作品投稿掲示板 - B-REVIEW

小林素顔


投稿作品数: 32
総コメント数: 334
今月は3作品にコメントを付与しました。
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生きてるぞー!/ 小林素顔名義で詩を書いてます / ※スマホにTwitterのアプリ入れてないんで基本返信は遅れます / #私の詩に感想批評リプOKだぜ タグRT垢@mypoemdouomou
自作の一押し・・・・ 私は詩です

小林素顔の記録 ON_B-REVIEW・・・・

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コメントありがとうございます。 この作品で描きたかったのは、様々な要素が絡み合って積み上がった苦痛と諦念といったところでしょうか。あまり深く考えず、筆に任せる感じで書いた作品なのですが、作り込まれた作品という言葉を頂けて、嬉しいです。 (応援)

2021-05-05

コメントありがとうございます。 仰る通りで、この作品において「カステラプリン」である必要性に対しては他の方からも疑問点として指摘されています。見返して冷静に考えると自分でも「カステラプリン」を活かした作品にはなっていないと今は思います。どうもカステラプリンに熱を上げていたようです。恋は盲目です。 (カステラプリン)

2021-05-02

>あと、僕は小林さんと「詩の語り手」とを全く切り離して見ているので、その辺は誤解なきようよろしくお願い致します。 >この「詩の語り手」が、人としてダメだということを感じたのではなく、僕はこの語り手も含めた人間全てのどうしようもなさを感じました。 承知しました。ただ、残念なことにB-REVIEWというサイトでそのようなテキスト論的な読解をするユーザーはかなり少ないと思われます。私もテキスト論的な批評を期待していた時期がありましたが、すでに諦めながら今作を投稿したもので、それが結果的に先のようなコメントになってしまい、誤解を生む原因になってしまったこと、誠に申し訳ありませんでした。 (カステラプリン)

2021-05-02

コメントありがとうございます。 分かりづらい作品になってしまって申し訳ないです。一応、野球とサッカーとバスケに通底する「応援」を中心とした作品ということで、ご理解ください。 (応援)

2021-05-02

タイトルに「やっかみ」と書きながらも「あなた」と「ください」を連呼する点に、「あなた」への絶対的な尊崇が見られて、最終行の「どうか 許してください」に収れんしていく様は、「やっかみ」が「あなた」を原因としたものではなく、詩の語り手にある内発的なものなのだろうなと思いました。詩の語り手の心中にある解決しようもないコンプレックスのようなものの解決の糸口を「あなた」に求める様が、儚い願いとして表れている詩だと思いました。 (やっかみ)

2021-05-02

コメントありがとうございます。 >「精神的に弱そうな語り手は、本当に生死に向かいあい、人の世界を俯瞰しているのか?」という疑問が浮かびました。 >精神的な障害または依存症的なものを抱える語り手の姿が推察されます。 >ゆえに、まず僕の読みの前提としては、どうしても「信用出来ない語り手」の枠組みで読んでしまいます。 これらの問いに関してはノーコメントでお願いします。私は精神障碍者の代表ではないので。 >そうして語り手のことばに対して疑いをもって読んでみると、作務衣の男が死んだかどうかは確認できてないのですよね、実際。目を逸らして駆け足で去ってもいます。 >またなぜ、「ゆっくりと 噛み締め」る必要があったのでしょうか。 >ともすると、フラッシュバックする、誰かが死んだかもしれないのを見過ごした記憶を、なだめるための行為こそ、カステラプリンをゆっくり味わうことだとも解釈することができそうです。 たしかに、こうした過程からカステラプリンを味わうことは、詩の語り手のエゴなのかもしれませんね。 >「カステラプリン」でなくても、気を紛らわすような「何か」があればこのシチュエーションは成立するな、と初読の感想として思いました。だから、初め、カステラプリンそのものにメタファー性をそこまで感じていませんでした。 仰る通りで、この作品において「カステラプリン」である必要性はないのですが、たとえば、貴方の初恋の人は、別の誰かでよかったでしょうか。そういうことです。 >この作品の肝をどこに見出したかというと、生き死について吐露している割には、過去の事故についての反省とか省察ははっきりとしていないという、何とも言えない語り手のポーズです。 >思い出だけでなく、そうした語り手のポーズも含めて、死から気をそらす人間のあり方が、読者にじわりと感じられるようになっているのが、この作品の妙なのではないかと考えています。 この作品の語り手は、ほぼ私と相似なのですが、やはり、こんな作品書いてるようでは人として駄目だなと痛感させられます。もっと善良に、健康に生きなければならない。中貝さんのご指摘を受けて、そう思いました。 (カステラプリン)

2021-05-02

コメントありがとうございます。 あらためて、過去と現在、生と死、とカステラプリンは、何なんでしょうね。よく分からなくなってきました。対比は描けたと思いますが、その対比が何を描いているのかと考えると、そこまで意味深いものは無いのだと思います。ただ、過去と現在や生と死と、カステラプリンの対比の輪郭を描きたかったのかもしれません。ですがそれが入間さんの心に印象的に残ったのだとしたら、改めて、お褒めの言葉をありがとうございます。 (カステラプリン)

2021-05-02

コメントありがとうございます。 最後の一行だけは、すこしだけ推敲したので、それが結果的に良い方向に行ったのは良かったです。カステラプリンは私の過去を癒してくれています。改めてお褒めの言葉ありがとうございます。 (カステラプリン)

2021-05-02

コメントありがとうございます。 主観的記憶をほぼそのまま書き記したものなので、手放しに褒められてしまいますと、なんだか照れますね。本当に何も考えないで、カステラプリンおいしいなあ、と思いながら書いたんで申し訳ないくらいです。でも、自然に書けた作品がそれだけの評価に耐えうるものを持っていたとしたら、やはりとても嬉しいので、改めてありがとうございます。 (カステラプリン)

2021-05-02

「何だろう」という言葉に着目した点は面白いと思いました。日常的に確かに思うことがあります、何だろう、って。それを「恐怖」だと分かる過程を描いた作品なのでしょう。それにしては、恐怖感があまり伝わってこない。とすると、恐怖に直面しているこの詩の語り手は、本当に恐怖に対して恐怖を感じているのか、という事になりますが、これって結構いろいろなケースに当てはまることで、自分の感情を恐怖とか劣情とかそういったものとして認めたがらない感情というのも存在するのだろうということで、この詩はそういう「自分の感情を素直に認めない詩」なのかなと思ったり、もしくは、自分の感情への自意識が鈍くなっている状態を記録した詩なのかなとも思いました。 (何だろう)

2021-04-22

散文詩の形をとることによって、ひたすら目の前の事象を克明に記録することを目的とし、抒情に流されない構成をとっているのだと思いました。その構成によって、「種屋」の異質な光景を描き出そうとした意図は成功していると思いました。目が滑りそうで滑らない、キッチリ読める散文詩で、ストーリーものとしてみると落ちが弱いような気もしますが、詩の語り手の目の前で起こっていることを詳細に記録しようとしていることそのものが、すでに詩的な行為だと思われました。 (種屋)

2021-04-22

読んでくださって、ありがとうございます。 ただいるだけのことが難しいこともあると感じることがあって、そのことがこの詩に影響があるのかもしれません。 擬音が思いついたとき、ひらがなのみで書いたほうがふさわしいのかなと思い、この書き方になりました。 褒めていただいて、ありがとうございます。うれしいです。 (ぽん と そこに)

2021-04-21

読んでくださって、ありがとうございます。 自分自身の人付き合いの気持ちを、素直に書いてみたくなって、この詩?になりました。 教訓といわれると、なんだか気恥ずかしい気もしますが、お褒めの言葉を頂けて、うれしいです。 (ぽん と そこに)

2021-04-21

第一連がキャッチ―で面白いと思いました。そこからするすると最後までスムースに読めました。全体的にシュールな印象を受け、読んだ印象の面白さを純粋に楽しむものなのだろうとも思いました。ただ、それが詩人の意図する読み手へ期待する作品の受容なのかと考えると、少し違うのかなとも思いました。読み手各人が受け取るこの詩の印象やイメージは個々にゆだねられるとして、この詩がB-REVIEWに投稿されているという時点で、読み手を試そうとする詩であることは何となく感ぜられました。最終行の「詩の不況を占う」という一行からも、B-REVIEWならびにネット詩の読み手に対する挑戦状なのかなとも思いました。 (ユグ)

2021-04-18

「香ばしい男子」と「あたしたち」の対になった存在の中の「峯岸くん」と「あたし」の関係性は、中高生の性愛を描いているようにも見えました。 「峯岸くんのうまさ」に対して「大きな手の器用さで/いい感じにしているの」と評価している第一連があり、「まさに群青/されどかなしい」という心的情景を示していることから、「甘くない」峯岸くんへの「あたし」の思いの切なさが表れているようにも思えます。 そこから打って変わって第二連での、 >急に鳥羽一郎だって >よってきてね >今日は一万歩 >歩いたっていうの >香ばしい男子 という描写から、峯岸くんという存在の子供らしさが表れているようにも読み取れて、その「うまさ」と《子供らしさ》のギャップへの憧憬も読み取れるような気がしました。 >夕暮れの >自転車に乗ってるあたしたちが >UFOみたいに飛んでいく これらの最後の描写は、「あたしたち」の周囲の世界が宇宙へ広がっていくという感覚を思わせ、性愛が人生経験として「あたし」もしくは「あたしたち」を成長させていくことの心地よさを表しているようにも思えました。 タイトルは波形のように見え、振動や伝達のイメージを含んでいるようにも見えますね。これを単純に「あたし」と「峯岸くん」の心のつながりの波形と捉えるのは、少し陳腐かなと思いつつ、非常に視覚的イメージが強いタイトルに、キャッチされてこの詩を鑑賞しました。 (〰︎)

2021-04-18

最後の一行へ向かって語が継ぎ足されていく構造は、定点観察的に時間が進むことで、絵画的な情景の切り取りに成功しているものだと思われました。徐々にイメージが広がっていくカメラワークを意識させる映画的効果もあると感ぜられました。さらに、語の段階的な増加は、吃音的なためらいを感じさせ、目の前の物への驚きが肉体的に感ぜられるものとして伝わってきました。 女が洗濯竿に干されているという事が何を意味しているのかという点に関しては各人にゆだねられているとして、個人的には、キリストの磔刑をイメージさせられる気もしました。 (洗濯竿に干された女)

2021-04-17

最後の一言でこの詩のパンチラインがビシッと決まるあたり中々の腕前、と思いつつ、そう思わされてしまうのはそれまでの詩句の数々を私がジェンダーロールに囚われた読み方をしているからで、無論詩人も読み手がもれなくそうなるだろうと分かって書いてらっしゃるでしょうし、その辺がまだ社会の後進性を含んだ言語としての日本語ということなのだろうなとも思いました。まあ、そういう小難しいことを抜きにすると、ちょっと恋愛詩としては凡庸かなとも思いました。 (慕情)

2021-04-16

結局具体的な説明に入る第四連で読まされてしまったため、割と良いクリエイティブライティング、ということを認めざるを得ないのかなと思いました。しかし他の連は本当にタイトルにある通りの備忘録的な補足の文章で、要らないかもなとも思いました。それでも貴方が「いえ、これは備忘録なので」と創作に対する批評を拒まれるということであれば、私はこの作品について何も言うことが無くなってしまう。備忘録を作品として投稿するメタ的視点を評価せよというのであっても、面白みに欠けるような気がします。まあとはいえ第四連で読まされてしまったのは確かです。 (詩論とまではいかないけど作詩におけるあれこれの備忘録的なもの)

2021-04-16

句読点、こんなに要るかなと最初思いましたが、ああ、呼吸と動悸が荒くなってるのかな、という描写と感じました。モチーフがいいですね。爽やかな悪戯っぽいエロさが。詩の語り手の余裕の無さとか。でも一歩間違えるとコピーライティングみたいな通俗に陥りそうだから、もう少し「きみ」にフォーカスしても良いかなと思いました。こんな思いした事ないけど、青春を懐かしく思いました。 (飲みたいのは)

2021-04-15

何がいいって、この詩を投稿したタイミングだな、と思いました。ビーレビ利用者がいま共有している春を、そのままに余す所なく、ひねらず丁寧に描写して、そして今月投稿したということ。ある種の期間限定感がある気もしますが、半年後、秋に読んで、また春を思い出す詩になれば、更なるこの詩の評価となると思います。 (春のおとずれ)

2021-04-15

感想くださり、ありがとうございます。ヨイトマケの唄とか好きですね。現代にも労働歌って必要だと思います。 (君よ、尊くそこにあれ(都市労働者M氏を思って))

2021-04-07

読んでくださって、ありがとうございます。 お褒めの言葉を尽くしていただいて、なんだかこそばゆいような、本当にありがとうございます。語彙が少なくて済みません。 四連目以降は、私の理想なのかもしれません。少し都合がいい考えかもしれませんね。 紙に貼って、なんて、そんなたいそうなものじゃないと自分では思うのですが、真清水さんにお気に召していただけて、本当にうれしいです。 (ぽん と そこに)

2021-04-03

感想くださり、ありがとうございます。七五調を意識して書いたので、ちょっと古めかしい感じになったかもしれませんね。 (君よ、尊くそこにあれ(都市労働者M氏を思って))

2021-04-01

ひらがなが、書き手の朴訥とした世界観の柱となりながら、それでいて少し背筋が慄くような雰囲気が、奇妙な違和感として伝わってきて、面白いなと思いました。「たそがれ」どきの、とくべつ何にも追われてないのに切迫して「くるい」そうになる、そんな感覚を思い出しました。 (たそがれ)

2021-04-01

コメントありがとうございます。 >詩が詩じゃないと言われた時に、じふんのことのよう傷ついたと自覚するところは非常に素直ですね。こういう風に書けるといのは、やはり詩の気持ちになれるからこそだと思います。 今作はどちらかというと「詩の擬人化」というよりも「書き手の詩化」の方向で書いてみたものなのですが、それがよい方向に働いたのだとしたら、良かったです。 >色々なものに心を寄せる事ができないと、こうは書けないと思うのです。 ものにも、人にも、もっと心を寄せなければと思いつつ、なかなかうまくいってないのが現状です。 ともかくも、私の作品が道草次郎さんのお気に召したのでしたら、嬉しいです。 (私は詩です)

2021-03-29

コメントありがとうございます。 「実感がこもっている」「丁寧に書かれた良い詩」というお言葉を頂けて嬉しいです。 >こういうことがあって、その後素顔さんがヘテロセクシャルの男性トシテハー、などと大音声で言うようになってしまったのかなと。笑 ええ、まあ、そうなんです。笑 >セラピー詩それ自体はそれほど問題ではなくて、ただ終着点になってはいけないのだと思う。 >一回一番トラウマティックな部分を書いてしまうとしばらく抜け殻になって焦ったりするけれど、生きている限りどうしても物事は進んでいき、暮らしの中に詩になるものもたくさんあり、ゆっくりとこれからの作風を模索していけばいいのかなと思います。 おそらくは今後も、今作と同様に自分の詩作の中で避けられないテーマが持ち上がったとき、セラピー詩のアプローチは手段の一つとして使っていくと思います。それは、私にとってセラピー詩の「技法」が、思想面はもちろん、文体面で大きく作品に影響をもたらすものであると分かったからです。ただ、修子さんの仰る通り、終着点になってはいけませんから、その「技法」と、その他の技法とを組み合わせて、また新しい一歩を踏み出していけるように詩作していきたいと思っています。 (君の舌を思い出してる)

2021-03-28

コメントありがとうございます。 >どうしてこのあるあるネタを書いたのかなと思いました。 >まさか、完全新作ではないよね?という所です。 >いや、そうですが?でも問題はないんですけども。 この作品は完全新作なのですが、元をたどれば先輩詩人から「いったんセラピー詩を書いてみよう」とアドバイスを受けて書いたものなのです。詩を論じた自分語りの詩という「あるあるネタ」を書くことによって、自己の「セラピー」を行い、文体や思考の整理をしてみようという試みだったのです。結果としては、思考よりも文体のほうに程よい整理が図られたような感覚を得ています。 >あと、興味があるのは誰にも告げず素顔を隠して匿名で投稿された方が面白いです。 >名前が分からない状態でやったときの周りの反応が知りたいです。 承知しました。来月以降、匿名投稿も行おうと思います。 (私は詩です)

2021-03-28

コメントありがとうございます。 >セックスしたことないよと書いていたのに >君の舌を思い出してるを書いているっていう矛盾っぽさが小林の素顔なんですな。 どうでしょう、まだまだ隠れている素顔があるかもしれません。自覚がない部分も含めてですが。 >でもね、私はさ「私は詩です」の文章が総掛かりで挑んでもね [引用文] >ここには勝てないと思うほどに好きです。 >だから私はこっちの詩を担ごうと思います。 ありがとうございます。「私は詩です」に関する説明はそちらのコメント欄でいたしますが、その作品以上の詩情を引用部分だけで醸し出せているとしたら、嬉しいです。 (君の舌を思い出してる)

2021-03-28

コメントありがとうございます。 不惑手前にして青春パンクはみっともないので、もう少し成長できるように、努力していきたいと思います。 (青は)

2021-03-28

コメントありがとうございます。 >以前、私が参加したオムニバス詩集で >参加者のコメントで「詩らしきものを書いています云々」 >という言い回しのコメントが多かったのですが、 >その詩集を評論したサイトに「詩らしきものではなく、詩を書いて欲しい」 >と書いてあったんです。 >正論だとは思ったんですけど、なにか心に引っかかるものがあって、 >なぜ「詩らしきもの」ではいけないんだろう、 >と時々考えるんですけど、ずっと答えが出せないんです。 それは多分、読み手の側のエゴなんでしょう。「詩らしきものか詩なのか」は作品を見て判断すればいいわけで、「ちゃんと詩ですよ、自信持ってくださいよ」と読み手が声をかけるか否かすればいい話なのですが、まず書き手の態度から見計らって「詩らしきものを書くな」と言ってるわけですから、おそらくその「詩らしきもの」を「詩かどうか評する自信」も読み手に無かったんだと思います。 私も人の作品が「詩か否か」をきちんと評価できる自信はありませんが、最近は、自分のエゴを押し付けないようにしよう、と気を付けているつもりです。 (私は詩です)

2021-03-27

コメントありがとうございます。 >以前、私が参加したオムニバス詩集で >参加者のコメントで「詩らしきものを書いています云々」 >という言い回しのコメントが多かったのですが、 >その詩集を評論したサイトに「詩らしきものではなく、詩を書いて欲しい」 >と書いてあったんです。 >正論だとは思ったんですけど、なにか心に引っかかるものがあって、 >なぜ「詩らしきもの」ではいけないんだろう、 >と時々考えるんですけど、ずっと答えが出せないんです。 (私は詩です)

2021-03-27

コメントありがとうございます。 >私は詩ですと言う言明は一見するとおかしな宣言なのかもしれませんが、詩的感興があると思いました。二回繰り返していますしね。最後の二行もぐっときます。「私です」と言う矜持。つまらないプライドではないと思いました。 このあたりは文章の構成面での気配りだとは思うのですが、書きあがる時は一気に書きあがって、下手に考えて書くと私の場合は失敗しがちです。今回もそうだったのですが、うまくいったようで良かったです。 (私は詩です)

2021-03-26

コメントありがとうございます。 そんなに褒めてくださりますと、なんだか照れてしまいます。 >詩を書いているうちに詩人よりも詩そのものになりたい、または自分が詩であるという感覚は自然だと思います。書いたものを自分の一部のように考える小林さんの詩は生きています。 「詩にガチで取り組んでいるか」と様々な場所で指摘されてきたものですから、その自分なりのガチの回答の一つとしてこの作品を書いたわけですが、市井さんにこうして受け取ってもらえますと、頑張った甲斐があります。 今後ともよろしくお願いいたします。 (私は詩です)

2021-03-26

コメントありがとうございます。 夜野さんに好いてもらえる詩が書けて嬉しいです。 (私は詩です)

2021-03-26

コメントありがとうございます。 >一人が自転をやめるだけで人類は終わっちゃうんですね。 言われてみればその通りで、反論できずにいます。 一応説明すれば、「『僕』一人が自転をやめるだけで人類が終わってしまうと思えるほどに『僕』自身を取り囲む世界の存在証明が儚いものであり、その幻想ともいえるような自分の周囲の世界を支えているのが『君』と『あの子』で、『僕』はその二人を追いかけることでしかこの世界を維持できない、その『僕』の必死さ」を読みの一つの方法として提案できるのですが、自分で説明してて酷い自己嫌悪に陥っています。本当に、自意識の虚飾ですよね、これって。 私が福まるさんを凄いなと思うところは「自分の語彙を確信していて、詩作品に書かれている語彙にすり寄ることは全くしない」という、ある種の読者絶対主義的な確固たる矜持を感じるところです。私、詩人がどんな意図でこの単語使ってるのだろう、とかすぐ考えてしまうのですが、私が思うに福まるさんは、今まで覚えてきた語の意味を信じ、この世界の語がすべて共通の意味で書かれていると確信していると見受けられます。私などは、「今その単語、どういう意味で言った?」みたいなことをずっと考えて暮らしているのですが、福まるさんはそういうことは無かろうかと思われますし、多くの日本人がそういう「日本語の絶対的共通性」の中で生きているのだなと思います。何が言いたいのかというと、私をはじめとした詩を書く人間の多くが一字一句をちょっとしたレトリックで「察してほしい」と思っているのに対して、多くの日本語話者は、そんなこと知ったことではないし、もっと分かりやすい言葉で伝えてくれと思っている。そういうことを、福まるさんは私に教えてくれたのです。 勉強になりました。少し、考え直してきます。 (君の舌を思い出してる)

2021-03-20

>「文章を書くこと」にもっと色気を出して良いんでない?みたいな意味で。 大丈夫です、伝わってます。むしろこちらの返信が誤解を招いたようで失礼しました。色気というか、私の場合は、下心ですよね。いままでそういう下心で詩を書いてきたもので、そのあたりを先輩方から「ネタに走ってる」「頭から上で書いてる」と指摘されたものですから、近作はそれを抑えて「詩を読まれることへの下心を抑えて書く」という試みに取り組み、今回もそれを行っていたのです。以前の詩は文章が剛速球ストレートでもバックボーンの浅さが否めなかったのは事実なので、その「剛速球でストライクを取りたい下心」を抑えて、遅いストレートでも丁寧にコーナーを突く詩作を心掛けていたのです。 >もっと表現を磨いたらより光る作品のような気がして居たので。。。 実を言うと、いまの「下心を抑える詩作」に一つのめどがついたら、「表現・技巧の鍛錬」に取り掛かる予定なのです。私は文体とレトリックが本当に苦手で、その部分にまだ手を入れられる技巧が備わっていないのです。現状は「下心の抑制」で、無駄な文体の癖を取り除いている作業を行っていると言い換えてもいいかもしれません。何らかの形で「下心の抑制」がうまくいったとき、次こそは表現・技巧の鍛錬に移りたいと思っています。 (君の舌を思い出してる)

2021-03-19

コメントありがとうございます。 この作品は個人的なことを掘り下げて普遍的な域へ達することが出来るかということを重点に書きました。なので、白犬さんに普遍性を感じていただけたのだとしたら、この作品は目標の一つに到達したと言えるかもしれません。また同時に、色々な表現の工夫に関しては、私の文章力では課題が多く、今回は「色気を抑えて書く」ことに気を付けて書いたので、白犬さんのご指摘は図星でして、今後の作品で、文体やレトリックを磨いていきたいと思っています。 (君の舌を思い出してる)

2021-03-19

コメントありがとうございます。 >『詩とはなんなのか』 >素朴で答えの見つけようもない問いに一筋の光を当てたような感情が湧きました。 私も答えを見つけたわけではないのですが、自分の経験から出た言葉がべんもうさんの一筋の光になったのだとしたら、嬉しいです。 >作中の『詩』は形のないように思えました。 >でも詩と感じることができる。 『詩』が自分自身の精神なのか肉体感覚なのか、それとも両方なのか、それを定義するのは難しいですが、ともかくも自己からあふれ出すものが言葉になるときが詩なのだという思いでこの作品を書きました。 >最後に、この詩を詠んだ後、私の気持ちが清々しくなりました。 べんもうさんの気持ちが良い方向に向かったのだとしたら、これほどの喜びはありません。 (私は詩です)

2021-03-19

ことわざの解釈から始まるシニカルな考えを説教臭くせず軽妙な世界観で表現する語り口は見事ですね。第三連の「種明かし」がこの詩の世界観を強固なものにして、最後のパンチラインに持っていく鮮やかさは素晴らしいと思いました。 (頭の中の蛙)

2021-03-18

七五調の正統派童謡詩と思いきや一つの連が五行の変則的な形なのかなと見たのですが、童謡は詳しくないので私の不勉強かもしれません。そのむず痒さを覚えながら読み進めますと、「お話のたね」は「売れない物書き」から「誰か」の手に渡ってしまう。これは「売れない物書き」の立場をとれば浮かばれない話だな思われるのですが、「お話のたね」の立場から考えると救済の物語なのだなと感ぜられました。あと、これは蛇足かもしれませんが、一連四行で四連にしてもう一行増やし、「誰か」の記述を少し詳しく書いても良かったのではないかなと感ぜられました。 (お話のたね)

2021-03-18

コメントありがとうございます。 >個人的に白や黒よりも青を選んでくれたことに嬉しく思います、私も青色好きです、 青は皆が好きな色なので、嫉妬してしまいますね。そんな思いを込めてこの作品を書きました。 (青は)

2021-03-18

コメントありがとうございます。 >自分だったらタイトルを『青に』としていたかもしれない、とまず思ってしまいました。 >というのも、「青は」と語ることよりも、『青に』あらがうことがこの詩の主題だと私は感じたからです。 その考え方でタイトルを付けるとしたら、私は青を擬人化して『青へ』とするかもしれませんね。もしくは『青め!』かもしれません。 >読後感としては、なんだか普段漠然と感じていることを代わりに言語化もらえたような気分になりました。 >読んで良かったと思えます。ありがとうございました。 アキラさんの考えを言語化できていたのだとしたら、とても光栄です。こちらこそありがとうございます。 (青は)

2021-03-18

この詩を黙読し、音読し、読後感が素晴らしくて、素晴らしいという一言しか出てこず、申し訳ないくらいなのですが、この詩は素晴らしいと思います。軽々しい賛辞で飾るのは恐れ多い気がします。 (記憶の交差点)

2021-03-18

「○○は××だ」とか、命令形の文章は、簡潔で強いだけに、他の部分の文章の説得力が欠けると形無しなわけですが、この詩においては命令形の行とその他の連の言葉の距離感がちょうどよく、詩人の切実な切迫感を下支えしているように感じられました。線を引くという行為の意味を色々と想像させられますね。好きな詩です。 (線は縦に引くべきだった)

2021-03-18

こうした生活や人生に根付いた詩を私も書けるようになりたいと常々思っているのですが、そういった詩は悲しみを受け入れて乗り越える過程が必要になるのだろうと思うと、軽々しく憧れると言ってはいけないのでしょう。ですが、やはり乗り越えただけに地に足の着いた詩になって、読み手に迫ってくるものがあると思いました。鈴木さんのお気持ちは察するに余りありますが、私はこの詩が好きです。 (母のおねしょ)

2021-03-18

この美しさはなんと表現すればいいのでしょうか。「温かい人」への全幅の信頼を鮮やかに表現しながら、ともすると語り手と「温かい人」の共依存的な関係性まで思わせつつ、何の利害もない愛を衒いなく書き上げていることに感服いたしました。 (薄氷)

