あなたの詩を真剣に読みます

百均の私書箱です。

掲示板は基本的に待ちな場所だと思いますので、リクエストなどあればここに書き込んで頂ければと思います。

今までリクエスト下さった方々、忘れた訳ではなく、もうちょっと時間を下さい。

コメント

  • 昔のログです・・・

    百均です。
    2017年9月7日
    あなたの詩を真剣に読みます
    291回の閲覧16件のコメント
    日々掲示板に沢山の詩が投稿されると思うのですが、
    作品を投稿するのも読むのも大変ですよね

    投稿するときは作者の気持ち一つで、
    ある意味OKだと思うのですが
    読む方はそれなりに「レス」という形まで纏めるのに色々覚悟がいったりする事もあると思います

    ここでは、取り敢えずは百均に読んで欲しい、もしくは読み手がいないから読んでくれ、取り敢えず誰でもいいから読んで欲しい、理由はないけど読んで欲しい、百均をおちょくりたいので読んで欲しい、などなどの理由で、目的別に取り敢えず百均が依頼された作品を全力で真剣に読みます

     依頼表は以下の通りです

    【作者名】【作品名】

    【こういうふうに読んで欲しいな~っていうのA-Dの中で】

    【その他要望(掲示板ではなくここに感想書いてください…とかでもいいです。応えられる範囲で対応します)】

    A 優しく読んでください 
     → ここがええな~って思った所だけ書きます

    B 厳しめに読んでください 
     → ここ直した方が読まれやすいのでは? ここが嫌い、こうした方がよくなりそう…的な事を書きます 

    C 思ったことそのまま書きます 
     → 僕っていう立場から見た時に思った事書きます。割と辛辣になるかもしれません

    D いいから早くかけや 
     → ちょっと雑でもいいので取り敢えず感想書いてくれたいい。

    +++++++++++++++++
     
     …みたいな感じです。要望も適宜受け付けますので軽い気持ちで僕を使って頂けたらと思います。別に偉そうにする為にとか、僕の読み絶対的に正しいから、っていう感じ、つまり権威を振りかざすために作った訳ではありません。僕も含めて色々交流しつつお互いに勉強しあえる場所になれたらと思っています。そこらへんが真剣っていう言葉を選択した理由であったりします。
     レスを付けたり付けられるっていうのは、色々なドラマを生む事だと思っています。それは良くも悪くもかもしれませんが、僕は苦労してあなたの作品を読み、その結果色々な物を得たいし、その結果があなたにとって何かになればいいと思っています。
     それが、せっかくならまぁ必要としてくれてる人のために僕は自分の時間を使いたいっていうことですかね。

     そんなわけで長くなりましたが、
     宜しくおねがいします。

    4
    まりも
    2017年9月8日
    時間のやりとり、それは、心のやりとりなんだなあ、と(メッチャクサイせりふですが)思いました。
    2
    百均です。
    2017年9月8日
     ありがとうございます! 

     >>時間のやりとり、それは、心のやりとり
     
     というのは確かにそうだと、僕も言われて思いました。ライトなレスができる場というのは、多分いい感じに育ってきていると思うので、ここでは一ヶ月くらいかけてじっくり読みつつ、なんか心の深い部分の読み合いみたいなのが出来たらええのかなぁとかぼんやり思いました。

    1
    なつお
    2017年9月16日
    いつもお世話になっております。
    百均さんの志、ビーレビの門戸を広く開けて、詩作を自由に広く楽しんでほしいというお気持ちが伝わりました。投稿する側にとって、大変ありがたいことで。

    レスを書くことは投稿するより難儀なことだと思います。
    相手がいて、込められた思いがあって、賭けられた時間、心があるわけですから、
    汲みとって、読み込まないと書けないことだと。

    あまり力み過ぎることはないですが、難しいことだと思います。
    私は、拙いレスしか書けないので、申し訳ないと思っております。

    投稿する際にこちらへ依頼させて頂くかと思います。
    何卒よろしくお願い致します。

    2
    百均です。
    2017年9月17日
    編集済み:2017年9月17日

    なつおさんへ

    レスありがとうございます。
    いつも素敵な作品を書いて下さり、ありがとうございます。

    >レスを書くことは投稿するより難儀なことだと思います。
    >相手がいて、込められた思いがあって、賭けられた時間、心があるわけですから、
    >汲みとって、読み込まないと書けないことだと。

    >あまり力み過ぎることはないですが、難しいことだと思います。
    >私は、拙いレスしか書けないので、申し訳ないと思っております。

    中々レス書くって難しいですよね。。。僕も書けば書くほど何が最適かわからなくなるのですが、今は僕に頼んでくれる人の作品が読みたいし真剣になりたいなぁみたいな感じなので、そこら辺でやってみようかなと思っています。

