきたけど、カネを出しても手に入れたいと思うようなものは
ひとつも無かった。
この世に天才などいるとはとても思えなかった。ところがある日、
この人は天才だと思う詩に出会った。これならお金を出しても本を買って
読みたいという詩だった。
それはネット上の老人党という政治討論板があって今は閉鎖されているけど
そこにほぼ毎日のように日記を投稿している老人がいた。
その日記文があたり前の日常些事を書いているのだけど、わたしの感性が求めるど真ん中の詩になっていた。
しかしその文章の凄さ、面白さに気づいた人はだれもいなくて、
投稿している老人もじぶんが天才だとは思っていなかったようだった。
だけどわたしは子どものころからサルトルを読み、ショーペンハウエルを読み
仏典を読み、詩を読み、あらゆる世界文学全集を読んで
その後も、片っ端から読んできた人間ですが、カネを払って読みたいと感動した
ことはなく、それなのに生まれて始めてネット上のただの日記、ただの言葉の羅列なのに
そこからにじみ出てくる詩そのものに出くわしたことで興奮仰天した。
ところが基本、政治談義が中心で投稿内容も、やれサヨクがどうの保守がどうのという
議論ばかりで、日記を毎日投稿している老人は、投稿者のみなからまったく無視されたいた。
わたしはいつも感謝をこめて、面白かったです。凄いですと感想を書いていたが
老人はまったくありがとうともいわずに、やれ、皇居のお堀端を散歩したら
銀杏の木から葉っぱが落ちていたとか、そういうどうでもいいことばかり書いている。
ところがそのどうでもいいことなのに、もう、文章そのものに詩があって、
説明のつかない天才性を感じるのでした。
ところがこの老人党掲示板は政治談義が激しくなって喧嘩がはじまり、管理人が新規更新をやめて閉じてしまった。わたしはあわをくって継続をお願いしたがもうその老人は投稿をやめた。
ある日、そのような素朴な日記を投稿するお方を現代詩フォーラムに見つけた。
「ほかちゃん」とかいう方だが、ひょっとしてと期待して毎回読んだが、書くことも書き方も、日常些事を書くという姿勢も
あの天才老人に似ているが、あの天才老人の天才性はまったく感じられなかった。
その後、田中恭平newさんという方が最近、あの天才老人に似た日常日記風の
自由律俳句を書き始められたが、少し、ほんの少しあの天才老人の気配があって
気にいっている。
あれでもう少し、庭の石に苔が生えたとか、散歩道に枯れ葉が散ったとか
食べすぎて胃薬を飲んだとかどうでもいい周辺記事が書かれるようになればわたしが出会った
あの天才老人の文章に似てくるのだが、さてどうなることかと期待している。
ながながと書きましたがわたしにとっての天才とはだれかにとってのまったくの凡人だなと
わかるわけです。
そういう、わたしだけの天才、そういうものがあることが、なにかとてもうれしかったことを
今、あの老人党掲示板に投稿された日記に接したときのことを思い出しています。
残念ながら老人党掲示板の管理人がかたくなな方で再開もログの公開もやめたのでもう永久にあの
文章に出会えないのかと思っています。
長文失礼しました。 (バカボンのパパの天才性 Re)
2022-11-19
〈異化〉ということばはよく目にする単語、(文芸用語?)なんですが、これまで
気にもとめてませんでしたし、まったく関心も興味もありませんでしたが。
今あらためてネットで意味を検索してみると
ロシア・フォルマリズムがなんちゃらと書いてあります。
解説を読んでみて、ああ、そういうことかと得心した次第です。
とはいえ、その解説や思想にはやはり何の関心も興味もありませんが、
この詩は、その〈異化〉された日常を表現されたのかもしれません。
ただ、
ジャンバルジャンが出てくるのなら家の銀器を盗ませるのはふつうにふつう
じゃないでしょうか。
竹の扉がおられていて、誰のせいだと原因はなんだと問うのもふつうにふつう
じゃないでしょうか。
太陽をむしゃむしゃたべるのも、イメージとしてはふつうにふつうじゃないでしょうか。
(太陽光発電つまり太陽エネルギーを消費するとかイメージとしてはいろいろ、まんま、ありますしね)
〈異化〉なんていう概念など一切知らなくても、いや、あのような用語は詩を書く上で
わたしのようなものにはむしろ詩の妨げになるだけのような気もしないでもありません。
でも現代詩の世界がこのような陳腐な概念や用語で色付けされている以上はこんな用語も知る必要が
あるのでしょう。それがむしろ自在な発想のさまたげにならないように祈る日々です。 (日常の異化)
2022-11-18
『ストレンジャー・シングス 未知の世界』というネトフリの配信ドラマを
想起しましたが、ドラマの世界の話ではなく、認識の問題として、
人みなそれぞれにそういう世界があるのじゃないかとおもいました。
詩人とはそういう世界をどう工夫して語ればいいのかという存在でしょうね。
(風景と風景のあいだに)
2022-11-17
対象作品を読ませていただきましたが、
わたしのように娯楽として難解詩を好む人間からしてみると......
つまり寝転んでマンガを読むように難解詩で時間つぶしする人間からみると
対象作品の御作は
〈不能〉をさまざまなバリエーションで語っているだけで
詩としての芸がちょっとないのじゃないかとつい思ってしまう。
これは最近のネット投稿詩の傾向のようで
なにか自分を語ることに重点をほとんど置き、それを
さまざまな表現、バリエーションで語る。つまり、あまり
詩芸としての転換や音韻の裏技がないような気がする。
せいぜい語呂合わせ程度。
もちろんわたしは最近投稿した散文にも書いているように
詩は「だいたいでいいんじゃないのお~」という意見の持ち主で
詩の自由自在なデタラメを愛する者だけど、
そういう詩じゃなくて、なにか意味ありげな詩を書こうという方には
つい過剰な要求をしてしまう。
蒸留水に身を浸している。
雑踏や雑音から離れた閾値に住んでいて、
こういうふうに、いくら表現の妙を変化させても
わたしにはちっとも面白くない。
おれは純粋だ。
おれはおまえら俗人とは違う世界に住んでいる
こう言ってるだけなんです。
以下、すべてこの伝で書かれており、ある見方、ある考え方、ある世界理解からの
転換、どんでん返し、視点の変化などがない。
表現としては贅を尽くしているけど、(ま、それほど凄い贅でもないけど)
そういうのはマンガを嬉しむように難解詩を好んで読むわたしにしてみれば
(つまり難解詩ほどマンガ的だという意味で、難解詩が高尚でいいとは思ってません)
ただ、詩芸としてはまったく平板なわけです。
鷹枕可さまの詩にもいつもそういう感想を抱いてしまうのですが
そういうのは詩芸としてはちょっとつまらないよと思うことがあり、
そういうものを書くならもっとちゃんと書かないとね
と思うことがあります。
乱文乱筆 失礼したしました。 (もたざるものの、)
2022-11-17
人間というものはある年齢に達すると男女ともにホルモンの分泌が活発になり
体型まで男らしさ女らしさに変化してきてそれぞれ異性を求めるようになる。
この生物的欲求が愛と命名されており、それを飾り立てるためにさまざまな
文学作品や絵画、音楽がつくられた。キリスト教のいう愛などは詐欺もいいところで
ようするに大事な人だけを囲い、それ以外は虫のように殺せという教えにすぎない。
しかし精神分析学者や心理学者のなかには「人間は二度死ぬ」という見解があって
人間は12,3歳のころに一度、完成されるという。
そして女性でいえ生理がはじまる年頃に無謬のたましいは一度死んで「性」というものが
深いところでその人間の人格を占めるらしい。
これはよくわかる。性が大きく膨らんでくる前の子ども時代にはもっと自由な他者との
和があったが、性がからんでくると人と人のあいだがギスギスしてろくでもない世界に
変化した。
わたしは愛なんかごめんなんだけどセックスはするだろう。これは排泄生理現象にすぎない。
またセックスの相手がいなければオナニーでさっさと生理現象を解消する。
愛だのなんだのとやっている時間があるなら漫画でも読む時間にまわすほうが貴重だ。
なんと可哀想なやつかと思われるでしょうが、わたしは逆にそういう人をそうみている。
それが永遠の詩人というやつかもしれない。
(どうしたらいいの)
2022-11-15
ああ、これは居酒屋なんかのコースターのデザインに使えますね。
詩にはこういうデザイン的な側面もあるようです。
(ゆうた!!)
2022-11-14
湖湖さま
お読みくださりありがとうございます。
ピアノのようなものは......中国のあの纏足という制度に近いものだと
ふと感じました。すみません。低能児のいつものかってな妄想です。
もちろんたしかにうつくしい旋律をもたらしてくれるものですが
わたしにはまかないの調理器が小さく打ち合う管弦楽のようなもののほうが
はるかに音楽だと感じます。
絵画もそうで、どこにでもある塀や壁のシミや汚れや傷のあとをみていると
どんな抽象画よりも素晴らしいと思い、あそうか、画家はこれに還っていく
ことを望んで描き、それができないで悩むのだななと。
詩も芸術もなにもかも一度、ゼロに戻って出直すべきだと思って書きました。
素敵な感想ありがとうございます。 (土井善春先生に詩を学ぶ)
2022-11-13
チェソソーマソさま
コメントありがとうございます。
テキトーというより「だいたいでいいんじゃないか」ということをテーマに
むかし詩人(吉本隆明)と批評家(大塚英志)が語っていましたが、
「だいたい」というのは非常に大事なことだとおもっています。
わたしがこの散文で大事にしたのは内容ではなく落語のような語り口の流暢さですかね。
じぶんながら、流れるようにかけたことに満足しております。
(土井善春先生に詩を学ぶ)
2022-11-13
るるさま
コメントありがとうございます。
土井さんというのは凄いとわたしも思っています。
ネット詩の独自性というものをはじめてあのあの方に
教えてもらったとこのあいだ、偶然に感じたのです。
土井さんは料理のプロですけど、アマチュアの面ももっていて
むしろアマチュアのほうが料理の真髄だと考えているはずです。
ネットに詩を投稿されている方はなにか詩誌の詩の質やレベルに追いつけば
それで詩誌に対抗しえたと
感じるのかもしれませんが、それは間違いだと土井さんは教えてくれました。
プロにはないものがアマチュアにあり、そのアマチュアリズムにプロは到底
近づけないし及ばないのです。
天地自在、それがアマチュアリズムです。詩の快楽もアマチュアリズムです。
わたしたちネット詩に投稿しているものは、なにかそれを忘れている。
味噌汁にだし汁は不用というのもアマチュアリズムです。
だし汁不用といっても完全に不用なのではなく、粗末で小さな煮干しを3つ
手鍋に浮かせています。
ここからどれほどの出汁がでるかこころもとないですが、でも、
人間の舌が自然に還ればほんとうはこの味も感じられるはずです。
麻痺してるんですね、マヨネーズだの顆粒出汁だの人口の味に。
>この詩によって、料理は確かに詩と似たところがあると、気づかされました。
とてもうれしい感想をいただいて感謝です。それから、
出したいときに出すってのもプロじゃなくてアマチュアリズムでして....
これもまあ、むつかしい問題を含んでいるとわたしも思います。
丁寧なご感想を感謝します。 (土井善春先生に詩を学ぶ)
2022-11-12
すみません、最後までどうしても読めませんでした。
何度か試してみたのですが......
一読して、ああ、この作者さまは
どこか遠い駅の待合室に置き去りにされたままだという
瞑目するような感慨、それでもまだ汽車を
待っているのは、あるいは見知った老人が通りがかって
声をかけてくれるのをたのみにしているのか。
よくわからない。
ひとむかしまえの突風でとんでいった破れた麦わら帽を偶然みつけたような
感傷はなくもないけど、
いつまでも古い帽子をかぶっているのもひとつの生き方かもしれない。
でも、もうわたしごとき素人には高尚すぎてとても読めない。 (飛べない)
2022-11-11
あ、ごめん、ごめん。訂正があります。
本文上から13段目
異を唱えると「ネトサヨ」というレッテル貼りがヒステリックに返ってくるような風潮。
↓
異を唱えると「ネトウヨ」というレッテル貼りがヒステリックに返ってくるような風潮。
失礼しました。 (パッションあれば誰でも出来る推薦文。出来とか知らない、作者の気持ちなんてのも知らない。)
2022-11-07
>結構な方からボロクソに言われてもなをへこたれずに、
福丸さまのこの投稿作にコメントをされた方はお二人で
お一人は肯定的でしたから、
「ボロクソ」をいった「結構な方」とはわたしのことだと思うのですが
わたしは福まるさんが好きだからこれまでもだれよりも
福まるさんの投稿にはコメントをしてわたしなりに励ましてきたはずですよ?
そして今回の場合、福丸さんのご返事からが「ボロクソ」とは感じていないで
わたしの心の底にある理念
「ささやかな庶民大衆のささやかな生活と命」がないより大切という
考えに同意してくださったものと受け取っています。
今後の参考にしたいのでどの言葉がどのように「ボロクソ」だったのか、
教えていただけませんか?
いっておきたいのですが「ボロクソ」と「違う意見」とを同じにしてもらっては困ります。
異論をいえば「ボロクソ」になる風潮がありますね、とくにサヨクリベラルの方々の言説にちょっとでも
異を唱えると「ネトサヨ」というレッテル貼りがヒステリックに返ってくるような風潮。それはネトウヨの
ほうよりひどい。そういうのはやめましょうよ。異論がないところで討論など成り立たないでしょ。
異論即ボロクソじゃ、反対意見は黙れということになります。
一般論ですが、だれかをためにするような書き方はあまり感心しません。
異議があるなら正面から堂々とやるべきですね。あなたもそうおっしゃっている。
言いたいことはそのままにして言う、実にド直球ストレート、内容に共感できるかはともかく、
意味があるのにこねくり回しすぎて伝わらないとかぼやいてる人よりも、はるかに伝わる、
そうお考えなら、ちゃんとその「ボロクソ」を言ったと不快を感じる相手に堂々と、どこが「ボロクソ」なのか
伝えるべきです。コメント欄はそのためにあるのでは?
「結構な方」とかいうことばの意味もできればご教授お願いします。直球で。 (パッションあれば誰でも出来る推薦文。出来とか知らない、作者の気持ちなんてのも知らない。)
2022-11-07
この詩を読んでこんな文章を思い出した。
みなさん聞いて下さい
わたしはこんなにやさしい人間なんです、
と訴える方が最近のネット投稿板の投稿者さまに多い。
わたしはこんなに賢い、
わたしはこんなに弱者を大切にする、
わたしは強い、
わたしはこんなに優れている......etc。
そういう詩にあなたは素晴らしい方だ、
あなたのような優しい方をみて幸せだと
感想をしたためる。
それがお約束です。
そうすればポイントが入る。
チーーーン
アナタハオ約束ヲ守ッタノデ
人間性ポイント1デス。
コレガソコノお約束デス。
いつ読んだのか、何というタイトルの本であったか
忘れてしまったが、さて、
この素晴らしく優しき心の持ち主であるとおぼしき
投稿者様のこの詩をわたしは褒め称えるべきかどうか
迷っているのですが、とにかく素晴らしい心ばえの
方であると思い、すごいなと感心しきりです。
わたしは毛ほども考えたことがありませんでした。
反省です。
(1.5トンの遺留品)
2022-11-04
詩は詩なんですが、一種の提言詩というかメッセージ詩というか
そういう趣のあることばですね。
愛の反対は無関心ではなく恐怖である。
恐怖とは愛の欠如である。
と書かれておられますが......愛ということば、これは外来語です.....ね。
明治期に入ってきたloveとかそういうのを「愛」と訳したわけですが
キリスト教文化圏ではこの「愛」というものを、深いところで
よくわかっていると思うんですが
日本人がどの程度わかって使っているのか興味があります。
自分にとって大切な人を「慈しむ」ということでしょうけど、別の言葉で言えば
エゴですよね。"じぶんにとって大切な人"というそれ以外の排除が前提の感情ですから。
つまりキリスト教文化というのはエゴ=愛が中心にある。成り立ちからして
そういう苛烈な思想が裏打ちされた宗教が背景にある言葉が愛。
だからいっとき日本では金属バットで両親を殴り殺す学生がいたりした。
愛はときに物凄い破壊力のある狂気ですから子を縛り、ときに自殺させる。
男女間の愛なんか
あらゆる規制や道徳などを木端微塵にしたりしますしね。
ある人たちにとって愛というのはときに恐怖になります。
まず、恐怖というのはあらゆる生物の第一行動様式です。蚊だって
まずは逃げます。逃げるということがノミから象まで、最前列にある
行動様式です。
それから原始時代の未開人てのはおそらく統合失調症的な意識世界にいた
という学者たちの意見があります。統合失調症の方がとくにおかしな恐怖を
感じているというわけでもないとおもいます。
妄想が出てくると互いに困りますが、そうでなければ、どれほど会話が通じなくても
なにか相手がいうたびに返事しておればいいのじゃないかと思っています。
それでは何も通じないと思うでしょうが、それで通じているのです。
意味不明な言葉にもちゃんと返事をして答える。それでちゃんと通じているし、
それで統合失調症の方の病も軽減することがあるという医師の話もある。
いろいろなところで、考え方の傾きに賛同できかねるところがありました。
申し訳ありません。
(みんなお互いが怖いんだよ。)
2022-11-02
えっ? なんでしょうかね、これ。
これまでの田中恭平newさまの作風とはちょっとつくりが違うようなのは
政治的なものを扱ったからでしょうか。
ロシア語には「熊」という意味の単語はないけれど、「メドヴェーチ(Медведь)」という言葉があって、
意味は「蜂蜜をたべるもの」なんだけど、この言葉が「熊」という意味も持ってるらしい。
歪曲的に表現することで熊を呼び寄せないようにしてるみたいだ。
https://twitter.com/katomani/status/1482566144259096577
日々繰り返される平穏な朝の食卓というのはまさしく平和のイメージそのものですが、
〈熊〉が現れてその平穏な日常を壊さないように主婦が必死に頑張っている。
夫はそれがあたりまえすぎて妻もしくは同居人の異性の努力には気づかずに出勤する。
そういう普遍的な庶民の生活の風景が描かれている。と、いっちゃえばつまらない解釈ですけど
最後の そして少し、泣いたの というのがどうにもわたし個人の印象としてはつらいですね。
もう一ミリ、ダイアルを下げた穏便な表現にしてもらったらわたし個人として救われたのですが。
あ、ひょっとしたらうれし泣きだったらいいか。失礼しました。
ただ、あれですね、熊(狂人プーチンもしくは世界平和を乱すロシア)なんてのは西側がつくりあげた
まったくイリュージョンであって、ロシアが世界の平和を乱すことは今のところありえません。
むしろウクライナとその背後にいる欧米ユダヤネオコンこそ人類を底なしの危機に落とし込むでしょう。
もっとも、これはわたし個人の見解なのでだれにも押し付ける気はありませんが。
(平和)
2022-11-02
批評対象作品ですが、これ、一人は東北の人を騙っているけど作者はそうじゃなく(おそらく西のほうでしょう)
そして、
そもそもなぜ東北や北海道の人をもってきたのか意味がちょっと不明で(ある意味、〈僻地」というイメージ
からきたのだとしたら、ちょっと薄ら寒い差別のようなものをふと空気が過ぎるような気配として感じましたが
これはわたし自身が東北のほうを遠い辺境の地というイメージをもっているからそう感じたのかもしれない。これは
反省すべきかもしれないですが、ま、内心では一番尊敬しているのが東北の独自の文化なんですけどね)
そういうものも含め まことに申し訳ないけど、正直なところ、この御作、個人的には、
その、ありのままを直截にいうと、先に謝っておきますが、まったく面白くもなんともなかった。
しかし、にもかかわらずこの推薦文を読ませていただきましたのは、
これはわたしがこういう斬新な現代風の作品を賞味する能力に欠けているのだということはすぐに
わかったので、なんとかこういうものを理解するたすけにならないかと丁寧に読ませていただいた次第です。
しかしこれもまあ、わたしの不徳のいたすところですが、誠に申し訳ないのですが
正直いわせていただきますと、なんといいますか、批評ないしは解析としてはまったく、けほども面白くもなかった。
それはまあ当然のことでありまして、そもそも作品のほうを理解できる能力がないのだから、推薦文をいくらよんだところで
その推薦文も面白いはずがない、おれはバカか、バカだという結末に至りました。
まことに乱雑な感想、まことに申し訳ありません。平にご容赦。失礼いたします。
(高等さを必要としないパッション推薦文)
2022-11-02
がんばる人がいる。わたしなんかもついうっかりがんばってしまう。
でもそういうひとは(わたしのことだが)人間てもののほとんどが
じぶんの自由になるようなものは1割もないってことに
気がついてないのだなと気がついた。
つまりじぶんてのは神の分身で神が動かしている。
がんばるってことはじぶんのなかの神に抗うことであり、
意味のない動きだとおもう。
とはいえわたしは無神論者というか汎神論者だから
キリストもオウムも統一教会も信じていないが。笑
あと、太宰治の『走れメロス』は大好きだし、これからも
ああいうがんばりはわたし個人の美学としてはだれにバカにされようと
持ち続けていくだろうと予感しています。 (休めメロス 他)
2022-10-28
求めないで優しさなんか
臆病者の言い訳なんだから
https://www.youtube.com/watch?v=m7jwFXkO-68
この投稿作品を行わけの詩にして池田綾子の透明な歌声にのせて歌わせてみたい。
そんなことを思いました。
(黄色い小さな窓辺)
2022-10-26
これはおそらくフォーラムで議論されている匿名のコメントに対する作者の
ややイキドオリをこめた返信なのだろうけど、読んでみると内容の当否は別として
けっこう詩になっている。たとえば
育ててくれればいいのに、
種も水も撒かず、
言の葉の世界とやらに絶望したことを
呪いのように唱え続ける、
その呪文はなんの効果をもたらすのだろう?
とかいったところには、最初は含み笑いをしながら読んでいたのだけど思わず
うん、とうなずくようなセリフが入っており、なかなかじゃないかと思われました。
ただ、やぱり「何の効果」?と落ち着くところがちょっとまだ効果とか効率とか生産性とか
にこだわっているところがあるのだなということで
そういう価値観というか考え方というものが及ばない世界が詩や文学の世界だってことを
知ってほしいなという気がしました。でも、全般として「与えたいね、与えられるようになりたいね」
というプラス思考がほんとうかどうかは別として、言葉自体としてはわたしもうなずけるものがありますね。 (黄色い小さな窓辺)
2022-10-26
いま1970年代のテレビドラマをネット配信でみているのですが
「雑居時代」ていう通俗の極みともいえるドラマですがこれが
なかなか味があって面白い。
この詩はそのドラマのなかに出てくる駅や人や建物の匂いがする。
それだけでなくなんというかセピア色の真っ正直な思想というか
人生観というかそういうものが感じられて、
へんに味のある後味でした。悪くないと思います。 (酒の雨)
2022-10-23
なんか、すごく、明るくて、まぶしい詩です。
んーと、わたしがすぐに思い出したのは
浦山桐郎という映画監督のシナリオなんですけど
『おはよう、日本海!』というのがあって
これは映画化されなかったんですけど
もう草稿自体もなくなっているかもしれないけど
むかしは日本海に面する北陸あたりの地方は「裏日本」
って呼ばれて、いまも原発に頼る以外、たいした
産業がなくて、そういう地方を明るく描きたいということで
書かれたシナリオなんですが、それを大昔に読んだ記憶が
あるんですが、とても明るくてまぶしいストーリーでした。
それを思い出しました。
(おはよう、って言いたかっただけ。)
2022-10-22
作品から離れて、書かれた内容のことになりますが、
この体験は一種のデジャブのような気がします。
たとえそうであってもデジャブのような体験は
幻想的かつ神秘的なもので、書かずにはいられないことから
たんに医学的に説明するだけで済むものじゃないように
あたらめて思えました。 (黄色い柱時計)
2022-10-17
う~んと、なんでしょう。
青春謳歌かな。
曲がつくといいでせうね。 (Friends!)
2022-10-16
ああ先生という字句だけが耳に残ったのですが
なにか悶えているようでセクシーだった。
(かいの公式)
2022-10-16
慈悲を
慈悲を
慈悲を
阿弥陀仏よ
なむあみだぶつ と
声にも 思えのしない
この子らに
慈悲を
そういう気持ちわかるんですけど、どうなんでしょうね、
わたしが不良少年のように世の中の欺瞞に毒づくようなまだ純真な
汚れない心をもっていたとしたら
この詩のことばを素直には受け取れないものを含んでいるような気がするのです。
つまり痛いほど無惨なことが行われていることに対して、その痛みの深さゆえに
こんなことばを書き付けていることへの疑いが生まれてくるような気がするのです。
この仔らに慈悲じゃなく、わたしたちの行いに慈悲を求めるべきでしょうし、
いろいろと複雑な問題があって、詩が、このようにあまりにも短絡的にやっちゃって
いいのかという自問自答があります。
(慈悲を)
2022-10-16
う~ん、今回のは少しドラマチックになっているのでしょうか。
個人的には前の「港」のほうがわたしには合います。
なんというかこういう詩の場合はへんにまわりくどいより
絵葉書のように切り取られた単純な構成のほうが個人的には好きです。 (港町の王様猫)
2022-10-16
あたりまえの描写にたいして美的な粉飾を重ねることができる修辞的感性が豊かな方なのだろうなと想像します。
の、ですが.....おしゃれに書こうと意識しすぎて最後にはそれをひとつのまとまった言語表現としてうまく納めることができなくなり、
体言止めなどでかわしているのが読む方にしてみれば少し窮屈で息苦しい。それだけでなく、その修辞が行き過ぎると、ときどき小さく噴き出しそうになるほど滑稽なときもある。
そういう意味では面白いといえば面白い文章なのですが、たぶん作者御本人が考えているほどには詩的ではなくケレン味が出てしまっているのが残念です。
もう少し自分が書きたいものをちゃんとじぶんの中で消化していればもっと素直なあたりまえの言葉でもっと詩的で知的な、美しいものが書けるような気がするのですが。しかし、これは作者さまのもって生まれた感性なのでしょうからとやかく外野がいうことじゃないのでしょうね。乱文失礼致しました。 (Alkeher ghas)
2022-10-15
ソドミーがなんであるか、わたしはそういうのいっさい気にしません。
詩読は作者の意図を読み取るだけのものではないからです。
詩を読むとはじぶんがその詩を再構築することであることを忘れて
なにか細々と作者の意図を、あるいは隠された何かを探る方がいることは
承知していますし、それはそれで愉しいことだと思いますのでそういうことを
否定しているわけではありません。
(奇妙なドレミ男)
2022-10-15
とても好きなタイプの詩があるのですが
これはそのひとつの典型的な好みのタイプの詩です。
この軽やかさ、素朴さ、万人に開かれた自由さは貴重です。
ただ、もうちょっと欲をいえば、さらにひとひねりあれば
申し分なかったのですがわたしにも出来ないことを人様に望むのも
なんですがね。 (奇妙なドレミ男)
2022-10-14
わたしの大好きな"竹見一毅"の登場にわくわくしましたが
今回は前回のようなシュールで屈み込んで笑えるような展開はなく
いかにも、いかにもなにか青春残影というイメージでしたから
肩透かしを食らった感じです。
わたしはいまだに前の投稿作"竹見一毅"をここの大賞だとみています。
でもこれもよくみると見事な語りぶりで基本文章のうまさ、
軽やかさを存分に感じることができました。
わたしは多分、来月からアク禁になるでしょうけど、
どうか隠れた文才を惜しまず発揮して頂きたいと願います。 (Boys Of Summer)
2022-10-14
七語調の音韻に情感をあずけて語っているわけですが......