2021-03-18

貴方はひょっとしたら「福まる詩」を手に入れようとしているのかもしれない。誰も書かない、書けない詩、そして一読して福まるさんの作だと分かるような、そういう境地への第一歩を踏み出そうとしているように見て取れます。発想も文章も素朴、ではあるけれど、一つの味わいがこの詩にはある。少なくとも、貴方がB-REVIEWに今まで投稿された作品の中では、格段に味わいがある作品になっている。私は貴方に対して今までいらだちを隠せずに乱暴なコメントや返答をしたことがありましたが、大変失礼なことをしたと思っています。もっとこの路線の福まるさんの詩を見たいと僭越ながら思いました。 (悪として善として)

2021-03-13

フィクションか否かは別にして、自分語りの形式をとりながらも構成がしっかりとしているので読まされますね。「やめてくれる」「とこらへんの」を一連目から五連目までに散りばめながら韻律をとっているのが印象的です。二連目の「愛なんて/これ迄の人生で無かったもん」に対応する形で六連目でそれまでの後ろ向きな印象から一歩踏み出そうという姿勢をとり、しかし果たしてそれが本当に進歩なのか幻想なのかそのあとの連で濁していますが、最終行で確実に詩の語り手が何かについて悟っており、その「克服」の姿が素敵だなと思いました。 (えんえんと永遠について語ろう)

2021-03-13

一行目・二行目、五行目のコーヒーに対する生活に根付いた描写が私の心をつかんで離しません。その力強さが、三行目・四行目の飛躍的なイメージを鮮烈にしているような気がします。好きな詩です。 (呑む)

2021-03-13

「いえ/に」を構成する連の「に」の後がそれぞれ「はひふへほ(ぼ)」になっていることから、言葉遊びから展開していった詩なのでしょうか。そう捉えると「いえ/に/ふね」と「そと/に/閃光」の連が、無理やり感というか、ちょっと詰め切れてないのかなとも思いました。 (ほんとうは)

2021-03-13

音読してみたんですが、脚韻と韻律の意識が感じられて、読みあげてて心地よいですね。漢字の雪ではなくカタカナの「ユキ」を題名にしたのは意味性からの脱却と韻律への没頭を示唆するためでしょうか。このような詩はたとえ「歌詞を意識した詩」と説明されても納得いきますし、そうでなくても詩としてきちんと作る意識が感じられて、好きですね。 この詩の意味について言及するのは野暮かなとも思いましたが、あえて言うなら、 >春と雪がkissして >何度目かの私が産まれる ここが詩を解釈するうえで注目すべき点なのかなと思いました。あとは読み手それぞれの解釈に任せて、詩の韻律のグルーヴに身を任せるのがいいのかなと思いました。 (ユキ)

2021-03-07

タイトルと本文の距離感、それから二行で簡潔に言い渡したイメージ、純粋に語の並びがカッコいいなと思いました。でも中二病スレスレですよね結構。ただ自分のなかの許せる中二病と恥ずかしい中二病のちょうど境に立っているような、匙加減の良さを感じました。 (空)

2021-03-07

老化のメタファーと防弾ガラスを挟んだ展示物への憧れなのでしょうか。「目も耳もわるくなった」「私」の衰えに対して、「スポットライトがあたっても」「うたわず」「語らず」、幾世紀もの時代を超えて残った展示物が、防弾ガラスの向こうに「じっとして」いるその泰然自若とした姿への憧憬のようなものを感じました。 (博物館)

2021-03-07

語の魅力だけで冬を表現しようとする試みだと思いますので、語に着目して感想を書きますが、「玲瓏とした」なのだろうか、と感じました。もっとガラスの玲瓏さを表現する具体的な語を持ってきたり、最悪取り払ってもよい修飾語なのかなと考えます。 (冬)

2021-03-07

私は【謎の薬】が好きだったんですが、この連も津川雅彦の力に頼ったものだし、私が散文詩に期待していた飛躍感は乏しかったと感じました。面白い文章だとは思います。実際笑ってしまいましたし。人それぞれに好きな連が異なってくるであろう、ある意味でビーレビのような感想コメが付く媒体向きの作品だとは思います。 (日付の無い日記)

2021-03-07

パトカーで一篇詩を書こうと試みた姿勢をまず評価しなければならないでしょう。パトカーのパトカーとしてのアイデンティティに着目したのは面白いと感じました。しかし善悪の二項対立に話を持って行ったのはやや陳腐かなと思いました。善悪の描写を具象の表現で追求できればもっとこの作品の自己陶酔した感じから脱却できるのかなとも思いました。 (パトカー)

2021-03-07

題名のまとった雰囲気が良いと思ったのですが、それを本文が生かし切れていないというか、すこし文体に締まりがないような気がしました。何処をどうというわけではないのですが、題名の緊張感のわりに、モチーフをメルヘンチックというか。その違和感が狙いならそれはそれでという気はしますが、深夜というより午後八時くらいの印象を受けました。 (深夜回路)

2021-03-07

コメントありがとうございます。 「詩を書いてしまう心理」について「『私は詩です』っていうフレーズほど、その心理を雄弁かつ簡潔に代弁し得る表現はない」という言葉を頂けたこと、そして「何度も読んで」いただけたこと、誠に光栄です。 >こんな大胆で、もしかしたらものすごいわがままな主張でさえ「私は詩です」という言葉に置き換えてしまうと、何だかとても美しいものに思えてしまうのが非常に不思議で、しかも「私」は「詩人」である「貴方の詩」ではない、しかもそんな「詩人」の「貴方」は「詩」ではない、と、こんなにも挑発的なのに、どこかどうしようもなく切実だから、やっぱり「私は詩です」っていうひとことほど、詩を書く時の心理を雄弁かつ簡潔に代弁し得る表現はないなと、そんな風に思ったのでした。 何と申しましょうか、survofさんにこのように私の詩について言葉を尽くしていただけたこと、本当に恐縮です。こちらから返す言葉が浮かばないのが申し訳ないくらいです。本当にご高覧くださり、ありがとうございます。 (私は詩です)

2021-03-07

>私は相当うるさく「内臓を出せ」といったけど、内臓を出すのは私の芸風(作風?)なのかなーって素顔さんのこの詩を拝読して思いました笑 >作風はそれぞれあるから、その人がその人らしい作風を確立していけばいいんですよね。 私はまだ作風に関して模索の過程の段階なので、まだまだ内臓を出す必要がありそうです。もう出ないかな、というところまで出してから、次の模索に移るべきなのかなと思っています。 >ツイキャスやツイッターの素顔さんを見てから、前の素顔さんの作風の詩や理論武装リプを読んでいたとき「これじゃ小林素顔じゃなくて小林仮面じゃないか! 仮面かぶってる!」って感じだったんです。だからめっちゃうるさく「内臓出せ」って言ったんだけど、今回ちゃんと素顔になってるなーって思った。素顔の素顔さんが書いた素の詩。私は本当は「内臓出せ」じゃなくて「仮面はがせ」って言いたかった(伝えるべきだった)のかもしれません。よく剥がれていると思う。 >マッチョな、半端な知識で理論武装した男性でなく、色んなものがよく分からない自分、と認めたままのひとりのひとが書いた詩。 ある方から、私の今までの作品がネタに走っていると諫められたもので、それでネタに走らないように書いたのがこの作品だったのですが、結果的に仮面を外す行為につながっていたのだとしたら、良かったです。 >それこそセラピー的な要素も含むんですけど、ありのままの自分を自分で確認し受容する、という経緯でこの詩ができたのかなーと思います。あまりにも自分の内部というものを分析・追求していくとまた意味不明なことになってしまうけれど。 >物を書く人というのは、ありのままの自分(それはけっして確たるものではなく、状況によって揺れ動くものでもある)を確認し受容し、自分の心の動きをつぶさに読みながら、これからの作風や文体を構築していくととても面白いことを起こせるんじゃないでしょうか。 いま書いている作品もセラピー的なアプローチで書いているのですが、それが意味不明なことになっているかどうか、これは皆さんに読んでいただかないと分からないですかね。次の発表の機会をうかがいます。 ありのままの自分から目をそらさずに詩を書くということの難しさを感じている次第なのですが、それが作品にキッチリ反映できるように、まだまだ精進していきたいと思います。 >しかしこんなにも短期間で自分と取っ組み合って自分の仮面を引っぺがしたのって本当にすごいエネルギーだなあ、と思うんです。 修子さんをはじめとした素敵な先輩方に恵まれたからこそ、この作品が書けたのです。むしろ私のほうが、皆さんが注いでくださったエネルギーに感謝しております。 >これからの素顔さんの詩や批評が楽しみです! ありがとうございます、頑張ります! (私は詩です)

2021-03-07

コメントありがとうございます。 >カッコつけ(艶つけ)すぎな作品とか無理して美しく書いてるなとかどっからか引っ張ってきた観念だけの言葉使ってるなとか。で、こういった掲示板とかのコミュニティだと、そういう外面だけを装ってる作者の人が、思わず悪態を晒したり思わず情緒をみせてしまったりするじゃないですか。きっとその当人にとっては不本意なそんな言葉。そんな言葉に出くわした時、それだよあなたが詩句にしなきゃいけない言葉はって教えたくなったこと何回もありますよ。でも、そういうのって読解でも批評でもなんでもないからこの場所では言えなかったりしますよね。作者さんにとってホントに必要性の高いアドバイスなんだけれども。 ありがたいことに、私はみうらさんを含めてそういったアドバイスを直接伝えてくださる方々に恵まれていて、本当に幸せだと思っています。もちろん、そのアドバイスを生かせている状況であるとは言い難いですが。日々精進が必要です。 >「詩なんて猫かぶりでいいんだよ」って叱られたことがあると、私が好きなある詩人さんが言ってらっしゃったんです。 >そうだよなあ猫かぶりでいいんだよなあって、そう思ったんですよね私は。 >それは書いてる人が見えてるから猫かぶりでいいって言えるんですよね。その猫かぶりした人は詩人じゃないかなあって思うんですけど、猫かぶりを無自覚にやってる人は詩人じゃなくてガチでタチの悪い人。ちゃんと物事をもっと知った方がいいのにって思っちゃったりしますよね。本作はちゃんと猫かぶりを自覚されていていいなあと思いましたよ。 ありがとうございます。本作は猫かぶりというか、今までの自分の虚飾を取り払おうと書いてみたのですが、まだ猫かぶってましたかね。そうだとしたら悔しいですが、それでも、自覚のある猫かぶりだということを評価していただけてることは嬉しいです。 >ただ、ふっと思ったんですが、僕は言葉を信じていない詩人が好きですね。 >素顔さんの作品からは、その不信とのジレンマが垣間見えるから良いのかなあ、なんて思います。 恐縮です。言葉は誰でも簡単に使っているようで、本当に使いこなすには物凄く精度の高い訓練が必要なのだと思います。ピストルは引き金を引くだけだから簡単に人を殺せると思っている人もいますが、すごく扱うのが難しいのと同じで。この言葉も書いたそばから伝わっているかどうか怪しいですが。そうした言葉への疑念を評価いただけてるのだとしたら、嬉しいです。 (私は詩です)

2021-03-04

コメントありがとうございます。 >「詩」に定義はないのかもしれませんがこんな詩が書けて「羨ましい」と強く思いました。 最上級の誉め言葉を頂けて、光栄です。 >確かに書き手の方は「詩」そのものかもしれませんね。 そうだといいのですが、なかなか自信が持てない日々が続いております。 (私は詩です)

2021-03-04

>小林素顔さん、わたしは 素顔さんに そのようなことを 言われたことは ありません。 承知しました。私の思い過ごしで良かったです。でも、我ながらやっぱり人としてどうかしていたと思います。気を付けていきたいと思います。 >わたしも、他人様に 同じことを 言われたことがあるのです。 お気持ちお察しします、ということが言える立場ではないのですが、言われた時の真清水さんのお心を想像すると胸が締め付けられ、また言った側の人間の立場に立つと、なんて愚かしいこと自分はしていたのだろうと悔悟の気持ちでいっぱいです。 (私は詩です)

2021-03-04

コメントありがとうございます。 今回のこの文字列?は、 >「俺を見てくれ」「俺の詩の技術を見てくれ」とかの声がとてもすごかった。 と修子さんの仰る過去の小林素顔から切り替えて、嘘なく書けるか(それはもちろん事実をそのまま書くという意味ではなく)が要点だったので、「素顔さんのそのままが書かれているようで」と仰っていただけると、とてもありがたいです。内臓、うまく出てますかね。 >書いた人の中で揺らいでいるあたたかい何かが自分にも伝わってきた。 懺悔の気持ちで書かれた文字列ではありますが、その中に伝えたいものが修子さんに伝わっているとしたら、嬉しいです。 >短めの文字列で人に何かを伝えるもの、それをだいたいの人が詩と呼ぶ。私も詩と呼ぶ。であるのならば、作者の中の何かしらの優しい揺らぎの伝わってくるこの文字列は私は詩だと思った。 自分語りだったり、詩そのものを語ったり、禁じ手かなとは思っていたのですが、修子さんに詩だと思って頂けたなら、たぶんこの目論見は成功しているのでしょう。かといって、過去の自分の行いは許されないのですけれども。 >なんだか少し変わりましたね。 そろそろ変わらないといけない時期だと自分でも思っています。できれば成長の方向に変わりたいと思っています。 (私は詩です)

2021-03-04

コメントありがとうございます。 >わたしも、私の詩を 詩ではないと 言われたことがあるので、ほんとうに その通りだなあ。と、思いました。 私の記憶が確かならば、真清水さんに私が「これは詩じゃない」のようなことを言った記憶はないのですが、あまりに方々にそういうことを言っていたので、もし言っていたとしたら、申し訳ございません。 >「私は貴方の詩ではありません。」と、いう魂の叫び。ごもっともです。 私が方々で「これは詩じゃない」と言ってきたことを思い出して、それを言われた人たちはどういう思いだったのだろうかと思いを馳せながら出てきた言葉です。なので、どちらかというと、自分の言えた言葉ではないのです。 >ただ、思うに。自作詩作品が 詩ではないと言われた場合って、逆に詩人の 仲間入りしたてことではないのでしょうか? >もし、詩を書かなかったとしたら 詩ではないなんぞと 言われるはずはないのですから。 詩を書けばそれすなわち詩人とも言えますが、正直、詩人の定義とは何なのか、私からは軽々に論じることは出来ないような気がします。申し訳ございません。 (私は詩です)

2021-03-04

コメントありがとうございます。 >どこにも出すことができなかった詩への哀愁と愛情を感じました。 >詩について詩で表現するのがとても面白かったです。 哀愁と愛情というより、罪悪感と懺悔なのかもしれません。 それでも、この詩の構造を面白いと感じてくださったことに感謝いたします。 (私は詩です)

2021-03-04

コメントありがとうございます。私の重ねてのコメントのお願いに応えてくださり、申し訳ございません。 >《自分のことのように》 >この一文があるからこそ個人的な感情だけでは完結させられない世界観を感じます。 我ながら自分語りの強い詩かなと思っていたのですが、この部分が逆に世界観を広げる効果をもたらしていたとしたら、良かったです。 >でも単純に俯瞰しているだけというわけでもなく、《私は詩です》のとおり「自身のできごと」である自覚との間を行ったり来たりする心の揺れがあるともおもえます。 >諦観なのか達観なのか、どっちつかずな曖昧さが続くのが読んでいて心地よかったです。 自分としては直球を投げるような作品ばかり書いてきたので、こういう気分に揺らいだ作品はどのように人に読まれるのだろうと気になっていたのですが、心地よいという評価を頂けて、嬉しいです。 (私は詩です)

2021-03-04

コメントありがとうございます。 実を言いますと、B-REVIEWの私のコメント履歴を追えばすぐ分かるのですが、過去に私は「これは詩じゃない」とビーレビ投稿者に向かって言葉を投げつけた人間なのです。今となっては、その発言を恥じ、後悔しています。 >誰かがひよこの雌雄を分けるみたいに、手当たり次第詩とそうでないものを二つの箱へ分けていくなんてあり得ないことです。 まさしくその通りで、以前の私は自分のエゴから人に向かって自分の気に入らない作品を「詩じゃない」と罵っていました。人として大切なものが欠けていたのだと思います。今でも欠けているかもしれません。この作品は、そんな自分のことを思い出しながら書いたものです。 >他人の評価を無視することは簡単ですが、最後まで自分の書いたものを信じることは難しいですね。僕も無視と軽蔑に晒され続けています。 私はそもそも苦しみを感じるほどに作品を発表し続けてきた経験がありません。むしろ人に対して苦しみを与えていた側だったのです。少なくとも、以前は。私が右肩さんの詩を批評するなんてことは、本来なら資格がないのだと思います。ですから今回のこの作品は、非礼をまき散らしていた過去の自分に対する懺悔なのです。 >小林さんのこの詩のように自信を持って自分は自分だとも言えません。 以前、Twitter上で「詩人の人格と詩作品は切り離されて考えられるか、同一視されるものか」というような議論が起こった時(多分起こったのだと記憶しているのですが定かではないです)に、私ならどちらの側だろうかと考えた際、「切り離せるけど、やっぱり心のどこかで傷つくだろう」と思ったのです。この作品はその意識の表れです。ですので、決して自信をもって自分は自分だ、と言っているわけではなく、切り離せないだろうな、傷つくだろうな、という気持ちからの表現が現れたのだと思います。 人を傷つけていた私が、自分だったら傷つくだろうと気づいたとしても、もう遅いのですが。 恥ずかしい話をしてしまいました。もしかすると軽蔑されているかもしれませんが、もしお許しいただけるなら、今後もよろしくお願いいたします。 (私は詩です)

2021-03-04

よろしければ、もう一度コメントをいただけませんでしょうか? よろしくお願いします。 (私は詩です)

2021-03-03

コメントありがとうございます。 この作品の中での詩の語り手が触ろうとしているものが、よんじゅうさんのなかで見つかったのだとしたら、それは嬉しいことです。ありがとうございます。 (青は)

2021-03-02

コメントありがとうございます。 面白いというお言葉を頂けて、光栄です。 でも、色って抽象概念なのか具象なのか、ちょっと迷いますよね。 脱線しました、失礼しました。ともかくも、コメントありがとうございます。 (青は)

2021-03-02

コメントありがとうございます。 基本的にみんな好きだという事は知りつつ、だからこそ青に対して疑問を持った時に浮かんだイメージで詩を書きました。 でも確かに、青は、他の色もこの世界にあることを忘れさせるほどの色なんですよね。 改めて、コメントありがとうございます。 (青は)

2021-03-02

好きな詩です。徹頭徹尾ファンタジーなのがいいと思います。小難しい読解や真実の追求は置いておいて、ただただ詩文に身を任せる心地よさというのを、久しぶりに思い出しました。ありがとうございます。 (瓶詰め入りの夜が欲しいのだ)

2021-03-02

コメントありがとうございます。 >一読して太宰治を想い起しました。ひょっとしてこれは自分の子どもにあてた詩じゃないのかな。でも、子どもに読まれては困る。自己憐憫の詩だから。 太宰はあまり詳しくないのですが、自己憐憫というのはまさにその通りだと思います。ただ、書いた私自身がそのことに気付いていなかった部分があり、それが工夫の足りなさにつながっていることは否めないでしょう。 >この部分は、酩酊した主人公の見た町の魅力そのものなのでしょう。 第四連のイメージは、酩酊や幻覚といった感覚的なものを描こうとして、自分でも新しいことに挑戦したつもりだったのですが、上手くいかなかったようで、今後の課題としていきたいと思っています。 (俺を探せ)

2021-02-28

コメントありがとうございます。 >韻を踏みながら短いテンポですすんでいくのはリズムが生じて気持ちいいですね。 >けれども実際のところ、その核にあるものは意味をもつ言葉ではなんとも言い表し難い。その噴出が四連というところでしょうか。 その四連目に対して、自分が自覚的に書いていたかというと、正直、疑問だったと言えるでしょう。自分自身としては「言い表し難い」ものに対して詩の中で記述せずに読み手に想像させるという案も考えたのですが、今回はその案をとらずにきちんと記述してみたかったのです。しかし、上手くいったかどうかといえば、そうとは言い切れないでしょう。 >しかし、五連目はよろしくない。 >距離が離れてしまった感じです。別の方法でぶっちぎってみてもよかったように思います。 五連目の指摘というのは、実を言うとこうして皆さんに指摘されるまで全く想像だにしていなかったことなので、正直驚いているのですが、改めて考えると、やはり世界観に対して齟齬があるのだろうなと痛感しています。 (俺を探せ)

2021-02-28

コメントありがとうございます。 あれでしょうね、中途半端だったんでしょうね。さらけ出すならさらけ出す、読解させるなら読解させる、どっちかに極振りしないといけなかったんでしょうが、変な色気が出たのでしょう。 評価してくださっている方には申し訳ないのですが、四連目は本当にこの作品の問題点が凝縮されているような感じなので、無理やり入れてしまったなと後から悩ましく思っています。五連目も世界観に照らし合わせると余計な連だったのは認めざるを得ないです。 >ホントは泣いてる俺みたいなものを受け止めてほしい、内面がほんとはひ弱なマッチョな男性っている。それを書きたかったのかな、って思う。 >そして、本当はそういう自分が受け入れられないという自嘲のようなものを書きたかったもかなー。 まさにその通りだったのですが、それを私が書いていて自覚的でなかったがために、この作品はイメージの連接がうまくいかなかったのだと思います。 書き直し、拝読して思ったのは、自分が何を伝えたかったのか、自覚がないまま投稿していたのではないかという事でした。作者の意図は書き直して下さったもののほうがより近いのですが、ではなぜ私はあの形で完成と判断して投稿したのかという疑問に立ち返った時、答えられない自分がいます。ポリシーのないまま、承認欲求が勝って漏れ出してしまった作品なのかもしれません。 (俺を探せ)

2021-02-28

コメントありがとうございます。 >最近の奇を衒った作品に比べてとてもいいと思う。 この作品も十分に奇を衒っていると思います。どうしてもインパクトに頼ってしまいます。まだまだ修行が足りません。 >世界が何を指すのか私にはわからないが世界はそんなに優しいだろうか。 優しくはないでしょうね。私の人間としての甘さが出ました。失礼いたしました。 (俺を探せ)

2021-02-21

コメントありがとうございます。 >いい詩だ。これはいい詩なんですよ。 ありがとうございます。本当は貴方に好いてもらえる詩を書けるようになりたいですが、なかなか難しいです。 >だが一つ言えるのはこの詩に完全に気持ちがリンクしない理由が恐らく一つか二つある。それが何なのかはっきりとは分からないのが申し訳ないが、この詩はいい詩なんです。迫り来る。 迫り来るけれども気持ちがリンクしないということは、ひょっとしたらこの詩に説教臭さというか、押しつけがましさというか、そういうものがあるのでしょうか。私はこの詩を作るにあたって、「小林素顔として読み手に迫る」ことを重視したので、そういうものが邪魔になっているとしたら、リンクしないという感覚も分かるような気がします。 ともかくも、いい詩だというお言葉が頂けて、嬉しいです。 (俺を探せ)

2021-02-20

コメントありがとうございます。 >鉛を背負った疾走感みたいなものがあって、最後まで一気に読みました。 疾走感は私の詩作においてかなり重視している点なので、そこが伝わっているのは嬉しいです。 >大理石に立つ切先 >の >たわむれ >の速度が変わる感じが好きです。 人によって第4連の評価が違うのは、自分が普段使わない技巧を使っているせいなのかもしれませんが、貴方は私のこだわりを気に入ってくださったようで、とてもありがたいです。 ともかくも、貴方にこの詩が好いていただけましたこと、改めて、ありがとうございます。 (俺を探せ)

2021-02-20

コメントありがとうございます。 >好きが嫌いかと聞かれたら、好きに決まっとる、と迷わず答えたい作品です。 こんな言葉が頂けたら飛び上がるほど嬉しいに決まっています。 >ただ、4連目の硬質なイメージの羅列は、もう少し癖が強い感じでもよかったのでは。(ちょっときれいにまとまりすぎのような気もします。) 第4連は正直、一番表現を迷った部分なので、その迷いみたいなのが出ているのかもしれませんね。自分としてはカオスを目指していたのですが、やっぱり整えたい欲が出てしまったのかもしれません。 >あと「の たわむれ」の改行に意味と効果を感じることができなかったのが少し残念です。この詩の強さに、この小技(?)は必要ないのでは?などと思った次第です。 個人的なこだわりが小技に陥ってしまっていたとしたら悔しいですね。今後の課題にしていきたいと思います。 ともかくも、貴方に好いてもらえる詩を書けたことが嬉しいです。改めてありがとうございます。 (俺を探せ)

2021-02-20

コメントありがとうございます。 >なぜなぜなぜが連鎖し、読み終わった後もその余韻が続きます。 >言葉の織りなす描写とリズムがなんとも言えず不協和音を奏で、不協和音の間に見え隠れする本音に興味をそそられます。 貴方の興味を喚起できたことを嬉しく思います。ただ自分で少し自信がないのは、種明かししない詩というものはひょっとしたら卑怯なのではないかという事です。それは詩なのか、それとも言葉の手品なのか。だとしたら詩とは何なのか。難しいのですが、答えは出ていません。 ともかくも、「描写とリズムがなんとも言えず不協和音を奏で、不協和音の間に見え隠れする本音に興味をそそられます」という言葉が頂けたことは素敵だと思っています。ありがとうございます。 (俺を探せ)

2021-02-20

ご説明ありがとうございます。 でもちょっと残念ですね。漢字の読み間違いで感想を書かれていらっしゃったのですね。貴方は今月のコメント数がすでに90を超えて100に達しようとしている。漢字の読み間違いをするほどに、そんなに慌てて詩を読まなくてもいいと思いますよ。 (俺を探せ)

2021-02-20

コメントありがとうございます。 「俺」、ちゃんとイキイキしてますかね。嬉しいです。 それはそれとして、 >すいません「首の仰角」でカナブンを想像しました。 この部分がちょっと私、カナブンに詳しくないものですから理解できずにおりまして、よろしければご説明願えますでしょうか? よろしくお願いします。 (俺を探せ)

2021-02-19

この作品の何が興ざめさせるのだろうかと考えてみたのですが、描かれる「美しい」ものが多くの日本人にとって手に入りやすいものなのかなと思いました。金で買える「美しい」ものや、替わりが利く「美しい」ものたちにあふれてる気がするんです、この作品。言うなればテーマパーク的な作品と言えばいいのでしょうか。それだったら普通にテーマパーク行ったほうが楽しいかなと思いました。手元にあるありふれたものに美や真実を見出したり、逆に、手に入らない美や真実に手を伸ばしていく姿を描くことが、詩作の姿勢のあり方の一つだと私は思っているのですが、いかがでしょうか。 あと、最後に「美しい世界」って書かないほうがいいと思いますよ。「美しい世界」を「美しい世界」という単語を使わないで書くのが詩だと私は思います。 (ドリーマー)

2021-02-18

作中の読点の使い方が好きですね。第一連の七行目から十行目で一気に畳みかけて勢いが出ている気がします。でも「無感動の消費を繰り返す。」で第一連を締めるのは、どうなのでしょう、ちょっとブレーキかかっちゃうような気がしますね。ここ工夫できると第二連につながって一気に詩として離陸する気がします。でも好きな詩です。 (とはいえ。)

2021-02-18

なんだろう、詩的飛躍も感じられないし意味性の解体も失敗しているような。詩にむかって支離滅裂って言うのは私の人間の浅さを露呈してるかも知れないけど、何かがこの詩の理解を妨げている気がする。安易さでも難解さでもない、「雑さ」とでも言えばいいものだろうか。 (夜明け)

2021-02-18

票を入れたいと思いコメントいたします。感想はTwitterでお伝えした通りです。改善点はあると思いますけど、試みは好きだったので、読み解きが楽しかったです。 (無名の詩)

2021-02-17

切り取ってるシーンは悪くない気がするのですが、状況説明で止まっている気がします。そこからもう一歩、貴方の見えている世界をよく観察して、「それが何なのか」を伝えてくださると、この作品はより良くなるのではないかと思います。 (残月)

