作品投稿掲示板 - B-REVIEW

鈴木 海飛


投稿作品数: 6
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現代詩フォーラムでは たこすけです。タッコングともよばれます。 困ったときはよくイルカの鳴き真似をします。ピィ。 call me カイト 鯖が好きです。でも鯖アレルギー。

鈴木 海飛の記録 ON_B-REVIEW・・・・

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ゼロの華

2017-09-25

涵養

2017-06-13

天文潮

2017-05-15

7月推薦作

2018-08-15

「妄想の線香花火」 さて、この詩への恋の熱がおさまってきたころだから続きを書こうと思う。 想像の導火線に火はついた あとは私の楽しみといえば 線香花火のようにひとつの火球から無数の火花がふるように 答えの数だけこの詩が長く咲くように祈りつつ 私の「レビュー」もひとつの火花を咲かせて消えてゆこうではないか 作者の解説を聞いたところ これは半分冗談だが、私の前半のレビューだけでは「ただの事件性に富んだ純愛ストーリー」ととらえかねない。と作者から軽い叱責をうけたようなきがした。 それゆえに私の影に作者が重なって 「ちゃんとお前もなぜ、この詩がクレイジーだと感想をおもったのか証左を出してみろ」 (ツイッターでこの作品のレビューに「おお、クレイジー」と書いたのです) そんなふうなことをいわれたような気がしたから今、文章を書き進めています。 同じ映画を見て感想を語り合うときに 映画のワンシーンに対して、なぜ、登場人物はあんな行動をとったのかとか あの情景の意味は何だったのだろうとか、語り合うことがある。 名作の映画ではそういうことができる。 そういうことができる詩というのはなかなかに面白い。 想像の隙間、我々、詩に携わるものの空白とか行間というものがこの詩にはあるような気がする 兄は自殺だったのか。 蛭とはなんだったのか。 なぜ妹は「蛭」を冷静に対処したのか。 そもそも、兄は生きているのか、死んでいるのか。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ まず、手紙がある。 るるりらさんは、どうもこの辺にご立腹だが、まぁまぁ、悪ガキどものいたずらとしては手紙というのはなかなか狡猾なやり方じゃないか。 もし、受け取る兄からしたら、相手の姿は見えないわけだし、そもそも、悪ガキが届けに来ただけであって、誰が書いたかは不明だ。 たまたま、休んでいた妹が受け取ることができたから悪がきの仕業だなと判断はできるが もし、妹がその場に立ち会っていなかったらどうなったかと考える。 るるりらさんのようにたくましく差出人不明の恋文に「これはいたずらだ。」と破り捨てることができたらこの世の男は苦労しないだろうよ。 書いた人間が不明な場合さまざまな疑心暗鬼になりながらも自分の経験と常識で信じてしまうのは人の常だ。ネットなんてまさにそうだろう。 ネットでは正体不明の人間の言葉をコロッとたやすく信じる。私は四年くらいネカマ(ネット上では女になりきる)やってて、男はけっこーどうしょうもない。 簡単にだまされる。もちろん女もだました。1000人くらいは騙した。皆、都合のいいものを見ようとするし、疑ってもなかなかに判断を下せないものだとおもう。妹は現場を見てたからこそ、きったねー字で書かれた恋文をみて悪がきの悪意を看破できた。 その現場を見ていなければ、私が女と偽ってだましてきた人間同様に兄もだまされたかもしれないね。 同じ男としてはそうおもうよ。 まぁ、私のことは現代の紀貫之とおもって許してほしいな。あっはっは。 さて、そこより私が着目した点は 手紙をなるだけ遠くへ無くそうとした妹の行動なんだよ。 たぶん妹は気づいていないっぽいな。 母がいないから、そうなのかもしれない。片親で母がいないからこそ、母を永遠に求めるというやつだな。 しかしもし、母がいて、その手紙を受け取ったら妹と同じ行動をしたとおもわないかい? こんな母親はいないとおもうけどさ。わざわざ、いたずらのその手紙をとっといて 「あきらくんがいじめられっこの証明をよみあげたいとおもいまーす!!」 なぁんて崖から叩き落すタイプの教育ママはレアケースだからね。 まぁ兄はそれはそれで強くなるとおもうけどね。あっはっは。 さて、この手紙はそう。兄はいじめられている証拠でもある。 これは兄は弱い立場の人間だという印象を妹に与えるには十分じゃないか。 そして、肝心なのが弱い男やこどもを守ろうとする女性の「チカラ」を世間一般じゃ「母性本能」と呼んでいるらしい。 ふふふ。そう。妹の手紙を遠ざける行動がまさにそれじゃないか。 世に言う母性本能というやつは環境が育てる。妹は兄に守られていたからこそそういう行動をとったと思えるかもしれない。母性では無いとね。 が、母親が子供を守ることも、立場の弱い男を守るのもどちらも母性本能として世に通用する。結構いいかげんなんだぜ世の中って。 兄が病院に運ばれたとき、妹は自分の中の「母性をつかもうとしてもつかめないこと」に嘆いていたが、まぁ、「妻」と「母」じゃ役割は違う。 母になりかわろうとしてもできない妹の悩みにどうこう言うつもりは無い、片親の人間がもつ悩みってのは根が深い。枝を一本切ったところで、世間というやつはなかなか認めてくれないし、片親の人間も世間を認めない。仕方ない。 さて、この妹が兄を守る行動から読み取って性器を舐めることは合意であったと付け加えるのは多数派の男と少数派の下ネタが通じる女性だけだろうし、 反対に性器をなめられても、気持ち悪くたって兄を守ろうとするのは、家族だからなんだよ。というのが私がなかなかに分からない「女心」というやつかもしれない。 なにわともあれ、兄のあきら君はつまはじき者、いじめられっこ、世間から気持ち悪いという心を凍りつかせるの言葉を受けていたわけだ。 心が凍ったとしても憎悪を忘れるわけではない、妹はその凍る手紙を細かくびりびりに破いていたが、どんなに遠くへ飛ばしたって、神の庭からでた兄の肩にはいつも妹が破いた手紙が積もっていたわけであります。 そして、近親相姦という罪、穢れのお札を無理やりはがした兄妹達には、罰が待っていましたね。 戦車で轢かれたような跡、ずいぶんはがしちゃいけない粘着力の強いお札、いや、シールををはがしたもんだから、肉ごとえぐられたようじゃないか。 咎人の焼印のごとく、罪びとの刺青のように、それが兄弟たちの密かな絆のようであるようにね。 そしてその跡は別の見方をすれば「もう、あんた一生他の女とセックスできないねぇ。」という風に兄に思わせるには十分な毒であり傷跡だな。 舌とポコチンにできた妹との火遊びの跡は神の庭にも侵入する新たな毒となって世間知らず、もしくは世間となじめない兄を惑わすだろうね。 舐めただけじゃない、セックスもしただろうというのが俺の独断の見解だ。 (この俺の独断が俺を悩ませる。蛭の正体は正解は舌なんだろうけどね。蛭だから吸血。と想像すれば、真っ赤に血に染まった吸血鬼の口をイメージできるからな。だが、俺はあえて、神の庭に弓を引く、弓どころじゃない。ハート型の銃口で神の庭をぶち抜いてやる。) 妹の毒の症状から見るに舌だけではなく挿入したポコチンにも毒は回っているはずだ。セックスしていればね。 ただれた舌とポコチンをみて、兄は癒しとしてはじめた行動も世間の正義様には勝てないんだ、罰が当たったんだとおもうかもしれない。 単純に神の庭から追放された罰なのだとね。 穢れた身のままを神の前にたっていいはずが無い。 それでも、ただれた妹の性器を前に兄のはたったとおもうけどね。あっはっは。 冗談半分、真剣半分だ。真剣な部分はいじめられてた兄の憎悪が妹の身体に反応する自分の性器へ向かったかもしれないし、もしかしたら、妹にしか反応しなくなってしまったポコチンにたいして絶望を抱いたのかもしれない。そして、憎悪の矛先が~向けたくないけど、妹に向かう可能性だってありえる。 理不尽だがそんなことはよくあるものさ。世の中狂ってるからな。 世間にもなじめず、神の庭にも戻れない穢れた兄。 「蛭」は何を示すか。それは千切れた肉片にすぎない。兄にとっては穢れたものさ。 兄にとっちゃどうでもいいもので、捨てなくちゃいけないものになってしまった自分の身体なんだ。 穢れの正体はポコチンだったものだ。あくまでも、おれの妄想だけどね。 舌をかんで自殺というのもなかなかに説得力がある。孤独に際悩まされて末にね。 だが、舌をかんで自殺ってのは、成功率が異常に低い。死にたいなら首をくくるだろう。 手ごろな木はその辺にいくらでも生えてるしな。 文学をたしなむ聡明な兄がわざわざ苦しみ、舌を噛むという成功率の低い自殺を選ぶとは思えないが、 それとも、若い故になにか文学的な死に方をあこがれたゆえに、そんな方法をとったのかは分からない。 まぁ、死んだとしても福沢諭吉の「権助の死」として、価値の無い死ととるかどうかは、人それぞれだしな。 文化や国益のために死んだとみなさず、狂って死んだとみなすかはどちらでもかまやしない。 それはそうとふふふ、もしかしたらニーチェにでてくる蛭人間に変身してしまうようなただれた自分に恐怖したのかもしれない。 そうそうニーチェのツァラトゥストラはかく語りき でこんなことをかいてあるらしい。 「不具者」たちが、われらを癒してほしいと言う. 病者は病をもって生きる術をあみだしている、病を除けばお前たちは凡庸となり、それは害悪である、とツァラトゥストラは答える. さらに、民衆はそのことを知っているので、不具者を迫害するのは民衆の「知恵」である. ま、この言葉から兄と神の庭という詩に何を当てはめるかはどうぞご随意にとしかいえないな。 その辺の論争は興味ない。言葉とは裏腹な行動を見てきたからな。俺ははきはきとした声をだす聞こえのよい平等主義者は差別することにしてる。 ただ、ニーチェのやつに「蛭人間」というのが登場するから気になってここで紹介しただけに過ぎないよ。あんまりニーチェはよく分からないしな。あっはっは。 話を元に戻せば、「これは自殺だったのか?」という疑問をおもっている。 妄想を膨らませれば、兄は自殺ではないとおもっている。 生まれ変わろうとしたのだ。人生をやりなそうとしたのではなく、人生を生まれ変わろうとして、よみがえろうとしてポコチンをきったのだ。 再び神の庭に戻るためにね。復活望むように、これはイシスへとつづくんだけどーーー。 舌を噛みながら、人は叫び声なんてあげられない。血泡でぶくぶくしたり、窒息死しそうになってヒューヒュー息をするのが自然だ。 噛む前に獣の叫び声をあげるのは少々ドラマティックだ。世間と神の庭両方から追い詰められて兄。 ポコチンをきる。それは宦官のような存在になろうとしたのさ。 結果としてオスでもなくメスでもない。穢れの無い身体になるために。 皮肉なことに「蛭」は雌雄同体だがね。これは運命のいたずらかね。 ポコチンを切る描写については浅田次郎の「蒼穹の昴」という非常に面白い小説があるのでぜひ読んでほしい。 この小説は、人生を再構築するために、妹のために宦官になることを決意する波乱の時代のなかで生き延びる兄妹の話なのだが そのなかでポコチンを切ることのあまりの激痛で舌を噛み千切ることがあると書いてあったような気がする。 これをあてはめるとつまり、兄は穢れであるポコチンを切り、激痛に耐えようとマウスピース代わりに花を口いっぱいに含んでいたが 予想を超える激痛に、誤って舌を噛みちぎったと俺はおもってる。ある意味、偶然の事故の結果だったというわけだった。 ただ、ポコチンを切ろうと、舌を噛もうと死亡率というのは現代医療では低いほうだ。 自殺として考えた場合、兄はそんな手段で自殺を試みようとしたわけではないとおもう。 繰り返すが、生まれ変わろうとしたのだ。ただ、真実は血に染まった花だけが知るというやつだがね。 イシスの章では ちぎれた肉片「蛭」をみて妹は古代エジプトで信じられていたように、復活のためにミイラにするように白い布で包んだ。 兄はたぶん妹にそうするように仕組んだわけではない。 妹は兄の話を聞く中で、エジプト神話を聞いたりしていたのだろう。 そして兄がいつか何かしでかすと分かっていたのだ。 妹が肉片の第一発見者なのはまぁ、神の奇跡というやつにしておこう。ふふふ。 そして、兄が何を望んでいるのか知っていたからこそ、布にくるんで隠したのだ。 病院でなにがあったか話そうとしないというのは兄が望んだことだからと妹が固く納得したほうが分かりやすい気がするよ。 世間では兄の凶行ととらえられる事件は、兄妹にとっては覚悟のできていたことだと私は何度か読んでそうおもった。 じゃぁ、ポコチンをきって死ねるのかとかけば、 舌とポコチン両方切れちゃえば、失血死というのは考えられる。 が、現代医療ではそう簡単に人間をしなせてくれない。 だから、兄は生きている。俺はそうおもっている。たぶん生きてても精神病院だろうけどね。 本人の意思に関係なく世に出ることは禁止されている世界だ。 神の庭という兄妹の巣を破壊された後に妹がなぜ泣いたかのという疑問が多い。 俺は人の喜怒哀楽に理由をつけるのは苦手としてるけど。。。 それは社会の歴史を論述で語ることはどうしても歴史の一部分の側面になってしまうのと同じだもんさ。 こんな妄想はいかがだろうか つがいの二匹だった獣が一匹になった。 そして、兄がかつて世間でみせられていた残酷な景色と、 今も兄が(病院で)見ているであろう景色を、それは首の短いキリンや鼻の短い象を 妹も目を通して見えるようになった。 神の庭が、巣が破壊された跡にね。 このことを男と女がお互いの瞳をとおしても同じ景色を見ることができるようになった。と書けるではないか。 言葉だけを切り抜けば、このことを世間では純愛とよぶ。いいかげんな母性本能と同じ理論だけどね、あっはっは、 だから、このレビューを純愛と呼ばれたときは、正直、韓国ドラマっぽいソープドラマティックとして読んでいるのだとおもわれて、 こしゃくな!!とおもったけど。今になって思えば、ふふふ、いいよ。純愛。そうだよ。純愛として俺はこの詩を読んだ。 もちろん、純愛の先には、世間では凶行呼ばれるものも、二人の間では純愛なのだ。阿部定が純愛を通したようにね、 世間では凶行。二人のあいだでは、兄妹にも、阿部定と殺されてポコチンを切られた石田にも純愛があったのさ。というわけさ 父親が、お前もそろそろ、と一般的な結婚という形式的な幸福を進めるが さて、還る場所(世間や神の庭)も、人(兄)もいない人間(妹)にそういう言葉を進めるのは 死ねというより残酷な言葉のようにも思えるよ。 おもしろい作品だったなぁ。 ( 推薦 芦野夕狩 「神の庭」 ~想像の導火線~)

