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「薔薇の下」   

作成日時 2017-03-10
コメント日時 2017-03-23

薔薇の下から 少女の唄声が聴こえる 庭の片隅に植えられている その深紅の薔薇の下から聴こえる少女の唄声は 私にしか届かない それが惜しいほどに、華麗に、時に遣る瀬なく 見事な唄を唄う 言葉はないが思いの丈が胸にせまるほどに そのまだ成熟し切れていない声は伝えてくる 女になってから 切り捨て、或いは忘れ去った多くの感情を 初夏が来て、毎年その唄声が響き始めると思い出す うつくしい紅薔薇が咲くと歓喜の唄声が 散れば悲しみ嘆く唄声が 晴れの日に、雨の日に、曇りの日に 同じ唄は唄わない 少女は少女の特権としてその気分次第で唄う 薔薇の下に何が埋まっているのか 私は知っている というより 私しか知らないものが埋まっている ある霧雨の日 月のものの憂鬱と痛みを堪えていた時 そのあまりの無邪気な唄声を聴いているうちに 言葉にならない激しい怒りが沸き上がり 衝動的にその薔薇の下を掘り返そうとし 両手でほじくり掻き出し 汚泥が爪の間にぐちゃりと挟まったのを見て 私はその場にしゃがみこんでしまった 全ての指の爪の間に挟まれた泥 これが、私だ 私はこんなにもあの少女の時から遠ざかり 汚くなった 人はそれを成長と呼ぶだろう けれど私には少女の唄声を聴くと これが成長かと自嘲することが多々あった 悲鳴のような少女の唄声を聴きながら 私はほじくり返そうとした泥をまた埋め直し 庭の水道で爪の間の泥を丁寧に流し また薔薇の下にしゃがみこんだ 唄声は子守唄のように変わっていた しずくに濡れて水滴まで紅色に見える薔薇の下には 私が幼い時に埋めた人形が埋まっている 女に成る前に埋めた、大切にしていた人形 毎日なにがしかの感情を覚えていったあの懐かしい日々 今の私の感情を 少女はついに知らぬままに埋められた それでいいと思った あどけなく唄う声を聴きながら 私はいつまでも雨降る庭の片隅にしゃがみこんだ 薔薇の下から 少女の声は絶えることなく唄い続けられた


項目全期間(2019/09/16現在)投稿後10日間
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2019/09/16 05時39分32秒現在
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コメント数(14)
もとこ (2017-03-10):

これはもしかして私の「フラワー・オブ・ロマンス」への返歌なのかなとか、自意識過剰な胸の高鳴りを自覚しながら読みました。「ポーの一族」のメリーベル、「ベルサイユのばら」、「薔薇のために」等々、薔薇というのは昔から少女、あるいはその純血さの象徴でありました。この薔薇と少女の美しくも妖しい関係性を暴くように描いた傑作アニメが、「少女革命ウテナ」であります。 https://youtu.be/FmCys68ELpg さて、「薔薇の下から/少女の唄声が聴こえる」という衝撃的なオープニング。かつて梶井基次郎は「桜の木の下には死体が埋まっている」と書きましたが、美しく咲き乱れる薔薇の下から聞こえる少女の歌声というのは、それに匹敵するインパクトです。薔薇の下の少女とは、一体何者なのか。ブラッドベリの小説「泣き叫ぶ女の人」では、土の下から女性の歌声が聞こえてきます。それと同じオチなのか? いや、それにしては埋まっている期間が長すぎる。それでは、少女の亡霊か? 私の貧弱な想像力を嘲笑うかのように、物語は驚くべき結末を迎えます。薔薇の下に埋められていたのは、語り手が「女に成る前に埋めた、大切にしていた人形」だったのです。人間と人形が巧みに入れ替わる幻想的なストーリーは珍しくありませんが、この詩においては人形と語り手の関係性などの設定が物語の流れを新鮮なものにしています。純粋な少女が壊れることなる大人になるためには、この儀式が必要だったのでしょう。本当に、お見事としか言いようのない作品でした。

桐ヶ谷忍 (2017-03-11):

