作品投稿掲示板 - B-REVIEW
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夏の横断歩道   

作成日時 2017-08-01
コメント日時 2017-09-04

空気がゆがんで見える夏の日 その横断歩道には 日傘を差した若い母親と 目線のしたで無垢な笑顔で話す少年 ひまわりが重い首をゆらつかせ 真夏の中央で木質のような頑丈な茎をのばしている 山間の盆地町 遠くの山々に ところどころ乳白色の入道雲が かなしいほどの青に浮かんでいる 指差すむこう そこに何があるのだろうか 鮮やかにひろがる果実のような少年の笑顔のうえに おだやかな母親の日傘があった 一部始終 あらゆるものがあらゆる目的で存在し そうしてたたずんでいる 仕切られた建物も 道ばたの草も虫も 道路をへだてた小さな町工場も 交差点の端に構えられたコンビニも まぶしい青空の下の少年と母親の存在も 横断歩道を静かに渡る少年と母親 炎天の中 ふたたびおだやかに夏は浸透して 蝉時雨はふと現実に戻っていた 歩道を渡り終えた少年と母親の表情はもう見えない 車椅子はコロコロとどこかに向かっている


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2019/11/18 08時52分24秒現在
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コメント数(12)
VIP KID (2017-08-02):

ありきたりな語彙でありきたりな情景描写を行った後、「あらゆるものがあらゆる目的で存在し」などと言ってしまうことに反感を覚えました。「反感」など、僕の主観でしかありませんね、申し訳ありません。最後に登場する「車椅子」という語が、唯一の工夫らしい工夫ですが、有効であるとは感じませんでした。

yamabito (2017-08-02):

VIP KID様、御批評ありがとうございます。 他者の作品を読み、共感するというのは大切だと思いますし、その逆もまた有りでしょう。 主観は大切だと思います。

花緒 (2017-08-03):

なるほど、渋い一作ですね。一部始終 あらゆるものがあらゆる目的で存在し、と、これまでの描写の意図を説明したあと、ふと現実に戻りーどこかに向かっているーと、一旦、あらゆる目的、とやらを宙吊りにするかのような、何気ない終わり方がなされている。何気ない風景を、何気ない風景として描く作品として、本作は、かなり渋いと思いました。

まりも (2017-08-04):

VIP KIDさんの批評に重ねていくならば・・・なぜ、ありきたりの語句で、ありきたりの情景描写が必要だったのか、ということを、もっと切実に考えていく必要がある作品だと思いました。 〈あらゆるものがあらゆる目的で存在し〉ている穏やかさ、安定感。あるべきものが、そこにある、という、ごく自然な感覚。その中に、母と子もいる。最終連まで、母と子は、二人並んで歩いているイメージなのですが・・・最後になって、車いすを押す母の姿が垣間見える。 ひまわり、のように首をゆらしながら、息子に日傘をさしかける母と、その母に〈果実のような〉笑顔を向ける少年が、ごく自然に、街の情景に溶け込むように存在している、その光景に、作者は感動したのではないか。 〈ふたたびおだやかに夏は浸透して/蝉時雨はふと現実に戻っていた〉 母と子の姿を見た時、作者の世界は「光景」だけになって、音が消えたのだろう、と思います。 その消えていた音が、また戻って来る。せっかく、その衝撃の片鱗を描いているのに、表現がさりげなさすぎる、という思いはあります。 一連目の、母子の登場のあと、ひまわりがそのままつなげられていますが・・・2人が現れ、音が消えた衝撃、釘付けになる視線、そこをもっと、書き込んでもよかった、ように思います。ひまわりのイメージも、この位置でよかったのか、どうか・・・車椅子に関して私が誤読していれば、全ては意味の無い議論になりますので、ご容赦ください。

yamabito (2017-08-04):

花緒様、おはようございます。 この作品は、実在の情景をそのままアップしたものですが、なかなか文章にするには時間がかかりました。 ですから、私の作品は総じて面白みは無いと言えます。 御批評、ありがとうございました。

yamabito (2017-08-04):

まりも様、おはようございます。 「さりげなさ」は、最後の車椅子の意味を際立たせようと、一定の詩句のトーンを保つように配置したつもりでしたが、強度が薄く感じられる読み手も多いのかもしれませんね。 残念ながら、他サイト(別ハン)でも面白くない書き手という立ち位置でした。m(__)m

田中修子 (2017-08-04):

私は、この作品好きですねぇ。 面白味がない、とも思わないなぁ。何気ない風景の中に、よくよく見るとぞっとするなにかが入っていますよね。映像的な作品のように思います。 黒沢清のホラー映画を思い出します、「CURE」とか「回路」とか、「カリスマ」の最後の部分ですとか。日常に、だんだんと浸食してくるなにかがある感じですね。一作一作はものすごいインパクトがなくても、「ちょっと不気味な風景の詩集」なんて題して、詩集が出たら面白いなぁと思います。この淡々とした書き方は、掌編とか短編小説の書き手としても向いているかもしれないです。 誰に評価されなくても、「私が面白いと思うから書くんじゃい」というノリで、ぜひ書き続けてほしいです。

yamabito (2017-08-04):

田中様、こんばんは。 私は田中様の他サイト掲載の散文がとても好きでしたが、あんな感じの詩が書ければいいなと思います。 御批評の内容については、作者が表現したいものをうまく代弁していただいたと思います。 どうもありがとうございました。

仲程 (2017-09-01):

まっすぐに読んでも、いいなあと思いました。日常のなかにはいろいろ含まれていて、それを表現することは、 難しいのかもしれないし、それこそ降ってきたひとことにかなわないかもしれない。読み手によって違うのも当然ですが、なんかいい と感じまで。

yamabito (2017-09-01):

仲程様、この作品は見たままの情景を指しています。 しかし、自身の感情をうまく詩文にすることが出来ずにいました。 ある程度、期間を置き、再考したうえでのものです。 お読みくださり、ありがとうございました。

シリュー (2017-09-04):

むずいって思った。というのも最終連が二通りに解釈できると思って。もしそれをAだとすると、少年は車椅子に乗ってる。情景のすべてでおそらく乗っているだろう。ただし、最後の連を除いて。しかしBもある。車椅子と少年と母親はコンテクストの違うものである。だって車椅子なんてそこまで出てこないんだもんね。そうだとすれば恐るべき文章になるなって。静謐に夏の情景と、何も載せない車椅子が転がる情景が、たった二行で=になる。そんな妙味を予感したけど、まあ普通にAかもね。Aだとすればミステリーが簡単なトリックでできてるかもしれない。あとごめん、いつもみんなの議論は読んでない。引きずられちゃうからね。

yamabito (2017-09-04):

シリュー様、こんばんは。 確かに最高連の最終行だけを見ると、車椅子だけがどこかに無人で走って行ってしまっている、そういう風にも取れますよね。 この作品はノンフィクションなので、今でもあの親子はどこかで生活されていることと思います。 あの時の、親子の笑顔が今でも変わらないことを、切に祈りたい気持ちに改めてなりました。 お読みくださり、ありがとうございました。

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