2018-01 選評

カテゴリ: 月間選評

【2018年1月大賞作品】
letters 芦野夕狩

◎準大賞作品

薔薇 蛾兆ボルカ
詩国お遍路 カオティクルConverge!!貴音さん♪

冬、いき 弓巠

コメント

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  • 【百均氏選評】

     一月は合評欄が充実していた。

     特に今月思い出すのは蛾兆さんの二作品と、作品に寄せられた言葉と、その交流だと思う。とてもじゃないがレス出来ない程濃密ややり取りが為されていたと思う。

     今月、僕は何を差し置いても、キュレーターとしてそのことを一番に取り上げたいと思う。

    なぜなら、僕はこういう空間がネット詩に続いて欲しいと、心から願っているからだ。

     合評欄は活性化すべきだし、その上で色々な物事が成り立つと思っている。その思いは僕がネット詩にどっぷりはまりだしたきっかけ、その始まりの思いから何ひとつ揺らがないし、多分これからも揺らがない。

     

     たかが合評されど合評である。

     だからこそ、参加者の皆さんに僕はまず敬意を表したい。

     キュレーターという形で、まがりにも全作品読む事をやっているからこそ、痛感する思いがある。詩なんて一人では読めないという事だ。

     結局の所、キュレーターやってて良いことの比率は低いと思っている。疲れる事の方が多いし、自分の力不足も感じる。色々考えたあげく自分には何もレス出来ないなと思う作品と出逢うとへこむ。自分の書いたレスの後に自分の気付けなかった観点が書かれていると大分へこむ。のだが、やっていて報われる事も沢山ある。読まなければいけない立場にあり続ける事によって得られる沢山の学びがあるという事だ。ショックを受けた分だけ僕は自分が今読書しているという生の実感が得られると言っても過言ではない。

     だからこそ、この選評を書いている時は本当に脳汁が溢れる楽しい時間だ。自分の好きな作品についていくら話しても怒られないし、ある意味合評とは真逆の場所にありながら、一人でひたすら一ヶ月の間に学んだ事柄について、振り返る事の出来る時間だからだ。

    詩とは一人では読めないが、ある程度は一人で読まなくてはいけないのもまた事実である。その時間はこの選評だと僕は思っている。

     ともかく、僕にとっての選評は一ヶ月頑張ったご褒美みたいなものである。

     ここでは、好きなだけ好きと言えるし、好きな作品の事以外どうでもいいのである。

     そして、今月は本当にいい作品が多かった。

     選評の遡上にあげられなかった作品も沢山ある。しかし僕は参加者の皆さんを信じているし、僕が取り上げなかったからといってその作品に価値がないわけでは絶対にないという事既に証明されている事だと思う。ので好きな作品についてだけ書いていく。

     なるべく僕も合評欄に参加していくし、レスも書いていく。というか今月もそこそこ書いたつもりだが雲の上の二人に方がもの凄く頑張っているので、僕も頑張ってランキング一位取りに行くくらいの気概でやっていきたい。という訳で、合評欄でのやり取りがB-REVIEWの原点であり、生産点だ。それは何に於いても揺るぐことはない。

    ●大賞推薦 

    芦野 夕狩「letters」

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1246

     最初読んだ時は分からなかった。何にどうおびえているのかという所のピントが合わなかったのだ。でも3回くらい読み返して、登場人物達の関係が見え始めた途端、多分今月一番心動かされたのが本作になってしまった。

     人の気持ちなんて分からない。というか、自分の気持ちだって分からない。ので、そのことに対して関心を持つ。少なくとも僕はね。だから言葉にすがりついている部分があるよ。だから、人間の持つ心の動きを知るために、遠回りな手法を沢山駆使しながら確かめていんだと思う。比喩って限りなく遠いけど限りなく一番心に近い物だと思う。