もとこ様 コメント頂きありがとうございます。 自意識過剰ではありませんので、もとこさんからコメント頂けて嬉しかったです。 もとこさんの「フラワー・オブ・ロマンス」と、YUU_PSYCHEDELICさんの「雲」を拝読し、以前書いたこの詩が浮かび、投稿しようと決めました。 返歌というほどの大したものではないのですが。 「女に成る」定義は個々人によって違うでしょうが、初潮を迎えた、というのも私の中では「女に成った」答えのひとつです。 私自身は女性として生まれた事におおむね満足していますが、それでも毎月毎月血を流すのは苦痛です。 もとこさんの「フラワー・オブ・ロマンス」ではその苦痛が描かれていて、それに刺激を受けて「女に成る前」と「女に成った後」のこの詩が思い出されました。 なにで読んだのかはもう全く覚えていないのですが「桜の下には死体が。薔薇の下には秘密が」というのを小学生の時に知りました。 「薔薇の下」=under the rose には「秘密」という意味がありますが、別にそれを意識して書いたわけではないのですが、結果的に秘密が埋まってる事になりました。 それにしても、もとこさんの知識の広範さには驚かされます。 同じオチがなかった事に安堵しました(笑) ありがとうございました。

百均@B-REVIEW ON/ (2017-03-11):

 もとこさんのレスを踏まえて読んでみると、なるほどなぁと思って、そこからそれ以上の感想が導き出せないのですが、取り敢えずもう一つ思う事というのは、薔薇というのは何か大事な物を隠すときに、使われてきた花なのだなと思いました。花というのは何かを隠す時に、そういえば使われるものであるということ、しかしなぜ花なんでしょうね。これは、この詩によらずだと思うのですが、なぜ人は花で何かを隠そうとするんだろうかと、ちょっと色々考えました。

桐ヶ谷忍 (2017-03-12):

hyakkinn様 コメント頂きありがとうございます。 薔薇の下、が秘密を意味するのは確かギリシャ神話かローマ神話かが由来になっているはずの由緒正しい?由来があった、と思います。 一般的に花で何かを胡麻化したり隠そうとするのは、もちろん薔薇も含めてですが、やましいところがあるからだと思います。 花を醜いと思う人はあまりいないし、花を贈られるのは女性の方が圧倒的に多いでしょうから、綺麗なもので、やましさを覆ってしまうんじゃないかなと。 花をテーマにした詩は何作か書きましたが(花を贈られて嬉しい、とは正反対の詩ばかりですが)、送り主に美しい花を贈る事で 送る側の心の注意を花に向けさせたりして、やましさや隠し事をうやむやにさせてしまおうという事なのではないかなと思います。 この詩で、薔薇の下に秘密を隠したのも、どうなんでしょう。 私には自作が解析が出来ない為よく分かりませんが、やはり同じ理由なのかなあ。うーん…

くろかみ (2017-03-12):

このような、感受性ゆたかな少女であられた桐ケ谷忍さん、という人の、育った先の悔いが、唄い続ける声を聞くほどに も、そのままに存在していたという、感情を掻き立てられるきれいな花の存在感が美しいと思います。僕は、あまり少女 の知り合いがいなかったもので、昔、東京の高田馬場あたりを歩いていたら、料理屋の主人の奥さんと思しき人が、 路上で輪投げをして遊んでいた光景にぶつかり、ああ、こんなことって…と、やや感動したという記憶を思い出します。 人それぞれに後悔があるものだとは言え、昔の記憶というのは、大事である場合が、多くあると思います。 薔薇の下の人形という、ご自身の中の感受性を、美しいと思える詩文で書かれたこと、これは、フィクションであれ、 事実であれ、もはやその区別を越えたところにあるのかもしれないな、と思いました。思ったことを詩に書いた、という ことにはどちらも変わりがないわけで……。すると、フィクションを思うことと、事実を思うことの、境がないともいえるわけで、 記憶の不確かな人間は、無意識と意識の融合する箇所が、頭の中にあるのかもしれないと思います。とくに言葉の世界 には、フィクションと事実は、確かめようがない描写もあります。もし、それらを明確に区別する機能が言葉についていたと したら、人間は、もっと、正確で、でも機微のない存在であっただろうと思います。欲望も何もかもごまかしようがない、 花を望んだりしないのかもしれないな、とか。 鮮やかな色と、少女の声の描き方が、心に残りました。

桐ヶ谷忍 (2017-03-13):

