雑談ログ

カテゴリ: 雑談

旧フォーラムの雑談ログです…おろらく続きを書き込む方はいらっしゃらないと思うので、雑ですがここに一挙に貼り付けます。

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  • B-REVIEWフォーラム
    雑談
    月刊B-REVIEW

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    なかたつ
    2017年9月11日
    月刊B-REVIEW
    251回の閲覧3件のコメント
    というわけで、自己満企画を投げます。
    タイトルどおり、B-REVIEWの月刊誌を書きます。
    嘘です。
    簡潔に言えば、あるテーマで特集を組んで、そのテーマを元に作品を並べて読み比べます。そして、そのテーマとは一体何であるかに立ち返ることができれば、と。

    詩のテーマを定めることは、あまりよろしくないとは思っています。
    というのも、多義的な作品を一義的に絞り、それだけで語ってしまうからです。
    それでも、詩の読み方というのは、多義的であるからこそよくわからない。
    だからこそ、一つの詩の読み方として、何かしらのヒントを与えることができればとやってみます。
    詩の読み方など、仮説を立てて、そのはったりに説得力をいかにもたせられるかでしかないので。
    自分ルールで読んでしまえばいいと思うんです。
    それでは、さっそく、第一号「海」を刊行します。
    あ、ちなみに、発刊ペースは月1でできるかわかりませんし、第一号で終刊するかもしれません。それも皆様の反応次第ということで。リクエストにも応えます。

    7
    なかたつ
    2017年9月11日
    第一号特集
    「海」

     うみーはー、ひろいーなー、おおきいーなー♪

     海と聞けば、何を思い浮かべるだろうか。
     夕暮れの景色、かき氷の味、はたまた、焼きそばの味。こち亀で両さんが「海で食べる焼きそばは高いけど、おいしい」って言ってたのを思い出す。あとは、家族との思い出?ただの人混み。砂浜での花火。姉ちゃんのビキニ姿。日焼け。汚れるからめんどくさい。
     誰もが何かしらのエピソードを一つぐらいありそうなのが海である。しかし、その海がB-REVIEW内において、どのような舞台として描かれているのか。それを見ていくことで、海とはどんな場所であるのかをちょっと考えてみたい。

    ***********************************

    り「十戒」
    http://breview.main.jp/keijiban/?id=226
     海と聞いて、すぐに思い浮かんだ作品がこれである。
    なんてことのない海での「わたし」と「きみ」の物語であるが、「海をあたらしく塗り替えるんだ」という一行が軸となって、海での思い出を新たな時間によって塗り替える、いわば思い出の上書きをしようとしているのだ。その想いが集約されているのが「一度きりの海へ行くんだ」という一行である。
     海に限らないが、繰り返し訪れる場所に行くことは、行くことだろうか、帰ることだろうかと考えたことがある。私の答えは、前者であり、後者はありえない。なぜならば、同じ人と同じ場所に行こうと、それは時間が違ったり、また、自らの歴史の積み上げもあれば、周りの建物・人物といった背景も違うだろうから、決して同じ場所に帰ることなどできないのではないだろうか。
     この作品の舞台は何も海でなくても、そのような二人にとっての思い出の場所であればどこでもよかったのかもしれない。それでも、海には何故か人を惹きつけるものがある。この海で見えるもの、そして、願うものは、物語を捧ぐための装置であり、また、光をデタラメに反射させてしまうということ。
     人間は海の表面しか見ることができないから、いくら光が射しても、その奥を見ることができずに、デタラメに反射されて、その奥を見せまいとするその海の姿勢にはぐらかされてしまう。それでも、その奥に何かがあることを知っている私たちは、その奥が見えないからこそ、そこに何かを捧いだり、祈ったりすることができるのだろう。

    クヮン・アイ・ユウ「よごした海、しぶきあげて海」
    http://breview.main.jp/keijiban/?id=562
     これもまた海にまつわる思い出をやり過ごそうとして、「今・ここで」海を見ている語り手が存在している。「水しぶきに光が射して」と、海が在る風景にはどうしても光が付き物なのだろうか。
     さきほどの作品と違うのは、一人でただひたすらに波を眺めているということ。波は、人為的なものではなく、文字通り自然のリズムで刻まれる海の運動である。この語り手もまた、海の表面を見て、願いを込める。「ただおかえりが繰り返される日々を願っていた」と。
     海と砂浜と語り手と、海にはお決まりの登場人物に彩を加えているのが、海鳥の存在である。海鳥は、その海の近くで暮らしている、言わば海の守り神と言ってもいいのではないだろうか。そんな海鳥は、よそから来た語り手の思いを知らん顔していながらも、海の風景を素敵に彩っている。

    もう一度そらを見上げると
    宝石ひとつ加えた海鳥の飛翔で
    涙が止まらなかった

    sizuku000「一人称多数」
    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=677
     前二作が海の表面を眺めているのに対して、この作品では、海の中を描いている。それも深海の様子を。厳密に言えば、深海そのものではなく、夢のイメージと重なっているのだが。
     深海を直接目で見ることは、並の人間では到底無理である。深海に到達しようとも、光が届かないであろうから、そこに何が拡がっているのかを見るのは、やはり難しい。それでも、知識や想像力によって、深海が描かれている。
     深海には地面があるものだから、椅子を置ける。この深海はまるで喫茶店の模しており、人だけでなく、海に生きる生物が寛げるような、そんな安心感を思わされる。
     それでも息が続かないのか「そろそろ限界が近いかな」という自意識も存在している。そして、「カップをもう1つ」と、誰かを誘おうともしている。それだけ心地よい場所であるのかはわからないが、それでも、人を呼びたい思いに駆られている。
     海は、1人でいるべき場所ではないのだろうか。

    二個優「漣星の映る海」
    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=706
     この作品の舞台はきっと海ではない。それでも、タイトルに海が入っている。では、一体どこなのかと。「直立するBLDG.」「都市」「電子音の号令」と、おそらく都会が舞台になっている。
     それでも、この都会には雨が降っている。「耐え間なく絶え間なく/幾たびもまた幾たびも/あめがふるから」と、きっと止め処なく雨が降り、この都市は水に沈んでしまっている。そして、そこを歩く人の運動によって、波がおきて、人から人へ何かが伝播しているのだろう。
     何より面白いのが、水に沈んだ都市に生きる語り手は「すくって/すくって/すくって/くれろう_?」と、自らを魚に喩えている。これもまた、前作のように、海の中から海を描いた作品だと言えるだろう。ただ、その海が都市であるという決定的な違いはあるが。
     「魚になって泳いでゆきたい」と、「ゆうるり」「ゆうるり」と続くが、都市が沈むほどの雨はどうしても激しいものを思い浮かべ、その水しぶきもさぞ激しいだろう、という風景を思い浮かべてしまう。だが、海の中にいるものにとっては、海の表面に降る雨など関係なく、海の中には海の中にしかない、海の中にいないとわからないリズムがあるのだろう。そのリズムが「ゆうるり」なのだ。
     そして、舞台は「真夜中」でもあり、そのために、星が登場することができる余地が生まれている。ただ、雨が降っているということは、空に星は見えない。だからこそ、「明滅する虹彩」を持ち出し、つまり、泣いているのかは定かでないが、星の丸みを思わせる目玉が砕けて、この海に、点でもいいから、小さな光をもたらして欲しいと語り手は願っている。

    **********************************

     ざっと、海にまつわる作品を並べてみた。海は外から見るのが通常であるが、その中からも描くことができてしまう。
     ふと考えたことを記す。
     そこらへんにある畑や田んぼに立ち入る人はいるだろうか。あまりいないだろう。それはなぜかと言えば、土地には所有者が付き物だ。無理に入れば、怒られたり、警察を呼ばれたりするかもしれない。ちょっと極端だが。
     では、海の所有者とは一体誰なのか。正式な決まりはあるかもしれないが、それを知る人はあまりいないだろう。日常的な感覚として、海の所有者はいない、というか、あまり意識するものではない。
     つまり、海とは、誰のものでもあり、誰のものでもない。だからこそ、あれだけ同時に多くの人が集うことができ、同じ時間・同じ場所を共有することができる。誰のものでもあるから、誰しもがそこに思い出を持つことができる。誰のものでもないから、誰しもがそこに思い出を持つことができる。一人で足を踏み入れても誰にも怒られないし、誰かと行っても怒られない。自由な過ごし方ができる場所である。
     海の表面には波がある。そして、光がある。海の中には、魚がいる、つまり、生命がある。ただ、その生命を波によって隠している。光を反射させることで隠しているのだ。
    海には単位があるのだろうか。海を数える時、1…、なんと数えるだろうか。一面?一枚?一翼?一つ?一洋?一海?一? それもまた、きっと自由だ。

     最後に、ある作家の作品から海にまつわる作品の一部を引用する。

     肉体は船なんだ
         それも
     出来るかぎり遠くへ行くための船
     はじめは凄く小さいけれど
     漕いでるうちに大きくなっていく
     僕たちは海を感じて
     対岸を目指す
     遥か彼方に憧れるのは
     それが生きているということだから
     肉体は船なんだ
     傷んだときによく分かる
     沈みかけたときによく分かる

    辻仁成「彼女はここで彼女の明日を待っている」より抜粋

     この詩を読んだ時、そうか、人が海に惹かれる理由がよくわかってしまった。「肉体は船なんだ」というメタファーに、何の疑問もなく納得してしまった。肉体が船であるならば、そりゃそうか、陸なんか歩いている場合ではなく、自然と海を求めてしまうのは当然だと納得してしまったのだ。
     
     私にとって海とは、潜るものである。そして、家族と共にある場所であり、小魚が悠々と泳いでいる。その小魚に麩を食べさせ、気持ち悪がられるなまこを父が母に向かって投げ、兄が素潜りでウニを掴んでは笑顔で立ち泳ぎをしている。生後半年から毎年行っていた沖縄の海の景色は、一生忘れることはない。

    4
    まりも
    2017年9月12日
    めっちゃ楽しみなスレッド立てて下さり、ありがとうございます!不定期月刊、とか(笑)
    こういうチョイスって、けっこう新鮮ですよね。共時的なテーマが見えてきたりもする、かもしれません。
    1
    なかたつ
    2017年9月14日
    どうやら、第2号の特集がとある投稿者より寄稿されたようなので、載せておきますね。
    次号もお楽しみに!
    あ、もちろん今号も!お楽しみに!

    月刊B-REVIEW 第2号
    「空」

     そらはたかーいよー、はしごをーかけてー♪

     空と聞けば何を思い浮かべるだろうか。
     青空、曇り空、雨空、星空と空には何物かが付き物になっている。その時その場所で見える空はいつか・どこかで見た空と似ているようでいて、違うような。また、いまここで見ている空とだれかどこかで見ている空は繋がっていて同じじゃないかと考えたことがあるのではないだろうか。
     空はあまりにも当たり前の存在で、わざわざ眺めようとする時間が一日に、一週間に、一カ月に、一年に、一生にどれくらいあるだろうか。
     空を眺める時、目の前の物が見えなくなるから、空を眺めながら歩くことは危ない。誰かにぶつかってしまうかもしれない。だからこそ、空を眺める時は立ち止まるのだろう。

     ぐだぐだと前置きを書いてしまったが、さて、本題。B-REVIEWで空がどのように描かれているのかを垣間見よう。

    ****************************

    弓巠「光、落ち葉」
    http://breview.main.jp/keijiban/?id=152
     「空がすっかり/悲しくなってしまった」という一行から始まるこの作品。そうか、空は感情を孕んでいるのかと。それも人間が抱く種類の感情を。
     第二連の情景は、とても鮮やかである。雲という遮断物があるからこそ、光の姿をとらえることができる。光という全体から「見えない衣」という部分に分解されたものが地面に落ちて、枯れる。けれど、それは胸にだけ積もるという。
     そうして、その「見えない衣」を羽織ることによって、世界そのものが光に照らされるのだろうか、そのことで「全てが澄んで」いくのである。
     その後も、この光だけでなく、その光の姿を現存させる、隙間や透明がモチーフになり、「果たされなかった文字と約束が/ほろほろ、ほろほろと零れていった」という一行が軸になる。「約束というものを守ったなら/人はきっと、死んでしまう/だから流しながら/生活をしていく」のであり、人は生きるために約束を破っていく。そして、約束を守って死を迎える時、「そのとき空が白むのだろう」。
     雲があることによって分解された光は「見えない衣」となって地上に降り注ぐ、そのイメージが根底にあって、零れ落ちる約束や落ち葉が導き出されている。それが恵みであるのか悪い知らせであるのかはともかくとして、空は地上に何かをもたらすもの、何かを落とすものとして描かれている。そして、最後に「同じ虚空に接吻していた」と。これは「見えない衣」を求めて、見えないけれども確かにそこであるであろう何かにすがる様子が伺える。それは同時に、空から落ちてくるものを地上に落とさないように、口で受け止めようとしているのではないだろうか。

    白犬「ル・カ」
    http://breview.main.jp/keijiban/?id=285
     この作品は、一見空の詩だとは思えない。モチーフが様々に入り混じっており、季節・花・火などが軸になっているようにも思える。だが、それでも空にまつわる作品であろう。
     前作と同じように、光の向かう方向が軸になっている。前作と違うのは、前作が空から降り落ちる光をどう受け止めるかの作品であったが、今作は自らが光を生み出す主体となっていることである。
     「淡い光、溢れ、零れ」というのは、「火を纏う僕」が「すぱーく」して起こした光なのだろう。そして、その光を「君にもあげるよ」と差し出すのである。
     火花という文字を見れば、当たり前に見過ごしてきたこの言葉の意味を改めて考えさせられる。火花は火であり、花でもあるが、それと同時に、火でなく、花でもない。まるで火のような花であり、まるで花のような火である。どちらでもあり、どちらでもない。
     いずれにしても、火花は光である。その光を放つのは「火を纏う僕」である。
     そして、「降る//花も、降る//青い空から曇り空から//流れるように 僕の感情の花、降る//君にもあげるよ」と。
     今一度言うが、ここで降ってくる花は「火を纏う僕」が放った光である。そして、それが「青い空」だろうと、「曇り空」だろうと、つまりはいかなる空だろうと、いつだって降り注いでくるのだ。この世界はもはや「僕」の光が常に降り注ぐ世界である。そんな世界で「君にもあげるよ」と囁かれた時、その光を拒否することはできないのではないだろうか。

    tatsuhikoKAWABE「距離」
    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=355
     唐突だが、私はドラえもんが好きである。それも大長編ドラえもんというシリーズで、映画になったドラえもんの漫画版である。その中に「のび太と雲の王国」という作品がある。ざっとしたあらすじは、ドラえもんが雲を固める装置を出して、雲の上に王国を築くも予想だにしない発展を遂げて、その困難に立ち向かうというものだ。その途中で、記憶に誤りがあるかもしれないが、のび太だったかが「雲の上に天国はないのか」といったことを言った気がする。
     「天国の残りは青かった。」とは、何を意味しているのか。さきほどののび太のセリフには前提がある。それは雲の上に天国があるという前提であり、これがあるからこそ、雲の上を見た時に、雲の上に天国がないことを残念に思うことができる。
     地上から見た空に、天国の存在を思うという習慣は一体どこから生まれたのだろう。それでも、青空には何も物質が存在しないと知識で知っている以上、雲を見た時に、その裏に何があるのだろうかと想像し、そこに天国が存在するのではないかと期待してしまうのではないだろうか。まるで月の裏側を想像するように。
     つまり、雲という白い空間=天国の周りには、青い空が存在している様子を「天国の残りは青かった。」と表現しているのではないのだろうかと。