これまでの投稿作と同じく思考の通俗性にべったりじぶんをあずけている。
少しも世界が変転せず、また穴もあかず、ある種の古いむかしの
共有的な情感だけが転がり出ている。
酒の席で浪曲や歌謡曲を歌うような気軽さはいいとしても、なにも見透せない
大きなみえない壁がある。こういう詩に共感を覚える方もいると思うけど、
わたしはそういう通俗性に触れることができるほど呑気ではいられない。
そんなことを感想しました。 (タイトルは思いつきませんでした。)
2022-10-11
あらゆるつまらない善行や正義や倫理を装った束縛を断ち切って
正直なことをいわせて頂きますと人間はだいたい三ヶ月ごとに
ま、人によっては半年ごとでもいいけど、愛する女性をとっかえひっかえ
していけばいい。そこに何の問題もありません。
愛する女性のほうも男をとっかえひっかえしていけばいいのです。
ま、結婚してしまったら話し合って離婚と結婚を繰り返せばいい。
生まれた子どもは国が一括管理してもいいし、どちらかが育ててもいい。
ま、いずれ世界は恋愛というものの束縛的な純粋性にくさびを打ち込むでしょう。
要するに、そういうのは恋人を束縛しょうとするエゴにすぎないのだということは
はっきりさせるべきじゃないでしょうか。
だいたい何でも必ず飽きが来ますから愛にも女にも飽きがきます。
飽きがこない愛でも女でも女のほうから飽きがみえたら気持ちよく送り出してやる。
非常に気持がいいですよ。
(車輪)
2022-10-10
福丸さま
残念ながらわたしは「ひろゆき」とかいう頭のゆるんだ方にはまったく興味も関心もないし
それから、
これはほんとうに失礼だし、わたしもこれじゃあかんなあとおもうのですが沖縄のへのこ?ですか
そういうことにもあまり関心がない。というか、わたしにはへのこ?はあまり重大な問題じゃないのです。
わたしにとって政治、経済、文学・哲学、思想、科学、医学などが目指すところは究極にはひとつしかないと
のです。
わたしが守りたいものとは、ささやかな庶民大衆のささやかな生活と命、それだけです。そのために詩を書き
思想を語り、批評もしているつもりです。
ささやかな庶民大衆のささやかな生活と命を脅かすものはすべて敵でしかありません。
へのこ?のサヨクリベラルも保守もみんなイデオロギーのほうが大切で庶民大衆のささやかな生活のことなど
屁ともおもっていないのですよ。どいつもこいつもひと騒ぎ起こして一杯飲みたがっているやつらばかりです。
そういう騒動全般がすべてカスなんですよ!
福丸さまが沖縄の平和を心から祈るのならそういう騒動から離れてどこかの丘の上から静かに
一から見直されることをお祈りしておきます。
そうすると自分がなにをすべきか、何をしないでおくべきかわかっていただけると思うのですが
ひょっとすると「運動」をしないで批判するわたしのほうが間違っているかもしれません。
しかし福丸さまのこの散文詩のようなものを読むと、なにか危ういものを感じるのです。
どうか、渦に巻き込まれないでくださるようお願い申し上げます。
(沖縄もとい日本そこにある危機)
2022-10-08
花緒さま
「詩のことなんてさっぱりわかっていない」といいながら
作品評価を通り越して投稿者の人格的なことまで言及されたですよね。
投稿者に対して「詩であることを尊重できていない」といっておきながら
その発言の根拠を示せないとは残念ですね。それって投稿者に非常に失礼どころか
一種の誹謗中傷ですよ?
もっとも最初から少しおかしいとは思っていました。ふつうは「語感」といいますよね。
言葉が書かれているのですから「語感」に違和を感じたとかそういう話になります。
それを音楽を演奏していたわけでもないのに「音感」とおっしゃられた。
フォーラムは投稿掲示板では話せない鬱憤などを語れるところだと思っています。
そこをこの詩投稿掲示板と無理やりつないで、投稿者に罰を与えるようなサイトなら
いつでもここから出ていきます。
わたしはこの投稿掲示板であなたのようなやり口で人を誹謗する方ともめたくないから
無駄な議論をさけて、掘り下げた意見を聴きたかっただけですが、
思ったとおりでしたね。ほんとうに残念です。
(安倍晋三閣下にささげつつ)
2022-10-08
いいですね。
色鉛筆かクレヨンでデッサンしたような
軽やかなタッチの詩はわたしの好みなんですが
願望があるだけでとてもじぶんにはかけない。
むつかしい詩論など野暮だし
こちらも構えることなくリラックスして愉しめる。
Excellent! (コーヒー豆とギター)
2022-10-07
さて、花緒さま
つきましてはその鋭いご指摘に感謝しつつ
花緒さま、出来ますなれば今後の詩の勉強の糧とさせて頂きたいので
わたしの散文における行分けのどこが、どういう塩梅で「音感」が悪いのか
具体的にご教唆願えませんでしょうか。
作者自身が詩であることを尊重できていない印象を受ける。とまで仰って
おられるのですから、是非ともその鋭敏な感性で掴んだこの散文の行分けの
構造と意味をお教え願いますれば幸甚のみぎりにございます。
あ、
印象とか気がするとかだけでまさか
「作者自身が詩であることを尊重できていない印象を受ける。」
とまで踏み込んだ発言をなさるようないい加減な方ではないと信じておりますので。
何卒、どこがどうであるからどのように「音感」がないのか、
せつにご教唆のほどお願い申し上げます。
(安倍晋三閣下にささげつつ)
2022-10-07
花緒さま
お読み下さりありがとうございます。
流石の鋭いご指摘に、ゆるんでいた気持ちが引き締まりました。
「流石」というのは花緒さまが音楽にも造詣が深いとどこかで耳にしたことが
あるからで、研ぎ澄まされた感性が音感のなさを見事に言い当てているので
さすがだと思わずうなったのです。
音感のなさ、もとを正せばすなわちもともと文章がいびつなところにあることはわかって
おるのですが、なかなかいわゆるスッとした頭のいいクールな文章が
無学なわたしには書けそうにありません。
これからもこのようないびつな書き方、自分でもうんざりするのですが、
それでやっていくしかないとあきらめております。
的確なご指摘とコメント感謝です。 (安倍晋三閣下にささげつつ)
2022-10-07
物語風につくられた言葉たちの、情緒的な部品を寄せ集めて
がらがらぽんとくっつけた寄木細工のようなものなんですが、
これは粋な小説の一節であって詩ではないといえば詩とはなんぞや
という声が返ってくるでしょうね。
演歌と狂女のぶつぶつ声との違いかな。詩とは後者なんですがこれは
前者であることは間違いない。
素人受けはいいでしょうけどわたし個人としてはわたしの詩が
ここに埋没しないように気をつけています。 (水仙)
2022-10-07
クルミの幼木に葛が絡みつき
ゴジラのように吠えていた
ということですが......
物凄い夜明けですね。
ほおじろがなにを唱えはじめたのか
気になるところです。
(雨の朝)
2022-10-07
失礼なことを書くようですが
わたしにもこういう詩を書いた経験が一、ニ度あるんですが
書いている本人のわたしは奇をてらっているだけで
はほんとうのほんとうはちっとも愉しくなかった。
思いつきでつぎからつぎへと書いていっても
手触りも何もない。無でした。
この詩の作者さまはそうじゃないでしょうけど、ほんとうは
こんなにぎにぎしいものではなく簡素な生活詩のようなものに
還っていくのが
ほんとうの心の詩のためにはいいように思いますけどね。
あ、これは感想ではなくじぶんに言い聞かせることばがつい
これを読んでいて浮かび上がった想念です。失礼しました。
(浮遊葬)
2022-10-06
母の願いは叶うことなく
その無念をそっと胸のうちに押し込めて
黙ってあまりおいしくもないけど
根の張るあわびを食べている。
愛というのはこれはまごうことなきエゴ以外の
なにものでもないのだけど、
人間という業の深い生き物がそのエゴをめぐって
ひっそりと向かい合っている光景というのは
なかなかにいいものかもしれませんね。 (母とひなびた中華屋で)
2022-10-05
ひょっとするともって生まれた独特の感性で書かれたのかもしれない
独創的な表現にとまどいました。
さいきんあまりとまどったことがないので新鮮でした。
ちゃんと読めたかどうかというとまったくわかりませんでした
ご容赦。 (来期)
2022-10-05
車窓というものは
いつでもなにか追憶を呼び寄せるものですね。
郷愁を誘うような、
あるいは秋にふさわしいようなタイトルの魅力に惹かれて
読ませていただきました。
あえてひっかかった点をいえば何を書くかではなくどう書くかという観点からすれば
「名前のない駅」という発話が何度も繰り返されるのは
ちょっとばかりせっかくの雰囲気を霞ませたような気配があると
個人的には思いました。これはおそらくこの散文詩の肝なのだから
何度も繰り返すのは少し興ざめかなと。いや、「名前のない駅」
などという常套的な使い方ではなく単に標識には何も書かれていなかった
程度で一度だけ素知らぬふうに語ってさらっと流してもらったほうがよかったような気もします。
あまりにもテーマをこれだよ、これだよと指摘されると、いや、それはそっと
そこらへんに置いていただければむしろ読む方は風情があるのですが
といいたくもなりました。すみません。個人的要望にすぎませんが。とはいえ、
力のある、いかにも山びとらしき散文詩の抒情のおくにある感慨が
読み手にも迫ってきてなかなかのものだと思いました。
(車窓)
2022-10-03
エイクピアさま
お読み下さりありがとうございます。
吉田茂については最近、米国の機密資料が公開されて
いろいろ話題を集めておりますね。
コードネーム「pochi 69」(ポチ シックスナイン)という名の
CIAスパイだったとか。スパイというより情報提供者だった
のでしょうけど、日本の歴代首相はたぶんみなそうです。
吉田茂の名言『同情するなら、金を貸せ!!ケツを貸すなら、国を売れ!!』
はこういうところから来たものでしょうか。 (安倍晋三閣下にささげつつ)
2022-10-03
考えさせられる詩でした。
ひょっとすると人間はすれ違いのなかに
ほんとうのことがあるのかもしれない。
それはしかし神様のものでわたしたち人間は
ただその影をふと垣間見るだけなのかもしれない。
そんなことを思いつきで考えました。 (ある世界の旅人B)
2022-10-03
わたしなど足元にも及ばない才能がおありになる方だと見込んで
かってな要望を書かせていただきますと。
そろそろじぶんの思いを吐き出すだけではなく利他(エンターティメント)に
目覚められてはいかがでしょうか。
いいものが書かれてあるのだからそれに味付けして多くの人が食べやすくかつ
よろこんでもらえるように加工するということ、それはつまり自分を勘定に入れないということ
ですが、
そろそろ自分を殺す時期ではいかがでしょうか。かってな要望を申し上げてもうしわけありません。 (14.)
2022-10-02
いろいろ考えさせるいいお話だった。
ただ、みなさんは裏側を知らないでしょうけど
炊き出しというのは今はけっこうなビジネスになっている。
NHKの「心の時代」という慈善風の番組に「現代のイエス」だと喧伝されて出演した
大阪釜ヶ崎のH神父は元ヤクザでちんぴらのHという男を使って炊き出しビジネスを
つづけさせ莫大な富を貧者からかっさらっていた。
山口組抗争で名を知られた大日本正義団の事務所も西成スラムドヤ街の近くにあって
ここも炊き出しの旨味を知ってからは、毎週、ホームレス相手に炊き出しをしていた。
全国から同業のヤクザを招いて炊き出しビジネスがいかに儲かるかを説明している光景にでくわしたこともある。
現在、総会屋的な大企業への金銭要求は法律で禁止されているが、慈善事業への
企業への寄付呼びかけは取り締まれない。そこで炊き出し風景を写真にとって
全国の企業に献金を呼びかけていたのだ。
これはH神父も同じで日本全国のカソリック教徒に炊き出し風景を撮った小冊子を
送りつけ寄付を募っていた。多いときには現金で数千万が寄付されたこともある。
しかしたいていは衣類や本や貴重品などでこれをH神父は元ヤクザのHに手下を
使って弁別させていた。もちろん貴重なものはHがかすめとる。
結果、炊き出しを求める貧者にわたるのは寄付総額の7%ほどだった。
Hのもとで無償で弁別作業をしていたある敬虔なカソリック教徒はその事実を
知って精神的におかしくなり入院した。
H神父はHに炊き出しをまかせていたがHはあるとき棒をもって炊き出しに並ぶ人たちに
「ごちそうさまでした」「ありがとう」を強制させていた。
生きるために仕方なく炊き出しを食べていたある日雇いのおじさんはわたしにこういった。
「おれたちは炊き出しを食わされているんだよ」
このおじさんも数カ月後に亡くなった。
炊き出しなどといっても、まったくもって世の中とは万事こんなものです。はい。
山本太郎だの辺見庸だのがときたま炊き出しのパフォーマンスをするが、
この方々はな~んにもわかっていない結構な方々だというほかはないです。
(炊き出しヴォランティア)
2022-10-02
ふかおさまお読み下さりありがとうございます。
たまには詩を書いてはというご感想ありがたく頂戴しました。
ただ、
詩というものは書くものじゃなく
なにかによって書かされるものだとわたしは思っています。
詩であれ雑文であれ
何かを書きたいと思ったときにそれを書くことしか
凡庸なわたしにはできません。
申し訳ありません。
それからこの散文は「悪の華」どころか正反対のものを示しています。
いずれ時間が、いや歴史がそれを証明するでしょう。
わたしたち日本人が今、善と思っているものが極悪なものであることが
いずれわかるときがきますが、そのときはもうわたしはこの世にいない。
そんな地獄の光景を見届けたくもないですがね。
(安倍晋三閣下にささげつつ)
2022-10-02
yamabitoさま お読み下さりありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。詩にしたいですね。
yamabitoさまのような散文にみえて詩になっている御作を
みるだに、どうすればああいうふうに書けるのかいつも
秘密の技法のようなものがないか探っていますが
しょせん凡庸な頭の者なのでいまだにこの思いを詩の形式に
できておりません。
もちろん、これは散文ですが、
このサイトでは散文と詩をわけて投稿するシステムがなくいつも詩とも散文とも
記さずに投稿させていただいております。
ただ、散文といえどもわたしはだらだら長く書けないので
短い行分けをしています。それが以前から詩とみなされて、さまざまな方々から
非難や批判をいただいているのですが
さて、どうすればいいのかちょっと困っています。
ここは一応、散文や批評も投稿できるのです。
これからは冒頭に散文と明記するようにしようかなと思っています。
(安倍晋三閣下にささげつつ)
2022-10-01
冒頭からしばらくつづく語りはことばが水を得た魚のようにはねていました。
魚はやはり水が必要だ。水のないところで踊れといっても無理なのに
無理を押し通そうとしている方々が多いようにみえる。
田中さんはこの瞬間、たしかにことばの自在のなかにいたように見えた。
しかし後半を読み進めていくと、書くことの面白さに埋没して
それがこころの罠だと気づかずになんとなく読む方からするとワンパタの
思考に着地したように感じました。ワンパタとはまたひどい言いざまですが
はっとする見解や指摘があることは確かです。でも前半のは詩になっているけど
後半のは詩のことばとはちょっと違うもののように感じました。
そうはいってもレベルの高い詩的な意識の状態にあったのでしょう。
衝動や欲望にまけずに書きたいことの半分ほどでやめることができたら、
(ま、そういうことはだれにも不可能でしょうけど)
ウエブ投稿詩人ってもっといいものを書けた気がする。それにしても
田中さんはどんどん詩人になっていきますね。進化をもとめてやまない
その姿勢はわたしにはとてもいいものに映ります。 (24&20)
2022-09-30
忘れていいのかなという問いかけは大事なことのように
おもえました。ただ、忘れたとしても必要で大事なときは
忘れようとしても思い出すものですけどね。
ラストのニ行はアニメ的なお約束のことばのように
聞こえるんですよ。そういうふうに書いてしまっていいのかな?
というような気がすこししました。 (枯れ)
2022-09-25
サヨナラハジメマシタという思いつきはいいのですが
サヨナラという言葉を使いすぎてせっかくの感興がすこしそがれた
ような気がしないでもなかった。
抑える、ということがあるとむしろその逆の効果がある。
いい勉強になりました。 (さよなら、はじめまして)
2022-09-24
なんだろうな、きっとなにか最後には〈転換〉を見せてくれるぞと
期待して最後まで読んだのですが......
「隠喩の森」、という締めくくりがあった。そうか、「森」という表題は隠喩の森の
ことかと愚鈍な頭に蛍光灯がぽっとついたのはいいのですが、で、それが果たして
なんなのか考えてみると、とくに何でも無い。思うに今やもう詩における〈転換〉を
描くことができない時代になっている。〈転換〉とは平たく言えばドラマですが
たとえば尾崎放哉の "花火があがる空のほうが町だよ" という句がある。
これがドラマチックなのは放哉は四国で乞食のように極貧の生活を送っていて、しかも
孤絶していたからどこかの町へいこうとして夜になり森のなかで方角を見失ってしまった。
この詩のようにすべてがみえない。わからない。そんなとき花火があがった。その方向が
町だ! 放哉は奇跡を見たように覚醒する。そして再び歩きだす。花火があがることによって
それまでの言葉がいっきに方向をみいだす。これがドラマ。つまり転換ですが、
わたしもそれができなくなっている。頭が鈍っているだけではなく、時代なんでしょうね。
そういう感性が維持できない平べったい時代に入ったということでしょうね。
yamabitoさんの精力的な創作活動には敬意を覚えていますしこれからも良作を期待しております。
褒めることをしないでなにか辛口の感想になりましたが、基本的にわたしはいいなと思った詩に
しかコメントしないので、どうかそれでお許しください。
(森)
2022-09-22
これは三連目がこの詩の成り立ちを
すべて説明しているように感じました。
そうだ
その詩には中心がない
部屋の隅では
二人がおもしろおかしく直立していて
私たちの間にある
紙切れには
おもいつきの表現が
ひとつまたひとつと
沈没していく
(椅子 (クヮン・アイ・ユウおよび河上類による合作))
2022-09-18
短い言葉のなかにまばゆい衝撃がこめられている。
わたしにも経験がありますが、まことに人間の記憶とは
彫琢の魔術師ですね。 (時)
2022-09-17
肩のこらない、嫌味のない、自然な、いい詩だとおもいました。
難をいえば「わたし」に対して声をかけている人物の感想を聽くはずが
死んだ「わたし」の要望が語られているところにちょっとちぐはぐ感がありますが
まあ、こんなものでしょう。
おそらく以下のようなことを続けて書けばサヨクリベラルの方々から
反発があるでしょうけど、わたしはふと虫けらのように殺された
安倍晋三元首相のことを思い出しました。
肩書はどうでもよく一人の人間としてよくやったなと思う。
思い通りになるわけもないこの国の政治に関わって泥まみれに
なりながら平和の道を模索した。そういうまともな政治家は
必ず虫けらように殺され罵倒されるのが世の定めです。
そういうことをふと思いました。 (夢見る弔い)
2022-09-16
我が、語る死す
わたしは詩を書く人間が今のように嫌ったらしい、知識や頭の良さを振り回すうちは
ぜったいに面白くもならないし進歩もないし実存もしないと思っております。
それからやたら「君」などという言葉を平気でつかう卑俗な意味でいう「ポエム」を
平気で投稿する自己陶酔のお坊ちゃまお嬢ちゃまにも少しは羞恥というものを自覚してほしい。
羞恥もなくなにが詩だ。恥ずかしい詩を書いていることを恥ずかしがるべき。
卑しい「ポエム」など投稿されてもどう評価しろというのか。
詩は少なくとも詩を書く人間の半分以上がヤクザや人殺しや、チンピラや売春婦やヤク中のような
どうしょうもない人間によって構成されるべきで、
少なくとも学級の優等生のようなサヨクじみたリベラルでは詩という広大な世界のなかの
針をついたような狭い世界で蠢いているお利口さんたちの自己満足に終わるでしょう。
そんなところでなにをいおうがそこらの虫ケラの屁ほどの価値もありません。
そもそも世界を認識すらできないのに何が詩だろう。
どこぞのバイセクシャルのようにいくら万巻の書を読もうが、IQが人の倍あろうが文学とは何の関係もない。
それはたんに頭でっかちの世間知らずな幼児にすぎない。
中学生の天才棋士だからといってそろばんひとつ弾けず、
商売も挨拶も恋愛も、なにひとつ人間らしいことが満足にできないのと同じだ。
そういう、いまの日本の腐敗して沈滞した詩の世界の実態をちゃんと
見えている人間が果たして詩の世界に何人いるのか、
唖然とするのみ。 (B-REVIEW 9月のお題詩「ネットとリアル」×「カタルシス」)
2022-09-11
逃れようとすらしない、なにも感じない豚がいるなかで
なんらかの違和や窮屈さや実存の不在を感じている豚はそれゆえに
不幸なのかもしれませんね。
いずれにせよ生まれた以上、出口は死しかないのだから
黙って現在を受け入れていくしかないのだけど、
文学という人間だけに与えられた麻薬がなんらかの救済を
示しているような気がしないでもないです。
(逃げられない一匹の豚)
2022-09-11
抒情のもつよさと
知がもつ嫌ったらしさが
混じり合って
結局、どれほど抒情が
片肌脱いでその美しさを見せても
わずかな知の嫌ったらしさに殺される。
そんな詩が氾濫していた時代がありました。
そういう自己陶酔の時代が
まだどこかに残っているし、
まだまだ、だれからも批評されない場には
残り続けるのだという感じです。
(花)
2022-09-11
カタルシス、書けた人がいたら脱帽します
台風一過の青空のように、浄化を感じられる詩を募集します。
お題詩といのは、題だけを出してあとは作者の自由な発想にゆだねるのがルールでありマナーだと
思うのです。が、このように「●●のような詩を書け」という断定はあまりよくないのでは?
これじゃとてもお題詩とはいえません。内容指定詩です。言葉がすぎるかも知れませんがお題を出す
という洒落がわかっていないようですね。
お題詩というものがもつ自在な豊かさをみずから損なっているような気がしてなりません。
長い間生きてきて、台風一過のようなカタルシスを書けた人などみたことがない。
書けた人がいたら脱帽します。 (B-REVIEW 9月のお題詩「ネットとリアル」×「カタルシス」)
2022-09-11
ここに書かれた
夢のような時間
ほんとうにそのような時間を
わたしたちは求めることすら忘れてしまった
そんなことを考えて
涙ぐむような感情にとらわれてしまった。
失礼ながら詩それ自体はひじょうに通俗的で
稚拙なのですが、純粋な詩だとおもいます。 (バードファンタジー)
2022-09-10
思いつきで寄せ集められたことばたちがいったい、
どんなふうなシステムというか芯棒を軸に展開しているのか
関心をもって読んでみました。
ところどころポエジーを感じさせるイメージが点滅している
ものの、わたしがぼんくらなせいで現代詩風というか戦後詩風への志向
という心持ちを感じただけでした。こういう作風がもう人を引きつける
力や意味はあまりもう失くしてしまったのじゃないか、そういう残念さと、
さもありなんという感慨とが交互に起きました。 (自由、私もそこを出ることはない。)
2022-09-08
人間の意識というものが外部から与えられたマニュアルや型式やパターンの
寄せ集めと複雑化という側面をもつ、というわたしの考えからすれば、
たとえばこの詩の二連などは、ああ、とすぐに気がつくひとつの自己陶酔のカタチ
であるわけですが.......。いや、それが悪いというのじゃないです。
そういうことをいってるのじゃなく、そういう様々なパターンがどういうふうに
ひとつの詩のなかにあらわれてくるかという1つの典型のようなものを
この詩にみて、むしろ、だから書かれた内容とは別に、詩としては安定しているなと
感じたわけです。
でもそういう安定した言葉の舞いのようなものが、わたしのようなイケズな人間の
邪悪なこころに何かを着火させるかというとちょっとわたしのような擦れた人間には
もう無理なところがある、そんなことを感じました。
作者さまのスタイル、姿勢、心のありようにはまったく何の不満もありません。
かってな感想、どうかお許し下さい。
(匿名)
2022-09-07
こういうのを読むと、
かわいそうだなと思うんですよ。
言葉の凄さに一度だって震えたことのない人って
いっぱいいるわけで、そういう体験のない人が
まるで酸っぱい葡萄のように言葉をいくらなじっても
ただ、かわいそうだなとしかおもえない。
ほんとうに、ただ、かわいそうだと。 (くだらないこと)
2022-09-07
黒髪さん、コメントありがとうございます。
今までとはまったく違う概念の社会が誕生しようとしています。
これまで人権は普遍のものであって生まれながらの人間の属性でしたが
これからは、この社会では「自分は価値ある存在である」とたえず証明
しなければならないのです。そうしなければ人権は剥奪されます。
(ほんの一例ですがコロナワクチンの接種やマスクがそうです。)
つまり「わたしはお利口さんである」とたえず証明することによって
ほんらい奪うことのできない人権が、人工的な特権、人間の資格となるのです。
こういう価値観をもたらすものとして辺見庸、内田樹、香山リカなどのいわゆる
「サヨクリベラル」と呼ばれている人たちの顔をいつでも思い浮かべることができます。
かれらはかれら自身がどれほどおぞましい価値観の創生に加担しているか自覚できていない。
人々をこのような"分断と支配"の構造に組み入れることは寡占資本家たちの夢なのです。
そういうものに断固として抵抗する勢力がいわゆる非G7国、ブラジルやインドや中国、ロシアなどです。
わたしたちは戦後ただひたすら世界を経済支配するG7国家の
言説のみを耳に吹き込まれて育った。そこからとんでもない偏った思想をもつに至っている。
それをまずはなんとしないと世界は見えてこないのじゃないかと思っています。 (ちぇんちょうはんたぁい)
2022-09-06
つつみさま。丁寧なご感想を残して下さりありがとうございます。
ほんとうに何でもない単純なものへの
敬意というか、じつはそれがもつ奥深さへのまなざしがもてたこと。
それがちょっとうれしいというかおもしろくって書いてみました。
そこへ感度のよいアンテナを向けてくださり、とてもうれしいです。
お読み下さりありがとうございます。 (段差のある生活)
2022-09-06
薄楽さま。コメントありがとうございます。
「段差」、日常意識していて、詩になったことはない言葉。やっと日が当たったね「段差」ちゃん。
このお言葉がうれしかったです。まったく何気ないものがもつ奥深さというようなものに少し
感嘆していたものですから、こんなものを書いてみました。それを汲み取っていただけてというか
たいした技巧もなく、まんまを書いた文ですが、お読み下さりありがとうございます。 (段差のある生活)
2022-09-06
すみません。知性が足りなくてよく読み込めませんでしたが
単語の選択と転換はけっこうおもしろく読めました。
アリの歌ってググってみるとほんとうにそういう歌人がいらしたのですね。
アリも自覚があるわけでなし神のプログラムにそって動いているのでしょうし
それをみている人間も自由意志があるように思わせられているだけで
やはりアリと同じじゃないかと感想したりしました。 (蟻の話)
2022-09-05
「愛」とか「しあわせ」とか、すべて言葉なんだけど
わたしたち人間はありもしないことを示す机上の言葉に騙されやすいのかもなどと
読後考えたりしました。 (仮想時代 錯綜する言葉に代えて)
2022-09-05
くだらないもの、というものについての認識が大雑把なので
なんかもうひとつよくわかりませんでした。
基本的にはじぶんのなかのくだらないものは大事にしてもいいし
外部のくだらないものはどこまでいってもくだらないに決まっている。
そこらへんをちゃんと弁別できているのかどうか、
疑問におもいました。まあ、もっとも世界レベルの思想家でも
いまだに人間についての認識が近代的だから
人間の内部と外部がまったく違うものだということを理解
できなくともしょうがないすけどね。
偉そうなことをいってすみません。これが素直な読後感でした。
作者さまを批判するつもりはありません。 (願い)
2022-08-24
そろそろ詩を書くみなさんもコロナという公衆ファシズムの息苦しさに
頭をもたげ、周囲を見回し、じぶんを点検し
ちょっとずつそのことをじぶんの生き方と照らし合わせて
ことばにする方が散見されるようになってきた。
このさざなみがうねりになって巨大な壁をぶちやぶればいい。
そんなことをふとおもいました。 (歩く)
2022-08-21
頭がよくて自信満々の人ってのは滅多に見かけないのだけど
おやおや、ここにいらっしゃったって感じです。
こういう方の詩は毒もなく、
頭のよさだけが自信一杯にみなぎっているから
後光がさすように眩しい。
おもわず合掌してしまいました。ほんと。
(願い)
2022-08-20
前作はとてもよかったのだけど今回のはわたしには難解で
もうひとつよくわかりませんでした。
これは前作よりも前に書かれたものじゃないかと
ふと思ったりしたのですが
それくら両者には(内容は別として)同じ作者とは思えないほど
筆使いに違いがあるように感じました。
タイトルも、これはちょっとどうなのかなあと腕組みせざるを
えませんでした。 (特殊恋愛)
2022-08-20
たとえば疲れを知らずに公園や校庭で遊ぶ子どもたちの
自由や平和や安全を支えているのは、暴風が一ミリだって
そこに忍び寄らないように防いでいる親たちの......
