B-REVIEW作品投稿掲示板


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ishimuratoshi58 
作成日時 2019-02-01
コメント日時 2019-02-15

 

いいんだ 花は さかなくてもいいんだ いいんだ 麥の穂は みのらなくてもいいんだ いいんだ うたは うたはれなくても 笛は ふかれなくても 絵は えがかれなくても 木は 彫られなくても なみだは こぼれなくても 空をふるはせ ひびくものらよ どうして うまれてくるのか その罪に をののきながら


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エイクピアエイクピア (2019-02-02):

否定性に貫かれた内容は、慈愛に満ちた「いいんだ」と読むことも出来ます。「さかなくても」「みのらなくても」「うたはれなくても」等々。リラックス。そんなコンセプトでは無いのかもしれませんが、ふとそんなヴォキャブラリーが思い浮かびました。

環希 帆乃未 (2019-02-03):

優しい詩です。

ふじりゅう (2019-02-04):

~しなくてもいい、という言葉が優しく、惹かれました。

fiorina (2019-02-11):

他の習慣、教えでは肯定的にたとえば「愛」として讃えられるものが、 すべて執着にすぎないと、むかし初めて聞いたときと同じ驚きが、この作品にありました。 でも、詩は驚きをこえ、魂の震えに変わりました。最終3連のすばらしさ!    *** 「咲き」「実り」「うたわれ」「えがかれ」etc・・・ いずれも命の歓びそのもののはずですが、 「花は さかなくてもいいんだ」 「麥の穂は みのらなくてもいいんだ」 となぜか作者は語り出す。 田村隆一の「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」(「帰途」)を想起させる屈折したひびきに、 この作品を書かねばならなかったおもいが隠されているのかも知れません。 いいんだ いいんだ とたたみかけながら、それでも 「罪にをののきながら うまれてくる」 後から後からどうしようもなく生まれてくるものたちへの不思議と慈しみ。 究極の歓びを生み出す源には罪があり、 生まれたその子どももまた罪の子としてふるえている。 この詩の新鮮さは、人間の存在そのものを罪と言っているのではなく、 行為を罪と表現していることです。 (少しニュアンスがずれそうでこわいのですが、) 私は以前から、詩(生まれた言葉は)は、そのものが傷だと感じていましたが (だから些細な酷評?もあれほど痛い・・) 詩作の中で作者が 「罪にをののきながら うまれてくる」 と書かずにいられなかったことが、読者をして身動きできないような静謐に取り残すようでした。

fiorina (2019-02-11):

訂正です。   誤「うたわれ」→正「うたはれ」

stereotype2085 (2019-02-11):

素朴で朴訥として優しい。「その罪に をののきながら」。罪以外に言葉がなかったのかなとも思いました。この無常観、叶わない想い、願いを淡々と描いていく手法はとても好きです。ただ僕だったら、このモチーフもう少し洗練された書き方をしたかなという印象です。だがしかしこの素朴さゆえに持ち味が充分に引き出されているのも事実。ishimuratoshiさんには「秘法」でハードルが上がってしまっているのかもしれません。

環希 帆乃未 (2019-02-11):

「すべてのすすめ」 証明を果たすことではなく 証明を果たされるのでもなく 証明を果たしていくのでもなく ただ あるという それだけでいいの ありたいようにあれ 証明を求めるでもなく 証明を求められるのでもなく 証明を求めていくのでもなく あるがままをあるがままに すべてへすすめ 「石村さんの言葉を借りずに、ツイートで書いてみました。罪という言葉が、前向きに進むの、良いと思います。ですが、優しい詩っていうのには、私には変わらないんですね。私には慈しみではなかったです。なので、私の感受性のセンサーのせいです」

らどみらどみ (2019-02-11):

環希 帆乃未さんのログからやって来ました。 参加しても大丈夫ですか?

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-02-11):

運営の渡辺八畳です。参加者が増えるのは単純に嬉しいので気軽にどうぞどうぞ

らどみらどみ (2019-02-14):

はじめまして、運営の渡辺さん。 もちっと、ひっそりな場所かと思って、環希さんのログからジャンプしてきたのですが、いきなり運営さんの返答で驚きました。(頭越しですみませんね、環希さん)。全くわからないので、空気読んでいない率高めかもしれないので、気軽にどうぞどうぞと言われても、後で、ギャフンがいやなので、運営さん、逆参加条件の質問させてください。うざくてすみません。 作品を読むとみんなハイレベルですね(基準はネット詩)。 質問1 私は詩をかけません。それでも参加は大丈夫ですか? 質問2 ネット詩参加歴は25年以上前ですが、実際の参加は短いです。悪さをして出たタイプではなくて、つまらないとアクセスしなくなるタイプです。何が言いたいかというと、人間感情は強いかもしれませんが、ネット人間関係はゼロに等しいです(例外はいます)。それでも参加大丈夫ですか? 質問3 基本は、読み専門です。それでも参加大丈夫ですか? 質問4 自分では中道と思っていますが、側から見たら、結構、好き嫌いを主張しているようです。それでも参加大丈夫ですか? 質問5 歳とってます、それでも参加大丈夫ですか? 質問6 現実の生活を優先して生きてますが、それでも参加大丈夫ですか? 質問7 感動した作品には、コメントしてしまうかもしれません、それでも参加大丈夫ですか? 質問8 詩は書いたことありませんが、詩みたいなものをアップしてしまうことが、勢い余って、もしかすると、ないかも、あるかもしれませんが、それでも参加大丈夫ですか? 質問9 偉そうにアップして結果色々と、迷惑をかけるかもしれません、その時は直ぐに指摘されましたら、削除しますが、それでも参加大丈夫ですか? 質問10 古いタイプの人間なのでネット詩をバカにしていると言えば、何処かでバカにしてしまっているかもしれませんが、可能性も感じている、厄介者のおじさんですが、それでも参加大丈夫ですか? 質問11 最後に、もしかすると、他の方々と違って、極めて違って、連詩返詩と、コメントの違いを分かっていて、違うそんなことは作品に盛り込んでいないなんて嘘をついても、その人達の何作品か読めばネット詩孵卵期時代の25年前から繰り返しやってきた子供の嘘の言い訳を聞いている程度の繰り返しをみてるだけの、ばればれで、平均的な射程距離の長いライフル銃言葉を使うというゲーム感覚のつまらない言葉遊びではなくて、垂直稼働してしまう人生と肉体を掛けた(否定されても、時間や空間が味方なら良いと、[貴方]と同じように)言葉に偏ってしまう自分をマジで辟易しているところなのですが、それでも参加大丈夫ですか? 本当に 長々とすみません、 空気読めないタイプなので、不参加でも全然大丈夫です。

