お知らせ

かみさまのはなし   

作成日時 2017-12-09
コメント日時 2017-12-26

わたしの家にはかみさまがいた。神だなの上にもいたし、ノートの紙と紙のすき間にもいた。血のつながっていない家族がたくさんいて、布団を並べていっしょに寝た。誰が使ったか分からない歯ブラシで歯をみがき、誰が買ったか分からないノートに物語を書いた。家にあるものは全部かみさまのものだから、誰かが買ったものでも勝手に使ってよかったし、自分で買ったものも、すぐに誰かのものになってしまうから、それでおあいこだと思っていた。 小学校では、となりの席の女の子が裕福な家の子供だった。彼女の持っている皮表紙のノートに、「戦争でぜんぶ無くなるけど、かみさまだけは残るはなし」を書いたら、人のモノで勝手にラクガキしてはいけないと、なみだがこぼれるまで、先生に叱られた。それで、どこにでもかみさまがいるわけじゃないんだと学んだ。わたしには、となりの女の子のような高級なノートはなかったけれど、誰が買ったか分からないノートのすきまにはかみさまがいるから、それでおあいこだと思っていた。 中学生になって、高校生になって、次第にかみさまは見つからなくなった。大学生になって、一人暮らしをはじめた時には、かみさまを探すことさえしなくなっていた。でも、住宅金融公社で働くようになって、一度体調を崩してからは、かみさまがいるかどうかはどうでもよくて、かみさまがいると仮定して、生きることが大切なんだと思うようになった。 わたしは誰にでも正直に話したし、交渉の場でも手練手管は使わなかった。正しいと思うことだけを主張し、誰にも臆さなかった。人の目は気にせず、目先の利益は考えず、かみさまの導きが何なのかだけを考えて仕事に打ち込んだ。そうしたら、次第に信頼が集まるようになり、いつしか重要な仕事を任されるようになった。30歳を過ぎた頃には、新興国向けの不動産ファイナンスに特化した投資ファンドの経営を委任され、ロシア=グルジア戦争の直後に手広く投資できたこともあって、数年もしないうちに、100億円を超える資産を蓄財してしまっていた。 いま、わたしは、グルジアにある別荘で、何をすることもなく手持ち無沙汰なので、落ちていたフライヤーの裏側にこの文章を書き綴っている。朝はヌーディスト・リゾートの屋内プールで泳ぎ、昼はチャリティ・イベントに参加、夜はコールガールを呼んで、最高級のグルジアワインを飲む。別荘にはメイドが3人いて、寄付も兼ねて、べらぼうに高い賃金を支払っている。この前、メイドの一人が、わたしの電子手帳を勝手に持ってかえったから、きつく叱ってクビにしようとしたら、この家にはかみさまはいないのね、と捨て台詞を吐かれた。その日はさすがに眠れなくて、むかし、わたしのものではなかったはずのノートに、かみさまのはなしを書いたことを思い出した。 わたしは世界各地の難民キャンプに寄付をしている。ひっきりなしに感謝の手紙が届き、それがわたしの慰めになっている。わたしには、資産があり、快楽があり、世界からの感謝と信頼があり、そしてわたしの家にはかみさまはもういない。メイドたちは、貧しい家庭で家族一丸となって働き、日曜日にはお祈りをする。彼女たちは、わたしからべらぼうに高い賃金を受け取り、欲しいものはなんでも持ち帰り、でもわたしは、彼女たちから欲しいと思えるものがもう何一つない。わたしはおあいこではなくなったんだと思う。


項目全期間(2019/09/17現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合ポイント00
 平均値  中央値 
叙情性00
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合00
閲覧指数:208.2
2019/09/17 23時52分59秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。


コメント数(30)
アラメルモ (2017-12-09):

人間の運命を左右してしまう天使たちの戯れ。神様のお使いでしょうか? このような創作物を読むと、亡くなる直前「天国で先に待っている。」と、自動車王のフォードに語りかけた資産家のロックフェラーの逸話を思い浮かべますね。「お互い天国へ行けたらの話しだがね。」と切り替えしたフォードの言葉が、その膨大な蓄財の意味をよく表していますね。 最後には名誉を欲する。ともすれば偽善者だと罵られる大金持ちは世界中に存在します。 幸せとは一体何様からのお恵みだろうか。 読み手に促すように、よく考えられて書かれていますね。