2019-05-30

豆腐のグルメ 登場人物 鈴木 海飛 店主 女 夏ばてだがどうにも腹が減った。脂っこいラーメンはうんざりだ。 最近、おなかも出てきたし、ヘルシーなのがいい。 もはや美人な愛妻コンビ二弁当など食い飽きた。 おれに今必要なのは、冷たくて、のど越しがよくて あんまりそしゃくしなくていいものだ。 そうだ。豆腐だ。豆腐がいい。 冷えてる豆腐がいい。冷奴にしよう。そうしよう しょうが醤油がかかって旨い、つるんとのどを湿らせる豆腐だ。 できれば冷たい卵豆腐がいい。 女郎街をふらつき 豆腐をおいている店屋を探していると世の中にはあるもんだ。 看板には「めどうふ」と書いてある。 どうやら売笑婦と豆腐をあつかっている店らしい。 ふざけた店だ。 今は女には乾いておらん。そうじゃ、冷奴に飢えているのだ。 がらりと引き戸をあけて店に入る。 すぐに店主は隠微な表情を浮かべて近づいてきた。 店主「へぇ、どのこにしましょう。」 カイト「いらん。とうふを一丁頼む。」 店主「ですからどのこに。」 店主が部屋の奥に目配せしたほうをみると、派手な染物の着物を着た花魁がずらりとならんでいた。 奇妙なのは女の顔がのっぺらぼうだったということだ。 いや、よくみると花魁たちは全員豆腐だった。 世の中ままならないものだ。豆腐を食いたいだけだったのにこのありさまだ。 がっくりとした私をよそに店主はしきりに手をもんで慣れた店口調でしゃべりはじめていたがよく聞こえなかった。 カイト「とうふはくえんのか。」 店主「もちろん、もちろん。お召し上がりですね。どのこでも美味しく食べられます。」 カイト「そうか、この店はアンパンマンみたいなシステムか。」 きらりと私の目が輝く 店主「へへっ、」 とにやけた笑いで返してきた。 カイト「冷奴がいい。」 店主「冷奴?うちは豆腐しかあつかっておりません。」 カイト「馬鹿なこというな。豆腐を扱ってるなら冷奴くらいだせるだろう。」 店主「ですが、ありません。」 カイト「じゃ、なんだ。湯豆腐をあつかっているのか。」 店主「うちはおんなを煮たり、冷やしたりできません。」 カイト「じゃ、なんだ。人肌の豆腐をあつかっているのか。いまいましい。」 店主「何をお怒りなのか私にはさっぱりですが旦那様、では、あっしから聞きたいことがございます。」 カイト「なんだ。いってみろ。」 店主「豆腐はどこから冷奴で、どこからが湯豆腐なのでございましょうか。」 カイト「お前、そんなことも知らないで豆腐を売ってるのか。馬鹿なやつだな。いいか、よくきけ冷たい豆腐が冷奴だ。ゆでた熱い豆腐が湯豆腐だ」 店主「そんなに温度が違うだけで味も変わらぬ豆腐は変わるものなんですね。」 カイト「豆腐はかわらん。熱いか冷たいかの違いだといってるだろう。」 店主「では湯豆腐が食わずに冷めたら冷奴ということですか。」 カイト「うるさいやつだな。いいかそれは、冷めた湯豆腐だ。」 店主「ははぁ、では冷奴が温泉につかったら湯豆腐ですかね。」 カイト「馬鹿をくりかえすな。それはあったかい冷奴だ。」 店主「どうも旦那様のほうが馬鹿に見えるんですが、気のせいですかね。」 頭にきて店を飛び出そうとしたとき、 だんなはん。 奥から女の声がしてふりむいた。 女は膝に小さなこどもをのせてこちらを見て、くすり、と笑いながら だんなはん あたたかいものはあたたかいうちに つめたいものはつめたいうちに みずのこころでっせ …みずのこころ 店を出ると夜になっていた。 腹が減ったまま、帰り道、路傍の草に夜露がついている。 不思議なことに朝が来れば朝露となるのだろう。 水はかわらないというのに (冷や奴と申します)

