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「最後の花」   

作成日時 2017-06-02
コメント日時 2017-07-03

地上で最後に咲いた花には 目がありました かつて生存したあらゆるものが死滅し 文明の残骸さえ塵になった地上で とうとう最後のいのちになった花は 青黒い雨に打たれながら 薄汚れた白い花弁を見、 空を仰ぎました 目に入る雨は有害物質を含んでおり 当たると激痛がありましたが 花は最後の生命として、凛と 荒涼たる天地を見詰めました 花は、愛でられてこそ、花 けれど自分を見てくれるのは もはや誰も、何もありません 口があれば嘆いたでしょう けれど花は目を見開く以外 何も出来ません 毒液そのものの雨を一身に受け 花は泣きました ひとりぼっちを泣きました 朽ちていく我が身を泣きました 花としてうまれたのに 何者にも愛でられないまま 死んでいくことを泣きました 花は最期まで目を見開いたまま 絶えました うつくしい、と囁いてくれる何者かを 最期まで探し求めて地に倒れました 地上最後の花は これまであまた咲いたどんな花より 花としてのいのちを全うしたのです


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2019/09/17 23時57分23秒現在
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コメント数(16)
花緒 (2017-06-02):

最終練の締めが鮮烈ですね。桐ヶ谷さんの作品は、とても質が高いというか、やや品のない言い方かもしれませんが、高位安定という感じがします。ビーレビューの選考では、通常、一人一作を原則として、推薦作を決定するのですが、桐ヶ谷さんの場合、甲乙つけ難い良作が続くので、発起人間で意見が纏まらず、2作とも推薦作に入ることが頻発しています。本作も、優れた作品だと思いました。誰にも愛でられず、見られず、枯れていく花。本来であれば、とてもダークな終わり方であるはずなのですが、最終練により、奇妙な価値転倒が行われている。すなわち、愛でられなかった花が、<どんな花より花としてのいのちを全うしたのです>、とあり、これまでのやや説明的な文章が全て宙吊りになっていますが、これが強いポエジーを生み出していると思いました。これまでダークな作品も多数書かれてきた桐ヶ谷さんですが、本作からは、<生>に対する強烈な肯定を感じます。一人で枯れるだけのありようを決して絶望的に描かない強さが宿っているやに思いました。

朝顔 (2017-06-03):

これ読んでちょっとかなしくなりました。自分のことみたいな気がして(笑)。 話をもとに戻しますと、でも女性作家のあり様って基本的にこうだ、と思うんです。 それは、要するに夫に依存して(あるいは女友だち同士で卑怯な愉快な輪を作って、)それで己の孤独を誤魔化して行かないという生き方ですよね。 その代わり、自分の眼で真実をしっかりと見据える。それが仕事だと。 これはだから、全ての女性詩人に捧げるオマージュとしてわたしは読みました。 古くは、宇野千代の「おはん」の主人公がそうですね。夫も亡くなった子どもも捨てて遠くへひとり旅立つ。一通の手紙を、芸者と暮らす夫へしたためて。 「おはん」は、発表当時辛口批評家である小林秀雄が激賞したそうですが、私はこの桐ケ谷さんの御作品を、今月のトップに推したいです。 すべての最後の花に手向けて。

桐ヶ谷忍 (2017-06-04):

花緒様 コメント頂きありがとうございます。 B-REVIEW 始まってから4月分まで2作とも取り上げて頂いて、感謝しつつも常々それが不思議だったのですが、ご意見がまとまらなかったのですね。有り難い事です。 本作も評価して頂き、嬉しいです。ただ、そうですね、仰る通り説明的に過ぎたかもしれません。もう少し書きようがあったのでは、と考えています。 でもこの説明がないと最終連の価値転倒、というか転換が起きないわけで、うーん、と頭を抱えています。 「生に対する強烈な肯定」…言われて初めて気が付きました。そうか肯定しているのか…。うん、していますね(笑) どうもありがとうございました。

桐ヶ谷忍 (2017-06-04):