アラメルモ (2017-12-09):

訂正 「あなたが天国へ行けたなら~」が正確なフォードの言葉のようです。

花緒 (2017-12-09):

>アラメルモさん 好意的な評を頂戴しましてありがとうございます。フォードの言葉は含蓄のあるものが多いですね。新聞記者にあなたは一流の企業家ですねと褒められた際、わたしは2流です、なぜなら、まだ成功していなかった時、泥まみれになって働いていた時が一番楽しかったのに、一番楽しかった時に戻る勇気を持っていないのですから、というような意味の返答をしたと聞いたことがあります。多謝。

まりも (2017-12-09):

ケレケレの話に通じる、重要なテーマだと思います。 原始共産制の時代のような・・・ある種の原点とも言える「生活」の中には、見えないけれども「かみさま」がいて、「物語」もまた、ある種の真・・・アナザーディメンションリアリティー、を物語るものでもあった、その「記憶」から始まり・・・所有、私有、の世界に入り込んでいく。 4連の、脇目も振らない真っ直ぐさ、直情さに・・・私自身の持つ(あるいは後天的に身に付けてしまった)「まっすぐ」ぶつかることを出来るだけ回避して、時には「方便」も用いて、迂回しながら目的地に至ろうとする性向に、本当にそれで良いのですか?と、鏡を突きつけられているような感覚も覚えつつ・・・(すみません、少し脱線しました)作品に戻ります。 いるはずの「かみさま」あるはずの「理想」あるいは、確かではなくとも、そこにあることにしよう、と自らに思い込ませることが出来た間は、無我夢中で「働く」ことが可能だったのに・・・その結果として、(この場合は寓意としての、ですが)豊かさを蓄財することも出来たのに・・・その豊かさを、自分自身の「為に」他者の「為に」消費し、分配し、「寄付」により「感謝」すら得ている、この段階における満たされなさは、一体なんなのだ?渇望すら起きない、欲しいものすらがわからない、この空虚は一体、なんなんだ・・・という問い。 資本主義の行き着く果てに、待ち受ける空虚や欠落感について、寓意的に示したとも読めるし、個人が、何のために働くのか、という問いかけとしても読めますし・・・蓄財だけではなく、知識や経験の蓄積、独占的所有の虚しさにも繋がる話ですね。 蓄積されたものを、分配ではなく、寄与でもなく・・・シェア出来るならば、どうなのだろう、と、漠然と考えます。 そして、そこに、見えないものを在ると感じられる、そんな共有感覚が漂っていて、その感覚を、再び感受することが出来るならば、どうなのだろう。そこには、きっと、見えないものが真にあると語る物語が、存在するはずです。 私は、そうした、魂が白熱しているような物語を、読みたいのかもしれません。 そんなことを思いました。

夏生 (2017-12-09):

花緒さん、御作にコメントさせて頂きます。 かみさまとは何か。かみさまがいる、と仮定して過ごした方が、苦しみかなしみなどから救われる、かもしれない。正しいかどうか考えるより先に、「かみさまが見ている」という畏れから悪事に触れようとした手が止まることもあって。豊かになるほど消えていく、失われていく「かみさまへの畏れ」。 メイドと自分とが「おあいこ」でなくなったことに、「虚」が浮き上がって見えました。

yamabito (2017-12-09):

神に限らず、そう言ったものを信心するという行為は、いいことなのでしょう。 それによって、心が静かになり、物事を冷静に捉えることが出来る。つまり、平静な心身ならば、あらゆるトラブルを回避できます。 この作品(はなし)の骨は二連目だと思います。ここに多くが集約されているかな、と。 なにかを読者に考えさせる、あるいは考えるように仕向けるという、最近のネット詩の多くはこういった内面を現したものが多い気がします。

カオティクルConverge!!貴音さん (2017-12-09):

読みが足りないかも知れませんが、前半部は神様という誰もが知っているけど、誰もあったことが無い存在に大しての向き合いかたを書いていて、後半は何となく正解が分かってしまって行動したら100億もたまって何でも満たされている状態(神様)になってしまって、なんか虚しいなと感じていると読みました。 実際にいるなら、神様は私達に何も求めていない、欲しいとは思っていないでしょうねきっと。 これは蛇足ですけど、私は神様は居ないと思ってますし、居ると思ってる人はあんまり好きじゃないです。