2021-02-17

1,2,3連は相変わらずの歯車節。4,6,8連は駄かな。5連と7連は、ようやっと揺かごを揺らす手を離して歯車自身を見守り始めた印象。相変わらず凄い詩を書く天才だなと思うけど、やっぱり相変わらず感が強い詩だと思いました。 (プール)

2021-02-15

私がこの批評を拝読して改めて感じたのは、「クロソイド曲線」という詩は、詩の語り手の視点が時間的にも空間的にも作品内で変化しているのだなということでした。 第一連は一人称視点の回想で、第二連は一人称の感覚を第三者的に回想する文法で語られ、第三連は一人称的な視線の現在形で視覚的イメージをとらえて、第四連は父子を鳥瞰するような視点を含んでいる。最終連でそれらの回想と詩の語り手の時空間が現在で一致することを匂わせる現在形で結ばれる。そのような視点の移ろいを再読して感じました。 それが中貝さんのおっしゃるような「浮き」なのか、またそれらの表現に対して、もっとミニマルにすべきか否かは、正直私には分りません。私はこの詩をそのままに受け止めて感動し、ここをこうしたほうがいい、という視点まで至らずに選評を書いたもので、そのときは違和感に対して敏感ではなかったのだと思います。そしてまた、その視点の移ろいが詩としての飛躍感を醸し出している可能性も否定できないとも思っています。 ですが、別の切り口から「クロソイド曲線」に関する知見を頂けたことは、今後の大きな糧となりそうです。詩作した詩人より先に選評者がコメントして言うのも変かもしれないですが、ありがとうございます。 (思い出すことと思い出さないこと。あるいは、語ることと語らないこと。)

2021-02-14

コメントありがとうございます。 みうらさんのご指摘は、私がこの選評文を書いていた際の不安を、ほぼ全て見抜いているといっていいでしょう。 誤解していただきたくないのは、私がafterglow氏の「クロソイド曲線」を読んで感動したのは紛れもない事実であり、その魅力を何とかして他のB-REVIEW利用者に伝えたいと思った意志にも何の嘘はありません。 私の不安とは、私の解釈の虚飾であり、詩人には詩の虚飾はない、という事を申し上げたいということです。 >感動の因を作品に限定された引用に依拠するあまり、深みが失われています。それは詩人を問うこと、詩を問うてはいないところに起因します。 このご指摘は否定できないでしょう。私の不勉強はこの選評文のコメント欄でも皆様からご指摘されている通りであり、また、みうらさんの考える批評の姿勢を考えれば、私は詩人に踏み込んだ批評をすることが出来なかったのは事実です。私は「クロソイド曲線」を鑑賞し、感動し、称賛しました。しかし、それは私の感情を揺さぶられたという主観的なものであり、自分のポリシーに基づいた批評の指標によって、詩の弱点を指摘するところまでには至らなかった。それは私の詩に対する思想がまだ脆弱で、「詩人と詩人とのぶつかりあい」の中で詩を批評することが出来なかったという事に他なりません。 >クロソイド曲線は極私的な思い出を「詩にして他者へみせる」あざとさに満ちています。極私的な思い出を癒しのままに健気にも書いてしまった、という類いのものであるならば、「国境のトンネル」は「トンネル」だけの表現になるでしょう。「ナトリウム灯」は街灯の表現だけでいいし、「55個のカーブ」は余計な装飾で、「のこりをまた一つ〜」とそっけなく続くほうが好ましく受けます。好ましいとは、あざとさ無き極私的な感情を呟く人の言葉に読めるということ。つまり詩人らしいということ。ただのトンネル、ただの街灯、大袈裟な装飾無き名詞によって組み立てられているにもかかわらず、極私的なオリジナルの感情が表出されている、これが普遍な言葉による優れた詩ではないでしょうか。くどくなりますが、これをやれる人は稀であり、詩人です。詩人を見つけようとされない人は永遠に詩を読むことはないでしょう。 「好ましいとは、あざとさ無き極私的な感情を呟く人の言葉に読めるということ。」という視点はとても重要で、たしかに「クロソイド曲線」には無い概念でしょう。そういった詩を目指して書いてらっしゃる方々には、「クロソイド曲線」はお気に召さないかもしれません。 しかし、ここが重要なのですが、「クロソイド曲線」において詩人が選んだ語は――意識的か無意識かは分かりませんが――的確に言葉の距離感が測られていて、抒情を醸し出す絶妙な表現がなされています。「ナトリウム灯」「55個のカーブ」は紛れもなくこの語でなくてはならないと私は考えます。この語だったからこそ「クロソイド曲線」は詩として完成度の高い域に達したと私は考えます。そして、「あざとさ無き極私的な感情を呟く人の言葉」だけが詩の語彙ではないと考えます。私は詩の多様性を支持する立場をとります。 ただ、その発想が私の解釈の虚飾であるという不安はあります。その不安をみうらさんはズバリ言い当てた、ということになります。 >「作者の意図読みは作品の可能性を狭めてしまうのでは」という疑念については、作者の意図というよりも作家性まで読まなくては、書かれた語句に限定された読みは広がらないのでは?と逆に問いを持ってしまいます。こちらの推薦文こそがまさに意図読みに満ちている読解でありますことは誰もが理解されることに思います。更にその意図こそが優れていると評した時に、辞書やGoogle検索で見つけた「透明感ありそうな語句」「皆が心打たれるであろう家族や動物や花などのモチーフ」を組み合わせて詩文を書くように、多くのビギナーが向かわれることでしょう。 作家性への踏み込みに関しては、私はまだまだ反省点ばかりです。私はafterglowさんとTwitterで相互フォローの関係であり、日常的にツイートのやり取りをさせていただいておりますが、こと詩のことに関しての率直な意見に関しては、私は踏み込んだ意見を言えずにいることは事実です。ただそれ以前に、afterglowさんの詩が、今の私の主観では完璧に思えるほど感動的で、粗を探して指摘できるほどの思想が私にないという、私の未熟さに起因しているところはあります。これから、詩人/評者としてどうふるまっていくか、すこし考えさせてください。 繰り返しになりますが、この選評文「人にやさしい曲線」は、私の解釈の虚飾であり、「クロソイド曲線」を書いた詩人に虚飾はないのです。そして、「クロソイド曲線」は、確かに「現代詩」としてはお粗末かもしれない可能性はある。しかし、「B-REVIEWの詩」としては優秀なことは事実です。その証拠に月間賞を獲ったのですから。 そのB-REVIEWの質が下がってきているのではないかという危惧は、私にもあります。むしろ、私もそのB-REVIEWの質の低い詩人/レッサー/批評文書きなのではないかという気さえしています。この点に関して、私にできることは、ただただ自分を向上させること、より真摯にB-REVIEWと向き合っていくことしかないと思っています。 みうらさんのご満足いただける回答ではないという自覚はあります。みうらさんは紛れもなく、B-REVIEWをこの地球上で一番愛していらっしゃる人です。そんなみうらさんに対して、私がどんなに「私もB-REVIEWが好きです」と申し上げたところで、お笑い草です。なにより、過去の酷評コメント企画がつぶれた原因は私です。これは多分、私が一生許されることがないB-REVIEWの歴史の中での大罪です。その過失はどう頑張っても回復することは無いでしょう。 それでも、私はB-REVIEWでの良い詩人/評者でありたいと、今後も頑張っていきたいと思っています。 (人にやさしい曲線)

2021-02-14

素敵な詩だと思いました。 題名の通り、決意のままならなさを表す事象を描いていると思いますが、切り取っている視点が細やかですね。読み進めていくと、「決意のままならなさ」を肯定しているようにも見え、それでいて肯定している主体に主体自身も「ままならない」感じを持て余しているようにも読めてきます。「決意のままならなさ」を多面的に描いている佳品だと思います。 (ままならない決意)

2021-02-14

「~わ」「~の」「~かしら」といった古臭いお嬢様語尾を使って、本当に「少女の悩み」を描こうとしているのだとしたら、ちょっと時代感覚を疑ってしまいます。半分ギャグに脚を突っ込んでいるように見受けられます。語尾以外の部分に目を向けても特段「少女の悩み」らしさが感じられないので、いったん「少女」から離れてこの作品を練り直してもいいのではないでしょうか。 (少女の悩み)

2021-02-14

好きな詩です。全体の緊張感が作中緩みなくピンと張りつめられていて、「立ち向かう」イメージが力強く立ち上がってくる気がします。 恥ずかしながら、私は最初「パチンコをテーマにした詩かな?」と思ってしまったのですが、コメント欄とプロフィール欄を見るに、バイクの詩だったのですね。そうなると確かに「咆哮」というタイトルが素直に受け止められます。 第三連の、 >真っ直ぐに建っていたものがグニャリと笑って見える場所へ >色鮮やかだったものがすべて灰色になる暗い場所へ が、バイクで疾駆する主体の背景に見えてきて、とても世界観に奥行きを与えていると思います。 (咆哮)

2021-02-14

福まるさんがB-REVIEWに文章の形でこの作品を投稿されたという事は、歌詞をイメージしたといえども、文章として読まれることを意識されていたと考えられますが、その意識を汲んで読むにあたっても、気になることがあったので、少し書かせていただきます。 >ImissyouImissyouどんなに想っていても >今ここに貴方はいない >Ilove youIlove youどんなに愛していても >あなたはわかってくれない >あなたさえそばにいてくれれば >なにかを犠牲にすることなどないのに この第一連の「Imissyou」「Ilove you」「あなた」が詩的になんらかの効果をもたらしているかといえば疑問です。重複して書かれることによって興ざめを起こしていると感じられます。コメント欄ですでに指摘されているかもしれませんが「歌詞的」と言われるのは、こうした連呼は人の声で歌われてリズムが発生するので、目で読む詩だとノイズになる可能性があります。もっと情報を圧縮できると思われます。 >星を産み出すのは貴方星を滅ぼすのは私 >あなたが人間共を護り犠牲になって >どれくらいの月日が流れたでしょう >十年百年貴方を待った千年万年貴方を待った >一億十億もう待てない私は星を産み出すことにした >地球というがらくたに等しき星を >人間さえいれば貴方は来る >おいでませ愛しき貴方 「十年百年」「千年万年」「一億十億」このあたりの「天文学的時間の長さ」に対する描写が、単純すぎるとも感じました。もっと圧縮するか、それともより詳細にその時間の長さについて描写するか、そういった技巧が必要なのだと感じました。 詩のイメージというか、モチーフの発想は素敵だと思います。それだけに勿体ない。俯瞰的世界観を獲得できている作品なので、もっと作りこめば、「歌詞的」という指摘を脱却して「詩」になる可能性を秘めていると思います。 (Imissyou)

2021-02-14

着想と、第一連、第二連までの流れは素晴らしいと思いましたが、最終連で世俗から離陸しきれなかった印象を受けました。もっとこう、面白く落とすのではなくて、太郎君の思いに寄り添ってあげられる最終連にできたなら、より俯瞰的な詩世界を獲得して世界観を広げられたんじゃないかなと思います。 (すべてのことには意味がある)

2021-02-14

コメントありがとうございます。 私の作品と解題への批評に時間を割いてくださったことに感謝します。皆様からもご指摘いただいておりますが、やはりこの詩を自分のスタンスとするのは不適切なのだろうと思いました。私のジェンダー知識に対する解像度の低さやフェミニズムに対する知識の足りなさが際立っており、またコメント欄における対応も間違いが多かったと悔やんでおります。 「変なフェミニズムが男性といわず女性側に迷惑を被らせることもあるでしょう。」 仰っていたこの言葉に尽きると思います。私の知ったかぶりのフェミニズムが生んだ作品だという他ありません。 私は男性ストーカーに付け回されていたことがあったので、「意中にない人からの好意の脅威」や「男性の性欲の強迫性」を身近に感じることもあったのですが、田中修子さんの、ご経験と知識に根付いたコメントを前にして、何もかもが足りないと思うばかりです。私は考えが甘いのだと思います。性自認への自問自答もなく、実害らしきものも被らず生きてきながら、かぶれた知識でフェミニズムを語ろうとして、それも詩を利用して、さらに自ら解題までしてしまったというのは、身の程知らずという言葉では足らないでしょう。 ただ同時に、被レイプ体験を語る女性に対して、「同情」や「憐憫」の感情を抱くのも間違いなのだと思いました。その態度こそがマッチョなのではないか、ということです。田中修子さんの語られている被レイプ体験は、「問題」として取り扱うべきもので、感情のプラスマイナスを付与することはならないのだろうとも思っています。だからこそ、田中修子さんへのコメントに、いまタイピングしながら、苦闘しております。一人の人間として尊重しながら、問題を冷静に解体していくことの困難さに直面しております。多分、まだ私の知識や経験では時期尚早な問題を、この作品では取り扱ってしまったのかもしれません。 自らの無自覚なマッチョイムズ。フェミニズムに関する知識の古さ。これらに関しては不勉強の一言しかありません。先ほどタイプした「尊重」という単語も、一つ間違えば「下から上へ持ち上げる『上から目線の言葉』」としてマッチョになりかねませんから、例えば「敬意を払う」といった言い換えが必要なのかもしれません。これも最適解かどうかは分かりません。ただ、こうした問題意識を持ち続けることこそが、フェミニズムに対する誠実な姿勢なのではないかとも思っています。私が以前どこかで聞いて印象的だったのは、ある男性がある女性から「貴方はフェミニストですか?」と聞かれて、「私はフェミニストとしては至らないが、フェミニストになろうと努力の過程である」と答えたことです。私もその姿勢でいたいとは思っていますが、この通り、うまくいっていません。 こうしたものを反省しつつ、田中修子さんにご指摘頂いたことを感謝しなければならない、と思う一方で、指摘されて感謝するような甘い考えで詩作や批評を行うなよ、と、自分に対して重ね重ねの反省を覚えます。 そして何より、「二項対立」の発想についてですが、これは、フェミニズムに対する考え方はもちろん、自分の詩作にも問題の影を落としているでしょう。 私はいまだに詩情の一つに「此岸と彼岸」というものをイメージとして持っていて、それが自分の意識の中で二項対立を煽っているのかもしれません。もっと物事は「混沌」としていて、その中で事物の「個性」を分析しなければならないのだと思います。私は「此岸」に引きこもって「彼岸」を憧れ、その憧れの距離感を「浪漫」だと思っていた節があるのだと思います。もっと田中修子さんの仰るように「自分の内側を覗いていく」ことで「混沌」を見つめて、その中から詩情を掬い上げることが出来るようになる必要があるのだと思います。 ご期待に沿えるような返答だとは自分でも思っておりませんし、もっと言葉を尽くすべきだとは思っていますが、私の現在の筆力ではこの回答が限界です。申し訳ありません。 (セックスしたことないよ)

2021-02-14

コメントありがとうございます。 誤読をお許しいただき、感謝です。 ぼんやりと霞んだ先にある情景への思いというものが伝わってくる詩だと思いましたので、私もできる限りの読解に励んだつもりです。それがafterglowさんの何らかの助力になったとしたら、嬉しいです。 (人にやさしい曲線)

2021-02-05

貴方がB-REVIEWに投稿された他の作品も読んでみたのですが、私のような未熟者がおこがましいと思いつつ、提案させていただきます。 例えばこの詩を、「シーサー」の視点で書いたり、「三線」の視点で書いたり、そういったことはご自身で可能だと思いますでしょうか? 人間は、人間から直接問題を提起されると、説教臭いと感じて聞く耳を持たなくなってしまいがちだと私は思っています。と同時に、物体にその物語やイメージを寄せて語られると、怒りや悲しみなどの感情を表さない分、人は耳を傾ける傾向にあると、私は思っているのです。 この作品は、貴方の問題意識が隙もなく凝縮されていると思うのですが、なにぶん、貴方の感情が目前にあらわになって、見ている私は、すこし、身を引いてしまうのです。 なので、もし私の提案に対して、ご興味がございましたら、「シーサー」なり「三線」なり、何でもいいので、「物体」にイメージを寄せて書いてみる、という事を、試してみてはいかがでしょうか。 (沖縄)

2021-02-05

こちらの作品を読んだ後、中沢さんがB-REVIEWに投稿されている他の作品も読んだのですが、具象に対して思いを寄せることにかなり注意深くなっているのかなと見受けられます。きっと安易な抒情を避けたいのかもしれないなと思いました。ですが、この「想起、懊悩」に関しては、私は、抽象的な単語の羅列で何の感動も与えられないどころか、興ざめとしか申しようがないです。 と同時に、「想起、懊悩」というタイトルから察するに、「思いついたことにすぐさま興ざめして懊悩している状況を詩にしたもの」なのかとも思いました。自分の思いついた発想が、すでに陳腐なもので、何かの作品として形に残そうとしても、個性的なものにならない――そうした経験は私にもありますから、そういう視点で見れば、この作品は、そうした情報は掲載されている作品だと言えそうです。ですが、詩としての感動は皆無ではないかと思います。 (想起、懊悩。)

2021-02-04

サムネイルで表示されている第一連を見て「これはただ事ではない問題提起なのでは?!」と思ってクリックしたら、おや、緊張と緩和の効いた、すがすがしい春の予感を詠んだ詩なのだな、と思いました。 が、二度、三度と読み返し、なんだか違和感があるような気もしました。とくに、 >(その騒ぎに水鳥が二三羽、飛び立ってしまった) の部分に対して、同じく春を迎えた動物側であろう詩の読み手(おそらく人間)と同じように、にやけたりせず、なぜ「飛び立ってしまった」のか、そこが違和感で、素直に「春の予感を詠う詩」として、受け取れずにいます。その第四連の一行だけ、他の連のように春を無邪気に受け入れるイメージとして一緒の方向に浮揚していかないような。深読みしすぎかもしれませんが。 でも、ともかくも、こんなにも春の訪れに対して明るいイメージを描ける詩人がうらやましいなと思いました。素敵な詩をありがとうございます。 (立春の日に)

2021-02-04

コメントありがとうございます。 マグリットは好きな画家なので、無意識にオマージュしたのかもしれませんね。気づきませんでした。ご指摘ありがとうございます。 *に挟まれた詩と「彼女」との関係性なのですが、自分で書きながら、うまくイメージを連結できていなかったのかもしれません。なかなか難しいです。 でも、いいですね、という言葉を頂けて、嬉しいです。 (彼女の顔面の穴)

2021-02-04

コメントありがとうございます。 >彼女は太陽であり、惹きつけられるけれども、恐ろしい存在でもあるのかと思いました。 そうした解釈も可能なのですよね。自分では意外だったのですが、面白いなと思いました。 ドキドキしてもらえる詩が書けたのは、嬉しいです。 (彼女の顔面の穴)

2021-02-03

コメントありがとうございます。 >「彼女」は「太陽」とは真逆の存在なのかもしれないと思いました。 その通りなんですが、それが何なのかはご想像にお任せします。 解りやすく読みやすかったのは、嬉しいです。 (彼女の顔面の穴)

2021-02-03

コメントありがとうございます。 きっと自分の恋愛経験に自信が持てなかったんだと思います。すべてをさらけ出すのをためらって、虚飾に走ってしまったのでしょう。反省です。 (彼女の顔面の穴)

2021-02-03

コメントありがとうございます。 全体と散文のバランスは気にしていたので、いいと仰っていただけて嬉しいです。 (画面/物体)

2021-02-01

この選評文は皆さまからのご指摘が多いので、鵜呑みになさらないでください。 (この詩を奴らに渡すな)

2021-02-01

コメントありがとうございます。 「すでに思い出しているところから始まってるんじゃないか」という読みに、目から鱗と思いました。私自身が詩を映画的なリニアな映像の受容としてしか見ていなかったことを気づかされて、なんだか恥ずかしいです。身体感覚が込められている詩なら、「運転しながら現在の位置から父親や過去の自分を思い出してる」のが自然なのだと、藤さんの指摘で気づきました。 >最後の一行でその距離がもう追憶とは呼べないあたりのところまでうんと遠くなってる。そこのところはもう言葉にしようがない。 言葉の意味を定義するのは出来ても、どこに向かってベクトルが伸びているのかを説明するのが難しい――とタイプしたところで、それすらも、「言葉にしようがない」ものを言葉にしようとしている、無為な行為なのかなと、少し頭を抱えてしまいました。 そして「逐一の言葉がどうとかじゃなくて、言葉の繋がりの総合として、その向こうに伸びていく動きがある」という言葉に、実に自分が小手先で批評もどきを書いていたかということを目の前に出されたような気分になりました。その部分への批評が決定的に足りない、でも今の自分ではその批評を行う言葉がない、それがもどかしい、という気持ちです。 次の課題への進む方向が分かったような気がします。道のりは険しそうですが、行けるところまで行ってみたいと思います。 (人にやさしい曲線)

2021-01-30

コメントありがとうございます。 以下、「クロソイド曲線」に対して、私が感銘を受けた要因を、記述していきたいと思います。 1,思い出に対しての「数学用語を用いたエビデンス」の獲得  日本人の多くが「乗り物に揺られた思い出」があると私は思っているのですが、私の場合、「クロソイド曲線」の「車に揺られた思い出のイメージ」が、父子の関係ではなく、伯父の運転する自動車に揺られた思い出として甦ってきました。法事の途中に気分を悪くして出先から家まで送ってもらった車中、自分の情けなさに駆られていた私を気遣う伯父の優しさや、横になった後部座席から見える青空などを、鮮明に思い出したのです。  そんな思い出を呼び起こしてくれた詩が、「クロソイド曲線」という自然科学の用語をタイトルを冠されていたわけで、それが私としては嬉しかったのです。たとえ詩的飛躍をはらんでいたとしても、私が伯父の優しさに触れたあの車内の揺れが、科学的にもエビデンスのあるもののような気がしたのです。「『錯覚ではないんだ』という思い込み」というと矛盾がありますが、そういったものが得られた気がして、私は感銘を受けたのです。 2,物故した父の思い出と第三連の「心象風景の追体験」  私の父はすでに他界しているのですが、その父を喪った私の心象と、「クロソイド曲線」の第三連のイメージは、重なるものが感じられました。 >ナトリウム灯に >群がるように雪がふる >硬く白い路面に >縦型の信号機に雪がふる  私は第三連のような風景を見たことはありません。しかし私の父は雪国の出身で、こうした風景を見たことがあるのかもしれない、と思いました。その寒々しい風景は、私が父を喪った心象とよく似ていると感じました。私はこの第三連から、父の見たかもしれない風景を追体験しているような感覚になったのです。ですので、この詩に通底している「父子の思い出」のテーマを、第三連のイメージから素直に受け取ったのです。 3,ドライブインの風景と「残された家族の風景」  「クロソイド曲線」の第二連は、ドライブインで見た「いつもとは違う顔の父」を描いていますが、私は、父が他界した後、残された家族とともにドライブインで食事をとったことがありました。その時の家族の顔を、この詩によって思い出しました。父が生きていたころ、闘病していたころとは明らかに違う家族の姿がそこにありました。父の顔の思い出ではありませんでしたが、ドライブインの描写から、父をみとった家族の「いつもとは違う」顔を思い出し、これも感銘の要因になったと言えます。  このような「伯父との思い出」「父との思い出」「残された家族との思い出」などの、それぞれには関係のない「肉親への思い出」が、一つの詩の中で思い出され、「クロソイド曲線」という新たに知った、一見すると情緒的な単語とは思われない数学用語を、この言いようのない感情に冠され、「一つの情緒に名前を付けてもらった」たことが、この詩に対して私が感銘を受けた要因だと言えます。  上記の感銘を受けた事項は、私の「思い込み」「錯覚」であることは否定できません。しかし、詩を読んだことの感銘を、客観的情報ではなく、主観的印象で語る試みであることを、ご理解ください。 (人にやさしい曲線)

2021-01-29

素敵な詩だなと思いました。無いもの、失われたものの埋め合わせをしようとする世界観と、でも代わりにならないことの寂しさが伝わってきて、それをじっと見つめようとする詩人の態度に、冬の寒さを受け入れようという気分になります。 (ふらない日にも)

2021-01-28

コメントありがとうございます。 「クロソイド曲線」は、「誤読ができる詩」である以上に「誤読が許される器の大きな詩」であることは間違いないと思います。詩の醍醐味の一つが飛躍の高揚感であるとするならば、その高揚感を確実に感じられる飛躍の要素があちこちに散りばめられた詩であると私は思います。ただ、「国境」を含めた「境」に関する文化論的な知識が足りないなと今回の選評を書いた後、皆さんのコメントを頂いて思いました。時間/空間論の知識も全然ですし、勉強が必要です。 票を入れていただきまして、恐縮です。改めて、ありがとうございます。 (人にやさしい曲線)

2021-01-28

コメントありがとうだ! 電気ブランもアブサンも飲みそびれてしまったかんね! 酒の飲めない体になるのは本当に辛いっかんね! ホームレスにも序列があることを知った20年前は本当にビックリしたっかんね! その時に振られた女の子の名前、忘れてしまったっかんね! 挑戦を感じるという言葉がもらえて嬉しいっかんね! 今後もよろしうだっかんね! (トーキョーアレルギー)

2021-01-25

コメントありがとうございます。 「国境」への考察に関しては、改めて「足りなかったな」という気持ちです。それはafterglowさんが書いた作品への敬意という点においてもですし、「国境」という単語に対しての知識はもちろん、嗅覚といえばいいのか、その単語がそこに配置されている意味を掬い取る「勘」とでも言いましょうか。ちょっとWikipedia調べれば出てくる、というその「ちょっと」のひと手間に気付く詩作品への丁寧な気配り、とでも申しましょうか。とにかく「足りなかった」ですね。気を付けたいと思います。 「金がかかってる」発言に関しては、とにかくafterglowさんに失礼というか申し訳ない気持ちでいっぱいで、作品に対しても敬意が足りない発言だったと思います。本当に作品を尊重するなら、そんな恩着せがましいことは言ってはダメだなと、発言してから気づきました。もう書き込んだものは飲み込めませんが。ただ、これから詩の批評に少しでも腰を入れて取り組むなら、それなりの実費は積まないと、詩人に対して失礼だな、という気がしています。 「最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ」(『トニオ・クレエゲル』トオマス・マン作 実吉捷郎訳) いつも人間や詩に対しての敗北感に駆られている私ですが、多分、人間も詩も、愛しているのでしょうね。 どこまでやれるか分からないですが、頑張ってみます。 ともかくも、「面白い選評」というお言葉を頂けて、嬉しいです。 (人にやさしい曲線)

2021-01-23

非常に母性と母体の肉体性を感じさせる詩だと思いました。 ただ、第四連、第五連において、その母性と母体の肉体性を普遍的な世界観へと高めようとして、成功しきれていないかなという印象も受けました。なんというか、まだ「見上げている」ような。もっと「見下ろす」ような、大きな存在感を詩の中で表現できればよかったのではないか、とも思います。シスヘテロ男性の私が、母性に対して求めすぎなのかもしれませんが。 また、安易に陰惨なイメージを持ってきて読者にフックをしかけることを避けたのは良かったとは思いますが、母性と母体の肉体性の「陰」のようなものの描写を、もっと掘り下げられるのではないかなと思います。 (夜、そして)

2021-01-23

コメントありがとうございます。 そうなんですよね。川端康成は「国境」と書いている。江戸時代までは藩政が敷かれていたので、日本でも「国境」があってもおかしくはない。というのは、頭の片隅にはおいていたんですが、でもこの詩を読み込んでいる間に、オマージュであったり歴史的経緯であったりという意識が頭の片隅に追いやられてしまって、今回のような読みを提示してしまいました。 でもどうなんですかね。もちろん詩人本人に聞くのが一番なのでしょうが、この詩単体で見ると、川端康成のように「美しい日本」を思わせるような「日本の『国境』」を読み取るというよりも、見知らぬ極寒の地の荒涼さに思いをはせた「異国の『国境』」を読み取ることのほうが、私個人としては「美しい」と思ってしまいました。 ただ、詩の鑑賞の仕方として一般に言われるような、「感じ方は読み手の自由だ」みたいな言説には少し疑問を感じている私としては、今回の「国境」の読みは、脇が甘かったのかもしれません。 「この世とあの世の境」という読みまでは思いつきませんでした。その読み方をとると、この父子のドライブも、なにか鎮魂の旅のような幻想的なイメージを含んできますね。 ご指摘ありがとうございます。そして「良い選評」というお言葉を頂けて、嬉しいです。 (人にやさしい曲線)