朝顔様 コメント頂きありがとうございました。 私の場合、誰かに向けて書くとか、何かのオマージュとして書くとかは出来ませんし、また、したいとも思っていないのですが、 自分の事のように読んでもらえた、という事で嬉しくてなりません。 相変わらず自作の解説が不得手な私は、未だに本作で何が言いたかったのか、自分でも分からないままなので 朝顔さんの読みには、そうかそういう解釈が出来るのかと、情けない話ですが他人事のようにふむふむ頷いているばかりです。 コメントのラスト一行は私が言いたかったくらいです(笑) どうもありがとうございました。

まりも (2017-06-04):

地上に咲いた最後の花は、最後の命の責任として、その造物主、たる太陽を見つめて訴えかける・・・のであろう、その訴え=うた(白川静や折口信夫によると)・・・と思ったのですが、その太陽すら、この世界には存在していないように思われました。神の存在しない世界、その不毛。滅びを見届けさせることができない、しない、世界。 まさに〈荒涼たる天地〉ですね・・・ 思い出したのは、『星の王子様』に出て来る薔薇。 愛されたいがゆえに・・・そして、そのことにどうしても自信を持てない、確信を持てないがゆえに・・・わがままばかり言って、結局、王子様に置き去りにされてしまった、一輪の薔薇。 王子さまは様々な旅と経験を経て、地上に降り立った後も、薔薇を守るためにはどうすればいいのか、考え続ける。星を壊してしまうバオバブの芽(欺瞞や悪意でしょうね)を摘み取るための羊(救い主を暗示する)を求めながら、羊が薔薇を傷つけてしまわないか、悩み続ける・・・でも、その王子様なりの誠意は、薔薇には届かない。 薔薇が、愛されること以上に、王子様をいかに愛するか、そのことに心を砕いていたら、王子様は星を立ち去らなかったかもしれない、と思ったりしつつ・・・すみません、脱線しまくってます・・・。 同じようなフレーズを何度も重ねていくような部分が、文字で読むとくどいようにも感じるのですが、脳内再生の音声として聞くと、その「重ね」がのりしろのようにつながっていって(全体の音の流れを意識されているから、かもしれない)不思議な心地よさにもなっている。 ボールペンのインクが出るかどうか確かめる時に、螺旋状にグルグル書いたりしますけれど、そんな螺旋状のものがずーっと太い線になっていく、その流れが、この詩になっているような印象がありました。

桐ヶ谷忍 (2017-06-05):

まりも様 コメント頂きありがとうございます。 太陽は、確かに全く度外視しました。太陽があったら、どんなものでも何かしら生物が存在してしまいそうなので。 「星の王子様」を持ってこられて、コメントを拝読した時は、どうしてだろうと首を傾げていたのですが、今やっと分かりました。 薔薇は、似ていますね、この花と。 愛されたい、という欲に特定の対象がいるかいないかだけで、とてもよく似たものを書いたのだな、と気づかされました。 すみません、そうくどいんです、私の書いたものって基本的に。自分でも手を焼いている癖なのですが、自覚しているにもかかわらず中々直りません。 でもそれをのりしろや、不思議な心地よさと、好意的に見て貰えて有難いです。 螺旋状の線…。この花は死んでしまいますが、思いは人間の業として受け継がれてきたものだから、断ち切れないものとして螺旋状のように 受け止められたのでしょうか。違うかな…。 どうもありがとうございました。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-06-26):