葉月之寛 (2017-12-09):

初めまして、葉月と言います。後半の展開とオチはあまりよりそえなかったのですが、前半から中盤の仮構の物語がとても素敵でした。 神さまことを僕もついつい文字にします。でもいかにも文字になってしまうので、人からどう読まれるか心配になるのですが、ぼくなりの解釈にはなるものの、「わたし」が神様に託している世界に対する感情や目線を持っていることそのものが共感できて好きなのです。

仲程 (2017-12-10):

うまいなぁ、と感じました。 素直に一連、二連、それを受けての五連が好きです。 散文詩の肉付けは、小説とは違い、説明であってはいけないのだろうなぁ など、いまさらのことではありますが、そんなことも感じました。

ふじりゅう (2017-12-10):

拝見しました。 前半で、時代は戦前、主人公は孤児院かなにかに入っているなど特殊な状態だと分かります。 かみさまについての考えが迷走するなかで、自分の生き方を見つけた主人公は成功をおさめていきます。 最後は凄く印象に残る文で、自分がかみさまに近い存在となったような、何とも考えさせられるような終わり方でした。 結局かみさまについて、主人公は答えを出せないまま詩が終わってしまうという事実や、主人公の寄付という善意を、「世界からの感謝と信頼があり」と自ら言ってしまう事で、それははたして心からの善意なのかという命題を突きつけています。 人間への、そしてかみさまへの皮肉ともとれる表現は、人間というものについて深く考えさせられました。

花緒 (2017-12-12):

>まりもさん 丁寧なコメント、ありがとうございます。「そこそこ考えられてるっぽいけど、オチがしょうもない」と私の脳内で変換しました。自分でも、オチがイマイチかなーと思っています。できるうる限りハッピーエンドにしたかったのですが、再びまた、誰のものでもない紙に文章を書きはじめるというループ構造を描く以外に、作品の終わらせ方が分からなかったのでした。

花緒 (2017-12-12):

>夏生さん コメントありがとうございます。神への畏れってどんどん無くなってきてますよね。価値観、共同体感覚の喪失などなど。虚が浮かび上がっているという評、嬉しく思いました。

花緒 (2017-12-12):

>静かな視界さん コメントありがとうございます。1連、2連くらいまでは、なんかそれっぽく書けたけど、それ以降は、なんかイマイチだったので、そうですね、2連あたりまでで大体集約されてる気はしますね。

花緒 (2017-12-12):

>カオティクルさん コメントありがとうございます。わたしも、神さまを信じている人は苦手です。わたし自身、まるで信仰心がないからなのでしょうね。成功したあとって不思議なシンドさがあったりしますよね。自分の人生を振り返ってみると、大学合格して、全部うまく行っているはずの時期が、一番しんどかったかなーとか思います。

花緒 (2017-12-12):

>葉月之寛 さん コメントありがとうございます。前半、中盤お褒めいただき嬉しいです。後半、ストーリー展開を優先したというか、前半から、反転しつつループする構造を描くことを優先したので、多分、ここら辺は賛否両論でる気はしてました。

花緒 (2017-12-12):

>仲程さん コメントありがとうございます。好意的な評で嬉しく思いました。わたしはあんましジャンルとかは考えずに書いているので、多分、これは散文詩という範疇にギリ入らない気がしますし、詩として読まれると、割と辛いところはあるかなーとか思ったりはします。

花緒 (2017-12-12):

>ふじりゅうさん コメントありがとうございます。お褒めの言葉、嬉しく思いました。ラストは自分自身、迷いもありながらの着地だったので、好意的な評をいただき嬉しく思いました。

み う ら (2017-12-12):

いやはや、、前作の「国語の授業」を読んで、「アシッドプラネットをこえたね!おめでとう!」と言いたかったが、本人が満足するとかわいそうだったので言わなかったが、今作は、またまた凄い。映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」のようなことを詩でやっている。正直、やられた感がある。が、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」みたいだと読める私の感性をコメントでみせつけて一矢報いておこうと思った次第である。

花緒 (2017-12-13):