2018-09-07

焙煎された孤独がはなつ香りを味わうような詩だ。 それは多様なwetと結果的に単調なdryを繰り返して行く旅のようだ。 ストレイトストーリーという映画の中で、 主人公のじいさんが焚き火を囲んで若者たちと話すシーンがあったよ。 若者からじいさんに問うシーンでね。 こういったの。 「じいさん、何歳のときが一番最高だった?」 「今が一番最高さ。」 「じゃあ、一番最悪な時はいつだったのさ?」 「最悪なのは、若い頃を覚えているってことだ。」 若者たちはその答えを聴いて、黙ったり、はにかんだりしたような表情をみせていた。 今、思えば、じいさんの質が高くて悪い冗談だなと思うけど、たしか十代の頃に見て今も記憶に覚えている。 うろおぼえかもしれないが、俺は相変わらずテキトーな奴だからわかってくれるはずだ。 いろんな旅を経た旅人が巨樹の影で休んだら実は、鴉の巣。 多分、大勢の鴉が集まって巨樹にみせたのであろう。 これはwetかdryかなんてことでつまづきなから考えたりもする。 Dryの中にwetを見いだしたり、その逆もあるかもしれない。 ほら、どちらかだと言いきれないシブさがあるじゃない?あっはは! できれば、ゆっくりとこの詩を読む。 弦をゆっくりとひくスピードのようによむと 昼は避けたほうがいい。 最終章までのdryとwetの過程が心地よくなって 最終章で深いwet感とdry感が味わうことが出てくるとおもわれます。 (ファイブ・ペニーズ)

2017-08-18

まりも様へ つい、この間、まりも様の真似してコメントたくさんつけてみました。もちろん、自分が気になった作品にしかつけれなかったようです。 まりも様の視野の広さに憧れますね。もし、私がそんな風に色んな人に感想書けたら素敵だなと思いましたよ。 うん。素敵だよ。 さて、詩に群がる蛆とは、ふふふ。ずいぶん、詩とは難儀ですねぇ。 しかし、蛆は腐ったところにしか発生しません。宿主が生きていようと死んでいようと。 詩は音楽に栄養を吸いとられて餓死寸前だと話を聞いたことがあります。あれから、半世紀たったいま。 詩は肉も食われきって、まわりに蠅が飛んでいるでしょう。 さて、そこで残ったのは骨でしょうね。 どんなに有名な詩人の詩でも無名の詩でも 私にはよめば詩の骨はもっている現実があるとおもいます。その詩に血肉はかよわなくともです。 B-reviewに投稿したきっかけのひとつで 詩が絶滅するのなら、 せめて「狂」でもいいから進取の波にいたいと願ったような気がいたします。 もしくは、私は狂の人々の腸の中のうんこでぎょう虫のようにぬくぬくしていたいだけかもしれません。 ただ、そう。 振り返っているほど、 後悔やら悩んでいる猶予もないほどの速さで 詩が絶滅するのなら どこでもいいなと思いつつ うん、ここで、私は遊んでいこうとおもいます。 感想ありがとうございました。 (私達が隠者になる日)

2017-06-10

やぁ、るるりら様。コメントありがとう。 反戦というより、 もし戦争が始まるなら歌っておこうと思って書きました。あとから、文句をいうのは嫌だし、掲示板で隠者となって文句をぐっちかぐっちと垂れ流すのはやだなー。と思ったのです。どのみち、戦争が始めれば、我々はいずれ、掲示板で書き込む自由くらいしかのこされていないのかもしれません。ふふふ。 それが、隠者になる日です。 (私達が隠者になる日)

2017-06-10

引用開始 1+1=1 わたしとあなたがひとつになればいい 引用終了 料理の中にある魔法や数式を詩に表したいってことが、 そこを我々が共鳴することができたというのなら、 それならどうだろうか。 たまには、破落戸といっしょに散歩してみないかい? 私とKaz.さんが離れたところで、時間もばらばらに、とことこ、この詩をぶらさげて 私は常にだらしなく、博識な君は時に酩酊になりながら歩いていく もちろん、この余興につきあうには、少々の手間をかけるお時間と多少の寛容さ、 それとお互いにあまりにもわからないところは放っておけることが肝心のお遊びさ 単純に言えばこの詩を、b-rebiewのフォーラムを好き勝手使って、推敲してみないかというナンパです。 デートの申し込みといったほうがいいのかもしれない。 この詩にある魔法をとりこぼして、 次の部屋にしまわれてしまうのがね。なんか嫌なんだよ。 別に、無理に大衆向けにしろなんて喧しいことは言わない。 僕の友達に音大の卒業後はサックスプレイヤーとしてやくざな道をあるいている奴がいる。 サックス吹くやつは、なかなかに、高飛車で、悪乗りする奴が多いというのが私のなかなか賛同を得ない持論です。 そんな男が言っていた。確かこんな感じ。 「お客様には、最初から俺のもつシーンを押しつけたりしない。 最初はポピュラーにはじまって波動が合わさってきたら 自分のライブに持っていく。」 調理という技術の試みにこだわったからこそ、 料理という詩的言語のもつ影響力が邪魔している。 読んだみんなはどんなおごっつぉ(ご馳走)を振舞ってくれるのだろうと期待してしまったのかもしれない。 この男にそんな現代日本の大衆サービス精神を期待するマヌケが悪いと私は言うだろう。 ここにある、調理の動作は結構えげつないくらい速い動作。 料理のふるまいを期待した人間から「斬新ですね。」「そうきましたか。」という言葉すら出ない。 当たり前だ、昼食を味わう暇もない。食べようと口に含んだ瞬間。 「いや、これは幻想さ。」と料理を消すマジックを我々の凡愚は料理人からくらったのかもしれない。 もしくは、今日見た、天才詩人さんの料理の写真を見せられたような気持ちだ。 それが狙いだったのだと言われたら、kaz.さんは二日間程、絶食してからマクドナルド行って来いと、私は勧めるだろう。 こんちくしょう。食い物を粗末にするんじゃない。と多少キレ気味に言うかもしれない。 だが、私は、kaz.さんの料理にある1+1=3にも4にもなる、それを詩にも試みたいという言葉を信じたい。 そして、君はたぶん、食べ物を粗末にしない男だと予感している。 (Always Fantasy)

2017-06-04

三郎!!! 三郎!! 三郎! さんらーは さぶろうという言葉だったのですね。 はぁーーー!!! めぐりめぐって。 さんらーってどんな意味なんだろう。って考えていた時期があります。 名前だとしても、 外国系なのかなぁと思ってたり、 なにか特殊な地方の意味があるのかなと思っていた時期もありました。 それが今、正解をいただいたことで、 なんだかしごい 多幸感。 まるで、さんらーが そっこうにはまってみていた月、星の気分です。ありがとうございました。 さんらーは 映画「ナヴィの恋」 で出てきた名前だったのです。 どんな意味なんだろうと、この詩を読みながら 思い出したりもしていました。 (さんらー は)