鈴木歯車 (2019-02-14):

そのままでもいいという優しさを感じました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-02-14):

らどみさん たしかにうざいなぁ(笑) ガイドラインは読まれましたでしょうか。参加資格はガイドラインに準じます。なので「逆参加条件の質問」なるものに返答するまでもありません。 ビーレビに参加するかどうかはユーザー個人の自由意思です。ただし上述のようガイドラインに従うことが条件であって、それを遵守できない方はアクセス禁止処分が下されます。正直に申しまして、らどみさんはそれができない方だろうなという印象を現在抱いております。そもそも長々と「逆参加条件の質問」ものを書く時点でガイドラインを読んでいないのは明確だし、それを書くということは「罪」の作者であるishimuratoshi58氏への配慮が全くできていないということです。謝るのは環希氏にじゃあありませんよ。 いわゆる「変な人」を積極的に排除こそはしませんが、優先的に保護をするつもりもありません。場への適応を少しでもしようとせず「~ですが大丈夫ですか?」と保身ばかり考えている人は、たとえビーレビに参加してもやがて煙たがられる存在になるでしょう。 要は「参加したいならすればいいけど、オススメはしない」です。らどみさんがビーレビに参加してもあまりよい結果にならないと私は思います。25年前のパソコン通信時代とは違って、現代はさまざまネット詩サイトが存在します。ビーレビ以外のそういったサイトに行かれてみてはどうでしょうか? 以降この件について「罪」のコメント欄では返答をしませんし、上記のやり取りも一定期間後に削除します。追加で質問があればビーレビのフォーラムかTwitter(ビーレビ公式アカウント)にお願いします。フォーラムの使い方がわからないなどという質問にも答えません。それさえ使えないレベルの情報弱者ならそもそもビーレビを使い続けるのは困難でしょうし。 ishimuratoshi58さん、「罪」のコメント欄を汚してしまい申し訳ありませんでした。

まりも (2019-02-15):

生まれてくる、ということは、とうぜん、場を占める、ということで・・・それを罪と「自覚」することと、原罪(宗教的な)との差異について、しばし考えました。罪、という名付は、作者による発見である、わけですが・・・罪、という言葉の重さと釣り合うのか、どうか、ということ、ですね。 存在の神秘への慄き、いわば、畏怖が、本作のテーマなのではないか。と思う、のだけれど。 何かの意図のために、効果や効率のために、「加工」されなくてもよいではないか(ありのままで、どうして認められないのか)という悲しみ、を歌う作品であるならば・・・そのままで存在しようとすること、が、許されない、ということ・・・が、罪、と称される、ということへの疑義であるとして・・・やっぱり、題名のインパクトと、内容が、どうもずれているような印象を受けるのですが、どうでしょう。 それを、罪、

ishimuratoshi58ishimuratoshi58 (2019-02-15):

 貧しい作にコメントを寄せて下さった皆様、有難うございます。  自作自解にならないように述べたいのですが、小生がこの作品で捉えようとしたものは非常に重大なテーマです。それが理屈でなく、詩そのままで直に伝わるようにかくのが作者たる私の務めですが、頂いた皆様のご感想から判断する限り、その務めは果たし切れなかったようです。これは作者の「罪」でしょう。痛恨の至りです。  本作をかいた前後に創作力の「枯れ」を自覚したので現在は充電期に入っています。枯れた声で歌えない歌に立ち向かってしまった愚かさを今更ながらに口惜しく思いますが、枯れた声なりの叫び方にも何かしら存在価値はあるでしょう。いずれにせよ生まれてしまったこの作はその「罪」を背負いながら在り続け、理解や誤解、無理解という「罰」を負うことになるのです。  いずれまた同じテーマに立ち向かうことになる機会があるか、力及ばぬままくたばるのかはわかりませんが、生き続け、かき続けなくてはならない。その念願があるばかりです。  

ishimuratoshi58ishimuratoshi58 (2019-02-15):

渡辺八畳@祝儀敷様、ご配慮有難うございます。 お手数ですが、このコメントも一定期間を経たら同様に削除して頂ければと存じます。 ですが、お心遣いへのお礼だけはお伝えしたいと思いました。ご寛恕の程を。

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優太   

ふみえ 
作成日時 2019-02-10
コメント日時 2019-02-11

 

今日も、お前を探す。 突然現れなくなった、お前。 産まれた時、私に、そっくりで嬉しかった。 皆が、おんなじ顔をしてる、と言って笑った。 一度も喧嘩した事が無い。 お前が私の一部だったから。 今日も好物を買う。 何時でも食べてくれる様に。 何時も膝枕してたけど全然痛く無かった。 娘が「又ベタベタしてるんだから~」と言っても 「良いんだよね~」と言い 二人で笑った楽しい日々。 今日も、お前を探す。 必死に探す私。 「産まれて来なければ良かった」と言う、お前に、 「そんな事言うなよ~」と、とても悲しんだ。 「又連絡するよ」と言った言葉が、 今でも忘れられない。


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渡辺八畳@祝儀敷 (2019-02-10):

視覚的要素があるわけでも、長い行があって環境によっては不本意に折りたたまれてしまうわけでもないように見えるが、それでも視覚タグをつけた理由は問いたい

ふみえふみえ (2019-02-11):

おはようございます、初めまして!コメありがとう御座いました~昔パンクロックを遣ってましたもので生きていて恰好を付けてしまう節が有ります。でも昔と違い嘘は付きませんもので「視覚タグ」と云う物が何か?分からずチェックしてしまいました。m(__)m現代詩と云う由りもメロディーも浮かぶので歌いやすそうな詩に成ってしまいます、、、、、

環希 帆乃未 (2019-02-11):

作品として、評価を付けづらい作品ですね。見つかると良いと、純粋に思わされます。

ふみえふみえ (2019-02-11):

環希様、初めまして!コメありがとう御座います。自分の想いしか詩に成りませんので嘘は付け無いんですよ。

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評についての言葉達   

環希 帆乃未 
作成日時 2019-02-09
コメント日時 2019-02-09

 