ウルフ・オブ・ウォールストリートを知らないからなんとも言えないです。今度見てみます。 コメントありがとうございます。でも、なんか馴れ合いコメントっぽいですね、これなら酷評の方が心地いいカモです、正直。

kaz. (2017-12-13):

小説にでもしてください、という罵倒から始めてもよろしいかな? こんなに構成力があるのに、ものを小説としてではなく、詩として発表するところに、あくまでも詩を舐め腐っているような意思が感じられます。詩にも小説にもなり切れていません。ただの散文、いや散文にもなり切れていない。雑文です。手厳しい言い方かもしれませんが詩というのは、小説の切れ端みたいなものでできているのでは決してありません。

花緒 (2017-12-13):

>kaz.さん 愛のある罵倒を感謝。嬉しい。 ちなみに、本作は詩ではありませんよ。本作含めまして、今まで一作足りとも、詩として発表しているつもりはないので、そこは誤解なきよう。 クリエティブ・ライティングだとかなんだとかアホなジャンルの創設を語っているくらいなので、フライヤーの裏に書き散らされる雑文で結構なのですが、とはいえ、面白い雑文でありたいとは思っております。重ね重ね、感謝。

まりも (2017-12-13):

追伸。後半、ついていけなくなった、というコメントや、花緒さん自身の〈オチがしょうもない〉という”反省”の由来は、資本主義・・・というかアメリカンドリーム的な成功者のスタイルを、ひとつの「型」として描いているから、なんだろうと思います。(日本人離れした主人公設定、ということでもありそうです)そこに、本人の願望とか希望というものが、どこまでリンクしているのか、そうした意味での「肉声」が埋もれていて、なかなか見えてこない、それゆえの消化不良感が生じている、と言えばいいのか。 なんのために、「経済活動」を行うのか。ホワイトアングロサクソン的な勤勉と、その結果としての蓄財を得た主人公。食事や肉欲と言った身体的な快楽を満たし、使用人をたくさん置いた別荘に暮らし、第三世界の「貧者」への寄付という社会貢献を行い、社会的な地位と名誉も確保している。アメリカ型消費文化における成功者が、その先、のビジョンを持てない社会であるがゆえに、主人公もまた、停滞せざるを得ないのではないか。 他方、この物語の主人公は、自らの魂の涵養というのか、精神的充足に値するような文化的活動、文化的社会貢献は何も行っていない。信仰という魂の充足の手段も、とうの昔に放棄している。 そして、この「他方~」の部分に、主人公の抱え持つ空虚と、語りの主体である作者の抱え持つ空虚(というか渇望)とが、重なり合う部分があるだろう、と思うわけです。 アメリカンドリーム、とひと口に言っても、たとえばシリコンバレーの若者たちの見ていた夢は、歴史を作っていくということにあったのではないか。単なる蓄財、ではなく。歴史(物語、人類史)の1ページを、自分たちは今、作りだしている、先陣を切って書き記している、という充足感。 その「先陣」ではなく、経済活動のど真ん中にいる主人公は、ど真ん中にいるがゆえに、社会のひとつの歯車、ひとつの部品以上の存在にはなり得ない。自分は今、歴史を作っているんだ、というような高揚感、充足感がない(歴史、が大袈裟であれば、流行とかモード、と言い換えてもいい)。 この主人公は、社会的な貢献として寄付を行っているけれども、それだけでは充足を得られていない。かといって、個人的に自らの精神を充足させるための「なにか」を見いだせているわけでもない。流行の先端を作りだしているわけでもない。かろうじて、〈再びまた、誰のものでもない紙に文章を書きはじめる〉ことに、ひとつの予感というのか、方向性を見出してはいる、ものの・・・。 欧州型成功者の「型」は、美術品の収集や作家の支援といった、芸術活動への貢献に向かうことが多いような気がしますが、果たしてこの作品の主人公は、そうした方向に舵を切るのか、どうか・・・。 いずれにせよ、自らの魂(の渇望)を、いかに満たすのか、という切実な問いが、宙づりにされている。それは、個人の問題ではなく、現代人が抱える問題、でもあるわけです。そして、そのことを主人公は「よし」としているわけではなく、空虚としてとらえている。書きたいのに書けない、書くことがない、という渇望(と絶望)として、自覚している。そこに(逆説的ですが)私は希望を見る。 アメリカ留学時代のことを自伝的に書いた作品、ケレケレの話、そして本作、一貫して、その渇望に触れている。〈アホなジャンルの創設〉〈フライヤーの裏に書き散らされる雑文〉なぞと嘯いていても始まらない。これは詩ではない、と守りに入るのではなく・・・主人公を設定するかどうか(語り手=作者、とするか否か)というような、表現スタイルや手法の問題を越えて、自分にとっての「詩情」「詩想」「主題」はこれだ、と、もっと本質的なところで主張すべきなのではないか。と、そんなことを思いました。