    なつおさんのレスに限らず、やっぱりどんなレスでも書く人は偉いっすよね。全然拙くないですよ…選評のときに僕は結構レスを見ますし、参考になる事も多々あります。なつおさんのレスも、僕は何回か自分の読みに反映させた事があります。

    僕は僕のスタイルで焦らずやっていこうと思いますので、なつおさんも気が向いたらここを使って頂ければと思います。
    宜しくおねがいします。新作も楽しみにしています。
    1
    百均です。
    2017年12月6日
    フォーラム、この先どうなるか分からんのですが、ある間は適当に使っていきたいと思ったので、つかっていきます。11月の作品、気が乗ったときに一気にレスしていきたいと思うのですが、12月入ってるので、毎日4作品位を目処にしていきたいと思っているのですが、すると、毎日コツコツ僕はかけないタイプですので、ここで公開した後、順次移植していく感じにしようかなと思います。僕の感想が早く見たい方は見ればいいし、基本的に一人で遊んでいますので、遊んでいます。はい。なんの目的もなくしっちゃかめっちゃかしようと思います。

    0
    百均です。
    2017年12月6日
    編集済み:2017年12月8日

    取りあえず書きためていた物をここに貼り付けます。作品のタイトルとかは書いていきませんが。タイミングを見計らって公開していきます。僕が作品を選ぶ前の段階みたいなのもみたい方は勝手にみてください。

    単純に、凄く分かる気持ちになる。
    正直に言ってしまえば、他の言葉にしたってしょうがないとしか思いません。
    僕の中に息づいてしまったクヮンさんの朗読が、僕の心の中に重大な、それこそ鈍重な声という情報を、あるいはステージの上に立つという人そのものの姿を焼き付けてしまった以上。ここにある表現は、ただそうある物としてしか僕は読めません。
    そういう物を排除して読めないんですよね。繰り返し語られる言葉のロンドみたいなもんか。ロンドそのもののイメージが出てきたのは、これはひとつの音楽としての側面が強いと思ったからです。繰り返されるメロディーというのか、楽想というのか、上手く言えないですが、そういうものが明確にあるわけですよね。鈍重、定型、約束、そろえられた言葉そのものが、正に定型であるわけで、そういうものの積み重ねこそが言ってしまえば日常な訳で、都市の日常は常に一定の約束の中に成立するであろう事は予想がつきます。そして、それらはまた時間という定型にくくられている訳です。
    そして、こんな事はわざわざ言うまでもなく、この作品の中に既に向きだしになっています。むき出しになっていう言葉を語り直す程、無粋な物もないと正直に思いますが、しかしながら僕はレッサーで、レッサーであるからには立ち向かって言葉を書かねばならない。この掲示板で毎月決まった日にちまでに作品を読みながら、格闘せねばなるまいという点において、そうですね。僕もやっぱり生きねばなるまいだし、そして最終的には勝たねばなるまいという感じです。僕は日々負けっぱなしなのですが。

    凄くいいですね。なんというか凄くいいです。正直言える事、ありません。言えるとしたら、「ELEGANCE」がよく、「サムバディ・タッチド・ミー」が本当にすきという事しか。「いのちが先行して歩いていく」凄く好きです。そして、最終連が本当にいいです。

    後は、、、正直まりもさんの評が良すぎて、僕からは何も言えないですね。言うことがないというのか。こういうのを納得というのか、適当に悟りというのか分かりませんが、評も含めてまとめて引用させていただくと、

    >四章の〈祈りは聞き入れられ
    >俺は路傍に一人じゃなかった
    >あたたかいのか、つめたいのか
    >確かに手が触れた
    >誰かが俺の背中に触れていた。〉
    >この最終連がたどりつくべき「家」なのかもしれない、と思いました。
    >壁を持った家、家族という明確な安全圏が見当たらないような、朧に霞むミルク色の空間の中で触れた、誰か、の気配。背中に触れていてくれる、見えざる気配。