2017-06-03

誰の言葉だかさっぱり思い出せないけど 引用してみよう。 そうしてみよう。 ぽやんっポヤンッ ぽややーん! 【料理は足し算じゃだめだ。それでうまいのはたくさんある。 うまいものにうまいものを足しただけじゃ満たされない。 素材があわさってかけ算にする技術を俺は欲しているのだ。 】 調理された料理のなかに眠っている数式を知らず使っている不思議。 料理は魔法めいている。 でも、数式は科学だ。 数式は、ちと、つまりすぎている。 物理学の方程式をみて感動する変態はニッチな奴だといっていい。 あたりまえだ。料理食うな。数式の味が好きなら数学書でも食ってろ。 ぽややん引用終了 ほら、よくみてみると あちこちに「素材」がちらばっている。 言葉同士を足し算 やかけ算に、方程式から法則へ みてみて、昼食のところが一番分かりやすくて、美味しさを「あじう」易いと思うの。 分かる文章だけからでも想像できるでしょ。 間違ってたっていいじゃない。料理なんでしょ。美味しいって言葉には、何が「美味しい」か説明しろなんて約束はないもの。 ふふふ。好きだっていったあとに想像すること。 崩れ去る将来の、 およそ、そんな言葉は待ち受けてはいない。 ある程度あきらめているから、いや、あきらめているからこそ 途方もなく、期待値を越えた言葉がむこうからやって来たときのことを、分析できる物理学者がいる。 たとえ、その数式が使えなくてもいいじゃないか。物理学者。 数式を越えた世界で私はくすりと、笑ったよ。 だって、貴方はわざと、私と距離を離して、あえてそういう姿を見せようとしてある。 遠い方から眺めてて、 うん、おもしろかった。美味しかったというべきでしょうか。 (Always Fantasy)

2017-06-03

身勝手に返詩させていただきやす。 ひとつとて運命を選ぶこと それはできない細胞が分裂してゆく そのうち、 ただっぴろい道を歩き選べるわけでもなく、 だんだんと、細い道をあるいていくのでしょう その先に 自分で選んでゆく人生を歩む生命になったときに 声が聞こえたよ。 やっと、できあがった私をおくりだしてくれたから ひとつ、やくそくごと、 したようです。 いつか、 ただいまという日を思い出すでしょう おそくなってごめんね、 なぁんて、 わるびれることもなく げんきよく ただいま!と やくそくしたような… 〰〰〰〰〰 肌理(きめ)という言葉にむかしからひかれるものがあります。 いいですよね。きめ! ちりばめられた詩的言語の源をさぐることより やわらかく、 まるで、 あるじを気にかけながら頬をこぼれおちる涙のような 声のかけ方。 やっぱり、母をおもいだしたようです。 この柔らかさにぬくぬくしております。 (足)

2017-06-02

ぽややんと、 この詩は3重の妄想での構成なのかなぁと何度か読み直しています。 仮現実、妄想、ゾーンといった風に 時折、私は仕事が楽すぎて眠れない夜に、 幽体離脱を試みますが、朝になったら幽体離脱の記憶はなくなってるか、もしくはいつも幽体離脱失敗してるのかもしれません。 ゆえに妄想男のスタミナとテクニックに幅の広さに感嘆しています。本当に幽体離脱して他人の人生を歩むゾーンにむかっているんじゃないかと思わせるほどの妄想力を現実に書き留めている。 特に目を引いたのが、 ゾーンでの若手の、経験の浅い、もしくは転職したばかりてあろう肉体労働者の煙草についてのセリフが、妄想にしちゃ現実感がありすぎる。(ここで若手と書いたのは、中堅、ベテランか怒られたときのふてぶてしさがないからでしょうね。) たぶん、ゾーンの向こう側でベテラン労働者の喫煙のジョークを聞いたのでしょう。 医者から喫煙をすすめられたという話を父親は聞いて即、若手のジョークとして看破している。すぐ嘘だよと訂正するのもカワイイ。 そういったやり取りが我々の業界では、会社は違っても、よくあります。 たとえば、わたしの知り合いに、よくしゃべる男がいます。仕事中もプライベートでも、 ひっきりなしに喋る。寝ているときも寝言でよおしゃべる。 わたしが 「いつでも、しゃべっていますね。」と笑うと 彼は 「おお、医者に(しゃべらないことを)とめられとる。」と笑い返してくる。 妄想のなかの親父は、すてきな、リアリストの親父といっていいほどよき聞き上手であり、 そして、一緒にゾーンにいっているのじゃないのかな。と思うところがありました。 「お前は気ぃつかいなところがあるからな。」というところです。 まるで、労働者の現場での働きを見てきたかのようです。もしくは、労働者が「現場でもそう言われたよ。」と声が聞こえるような。 もちろん、その親父は父親ではないからこその自然にでてくる優しいセリフかもしれません。 もちろん、ここで私がつたえたいのは、労働現場にあふれる言葉にわたしのなかで共鳴したんだよという意味だけです。 勝ち取れるものがないから、いろいろぼんやりしたり、考え込んだりしてる。 その姿に身に覚えがある人はおおいでしょうね。 きっとそれはジェネラリスト(総合職)でもスペシャリスト(肉体労働者)でも同じでしょう。 誰にも憤怒はどこにでもある。 ベテランになってくると、憤怒の表し方にも知恵を使うようです。総合職であれ、肉体労働者であれ。 幽体離脱について パウロ・コエーリョ 「ヴェロニカは死ぬことにした」を読んだときに幽体離脱について書かれてあったのが印象的でした。それを読まなかったら私も時おり幽体離脱を試すこともなかったでしょう。たぶん、わたしがそれに成功したことはないとおもいますが。 俗世から離れた幽体というものは、 どこにでもいけるらしい。 東洋なら桃源郷にでもいくのかもしれない。 西洋は天国にいくと聞いたことがある。 みたことはない。 幽体同士が集まって何を話してるかとおもえば 現実離れした浮世のことが多い。 隠者めいてるのかもしれない。 それにしては、この幽体はあまりに現実のことを仮想体験してきたことを話しているのが好ましい。。 さいごの階層の否定について、 書き出したいところですが、 肉体労働者の妄想が終わってからの階層の否定なんだろうなと読み取っているので 肉体労働者としての仕事によって 身体と心も手に入れた節が私にはあるので それしかないのかも、よけいな持論を展開させるのはよすとします。 今日はここらで、また会う日まで (野菜スープ)

2017-06-01

「聖徳」 への返詩として さんらー、たぶん、「聖徳」ってかくんだ。きみのなまえだよ。 おれのともだちにしけつとよばれるやつがいるんだが、ほんとうのなまえはずじぇなんだってさ。 おれはつーじぇとよんだら、そっちのほうがかわいいから、 そうよんでくれといわれたよ。 せいとくって かっこいいなまえだな。さんらーもいいとおもうけどね。 うみがきれいかい? さんらー つきとほしがきれいならうみもきれいなんだろうな。 あかいおおきなはなはさいているかな。 きれいなはながさくばしょなんだろ。 さんらー、そっこうにはまってしぬより いつかうみにむかってしんでやろうよ。 さんらーでしぬより、 せいとくっぽくしんでやろうぜ。さいごなんだから、さ そっこうじゃ、おまえのからだにはあわないよ。ちいさすぎる。 おおきいやつはおおきいところでしんでやったほうがいい。 そっこうでしんでたら、 また、おとなをたくさんよばなきゃいけないし、ぬけなかったら、そこでせんこうとおきょうをあげなきゃいけないからさ。 さいきんじゃ、ぽてとちっぷすはこうきゅうひんなんだぜ。 さんらー、 そのうでずもうのやりかたしってるぜ。 さんらーにうでずもうかちたがるわかいのがいるってのがわかるようなきがするよ。 おれもおまえにかちたいきぶんだな。 いや、せいとく。 とよぶね。 (さんらー は)

2017-06-01

人間を卒業するまでの、 人間だったころの走馬灯をスクリーンにて上映するから 見に来てよ。と声をかけられたような気がしました。 辞世の句ならぬ。 辞人の句。 人を辞めると 感情というものがだんだんと失われていくらしいけど、卒業前に、恋をしたことが上映されるって、素敵。 やぁ、人間。 恋はやっぱりろくでもない思いでばかりだけどいいもんだね。 そういえば、キャバクラ学部麻雀学科の在学中に婚活が成功し、大学を自主卒業した私ですが、 友達に人間を卒業した友達がいます。 友達の名前は河童将軍というのですが、口癖は 「うぉれはにんぐぇんおやめたぞぅぉー!!」 と結構、人間やってたときより楽しそうです。 河童将軍はきゅうりは好きかと思ったら、人間の時と同じで、食べ物の好みは変わらなかったそうですよ。 この前、河童将軍がスーツ姿で歩いていたから、冷やかしてやったら 「河原では冬は越せない、河童なめんな。」 と冷静に怒られました。 およそ紺にて様が 人間卒業し、次は何にお成りになるのか私のような小人には分かりませんが、その才覚と資質を感ずるかぎり いわゆる小人の人間よりも大きいものになれるでしょうね。 それでは、ご卒業おめでとうございます。 (この街では星が見えない)

2017-05-31

ぽややんと読んでいたので、最後の正義についてかけませんでしたが、しゃききんとなったので、最後の正義について書いてみます。自分の魂の鼓動のごとく書き出しますので、ただのひとつの妄想じみた感想としてとらえてやってください。 あまたたびのうそ には、ふたつの意味があって (この世に)いくらでもいつでも溢れる嘘 と (自分が)それに対抗するがごとく鬱憤をためている心情という ふたつの意味をもったセンテンスとしてとらえたときに 最後の正義とは、 世に無頓着な正義が溢れることに失望せずとも、この世のすべての正義が「うそ」なのだから、ある意味隠居する姿勢(第一線を退いてはいるけど、自分が取り組む問題については考え抜く態度というような意味あい)で取り組むこと。それが自分のなかに、最後の正義として折り合いをつけた人の姿がだんだんとみたような気がします。 飛躍しすぎで、すいませーん。 (せいけつなくらしと、)