    完備「units」
    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=552
     空は通常一つであると思い、また、どこへでも繋がっていると思ってしまうものだが、「大きな星空は三つ/小さな星空は 無限個あった」と、空には決まった数があるのだろうかと、いきなりその常識をぶち破られる。
     「小宇宙(ミクロコスモス)」という言葉があるが、これは、人という存在に孕む宇宙性を表しており、小宇宙=一人の人という認識で間違いないと思うのだが、それにしてもこの作品で無限個あるのは、「小さな星空」である。新しい言葉と認識が生み出されている。
     「星空を数えるための単位」を「わたし」が知ったことで、「わたしのなかに」「小さな星空が生まれ」ていく。そうして、「わたし」がまた新しいことをしることにより、「小さな星空」が埋め込まれていく。「だからわたしは/星空でいっぱいなのだ」
     きみたちというのは、おそらく「わたし」と同じように、「小さな星空」を数多と孕んでいる存在であり、そうしたきみたちは、「わたし」と「きみたち」の元になっているだろう「三つの大きな星空」を「ひとつの《かたち》」にしてしまう。言わば、小さな星空による大きな星空への反逆ともいえよう。だが、それを名付けることはできず、「あれ」としか呼べなかった。存在は確かにそこにあるが、ただ、得体のしれない何かとして存在している「あれ」。
     その「あれ」は、「きみたちのうちのひとりが/消えてしまうとき」には、ほどけてしまい、《波》となってしまう。均衡を保てなくなり、運動へと、たゆたうものへと変わってしまうのだ。つまりは、この世界は、「きみたち」がいるからこそ、均衡を成り立たせていると同時に、「わたし」に小さな星空を埋め込んでいきながら、「わたし」に運動を与える存在が「きみたち」である。
     星空そのものは、一つの黒い空間の中に点々とした物質が浮かぶ風景である。その一つの星空=わたしの中に、「きみたち」が一つ一つ新しい星を埋め込んでいくというならば、その情景は思い浮かべられる。だが、「きみたち」がもたらすのは、一つ一つの星ではなく、星空そのものであり、まるで「わたし」という存在そのものが一新されるような、そのような感覚を覚えた。

    湯煙「週末青空わんにゃん通り食道」
    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=680
     空について描かれた作品ではないものの、新たな気づきがここにはある。
     それは、「青空わんにゃん通り食堂」といういかにもありがちな食堂の存在。いや、よく見ると食堂ではなく、食道なので、なおさらないのだが。それでも、「青空〇〇」という、青空と何かの組み合わせは何だか気持ちがよい。
     それと唯一、空という字が出てくるのが「空きっ腹」である。空という字は、「そら」でもあり、「から」という何もない状態を意味する。その二つの意味をうまく組み合わせる状態が青空であろう。曇り空は、なんだか「から」という感じはしない。詰まった感じがする。青空というのは、何もない、遮るものがない、物質が何もない、奥まで見通せそうな、まさに「から」を意味する空の状態だと言えよう。

     
    *******************************

     ただ単に、いつもの癖で作品の読解になってしまった。それでも、空に対する態度・姿勢の違いが何かしら垣間見られただろうか。

     空を何か大切なものが落ちてくると希求すること
     空を僕という存在で埋め尽くそうとすること
     空にあるだろう天国をとらえなおそうとすること
     空を自らの中に孕まされてしまうこと
     空を腹の状態と組み合わせること

     空は空である。

     冒頭に引用したのは、小学生の時に合唱で歌った「空にはつきない夢がある」という歌である。久々にこの歌の詞を見たら、非常に奥深いことに気づかされた。
     3番を引用してみる。
     空にはつきない夢がある 作詞:成瀬佐千夫、作曲:京嶋信

     3番
     空は広いよ 見渡す限り
     望の広がる 海だから
     大きい翼で どこまでも
     飛ばしてみたいな 星の源

     歌っていれば、何も疑問を持たないであろうが、よくよく見てみると、え?え?となってしまう。空が広い理由が「望の広がる海だから」と、え、空は海だったのかと。そして、最後は、「飛ばしてみたいな 星の源」と、え、空に浮かぶ星というのは、誰かが地上から飛ばした源が元になって成長したのかと。つまりは、空に浮かぶ星は、地上にある何かが変化したものだったのかと。それでも、地上で生きる希望が何だか与えられるような歌詞ではないだろうか。

     最後に、私が敬愛する詩人の作品を引用して閉じる。

     彼女は僕の見たことのない空を
     蔵い込んでいる。
     記憶の中の
     幾枚かの切り抜かれた空。
     (中略)
     ついで彼女は
     失くしてしまった空の方に
     もっと澄んだのがあったとも云った。

    飯島耕一「切り抜かれた空」より抜粋

     空は膨大で、その存在そのものをとらえることはできないから、その一部をまるで写真のように切り抜いて、持ち歩く。それぞれが持ち歩いている空は違うものだから、彼女は僕の見たことないのない空を持っている。その空に興味を惹かれて、空の話を彼女から僕は聞き出すのだが、彼女が持っている空だけでなく、彼女がかつて持っていた空がもっと澄んでいたという話をも聞き出したのだ。
     空を希求するも、空を孕むにしても、その膨大な存在を「私」という有限な存在の中にどうにか取り込むために、空を切り抜いて持ち歩くという。この作品の魅力、気づかされたことは、有限な一人の存在は様々な切り抜かれた空を持ち歩いており、その空を失くすこともあるという。だからこそ、他人の空に興味を持って、自分の空を求めて彷徨い歩くのではなく、他人が持ち歩く空を希求していくべきではないのかと。(だからこそ、飯島耕一は第一詩集のタイトルが『他人の空』だったのだろうか)
     言わば、この特集を組むということ自体が、この姿勢に繋がっていれば幸いである。他人が描いた空を希求して、その一つ一つの空をアルバムに収めるように、並べることができたのならばと。
    4
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  • B-REVIEWフォーラム
    雑談
    詩を、書き始めた時のこと、など

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    まりも
    2017年9月3日
    詩を、書き始めた時のこと、など
    119回の閲覧0件のコメント
    詩を書き始めた頃のことを記したエッセイがあるので、転載します。

    2011,3.11・・・それからの日々
    大震災から、三年目の春を迎えました。為すすべのない自分の非力さに、呆然とするばかりだった数か月間。自分にできないことばかりを数え、無力感を覚える一方で、平穏な日常に安堵し、感謝する自分がいました。複雑な心境でした。
    今、自分に出来ることは何か。そう思い始めたのは、夏を過ぎた頃だったでしょうか。当時参加していた読み聞かせボランティアの関係者から、被災地での絵本の読み聞かせや、詩の朗読活動の話を聴きました。言葉なんて、何の役に立つのだろう。そう思っていた自分が、いつしか誰かを励ます言葉、痛みに寄り添う言葉を発信する人に成りたい、そう思うようになっていました。まず自分の周り半径百メートル、身近なところから始めよう、と心に決めました。家族、友人が笑顔で過ごせるように心を尽くす。その輪が、全国に広がっていくように、「想い」を発信していく。輪の中心に立つ人が増えて行けば、全国が笑顔で覆われる。なんとも幼い発想ですが、その時は真剣でした。今考えると、そうでもしなければ、心身のバランスを保つことが出来なくなっていたのかもしれません。
    インターネットの詩の投稿サイトに参加したのもその頃です。悩みや苦しみ、漠然とした不安などを、「詩」の形で打ち明けてくる中高生、人間関係の軋轢や合理性という名の閉塞感に苛まれている若者、老いや病、理不尽な不幸の為に人間不信に陥ったり、悲観的になったりしている多くの人たちと出会いました。彼らは、応答を求めていました。単なる励ましや同情ではなく、真剣に自分たちの言葉と向き合い、共感してくれる「読み手」を求めていたのです。一人一人の向こうに広がる世界を、より深く知りたい。詩とは何か、ということを、自分の中で確かめたい。そんな思いに駆られ、詩史を学び、名作と呼ばれる詩集を読み、添削講座を受講し・・・いつのまにか、詩という「想いを凝縮した言葉の芸術」に、すっかりのめりこんでいました。
    救いを求めていたのは、むしろ私自身であったのかもしれません。私にとって、詩を書くということは、最初は他者を励ます、勇気づける、というような「目的意識」が動機であったと思います。それが、次第に自分を掘り下げていくことに向かい、やがて自己発見のための、言葉による探求となって行きました。今では、他者との差異に瞠目し、自己のかけがえの無さに相互に気づくための、灯火のような存在です。その素晴らしさを、より多くの人に味わってほしい。そのために自分に出来ることは何か、ということを、真摯に考えていきたいと思っています。 (2014年『詩と思想』4月号)

    少しだけ、補足すると・・・詩を読む、ということに、「出会った!」と思ったのは、大学生の頃。従妹の自死などの「事件」もあり、精神的な危機にあったとき・・・リルケを講読(精読)するゼミに誘っていただき、詩の奥深さに瞠目したのでした。
    以来、特に外国の詩(翻訳詩)を中心に読んできたので・・・意味やイメージを中心にした読解に傾きがちでしたが・・・実際に自分で書くようになって、言葉の響きや音の流れが生み出す質感、呼吸、切るリズム、つなげるリズム・・・といった、音楽的な美しさが気になるようになりました。読むことと、書くこと。どちらも、両輪なのだろうと思っています。

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  • B-REVIEWフォーラム
    雑談
    Bレビを去るときの〈一言伝言板〉

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    ハァモニィベル
    2017年9月25日
    Bレビを去るときの〈一言伝言板〉
    491回の閲覧6件のコメント
    最終更新:
    2017年9月25日

     ◇ Bレビューに参加してみたものの、
        どうもあまり面白くないぞ、とか、
        評価力が怪しくて真剣に作品を書くモチベーションが上がらないや、
        等々、・・・諸々の想いから

      せっかく参加した人が、いろいろな理由で、
      此処Bレビを去っていく、そういう真摯な人がおそらくきっといるだろうと思います

     そんな人が、Bレビューを立ち去るとき、

        一言だけつぶやいていく

     このスレはそんな場所です。

     ◇ 去っていく人専用の、
       ただ、一言、(あるいは 簡潔なコメント)を残していくだけ
       の伝言板なので、

       色々な人が、「一言」を、順に下へ下へと書き連ねていくようにしてください。

       立去らない人によるコメント、立去る人の発言に対する批判や論争はこのスレの趣旨に反するので一切禁止です。。
      書き込む際に、どうぞその点にはくれぐれもご注意ください。

    1
    ハァモニィベル
    2017年9月25日
    編集済み:2017年9月25日

    ハァモニィベルです。

    2017年の8月半ばから9月半ばまで、ひと月ほど参加させて頂きました。
    私がコメントさせていただいた作品の作者の皆さん、私の作品へコメント寄せて下さった皆さんどうもありがとうございました。

    特に、白島真さん、なかたつさん、前田ふむふむさん、りさん、北さん、竜野欠伸さん、コメントで交流できて嬉しかったです。有難うございました。

    私に対して、運営の方の全員ではないと思いますが、
    どうやら、下記に引用しますように、印象が悪いようなので、わたしも気がねして活動するのは嫌ですから、

    言われているように、
    黙って立ち去ることにいたします。

    皆様、さようなら。

    1
    まりも
    2017年9月25日
    大変、残念です。ベルさんが伏字にして下さった部分、私の名前が入っているのでしょうね。
    私が「紹介」した、というのは、書き手として、批評家として、かつてベルさんと他の掲示板でご一緒した時の印象があったからでした。
    花緒さんの表現もいささか感情的に過ぎるとは思いますが・・・それだけ、ベルさんに期待していた、ということなのだと、思います。(今までの、花緒さんとの会話から推しても。)至らない部分があれば、伝えてほしかった(改善のために)という意味合いが、このようなキツイ表現となっているのでしょう。
    突然のことに、私も戸惑いと共に、悲しみを覚えていますが・・・もちろん、今まで、たくさん有意義な議論を展開してくださったことにも、深い感謝の念をお伝えしますが・・・

    ベルさんが誤解されないように(黒髪さんの作品だったでしょうか)私が、フォロー的なコメントに入った時がありましたね。あの時、グループチャット内で、ベルさんを擁護したのは、花緒さんでした。花緒作品にベルさんがコメントを入れた時、白熱した感じになりましたね。あの時も、真っ向から論戦できる人が現れた、と、花緒さんは、むしろ肯定的にとらえていました。

    ベルさんの印象が悪い、のではなく、唐突な、去り方への印象なのではないでしょうか。
    突然、退会したい、というお申し出があり、その際に、ご自身の作品もすべて削除させてほしい、と伝えられた、と聞いています。その件については、グループチャット内で、原則削除はしない、ということを了承した上で参加していただいているはずですので、今回も、削除には対応しない、ということで、総員が一致しています。(私の考える、原則削除はしない、という場合の「原則」は、盗作であったり、明らかに個人的に誹謗中傷している作品であることが明らかになった場合、でした。)
    過去にも、掲示板を離れる際に、作品を取り下げたい、というお申し出を頂いたことがありますが、その際にも対応しておりません。(どうしても、という場合、発起人が「声明文」を出す形で、経緯を説明した上で、削除に応じたことがあります)他の方々との、公平性の問題もあります。
    どうか、その点に関しては、伏してお願い申し上げます。

    もうしあげたいことは、本当にひとこと。
    残念でなりません。そして、今まで、ありがとうございました。
    2
    ハァモニィベル
    2017年9月25日
    編集済み:2017年9月25日

    ここは、去る人専用の板ですから、追悼コメントは不要かつ禁止です。追悼コメントを偽装した仲間内の弁護も、無論同じ扱いなのでご注意ください。(キュレーターは何でもアリなのかもしれませんが)

    花緒さんの、DMをよく見て頂けばお解りだと思いますが、書き出しで私への敬称が抜けていますね。
    ああした無意識の言い間違えというのは、内心の本音を表現するのを御存知だろうと思います。

    いろいろ言い訳されると、私としては、別の場所でBレビュー批判の評論(題は『Bレビューの評価力について』)を詳細に書かねばならなくなりますので、一言伝言で済ませたいところです。

    まりもさんが、間でこんな風に体裁を繕うと、かえって、傍目には、

    〔私の〕「振る舞いはまりもさんの顔に泥を塗って」いる、という花緒さんのDMの文句を
    裏書するものになってしまいますよ。

    私のコメント活動
    私のフォーラムでの議論
    まあ、あと作品投稿
    最後立去る際の花緒氏への内々(DM)での相談

    わたしの「振る舞い」に相当するのは以上の範囲の活動だけですが、
    それのどれかが、あなたの顔に泥を塗るものだとしたら、

    やはりBレビューってオカシクありません?

