2017-09 選評

カテゴリ: 月間選評

まりも:今月は、SEO対策ための改変、ビーレビューのバグの修正とかツイッターとの連携の見直しとか、システム構築(再編?)で皆さん、だいぶご多用のようなので(天才詩人さんのお仕事の立て込み具合や、百均さんの卒論といった事情も私的に伺っているので・・・)少しイレギュラーですが、花緒さんと私とで全作下読みし、ある程度数を絞ってから議論を始めることにしませんか?

まりも:今日はちょっと時間あるので、全投稿作リスト&オススメ50(くらい)選 を作ってみます。

花緒:私も今週中にはリストを発表できると思います。

まりも:

優良:

完備 contour / まりにゃん 道へ / 白島真 塩の柱 

5or6 原発内はフィクションですが~ / HAneda kyou 同じ日に

蛾兆ボルカ 歌詞「TOKIO」について(批評)/ 弓巠 いいこ /田中修子 「おくわ団子」

推薦:

静かな視界 1/1 /徐々にでいいから 斜になる /sizuku000 一人称多数/

るるりら そらおそろしい /湯煙 週末青空わんにゃん通り食道 /

遠野有人 八月の不確かさ / 仲程 チンダルのはしご / survof 君の写真/

前田ふむふむ 距離 / m.tasaki 暗夜の白花 / なかたつ 父の、からだ/

硝子 語られない言語 / 夏生 1セント銅貨が居りまして /

桐ヶ谷忍 「ハンプティダンプティ」 /ミナト螢 シンデレラストーリー/

クヮン・アイ・ユウ 一歩前へ(未完) / 二個優 漣星の映る海/

森田拓也 リトル・ムーヴメント / 楠原将光 秋の月時計 / エルク 星月夜/

みいとかろ 椅子と沈黙 /bananamwllow 園田の屋根 / 深尾貞一郎 午後/

_ フランツカフカと遊んでる /斉藤木馬 餌やり /ゆあさ 夜に狭い部屋の中で/  り 中央特快 / 薄氷楓 非対称な鏡の言い分 / homa 供述/

kaz.  コリドラスの夢彩 / 渚鳥 s Re: /ふじみやこ 龍の鱗粉を浴びる/

こうだたけみ マル:サンカク:シカク; / 加地 moment_memory /  

YUU_PSYCHEDELIC 涙に溺れて / もなか そのつぎ / Fiorina <歴史遺産>/

大畑人々 環状道路 / はねひつじ 遠回りアフターウィーク / mu 潮音/

田中恭平 回想タクシー / エイクピア 工事中/

保留:

Survof 不眠症のポエム / 北村灰色 0909 / 紅茶猫 花 /

ウエキ 青年空間・瞬間少年・愛撫 / 前田ふむふむ 透明な統計表 / 

白犬 lemon juice lemon eye / sonetira 日記 /

夏野ほたる 素敵な大人になりたかった / Amagasasasite 凝って、夕暮れに/

うたもち 鳥×鳥 / こうだたけみ あったこともないのによく~ /黒髪 変わる/

まりにゃん Sept Papillons / Migikata 人でないもの総てがつながる~/

 

花緒:もしよろしければ、(まりもさんから)全体の講評や、リストの趣旨など、全体感を説明いただくというのはいかがでしょうか。

まりも:リストは、数を絞るということと、多様性を確保するということを重点に考えたので、二作投稿者の場合は、より、その人らしさであったり、新しさであったり、切実に伝わってくるものを持っていたりする作品を中心に選びました。

まりも:可読性ということも考えていて・・・文学の視野や可能性を広げるための実験も大事だとは思いますが、今現在、汎用している日本語の枠内で、捉えうるもの・・・それをひとつの物差しにしています。

まりも:詩行の飛躍の幅を大きくとる詩人の場合でも、自由連想で類推したり追体験したりできるかどうか。また、深層心理の次元で連携していることが推測されるなど、他者が頑張れば追体験することが出来るのではないか・・・そんな詩的世界を作り出している人に注目したリストになっていればいいなと思っています