2017-05-30

あ、人生最後じゃないのですね。りよーかいです。 (せいけつなくらしと、)

2017-05-29

ぽややん、と書いております。 あまたたびのうそ をどういう意味に読むかによって 感想が変わるかなぁと 思いましたが、 変わらないのが不思議。 たくさんよんで、 たくさんうたって (たくさん嘘ついて) 完成しない正に至る気持ち どうもこの詩は、 ひとによってはうそつきと呼ばれるかもしれない。後で、やられた、みたいに。 でも、本当はそれ嘘じゃないみたいな。 その悪気もないうそに気づいたとしても感想も批評も、向かう方向は同じ道なんじゃないかなー。と、初見のテキトーです。 時代が変わっても正義なんてそんなものかもしれない。 「うそ」は嘘じゃないけど、 でもうそつきにもなりたくないし。 だからこそ、そうじゃなくても 判断を迫られたときに力を込めて正を足して、たしかな将来が分からない決断する。 なぜ最後なのか…。 終わりを覚悟したのかなぁ。全然違うかも、 そんな風に、この詩を読んで頭のなかに、できてしまったクイズに答えています。 頭がよければ、素直にこの私情をあじうことができるのかもなぁ。 いいなぁと思いました。 (せいけつなくらしと、)

2017-05-29

2回目に読んだときに刻まれた傷にひきずられているところがある。 しかしなぜ、最初に読んだときにあんなに清々としたものを感じたのに、今再び読むと正反対なのか。 丁寧に読まないからかなぁ。なんでだろう。 作者の狙った物語性はけして、難しいものではないのに自分のなかで相容れないふたつの読後感をもったままテキトーに書いています。(ふたつの相容れない想いをありのままに受け入れれば簡単なのかもしれません。) 自己を拡散した詩めいた もの を 私は書いてきました。とっちらかしたと書いてもいいのかもしれません。 こんな風に、見やすく、はっきりと書けたらいいなぁと思います。 聞いていても無理のない言葉。 耳と耳の間にこの詩がはいってきても、そこに目から言葉が交差しても なんら違和感もなく受けとめる言葉を連ねてみたいものです。 4Sだとか6S というスローガンめいた言葉が会社にはよくあります。 昔ながらの品質管理が積極的に行われている会社では聞いたことがあるかもしれません。 4Sとは単語の頭文字をとった言葉です。 基本は「整理」「整頓」「清掃」「清掃」の4つからとって、4S. この4Sを基本にして、様々なパターンがあります、真面目な会社では「しつこく」「しっかり」を足して6S。 古い会社では「躾」を足して5S。 私のような不良社員だと 「(できなくても)しかたねぇか」 「(忙しかったから)しょうがない」と ふたつばかり付け加えて6Sにしたりもします。 うちの会社はそんなやつにばかりにめぐまれているので、なかなか環境が整然としない。 整理とは、不必要なものは捨てること。 整頓とは、使いやすく正しいところにものを置く。 整然とした秩序を取り戻すための、 無秩序ではどこに何があるかわからないでしょうからね。 寺山修司という不良の先輩の言葉に「忘れようとして思い出す」という言葉を覚えています。 彼はきっと忘れることは下手な人だったと思います。 忘れようとして忘れようとしたことも忘れてしまえる人がたぶん、 忘れることが上手な人なのかもしれません。変な言い方ですね。 それは、待つことが上手な人のように、待つことを忘れて待てる人と思っていただければと思います。 こんな風に当たり前のことしかかけません。 ふと、クロスを洗濯するときにテーブルに古傷を思い出した。 「やぁ、もう笑い話だけど、そんなこともあったね。」と 「…まだ、そこに、あったのかぁ…。」と そんなイメージが最後に2つほど私のなかにできましたというしまりのない無秩序な私の感想です。 (なかった、ように)

2017-05-28

「バカ」が目覚めて(覚醒)いく、かなりの勢いで、はっきりと高速戦車に乗っているのようなスピードを最初に感じました。どこを目指して目覚めていっているのだろう。感覚、時間、生死もひょいっと股の下をくぐってる。でも、まだ股の下を通り過ぎてはいないような。 読んでいるときになんだろう、カタカナはどうも意味をなしていない、ような気がいたしました。もし、深い意味を込めていらっしゎったらごめんなさい。 オラクルとミネラルと言った韻を意識的につくったのでしょうが、 フロントドア?あれ、そこはフロンティアじゃないんだ、ふふふ。 可笑しいね。読み間違えちゃった。 読んでる私は本当の馬鹿なので、そんな風に読んでいます。 (救いようのないバカの缶詰)

2017-05-23

言葉で名付けられた物体が持つ現象のゆらぎをラストダンスと受けとめて では、どこで踊っているのかなと思うと 虚無のなかの個のまわりで踊って、終いにはながれてく もう取り戻せない過去へ消えてゆく個以外のすべて たぶん、かつて愛した人さえも忘れてゆく 美しき景色も味も、どこかに流れてゆく どこにながれていった?最初は明るいところにながれていたはずなのに、 どうも色が消えていって、名前も性質も消えていって、残された躍動も消えちゃった。真っ暗のところらしい。 その真っ暗のなかで、 ほのかな言葉と躍動が消えたとき 魂が死んだ。 死んだという言葉が、虚無のなかの個(私)をギュウとしめつけている緊張があるような気配を感じました。 ギュウとするから、個が際立つ。 それからギュウとなった私の、目をあけた前には、ブラックコーヒー、 たぶん、ホットコーヒーがあった。 どうでもいいことだけど、 その、ブラックコーヒーからも、現象のゆらぎ、かすかなラストダンスがながれてゆくように… 読んだ後、 そばにコーヒーがあるとラッキーなのかも。コーヒーを用意して読むといいのかも 個人的にはシガレットもあるといい。 (ラストダンス)

2017-05-23

最初に読んだときに おごぉつぉってなんだろうなと思いました。 赤飯かなんかの親戚かなと思っていたのですが、今日調べたら「ご馳走」という意味なのですね。 今日、2回目に読んだときに なんとなく、体鳴楽器のリズムが私のなかにありました。 縁日に、ではないかもしれない。祝い事の時に奏でる 獅子笛、和太鼓、うちの地方では、チンチロと呼ぶ金属を打ちならす楽器のリズムを どこかで聞いている人が書いている もしかしたら、書き残しておきたかった風景を思い出して書いているのかもと、ぽんやり思ったのでした。 (おごっつぉ)

2017-05-22

ふかい爪という言葉を最後に読み終えたときに 太陽やむわぁーとした 夏のけだるさへいざなわれて まだ、その気候に慣れていなかった私。 私は油断していた。と書いても私には差し支えない。 そこを狙い定めた爪にぐぐぐぅーと胸をつかまれた?沈められた?静められたのかもしれなかった。 それは爪に、うれいの生ずる秘密の場所に追い込まれた。 これこそ、圧倒的だなぁ。ダイナミックすぎて、出てくる言葉はいつにもまして、幼稚です。 死水晶を読みたくなりました。 B-reviewでうろついていてよかった。 なんて素晴らしい作品なんだろう。 (火の鳥)

2017-05-21

るるりら様へ 教えてもらった「星糞」ウケがいい感触を得ています。やったね♪ もちろん、まりも様のように、星屑を想像してもらえるだろうという結構ギリギリな綱渡りです。 夢であっても、見えない明日でも、きっとあまり意味と結果は変わらないのかもしれない。それは分かりません。 天の川の流体とオーロラ それと、火にかけた蜂蜜ってなにか似ているものがありませんか? ない、ですかね。 俺だけかなぁ。 そうそう、黒曜石に入っていくと、どうもうたがとんがる。 むずかしい。 うたのなかでチョコレートという言葉を使うくらい難しい。 圧倒的にまぶしいと、 人によっては苛立ちを覚えるかもしれません。 だから、まぶしくないように、光で手を遮ってほしくなりました。 遮っても、光はそこにあるので、直視しなくても、なんとかなるだろうみたいな風に書いてる時に思っていたのかもしれません。 ほろりとかさぶたがとれるように ほろりと我慢もせずに 、おのずと。 もしかしたら、ほろよいでもいいかもしれない。ね。 「よるべない気分」っていい言葉ですね。 自分から離れていた言葉だけど、すごく親しみやすいような気がします。意味を知れば。 そうそう、「おみあし」とか「おみおつけ」って女性用語なんですってね。 おみおつけは妻から教えてもらったけど、 おみあしってね。 るるりら様の詩「めるふぇん」で覚えた言葉です。 天文潮という詩をなんどか、目にしたと思います。 この一年でずいぶん様変わりした天文潮だと思います。 特別な感謝をこめて 詩を7月くらいまでに ひとつ完成させたいなーと今思っています。今。今は。今から。 なかなか約束事が守れぬ奴だと知っているでしょうからあまり、期待せずに、奴はいつも手紙をカタツムリの郵便屋に任せているフシがある。といつものようにあきらめていただけると幸いです。 (天文潮)