     自分の愛する人がいて、その人が想像を絶する悲しみの中にいるであろう事は分かる。でも、そこからどうしていいのか分からない。「頑張れって言葉が嫌いだ」って話を聞いた事がないだろうか。頑張れって応援する事自体がその人を追い詰めてしまう時、じゃぁ何をしてあげられるだろうか。

     多分どうしていいのか分からなくて、驚いてしまう。腫れ物のように扱ってしまう。おびえてしまう。「もう何も泳いでいないはずの水槽に/何かが着水したような音」におびえてしまう。怖い。とても大事な、大切な存在であるのに、こんなに近くにいるのに、どこまでも遠い。もしくは触れてしまったら壊れてしまうような手紙。

    >それは封筒にいれられていない便箋のようだった

    >暴力的なほどに剥き出しであるのに

    >厳しい戒めのもとに秘匿されている

    >宛てられたものだけに明かされるはずの秘密は

    >読まなければ誰に宛てられたものか分からないという矛盾に

    >頑なに隠されていた

     手紙というのは文学作品の中に多く登場するアイテムの一つだと思うし、勉強した思い出がないわけではないのだが、でも、こんなに触れたくない手紙、正確には便箋は見た事がない。ここがなんとも強烈で筆舌にしがたい。ただ、僕がここを読んで思ったのは、ひらすらに分かるよっていう感覚だ。ここには書ききれないくらい、心臓をもがれるような表現で読んでいて、本当に辛かった。

     そして、この詩の偉い所はここで終わっていない所だ。

    >すみれ、でなくともいい

    >す、と み、と れ、と 

    >その全部で君に咲いていたいと

    >そう思ったのだ

     語り手があや子にそう思ったという事、思ったという事が大事だと思う。具体的な解決策などどこにもないのだ。だからこそ思うのだ。君に咲いていたいと思うのだ。語り手は

    >あなたの手ってまるですみれみたいなのね

     この一言に全力で向き合ったのだ。それまで怖くて怖くてしょうがなかった物事に対して全力で向き合ったのだ。一つ間違ったら壊れてしまいそうなあや子の心が発した言葉と向き合う為の勇気を振り絞って、す、み、れと発語したのだ。

     僕は毎日生きるのが本当に怠くてしょうが無いし、なんで詩なんか読んでるんだろうと思いながら生きているけれども、こういう作品と出逢う度に僕はやっぱり生きねばならないと思う。

     僕は人の気持ちを思いやる事が本当に苦手だし、どちらかというと、そういう物と向き合う事から逃げてきた人間だ。

     だからこそ本作に対して、盛大な感謝を捧げたい。

     この詩を読んだおかげで、僕はまた今日を生きようと思えたのだ。

     そしてこの詩はもっと多くの人の心を救う力があると思う。

     故に、大賞候補として推薦する。

    ●優良作

    ★カオティクルConverge!!貴音さん♪�「詩国お遍路」

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1230

     一目見た時から、もう大賞だろうと思っていた。結果、色々悩んで優良にしてしまったが、今月最も力の入った作品であると同時に、ちゃんと力の抜けている作品だと思う。なにより本作の形式がいい。四行詩×88という構成が、カオティクルさんの他の作品とは良い意味で逆張りしている。

     個々の小話も捻りが効いているし、質が安定している。息切れしていない。そして何より最後まで完遂している。

     色々な読み方をしてもいいし、あるいはこの形式をまねて自己流のお遍路をやってみるのもいいと思う。ただし、それが出来るかどうかというのはおそらく多くの人には無理だろう。

    掲示板で誰もやっていないことや、思いついてもやれない事をやるという事。その上で読みに耐えうる物を書くというその心意気から、その内実に至るまで、おぞましい霊力を感じる。