あえていえば.......コンペイトウではなく
汚辱にまみれた血まみれの手です。
この世にコンペイトウなんかどこにもありません。
やさしさが世界人類を包むこともありません。
そういうのはありえないファンタジーです。
そしてそのファンタジーが逆に世界の人々を殺している。
殺してその無惨な死を隠蔽することに役立っている。
たとえばディズニーなんかその最たるものでしょう。
夢想にひたるのはいいけど、その夢想があらゆる現実を
隠蔽していることに気づいてほしい
とわたしはおもいます。
なんか痛々しいコメントをしてしまいましたが、
大人としての責任を放棄してしまったところに
コンペイトウがあるような気がしてこんな感慨を
コメントしてしまいました。
ご容赦。 (コンペイトウと綿あめ)
2022-08-19
羽田さま。了解いたします。
わたしはハエ取りまでは了解できますが、哺乳類への罠の類は
絶対にわたし自身はしないつもりです。
とても苦い、心がしめつけられるような体験があるからです。 (蝿取り紙)
2022-08-19
ハエ取り紙のような
生物に対する罠の類はこの世でもっとも邪悪なものだとおもいます。
それだったらまだ手でパシンと叩き落としてやったほうがはるかに潔い。 (蝿取り紙)
2022-08-19
>詩人を自称することについて内省することが自らを「変態や異常者」だと認知することになるのであれば、
すなわち病理につながると判断いたしました。
言葉や表現というものがよくおわかりでないようですね。
たとえばだれかが「おれは変態だ」といえばその人は変態なんですか?
だれかが「おれは異常者だ」といえばその人は異常者なんですか?
変態や異常者というのは当人の自己言及によって判断されるのではなく、
その行動や倫理観などが世間常識から逸脱しているかどうか
あるいは発言が論理的に支離滅裂であるとかそういった客観的な精神医学的見地から
判断されることでしょ。
ある人間がみずからを「変態」や「異常者」と認知したことは、
内省的な批評行為であって、それだけでは病理につながりようがない。
「おれは変態だ」「おれは異常者だ」という自己言及自体は病理とは関係ありません。
こんなことはあたりまえのことです。
にもかかわらず「病理につながる」云々というコメントがもしほんとうに何も
考えずにすっと出たものならあまりにも不用意です。
また言葉に対する感性や見方があまりにも未成熟としかいいようがありません。
しかし、
ある作品について精神病理学的な観点から批評したりコメントを入れることは
文学作品では不可避ともいえます。
ある言葉や表現をめぐって病理につながるような要素を見つけ出して詩や小説を
心的な面から解き明かすことはすばらしい批評行為だとおもっております。
しかし沙一さまの上記の説明は、かなり短絡的であぶない物の見方であって、
用心をお願いします。
謝罪はありがたく受け取らせていただきます。
それからあまりにひどい発言なので反論しないつもりでしたが
>私が「利用」すると述べた対象は、「詩」ではなく、「詩人を名乗る」ことです。誤解なきようお願いいたします。
「詩人」と名乗ることを利用ということですよね。そんなことはわかっております。
わたしはわたしたちのような素人が「詩人を名乗ること」で何かを利用できることなんかありえないといっているのです。
寺山が利用できたのはかれが非常に有名な歌人であり批評家だったからです。かれのいうだれでも詩人と名乗れるというのは
理屈はそうでしょうけど、そんなことをするただの人なんかいません。
もしいるとすれば自称詩人だけでしょう。でも自称詩人が詩人を名乗るって利用というより悲惨でしょ。
そのことについてはコメントで反論しておりますのでもう一度よく読み直してください。
(自称詩人ですみません。)
2022-08-18
沙一さま。
そもそも、寺山修司を持ち出すところが意味不明です。寺山の時代はむしろ現代詩が
もっと精緻に磨き上げられていた時代です。
そうそうたる顔ぶれがいました。吉岡実がいたし大岡信もいたし吉本隆明もいた。野村喜和夫なんか
当時は早稲田の学生で詩人としてはまだ小僧だった。そういう時代に、詩を利用?
勉強されていないのですか。つまり寺山のような態度こそあの時代では少数であって、しかもその態度はコンプレックスから来ていたのです。
寺山は短歌は見事だったけど詩は正直、ぜんぜん詩壇から相手にされなかった。
わたしのような素人がみても一瞬に下手だとわかる。まだ漫画家のやなせたかしのほうが巧い。
その寺山が詩を利用なんてそれは短歌では巨匠だったからいえるのであって、詩人を自称したのも
詩にはまったく歯が立たなかったからですよ。べつに歌人でいいのにどこかに詩人へのコンプレックスが
あったからでしょう。
そして、ふつうのそこらの人間が詩人を自称する必要も理由も利点もないわけです。あたりまえでしょ。
詩を利用なんていったいどんな思考回路から出てきたのかぜひお伺いしたいのですよ。
詩をどのように利用しておられるのか、ぜひおっしゃってください。
寺山自身がじつは詩を利用なんて出来なかった。詩人を自称していたのはたんにコンプレックスからと申し上げた。
あの大歌人、寺山がそうなのに、
こんなところに投稿しているわたしたちのレベルのものがどうやって詩を利用なんかできるのか
具体的に是非そのうちわけをお伺いたいものです。
それから病理なんて言葉をうかつに出すものじゃないでしょう。
精神病理学も精神現象学もある程度勉強しているのならともかく、いったいどのような
学問的背景があって、そのようなことをいったのか明らかにすべきでしょう、
生真面目=病理? なんですかそれ。
イカイカ氏と蛾兆氏のあの程度の発言が問題になるのなら、病理うんぬんなどという発言も問題でしょう。
これは「文句があるならおまえが運営やれ」という詭弁とは違う問題です。日本に文句あるなら出て行けレベルの
そういうヤクザみたいな反論をする方がいますが。
運営やるならちゃんとやってもらいたい。ご自身がマナーやルールを守っていただきたいのですよ。
もし、沙一さまが返事をなされず言い放しにされるのなら、ここはそういうところであると了解してもいいものだと
解釈しますので、あとあとのご不満などなきようお願い申し上げます。
(自称詩人ですみません。)
2022-08-18
中味がまったくないことがこの投稿者の特徴だけど
その裏でどうだすげえ文章だろふとじぶんだけで自負しているところが
文章のあいだから垣間見える。
この手の文章はたんに要領がいいだけのものでだれでも数時間、人の文章を
真似すれば体得できるものだけど
そういうことはわからない人にはわからないから、評価されたりもする。
詩ってのは利用するものじゃなくて、やっぱり言葉は大事に扱いたい。
大げさに考えるなよ、おめえ病気だよ。
詩なんてただの遊びじゃん、って人は、いくら頑張ってもちっともその詩を
遊びにすら使えない。どこまでいってもかすりもしない。
そういうことが今ここで起きていることです。 (Leap of faith あるいは)
2022-08-18
追記
それから沙一さま、
生真面目さがかえって病理につながるぐらいなら、
って、なにをもってわたしの作文が
病理につながっていると断定するのか、根拠を示してください。
三浦果実さまからも似たような罵声を浴びせられたことがありますが、
陰でいくらもでお仲間同士でわたしを揶揄、憫笑していただいて結構です。
しかし、病理というからには主観的な感想ではなく、具体的に病理である根拠を
お示しいただきたい。そうでなければこれは非常に失礼な罵倒ということになります。
運営にかかわるものが根拠を示さずこんなな発言をするのなら運営の資格ゼロですよ。
(自称詩人ですみません。)
2022-08-18
わたしは寺山修司を尊敬もし、偉大な歌人だとみとめていますが
でも寺山修司という名前なんかどうでもいいのです。
沙一さまがどう考えているかが大事なのです。
利用ということですが、詩って利用なんかできるんですか。
たとえばお茶お花や書道を利用なんかできるんですか。
利用できるのなら利用していただきたいのですが
利用するにはそれを自家薬籠中のものにしなければならないのに
毛ほども詩のことなんかわかっていないわたしどもが
どうやって詩を利用できるのでしょうか。それとも、もはや詩のことは
自在にわかっているお方なのでしょうか。それを世の中では傲慢というのです。
なにをいってるのかさっぱりわかりません。
(自称詩人ですみません。)
2022-08-18
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり「詩人」を職業として扱うのはかなり無理があります。
ご指摘のところでは筆もとまりましたが、そこはかえって諧謔になるかとおもい
新作落語のつもりで書いてみました。
が、ツッコミどころはたしかにところどろこあります。
戦争直後、価値観や人生観が根底からくつがえされてしまった方々にとって
詩は趣味ではなく生きるための
いしずえのようなものとして在ったような気がしますが
いまはもう、そのような必要のある方は少なく、ほとんどの方々が趣味の領域で
いろいろたのしんでおられるのでしょう。
そういう方々にはほんとうに失礼な作文であったかもしれません。
でも、だからこそ、詩というもののほんとうの奥深さ、詩の言葉のほんとうの、
感性の襞の複雑な成りようをおろそかにしていいものか、
詩のもとにある言葉の複雑さを単純化していいものか
そこは考えどころだとおもっております。
やたら詩は終わったとかいう方々がいますが詩というジャンルは大昔も今も普遍であって変わりようがなく
変わるのはそれに触れる個々の時代の個々の人間だけです。今の詩が終わったというのならそれは
詩がおわっているのじゃなくそれを扱う〈人間〉が終わっているともいえます。
そういう変わってしまった扁平な〈時代〉や、感性の鈍麻した〈人間〉に背を向けている一人のヘンなやつわたしが
このような落語で自嘲してみたとお考え下さい。
お読み下さりありがとうございました。
(自称詩人ですみません。)
2022-08-18
音韻の遊びこころがおもしろかった。 (20:30)
2022-08-18
うげっというのがいいですね。 (落ちていく)
2022-08-18
僕のいるところはひとりじゃなかった。
よかった。 (しびれる)
2022-08-18
二人で映画をみにいってその映画の余韻に二人で
ひたれるときがあったなんて羨ましいし
すばらしいと思いました。
(映画の余韻)
2022-08-15
いい詩だと思いました。
実感がちゃんとこもった詩らしい骨格をもった詩で
それをなにか大放出という感じで、もったいないほどでした。
(?(ナツ))
2022-08-15
この詩をむつかしくしているのは
(愚鈍なわたしだけかもしれませんが)
三連目の解釈でしょうね。
これがわからないから未だにこの詩を理解できていない。 (夜を迎えて、星を望む)
2022-08-15
そういえることはすばらしいことです。 (幸せだ)
2022-08-15
トコトコということば、これ擬音というのですか、この言葉が個人的に
かわいくて好きです。 (トコトコと)
2022-08-15
なんのために咲くのか
だれのために咲くのか
わたしも考えたことがあります。 (グラジオラス)
2022-08-15
なるほどなあとおもいました。 (間際)
2022-08-15
誤記訂正。
二行目末尾。
くだれがありがたかった。←くださればありがたかった。
たいへん、失礼しました。
ラスト。
辛口に感想←辛口な感想
どうも失礼したしました。 (辛さ )
2022-08-15
詩ではなく批評文というからには
できればだれにもわかる基本的な文法で書いてくだれがありがたかった。
内容が、ではなく文体のてにをはが、そもそも支離滅裂で意味不明でした。
詩にはそのような支離滅裂で意味不明な文体の甘えも許されるでしょうが
(許されるどころかかえって魅力になることもあるでしょうが)
批評にそういう甘えが持ち込まれると批評の意味がなくなるのじゃないかと
そんな気がしました。
期待して読んだだけにすこしがっかりしたもので、辛口に感想、どうか
ご容赦。
(辛さ )
2022-08-15
決してあら捜しでいうのではありません。
わたしもサーフィンをやるものですから、基本的な言葉の間違いを
申し訳ないですが指摘させていただきます。すみません。気になるもので。
まずサーフィンは波にのるのではなくて(波にはどんなに才能があって
乗れません)うねりに乗るのです。
うねりがなければ波がいくらあっても乗れません。
よく「波乗り」といいますから投稿者さまが波と勘違いされても当然ですが。
それから引いたり満ちたりするのも波ではなく、それは潮つまり海全体が
満ちたり引いたりするのです。
サーフィンを愛するものとしてすこし気になったので申し訳ありませんが
指摘させていただきました。
(人と波)
2022-08-15
戦争を映画やゲームや小説でしから知らない世代が
戦争をそこからそのまま導いてイメージするとこういう描写になるということでしょう。
戦争を描くということはことほどさようにむつかしい。
ほんとうはひょっとすると戦争の真実のイメージとは戦車とか死者とか独裁者とか
そんなところにはないのじゃないかと思います。
そんなものをいくら丁寧に描いて、上塗りしてもなにも迫ってこないのじゃないかと。
おそらくもっと小さな、なんでもないことを描くことで
巨大な戦争のイメージが立ち上がり、読むものを震え上がらせることができる。
そんな気がして、そういうものを探しているわたしとしては参考になる詩でした。 (終わりの始まり)
2022-08-14
失礼。
団体という言い方をしたらすぐにピンと来てくださると思ったのですが
正確かつ厳密にいえば団体=共同幻想のことです。
ですから森川さまのいう「宗教」もやはり団体的な布教活動=教会や寺院(真宗〇〇派等)から敷衍されるので
共同幻想には間違いありません。共同幻想抜きの宗教(仏教)などありえません。
とくに日本の場合は仏教が伝来したときから国家が介在して国家資格のようなものになっています。
その点、タイなどのように個人がかってに自由意志で仏教徒になれる社会とは違います。
仏教が好きとおっしゃってもそれは純粋な仏教意識ではなく団体=共同幻想が敷衍した共同的な規範ですから
純粋な宗教(仏教)意識からは遠く離れたものだと考えられます。
(蓮如と岩)
2022-08-13
読ませていただきました。
わたしはキリスト教をはじめ、真宗であれ、なんであれ宗教"団体"にはいかがわしさしか
感じないという人間ですので蓮如と岩という対比にはまったく共感を覚えませんでした。
宗教"団体"がなければ戦争もなかったと思っているからです。
ただひとつ、マンガ的な新興宗教がありませすね。太陽の法だっけ、大川隆法とかいう人が
教祖でやっているなんとかいう団体。幸福の科学ですか。あれ、まったく信用できないだけに
逆に面白いし、新しい宗教のカタチじゃないかとひそかに思っています。
歌手の小川知子や、ファンであった小説家の景山民夫が信徒と聴いてなんで?と首をひねった
ものですが、最近になってなるほどなあ、宗教というものがなにか真実でなければならないとか
硬直した考えでとらえるのではなく宗教に対してもっと自由で自在な考えでいたのだなとわかるのです。
大川隆法本人もおそらくマンガ的なことをいってるのを自覚しているかもしれませんね。
信徒の方々は集まると前世は信長の家来だったとか、タンポポの毛だっとか楽しく語り合っているという。
それがほんとうかどうかが重要なのじゃない。そこにガチガチに固められた自己を放っているのでしょう。
本来、宗教とはそういうデタラメなマンガの世界に人を解放するものであって、キリスト教なんかは
ほとんど神経症の世界であって、ああいうものがあるから人間は死ぬまで裏切りや憎悪や戦争を繰り返すのだと
わたしは思っています。蓮如なんかもただの欲ボケ坊主の性欲異常者であって、わたしにとってその存在は
何の宗教的意味もありませんが
しかし投稿者さまが蓮如をなにか宗教的な存在として美化したいのならそれはそれで否定はしません。
ただ、本来の宗教とは、教義だの思想だの哲学に凝り固まったものではなくもっと自由で自在で遊びごころが詰まっていたもの
だとおもうのです。
そのおおらかさを失ったからキリスト以後のすべての宗教は人を殺すだけの愚劣な道具に成り下がったのじゃないかと
思っています。
長文の感想、まことに失礼しました。 (蓮如と岩)
2022-08-13
着眼点はいいと思いました。
雨に濡れている洗濯物をみてああ、おれみたいだ
わたしみたいだわと感慨を抱いている語り手の
怠惰な諦念の気持ちはわかるのですが
それからさきの展開がすこし平坦なような気がしました。
(洗濯物は乾かない)
2022-08-13
読ませて頂きましたが........
まことに失礼ながら最後の連が多分けつろんなのでしょうが
そうとうに大雑な感じがしてよく掴めませんでした。
偉そうな言い方になったら失礼ですが宗教論議というものは
「痛み」をもって近づかないと空疎な論議に陥るのではないでしょうか。
真宗のニ種回向なんていってもいまどきだれも信じないような気がします。
だけど人間は「痛み」を知ってはじめて他者の「痛み」がわかる存在になるという
言い方をすればそれはある真実をもっているような気がします。
もちろん親鸞は「痛み」をもって語っていましたから本人も浄土教のニ種回向なんて
信じてはいなかったでしょう。親鸞のニ種回向はおそらく現実の話です。
でなければあそこまで突き詰めた思想は生まれなかったとわたしは思っています。
メタバースの世界の唯一の欠点というか欠落は「痛み」がないことです。
その世界に人工的な「痛み」を作り出せればメタバースは現実と同じリアルなものに
なるでしょうが、参加者は果たしてそれに耐えられるか。
耐えられなければメタバースの世界も空疎なものでしかないでしょう。
いや、ここで宗教論議はしたくありませんので反論されても応答はできません。
わたし自身、極楽などあるとは思っていませんので。ただ、あるとすれば地獄だけがある。
その地獄から逃れたければ極楽をあきらめるしか無いと考える者ですので。
(メタバースと二種回向)
2022-08-13
巧すぎる。
いい詩というものは最初の一行て立ち上がってくる。
これが鉄則だ。
どしゃぶりの雨だったと書かれたものよりも
雨が降ったことがないと書かれたものから
雨のどしゃぶりが見えてくるように。
それにしてもなんと美しい情景か。なんと美しい
追憶か。
他の投稿者には失礼だがやっと詩らしい詩に出会えて
すこし、うれしい。
(耳鳴り)
2022-08-13
エイクピアさま、
拙文をお読みいただき心より御礼申し上げます。
おしゃるとおりだとおもいます。
(韓ドラをみながら)
2022-08-12
柳煙さん、わたしにとっても『力道山』は印象に残る作品でした。
主演の韓国俳優や韓国の監督の構成力もいいけど、竜鉄也や
萩原聖人の演技が秀逸でした。ずいぶん前の映画ですが韓国の表現芸術
あなどれないと初めて目が覚めた記念に残る映画です。 (韓ドラをみながら)
2022-08-12
わたしも自転車は好きですが、
"超でかい巨大な”ものはどうも苦手です。
残念ながら、そういうものにファンタジーもポエムも感じません。
なぜかというと「大きい自転車」程度ならまだしも
「超でかい巨大自転車」は人間の目には見えないからです。
「超でかい巨大自転車」を見るにはその自転車がはるか彼方に
遠ざからなかれば人間には見えません。
これはどういうことかというと
そういうものは本当に孤絶して孤独な人にしか見えないということです。
なぜならそれを見るためにはみずからそれから遠ざかるからです。
超でかい巨大自転車は
哀しきほんものの詩人として宿命を与えられたものにしか見えない。
そんなことはだれだって御免でしょうね。あの宮沢賢治だってごめんだ!と叫ぶでしょう。
そんなものを見られるからって詩人になんかなりたくないよ!凡人でいいと。
そういうものをファンタジーやポエムのイメージとはとらえられない。
わたしはクジラのことを考えるより、しらすの目や心臓や胃袋に
思いをこらすほうが好きな非常に心の非常に小さい人間だからなんでしょうね。
「超でかい巨大自転車」には不気味なものしか感じられませんでした。
あえていうと9.11もコロナ狂奏曲も安倍暗殺もそういうものです。人間には見えない
超でかい巨大な、ある、なにかです。
まことに申し訳ないです。しかしこのような発想はほんとうにある意味、
いまどきの人々がかなり追い込まれていることの左証のような気がして
なにかたまらない気がしました。
ほんの今一歩とどまって言葉というものを見直すときかもしれません。
(どうもビーレビ公式です。8月のお題詩は「超でかい巨大自転車」に決まりました。)
2022-08-11
わたしたちは不幸な時代に生きているものだなと感じました。
詩というものは実は本来、一人で練磨できるようなものではなく
批評という他者と一体になって成長ゆくものなのにいまはそれができない時代です。
批評というものが悪口とか非難のように受け取られる。批評の在り方自体に問題が
あるとしても、だれも批評に耐えられない。そこまで人間は追い込まれている。
この作者のように力強い原資を持つ方でも、天性のものは失われないとしても
感受性の繊細さが細分化されていかないで、むしろどんどん停滞しているように感じられました。
大変失礼な言い方ですが、野卑な田舎臭さのほうへ感性が停滞鈍麻している。
なにからなにまでどんどん無神経になっていっている。
現代詩フォーラムのようなところで長くかいているとこうなるのか、ほんとうに残念です。
この詩の場合、まず「君」の連打で肝心の内容が頭に入ってこない。
なにもここまで「君」を連打する必要があったのでしょうか? すべてを台無しにしている。
あと、ことばがどれも通俗的に狎れすぎています。
「一途なものを光らせた時の領域」なんて書いておられますが、
「一途なもの」なんてそんな主観的で一方的な美意識をもちこむときの手付き目つきに
もう少し配慮がほしいのです。ぼくの吐息に埋もれたなんかもそう、さらさら流れる砂もそう
しずんでいくしずんでいくもそうです。
かもめの音が空をえぐりだけは通俗から脱していますが。しかしこれは逆に不用意な気がします。
そして最後の極めつけ。
おもいは水平線に秋風と共に吸い込まれていった。これ、必要なんでしょうか。
こういう「最後っ屁」(『言語表現法講義』加藤典洋)をどうしてみなさん書きたくなるのか、
そこが興味深いところですが、
とはいえこの作者さまのマグマのように力強い詩人として原資にはいつも感心と感嘆の念を
禁じられません。それゆえにどうしても毎回素晴らしい作品を勝手に期待するこちらが問題なのでしょう。
素人が勝手な感想を長々と書きましたこと平にお詫び申し上げます。
(秋風)
2022-08-09
詩人なら下半身を選ぶのが筋じゃないでしょうか。
この散文がしめすものは私的な解釈としては「詩とはなにか」という問題としても扱えるような気がします。
あるいは想像力とはなにか。詩的想像力と他の分野の想像力との違いとは。そういうことを理解するための
一助になるのではないかと思いました。
とはいってもこの散文の趣意がわたしにはわかっているわけではありません。
あくまでも私的な解釈です。
たとえば下半身だけの彫刻をみたことがあるでしょうか。わたしは今のところありません。
しかし映画などでは車から降りるシーンに足だけ映す効果が頻繁に取り入れられている。
ワンパタの技術なのになぜかこの手法は観客に飽きられることがない。不滅の映画的レトリックです。
なぜかというと、足から上の人物は果たし何者か!? という想像力を観客にかきたてるからです。
最初から全身バーンと出ては面白くもなんともない。でも、映像とはそういうものです。
最初からバーンと材料が全部提供される。それが映画です。
想像力をかきたてるのではなく現物を押し付けられる。それが映像表現の一番前列にあるものです。
でも映画芸術のなかではこの、足だけみせる手法だけは詩や文芸の分野に属するレトリックだと
いえるのではないでしょうか。観客の想像力が映像表現に参加している。だから飽きがこない。
一度、筒井康隆という小説家が書いた、マンガをみたことがあります。ご先祖が筒井順慶だというので
その筒井順慶の関ケ原の戦いを描いたマンガだったのですが、
このマンガの主人公が最初から最後まで背中しかみせない。とうとう最後まで背中です。でも、非常に
なんというか面白かった。その向こう側に顔があるのですが、それをおそらくわたしは無意識に想像している。
言語芸術の世界と同じく読者も創造に参加している。そういう面白さ。
つまり言語というのは不完全で穴だらけだからむしろそれが読者を夢中にさせるのです。
下半身だけの彼女とはそういうものじゃないでしょうか。長文失礼いたしました。 (正直な木こりと泉の女神についての考察)
2022-08-03
ひとつのことばを書き記したあとで
すこし立ち止まり、ときには腰を下ろして
ぼんやりと沈思黙考する。
マヨネーズのチューブをひねるように押し出すのではなく
いそがないで
むしろ、出口のマヨネーズの頭の先をみてたたずむ、
そういう時間がほしいなとおもいました。 (一足の幸運)
2022-08-03
まざりたいという気持ちはわかりますが、
でも、ほんとうは
まざらないほうがいいでしょうね。
それはいずれわかるとおもいます。
だって、つまらんでしょ。
恋人だろうとなんだろうとみなが一色に染まるなんて。
でも若いときはまざりたいと思うのでしょうね。
(隔てられた青)
2022-08-03
戦争がはやく終わってほしい、コロナも終息してほしい気持ちは伝わってきました。
ただし、世界認識があまりに牧歌的でほとんど何の意味もない。
それがあるいは詩なのかもしれないとへんに感心したりするのでした。 (希望)
2022-08-03
いいとおもうけど、波の音が強すぎるような気がします。
その大きな音がすべてを台無しにしている。
波の音は聞こえるか聞こえないくらいにしないとだれも耳をかたむけて
波の音を聞こうとしないものです。
大事なものはひそかに指し示すほうが注視されるものです。
声の出し方ももう少し勉強したほうがいいような気がします。
ギターはこんなものでしょうね。
偉そうなことをいって申し訳ありません。聴く方からの得て勝手な注文でした。
ご容赦。
(二人の孤独)
2022-08-02
失礼。誤字です。訂正します。
ラストの一行。
悪くない気がしした。←悪くない気がしました。
場を濁して申し訳ございません。 (加水分解)
2022-08-01
こういう話題を一連、二連のような
どこにでもある素材を使って語る姿勢には好感がもてました。
でもラストの
Sustainability なんてたわごとを
誰が信じるものか
こういう思いをうまくことばにできないから詩は書かれるのに
最後にそれを締めくくりのように書いちゃったら、うん、それはどうなのかなと思う。
ここに投稿される方々の半分以上の方はなぜかラストの一行でつまずく方が多い。
初心の方もベテランの方も。執着とか我欲とかスケベ心を最後に捨てきれないとかいわないけど、どうしてかな。
でもわたしも接続可能性なんてキャンペーンはまったく意味不明でして
こういう短いかたちで異議申し立てがさらっと書かれているのは
悪くない気がしした。
(加水分解)
2022-08-01
前作が示されていたので読みましたが、前作はわたしにはちょっと敷居が高い。
よくわからなかった。しかし、これはなんとなくわかったような気がしました。
最後のほうの床に足がついたところから
井上陽水ならどんな曲をつくるだろう。
爪弾くような前奏曲で鼻歌のように歌い出だしはじめるような気がする。
♪尾ひれのように長いつま先を伸ばして
うなじをくすぐるから
ぼくは短い真昼のゆめから覚めた
高原のみずうみには霧がたちこめて
外界よりも三ヶ月はやい風が吹いている
ぼくたちは少し哀しい顔をして
赤トンボを追いにゆく,,,,,
そんな歌詞がふと湧いて出てきました。
この詩の読後感の余韻のおかげです。
(みなも)
2022-08-01
ラストの一行がどうなのかな。
もったいない気がしました。 (いつも)
2022-07-27
良いと思います。
ちょっと雑でムダなところもあるように感じましたが
哀しみの底にしずんでいく心模様を巧く絵にできていると思います。
偉そうなことをコメントすることになりましたがご容赦。
(水犀)
2022-07-25
これもわたしの分類でいえば「少年詩」というカテゴリーにはいるのかな。
わたしをみてという詩なんですが
ま、もともと詩とはわたしをみてなんですけども、違いはどう書くかなんでしょうね。
新鮮で無垢でじぶんを愛しじぶんをなにより大切にする方のじぶん愛がひしひしと
迫ってきます。こういうのは読むのにかなりの力を必要とするのですが
わたしのようなひねくれた人は少ないでしょうね。 (はるかさようなら、さようなら)
2022-07-24
仮の話ですが「少年詩」という分野がもしもあれば
これはそういうタグに入る詩なのかもしれません。
ぼくをみてという詩です。
わたしのような無駄に歳をくった人間からみるとうぎゃ~と
叫びながら転げ回るほど違和感を覚える詩ですが
少年詩を愛好する新鮮で無垢でじぶんを愛してじぶんを非常に大切にする方々からすると
こんなものかもしれません。
(雨空の下の蛙(再練習#3) )
2022-07-24
追記
失礼ながら
②と③はあまりピンときませんでした。
ただ、どうも傾向性として不用な末尾がある。
どうしても世間のほうを向いてしまってせっかくの詩を台無しに
している。②だってラストの大河的な一行がなければどれほど余韻が生まれたか。
③の末尾はややましだが、それでもこれはないほうがいい。
ここに投稿される方の多くは最後はどうしても世間のほうに顔を向けて大河に飲まれようとする。
それが詩を殺している
そういう方がほとんどだとシロウトのくせにそんなことを考えました。失礼。ご容赦。 (断片)
2022-07-21
①は東海林さだおの一コマ漫画のような軽さがあってよかった。
しかし、ラストの二行は不用。
『言語表現法講義』の加藤典洋ならこういうでしょう。
せっかく小川が大河を横切って行こうとしていたのに大河に飲まれてしまった。
どういうことかというと、切のいい、見栄えのいい(つまり大河)オチをつけたがる
傾向性にまけてしまって、小川のまま(つまり説明なしであるがままに)終わらせられなかった。
でも、この詩の語り口はひょうひょうとしていい。ウソがない。
シロウトの感想です。失礼致しました。 (断片)
2022-07-21
う~ん、これもまたむつかしい詩ですね。
朝の手を握りしめるという斬新な表現がありますが......