2021-01-23

コメントありがとうございます。 そうなんですよね。川端康成は「国境」と書いている。江戸時代までは藩政が敷かれていたので、日本でも「国境」があってもおかしくはない。というのは、頭の片隅にはおいていたんですが、でもこの詩を読み込んでいる間に、オマージュであったり歴史的経緯であったりという意識が頭の片隅に追いやられてしまって、今回のような読みを提示してしまいました。 でもどうなんですかね。もちろん詩人本人に聞くのが一番なのでしょうが、この詩単体で見ると、川端康成のように「美しい日本」を思わせるような「日本の『国境』」を読み取るというよりも、見知らぬ極寒の地の荒涼さに思いをはせた「異国の『国境』」を読み取ることのほうが、私個人としては「美しい」と思ってしまいました。 ただ、詩の鑑賞の仕方として一般に言われるような、「感じ方は読み手の自由だ」みたいな言説には少し疑問を感じている私としては、今回の「国境」の読みは、脇が甘かったのかもしれません。 「この世とあの世の境」という読みまでは思いつきませんでした。その読み方をとると、この父子のドライブも、なにか鎮魂の旅のような幻想的なイメージを含んできますね。 ご指摘ありがとうございます。そして「良い選評」というお言葉を頂けて、嬉しいです。 (人にやさしい曲線)

2021-01-23

本当に美しい抒情詩というのは、語の並びの美しさを超え、語に新しい意味を付与することさえ出来るものだと私は思っているのですが、この詩はその域に達しているのではないでしょうか。 ウィキペディアで題名を調べて、その意味を知った後、改めて詩を鑑賞して、そう感じました。 (クロソイド曲線)

2021-01-22

私の文章が宥樹さんの読書の活性化につながったのだとしたら幸いです。 (この詩を奴らに渡すな)

2021-01-19

我ながら批評と扇動を勘違いしてしまったと反省しております。しかも扇動の質も低く、無知をさらす結果となってしまいました。熱意だけではどうにもなりません。少しずつになってしまうかもしれませんが、これから詩の歴史を勉強していきたいと思います。 (この詩を奴らに渡すな)

2021-01-19

悔しいですが、私の論は論にも至らないような、戦争の片棒を担ぎかねない無知蒙昧なのでしょう。ともすると自分のあらゆる発想が、商品に変換されて格差と全体主義を加速させる有頂天なのだと考えると、軽々しく批評するのも気を付けなければならないのかもしれません。 (この詩を奴らに渡すな)

2021-01-19

コメントありがとうございます。 この作品にも確かに作者の嘘はありますが、木星に行ったことがないのは事実ですよ。でもたしかに最後の一行に焦りはあるのかもしれませんね。もう少しやりようがあった気がします。 (セックスしたことないよ)

2021-01-19

藤さんのご指摘を受けて感じたのは、「私が崇高だと感じていた宗教的行為としての労働は、思考停止のための反復運動なのではないか」ということでした。考えることも、声を上げることも、行動することもできる人間が、「祈り」と名付けた自己陶酔のなかでシステムに組み込まれていくことは、たしかに問題です。 今回の選評文に対して、他からも批判があったことは事実です。批判の本文の貼り付けは控えますが、私がその指摘を受けて理解した内容を端的に言えば「私はこの詩人と虚無の傷をなめあっているだけなのかもしれない」ということでした。 宗教的な思考停止は、時として迷える人間に対して安らぎを与えますが、それが人間としての尊厳を保証するものでないことを、私はよく考えずに羽田さんの詩を鑑賞していたと思います。羽田さんには大変失礼なことを申し上げていることになるのですが、それでも私は自分の視野狭窄を認めて、考えを改めなければならないと、そう思いました。 (この詩を奴らに渡すな)

2021-01-17

手探りながら選評を書きましたが、いかがだったでしょうか。お気に召しましたら幸いです。が、この選評文自体へのご批判も虚心坦懐に受けなければなりません。私も反省すべき点が多いです。つきましては、その弁明にあたって羽田さんを失望させるような言動もあるかもしれませんが、ご容赦ください。 (この詩を奴らに渡すな)

2021-01-17

コメントありがとうございます。 まあ確かに、私のコンプレックスを発露にした作品であることは間違いはないですね。私にコンプレックスを与えた世間が正しいかどうかは疑問だとは思いますが。 (セックスしたことないよ)

2021-01-14

第六連のような詩句を書き上げるために詩人は研鑽を積まなければならないなと思い知らされます。特に、 >機械の一部となった先の >作り上げられた製品よ 菩薩となれ >切り子よ 早く帰って来い >材料となったお前を 彫り上げる この四行の境地に至った詩人の、人生に対する姿勢には、驚嘆というか敬服というか畏怖というか、とにかく最上の敬意をもって迎えねばなりますまい。 「モダン・タイムス」への疑義として読み取れる「ナウ タイムス」という題名にも注目すべきで、機械の一部となって働くことに行者のような道を見出すその姿勢は、この混迷を極める「ナウ」において、一つの道しるべとなるものでしょう。 好きな作品です。ありがとうございます。 (ナウ タイムス)

2021-01-14

コメントありがとうございます。 素敵な詩、という言葉を頂き恐縮です。 子供のような純粋さのままでは生きづらく、また大人になろうとしてもいくつものハードルがあり、越えられないハードルの先では易々と越えていった者たちがこちらを指さして笑う…この詩はそんな悲しみを含んでいるとも言えますね。 問題提起どまりの詩だとは言えますが、葵さんが「感じることに偽りなく生きていきたい」と思える詩になっているとしたら、光栄なことです。 (セックスしたことないよ)

2021-01-14

コメントありがとうだ! 無機物に人の面影を見たり、友情を喧嘩や殴り合いで表現するのはベタっちゃベタだっかんね! でも思いついたらスルスル書けてしまって発表せずにはいられなかったかんね! そのおかげで読み込んでもらえるような詩になったとしたら嬉しいっかんね! 喧嘩のし忘れはある意味相手に踏み込めなかった事への後悔だっかんね! 前歯の痛みより心の痛みは後を引いて痛いっかんね! 今後もよろしうだっかんね! (喧嘩のし忘れ)

2021-01-14

コメントありがとうございます。 >私はこの「なんにもしたことない人」のことを「普通の人」なんだな、と思いました。 確かにこの詩を書いた当人は性自認男性、性的対象女性、生殖器男性、非性転換者のシスヘテロ男性ですので、ごく一般的に言われてしまう「性的マジョリティ」に当てはまってしまうとは思います。ですので、配慮の書けた表現はあると思いますが、そのどこまで行っても無神経さを捨てきれないシスヘテロ男性が、どこまで自身の男性性への疑義を行えるかという試みがこの詩だったので、まずは、夏村木さんがこの詩をご高覧くださり、コメントを頂けたという、その点において、感謝しなければなりません。 >この詩に書かれていることをしてない人ってたくさんいると思うんです。私もそうですから。なので最後のなんにもしたことないよは、だよねって、思っちゃいました。 >なんにもしたことない人はなんにもできない人だと勝手に思い込んでました。そこから人間には何もできない、非力で小さな存在だからこんなもん、との考えにいたりました。 「なんにもしたことない」ことにも、「なんにもできない」ことにも、引け目を感じなくなるような世の中になればいいなという気持ちも込めてこの詩を書いたので、その感想を抱いていただけたのは幸いです。が、もう一歩、読んだ人が前進できるような詩を書ければ、理想的なのだなと、夏村木さんのコメントを読んで感じました。励みになります。 >コメントを全て読み終わってから感じたことは、この詩って、女の人の視点からでも当てはまるし、小林さんが問題視している点は女の人同士、男の人同士の関係にも当てはまるのでは、です。 その問題視に気付いていただけたなら、この詩は大成功と言えます。ありがとうございます。ただ、コメント欄の解題を含めての解釈ではなく、詩単体でそうしたメッセージを伝えられるようにならなければならないなと思っております。反省しております。 >最後に、小林さんのキャラの落差にびっくりする!! 今後もよろしうだっかんね! (セックスしたことないよ)

2021-01-13

コメントありがとうございます。 >啓示というのは、それ以前の社会のメインストリームとしての業績と逆の業績です。啓示を受けるというのは、そういった俗世の流れから身を引く、反対の行為です。 >最終行の、なんにもしたことないよ、はそんなメインストリームでも、あるいは逆の啓示を受けること、そのどちらをも否定している、究極の何もしてない、です。 >個人的な論ですが、これで初めて、開放感ある何もしてない、にこの詩は至っているのだろうと思います。 >そう考えると、啓示とそれ以外の分量が偏っています。 ご指摘ありがとうございます。私は「啓示」という単語に対して無頓着でした。そこまでの情報量や文脈が「啓示」にあることを考えず、「啓示を受けるということは人の上に立つことなのだ」程度の考えで書いてしまいました。反省します。まさしく蒙を啓かれる思いがしました。 (セックスしたことないよ)

2021-01-13

コメントありがとうございます。 >「したことがないよ」=「本当は~したい」という願望、と自分には読めました。 それは十分にあると思います。この詩の語り手は明らかに、旧態依然とした男性性にとらわれた立場から「なんにもしたことないよ」と自身を評価しているわけで、その視点への疑義がこの詩のテーマであったわけです。その点が伝わっただけでも、私はとても嬉しく思います。 >木星うんぬんからの一行で攻めていく感じがもっと続いて、おまけにそれがもっとぶっ飛んでいると、「なんにもしたことがないよ」という最後が(ここは願望ではなく言葉どおりに受け止めましたが)、もっと悲痛で哀れで滑稽に聞こえるのかな、などと思いました。 攻めていく感じですか、なるほどですね。確かに第五連のイメージの広がりは、後々考えるともっと大きくすることができたかなと思います。慌てて出してしまいましたね。悪い癖です。気を付けます。 (セックスしたことないよ)

2021-01-13

解題を求めらる作品である時点でこの作品の程度は知れたものでしょう。 >てっきり無思慮に物語りをなぞるような生=性のあり方が空虚だと叩きつけるメッセージがあるのだろうと最初は感じたので 誤解を招いたのでしたこちらの過失です。 >鼻クソに託して軽蔑を描く方が、相手のプライドをへし折る具体性と軽さがあり効果的ではないか 第三者のプライドをへし折るのが目的ではなく、あくまで男性性への疑義なのですが、それを読み取れる作品に作りこめなかったという点で、こちらの過失です。 >節度なのかもしれませんがオトコ目線に終始していること。このような問題提起であれば、女(の子)の求めているのは何か、幸せか、あるいは。。。そういったところまで踏み込んで、愚直に問いの形で表現するのもメッセージのヒダが伝わるのでは、とも考えました。 節度というか、当事者性の問題だと思ったもので。すでに女性は女性側から何度も男性性に疑義を唱えてきたわけで、シスヘテロ男性である私は、シスヘテロ男性としての疑義を今回この詩で唱えたので、ここで女性視点での疑義を織り込むことは軸がぶれるかなと思ったのですが、メッセージ性が減衰するということであれば、こちらの過失です。 (セックスしたことないよ)

2021-01-13

洗濯物とコーヒーカップからの声を聴くことができるこの詩の語り手は、多分、とても心の優しい人なんだと思います。そうでなければ、洗濯物を取り込まず、コーヒーカップを洗わない、自身の至らなさを省察したり、そうした省察を洗濯物やコーヒーカップの声として意識できないでしょうから。 >夜が真っ白な――悲しい――光に追い出され >朝が来る >そうあるべきだから この詩の語り手の「祈り」に反するのでしょうか、「――悲しい――」と形容された「朝」は、「そうあるべき」形でやってきて、詩の語り手を「夜」とともにこの世界から追い出していくようにも見られますね。そういう、「詩の語り手が自分自身を『そうあるべきでない人』だと思っている」感じの孤独が、この冬の寒さとともに、身に染むように感じられました。 (洗濯物曰く、コーヒーカップ曰く)

2021-01-11

コメントありがとうございます。 おっしゃる通り「世間一般の男らしさへの否定」「セックス経験を誇らしげに掲げることへの疑問」はこの詩に込めたメッセージの一つでもあるので、その部分を読み取っていただけたことは光栄です。展開面も評価いただけたことは励みになります。 改めて、ありがとうございます。 (セックスしたことないよ)

2021-01-11

宥樹さんに伺いたいのですが、私の解題をご覧くださった結果、「強く否定すべきと考えた最後の一行」に関して、どのようなお考えに至ったのでしょうか? 作品内での効果を評価いただけたのでしょうか、それともやはり「最後の一行」は「強く否定すべき」なのでしょうか? (セックスしたことないよ)

2021-01-11

藤さん、長文の件、お気になさらず。読み手同士の議論が活発に行える機能を備えているのがビーレビの特色だと思っておりますので。 (セックスしたことないよ)

2021-01-11

コメントありがとうだ! 本当のところあんまり書いたことのない作風だっかんね! インパクトと情景が描けているとしたら嬉しいっかんね! 今後もよろしうだっかんね! (喧嘩のし忘れ)

2021-01-10

作品へのコメントありがとうございます。 思想が作品に昇華されていないのは事実なのでしょう。解題を求められる作品であったということは十全に相手にメッセージが伝わらない作品であることの証左なのだと思います。自分のなかでのメッセージの確立に満足してしまって、詩そのものへのメッセージの落とし込み、作品的・技巧的追究を怠ってしまったのかもしれません。そのメッセージ自体も人によっては反論があるでしょうし、言うなればこの作品は企画倒れというところなのでしょう。 否定形が問題提起する力が弱いという視点には気づいていなかったので、ご指摘いただきまして、ありがとうございます。 改めて、詩を書くということについて、考えてみようと思います。 (セックスしたことないよ)

2021-01-10

コメントありがとうございます。 ミクロからマクロへの視点の拡大は意識して書いていました。その意図が伝わっているとしたら嬉しいです。 話者がモラリスティックかどうか、という点ですが、明らかなのは、話者もやはり旧来の性役割のヒエラルキーにとらわれていることでしょう。そうでなければ、こうした問題に拘泥することもないのですから。 啓示については、純粋に「人類の未達の目標」という意味で書いただけだったのですが、そこからstereotype2085さんの読みが広がっていったのだとしたら、嬉しい誤算でした。 (セックスしたことないよ)

2021-01-10

大変申し訳ございません。私の落ち度であり、判断ミスです。 当初、こちらの作品への解題を宥樹さんに求められたのはツイッター上でした。私はその際、ほかの話題にも触れるツイッター上でビーレビの作品の解題を行うことは適切ではないと判断し、こちらのコメント欄で解題を行うことを宥樹さんに提案し、改めて宥樹さんに解題を求める旨を書いていただきたいとお願いし、そのうえで上記の解題を投稿しました。 皆様の作品の鑑賞の妨げになってしまう可能性を考慮せず、解題をコメント欄に投稿してしまったことは軽率でした。 誠に申し訳ございませんでした。 (セックスしたことないよ)

2021-01-10

 ここに、「セックスしたことないよ」の解題を述していきたいと思いますが、まず初めにお断りしておきたいのが、この詩が旧来の「女/男」の大分類によって語られた詩であることです。現状、LGBTQをはじめとした様々なジェンダーが存在する中で、旧来のシスヘテロの女/男の二項対立によって書かれていることは、時代遅れな作品かもしれませんが、私はシスヘテロ男性として、この女/男の二項対立が未だに解決されていないことが気がかりなうえでこの詩を書いたことを、皆様にお伝えしておきたいと思います。  さて、この詩を解題するうえでの大きなテーマは「男性の性体験マウンティング問題とそれに巻き込まれる女性」ということです。現代において男性は童貞の卒業というものを大きな課題として背負っており、卒業できたか否かによって、男性としての魅力を格付けされ、男同士のマウンティングの材料となり、またときに、女性からの性的魅力の判断材料とされます。しかし、この「童貞卒業」とはいかなるものなのでしょうか? 「女の膣に男のペニスを挿入することが童貞の卒業だ」とするなら、あらゆる「膣へのペニスの挿入」は、等しく「卒業」として、誇るべきものになるのでしょうか?  「膣へのペニスの挿入」には、性風俗業の女性への金銭を伴った挿入から、男性側からの暴力を伴った強姦まで、様々です。そういった「膣へのペニスの挿入」の内容を精査せず等しく価値あるものとして認めることは、男性側の傲慢だと言えないでしょうか? その上、考えて頂きたいのは、男性同士が「膣へのペニスの挿入」の内容を競い合っているという事です。「素人童貞」という言葉があります。これは性風俗業の女性としか性交渉の経験がない男性への、いわば蔑称ですが、この単語が蔑称として運用されているということは、男性同士での「膣へのペニスの挿入」そのものが格付けされていることに他なりません。それ以前に、性交渉した女性の人数を競い合ったり、どれだけ過激なプレイをしたかを自慢し合ったり、あらゆる形で男性側の「性体験マウンティング」は行われています。  その一方で、女性側のことを、男性は「性体験マウンティング」の過程の中で、真剣に考えたことがあるでしょうか? そもそも、女性側は男性の性体験マウンティングの道具にされることを、喜んでいるのでしょうか? また女性側も、男性の性体験マウンティングの価値観を無自覚に導入して、女性側のなかで性体験マウンティングを行ってしまっていないでしょうか?  そんな疑問に突き当たった結果、私は、男性が性体験マウンティングを行っている以上、「膣へのペニスの挿入」という事象そのものに、女性は付き合わされているだけなのではないかという疑念に至りました。つまり、男性のマウンティングの材料になっている「膣へのペニスの挿入」に巻き込まれた女性にとっては、どんな挿入も、男性を価値づけるセックスに値しない――「なんにもしたことない」のと同じであるのではないか、という疑義の提示なのです。女性が男性をパートナーとして選ぶ際に重要なのは「膣へのペニスの挿入」だけではないはずだ、という――ある種これも私の女性への幻想なのかもしれませんが――ことの事実確認の詩だと言えます。  さて、前置きが長くなりましたが、本文に入っていきたいと思います。 >セックスしたことないよ >デートしたことないよ >告白したことないよ >ナンパしたことないよ >車運転したことないよ >プレゼントしたことないよ >ホテル予約したことないよ >風俗行ったことないよ  第一連はまさしく現代の童貞の描写なわけですが、ここには様々なマウンティングの要素が含まれています。あらゆる経験値の無さを際立たせることで、童貞の社会的な地位の低さを提示しています。 >繁華街の駅で抱き合いながら >別れを惜しんだことないよ >遅い朝に狭いキッチンで >ブランチ作りあったことないよ >喧嘩した後 仲直りして >前より盛り上がったことないよ  第二連はパートナーのいる男女を描写することによって、男女関係に対するイメージを提示し、第一連の童貞との格差を引き立てます。 >帰りが遅いと問い詰められて >逆ギレして手を上げたことないよ >マッチング専用スマホ作って >何股もかけたことないよ >秘密にするよと撮影しといて >ネットにアップしたことないよ  第三連から、いよいよ男性側の女性に対するエゴを描いていきます。 >タイムマシンで >あの子に会いにいって >継父からレイプされるのを >助けたことないよ >リストカットの生配信を >思いとどまらせたことないよ >クラスの男子に輪姦されるのを >止めに入ったことないよ  続く第四連では「男性がセックスでは成し得ない女性の救済」を、ある種、極端な形で描いています。 >ツイッターで言論を展開して >書籍を出版したことないよ >ベンチャーを起業して >上場したことないよ >貧困家庭の子供たちに >支援したことないよ >水や食料や雇用の問題を >解決する発明したことないよ >長年に渡る宗教対立を >和解させたことないよ >木星に行ったことないよ >啓示を受けたことないよ  第五連描かれるのは、セックス以外での様々な社会的地位の確率の方法です。第五連の最後の二行では、未だに人間が達成したとは思われないことも描かれています。  そして、最後の >なんにもしたことないよ によって、それまでの性的優位性/社会的地位の提示が、すべて無に帰します。そうです。セックスしたことあるかどうかも、世界を救ったかどうかも、すべての優位性の競争が、同じ地平に降り立ち、無化し、意味をなさなくなるのです。  言い換えれば、セックスしたこと有ろうと無かろうと、世界を救ったかどうかも、女性にとっては男性を評価する基準ではない、ということの描写なのです。だから「なんにもしたことないよ」は「人間の価値を決める物なんてセックスではないよ」となるのです。  では人間の価値を決める物は何なのか? という疑問に対する回答は、この詩では用意しておりません。無責任とは思いますが、あくまで問題提起にとどめた詩になっております。 以上を持ちまして「セックスしたことないよ」の一旦の解題とさせていただきます。 (セックスしたことないよ)

2021-01-10

この詩、私、大好きですね。 有史以来の日本人が暇であることの気づきはもしかすると誰しもが思いつくかもしれませんが、 >逆に >永遠を傾けるに足る一瞬は >それでもどこかにありはしないか この部分に、人類への希望を捨てずに信じたいと思っている、詩の語り手の真摯な姿が見て取れる気がしました。 (〈妻に〉)

2021-01-09

コメントありがとうだ! 堕落論のようだと言ってもらえて嬉しいっかんね! 上茶谷! 梅津! 甲斐野! 東洋三羽カラス! 個人的な問題から世間/世界へ開いていく感覚を味わってもらいたかったかんね! 面白いって言ってもらえて小躍りだっかんね! 今後もよろしうだっかんね! (セックスしたことないよ)

2021-01-08

コメントありがとうだ! これは真面目な問題提起の詩だっかんね! そして今夜はカルボナーラだったかんね! 美味しかったかんね! 今後もよろしうだっかんね! (セックスしたことないよ)

2021-01-08

コメントありがとうだ! 錚々たる青年少年マンガを例に挙げてもらって嬉しいっかんね! でも手癖でブロマンス書くとワアシの場合こうなっかんね! 少しインパクトに欠けっかんね! 今後もよろしうだっかんね! (喧嘩のし忘れ)

2021-01-08

コメントありがとうだ! あいや、地政学的優位性を無自覚に書いてしまったかんね! 東京を調子に乗らせるつもりなかっかんね! だーが地方出身者の方言による場所性に密着した言語をもたない人間には東京を描くのが一番身体性とシンクロした詩の言葉になっかんね! 今後もよろしうだっかんね! (トーキョーアレルギー)

2021-01-08

本文の、極限まで言葉を絞り込んだ写生の試みは、すがすがしく、読ませたい情景に読み手を集中させる目論見が成功しているとは思いましたが、それだけに、題名が説明しすぎかな、と思いました。 (私と祖父の冬の情景)

2021-01-08

>早くしないと私は >種になってしまうのに この最後の二行に向かって進むこの詩は、描写は不気味でありながらも、どこか静謐ですね。蔓を伸ばすには籠で守られる必要があるということなのでしょうか。この詩の語り手は「もう一度すべてをつかみたい」と語っていることから、一度はすべてをつかんで、その結果、籠の必要性に気付いたということなのでしょう。種になってしまうことの焦りは、蔓であるためには籠がどうしても必要であるということを示しているものだと考えらえれますが、その「全能感を手に入れるための情熱」が、静かに、かつ確実に存在する詩だなと思いました。 (籠の私)

2021-01-08

他の方もコメントされてますが、後半に進むにしたがって、詩人の個性が引き立っていく感じがありますね。 個人的には、第四連、第五連のノリで第一~三連も書けると、もっと面白くなるかもと思いました。でも第三連の、 >まだ夢を見たいと羊は言う >もうたくさんだと僕は言う >残り時間を数えながら >まどろみに幸せを感じている は第四連、第五連とは印象は異なりますが、私は好きです。うーん難しいな。とにかく第一連、第二連がもったいない、それ以降の連のエッセンスを生かして全体を描けるといいんではないかなと思いました。 (恋文)

2021-01-08

この作者はすごいですね。目の前の現実から逃げていないような気がします。もちろんフィクションなんでしょうが、なんというのか、人間の醜悪さから逃げず、じっと観察し続けているその集中力と情熱というか。 文章力は文句なしでしょう。よどみなく情報が入ってきて、作者の伝えたいことが十全と伝わってくる感覚。ああ、これが文章のお手本だよな、という気がします。 でも、B-REVIEWに投稿するにはもったいないかなと思いました。この筆致でこのテーマが書けるなら、カクヨムなんかに投稿したらあっという間にエッセイの日間ランキングを駆け上れる気がする。 B-REVIEWのような詩・クリエイティブライティングの投稿サイトには似つかわしくない、文章の確固たる強度がある。それはもう一方で、抒情というか、飛躍感というか、そういう「詩情」はないということかな、と。 だから、この作品の作者をあえて私は詩人とは呼ばない。この作品の作者はもう立派な作家だ、と思います。 (大人になるまえに)

2021-01-07

>イーハトーヴを後にし >銀河列車にも乗らず >黙想を選んだ祖父 この部分、勝負に出たな、そしてこの詩人は見事勝利したな、と思いました。宮沢賢治のイメージを詩の中に引っ張ってくるのって博打ですよね、下手にやると賢治の世界に飲み込まれてしまう。でも「黙想を選んだ祖父」という一行でその呪縛を振り払うことができている、と思います。この三行が見事に決まって前後の世界観をリフトアップさせていると思いました。 (祖父の痕跡)

2021-01-07

詩の文章が、頭の中で展開されている文章なのか、それとも実際に記録媒体に書かれつつある文章なのか、という問題があると思うのですが、この詩においては後者であり、しかも記録媒体がスマホなのかなという印象を受けました。そういう点で、この詩の文章は、詩の語り手、というか、書き手が、移動しながら、どこかに向かいながら、リアルタイムで自分の心身に起こっている状況の変化を書き記しているものなのかなと察せられました。その文章のリアリティというのが、この詩においては好感が持てました。 (歌)

2021-01-07

詩単体としてみるなら、おしゃれな語彙の詩だなと思いましたが、「distance」というタイトルをこのタイミングでつけることは、どうしてもソーシャルディスタンスとの関連性で読まれてしまうと思うのですが、この詩においてもその文脈で読み解いていいのかどうか、少し悩みました。ソーシャルディスタンスと絡めて読むのなら、少し物足りないかなとも思いますし、関連がないとするなら、ソーシャルディスタンスの文脈をはねのけるだけのインパクトはないかもしれないと思いました。 (distance)

2021-01-07

私はこの詩、好きですね。 「日めくりカレンダーが透明になると」とありますが、12月31日から元旦の間の描写なのでしょうか、多分、冬の詩なのだと思いますが、その冷たく冴えた空気感が伝わってくる詩だなと思いました。 (ポラリスのかげ)

2021-01-07

「個人」として「世間」を見つめながら、透けて見える「世界」をにらみつけている語り手、そんな印象を覚えました。しかし「セカイ系」と一言で切って捨てることのできない哀惜のようなものが感じられます。語り手の精神性は少年的ですが、その視点は実に詩的で、「世間」もしくは「世界」を「風車」としてとらえて、語り手自身も、止まっている「風車」とともに「このまま止まっている方がいいのか」、「回った方がいいのか」を逡巡している、その姿が印象的だと思います。 (風車が回らない日に)

2021-01-03

上品な小品とでも呼べましょうか、非常にこなれた抒情詩だと思います。 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」へのオマージュだと分かりやすく、またその世界観を壊さず、線路上(延長線上、というよりもこちらがふさわしいでしょう)に作られた令和の「銀河鉄道」の駅のようにも思われました。 「目を閉じて」からの第二連、「目を開けて」からの第四連の対比も非常に効果的で、心象風景と実際の風景を重ね合わせようとする詩人の感性を簡潔に表現していて好感が持てます。 ただ、最後の行に「カムパネルラ」を持ってくると、作者の個性より、宮沢賢治の作家性に詩そのものが大きく引っ張られてしまう印象は受けました。 (つめたい夜の底で)

2021-01-03

度々の返信ありがとうございます。 「消えってた」は意図されたものだったのですね。そう考えると不思議なリズム感がより増してくるような感覚がします。 改めて、素敵な抒情詩であることを再確認しました。 (淡雪)

2021-01-03

勢い・展開★ 飛躍・行間★★ 視点・知性★★ スケール間★ 補遺を最後に読んで「もったいない、この補遺を膨らませれば素敵な抒情詩になっただろうに」と思うのは安直な考えなのだろうか、と思いました。補遺の抒情的心象に対して、その根源的な詩情の発露である生活の卑俗さを描くことがこの詩の意図なのかなと受け止めました。それでも、補遺の前の詩文がそれに成功しているとは思えませんでしたが。 ただ、試みとしては面白いと思いました。卑俗な生活を詩情へ上昇させるその過程を包み隠さず見せる詩という点では、着想として評価すべきだと思います。 (下手くそが書くバラッド)

2021-01-03

ご批評いただきましてありがとうございます。 批評文にオノマトペを用いる勇気に感嘆し、それが最適解だと思える文章になっているのはすごいなと思いました。 まあ貴方なら当たり前なんだけどね。 (これもう東京でいいんじゃないかな?)