     作品だけではなく書き手も全て含めた上で凄いと言いたい。

    ★桐ヶ谷忍「花の骨」

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1163

     レス欄のやり取りが、もの凄く面白かった。それから桐ヶ谷さんの今月の作品はどちらも、とても面白かった。本当に面白かった。

     桐ヶ谷さんの作品は懐が広いのだと思う。これは、レス欄だけではなく、Twitterなどでも色々と意見を交換できた、という個人的な経緯も含めてであるが、それだけの語るべき魅力が沢山あるからこそ、だからレスしやすい。レスしやすいという事は、どういう事か。結論から言うと、自分の考えを言葉として託しやすいという事だ。そのとき読み手の立場というのは受動的な物から能動的な方向へ一歩前で動き出すのではないかと思う。

     僕としても書ける事は。コメント欄に書いたし、そこでやり取りされているレスのやり取りなども是非拝見して欲しいと思う。

     兎に角是非一度読んでみて欲しい。何か感じ入る物がある作品である事には間違いないない筈だ。

    ★こうだたけみ「春とバナナとシーラカンスの速さ」

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1226

     今月の2作品はどちらも良くて、正直どっちが優良でも別に良かった。ただ、多分僕と相性のいい作品だったのは、「春とバナナとシーラカンスの速さ」だった。深夜感想に書き疲れた午前四時に飛びこんできた、

    >だって地面に落ちた花びらはまるで

    >びっしりと魚の鱗みたいだから

    >地球ぐらいでっかいシーラカンスに乗っかって

    >季節はゆっくりと回転する

    >誰にも気づかれないくらいゆっくりと

    >自分さえも気づかないままに回転する

     落ちた花びらがシーラカンスの鱗になって僕の顔面をびっしりと覆っていく。カメラが一気にズームアウトしていって、シーラカンスの地球に乗っている自分のイメージになる。

     そこまで急激な引きをしているのに、季節はゆっくりと回転する。星が回転する速度はこんなにも速いのに僕らは知覚できない。でも詩を通じて知覚できる。

     それらが日々の忙しさと重なり合うとき、自分が気がついていない回転速度に気がつく時、生きているというやかましい日々の営みの間隙が、僕の午前四時に現れた時、コメカミがビリビリした。

    圧巻である。

    ●キュレーター推薦作

    ◎R「立会人」

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1236

    >小さく鋭い、無数のオーロラの結晶が頬を刺す昼下がり、

    >四つのコーラと、食べかけのドーナツと、黒い猫とが炬燵に寛ぎ、

    >すきま風育ちの幼いつららは息を潜めてはらはら泣いている。

     

     なんともえげつない三行だと思う。この立ち上がり空気感を他の言葉で形容できようか。

    >堪えきれず私は、

    >カラカラに乾いた塩化コバルトが分散した空と、

    >鈍色に踏み荒らされた地の間に逃げ込んだ。

    >自転車だった雪山や、ごみステーションを這う氷は、

    >キラキラと青白い希望に満ちていて、

    >遠く広がる澄静の水面から雲母を纏った橋がおりている。

    >祝福のファンファーレだ。

    >まさに今、天に新たな命がうまれたらしい。

    >不意にサイレンが晴れの日を切り裂いた。

    >時間は歩き方を思い出して慌てている。

    >使われる予定のないストレッチャーが駆け抜けて、

    >白い足跡は跡形もなく砕かれてしまった。

    >それが無性に悲しくて、悔しくて、

    >タトン、コトンと、わざと慎重な素振りで後を追った。

     この詩情を他の言葉に換言する事が出来るだろうか。僕は出来ないよ。書きながら涙出てるし。

     立会人という立場が、なんとまぁ、この詩にふさわしい事限りない。

     立ち会うというそれ自体の持つ意味。なんて考えた事なかったが、なぜ、人は死に際に立ち会う必要があるんだろうか。

     というか、なぜ、最後に立ち会わないといけないんだろう。その答えが一つここにあると思う。

    それを描く事は本当に大変な事だと思う。書き手の心が壊れてしまいそうな程ミシミシと音を立ててしまいそうな心臓の鼓動を感じる。

     でもこの作品はそれらを真正面から熱烈に描くと言うよりは、やはり立ち会いながら書いている。それは独特な空気感となって、作品を覆うオーロラになりながら、文章を正確に紡いでいこうとする姿勢の中に刻印されている。