    ここが、素晴らしい。素晴らしすぎて。何もいえない。

    毎回こういう事を思うたびに、それ以外の感想が出てこないのか、とか自分でも良く思うのですが、気持ちの分かる作品だと思いました。この作品の肝みたいなのは
    >わたしは生産的な人間で反生産を標榜するものでもありません。いつかひとの役に立てる日を夢見て日々無為でも生きているのです。
    ここにあるのかなと思いました。思いました。そして思ったという事は僕もそう思いながら生きているのですが、現状中々出来ていない訳で、毎日中々屑に生きています。そして、このですます調そのものがなんというか、自分がそういう手段を作品に持ち込んできた経験から言ってしまうのですが、ここに描かれた敬意っていうのはどこに向かっているのかと言うこと。ある意味で、ここに綴られた敬意はこの独白を聞かせている読み手に向けられているようにも思えます。それはこの作品を読み手に読み聞かせる様な感じになる。そして、ここに綴られた生活というのか、そういう物を読み手が受け取った時にどうすりゃええねんみたいな感じでもあるわけで、それを逃がさない為の敬意みたいな感じで僕はよく使ってしまう。
    この作品に綴られた生活を読んで、例えばひとつひとつの表現の中に見え隠れする物を受け止める事が正解なのか、それとも受け流すべきなのか、あるいは心を痛める事が正解なのかは分かりません。それはおそらく読み手の社会的なステータスによって異なるようにも思えます。
    という所で読んでしまうと、僕にとってはこの作品は中々つらい所があって。これ以上は評にならないのですね。個々の表現を見ていった時もどうしても自分に引っ張られて締まって例えば、
    >大きな絆創膏がほしいと考えて、なぜか図書館に向かいました。司書さんは清潔で、こころ洗われました。洗われ過ぎて、胸が痛いです。
    >ボスカフェラテを飲み干してその甘味に酔いしれながら、ええ、そうです、最近は缶コーヒーにさえ酔ってしまうのです。青白く、少し痛んだ指でキーボードを叩くと脳に良さそうだな、と考えます。ざらついた紙へ心象を書き落としていくのも悪くはないのですけれど。
    ここら辺なんか、僕も結構やるんですよ。今朝の5時ですが、景気付けに缶コーヒーをアパートの隣にある自動販売機に良く買いに行きます。色々詰まってくると高い缶コーヒーを買うんですね。そして、最近僕は筆ペンで良く書くんです。ネット上で書く事に対して、最近ちょっと熱が落ちてきた事もあって、その気持ちの一部分が此処にあるわけです。こういうの見てしまうと、要は客観視できない。正に僕の生活と重なる部分がそこにあるし、そしてその重なる部分と重ならない部分というのも確かにあるわけですね。例えば
    >緩やかなカーヴを曲がってコンビニエンスストアに向かいますが、ほしいものは何もありませんでした。
     僕だったら、多分何があってもコンビ二に入ったら欲しい物があるんですよ。みたいに思ってしまう事は、もうそれは批判でも批評でもなく、単純に生活の違いでしかない。そういう風にしか思えない程、僕にとってこの作品は身近であるという事です。

    >今夜は満月が明るいよ

    >月の光の下なら
    >ペリドットもエメラルドも
    >同じように
    >見えるんだろうか

    からの

    >ペリドットとエメラルド

    >砕かれた

    >砕いてしまった

    ここが凄く巧みというかなんというか。

    色が似ているからという始まりを否定するような「似やしない2人の間で」から、

    同じような色をしているけれども、似ているけれども絶対的違う相容れないもの。それは「エメラルドのジャム」「ペリドットのマーマレード」にも現れていて、ジャムとマーマレードも似ている物だけど、やっぱり違うんですよね。そして、ジャムとマーマレードは僕は血の比喩として読みました。…とかなんとか、そういった否定を挟みながら。月の光の下なら確かに同じに見えるかもしれない。という希望を裏切るように、

    砕けてしまう。

    >──────冷たい月の光に 小さな魔法をかける

    >深い夜のエメラルド

    僕はここで、無理矢理同化した印象を覚えます。1+1=1にするための手順というのでしょうか。僕は一緒に心中したみたいな感じがします。水面の奥深く海底に入水したイメージです。

    最近、寺山修司「煙草の益」って、話を読んだのですが、それは「ぼくの初めて吸った煙草の味の感想」をする話なんですけどね。その感想の話自体が、一つの人生みたいな物を内包して語られる訳です。それが創作か現実かはともかくとして、本作の場合は、煙草吸ったっていいこと一つもないし、なかったのに吸っているという所。そこに延々と焦点が当てられている所で、その中に語り手の人生があるという事です。逆に言ってしまえば煙草吸ったって一つもいいことないってずっと書いているのに煙草のネガキャンとして全く聞こえてこないという逆説がここにあるのかなと思いました。

    >どうして止めないか? 止められないのか?
    >病気、遺伝、環境や習慣等。さまざまに言われるもののはっきりしない。
    >そもそも止める意志らしきものが芽生えないが、これは何だろうか。

    意志の向こう側にある物を言葉を連ねる事によって浮き上がらせようとしていく、あるいは一つ一つ検証して潰していった先に残る物を期待しているかのようなまなざし。

    >灰を見つめる。
    > 
    >         
    >          」

    この空白の味が知りたいのかなぁと思います。そういう意味で、ある種、結論の(が)見えない作品になっている風にも感じます。しかしながら、ここが見たいけど見えない訳ですね。そのための前振りはすべて振られているといっても過言ではない。という所に、限界があるのかもしれないですね。