2017-05-20

https://youtu.be/c-jxVa8v19U ロッカーといえば 忌野清志郎を思い出します。 彼がTVで「おまんこ野郎」と叫ぶ度に 私たちには謎の高揚感がありました。 それは、読売ジャイアンツの投手から阪神タイガースのバッターがホームランを打った時の様に 買ってもらったポップコーンを両手ばなしでぶちまける ビールが上から降ってくる 女の子が高まってふるえるおっぱいもぽろりしちゃう ところかまわず。 ふるわせる。 かちわる。(価値割る。) ロッカーがまさしく、吐き捨てる様に言う 「ざまぁみろぃっ!!」 明日を省みないアグレッシブさ 型にはまらぬパワフル。 ロックンロールは死んだのですか? 確かにそうなのかも。 それにしちゃ、ロック魂の欠片をもっていそうな連中がウロウロしてる。 あちこちに、ね。 でも、私はロックンロールを知らないので、今度、教えてください。 昔の不良はロックンロールを知っていた。 知らないのは沽券に関わるし、マウンティングをとられてしまう危険性もあった。 ロックンロールを知っていたから、学校なんか行かなかった。 悪い奴は学校にはいなかった。だって学校いくのはいい子ちゃんの証だからという哲学があったのかもしれません。チンピラ同士あつまって誰が一番強いか?と殺しあいの真似事をしているほうがいい子ちゃんになるよりましだった。 今の不良は学校に行かずに殺しあいをしても価値がないことを教えてもらったから、ちゃんと適応している。学校にきて、弱い奴を見つけて体制のなかでちゃんといじめたり、反発したりしてる。学校という社会の縮図での処世術を賢しく学んでいる。 不良も不良で進化しているわけですな。素晴らしい。 そろそろ、いじめられっ子も進化せねばなるまい。でなけりゃ、いじめられる側は後手にまわる。先手をとるべきか。機先を掴むべきか。 もし、私が若い頃に戻れるなら、ちゃんと気に入らない奴をぶちのめして、木にくくりつけて、小便ぶっかけて、火あぶりにしてやるかもしれない。 逆にぶちのめされたりするだろう。 もしくは少年法を利用して 電車がきたら突き飛ばしてやるのは、かなりの必殺技だ。切り札といってもいいかも。 奇策と奇襲を仕掛けるのがいいでしょうね。 しかし、なぁに、今はスマホがあるじゃないか。 復讐のやり方はいくらでも調べられる。 ケダモノがバッコする学校にモンスターが一匹くらい紛れていてもいい。 別にひきこもったっていい。学校を行かない悪い奴にはロックンロールが生まれやすいじゃないか。 あとは、その自分でいっぱいの一斗缶を 気に入らない時に、 気に入ったところで 殴りつけてやればいい。 もし、君が少年法の保護下なら 気に入らない奴には 「邪魔だ、殺すぞ。」 くらいは言っても大丈夫なはずだ。 なぜなら、詩を書く人間はだいたいが「破落戸」みたいなもんだからね。 時に高潔な人物もいるが、夢の中まで高潔というわけじゃない。 しかし体制のなかでの反発は腐れ不良と同じになってしまうのが悩みの種だなぁと思いました。 さて、ゾンビ映画について語りたいと思いましたが、詩に関係ないことは話すなと主張する真面目な不良や品格を保つ歩留まりと言うのでしょうかそんな輩に絡まれても、まさしく体制のなかで反発するしか私には残されていないでしょうね。 正しく言い返す力は私にはないので、ここらで、また会う日まで。 (愛くるしさの檻のなかで 闇を剥ぐケダモノに なれ よ)

2017-05-20

もしくは、それを嫌い。別のやりたいようにやるのもいいかもしれません。 ただ、素人の戯れ言ですが、百人一首にも似たような言葉を使ったうたはあるのだし、 きっと万葉集にもあるだろうと思います。 なぁんてなことを思いましたね。 わたしの詩をたずねる感想を書いてくれたことに感謝いたします。 (天文潮)

2017-05-18

まりも様へ 星糞という言葉は友人であるるるりら様から教えていただきました「黒曜石」を意味します。 そもそも、なんで「黒曜石」なんて話をしたのか。そういえば、ネコとバスさんと喋っていたら、彼が黒曜石の作られ方を教えてくれました。それが人間の感情が表に出るまでが似ているなぁと思ったのです。 ひいらぎ様との偶然の一致。 詩を書いているとよく起こりますよね。 誰にでもあると思います。シンクロシニティでしたっけ。 こういう同時発生というのが起きたときは、 私は「ただの偶然の奇術」さ。 と、わりかしヘラヘラしてます。 ひいらぎ様がどんな風にお思いになるかは分かりませんが、 今後、この様なことは常に起こり続けるでしょうね。 起きた本人同士が偶然だよ。の一言で、雑感は蹴散らしてしまえばいいじゃないか。とさえ思っています。 (天文潮)

2017-05-18

花緒様へ 先日、オリジナリティという言葉について妻と一緒に話しました。 やはり、色々な考え方があり、 その人の経験してきた知恵を支えるものでなければ、それを悟性といってもいいのかもしれません。高級な諺になるのは目に見えている。 だから、言葉にならないことを想像してみました。 もし、花緒さまと私がこの世界でふたりっきりだったら、 花緒様は私にとって、きっといつも新しいことをする人に映るでしょうね。いつもドキドキさせてくれるでしょう。 ふたりしかいないのだから、恋に落ちて。 そして、子どもが生まれるかもしれません。 こどもは花緒パパと海飛ママをみて育ち、真似るでしょう。 そして、真似た我々のやり方に工夫しだすかもしれません。 時にはそっくりそのままのやり方をするでしょう。 あるとき夏目漱石のエピソードを読んだ海飛ママがこどもを棒切れで殴っていた。 花緒パパが驚いて、 海飛ママに聞きます。 どうしてそんなことをするのだと。 海飛ママは言いました。 この子は、パパと同じやり方で物事を判断してる。自分のオリジナリティを出すことに恥じらいやためらいがあるから打擲したのだと さて、相変わらずてきとーで申し訳ありません。 この世が二人きりならオリジナリティは出しやすそうですが、この世はその正反対なので、出しにくさもある。 だからバイオレンス海飛ママを醒まさせてくれる言葉が今日の放送で集まるといいですね。 お読みいただきありがとうございました。 (天文潮)

2017-05-18

三浦様 タイトルの「天文潮」とは星の持つ引力による潮の干満の様というような意味です。ね。 気象用語集にあるようです。 誰かへの救い、 そういう狙いで書いたとは思いませんが、 そういう風になったら 私が書いた詩にも少し価値があるかもしれません。ね。 中原中也が よごれつちまつた悲しみに という詩をかきました。 彼は喧嘩っぱやく、よく歴史の文豪達と酒を飲むと殴りあいの喧嘩したそうですね。 でも、だいたいそこまで、喧嘩力がないから喧嘩はいつも負ける。でも、負けた相手に媚びへつらうことは、せずに、昨日の喧嘩の勝敗を忘れた猫のようにまた喧嘩をはじめる。 性格は従順な犬ではないらしい。 時には中原の恋人が止めに入ったり、入ったら入ったで 「やい!!女を呼ぶとは卑怯だぞ!!」と女を呼んだ連中に捲し立てたり。 ふふふ。てめぇの喧嘩はてめぇでやりたいものね。よくわかるよね。 彼は軒先で酔っ払っていたときに 猫にむかってこう叫ぶ。 「やい!!哲学者!!」 よごれちつまつた悲しみに あのうたを悲しむっぽく唄うやり方が一般なのかもしれませんが 彼は仲間の前でその詩を、甲高く、テンポ早く歌ったそうです。 言葉の単語のイメージにとらわれなければ 彼なりに、ワイルドに、 「あばよ!悲しみ!」 という風な抵抗にも最近、読めてきました。 感想ありがとうございました。 (天文潮)