やや唐突すぎて素直につかめない。前段に必要な何かがすっぽ抜かされているような気がしました。
(水を)冷たくすすったというあまり見受けない表現もすぐには、とっかかりがなかった。
つまり一連では表現だけが関係性を抜きに突出しているような感じでした。ほんとうはこの逆のほうが
詩にとっては美しいのじゃないかと思う。つまり表現はふつうすぎるほどふつうなのにそれが示すものが
なにかしら突出して見える技法のようなもののほうがむつかしいし、はるかにうつくしいのじゃないかと。
ラストの「彼誰時に」もそう。語音の響きはうつくしいし謎めいた印象のフレーズですが、ほんとうはあたりまえに
「夕暮れ時に」と書いてあとの「振り返るのは.......云々」のほうがじつはずっときれいだとおもいます。
大事なのは言葉上の奇抜さや意外さではなく、ふつうのことばで語られる奇抜で意外なうつくしい世界だと思いました。
シロウトが偉そうな感想を書き、申し訳ありません。また、だれから「噛みつきガメ」といわれそうですが
わたしはわたしなりにこの詩を読んで上記のごとく様々な発見や勉強をさせていただいております。ご容赦。
(そして、夜までの歌を)
2022-07-21
う~ん、もうひとつ焦点がぼんやりとして定まらない読後感でした。
そも一連は果たしてなにか書かれなければならないものがあるかというとあまりよくわからなかった。
照り返しの陽光みたいな白い自販機がみえるということですがおそらく語り手の無為な気分を
象徴しているのでしょうか。
子犬を部屋に置き去りにして旅に出るというロマンチなイメージに心を酔わせているのはわかります。
それにしてもだれを気にしているのか。
なんて/なんてね/なんて
という自らの傷心?に自らすこしばかり恥じ入る合いの手も入るのがちょっと気になりました。
こういう詩はむつかしいですね。 (夢の犬)
2022-07-21
自由美学さま、お読み下さりありがとうございます。 (ねあ、さろとさる )
2022-07-20
深尾貞一郎さま お読み下さりありがとうございます。 (ねあ、さろとさる )
2022-07-20
読ませていただきました。
難解な詩なので、いや、それほどそうでもないですが
シロウトが詩を読むとどんな感想になるものか参考にまでとおもいましてコメントさせていただきます。
これはもう冒頭に書かれたとおり、
「涙で浮上した水平線のうえへ、.......確信を、いま一度深めてみよう」という詩ですが、じぶんの意識世界というか
美的な詩的世界の確認が同時に社会批評というか文明批評にもなっているというふうに感じました。
世界がほろんだ最後の日というのがいつだったのか、わたしはいわれてそういえば滅んでる!よと気がついたぼんくらですが
なんか滅んでしまったあとのほうがのんびりしているような雰囲気が少しうらやましい感性だなと感じました。
(水平線)
2022-07-17
失礼します。
読ませていただきました。
難解な詩なので理解できたかどうかわかりませんが、わたしのような
あまり詩がよくわかってない一般のシロウトはこんなことを考えているんだと参考になればとおもいます。
詩ってのは少なくとも「この」「わたし」のことばを紡ぐ機会だとおもうんです。
ところがここに投稿される多くの方々は平然と「君」ということばをつかう。
「この、じぶん」が関心を持つ特別な相手の呼称をみなが使う「君」でいいのかなと
以前から疑問に思っていました。
なにいってやがるあんただって「わたし」だの「ぼく」だのと使うじゃねえか。
「君」のどこが不服なんだよといわれる方がいるかもしれない。
でも基本わたしは「君」ということばの詩が出てきたら読まないことが多いです。
理由はその人はたぶんだれかに恋しているのじゃなく恋する物語を欲しているだけなんだとおもうからです。
アニメの世界の物語を語ることはそれはそれでとっても素晴らしいことだとおもいます。
要するに好き嫌いだけのはなしなんですが、「君」という呼称が出てくると、何故か、あ、アニメだなと
わたしは思い、歳をくった穢れたわたしにはとてもうつくしすぎて敬遠してしまいます。
でもこの詩は「君」という呼称をつかったアニメ風の詩ですが、
粒あん/という愛らしい発想やラストのゴミを捨てないでほしい。/という切れ味のある余韻に
なにか清らかなものを感じました。私利滅裂な感想でごめんなさい。失礼したしました。
これからもご活躍お祈りしております。 (痛みの中の粒あん)
2022-07-17
失礼します。
読ませていただきました。
知能の貧しいわたしには読み解くことはむつかしかった。
わたしが死んだら
すぐに救ってあげる
とか
その愚かゆえ何をしても倒されない、
私でありたい
とかいったフレーズは親鸞仏教の影響なんでしょうけど
もしそうだとすればあまりにも露骨という言い方は失礼ですが
詩としては咀嚼消化肉化されていないことばのようにおもえました。
多くの方は語解されているようですがじぶんを探究したいなら
じぶんをどこまで探ってもじぶんなど見つからない。
ここに投稿される方はみなさんそろってじぶんをみつめておられるが
じぶんをみつめ、じぶんを観たいなら外をみないきゃいけないのですが
だれも外をみようとしない。
じぶんとは外があつまって出来たその境界線の輪郭なんですが、
そのこともおわかりにならないようだ。作者さまのことではないですよ、
一般論ですがこれを読んでそんなことをふと考えました。 (Love)
2022-07-17
読ませていただきました。
「カビの生えたコッペパンのような色」という比喩.....いや、形容なのかな、どちらでもいいのですが
この表現がなかなかおもしろかった。
最初、山の木々の枝葉の尖端と書かれていたから目の悪いわたしは雲がカビの生えたコッペパンのように
と読んでしまい、なんと素晴らしいと目が覚めたようにみてしまい、なんだ木の葉のことかと少し落胆しました。
昭和の"よき時代"へのノスタルジアが全文に満ちています。そのノスタルジアの中核である"グリア"を示そうと表現を駆使されて
おられますがどうなんでしょう。もっと形容や表現を抑えたほうが鮮烈だったかもしれないですね。シロウトの感想ですが。
このようなちょっとマイナスっぽい感想ひとつ付けても「噛みつきガメ」などといわれるのでもうコメントはしないつもりでしたが
なんかこれおもしろいのでついコメントやってしまいました。ご容赦。 (グリア)
2022-07-16
なんかよくわからないけど、
とにかく読みました。 (過ぎ去った)
2022-07-15
読ませていただきました。
こういう人生観、人間観はわたしにはないものです。
だれであれみな人生を精一杯生きてるんじゃないでしょうか。
わたしはその結果、へんな癖がついた人でも嫌いじゃないし、むしろ好きだな。
ほんとうに精一杯生きていたら癖のない人間なんてありえない。
そういう御仁とはかかわりたくないような気がします。
なんか反論めいたことをいってしまいました、わたしも人生を精一杯生きてない
ヘンな人間なんでしょうね。お許し下さい。 (ちょっとした不快さ)
2022-07-14
こんな感想は作者さまにほんとうに失礼だし、
お怒りになるかもしれませんが
率直バカなわたしに免じてどうかお許し願いたいとぞんじます。
ひとことでいいますと、
ほんとうに失礼で、申し訳ないのですが、
面白くもなんともなかったです。
それなら感想など書くこともない、いつも関心をもてない作品に
対するように
スルーすればいいのですが、
人生哲学というか仏教思想なのか
あちらこちらに
なんとなくそれらしきものを感じさせることばが
散りばめられている。
たとえば
試験も
省略された結果になる・・・
何の試験か
人としての試験だよ
人としての試験! そんなおぞましい試験などまっぴら御免だけど
人としての試験に合格したら偉いのだろうか?
そんな人間もまっぴら御免、まったく関わり合いたくない。
もっとも、人としてデタラメな自称他称サヨクリベラルなんかもっと嫌だけど
人としての試験! に合格した人間も同じくらいいやだ。
正直、人間なんてのは見知らぬ他人が生きようが死のうが知ったことじゃないのです。
これが詩の原則1です。
ただし、詩の原則1に照らせば、その逆も真なり。ゆえに自分のことだけを書いていれば
いいのだともいえる。
そのとき、つまり自分のことを書くとは「自分のことを書く」ことが自分の
ことを書くことだろうか。
他者にしか関心がなく他者のことばかり書いているわたしは
じぶんのことを書いていないといえるのかといわれれば、う~と考え込む。
むつかしい問題ですが、こういうことを考えるきっかけになったということで
この作品はコメントする価値があったと、うん、わたしには思われます。
(夏のポートレート)
2022-07-14
読ませて頂きました。
まあ、なんというか
たぶん、そのライターは百均で
携帯灰皿も百均で
物騒な事件にかかわった人たちも百均じゃなかったのかな。
いや、べつに作者さまのハンドルネームを揶揄しているわけじゃありません。
「百均」という語がふと目についたので、すぐに、ああそういえば
あの警備の連中も、要人警護の初歩の初歩、幼稚園児でもわかる
背後を警戒しろをやってなかった。そして、言い訳が「まさか拳銃をもった男がこの国で......」
それなら要人警護いらねえだろ。笑
なんという、おままごとの国にっぽん。人間もなにもかもが百均だ。
そんなことを考えました。
この詩の語り手(作中主人公)についてはべつに嫌悪も同情も覚えません。
おままごとにっぽんが大量生産した「今だけカネだけ自分だけ」という人種の
変形した一精神形態ではないかとおもっています。
(感触)
2022-07-14
わたしは作者の心情や思想哲学にはあまり興味がなくて詩は
書き方にしか関心がないのだけど
うまいへたは別としてこういう書き方には個人的にもう倦んでいる感じですね。
ほんとうに失礼ですし、御本人はたのしんで書かれていることはわかるのに
へたな感想をつけてしまってどうかお許しください。
そうですね、二十年くらい前なら新鮮に読めたかもしれません。
お前書けるのかと問われればとてもこのレベルの詩は書けないのに
偉そうにほんとうにすみません。 (よく晴れた日のこと)
2022-07-13
こんにちわ。
批評対象の作品を先に読ませていただきました。
うつくしく倫理的なことばが散りばめられた格調高い詩でした。
その対象作品の批評からは離れるのですが「幸福」とか「永遠」とか「不幸」とか「愛」とか、
そういう、聡い人間があとから作り出した抽象的なことば=観念語がもつ落とし穴について
ちょっと雑話しておきたいとおもいます。
デカルトは方法序説だったかのなかで「すべてを疑え」といった。だけどデカルトすらも
じぶんがいま使っていることばを疑うことはしなかった。でも疑うべきでしたねデカルトは。
たとえば「幸福」という単語。これはよく考えてみるとこの観念語自体が間違っているし、そもそも
リアルな現実にはありえないことばです。
仮に「幸福」が永遠に続いたと仮定します。その状態ははたして幸福だろうかと考えてみると
ぜんぜん幸福じゃない。幸福であるはずがない。だって永遠につづく幸福は幸福と感じることができないからです。
ひとがある瞬間に「ああ、しあわせだ」と感じるのは幸福とは対局にある「不幸」があるからです。
幸福だけが存在しそれが永遠につづいたとすればわたしたちは幸福を感じることはできない。
そういう仕組になっている。
これを一般化すればつまりこういうことです。幸福とは不幸の別名である。
つまりわたしたちは不幸があるから幸福になれるのです。
これはわたしが一時、大金を手に入れて好き放題に使った経験からいうのですが、
巨万の富をもつ大富豪というのは、じつはその心の具合はとても不幸なんです。
逆に貧困の極地にいる貧乏人はちょっとのことで幸福になれる。
神が与えしその機微にだれも気がつかないから、貧乏人はいつまでもじぶんを不幸だと思い込み
大富豪はほんとうは不幸なくせにじぶんがなにか幸福だと錯覚している。
これは「幸福」という観念語だけではなく、たとえば「永遠」という言葉などにもあてはまります。
「永遠なんてなかった」という詩がありましたが、先の「幸福」という観念語と同じく落とし穴があります。
永遠が続いたらそれをどうやって「永遠」と自覚できるのか。笑 自覚するには「永遠」でないものが必要になる。
つまり「永遠なんてなかった」などとほざいている場合ではなくもともと永遠なんかないのです。
永遠とは一瞬の別名です。そういうことをもしデカルトが気づいていたら、もっと有名になれたのになあ、惜しいなあと
わたしなどは思っています。
また「愛」という観念語にもこれはあてはまりますが、このへんにしておきます。
なにが言いたかったかというとわたしたちは不幸で貧乏でも、じつはそれはたいへん素晴らしいことなんだということです。
あんまり貧乏だと医者にもかかれず大変なことになりますが、それは社会運動家にまかせるとして心の問題としては
じつは全然問題じゃないというのがわたしのほんとうの考えです。
偉そうなたわごとを書き散らし、まことに失礼しました。
(朝顔)
2022-07-13
読ませて頂きました。
う~ん。率直な感想ですが、それが作者さまを不快にさせるようでしたら先にあやまっておきます。
どうせろくな詩も書けないこのわたしの個人的な感想なので歯牙にもかけないでほしいのですが、
まず、タイトルの語呂がちょっと悪いような気がしました。「むしおくり」.....せっかく格調高い詩なのに
ちょっともったいないなとおもいました。
おそらく作者さまもこのタイトルですこし思案をめぐらされたのではないか。そうでないなら謝ります。
次に本文ですが
たしかに巧く彫刻されているが、たましいは入っていない。信仰心のない仏師が見よう見まねで荘厳な仏像を彫ったような
そんな気がしました。すべてなんらかの経典の一節のようで、うつくしい文言が散りばめれられているのですが
なぜだろうか、まったくこち側に届いてこない。
おそらく作者さまはこういう詩の文言は目をつむっていてもさらさらと書けるのではないでしょうか。うらやましい。
わたしにはとても書けないことばですが、でも、仮に書けたとしてもわたしは書くことに躊躇する。
なぜかというとあまりにもうつくしくて倫理的だからわたしには書けない。書けばウソになる。
わたしは追う者であり追われる者
まるで聖書の一節のようなうつくしい言葉です。でも、ほんとうにそう思っているのでしょうか。
ほんとうに追われる者とはどんな者であるかわかっているのでしょうか。あるいは
追う者とはどんな者であるか。ドラマや小説で想像できるイメージではあるけど、なにかしら
あまりにもわたしには出来合いのうつくしい倫理のことばのようにおもえてなりませんでした。
これはわたしの想像ですが何か感動するような本か映画を最近見られたのではないでしょうか。
その高揚した気持ちを、手慣れた手腕で書かれたのではないかと愚考しました。間違っていたら今のうちにあやまっておきます。
辛口というか無能者のかってな放言、失礼しました。どうかお許しください。 (虫送り)
2022-07-13
テレビから日々流されるデマをまったく信じているわけではないでしょうけど
みているとどうしても知らないうちに洗脳されるものでしょうね。
マスゴミを操る米国ネオコンの思惑どおりのお話になっているような気がしました。
もっと陰謀論をおもしろく読むことをおすすめしたい。
あんまりひどい陰謀論はだめですがそうでないものは傾聴に値する。
マスゴミに洗脳された頭を洗い流すにはそういうことも必要かなと思っています。
(殺害)
2022-07-13
初恋が一瞬しゅわっと泡だち
あざやかな赤を残して消えていく
その赤は喪失の傷口からでた一滴の血の色だろうか
.......なんてことを想いました。
(炭酸に、口紅)
2022-07-12
まことに申し訳ないです。
えんどう豆なら知っていますが寡聞にして遠藤周作は知りません。
ただ、一作だけ『わたしが・棄てた・女』はめずらしく衒学趣味や知的キリストファッションから
逃れたリアルな真情からでたものだと理解しています。
ほかはだめです。キリスト教徒ならキリストをふりまわしていちいちキリスト教徒を言葉に出しちゃいけないよう
な気がします。前にもいいましたよね、断食をするときは断食しているぞというような哀しい顔を
してはいけない、という聖書の文言。
知的粉飾が好きな方々にはそういう倫理意識がなさすぎるとおもいますね。
さて、おさわがせしました。これにてわたしのほうは終了します。遠藤周作のような第三の新人と
呼ばれた書き手たちは戦争をくぐり抜けてきているので今のわたしたちが一見、かんたんに理解して
しまいがちですが、底にあるものはやくざな感性と超越性への願望との入り交ざった複雑な心境でしょう。
それをいまどきのわたしたちが理解したように錯覚するのもなんだと思いますがね。 (中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様)
2022-07-12
いまどき地上に核兵器(ミサイル?)を配備するなど原始時代の発想です。笑
そんなもの何の意味もありません。だから日本がもし核武装するなら沖縄だろうが本州だろうが
地上に核ミサイルを配備するような意味のないことはしないでしょう。
現在、実質的に核抑止力をもつ核兵器はミサイル搭載原子力潜水艦しかありません。しかもただの
一隻あればそれで十分に中国ロシア米国に対抗できます。
かといえども、日本が核をもてば確実に世界で初の核戦争実験場になるでしょう。
米国も中国もそれを狙っています。
そもそも核などという発想はもう時代遅れ。日本はレーザー兵器に注力を注いでいます。
レーザーは飛んできた核ミサイルを一瞬にして、しかも、実際には飛ぶ前からの段階で溶かしてしまう能力がある。
これは核に限らず戦闘機だろうが戦車だろうがそうです。それにはとてつもない電力が必要ですが、
世界でももっとも研究が進んでいるのは日本です。レーザー兵器が実用化すれば世界のミサイルは意味をなくします。
その日が早く来ることを祈っています。
(投票)
2022-07-12
とてもいい生活詩だと思います。
軽妙な表現のうらに切実さが滲んでいます。
うんどうだあ? おれって凄いだろ、知的だろと迂遠におのれの知性を
ふりまわすような詩はいやなんです。
ほっとします。 (心の隙)
2022-07-12
乳(ちち)論
「母には二たびあひたれども父には一度もあはず」
(『後奈良院御撰何曾(ごならいんぎょせんなぞ)』)
奈良時代のなぞなぞですが
答えは「くちびる」となっています。なぜ唇なのか。
説明はない。
とはいえ一応、これを正解にしておこうというようなものは出ています。
昔は母(はは)を母(ふぁふぁ)と発音しており、上唇と下唇は二度触れ合います。
一方、父(ちち)の発声は唇が開いたままです。
だからなぞなぞの答えは「くちびる」であるとされている。
しかし新村出『波行軽唇音沿革考』によれば母はもともと(ぱぱ)と発音されていたらしい。
それが(ふぁふぁ)になり、最後に(はは)に落ち着いたという。
奈良時代にどんな発音がされていたのか、ほんとうはわからないような気がする。
もっと不思議なのが母の象徴とでもいうべき乳の発声が(ちち=父)であることです。
これについては吉本隆明の『母型論』だったかに目のうろこが落ちるような解説があった。
「乳(ちち)」とはもともと男性器から恍惚時に放出される白濁の液体のことであるというのである。
未開人の心のなかでは男性器から放出される白濁の液と乳首から放出される白濁の液が同じものとして認識されていたのではないか。
つまり乳首と男性器は器官としては同じものとして意識されていた。だから乳首から出る白濁液を(ちち=父)といった。
その無意識の名残が現代にも残っている。
なかなかおもしろい洞察であるとおもった。
女性がなぜ男性器を吸引するか。深層心理としては、それは授乳行為の代弁なのである、という。
ここから吉本独特の壮大な世界が展開する。サスペンスドラマより面白い知的興奮を請け合いますが、さて
ホモセクシャルの原因もじつはこの心理意識の倒錯から起きているのではないか。とはいえその原因を探るには一歳以前から胎児までの、言語以前の「内コミニケーション」の世界に踏み込まなければならない。至難の技である。
はなしはとびにとびますが、
上記のなぞなぞを考えた場合、わたしたちはまず幼児期に母の乳に触れ、結婚してからは妻の乳にふれる。
そういうこともなぞなぞの、くちびるが二度会うといいう解答の説明になるような気がしている。
(B-REVIEW 7月のお題詩「ミルキーウェイ」)
2022-07-12
真清水るるさま ほんとにすみません。
小説や詩と違って、動画ってちょっとした修正にもめちゃくちゃ時間かかるんですよ。
それにかかわるすべてをやり直さなければならないところもあります。
でも、関心をもってくださって感謝です。
かならず全編をやりとげて公開したいと願っていますが、とうぶん映像のほうは
休みたい心境です。すみません。
(ほぼ3D無声アニメ 『しずくの冒険』 えぴそーど1)
2022-07-12
いすきさま、返信が遅れまして申し訳ありません。
この動画をやりはじめてから知らないうちに根をつめていたいのと
座りっぱなしがつづいたことで笑 ほんとうに体調も神経も疲弊の極限になっちゃいまして、
ちょっと戻るまでじぶんのものでありながらしばらく見たくもなくて......
ひとりであってもいつきさんのような方が見てくださるようですから励みになります。
わたしはやりだすと全身全霊を傾けるという悪弊があり、それで身体を壊し、逆に仕事を停滞させる。
おそらく年末になると思いますが、ゆっくりとマイペースでやり、修正編と続編を一挙に公開したいと願っています。
稚拙な作品に目をとめて下さりありがとうございました。 (ほぼ3D無声アニメ 『しずくの冒険』 えぴそーど1)
2022-07-12
短くて嫌味のない、いい詩だと思います。
タナバタ(七夕)じゃなくタナボタ(棚からぼたもち)のほうが
いいなと考えていたところ
この詩にあんころ餅とあったので
ちょっとおかしかった。
たしかにすべてはシークレットなんだけど幸福という幻想について
考えることをやめれば気楽になれるような気はします。
(シークレット)
2022-07-12
訂正
上から9行目
もうあまり余命のない亀井が老妻を床にひざまずかせ、 頭を垂れた老いて痩せた老妻の頭をこぶして叩いてという。
↓
もうあまり余命のない亀井が、老妻を床にひざまずかせ、 頭を垂れた老いて痩せた老妻の頭をこぶして叩いていたという。
失礼致しました。
(中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様)
2022-07-11
亀井勝一郎が神社仏閣巡りをしていましたね。
本人はそれをなぜか仏教思想と関係があるように思い込み、また、語ってもいた。
そんなものは遊園地や温泉、ゲームセンターへ行くのと何のかわりもないものなのに、どうして
なにか知的なもののように錯覚してしまうのか、
神社仏閣や仏像を見に行くことが仏教思想と関わるとどうして考えるのか、不思議な人だと思っていた。
実際、この方は宗教思想とはまったく真逆の非常に俗世的で、ある意味矮小で、わたしからみれば卑屈で
卑劣な人間として晩年を閉じた。
わたしは文学的人間だからそういう人間が嫌いじゃないし、そういう己の卑しい人間性と格闘してあがいている人は
大好きだが、亀井は残念なことに欺瞞の人だった。仏像ごときを眺めているからといって仏教思想などとは
まったく関係がないことを悟っていれば晩年のあんな文学的で人間臭い終わり方はしなかっただろうと思う。
小説家の渡辺淳一は元医者で晩年癌にかかった亀井勝一郎を医局で担当していたころのことを書いている。
あるとき妙な気配を感じて亀井の病室の扉を少し開くと、もうあまり余命のない亀井が老妻を床にひざまずかせ、
頭を垂れた老いて痩せた老妻の頭をこぶして叩いてという。
老妻は抵抗もせず、ただ黙ってうなだれて亀井の殴るにまかせていた。
先に逝くことがどうしても納得出来ないのか、あるいは無念なのか、それは知らない。
しかしさんざん苦労をかけて、背も丸く小さくなってしまった老妻を地べたに座らせてその頭をしつこく叩き続けるなど
あってはいけないことだ。
渡辺はみてはいけない夫婦の秘密の営みをみたかのようにあわてて扉をしめてそこから去ったという。
渡辺の記載によれば亀井が死ぬまでこういうことが陰陰滅滅と続けられた。
ある意味、非常に人間的で嫌いじゃない。しかし、わたしなら絶対にあとに残してゆく老いた妻を毎日のように
いじめ倒すなどということはしない。
だいたい何が仏像だ、仏教思想だ。ばかばかしい。人生相談を書いたり、仏教思想に精通したような書物を書くのはいい。
しかし本人は死についてつきつめて考えたこともなかったのか。散々遊び歩いて仏像をみているあいだ妻はどれほど
孤独に耐えて働いていたかこの出来事だけで十分わかる。
わたしだって死は怖いし、動転する。しかしもし仮にも宗教文学者みたいなことをいってるのならちたあ精神を洗って
おけよといいたい。所詮、仏像がどうのこうのなんていう御仁はこの程度なのかという印象をもった。
ま、あの親鸞ですら臨終の間際には暴れたという記録もあるそうな。東本願寺の僧侶養成学院 大谷専修学院の
竹中智秀先生からそんなことを聞いた。だからべつに死の間際に取り乱してもいいだろう。
しかし老妻をひざまずかせて毎日のようにいじめるなど、仏教思想がまったく身についてなかったのじゃなかろうか。
わたしはそれ以来、仏像なんかを観ることになにか宗教的な意味合いをつけようとする人に用心するようになった。
仏像見物をなにか知的なもののように思いこんでいる人は、もう少し自分に気をつけたほうがいい。そう思っています。
(中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様)
2022-07-11
美品などの費用に150万ほどかかりました。
高性能PC、二台の並列42インチディスプレー、3dcgソフト色々。
それから3Dフィギアやモデルなど。それより大変なのは一人でこの作業を
やることの気の遠くなるような精密動作。根をつめすぎてすこし身体も精神もおかしくなるほど。
やはり映像というのはお金がかかるだけでなく作業も膨大なものが必要だと勉強になりました。
このサイトの可能性を少しでも広げたかったのですがあまり皆様関心もないし評価もされていないので
悪魔的な疲労をもう一度ということにはどうも耐えられないし、
カネ食い仕事である続編はやめます。笑 みなさまが関心をもてるような
また別の試みに挑戦してみたいものです。それにしてもみなさん、ほんとうに冒険に関心がないのですね。笑
人生は冒険ですよ。それがない生活なんて考えただけでも.......死んでいるのと同じだ。
(ほぼ3D無声アニメ 『しずくの冒険』 えぴそーど1)
2022-07-10
活動自粛をするつもりでしたが、よく考えてみると
議論するなとコメントできるなら、その前に作品を読んでくださった皆様に
ひとことコメントできるはずだと思いましてね。
それをしないでいきなり議論をするなというのならそれはただのわがままですよ。
もちろん、作者が議論するなというのなら、勿論それに従いますが、でもこんなわがままのために
自粛までする必要はないと思い直していたところでした。
それにしてもここはコメント者にいきなり命令する方が多い。さんざん勝手な命令をされたし、
あるいは「なんでもこんなもの書くのか」と
「書くな」とすら何度も要求された。子どもじゃあるまいし、身勝手で幼稚な方々が多すぎる。
あるいはほんとうに子どもたちが投稿しているのかもしれないから、わたしごときが
顔をだすのは場違いかもしれない。ひと月ばかり考えてみます。
(ザザザ)
2022-07-10
自粛期間ですが、いちおう今月いっぱい投稿もコメントもやりません。
ただ、わたしはこの詩がいいと思ってコメントしているのですから
その行為を否定されたようなコメントには言い返す権利があると思うのですがね。
ここは反論や批評の自由すらないのでしょうかね。そんなことをちらっと思いました。
まあ、ご自分の作品を周囲で議論されるのが苦痛に感じられるのでしょう。
いずれにせよ、今後はいっさい尾崎チョコレートさまの投稿にはコメントを控えます。
どうかご容赦ください。これで不満なら運営のほうへどうぞ。
(ザザザ)
2022-07-10
尾崎チョコレートさま、まことに申し訳ありません。
今後、このサイトへの投稿書き込み一切を自粛致します。
(ザザザ)
2022-07-09
作者は宗教などという言葉を持ち出しているようですが
信仰とか仏像とか仏教とかちゃんと思想や哲学として自覚されているのでしょうか?