    ということで、そこに まりもさんがさらに、キュレーター的に体裁を繕うのを見たら
    お仲間にはよいとして普通の参加者からはさらに印象は悪くなってしまうのでないかな、と(わたしなどは)思います。

    泥を塗っているのか、 泥を塗られてると思う反応がオカシイのか、

    その辺はキュレーターの評価にまかせて私はこうして立ち去るだけです。

    参加者ファーストでないことだけは、ここに明らかで、お仲間うちで、お仲間に都合のよい室内活動を参加者までもがすることを暗黙に強く要請するのは、Bレビューの「B」に由来するのかどうか・・・。

    いずれにしても、私の感受性はいち早く、ここは居心地が悪いと告げました。

    (以上は一行伝言への補足でした)
     ■本スレは、去る人専用です■

    1
    まりも
    2017年9月25日
    編集済み:2017年9月25日

    悲しいです。どうして、伝わらないのでしょうね。

    ビーレビューの「評価力」について、批判、疑問を投下してくださることは、ウェルカムです。
    マナーガイドラインの方に「 ■掲示板外で作品や作者を酷評・攻撃する行為は慎むこと。発覚した場合、厳格な対応をとる。 」とあります。 「別の場所でBレビュー批判の評論(題は『Bレビューの評価力について』)」をご執筆いただくことは、 ガイドラインに抵触する可能性がでてくるのではあるまいか、と危惧しています。(もちろん、作品、作者への批評、ではなく、評価基準や評価力への批評、と受け止めておりますが、)結果的に、ビーレビューに投稿され、大賞、優良などに選ばれた作品を間接的に「酷評」することになりはしまいか。そうなりますと、私もキュレーターとして参加しておりますので、イエローカードを発出せざるを得なくなります。フォーラムに投稿して頂ければ、ビーレビュー参加者で共有できます。
    いま、8月分の選評を編集中ですが、その文面を読んでから、ご判断いただきたかった、とも思います。そのことが、とても残念です。

    退会に際して、作品削除に応じないのであれば訴訟する、と訴えられたとのこと。話し合いを、最初から拒むような態度を取られた場合、発起人からレッドカードが発出されたとしてもやむを得ないことであろうか、とも思います。
    こんなことを、書くのは、ほんとうに嫌です、苦しいです、悲しいです、辛いです。泣き落としではありません、本心です。ベルさんを、素晴らしい方だ、とご紹介したのは、私です。ですから、なおさら、ベルさんが訴訟うんぬん、と申されたことが悲しい。

    ◇ Bレビューに参加してみたものの、
        どうもあまり面白くないぞ、とか、
        評価力が怪しくて真剣に作品を書くモチベーションが上がらないや、
        等々、・・・諸々の想いから
      せっかく参加した人が、いろいろな理由で、
      此処Bレビを去っていく、そういう真摯な人がおそらくきっといるだろうと思います
     そんな人が、Bレビューを立ち去るとき、
        一言だけつぶやいていく

    というようなスレッドを立てられたことが悲しい。評価力へのご批評、ご批判は、フォーラムなどで行っていただきたく存じます。

    くり返しますが、作品削除の件に関しましては、先のスレッドに記した通りです。どうぞ、ご理解いただけますよう。もう、コメントはいたしません。私は立ち去る人ではなく、立ちら去られる人です。これは、議論ではなく、批判でもありません。私の真情を申し上げました。以上です。
    1
    ハァモニィベル
    2017年9月25日

    上記まりもさんのコメント

    >ビーレビューの「評価力」について、批判、疑問を投下してくださることは、ウェルカムです。

    私は去るのですからナンセンスです。

    >マナーガイドラインの方に「 ■掲示板外で作品や作者を酷評・攻撃する行為は慎むこと。
    >発覚した場合、厳格な対応をとる。 」とあります。
    >〔・・・・・・〕イエローカードを発出せざるを得なくなります。

    私は去るのですからナンセンスです。

    >退会に際して、作品削除に応じないのであれば訴訟する、と訴えられたとのこと。
    >話し合いを、最初から拒むような態度を取られた場合、発起人からレッドカードが・・・

    DMで持ちかけた相談を、にべもなく「面倒だから嫌だ」
    と応じなかったのは、花緒さんの方ですよ。

    著作者人格権をご存じないようなので、訴訟の話をしたのですが、それが何なのですか。
    著作権法よりBレビューのガイドラインのが優るとでもお考えなのでしょうか。
    ガイドラインにも、著作権は作者・レッサーにある、と明記されているのを確認して参加いたしましたが、参加者の権利は軽視しているのだなあ、と驚いただけです。

    >〔この〕スレッドを立てられたことが悲しい。

    その感覚はよくわかりませんね。参加した人が去って行く時、一言その心情を述べていく場所が、そんなに不都合でお嫌なのでしょうか。
    一言くらいそっと言わせて去らせてあげる優しい人の心がないなら、どんなカードを出しても説得力はないだろう、と皆様にお伝え下さい。

    まりもさんには私を紹介した手前、辛い役目を負わされて申し訳ありませんでした。

    わたし自身は、まりもさんに誘われたので誠心誠意、時間と労力を費やして普通に参加するより力を籠めて書いたつもりでしたが、それはどうも迷惑だったのか、と花緒さんのDMで確信したので、なんだ申し訳なかったな、と去っていくだけのことです。

    一言で去らせて頂けたら幸いです。

    ご寛容感謝します(皮肉ではありません)。
    1
    花緒
    2017年9月25日
    編集済み:2017年9月25日

    私の権限で、ハァモニィベル氏にレッドカードを発出します。 去る、と言っておられる方に申し訳ないが、けじめをつけておきましょう。 以降、B-REVIEWとしては、貴殿との通交は一切、謝絶させて頂きます。 本スペース含め、B-REVIEWサイトへの一切の書き込みをご遠慮頂きたい。 守られない場合は、より厳格な対応を取ります。

    まず、本件に関する私なりの理解を記しておくと 数日前に、ハァモニィベル氏から、投稿作、コメント全ての削除要請が私宛にありました。 理由を聞きましたが、書く気をなくした、という以上の具体的な話は寄せられなかったため、 特例的対応をとる必要性はないと判断。 ガイドラインにある通り、削除はしない方針である旨伝えると、 弁護士を通じる、法的な手続きをとる、といった係争をほのめかす話が伝えられましたので、 貼り付けられたDMにある通り、削除したい理由を明確に書かれるなり、黙って去るなりすべきだと伝えました。

    私は詩歴=ネット詩歴=1年強ですが、投稿を取りやめる際に、ガイドラインに反して、投稿作を全部消せ、 というのはネット詩ではよくあることであり、この短い期間に、よく目にしてきた気がします。 また、気に入らないことがあった際に、裁判云々というのも、何度も見聞きしてきました。

    ネット詩というのは、あくまで言論の場であるべきです。 私は批判する場合は、文責や理由を必ず明示するようにしていますが、 それが言論のルールだと考えるからです。 理由を明示しない批判、係争をちらつかせた脅し等、 言論の範疇から大きく逸脱した振る舞いが横行してきたがために、 ネット詩というのは、本来のポテンシャルを発揮してこなかったのではないか、という考えに基づき、 マナーを重視する投稿サイトを有志で作った手前、 言論のルールを大きく逸脱する行為を許容することはできません。

    ですので、何が気に入らないのかも明示せず、 ただただ、全部消せだの、去っていく人間のコメントだの 嫌がらせめいた、少なくとも、言論という範疇から大きく逸脱する振る舞いを許容することは できないと考えます。

    よって、ハァモニィベル氏にレッドカードを発出します。この場の管理権は私たちにあります。書き込むなだのなんだのと稚拙な物言いをされるのはやめられたい。理由を明示せず弁護士がとまで凄まれた以上、もはや、ハァモニィベル氏には言論の場に加わる資格などない。繰り返しになりますが、本スペースを含め、一切の投稿書き込みを禁じます。

    残念な結果です。 これまでの投稿、レス付など、感謝いたします。 なお、本スペースは一定期間後、削除ないしは他スベースに移動させます。 これ以上の本スペースへの書き込みを一切、禁じます。

    花緒
    2
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  • B-REVIEWフォーラム
    雑談
    kyouto 【詩人の家】(仮名)に向けて

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    フィオリナ
    2017年10月1日
    kyouto 【詩人の家】(仮名)に向けて
    156回の閲覧5件のコメント
    アラガイ(アラメルモ)さま
    (私信からこちらに移しました。)

    拙作へのコメント、ありがとうございました!

    >(余談)京都近辺に安くて住みよい空き家はないでしょうか。追々情報を伝えて頂ければ>幸いでございます。

    そうですね。京都はやはり盆地沿いがいいと思いますが・・・。散策が楽しいですし、意外に安いかと。 (アラガイさんの苦手な虫対策はお任せください。)
    それと、交通の便がよく、遠くから来た方がたずねて来安い場所がいいですね。
    アラガイさんのご希望を何なりとお知らせくださいまし。

    家を見るのは大好きですので、近くの不動産屋さんを訪ねて、いくつかお勧めがあった時点で、 ご一緒に見に行く、というのはいかがでしょうか。

    その家や周辺でアラガイさんが暮らしを楽しまれる状態を、まず作ることが大切かも知れませんね。 訪れる人がゼロであっても、その家での孤独な日常がアラガイさんの終の棲家として、 美しく魅力的なものになったら、それだけで大成功、と私は思います。

    ユゴーの『レ・ミゼラブル』に かつて戦場を駆け巡った英雄が、晩年セーヌのほとりで、あまり美しくない女と暮らし、 美しい薔薇を育てたというエピソードがありますが、美しい庭で薔薇を育ててみませんか? その近くに私は野牡丹を植えます。

    そんな風に、(公的なよそよそしいものでなく、)個人的で小さい夢が息づいていることで親しめる場。
    そして副産物のように、ごく偶にイベントなどを計画して、少しずつ語り合える場にしていければと。

    最初から購入よりも、借家の方が自由でいいのでは無いかと思ったりしますが。 私は月5万円の極小の借家に住んでいますが、けっこういいですよ。

    清貧で心豊かに、をアラガイさんも望まれているようで、うれしく思いました。 まずは、ここでのご報告ややりとりで、イメージを少しずつ明確にしていけたらと思います。 (他の方もご希望、ご提案をお寄せくださいね。)

    1
    フィオリナ
    2017年10月3日
    fiorinaです。
    ***アラガイさん へ

    借家も売り家もネットで探せますので、家の契約まではアラガイさんが主導された方がいいですね。 具体化して人手が要る際には、ご連絡ください。 今、借家情報を見ているのですが、たとえば、前庭・裏庭付きで家賃6万円というのがありますよ。 京都駅から電車と徒歩で3,40分で、3部屋と広いキッチン。 他にも多数あるようですよ。ご参考までに~
    1
    フィオリナ
    2017年10月4日
    fiorinaです。

    ゆめまぼろしでしかなかったkyouto【詩人の家】が実現するかも!?

    アラメルモ(アラガイ)さんの事情が整いつつあるとの書き込みが、ご自身からbレビュウの掲示板にありました。 その際、天才詩人さんも「クラウドファンディング等をつかって本格的にやってみたら面白いのではないでしょうか。」 とコメントしてくださいました。お二方、ありがとうございます!

    先頃、京都に文化庁が移転することに決定しました。形が整うのはまだ先のことと思いますが、 公的な活動とともに、私的な文化活動も活発になるかと思います。 それらを踏まえ、以下を「明け方の夢~Ⅲ」として投稿します。

    なお、「明け方の夢~Ⅰ」は文学極道に、やや荒唐無稽な足跡が、 愉快なコメントとともに残されています。(本文末尾参照)

         ♢     ♢♢     ♢     ♢♢     ♢

    【明け方の夢~Ⅲ】
    (なお、これは原案幻夢ですので、他の方のご意見により全く違ったものになり得ます。)

    ①詩人が、交流する機会を持つことに対してわずかでも公的な支援を仰ぐ。 しかし、自由な個人の活動であることにこだわる。 (これは微妙な問題をはらんでいると思いますので、あくまで私的な場とするかどうか慎重に検討。)

    ②天才詩人さんの提案されるクラウドファンディングを検討する。

    ③上記の方法で、アラメルモさんの老後の資金にできるだけ手をつけることなく、 運営する。

    ④【詩人の家】の一室で、アラメルモさんにボランティアに近い管理人さんとして、 常駐していただけるかどうかを検討していただく。

    ⑤接客?や掃除は他のボランティアを募る。 (私fiorinaは、隔月で週末3日間ほどのお掃除、庭の手入れ、接客?をボランティアでできます。)

    ⑥部屋は、3室ほど(とイベントのできるキッチン付きフロア)があり、一室が管理人居住室、 他の2室が個人客室、イベント時には、女性室、男性室と分けて希望者をお泊めする。

    ⑦宿泊費は、シーツクリーニング代と光熱費実費(併せて1000円くらい?)とする。

    ⑧通常来訪や宿泊の際の飲食物は原則持ち込み。熱い珈琲のみ実費(20円くらい?)で飲める。 おいしい食べ物を、できるだけ京都で買って食べてくださるようお願いする。(京都観光に貢献。)

    ⑨イベント時は、調理の腕に自信のある方のボランティアを募り、原価(光熱費込み)で販売する。 例 お好み焼き100円 焼きそば100円 など。 収益がないことを理想とするが、もしあった場合は、管理人さん謝礼と花の種代などに当てる、

    ⑩訪れる人がゼロ、イベントの開催がゼロであっても、アラメルモさん初め支援者が、 経済的精神的に負担とならないことを出発点とし、少しずつプラスを積み上げていく。

    ⑪アラメルモさんおよび京都在住の詩人さんにお会いし、相談する。
    《付録》 明け方の夢~Ⅰ→http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/498.html#msg9175
         ♢     ♢♢     ♢     ♢♢     ♢

    写真は、ユダヤの人々を匿い逃した国境の村~NHKテレビの画面から
    1
    フィオリナ
    2017年10月5日
    【メモ】2017/10/05 fiorina

    実は、アラメルモさんの京都移住とは別に、考えていることがあるのですが・・・・。

    すでに書きましたように、京都に文化庁が移転すると言うことで、日本語の発展(および創造的破壊)に、 日夜奮闘している詩人のために、京都府又は市から、無償で小さい空き家を一軒、 貸与していただけないかと言うことです。 放置された荒れ家・荒れ庭であればむしろ歓迎で、詩を書くように、少しずつ居心地よい空間をつくっていけます。

    そして、いよいよ【詩人の家】がスタートしたら、普段は近くに住む私やアラメルモさんが、庭や部屋の掃除をしたり、 一人旅の方がいたら、お話相手になる。

    地方から待ち合わせてきた詩人たちが、そこを使うときはあらかじめ連絡をいただいて、 鍵を開けるか渡して、自由に解放する。

    従って、管理人は常駐しない通いのボランティアとなる。

    これなら、訪れる人も気兼ねなく安価に、遠い地に住む詩人たち同士気ままに京都で合流して、 何日でも滞在できます。 そういう場合の、今生じている地域の方々に迷惑にならない方途を、事前に熟知し配慮する。

    アラメルモさんのお返事を待つ間、この空想を膨らまし、実現可能かどうか探ってみます。

                   
    1
    Tensaishijin
    2017年10月5日
    フィオリナさんありがとうございます。どちからというカフェというよりシェアハウスのような発想なんですね。この方面はある程度やられ尽くしているのかも知れませんが、京都だったら外国人を泊めたりとかいろんな可能性があるのかもしれません。

    詩人向けの書店とかカフェってけっこうたくさんあると思うんですけどそこで1ー2日であっても共同生活をするという要素が入ってくると面白いですね。アートの世界でいうレジデンスのような、一定の土地に生活してそこで得たインスピレーションを糧に作品をつくる。例えばの話ですが・・・。

    わたしもアイデアとしてはかんぜんに萌芽状態なんですが、とりあえず応援の意思を表明させていただこうと思います。

    ハンドル名の件ですが、アカウント設定から修正できると思います。

    1
    フィオリナ
    2017年10月5日
    tensaisijinさん、応援ありがとうございます。

    >1ー2日であっても共同生活をするという要素が入ってくると面白いですね。アートの世界でいうレジデンスのような、
    >一定の土地に生活してそこで得たインスピレーションを糧に作品をつくる。例えばの話ですが・・・。

    そうですね。今海外の旅でも滞在型がはやっていますね。
    宿もカフェも、ほんものの京都と競争してもかないっこありませんが、
    それに、せっかく京都に来たら贅沢したいという方もいるかもしれませんが、
    そうでなく、節約しながら3-4日滞在したいというような詩人のための、
    オアシス(隠れ家?)的な 場所になったらいいなと思います。
    海外の方もいつかお招きできるかも。
    部屋の机の引き出しに、白い紙の束を入れておいて、一編の詩を残して置いていただく、とか・・・・。
    0
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  • B-REVIEWフォーラム
    雑談
    歌詞に負けた

    ログイン / 登録
    桐ヶ谷忍
    2017年9月11日
    歌詞に負けた
    388回の閲覧12件のコメント
    歌詞というと詩より一段低く見てしまう癖があるのですが
    それでもこれは歌詞に完敗した、と嬉しいショックを
    もたらしてくれた曲を紹介しようと思い、また紹介して
    頂きたいです。