    猫ってなんで許されるのか。みたいな感じで、なめ猫とか、東京ニャクザあるよなと思ったら、僕自身は猫にそこまで興味があるわけではないので、考察は進まないのですが、取りあえず笑ってしまいました。このハゲネタは色々な所で見ましたが、多分初めて笑いました。

    一行一行の密度が濃すぎて、どう読んだらいいのかの組み合わせ爆発というんですかね。多分一行一行の主体がどこにあるのかが明記されていない所から始まっている。この言葉は誰が誰に向けて発話しているのか。という所で発話者が全く現れない所から自分自身に宛てて書いているのか、それとも読者に呼びかけているのか、話しかけているのか、あるいは、と、そういう意味で見境のない文章のように思います。「信頼の入り口に明かりがついている」という所からも、凄く際どい表現で。まずは求めに従うという条件があり、それによって気持ちを突っつく事の出来る権利を手にする事が出来る。その気持ちを突っつくにもきっとリスクがあり失敗することもあるが、それを乗り越えてやっと、信頼という神殿の入り口があいた事を示す松明がついたかのようです。そうしてたどり着いた「こんな場所」のこんなとはどういうニュアンスがあるのか。「楽しいこと」「喜びをかんじるということ」普通に考えたら「信頼されるということは」がくるのだろうか。しかし、その後に「ダメに生きたから」と来るから、この場合のダメとは信頼を得られなかったからこそ、招いた生き方でそれによって手痛いい失敗をしたという事でしょうか。そこから信頼される為の試練を乗り越えて信頼神殿の明かりをつけ、そこを守る=平和を作る事にした。その結果ある一定の場所にきちんととどまる。つまり所帯を持つことができたので、心が穏やかになる。それは気持ち突くという行為をなしえたから、そういう代償を払ったからこそも安寧であると、それはささやかだけど、嬉しい事。喜びに女がつく事によってという所から、多分自分の伴侶となる相手に告白した結果、あるいは振り向いてもらえるような行為をした結果として信頼を築く事ができたのかなとか思いました。

    >疑わしい歌をする人
    >かじりかけのクルミがテーブルの上に転がっている
    >待てよ
    >愛はないからさ
    >嘘をつく必要がない
    >騙されるという人は中がいっぱいになった頭を抱えて
    >騙すという人は空っぽな意図しか持っていない
    >教えられるという人は騙すようになれることだけを念頭に持つ
    >教えるという人はその意図を知ったうえで深い知識の泉を揺らす

    難しい詩だと思いました。別に書いてある言葉或いは語彙そのもの自体は平易だと思うのですが、始まりの疑わしい歌と嘘をつく必要がないのは、愛がないからと、その間に挿入されるかじりかけのクルミがテーブルの上に転がっている状況。ですよね。ここが、なんというか、上手くつかみ取れそうでとれないような距離感があって、絶妙だと思う一方。なんで絶妙なのかが分からんという感じです。そこに詩の鉱脈がある感じがするのですが、中々そこら辺が難しい。まりもさんの返詩という形式でのアンサーというのが、なんだろうな、伝わるのかなぁと、思いました。基本的に、僕が毎回黒髪さんの作品に思うことは濃密である事、まずはそこから始まるので、毎回同じような感想になってしまうのですが、取りあえず僕が好きだった所を触れる事でひとまずの感想にしようと思います。

    騙す/騙される 教えられるという人/教えるという人
    というスラッシュがあって
    >ゆっくりと学ぶ人はバックスラッシュをいとおしむ >トタンに打ち付ける雨か
    ここがものすごく面白いですね。イメージとして、バックスラッシュに逆向きで降ってくる雨をかぶせてくる。それからやっぱり、冒頭の二行が好きで、それは同時に僕はイメージそのものを通じて自分を知るのがてっとり早い人間なのかなと思いました。多分大事な事ほどゆっくり考える必要があるだろうし、簡単に結論を出していけないとは思うのですが、中々時間というのもは短くてどうしようもないですね。今回はここまでという感じです。

    俺感想かけねーよ。ああ、なかたつさんを知れば知るほど、感想かきにくなぁ。俺だったら多分もっと嘘を足し算するけど、なかたつさんは引き算するよね。一番大事な名前を隠しつつ、スパイスに使ってる所がむちゃくちゃするしね、微妙に分からんように書いてる。この語り手の目線そのものの感情は多分書かれてない。ので後は想像するしかないんだけれども。
    作者コメント付いちゃった後だから言えるというか、見なきゃ良かったんですけど、