弥勒菩薩や如意輪観世音菩薩などというものは当時としては権力者の富と権威の象徴であり
迷信と呪術の具現化したものであったわけです。
もちろんそんなものは大衆庶民に拝めるはずもなく、宗教思想としては蒙昧の極地にあった。
ただしそのようなものでも時がたてば美術的価値をもつにいたる。権力者に命令されて仏像を彫った
仏師に信仰があったかというとそれは眉唾であってむしろ美的な感性を追求したのだろうとおもわれる。
要するに仏像なるものに親和性を抱くのはそれがもつ権力と絶対性への無意識なるあこがれであり、
大衆がそのような荘厳さにある種の畏れを抱くのも権力者が仏像に意図したものであった。
要するに仏像と仏教思想には直接的な関連性など皆無である。だからこそ大乗仏教の最後の体現者であった
親鸞は仏像や寺院を否定して念仏を声明することだけに仏教思想の極限を見出した。
とまあ、こんなことはどうでもいいのですが、
この詩の書き手は冒頭、手を切り落とすと語っている。
要するにこんな精神状態は「きちがい」なわけでしょ。尋常な話ではない。ところが語りては突然、
なぜか宗教に縋ってみたくなると方向転換する。それも突然明るく。
要するに「手を切り落とす」という前段は、ある種の知的な雰囲気つくりのための道具立てであったということが
なにか白々しく明らかになる。
冒頭に書いたように如意輪観世音菩薩も弥勒菩薩も
とりあえずは先祖みんなを内包したようなあなたの姿
なんかじゃないのです。冗談じゃないですよ。権力者の意図を体現してつくられた呪術的仏像に
わたしたちの先祖が内包されてたまるものですか。笑
仏教思想的にいえばまったくそんなことはありえない。仏教が比叡の山頂から大衆のもとへ降りてきたのは
法然以後です。その弟子で本願思想を敷衍した親鸞をもってはじめてわたしたちの先祖が内包される仏教が生まれた。
まことに申し訳ないですが、かずやさまに特徴的な衒学趣味と知的趣味が冒頭の道具立てとともに
混ぜてつくりだされた、なんとも妙なる自分語りであると受け取りました。 (中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様)
2022-07-09
かずやさま、長文のご返信おそれ入ります。
ただ、ですね、
わたしがジャーナリストだったらたとえどんなに無知や好奇心だけで学生たちがパレスチナ問題を語っていようと
「なんであれ関心をもつことは素晴らしいことだし大事なこと。それだけで現地の人たちの救いになる。
これからもがんばってください」とそう励ましますがね。あなたの出会ったジャーナリストは紛争地域にそそがれる一つの関心の目を
傲慢にも摘んでしまった。これではジャーナリスト失格ですよ。
恥ずかしくないのかな、ほんとうに腹が立つ。
まあそんなことはいいとしても、
以上を踏まえて誰かの悲しみを思いやった時、それを自分が語ること表現することをどうしても良いことだと思えないのです。
これ、どこからどのように論理的に導き出されてきた結論なのでしょうか。
「以上をふまえて」という文言が入っていますが
冒頭で告白されたように自分の愚劣さを自覚なさって自分が間違っていたと思うのなら「以上を踏まえて」ではなく前言訂正すべきだし、
間違っていないのなら反論すべきですが自覚されていますでしょうか。
いや、それはとりあえず脇に置いておくとしても、この文言自体を単独に検証しても支離滅裂ではないでしょうか?
誰かの悲しみを思いやった時、それを自分が語ること表現することをどうしても良いことだと思えないのです。
もしこんな倫理が正しいことのようにまかり通ったら世界中の悲劇はだれの目にも耳にもいっさい入らなくなるじゃないですか。
それでいいのですか。
パレスチナの人たちの苦しみなんかわたしたちが身体的に理解なんかできるはずがない。頭でっかちに議論しているだけなんて
それは彼らに対する冒涜だ。だから議論するのはやめよう。そんなばかな話がありますか。
学生たちの頭でっかちな空論でも言葉としてはパレスチナを示している。それが大事なことではないでしょうか?
だれかの悲しみを思いやったときはむしろ黙っているべきだという意見はかずやさまに見えている世界が残念ながら単層で、かつ膠着しているからです。
安倍暗殺は文学や恋愛の世界の問題じゃないでしょ?
政治、経済、社会にまたがる問題なんですよ? 文学、恋愛、政治というそれぞれの異なった構造をなにからなにまでごっちゃにしてませんか?
安倍晋三氏の奥様や家族の話なら、かずやさまの言い方もなりたちますが、ここ、そういう話しているわけではないし
そういう詩でもないでしょ?
いったいどのような経緯から上記のような文言がまるであらかじめ用意されたようにかずやさまから出てきたのか、
だいだいわかりますがそれはあえて解説しません。
もう少しごじぶんを対象化して冷静に観察することができるようであればいいのですが。人様のところへコメントに来ていきなり
どうしてこんなことを書くのか理解できないなどという文言を吐くなど、これほど失礼な話はない。
おそらく私的な交わりにおける問題と政治的な問題をごっちゃに論じてしまっているのでしょうけど
問題はかずやさまがそれを言いたかったからコメントしたことにある。
おれはこんなに知的で人間的なんだということを知らしめたかったのが本心では?
もう少し身の回りのチリを落として軽くなられてはどうかと再度、お願い申し上げます。
(ザザザ)
2022-07-09
失礼ながら
誤解をさけるために、かずやさまのいう「パレスチナ云々」がどれほど場違いな話であるか
説明させていただきます。申し訳ありません、行きがかり上仕方ないので説明を。
えーと、まず、かずやさまのいう操觚者? ジャーナリストですか、この者のいうことは
わたしにいわせれば世間知らずなおぼっちゃまのたわごとです。
自称ジャーナリストだろうが、あるいは新聞社に在籍していようが
こんなやつはジャーナリストでもなんでもない。ジャーナリストだったら下々の大衆の気持ちを
少しでも理解しろよといいたい。おそらく知識だけで生きてきた御仁なのでしょう。
まずパレスチナの底辺に生活する人々にとって何が一番怖ろしいことか。孤独や不安に襲われることであるかというと
じぶんたちの存在、生活、環境を世界から閉ざされること、だれにも語られないことです。
極東の片隅の一人の学生がパレスチナの問題を語ることはそれがかれらをちゃんと理解できてない上で
弄んでいるとそのジャーナリストが非難しようと玩具だろうとなんだろうと大歓迎です。
一番怖いことはかれらの存在をだれも知らなくなることでしょう。ならばどんな議論であれなんであれ
パレスチナの知識人ではなく生活者はこの現状を少しでも多くのひとに語ってもらいたい=知っていてほしいに決まっている。
それをかずやさまのいう操觚者?は「君たちのおもちゃになる彼らの気持ちも考えてやってくれよ」といった。
これは自分のことをいっているのです。
じぶんがパレスチナの生活者をおもちゃ扱いしていることを心のどこかで感じているから不意に出た。
そうでないとありえない対応です。そして一番の問題は、こんな愚かな自称ジャーナリストの世間知らずな発言を
かずやさまは深刻に受け取ってしまった。それは何故かというと自分がほんとうは心から熱心にかれらの受難を
心配していないことを見透かされたと、とまどったからです。ほんとうにかずやさまがパレスチナ問題に問題意識をもって
かかわっていたら「何いってやがる」と微塵も動かされなかったはずです。
失礼ですが、わたしにいわせるとそのジャーナリストもダメだし、かずやさまも本気じゃなかったからこんな茶番の会話が
生まれてしまったのではないかと愚考します。
この問題を敷衍してかずやさまはこの投稿に疑問を投げかけていますが、まったく何の関係もないのじゃないかなあ、
わたしはそう思いますし、それより心配なのは過去のそういう(わたしにいわせれば愚劣な茶番を)まだひきずっておられるというのが
少々驚きでした。そろそろ、身を軽くしてじぶんのホコリを払って出直されてはいかがかと失礼ながら
提言させていただきます。辛口のコメントほんとうにごめんなさい、でも、今回の卑劣極まる犯罪について語ることが理解できない
とおっしゃったのはかずやさまですので、仕方なく辛口の対応をさせていただきました。ご容赦。
(ザザザ)
2022-07-09
失礼ながら
何故、これを今書かねばならないのかという疑問は
あなたが前もって、抱いている固定観念から来るものであって
その固定観念がこの詩を読んで、作者に対して排他的に浮かびあがったものです。
わたしなら何故書かねばならないのかという問題意識があれば作品からそれを探ります。
ところがあなたは最初からあらかじめもっている固定観念を
唯一的に押し付けただけで作品を理解しようとはしていない。
理解できないのならそれは正しい感想であり、コメントであるのでわたしは首をかしげないのですが
あなたは理解できないのじゃなく最初からちゃんとあらかじめ答えを用意している。
曰く、パレスチナうんぬん。
このような思い込みを押し付けるために理解不能という便宜的な発言をしていることに非常に違和感をもちました。
ちゃんと正面から、最初からパレスチナうんぬんという理屈を展開してはどうでしょうか。
もっともそんなことは、それこそこの詩とはほとんど関係ないことであるとしても。
(ザザザ)
2022-07-09
ほとんどなっとくできるのですが
ラストの
透明な図書館の
透明な本で読んだ話
という設定はちょっときれいすぎる。
その前までに書かれた意識のありようとはまさしく
戦後レジュームにどっっぷり漬かって世界が見えなくなった
今の日本社会と日本人のことです。
御本人は無意識に書かれているのかあるいは意識的なのかはともかく
そのような外部が閉ざされて何もみえなくなった日本人の腐った内部意識を
透明な図書館、透明な本といわれると少しばかり違和感を持ちました。
もっと腐敗して薄汚いのじゃないか。
もちろん、個人的な感想にすぎませんが。 (不可詩)
2022-07-09
お読み下さりありがとうございます。
そう、そう。暗殺ですね。
それによって得する人間が背後にいるから暗殺です。
しかし暗殺された方がどんな人間であれ誰であれ、
殺されたのが安倍だからといってこういうおぞましい力の行使を
称賛する連中がいある。れいわ新選組の連中とか自称サヨクリベラルとか、
こいつらは戦争中の大政翼賛会と同じ精神構造であることがじぶんでわかっていない。
なにかリベラルのつもりでいる。それがそら怖ろしい。 (にっぽんのバカ)
2022-07-09
作者より
まことに恐縮ですが一部画像が枠からはみ出た部分があり修正のため
一旦、収容して修します。あしからず。 (ほぼ3D無声アニメ 『しずくの冒険』 えぴそーど1)
2022-07-09
こんばんわ。
知人でもなんでもないですから手をあわせる気にはなれませんが、
ただ、胸を押しつぶすようないや~な気分が黒ぐろと滞留してしまいました。
日本も日本人もとどまることなく劣化し落下していると思っていた矢先ここまでひどい社会に
なってしまっているのかと唖然としました。
米国をいま支配している、ウクライナを使ってロシアに戦争を仕掛けている狂気の連中の片割れが
日本にも大使として来ている。かれらにとってもっとも邪魔な存在である安倍晋三。いずれこうなると
予想していました。
高利貸しのような因業な顔つきをした岸田とかいう気持ちの悪い男の顔、あれが今の日本人の顔といって
過言ではない。この国はあんな卑しい顔つきの人間ばかりになってしまったのかというのが
ちょっととっぴょうしもない飛躍した感想です。 (ザザザ)
2022-07-09
武下さま、ご苦労さまでした。
武下さまのご尽力には感謝と、敬意を覚えますが。
あなたへの敵意も悪意もこれっぽちもないのですが、この感想は
やっぱり主観的、主情的な感想の域から一歩もでないものでした。
詩の構造的な、あるいは分析的な批評にはなってないのですがでも感謝と敬意を覚えています。
そもそも詩の批評など、どうすればいいのかすらわからない人ばかりだし、
ちゃんとした批評が成り立たない世の中なんですから、これで十分といわざるをえません。
べつにわたしが凄い詩をかけるわけではなく、岡目八目で読めた気になっているだけかもしれないですし、
偉そうなことをいう資格はない。
でも、やっぱり詩の批評になってないなあ。失礼ですが、あまりにも心情的すぎる。
かといってわけのわからない難解なことばをふりまわす連中よりよほど誠意と熱意が感じられて好感がもてました。
ありがとうございました。
(多くを語らずに居たい作品の一つですが)
2022-07-08
追記 蛇足ですが、
思想や哲学が詩表現を裏打ちしていると書いたことの意味をちょっと説明しておきます。
同じ作者さんの投稿作品に『ブランキーブランキーブランキー 』というのがあります。
冒頭こういう表現が出てくる。
今にも雨が降りだしそうな声色だったから傘の代わりに嘘をさしてみたんだ。
これは一見、わたしのいうことばの転換(傘→嘘)がなされているように見えるけど全然だめなんです。
こういうのを何か粋な、クールな表現のように思う人は根本的に詩的な感性に欠けているとしかいいようがない。
どうしてかというとことばの転換に「思想的な裏打ち」がないからです。
作者が「傘」という表現を十分に思想的にこなして理解しておれば「傘」は具体的な傘ではなく
あるひとつの思想表現であるはずです。だとすればそれが転換されたとき「嘘」という観念的なことばが出てくるのはおかしい。
転換されるとすれば「切符」であったり「部屋の鍵」であったり「目薬」であったりと思想化された具体的な個物であるはずです。
もちろんそれらは思想的な表現であるのですが。
ところが作者は「傘」についてこれといった思想性をもたせていないから、たんに意外性だけを狙って「嘘」という転換を
持ち出した。ほんとうは、こういうのは詩がわかっていない詩のシロウトのやることです。
作者は本来、詩心のある方だと思うのですが、ひとつ間違うとこんなものを書いてしまう。
そして、詩についてあまり感受性のない方に限ってこんなものを褒めちぎることになる。
しかし今回のは様相を一変して詩になっていた。それはおそらく作者が前とは違ってじゅうぶんに
ものを考える時間があったからでしょうか、あるいはまぐれかもしれないし。笑
とりあえずわたしのいう思想が表現を裏打ちしているということの意味はこういう見方からくるもので
あることを誤解をさけるために追記させていただきました。
(多くを語らずに居たい作品の一つですが)
2022-07-08
こんにちわ。
べつに非難をするつもりは毛頭ありませんが
できることならせっかく批評欄として設けられているのだから感想ではなく
武下さまの具体的な批評をお聞かせ願いたかった。
わたしが「ことばから詩がとけだしている」と書いたとき、このコメントは
この詩のすべてを言い表していたと自負しているんです。
みなさん、感想コメントで哲学的であるとか思想的であるとか内容を指摘されて
おられますが、そういう「内容」なんてのは詩表現にとって二次的三次的なものだと
考えられます。
一番大事なのは「表現法」です。思想や哲学や標語ではない。
「表現」を裏打ちするものとして二次的に思想や哲学が必須となってくる。
つまり結局「表現」と「思想」は一体のものなんですけど、内容なんかを全面に出すものじゃない。
それなら批評や標語でも書いておればいい。ま、最近のはそんなのばかりですが。
それはあくまで裏打ちなんです。大事なのは表現の技法です。
この詩をわたしがコメントで「かなりいい」と評価したのは最近の投稿作品群のなかではめずらしく
(ほんとうは珍しかったらだめでそれは詩にとって必須であるのですが)
ちゃんとことばに〈転換〉が出来ていた。要するにことばに飛躍があった。つまり自由なことばの選択と配置があったからです。
その転換や飛躍や配置の妙を裏で支えているのが思想や哲学であって、それは数学でいえば接線のようなもので
本来、それは詩の表現目的ではない。
そういうことがまずまったく理解されていないのが最近の詩の傾向性のような気がします。
なにか健康的で折り目正しく正義感にあふれた救いようのないわからず屋が量産されている。
これはこのまま続くのかどうかしりませんが、とうぶんはこの状況のままでしょうという意見もある。
どうであれわたしたちは与えられた現実のなかで生きて行くしかない。
そういう中でめずらしく詩らしい構造をもったものに出会ったからわたしはいっとき「涼しかった」と
書いたのですが、批評、ぜひ具体的な分析をお願いしたいものです。強制はしませんが。
(多くを語らずに居たい作品の一つですが)
2022-07-08
う~ん、子どもの頃から今も宝石や金銀というものに対して
まったく興味も関心もなかっただけに、この詩を読んでから
逆に考え込んでしまった。人はなぜ宝石などに価値を幻想するのか?
エメラルドもアメ玉もわたしには大して違いがないように思えるのだが。
不思議だ。人間というのはまったく不思議だ。それともわたしは人間じゃなく
エメラルドよりアメ玉に関心をもつ犬猫の類なのだろうか。
そんなことを考えた。 (宝石奇譚)
2022-07-07
それから余計なことかもしれませんが、
わたしは昔も今もとくに詩人仲間の優秀な連中からは
男女問わずかなり好かれています。
わたしの何をもって実在のわたしを知ったのか不思議ですが
作品はあくまでも創作ですから
それをもって実在の知らないわたしにドン引きされる方々が
いることに首をかしげます。笑 まあ、ネット詩人の方々とは
まったく現実での付き合いないですけどね。ネット上でも通交してません。
妄想だけがなにか流通しているようですが、そういうのは非常に不愉快ですね。 (暗渠)
2022-07-07
かなりいい。
ことばから詩がとけだしている。
以上、それにしても暑い。でも、
これを読んでいるあいだ少しだけ涼しかった。 (旅する為の雑記帳)
2022-07-06
>女性は許してくれると思いますよ。
そのことばを聞いてほっとしました。
ありがとうございます。 (暗渠)
2022-07-06
読ませていただきました。
これを読んで......むかしの痛い記憶がよみがえってきました。
共感してつよくうなずいたのは三連ですが、四連はむかし横浜にあった
なんという皮肉か、これが、黄金(こがね)町という売春街があった。
そこのなんとも粗末な崩れかけの二階屋の二畳間で売春婦と1万円にも満たないカネで
かかわった。売春婦などという職業を頭からバカにしていたじぶんを思い出し
歯ぎしりしたいような、ほっぺたを自分で叩きたいような恥ずかしさと
後悔の念が四連を読んでいるとよみがえった。
ことが終わってわたしが横浜スタジアムの同志社大学対関東強豪チームの
試合を観ることを告げるとその売春婦はラグビーの内実をよく知っていた。
ラグビーは紳士のスポーツで下々の者などが興味あるとは思っていなかったから
びっくりした。よく顔を見るとかなり美人で知的であった。
そういえば所作の何もかもが売春婦のイメージからかけな離れていた。こんな女性が
春を売るなんてありえないとおもったが、やさしいことばひとつかけてやれないで
心の交流を断つようにそこをあとにした。
そのことがいまだに心に傷となって残っている。もっとやさしくしてあげればよかったと。
つまらん感想を書いてしまって申し訳ありません。
(暗渠)
2022-07-06
できあいのやさしさや標語のようなやさしさや
世間体のやさしさや無自覚な演技のやさしさなど、
そういう糞溜めのようなウソが
充満するいまの日本社会のニンゲンのありよう。
そういうものがまざまざと浮かんできました。
だれもほんとうのやさしさを知らない。触れたことがない。
哀しい時代にこういう詩が書かれる。
そんなことを感じました。 (ダレハピネス)
2022-07-05
あの鉄塔の先からが空だ!
空ってどこからが空なのかってことを考えていたのですが
やっぱり人それぞれ「ここから先が空だ」てのがあって然るべきだと気がついた。
空だからどこからどこまでも空だというのはやっぱり間違っている。
ビーレビで賞をとった作品をことごとくみていたのですがどれも「詩」にはなっていない。
いわば台本のセリフのト書きのようなものばかりだった。「あたし苦しいの」というセリフがあって
それの説明のためのト書きがある。そのト書きがなにか詩や現代詩のように錯覚している時代になった。
そうじゃないとおもう。まず詩にとって意味や哲学思想なんかどうでもいい。いや、どうでもよくないだろ!
という声が聞こえる。
どうでもよくなくて、もしそれを全面にもってくるならそれからますます離れないと詩にならない。
そういうことがわかっていない人ばかりが最近のネット詩の賞の選考をしているような気がしました。
いや、もちろん、わたしなど足元にも及ばないすばらしい詩ばかりが賞をとっているのは
間違いないのですが、やっぱり「あの鉄塔の尖端から先」じゃない。セリフのト書きばかり。
そういう詩が増えた、ほとんどがそういう詩でつまらない世の中になった、
失礼ですがこのよく出来た詩を読んでそんなことを考えました。
この詩自体には何の文句もないのですが、ほんとうにごめんなさい。連想しちゃいまして。
(「穴居」 現代詩フォーラム07/12/2初出)
2022-07-04
コミックポエムという領域がもしあったなら
その読者にとってこの詩はかなり出来がいいということになるかもしれない。
わたしがいう「コミックポエム」とはアニメ『となりのトトロ』とかああいう世界を
ことばによって表現したような詩のことです。
いちいち指摘はしませんがいわゆる「詩」としては表現に繊細さがやや欠けている
ような気がしました。しかしコミックポエムの世界ならそれも問題なく読者には
受け入れてもらえるような気がします。
わたしもコミックポエムのようなものを現在描いていますが、それはことばではなく
マンガやアニメとしてです。わたしならこういう世界はことばではなく直接マンガや
アニメとして描きます。べつにことばで描いても問題ないでしょうけど、でもそれは....
いわゆる「詩」としては.......未熟なような気がしました。
でも冒頭の一連など、ちょっと手直しすればとても素敵な表現だなと思いました。
(港町)
2022-07-03
読ませていただきました。
多分、というか間違いなくこの詩をほとんど理解できていないと思います。
理解できていないというのは意味を、ではなく本来詩にとって意味思想よりも大事な音韻とか
転換の面白さとか表現のあやとかそういうものを含めて感受できる能力がわたしには
ありませんでした。
時代の流れ、変化というのは怖いものだなと
このわたしの意識のありようの変化を感じて少し愕然としました。
ひとむかし前までならこの詩は現代詩風の深みと重みと表現の妙などを
称賛されるタイプのものだったような気がします。今でもそうかもしれません。
でもわたしにはなにか時代がこのような深み、重み、表現の豊かさという価値観を
どこかへふっ飛ばしてしまったような気になってしょうがないです。
重厚で偉大な戦艦大和が滅びたように、大きなデパートが滅びてコンビニが繁殖したように
巨艦的なものがどんどんなにか虚しいもののように思えてしょうがない。
たぶんこれはわたしの意識が通俗化していることの左証でしょうけど.......いつまでも
ちょんまげ袴姿で歩く人がいてもわたしは尊敬しますけど......
わたしのような俗物には真似ができない。へんな感想ですけどそんなものを感じました。
頭が悪いので謎解きのような深い詩にはついていけない愚かな己を感じた次第です。
(【譚】骨と皮)
2022-07-01
面白かた。
最初は世界と手をつなごうなんて怪しげな国連の憲章かなんかかと思たけど
まあ、なんとか収拾できてよかた。 (えんたーていんめんと)
2022-06-30
ながながと失礼しました。
最近、なにかと愛だの正義だの善だのという言葉を振り回す方々が多い。
それはそれで結構だけど、そういうことを書いていったい何を得たいのだろうと
不思議でならない。キリストはこういってるらしい。
マタイによる福音書 6:16-18 新共同訳
「 あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。
それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである」
わたしはキリストなどまったく信じていないがこのことばは正鵠を射ている。
聖人のふりをしたければ聖人のような顔つきをして
聖人のようなことばを振り回してはならないという倫理的なことばなんです。
昨今の一部、詩を書く方々にぜひ一考していただきたいと願います。
(やってはいけないこと)
2022-06-30
追記
やぱり「支離滅裂」などというかなりきつい批評をしたのだからその理由を書いておくべきでしょうね。
この投稿作品が「世間話」や「井戸端会議」のものなら、べつにこれはこれでいいでしょう。
でもいちおう詩作品として投稿されるからにはもう少し厳密な考察をしてほしかった。
冒頭、 "人の悪意を"と筆者が書いたとき、その人は相手の心をなぜか透視者のように完全に理解できていることになる。
どうやって筆者は相手の悪意、善意を正確に腑分けできるのだろうか? ということがまず問題になる。
筆者は対面する他者の「悪意」「善意」を正確に読み取れている。
ほんとうは人の心など他人に正確に理解できることなどありえない。にもかかわらずわたしたちが
だれかの言葉に悪意や善意を感じるのは、
相手のリアルな心を読み取っているからではない。
語る方の心ではなく、受け手の心がそこに反映しているからこそだれかのことばはじぶんにとって「悪意」になり「善意」になる。
つまり相手のことばを「善意」と解釈するのも「悪意」と捉えるのも相手ではなく受け手のほうだ。
もしそうならばじぶんが勝手に解釈した「善意」を「悪意」と捉えるなどということはありえない。
じぶんが勝手に解釈した「悪意」を「善意」と勘違いすることもできない。
そもそも「善意」「悪意」なるものはほんとうにあるのか? という疑問が生じる。
ある人が「悪意」で何かを言うなどいうことがあるだろうか?