    4
    桐ヶ谷忍
    2017年9月11日
    中谷美紀「砂の果実」
    歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=59726
    曲  
    全部秀逸

    井上陽水「最後のニュース」
    歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A00319
    曲  
    カバーで歌ってる奥田民生Verの方が好きなので曲は奥田さんで
    全部秀逸

    THEE MICHELLE GUN ELEPHANT「世界の終わり」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a0023f3/l002192.html
    曲  
    最後の連が特に秀逸

    松任谷由実「リフレインが叫んでる」
    歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36429
    曲  
    タイトル勝ち

    椎名林檎「ギャンブル」 
    歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B07907
    曲  
    最後の連が秀逸

    Cocco「希望の光」
    歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-141210-067
    曲  https://www.kkbox.com/hk/tc/song/0XKbK0oW6S524lil24lil0PL-index.html
    歌が出回ってなくて「試聴」30秒しかありませんでした
    東日本大震災復興ソングとして作られた曲で聴いた時は泣けました
    「灰」が最後の連で「愛」になるところが秀逸

    hide with Spread Beaver「ピンクスパイダー」
    歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=64924
    曲  
    (セリフ)部分が特にお気に入り

    L'Arc en Ciel「花葬」
    歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=65020
    曲  
    3.4連目が秀逸

    大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」
    http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35894

    作詞が銀色夏生
    1連目の、僕が君を悲しませる存在になった、と歌われていないところが秀逸
    2
    森田拓也
    2017年9月11日
    編集済み:2017年9月11日

    桐ヶ谷忍さん

    こんにちは。
    おじゃまします。

    僕も奥田民生さんは大好きです。ユニコーン時代から大好き。
    椎名林檎さんも大好き。東京事変時代も含めて。特に「幸福論」「ありあまる富」「透明人間」とか。
    L’Arc en Cielは「Dive To Blue」が大好きです。
    選曲に井上陽水さんと松任谷由美さんがあるのがとても渋いですね♪

    僕はじゃあ歌詞が特に物凄いレベルの才能で書かれてるなって曲を4曲挙げさせて下さい。

    grapevine「lamb」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a00280a/l002b10.html
    曲  http://www.nicovideo.jp/watch/sm2718828
    この歌詞を書かれた田中和将さんは天才だと思います。
    言葉の一つ一つが鋭く突き刺さってきます。

    Dragon Ash「静かな日々の階段を」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a00271b/l000b71.html
    曲  
    ラップのリズムに乗せて韻を踏んだ歌詞がかっこいいです。
    とても深みのある爽やかな歌詞です。

    Dragon Ash「Under Age's Song」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a00271b/l001a35.html
    曲  http://www.nicovideo.jp/watch/sm10052259
    「すべてさえぎる壁になるなら壁画を描いて笑い飛ばせばいい」とか天才的なフレーズ。

    ハナレグミ「家族の風景」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a002630/l004ad3.html
    曲  
    とても優しい感じの歌詞。特に第4連目の「何を見つめてきて 何と別れたんだろう」とか哲学的。
    1
    蛾兆ボルカ
    2017年9月12日
    今晩は。
    「砂の果実」、僕も好きです。

    Chara あいのうた

    トキコ あいたいよ

     

    3
    survof
    2017年9月13日
    編集済み:2017年9月13日

    こんにちは

    「そして僕は途方に暮れる」は自分も歌詞にノックアウトされて何回も聞きました。SMOOTH ACEがカバーしてるバージョンがとても好きです。

    自分も投稿させてください


    クラムボン tayu-tau

    http://j-lyric.net/artist/a00ab8a/l011de4.html

    詩が美しい、とにかく美しい。
    自分がここまで美しいと感じる詩はなかなかないです。

    東京事変 夢のあと
    http://j-lyric.net/artist/a000682/l002efe.html

    曲は本人が歌っているものがなかったので歌詞のみ
    曲も相当好きですが、歌詞だけ読んでも本当に味わい深いです。
    意味を考えるのも面白いですし、どこか文語調の文体に酔わされます。


    ほかにも沢山あるんですが、とりあえず2曲

    3
    桐ヶ谷忍
    2017年9月14日
    皆さんの「感電した」歌詞曲を紹介して下さってありがとうございます!
    ひとつひとつ聴きながら、なるほどこれはヘタな詩よりずっと素晴らしいと、ひとり感心したり唸ったり。
    「人間は自分に似ている人からしか影響を受けない」って誰かが言ったのかどこかの国のことわざだったのか忘れましたが、ご紹介して下さった皆さんの歌詞と、詩には通底するものがあるのかなとか、
    逆に自分には絶対書けないから、より素晴らしいと感じてしまうのかなとか、想像してみるととても
    興味深いです。
    「歌詞に負けた」ものをもっとご紹介して下さると嬉しいです。
    私も第2弾貼り付けてみますね。

    ZABADAK 「夏を見渡す部屋」
    歌詞 http://sp.uta-net.com/song/34490/
    曲  
    「いつか帰るところを二人探して/同じ旅をしていると信じていたの」にああこれ私が書きたかったと歯噛みしました。

    宇多田ヒカル 「Letters」
    歌詞 http://www.kasi-time.com/item-2361.html
    曲  
    君の声が聴きたい、触れたいとずっと言っていたのに、最後は「もう何もいらないよ」って行くまでのストーリーにしびれました。
    4
    森田拓也
    2017年9月15日
    編集済み:2017年9月15日

    こんばんは。
    今日もはりきっています♪
    やっぱ詩と同じくらい音楽が大好きなので。

    Grapevine「それでも」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a00280a/l0047ca.html
    曲  
    男性の恋愛感情が心象風景を通じて巧みに描かれてると思う。
    こういう歌詞が書ける人は田中和将さんしかいない。
    やっぱ物凄い歌詞の才能。

    スピッツ「メモリーズ」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a000603/l000a2b.html
    曲  
    この歌詞をラジオで初めて聴いた時、なんて素敵なぶっ飛んだ歌詞なんだろうって思った。
    草野マサムネさんの才能も凄い。

    UP-BEAT「Once Again」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a0290e7/l0128f2.html
    曲  http://www.nicovideo.jp/watch/sm1578476
    80年代の名曲。
    別れの辛さが映像が浮かぶような描写で巧みに描いてある。

    矢沢永吉「青空」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a004fcd/l006db8.html
    曲  
    矢沢永吉さんの曲では一番好き。
    深い恋愛をした人でないとこの歌詞は書けないかな?なんて思いました。

    レミオロメン「もっと遠くへ」
    歌詞と曲 
    すごく胸を打たれる歌詞。
    たぶん心に傷を負ってる人が書ける歌詞。

    Caravan「TRIPPIN’ LIFE」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a020167/l00e69d.html
    曲  
    大切な友達への語りかけがとても優しい歌詞。

    椎名林檎「ポルターガイスト」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a00450a/l001cd7.html
    曲  http://www.nicovideo.jp/watch/sm5095776
    とても不思議で幻想的な歌詞。
    古語が混じり合ってて林檎さん独特の奇妙な世界観。

    東京事変「透明人間」
    歌詞と曲 
    とても可愛くて、寂しげな歌詞。
    林檎さんの歌詞の多彩さにびっくりします。

    MONKY MAJIK「AROUND THE WORLD」
    歌詞 https://ameblo.jp/cian-westview/entry-12180517584.html
    曲  
    世界に対してのメッセージが表現豊かに描いてあります。
    世界を見つめる眼差しがとても優しい。
    2
    survof
    2017年9月15日
    編集済み:2017年9月15日

    「透明人間」自分も大好きな曲です。宇多田ヒカルさんは「桜流し」の歌詞が個人的にはかなり好きです。

    では自分も追加でさらに2曲、どちらも大貫妙子&坂本龍一さんです。一つ目は「美貌の青空」っていうタイトルがまずすごい。美しい。もう一つの「antinomy」は日本語にすると「二律背反とか自己矛盾」という意味みたいです。大好きなキーワードです。どちらの歌詞も、選び抜かれた言葉が深い余韻を残します。

    また、曲・大貫妙子さんの歌声、共に非常に美しく、別世界に連れ去られるほどの引力があります。自分の場合、曲を聞いているとき、歌詞は3分の1くらいしか頭に入ってこないので改めて詩だけを読んで見ましたが、詩としても深く美しい。ビタースイートな世界観に感電しました。


    美貌の青空

    http://j-lyric.net/artist/a0548ce/l0232e5.html

    Antinomy

    http://j-lyric.net/artist/a0548ce/l0232ea.html

    2
    森田拓也
    2017年9月27日
    おはようございます。

    今日は3曲。

    Grapevine「Paces」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a00280a/l0047b9.html
    曲  http://www.nicovideo.jp/watch/sm2167557
    やっぱ、バインの歌詞は外せないですね。
    大切な彼女を蝶に喩えられた歌詞が本当に泣ける。
    田中和将さんの天才的な歌詞の感性に僕は一生大切に付いて行きます。

    ego wrappin「かつて」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a0005d8/l00e1db.html
    曲  
    ヴォーカルのよっちゃんの歌詞。
    詩作の参考になる優れた言葉が満載の歌詞ですね。

    ウルフルズ「大阪ストラット」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a0006e9/l000efd.html
    曲  
    オリジナルは大瀧詠一さんの「福生ストラット」。
    優れた言葉遊びの感覚と、会話文の挿入の方法の点でも詩作の参考になると思った。
    1
    こーりゃ
    2017年10月8日
    スレタイをみたしゅんかんに世界の終わりをおすすめしたいと思ったらそうそうに挙げてらっしゃった
    ここはいいインターネットですね
    ぼくもひとつだけご紹介してみます

    ユニコーン-すばらしい日々

    http://j-lyric.net/artist/a0009f4/l004a8e.html

    歌詞がほんと切ない青春の終わりって感じ サビの すばらしい日々だ 力あふれ ってのはきっと反語みたいな 祈りみたいな そんな感じがかなしいんだけど まあとにかくすばらしくやっていきましょう みたいな生きることの歌詞が好きです 
    2
    祝儀敷
    2017年10月9日
    私のなかで歌詞が秀逸な二大ミュージシャンは大槻ケンヂと谷山浩子なんですよね。他にも「たま」のメンバーとか畑亜紀とかの子とか色々いますけど、この二人は当たりの率が特に高い。
    彼らの作品はどれも良いのですが厳選してちょいマニアックなのを1曲ずつ。

    筋肉少女帯
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a002b56/l00ce3b.html
    曲  
    淡々とした情景描写と強すぎるほどの厭世が美しさを生み出している。
    歌詞の「月の光をさいて 人形のはぜる音」の部分が秀逸。
    この曲に関してはヱヴァンゲリヲンとのMAD動画もとても合っている↓

    谷山浩子「キャンディーヌ」
    歌詞 http://j-lyric.net/artist/a056bc6/l02e4a4.html
    曲  
    まずしょっぱなから「7123年前に 僕と君ははじめて出会ったんだ」なのだから飛ばす飛ばす
    不気味さを感じさせてしまう危うさを背後に背負いながらもハイウェイの即物的な感覚を良い塩梅で纏い、不思議なラブソングじみた不思議な恋の曲として成立できている。
    2
    桐ヶ谷忍
    2017年10月16日
    私はあまり音楽を聴かないし、聴いてもメジャーなものしかなので
    ご紹介して下さる音楽に、こんな良いのがあったんだーとびっくりします。
    嬉しい驚きです。
    ありがとうございます。
    これでインスパイアされて詩を書く事が出来たら、と思うのですが
    なかなかそう上手くいきませんね笑
    そろそろ手持ちのカードがなくなってきましたが3曲紹介させて頂きます。

    中島みゆき「世情」
    歌詞 http://www.kasi-time.com/item-18177.html
    曲  
    カバーしかありませんでした。ご容赦。
    これは歌詞も音も私のドツボです。

    Mr.Children「シーラカンス」
    歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=57987
    曲  
    聞くところによるとこの曲は桜井氏が鬱の時に作られたとかなんとか?
    すばらしく私好みの歌詞と曲です。

    宇多田ヒカル「Be My Last」
    歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B11389
    曲  
    出だしから、私が書きたかったと嫉妬しました。
    MVは、私泣きました。MVで泣いたのはこれと、BUMPの「K」しかありません。
    1
    Migikata
    2017年10月18日
    僕が紙に書いたものを読んでもこれは、と思うのは忌野清志郎と桑田佳祐です。ありゃ凄いね。


    スローバラードは傑作中の傑作。完璧だけど、他にいい詞が多い。そういえば詩集として歌詞集、出しちゃっていたっけ。

    アイドルの歌詞らしい歌詞で好きなのはこの曲。


    こんなこと女の子から言われたら意識が飛ぶね、きっと。言われなくて良かったw
    ただ一つ気になるのは「映画で見たセシル」は嘘を言ったのか言ってないのか?おそらく言ったんだろうけど、文法的にはどちらにもとれるような。自信をなくして迷ってますw
    2
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  • B-REVIEWフォーラム
    雑談
    キュレーターたちへ

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    こーりゃ
    2017年10月27日
    キュレーターたちへ
    115回の閲覧2件のコメント
    チャットだとどんどん流れていっちゃうし、みんなの議論をとめることにもなりかねないので、ちょっとこの場を利用して、俺の考えるところを発信してみたいとおもいます。

    俺は友だちのやろうとしてることは極力協力したり、勇気づけたりしたいタイプです。そうじゃなきゃ関係にコミットする必然性がないと思うからです。そもそも俺のビーレビューとのかかわり合いは、ブンゴクで天才と論戦したところから始まっていて、それは自然発生的というか、お互いの自発的なアクションから生まれたもので、どっちもそれがこんな風なかかわり合いになるとはゆめにも思ってませんでした。そこから、音声ファイルのやりとりが生まれ、ブログという形に発展し、投稿掲示板という媒体になりました。そのフローはかなりエキサイティングだったし、ある種の可能性を感じさせるものでした。どこまでもメンバーたちが自発的で、偶発的だったのがキーポイントだと思うのです。

    何度も言ってることですけど、俺は投稿掲示板には端からあまり意欲的でなかったです。いくつか理由はあるんですけど、やっぱり投稿掲示板というフォーマット自体がけっこうアナクロなもんで、そのポテンシャルに懐疑的なところがあるからです。ただ、仲間がやりたいというんだったらやればいいし、手伝いたいと思うことは手伝いたいと思うんです。はじめから否定することは簡単です。でもそれは仲間の自発性を削ぐことになるし、そんなことをすれば何も生まれないことは明白だからです。だから、僕は違うなと思っても、それがよっぽどクリティカルなことでなければ、だいたい黙ってます。自分にはない知見を他のメンバーは持っているし、いつでもそれに賭ける態度をもちたいと思うからです。

    ちょっとみんな覚えてるかどうかわからないんですけど、俺が初期ビーレビューで最初に言っていたのは、スタンドアローンな関係を望む、ということです。必要以上に意見の擦り合わせみたいなことをするのは意味がないし、有害ですらあるといまでも思っているからです。

    理由は大きくわけて3つあります。
    ひとつめは、システムみたいな汎用性のあるものを構築し、ひとつの総意みたいなものを提示するオリエンテーションをもてば、たしかに合理的に、定量的に人材を使っていけると思うんです。ですが、それだと既存のネット詩メディアの二番煎じに過ぎないし、俺はそんな形のメディアになんら希望を見いだせないということです。現代詩フォーラムだとか、未詳24、ぽえ、文学極道、それぞれ優れた作品を、産み出し、キュレートしたものの、ネット/現実のバイナリーを超越できず、言ってみればそれはただのネット文芸部の盛り上がりみたいなものに過ぎなかった。そして、やがてどれも同じ理由で衰退していきました。運営する側の人間たちの意欲の減少という形です。総意というもののために、代替可能な人材たちの労力がただやみくもに消費されただけだからです。