    >これからも、きみのエピソードを聞かせて欲しい
    >エンディングは、まだまだ遠くだ

    ここに出てくる「きみ」はどこに掛かっているのか、多分ぼかされている。この語り手の感情はどこにむいているのか、そこも隠れている。ただ見つめているだけだし、聞いているだけで、何を思っているのかは、最後の( )にちょっとだけ現れているけど、それは単なるアドバイスに他ならない訳ですよね。語り手が同時に聞き手であって、( )の中にくくられた感情も最初の括弧とは意味合いが異なるけど、役割としては同じなんですよね。心の中の独白で、それは表面に出てこない言葉。人は直接会ってやりとりする時にどこまで本音を出せるかというのは難しい所で、なぜならみんな自分の話をしたいわけで、聞いて欲しい。でもやり過ぎてしまうとそれはコミにケーションから外れる部分もあるわけで、そこのバランスから漏れてしまう、例えば激しい言葉なんか中々言えないわけだし、それは例えば説教なんかもそうだと思う訳だ。でもそういう部分にこそ多分なんだろうな。以外と自分でセーブしてしまっている言葉の方が面白い訳で、面白い場合は多分そういうのずっと隠しながら生きてきた人の方なのかなとか、それは大事な事は最後まで隠し持っておいて、みたいな事かなとか思いました。
    とかなんとか、僕なりに思う事あるけど、それは僕の個人的な物に近すぎて、もうもろに内輪のやりとりになっちまいそうだからやめた。

    これを基本のフォーマットにしてみんなでやりますか。元ネタはなかたつ「詩のつくりかた」多分みんないい感じに違うと思います。それぞれやり方あると思いますし、考えた事ない人は自分を知るいいきっかけになると思います。とか偉そうに思いました。
    これは僕が先にやったから偉い! というわけではなくて、単純に僕も似たような事をやった事があるのですが、要は詩が生まれ出るまでの過程そのものを詩にしてしまうという方法論ですよね。ここまで自覚的にはやれてないし、丁寧でもないなと思いました。
    ここまできっちりやった人って多分探せばいると思うんですが、思い出せないので、なかたつさんが最初という事にします。なんというかあるある感がありました。

    鉄格子の中に囚われている恋人、というと、昔読んだ文章で凄くいいのがあったので、それをサブテキストにして読みたかったのですが、手元にないしタイトルも忘れてしまったので言いたいけど言えないのですが、描き方が凄くいいですね。

    その詩行の区切りの仕方の意図が明白な物だと思いました。「恋人の あるような気がする」この違和感。いるような気がするではなく。あるような気がするという感覚。概念としての存在というのか、存在するような概念というのか立ち位置が難しいのですが、この場合の恋人っていうのは、要は何か事をしでかしたから囚われている訳で、

    >かつて私は 正しいことのために闘ったことも
    >大切 なものを犠牲にしたこともない 追いつめられ試され
    >たことも それなのに鉄格子のなかで今にも 細い命
    >を消されそうな 恋人のあるようなきがする

    多分それは悪い事ではなくて、体を張って何かを訴えようとしたり、守ろうとしたからだと思います。要は社会運動の果てに捕まったみたいなイメージに置き換えてしまうとわかりやすいのですが、ここではより抽象度の高い物であると思いますし、語り手の心の話だと捉えてしまえば、自分の見過ごしてきた物、例えばいじめられてた子をかばった子がいじめられ始めた時、そのいじめられてた子の友達という状況なんかこれに近いのかもしれない。そういう風に多分この詩は色々な人の心の側面になれる詩だと思いました。エッセンスが濃すぎない程度に濃縮されていて素敵です。

    更に言うと、涙を流すのは鉄格子の向こう側の人であって、私はそこにまだ至っていないというわけでもなく、今度はその人を助ける番だとも思いました。中々鉄格子という比喩はそういう意味で、人為的な、社会構造の中に組み込まれた、いじめというのかレッテル張りだとも思うので、中々うまく家ナインですが、最終的な着地が頬にあるという事、そして頬を持ちたいと思う事所が顔つきという覚悟を気配を身につける感じがあります。ただ実際に実行するかどうかという決意よりは、願いであるというのが際どいなぁとも思いました。僕も最終的には願う事で終わってしまいそうだし。

    なんもいえないなぁ。結局の所何も言いたくないというのか、それとも僕には何も言えないのか、みたいな所があるのかもしれません。色々書こうと思ったんですが、書く必要がないなと思いました。なんというか僕の宿題ですね。数年後くらいに多分出てくる感じの文章を受け取ったと思いました。

    適当に読んでみました。論理が破綻していたら申し訳ないのですが、上の読解を本作から僕は導き出しました。ですから、ある意味で情報量はえらく少ないのですが、ある意味でえらく豊穣です。読み方一つで解釈も変貌していくと思います。上から読んでいくと読めなくはなく、僕なりの味も表現出来ます。ですが、ものすごく体力消耗します。読み手側が補わなければいけない事がおおいからです。頭の中で処理する分には凄く刺激的になるかもしれません。これはいい悪いという話でもないとも思います。非難している訳ではなく、気がついたら上の読解を僕は書いていたし結果的につかれていた。けれども読めてしまったという事に対して、凄く爽やかな気持ちでもあります。個人的にはこの長さぐらいが凄く読みやすいです。