ある人がだれかに不快感や差別意識や嫌悪感、その他もろもろの感情をもって何かものをいうとき
相手は不快感やとまどいや疑問や、さまざまな感想を抱く。
そのような複雑で繊細な人間の心的現象を一括して「悪意」「善意」と規定するのは非常に危険だし大雑把すぎる。
それだけではない。ある人間がさまざまな感情をもって語ることばを一方的に「悪意」「善意」と規定して語ることも間違いを
おかしやすい。
黒髪さんはここでどうやって人間はじぶんがある感情をもってだれかに語るとき「悪意」「善意」と腑分けできるのか説明してほしいし、
そのことばの受け手もどうやって「悪意」「善意」と腑分けできるのか説明してもらいたいところだが
結論をいうとそんなことは出来るはずもない。
なぜならそもそも「善意」「悪意」などというものは便宜の異名であって実在しないからだ。
しかし机上に言葉が生まれれば、まるで実在するかのように机上でいくらでも実在しない言葉を操作できる。
言葉を扱うときには、そのことの危険性と不毛性にもっと気づいていただきたいとおもう。
(やってはいけないこと)
2022-06-30
言葉というものは便利なものだけどあくまでも便宜の異名であって
それが実在のように錯覚してしまうとこういうことになるのかなと
ふと考えました。まことに申し訳ないですが、論理的にも、またリアルにも
ここに書かれていることは支離滅裂です。
どこが支離滅裂であるかを、はて、説明すべきか、説明しても受けてとめて
もらえるか躊躇しています。黒髪さんは多くの人のあいだを抜けて来た
経験があまりおありじゃないのかと思われます。 (やってはいけないこと)
2022-06-30
糖花兆子さま
愚作をていねいに読んでくださりありがとうございます。
(わたしが天才少年だったころ)
2022-06-27
トビラさま
お読みくださり講評もいただきありがとうございます。 (わたしが天才少年だったころ)
2022-06-27
柳煙(リュウエン)さん
お読み下さりありあとうございます。
こちらこそ投稿作をいつも楽しみにしております。 (わたしが天才少年だったころ)
2022-06-27
読ませていただきました。
わたしにはこういう突然の感情の起伏というのは詩人の心がないせいか
ほとんどありません。でも、こういうのってほんとうにあるんでしょうかね。
子どもというのは残忍なものでセミの羽を全部抜いたり、
わたしなんかはバッタをつかまえて糸でゆわいて小枝に吊るし、それを水たまりや川に
垂らしてカエルを釣る。釣ったらすぐにみんなでわいわい興奮してカエルの腹を
鉛筆削りで縦に裂いて、腹から生きたバッタを救いだし、またカエルの腹を糸で縫って
川や池にかえしてやる。そのときはまだピンピンしてカエルはかえっていく。
そういう、今からおもうと残忍な解剖と手術ごっこを平気で笑いながらやっていた。
そういう子どもの心性と大人の心性がまだ未分化な詩人には、あるいはこういうものがあるのかも
しれないと読んでいてふと感じました。 (曇り空の夜明け)
2022-06-27
読ませていただきました。
人間てわからないものですね。
むかしアイドル・タレントとして人気があった宮崎美子が
熱烈恋愛の末に結婚したのですが、すぐに離婚した。離婚の理由に曰く、
「あることを目にしてから箸の上げ下げまでみるのが嫌になって」
それから彼女は独身をまもっていまやおばんですが......そこまで言っておきながら
もと旦那とは最近、いっしょに旅行に出かけるとか。
お互いに枯れてしまうと、そういうことは二の次になってしまうのでしょうかね。
四行の形式が保たれるかと注意して見ていましたら、最後のほうになると行数がバラバラになった。
これは筆者の気持ちがこのあたりから揺れてきたことを示しているのではないかと
個人的に受け取りました。
(もどかしい)
2022-06-27
読ませていただきました。
これ、いいですね。
心底、こころを解き放してうなずけます。
とくに「愛」なんて言葉をふりまわさないで
かたちにならない、ことばにならないある存在を
ちゃんとイメージさせるところがいい。
「愛」なんて生なことばを露骨にふりまわす表現に
少々眉をひそめていた矢先でしたから、
この投稿に出会ってすこしほっとしました。 (いちばん優しい世界)
2022-06-26
こんばんわ。
再度の返信というのは滅多にしないのですが、
気になっていたものですから、少し。
わたしは育ちが悪いので「愛」というものへの考え方が少し
ひねくれているのかもしれませんね。
せっかく「愛」というものを信じておられる方に無用なコメントを
してしまったような気がして黙っていればよかったとあとでおもいました。
愛の二面性とか影とか、そういうことは実は考えたことはありませんでした。
というか「愛」が妄想でも実在でもどうでもいいといっては失礼ですが
わたし個人はそういう言葉にはまったく関心がありません。
ほんとうに失礼いたしました。今後は注意します。 (星空に祈る)
2022-06-26
卒業/のあのなんともいえない心細さと晴れがましさ
出ていくということ。残していくということ。
なんだろうな、わたしも少しむねのなかで湿っぽいものが
広がっていくような気がしました。 (春)
2022-06-25
読ませていただきました。
なんか「センス」なんて言い方は古いかも知れませんが
この作品、
ことばのセンスがいいなああと、ちょっとびっくりしました。
(9)
2022-06-25
読ませていただきました。
人間にとってほんとうに大事なものって何だろうなって
あらためて考えさせられました。
愛? お釈迦様? 星空?
わたしはそうじゃないと思います。
たとえば、たとえばですよ、皮肉でもなんでもなく
投稿する前にだれかの作品にコメントするとか、
そういうことのほうが千倍大事なんじゃないかと個人的には考えています。
愛って、要するにどれほど飾り立てようとも所詮エゴイズムですよね。
平気で人殺しをするマフィアの親分ほど自分の子どもへの愛は人並み以上だと
聞いたことがある。そういうものをこの共同体として生きる世の中でなにか凄いものとして
評価する気にはなれません。もちろん愛は個々それぞれの人にとっては大切でしょうが
それを公に喧伝するにはあまりにも幻想の領域が違いすぎます。
星空に何を祈ろうとそれは個々の勝手ですが、所詮はエゴイズムの世界です。
他人が知ったことじゃありません。それを何かうつくしいもののように〈他者〉に
語るのは、わたし個人としては気恥ずかしくて穴があったら入りたいです。
以上、
べつにこの作品がダメだとか、あるいは否定しているのではなく、わたしがこれを
読んで改めて、人間(共同性)にとって大事なものとはと考えたその感想です。
ちっとも褒めれなくてごめんなさい。
(星空に祈る)
2022-06-25
申し訳ないけど、今の世相をみている立場からしますと、
この詩の趣旨には賛成できません。
こういうのは「主義」じゃなく、ふつうの息抜き、団らんでしょ。
鬱屈な毎日に憂鬱な日々を余儀なくされている方々の世界とは次元が違います。
ふつうの息抜き、団らんが出来る人がそうでない人に注文つけるのはちょっと違うと思うな。
むしろそういう余裕があるのならそういう余裕を持てない人々を心配するのが
あたりまえの世界になってほしいなと望む次第。
失礼ながらあまりにもシフォン主義?で生きてこられたから世界が見えてないのでは? (シフォン主義)
2022-06-24
読ませていただきました。
こういうのほんとに悲劇だとおもいますが、
おもうだけで他者にはなにもしてやれないただの無力な
傍観者です。そんな人間が「悲劇だとおもいます」と書くのもはばかられる。
そこで話を拡大してみると、
「赤頭巾ちゃん」は 、いま現在、日本人のほとんどがそうだということもいえます。
これはほんとうにどうしてこうなったのか情けないけど、どうにもできない。
狼に食われるのを待っている。そういうマクロなことも浮かんできました。
(赤頭巾ちゃん)
2022-06-23
はい。
と答えたいところですが......
怖いだろうな、一生愛される男のほうは。
それは「愛」というよりもはや「執念」とか「執着」「怨念」の
要素のほうが強くなっているのじゃないかと愚考する次第です。
いや、これはわたしの個人的な幼少時のトラウマ体験からくるものかもしれません。
わたしは乳母に預けられていたのですが、その乳母が六、七歳になってもつきまとう
ので逃げたことがある。それでも必死の形相で追いかけてきた。
今からおもうと薄情なことをしたとくやんでいますがそのときはほんとうに怖かった。
そのトラウマからわたしはずっと女性から強く愛されると決まって逃げるようになった。
ほどほどの愛、できれば三ヶ月くらいで恋人をとっかえひっかえできれば理想ですが
身勝手でしょうかね。もてないから心配しるほどのことじゃないのですが。 (あなたへ)
2022-06-23
読ませて頂きました。
むつかしい事について正面から見そえて
書いておられると感じました。
わたしは言葉についてかるすぎるほどの人間なので
逆によくわかります。 (言い事)
2022-06-22
追記
う~ん、追記なんか書くべきじゃなかった。
読み直してみると誤解されやすい書き方になっている。それを調整するために
また書かなければならないハメになる。下手をすると延々とこれを繰り返すかも。う~ん、困った。
まず鷹枕可さんが貼られたリンクの歌がどうしてわたしにとって嫌味ったらしい不快なものであるかを説明。
(この点に関しては楽子さんの詩にはそういう嫌味ったらしい不快なものはあまり感じられなかった)
まずあの歌手はただひとつのことしかいっていない。簡単です。「おれはいい人間だろ」
つまり歌手と聴衆は「おれたちいい人間だ」を確認しあっている。
だいたい子供が生まれるとなればふつう世間一般の庶民はだれでも喜ぶけど将来養っていけるのか心配もする。
今の世の中ならなおさらだ。ほとんどの親子さんは暴風の盾になる。だけど虐待も増えているのも事実。
虐待までいかなくとも不幸な家庭、親子関係はある。
そういう人間に思いをはせて歌うのが歌ってものだとおもう。昔はリンク先のような歌なんか歌う人はいなかった。
良い人の確認しあう歌。それは最近の出来事だと思う。あの歌とこの投稿作品、技巧的とはいいましたが、
楽子さんとは技巧的という「質」が同じであっても中味はぜんぜん違うことを言っておかないと誤解を招くのであしからず。
投稿者の楽子さま、お騒がせしました。 (思春期、あの最悪な日々を切り取ったプリクラ、同級生への呪いを書いたオマエ、そしてアタシへの讃歌)
2022-06-22
追記
鷹枕可さんの貼られたリンクを見ようとしましたが、リンク先の歌手の歌う歌の
最初のフレーズでああ、これも「技巧的だな」とピンときました。
わたしがこの投稿板で「技巧的」という感想をする場合は最上の褒め言葉であるのはもちろんですが、
他方、ちょっとばかり「あざといなあ」という気分が含まれている。ほんのちょっとですが。
西田佐知子という昔の歌手に『裏町酒場』という歌があるんですが
そのなかにこういうフレーズがある。
酒を飲もうと 生きよと死のと
あんたなんかの 知らぬこと
どうせまともに 生きたって
つらい世間の うしろ指
男なんかにゃ 欺されないと
鼻で嘲笑(わら)って ひくルージュ
夢を持ちなと 云う言葉
それもどこまで 本気やら
この「それもどこまで本気やら」という歌詞
これが「技巧的」というわたしの評価の裏張りです。
いるんですよね、「夢を持ちな」と下のほうへ向かって語る方が。
原口昇平さんの一連の投稿作品なんかもそうですし、鷹枕可さんのリンク先の歌手の
歌詞や歌う態度もそういう意味で技巧的である。技巧的生活をなさっている。
これは本人は真剣で本気なんだろうけど、下のほうにいる人間からみるとちょっとちょっと
ということになる。
だから鷹枕可さんのリンクのものも楽子さんのこの投稿作品もわたしにとっては
まったく同じ質のものなんです。
余計な追記で失礼ですがそのあたり閲覧者のみなさまご理解たまわるよう
お願い申し上げます。
(思春期、あの最悪な日々を切り取ったプリクラ、同級生への呪いを書いたオマエ、そしてアタシへの讃歌)
2022-06-22
読ませていただきました。
技巧的な描写に秀逸な腕の冴えを感じました。
私ごとで失礼ですがわたしが最近投稿した「感謝します」はすべて
わたしの創作で高校生をひとり育てたような話は事実ではありません。
全体を通してあることを伝えたかったのです。わたしの職業遍歴を書いたような
作品もそうであって、まったくの創作です。
わたしごときの生活や履歴など開陳してもこの作品のような面白いものになるはずもない。
いやこの作品だっておっしゃるとおりどこまでが事実で幻想かわからない。
しかし語り口に技巧的なうまさがあるとおもいました。
(思春期、あの最悪な日々を切り取ったプリクラ、同級生への呪いを書いたオマエ、そしてアタシへの讃歌)
2022-06-20
読ませていただきました。
殺意とその結果についての人間の業のようなもの
そういうことについて書かれた詩のように解釈してみました。 (よわい)
2022-06-20
読ませていただきました。
花束と折り鶴が少しだけ風に揺れる
ように
という映像的な余韻がやや技巧的とはいえ
なかなかに印象的でした。
(風待ち)
2022-06-20
読ませていただきました。
バラバラのイメージをならべて「乱丁」というタイトル。
なにかつかもうとしてつかめない確かだけで漠然としたイメージ
それを詩にしたのかもしれないと思いました。
(乱丁)
2022-06-20
現代社会の複雑なありようを揶揄しているように読めましたが
ぜんぶわかるわけもなく、ただ、ところどころにピンとくるものがありました。
まわりの土の養分を全部吸い取ってひとつだけ巨大に育ったキノコのような
高層ビル。その下にある雑草(庶民の家)はもうぼろぼろだとかそういうイメージが
感じられる行などハッとするものがありました。
読み方が間違っているかもしれませんが。 (Amanita Fundamentum)
2022-06-20
読ませていただきました。
プリズム。なんだろ。不思議な話を聴くよな気がしました。
加工ということかな、いや、ちょっと違う。なんだろ。
まだ考えています。不思議な世界のありようの指摘を受けたような気持ちです。 (プリズム世界)
2022-06-20
ご指摘、ご感想、ありがたく頂戴しておきます。
読んでくださりありがとうございます。 (感謝します)
2022-06-19
読んでいただいた上、
拙作に対して真摯な感想をたまわりありがとうございます。 (感謝します)
2022-06-19
Comoestanuquiさん、ほんとにそれです。
柳煙さんのおっしゃるとおりこの拙作には強烈な皮肉
と怒りをこめているんです。
お読み下さりありがとうございます。 (感謝します)
2022-06-18
かずやさん、お読み下さりありがとうございます。
真摯な感想、うけたまわりました。感謝。 (感謝します)
2022-06-17
柳煙さん、稚拙な作文をお読み下さりありがとうございます。 (感謝します)
2022-06-17
読ませていただきました。
昨日ちょうど我執について考えていたので
(といっても十分も考えてないのですが、こんなこと十分も考えれば
わたしにとっては事件です)
読んでコメントしようかと思い、はて、さてたしかに
我執てものがないと人間かなり軽くなれるだろうけど
我執がなくなった人間なんて気の抜けたサイダーのようなもので
ちっともおもしろくないのだろうなと、はたと思いついた。
十代のころに初恋に破れて死のうと思いレールに頭を乗せて
しばらく寝転んでいてやっぱり怖いからやめた記憶がある。
今から考えるとなにか我執のようなものに取り憑かれていたのだろう。
なんとまあ滑稽なものかと思うけど
これを読んで、あらためて我執だったのかもしれないとか考えました。
(我執)
2022-06-16
こんな言い方は失礼かもしれないですがとても粋な作風の詩ですね。
まるで中編小説を読んだあとのような感慨が残りました。
冒頭の連の語り手の述懐には共感を覚えます。
陸橋から見下ろす電車の
車両に詰め込まれた人々のそれぞれのドラマを
想像しただけでそら恐ろしくなることがありました。
こんなにも膨大なドラマを詰め込んで電車が行く。信じられないけどほんとうだ。
そんなことを考えていたのはわたしも生活を生きていなかったからかもしれない。
ゆっくり読んでみたい詩のひとつです。
(窓と生活 二編)
2022-06-16
冒頭の一連、
まるで処女のようにうつくしい。
(みんなのお別れ)
2022-06-16
年配の方の詩だとおもうのですが、
いまどきは見られないきれいな楽譜をみるようなことのばの配置の
うつくしさがまず目につきます。
内容についてはかなり私的なイリュージョンが主調音になっているので
それに踏み込むよりもむしろ語られる流れにそってことばをなぞっていくだけで
いいかなとおもわれました。
(ト音の休日)
2022-06-15
読ませていただきました。
わたしたちは
生きる才能がない
豊かになれれば
何を失っても
いいと思ってる
こういう覚醒をもつ語り手には共感を覚えます。
(明日)
2022-06-15
冒頭、塚本邦雄が出てきて
苦艾なんていうなんか知らないけど面白そうな単語が出てきて
これはなかなかに読ませてくれそうだぞと
うれしそうに身構えましたが次の
ウクライナ云々のところで申し訳ないですが、ちょっと意気消沈してしまいました。
どうしてウクライナが出てくるのか。
そもそもウクライナに対する世界構造における立ち位置の認識がこのようなものでいいのかどうか
いやそんなものどうでもいいんだというのならウクライナという言葉は
ちょっとわたしには急ブレーキをかける文言だった
そういえば多くの有名無名詩人に出会ってきましたが
どなたもすばらしい詩を書く方々ばかりなのに政治認識になるととたんに幼児のように
単眼的で幼稚な認識しかもたない方々ばかりなのに腰を抜かし続けている。
あの神様のように尊敬する大思想家で大批評家であった吉本隆明でさえそうであった。
旧ソ連やロシアへの認識を西側の情報だけから取り入れているから片側通行で
吉本といえど、
その情報の上に立てられたまことにお粗末な地盤の上にたつ精密な建物であった。
だから99%が中流になる世の中などとはしゃいでいられた。
そもそも元の地盤が一方的なプロバガンダを盲信してのものだからその上にどれほど
精妙な建物を建てても思想や批評としては意味がない。詩や文学としてならなんとかなるかもしれないが
所詮それだって見ようによってはプロバガンダの補完物の側面をもつにいたる。
日本の現代詩の世界の最大の問題はそこにあるのじゃないかと考えさせられる批評文でした。
(でもルンバは嫌だ、エヴァが良い)
2022-06-15
この文章はcold fishさん(たち)へのレクイエムなのでしょうか。
対象作品を読んでみましたが田中さんが出てくるくだりはおもしろかった。
でも、
私は、今、
現代詩を、やっている、
君たちを、やっつけるために、
読者を皆殺しにするために、
ポエムを皆殺しにするために、
ネット詩を皆殺しにするために
こういう暖簾に腕押しするような無力感しか感じられない文言を
ちゃんと対象化した上で書いたいるのか、気になりました。
現代詩なんかではもうだれもやっつけられないし
皆殺しにもできない。
じぶんの頭の中だけで殺しているのだとすればそれを語っている
自称詩人の姿ってなんと滑稽で悲惨なのかとおもう。
cold fishさんの滑稽で悲惨な姿はそのまま戦後の日本的あるいは世界的な知性の帰結
なのかもしれない。
知性ってのは要するにこれほどまでに滑稽で悲惨なのだという。
そういう意味ではいつまでもその滑稽で悲惨な残骸をさらしていて
ほしいという願いがわたしにはある。
それこそがcold fishさんが詩を書く意味だ。
田中満帆さんも同じような詩を書いているがちょっと違う。
田中さんのほうは最近、その滑稽さに気づきはじめている。
そこからしか新しい現代詩は生まれないような気がします。知性の悲惨さと滑稽さに
気づきはじめた最近の詩はなかなかだとおもう。
以上、知性のけの字もない無能でバカな素人のたわごとですが、筆者さまの
こういう批評はしかばねとなった知性の残骸へ送るレクイエムとして何度でも
書かれるべきだと思います。 (詩のサイトによくいる、いや、もうほとんどいない、誤解の霧中の魚たち)
2022-06-15
間を置いて何度読んでもわかりませんでしたが、
この「何度読んでもわからない」という体験は現実世界ではよくあることで
たとえばですが一例をあげれば世界情勢というのはよくわからない。
まさにこの詩のように難解だ。あるいはこの詩のように意味などないのかもしれない。
そんなことを感想しました。 (雑記11)
2022-06-12
あらいさんの投稿作以後ぜんぶが詩の骨格と肉をもった
とわたしのような素人には感じられる作品がつづいているので非常にうれしい。
この作品は表現に玄妙さがあり、それが作者の持ち味なんだろうなと思うのですが
なかなかにいいものだとおもいました。 (空耳)
2022-06-12
あらいさん投稿作以後ぜんぶが詩の骨格と肉をもった
とわたしのような素人には感じられる作品がつづいているので非常にうれしい。
この作品も感じるものがありました。 (日影の日)
2022-06-12
あらいさんのこの投稿作もふくめ以後、三作ぜんぶが詩の骨格と肉をもった
とわたしのような素人には感じられる作品がつづいているので非常にうれしい。
この作品もわたしにはなかなか歯ごたえがありすぎてわたしには困難な山ですが
最後に 404 not found という言葉が出てきてなんとなく共感するものがありました。 (これからのアステリズム)
2022-06-12
しずくの冒険(抄)
宇宙の果て
そのもっとも奥深くひそかなところに
すべての悪のみなもとである一本のりんごの木がある
宇宙生誕以来
その木は
三つのバリアーで守られていた
ひとつは力
すべてを破壊する巨大で獰猛な怪鳥がたえず木のまわりを
巡回し、近寄るものは有無をゆわさず
炎で焼きつくすのだった
もうひとつは叡智
世に生まれたすべての神学と哲学、思想を体現する
賢者が敵意をもって近寄るものを説き伏せ、精神を萎縮させ
またたくまに洗脳して退散させるのである
もうひとつは愛
知恵のみなもとであるりんごの木を害する意志あるものには
その者の両親の姿をしたイリュージョンが向かい合うのである
じぶんの両親の愛情あふれる笑みに接してこれに歯向かえるものはいなかった
こうやって
すべての悪のみなもとである知恵の木は
外部からのいっさいの攻撃や害意、よこしまな企みから無傷であった
また
この三つの力を打ち砕いて
世界に平和をもたらすことができる者は
この世の果ての果てまでだれひとり存在しなかった
と
思われていたが
宇宙の果てにあるりんごの木は
生まれてまだ三歳にも満たない子どもの自然なこころを
防ぐことだけはできなかった
彼女の名はしずくといった
おにぎりが大好物で
おにぎりにつられてこのりんごの木の退治にやってきたのだった
握った日本刀の刀身は柔らかいプラスチックでできたまがいものだったが
それだからこそ
三つの力に対抗できたのだ
対抗するためには相手をけっして傷つけてはならないのだ
襲いかかる巨大な怪鳥の鼻先めがけてしずくがまがいものの刀を振り下ろすと
怪鳥はぎゃーと叫び声をあげて霧のように分解し飛び散った
霧が収まると
一匹のネズミがこそこそとそこから走りさった
次に出てきたのは聖人だった
両手をひろげて「おお、汝は地の塩なり、もしその塩.......」
とかなんとかいっているが
しずくにはちんぷんかんぷんだ
かまわず「えい!」と刀を振り下ろすと聖人は煙になって空へのぼり
あとにはミミズが一匹
もうしわけなさそうに地面を這い回っているのだった
最期に
しずくの両親が現れた
「しずくや、わたしたちの宝、わたしたちの命、しずく、おやめなさい、」
と涙を流している
さすがのしずくも目を見開いてしばらく呆然と亡くなった母と父をみていたが
「あたいのおかあちゃんなら、そんなこといわない。おにぎり食べるかいって?最初に聞くわよ」
次の瞬間、「えい!」と刀を両親のイリュージョンに振り下ろす。
「このにせもの!」
すると両親はやはり煙や霧のようなものに分解し
あとに二匹の雨蛙がけろけろと鳴いているのだった
こうやって
世界からすべての悪が消え失せ
人類はみな知恵を失い悪い企みや競争や侮蔑や差別などから
解放され
定常生活だけを繰り返して永遠の平和が続いたのであった
(B-REVIEW6月のお題詩「破戒」)
2022-06-11
ですから、
作品かどうか判断するために
「Amazonギフト券ってなんでしょうか」と質問したのですよ?
ところがあなたは質問するなという。
質問を禁じておいて、そのくせ作品かどうか判断して、おまえが作品だと思う理由を書けという?
ごじぶんで支離滅裂なことをいってることが自覚できてますでしょうか?
そもそもわたしにからんでくる理由もわからないし、
この程度の投稿にそこまで大騒ぎする理由も理解不能です。
すこし冷静になることをお願い申し上げます。
それから支離滅裂な命令には従うつもりはないことも申し添えておきます。
(最近の)
2022-06-10
訂正
上のコメントは「作品」へではなく森石さんへの返信です。
間違いましたことを作者さまへお詫び申し上げます。
(最近の)
2022-06-10
森石さん、それちょっとおかしいのじゃないですか?
まず、
一方的に非難しておきながら非難した相手には返信や弁明、説明をするなということですが、
それはここの規約にあるんですか。それなら仕方がないですが、そんな不公平な規約があるとは
とうてい思われません。
それからこの投稿は「イタズラ」だと決めつけているようですが、投稿作品である以上、イタズラか
どうかは読者個々が判断するものではないのですか?
それとも運営がイタズラであると宣言したのでしょうか。
ご自分がすべて正しい、ご自分の意見だけを黙って聞け、おれが「イタズラ」だといったら
おまえもそう判断しろ、おれの発言を聞いたら返事するな弁明もするな?