    ふたつめは、これは個人的なもののみかたかもしれませんが、現代民主主義的な手続きを経た意見というものの脆弱性を感じるからです。みんなで、ひとつのことを話し合えば、ある一定の意見を吸い上げつつ、ある種のトータルなものが出来上がります。それは広く浅く人を説得するには足るでしょうが、どこか妥結的で、帯に短したすきに長しというような、どっちつかずの論理になりがちだからです。これは、デカルトが言っていたことで、僕も同意するのですが、ある1人の人間がすべての工程を担った家のほうが、あらゆる人間の手にかかったものよりも、クオリティが高いというテーゼです。たしかアテネの法律よりも、スパルタの法律のほうが明快であるし良く人を御しうる(浅学なので正確性にかけるかもしれませんが、リュクルゴス1人が作った法のほうが、委員会の合意でできていった法よりも、矛盾が少なく、人を説得しうる強度をもつ、といった論説であったと思います。マキャベリもたしか似たようなことを言っていたように記憶してます。

    みっつめは、これが一番重要なことだと思うのですが、我々スターティングメンバーたち、ならびにキュレーターたちは、だれも共通の土着性、社会性を持っていないということです。同じ団体にも、会社にも、組織にも属していません。それは誰も同じ目的と動機を持っていないということだし、どこまでも身体を伴わない、純粋にバーバルな、論説のかかわり合いであるということです。そして俺はその特殊な関わりに大変な可能性を感じます。俺がビーレビューで一番すごいなと思ったことは、いままでのどんな運営メンバーとも毛色が違うということです。これだけ多様で別種な面子を集めることは、人為的には恐らく不可能だし、ある種の偶発性がなければ、実現できないことだったと思います。ひとりひとりが、それぞれの領分をもって、ただ言説をもって参画する、それはほとんど原始的で、野蛮な関係性とも言えると思います。でもだからこそ、インターネットという新しいテクノロジーが実現した、既存のどんなものとも違う、ひとと、ひとの、本当の意味での「馴れ合い」に、俺は可能性を信じています。だから、ひとりひとりが本当の意味で、個性を確立して欲しいと思ってるんです、そしてそれは何かを誰かに伝えることに他ならないはずだ。他の誰でもない、誰もいままで体験したことがない、あなたという個性を持ち寄って、言いたいことを、その個性にたちかえって、ぶつけ合う。それが俺の信じるビーレビューの可能性です。

    そしてできるなら俺はみんなにその可能性を信じて欲しい。今後、どうなるかはたしかにわからない。また偽善だと言われるかもしれないし、俺なんかはすぐやめちゃうかもしれない。ひとびとはいろんなひとがいて好きなようになんでもかんでも言いますよ。そしてどんどん思う存分好き勝手に言えよと俺は思ってます。そして俺だって好き勝手なことを言う。好きにやろうマイメン。それが俺たちをどこかに連れていくよ。そしてそれはまだだれも見たことのない世界だ。とにかくそれは俺の直感にかけて言い切ります。

    1
    まりも
    2017年10月28日
    初期のブレストに参加していない、立ち上がってからの参加(遡って、放送聞いたリ、ブログ読んだりしつつ)なんですが、共感するところ多いですね。
    個人誌を(いますぐに、ではないけれど)出したい、自分の責任の範囲内で、ということを考えた、というか、思いついた、やりたくなった、のは、その辺もあるのかな・・・。
    きりっと引き締まった掌編小説とかショートファンタジーとか、その人独自の文体や律動を感じさせる「エッセイ」とか、ストイックな(没個性的な)論文体、いわゆる既成の文体でありながら、その人の探求心や熱意を感じさせるテクストとか・・・手紙文、日記文も含めて、あるいはブログ体、スマホ体、と名付けたいような、新しく生まれつつある文体(短い改行を重ねて、スクロールで読ませる形)など、いろんな可能性があるだろう、と思っていて・・・

    汎用されている(流通している)日本語という共通ルールの中で、どこまでおもしろいことができるか、そんな遊び場というのか、実験場というのか、競技場(闘技場まで行くかどうか、は、また、ちょっとずれるかもしれないけれど)のような場所が出来ればいいな、というのはあって・・・その意味では、私は「投稿掲示板」を、古いとは全然、思っていない。

    でも、詩誌や書籍、といった、いわゆる「紙媒体」は、100年以上もの間、飽きられることがなかったのに、掲示板の場合は、どうもそうならない。それはなぜなんだろう(ビーレビューが、ということではなく、コーリャさんの話を読みながら思ったこと、なんですけれど)という疑問はあります。

    常に「運営」が関わり続けなくてはいけない、からか。書籍や詩誌は、形として生み出す、までの関わりで毎回「燃えて」、出した後はまあ、広告を出す、ことはあるかもしれないけれど、あとは感想や批評が送られて来る、それに対する反応だけで・・・いわゆるクールダウン的な関わりの期間がある。そしてまた、新たな企画が持ち上がって、モチベーションと共に盛り上がって燃えて・・・という「サイクル」がある。印刷という技術上の問題もあって、物理的な時間、タイムラグがある・・・それが、いい具合に休符になっている。たぶん、ネットの掲示板は、常に一定の熱量を持って、コンスタントに関わり続けなければいけない。火床を、千年も絶やさないで守り続けている、そんな神社だか寺院だかの話を聞いたことがあるけれど・・・そういう「メリハリのなさ」が、詩誌のスパンよりも顕著に出るのかな、という気がしています。

    まあ、私は編み物とか、こつこつ、一定の速度で続けるもの、が、わりと好きなので、ジョギング的な関りはあまり苦にならないのですが・・・フルタイムで仕事しながら関わっている「運営」の在り方についても、おいおい、考えていかなきゃ、いけないかもしれませんね。
    1
    なかたつ
    2017年10月29日
    でも、詩誌や書籍、といった、いわゆる「紙媒体」は、100年以上もの間、飽きられることがなかったのに、掲示板の場合は、どうもそうならない。それはなぜなんだろう(ビーレビューが、ということではなく、コーリャさんの話を読みながら思ったこと、なんですけれど)という疑問はあります。

    というまりもさんの書き込みを見て、何だかいろいろ考えてしまいました。

    というのも、昭和時代にあった「四季」を筆頭として、後世からは「四季派」と評されたあの詩誌は、中心の3メンバー以外は寄せ集めでありつつも、共通する思想のようなものがあって、そんな「四季」がぬるいと、アンチとして春山行夫が「詩と詩論」を立ち上げた。(両方の詩誌に投稿し続けた竹中郁という稀有な存在もいますが)
    結果的に言えば、「四季」の方が何となく偉大な気もしますが、僕はどっちも好き。
    それでも、何となくメンバーには共通の思想的な何かが共有されていた。

    戦争以後、「櫂」やら「鰐」やらなんやら同人誌が乱立する中で、やはりメンバーには、共通の何かがあった。
    ネットというものがない以上は、顔を知っている者同士が集う必要があったから、共通の何かがないとできなかった。

    ネットによって空間的障壁がなくなった今、顔を合わせずとも、同人誌やら何やらを出せるようになった。
    職場やら学歴やら育った環境やら土着性やら、そういったものはどうしても空間的なものにどうしても縛られがちだから、その空間の障壁がない以上、やはり共有するものがないというのは、ネット詩の特徴なのでしょうか。

    それでも、やっぱりわからないものがある。
    詩が好きだから、旅行で金沢に行ったら、犀川を渡って、室生犀星記念館に行く。犀星が思った「ふるさと」がどんなところなのか、とか、そんなこと。
    これは一例だけれど、詩を書き始めて、僕はひたすらに詩を読んだ。ミーハーだから、詩のイベントに行きまくった。詩の授業があれば、単位とは関係なく、同じ先生の授業に何年も出続けた。
    「詩が好きだ」という言説を目にすることが多いけれど、それは「(私の好きな)詩が好きだ」というトートロジーにすぎず、この()の言葉が隠されていることが多い。
    本当に詩が好きだったら、もっと書いて、もっと読んで、もっと足を運んで、欲しいと正直思うことが多い。
    けれど、これは僕のルールだし、詩をよりよくするためには、詩を読んだり、書いたりするより、いかに生きているか、それを豊かにした方がよいとも思う。
    大学院の先輩がよく「〇〇は書くものがつまらない。もっと生きろよ、って思う」って言っていた。

    いや、本当に関係ない話ばかりですいません。
    触発されて、ここまで思考が及びました。

    というわけで、僕は「詩が好きな人」を求めて、いろいろな場所をさまよって、ここまでたどり着いちゃいました。
    るさん→長押新さんというルートで、あなパイにもこっそり参加して、もうなんだか、いろいろやっていれば縁というものが繋がるんですね、こーりゃさん。
    これもまた、たまたま1回だけ飲みに行ったツユサキさんのツイートを見て、びーれびを知ったわけですが、これもツユサキさんと飲みに行ってなかったら、僕はここにいませんでした。
    そして、僕もまた、情熱がなくなれば、多分、僕はここからいなくなるだろうと思います。
    僕は、こーりゃさんの「なれあい」についての語りがやっぱり好きだったんですよ。
    こうやって、縁というものがめぐりめぐって、なんだかんだ一緒にやっているのですから。
    そして、新たな方々とも出会えて、何となく詩のことをやっている僕は楽しいですから。
    こーりゃさんは、文章で難しいことを書いていますが、こーりゃさんの魅力はなんだかんだ、人間臭いところなんだと改めて思いましたよ。ぱっしょんだと思いましたよ、えびばでぃ、ぱっしょん。
    2
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  • B-REVIEWフォーラム
    雑談
    B-REVIEWのこととかを話してうpするスレ

    ログイン / 登録
    こーりゃ
    2017年10月8日
    B-REVIEWのこととかを話してうpするスレ
    499回の閲覧20件のコメント
    最終更新:
    2017年10月20日

    いきなりおもいついた新プロジェクト 何かを吹き込んでうpするスレ
    もちろん不定期 えぶりわんいずうぇるかむ 
    放送コードなしなんでも好きなことを楽しく話したのを録音してあげよう
    他のキュレーターに打ち合わせ無し 気づいたらなくなってるかもしれない なんの需要もないかもしれない チャレンジングでデンジャラスな企画さ 

    今回はレジュメの意味もこめて話すことを先にメモっておこうと思いましたなので
    ・8月作品を読んで思ったこと
    ・キュレーションの難しさ 相対評価/絶対評価のこと
    ・前田ふむふむさんの「愛の名前」のこと 8月のコーリャ賞(勝手に設立)
    この三本立てでいこうと思ってますでもどうなるかは分からんね喋ってみないと

    なんかいろんなひとが勝手に設立した賞を送るようなスレになるといいなと思ってます
    ならなきゃ俺が不定期になんかうpするだけ/あるいはしないだけのスレになるでしょう!イエーイ!(捨て鉢

    6
    なかたつ
    2017年10月9日
    選評に対しては、見る度嬉しい気持ちともやもやする気持ちが複雑に絡み合う中、わたくしも思うことは常日頃あり、こういったスレがあって、発信者がいると言うことは、わたくしの好奇心をくすぐるので、期待しつつも、かといって、プレッシャーをかけないよう、適当に、かつ、真面目に、煽っていきます、いぇーい!
    1
    まりも
    2017年10月9日
    あ、いや、どうぞ気にせず、ワイワイやってください(笑) 俺なら絶対、これ推すよ、とか。その理由がキラキラしていて、うほお。説得されるぞ、みたいなものがあれば嬉しいな、と。

    ここでの議論も参照できるようにしていければいいな、とかも、個人的には思っています。みんなで作る掲示板だから。
    0
    こーりゃ
    2017年10月10日
    https://drive.google.com/file/d/0By5ApAaED3A5bkRNZTNxVjdoZDVfc3kwTzFxWXlLMTdWbFUw/view?usp=sharing
    とにもかくにもやってみましたいやむしろやっちゃった 笑 あとぼくは両手をひろげて佇むだけです 笑

    -----------

    リファレンス

    前田ふむふむさん 「愛の名前」
    http://breview.main.jp/keijiban/?id=643

    りさん「マックシェイク飲む、いつも」
    http://breview.main.jp/keijiban/?id=612

    fiorinaさん「広島」
    http://breview.main.jp/keijiban/?id=582

    塚本一期さん「素直な言葉」
    http://breview.main.jp/keijiban/?id=635

    りんさん「手作りの命」
    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=571
    https://www.breview.org/single-post/2017/10/08/b-review

    2017.08選評
    https://www.breview.org/single-post/2017/10/08/b-review-201708-選評-◆前半
    https://www.breview.org/single-post/2017/10/08/b-review-201708-選評-◆後半

    ----------

    なかたつにいさん>
    そういえば、なかたつさんさんはパフォーマーなんやなってこのまえのツイキャスで思ったっす。そういえば僕の知る限り一番最初期にツイキャスしてたひとなんですよね。あとはるとかなんですよね。あいつもバンドマンだったらしいですよ。にいさんはヒップホップでいうとMCタイプ。人を煽るタイプ 笑 応援ありがとう 色々どんどんやってきましょう。

    まりもさん>
    ありがとうございますまりもさん。そういっていただけると助かります。なんか全然かんけいない話なんですけど、選考の俺の一番の仕事はリチウムのとこで天才詩人を煽りまくった部分だと思っていてあそこが削られてしまったのは遺憾です 笑 いやもちろんあんなのみっともなくて失礼だからとても人様のお目にかけるようなもんでもないのはわかるんですけど 笑 なんかそういう感じのノリが録音だと出るんじゃないかと思うんです なんでちょっとやってみますね 
    1
    まりも
    2017年10月17日
    ばたばたしていて、コーリャさんの書き込みから、一週間も経ってしまいました、リプライ遅くなってごめんなさい。
    ノリ・・・・うん、まあ、それを全部掲載していると、とんでもない分量になる、これは苦しいところで・・・数日前の話を、もう一回繰り返して再確認、みたいなところは全部集約しているし、合いの手とか、ジョーク交えてのジャブみたいなコメントは、うう、割愛!という感じにするしかないですよね・・・語尾とかに被せて、ニュアンスは全部残している、つもりなんですが(笑)
    その確認もかねて、原文つけて回覧しているんだし~!!!
    でも、コーリャさんの、「選考の俺の一番の仕事」の部分は、ぜんぶ温存してますぞよ!(と、これは自信持って言いたい(笑) 
    0
    survof
    2017年10月20日
    編集済み:2017年10月20日

    選考会議をまだ読んでいないので何とも言えないところもあるけれど、個人的には大賞は同じ「まりにゃん」さんでも「道へ」ではなく断然「Sept Papillons 」一択だ。「道へ」では言葉が意味で結び合わされており、それが鑑賞の妨げになっているように感じられるのに対して「Sept Papillons」は純粋な「詩のための詩」として十分な強度を持っている。「道へ」のほうがもしかしたら分かりやすいのかもしれない。でもそこには「Sept Papillons」のような深い揺さぶりはあまりない(もちろん「道へ」もまた、かなりの技巧で書かれたものであることには議論の余地がないとして)。「意味」からある意味独立した「詩のための詩」。「言葉で書かれた音楽」とでも呼ぶべきこの大作を大賞に推せないビーレビはいささか保守的すぎやしないだろうか?などと激しく啖呵を切って見たい気分である。「Sept Papillons」を差し置いて「道へ」が大賞というのは意味がまったく分からないと毒づきたい気分である。が、おそらく選考会議は大荒れだったのではないだろうか?選考会議、楽しみにしております。

    追記:
    先ほどアーカイブからチェックした段階でコメントしてます。もしかしたらまだ正式に決まった訳ではないのかもしれません。あと本当は録音したものをアップするスレ?だったとしたらスミマセん。。
    2
    HAneda kyou
    2017年10月23日
    >天才詩人:俺たぶん、Hanedaさんのファンなんですね

    予想外の一言に驚いているHAnedaです。

    選考会議は毎度毎度難航している感がありますが、是非とも続けて欲しく思います。
    各作品にそこまで読み込むのは苦手なので、どうにも傍観しか出来ないのですが。
    それでも楽しみに待ってます。