2021-01-02

コメントありがとうございまーす! むむむ…「理性をとりもどしてふりかえるような余裕をもたせなければ」…実は空白を詰めたり文章を行ごとに分けて混合させようとも思ったけど可読性が落ちると思ってやめていたんだ…たしかに沙一さんの言うように衝迫感を出すならそうすべきだったんだ…もっと読者を信じてもよかったかもしれないんだ…。 でも「街ゆく人の意識が心に直接ながれこんでくる(と思っている)繊細な感受性をもった主体」という評価がもらえたのは嬉しいんだ! 表現したかったのはまさにそういう主体の感受性の不安定さだったんだ! ありがとうなんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (トーキョーアレルギー)

2021-01-02

コメントありがとうございまーす! むむむ…「理性をとりもどしてふりかえるような余裕をもたせなければ」…実は空白を詰めたり文章を行ごとに分けて混合させようとも思ったけど可読性が落ちると思ってやめていたんだ…たしかに沙一さんの言うように衝迫感を出すならそうすべきだったんだ…もっと読者を信じてもよかったかもしれないんだ…。 でも「街ゆく人の意識が心に直接ながれこんでくる(と思っている)繊細な感受性をもった主体」という評価がもらえたのは嬉しいんだ! 表現したかったのはまさにそういう主体の感受性の不安定さだったんだ! ありがとうなんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (トーキョーアレルギー)

2021-01-02

散文詩の鑑賞はあまり得意ではないのですが、こちらの作品はするっと入ってきて読めました。私が過ごしてきた時間と空間がひょっとするとこの詩の詩人と近い可能性があるからかもしれませんね。 (In The Night )

2021-01-02

コメントありがとうございまーす! リアリティがあって好きと言ってもらえてとても嬉しいんだ! コミュ障の日本人店員の後ろからコミュ強の外国人店員がヘルプに来る光景はコロナが落ち着いたら東京だけでなく今後日本各地で見られると思うんだ! 演劇の聖地下北沢は最近行ってないのだけど多くの人間が交尾で受精を試みている現状ではそんなに変わらないだろうと思って書いたんだ! 今後も一定のサイクルでクリロナの筋肉ばりにキレキレの詩を書きたいと思うんだ! シックスパッド! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ!  (トーキョーアレルギー)

2021-01-02

螢草さんへ 返信ありがとうございます。意図していたものなのですね、失礼いたしました。 重ねて伺いますが、この「消えってた」は「消えてった」とは異なる意味を持っているのでしょうか(例えば方言的な用法があってニュアンスの違いがある、というような…)? それとも、「消えてった」と意味は変わらず単純に音韻的な狙いをもって書かれているということなのでしょうか? (淡雪)

2021-01-02

素敵な抒情詩ですね。淡雪と、詩の語り手である「私」との対比を軸に、儚くも清廉と消えていく淡雪への憧憬をリズミカルに描き切っていると思いました。「ぽたらららんるぅ」というオノマトペも効果的だと思います。 ところで気になったのですが、第三連、第六連の「消えってた」は、「消えてった」の誤植ではなく意図的なものですか? (淡雪)

2021-01-02

コメントありがとうございまーす! 生きることは基本つらいけど時々いいことがあるんだ! 福まるさんのその涙がいいことがあった時の涙だったとしたらその巡り会わせを引き寄せた詩を書けてとても嬉しいんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (トーキョーアレルギー)

2021-01-02

コメントありがとうございまーす! 東京は鏡なんだ! 目の前の光景を変えていこうと思えば変えられるんだ! でも真実をそのまま映すものだから時々目を覆いたくなるときもあるし向こう側に触れようと思っても触れられないことがままあるんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (トーキョーアレルギー)

2021-01-02

勢い・展開★★★ 飛躍・行間★★★★ 視点・知性★★★ スケール感★★★★★ キャッチボールの球から地球レベルのスケールに視点が広がっていく高揚感が素晴らしいと思います。 >多分どの視界にも入ってるこのボール >これにぜんぶが流れ込んでる >ここから何かが溢れ出してる この連に前半からの流れが凝縮されて後半に爆発していく飛躍感がとても宇宙的です。人間が世界の創造に思いを馳せてきた歴史を、改めてこの詩の語り手は、自分の知りうる知識の中で、自分の言葉でなぞりなおしている。その言葉の素朴さと、世界を見つめる視点の透明さが、絶妙なバランスで描かれている作品だと思いました。 (ボウル ・ ボウル ・ ボウル)

2021-01-01

ありがとうなんだ! (トーキョーアレルギー)

2021-01-01

コメントありがとうございまーす! 異なる主体の並列で群像的イメージを醸し出そうと思ったから面白いと思ってもらえるととてもうれしいんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (トーキョーアレルギー)

2021-01-01

コメントありがとうございまーす! 素敵?! うれしいんだ! 新しい年にピッタリ?! それはどうなのか分からないんだ?! 新しい年にピッタリなのは月間大賞を獲った詩だと思うからそれはさすがに気が早いと思うんだ! でも賛辞をくれた宵月さんにはサンキュ。なんだ! タイトルと内容のつながりはこれぐらいゆるーく辛うじてつながってるぐらいが詩情の醸し出し具合なのかなーとかモヤモヤウンヌン悩みながら調整したからカッコよく繋がっていると言われるととても嬉しいんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (トーキョーアレルギー)

2021-01-01

コメントありがとうございまーす! 流ちょうな言葉と言ってもらえてうれしいんだ! けんかの話だけど当事者間の交流は愛にも似た友情で、でも一歩深く踏み込むことが出来なくて離れ離れになってしまった二人の片一方の視点で描かれた詩なんだ! 「よー、お前のパンチ、すごかったぜー」と青春マンガのようにできるくらい素直になれたならよかったけど出来なかった語り手たちのみっともない後悔の詩なんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (喧嘩のし忘れ)

2021-01-01

コメントありがとうございまーす! 流ちょうな言葉と言ってもらえてうれしいんだ! けんかの話だけど当事者間の交流は愛にも似た友情で、でも一歩深く踏み込むことが出来なくて離れ離れになってしまった二人の片一方の視点で描かれた詩なんだ! 「よー、お前のパンチ、すごかったぜー」と青春マンガのようにできるくらい素直になれたならよかったけど出来なかった語り手たちのみっともない後悔の詩なんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (喧嘩のし忘れ)

2021-01-01

勢い・展開★★ 飛躍・行間★★★ 視点・知性★ スケール感★★ 「ことば」という言葉に注視してそれを転がして展開していく姿勢は面白い着想だと思います。これだけで行間から感じ取れるものが多様になるなとはっとさせられました。ここにもう少し緩急というか、違った視点を織り交ぜるとより全体の行間が引き立つように思われましたが、それはかなりギャンブルでしょうかね。面白い作品だと思います。 (ことば)

2021-01-01

勢い・展開★ 飛躍・行間★★ 視点・知性★ スケール感★★★ 「でさ」「たの」「たね」などの冗語率が高さが親しみやすさと音韻を醸し出していますね。もう少し分量を増やして音韻の展開を膨らませてもよかったのかなとも思いました。 (かなしくてさ)

2021-01-01

勢い・展開★★ 飛躍・行間★ 視点・知性★★★ スケール感★★★★ 広漠としたスケール感で時間と人間と自分自身を見つめる視点がいいですね。白色矮星のイメージに凝縮する感覚がコンパクトにまとまっているのも印象的でした。 (                  しゅくたいするげんしのすーぷ)

2021-01-01

第二連の >子供の頃のわたしがいつも >泣いてばかりいたからなんです までの導入と、そこからの展開がとても素敵ですね。ただ、気のせいかもしれませんが第三連の調子がすこし七五調に寄ってしまっているのが、逆に興ざめを誘うような気がしました。第一連、第二連までの音調が構成できる作者であれば、第三連も自分を信じて自身の音調で詠じても良かったのではないかな、などと思いました。 (わたし)

2020-12-29

ありがとうなんだ! (あんた猫なのかい)

2020-12-27

コメントありがとうございまーす! 詩の語り手と〈あんた〉の彼我の差は表裏一体なんだ! ともすると〈あんた〉を糾弾する詩の語り手も同じ価値観から出発してそこから反発しているだけかもしれないんだ! でも人間は科学と哲学を発明したのだから「獣に帰る」ことより「人間として進む」ことを選ぶべきだと思ったんだ! この詩は野生を言い訳にする男性性を指摘しているけれどその作者自身もシスヘテロ男性なので当事者問題としてのフェミニズムには到達しきれていないんだ! だから言い換えれば「フェミニズムへの憧憬」でもあるんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (あんた猫なのかい)

2020-12-27

コメントありがとうございまーす! 皮肉や切れ味……自分ではストライクゾーンに変化球も投げているつもりだけど曲がりが甘くてフォアボールだったみたいなんだ……エモーショナルさが欠けていると言われると耳が痛いんだ……手癖で書いている感があるのを見抜かれているんだ……文脈で相応しくない言葉だと思って強い言葉を入れられない自分があることを改めて突き付けられたんだ……。 でもとても勉強になったんだ! ありがとうなんだ! これからも応援ヨ・ロ・シ・クなんだ! (あんた猫なのかい)

2020-12-27

コメントありがとうございまーす! ひどいんだ……肉薄しきれてないなんて言われたらやっぱり傷つくんだ……でもそれは読者の真実だから謙虚に受け止めるんだ……。やっぱり自分の経験や生活から切り離された付け焼刃の知識で書いた詩はバレてしまうんだ! アーチを描けーゴーバレンティーンなんだ! ぼくは頭がわりいのでやっぱり残念な人物の側にシンパシーを感じてしまうんだ! だから本能のままに生きている強いオスの人間の理論武装を喝破してやりたいと思ったんだ! でも……沙一さんには伝わらなかったんだ……残念なんだ……。 でも、これからも詩は書き続けるんだ! 応援ヨ・ロ・シ・クなんだ! (あんた猫なのかい)

2020-12-24

コメントありがとうございまーす! ひどいんだ……肉薄しきれてないなんて言われたらやっぱり傷つくんだ……でもそれは読者の真実だから謙虚に受け止めるんだ……。やっぱり自分の経験や生活から切り離された付け焼刃の知識で書いた詩はバレてしまうんだ! アーチを描けーゴーバレンティーンなんだ! ぼくは頭がわりいのでやっぱり残念な人物の側にシンパシーを感じてしまうんだ! だから本能のままに生きている強いオスの人間の理論武装を喝破してやりたいと思ったんだ! でも……沙一さんには伝わらなかったんだ……残念なんだ……。 でも、これからも詩は書き続けるんだ! 応援ヨ・ロ・シ・クなんだ! (あんた猫なのかい)

2020-12-24

コメントありがとうございまーす! 人間様っていうよりオス様だよね! ジェンダーロールプレイングゲームの決定版ファイナルファンタジーセックスなんだ! 空白は初稿では二行あったけど削っちゃったんだ……セオリーに素直になりすぎちゃったんだ! 一連かワンフレーズ入れる心の余裕もなかったんだ! 自己顕示欲に急かされちゃったんだ! 「あんたは人間」であることの明示の是非は難しいけどこの詩はオスのエゴに対する恫喝とも言い換えられるのでミスリードさせる勇気が無かったんだ! ゴメンネなんだ! 生き物の選択とパンチラインを褒めてくれて本当にうれしいんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (あんた猫なのかい)

2020-12-24

コメントありがとうございまーす! ABさんの心に沁みてくれてハッピー&ラッキーなんだ! 所詮ボクの詩の言葉なんて人のカリパク! コピー&ペーストでBeatBeatBeat! ノリノリになれればいいんだ! 音韻のリフレインとインパクトだけ気にして書いた結果の作品なんだ! これからもヨ・ロ・シ・クなんだ! (あんた猫なのかい)

2020-12-24

拝読いたしました。 この詩の作者にはどうひっくり返っても勝てないのだなと痛感します。ネット詩人たち一般に苛立ちを感じながらも、作者自身がそのネット詩人の一人であるということから脱却できない苛立ちを抱えているのが作品からうかがえます。そんな作者に私は共感を覚えながら、こうして作者から提出された作品と同じクオリティの作品を、書けるかと言えば恐らく無理なんだろうと思います。それが悔しい。正直に嫉妬する。人生の経験値と勉強量が違うのだなと痛感させられます。しかも散文詩でこれだけの韻律が描けるのだから羨ましい。自分はまだまだ散文詩を書く勇気がありません。卑猥な単語を使っても安直な印象を与えずにこれだけ読ませる力があるのは作者自身の人生の経験値からくる真実味なのだろうと察せられます。 自分語り失礼しました。 (残念ながら はっぴー)

2020-12-20

コメントありがとうございます。 おしい、ですか…そのおしい感じがこの詩の持ち味なのだとしたら、この詩の妙味を改めて言語化頂けたような気がします。書いては破りを繰り返す癖は直していきたいです。そしておっしゃる通り横浜です。 (あいつはジャイアンツにいったよ)

2020-12-20

コメントありがとうございます。 自分語りの詩になってしまったかもしれないと不安だったのですが、ご評価いただけたようで、少しほっとしています。 語の繰り返しや、指示語やカタカナの使い方も含め、「ジャイアンツ」という言葉をどれだけ普遍的・抽象的なレベルに持ち上げられるか、それによって「僕」の応援している「あいつ」への思いを普遍化できるか、ということに気をつけながら書いたつもりです。それが一定の効果を得ているとするならば、ひるがえってジャイアンツという存在はやはりそれを受け止めるほどの大きさがあるのかもしれません。悔しいですが球界の盟主という事なのでしょう。 皮膚感覚ということに関しては、あまり自覚的に書いたわけではないのですが、夢と現実の一致ということを意識して件の四行は書きました。結果的に詩情として成功しているようなので良かったです。しかし、もうすこし作品の隅々まで自覚的に意識した詩を書かなければならないなと思いました。 (あいつはジャイアンツにいったよ)

2020-12-19

私は遠くから自分の肉体に届くものに浪漫を感じるのですが、この詩にはその妙味が詰まっている感じがします (てぃん とぅん てん とぅん)

2020-12-14

度々のコメントありがとうございます。こちらの返信が言葉足らずだったようで、申し訳ございません。 >様々の中に、僕の感想は予想されていましたか? >この作品に対して、僕が想った情景は、小林さんの作詩の情景の中で、既に予測済みで有りましたか? 実を申し上げれば、かなり予想外なご感想だったもので、こちらの返信が遅滞してしまったのは事実です。 また、その予想外なご感想に対し、こちらの返信内容も拙いものになってしまったことも認めざるを得ません。 そして、Yoshiさんのご感想に対して、私はまだ、ご満足いただけるような返事を書くだけの技量も精神性もなく、今回のことを恥ずべきことだと思っております。 大変申し訳ございません。 (果実)

2020-05-25

コメントありがとうございます。一つの果実から様々なものを受け取ってくださったようで、嬉しいです。 (果実)

2020-05-24

コメントありがとうございます。次世代の詩、というものが、詩である必要があるのか、という議論が盛んな昨今ですが、それでも私は次世代の詩を模索していきたいと思っております。 (都市の新月)

2020-05-19

コメントありがとうございます。電気自動車が死角から現れる恐怖感を表現したいと思いました。「帰ってこれないじゃないか」の一行を好いて頂けて光栄です。 (都市の新月)

2020-05-17

コメントありがとうございます。都市は電気に溢れていますから、その静寂の存在感を夜を舞台に表現したいと思いました。 (都市の新月)

2020-05-17

コメントありがとうございます。 >なんか声明文みたいな感じかも。 その側面は強いと思います。 >言葉を発するということは決断だよね。 >その選択するということは、賭けににている。 >その決断に言葉がつられて、己がつられていくことがある。 難しい決断、選択と賭けですが、それを乗り越えて、決断に導かれる先にあるものを目指すのも己の詩作だと思っております。 >心のままに書いたあと、それはもうなにか私ではない物になって、自分にむしろ問いかけてくるところがある。 そういうこともままあります。客観的に自作を見られるようになったときは、また自分の詩作が成長出来るときなのかな、などと思います。 >言葉はその点素晴らしいよ。みんなでテーブルを囲めるもんね。 ビーレビというみんなでテーブルを囲める環境に感謝したいと思います。 (正しい言葉)

2020-05-12

コメントありがとうございます。 私は仏教には詳しくないのですが、確かにこの詩はエゴを描いた詩ではあります。エゴに罪悪感を持ちながらも、そのエゴの言葉がこの詩の語り手の原動力になっているという二律背反を描きたかったのです。 羽田さんの読み解きは鋭いなと思いました。 改めて、コメントありがとうございます。 (正しい言葉)

2020-05-10

コメントありがとうございます。気合が入ったということで、嬉しい限りです。 この詩は「書き手と読み手の双方で完成させる詩」なので、勘違いの解釈というのはほとんどないと思います。書いた当人も、自由な解釈が許されている作品だと思っているので。まあ、解釈の自由はあるとはいえ、何かに利用されるようなことがあれば話は別ですが。 ともかくも、みつきさんが気合が入ったという事でしたら、この詩を書いた甲斐があります。こちらこそ、ありがとうございました。 (果実)

2020-05-10

コメントありがとうございます。面白い作品という言葉を頂き光栄です。 >果実っていうのは物の総体が持っている以上のなにか過剰な部分を意味していると思いました。 面白い解釈だと思います。人間は生物として以上に過剰な部分を持って社会を構成しているのかもしれませんね。そうなると旧約聖書の知恵の実の話もなんだか「過剰なもの」として知恵を捉えているようにも思えてきますね。 >なぜ嫌だったかを言わず、どう嫌だったかを述べる、その話し方が巧みだったので最後まで読めたんだと思いますが、そういうやりかたもあるのかと ある部分では「果実」の正体を述べずに語り終えるのは卑怯なやり方かもしれませんが、この詩は「書き手と読み手の双方で完成させる詩」という形式をとっているということでご容赦ください。 改めて、丁寧な解釈のコメント、ありがとうございます。 (果実)

2020-05-10

コメントありがとうございます。楽しく読んで頂けたようで光栄です。また詳しく解釈をしていただき誠にありがとうございます。 >あえて一点、「かよわき者」、「(学ぶ機会を)「奪われた」」、「酷薄な貴族」という表現について。これらは作者の声明を八連目でより強めて発信する為の材料になり得る言葉と思います。しかしこういった言葉が、いわゆる〈排除排斥される方々本人から果たして本当に出て来た言葉であるのか〉という点については、再考することで得られる学びがあるのかなと自省をしつつ考えています。 その視点は私に欠けていたので勉強になります。たしかに〈排斥される当事者の言葉〉とはどういったものか具体的に知らずに書いていた部分はあります。反省するとともに、後学の励みにさせていただきたく存じます。 改めて、コメントありがとうございます。 (正しい言葉)

2020-05-10

コメントありがとうございます。 >非常にすっ、と喉ごしはいい言葉、に異論はないのですが、最後、口当たりが寂しいですね。強調してもいいかなと思います。 この言葉がこの作品に対する評であれば、以後気持ちを新たに精進研鑽致します。「正しい言葉」たちに対する評であれば、「私の言葉は正しくなくていい」というお言葉を励みに、頑張っていきたいと思います。 (正しい言葉)

2020-05-09

拝読いたしました。 このまま松島の観光ポスターのボディコピーにしても良さそうな雰囲気のある文章ですね。 松島の情景と人々をよく観察して描写している、好感の持てる作品だと思います。 >神様のボードゲームみたいなその島々 この一行が素晴らしいと思います。松島の神々しさをこの短い一行で簡潔に切り取ったのは手腕と言っていいと思います。 素敵な詩をありがとうございました。 (松島にて)

2020-05-09

拝読いたしました。 ダストシュートを思わせるような描写が続いたあと、ダストシュートの扉を作動させ、その様を描写していますが、「気がつけば歯磨きしていて」という、ある意味ダストシュートがありそうな場所からは遠い行動が描かれている辺り、このダストシュートは心象風景、もしくは「夢」なのかなと思いました。 段落を下げた第2連、第4連は「遺構」となったダストシュート側からのメッセージでしょうか。それに釣られなかった語り手は「気がつけば歯磨きしていて」と最終連であるので、ダストシュートの誘惑を振り切ったような悟りを感じられます。 「遺構の見せる夢」というタイトルそのものも魅力的ですが、作中の描写も構成もしっかりした、素敵な詩だと思いました。 (遺構の見せる夢)

2020-05-09

拝読いたしました。 廃墟の美、と言えばいいのでしょうか。人のいた場所が大きなスケールで自然界に飲み込まれていくような印象を受けました。 連の冒頭に配置された「風邪薬」「睡眠薬」「目薬」によって、人のいた場所がなすすべなく自然界に飲み込まれていく際の陶然とした感じが強まっているように感じられます。 眠りに入るような安心感と、死さえ思わせるうっすらとした滅びのイメージを、個人的にはこの詩から感じ取りました。 とても素敵な詩だと思いました。 (めかりどき)

2020-05-09

拝読いたしました。 >夢を見て歳を取る。夢だけが老いて私たちを残していく。それだけが生きがいであると願っていると知ってて夢は私たちを置いていくんだ。 この1行を改行せずに1行の文として残したことが印象的でした。そこで繰り返される「夢」という語が印象的な使われ方をしているなと思いました。 夢が人を残して置いていく構図というのは新鮮かなと思いました。そしてそこを中心にして前後を解釈すると、今のコロナ禍における芸術家の存在意義を問うているようにも思われました。 もしコロナ禍をテーマにしていないとしていたら、私の過ぎた解釈をご容赦ください。 (011-020)

2020-05-09

拝読いたしました。 一見すると汚い映像の単語の連なりですが、「げろりげろげろ」の韻律によって読ませる作品になっているのは凄いと思いました。 前半3連の語群を韻律で読ませることによって、後半3連の私的な語りのメッセージも読ませるものになっていると思います。 全体を見ると、汚い単語を韻律によって読ませることに始まったものが、連を進むごとに汚濁のなかから純粋なものを拾い出そうとする姿勢に変わっていき、人間の真実へと迫ろうとする詩に着陸しているように思われました。 (げろりげろげろ)

2020-05-09

コメントありがとうございます。 たしかに「成果」という視点でも「果実」は捉えられますね。改めて自分で読み返すと、「成果」をなす「苦み」と「旨み」を天秤にかけることは難しいという事実の一方で、その「天秤にかけたくなる気持ち」が表れた詩になっているのかなと思いました。 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは申しますが、この詩の語り手は「成果」の喉越しの苦みを忘れられない人間なのかもしれません。それが幸せなのか不幸なのかは分かりませんが。 >味覚という身体性として書かれることで、言葉がその苦々しさを経験させてくれる作品です。 身体性への評価、ありがとうございます。無自覚でしたが、五感にフォーカスして書けたことは良かったと思います。 (果実)

2020-05-09

拝読いたしました。 ほの暗い運命を背負った人々の決意のようなものが感ぜられる詩だと思いました。 全体の単語のチョイスが絶妙で、それぞれの語が経糸と緯糸になった美しい織物を見ている気分です。 とくに第4連の、決意表明とも、悟りや哲学ともとれる三行が印象的です。 ただ個人的な好みとして少し気になったことが、二点。タイトルと第1連、第2連の「ように」と、第3連の「嘲笑え」のそれぞれの繰り返しが若干歌謡的というか、詩の全体の中で緊張感を弛緩させている気がしました。 ともかくも、素敵な詩をありがとうございます。 (叫ぶように、ボヤく)

2020-05-07

拝読いたしました。 一行で勝負するには語の一つ一つの印象の距離感が近すぎると感ぜられました。 「別れ」と「泣いている」はかなり近く、「靴」と「座り込んで」も近い。 もっと適切な距離感の語を配置した意外性のある一行で勝負するほうが良いのではないかと思われました。 (別れ)

2020-05-07

拝読いたしました。 一行目からドキリとさせる表現を突き付けられて、二行目、三行目と「君」を取り巻く不満感を感じさせる表現が続いていると感じました。 そして四行目の、 >君の眼は青くて、その地球みたいな眼球を見ていると自分が月にいるような気がしてどうしても手が届かない。 は、詩の語り手にとっての「君」の存在の巨大さを的確に表す表現のように思われました。 五行目の「クジラと同じ年齢」が「21」歳なのか、それとも「君」がこの時点で「21」歳なのかは分かりませんが、タイトルが年齢を表す数値であることを感じさせます。 そして六行目から最後の行までの三行で、改めて「君」の存在の巨大さを示していると思われました。 恋愛詩なのだろうなと読み取りましたが、いかがでしょうか。素敵な詩をありがとうございます。 (21)

2020-05-06

拝読いたしました。 タイトルの「目下の関心事」というのがいいですね。そこから最後の「全てが麦秋の闇に消えてしまえばいい」まで、詩情が流麗に描かれている。 「魚眼レンズに凝縮された青空」という表現も、青空の広がりを視界いっぱいに感ぜられてとても素敵だと思いました。 ただ「観念に侵されてしまっている」が少し説明的なので、この状態を具象で例えられたらもっと緊張感のある詩になったかもしれませんね。 (目下の関心事)

2020-05-06

拝読いたしました。 これはあくまで個人的な好みの問題かもしれませんが、冒頭の「かゆい」に対しての回答/伏線回収が作品内にあると、この作品のメリハリとなるような気がしました。 「かゆい」は作品の掴みとしてとても目を惹きますが、それが取り残されたまま「君」の思い出について語られて終わるのはもったいない気がしました。 ひょっとすると「かゆい」を残して意図的に作品の中のもどかしさを演出したのかもしれませんが、とても目を惹く単語なので、もっと作品の中で積極的に採り上げて展開して使ってもいいような気がしました。 (ボタン)

2020-05-06

拝読いたしました。 これはあくまで個人的な好みの問題かもしれませんが、冒頭の「かゆい」に対しての回答/伏線回収が作品内にあると、この作品のメリハリとなるような気がしました。 「かゆい」は作品の掴みとしてとても目を惹きますが、それが取り残されたまま「君」の思い出について語られて終わるのはもったいない気がしました。 ひょっとすると「かゆい」を残して意図的に作品の中のもどかしさを演出したのかもしれませんが、とても目を惹く単語なので、もっと作品の中で積極的に採り上げて展開して使ってもいいような気がしました。 (ボタン)

2020-05-06

拝読いたしました。 潔い詩だなと思いました。「夏」というタイトルで心象風景に絞って描写したのは良策ではないかと思われます。 夏のイメージの中に「赤い液体」という鮮烈な色彩を入れ込んだのが印象的だなと思います。 この「赤い液体」という単語によってこの作品は、ありがちな「夏」のイメージから脱することになり、作者だけの「夏」になったと言えるでしょう。 (夏)