「歌は心/美空ひばりさん」が仰いました。名言集に載っていない不思議です。上手い下手なんて、器用、不器用と同じ。本当は順位なんて、付けたくない。でも、おもいあればこそ、傷付く顔を見ながら、ぶってしまう手を思ってほしい。痛みは、相互関係にある。選評はどうしても批評をしなければいけない。胸痛めずにいられまい、我が心。間違っていたとして、読者が判断するのだから、書き手のおもいを、履き違えていたとして、証拠を持ち出すのは違うとおもうのよね。どう読むのか?ではなく、どう読まれるのか?でしかないのよ。作者のおもいあがりは、おもいやりですか? 書きたいように書いたから、正しい正しくない。じゃなくて、結局は読み手がどう読んで解釈したかでしか、ないでしょう?「歌は心/美空ひばりさん」読み手が読むのだから。詩も同じよ。読み手の心。よい悪いをあげるから、成り立ったゆくの。だから、選評に気を使わない訳がないの。踏みにじるのと訳が違うわ。心ある選評を、書いてゆくの。心を込めて書いてないなんて、思うのは、結局は反抗期の子供と、同じだわ。心あるから、指摘するとき、痛むの。私は生半可な気持ちで、選評を、書けません。良いところを、伸ばすの。悪いところは、気を付けるの。 私は詩を大事に思う。相互関係だから、よいほうにすすめば、お互いの為になると、思います。


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姉妹たちに #2   

渡辺八畳@祝儀敷 
作成日時 2019-02-07
コメント日時 2019-02-09

 

もとはどこかにあったものが 漂着して それからはずっとある 過去には轟々たる旅があっただろうに 今ではそんなことかけらも思わせない   硬い   静かだ   ゆれない 無機と有機はかつて恋人だった どろりと溶け合い通じ合っていた いつからか二つは別れた その二つもいくつもに分かれた そして限りない数の不幸と 限りない数の幸福がうまれた だから片割れの振動で片割れが壊される 不器用になってしまったものによる精一杯の愛情表現だ たとえ片割れを傷つけることにしかならないとしても止められない たとえその結末を知っていたとしてもだ やわらかくて しなやか たくましくて すなお かつてはたしかに恋人だった 愛し合っていた 今は立ちはだかるだけの片割れも 未だ相通じる片割れも ほんとうはすべてが一緒になって動くのだ 滑らかな一体だったのだ 回る回る回る回る回る回る回る ほんとうは回る しかし今は別れているから 互いに傷つけ合いながら片割れをまさぐり続けている 打て 打て 打て 練れ 重ねて打て 重ねて練れ かつての愛を思いながら重なり合え そうして光って 光って 光って 光って! 輝いて! 光り輝いて包んで! あたたかさを知らない私たち姉妹だから 輝いて! 強く!


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渡辺八畳@祝儀敷 (2019-02-07):

2/7  14:00 煙草吸い終わる(マールボロ・ゴールド・オリジナル×1 ゴールデンバット×1) 14:00 録画していた「ケムリクサ」5話視聴開始(観ながら詩文のメモをする) 14:30 視聴終了 15:00 再視聴 15:30 視聴終了 15:40 スマホに詩の書き出し開始 15:54 書き出し終了 書き出し後すぐに投稿

かるべまさひろ (2019-02-07):

前作のと合わせてですが、まず今期ケムリクサは観ていないので前提知識は共有できていませんが… 自分は勝手にテイルズオブジアビスとか思い出させられました。 前作より書いてやろうという意気込みがある印象です。技巧が少ないからその分、背景となる何かを前作より確かに感じます。前作は知らなくても読めるように、今作は知らないと踏み込めない感じがしました。 ただ俳句での前書のようなものがあるわけではないので(コメントをそう捉える、という見方もありですが)、読者と前提を共有しない意思も持ちながら作品はあるのだなと読めます。 で、まぁ最終連が印象に残るようになっているのですが、「姉妹」という語がちゃんと引き立てられてるなと。恋愛やかつて一つだっただの今は傷つけ合っているなど設定トークが3連も続くのは、「姉妹」という語に全部の思いを詰め込むためだったのだなと読めます。前提を知らないとここで「姉妹」の語は出てこないから。 それでもこの「姉妹だから」の絶対性/設定で語っていた人間関係についての親和性がちゃんと読み取れます。まぁ端的に言うと、背景になるなにかをインプットしたときの感動か動揺か…そういうものを表している。 そう読みました。ただ面白いかと考えると3連がずっと設定を語る言いぶりだから、突き放しを感じて、あまりひねくれていない素直な「わかる人だけわかればいい」態度に感じました。ただまぁそこは渡辺さんだから好意的に読めた…そんなところでしょうか。

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-02-09):

かるべさん 「姉妹たちに」はうまくいったらシリーズ化して同人誌にしたいなと1作目から構想練っていまして。でも上手くいったらだなぁ~ってぐらいに最初は思っていたのですが、3月末にもうケムリクサオンリーが開催されると知って俄然やらねばと思い直し、上手くいったらでなくなんとしてもシリーズ化してやろうと2作目を書いたところです。書き始めてしまえばあとはそれに続くしかない。 1冊の本になると考えると同じ手法ばかりをやっていてはならない。各々の詩を合わせての総合で本は読まれるわけですから手を変え品を変えなくては。だから1作目とは被らないように努めています。これ消耗戦ですね。先に本が出来上がるか、私の手持ちの技が尽きるか。

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姉妹たちに   

渡辺八畳@祝儀敷 
作成日時 2019-01-31
コメント日時 2019-02-08

 

たまに遠くまで見渡せることがある しかし見えるものが何なのかはわからない 高台に立っても足元が霧に濡れる 手元にある光はあまりに少ない 樹は古い身も保って伸びていき 樹は身が欠けても残された箇所が保っていく はじめがあって 姉妹たちがうまれて 減って 減って 水を求めて(水がもたらす潤いを慈しんで) 焼かれて 姉妹たちで寄り添い合って 増えて 減って 減って 減って 遥か眺めて 崩れて(その中を歩き続けて) 姉妹たちを想って 赤は禍いの印だ(姉妹たちも同じ色を携えていることは知らない) もう何も失いたくないから それだけを目的に生きていく (姉妹たちがいる) (姉妹たちを見つめる) (姉妹たちを思い返す) (姉妹たちに抱く) (姉妹たちが    ) (姉妹たちを   ) (姉妹たちが      ) (姉妹たちを (姉妹たちに (姉妹たちに (姉妹たちに 私たちは、姉妹だ ……………………………………キニ ワカバガ ハエタヨ


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渡辺八畳@祝儀敷 (2019-01-31):

一行が長くて改行されてしまうが本当はオリジナルな形で見てほしい、って時にも「視覚詩」タグは使っていいと思います。 普段は3回ほど推敲するのですが、最近自分の詩作がわからなくなっているのであえて書いてすぐ投稿してみました。今日の1:00ごろに最初二行だけ書いて、その後煙草吸ってヤニクラなって、1:40ごろにぼちぼちまた書き始めて、2:28にメモ帳に通しで書いて、それをすぐスマホに打ち出して投稿。スマホ打ち出しの時にいくらか調整はしたが私にとっては実質の即興詩。即興詩をネット詩掲示板に投稿すること自体も初めて。