     本作の中に立ち登る世界の質感は他の追随を許さない。

     壊れてしまいそうな、折れてしまいそうな氷柱みたいだ。でも、ちゃんと最後まで描ききっている。立ち会っている。見事だ。そして、圧倒的だ。

     天に新しい命が生まれるという逆説のファンファーレ、その祝福。そりたつかべのような、針山のような抒情、一つの戦慄の調べがここにある。

    ◎藤一紀「感傷・冬」

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1261

    >あれは虎落笛というんさ

     最後の詩行に至るまでの過程が虎落笛を支える。感傷を描くという事は本当に難しい。なんというか、僕がずっと思っている事であるのだが、他の人が読んだ時に折れてしまわない感傷ってなんだろう。

     とか考えても良く分からないが、ともかく本作のあり方が僕の琴線に強く触れたことは間違いない。

    本作の持つ詩行の音、あるいは語彙の選択、つまりは言葉の質感が、最後の虎落笛(モガリブエ)という言葉その音、その音の持つニュアンス、語の持つイメージに結実していく。

     その口笛の音は冬を奏でる。冬に至る季節そのものを描く。その音色そのものが感傷だ。

     感傷を奏でる虎落笛の口笛。その質感。

     それらを支えきる詩行の音が何よりもカッコイイ。今月一番音を感じた作品だと思う。言葉の基本としてある音の存在を忘れがちになってしまう時が、僕にはよくあるが、音がいい文章は必ず人の心を揺さぶる、その契機になり得る筈だと思う。それは虎落笛の口笛の音色のように。

    ◎塚本一期 スカルブレイン

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1191

     生きる事と物を描く事を切り離すことは出来ない。

     現代はあらゆる物をおそらく前の時代よりも容易に参照出来るようになった世界だと思う。ネット上は物事を比較しやすいという意味で、全く以て買い手市場であり、様々な人間がドンパチやりあっている時代だ。その中で生の自分をさらけ出して生きていく、それらを文章の中のみならす詩人の全てを書けて表現していくというのは、極めて大変な事であり、正に挑戦だと思う。

    そういう意味で、塚本さんは詩人だと思う。これはを僕の物差しによって評価するなどという地平で、そう言っている訳じゃない。

     詩人は詩人だ。血の焼けるような言葉を、体現し、表現しているのは、B-REVIEWでは間違いなく塚本さんだと思うし、だからこそスカルブレインは迫真のエールになる。

     一言で言おう。他の人には出来ない事をしている。故に塚本さんの紡ぐ詩行はカッコイイ。一方で、まりもさんの指摘にあるように、塚本さんの作品には丁寧な、繊細な部分も文体の中に、確かにある。力強くともその裏に見えるある種の弱さを打ち出していきながらも、その中で詩行の中で生き様を打ち出していく。

     

    ◎宮田   抱かれる女と喋る女 

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1165

     氏のファンである。悩みに悩んで残してしまった。最初30作くらい最後どうしようか悩んでいって、残してしまったし、残してしまったのだ。

     結果的に言ってしまえば、それくらいファンであるし、好きなのだ。特段言うべき言葉もなく、この詩の持つスタンスに惚れる。タイトルもいい。黙って、僕は好きだと言うし、言ったからどうというわけでもない。どうというわけでもないのだが、やはり好きだし。好きな物は好きだ。黙ってでも好きだし、好きだから黙れない。好きだから論理とかどうでもいい、毎月それなりではあるが、僕は基本的に読みに論理をそわせて書きたいと思っている。それは僕が本当に好きになった作品の前で論理を手放す為だ。そのために我慢して自分を抑える為に論理をかせとして使う事も多いが、であるからこそ、この作品の前では喜んで外したい。