2020-05-05

拝読いたしました。 これはタイトルに「予測変換」と入れないほうが良かったかもしれませんね。「予測変換に任せて連ねた文章であることをほのめかすタイトル」にすることが出来れば、この文章の解釈に奥行きを持たせることが出来たかもしれません。 「予測変換に任せて連ねた文章」であることをネタばらしすることによって解釈の妙味が削がれてしまい、結果、「ダダイスム」的な効果も減衰してしまっているように思われました。 もっとも、「予測変換に任せて連ねた文章であると先入観を持たせる」意図があってのことでしたらまた話は別ですが、そうであったとしても、この文章から詩的妙味を読み取ることは、私にはできませんでした。 (予測変換:ダダイスム)

2020-05-05

拝読いたしました。 この詩の中で「透明の正体」を突き止めようとするのは無粋なのでしょう。この詩の解釈の鍵は、やはり最後の一行の「諦め」に収斂していくのだと思われます。 「透明な何か」に対してその存在の確かさを感じながらも、ああでもないこうでもないと考えている「ポップな徒労感」が、最終的に「コーンポタージュ」という飲み物のカタカナ表記と食品としての暖かさにたどり着くことによって表現されていると思われました。 「ポップな徒労感」に対する「諦め」によって表現されるのは、「身近なものの中に真実を見出そうとする人間の姿」であり、その愛おしさなのだと思いました。 (透明の正体)

2020-05-05

失礼します、追記いたします。 この作品の中に「君」と「あなた」と、二つの二人称が含まれていることを見逃していました。そうなりますと、どちらかの二人称が読み手を指し、どちらかが「小くじら」が語り掛けている「読み手とは別の誰か」となる可能性も出てくるわけですが、そうなるとますます、どちらかの二人称が置き去りになって、いっそう小くじらのディスコミュニケーション状態が際立つように思われます。 そもそも「君」も「あなた」も、どちらも読み手を指していない可能性もありますが、そうなるとこの小くじらは誰とコミュニケーションを取っているのか分からない状態になり、私はその寂寞とした風景に戦慄さえ覚えてしまうのですが、私の解釈は、いかがでしょうか…? 以上追記です。失礼いたしました。 (小くじらとあなた)

2020-05-05

拝読いたしました。 読み手によって印象は様々かとは思いますが、私はこの詩の楽し気な調子の裏側に、凪いだ海のように横たわる孤独を感じました。 「子分」や「父さん」は、確かにそこにいるのに「母さん」のように交流できない。またよく読むと、「母さん」とも「きゅう」と「ぼーん」のやり取りだけで、会話が無い。 こうしたディスコミュニケーション状態が孤独を感じさせる一因でしょうか。 「小くじら」がその孤独に対して、強がっているのか無知なのかは分かりませんが、楽しそうに「あなた」語り掛けてくる様子がとても愛おしく、かつ哀しい作品ですね。 最後の連のオノマトペのリフレインとともに、孤独の海に寂しく響いて消えていくような印象を受けました。 (小くじらとあなた)

2020-05-05

拝読いたしました。 夜が深まっていく空を刺繍に例えている作品なのでしょうか。 >静けさと共に青と黒が端正に織り込まれていく この一行目が美しいと感じました。月の光が刺繍の針なのかもしれませんね。 >鋭利から生み出される更なる鋭利は >屈折を繰り返しても性根は愚直 >雲を突き刺し親のもとへ この第二連は、最初の「鋭利」である月から「生み出される」「更なる鋭利」であるところの月の光が、「雲を突き刺し」て月という「親のもとへ」返っていく様を表現しているのでしょうか。そうなればこの表現は刺繍の返し縫いを表現していることになるかもしれませんね。 「玉どめ」はひょっとすると、夜と朝の境を縫い留める地球を表しているのかなとも思いました。 素敵な詩だと思いました。 (月光刺繍から)

2020-05-05

拝読いたしました。 この詩では、「言葉がひとつ」与えられている「ひと」と「わたし」が分割されて提示され、「言葉」が「ことばにくるまれて」最終的に「ひと」と「わたし」が合一する、つまり「わたしというだれかになった」と考えてもよろしいのでしょうか。 そう考えると、「言葉」が「糸」でできた「布」によって「輪郭」が与えられて初めて「わたし」は「だれか」になったという読みができると思うのですが、この「だれかになった」という表記は、アイデンティティの獲得と捉えられそうですね。 アイデンティティの獲得を機織りに例えて、その鍵となる「糸」=「ことば」が「蚕」から「吐かれた意思」となって形作られるという描写に、面白さを感じました。 「ひと」に与えられた「言葉」に対して、それをくるむ「ことば」のひらがなのニュアンスの柔らかさも印象的だと思いました。 (輪郭)

2020-05-04

コメントありがとうございます。 >なんとなく思い出したのは釈迦のこの言葉です。 >「快楽は短く苦痛に満ちたものである」 私は仏教に詳しくないのですが、興味深い一節ですね。 この「果実」は快楽なのか、苦痛なのか、人生に対しての諦めなのか。 それらも読み手の解釈にゆだねられていますが、釈迦の言葉が導き出されるとなると、恐れ多い気もします。 >ここでの果実には、もう不気味ささえも感じますね。 不気味さはこの詩で表現したかったものの一つだったので、意図が伝わってよかったです。 (果実)

2020-05-03

コメントありがとうございます。 >果実とは一体何か。 >たとえられるそれは全く見知らぬ物の様で、私達読者も、 >いつかどこかで毎日食べている気がします。現在進行形で。 そういうものってたぶん誰にでもあるのだろうなと思い、この作品を書きました。 >無駄のない運び方が不気味さを増していると思いました。 不気味さはこの詩で表現したかったものの一つだったので、意図が伝わってありがたいです。 >食べるのを止めたい、等とはとても言えない世界に、生きているんだなあ。 そういう辛い世界に、皆、生きているのだと思います。 (果実)

2020-05-03

コメントありがとうございます。「胸の奥をグリッとえぐられて風通しがよくなる詩」とのことで、お褒めの言葉と受け取らせていただきます。 説教ではあるのですが、書いた自分自身への説教でもあるので、私も「空」をついつい見てしまうのです。 ただ「ここに人あり」とまでは書いておらず、「こっち」は読み手の解釈にゆだねられると考えています。 ですから、もちろん「ここに人あり」と解釈しても大丈夫ですし、また、ほかの何かとして解釈しても、大丈夫なように書いたつもりです。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-05-03

拝読いたしました。 第一連の導入が綺麗ですね。そのままの美しさでちょっとひねくれたラブソングのように展開していく安定感に惹かれました。 前衛性やあからさまな技巧に走らない姿もこの詩では正解だと思われます。よく見ると韻律にも気を配っているのが分かってその丁寧さも好感が持てます。 改めて、素敵な詩をありがとうございます。 (月の子)

2020-05-02

コメントありがとうございます。見落とされず、気にかけて頂けて、この詩も誇らしいと思っているでしょう。私も作者として光栄です。 (果実)

2020-05-02

コメントありがとうございます。 影山くんは私でもあるかもしれません。それは影山くんと「影山くんのメッセージを受け取った人」の同一性とも言えます。 事実、「影山くんのメッセージを受け取った人」は、すでに「ラノベフィクサーさん」にクソリプを送り付けているのですから、おあいこではあるのです。 バイアスが無ければ人を憎みようがなく、クソリプを送った「影山君のメッセージを受け取った人」も何らかのバイアスがかかっていたのでしょう。 堂々と好きなことに打ち込もうとする中で、壁にぶつかり、迷走し、気づかない間にバイアスがかかってしまう。それを「屈折」というのかもしれません。 私も反省しなければいけないことが沢山あります。気を付けていきたいと思います。 改めて、コメントありがとうございます。 (メッセージ)

2020-05-01

コメントありがとうございます。 「果実」に「時間」をあてはめて私も読み返してみました。これも面白い解釈ですね。 時間への憎しみ、時間への嗚咽、時間への降伏…私の想定していなかった解釈なのですが、自分の詩が思ったより深いところに届いている気がして驚いております。 改めて、新しい視点を提示くださりまして、ありがとうございます。 (果実)

2020-05-01

コメントありがとうございます。 果実の正体は人それぞれ、と言うとありきたりですが、読み手のそれぞれがあてはめられるように配置したつもりです。 「苦労と不幸」をあてはめて私も読み返しましたが、また新鮮な印象で読み返すことが出来ました。ありがとうございます。 (果実)

2020-05-01

コメントありがとうございます。好き、良いという言葉を頂けて光栄です。 と共に、貴音さんのご苦労、お察し申し上げます。とても大変な、辛い思いをされていたのですね。 とはいえ、詩というものは相手の心を突き動かすためなら傷跡も残しかねない危険性を避けられない創作だと思っているので、ご容赦いただきたく存じます。 再現度を評価していただけるのはありがたいです。私は想像で書いたのですが、実際に体験された方にそのような評価を頂けたことは、今後、自分の想像力への自信にもなっていくと思います。 改めて、ご評価いただきましてありがとうございます。 (メッセージ)

2020-05-01

拝読いたしました。 この詩を読んでまず思ったのは「ずん太」という登場人物が必要なのかということでしたが、結論から言えば必要で、登場させた効果は成功していると感じられました。 この詩を詩人の主観から見渡した感覚の観察にしてしまうと、自己陶酔が強まり、また、「ちべたい」「どしいん」などの幼児語や幼いニュアンスのオノマトペが使えなくなってしまう恐れがあることに気づきました。 「ずん太」を登場させ、自己陶酔から距離を取り、幼児的な語を使える設定にすることによって得られるものは、「母さん」や「父さん」を思い出すことでも表れている「追憶」の詩情だと思われました。 この「追憶」の詩情が第11連の「いまや湯気となって/春の三日月の夜へと/立ち上ってゆくのでした。」に伏線のようにつながっていき、読み手の「郷愁」を誘うのではないかと思われます。 この詩の醍醐味はそうした『追憶』と『郷愁』なのだと思いました。素敵な詩をありがとうございます。 (ずん太とお風呂)

2020-04-30

コメントありがとうございます。良いという言葉を頂けて光栄です。 「説教だよ」とは言いつつ、自戒を込めた詩ではあるので、私も南雲さんと同じく、この詩に叱られていることになりますね。 谷川俊太郎という、ある種戦後日本の詩の神とも言い換えられる存在は、「空」と同義とも言えるかもしれませんね。 私も近代詩・現代詩を吹き飛ばす作品をもっともっと書いてみたいとは思っていますが、なかなかうまくいきません。 改めて、お褒めの言葉ありがとうございます。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-29

コメントありがとうございます。そうこなくっちゃですよ。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-26

拝読いたしました。 重いテーマを突き付けられているような気がしました。この文章に書かれている意見に、私は反論する余地がない。しかし、B-REVIEWという場所は、誤解を恐れずに言えば「詩の優劣」が示される場所です。この文章は意見としては正しいが、詩としては醜いように感じられます。「詩として醜いが意見として正しいもの」がこの文章の中にはあり、それを詩として評価してしまう時点で、私はこの正しい意見に対しての裏切り行為を行っているのでしょう。私が詩を読み、書くという行為が、すでにその正しさから逸脱しているということになるというジレンマを、この文章は私に突き付けているようです。 それでも、私はこの文章を詩とは認めたくない。かといって、作者が「詩」を書こうとする意志を邪魔したくもない。 >私は何もそれを平等にするつもりはない、そもそも人が平等である事自体不可能だと思うからだ。しかし、"平等"の大義名分が余りにも的外れに乱用されるのを見ると、もう少しこの本質的視点に気づく人が増えても良いのではないかと思ってしまう。こんな新たな視点を発信する機会と影響力さえあればと願う。 作者がこの視点に気づいているのであれば、「本質的視点」を踏まえたうえで、もう少し、その理論を、比喩に託したり、情景に託したり、人の行動に託したり、つまり、「詩的にする」ことが出来るのではないか、と思った次第です。 (平等)

2020-04-26

拝読いたしました。 まず、月に二作品の投稿制限のなかで、自由律俳句の一句で勝負されたその決意に敬意を表します。私にはその勇気が無い。 私は自由律俳句について詳しくないので、詩的なアプローチで読ませていただきますと、十三音で人生の徒労感を描き出したその巧みさは素晴らしいと思いました。「シジフォス」は最初分からなかったので検索しましたが、分かって読むとその詩的奥行きがぐっと増してより心に響きました。ひょっとすると、「シジフォス」という語を調べるという行程を経たことでよりこの句に対する感銘が大きくなったのかもしれません。その行程を踏ませるだけの詩情がこの句にはあると思われました。 ちなみに、自由律俳句ですと、季語はいらないということでよろしいんでしょうか? ともかくも、良い一句に触れられたと思いました。 (自由律俳句 202004-1)

2020-04-26

拝読いたしました。 この作品の肝は「長いタイトル」と「ユニコーンの画像」にあると思われるのですが、いかがでしょうか。 作品本文は、投身自殺の心象風景をハイスピードカメラで撮影したような臨場感が、勢いを伴って描かれているとは思うのですが、それだけの解釈だとこの作品が画像作品として投稿された意図が不明瞭になると思われました。とすると「ユニコーンの画像」を作者はどうしても使いたかったと思われるのですが、そうなると、普通の詩作品としての解釈では「ユニコーンの画像」が作品の勢いを止めてしまっているように私には思われたのです。 そう考えると、この作品には「読解の拒否」がメッセージとして込められているような気がしてならないのです。 「長いタイトル」はまず読み手の読む気力を殺ぎ、「画像」として投稿された作品本文は「検索除け」として読まれることを拒否する姿勢を表すものなのではないか。そうした「読解の拒否」がこの作品の中心に据えられていると、私は個人的に思ったのです。 作品の中で言葉を尽くして読み手に語りかけながらも、その実、読まれまいとする作品構造は、タイトルで表れているような遠慮なのか、それとも、遠慮のふりをした、そもそもの「詩を人に読んでもらおうとする詩人の態度への嘲笑」なのか。私にはそのどちらなのかは読み取れませんが、ともかくも、「読解の拒否」を感じたのは事実で、「『読解の拒否』を読ませる」作品というものに読みごたえを感じたのは、貴重な体験だったと言えます。面白かったです。 (ううっ! 終わらないのに、なんで終わらないのに、こんなに言葉を書かないといけないから、私って、うう、もう終わりたいのに、終わらせた、いのに、うぐっ、冗長ですよね? だっだから、わわわわたしには生きる意味が無いから無いからないからっ!つまらないなあ、とっ、思いましたか? 思っててもいいからわたしのためにもう少し時間を無駄にしてっ あー、欲しいけど、やっぱ、いいです………あの、でもとりあえず、あっ、(もう少し簡潔にする努力を…)全然凡庸、ですよね、ですですです。?ちょっとだけ質問がしたい、けど、いっ、死にたい)

2020-04-17

一見すると凡庸な自分語りの詩にも見えかねないこの詩で、私がなぜ涙を流しているかという点について、コメントしていきたいと思う。 それは「ぼく」が「あなた」を思い返す語がひたすら具象で、その具象の比喩がひたすら「見えてはいるが手が届かない時空間」にあるということだ。 「見えてはいるが手が届かない時空間」にあるものの表現が、陳腐な言い方だが、私の心の中にある郷愁や浪漫を思い起こさせるのだ。 凡庸な自分語りの詩は抽象的な比喩や、考察が不足した具象の解説でしか詩を構成しないので、そのあたりに私は興ざめするのだが、この詩においては全くそういう心配がない。「あなた」を「表現」するにおいて、具象の事物を「見えてはいるが手が届かない時空間」に配置することで、「あなた」の存在がこの場にいないことを表現し「まだ治らない」ことを痛切に語りかけてくる。 詩情に身を任せて、安心して涙を流せる作品だと、個人的には思っている。 (あるいは薬のように)

2020-04-16

コメントありがとうございます。勢いと面白味の評価をいただきまして光栄です。 >最初から最後まで、私のことかな?と思うくらい、全てに当てはまります。 普遍性とまでは申しませんが、詩を書く方に共通する発想について指摘しようという意識では書いていました。 とはいえ糾弾しようというところまでの詩ではございませんので、ご容赦ください。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-15

拝読いたしました。 >貴方達にもう一度命令しますが、こんな馬鹿馬鹿しい事に首を突っ込むな。関わるな。詩に向き合うなら、もっといい場所があるでしょう。貴方達の得意なネットでちょちょいと調べればわかる事ですが、先ずは現代詩手帖等の有名な詩誌に挑戦し、チャレンジして、そして沢山の人と関わりを持って、その上で初めて堂々と、詩人と名乗れるんじゃないんですか? 承知いたしました。 (はやくワクチンをください。)

2020-04-15

コメントありがとうございます。面白いという言葉を頂けて光栄です。 >単にネットトラブルを描いたことではなく、文芸論争、文学論争に関する著者の考え、答えを作品を通じて仄かしているところにある。 その点は気にしながら書いていました。最低限そういった要素がなければ「詩」とは言わずとも「作品」として成立しないと思いましたし、それがなければ本当にSNSトラブルのコピペととられかねないですしね。 >私たち読み手は徐々に、小林イズムとでも言うべきものに引きずられているのである。 小林イズムというものがあるのかどうか本人にも分からないですが(笑)、今後も作品のオリジナリティを追い求めていきたいと、stereotype2085さんのコメントを頂いて、改めて思いました。 (メッセージ)

2020-04-14

コメントありがとうございます。「詩」だと思っていただけたようで、光栄です。自分の中では詩情というか「行間」は設定して書いていたつもりだったので、その意図が届いているようで、良かったです。 この詩に仮託されたものは「皮肉」でもあり、「皮肉の声への風刺」でもあり、また「私自身の詩とライトノベルに対する自省」なのだと思います。最近、自分の文芸に対する姿勢を顧みる機会がありまして、それらがこの詩の発露になったのは事実です。 (メッセージ)

2020-04-13

コメントありがとうございます。面白いという言葉が頂けて光栄です。 この作品が詩かどうかという問いに関しては、正直、自分でも迷いました。ビーレビは現代詩の投稿サイトなので、「この作品に詩情はあるか」と問われたら、自分でも自信を持って、有る、とは言いにくいと思います。ただ、ビーレビが4.0まで進化して、画像や動画の投稿が可能になった状況において、表現の幅は確実に広がったと思われますから、この作品のような「テキスト」の作品も投稿してみて、反響を伺いたいという気持ちになったのです。 この作品は、面倒くさい人の言葉に詩情を感じるか、というところから始まって、あらゆる人間の発する言葉に詩を見つけられるか、という、自分なりのスタンスの表明でもあります。 >今どき高度な文芸たらんとして書かれた小説も詩もべつだん有り難がる人はいなくて、質の如何を問わず売れた作品のほうが基本的に偉いとされてるなぁと。正直、今や売れてない文学のほうがラノベより風当たり強いよねって思いました。 その側面はあると思います。ただ、芥川賞が毎回ニュースで取り上げられるように、電撃大賞が取り上げられるかと言ったら現状はまだそうではなく、その点について影山君はご不満の用です。 >いみじくも影山くんが尊敬する西尾維新など、商業的にも成功し数々のメディアミックスに恵まれ、作品の内容もエンタメに優れながら言葉遊びも巧みで「本を読む楽しさ」を質よく届けているわけですが、じゃあこれに詩人は立ち向かえるだけの強度の内容や言語感覚を展開出来てるのかと考えるとたいへんに厳しいですよね。「そんなの土俵が違うんだから比較じたいが野暮」といえばそれまでですが、おそらく詩人の界隈でのみ認め合う世界にいる限り、詩に未来はないでしょうね。 ラノベに対抗できるような、「商業的な成功と詩情を両方兼ね備えた詩」がどのようなものか、具体的なイメージは私にはまだ想像もつかないのですが、それを模索する姿勢がないと、いま生きて詩を書くということに、なんというか、張り合いが無くなってしまうような気もしますね。 詩の未来を考える、という点では、最も手ごわい競争相手の一つが何よりもSNSでしょう。言葉が人と人との関係を築くために生まれたのであれば、その原初的な欲求を掬い取ったのがなによりもSNSだったわけで、詩とは全く別の技巧体系になった「バズるツイート」および「ネットミーム」などは、いままさに現代詩でも輸入されている真っ最中だと思いますので、私もそれを気にしながらこの作品を書きました。 >私自身、奈須きのこや成田良悟とか未だに好きですし、型月厨としてさいきん二次創作ラノベをまったく別名義でやってたりしますが、二次創作界隈ですら散文的な文章力や知識量では下手な文学ワナビより強い人普通にいますもんね。 >下手な詩人はラノベ作家や日本語ラッパーに余裕で負けるんで、我々は本気で彼らを直視したうえで負けない強度のもの書かなきゃ駄目だよなと日々痛感しますね。 本当におっしゃる通りで、サブカル(この表現も死語ですが)の方々の博識に、自分の至らなさを思い知らされる日々が続いております。 ともかくも、ご高覧くださりありがとうございます。 (メッセージ)

2020-04-13

拝読いたしました。 > ぐづぶぶしゃしゅり > ぐぐしゃりづぶぶ このオノマトペに辿り着いたのは、詩人の手腕だなと思いました。 雪を踏み鳴らすオノマトペを中心として、詩人の語る静謐な孤独が音声として伝わってくるような気がします。少しオノマトペ以外で説明過剰かなという気もしますが、その部分を抒情的にしたりリズミカルにするとこの孤独感が台無しになってしまうかもしれませんね。 孤独の静謐な心地よさに真摯に向き合った素敵な詩だと思いました。 (名残の雪)

2020-04-12

拝読いたしました。 春が巨大生物のように辺りをさまよいながら、それまでと変化してしまった世界に違和感を感じつつも、世界を春に変えようとしているのかなと読み取れました。その中で、 >鉄棒を逆上がりしても >ちっとも解りはしないけれど >砕けたSnow dormが雪のように  >きらめいて という連が春の非論理的かつ圧倒的で破壊的な力を象徴するようで、美しいなと思いました。 春は誰にも文句を言わせずやってくる、だからこそ希望なのかな、とも思われました。 (春という、春の詩)

2020-04-12

拝読いたしました。 なによりタイトルが良いですね。ただそこから想起される恋愛とセックスと、それにまつわる後悔のイメージから飛躍しきれていないような印象を受けました。もちろん、君と私の関係性の描写を掘り下げていく手法の詩であることは理解できるのですが、君と私以外の事物との関係性をもう少し詩句として記述していただけると、こちらとしてはより作品に感情移入できるのかなと、僭越ながら思いました。 (つたない夜)

2020-04-12

拝読いたしました。 おにおん、という語から広がっていく空想に、おかしみ、哀しみとともにトリップ感を受け取りました。 とくに第5連の悲しみに関する記述、第6連の前衛的な描写と共に語られる玉葱を切った時の痛みの肉体感覚と思われるもの、などはこの詩の勘所でしょう。この描写があることで、「おにおん」が、「玉葱」とは異なり、読み手/書き手を今いる時空とは異なる世界へとトリップさせる物である、ということが明示されているような気がします。 (おにおん)

2020-04-12

「転居未練三歌」ということで、短歌は素人ながら、面白い短歌群だなと思いました。 ・[1]について たしかに、転居するにあたっては、もと住んでた地域の病院の診察券はいらなくなりますが、それを食べてしまおうというのはなかなかシュールな光景ですね。転居の未練を飲み込んでしまおうという覚悟も感じられます。 ・[2]について すでに故郷から転居した後のなのでしょう、故郷の名前の入った標識を「盗ってはないです」と強調することで「盗みたくなるほど見入っていた」ことが滑稽味を含みながら描写されておかしみと郷愁を誘いますね。 ・[3]について [1]が転居直前、[2]が転居後と考えると、[3]は転居という人生のドラマを通過した歌人の人生観を示すものとして感慨深く読み手に入り込んできますね。「無数のかいを拾う海岸」の「かい」がひらがなになっていることで、色々な「かい」をあてはめて読めそうですね。悔、快、会……それは読み手によって異なってくるかもしれません。 以上、短歌には詳しくない人間の感想でした。 (転居未練三歌)

2020-04-12

私が考える詩および詩情の一つの形というのは、「飛躍」と「描写」なのですが、この詩に関してはそこが決定的に欠けていると思いました。 「あなた」と「わたし」の間で起こる「感情」を、そのまま抽象的な語で「説明」するにとどまっている。 その部分を解決するためには、ちょっと文学とはかけ離れますが「5W1H」を気にするといいと思います。 「いつ」「どこで」「だれが」「なぜ」「何を」「どのように」というやつですが、この詩には「いつ」「どこで」が無い。その「描写」があるだけでこの詩は説得力を増すと思います。もちろん「いつ」「どこで」を書かないことで時空間の制約を取り払った普遍性を作品に込めようとすることもできますが、あえてそこを「描写」することが詩情の発露につながっていくと考えられます。なにも論理的に正しい「いつ」「どこで」でなくていいのです。そこの論理性を無視してもつながりを感じられる「飛躍」があれば、詩情の発露になると考えられます。 僭越ながら、指摘させていただきました。 (よろこび)

2020-04-12

拝読いたしました。 詩人が安易に言葉遊びをすることへの警鐘であることはもちろん、人々がニュースや噂などの抽象的なものに踊らされることへの注意喚起にもなっているような気がします。そこへきて「死は、死です//紛れもなく。/自覚するように」の文章は唐突に具体的な生命の実感を突き付けてきます。詩人として、そして人間としての姿勢を正されるような気分になりました。 (安易な詩)

2020-04-12

拝読いたしました。 第4連についてなのですが、 >ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ(未声) >ㅤㅤㅤーーPantomimeーー >ㅤㅤㅤㅤㅤㅤ(未成) この部分は、第3連の「沈黙の背中が裂けている。」という文章を受けてのものだと考えると、「ーーPantomimeーー」が「背中が裂け」た際の「裂け目」、つまり「羽化の際の無言の痛み」を表しているのかなと思いました。 そこから展開してこの詩を鑑賞すると、第2連が「蛹の中から空気中に出てきた体と、まだ残っている体」を表し、「羽化する前後の変化」を示しているのではないかと思われました。 それを受けて第5連を読み解くと「自身の変化の痛み」が如実に眼前に現れてくるように思われます。 つまり、この詩の描写に通底するのは「自身の変化の痛み」なのではないか、と考えられました。 見当違いでしたら申し訳ありません。しかし、詩作品を鑑賞するにあたっての読み手の自由が与えられているのだとしたら、私の感想をお許しください。 (口ほどに蝶)

2020-04-12

追記します。 まずこの詩には「『少女』が恋をしている」ということが一切書かれていないことにコメントした後に気づきました。申し訳ありません。 こうして、私自身が「恋=少女がするもの」という固定観念と下世話なフェティシズムをさらけ出す結果が明らかになったわけですが、このことについては弁明しません。むしろ、自分の固定観念を示唆してくれたこの作品に感謝したいと思います。 ありがとうございました。 (恋の算数)

2020-04-12

拝読いたしました。 いいなと思った後、待てよと思いました。私はこの詩にまず、「少女が初恋にときめいてい作った詩」という観点から、素晴らしいなと思ったのですが、直後、「『少女が初恋にときめいて作った詩』を想定して作った手練れの詩人の詩」である可能性にも気づいてしまったからです。なにしろ匿名投稿ですから、そうしたある種の「読者を試す姿勢」が現れているわけで、そのことを考えると、素直に受け止めていいのかな、とも思いました。 しかしそう考えると、私はこの詩に対して、「詩作品そのものに対して評価しているのではなく、詩を書いている詩人を評価している」という、非常に下品な鑑賞姿勢をしていることを突き付けられるわけです。 ですから、申し上げたいことというのは「作品は最高、読んでるこっちは最低なオッサン」ということになるわけです。 技巧的な部分に関しては「トキメートルさ!」「ナゾメートルだ!」に至るまでの前文が初々しさを巧みに描写していて、「トキメートルさ!」「ナゾメートルだ!」の弾けるような元気の良さへとスムーズに、かつ勢いよく読み手を運んでくれるように思われました。 以上、オッサンの青春への憧憬でした。 (恋の算数)