エイクピアエイクピア (2019-01-31):

試みとして面白い、興味深いと思いました。詩のメソッドを深く意識した詩だと思います。鍵括弧内の姉妹の連発は何か「詩=姉妹」のような。限りなく姉妹は詩に近いんだと言う印象を持ちました。なので姉妹の後が助詞以外は途切れて行く、その過程が詩であると言う方法論。姉妹の詩性が伝わって来たのだと思います。

沙一 (2019-01-31):

いままで私の知っている渡辺さんの詩は、強烈な個性を放っていて、受け容れるか、それとも拒否するか、読み手に二択を迫るような攻性を感じていました。いずれにせよ、読ませるユニークな訴求力があったことは疑い得ません。それらに比べると、今作は些か刺激が足りない気がします。読まれようが読まれまいが関係なく自存しているのではなく、どこか読まれるのを待っているような作品に感じました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-02-01):

エイクピアさん、沙一さん そうですね、この詩はいままで私が習得した技法がかなり明確な形で表れています。逆に言えば、今までの詩にあったようなアイデア=個性は無いでしょう。なんかさ、ゴリゴリと烈火のように書くことができなくなって。詩人としての転換期なのかもしれない。

今野よーよー@詩 (2019-02-07):

視覚でも映えるし、姉妹に託された意味性が詩的ですよね。渡辺さんが僕の詩に地味とおっしゃったのも理解できます。姉妹たちを寄り添いあう一つの塊として捉えられ、「私たちは、姉妹だ」に続く、最終行の「キニ ワカバガ ハエタヨ」に、姉妹たちを通した明るい光景を見ました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-02-08):

今野よーよーさん 題名にもありますから、詩中主体たちにとって「姉妹」とはどういったものかをこちらが誤ってはいけないなという思いはあります。 何かを感じとるには自分の内で咀嚼しなくてはならないが、咀嚼しすぎて原型が無くなってしまっても苦しい。ことこの詩は「ケムリクサ」の二次創作でもありますから、元ネタに依りすぎずされど離れすぎずの絶妙な位置関係でなければ。

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表現について、軽いよりも軽い、何か。   

環希 帆乃未 
作成日時 2019-02-05
コメント日時 2019-02-06

 

表現にしても色々あるのですよ。とてもとても奥深く潜らないと、なんにしても、表現力に至らない。確立していくのが、表現で、面白さでもある。苦痛を伴うけれど。低い成功ではなく、趣を置くなら、高い所でなくては、面白味もないわ。 自分の技は基礎を繰り返して、手に入れたりするし、大事なのは、なんにしてもHeartなんです。 何処にHeartを置くかだから、過程も結果も伴うんです。時間が掛かるのも、失敗もなんだっていうの。手に入れたいなら、死ぬ気で、するしかないの。無駄に使える時間がないわ。 インプット作業もアウトプット作業も、人生の経験も。繋がりも同じ位、比べられない位大事です。 高め合うってfeelingもだけど、狭く捉えない事が大事。でも、必要なモノが手にはいるなら、なんだって良いよねって帰結する。 初心って、初心じゃないよね。自分の立ち位置だから、初心=現状ではなく、無知の知である。自分がいつまでも井の中の蛙であるって、知ってからの、初心でしょ。だから初心が更新されるのは、当然あるべきだし。でも、変わらない初心だって持ってるの。 持てるモノどれだけ出しきって表現するか。逆に出さないって、有り得ない。何時も一つに全力で挑む。大事なら普通でしょ。


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今野よーよー@詩 (2019-02-06):

共感しながら読みました。 自分も初めての詩を投稿しましたが、井の中の蛙だと痛感しております。B-Reviewは井の中の蛙(たまに才人もいるが)同士がお互いを高め合う場として最適ですね。 僕もいつも死ぬ気で表現しています。しかし、少し肩の力を抜いた方が良い表現ができるという気もします。表現することは難しいけれども、奥深く、一生を費やすだけの価値のあるものですね。 詩が人の心の形(「Heart」)をしているのなら、詩に客観的な良し悪しはないと思います。しかし、自分の表現したいことに表現を近づけるための実力は存在している。また、より多くの人に自分の表現を見られるための実力も存在している。B-Reviewには個人が理想とする詩のプロトタイプが本当にたくさんあって、人の心の様々な形を垣間見れます。

環希 帆乃未 (2019-02-06):

今野よーよー@詩さん、御言葉ありがとうございます。 私は張りつめ具合が、作品には反映されません。ん~。反映させないが、正しいですね。肩の力を抜いた作品も大事です。ですが、アプローチの仕方が変われば、作品が、ガラリと変わりますよね。言葉の配置も気にするので、張りつめて研ぎ澄ませてしか、作品に取り掛かれません。 良し悪しは、読み手が判断してよいのだと、思います。ビーレビさんには様々な方がいらっしゃいますから、刺激も多いと思います。 最近はライトで、一行の感想が多いです。選評でしか、良し悪しを書かないよって意味があります。 他の方も感想を書きやすい形で(ライトで一行の感想を)書いています。

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永遠の恋人である君に酷いことをしたい ※   

仁川路 朱鳥|次回1/31 
作成日時 2019-01-28
コメント日時 2019-01-29

 

永遠の恋人である君に酷いことをしたい とっても酷いことだよ 君の永遠性を奪って堕落させたい とっても酷いことだよ それから僕と薬指を縛り合って 鬱血の痛みを愛と呼びたい とっても酷いことだよ 永遠の恋人である君に酷いことをしたい 君を裏切りたい 純潔を散らして それから君の身を一人だけじゃなくて 二人三人に増やしていきたい とっても酷いことだよ 君を多重人格にしたい あまつさえ僕はそれを受け入れたい とっても酷いことだよ 永遠の恋人である君に酷いことをしたい 非永遠に僕と一緒にいる呪いをかけたい 僕か君かが永遠じゃない いいや永遠なんてない 君はもう永遠の恋人なんかじゃない 僕ら肉体は非永遠だけど 僕ら霊魂は永遠だ 君の霊魂に永遠に僕と一緒にいる呪いをかけたい とっても酷いことだよ そしたら 何度生まれ変わっても 僕と一緒にいる呪いをかけたい とっても酷いことだよ とっても酷いことだよ


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仁川路 朱鳥|次回1/31 (2019-01-28):

ビーレビ杯不参加です。

ふじりゅう (2019-01-29):