2017-05-18

ぽややんとかきはじめます。 政の詩というのは、ネタはいくらでも転がっている。いくらでも感化できるし、増幅も収縮もできる。 そういう帰国子女の賢しさが満ち溢れた詩を否定するのは簡単なのだろう。 批評する側もそこらじゅうに転がってる石を投げつければいい。 そういう様々な賢人達の姿を詩の価値が及ばぬところでよくみる。 しかし、いや、これを簡単に否定するのはつまらない。否定して自分をうすっぺらく賢く見せるくらいならば、一緒に踊る方が楽しいか。 どうせ、否定したところで、詩に流れる一筋の理には逆らえない。 行く先には一個人では逆らえぬ社会のご機嫌伺いが待っている。 それを人質に捕らえられてうたわれてしまったならば、ミドリのやり過ぎくらいに飛んで跳ねるのがいいのかもしれない。 今がよければいいではなく どうせよくならないから享楽に浸かってしまえ。 そんななかで行商はたくましい。 見習うといい。 30年後には 天然の太陽光か 室内の紫外線で育てたブツの品質どちらがよいかと比べてる世界に対して 彼は天然と偽り、テナントビルの中に農場を作り出していた。 そうして、50年たった後に彼の影武者の誰かがテトラポットのなかで、この詩を思い出すかもしれない。 (がんじゃまんたけし)

2017-05-12

言葉をいいつくせば いつか黙れる日が来るのだろうか という言葉と いや、言葉など言い尽くすことなどできないのだから黙っていようという言葉が そのふたつが入り交じった「私」の源から私が歩き始めた出した先に The last あくまでも それは、最後までつきあってやる、という意味で だんだん 広々と たおやかに 歩いて行く いや、飛んでる?浮かんでいるように歌うのが、相変わらずうまいなぁ。 前に、ばさぁって 羽を広げてくれる詩を書いてくれたよね。うん、あんな感じがあった。すごいなぁ。 大切な人にために描いて、贈る絵に もう、何も付け足す色もない。 という、哲学はたぶん、多くの人を安心させるよね。 いい言葉だね。娘に教えるよ。あはは! そこがね。素敵すぎる。 だから、次の部分が己の足になんか縄がかかってしまっているようにも見えたよ。 せっかく飛んでるのに、なにか、杭から伸びた縄で、足をとられた?縛られた?というのかな、次の部分で感じたよ。でも、そこから、また、ぱあっと映像がひろがってね。 素敵なまとめかた好きよ。 (The Last)

2017-05-09

レモンの裡(うち)にある太陽をかぢる。 がりり、とぱぁず光太郎 ぱあっと檸檬は意識がはっきりさせる。 林檎をまるごとかぶりつく少年 。 大人はどうやら林檎ですらまるごとはかぢれない。 一口サイズに切って食べる智恵を身につけた 恵子 怖いのだろうか。 悪魔の魅力のひとつに我々の意識を明確にさせる智恵が悪魔にあると思う。 その判断を誤り、間違えるのは常に人間である。 悪魔はその知恵を使い、多角的な視線で我々に提言する。とても誘惑をうける選択肢。 ときに意識を加速させる。檸檬の味も悪魔の知恵も。 いずれ、こんな風に悪魔も檸檬も受け入れる。 「 やぁ、ビタミンCが入ってるからね。体にいいんだよ。 そしてね。良薬口に酸っぱしともいうからねぇ…。」と。 ふふふ。ほら、これは悪魔のささやきでしょうか? それとも、賢人の知恵なのでしょうか? なぁんて、詩をよんでぽややんと浮かびました。 おもしろいですね。この詩!! (小悪魔)

2017-05-09

炭酸水の泡がたちのぼるように 山肌を小石や岩が転げるてくように 呪文もおまじないも祈りも そういう風に、「おのずと」たちあらわれてくるものでしょうね。 現在と平行する形式の、既に過去に消えさりゆく、祈り。 はかなさでしょうか。 こんな言い方もどうかとおもいますが、未来にドロップピンを刺してある祈り。希望の姿というのでしょうか。 ぽろぽろとひとつ、ひとつでは たっていられない。から、 ふたつがひとつにからまってゆく姿にも 私には見ることができました。 (呪文)

2017-03-11

私につげ義春を読んだ経験があるからか分かりませんが、 便所の中でうじ虫のように過ごすつげ義春が記憶の思考の補助線としてあったからこそ。 この詩にとりつかれてしまったのかもしれません。 私はこの作品を読み初め、目が拒否していました。 それは、つげ義春を読み初める前までのものと同じものかもしれません。 どちらも読めば読むほど、映像の具現化がはじまる。 いつのまにか、私が座敷の中に漂う空気となってカマドウマと主人をみているのです。 それくらい映像が流れ込んできた。映像だけでなく、文章にあるカマドウマの足のとげに逃げられないように捕まえられてしまった。 今、やっとこさカマドウマから逃げてきた私が誰かにこの詩を話すとしたら、 カマドウマの目がね。じぃっとこちらをみているような気がするんです。 逃げたら頭からかじられてしまうような恐ろしさがあるんです。 緻密な線画のなかで、主人は偉くぶっきらぼうに描いてあるのに、カマドウマはリアル。 エログロ風味も匂わせる。これは詩版「ガロ」かもしれない。 そんな風に何かに当てはめるのは良くないと思っておりますが、脳みその足りない私からの、ガロファンからの最大級の賛辞として受け取っていただけたら幸いと存じます。 (妻の夫)

2017-03-10

三浦氏へ ふふふ。わりかしstoryでしょ。いいB-Reviewはよい経験になりました。たくさんの言葉を頂き感謝いたします。私にとって無理矢理敷居をまたいで来た甲斐がありました。 また、5年後くらいに皆様にお見せできるようなものができたら伺います。どうもありがとうございました。 中田満帆 様へ お読みくださりありがとうございます。 さて、なんとかえしたものでしょう。拙い手持ちの言葉で視覚効果をいかして言えば、 「きくぅゥゥ!!」 と貴方のもっともな意見に目をつぶり、 両手をあげる男を想像していただきたい。 多少の私への好意とすり合わせを必要とするかもしれません。 また、いつか私が書いたものを読んでもらえるように、しぶとくどこかで書き続けます。 そのときはどうぞよろしくお願いします。 (海と自画像 「No.Xー2」)

2017-02-28

ええっ!アニメ化? 絵本化!? それは、すごいなぁとポカンと口をあけてます。 低俗なものから高級なものを拾いあげてくれたようにすぐ卑下する私は感じますが、 この詩は友達が誉めてくれた詩でした。 ちょっと前に、この詩を書いてすごい誉めてくれたのが嬉しかった。この詩をきっかけにしてその人と友達にもなりました。 気難しい友達なので、なかなか詩に関しては意見も違えるところがありますが、坂道のアポロンのように彼と仲直りできたらなぁとポヤヤンと思っております。 (海と自画像 「No.X」)

2017-02-26

Kolya様へ 簡単な言葉というものがいかに伝えるときには慎重にならねばなかったのかと自分の表現力、伝達力の足りなかった部分を猛省しております。読者に自己愛と読ませてしまうのは、すこし社会の「よい」から遠ざかり過ぎていたことが「よくない」ことだっただったのかもしれません。 読者が何を求めているのかなんて聞かれても、依然としてあー、うーとしかこたえられないでしょう。 この詩は確かに「君」よりも「私」に対して執着しすぎて粘り強すぎたなぁと頭を掻いています。 また、もう一度、ゼロからやり直していきたいと思います。 ありがとうございました。 (海と自画像 「No.X」)

2017-02-17

心地よい旋律と調和のとれた音程で 斉唱の朗読が方言の譜面をうたっている。 もうちょっとソウルフル下品になれば、ラップになれるなと冗談を記しておきます。 読んだあとに、読みながら聞こえてきたのは誰の声だろうと悩んみました。 作者、登場人物、読んでいる私、それ以外の誰かがいるのかもしれない。 誰が読んでいたのはドーデモいいことか。 何度か読んでいくうちに そんな小さなことにとらわれるなよ、と。 詩のなかから悩める者に余裕綽々の態度で語りかけている人に笑われたようでした。 3年も待つんだからお前がもっているもので、ここにあるもので、しのいでみろ。頭よく悩むな。 海は逃げねえ。魚もじき戻ってくる。 さて、「おまえの海」の解釈次第で色んなものにできそうですが、 ある悩みごとからの、おのずと、自然と、成長とかいふくが含まれていないのだとしたら、この詩を読むのはあきらめたほうがいいとテキトーに思って、 今も消えぬ耳をふるわす旋律とユニゾンを楽しむことに重みをおきたい。 しかし、最近、詩が楽しくなってきて読んでばっかりで寝てない自分の体調を見透かされたのか。 おめ、かえれは(あんた、はやく帰んなよ)。 と優しく仕事の途中で帰されたような気がします。 (はたはたパイ 食べろ)