蛾兆ボルカ (2017-12-13):

今晩は。 第一印象として、私は小説として拝読しました。1つの視点から後半もう1つの視点に移動しますが、描写では何れでも視点のブレがなく、スムーズに読めました。設定された書き手が、前半では回想中の人物に感情移入して語るという構造で、書き手と視点が特殊な関係にありますが、それもそれが崩れて書き手と視点が近づいていく後半の、嫌な緊張感(一種の恐怖感)を産んでいて効果的だと思いました。 この恐怖感は、詩を書く人の多くが、その入り口で感じるであろう「詩を書くことへの恐怖」に似ていて、面白く思いました。フィクションの中の語り手と違って、この私は何を書いてしまうかわからない。私は何を書いてしまうのか、という恐怖です。それを思いました。 (コメント、続きます。)

蛾兆ボルカ (2017-12-13):

内容的には、アイロニーと解しました。ただし、このアイロニーは誰に向けられた、どんなアイロニーなのか明かされません。 中島敦の「名人」という不可解な小説に、不可視の矢で鳥を射落とす、弓の名人が登場します。アイロニーの矢は、思いがけぬ方角から飛来するとき効果的であると言いますが、見えぬ矢はその極致で、この作品のアイロニーもそうしたものかと思いました。 その関連として、カフカの短編の不可解なアイロニーも想起しました。 さらに解釈したのですが、私の解釈では、この作品のアイロニーは、カフカの作品のアイロニーが(私の解釈では)もしかしたらそうであるように、作者自身を射抜くものであり、しかしそうは記述不能なものなのではないかと思いました。 この作品は、嫌な緊張感のなかで、アンチクライマックスに終わります。スカッとしないし、何か足りないような思いを残します。 だから私はこの作品は傑作ではない、と思います。 しかし、これはこれで良くて、この不可解のまま、静かに存在を示し続けると良いなあ、と思いました。

花緒 (2017-12-15):

>まりもさん 再び、有難う御座います。色々考えさせられました。コメント感謝します。 私の意識の上では、下記のことを作品に織り込んだつもりはない、ですね。無論、どのように読まれるかは読者のものだとは思うのですが。本質的なところで主張すべきだとは私は考えませんが、本作に限らず、なんか中途半端感があることは否めないですね。結局何がしたいねんというレベルで止まっていると自覚。 >書きたいのに書けない、書くことがない、という渇望(と絶望)として、自覚している

花緒 (2017-12-15):

>ボルカさん 好意的な評をくださり有難う御座います。嬉しく思いました。視点のブレについてのご指摘は、あまり意識していないところだったので、勉強になりました。戦争で全部なくなるけどかみさまだけは残る話、を本当は描きたかったんですが、戦争で全部手に入るけどかみさまだけは消える話、になってしまいました。その意味でこれはアイロニカルな作でありますが、その一方で、私が描きたかったはずのことと逆なので、作者としては失敗作だと思っています。失敗作に小賢しく手を入れた作なので、傑作には程遠いですね。今後とも学ばせて頂きたく。

岡田直樹 (2017-12-16):

非常に悲しい話ですが、すごくリアルで、じわじわと怖くなってきます。怖すぎて、却って暗い笑いに変わる…また読ませてください。ありがとうございました!

survof (2017-12-16):

これで1本、映画が撮れそうですね。重くて深くて哀しい余韻がじんわりと尾を引きます。

花緒 (2017-12-26):

>岡田直樹さん 暗い笑い、というのは、わたしにとっては最上級の褒め言葉です!勿体無いお言葉を!ありがとうございます!

花緒 (2017-12-26):

>survofさん お読み頂きまして、好意的なコメント下さりまして、ありがとうございます!

投稿作品数: 1