 拝見しました。  主人公は、自分にとって「永遠」である「恋人」に「とっても」「酷いこと」を「したい」という、パンチのある内容から詩が始まります。  主人公が語る「酷いこと」は作中では8つ挙げられており、 1.永遠性を奪って堕落 2.薬指を縛りあって、鬱血の痛みを愛と呼ぶ 3.裏切る 4.君の身を一人だけじゃなくて、二人三人に増やす 5.多重人格にする 6.非永遠に主人公と一緒にいる呪いをかける 7.君の霊魂に永遠に主人公と一緒にいる呪いをかける 8.何度生まれ変わっても、主人公と一緒にいる呪いをかける (ただし、6.だけは「とっても酷いこと」ではない模様)  まず注目すべき点は、これらがすべて「~たい」「~したい」とされている点。つまりすべてが実際に行動したわけではなく、ただの願望であるという点です。  また、主人公の上記の願望にも、前後半で大きな変化があります。2~5まではありていに言えば「狂気」を思わせますが、1と6~8は「恋人」を真に「永遠」という存在にしたいという願望へと変わっていきます。  また、1では「永遠を奪う」→「堕落」という図式が主人公の頭の中にあるようですが、彼は後半は「永遠」についてさらに深く掘り下げて考えています。それは「肉体→非永遠」「霊魂→永遠」というもの。だから主人公は後半「霊魂に」「呪い」をかけたのだ、と考えることができます。  そして、後半の主人公は明確に、恋人と永遠に一緒にいたい、というような願望を抱いていることがわかります。  そうなると問題は前半部分です。前半部の「異常」な願望(後半が異常ではない、というわけではございませんが。)をどう解釈するか。  (私は、この「恋人」は主人公にとって遠い存在(アイドル、であったり、出勤時にいつもすれ違う他人、であったり)で、一目惚れのような状況で自分の狂気じみた愛を止められない、一人の男性。と解釈しました。)  読み解けば読み解くほどに面白い詩に出会えるのは貴重と感じました。個人的には、他の方の感想も見てみたい気もします。  

世界世紀世界世紀 (2019-01-29):

B-REVIEWに書込みするのは、これが最初になります。はじめまして。 気になる作品で繰返し読んでいました。 初読では一方的な恋慕の表現に戸惑ったのですが、連の締めに「とっても酷いことだよ」と何度も綴られているのが、話者が自分を責めているようにも見えてきました。ふじりゅうさんが指摘されていらっしゃる「~したい」という願望が綴られている所も、思うけれど出来ないでいるもどかしさを表していて、切ない気持ちが伝わってきました。 永遠の恋人とはどんな対象の事を言うのか考えていて、2次元のヒロインとか神話の登場人物などを思い浮かべたのですが、もっと近い存在な気がしていたので、ふじりゅうさんの読解を拝見できてなるほどと思いました。そうなると「堕落させたい」は現実の恋愛対象になってほしい、話者の事を見てほしいという願望に思えてきて、二人三人に分裂っていうのも話者が知っている君だけでなく怒ったり泣いたり体当りな生身を知りたいという願いなのかなと思ったりしました。 「とっても酷いことだよ」と言っているけれど、ホントに酷いのは言わないでやっちゃう事だと思うので、この話者は優しいんじゃないかな。非永遠の今生だけじゃなく、永遠の魂(実際にあるのかは判りませんが)まで一緒にいる呪いへ展開していて、思いがどんどん深まっていく感じがしました。最後の連では、深すぎて悲しいような気持ちになってしまいます。 片思いの甘さと切なさと苦しさを突き詰めたような詩だと思います。

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やわらかいおり ※   

渡辺八畳@祝儀敷 
作成日時 2019-01-15
コメント日時 2019-01-20

 

あまりの寂しさに 体からスライムを出せるようになった僕は だれも覗かない自室の中で強張ると 無色透明な粘液に包まれる まだらに入った気泡になんだかやすらぐ 必然性を含有していないからだろう 生物がいたことのないアクアリウム 地球みたいにぷるぷるゆれている 味も臭いも経験値もないから責めてこない 一切の記憶がこのスライムにはない ひんやりだけをこころに据えて 欺瞞だとしても浮いていよう 寂しさの代償によって 僕は守られていく ねとねとしているけれど くっつきはしない


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渡辺八畳@祝儀敷 (2019-01-15):

※B-REVIEW杯不参加作品 2018年は旧作ばかり投稿してしまったので、現在の私の状態を見て(診て)もらうために新作を投下します。 2018.10.10 第1稿  2018.11.8 第2稿  2019.1.14 第3稿(この稿) 題名は白犬さんの案を採用させてもらいました。 https://twitter.com/shiroinu85/status/1049718267596627969

帆場蔵人 (2019-01-15):

あまりの寂しさにスライムになる。 スライムというのは不定形で輪郭も曖昧ですよね。そこに人間は人との関係性で自身を規定しているような意味があるのかと感じました。寂しさからそうなったものの同時に、その関係性に疲れてもいるのかな?というのが二連目の必然性を含有していない気泡に安らぐ描写なのだと。やがて記憶すらない一個のスライムが浮遊してる光景は想像するに解放感をぼくに与えてくれました。

ふじりゅう (2019-01-15):

拝見しました。 何となく自分語りのようなコメになってしまいますが、自分なりの解釈と考察です。 スライムは本来ベタベタしていてくっつくものですが、貴作のスライムは体にはくっつきはしません。 スライムは必然性がなく、責めず、記憶はありません。 寂しさによって、自分からスライムを出せるようになった主人公は、それに寄り添うようになっていきます。が、責められず、記憶もなく、ただの物質でしかない(ような)スライムに依存していく様が、主人公の内面の膨大な寂しさを思わせ、またそれがスライムに触れる毎に膨張していく様が表現されています。 必然性の解釈に悩みましたが、私は、生きる意思、生命を維持させようとする意思のようなものと読み取りました。 さて、ここからは本当に飛躍した話になりますが、私にとってスライム、と言えばドラゴンクエストの最序盤の魔物を思い出します。昔読んだドラクエ6の漫画、作中のラスボスは、無限に広がる「無」の恐怖に耐えきれず、スライムという1匹の魔物を生み出しました。地獄の苦しみから逃れる為生み出した、1匹のスライム、という点で相似のような感覚が致しました。 話を戻しますが、締め「くっつきはしない」です。推敲前では「粘つきはしない」で締められていましたが、あえてくっつかないようにしたということは何かしら意味があるということでありましょう。例えば失恋を主人公がしたとすると、ずっと近くにいた(くっついていた)恋人がいなくなった穴を代替品(スライム)で埋めようとしているが、どうしても埋まらない、満足出来ないさまをくっつきはしない、と表現しているのだと読み解きました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-01-18):