花に目があるということを考えると悪の華のイメージをまず思います。(https://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://kininaru-syumi.com/wp-content/uploads/2016/03/ab50581903bfa6d8266823e7b9afcbd1-1.jpgimgrefurl=http://kininaru-syumi.com/%3Fp%3D8178h=288w=352tbnid=1xLf-V1yzwibkM:tbnh=163tbnw=200usg=__jvrJJuVkjde50eaV1vBnZCOt-w4=vet=10ahUKEwjxj8D4wNnUAhUCa7wKHYrvAZQQ_B0IfjAK..idocid=3zBDaAdgrZE3qMitg=1sa=Xved=0ahUKEwjxj8D4wNnUAhUCa7wKHYrvAZQQ_B0IfjAKei=__BPWbGUBILW8QWK34egCQ)  (意味云々というよりはビジュアルとしてあんな感じのイメージなのかなぁみたいな感じです。花の中央に目があるってどんな感じかな程度の参考ですが)  花には花弁という睫毛があっても、瞼がないので、ずっと一日目を開いていないといけませんから、雨を絶対に直接浴びないといけません。目を閉じる事を許されません。ちゃんと真に受けないといけません。ですから、色々な意味の涙が同時に流れることになるんですね。本作を読んでいて面白いと思ったのはそこでした。  ・空から降ってきた雨の涙  ・それを受け続けねばならないという意味で痛覚的に痛く感じて出てくる涙  ・精神的な辛さから出てくる涙  大きく分けて三種類の涙が流れている。みたいな感じなのかなぁ。。。あと花には確かに口がないよね。目を真ん中においちゃったら口なんかどこにもない。という所から、強制的に物言わぬ植物としての側面が浮き彫りにされている点の設定の上手さというのを思いました。例えばちょっとSF的な世界観が匂ってくるというかそんな感じから連想を広げると、元は人間だったけど植物と合体してキメラ終身刑みたいになってなって、口のない花として生きていたけど、そしたらひどい戦争が世界中で一度に起きて自分以外の声明が滅んでしまったのかなぁとか。  あとは、花が花として生まれる理由みたいな事を考えた時に、花は美しくあるために生まれてくる、と考えた時に美しくあらねばならない理由というのは、他者にどうにかして振り向いてもらうためであるけれども、しかし、その他者がどこにもいないディストピア的な世界の果てに果たして花はどうやったら花たりえる のか、みたいな事も考えました。  この場合の一輪の花というのは、つまり他者との関係性によって祝福される美しさではなくて、生き方そのもののスタイルを指指してどんな花よりも花という感じで書いてるのかなぁと思いました。誰もいない所で凛とした花としてきっちり咲いて死んでいく。誰も見ていない所でどんな辛い目にあったとしても最後まで生を全うする。例えひっそりと一人で死ぬことになったとしても、生き方を貫く事によって生まれる美学というのでしょうか。そういう物を感じました。

桐ヶ谷忍 (2017-06-27):

百均様 コメント頂きありがとうございます。 百均さんには以前ツイキャスで話した事がありますが、子供の頃描いて親に気持ち悪いと言われ破り捨てた絵がこの詩のビジュアルとなってます。 「惡の華」を見た時は悔しかったです。同じこと考えていた人がいて、漫画の絵として活用できているのにって。 もっとも花に目があるのは結構ありふれたものだと思いますが。 涙は、そうですね、百均さんが書いて頂けた通りのものです。 あとは、実はこの詩を書く時、醜い容貌の女性の一生とか、虐待死した子供の事とかも考えておりました。 最後の花は見立てで、女性とか子供を思い浮かべて読んで頂いても同じ結論になるようにこの詩を書いたつもりなんですが、なかなかむつかしいです。 とはいえ、色々とたくさん考えて頂けた事を嬉しく思います。 どうもありがとうございました。

るるりら (2017-06-28):

おはようございます。わたしの場合は、この作品から 最初の花のことを想起いたしました。 この地球上に 最初の花が出現した頃と、ほかの生命が視力を有した時期とが等しいと推定されている話を 聞いたことがあるからです。 花は、見られることを 知っています。 この詩では、「うつくしい、と囁いてくれる何者かを/最期まで探し求めて地に倒れました」と、「者」と書いておられるので、この詩でいう花とは擬人法であることは あきらかではですが、わたしの場合は この詩を生類の最期のドラマと 読みました。 いうまでもなく、花が色彩を有するのは ほかの生物に好まれることが花にとって有益であるからです。視力をもっている生物が 光受容体を持つのには原初の植物が一役を担っているという話を聞いたことがあります。つまり 花の祖先からもらった能力が 私たちの視力だというわけです。  植物からもらった能力が、私たちの視力だとすると、地上最後の花だけに 視力のようなものがあるのではないという見方もできます。植物には【光】を見る能力が 実際にあるのですから。 あらゆる生物の実相はこ環境の諸条件が整っていなければ、存在できないのが実相です。 すべての生物が最期を迎えようとする時が来るとしたら、そのとき その生き物は全身全霊で 叫びにも似た祈りの念を持つに違いないと、思いました。 人間の場合は さまざなな宗教において【光あれ】と祈っていますが、植物にも【光】を見る能力が 実際にあるのですから、 人も植物も 根源にある望みは「光あれ」でいうことに かわりはないのだなあという感慨を 私はこの詩から受け取らせていただきました。