    それと、関係ないのですが、今日なぜか掲示板にコメント書き込めませんでした。
    「コメントは表示されました」と出たのですが。
    花緒さんへ返事したかったのですけれど。

    0
    まりも
    2017年10月23日
    編集済み:2017年10月23日

    はねださん、ありがとうございます。私も、フォー・ユーの頃からのファンですよ(笑)それゆえに、もっと深められるのでは?なんて、勝手に要求のレベルを上げてしまったりもしていますが・・・

    書き込み云々の件は、デジタルに疎くてよくわかりません。いま、色々と「工事中」というか、修正中らしく・・・私もコメントを送信したら消えた❗が、実は2回もあって、ひえーと思いながら、記憶をもとに打ち込み直したのですが・・・あとで掲示板を見てみたら、同時刻に他の方がコメントを入れていたようです。競合すると、消えちゃうのかな・・・状況を的確に説明できないので、様子見になってはいますが(笑)
    0
    HAneda kyou
    2017年10月24日
    >私も、フォー・ユーの頃からのファンですよ(笑)

    さらなる予想外が!
    一時期フォーユーに投稿していたものの、いつの頃からか詩を投稿しても全く反応がなくなってしまって、顔を出さなくなってしまったのですが。
    まさかその時に見てくれていたとは。
    いや、ありがたいです。

    掲示板は様子見ですかね。
    早めに直って欲しいですけれど。
    0
    HAneda kyou
    2017年10月24日
    またしても掲示板にコメント書けないので、ここにせめて一言。

    今回の作品はヘンリー・ダーカー(誰にも知られず世界最長の小説と大量の奇抜かつ原色豊かな挿絵を残した人)がモデルになってます。
    調べるとなかなか興味深いかと。
    1
    まりも
    2017年10月24日
    > またしても掲示板にコメント書けない
    うーん、なぜでしょう・・・どのスレッドにコメントしようとしたのか、具体的な状況説明を添えて、DMなどでお知らせいただければ、と思います(フォーラムでもよいですが)
    ヘンリー・ダーカー ・・・改めて投稿作品を読んでみますね。某所は比較的穏やかだったのですが、やはり何度か、人間関係のトラブルがあり(私が巻き込まれた、というより、見ているのが辛くて、つい、介入してしまった、という、おせっかい焼きパターン)疲弊して離れた、という経緯があります。複数回、ハンドルネームを変えていますが、ビーレビューでは一貫して「まりも」を使用しています。
    0
    花緒
    2017年10月24日
    編集済み:2017年10月24日

    うううん。今、色々工事中なので、その影響もあるかもしれません。もしよろしければもう一度トライいただければと存じます。無理なら、わたしでもいいですし、発起人の誰かにレスをDMで投げてくだされば、取り急ぎ対応いたします。ご不便、申し訳ありません。
    0
    こーりゃ
    2017年10月27日
    ぐだいめい
    メールの返信がやたらと遅いやつっているよな。自己管理ができてないやつ。つまり俺のことさ!そうりい!
    みんなワイワイやっててよいっすね、どんどんやってこ。
    さて次の録音のレジュメを書いてみます。

    ・道へ について
    ・選考のこと 総意と個人的意見のこと
    ・レビューの行く先
    ・みんなへの返信

    こんな感じで!もしかしたら全無視で色んなこと話しちゃうかも 笑 本当はラリアの生活とドラッグのこととか話したらみんなが知らないことを伝えられると思うんだけどレビューの信用問題とかになるかも 笑 みんなキュレーターの誰それというよりは一個人のメディアとして聴いてくれたら嬉しいな
    それじゃあはぶあないすふらいでー
    きーぷいっとりある
    1
    まりも
    2017年10月28日
    HAneda kyou さんが、レスを入れられなかった、件。
    もしかしたら、なんですが・・・

    ログイン状態で掲示板を閉じて、また開けると「ログアウト」と表示されている、「ログイン」になっていない。ああ、まだログイン状態が続いているのだな、と思いながらコメント欄を見ると、あれ、「まりも:」と表示されていない。コメント欄の下に、「 :」とだけしかない。
    で、いったんログアウトして、もう一度ログインしてみたら、きちんと「まりも:」と表示されました。

    ログイン状態が、実は切れているのに、掲示板の一番上のところ(呼び方わからん)が、「ログアウト」表示のままになっている、ということ、かもしれない、と思いました。デジタル音痴の予測です。

    なので、コメントを入れられない、という時は、いったんログアウトして、ログインし直すといいかも、です。
    0
    HAneda kyou
    2017年10月28日
    どうやらまりもさんが言った通りの状況だったようです。
    先ほどそのようにしたら、書き込めました。
    お手数かけました。
    ありがとうございます。
    1
    こーりゃ
    2017年11月13日
    大賞作品それでいいよ!の巻き
    https://drive.google.com/open?id=1vJKpsKNJCcmk_kpP_48WPApzipjlGbc3

    俺はバカだよ。途中でタイコウとケイサクとか言ってる。傾向と対策の間違い。ふつうそんなふうに言い間違う?やれやれだぜ。たぶんまじで日本に住んでたらそんなのはないんですよね。俺がバカなのはおいといて。もっと正確に話そうとしないとなあ。修行や。不明なことがあれば答えたいとおもうので質問してね。アゲインエブリワンイズウェルカム。アイミーン、エブリワン。

    はねださん ごめんね BRは横浜駅並に工事中でなおかつ僕は運営に関してはボンクラだしほぼ任せっきりなのでたすけられなくて なんとかなったみたいでよかったです。

    1
    こーりゃ
    2017年11月13日
    おっとリファレンスを忘れてました

    まりにゃん 道へ
    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=674

    敬称略

    ついでなんで補足で僕の読んだ筋を書いときます
    第一連は羊水のなかのことかなと思いました 泡というのは生命のはじまりを連想させます
    第二連 星々の獣道というのはこの世に生きる動物たちのひとつ、ひとりとして歩む人生のことだと思いました その始まりにたって 蛹や繭 (これも誕生という印象がつよいです)があたたかな雨露(ゆりかごの中のよう)にゆすられるなどの 優しくて美しいイメージの連でした
    第三連は 初夏秋冬のように桜から蝉 桃 枇杷と季節を託しながら種を宿す というのはとても上品な表現です エレガントだなと思いました 種を宿すのは恋をすることなのかなとかも思いました
    第四連 ここはかなり難解だなと思いました 星々の道と言わず 獣道という まりにゃんさんの生きるということに関する 虚しさや あはれみたいなことが伝えられているのかと思いました
    最終連 ここだけ行わけでスピード感があります 狸をみたか というのっけのキラーフレーズに僕はやられた かっこいい 行わけというのは行をわけないのに比べると決め台詞みたいな感じがでて それをラストに持ってくるというのはここで決めるっていう感じだと思うんですけど かなり決まってると思いました なんだろう不思議な言い方なんですけど僕は読んでてここの最後でかなり決まりました   瞳が走る 軽快さ 笹笛はなんだろうか その道へゆくすがらくわえて鳴らす楽器のようなものでしょうか 優美な作品だと思いました

    2
    まりも
    2017年11月13日
    聞けたよ~🌠
    サンクス😉👍🎶
    0
    まりも
    2017年11月13日
    選考基準とか、厳密に決めることは出来ないと思うけれど、意味とかではなくて、イメージとか質感とか想いとかが伝わってくる作品について、その作品の、ここが良かった、その理由はね~という「選考」にしていきたいなぁ、というのはあります。です、はい。
    0
    survof
    2017年11月13日
    編集済み:2017年11月13日

    >こーりゃさん

    Twitterでもリプさせていただきましたが、いいだしっぺが自分なのでこちらにもレスします。いやあ、今回のトーク本当に最高でした。やっぱり理屈抜きの作品に対する愛情を自分は聞きたかったんだな...と改めて思いました。大賞にどれがふさわしいかなんて、本当は自分だって実は超どうでもいい。ただ、コメント欄や選考会議からはなかなかそういう「すごい好きだ!」「なんといってもこれを推したい!」という熱い気持ちが伝わってこなくて、頭でっかちな議論ばかりされている感じがして、それがなんとももどかしいというか、くだらないなと思っていました。今回それが聞けて嬉しかったです。この内容を選考会議で話さなかったのかってのはいろいろ事情があってのことかもしれないですが(知り合いの作品だからフェアじゃなくなるかもしれないとか...)、もっとこういう熱い思いを聞きたいです。そういう意味で今回は自分は自分の熱い理屈抜きの「好きだ!」を抗議のような形になってしまいましたが、きちんと表明できたのはよかったな、、と思いました。本当にいいトークありがとうございました!
    1
    こーりゃ
    2017年11月22日
    ありがとうまりもさん ビーレビはなんとなく有機的ですね どんどん状況に応じて変化していく感じがします どんな生物になるんだろうなあ 楽しみですね

    こちらこそ聴いてくださってありがとうございます!!survofさん こんな録音杜撰すぎて十円硬貨くらいの価値もねえじゃねえか!!みたいな感想をお持ちになるかもなあくらいに考えていたので本当に良かったです。熱いというご感想はかなり意外で、俺って熱いやつだったのかと教えていただいたような気がします 笑 熱いといえばビーレビのキュレーターたちのコミットメントはかなりいつも熱いです。これのままじゃあどうもみなさんに発表するにはしょうがないってんで、あんな風な選考経過を公表してる次第です。みんなえらいし熱いよ!肉声だとぐっと生身に近くなるので、そういう風な側面をレペゼンして全体の動きに寄与できたらいいな。次も選考が発表されたら何か喋ろうと思います。よかったらきいてください!そしてよかったら掲示板やフォーラムでも楽しんでいってくださいまし!!
    2
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  • B-REVIEWフォーラム
    雑談
    (あなたにとって)詩とは何か、詩を読むとは何か

    ログイン / 登録
    なかたつ
    2017年12月3日
    (あなたにとって)詩とは何か、詩を読むとは何か
    208回の閲覧3件のコメント
    Twitterを見ているとこんなことで悩んでいる人が少なくないと思わされます。
    僕も、いまだにわかりませんが、わからなければ、いわゆる「詩」というものを読みまくり、書きまくればいいと思っています。
    僕は詩がわからないけど、好きだから、院生時代にはほぼ毎日100篇ぐらい読みました。
    それでも、詩はわかりません。

    ただ、大事なのは、一般論を求めようとしても、答えは出ません。
    でも、タイトルのように(あなたにとって)だったら、それなりに答えが出るんじゃないでしょうか。
    それは実に個人的であっていいと思います。
    詩を書くようになったきっかけや、あなたなりの定義をお聞かせください。

    3
    なかたつ
    2017年12月3日
    というわけで、私なりの詩の読み方の一つとして文章化したものを。
    先人たちの「詩とは何か」についても触れています。

    (ちなみに、この文章は4年前に書いたもので、修士論文の草案だったのですが、誰にも理解されずに没にしました。僕だけが理解できるわけわからん草案です。続きは25、000字ぐらいありますが、全部没ですし、読み返すと、日本語が変ですが、そのまま)

    0.詩を論じるということについて
     先ずは、詩を論じるということに対する、私なりの態度を表明したい。
     かつて、様々な詩人が様々な詩を世に生みだし、また、詩論を述べてきた。萩原朔太郎は「詩とは実に主観的態度によって認識されたる、宇宙の一切の存在である」(萩原:1928年)「詩という文学の本質は、所詮するに『感情の直接法的表現』という定義に尽きる」(萩原:1936年)と述べ、西脇順三郎は「詩は現実に立っていなければならぬ。しかしその現実につまらなさを感ずることが条件である」(西脇:1929年)と述べ、吉本隆明は詩を書くこととは「わたしは自己慰安のため〈書き〉、うっとりとしていた」(吉本:1966)と述べ、入沢康夫は「詩は表現ではない」(入沢:1966年)と述べ、野村喜和夫は「詩とは言葉による世界の捉え直し、あるいは再構成である。そしてそれは驚きを、エロスをさえ伴う。私の貧しい読書体験から、そのような一般的命題を引き出すことができると思います」(野村:2004年)と述べ、それらは一様にあるものではない。それは、その人の詩との関わりが様々であり、言わば、その人なりの詩人生を持ってして、詩や詩論が生まれて来たと見ることができるだろう。
     そして、西脇順三郎は「詩論を語ることはドグマ である」と述べた。それに倣い、修士論文では、私なりの詩論を、たとえドグマになろうとも述べていきたい。私は詩を読むにしても書くにしても先人の豊かな詩人生をなぞることしかできない が、6年に及ぶ詩生活を通し、詩論を述べることにようやくたどり着いたと思える。たとえ、それが完璧で豊かな詩論と言えなくとも、私なりの詩人生を持って、それを形とすることは通過点としては無駄であるとは思わない。私の詩人生を結集し、私なりに書けることを書こうと思う。
     以上の表明からもうかがえると思うが、詩や詩論はその書き手の詩人生を抜きには生まれえなかった、というのが、私の詩や詩論に対する思いだ。これから詩について考察するにあたるにしても、既に様々な批評の言葉が用意されている。メタファー、韻律、詩と散文の違い、定型、意味、イメージ、異化など。これらを持って、私なりに詩論を述べることもできるのだが、私は私なりに、詩を論じるにあたっての言葉を用意したい。それが「authority」 および「物語り論」からのアプローチである。前述した批評の言葉でさえ、全ての詩に対して一様に適するものではない。メタファーがある詩、ない詩、韻律がある詩、ない詩、そのあるなしによって詩がよいかわるいか、という議論も時にはあるが、そのあるなしではなく、一つ一つの詩に対してふさわしい批評の言葉を用意することが私の姿勢である。メタファーが光る詩に対してはメタファーについて論じればよく、韻律が特徴的な詩に対しては韻律について論じればよい。そのようにして、私が今まで読んできた詩、それも私なりによいと思える詩に対してふさわしい批評の言葉が「authority」および「物語り論」であるのだ。これは、ただ単に私の詩に対する思いに関わる問題ではなく、今まで数々生まれてきた詩論の中でもあまり述べられることが少なかったという事情を踏まえた上でも、こうした批評の言葉が詩にもたらせることが必要ではないか、という思いもある。
     私の詩作体験として、経験をもとに、詩を書くことが多かった。無論、西脇のようにその逆を行く路線 もあり、入沢も「詩は表現ではない」と述べた。だが、経験をもとにしようと、経験を排除しようと、どのような作品にも「作者」としての「authority」(素材およびその使い方の選択)があり、それを意識しようとしまいと、「作者」が「語り手」であるかのようなものであろうと、「作者」が「語り手」と距離をとろうとしようとも、それは、「作者」の工夫がなされているという点で、いかなる詩作品においても「authority」が存在すると言えよう。
     詩を創作する上での素材はなんだろうか。それは無論、言葉であり、その言葉の側面からの作品分析は多々行われてきた。ただ、素材は言葉だけではなく、その言葉の選択や作者の人生を伴い、そこに作家の選択があり、それを「authority」と呼ぶことにしよう。その「authority」がどのように、作品ごとに現れているのか。これは、作中の言葉や思想やメッセージを作者の実人生に還元し、その結びつきを検証しようという試みに用いることもできるが、作品ごとに異なる「authority」の現れ方を問うこともできるのではないだろうか。たとえ、同じ素材、言葉、モチーフを用いようとも、作者はそれぞれのパースペクティブ を持ち、それらに対する捉え方が異なる。その異なり方が「authority」とも言えよう。「作者の死」という言葉は、読者が作品を捉える時に適する言葉ではあるが、作者がいなければ作品が生まれえないことは問うまでもないことである 。この論文では、その作者の位置に立ち返り、作品ごとの「authority」の現れ方がどのようなものであるかを意識して、作品を分析したい。そこでもまた「物語り論」が活きてくると信じている。
     以上を踏まえ、修士論文では、今まで論じられてきた詩論の中における詩と「物語」の関係を確認し、その上でその議論を補強すべく、大森荘蔵から発した野家啓一の「物語り論」を中心に据え、私なりの詩論を構築していきたい。また、そうした詩論を整えた上で、実際に作品批評を行っていきたい。そうすることによって、私なりによいとする作品を十分に批評することができると信じている。
    (また、詩論とは詩を論ずることであり、それは読者としての倫理の側に立つのが本来の立場であるかもしれないが、ここでは、詩を書くものとしての「作者」としての倫理の側に立つ姿勢も持って、論を展開したい。詩論は詩を読むための論だけでなく、詩を書くための論であってもいいのではないだろうか。そうした意味で、創作論的に成り得るだろう。)