黒髪様 コメント頂きありがとうございます。 拝読させて頂き嬉しくなりました。 私が書く詩はフィクションという形式をとっておりますが、そこには自身の無意識の発露が根底にあります。 だから「フィクションであれ、事実であれ、もはやその区別を越えたところにあるのかもしれないな、と思いました。」とのお言葉には深く頷きました。 確かに詩や小説等、文字として表記された言葉には、フィクションと事実、確かめる術はなく、ただ推測することに留まってしまうことが多くありますが それこそが最大の魅力なのではないかななどと、黒髪さんのコメントで思いました。 ですから仰る通り、それらを明確に区別出来るようになってしまったら、正確という名の、なんの面白味もない(少なくとも私には)文字列に成り下がり 私には詩を書けなくなってしまうだろうなと改めて認識しました。 もちろんフィクションの形式を取らなくても、作者自身の体験や思想のみでも十分面白い詩はありますが。 何がしか心に残ってくれた、というのは私にとっては一番大きな喜びです。 どうもありがとうございました。

花緒 (2017-03-16):

意識されたのかどうかはわからないが、B-REVIEW初投稿作の、弔い人形の続編として読むと、感慨深い一作だ。弔い人形ともに、作者と人形が入れ替わり可能な世界観だが、本作では、人形が唄いはじめている。わたしは、優良推薦作にならなかったのが不思議なくらい弔い人形を推しているので、作品の完成度としては、弔い人形の方が上だと思っているが、然し、本作においては、作者と人形との関係が展開しているように思え、興味深く読ませて頂いた。

右肩ヒサシ (2017-03-17):

桐ヶ谷さん、こんにちは。 僕はちゃんとした大人ではないので、たいていの少女からは見下されてしまっています。だからかどうか、少女の身勝手さとか、臆病さとか、抑圧された性が歪んでいるところとか、あまり好きにはなれません。もちろん人によりけりですが。 この作品では、かつて少女だった自分が無意識の奥底に埋められていて、その純粋さに告発される自分、というものが描かれているのですね。僕は少年時代、叱られてばかりの変人だったのでいい思い出はありません。小学校を卒業して中学校に入ったとき、こんなにいい場所があるんだ、と嬉しくてたまりませんでした。より厨二 病の変人に磨きがかかったんですが、変人の友だちとしか付き合わなかったので気にならなかったんですね。今はだいぶ改善されたと思っていますが。 少女が大人になるのを桐ヶ谷さんは何かを切り捨てること、と捉えているのようです。僕は平凡ですが、獲得していくことだと思っています。獲得するものはどれも重くて、その重さに時には耐えられなくて、人はノスタルジーに走るのでしょうか?少女が大人になるのは処女喪失の時かな、と男の立場からは思うのですが、明るく笑いながら子どもの世話をやいている既婚の女性を見ていると、この人たちみんなにそういう重い体験が何処かであったのだと不思議な気がします。一線を越えて自分を人に委ねるってすごい勇気ですよね、しかもあの身勝手で傲慢で臆病だった少女がそういう場面に直面するわけですから。素晴らしいことでもあるんだけど、そりゃあ人形の一つも埋めなきゃやってられない怖さもあるんでしょう。 男が安易に口を挟める領域ではないのかも知れません。

桐ヶ谷忍 (2017-03-17):

花緒様 コメント頂きありがとうございます。 まずは「弔い人形」をそこまで推して頂けていたことに感謝します。 人形が出てくる詩は、これまでのところ「弔い人形」と本作しか書いてません。 書いた時期はバラバラなので相関関係があるかどうかは私にも分からないのですが、確かに続編としても成り立ちます。 なにぶん意識して書くという事が出来ない為、無意識の部分では本当に続編として書いたものなのかもしれません。 もしそうとしたら、ただのモノとしての人形から、語り手に影響を与えるモノとなった人形は、ずいぶん出世しました(笑) もとこさんの「フラワー・オブ・ロマンス」とYUU_PSYCHEDELICさんの「雲」を拝読しなければ、お蔵入りになったまま投稿しなかったであろうものなので、お二方のおかげで 日の目を見せてやる事が出来ました。 ただし、完成度としては仰る通り、いまいちなので、でも手を加える事も出来なくて、ちょっと悔しいです。 どうもありがとうございました。

桐ヶ谷忍 (2017-03-17):