2020-04-12

拝読いたしました。 この詩に詩情を感じたことは事実なのですが、とくに技巧をひねった感じもなく、率直な気持ちをつづった文章に、自分がなぜ詩情を感じたかを色々考えてみました。明らかにこの詩は凡庸な自分語りとは一線を画すものがある。それは的確な比喩だと感じました。第1連の「言葉の中から自分の臭いがして」、第2連の「生クリームを絞るように/柔らかくなぞるだけ」、第4連の「猫の頭を嗅ぐ様に/無頓着な読み方をされると」など、少なくとも作者と同様に詩を書いている私はこれらの比喩に詩人としての共感を覚えます。詩作の基礎に忠実と言えば大げさかもしれませんが、改めて詩を書くにあたって大切なことを示してもらえた作品だと思いました。 (烏)

2020-04-12

私は俳句も写真も素人なので見当違いかもしれませんが、句の中で「花かをる」と桜を示す季語が出てきて、さらに画像に桜?が出てきても、正直申し上げて、安直というか、詩的飛躍が感じられなくなってしまうような気がします。 投稿するなら思い切って俳句か画像かどちらかだったら良かったのでは、もしくは、画像の中に句を入れたり、画像と写真を異なるモチーフにして詩的飛躍を図ったほうが良かったのでは、とも思ったりしました。 (夜伽桜)

2020-04-12

コメントありがとうございます。スケールの大きさとユーモアを感じて頂けたということで光栄です。 茨木のり子の「自分の感受性くらい」は頭の端に置きながら書いていました。実を言うと、あの詩に対して「説教くせえなあ」と思っていた自分が居たのですが、いざ今回の詩を書くにあたって「説教くさいの自分じゃん」と気づき、「じゃあもう開き直ってやれ」と思っての「説教だよ/何が悪いってんだよ」になったのです。 〈人間愛に溢れた励ます詩〉というお言葉を頂けて、本当にうれしく思います。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-11

この詩、すごいと思います。 優生思想に対してこれだけ分かりやすく、また優しさ溢れる言葉で真っ向から反旗を翻しているのは見事としか言いようがない。 また、「私だけが生まれるように。」から感じ取れる当事者感覚や、「死んでもいいから」などの言葉に優生思想に反対する中での葛藤も感じられて、夢想的な平和主義とは異なるアプローチに成功している。 私は貴方がこの詩を書かれた勇気に最大限の賛辞を贈りたいと思います。 (バグ)

2020-04-11

はじめまして。 一見すると学生さんのノートの走り書きみたいにも読めてしまうけれど、「インスタントな死にたさが襲うよ」「子役の胸の成長に注目する野郎が気持ち悪くて仕方ない」「真夏ででろっでろに溶けたそれらが必死に覆って居たものは私の腸だったんだ」など、切れ味の鋭い語がちりばめられていて、走り書き感の青臭さと相まって、エネルギーの塊をぶつけられたような印象を受けました。 実は、この詩を元に自分なりに書き直してみたりしたのですが、自分で書くと疾走感は確実に消えました。容易に真似できるものではありません。返詩で書き込もうとも思いましたが、作者さんへの失礼かなと思い、お蔵入りにすることにします。 なにしろ鬱屈を爆発させたような力強さに満ち溢れていて、素晴らしいと思いました。 ちなみに、あんきらは尊いと思います。 (じゅうなな)

2020-04-10

沙一さま コメントありがとうございます。リリシズムを感じて頂けて光栄です。 >かえって「空」の大きさが強調されていると思われました。強く拒絶するほどに、その対象は相対的に、大きく、魅力的であることを、暗に認めていることになりますね。つまり「空」を否定しているようで、かえって神聖化しているのではないかと。そこにある種の窮屈さのようなものを感じてしまいました。むしろ、「空」を眺めるなんてたいしたことじゃない、と思えてこそ、太く生きられそうです。 ご指摘が的確で反論の余地もありません。この作品を作った当人が「たいしたことじゃない」と思える境地に至っていないのが露呈してしまいましたね。ただ、その「模索しようとする姿勢/し続けようとする姿勢」のようなものが詩として伝わっていたとしたら、今の段階ではこの詩は成功というところではないでしょうか。 ご高覧くださりありがとうございます。 tOiLeTさま コメントありがとうございます。ツボに入った一文が書けたということで、誇りに思います。 そうです、こいつ優しいんですよ。ほっとけないんでしょうね。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-10

stereotype2085さま コメントありがとうございます。楽しく読んで頂けたようで光栄です。 「『空を見る系の詩やコンテンツに変わる作品』の提示」ということですが、弁明が許されるのであれば、その作品を読み手がそれぞれに模索するように提案するのがこの詩の狙いであり、そのための最後の連の「こっちを見ろ/こっち向くんだよ」となるわけですが、考えてみれば、その答えを用意せずに「説教」の形をとるのも随分無責任だなと気づかされました。 そして、stereotype2085さまのコメントによって、自分自身が「空を見ない系」の作品に取り組まなければならないことに、今更ながら気づかされました。大変感謝するとともに、さあ大変なことになったぞ、という気持ちです。 帆場蔵人さま コメントありがとうございます。楽しく読んで頂けたようで光栄です。 >感情や感傷をあるだけ景になすりつけてしまい、私、しかないような作品の作り方への辛口にみえる。だから何も提示しなくてもよいのではないか。 >私をみて!と言う前に外界をみろ、他者をみろ、その関係のなかで自分を位置付けして詩を書けよ、といっているようにも思う とのコメントですが、私がこの詩を作るにあたって意図していたところの一部を汲み取っていただけたようで、とても嬉しいです。 まあ、自分のこれまでの詩作を顧みて作った詩であり、客観化した位置から改めて主観を再構築して詩を書くとこうなった、という、偶発的なものではあるので、「面白くなって」いくかどうかは、今後のお楽しみということで……。 田中修子さま コメントありがとうございます。わくわくしてくださったということで、光栄です。 >他にどんな人が隠れているのかな とおっしゃられるほど先人の詩を織り込んではおりません。挙げられた詩人、ご名答でございます。ただ、やはり「空」というのは、外界の視界のほぼ半分を占めているので、詩人に限らず、だれでも思いを馳せるとそれを眺めがちで、しかしそれだけでは安易でいけないな、という自戒をこめて、普遍的なイメージとして「空」を使いました。恥ずかしながら、反抗するほどの覚悟もなく、青年というにはほど遠く年を取り過ぎている人間の、うぬぼれた「説教」でございます。 お粗末様でした。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-09

拝読いたしました。 こうした詩を書きたいと素直に思いました。 「右手」と「フリージア」の花が多面的なメタファーになっている第1連が、「右」が再出する第2連と、「花」が出てくる第3連への契機となって、詩の世界観の広がりを強固に担保しているように思われます。 人によっては安直に「セカイ系」とでも言い換えてしまいそうですが、詩の中の「君」へ「『告ぐ』者」から告げられる言葉が、二人が見渡す世界への穏やかな決意となって表れ、読む者に清々しさを与えるのではないかと思いました。 (君に告ぐ)

2020-04-09

ご高覧くださりありがとうございます。 読者に読者自身の秘密を鏡のように見せ付ける作品になっているのだとしたら、詩として成功しているのかもしれません。 (サッカー)

2020-04-09

白川 山雨人さま コメントありがとうございます。引き込まれるという言葉を頂き光栄です。 直前の作品もご覧くださったようで、重ねてありがとうございます。確かに「空なんか見てんじゃないよ」は、今月の一作目の拙作「サッカー」を書いたあとに書かれた詩です。対になっていると申しましょうか、「サッカー」に対する自分自身による返詩の意味合いが大きいのは事実です。 構成に関しては、白川さまが、連が進むごとに訴求力が強くなっていくとお感じになっていたとしたら、私の意図したところがきっちりと伝わっているのだなと嬉しく思います。 黒髪さま コメントありがとうございます。私の作品を全部読まれたということで、お時間を割いて頂き光栄です。 この詩の「意志の強さ」は、私の意志の弱さの裏返しなので、「理想的な意志の強さ」と考えていただきたく思います。私も心が弱いのです。 >変化がいつまで続くものであって、関係はよくなって不変になれるのか、そういったことが >気になります。 とのことですが、そのあたりの推移や結末は、読み手にゆだねられていると私は考えます。 私がこの詩で表現したかったものの一つは、「説教そのものの緊迫感」であり、その追体験です。 その追体験を普遍化するために「空」という単語を持ってきたのです。 個人的には「空ばかり」ですと「空以外に見るものの候補が沢山ある状態」になると思い、「空なんか」ですと「空を見る行為そのものを叱責する」ことになって、より「説教の強さが増す」と考えています。 なにより、私の詩を深く解読しようとしてくださったことに感謝いたします。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-08

鈴木歯車さま コメントありがとうございます。クオリティが高いという言葉を頂けて光栄です。 お褒めくださっているとは思うのですが、これは自戒を込めた詩でもあるので「うわべだけのひ弱な凡庸なポエマー」には自分も含まれているのです。 ですが、盛大なブーメランでも投げなければならない詩だという気持ちで書きましたので、お気に召したのでしたら嬉しいです。 石村利勝さま 補足いただきまして申し訳ありません。私がコメントを誤読していたことをここに謝ります。 そのうえで、さらなるお褒めの言葉を頂き、なんだか申し訳ない気分です。 「どうしようもなく陳腐な『メッセージ』であっても、そこに新鮮な生命と共感を生み出すことができるなら、それこそが物書きの力」というお言葉、良く噛み締めて、今後の糧にしたいと思います。 お手間を取らせてすみませんでした。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-06

拝見いたしました。詩作に対する姿勢、覚悟、そして後半の希望を求めて手を伸ばそうとする健気な疾走感は心打たれるものがありました。 しかし率直な意見を書かせていただきますと、この映像作品はポエトリーリーディングではあっても詩では無いのではないかと思われます。 作者様の動画を見ていていつも思っていたことは、「行間がない」ということでした。 言葉の行間を映像や音楽で補完するだけならば詩ではないように思われます。 (是ポエトリー・リーディング)

2020-04-06

石村利勝さま コメントありがとうございます。いい作品という言葉が頂けて光栄です。 「詩からメッセージを取り出してしまえばそれ自体には何の新味もない死物になる」というお言葉、耳が痛いです。 実際書いた本人もメッセージ性なんて何も考えず、自分の詩の傾向を見返して自分自身に説教しようとしたものをここに発表しただけなので……お見通しですね。 技巧や韻を褒めて頂けているのはありがたいです。自分が詩を書くときのエンジンがまさに技巧や韻の部分にあると自覚があるので。 今後も精進します。 ネンさま コメントありがとうございます。 どうか頭をお上げください、作品の中では説教しましたが特に誰宛てにというわけではないのです。 むしろこの詩は自分が凡庸な詩を書く悪い癖があることへの警鐘の詩なのです。 空と神様はむしろ同義と言っても過言ではないかもしれませんね。少しその点への気配りが足りなかったかもしれません。 神に祈るより現実を見ろ! とまでは申しませんが、つい空に向かって現実から視線をそらしてしまう自分への警句として書いた詩なのです。 (空なんか見てんじゃないよ)

2020-04-05

恥ずかしながら、私はこの壁に貼られた文章を単体で読んだときは、陳腐だな、と思ったのですが、タイトルの「家庭の檄文」という語に立ち返って、画像全体を見渡したとき、突然詩情が立ち上がってきたことに驚きを感じました。 仮にこの文章が陳腐だとしても「陳腐な文章が飾ってある家庭」には詩情がある、とでも言えましょうか。「家庭の檄文」という切り口とともに、画像の色味や地図の劣化具合など、絶妙だと感じました。 (家庭の檄文)

2020-04-05

ご高覧くださりありがとうございます。 貴方のための詩であれたら、この詩も本望だと思います。 (サッカー)

2020-04-05

技巧に頼らない詩人の率直な思いが伝わってくる作品だと思いました。 ただ、 >蓄積された夢! >仄暗い夢! >それは未来から来る光線に照らされて恥じている ここで少し、詩人としての欲が出てしまったのかなと邪推しました。全体の構成と、ご自身のお辛い思いを真っすぐに表現する姿勢はとても好感が持てるので、そのままブレずに書ければ理想的だったのかなと、僭越ながら思いました。 (僕たちが高校をやめると言う時)

2020-04-04

全体的にわかりやすい文法のつながりを否定することで、茫洋な違和感を読者に提供するとともに、そこに確かな「違和感の質量」を感じさせる作品だと思いました。タイトルの「あまりに雲をみている」から感じさせられる虚脱感の肉体感覚を、この詩は精緻に観察して描写しているように感じられます。 (あまりに雲をみている)

2020-04-04

>輝いていれば何でもいいのです この行の突き放した感じと、 >ほんとうに >なんでもいいのですか この二行の後ろ髪を引かれている感じが非常にバランスが取れていて、詩の全体で世界の真理を活写しようとする詩人の真摯な姿勢を感じました。 そこから去りゆくものと、そこにあるものと、という対比のイメージも詩のバランスを構成していて、絵画の前で感動で動けなくなるような、そんな印象を受けました。 (きりん)

2020-03-31

なゆた創さま コメントありがとうございます。 >作品全体を通して、世界を素手で捉え直すための丁寧な手つきが見えて、こういう系統の作品としてはよいと思います。 お褒めいただき光栄です。 >素手で世界を捉え直す手つきは、「誰もがはっとする感覚」を提示していて、おそらく小林さんが志向するこの詩のテーマを最も直接的に実現した言葉のふるまい方だと思います。 おっしゃるように、「事物を手でとらえる、触ることの新鮮さ」ということにこだわってみた作品なので、その点をくみ取っていただけたことはありがたいです。 >徐々に観念的な叙述が顔を覗かせ、一連で見せた鮮やかさからは一段曇りのある感じがします。 すこし一連以降の気配りが足りませんでしたかね。精進します。 >下ネタでウケを取りつつお茶を濁すオチは、おそらく小林さんが目指す大衆志向としては間違っていないものの、やはりテーマから考えると精彩を欠く印象があります。 下ネタのつもりはなかったのですが、そう取られてしまうような作品としての雑さがあったのかもしれません。注意します。 改めて、講評ありがとうございます。 (揉む)

2019-04-17

帆場蔵人さま コメントありがとうございます。 >小林さんは日常と日常から離れたものをうまく作品内で混ざり合わせますね。いつだったかは宇宙人が出てきたし。 ありがとうございます。ただ実際は、勘と手癖で書いているので、上手くいっているかどうかについては、皆さんに読んでもらってから、あ、そうなんだなあ、と思うことが多々あります。 >給湯器の誰にも聞かれない呟き、が入っているところなどが素晴らしいと思いました。 独りで風呂を沸かすのは寂しいものです。湯沸かし器に呼ばれて湯を止める孤独を誰かに癒してもらいたくてこの詩を書いたようなものです。いっそ湯沸かし器に嫉妬されるように、誰かと同衾しながら風呂が沸くのを待ってみたいものです。 改めて、講評ありがとうございます。 (Diamond dust almighty all night)

2019-04-14

鈴木歯車さま コメントありがとうございます。 >なんでもない部屋から何もない夜空へと、グッとズームアウトしていく光景が浮かんできました。 >全体をざっと読みましたが、印象としては、個人生活と、生活とかけ離れた「宇宙」が、違和感なく混じり合っています。 本作からそれだけのイメージを掬い取っていただけて、嬉しいです。飛躍感は詩の醍醐味ですから、そこを味わっていただけたのだとしたら光栄です。 >ただ、英語のタイトルがとっつきにくいと思いました。すこし気取っているような気がしました。stereotype2085氏がおっしゃった通り、「体温」とかの、日本語の題の方が、ぼくはしっくりきます。 ひょっとすると、詩の本文だけを抽出して、タイトルは変更したほうがよかったのかもしれませんね。実際、ネットミームをローマ字化して、気取った感じを演出したかったのですが、それが逆効果だったのかもしれません。 改めて、講評ありがとうございます。 (Diamond dust almighty all night)

2019-04-14

stereotype2085さま コメントありがとうございます。 >何だろう。目立つ。新鮮さが、ぱっと見の鮮やかさが。ビーレビのサイト改変に伴い、詩の冒頭部分しかまずは表示されないようになって、見た目とか可読性、とっつきやすさが重要になってきたと思いますが、その課題を今作はクリアしていると思います。少なくともページを開こうと思った。 ビーレビがサムネイル表示されるようになってからの読者へのアピールは気にしながら書いているので、そこが狙い通りになっているのは嬉しいです。 >ただ一つ失敗だったのでは? と思ったのはタイトル。下手に意味をくみ取りづらい横文字を並べない方がいい、というのが僕の個人的な考えです。 このタイトルなのですが、じつは、Twitterのコピペ改変botでネタにされているネットミームから着想を得たものなのです。 https://twitter.com/search?f=tweets&q=%E6%98%94%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%A0%E3%81%8C%E5%87%BA%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F&src=typd たしかに意味をくみ取りづらい横文字をタイトルに並べるのには抵抗はありましたが、この作品を「ポエム」として書くにあたって、このネットミームはタイトルにするべきなのではないかと思い、採用しました。 改めて、講評ありがとうございます。 (Diamond dust almighty all night)

2019-04-13

ふじりゅうさま コメントありがとうございます。 精密に読み解いていただいて恐縮です。私の解説したいことをほぼふじりゅうさんに書いて頂けたので、有難い限りです。ただこの作品を書いた本人、そこまで意図的ではなく、半分勘で書いてます。ですが、もう半分は、やはり、推敲を重ねて書いた、伝えたい思いにあふれた詩でありますので、気に入っていただけたようで幸いです。 改めて、講評ありがとうございます。 (揉む)

2019-04-11

小寄道さま コメントありがとうございます。 >乳房が出てこなければいいな、と思っていたら案の定・・。 >欲望を昇華しなければ、詩の女神は降りない、と私は思っています。 そうなんです、案の定なんです。乳房に関する連は凡庸な欲望について書いた連なので、昇華してはいないのです。そのかわり、詩の女神は降りてこなかったのかもしれません。 >「ぐたひ」とは何か、それを暗示するあるいは示唆する詩行があってもいいのでは。私には意味が通じなかったし、言葉は万人に開かれているものだと思います。 「ぐたひ」について示唆しなかったのは、「万人それぞれに『ぐたひ』は異なるものだ」という形での万人に対する語の開放です。 改めて、講評ありがとうございます。 (揉む)

2019-04-11

拝読いたしました。 すでにコメントされている方が、 >カナル型イヤホンが耳に入らない のリフレインを指摘されていることに関して、私なりの考えを書かせてください。 私は、ここまでリフレインをしつこくやることが、リフレインを通り越してゲシュタルト崩壊を思い起こさせ、一種の無力感を醸し出す効果の一助になっているのではないかと、勝手ながらに読み取ってしまいました。 そう考えてこの詩を読むと、その無力感が各連の詩句に呼応して、詩の中で訴えている「『君』への気持ちの無力感」のようなものをより強力にドライブさせているのではないかとさえ思ったのです。 つまり、リフレインもここまでやればきっちりとした詩情の効果になっているのではないか、ということを、作者の柿原さんはじめ、ほかの読者の皆さんにもお伝えしたく思ったのです。 (カナル型イヤホンが耳に入らない)

2019-04-09

花緒さま コメントありがとうございます。 B-REVIEWがサムネイル表示になったことを受けて、冒頭で読者の興味を引く表現には注力しました。そのせいか、おっしゃるような作品の冗長さへの注意力は、少し欠けていたのかもしれません。「ぐたひ」ですが、正直これも悩みました。「『ぐたひ』って何ですか?」という質問が来ることを恐れるあまり、つい説明を書いてしまいました。読者を信頼していないことの表れかもしれません。 改めて、講評ありがとうございます。 (揉む)

2019-04-09

拝読いたしました。 この詩を、私は、スマートフォンの縦画面、PCの横画面、そしてスマートフォンの横画面という順番で鑑賞しました。 最初、スマートフォン縦画面では「美術作品を題材にした詩」という先入観で読み、いまいち印象をつかみきれなかったのですが、PC横画面で鑑賞すると、この詩は「詩人が美術作品から受けた視覚的印象をそのまま読者の感覚に再現しようとする詩」としての意図があるのではないかと感じられました。そうして改めてスマートフォン横画面で鑑賞すると、「画像と文章の往復による鑑賞」が、かなり詩の解読に重要なのではないかと、勝手ながら感じました。恥ずかしながらそのとき初めて、この詩が「視覚詩」であることを再認識させられました。とても興味深い詩の体験をさせていただきました。 ただ一つ気になったのは、私の体験がほかの方にも共通するのであれば、この詩は「画面のサイズに印象を左右される詩」なのではないかと思ったところです。その点は詩人がすでに想定していたものなのか、よろしければ伺いたいです。 (PIPI粘膜 ~林千歩《人工的な恋人と本当の愛―Artificial Lover & True Love―》から~)

2019-04-06

taishi ohiraさま コメントありがとうございます。 今回、このタイトルの詩作では避けられないモチーフだと思って、陳腐かもしれないと思いつつあえて「乳房」も採り上げました。 改めて、講評ありがとうございます。 (揉む)

2019-04-05

南雲安晴さま コメントありがとうございます。しっかりした日本語と構成、と言われると、書いた本人のしっかりして無さに思い至り、正直照れます。お褒めいただいた想像力ですが、今回の詩作は、生活における実感よりも想像力を優先したのは確かです。その思考実験の中で抱いた疑問を素直に書いたことが、良い効果として表れているのかなと思います。 改めて、講評ありがとうございます。 (揉む)

2019-04-05

拝読いたしました。 「ふ」を「ふいに」「ふしぎ」「ふかしぎ」「ふあん」で視覚的に構成する手法には脱帽いたします。これによって「ふ」という文字が意味と触覚と質量を併せ持ってこちらに伝わってくるような印象を受けました。その「物理的に受け取った感覚をもって」から読んでいく、その続きの詩の印象は、前述の「ふ」があるのとないのとでは全く異なり、点在する「そ」までもが触覚のある言葉として受け取られるような感覚で伝わってきます。「キスして」「朝の剥ける音」「空のかさぶた」という語が指し示すような、「触覚」「触り心地」にこだわった詩なのだろうと私は感じました。 (朝が来ない日はない)

2019-04-03

拝読いたしました。 好きです、こういう詩。的確に「慎重さ」の「滑稽さ」を切り取って、最低限の言葉に凝縮している。その凝縮の中で「たんです」という音韻の冗長性で言葉の当たりを柔らかくしているのが素敵だなと思いました。 (笑い話)

2019-04-03

この作品、少し視覚詩の要素も見えるような気がしました。「くるくる」「まわり」「くすくす」などの単語が、行末にきたあと、次の行頭で繰り返される様子は、字数をそろえて連を構成した横書きの詩において、詩作品自体の図像的回転の残像を思わせる物だと感じました。その視覚的回転が「風見鶏」のイメージと直接リンクして、「すくすく/育って」の部分の健康的な朗らかさを強調しているように感ぜられました。好きな作品です。 (風見鶏)

2019-03-09

帆場蔵人さま コメントありがとうございます。帆場さんの講評を受け、自分で読み返して思ったのですが、「宇宙人」と「貴方」の距離感が、詩の主体からほぼ同じか、「貴方」のほうが遠いのですよね。その距離感の差異を違和感なく描けて、それが詩情の醸成に結び付いたのだとしたら、ある種のありがたい偶然だったのかもしれません。 改めて、講評いただきまして、ありがとうございます。 (同衾)

2019-03-09

鈴木歯車さま コメントありがとうございます。やはり「夜行」にはぎこちなさがつきまとっているようですね。それに比較すると「同衾」は肩の力を抜いて自然に書いたことで、うまくいったということなのでしょう。「同衾」では、とくにスケール感を意識したわけではないのですが、「ケーキを食べてるときに宇宙人が来たらどうしよう」と思ったことを素直に書いたことが、結果的に良い詩情を醸し出したのかもしれません。 改めて、講評いただきまして、ありがとうございます。 (同衾)

2019-03-08

stereotype2085さま コメントありがとうございます。stereotype2085さんに、この作品に関して、これだけ言葉を尽くしていただけるのは本当に光栄です。たしかにこの作品は「夜行」と比べると、体から自然に出てきたもので書けたという気がします。言葉の組み合わせだけで書いてしまった部分もありますが、それでも、評価していただけたのはとてもうれしいです。 改めて、講評いただきまして、ありがとうございます。 (同衾)

2019-03-07

stereotype2085さま 返答ありがとうございます。 私にこの作品に対する読解力がなかったのは認めざるを得ないのでしょう。 しかし、私の読解力とポストポエム論は別にして考えていただけないでしょうか。ポストポエム論は表現の幅を狭めることを詩人に求めているわけではありません。その辺りの議論が交わせるとしたら、このコメント欄ではなくTwitterでお願いしたく存じます。 (別れの流星群)

2019-03-06

コメントありがとうございます。 確かにおっしゃる通り、この詩でも固有名詞を使っておりました。そして、みうらさんの作品のように、固有名詞を知らない人のイメージを膨らませるような、固有名詞の効果的な使い方が出来ていないのかもしれないと、改めて読んでみて思いました。自分の作品での固有名詞の使い方が「理解できる人に伝わればいい」という、非常に内向きなものになっている気がしました。固有名詞のイメージに胡坐をかいていたのは私のほうだったのかもしれません。 大変勉強になりました。ありがとうございます。 (夜行)

2019-03-04

拝読いたしました。 この作品は、タイトルの「Saul Leiter」を知っているか否かで印象が全く変わってくると感じました。私は「Saul Leiter」を知っていましたので、この作品のイメージが、まさに「Saul Leiter」そのものだと感じ取ることができましたが、「Saul Leiter」を知らない読み手が読んだときに、果たして同じ印象を抱くかどうか、私には分かりません。「Saul Leiter」を知らない場合に、この断片的なイメージを読み手が接続できるかどうかという点で、少し私は疑問を感じました。ただ、この断片的な感じさえも「Saul Leiter」であることはとても理解できるので、私個人としてはこの詩の断片的な感じの「効果」は「Saul Leiter」にマッチしていると感じます。普遍的かどうかと言われると判りませんが、私はとても好きな詩です。 (Saul Leiter)

2019-03-03

拝読いたしました。 渡辺八畳@祝儀敷さんがコメント欄でも指摘されていますが、この詩において「フレンチトースト」はかなり取り扱いの難しい単語だと感じました。私個人としては、二回出てくるのは、少し違和感があると感じました。二回出てくるにしても詩人の作意が強くないような感覚を読み取ってしまいました。一回に絞るか、もしくは複数回繰り返して「フレンチトースト」でリズムを刻んでしまうか、どちらかに振ったほうが詩としての面白みが出るのではないかと感じました。 (生死の循環)

2019-03-02

拝読いたしました。 優しい詩だと思いました。ですが、あまりに読み手の読解力を信頼しすぎた詩になってはいないでしょうか。この詩は読み手がそれぞれのイメージをあてはめられる器の大きな詩だとは思いますが、詩人が伝えたいイメージというものが弱いように感じました。私のほうに読解力がなかったと言われてしまえばそれまでですが、stereotype2085さんがコメント欄でおっしゃっているような、「別れの瞬間の気持ち良さ、健やかさ」を読み手に与える方法としては、あえてそういう手法をとっているとしても、ピントがぼやけすぎていて像が浮かんでこないような感覚に陥りました。もう少し、具体的に事物にフォーカスしても、読み手が普遍的なイメージをその詩に読み取ることができれば、「別れの瞬間の気持ち良さ、健やかさ」をより強く伝達できる詩になるのではないかと感じました。 (別れの流星群)