2017-02-16

はじめに、読んだときに母に髪をとかされるような胸がすく思いが私のなかにありました。 乱れたものを整えるように、私がまだ詩を作る上でたどりつけない言葉の意外性というものがこの詩にあったと思います。 内容はすさまじいなぁと、娘をもつひとりの親として、今、目をつぶって詩から刻まれてくる映像を、あじわっております。 人の詩への評が大の苦手な私もこの作品の父のように言いたいことを言ったら、ひとりごちて、歯を見せて笑ってどっかに消えて行きたいと思っております。どうぞ、どしゃぶり様は息子の気持ちでわたくしのことを見守ってください。 親が行う見知らぬ小さな虐待。 子が刻まれた親が死んでも癒えぬ傷 幼いころ、父は私にしても安心させてくれる存在ではなかった。 そんな父でしたが、もしこの父のように何気ないこどもの疑問の一言に、実は一生を左右する大切な問題を、 「ぞんざいに」、「不安感を駆り立てるように」こどもの人生観に踏み入れることもなく乱暴に扱ってしまう。 いずれ親子二人を他人にすることは時間の問題、というより必然でしょう。 岸辺の父に助けを求めたのに 飯を食うことに夢中なヒトだったのですから もしかしたら、息子は夜の海で溺れてしまったのかもしれません。未だに夜の海にいるのかも。 訪ねてきた息子を「ようきてくださった。」と他人に対する丁寧な言葉を使うまでの父と息子のドラマはおしてしるべし。 たぶん、お互いに、ばらばらに、時が父を弱らせるまで無関心に生活してたでしょうね。父はとりかえしもつかぬまま、自分勝手に死んでゆく。親子のぬくもりをのこせないまま。死に際に来てくれたことを本当にひとりだけ満足して。 父の墓は石の十字架。 死に対する考え方は金属質の強さをもつ父を覚えてはいるが、父のぬくもりと優しさを息子は覚えていない。 彼の墓は鉄の手触りしかない、「冷血」とその父の墓標に刻まれるかもしれません。 子供への身体的暴力の虐待はその子供が親になったときに、自分がされたように虐待を繰り返すと聞いたことがあります。 殴らないだけで、言葉による虐待もその可能性を充分に兼ね備えている。夜の海に突き落とすには充分じゃないか。 そんなことを何回目かに読んだあと思いましたが、未だにはじめて読んだ時の胸のすくおもいがこの詩を眺めたときにあるのです。 ながながとなってしまいました。 すんません。この詩に心を最近奪われてしまったのです。 (藁の家)

2017-02-14

もとこ様へ。 興奮のままに、書き下したことをお許しください。 意外性にかけたことに対しての弁明は何もありません。 今、毒についてのことを考えています。 先ほど言いかけましたことをまず、書きます。 「~~~~」は最後に泣いている私の景色として使っていました。 水平線に浮かぶ波、目の前にある波として、愛を詠む色をともなって その波には、硫酸でとけていった多くの私と毒が成分として。割かし穏やかな波なのでしょうね。 海のそばの工場をイメージさせたのは、海に流れた毒が従業員をおかすことを我々は過去に知っているからです。 硫酸でとけていった多くの従業員は利便性に長け、丈夫で「効率的で、豊かな」な言葉を持っていました。 毒のまわった工員たちが、怒りでののしりあいをしたときに使ったでしょう。 人を黙らしたり、脅したりすることに効率的な豊かな言葉を、そして丈夫な暴言をお互いに使ったことでしょう。 従業員は怖くなりました。豊かで効率的な言葉が次々に、次第に喧嘩は巧みな言葉で解決がつかないのなら取っ組み合いになるでしょう。 そして、殺しあうのです。 それが怖くなって、硫酸の海に飛び込みました。 怒りを備えた丈夫な毒を中和するものなど、そのときの私にはなかったでしょう。 怒り狂いながら言葉を巧みに使い、豊かなボキャブラリーで 人を黙らそうと、いいや、論破してやろうと躍起になる人間をとめることの難しさも、皆様だいたーい知っているはずです。(ここ笑うところですよ。) 従業員は 毒による怒りならば とめられぬことを 知っていたのでしょう。 己を殺すことで中和する手段を、しかし溶けただけでは、けして毒も怒りもなくならない。 形を変えるだけです。だってみんな私ですからね。 依然として海にある。  もし、この毒を中和することができるなら、泣いている私はそれを選択したでしょう。 宗教画のように「破壊と再生」をこの詩に叩き込んでやったはずです。 ですが、怒り狂った私たちが溶けてゆくことを、泣いている私はほうっておく、つまり、みおくることしかできないのでした。 もちろん、怒りを調和へと方法を探っていくことは正しい道だと思います。 読者への意外性を書くならば、それ(調和)しか私は見つけ出すことはできません。 ですが、まだその選択肢を歩み始めたばかりです。 それは、いつか海をテーマにした自画像を書くときに書けたらいいなぁと切に願います。 (海と自画像 「No.X」)

2017-02-13

怒りにとけていった × とけていった怒る○ (海と自画像 「No.X」)

2017-02-13

もとこ様へ グロテスク!! そうなんです。実はグロテスク。 「~~~」の水平線の波を構成する成分は、けしてこの世から、なくならぬ、から形を変えるために怒りにとけていった私たちを、眺めている泣いているわたしなのでした。分かりにくい!! とけてゆくことを、みおくる、放っておくことしかできぬ、おくりびとの私の光景なのでした。伝えにくい!! 今、私が興奮のままに書き、電池がないのを理由に投稿することをお許しください。 夜にちゃんと、書き直させていただきます。 (海と自画像 「No.X」)

2017-02-13

B-Review びーれびゅー ブレイブ?なぁんてね。 。 Kaz.様の評にどうやら軽口をはさめないような気がします。私が臆病だからでしょうか。多少の勇気がいる。 貴方がその記事を読んで、貴方がもった印象通りに、私の詩を当てはめれば私は取材不足だったのでしょう。記者が発表したものが取材不足だったとしたら、記事にするべきものではなかったのかもしれません。原因の究明に力を注ぎ、不明のものを明らかにし、不安感から解放させるべきだったのかもしれません。 この記事(詩)の過去を振り返ったとき。 確かに存在する、原因のひとつである「貴方」や「君」という言葉を使いたくなかった。詩にあてはめて額に飾っておくなんてことは「君」にしたくなかった。 そんなような淡く、若いころの作品でしたが、もっともっと、詩に「君」を混ぜることなく、浮き彫りにする努力が、私が執着したものからの解放が足りなかったなとあのとき思ったように、今もKaz.様の言葉をいただき再び新しい検討が私の中にできたと思います。 どうもありがとうございました。 私信ですが、剛毅と調和をもつ知り合いに貴方の語る死すを読めと、感想つけろと首根っこ捕まれて、脅されたことがあります。(おっかねえよ、あの女。) ここで語るような具を兼ね備えた感想ではないので、書きませんが、 最近、読みました貴方の詩に、語る死すが裏返る、ひっくり返るような題名を見て、覚えています。教養がない私は知り合いの解説を待ってから感想をつけたいと思っていますが、裏返すための努力と忍耐力を解放を、私もいつか得れたらと、詩を書くものとして尊敬の念を抱いております。 (海と自画像 「No.X」)

2017-02-13

花緒様へ。 平易ながらも意味の広がりをもつ言葉を探してみますね。 確かに、この作品は若い頃に作りました。 今もあまり重たい言葉を持ち合わせているほど教養もないので、また、この詩を書き直す日のために、花緒様や三浦様の言葉をこの詩に結びつけておこうと思います。 ギミックがたくさん隠された工場でワクワクドキドキ感を出せたらきっと楽しい工場に、読ませる工場になるかもしれませんね。さて、言葉の工場ですからね。重厚で、怪しいものがあっても不思議じゃないでしょうからね。 いつか本格的なものができそうになったらまた、遊びに参ります。その時はまたお手間をかけさせると思いますが、是非よろしくお願いします。本日はありがとうございました。 では、さようならー♪(^Φ言Φ^)ノシ (海と自画像 「No.X」)

2017-02-12

三浦様へ。こういう詩が嫌いな人にも読ませるように取り組む努力というものが私にはまるっきりかけていたなぁと、頭を掻きながら返信しております。簡単に読ませるように、分かりやすく書こうというくらいのものは、たぶんあったのでしょう。 いい年してエクスクラメーションマークもネットで意味を今調べました。 作業に集中し、没頭しすぎた結果。 周囲の確認の怠りから、ミスを起こすことはよくあることです。作業計画に突然の狂いやミスを起こしたことに気づかずにあとになって事故や怪我の発生したときに我々は「!」と、よく見に覚えがあるのです。 最初の二行に関しては、たぶん私にしか必要ないものです。そんな書き方したら「んな、アホな」でしょうが。アホがのこのこ楽しそうな雰囲気に誘われて投稿してしまった次第です。「X」はだいたい10個目という意味で、赤く染まった毒の海ですが、それでもけして消えぬ愛を詠む色の波がそこにはあったのでしょうね。怒る私ばかり硫酸の海に身を投げる。残った私にはやはり愛憎があったのかも。 私の稚拙な作品にサービス満点の評をいただきましてありがとうございました。 オープンスタッフはどんな職場でも大変でしょう。評者様達のご負担にすこし心配をおぼえますが、心身ともに健やかにお過ごしすることをお祈り申し上げます。 では、また縁があったらお会いしましょー。ありがとうございました。ペコリ。 (海と自画像 「No.X」)

2017-02-12