    >ひと、ヒト、ひとつ
    >と
    >雨が降る

    凄いです。擬音、僕はあんまり詩で使われてるのみてもそこまで興味持ったことがありませんでした。(本をあまり読まないのもありますが)単純に漫画とかの方が面白いの多いからです。しかし、この開始産業は恐ろしいですね。ものすごくいいです。もしかしたらこういう始まりを既に他の誰かがしていたのかもしれないのですが、少なくとも僕にとっては発明に近いですね。人間が感じる音の意識を人そのものに接近させていく、ある意味度直球な詩で、本当に凄くいいです。

    >ひとひとつ、ひとり、ひとあし
    >ひとひとひと

    最後の締め方、恐ろしい程絶品です。メチャクチャ怖い。
    カタカナの使い方も、凄くいいです。音と意味がずれていく最初のきっかけとしての「ひとヒト、ひとつ」「ヒト、ひとあし、ひとあし」「ひとひとつ、ひとり、ひとあし」そして「ひとひとひと」舌を巻きます。多分、一週間くらいずっと「ひと」って聞いたらマグリットのゴルコンダ状態になりますね。それ以外の詩文も本当によくて、いい以外に言えないですね。参りました。

    読み手のマインドによって多分読み方が色々変わってくる。要は変数の部分は読み手次第という所ですかね。そういう意味で箱になり得ているのかなぁ。。。「この(夕)陽に向かって立つ人」は「みんな」 「自分のこと」を「偉い」と「思う」「だろう」この構成要素から、例えば一個抜くだけでも印象変わってくると思います。個人的には「みんな」とか「だろう」がなかなかむかつきましたしね。どういう夕陽かも教えてくれないのに勝手におしつけんなや決めつけんなや、みたいな怒りとか。なんやそのおぼろげな感じを気取って逃げ取る感じははっきりせぇやとか。…そこら辺から詩の読解の自分の姿を見てまぁ、すいませんという感じも後から出てくるわけですね。つまり夕陽を僕は批評できるし、そういった批評みたいな事が出来るという事はみんなきっとそう思うに違いないという前提でみているし、そういう感じ方を出来る僕はやっぱり人類の中でも優れているのだ。みたいな感じかなぁ。

    ただ、そう考えた時に、偉いと思うことそれ自体の是非はここには書かれてない訳で、このとき僕は偉い=悪いことだと考えているし、偉い事は他の人よりも秀でている事であるという自覚があることに気がつくという感じかなぁ。

    そんな感じで僕という変数にとってはこの方程式というのはこういう回答が出ましたみたいな感じなのかなぁと思います。個人的にいいなぁと思うのはやっぱり言葉のチョイスですね。いい感じに煽られましたし、罠にはめられた感触が綺麗に残る感じでした。多分この作品気になる人と気にならない人綺麗に分かれるんじゃないのかなぁと思います。

    ぼくは基本一人でいるので、あんまり感覚として分からん所があります。とか思ってたら高校時代の事思い出しました。いいですね。過去の思い出とかどこいっちゃったんだろうとかちょっと怖くなりました。愛情の部分については、僕はあんまり分かりません。愛情よく分からないのでわかりませんが、ひらがなの部分ほんと、不思議だなぁと思いました。
    不思議な作品だ。

    1
    百均です。
    2017年12月6日
    >「八万四千の子が埋葬された。あなたはそのうち誰を悼むのか」

    突きつけるような何かがそこにあって、しかしながら、子供達がなぜ亡くなったのか、そういう話はありません。ただ、そういった個々人の物語の排除された、物質としての遺品が(それは思い入れを排除されたゴミとして扱われながら)、骨を象るような針金を纏いながらフィラデルフィアの夜を行進する。

    それを見つめるのはおそらく大人達であるのだと思わされますが、大人達はただ見ているだけです。ただ、大人達の中にもきっと色々な当事者達がいて、当事者達にとっては、その針金の行進は「分かる人は、分かります。あの写真、あの記事は、死んでしまった小さな子供のものだと。/亡くなってしまった子供たちの遺品が、足を持って走っていると。」 
    そして、語りの口調は常に誰かに話しを読み聞かせるようにして、それは子供達に聞かせるような言葉で、しかしながらそれを読み上げている声の主は間違いなく大人です。語り手が話しかけるような言葉の方向は誰に向いているのか、それは子供達であって、大人でもある。