  • 【花緒氏選評】

    ◎大賞推挙作品

    薔薇 蛾兆ボルカ

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1186

    切り詰められた詩文。薔薇と君との関係が、等号で結ばれているようであったり、実在しない架空のものとして綴られていたり。二人の関係の苛烈さと穏やかさが同時に且つ広がりのあるものとして描かれている。リーダビリティの高い短文の余白に、関係の持つ多義性が浮かび上がってくる。

    ◎優良作品

    語り手と聞き手のいる風景 原口昇平

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1240

    語り得ないことを語ろうとすること。沈黙という名の余白を聴くこと。永遠との繋がり。詩文学の根幹に関わるテーマが、美しいフォルムに籠められていると思った。読めば読むほど良いもののように感じる。

    Letters 芦野夕狩

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1246

    只々、文の流れが心地よく、長さが苦にならない作品だと思った。生まれ出ずることがなかった、架空の、しかし強いリアリティを伴う存在への鎮魂。共感を通じて想いを馳せること。読み解くべきモチーフは様々埋め込まれているのだろうが、私は内容云々より、文の連なりの良さと抑制されたポエジーに感じ入るところが多かった。ずっと読み続けていたくなる一作。

    花の骨 桐ヶ谷忍

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1163

    「僕」の目線から、病に伏せる「彼女」の心情が綴られる。「彼女」の言葉は、まさしく骨の無い花の如く、現実から浮遊しているもののように響く。「彼女」の言葉が象徴する、若さゆえの過剰や欠落、現実との解離に向かって、一段成熟した立場から鎮魂を捧げる作品と読める。何度読んでも情感が伝わってくる。

    ◎推薦作品

    < 雪 > なつお

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1258

    音感の良い関西弁による前半と、しんみりした叙情を残す後半。前半、後半の落差によって、ポエジーを生む構成の妙が印象に残る。人を食ったような前半の畳み掛けが、読者の興を引くことに成功している。まさしく読まれることに対してのパフォーマンス性が打ち出された作品だと思った。

    きみは変態 kikunae

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1251

    何とも中途半端な気の抜けた掛け声が反復され、それがプロの変態による営為だとの珍妙な断定の下で、話者は逡巡を繰り返し、遂には変態を応援するに至る。そもそも反復音が変態によるものだという論拠がどこにあるのか、そもそもそれは人間によって意図して発せられた声なのか、話者の信憑性がそこはかとなく宙吊りになっていく。変態とはなにを意味しているのか。ふざけた感覚が底流に流れる平坦な文の連なりが、普通/異常を分かつ境界線の不在を嘲笑っているかのようだ。演劇の要素を取り込んだジャンル横断的作品として推したい。

    証 ーー「白」字解 二条千河

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1260

    人間に対する信頼や期待感が毀損されて久しい時代だと思う。優れた境地に人間が至る可能性について、すなわち、人間の宿す<白>について、どれだけ言葉を尽くしたところで、白をリアリティをもって語ることは難しい。白だと証を示したいなら生を賭けるしかないということなのか。<白>には程遠いわたしからは、一種のおとぎ話のようにさえ思えるが、であるがゆえに、わたしは本作を無視すべきでないもののように感じる。

    柳 なないろ

    http://breview.main.jp/keijiban/index.php?id=1229

    延命装置、循環という硬めのワードとライトな叙述。ややスイートさの残るポエジーと柳という地味なタイトル。バランス調整が上手いと思った。ライトさと纏まりの良さ。これ以上、どちらか一方への傾斜が強まったら、作品としての体を成さなくなってしまうように思うが、ギリギリのところで成立している良さがあると思う。ビーレビらしい、リーダビリティを伴った詩情のある作品として推したい。