帆場蔵人さん この作品はなかなか難しい立ち位置でして、というのは作者の私からするとありがちな設定だなと。だいたい孤独な詩中主体なんてあまたの詩人が書き尽くしているし、なぜ書き尽くしているかっていうと往々にして詩人なんちゅうのは自虐しながらも自己愛強いから「孤独な私カワイソス(だからみんな注目して)」の精神で書くからだ。無論私がそんなナヨい気持ちで詩を書くわけが無いが、しかし系統としてはこの詩はそれ系になってしまっている。最近パンチのある詩が書けなくなりました。 とはいえ私も下手に書いてきてはいないわけですから、凡庸な設定でも読める詩を構築する術は施すわけです。気泡だなんだとはそういうわけでして。詩の書き方というものも考える時期なのかもしれません。

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-01-18):

ふじりゅうさん 思えばスライムとは不思議な立ち位置の存在です。もともとスライムとは物理攻撃が効かず炎で焼き払うなどしないと倒せない厄介な敵としてフィクションに現れました。しかしゲームの敵としてのスライムは非常に弱いモンスターとして登場させられ、ドラゴンクエストに到ってはもはや判固形のマスコットキャラクター。 詩中のスライムはゲーム以降のイメージが強いでしょう。「ドルアーガの塔」でスライムが出てこなかったら私がこの詩を書くこともなかったのかも。

るるりら (2019-01-18):

こんにちは 感じたままを感じたままに ひとことで言い表すならば、胎内回帰願望が表現されていると感じました。 題名は「やわらかいおり」としておられますが、むしろ「やわらかい殻」ではないのだろうかと感じました。いうまでもないことですが 卵殻をイメージしたからです。 文学極道のほうも閲覧させていただいたのですが、どうやら「柔らかいおり」は「檻と澱」が かけられているようですね。 そのような説明を聞かないで「やわらかいおり」という題名を目にしたときには「やわらかい檻」だとばかり思いました。やわらかいという形容詞がわざわざついているのだから、次に来る言葉は元来は固いものであると連想しました。ですから「澱」というゲル状のものが「おり」という言葉の中に含まれているとは 思いもしませんでした。 魅力的に感じた点は、生体を表す言葉ではなく、「スライム」という人工物のセレクトです。なんだか今っぽいです。生き物との乖離が感じられる言葉なのに、わたしの場合は懐郷心みたいなものを感じて 本作品に強く惹かれました。 なお ゲームに登場するスライムは、わたしの意識には無い状況で、わたしの場合は本作品を拝読しくした。わたしがイメージしたのは 玩具のスライムです。手作りでスライムをつくったときの触感などをたよりに、私の場合は 本作品を拝読しました。

鈴木歯車 (2019-01-18):

拝読しました. 第2連 「まだらに入った気泡になんだかやすらぐ 必然性を含有していないからだろう 生物がいたことのないアクアリウム 地球みたいにぷるぷるゆれている」 目の前のスライムからのスケールの広げ方が素敵と思いました. 後半の2行でぼくはつい孤独な深海を想像します.

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-01-20):

るるりらさん 胎内回帰願望といえば高校の時こんな映画を作りました、ってURLを出そうとしたらなんかYouTubeの規約に反しているから削除とかなってて(アップしたの7年前だぞ)、代わりに変なサイトに転載されてました→http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?c1=&ch_userid=jpchan04&prgid=46509251#reply_line スライムは残すかどうか推敲の最後まで悩みました。これだけ横文字だし。入れたほうが詩文に起伏がつくかなと考え残すことにしました。

渡辺八畳@祝儀敷 (2019-01-20):

鈴木歯車さん 地球っていったら命のスープこと海洋が広がっていますが、あえて「生物がいたことのない」と逆張りした表現で使ってみました

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【哲学の道散策】※   

fiorina 
作成日時 2018-12-30
コメント日時 2019-01-04

 

覆いをとられた水の流れが、冴え冴えと空を映している。 爛漫の春を彩った桜木は、高く交差する濃い緑で夏の日差しを遮った後、 紅葉見物の華やかな人通りが絶えると、今緑青をふいたような幹の肌をあらわにした。 かれは一年のうちでこの季節を最も愛した。 東山と琵琶湖から流れてくる水路と平行する細道は、 かつて素朴でやや単調な旋律を奏でていた。 茶店で注文したぜんざいを待っていると、隣席の客が話している。 「ずいぶん変わったわ。どこがどうっていえないけれど。」 はじめは旅人の気づかぬ位に桜の若木が植えられ、山茶花が縄目も美しく添え木を当てられて、 去年までなかった場所で無数のつぼみを付けた。 やがて沿道の家々も花や木に負けじと工夫を凝らし、 帰途の博士や学生たちが哲学さえ忘れるほどの、光と影のシンフォニーを奏でるまでになった。 「この道を親鸞様も歩いたわね。」 「法然様もだよ。」 石のベンチに掛けた二人連れ。 女が白い紙に印刷された文字を追ってたどたどしく読み上げている。 読み間違いを男の低声がただす。 歎異抄 第四条  一 慈悲に聖道・浄土のかはりめあり。聖道の慈悲といふは、ものをあはれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもふがごとくたすけとぐること、きはめてありがたし。浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏になりて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべき と云々。 一陣の風に朽ち葉が断末魔のような声を上げ、水面に散った。 振り向くと男女の姿はなく、日だまりのそこここに懐かしいにおいがたゆたっている。 こうして歩く自分一人を幻と感じながら、月清は来たるべき冬に向かって歩をすすめた。                        ※(bレビュウ杯不参加です)


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エイクピアエイクピア (2018-12-31):

最初の文で、春夏秋の移ろいが感じられ、親鸞の歎異抄が原文で引用される。月清は実在の人物がモデルでしょうか。戦国武将の清水宗知の入道後の号が月清だそうですが。

fiorina (2018-12-31):

エイクピアさん、 月清は実在なのですよ。拙文はオマージュとして書きました。 人通りがまばらになる冬か、夕暮れの哲学の道には、 月清の足音が今もかすかにきこえるはず・・・w。 コメントありがとうございました~

環希 帆乃未 (2018-12-31):

fiorinaさん(´。•ω(•ω•。`)ぎゅー♡ えと、要約しちゃうんですが外れているかもです。fiorinaさんが混じっていると感じました。私の作品にふれられる時もそうですが、fiorinaさんは、万事に対して「そうなのか」と考えています。括弧の部分は題名から詩全部ですね。ううむ。混じっているでは無く、fiorina=現実=理想。って感じですがいかがでしょうか?