ご自分でそういう言動がちょっとおかしいと思わないんですか? あきれ果てましたよ。 (最近の)
2022-06-10
読ませていただきました。
難解なのでちゃんと読めたわけじゃなく文字を追っただけですが、
現代詩の技巧のひとつとして奇をてらうことは嫌いじゃないしむしろ大好きですが
材料がちょっと地味なような気がしました。なんだろうこの地味さは。笑
地味でなければ控えめといってもいいんですが、この控えめさ加減がこの詩の表現の主旨だったのかも
しれない。そんなことをおもいました。 (ラバーと子供)
2022-06-10
追記
作者さま、ひとつわからないのですが、
Amazonギフト券ってなんでしょうか。これがまったくわかりませんでした。 (最近の)
2022-06-10
わたしは新参なのでみなさんが何を怒ってらっしゃるのかわかりませんが、
ただひとつ、最近なんとなくうっすらと感じていることがあります。
それはこのサイト外で特定の方々が仲良くなんらかの集まりや研究会や合評会を
もっているような気がしております。(わたしの感じですのでそういうものがないのなら御免なさい)
それはとても良いことで、気の合う仲間が集まって詩について語りあうのは素晴らしいことです。
ただですね、これは人情としてとうぜんあたりまえなので否定はしませんがそこには仲間意識ができてしまう。
そうすると仲間が投稿したものをだれかがちょっとでも批判したり、批判しなくて褒めていても
仲間内のあいだであいつは評判が悪いからといって仲間意識からその投稿者やコメントをおれもいじってやれという調子で
批判するようなことがあるのはまずい。あるとはいいませんが、わたしは最近、そういうものをなんとなく漠然と感じている。
妄想かもしれませんので申し訳ないですが、感じにすぎないので言うつもりはなかったのですが、ちょうど投稿作があったので
この作品への感想としてふれておくだけですが、
仲間が出来る、それはとてもいいことですが、その仲間意識が同じ方向を向くのは人情として否定できないけど
その方向から動きを受けるほうがたまったものじゃないとおもう。
同好会や合評会など、この投稿サイト外でいくらでも仲間で語り合い合評しあうのはいいけど、それがひとつの
動きになって特定の人間に集まるのはまずいとおもう。(もちろん、漠然とした空気を感じているだけで
具体的な証拠などあるわけないけど)、ちょうどいい機会なので将来的な警笛を鳴らしておきたいとおもい
ここに記しておきます。
(最近の)
2022-06-10
読みましたが、むつかしい話題ですね。時間とか空間とか、わたしにはなかなか理解できない。
ただ、時間というのは物質の変化を記述しているだけじゃないかとぼんやり考えています。
ようするに「今」は永遠に「今」。つまり時間そのものは変化しない。ただ物質だけが変化する。それを
記述するのが時間ですが、それはつまり人間の脳みそによる記憶ということかもしれません。 (2020年)
2022-06-10
かなり煮詰まった現在の世界や日本の状況というものがあって
その状況というのはあたりまえに働いてあたりまえに子を生んで育てるということすら
困難なところへ人を追い込んでいる。過去、江戸時代であれ鎌倉時代であれ原始時代であれ
いくら貧しくてもそれはできたのに、現代ではそれができなくなっている。
べつに大衆が悪いのではなく(いや、無頓着、無関心という罪はあるけど)要は資本というものの
悪疾がいま最高度に滲み出てきて人々を冒しているということだとおもう。さて、そこでこの詩ですが
そういう現代の状況があっても人々は黙って何事もなかったように歩いている。
その欺瞞とウソで糊塗された現代という時代の壁の亀裂からにじみ出てきたほんとうの声のように聞こえました。
かなり苛烈ですがほんとうの現代社会の煮詰まったところにある精神はここまで抑圧されているのだろうと考えました。
かなりきつい声です。で、だれがこれをちゃんと受け止めることができるのか。絶望です。
(〈安閑夜話〉 血走りの風)
2022-06-09
一連目の達観にはシンパシーを覚えました。
しかし、ややNHK朝の連ドラ的な心のウソにはめ込まれているような
あやうさを感じたのです。が、その個人的なものの見方を
ここに感想として書いていいのかどうか迷いました。
わたしは人間の暗さって大事だと思うし、明るさを押し付けてくる
NHKは間違っていると思っていますので。
こんな世の中でどうやって明るさなんか保てるのかと疑問に思うし、
ケチなお金をちびちびと一生懸命握りしめている大衆も好きです。
英雄譚は嫌いです。人生はゲームじゃないしNHK的なウソの世界でも
ないと思うからです。
でも、やはり一連目の達観には少し同意するものがありました。
人生も人間もそんなカンタンなものじゃないんだな、
といろいろ考えさせられました。
(許しと雨)
2022-06-09
水色の街というタイトルはなにかしらうつくしく淡いものを想起させる
きれいなタイトルでした。
これだけタイトルから豊かなイメージを想起させられると
本文のほうがそれを満たす内容かどうか気になるところでしたが
宮沢賢治のようなバラの香りのする宇宙の風とかいう表現だったか、ああいうところ
まではいかないにしてもなかなかにうつくしい表現があったとおもいます。 (水色の街)
2022-06-08
柳煙さま
的確なご感想だとおもいます。
ありがとうございました。 (かなたのかなたへ)
2022-06-08
てんま鱗子(揶白)さま
お読み下さりありがとうございます。 (かなたのかなたへ)
2022-06-08
ああ、そうですか。はいはい。
ご返事どうもありがとう。では、失礼します。 (赤鬼)
2022-06-07
神と死について描くのに陽気も陰気も、コミック的かリアリスティックかなどないと思いますが
ということですが、はて? 死を陰気に書く人もいれば陽気に書く人もいますよね。
死を重厚に描く人もいれば死をコミカルに書く人もいる。
どうしてそんな書き方が「ないと思う」い、そういうのを偏見ととらえるのあ教えて下さいませんか。
今後の参考にしたいとおもいます。 (赤鬼)
2022-06-07
死も神もこの詩のなかではコミック的で陽気であることが
なにか救いなのかもしれませんね。 (赤鬼)
2022-06-07
こんにちわ
おもしろいですね。ネット詩人というものがいるのかどうか知りませんが
たぶんその人物は詩壇に相手にされない詩才及ばざる人か、
あるいは既存の詩壇のレベルでは理解できない天才かでしょう。
そういう天才がいてほしいと願っていますが、
個人的な感想としてはネットはそんな天才を求めているわけではなく
やあ、こんにちわ、ごきげんよう程度の挨拶が交わしたいだけじゃないでしょうか。
個人的な感想ですが。
(ネット詩人A)
2022-06-07
読ませていただきました。
わたしも涙もろいのですが涙がこぼれたりすると
猛烈に恥ずかしくなります。
涙というのは気持ちのいい自己愛の変形ですが
そんなことをしていていいのか、もっと気をしっかりもてよ
とじぶんをなさけなく見下します。
でも涙というものがなにか真珠のように考える方がいる。
そういう涙もあるのだなとはじめてわかったような気がしました。
戦場で両親を殺された子どもの、やりばのない気持ちや
もっていきようのない感情がどうしょうもなく涙というかたちで噴出する。
それを自己愛だなんていえない。いったらわたしは人でなしだ。
きょうもどこかで血と涙が大地に流れている。
どちらも永久に人類には流してほしくない。うれし涙ならいいけど。
そんなことを強く思いました。
(真珠)
2022-06-04
Comoestanuquiさん お読み下さりありがとうございます。
わたしもたぶんComoestanuquiさんとまったく同じ考えです。この世で唯一、大事なことは
「戦争反対」につきます。いままでおろそかにして生きてきたことを今ごろ悔やんでいます。
これがすべてですが、実のところ一番むつかしい問題でもある。
まず「戦争反対」を実現するにはほんとうのこと、つまり、事実を世間に明らかにしなければ
ならないのですが、日本はモザイク国家です。
NHKの朝の連ドラのような、人間の裏側にモザイクをかけたきれいきれい明るい明るい面しか
みせない。ポルノもそうですが、たとえばウクライナの報道では公然とユダヤのネオナチが
戦争に参加していることを称賛して伝えているが、こういうことはNHKも朝日も隠してしまう。
つまり報道規制、表現規制国家です。そしてほんとうのことを書くとコメントでも異常者扱いされる。
まったく真実が隠蔽されたとんでもない状況で、そういう状況を肯定するやつらに限って「戦争反対」などと
うわっつらで叫んでいる。
「戦争反対」とNHKも朝日も書くが全部ウソです。ほんとうに「戦争反対」である立場は今日、だれからも
かえりみられない少数派で狂人扱いされる時代です。
ああ、いやだいやだと思うけど、そういう状況に埋没している人間が「おれは健全」だと自慢している。
なんか若い人たちにとってはもうトラップにかかったネズミのようなものでしょうね。
心からなんとかなることを祈っているのですが。
希望は少しずつ大富豪のなかに今の状態はよくないと覚醒してきた存在がいることかな。
イーロン・マスクはツィッターを買収しょうとして米国のユダヤ資本や政府から急に嫌がらせを
受けはじめた。さて、どこまで世界は狂気から目覚めるか、それだけですね、祈ることは。
日本人なんかもう9割がたはキチガイですよ。去勢されたおとなしいキチガイです。笑 (かなたのかなたへ)
2022-06-03
投稿作品に対する非難、批判は大いに歓迎するが、
投稿者に対しておまえ異常だろみたいなコメントは作品批評でも
なんでもない。
そもそも異常者からもいい作品が生まれるし、
健常者からも退屈な作品がつくられる。
異常者か正常であるかは作品批評とは関係ない。
三浦さんのコメントはただたんに投稿者を小馬鹿にしているだけだ。
わたしからみればこういうコメントをするほうがおかしい。
今後はこういう文学とは関係のない話はいっさいお断りする。 (かなたのかなたへ)
2022-06-01
なんでいつもからんでくるのか知らないが、
おまえは異常だなんていうコメントをされてもなあ。笑
もういいからパスしてくれよ、めんどくさいんだ、わかりもしないやつに
説明するのが。
(かなたのかなたへ)
2022-06-01
三浦さんにへの返信に誤記がありました
訂正
三浦さんは文学や詩のことがわかってるとは以前から思っていましたが
↓
三浦さんは文学や詩のことがわかってるとは以前から思ってませんでしたが
(かなたのかなたへ)
2022-06-01
お読み下さりありがとうございます。
ほんとうにちゃんと読んで下さっていれば
そういう疑問にも答えていると思うのですが。
要するに生まれつきの哲学者というと語弊があるけど
生まれつきの観察者というものはいるんです。
世間のあらゆることには不用な人間で、不器用で、無能で
まったく役に立たないけどだれも見もしないし考えもしない
無益なことを生まれつき観察しているしか能のない人間。
そういう存在のこと、わからないのかなあ? 文学に関わっているのなら
詩人だの作家だのってそういう無益な存在だってこと知って関わってるんじゃないの?
三浦さん、そもそも文学とか哲学とか批評てものに係わる人間の
無能、無益、無用ってものがまったくわかっていなのでしょうね。
失礼ながら健全とか健全でないとか、まったく馬鹿げた質問でしょ。
てか、三浦さんは文学や詩のことがわかってるとは以前から思っていましたが
健全な生活したかったらわたしなんかに関わらないほうがいいよ。笑 (かなたのかなたへ)
2022-06-01
かなりシュールな作風ですが、
なんかかもめが飛ぶ港町の原風景のようなものが浮かんできました。
そういう意味ではちっともシュールではなく写実的なイメージを呼びこむのですが
とはいえ、かなりシュールなことはシュールだ。
これがどんな作風に結実するのだろう。あるいは試作なのか、いずれにせよ、
シュールすぎる。 (鳥の卵)
2022-05-29
こんばんわ
なぜ生きるのかなんて問い詰める人っていやですね。
わたしは子供の頃からわかりもしないくせに哲学思想書が好きで
ずいぶん読んできましたがどの思想家も哲学者も他人に対して
なぜ生きるのかなって問い詰める人はひとりもいませんでした。
みな、ひらすら己の求めるところのものを明らかにするために熱中した
その言葉を書いていた。他人のことをあれやこれや詮索して非難するような
思想家哲学者は皆無でした。
ただ最近になってほんとにいやな自称思想家が出てきた。内田樹という自称
思想家です。この方の書物はすべてただひとつのことで塗りつぶされている。
「おれは正しい。おまえは間違っている。おまえはだめだ。おまえは人でなしだ」
全部こうです。つまり他人の揚げ足ばかりをとっている。そして「どうせ死ぬのに
なぜ生きる」などと他人を脅かしている。わたしはこういう輩はいっさい相手にしませんが
若い人たちはこんな人たちにけっこうやられている。
他人に対してなんで生きているなんていう輩は相手にしてはいけません。
わたしはそういう御仁は哲学者とも思想家とも思っておりません。別の何かです。 (なぜ生きているのか)
2022-05-28
わたしなりに現代の底なしの時代を感じました。 (変転)
2022-05-27
こんにちわ、なにかしら若い精神の躍動のようなものがあって
好ましく思えました。 (投げるよ)
2022-05-27
最近、哲学的な詩の投稿が連投されていて、この作品にも
なにかしら深いものを感じました。具体的にこうとはいえませんが
なにかしら無形のポエジーというか哲学を感じました。 (雨の新訳)
2022-05-27
こんにちわ、
すこし哲学的なことを考えさせる深いものを感じました。 (二重線)
2022-05-27
こんにちわ。
読ませて頂きました。センスのないわたしにはちょっとわからないところもありましたが
なにかしらもやもやとわかるような気がしました。 (借金をしている。)
2022-05-27
絵にもポエムが宿っているから
このようなものもここではありなのが面白い。
これもアートには違いないのだがいわゆる絵画やイラストとは
ちょっとわたし個人の印象が違う。
ダジャレではないのだがこの絵は「印章」という感じがしました。
「壁画」といってもいいけど、やはり「印章」かな。
「印章」というのはたとえば記念切手などのマークアートのことですが
この絵にはそういうスタンプのようなものを感じました。
これがもしどこかの家の窓に戦火の煙のようなもので小さくあれば
「印章」にはなりえない。それはまごうことなくリアルな「絵画」になる。
でも「印章」が悪いというのではない。「絵画」がいいというのでもない。
これは「印章」であると感じた、ただそれだけのことで、
アートとして素晴らしいものであることにはかわりないと思っています。
(放浪する音楽)
2022-05-20
読ませていただきました。
これはおそらく背景にロシアのウクライナ侵攻作戦があると思います。
おそらく筆者だけでなく日本国民も米国もそれからEUやアジア諸国のすべての
人々もいったいウクライナで何が起きているか、まったく知らないのだろうと
推測されます。
朝から晩までデマとフェイクとウソを平然と流し続けるマスコミの言説を
そのまま信じて書けばこのような詩になるのではないかとわたしなりに想像しました。
ロシアへ愛をこめてというのはおそらくロシア政権よ愛を忘れるなという皮肉でしょう。
しかしこの皮肉はまったく方向が逆じゃないかとわたしには思われます。
かといっても何も知らない人たちがそういうからといって
だれも非難や批判はできないでしょう。何が起きているかわかっている人は世界でも
ごく少数なのでしょうから。無理をいっても仕方ないなあという感慨がこの詩から
うけた感想です。 (ロシアへ愛を込めて)
2022-05-15
わたしがこれまでについた職業
陶芸職人見習い 温度計工場工員 写真印刷社レタッチマン
鉄工所職工 割烹料理店板前見習い パチンコ店員
土木会社運転助手 重機オペレーター サンドイッチマン
某私立大学財務部臨時職員 有名映画会社正社員
ヌード劇場照明係 新宿に基点を置く暴力団準構成員 焼き鳥屋─中国料理店
─大衆食堂etc飲食業10種あまり
日雇い労働者 ホームレス 総会屋 ガードマン 屠殺場でのバイト
港湾労働 デートクラブのちらし配り 高層マンション管理人
銀座多目的ビルの冷暖房管理者 ソープランドのボイラーマン
記念切手蒐集売買 新聞配達員 売春クラブ経営 ストリプ嬢のヒモ
テキヤ(露天商)......etc
ホームレスが職業かどうかはともかく、
さっと今思いつくだけでこんなものですが、正直ろくでもないことしか
してこなかったのだけど、わたしたちをとりまく世界のほんの一部でしか
ないけれど、そこに存在する人や物を立体としてとらえることができたような
気がしている。その感覚が今の日本人の幼稚で単調な世界認識や生の感覚から
徹底的にズレていることがわたしの一番の問題である。
(B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)
2022-05-13
1000は打ち間違いでした。
100の間違いです。
ヌード劇場の照明係から東宝の社員、
ヤクザの準構成員、駒澤大学職員、
文筆業、
その他、ほぼあらゆる職業を転々としてきました。
数えると100近い、いやそれ以上になります。
そこで知ったことはやさしさってのは他者の苦しみ
を自分も同じように味わうことからしか生まれないてこと。
本からやさしさが生まれたようにみえてもその本から
学んだやさしさはむしろ人殺しにつながるってことです。
(B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)
2022-05-13
何も知らない人たち
わたしが1000以上の職業を転々としてきたのは
もちろんおのれの不甲斐なさもあるのだろうが
心の中では世界を知るためだったといえる
牛殺しもやった
そんなことを信じられる人がいるだろうか
日本最大の
品川にある甲子園球場のような広さの屠殺場で
朝早くから働き
牛を殺してきた
命がけの仕事だった
毎日が血まみれだった
その事実を書いたところでこうやって
何も知らない人たちから
何もそこから汲み取れないひとたちから
敬意を払えと
敬意?
世界も生命もそんなレベルの
幼稚な話じゃないのだ
文学とはそんなレベルの話じゃないのだ
といったところで
しょせん
何も知らない人たちからは
そのレベルでしか読まれないし
語られないのだろう
ああ
牛よ
おまえとダンスした日々を
だれが知ろう (B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)
2022-05-13
牛とダンスを
朝っぱらから血のプールのポンプ修理など
あとまわしだと
今朝、職長はいった
きれいな音楽など流れない
ダンス場
それがわたしの職場です
ここには
毎朝どこかで悲鳴が満ちている
わたしは
引き立てられてきた牛のつらを
本気で抱きしめる
牛の目は上目遣いに濡れて
やさしくわたしをみている
お互いの信頼が一番だ校長先生の言葉
眉間に鉄のミノをあててハンマーでどつくと
600キロの体重が前のめりに倒れる
すぐに後足も震えだす
いやといったらテコでも動かない
牛のやつの口から泡が噴き出して
それでもまだわたしをやさしく見上げている重鈍な信頼
二撃目のハンマーの手元が狂い
牛の神経のいらぬところにミノが突き刺ささると
いきなり
前足を起点にして体重もろとも後脚が跳び上がり
逆立った
憤怒の表情の牛の顔が
迫ってくる
その牛の前足を手にとって鎮めようとしても
ダンスはとまらない
わたしたちは踊りだす
即興のステップを踏んで
牛の脳神経の暴走に
わたしはアドリブで返す
アップテンポのめちゃくちゃな踊りが
空をとぶ
頼むから鎮まれよ肉、
おいしい肉よ
さようなら
これでお別れだ
きみはきれいな包装紙に包まれて
世に送り出される
愛情いっぱいに育てました
贈答品にはそう書かれているだろう
きれいな音楽など流れないわたしの職場
いやだけどそれがわたしの仕事だ
(B-REVIEW 5月のお題詩「生命」)
2022-05-12
柳煙さん
お読み下さり感謝です。
jazzなんてもう何十年も聴いてませんが
ピアノの連弾、それもまったく自在なアドリブだけの
連弾を聴いてにわかにjazzのよさを思い出しました。
あんなふうに詩も書けたらどんなにうれしいかと思うけど
といったことろでわたしにはそもそも正規の詩も書けないのだから。 (といったところで)
2022-05-10
鷹枕可さん
ささやかな好評をいただき光栄に存じます。
お読み下さりありがとうございました。 (といったところで)
2022-05-10
お読み下さりありがとうございます。
おっしゃるとおり、定年の諦念からしばらく何も書く気や読む気持ちに
なれませんでした。
そんなときに若い天才的ピアニストたちの自由奔放な
ジャムセッション(連弾)を聴いて、少し気持ちが動きました。
もともと破調、乱調の詩もどきを書いてましたが
かれらのようにもっと崩してもいいのじゃないか。
いっさいの制約にとらわれず──。詩のかたちみたいなものに
うんざりしていた矢先なので、勇気を得たような気になり
アドリブでデタラメをさっと書いて投稿させていただきました。 (といったところで)
2022-05-10
こんにちわ。
ドラマチックでした。
わたしはこういう
ドマラを感じさせるものが好きな傾向があります。
最近はどうも詩からドラマが失われつつあるような
気がします。時代なのかな。
(春のメルヘン)
2022-05-09
てんまさん、何か誤解をされてませんか?
わたしはただこの絵に関心をもった経緯を書いただけで、
あなたに何も知らせてませんが? 知らせなくともこのサイトの玄関に書いてあることですよね。
それを見て絵に関心をもっただけです。わたしは作品に関心があるだけです。
「嬉しくありません」ということですが、
わたしのうほうも意味不明な不快感を表明されてまったく不愉快です。まして
「そういう仲」って何ですか? コメントをすることがあなた個人との「そういう仲」
になるのですか? なにか一方的に考えすぎじゃないですか?
コメントされるのが嫌というのなら今後は控えますが。 (芝生に入るべからず Keep off the grass.)
2022-04-19
すみません。ここへ来てまだ日が浅いものですから
他の作品はまだ読んでおりませんでした。
これから読んでみようと想います。失礼しました。 (共鳴する棘)
2022-04-18
面白かったです。
とくに語り手が理想的な歌姫浅貴椿と運命的な邂逅をするまでの流れは
水底を映してさらさらと流れる小川のような美しさで物語が進んでいき
とても自然に読んでいけました。
感想はここまでで、以下は余談ですのでご勘弁を。
歌声というのは小説にも書かれていたとおり
身体すべてがひとつの楽器になりそこから響き出るものだから、
理想的な声はひとつの奇跡、神秘ですらある。
その奇跡のドラマがどう展開するかわくわくして読んだのですが、
一般的な小説雑誌の編集者がもしわたしなら、もう少しドラマとしての
落差を求めたかもしれません。
つまり人間の声の神秘性、奇跡のような出来事をもっと強く訴えるために
歌姫浅貴椿を社会的な評価の埒外に置いて、根暗でそれほど顔もいいわけではなく
人付き合いが嫌いで、家にこもっているタイプに設定する。
だからこそ、その歌声が人間への社会的評価というものを根底から覆すドラマが生まれる。
語り手との友情と確執も顕在化する。
わたしの好みとしてはこういう設定だったらドラマとしては、面白さが一層際立ったような
気がしました。勝手な好みを追記して申し訳ありません。
でも、わたしはめったに小説読みませんが、最初から一気に読ませるものがありました。
なぜかわかりませんが、多分、魅力があったのでしょう。
失礼しました。
(共鳴する棘)
2022-04-18
いつまで詭弁を弄しているんです?
いい加減にしてくださいよ。stさんは有名無名の区別をしているだけじゃないでしょ?
そんなこともわかりませんか?
それに「読み落としていた」って^^ 冒頭から読んでいけば嫌でも目につく重大な
ネット投稿者詩人への侮蔑でしょ。
何を言ってるのかなと最初は思っていたが、やはり田中さんは外部が見えていない。
机上の世界の文言集を集めるのは上手だが、リアルな世界については何も見えていない。
じぶんに都合のいい世界しか切り取ろうとしない。
つまり精神は幼児の世界にいたままなんです。
そんな人が書く詩もまた幼児的な純粋性をもっているけど、しょせんそれは外部世界をしらない
机上のファンタジーでしかない。でもそれなりの評価をする人はいると思う。
しかしじぶんの都合のいい世界しか切り取れないひとはわたしには埒外の世界の人だ。
リアルな世界や人間については何も知る術をもたないとしか思えませんね。
その調子でこれからもご活躍下さい。わたしにはまったくもう無用の、
だれかさんのいうようにネット詩人差別を平然と無自覚に行う方であるとしても。
( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-18
2022年4月16日の【お知らせ】画像・映像投稿規準に関して
を読んで初めてあの画像がビーレビのふつうの芸術的な画像だと思っていたから
投稿されたものと知って再度見ました。かなり芸術性の高い感性のものだと思われます。
わたしは子供の頃から絵を描いていました。だからといって絵画の鑑賞能力はまったくないのですが
それでも、なんとなくいいなあと想いました。弾けてます。
すみません、詩本文のほうはわたしには難しくて未だに読解の途上です。
(芝生に入るべからず Keep off the grass.)
2022-04-17
>ぼくが直接、ネット詩を差別した証拠とやらを提示してください。
はい、これで直接ネット詩を差別した証拠の一丁あがりです。^^ ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-17
有名な詩人は難しい漢字を使ってもいいが
無名のネット詩人は難しい漢字を使うなというstさんの無名詩人侮蔑に同意なのなら
わたしに文句をいうことないじゃないですか。^^
( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-17
早速対処していただきありがとうございます。
感謝です。 (続 グッド・バイ)
2022-04-17
わたしが辞書を引かなければわからないような
難しい漢字のタイトル詩をビーレビに投稿したのが以下の期日。
『眤月』
2022-01-14
「有名な詩人」でないネット詩人が難しい漢字を使うことを糞扱いに
した散文が現代詩フォーラムに投稿されたのが以下の期日。
『あらたな詩小説の世界』
22-1-20
内容を再掲すると以下のごとき
最近やたら難しい漢字を使った詩が多い。いちいち検索するのも面倒なので
、そんなものはスキップする。いったいこれらの詩の作者たちは何様なのだ
ろうか。有名な詩人のものなら、そんな手間をかけても読む価値があるだろ
うが、できるだけ大勢の人たちに読んでもらいたいなら、調べなければなら
ないような漢字などは使わない方がよいだろう。
下手な詩人は難しい漢字を使うなというのならまだもしだが、
明らかにstさんは「有名な詩人」なら難しい漢字を使ってもいいが
そうでない投稿者は難しい漢字を使うなといっている。
しかもわたしの抗議で消した部分では無名の投稿者を糞扱いしていた。
しかし、無名だろうが有名だろうが難しい漢字を使うのは必然があるからで
有名無名は関係ない。明らかにこれは無名のネット投稿者への侮蔑です。
「眤月」という難しい漢字のタイトルを使った直後だったので
余計にわたしはその下劣な差別意識に不快感をもった。
その投稿を田中広輔さんが賛同しておられた。わたしからみれば田中さんが無名の
投稿者を糞扱いするstさんの散文に賛同したことでstさんの侮蔑思想は再生産された
と認識するのは当然。
これのどこがおかしいのでしょうか? ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-17
もう書いてますよ。
ほんとにあなたは人の痛みがわからない人ですね。
あなたの中に他者はない。それがようくわかりました。
( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-17
議論にそって田中さんは何一つ応えてないじゃないですか。
田中さんがもってきた「議論」は「わたしはネット詩人を差別していない」というものでした。
これが議論の端緒です。
それに対してわたしはあなたがstさんのネット詩人差別に賛同していたと指摘しました。
これが議論の流れです。
それに対して田中さんはやはり何も答えず、話をstさんの投稿全般がまっとうだという話に
方向を変えました。わたしはそんなことを議論していたのではないのです。
だから、話をそらすなといったのです。わかりませんか?
この道理がわからないのなら、もう相手はしませんよ。荒らし扱いとして対応します。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-17
田中さん、議論にそって話をしないその態度は
十分に傲慢で不遜ですよ。小馬鹿にしているのでしょうが、
もういいから失せてはどうです?
わたしはあなたには一切の関心も興味もないのですが。
ご理解下さい。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-17
お世話になっております。
ところでコメントとは関係ないのですが、フォーラムにコメントしても
わたしのコメントだけ反映されません。
すべてのスレッドでコメントが無効になっています。
何か制限を受けたのでしょうか? (続 グッド・バイ)
2022-04-17
湖湖さん、目立たなかったけれど一番書きたかった小さな部分に
注目して下さりありがとうございます。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-17
田中さん、なにを詭弁を弄しているのんですか?
stさんは投稿散文の中ではっきりと「有名な詩人」と、そうでない詩人という弁別をしている。
しかもネット投稿板でそういう弁別をしているじゃないですか。
あれは、あなたが詭弁を弄するような「ある傾向をもった作品」について書いた散文ではない。
「ある傾向をもった作品」についての散文ではなくその「ある傾向(難しい漢字を使う傾向)」を許容する
ことができる資格について書いた作品です。
「有名な詩人」だけ難しい漢字を使ってもいいといっているのです。明らかに「有名な詩人」
ではない無名な詩人を差別している。それすらわかりませんか? そのことをどうして認めないのですか?
>わたくしが問題としているのは、...........
って、田中さんは仰るが、無名詩人が多いネット上でその無名詩人にだけ難しい漢字を使うなと罵倒したstさんを称賛された。
わたしが批判したので糞扱いの文言をしている後半部をstさんは削除されたようですが、それにしてもひどい差別だった。
ふつうの神経では考えられない内容だった。その散文に田中さんは無批判にポイントを入れ称賛していた。
とうぜん、stさんの主張を認めたと思われることは考えないのですか?