2019-03-02

鈴木歯車さま コメントありがとうございます。 鈴木さんはひょっとすると首都圏のお住まいではないのでしょうか? だとすると確かに第5連はぎょっとするかもしれません。でも私が考えるに、「死に対して希薄かつドライな見方」というよりも、首都圏の電車の利用者も、いつ自分が人身事故の側になるのか分からないので、ただ目を背けているだけなのだと思います。 最終連と第4連は確かに地続きですが、「戦時中の風潮」と、言い切ることができるかどうか、ぜひ、考えていただきたいのです。 講評ありがとうございます。 (捨身飼虎)

2019-02-12

stereotype2085さま コメントありがとうございます。 この拙作における「乱交パーティー」「ケシ」は自分の肉体性とは絡んでないのですが、「扱おうとしている素材の巨大さ」というのは的を射ていると思います。事実、自分の内的世界で巨大に膨れ上がる情動を、詩作品に落とし込もうと今回悩んだのですが、まだまだ自分の手癖では表現できていない部分があると、痛感しております。もっと崩してもいいかもしれませんね。つい「あてはめてしまいたくなる」ものですから、それが今回、詩情を殺いだのかもしれません。それでも、この世界観を評価していただけたのは幸いです。 講評ありがとうございます。 (捨身飼虎)

2019-02-11

拝読いたしました。 私は俳句は不勉強なのですが、「頭から毛布をかぶる小夜時雨」「春めきて水彩絵具匂ひたる」などの句は、情景が目に浮かぶようで好きだなと思いました。 拙文失礼いたしました。 (唯識デカダンス)

2019-02-10

沙一さま コメントありがとうございます。 バンクシーもそろそろキャラクターとして手垢のついた一般性を持ち始めたかなと思ったのですが、まだまだ私の作品では太刀打ちできないようですね。 今回の作品では現代的-古風の軸で言葉を対立させることは意識しなかったのですが、選んだ言葉が意外なコントラストになったようで、良かったです。一方で、自分の詩を支配下にコントロールすることができていないのは反省点かもしれません。風刺的な意識も全くなく、ただただ自己の内的世界のモチーフで詩的飛躍を描こうと思ったのです。ただ、なんらか沙一さんの心に残るものがあったのなら、嬉しいです。 講評ありがとうございます。 (捨身飼虎)

2019-02-10

帆場蔵人さま コメントありがとうございます。 結局のところ、私は酷評という舞台に立つ覚悟なくこの詩に酷評OKを付記してしまったのだと思います。であるからこそ、私はこの詩に関して、「自信のない作品で統合失調症を扱う」という認識の甘さを露呈してしまったことに、深く反省すべきなのだと思います。皆様がご指摘していることからも、作品の仕上がりが物足りないというのは、共通認識というよりもすでに、客観的事実として受け止めるべきでしょう。そのような駄作が、統合失調症という深刻な疾病を取り扱うことこそが、すでにこの疾病を愚弄する行為であり、患者やその家族・関係者の皆様に失礼極まりない行為であることを自覚しなければならないのでしょう。そのうえで、「酷評の舞台に立つ覚悟のなかった作者」が、作品に対して説明責任を果たせない状態でいる状況は、愚かの極みであることを、私は自覚しなければなりません。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-18

maruさま コメントありがとうございます。 結果的に統合失調症患者の皆さまへの裏切りになってしまうかもしれませんが、私は、患者の皆さまの寛解を願う立場を取らせていただくことにいたしました。その寛解には医師の協力は欠かせないものだと私は考えます。この詩作品に関しては、その視点が抜けていたことによって、逆に患者の皆さまの症状を深刻化させる表現になっていた可能性があると言えるのでしょう。 私の統合失調症患者の皆さまに対するシンパシーは、患者の皆さまの寛解に反するものだと考えて、この度、謝罪させて頂きました。 渡辺八畳@祝儀敷さま コメントありがとうございます。 確かに、一連目の症状とその他の連の症状はあまりに差があり、詩作品としても統一感のないものになったことは否めません。作品が質として低かった事実は真摯に受け止めます。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-18

渡辺八畳@祝儀敷さま コメントありがとうございます。 私も当初は詩論を戦わせることを考えていましたが、この酷評の方のおっしゃっているような「人間性」の部分への批判に対して、いくら論を組み立てようとしても、それがすべて「人としての正義からの逃げ」になってしまうことに気づいたのです。無論、「人としての正義」に対しての疑義を唱える詩であれば、そこに踏み入った議論をすることができるのでしょうが、私はこの詩に対して、そこまでの思慮を持たずに書いていたのです。つまり、その程度の覚悟で、その程度の詩を書いていたということを、認めざるをえず、そういう不真面目な態度で書いた詩でこのB-REVIEWの作品投稿掲示板を汚していたことになります。 私は詩というものを、もっと気軽に書いて良いものだと考えていましたが、題材が題材だったので、傷つく人のことまで考えておらず、ただ、自分の狂気の作品化として、軽率に書いてしまったのです。 謝罪に対してもご批判はあるとは考えていましたが、自分はこの作品に対する人間性への批判に対しては、謝罪をするしかないと考えました。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-18

酷評を頂きましたので回答させていただきます。 まず初めに、私が統合失調症という重いテーマを自信のない詩かつ駄作でB-REVIEWに公表したことを、統合失調症の治療中の方々およびそのご家族や関係者の方々に深くお詫び申し上げます。私は、統合失調症という病気に対しての理解を深めずにこの詩を公表したことを認めざるを得ません。そのことにより、ご病気の方々が社会から大きな誤解を招く可能性を考慮しておりませんでした。同時に、自信のない詩作品の中に病気のテーマを入れ込むという無責任な態度をとってしまいました。また、統合失調症的な作風というものが批判されているという詩壇の潮流というものに対しても、無学であったことを、ここに認め、改めてお詫び申し上げます。 大変申し訳ございませんでした。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-18

IHクッキングヒーター(2.5kW)さま コメントありがとうございます。 おっしゃる通り、統合失調症患者をテーマにした詩です。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-16

stereotype2085さま コメントありがとうございます。 「気持ち良く一気に読めた」とのことで、そこに救いを得たような気持ちです。ご指摘の「込み入った悲しみ」こそが、この作品の課題だと思います。この「悲しみ」が、中途半端な多面性を抱えていたため、読者の皆さんの評価が分かれたのだろうと思っています。一つの明確なメッセージを伝えられなかったのは、今回この作品においては失敗だったのかもしれないと思いつつあります。もちろん、様々な解釈が可能な作品があるのも知っていますが、今回のこの「嗚咽」に関しては、明確な伝達意図がありながら、その意図がすべての人には伝わらなかったと、振り返って考えています。 ですが、stereotype2085さんに評価いただいたこと、改めて感謝いたします。 講評ありがとうございます。 (嗚咽 *)

2018-12-13

つきみさま コメントありがとうございます。 私も、詩を書くにあたって、読者がどう理解するかということへの配慮が欠けていたのかもしれません。改めて気を付けて詩作をおこなっていこうと思います。 (嗚咽 *)

2018-12-13

るるりらさま 承知いたしました。 こちらこそ、誤解して申し訳ありませんでした。 どうか、お気になさらず。 (嗚咽 *)

2018-12-13

お世話になっております。 すでに投稿している拙作「嗚咽」「魔法」「名前」「ビューティフルマインド」の酷評OKをここに表明します。 よろしくお願いいたします。 (【実験企画】酷評OK箱の設置 )

2018-12-13

みうらさま コメントありがとうございます。 説明をさせてください。小林素顔がみうらさまのコメントから読み取る限りでしかないのですが、みうらさまは小林素顔のこの詩において、以下の三点の誤解をしておられるようです。 1.みうらさまの考える「あれ」と、小林素顔の考える「あれ」が同じものだと考えている点 2,この詩の作風が「ライトな文体」だとして、その「ライトな文体」が「あれ」を貶めていると考えている点 3,「あれ」が崇高なものだと考えている点 小林素顔がこの詩の中において、「あれ」として指示しているのは、具体的な現象の列挙ですが、みうらさまの考えておられるような「ヘビーなこと」だとは一言も言及しておりません。小林素顔としては、「詩人に共通しているであろう感覚」として書きはしましたが、みうらさまの考える「あれ」として書いたつもりはないですし、各詩人それぞれによって「あれ」は違うものだと小林素顔は考えております。小林素顔は、個々の詩人の「あれ」を貶めるつもりはありませんが、それほど崇高なものだと思ったことはありません。しかし、この「名前」という作品での文体によって、「あれ」を貶めようと考えたこともありません。むしろ「あれ」を、個々人の中でより親しみやすいものにとらえていただきたいと思って書きました。この詩が、みうらさまの「あれ」を貶めるような作風になっているのだとお考えであるとするなら、それは、小林素顔とみうらさまの「あれ」に対する価値観の違いということではないでしょうか。 もちろん、詩人が作品を発表した時点で、その作品は読者のものになりますので、解釈は自由なのですが、この詩を評価してくださる方々もいらっしゃいますので、小林素顔なりの、この「名前」という作品への弁護をさせていただきました。 失礼いたしました。 (名前 *)

2018-12-12

帆場蔵人さま コメントありがとうございます。 お褒めいただき光栄です。 「あれ」は、様々な読者や詩人の中で、それぞれに違っているものなのだとは思うのですが、その「あれ」について考えながら、作品を形作っていくことが、詩人の使命なのだと思います。 改めて、講評ありがとうございます。 (名前 *)

2018-12-11

斉藤木馬さま コメントありがとうございます。 改行に関しては、特に意識したわけではないのですが、ひょっとすると自分自身が落語に興味があり、その語り口の再現を無意識に改行で行っていたのかもしれません。それが功を奏して「突っ込みを入れながら読んでいる」作品世界を斉藤さまに提供できたのかと思います。 改めて、講評ありがとうございます。 (名前 *)

2018-12-11

蔀 県さま コメントありがとうございます。 そしてお褒めいただき感謝です。 何回も読みたいとおっしゃっていただき恐縮です。 (名前 *)

2018-12-10

stereotype2085さま コメントありがとうございます。 この詩を書いた後、自分でも「あれ」とはいったい何なのか、考えることが幾度かありました。しかし、「個人的な内的世界のパラダイムシフト」なのか、「意味性と身体性との連結における良性心身症」なのか、色々と名前を付けようとしたのですが、どれもしっくりこず、「あれ」のままなのです。詩人としては、やはりそこを言語化して、自分の外の世界へ送り出すことが使命だとは思うのですが、こればかりは一生かかっても、できるかどうか分かりません。もし、それができる詩人がいらっしゃったら、私は全力で応援しますし、それが実現したときは、まさにこの世界が「パラダイムシフト」を起こす瞬間になると思っています。 改めて、講評ありがとうございます。 (名前 *)

2018-12-10

拝読いたしました。 とても素敵な詩だと思いました。祈りの形をとった詩は、人によっては好みが分かれるでしょうが、すがるような気持ちを素直な文体で書き綴った詩人の、儚ささえ感じさせる詩情には、感動を超えて衝撃すら感じます。この詩はとてもいい詩です。「最古の詩人」という、時空間を超えた存在に対して声を届けようとする距離感は、浪漫的でもあり、しかし実に敬虔です。「最古の詩人」に対しての敬意と畏怖が感じられます。「最古の詩人」は神もしくは天上の存在の暗喩なのかもしれませんが、そのような理解が成り立つとすると、他の読者の中には興ざめしてしまう方もおられるかもしれませんが、私は一層、この詩人の敬虔さに対して、「動かされる」感じがします。 素晴らしい詩を拝読いたしました。 失礼ながら、このような形で、感想とさせていただきたく存じます。 (最古の詩人に捧ぐ)

2018-12-09

ご回答ありがとうございます。 この詩人が「統合や主題性の回避」を目論んでこの詩を書いているのだとしたら、それは失敗に終わっているのではないでしょうか。 まず「統合の回避」について分析するならば、統合の回避によって何らかのイメージが表れるべきだと思われますが、それがこの詩にはありません。ぶつ切りの文章が並べられているだけです。これは「統合の回避」ではなく「統合の失敗」です。さらに、「主題性の回避」に関して申し上げれば、最初の行で「大海原」という「水平線」をイメージさせる単語を採用し、最後の行に「地平線」を採用したという点で、視野が広がる印象の単語が対をなしてしまい、最初と最後が「統合してしまっている」ため、詩人の意図のいかんにかかわらず、主題性めいたものが立ち現れてしまっています。この「統合に失敗した全体の文章」と「統合してしまっている最初と最後」とがこの詩を構成していることによって、「言葉が噛み合う」ことも「言葉が噛み合わない」こともできない、矛盾した詩になっていると言えるでしょう。「統合の失敗」「主題性の回避の失敗」という、二つの失敗をもたらしていると見られます。したがって、「統合や主題性の回避」によって表現されているこの詩に、立ち現れてくるイメージは、読者である私個人としては、皆無だったと言えます。ただ、イメージが立ち現れてくるのを否定したいという詩の目論見があるのであれば、それは成功だと言えるのではないでしょうか。 失礼ながら、ご意見させていただきました。 (大海の王者)

2018-12-07

つきみさま コメントありがとうございます。 面白いとおっしゃっていただけて光栄です。中毒性があるという評価として受けとめて、喜びたく存じます。 改めて、ご講評ありがとうございます。 (名前 *)

2018-12-06

×直裁→〇直截 でした。誤字失礼いたしました。 (瓦礫の淵)

2018-12-05

拝読いたしました。 ぱっと見、素敵な詩だなと思って、熟読しても素敵な詩だったので、なぜこの詩に対して自分が素敵だと思ったのかを考えました。 「少年と少女と都市」というモチーフは、一歩間違えれば読者に陳腐な印象を与えますが、一方で、どれだけ繰り返し語っても語りつくせない魅力的なテーマであるとも言えます。それを詩の軸に持ってきたうえで、この詩の素敵な部分というのは、「2018年12月の現在進行形のはかなさ」なのだと思われます。それは、日付を明記しているだけでは語れない、2018年末の雰囲気を、この詩は十分に表現しているからだといえます。具体的に言えば「プログラミング」「プロテクト」「ビットコイン」という単語が、直裁にその役割を果たして、「少年と少女と都市」のイメージを、しっかりと時代的に更新しているのだということです。 この、現在進行形のはかなさは、いまこうして、ウェブ上で読んでいるからこそ浸れる、一種の「事件性」であり、次の瞬間には感動が変質して劣化している恐れもあります。それでも、この詩は、いま、目の前で、読む価値のある作品だと思います。 失礼ながら、講評させていただきました。 (瓦礫の淵)

2018-12-05

拝読いたしました。 疑問が2点、浮かびました。 まず、題名と序盤で海を示唆しながら何故最後の行で唐突に「地」平線が出てくるのでしょうか? それから、全ての行が意味の連接を欠いているように見受けますが、これは詩的飛躍と理解してよろしいのでしょうか? 宜しければご回答を願います。 (大海の王者)

2018-12-05

渡辺八畳さま コメントありがとうございます。 題名なのですが、一応説明させていただきますと、同タイトルの映画がございまして、オマージュのつもりでつけたものだったのです。申し訳ございません。 形容詞しかない感じというご指摘ですが、内容となる軸の不明瞭さは、おそらく、私自身の狂気への観察に対する覚悟の足りなさであるとか、無名性を好んで主体性を読者に放り投げる私の癖であるとか、そういったことが裏目に出ているのだと思います。 改めまして、ご講評ありがとうございます。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-05

拝読いたしました。 この詩を読んでいて感じたものは、まず第一に「リズムが悪い」ということでした。それは私の好みの問題であり、リズムを否定して論理を突き詰めていく詩のスタイルもありますから、それはまず問題ではないでしょう。しかし第二に感じたことは、「メッセージがない」ということでした。ともするとこの詩人は自分の苦しみや悩みを虚心坦懐に記述すれば何らかのメッセージが相手に伝わるのだろうという考えだったのかもしれませんが、それはメッセージではなく、「詩人の思考」であり、詩人がアウトプットする段階に達していない「詩の材料」だと言えるでしょう。「詩の材料」をもとに、読者を振り向かせるための「メッセージ」を構築しなければ、この詩は「材料の陳列」にとどまった作品のままだと言いうるのではないでしょうか。ではどうすれば「詩の材料」を「メッセージ」にすることができるかといえば、ここまで評しておいて申し訳ないのですが、それは私もいまだ達していない領域で、自作品に反映させることができていない状況なので、ご提案することができません。 一緒に悩んでいければいいと思います。 失礼ながら、ご意見させていただきました。 (「願望」)

2018-12-05

みうらさま コメントありがとうございます。 講評をいただいて改めて読み直すと、確かに、狂気に真正面から向き合って描写するか、ノスタルジーを前面に打ち出した詩にするか、どちらかに寄せたほうが、より尖った仕上がりになったかもしれないと、反省しております。本人としては、狂気が時間軸の中にあり、過去と現在が判然としない状況の中で生きていることを表現したかったのですが、成功とは言い難いかもしれません。 改めて、講評いただきまして、ありがとうございます。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-05

拝読いたしました。 この詩の第一印象としては「何かが欠落している」でした。その原因は何かを考えていると、繰り返して出てくる行にあると思いました。詩人は、この繰り返しが音楽性か詩情を伴った何らかの効果をもたらすと意図して書いたのかもしれませんが、個人的な感想としては、それが逆効果になり、ある種の弛緩を与えてしまっていると思われます。それから、 >グラスをかたむけて唇を染める >幾戦もくぐり抜けた土が言う >グラスが割れたらさようなら >ボトルが空いたらこんばんは 単一で存在しているこれらの行に関しては、繰り返しの行に比べてもモチーフの印象が弱く、すこしデカダンスにすぎると感ぜられました。これはあくまで個人の好みによりますが、この単一で存在している行を、この詩において最も伝えたい力点として重視し、もう少し、読者の胸先に刃物を突き付けるかの如く、迫るような一行を練り上げなければならないと感じます。 ただ、この弛緩と耽美こそが詩人の表現したいものなのだとすれば、その表現は成功していると思います。 失礼ながら、ご意見させていただきました。 (強盗列車)

2018-12-04

鬱海さま コメントありがとうございます。 自分の伝えたいことが伝わっていることに、少しホッとしました。 >共感以上の、読み手が思わずその表現から >意味を汲み取ろうとしてしまうような箇所 >みたいなのが個人的には欲しい おっしゃっている事はなんとなくですが理解しています。 この詩には飛躍がほぼ皆無です。自分も、読者に、パズルを解くように詩を読み解かせる醍醐味を提供したいとは常々思っているのですが、なかなかにうまくはいきません。精進します。 改めて、講評いただき、ありがとうございます。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-04

つきみさま 講評ありがとうございます。親切という視点で詩を考えたことはなかったので、新しい考え方を得たような気がします。個人的には、「どのように詩を書けば読者に自分の『感情』を伝えられるか」は、いつも考えているので、そこが「親切さ」という部分につながったのかもしれません。 武器を増やして、自信をコントロールし、詩とは何かを自問しながら、これからも詩作を続けたいと思います。 ありがとうございます。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-04

失礼いたしました。 自分の詩に自信がないもので、つきみさんのコメントを皮肉と受け取ってしまいました。誤解をしてしまい、大変申し訳ありませんでした。 詩とは何かという問題については、至らない自分にとっては、生涯追求していく問題だと思います。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-04

コメントありがとうございます。 思い出であって詩ではないかもしれませんね。 (ビューティフルマインド *)

2018-12-04

拝読いたしました。 これは個人的な好みなのですが、第四連の一、二行目の抽象的な単語を、もう少し具体的にといいますか、心理描写を体の挙動で表現できるのではないかと思いました。そうすると第四連が、詩の中で浮かずに済むのではないかなと思ったのです。もちろん、そこで詩としてのフックをもたらすために敢えて抽象語を持ってきたという解釈もできますが、個人的には第四連が惜しいのかなと思いました。 失礼ながら、ご意見させていただきました。 (赫 *)

2018-12-04

拝読いたしました。 ぱっと見、ユーモラスな雰囲気の詩だとは思ったのですが、「5×5=青いタヌキ」が多くの日本人に共通のイメージをもたらす具体的なモチーフだと思われたため、そのほかの段の掛け算にも、なにか原典があるのかという気になってしまい、想像力を働かせるよりも、自分の無知を気にするような、入口の狭い詩になった印象を受けました。実際に原典があるなのだとしたら、私の無知をお許しください。もし、言葉の面白さで読者の想像力を喚起しようと思っていたのでしたら、5の段の掛け算が非常に惜しいものだと考えられます。 失礼ながら、ご意見させていただきました。 (ニューヨーク天神駅84「小児教育」)

2018-12-01

ありがとうですぞ (名前 *)

2018-12-01

拝読いたしました。 なぜか萩原恭次郎の『死刑宣告』を思い出しました。!マークぐらいしか共通点ないのですが、勢いと情景と文体がアナーキーと申しましょうか、実に力強い。 盆と正月と世紀末と改元が一度に来ると、確かに心はこれくらい浮き立つものかもしれません。 面白かったです。 (御節と鰹節)

2018-11-28

拝読いたしました。 個人的には好きな詩です。これぐらいモチーフとの距離感があるほうが自分の好みではあるのですが、淡白といえば淡白かもしれません。もう少し深掘りできる余地のある作品なのだと思います。ただ、そこを深掘りすると、この詩のモチーフとの距離感による幻想感が、なんというか、額縁に飾られた絵のなかの世界に触れられない感じといいますか、そういう寂寥感が失われそうな気がして、それも惜しいと思うのです。 私はこの詩のこのままの姿でもいいと思っています。ただ、もっと良くなる余地もまたある詩なのだともおもいます。 (境界)

2018-11-25

るるりら様 コメントありがとうございます。 ご指摘を頂いてから、なぜこんなケアレスミスを犯していたのかと、自分でも唖然としました。てっきり自分は、読者が、ある種の物語的に、「詩人はオフィスのデスクに座り、詩人の上司たる人へ、心の中で呼びかけている」シチュエーションを読み取ってくれるだろうと、勘違いしていました。自分の筆力を過信していた部分もございます。 私のミスです。申し訳ありません。 (嗚咽 *)

2018-11-24

みうら様 コメントありがとうございます。 この詩は、確かに、読者を多く獲得しようと書かれた作品です。小説投稿サイトに掲載していたものを、ほとんど改稿なしで掲載したため、そのような印象を抱かれたのかもしれません。仰るような指摘でのアプローチで詩を書いたことがないため、どこまでできるか分かりませんが、固有の誰かを意識することを、この作品の改稿や、新しい詩の執筆に取り入れたいと思います。 お褒め頂き、ありがとうございます。 (魔法 *)

2018-11-23

ふじりゅう様 コメントありがとうございます。 この詩は「詩っぽく書こう」と意気込んで書いたので、それが功を奏しているようで嬉しいです。特に最後の三行は、出てくるまで時間がかかったのもあり、表現が成功したのだなと感じます。 お褒め頂き、ありがとうございます。 (魔法 *)

2018-11-23

南雲 安晴さま コメントありがとうございます。 私の伝えたかったことを私以上に具体的に理解いただき、かつ詳細に説明頂きまして、申し訳ないくらいです。拙作そのものよりも、私の伝えたかったテーマが皆さんに理解いただけるコメントだと思います。 本当に、私から改めて説明を加えることができないくらい、緻密に解釈頂けたことに、感謝します。 まことに、ありがとうございます。 (嗚咽 *)

2018-11-23

藤 一紀様 コメントありがとうございます。 自分の詩ではあるのですが、ご指摘いただいたような解釈の仕方があるのだな、と、初めて知りました。詩は発表された後は読者のものになるとは言われますが、藤さんのコメントのような、ある種の散文詩的な世界が読者に広がるというのは、詩人にとって誇らしいことだと思いました。 ありがとうございます。 蛾兆ボルカ様 コメントありがとうございます。 詩人が、自分の書いた詩によって、作成意図とは異なる印象を読者に与えたとしたら、それは詩人の技量不足であり怠慢です。つまり私のせいです。共感できないのも無理はないと思います。共感頂けるだけのものを描写できなかったのは、私の技量不足という点につきます。 今後とも、率直なご意見をよろしくお願いいたします。 (嗚咽 *)

2018-11-22

まりも様 コメントありがとうございます。 個人的には「社会的な事象が目の前を通り過ぎていく無力感」を表現したかったのですが、仰るように、オムニバスで沢山の景を並べていくのは、詩に深みをもたらさない技法なのだなと、指摘を受けて確認しました。 本人としては社会派の自覚も正攻法の気構えもなく、結構ひねくれた気持ちで書いたつもりだったのですが、受け手によってこんなにも感想が違うのか、というのを知り、改めて詩というのは難しいものだと再認識いたしました。 ありがとうございました。 (嗚咽 *)

2018-11-22

読点に情景のカットインを、句点にイメージの集約を、括弧の使い方に時空の飛躍を感じて、そのシチュエーションの推移に、気持ちのいい詩情を喰らった感じがしました。好きな詩です。 (無題 *)

2018-11-22

アリとキリギリスという古典の、大きく懐の深い箱に、現代日本の時代性を放り込んでシェイクすると、このような面白い作品が生まれるのですね。興味深いです。 現代アメリカ・EU諸国・中国やロシアなどの場合でのパターンもみたいような気がしますが、そうするとエスニックジョークに堕ちてしまうかもしれませんね、失礼しました。 ともすると悲しさが前面に出てしまうモチーフを、関西弁の力で柔らかくしているのは、技術が高いと思いました。 (アリとキリギリス)

2018-11-22

私は、この詩について「スペースと読点の使い分け」に着目しました。この詩で使われるスペースには、詩が描く情景に意識が止まる/振り向かされる感覚をイメージさせる効果があり、一方で読点には、目の前の光景に注目する/集中する感覚をイメージさせる効果をもたらしているのではないかと感じました。この使い分けが、この詩に一種独特な緊張感を与えていると感じました。 (ひとひら)

2018-11-22

拝読いたしました。 一行目でキャッチされて、そのあとスルスルと読めました。 言葉の引っ掛かりも心地よく、連ごとの飛躍感も、良い詩を喰らった感じがありました。 中盤少し説明的になっている部分もあるかなとも思いましたが、最後の連できちっとまとまりを感じられたので、私はこの詩が好きです。 (お前は独り、)

2018-11-21

口ほどに蝶

2020-04-11

恋の算数

2020-04-12

じゅうなな

2020-04-10

ねむらない

2020-05-01

月の子

2020-05-01

透明の正体

2020-05-02

神の庭

2019-05-06

君というひと

2020-05-01

世明け

2020-05-01

2020-04-28

輪郭

2020-05-04

月光刺繍から

2020-05-05

唯一の友だち

2018-09-03

静想夜

2020-05-04

ボタン

2020-05-05

めかりどき

2020-05-05

死中得活

2020-05-06

011-020

2020-05-09

年を取る

2020-05-10

海へ行こうか

2020-05-10

球根

2020-05-11

夕暮れ

2020-05-11

わかれ

2020-12-19

無題

2018-07-16

籠の私

2021-01-07

死について

2021-01-16

子ども

2021-01-18

夜、そして

2021-01-21

墓・改

2021-01-26

生きる意味

2021-01-02

君と梅雨

2020-07-20

パレード

2018-07-04

2021-01-01

天文潮 Ⅴ

2021-02-01

立春の日に

2021-02-03

冬の雨

2021-02-01

カタレプシー

2021-02-02

距離

2017-05-23

城崎嫌い

2021-02-08

無名の詩

2021-02-16

プールⅡ

2021-02-25

架け橋

2021-03-07

母のおねしょ

2021-03-08

呑む

2021-03-11

薄氷

2021-03-15

もえろ

2021-03-16

寂びる

2021-03-16

記憶の交差点

2021-03-17

四海

2021-03-20

2018-09-24

出る

2021-03-24

何者

2021-03-21

道ばた

2021-03-26

石ころ

2021-03-28

たそがれ

2021-03-25

飲みたいのは

2021-04-14