るるりらるるりら (2018-12-31):

こんにちは 私は不勉強で、 本作品の月清という人物を存じません。 親鸞聖人が亡くなったあとの時代に、教えが世間に間違って伝わっていることを嘆いて 正すために書かれた書物の引用がありますので、親鸞聖人に関係する方でしょうか?それとも エクスペリアさんが 書いておられる人物が、本作品の月清という人物でしょうか? 本作品の観賞のために、教えていただけると幸甚です。

環希 帆乃未 (2018-12-31):

六家集の一つ、九条良経様の秋篠月清集(簡略化されて呼ばれる月清集)の事を仰っていらっしゃるんではないでしょうか?違ったら申し訳無いです(;´・ω・)

環希 帆乃未 (2018-12-31):

勅撰和歌集でも有るはずです。二十一代集が有ります。その事を知っていれば。読めると思います(;´・ω・)

環希 帆乃未 (2018-12-31):

親鸞様と法然様と関連するのは、月精集九条良経様の父親である「九条兼実」なんです。※東山と琵琶湖から流れてくる水路と平行する細道※から山科疏水かな?哲学の道かな?哲学の道ですと数多くの文化人が愛されて、哲学の道と名づけられたと認識をしております。題名にも関わる事です。縁の御寺をご存知であったり、細やかな描写が無くても、周辺をご存知であれば、読めると思います。琵琶湖疏水より昔の九条良経様を想うと感慨深いです。解釈が間違っていないと良いのですが(;´・ω・)

fiorina (2019-01-02):

つきみさん、 最初のコメントをまるごとうれしく拝読しました。 次のコメントの月清のモデルですが、さまざまに思いめぐらせてくださって、作品冥利に尽きます。 私も一読者として、検討してみました。 >九条良経様の秋篠月清集(簡略化されて呼ばれる月清集)の事を仰っていらっしゃるんではないでしょうか? 歎異抄の作者とされる親鸞聖人の弟子唯円と、九条良経は、伝えられる生年の時点で53歳の開きがあり、九条良経が歎異抄に接するには、最短87歳ほどの高齢以降ということになりますが、これも伝えられる九条良経の死没は37歳で、早世ですね。 けれど、父の九条兼実は、若き親鸞の最初の妻玉日姫の父でもあり、その周辺に作品の出自を感じていただいたのは、楽しいことでした。数年前に吉川英治の『親鸞』を読んで、京都をあるくときの案内書にしているのですが、その中に九条家の人々が魅力的に登場しています。そのことがこの作品を書かせたと言っても過言ではありませんので、時代考証めいたものよりもつきみさんの直感の方が素敵です。また、私は時の遍在をまじめに信じていますので、年代を無視した神出鬼没は不可能ではありません。 その流れで言えることは、この求道者は、いにしえの若き僧かも知れず、現代の一詩人であるかも知れないですね。 どちらにしろ、私がつきみさんよりも遙かに無知で、これからの学びへの道をまた開いていただけたと感じています。ありがとうございました!

fiorina (2019-01-02):

るるりらさん、 読んだ方が歴史上の人物に思いを巡らせてくださるのは、うれしい驚きでした。時代小説にこよなく憧れるのですが、知識も研究熱心さも乏しい私には、無理だとあきらめていたからです。歎異抄の引用と、哲学の道魔法のおかげですね! こうなったら明かさないのが作者道かもしれませんが、ええい新年のお年玉だいw 月清は、るるりらさんもよくご存じの詩人ですよ。 どうぞ、これによって作品が死んだ小鳥のようになりませんように・・・。 コメントありがとうございました~

るるりら (2019-01-04):

おはようござます。 おこたえいただき ありがとうございました。おかげで、詩読みが深まりました。 月清は、るるりらもよく知っている詩人なのですね。あは ところがどっこい るるりらには、わかんないです。 とりあえず、月清というネーミングセンスが 素晴らしかったので、わたしは質問せずにはおられなかったのです。 つきみさんへの返信で、「この求道者は、いにしえの若き僧かも知れず、現代の一詩人であるかも知れないですね。」とも言っておらるので、月清とは fiorinaさんなのかもしれない。(そうだとは おっしゃらないでね) いやまて、フェイントで るるりらでも 良い気がしてきました。 はたまた、つきみさんでも悪くはない気がしてきました。 だって、つきみと名乗っておられる方が、「月清」という謎の人物を特定しようとされているわけでして、名前にそもそも つきがついておられる。 九条兼実の場合は、別称では 月輪殿ともいわれていたそうですね。地図でみると、東山のあたりには「月輪」という地名もあるようですね。つきみさんの書き込みで、その息子さんが月清と知り、驚きました。 なんとも月づくしですね。 先月、たまたま 列車で琵琶湖のまわりを通過しました。瀬戸内海を知っている私には、琵琶湖は海の規模に思えるのに、さすが湖です。しても しずかで美しい様子が、 とても不思議でした。あのように静かな湖面にもし月が映っていたら、格別でしょうね。 月清とは、だれかという類推の時間は、私にとっては 琵琶湖の月におもいをよせる人々のお気持ちは、どのようなものかに思いを馳せることとなりました。おかげで お正月に古都を想うことができました。ありがとうございます。

fiorina (2019-01-04):

るるりらさん、 引き続いてのご高察、かたじけのうござる。 先に書きました「時の遍在」は、宇宙の端っこ?を見れば、そのまんまという感じで信じられるんですが、それすなわち存在の遍在とも思うのですね。 >いやまて、フェイントで るるりらでも 良い気がしてきました。 >はたまた、つきみさんでも悪くはない気がしてきました。 全くその通りでございます。そして、いつか るるりらさんとつきみさんが冬の哲学の道で、一枚の紙を広げて、 何かに読みふけっているかも知れないのですね。 登場人物は限りなくリアルの存在でありながら、その存在を消していくとき、 自分だけの道案内人になる? そして、冬の哲学の道をもし訪れることがありましたら、枝という枝にもう小さいつぼみが雨露のようにあって、静かさの中の命の喧噪に驚かれることでしょう!         (琵琶湖、湖西線の旅の中にて)


【鞍馬山中散策】※   

fiorina 
作成日時 2018-12-30
コメント日時 2019-01-02

 