わたしが今回の投稿作品で問題にしたのはあなたのそういう他者性のない芸術至上主義的な傲慢さです。
その傲慢さを問題にしたとしても非難したのではなく、わたしにはもういっさいの関心や興味をもたせない詩人だと考えさせられる
理由を書いただけです。ちゃんと読んで下さい。
( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-17
stさんがネット詩人を侮蔑した投稿の冒頭は以下のものです。
わたしが注意したので後半をほとんど削られたようですが、それでも冒頭には
次のような発言がある。
最近やたら難しい漢字を使った詩が多い。いちいち検索するのも面倒なので
、そんなものはスキップする。いったいこれらの詩の作者たちは何様なのだ
ろうか。有名な詩人のものなら、そんな手間をかけても読む価値があるだろ
うが、できるだけ大勢の人たちに読んでもらいたいなら、調べなければなら
ないような漢字などは使わない方がよいだろう。そんな中で、必ず読ませる
作品がある。田中宏輔氏の詩の日めくりだ。
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=368783
この投稿に対して田中広輔さんはポイントを付けた上で
次のようなコメントを寄せられている。
拙作についてご批評くださり、ありがとうございました。たいへんうれしゅうございました。
田中さんはわたしに
わたくしがネット詩人(というものはいないというのが私見ですが)を卑しめたといった嘘を
広められてはかなわないなということ、ただそれだけです。
と書いてこられたが
田中さんは、ネット詩人を卑しめている散文によろこばれているじゃないですか。
もちろん、その事はわたしの投稿にはいっさい書いてないし、そのことを問題にもしてなかった。
しかしあなたがわたしに「ネット詩人を卑しめているとウソを」などとおかしなことを書いたから、
それは違うでしょと、事実を出してきたわけです。
くり返しますが田中さんがstさんに感謝するのは勝手だしこの散文ではそれを云々していない。
あえてこのことを指摘したのはあなたのコメントに他者性がないから、自分への評価だけしかみていない
その傍証にもなるとおもったから、現フォの例を出したのです。
もうこの話はやめられてほうがいい。やぶ蛇になるだけです。
( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-16
それはいう相手が違う。ぜんぜん方向違いです。
あなたはstさんに一生懸命ポイント入れてるけど、かれは現代詩フォーラムの散文で有名詩人以外の
ネット投稿者は糞のくせに難しい漢字を使うなとはっきり書いている。これこそがネット詩人を卑しめているわけでしょ。
わたしはすぐにそれはネット詩人差別につながるとコメントした。少しだけ訂正したようだけど、それでも主旨は
シロウトのネット詩人ごときが難しい漢字を使うなというものだった。そのstさんに、あなた、ポイント入れてらっしゃる。
あなたご自身こそがそういう偏見をもつ人を認めてるじゃないですか。そんなことをしておいて
わたしにいうのはまったくのお門違いです。ていうか、あなたがstさんのネット詩人差別を認めていることの傍証といわれても
仕方ないですよ? ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-16
stさんがネット詩人を侮蔑した投稿の冒頭は以下のものです。
わたしが注意したので後半をほとんど削られたようですが、それでも冒頭には
次のような発言がある。
最近やたら難しい漢字を使った詩が多い。いちいち検索するのも面倒なので
、そんなものはスキップする。いったいこれらの詩の作者たちは何様なのだ
ろうか。有名な詩人のものなら、そんな手間をかけても読む価値があるだろ
うが、できるだけ大勢の人たちに読んでもらいたいなら、調べなければなら
ないような漢字などは使わない方がよいだろう。そんな中で、必ず読ませる
作品がある。田中宏輔氏の詩の日めくりだ。
https://po-m.com/forum/showdoc.php?did=368783
この投稿に対して田中広輔さんはポイントを付けた上で
次のようなコメントを寄せられている。
拙作についてご批評くださり、ありがとうございました。たいへんうれしゅうございました。
田中さんはわたしに
わたくしがネット詩人(というものはいないというのが私見ですが)を卑しめたといった嘘を
広められてはかなわないなということ、ただそれだけです。
と書いてこられたが
田中さんは、ネット詩人を卑しめている散文によろこばれているじゃないですか。
もちろん、その事はわたしの投稿にはいっさい書いてないし、そのことを問題にもしてなかった。
しかしあなたがわたしに「ネット詩人を卑しめているとウソを」などとおかしなことを書いたから、
それは違うでしょと、事実を出してきたわけです。
くり返しますが田中さんがstさんに感謝するのは勝手だしこの散文ではそれを云々していない。
あえてこのことを指摘したのはあなたのコメントに他者性がないから、自分への評価だけしかみていない
その傍証にもなるとおもったから、現フォの例を出したのです。
もうこの話はやめられてほうがいい。やぶ蛇になるだけです。
( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-16
それはいう相手が違う。ぜんぜん方向違いです。
あなたはstさんに一生懸命ポイント入れてるけど、かれは現代詩フォーラムの散文で有名詩人以外の
ネット投稿者は糞のくせに難しい漢字を使うなとはっきり書いている。これこそがネット詩人を卑しめているわけでしょ。
わたしはすぐにそれはネット詩人差別につながるとコメントした。少しだけ訂正したようだけど、それでも主旨は
シロウトのネット詩人ごときが難しい漢字を使うなというものだった。そのstさんに、あなた、ポイント入れてらっしゃる。
あなたご自身こそがそういう偏見をもつ人を認めてるじゃないですか。そんなことをしておいて
わたしにいうのはまったくのお門違いです。ていうか、あなたがstさんのネット詩人差別を認めていることの傍証といわれても
仕方ないですよ? ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-16
田中さんが指摘したようなことについては、わたしはこの雑文では何も書いておりません。
むしろ仮にそうだったと仮定してもむしろ田中さんを擁護しています。
わたしが田中さんについて書いたことはひとつ。芸術至上主義者にありがちな傾向性として
他者のなさからくる、他者への傲慢があると指摘した部分でしょう。
わたしが愛知トリエンナーレ展で昭和天皇の写真をバーナーで焼いて
踏みにじる動画を批判したことはご存知だと想います。
このビーレビにも愛知トリエンナーレ展を批判した雑文を投稿しました。
これはどうしてかというと天皇一家の方々はまだ生きているわけです。
別に天皇ちゃんなんかどうでもいいのですが、一人の人間としてその存在や
生命を尊重しない態度は最底辺の人間をおも尊重しないのと同じ態度です。
主義主張なんか関係ないです。一人の人間としてみた場合、その存在や
生命はまったく同じです。そういう意識があれば天皇も乞食も同じです。
天皇だからといって
まだご家族もおられるのにその写真をバーナーで焼いて踏みにじるという行為は
あきらかに政治的意図をもっているわけで、その政治的意図が芸術性を
損なっていると考えるのは、普通の生活者ならとうぜんの感想です。
いくらその動画が芸術として優れていても、ふつうの感性があれば受け入れられ
ないこともあるわけです。
つまり他者を無視した芸術至上主義はそういう人には容認されないでしょう。
そういう他者の存在を認めることは大事だとおもいます。
ところがあなたは現代詩フォーラムに上げた「日記」で、天皇を燃やす写真の
芸術性を理解できない人を小馬鹿にしていた。その芸術性を理解できない人に
首をかしげていた。
わたしはそういう感想は傲慢だと感じました。
仮にある人がその芸術性をわかっていても、人間の存在を
否定するような政治性があればとうぜん、芸術を受け取る際に否定性が入ってきて
当然でしょ。あなたにはそれが理解できない。わたしはあなたには他者が存在しないの
だなとすぐにわかった。ある意味、芸術至上主義者なんでしょう。それはそれでいい。
しかし他者性のない人間は未熟な人間です。そういう人の書いたものがいかほど
面白くともわたしはそんなものは芸術とは認めません。精神の未熟なひとの作品は
やはりトータルには貧弱です。貧弱だけならいいのですが、その考えが人の存在を
脅かすことになる可能性もある。本人が知らなくとも。
だからわたしは田中さんにはまったく興味も関心も失ったと書いたのです。
これは今後とも変わりません。
わたしごときが一切の関心も興味も失ったところで、田中さんにはたくさんの
支持者も理解者もおられるのですから屁でもないでしょう。
しかし、中田さんがいったようにそういう姿勢が傲慢であることもまた事実です。
この考えは今後とも変わりません。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-15
どうも。
ほんとうにお世話ばかりかけます。
ありがとうございました。
ご指摘のマナー、ルールー等念頭に置いて
投稿や感想をさせて頂きます。 (続 グッド・バイ)
2022-04-15
運営なら感想欄で書かせずにフォーラムに誘導するのがふつうでしょ。
ここで荒らしを助長してどうするんですか。まったく信頼性がおけないですよ。 (続 グッド・バイ)
2022-04-14
仁川路 朱鳥さん
わたしはこの投稿作品書くのに丸一日潰してるんです。必死です。汗かいて
投稿してます。その作品を守る気がないのなら運営やめたらどうですか?
だれが一輪車だのなんだの、それって感想に関係ないでしょ。
常々、運営の方には感謝している旨、表明していましたが、これじゃどうにもならんでしょ。 (続 グッド・バイ)
2022-04-14
仁川路 朱鳥さん
>室町礼さんと一輪車さん(ビーレビユーザーではないようですが)の間に『誰の目で見ても明らかな』共通点はありますでしょうか?
って、^^ そもそも作品の感想欄でそんな話題すること自体おかしいでしょ? 運営なのにわかりませんか?^^
あ、返事はいいです。なにも期待してませんから。^^
(続 グッド・バイ)
2022-04-14
三浦さん、本来わたしがやるべきことですが、心配してくださってすみません。
春先ですからこういう心の病の方は出てくると思うんです。
それと運営も甘いですよね、対応が。わたしはもういっさい匙を投げてます。
ですから三浦さんには感謝していますが、病んだ方を相手にしても意味がないような
気がしますので、放置しておけばいいと想います。
こんな荒らしが歴然としていながら運営は「今後●●」だのとお茶を濁している。^^
病んだ方も運営さんもどうぞご自由にとしかいいようがありませんね。 (続 グッド・バイ)
2022-04-14
Inflated like a bra
The outer skin of the bread
Brilliant morning
Beautiful scent
Join hands at the beginning of a bright day
Bring bread to your mouth
Apply butter
With bacon in between
ブラのようにふくらんでいる
パンの外皮は
うつくしい朝の
奇跡のような香り
輝かしい一日のはじまりに手をあわせ
パンを口に運ぶ
バターを塗り
ベーコンをはさんで (B-REVIEW 4月のお題詩「B」)
2022-04-13
三浦さん、わたしに代わり注意をうながして下さり恐縮です。
運営が許しいているようなのでわたしはいっさい放置しています。
これが現在の運営のレベルだとおもっています。 (続 グッド・バイ)
2022-04-13
三浦さん、お読み下さりありがとうございます。
太宰の未完の遺作『グッド・バイ』の続編を書きたいと思っていたのですが
あの小説は太宰の神経が酒に侵されていたせいだと想像するのですが、
集中力を欠き、バラバラで、マンガのようなセリフ回しがあって、おそらくやけくそで
書いていたとみていました。ですから、この劣化した太宰の文体を真似ることが
ずっとできなかったのですが、今日は二日酔いで頭がぼうっとしており、ちょうどいいとばかり
そのままぱっと書いてみました。でもやはり後半からわたしのハードボイルド風の
文体になってしまいました。
お読み下さりありがとうございます。 (続 グッド・バイ)
2022-04-10
訂正
上から七行目 「早苗は薬を飲んで今眠ったばかりだ」→「ケイ子は薬を飲んで今眠ったばかりだ」
今日一日で書いた物語なのでかなり荒いですがご容赦。 (続 グッド・バイ)
2022-04-10
壊れたセカイで
壊れた僕らは
矛盾を許せ無かった
矛盾した僕ら
この連、胸に響くものがありました。 (milk mm)
2022-04-10
おはようございます。
黒髪さんだから忌憚なく感想が述べられる安心感がある。
つまりわたしは黒髪さんにはコメントを誤解されないと信じている。
あるいはひょっとすると黒髪さんはだれより
心が広く自由であるのだろう。それにわたしがかってに甘えているのかもしれない。
コメントすることにこんなに制限を覚えないですむ方もすくない。
みながこうであってくれればありがたいのだがそうもいかない。
さて作品への感想ですがいい意味での便所の落書きのようなものだと思っています。
何も考えないですむような内容ですし、また、何の意味もないと思います。
いい意味で。
(言葉の自由)
2022-04-10
おはようございます。
ほのぼのとした家族の小日常の一コマにふんふんとうなずきました。
ただ、鈍いわたしには何が残酷なのかもうひとつよくわからない。
生理という自然が自然に育まれて現象したことはむしろよろこばしいのではないか、
そんなことを考えました。 (他言無用)
2022-04-08
おやおや。
わたしに一度ならず二度も憎悪に満ちたコメントをされたのは
天才鷹枕可さまのほうでございますが、ご自身が嫌な相手からコメントされることが
どれほど不快であるか、ご自覚なさったなら、
いさぎよく相手に謝罪すべきではないかと存じます。
もっともわたしは天才鷹枕可さまを憎悪などしておらず、ただただ称賛しておる
ばかりです。
眼からうろこを落として、わたしの賛辞をよくお読み下さるようお願いもうしあげます。 (華燭の茎_膠と絵筆)
2022-04-07
いつも拙作にゆえなき憎悪と偏執のコメントをつけてくださる
天才詩人鷹枕可さまに、小生もお礼のしるしにつたない読後感など。
孟子曰、
人不可以無恥。無恥之恥、無恥矣。
再孟子曰
人不可以無恥
(埋葬、汀にて)
2022-04-07
鷹枕可さま
読み込んでみましたが
>凡そ私の書き得るものは、所詮自涜の塵芥に過ぎぬ
読めば読むほどそんなことはありませんよ。
これはすばらしい暗黒芸術の一分野です。
修辞塗れ、核心が、目的がないとおっしゃるが
それは読むものがみつければいい。
憎悪の爆発です。鷹枕可さまの心の底に溜まり溜まった
黒黒とした対象のない憤怒が、相手を探して浮遊し、
妄想のなかでわたしの投稿に敵意を抱き、糞便のような憎悪をぶちまける。
その大本にあるのがこの詩ではないでしょうか。
むかし暗黒舞踏というものがありましたが、憎悪と憤怒のはけ口としての
暗黒詩。こんなものはみたことがありません。
もっと多くの人がこのブラックポエムを評価すべきです。
感動のあまり思うがまま書き留めましたがご容赦。
これからもその狂気のような怒涛のような溜まり溜まった
劣等感と憤怒をぶちまけてください。ただし、わたしの投稿作は天才鷹枕可さまの
糞便のような憎悪を吐き出す対象ではございません。
今後はおてやわらかにお願い申し上げる次第です。
世に隠れた天才ポエマー鷹枕可バンザイ。^^
(華燭の茎_膠と絵筆)
2022-04-07
鷹枕可さま
いや、二度と読みたくないと申しましたが
一度読んでみて不思議なことに、時間がたつごとに大変興味が湧いてまいりました。
これは一度批評に挑戦してみたくなる世紀の奇書です。
この詩を翫味して批評にあげてみたくなりました。
これだけのものをネットの隅に埋もれさせるのは惜しい。
フリークホラーポエムの傑作です。浮遊する憎悪がだれかれなく
憑依をもとめてめらめらと燃えている。すごいです。
ここでの投稿回数は使い果たしてしまったので仕方なく
近日、現代詩フォーラムに上梓しますので、どうか
ご期待ください。 (華燭の茎_膠と絵筆)
2022-04-06
こんにちわ。
いつもわたしにコメントを下さっているのに読んだことも
コメントしたこともないことを少し申し訳なく思っておりました。
素直にいいますと投稿者さんのファンではないのですが、
いわば義務的な返礼としてといっては失礼ですが正直な感想をさせていただきます。
うそいつわりのない読後感をもうしますと、やはりちょっと気持ち悪い。^^
ひとつひとつの行の独特の表現が不気味です。
むかし、学校の薄暗い標本室で
アルコール漬けの胎児やガイコツの標本をみたときのような
ぞっとする陰湿な憎悪や 深刻なコンプレックス、凄惨な恨みのようなものが
行間に漂っていて、それが何の脈絡もなくどこへでもとんでいって付着しそうでもある。
詩の分野にもしもホラー詩の分野があれば、これはまさしくダントツで大賞を受賞するでしょう。
わたしはあまり読みたくもありませんが、こういう詩を愛読するファンも
多数いると思います。そういう意味では詩の世界において特記すべきホラーチャンピオンでしょう。
いつか必ずこの、光の差さない、蜘蛛の巣の張ったような湿った地下の密室に散乱する、
首の外れたマネキンやネズミの死骸、若き女性のアンネの血が染みた脱脂綿、暖炉にくべた眼鏡、
錆びた鍵類etcなどで埋め尽くされた暗黒の世界に
脚光が浴びせられる日が来るかもしれません。
たしかに異端な分野ではありますが、ちょっとやそっとでこのようなものを書く詩人は
世界広しといえども見いだせないでしょう。
そういう意味ではビーレビにとって貴重な書き手であると思います。
ご健闘をお祈りします。
わたしは一度で十分でして二度と読みたくありませんが。
(華燭の茎_膠と絵筆)
2022-04-06
人にコメントするさいのマナーもわきまえぬ
御仁へ。
詩経に曰く。
我に投ずるに木桃を以てせば、之に報ゆるに
蔑瑶を以てす。
我に投ずるに木瓜を以てせば、之に報ゆるに
蔑裾を以てす。
意味
从一个老疯子的嘴里流口水
我不仅仅是写一首像泡沫一样的肮脏的诗
倒不如死了。 ( 『びしょ濡れアリスちゃん』を読む)
2022-04-06
おはようございます。
作中人物の告白についてですが、
意味を求めて意味もなく足搔くことが
自然であるなら、いくら辛くても足掻けばいいとわたしは思います。
作中人物のどんな生き方もそれが自然であるなら肯定します。
人様より少しだけ苦労して長生きしたつもりのわたしから
作中人物にいうことばがあるとすれば
自然を愛し、自然を忘れないでほしい。自然とは富士山や長良川や
桜や雪のことではありません。
ありのままの自分を肯定してあげて、
ありのままの自分を受け入れ、引き受けてやることも
自然という雄大な存在形態のひとつです。
話はとぶかもしれませんがLGBTというのはひとつの誤謬、
倫理の齟齬です。かんたんにいえばLGBTなんか虚構であり、
非人間的な倫理であり、人の心を殺すものです。
女性であることが嫌という心の動きにはどこかに間違いがあります。
いずれわかる日がきっと来るだろうけど、
とりあえずはわたしを信じて自然を愛することに賭けてほしい。
そんなことを作中人物に思いました。
(いのり)
2022-04-06
DaysXMa≠naさま
浅はかにもわたしが誤読していたようです。
申し訳ありません。
出る釘は打たれる。出るモグラの頭は殴られる。
これを肝に銘じて奮闘努力する次第です。
失礼しますた。 (陥落前夜)
2022-04-05
訂正
「ら」が抜けていました。
訂正後の文章はこちら。
↓
短歌のシロウトの感想なので間違っていましたら
お許しください。
(桜水 短歌3首)
2022-04-05
訂正
「ら」が抜けていました。
訂正後の文章はこちら。
↓
短歌のシロウトの感想なので間違っていましたら
お許しください。
(桜水 短歌3首)
2022-04-05
おはようございます。
いずれも
上句にはなかなかの風情を感じました。
というか、けっこうイケてる。
しかし、いずれも下句がすこし冗長であったり
重複であったり、順接であったりして
わたしは書けませんが短歌ってなかなかむつかしいなとおもいました。
おそらく詩を書く方だから風情のある上句はすらすらと
でてきたのでしょう。
問題は下句です。現代の人が書くのならここで
思い切った転換がほしいところでした。
とはいえ、非常にむつかしい要望ですから、
まあ、こんなもので了としたいところです。
短歌のシロウトの感想なので間違っていました
お許しください。
(桜水 短歌3首)
2022-04-05
おはようございます。
わたしも前後不覚、先が見えない。
こうなればもう他力本願しかないのかも。
そんなことを思わせる詩ですが、
もうちょっと書いてもよかったような気が
しないでもありませんでした。 (迷子)
2022-04-05
おはようございます。
糖質との戦いを歌ったように読みました。
壮絶ですね。 (スィーツ三昧 短歌三首)
2022-04-05
こんにちわ。
雨。
雨はたしかに天から落ちてきますね。
この当たり前の事実が常識となって意識化している。
だけど雨は
神から一番遠い存在のものかもしれない。
ミミズのうめきでもいいし
仕方なく兵士に徴用された殺人者の慟哭(どうこく)でもいい
そのように囚われた意識の世界をひっくり返す。
それが詩じゃないかと
ふと思いました。
(cry in the me)
2022-04-04
こんにちわ、仁川路 朱鳥さん
わたしはスポーツも芸術だし料理も芸術だと思っています。
ゲームの総合芸術性を否定するつもりはありません。
しかし同じ料理であってもカツ丼と餃子が違うように、同じ総合芸術であっても
スポーツ、あるいは料理の芸術理論を詩の芸術性にあてはめるには
すこしばかり違うものがあります。
大枠ではカツ丼も餃子も同じ料理ですが、カツ丼にはカツ丼の美学があり、
餃子には餃子の美学があるでしょう。
カツ丼に餃子の美学を求めるなら餃子を食えばいい。
そういう意味で書いたのですが、書き方が少々雑であったゆえに
誤解を生じたことは否めません。
また、
レトリックを使う人に嫉妬しているのでは?というご指摘は
仁川路さんの心の動きとしては一理あります。
しかし選択と転換もレトリック”の一部であることは投稿作に書いておりますから
おそらく仁川路朱鳥さんのご指摘の「レトリック」とは
隠喩や音韻のことを指しているのだとおもわれます。
隠喩を多用することについては、これは選択と転換に回収される問題ですから、
わたしは隠喩のむつかしさにあまり抵抗を覚えておりません。
わたしが評価した『竹見一穀』は全体が隠喩であり、
細部も隠喩であったことはご了解いただけると思います。
音韻についても関心をもっておりまして
谷町九丁目 歯磨きする童貞
という一文をトビラさんにコメントしております。
一見なんのことかとおもわれるでしょうがこれは「あいあいうおうえ」が重複する文章です。
そういうものを詩の言葉の裏に隠して書くことにも価値をみております。
結論として
わたしはゲームも総合芸術だとは思っていますがわたしの問題意識からすれば好みとしては
部外のものであると表明しただけであることをご理解していただきたいとおもいます。
拙作を丁寧にお読みいただき、また、鋭いご指摘をいただき感謝しております。
ありがとうございました。
(詩の文法)
2022-04-04
こんにちわ。
この詩よくわかります。
人は集団とうまくやっていくには
自分を殺さなければなりませんから。
一人になったときまた自分を蘇生させるのですが
演技をしていた自分はどこに仕舞うのだろうかと
ときどき考えていましたが、
この詩を読んでなるほどそんなものかなと考えました。 (私)
2022-04-04
皆様の的確かつ丁寧で心情に満ちたご意見ご感想
謙虚に拝読しました。
このような拙文にコメントをありがとうございます。 (詩の文法)
2022-04-04
みなさまご感想ありがとうございます。
稚拙な詩をひとつご返信に代えて。
批評はストリップである
胸のあたり
しらじらと助骨をみせて
わたしは批評する
ときには
アヌスもさらして
わたしは
人さまのスカートを
めくる
なぜ人さまの痩せた肩に
外套をのせてやれないのか
薄いわたしは
ひとさまの衣服を剥がすつもりが
いつもじぶんの
剥き出しの
貧弱をさらしている
無防備な姿態を
笑われ
罵られ
軽蔑されて
平気だとはおもわない
わたしは
人一倍内向だから
とても耐えられるはずもない
それでも
わたしはわたしをさらす
変態のわたしは
とりあえず
そうやって生きている
(詩の文法)
2022-04-04
こんにちわ
精力的な詩作活動を続けておられるので
敬意を覚えます。
ただし、惰性で書いているところもあり、
今回の投稿詩、わたしには三連目だけが詩になって
いると思われました。
人それぞれでしょうが、わたしにはあとはいりませんでした。
そして三連目もそれほどいいわけではありませんでした。
ただ、
海苔弁という言葉の選択はいい着眼点だと思いましたし、
原動機付き自転車という言葉の選択もいい選択だと思いました。
この二つをもう少しうまく料理すればリアルな日常世界が蘇った
かもしれません。
でもこういう言葉の選択がさっと出来ているところがやっぱり凄い感性を
もった方だと思いました。わたしには真似できません。
((寒の戻り))
2022-04-03
ちなみに「破門」は連続ドラマです。
netflexの映画「破門」のほうは糞です。ドラマのほうは
もう上映されていません。 (詩の文法)
2022-04-03
On the movie One Flew Over the Cuckoo's Nest
McMurphy: But I tried, didn't I? Goddamnit, at least I did that.
映画 カッコーの巣の上で マクマーフィのセリフ
「だが挑戦してみただろ?クソったれ!少なくとも俺は挑戦した」 (詩の文法)
2022-04-03
おはようございます。
読ませていただいて考えたのですが、
こういうのはすべての人間にとって
普遍的な問題だと思うんですよね。
探しものというのは探しものをしている
その人間の存在それ自体だと思うのですが
探しものをしている人間それ自体はそのことに
気づかない。そんな気がしました。
(さがしもの)
2022-04-03
おはようございます。
わたしはyatukaさんのファンなのでいつも投稿を期待
させてもらっていますが、......
正直いわせていただきますと
最近はどんどん低調になっているようにみえます。
ことばの使い方やレトリックもどんどん劣化している。
詩ってほんとうに助詞ひとつの使い方を間違っただけでも
それだけでダイヤモンドがただの石ころになる。
最近は、
言葉に対する細心さが失われているような気がしてなりません。
ほんとうに書くことがあるのでしょうか?
朝の花の市場
これはほんとうにこれでいいのでしょうか?
青空は宇宙の暗がり
暗がり? こんなことばをつけていいのでしょうか?
君
こんなことばでいいのでしょうか。
そんなことを感じました。
これはわたしの個人的主観的な好き嫌いの表明ではなくて
普遍的な意見だとじぶんでは思っていますが、
もし主観的な好き嫌いであると思われるなら今のうちに
謝罪しておきます。
他の方ならともかく、yatukaさんほどの方がこんな粗雑な詩を
書いてはいけません。
失礼しました。
(花と傷)
2022-04-03
こんにちわ
きれいな、いい詩ですね。
春の訪れの中にひそむ小さな痛みのようなものも
感じられ、なおいっそうことばが輝いてみえました。
こういう詩には少々気恥ずかしいのですが
キザな感想もいいかと思ってコメントしました。^^
(なりたい)
2022-04-01
訂正
『破門』(疫病神シリーズ)はwowowではなくNetflix製作でした。
ここに訂正してお詫び申し上げます。 (詩の文法)
2022-04-01
おはようございます。
非常に日本的な情念が舞台上の演劇空間に
うつくしい筆致で描かれていると思いました。
(貴女に死にたいと言われたから)
2022-04-01
おはようございます。
ラストの一行に共感を覚えました。
コロナ騒動や経済停滞、ウクライナなどのニュースに
日々接していて
わたしもそのセリフ、
胸の内でつぶやいたことがあります。
戻ってきてほしい日常とは描かれているとおり
他者とのなごやかな関係性であって
それが失われた社会とはどれほど不幸なんだろうかと
おもいます。
(送別会)
2022-04-01
誠に、まことに失礼しました。
竹田一穀ではなく竹見一穀でした。(-_-;)
申し訳ございません。 (陥落前夜)
2022-04-01
前作の『竹田一穀』は現代詩の傑作だとおもっていたので
次の御投稿を心待ちしておりました。
意外や意外、蓋を明けてみると
自由律俳句のようなものだったので驚きました。
この平板さはいったい???
前作との乖離があらゆる意味で大きすぎて
その謎に
呆然としております。
(陥落前夜)
2022-03-31
追記
それから
申し上げ忘れましたが鷹枕可さん
春先には気候の変動が大きく身体や精神の変調をきたす方も多いと
聴いております。
鷹枕可さんも、どうかくれぐれも御身お大事に。^^ (プーチンの祈り)
2022-03-31
鷹枕可さん、おはようございます。
お読み下さりありがとうございます。
また、真剣なご講評をいただき痛み入ります。
ただ、
まことに申し訳ありませんが少しばかり
誤解があるようです。
えーと、非常に心苦しいのですが、
ご承知のように
これは詩ではありません。
それから小説でもありません。
また芸術論でもありません。
これはいわゆる世間で情況論といわれるものです。
もちろん仰るとおり下手な情況論ですが。
たしか、ここは詩だけでなく散文も短歌も批評も
政治論や情況論も
投稿可能なはずですので、
鷹枕可さんの批判はちょっとばかり的外れな
気がしないのでもないのです。
つまりこれを詩と受け取って批判されても困りますし、
芸術論と受け取っていただいても困ります。
情況論とは現実です。リアルな現実ではなく
わたしにとって現実です。
わたしにとっての現実とはつまりわたしの生活です。
これは自戒を込めていうのですが
基本的に詩人や小説家のお粗末な世界認識からくる
政治発言ほど
みっともないものはないと普段から思っておりまして
わたしたちは
詩人や作家の虚構世界に耽溺するあまりかれらの世界観の
貧弱さに気がつかないことが多い。
しかしかれらの発言のもとになる世界認識が
一方的な世界からの情報をもとになされているとすれば
その発言もとうぜん偏向から
逃れられないわけです。
わたくしごとで申し訳ないですが
わたしは
吉本隆明という思想家の意見や主張を
あらゆる物事を理解する上での
指針にしていました。
しかしロシアによるウクライナ侵攻を目にして
G7国がいかにデタラメに満ちたフェイクを垂れ流しているかを
目にしてしまった。
巨大資本がいかにウクライナ、ロシア両国民を食い物に
しているか、気がついてしまった。
吉本という、わたしにとって偉大な
思想家への私淑は
あっけなく消滅した。
今から考えるに
吉本の情況論は旧ソ連がポーランドに侵攻したことを
G7側の善悪二元論で処理していた。
悪いのは旧ソ連で被害者はポーランドだという
欧米が垂れ流す価値観をそのまま受け取って
かれの政治思想や情況論を展開していた。
そのうえで
"ベ平連"などの反米活動家を非難していた。
しかし今からかえりみると
批評家、思想家としてその態度は間違っている。
日本のテレビ新聞情報を丸ごとそのまま信じ、
世界をニ元論的にとらえて
それを前提にどのように精緻な理論を展開しようと
そもそもそんなものはただの虚構でしかない。
これは反米運動家にもいえることで、
一方的に欧米を悪ととらえて偏向するようなものも
ただの政治活動であって批評ではない。
断っておきますがわたしは
「どっちもどっちだ」というような
幼稚な諦念を敷衍(ふえん)したいのではないのです。
「どっちもどっち」ではなく「どっちかではない」
といいたいだけなのです。
もちろん
古代ギリシャの哲人タレスのように
世界は水からのみ出来ているという単純な世界観をもって
思想が語られているからといって
その時代の古代哲学の芸術性を否定するものではない。
しかし批評行為は芸術活動ではなく現実である。
古代哲学は批評的見地からみればポエムや読み物であっても
現実ではない。
わたしにとって批評のことばは
詩的行為ではなく現実そのものを発見することだから
その現実にコンタクトしていない
どのように偉大な作家の言葉も
わたしにとってはゴミであるわけです。
吉本もまたその政治発言の根底においている事実認識は
G7の垂れ流したデマをそのまま信じた上でのものだった。
分析や洞察の基礎にあるものがフェイクだから
とうぜんフェイクの上になりたつ世界認識から考えられた思想などに