    >「八万四千の子が埋葬された。あなたはそのうち誰を悼むのか」

    この数の出自は分かりませんが、これだけの子供達が埋葬される中で、その埋葬された事に対して読み手の僕は意識することなく生きてきた訳で、これからも多分そうだと思うのですが、しかしながら、本作を読むことによって、大量の死が目の前に突き出されるという事の、その死が突き出される理由については書かれていないが、しかし現実世界で常にフィラデルフィアのような僕の知らない土地で子供達が死んでいるという事、そういうものを知らない人間から、この作品を通じて見過ごしてきた物に自分が変わっていく感触を突きつけられます。

    フィラデルフィアワイヤーマンの記事も適当に検索して見ましたが、針金のモチーフに強い芯を更に感じました。谷川のクレーの絵本ではないですが、本作を一緒に並べた物を一冊の、そう絵本として読みたいですね。

    うーん、いや凄いですね。
    描き方が本当に面白くて、寝起きって本当にあせりますよね。ここまでトレースしてひとつの作品としてまとめ上げるのは難しいと思いました。ここまで錯覚させられるこの感じは文章じゃないと出来ないんじゃ無いかと思いました。本当に一発芸で、一発芸なので、滑るか滑らないかだと思うのですが、個人的にはクリーンヒットです。ここまで人間を僕は描けない。技術的な側面みたいなの書き出したら割ときり無いのでは無いかと思います。短いですが、兎に角豊穣です。

    >くたびれた海藻と
    >欠けた貝殻
    >をよけながら
    >一歩一歩
    >沈む
    >波になめられた砂
    >に穴があく

    すさまじくいいですね。いやー、正に僕の地元の海です。その海岸線を歩いているような感じだ。なんでこんな風に書けるのか分かりません。個人的には圧巻で、何も言うことがありません。僕の知っている海がそこにあって、そこを歩いている僕の原初的なイメージを際限なく揺さぶられます。ただ、やっている事は海岸線を歩いて、海を眺めているだけなんです。その視線を通過して濾過されて放出される思考が、言葉が、なまめかしく、しかしながら、どこどこなく水平線のような公正さのある質感を持った言葉がある。

    絶品だ。
    1
    夏生
    2017年12月15日
    百均さん ご多用の中、たくさんの方の作品を読み、選評をなさるのは、本当に大変なことと思います。
    今回のキュレーターの方々も細部まで作品を読みこみ、分析して、お感じになったことを丁寧に書いて
    いらっしゃる。例え、選からもれたとしても、読んでくださっていることは確かで。お好みや作品そのものの力などいろいろあるかと思いますが、選評を拝見して、なるほどと学びになって、次の詩作に活かしてみようと。人様の作品への選評であっても、とても勉強になります。

    なかなかすべての方の作品を拝読することはできず、残念なのですが、一作でも読めますとうれしくなって、あさって方向の感想で恐縮ですが、書かせて頂いております。

    ビーレビはまだまだ進化途中かと思いますので、大変なことたくさんあるかと思いますが、
    これからも投稿参加させて頂けたらと思います。
    2
    百均です。
    2017年12月16日
    夏生さんありがとうございます。

    多分僕が一番勉強になっています。皆さんの作品を読みながら打ちのめされています。本当に投稿してくださってありがとう。日頃、中々感謝が伝わらないし、多分僕が一番感謝を伝えられる方法は間違いなく作品を読んで感想を付けてあげることだと思います。それがずっと、出来なくて申し訳ないです。最近漸くチューンナップされてきたと思います。少しずつ掲示板でよりよく貢献出来るような体制整えて行こうと思いますので、宜しくおねがいします。

    僕も本当は手軽に感想書けるような仕組みというか、そういう空気にしていった方がいいのかなと思ってはいますが、感想を書く書かないか最終的には参加者の皆さんの手に委ねられていると思っています。僕は感想書くのとても怖いです。でも皆さんと一緒にやっていきたいと思っています。

    夏生さん本当にいつもありがとうございます。禄な物を返せなくて、申し訳ありません。
    0
    百均です。
    2017年12月20日
    コメント欄。書きすぎて新作が埋もれそうな感じがするのですが、僕の都合で、出来るだけ早く感想読みたいので、フォーラムに取りあえず書きためていきます。掲示板の方になるべく移植していきたいと思うのですが、移植するエネルギーがなくなったらごめんなさい。上の11月の感想が移植出来てないみたいな感じです。

    以下作品名と作者省略で書いていきます。

    読んでいて、最初は単にいじめの詩かなぁと思いました。なんとなくぼかされていますので、なんとなくそうかなと思っただけなのですが、ただ、渚鳥 sさんの 感想が妙にストンときたので、あんまり言える事がないですね。別にいじめでなくても高校時代には色々な人間関係のこじれがあるし、泣いたり、笑いがあるような気がしたのを思い出しました。僕は高校で、弄られキャラで通ってたんですが、表ではある意味生け贄みたいな感じで笑いを取るのですが、その背後ではやりたくなくて泣いてるみたいな感じを思い出しました。それとは別に、廊下に風が吹くと君が消えてしまう感じ、良かったです。