    2
    まりも
    2017年12月5日
    編集済み:2017年12月5日

    個人的に、なかたつさんの修士論文をまるごと拝読したい、ですが(それはさておき)

    私は美術史専攻でした。人にとって、美とは何か。聖なるものとはなにか。崇高なるものとは、なにか・・・そうした、漠然としたものの、正体を知りたかった。つまり好奇心です。

    私にインパクトを与えた作品の「良さ」「特質」「面白さ」が、他の人には、あまりよく理解されていない、伝わっていない。そこにもどかしさを感じ、これ、こんなに面白いよ!ということを伝えたいということで、美術史の中でも、他者に「展示の仕方」や、言葉で良さを伝える、という「学芸員」「研究者」を目指したわけですが・・・紆余曲折を経て(結婚、出産、子育てによる中断後、再び戻ろうと思った時に、頓挫した、ということも大きいですね)子供たちのお絵かきサークルを立ち上げ、「お母さん」たちに、その子供たちの絵の長所、描いている時の様子、を伝える通信を定期的に発行するようになりました。これは、本当に楽しかった。またまた家庭の事情で、お絵かきサークルを閉めなくてはならなくなり(二度目の挫折ですね)自分の子供たちのために書いていた童話や絵本もどきをコンテストに応募したり、実際に絵本会社の人と会って話をする中で、青木さんは、言葉の方がいいよ、と背中を押してもらいました。

    震災があって、何をしていいのかわからないまま、でも、居てもたってもいられなかったとき・・・大学時代に、従妹が自死して美術史(という虚学)を学ぶことに意味を見いだせなくなったとき、リルケの「オルフォイス」を一緒に読みましょう、と誘ってくださった先生(ハイデガー研究者)がいて、うまく言えないけれども、救われたんですね。詩って、こんなに深くて、大きいことに触れられるんだ、宗教以外で、魂のことに触れられるのは、芸術かもしれない。そして、私は、言葉の方がいいよ、と言ってもらった、だから、言葉で魂に触れる、そんな生き方をしたい、と思ったこと、を思い出して・・・インターネットの詩の投稿掲示板を覗いてみました。

    そこでショックだったのは、詩が、読まれない、あるいは、読まれた形跡(コメントやレスなど)がないまま、過去ログに流れていく現実であり、時には暴言や罵倒が飛び交う掲示板の様相であり・・・まずは、投稿者が少なくて、レスも少なくて寂しかったサイトで、作品に全レスを付ける、というところから、ネット詩に関わり始めました。掲示板の「ぬし」のような方から、サイトを「乗っ取る気か」と邪推されたり、まあ、いろいろな誤解が渦巻く場所であるなあ、ということも学んだし・・・自分でも詩を書きたくなったし・・・書いたら、どのくらいのレベルなんだろう、という欲も出て、公募ガイドでみつけた「文芸思潮」に応募し、「ユリイカ」に投稿し、朝日カルチャーの通信講座を受講し、そこで『詩と思想』を知り、投稿するうちに研究会に誘われ、そこで修業し・・・という流れで、今に至っています。

    今でも、詩とは何か、が、わからない。わからないけれども、詩のむこうに、おぼろげながら、作者の魂がゆらめいている。その炎に触れたい、遠くからでいいから・・・という思いはあります。(ビーレビューのアイコンが、いま、蝋燭になっているけれども、それゆえに、とてもお気に入りです。)

    一人一人は、小宇宙を内包している。その、一人一人を入口として、なにか大きな世界、大きな宇宙・・・リルケ風にいえば、宇宙生命とか、大きないのち、というようなもの・・・に、触れていくことができるのではないか。そんな、あくなき期待を抱かせるものが「芸術」であり、その芸術に関わるツールとして、私には言葉が向いている、だから、詩、という言葉の芸術に惹かれている、ということになるでしょうか。絵が向いている人は、きっと絵で表現するだろう、音楽が向いている人は・・・ということでもあります。

    言葉はツールであると同時に、百年の命の人間たちが受け継ぎながら引き継いできた、数百年、数千年の命を持つ存在でもある。その命脈に惹かれる、というところもあります。

    言葉が見せてくれる世界の驚きや美しさ、奥行きの深さ・・・に惹かれるし、その「良さ」を他者に「言葉」で伝えたい、という欲求もありますね。美術史を学んでいた時代から、そのための技術を磨き続けている、という自負はある。上達しているのか、どうか、そこは分かりませんが。そういう意味では、一生修業なんだろうし・・・言葉で「よさ」「おどろき」を他者に伝える、という「仕事(ルター風に言えば、ベルーフ?)」に、一生、関わっていこう、と思い定めた(40にして)ということ、でしょうか。

    1
    HAneda kyou
    2017年12月13日

     詩とはなんなんだろう?
    そして自分は何故詩を書くのか。
    それ以前に、元々は詩どころか一切の創作が全く出来なかった人間だったのに。

     ある程度文章なり絵なりの創作が出来るようになったのは高校生になってからだ。
    中学時代までは本当に全く出来なかった。
    文章一文、小さい絵ひとつ描くのも異様に苦心した。
    あまりにどうしようもなくてほぼ親が代わりにやっていたのだ。
     ここまでどうしてできなかったのか。
    例えるならこうだ。
    「この箱にある物を使って自由になんでも良いから作って」と言われた箱に、何も入ってなかった状態だ。
    辺りを見ればみんな同じ様な箱を貰っていて、そこから色々材料や道具を取り出している。
    なのに自分には、ただただがらんどうがあるのみだった。
    「何も無いから作れません」と言っても、「そんなことはない。いいから作れ」と言われるばかり。
     愕然と頭を抱えるしか無かった。

     高校時代、RPGツクールなるゲームが発売された。
    その名の通りRPGを作る、結構ヒットしたゲームだ。
    それが自分の周りで流行り、友人からも誘われそれで自分も何かやってみようと思い立った。
     意外な事に、書けたのだ。
    話はノートのページ半分程度の長さしかなかったのだが、驚きだった。
     このRPGツクールの流行りは、結局誰もまともなRPGを作れないまま終わってしまったのだが、少しずつ自分は短いよく分からないものを書くようになった。
     そして、大学を一般推薦で合格し、時間ができた。
    世間ではホームページ開設するのが流行っていた。
    親は水を得た魚の様にホームページを運営、結構な人が出入りするホームページを作り上げていた。
    それで自分もホームページを開設。
    短い詩と小説のようなものを週1で2作品アップするようになった。
    中断期間や更新ペースのダウンなどもあったが、注目されないのも気にせず創作を続けてきた。

     どうやら自分に当たった箱は、完全ながらんどうではなかったのだ。
    最早周囲のほとんどの人間が箱を放棄同然だった中、自分の箱は誰も気付かなかった隙間から、不思議な物が漏れ出すようになった。
     それから現在までその漏れ出す不可思議なものと戯れ、観察し続けている。
    なによりもその箱の隙間を見つめながら。

     詩とはなんなのだろう?
    特に自分にとって。
    つまりはあの箱の、あの隙間はどのような定義が出来るのかということだ。
    自分として名を付けるならあの隙間は『仏性』だ。
    誰もが持っている何か尊いと言えるもの。仏教オタとしてはそれをそう言いたい。
     この『仏性』があるから人は創作し判断し行動できるのだと思う。
    自分にとって詩を書くとは、不思議なものと遊び、見えにくく痛みさえしかねない隙間を覗く事だ。
    わかりやすく言うと、結局は自分を観察しているのだろう。
     詩とは一般に思われないものを詩だと判断することもある。
    知り合いのクソゲーコレクター(つまらないゲームを集めまくる人がいるのです。世の中には)の行動をアートで詩的さえあると思った事があるのだ。
    他の人はそうではないだろうに自分の『仏性』が、そう判断したのだろう。

     では何が詩なのか。
    『仏性』がそう判断した物だ。
    つまり自分が自分を観察した結果、それを詩だと判断したことになる。
    (そういや昔、北さんの詩の感想で「雑草食っている」と書いたら、「それはきっと詩です」と返信された。流しの下に大量にある醤油漬けの雑草も詩なのか?!)
     詩とはなんなのか。
    自分を見る事だ。
     詩を書くのも、詩を読んで詩だと判断するのも自分で自分を見る事である。
    それによって自分を動かす一助となる。
     良い方向か悪い方向か、わからないけれど。
    自分のバックボーンと言えるもの(仏教関連、自衛隊経験、酪農経験、各種漫画や本など)で身を固め、不可思議なものと遊び、箱の隙間を、つまりは自分自身を覗き込んでいく。
     そして自分にとって心地良い詩が、書き続けている詩が、他の人にとってもきっと良いものであるとどこかで信じながら。
    0
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  • B-REVIEWフォーラム
    雑談
    ビーレビの運営方針について雑談する

    ログイン / 登録
    花緒
    2017年9月16日
    ビーレビの運営方針について雑談する
    408回の閲覧11件のコメント
    最終更新:
    2017年9月16日

    こんにちわ。こんばんわ。花緒です。
    先日とある出版社の方から企画書頂きまして、お話させて頂きまして、
    勉強させて頂く機会ございました。
    詩壇の現状について、詩壇の方からビーレビがどう見えるか、どういう観点から注目されているか、学ばせて頂きました。様々な企画進めていく上で、ビーレビの体制がまだまだ不十分であることも痛感しました。
    ビーレビは、投稿者・運営者の垣根無くして、フラットにやって行こうと言っていた割には、あんまり運営方針や企画云々について、イマイチ、オープンに話せていないところあるので、このスペースで、主に私が考えていることなどを垂れ流したり、アドバイスや進言頂戴したり、のんびり話せるスペースにしていきたいと思いました。
    構えると話しにくくなるので、ゆるい感じで使います。横槍歓迎します。はい。

    7
    花緒
    2017年9月16日
    編集済み:2017年9月19日

    今後の課題として、私が考えること。

    ①閲覧数、アクセス数増やしたいです。

    数は力ですよね。現在アクセス数1日に1500くらいなんですけど、まあそこそこ多いらしいんですが、SEO対策、最近ようやく重い腰をあげ、ぼちぼちテコ入れし始めてまして、まあ、とりま、欲を言えば5000くらいまでいきたいなと。これは射程圏と思ってます。投稿者の皆様からすれば、いや、何人ビーレビのサイト、クリックしたとかワシらに関係ないやん、と思われるかもしれませんが、アクセス数、何をやるにも土台になると思ってます。閲覧数はキホンザベーシックですね。数は力だと思うんですよ。はい。これ次に繋がる話です。

    ②ショッピング機能つけたいです。

    はい。まだ新しいサイトに移行したばっかりなんで、アフィリエイト契約とかもできていない状態なんですが、ビーレビのアクセス数が今後増えていってですね、で、この場を使って、投稿者の皆様が出版した詩集とか、提携先の詩集とか、おすすめな本とかを売るというか、紹介していきたいなと。一般的に、詩集って全然売れないらしいですね。結構有名な人でも持ち出しでやってるらしいです。事実上、自費出版みたいなのがほとんどっぽいです。ですが、ビーレビでがっつり紹介したら、100部とか、まあ少なくても50部とか売れるってなってくるとですね、ビーレビ出版ていうのがあり得るんじゃないかと。まあ、それは妄想ですけど、この場で知名度あれば、最低限、これくらいは売れるっていう目安出てくるとですね、出版社とビーレビの投稿者を繋げていくってことも出来るかもしれません。詩人が金払って、詩集出すしかないっていう残念な状況をいつか変えられたらいいですね。妄想です現段階では。でも、アクセス5000くらい取れるようになってきたら、ちょっとずつ変わるかもしれません。はい。妄想も重要です。そういう意味で、今後の展開考える上で、閲覧数、重要と思っているのですよ、はい。

    ③投稿作数を適正な水準にコントロールする手段持ちたい。

    おかげさまで投稿作数がですね、凄いことになっておりましてですね。はい。運営者一同、下読み制度とか使わず、がっつり読ませてもらってますんで、月間投稿作数100超えると、しんどいところあります。70−80くらいがコンフォートゾーンですね正直。投稿していただけるの有り難いです。あ、今日も新しい投稿作ある!とか思うと嬉しい気持ちになります。はい。誇らしい思いあります。その一方で、今後、さらに、注目度知名度上がっていった時に、さてどうするねんという問題あります。それを考えると、知名度閲覧数上げるために施策とるのに躊躇したくなる部分、出てきてしまいます。それはどうかと思いますよね。どんどん知名度閲覧数上げていきたいです。難しいです。発起人の間では、ビーレビ内の受賞歴に応じて、投稿作数をコントロールさせていただくというのはどうかという案が出ています。推薦作以上とったことある人だけ月間2作投稿可能とか、そういう感じです。まだ、荒い案にすぎません。わたしとしては、ビーレビのガイドラインにある通りですね、レス付レス対応、一切しないとか、レス付、極端にしないとか、そういう方はご遠慮いただくっていう線もあるんじゃないかと思ってます。そういう風にしたら、合評欄が分厚くなって、よりエキサイティングな場にしていけるんじゃないかとかですね、そういうことを考えています。まだ、ブレインストーミング的な段階というかですね、荒いアイデアの段階なんで、何も決まってないんですが、はい、まあ、考えていったほうがいいポイントかなとか感じています。いつもありがとうございます。はい。

    ゆるいノリで書いてみました。たまに、運営事情、企画案など、垂れ流していきます。お手柔らかに。横槍ツッコミ、歓迎します。でわ、また。
    6
    花緒
    2017年9月19日
    編集済み:2017年9月19日

    運営方針にかかるプリンシパル

    ビーレビの運営方針について、折に触れ、だらだらと書き連ねていこうと考えています。ビーレビの運営が今一歩オープンなものと成り切ってはいない理由の一つとして、運営指針の根幹となる原理原則が、運営者内では共有されてはいるが、運営外からは理解することが難しいということがあると考えています。であるならば、時間をかけて、運営にかかる意思決定の前提となるセンスや原理原則を説明しておくことは無駄ではないと感じるのです。

    ビーレビの意思決定や運営においては、基本的には、スタートアップ的性格の強い組織で標準的な方法が用いられています。私たちの意思決定は、民主主義的ではないし、多数決ではないし、かといって独裁制という訳でもない。ではどういう風に意思決定が行われているかというと、それぞれの局面で、コミットメントを示せる人間が適宜リーダーシップを発揮して決定する、というやり方が用いられています。例えば、この新しいサイトですが、サイトデザイン、新しいサイトへの移行、サーバーとの契約など、基本的には天才詩人のリーダーシップの下に行われました。サイトの背景の色を何色にするか、多数決で決めましょう、というような類のコミュニケーションは一切行ってはいません。自らの意思決定に纏わる雑務、資金負担及び結果責任を担える人間が、合議など経ずに、意思決定していくというやり方を用いています。