大原でバスを降り陽光を浴びながら歩く。 三千院や寂光院、鯖街道などはすでに訪れていたので、隣村の静原へ行こうという。 朝市の開かれる里の駅を右手に見ながら、「近くにベニシアさんがいるね。」 と、その家を探す風でもなく集落を横切って静原への道を辿った。 静原は、大きなおにぎりのような山が層をなす、その名の通り静かな山里である。 細い道の両側の家々は、ゆったりとした門構えで穏やかに重ねられた歳月を思わせる。 ここに住むとしたらどの辺がいいかしら・・・。 と何げない風に言うが、すでに具体的な眼をしている。 住まなければそこを訪れたことにさえならないと思っているのだ。 しばらく時を過ごし、帰路は鞍馬から叡山鉄道で帰ることにする。 地図を見ると、静原を抜け山道を少し行けば鞍馬の駅に出られそうだ。 次第に寂しくなっていく道をずんずん歩いていった。 山道にはいると、赤いひもが分かれ道の木の枝に結んである。 それを頼りに登っていったが、日もとっぷりと暮れ、ぬかるんだ道はときおり立ち往生するほど険しくなった。 「きっともうすぐよ、」と言ったきり女は黙って登っていく。 携帯は既に圏外になっている。 突然彼は全身を恐怖に締め付けられ、「おりるよ!」と叫んで、 いつの間にかかの女が手に持っていた懐中電灯を取り上げると、きびすを返し下山を始めた。 ようやくまずいと思ったのか、ぬかるみに足を取られ転がりそうになりながら、必死でついてくる。 「軽装で遭難」と言う文字がちらつく。 「大丈夫、こっちへ行こうよ」と奥へ奥へと行きたがるままに、 従ってきた自分に舌打ちした。安物の皮靴は底に大きな穴をあけてじゅくじゅくしている。 ようやく見慣れたやや広い道に出てゆっくりと歩いていると、 背後の山を竹笹を分けるような獣の気配がする。 静原のバス停にたどり着くと、最終バスがあることがわかった。 まだそれほどの時間でもないが、村はしんとして音もなく、 缶コーヒーを飲みながら安堵して見上げる空に煌々と満月が輝いていた。 その下に、懐かしくも怖ろしい闇を潜めて山は黒々と迫ってくる。 ※(bレビュウ杯不参加です。)


コメント欄を表示する (7)
沙一 (2018-12-30):

なにかが起きそう、なにかが在りそう、だけど寸手のところで顕れることがない、表現されないことで、山の夜の畏ろしさに想像力を掻き立てられる作品でした。其処から有象無象のなにかが顕れてきそうな、闇、の存在感。

エイクピアエイクピア (2018-12-31):

猪か何か猛獣が居そうなそんな雰囲気が臨場感がある様な気がしました。動物園から逃げて来たような、猛獣、そんな妄想も働きました。

fiorina (2018-12-31):

沙一さん、 実際起きたことは、二人の靴がボロボロになったと言うことだけでしたが、今思っても背筋を冷たいものが伝う心地がします。というのは、あとで地図で確認しましたら、目的地には永遠にたどり着かない、平行線の道を登っていたようなのです。 夜の山は、空の暗黒とは異質の、闇の塊ですね。小さいときから山には親しんできたのに、初めて知る質感でした。そこで棲息する生き物も闇の一部なら、さっきまで彷徨っていた自分たちもその一部であったという・・・。 >なにかが起きそう、なにかが在りそう、だけど寸手のところで顕れることがない そういうものたちに護られて、わたしたちの日常はあるようですね。 コメントありがとうございました~

fiorina (2018-12-31):

エイクピア さん、 猛獣がたしかにいたようでした・・。 上り坂にいるときは、でも、何かが麻痺するようですね。 恐怖は、きびすを返して下り始めてからでした! >動物園から逃げて来たような、猛獣 は、ある意味我々だったかもw 小さい生き物は驚いたでしょうからネ。 コメントありがとうございました~

環希 帆乃未 (2018-12-31):

誰も触れていない事に触れておこうかな「」の部分だけでも、生への渇望を感じます。そして、感覚の中で私は信じていないのですが、第六感をみているようです。神秘性、神秘的な部分を感じませんか?もしかしたら、死んでいたかもしれない。のに。生きている。それは「」の部分が重要だと考えております。

fiorina (2019-01-02):

つきみさん、コメントありがとうございました! つきみさんのコメントは直感に満ちていますね。 「第六感」も「神秘」も、たまたままだ明かされていないことにすぎない、と思っているのですが、いつのひか、万一、完全にすべてが明かされたとしても、その根っこに相変わらず謎がで~んとあるというのが、私の信頼、安心?で、知りたいといろんな道に無謀に迷い込むときと、無知こそ楽し♪という怠け者がおります。だから(でも?) >死んでいたかもしれない。のに。生きている。

fiorina (2019-01-02):

****************** ええと、昨年書き忘れたまま、すでにコメント欄が表示されない拙詩「まなざし」へのレスを、 ここでさせていただきます。(反則かも・・・) stereotype2085さん、田中修子さん、ごめんなさいっ!! ☆stereotype2085さん、 当初長い間、コメントをいただいてたことにまったく気づいていませんでした。田中修子さんからのコメントがあったときに、あっと思ったのですが、ステレオさんがいいと言ってくださっているのに、 私はこの詩をあまりいいと思えなくなっていまして、(書いた直後は、わりと名作?wと思ったのですが)、お返事をどうしたものかと考えているうちに忘れてしまって・・・。 昨年のことではありますが、ここでお詫びします。 何故いいと思えなくなったのか、修子さんへのレスに書きますね。 肉声の熱いコメント、ありがとうございました! ☆田中修子さん、 修子さんからのコメントはすぐに気がついたのですが、そしてとてもうれしかったのですが、 その時点で私は、この詩にちょっと飽きていたのですね。何故かというと、予定調和的といいますか、リズムが単調で、たとえば修子さんの詩が持っているような、どうにもならないような破れがない。 いみじくも言ってくださっている「綺麗に配置」を何とかしたい思いに駆られてました。 で、返信をためらっているうちに、うっかり忘れてしまいましたっ。 何度か思い出して、また忘れてしまいました・・・。 ただ、自分の書くものが、おしなべてこのようであることには、ずっと心が行っていました。 まだ、何かを見つけた訳ではないのですが、 多くの方が何となく指摘してくださってたことが、よくわかるのです。 でも、 「とおいむかしわたしも歩いた 霧の道 そのすべてはいつか燦々と光につつまれる 、と 」 ↑この部分は、詩のできとは関係なく、つらい人に「そうだよ、ホントだよ」と 年長者の特権で言い続けたいことでしたので、同じ霧の道を歩いたんだ、ということが、 燦々と光につつまれる時間を私自身にもたらしてくれました。 いつも、生きた言葉をありがとう~!


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