    シンプルなのですが、力強いですね。まず、やっている事が分かります。虹が空に色を付けるのではなく、空に色を付ける事が「虹」なのだという、、、逆転の発想というのか。

    > 今はただ
    >必死になって
    >せせらぐ小川で
    >あの空を洗っている

    ここが本当に面白い。空を洗う口実として虹を持ち出してきている。それから視点を川に持ってきている。すると、「油」の意味も強くなるし、空に色を付けるから、川に色を付けるという風に淀みなく場所を転化させていく事によって意味も生まれてくる感じがします。例えば川が汚れているから環境汚染のイメージでもいいし、心象風景のイメージに持ってきてもいい、一度色が付いてしまった者は中々透明な物に戻らないという抽象性を獲得する事に成功している。

    0
    百均です。
    2017年12月20日
    カルキってなんだろなと思ったら、コメント欄を見て、なるほどと思いました。正直、僕がこれ以上書く事ないくらいコメント欄充実しているし、あんまり言うことがないですね。言える事があるとしたら、そうだなぁ、産毛というタイトルを付けた事でしょうか。中々付けられないと思いました。

    0
    百均です。
    2017年12月20日
    なんだか確かに言い返せる言葉が思いつかないですね。みんながいいって言ってるのが、なんとなく自分にも当てはまるのかなと思いました。松岡修造っぽい感じで僕は読んだのですが、
    0
    HAneda kyou
    1月24日
    そちらはお忙しいようですが。
    実は妙な作品作ってしまいまして、読んでいただけたらなと。
    20年は昔の発想を今になって形にしました。
    しかも二次創作の。

    これです。
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=9149517

    読む参考になるかも知れない、系統が同じ小説的なもの。
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=1995410
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=2271154
    https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7439637

    好きに読んでいただけたら幸いです。
    二次創作なんで元の作品の知識がないと難しいところもあると思います。
    分からない時は連絡を。
    適時答えます。

    それと余談ですが。
    >「八万四千の子が埋葬された。あなたはそのうち誰を悼むのか」
    これは釈迦の時代の尼僧が残した教典(というか詩集)「テーリーガーター」の釈迦の言葉です。
    子を亡くした母親に対しての言葉になります。
    八万四千とは仏教では数え切れないくらい膨大な数として使われる数字で、しばしば使われる表現になります。

    それでは、暇ができましたらどうぞ。

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    百均です。
    2月13日
    HAnedaさん返事遅くなってすいません! 暫くここを見ていなかったので、気がつきませんでした。

    エヴァは旧作はがっつり見ています。ので、エヴァは多分いけますが、カムイはカムイ伝ですかね? でしたら見てないのでアレですが、読める範囲で読みます!

    少し時間掛かりますが、お待ちください。
    0
    HAneda kyou
    2月14日
    おお、対応できますか。
    なかなか特殊なのでどうかと思ったのですが。

     カムイ伝は読んだ事がないようなので、ここに出てくる小六について説明しますね。
    カムイ伝の主人公の一人である、正助が住んでいる花巻村の元は普通の百姓でした。
    ですが、殿様が小六の娘を奪うため年貢米に細工され、小六はそのかたに娘を奪われます。
    娘は殿様の無体のあまりに、自殺。
    小六は、ショックで気が違ってしまう。
    その特徴は詩にあるとおり、ひどく汚くよだれを垂らし、常にヘラヘラ笑い、歩みは踊るかのようで、小便すら漏らす。
    意思の疎通はそこまで出来ず、頭髪は薄く乱れ、いつの間にか色々な所に入り込んでいたりもする。
    (作中、廃藩になった城になぜか入り込んで、踊っている)
    それでも村からは、そこまで排除されておらず、正助は小六の家に居候した事も。
     終盤、手違いから拷問にかけられ、それにより少し正気を取り戻している。

     カムイ、との叫びですが、本来カムイ伝にたまに出てくる山丈と呼ばれる巨人の叫び。
    赤ん坊や一揆、若いオオカミなど、生命力が発揮されている存在、物事をみると、そう叫ぶ。
    小六は綿花の収穫の際、山と積まれた綿花の山から出てきた時そう叫んでいる。
    (セルフパロディらしい)

    昔から小六は気になっており、またエヴァに足してはよくわからない鬱積があり、このような詩として表現してしまいました。
    それでは、お待ちしてます。
    0
    百均です。
    2月19日
    了解しました。多分三月は少し時間あると思いますので読み次第ここにレスさせていただきます。多分これを機会にカムイ伝読んじまった方が僕も勉強になるので、利用させていただきます。

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