    ◎その他・雑感

     当月、とある投稿者の方から、本掲示板には読了するのに苦痛を覚えるほどに長過ぎる作品が少なくないこと、ひいては、読まれることに対して甘えがある書き手が多いように感じる旨、批判を頂いた。正直に申し上げて、耳の痛い指摘であると思った。この批判に真っ向から反論することは難しい。ただ一つ付言できることがあるとすれば、読者への意識の低さは、ビーレビューに止まらず、現代詩というジャンルが抱える根の深い問題であるということだ。ビーレビューは作品を投稿し、読み合える、ネット詩コミュニティの復権を目指している。無論、その歩みは覚束ないものではあるが、読み合う場、読まれ合う場に向かって、何らの展開も示していないわけではない。

     他ジャンルに目を遣ると、小説には、作者と批評家の他に、<読者>が厳然と存在している。有力な賞を取っていなくても、批評家からの評価を得ていなくても、読者から熱烈に支持されれば、書き手としての地位を確立することも不可能ではない。また、映画や演劇においても、愛好者からの支持の有無は表現活動を続ける上で無視できない要素であるだろう。たとえ、芸術性の高い前衛的な映画を撮る監督であっても、自分のためだけに創作していると豪語する純文学作家であっても、ファンの評価に晒されることからは逃れられないし、また逃れるべきだとも考えられてはいないように思う。

     この間、どういうわけだか現代詩というジャンルでは、同業者からの評価以外の目線に対する意識が希薄であるように感じる。<読者>という存在は半ば存在しないか、存在したとしても取るに足らないものとして扱われることが多いようなのだ。ネット詩メディアを巡回していると、「書けない奴の意見など聞く必要なし」といった態度や、読者の感想に食ってかかるような振る舞いをまま見るのだが、これなどは、読者無視の最たるところであって、この段に至ると、読まれることへの甘えといった次元の話でもなくなってくる。

     また、紙媒体においても、詩集を出版したとて、大部分が同業者への献本に使われることが一般的だと聞く。通常の販路では殆ど売れない・売らない現行のシステムは、やはり読者無視の産物ではないだろうか。詩というのものは、あくまで詩人仲間に読んで頂き、あわよくば、より権威あるお仲間に加えて頂くためのものであって、<読者>に読まれるためのものではないという考えが透けて見えるようでもある。別段、人気取りのために読者におもねるべきだと主張したいわけではない。ただ、読者の存在が無視されがちな状況に、詩壇という権威に向かって書くしかないという状況に、現代詩というジャンルの貧しさと書き手の精神の狭量さを思わずにはいられないのである。

     いうまでもないが、わたしは現代詩というジャンルの中枢には程遠い周縁のそのまた周縁で駄文を書き散らしているだけの存在である。詩壇での地位を得ているわけでも、求めているわけでもなく、ただ行きがかり上、ビーレビューの運営に携わるようになっただけの現代詩のど素人であって、狭義の意味では、現代詩というジャンルに属してさえいないのかもしれない。そういう人間が選に加わるなど、ままごとにしても冗談が過ぎるわけだが、一方でそれで構わないのではないかという思いもある。わたしは全ての投稿作に目を通しており、その意味では、字義通り<読者>であることは否定できないだろう。わたしの意見など、たかが一読者の戯言に過ぎないが、一読者の意見が無価値だとも考えてはいない。

     上記のリストは、批評家や同業者目線での、ランクづけでは毛頭ない。ただ、一読者として、良いと思ったもの、他に勧めたいと思ったものをリスト化しただけのものであることを了解頂きたい。なお、冒頭と反することを書くようだが、当月は、短くまとまっていたり、読みやすい作品の中に良いものが多いように感じた。互いにまともに作品を読みあうカルチャーの醸成は、未だ道半ばではあるにせよ、着実に展開しているように思う。良作の多さに鑑みて、一人一作を限度としてリストを作らせて頂いたが、この点ご容赦賜りたい。

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