蛾兆ボルカ (2017-06-28):

こんにちは。 拝読して、とても良い詩だなあとおもいました。 見る、見られるを逆転したようなうまれつきの花ですが、宿命がねじれたようになるのかと思いきや、ラストでさらに逆転します。 見られたい、という想いは、それを本当に宿命として真摯に受けいれるなら、実際に見られたかどうかより、見られたいという真摯なに生きたか、ということに逆転します。

蛾兆ボルカ (2017-06-28):

真摯な願いに素直に生きられたか、 と書こうとしまして、推敲途中で送信してしまいました。 すみません。

桐ヶ谷忍 (2017-06-30):

るるりら様 コメント頂きありがとうございます。 初めて聞くお話でとても面白かったです。 「最初の花」が「最後の花」とイコールになるような、なんだかこの詩の裏付け?を取って頂いたようで、非常に興味深く拝読いたしました。 光。光さえあれば、まりも様のコメントにも書きましたが、この花は最後の花にはなりませんでした。 そういう意味でも「光あれ」という言葉が、とても、なんというか、しっくりきたというか…。 それにしても本当に、最初の花の出現時期と、生命の視力が有する時期が等しいかもというのは驚きでした。 るるりらさんのお持ちの知識を私はまるで知らなかったのに、なんだかその知識をもとに書いたような詩となっているようで…。 どうもありがとうございました。

桐ヶ谷忍 (2017-06-30):

蛾兆ボルカ様 コメント頂きありがとうございました。 特に意識していなかったのですが、そうですね、言われてみれば見るものと見られるものが逆転しておりますね。 恥ずかしながら私は自分の詩を客観的に色々吟味する事が出来ません。 読み手の方に教えて頂くばかりです。 ですから最後の一行「見られたいという真摯な願いに素直に生きられたか」には、なるほど、そういう問いかけも生まれるものなのか、と頷くばかりでした。 どうもありがとうございました。

夏生 (2017-06-30):

桐ケ谷さま、御作にコメントさせて頂きます。 ディストピアな世界にありながら、凛として咲く花。何を思って咲いているのか。嘆きかなしみ、それでも咲き誇る強さはどこから来るのか。 自らを殺めることができないのは、幸運だったか、悲運だったか。夢も希望も愛情もない世界で生きるつらさは、死よりつらいか。 いろいろな思いが浮かび、最後の連ではっとしました。生々しい命の燃焼を感じ、命を全うすることで消えても残るものがあると。 力強さをかなしみとが勢いよく押し寄せた一篇でした。

桐ヶ谷忍 (2017-07-01):

夏生様 コメント頂きありがとうございます。 詩中には書かなかったけれど、花の気持ちを書けるとしたらまさに夏生さんのような独白をしたと思います。 汲み取って頂けて嬉しいです。 また「命を全うすることで消えても残るものがあると。」これは私の胸にとても響きました。 書いた詩から、書かれている以上の物事を思い巡らしてもらって、こうして伝えて頂けるのは、書き手なら多分どんな人でも、これに勝る歓喜はないと思います。 すごく嬉しいです…。 どうもありがとうございました。

桐ヶ谷忍 (2017-07-03):

天才詩人様 お久しぶりです。コメント頂きありがとうございます。 この詩は、普段私が漠然と考えている事から降ってきたもの、というよりかは、どこからこんな発想が生まれたのかと首をひねる詩になっているので 何度か読み返してみて、こういうことを言いたかったのだろうと自己分析するも上手くいっていないものです。 それだけに「見るだけの人間の比喩」として拝読頂いた事に、驚きがあります。 思いもよらない、けれど言われてみれば確かにそう読める、という解釈を伝えて頂ける事は、望外の喜びです。 考えてみれば、この花も、いわゆる神視点から「見られて」ます。 どんな視点からも、映るものがある限り「見られる」事から逃れられない。 そう思うと、空恐ろしい思いと共に、この詩に奥行きを与えて下さった事に感謝します。 どうもありがとうございました。

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