    上記の例では天才詩人のリードを挙げましたが、では、天才詩人が全て決めているかというとそういう訳でもなくて、例えば、くだんの出版社の方との交渉は、事前にこういう方針で話してきますとフレームワークを提示した上で、私がリーダシップをとって話させて頂きました。すなわち、交渉先とのやり取りは、皆でスカイプ会議でやりましょう、といった手法ではなく、代表者が独自にリードしていく方法を採っています。要するに、多様なバックグラウンドをもつ、異なる価値観の人間が集まって物事を決めていく際においては、皆で決めましょう、という一見、民主的なやり方によっては、無用な諍いや責任逃れや意思決定の遅延がもたらされる可能性が高いと考えている訳です。コミットメントを示せる人間が責任を持ってやった方が早いし、良好な結果が得られる可能性が高いと考えているのです。外から見ていると、私が独断で決めていることが多いように見られているのではとの懸念を感じることありますが、実際には、局面局面で、それぞれの発起人が独自にリーダーシップを発揮しているというのが実情であります。

    要するに、ビーレビ内では、しっかりとコミットメントを示せるならば、そして他の発起人が強烈な反対を示さないのであれば、合議など経なくとも、誰が何をやってもいいという暗黙の了解があります。逆に、コミットメントを示せない形での提案などは、あまりビーレビ内では重視されることがありません。その提案いいですね、じゃあ貴方がやってくださいますか?と問われ、いや、自分はやりたくないですが、、、と思うようなことであれば、それを他人に強制する権限は誰にもない。自分はやりたくない、と思うことの中には、自分はやりたくない、と思うに足る理由がある訳で、要するに、費用対効果など考えて、確実に良い結果を齎す提案ではないということが、提案者にも、少なくとも無意識的には、感得されている訳です。であるならば、それを強制する資格も、自身の提案の通り事が進まないからといって他者を批判する資格もないというのが、基本的なビーレビ運営者の発想法であります。

    これまで、ビーレビの運営に対して、様々な形でリクエスト、要望、提案頂いてきました。文責明示していただける提案などは全て確りと読んでおりますし、また、参考にさせて頂いております。今後も忌憚のない意見をたくさん聞かせて頂きたいと思っています。ただし、頂いた意見の全てを反映できている訳では毛頭なく、残念に思っていらっしゃる方もいるかもしれません。意見が反映されていないものについては、概ね、お金がかかるから後回し、ないしは、コミットメントを取ってやりたいという人間がいない、という理由によるものと思います。もしコミットメント取って俺がやるよ!という方がいらっしゃるなら、いつでもウェルカムです。私がコミットメント取って自分でやる気にはなれないんだが、誰かやってくれたらなあ、というスタンスの提案も当然、歓迎しますし、意見を寄せていただけるとすれば、とても有り難い事です。が、結果、コミットメントを取れる人間が現れたら実現されますが、現れなかったら実現されない、ということは理解頂きたいと思っています。

    では、また。

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    森田拓也
    2017年9月19日
    花緒さん、B-Reviewさんの運営者様

    おはようございます。
    いつも楽しいB-Reviewさんという場のご提供をどうもありがとうございます。
    いつもお世話になっています。
    どうもありがとうございます。

    僕たち投稿者にとっては詩を投稿させていただけたり、フォーラムで自由に遊ばせていただけたり、
    それだけでもとてもありがたく感謝感謝です。
    毎日、今日もB-Reviewさんにおじゃまさせていただけると思うだけでとても楽しい日々です。
    B-Reviewさんの運営には花緒さんや運営者様の莫大な時間と費用がかかっています。
    その花緒さんや運営者様みなさんのご厚意の上に僕や投稿者の方々は甘えさせていただいている訳で、
    B-Reviewさんのお心の負担になってないかが、やっぱり、とても不安ですね。
    もし、花緒さんや運営者様の負担を少しでも軽減できるようなことがあれば、
    投稿させていただいている僕たちに遠慮なく何でも言って下さいね。

    花緒さん、運営者様、どうかお疲れが出ませんように。
    1
    花緒
    2017年9月20日
    森田さん

    私の完全なる自己満トピックにコメントくださり、恐縮であります。優しい言葉かけてくだりまして、本当にありがとうございます。こちらこそ、もし、私たちにできることあれば、なんでも仰ってくださいませ。今後ともよろしくお願いいたします。
    1
    祝儀敷
    2017年11月3日
    編集済み:1月14日

    パソコンからのB-REVIEWの閲覧とスマホからのとの割合ってどれくらいかってはわかりませんかね。

    私なんかはスマホのブラウザアプリでビーレビと文極のタブは常駐させていて、戸外でも結構見ている。そこで思うのはビーレビはスマホからの閲覧はかなり面倒だということだ。その点に関しては文極が未だ大きく優っている。
    HTML的なページ編集の云々はわからぬので説明が難しいが、ビーレビは文字が大きい。それ故に一行の文字数が限られてしまい結果行がボキボキに折れてしまっている。文極でも改行はされてしまうことがあるが、相当数の文字数でない限りさけられる。ビーレビは16文字だ。原稿用紙基準で書いていても改行されてしまう。

    またビーレビの場合は右側に余分な空白がある。最初はそこは表示されていないのだが、二本の指で拡大/縮小表示をすると途端に現れる。

    個人ページはさらに字が大きい。そして余白も大きい。

    多分だが、ビーレビは文字が大きいのでなく、なぜだかはじめから拡大表示になっていて、そして掲示板の枠もその拡大された際の画面に合わせた形になってしまっているのだろう。先に述べたようページ表示の専門的なことはわからないが、少なくとも表示がこうなるよう設定されてしまっているのは確かだろう。

    私がこうだたけみ氏の「 魚と鳥と兎と すクロール〜TOTO-to-TO-to-TO-to すCrawl〜 」を結構評価しているのは、そういった条件を逆手にとっていたからだ。

    表現への評価はソフト面とハード面の二つが関わってくると思う。ソフト面はそのまま表現の内容だが、ハード面は表現内容を具現化する際の道具のことだ。詩集でいえばソフトは詩自体、ハードはフォントや装丁や使用している紙など、また詩の組版だ。
    どんな良い詩集も、たとえばフォントがMS明朝だったらしっくりこないだろうし、ページの紙の触り心地が悪ければ詩自体の印象にも影響してきてしまうだろう。逆に言えば、例えば表紙デザインが素晴らしければそれだけでソフト含めた詩集全体の評価も上がる。(詩集の表紙ってタイトルと著者名だけっての多いじゃないですか。あれもったいないと思うんですよね。装丁に惑わされず詩そのものを読んでほしいってのもわかるっちゃわかるが、でもアレな言い方すればポイント稼げるところではちゃんと稼がなきゃ)

    ビーレビの今のスマホでの表示がプラスに働くことは無いだろう。それこそ「魚と鳥と兎と~」以外の殆どの詩においてはそうだ。不本意な改行は往々にしてマイナスにかならない。
    ビーレビにせっかく来たのに表示の悪さから居付かず去っていた人もいただろう。非常にもったいない。ソフトはともかくハードはその気があれば改善がすぐできる。むしろソフトを生かすか殺すかはハードに関わってくるともいえる。

    現代は戸外でしかも片腕だけでネットワークに繋がれるというSFめいた時代だ。時代に迎合するするならばスマホからの閲覧は無視できない要素だろう。スマホから見やすいように、とまでいければいいがそこまでいかずともせめてパソコンでの閲覧と同じように見られたらと思う。

    夢物語はビーレビ用スマホアプリですね。

    追伸
    個人ページのコメント履歴や投稿履歴も、新しいのが上に来るようにしてほしいです。
    コメント欄も、「コメントを表示する」をクリックすればべろんと出てくるが、スマホだと出てきての欄の幅のスクロールは指で行わくてはならない。ページ自体のスクロールなのかコメント欄のスクロールなのかをスマホが判断できずコメント欄がスクロールできないことも多い。詩の題名をクリックしてその詩のみのページを表示すれば事は解決するが、やはりその場で見られないのはストレスを感じる。そういったものがサイト全体の印象にも関係してきてしまうだろう。実際、戸外だと文極よりはビーレビは見る気にならない。

    あと、これは改善難しいかもしれませんが、フォーラムもスマホで見るととても重いです。

    4
    花緒
    2017年11月3日
    編集済み:2017年11月3日

    祝儀敷さん、指摘有難う御座います。仰っていることは大枠、その通りだと感じます。レスポンシブ対応が施されているために、スマホから読みにくい、はおっしゃる通りですね。質問に答えると、現状ビーレビへのアクセスの5割がスマホ、4割パソコン、1割タブレットになっています。ビーレビへのアクセスの多くが、ツイッター経由であることを勘案すると、アクセス5割がスマホ、というのは、かなり低い数字だと考えられます。要するに、スマホから読みにくいがために、失っているアクセス数が相当に大きいということですね。特に読みにくいだけでなく、スマホからコメント打ちにくいですよね。スマホ対応の悪さにより、アクセス数だけでなく、合評欄の盛り上がりに繋がりにくい体制となっている。ここら辺のインフラ環境の改善というは、かなりのアップサイドポテンシャルが見込めるところなので、現行の工事が完了したら、近々着手していきたいと考えます。多謝。
    3
    breview marimo
    1月10日
    3000字以内、という投稿規定について。

    私は選考対象外ですが、投稿する際には、きっちり3000字以内(スペース含まず、文字のみ)に収めています。以内、と表記する以上、一文字たりともオーバーしてはいけない、これが、投稿規定ではないでしょうか。
    「泣けたい。」のコメント欄を読み、うっかりミスであるなら、多くの投稿者も納得してくださるだろうと思いましたが、このくらいなら、いいかな、という自己判断があった、と述べておられますね。もちろん、3000字以内にトリムすべきだった、申し訳なかった、とも述べておられるので、花緒さんの率直な経緯説明と反省の弁であるとわかります。ですから、この点に関しての批判ではありません。

    ここから先は、提案になります。「個人的な見解」であるにせよ、3000字以内、を厳密に守らずとも、読みやすければよい、と考えるのであれば、おおむね3000字以内、もしくは、およそ3000字前後、3000字を目安、といった表記に変更してはどうでしょう。もちろん、今後は厳密に守るようにする、という方向性もあるかとは思いますが。

    6000と数十文字の作品を、どこで2つに切るか、「童話」を投稿する際に、実際に私もかなり苦慮したので(片方が3000字を越えてしまうので、その調整で手間取った、ということです)他にも同じような苦心や推敲を重ねられた方がいらっしゃるかもしれない、と思い、公平性の面も考え、ご提案する次第です。
    0
    花緒
    1月11日
    まりもさん、改めてのご指摘、有難う御座います。以前、「便所の落書き」としてのクリエイティブ・ライティングの投稿の際には、3000字に納めるよう、かなりトリムした覚えがあるので、おっしゃっておられることは理解致します。今回、文字化けさせる前のベースでしか文字数をカウントしていなかったのですよね。意識を改めるように致したく思います。

    なお、提案部分に関しては、この流れでわたしが発言するのは適切ではないでしょうから、何も言いません。
    1
    祝儀敷
    1月14日
    編集済み:1月14日

    細かいことですが。

    調べたところビーレビのTwitter連携でアカウント名が反映されるのは15字までのようですね。
    こんなふうに↓
    渡辺八畳ー祝儀敷@012345�
    16字目は文字化けして、17字目以降は反映されない。
    Twitterはいままでアカウント名が20字制限ありましたが、去年の11月に50字まで制限をゆるめたようです。
    詩人の垢名は短いのが多いですが、手間じゃなければ次のメンテナンス時にビーレビでの表示もTwitterに準拠した字数にしてもいいんじゃないかなと。20字でも50字でも。
    0
    祝儀敷
    1月14日
    編集済み:1月14日

    あと字数ですが、私は3000字厳守派です。「 読みやすければよい 」という基準は主観に頼る部分があまりにも多く公平な判断ができないでしょう。
    たとえばネットミームをふんだんに多用して4000字ぐらいまでいった詩、ミームに明るい人なら難なく心地よく読めるでしょうが疎い人にはその字数は苦痛にしかならないのは目に見えている。これは極端な例ですが、しかし掲載の可否に関わる重大な事項が判断者の感覚に一任されるというのはよろしくない。特にこの場合は詩の選考のよう主観や感覚に頼らざるを得ないものではなく数字として客観的な基準を設けられる事項であるのだから、余計な不信を招くぐらいならきっぱりと3000字規定したほうがいいでしょう。

    このSNS時代において字数というのは読んでもらえるかに関して深くかかわってくる事象だ。冗長な詩が「 現在の社会とがっちりコネクト 」するとは思えない。そもそも3000字という数字自体が相当甘い基準かと。さらに字数制限しろとまでは思いませんが厳守の規定は設けるべきじゃないでしょうか。
    0
    花緒
    1月14日
    祝儀敷さん、ご意見有難う御座います。
    まず、ツイッター連携の際の作者名ですが、マイページ上で作者名を編集できる機能をつけてはどうか、といったことを検討中です。マイページ含めて、サイトデザインを、徹底的に変更することを計画中なので、その計画の進行状況見ながら対応していきたいと思います。

    また、字数制限についてもご意見、頂戴しまして有難う御座います。参考にさせて頂きます。
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    三浦果実
    3月7日
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    B-REVIEWERの皆さま、こんにちわ。本日は一点、謝らなければならないことがあります。4月末を目処に、ビーレビのwixページを廃止し新たなスタートを切る予定です。フォーラムにいただいたトピックや書込みについて、出来る限り運営スタッフにてコピー&ペーストにより引っ越しを致します。但し、責任を負いかねる事態が発生することも考えられます。皆さんそれぞれが残しておきたいと思われる記事・投稿がございましたら、各自で保存頂きたく存じます。また、この記事を発表以降すべての投稿・書込みの停止と致します。こちらの記事を認知されずに、もし書き込みがありました場合、サーバー移管後消失致します。ご不便おかけしますが、ご容赦賜りたく存じます。
    <wixサーバーから移管・メインページ引っ越しの理由>
    ◯とある有能なプログラマーの方がビーレビを応援して下さることになり、安価でサイト構築を受け持って下さることになりました。この1ヶ月ほどの間、今後のサイト更改計画について話し合いを繰り返して参りましたが、そろそろ議論が煮詰まってきたということで、サイト更改を本格的に始めることに致しました。つきましては、サーバーを移転する関係で、wixからドメインのみを移管する考えに至りました。
    ◯おかげさまで、サイト公開から1年弱で、毎月120作前後の投稿を頂ける場を作ることができました。また、たくさんの投稿を頂けているだけでなく、IN言語なるネット詩発の凄まじいリアルイベントが誕生したり、詩と思想に記事を書いて頂けたり、面白いぞ!現代詩アカで大賞作品を宣伝頂けるようになったりと、様々なポジティブな展開を示してまいりました。1年ほど前、花緒&コーリャで、ビーレビ発足の声明文を書いた際、誰がこれほどの展開を予想していたでしょうか。一重に、応援くださっている皆様のおかげであります。  
    ◯しかしながら、私たちは、現状のレベルで歩みを止めるつもりは毛頭ありません。①投稿作品がより多くの方の目に止まるよう、トラフィックを激増させたい、②フェアでオープンなプラットフォームを整備していきたい、という思いがあります。やはり、ビーレビで面白いと目されたら、自然と、大手出版社から声がかかったり、ファンを獲得できたりするくらい、注目度の高いサイトにしていきたいという野心があります。よりエキサイティングな場にしていくためには、ここらで一発、大幅なサイト増強を図りたいと考えている次第です。
    ◯新サイトにおいても、フォーラム機能は維持したいと思っていますが、現状の形でのフォーラムは無くなります。サイトをオープンして以来、様々なアップデートを繰り返してきましたが、より大幅なテコ入れを図りたいとの考えです。ご不便をおかけしますが、変わることによる不便と、変わることによる展開を天秤にかければ、当然、変わることを選択するビーレビでありたいと思っています。ご理解いただけると、幸甚です。新しいメインページ&フォーラム&個人詩/詩誌の情報紹介コーナーなど、おそらく、皆さんに気に入ってもらえる自信があります。楽しみにお待ちください。

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    きみた まや
    3月24日
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    アカウントの名前を<きみた・」まや>と打ち損じました。」を削除してください。お願いします。

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