Migikata様 コメント頂きありがとうございます。 Migikataさんが「ちゃんとした大人」かどうかはさておき、少女というものは、私の考えでは大抵の大人を見下し馬鹿にします。 ちゃんとしてようが、してなかろうが、馬鹿にしまくりです(笑) そういう詩をつい最近、書いた事があります。 少女が大人になる為には、少女性を切り捨てる事、というのを何作か書いておりまして、私にはこのテーマが自分の中では面白くて。 獲得していく事、というのも理解できますし、むしろ私の経験としては獲得する方向で、Migikataさんと同じく成長しました。 けれど、女性というのは、なんというのでしょうか…やはり切り捨てていかなければ立ちいかない部分もあります。主に社会的側面において。 私だけかもしれませんし、もしかしたら共感してくれる女性もいらっしゃるかもしれませんが、少女が女性になる為には 身のうちの夜叉をコントロール出来て初めて、女性になれるのかなと。これも詩として書いた答えの一つなのですが。 無論、男を知った時、というのも女性になった時のひとつの答えですし、実際ある方から「少女と女の違いは」と質問を受けた時 私はその時そのように答えました。初潮が来るのも、答えの一つですし、答えは個々人で違うと思います。 私はバイセクシャルですが、同性愛の人だったら、何をもって「女に成ったか」という答えもまた違ってきますよね。 自分を他人のように感じるようになった時や、いわば外面如菩薩外如夜叉を獲得した時、たくさんの答えがあります。 でもそれは女性に限らず、男性でもやはり答えは違えど、多岐にわたる答えがあるのではないかなと思っております。 そういう意味で、この詩はその答えの一つでしかないですし、まさに仰る通りノスタルジーなんだなと気が付かせて頂きました。 面白いコメントを頂いてしまったせいで、長々と書いてしまい、すみません。 ありがとうございました。

葛西佑也 (2017-03-18):

薔薇が非常に印象的で、よく書けているなあと感心しましたが、もし薔薇をここまで書き過ぎずに薔薇をところどころに存在させることができたなら、より素晴らしくなるのではないかと。一種の、幽玄のようなものです。

桐ヶ谷忍 (2017-03-18):

葛西佑也様 コメント頂きありがとうございます。 薔薇、書き過ぎましたか…。 確かに幽玄な印象を読んで下さる方に印象付けたいなら、薔薇の存在は強調し過ぎかもしれませんが、うーん、幽玄性を書きたかったわけではなく また、それはそれとして、無駄に薔薇を連呼したつもりもなかったのですが、一人では推敲する事が不得手な私には、どの部分の薔薇を削れば良いのか 今の所分からなくて困惑しております。 ちょっと考えてみます。 ありがとうございました。

コーリャ (2017-03-22):

 薔薇の下から少女の声がしている。薔薇の下には私しか知らないものが埋まっている。私が幼い時に埋めた人形が埋まっている。少女の声は私にしか届かない。ある霧雨の日。 言葉にならない激しい怒りが沸き上がり、薔薇の下を掘り返した。私は言葉をださずに、激しくうたったのだ。土の下に埋められた人形と相対するために。  薔薇の下をほじくり返していると、気づいた。この、爪の間に挟まった、汚泥、これが、私だ。私が、あの少女の時だったころ、私はこうではなかった。私は成長した。私は泥に成長した。少女は土の下で、どうなっているか。私のような泥になっているか。あるいは薔薇の根にがんじがらめにされているか。私は穴を掘るのをやめた。  悲鳴のような少女の唄声が、泥を埋め直すと収まり、子守唄のようになった。少女は、あどけなく、今の私の泥は知らずに、その下に埋められていて、少女の特権として、その気分次第の唄をうたう。咲くと歓喜の唄声が、散れば悲しみ嘆く唄声が。女になる前、少女だったころ、大切にしていた人形が唄うのをやめない。しかし、私はそれをやめさせることをやめた。私は、いつまでも、雨がやまない庭の片隅に、しゃがみこんでいた。

桐ヶ谷忍 (2017-03-23):

コーリャ様 コメント頂きありがとうございます。 びっくりしました。 とっておきの秘密を冒頭でバラされちゃったから。 それに、私の詩では書いていない事が散りばめられていて、びっくりしたし面白いなあと思いました。 リニューアルというかリフォームというかリノベーションというか、ともかくこのコメントはこれ自体でひとつの作品となっていると思いました。 こういうあらすじで私が詩を書いたらどうなるかなあとか想像したりして楽しかったです。 どうもありがとうございました。

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