花緒:ありがとうございます。私もリスト発表します。

大賞

まりにゃん 道へ

優良

り 中央特快

弓巠 いいこ

徐々にでいいから 白紙

遠野有人 八月の不確かさ

前田ふむふむ 透明な統計表 

bananamwllow 園田の屋根

m.tasaki 視点

要再考

もなか そのつぎ

大畑人々 環状道路

mu 潮音

_  フランツカフカと遊んでる

まりにゃん Sept Papillons

前田ふむふむ 距離

白島真 塩の柱

推薦

fiorina 【赤いコート】

桐ヶ谷忍 「ハンプティダンプティ」

るるりら そらおそろしい

徐々にでいいから 斜になる

HAneda kyou  同じ日に

夏生 1セント銅貨が居りまして

仲程 帰る

こうだたけみ マル:サンカク:シカク;バツ

深尾貞一郎 午後

斎藤九 飛んで

ウエキ 寂光

SURVOF  君の写真

sonetira  日記

森田拓也 リトル・ムーヴメント

渚鳥s 小さな実験

田中修子 「おくわ団子」

完備 mirage

ミナト蛍 不眠症の詩

エイクピア 工事中

花緒:全体感やチョイスに関する表明をします。

9月は、HPを新たにしたということもあってか、新規に投稿を始めてくださった方が目立った月だったと感じています。もっとも、新規投稿者とはいえ、現代詩のディシプリンを明確に感じさせる方が多かったように思います。

また、ビーレビのコンセプトへの理解も進んでいるのか、リーダビリティを意識した投稿作が相応に多かったなという印象です。こうしたリーダビリティ、ディシプリン、新鮮味という9月を特徴付ける3本柱の中で、やはり、まりにゃん氏の「道へ」が頭一つ抜けていたという印象を受けました。

花緒:また新規投稿の範疇でいうと、遠野有人さんの作品が、非常に仕上がっていて、良かったなと私は思いました。

花緒:新しい方だけでなく、当月は、これまでから投稿を続けて下さっていた方々の作品も、成熟や展開が見られ、目を引くものが多かったなと。その中で、りさん中央特快は、私はダントツで良かったです。

加えて、m.tasakiさんの視点という作品は、十分に洗練されていると言っていいのか、やや疑問も残る部分も有りますが、クリエイティブ・ライティング枠として、非常にコンセプトがしっかりと有り、かつ読みやすい散文作品だったと思いますので、ポジションとって推したいという考えです。

花緒:なお、今月は新たな試みとして、十分読みきれてない作品や、私との相性はあまり良さそうでない作品は、要再考枠、としてとどめています。基本的に、要再考枠の作品は他の選考者の意見に従いたいと考えています。あと、あえて、優良の本数はガッチリと絞っています。とりあえず、私からは以上です。

まりも:花緒さん ありがとうございました。優良作品に関して、丁寧に(バチバチ?)議論しましょう。

花緒:はい。よろしくお願いします。前月同様、ツッコミどころをあえて残した形でリストを作っていますので、バチバチ議論ふっかけてください。


花緒:今月の選考もやっていきましょう。まりもさんの優良案と私の優良案、全然マッチしてないので(笑)、今回はそれが面白いところかもしれないので、適宜チャレンジさせて頂きます。

◆完備 contour

花緒:優良というには、小品すぎる気がしませんか。少なくとも、私には小品感が強い気がします。また、最後の、ぼくはきみをあいしてしまっている、が、直裁すぎて、ポエム感あるような気がします。ただ、これまで短詩に関しては、ビーレビでは評価が出にくかったと思うのですが、今後、読まれる現代詩を!ということであるならば、短詩をもっとカバーすべきだと思うので、その意味では、強く疑義を呈することはしません。

まりも:完備さん contourは、二連目までの、静謐な静物画のような描き方と、三連目のライトな恋愛詩への飛躍が巧みだと思ったんですよね。長谷川潾二郎の描いた絵のような・・・と思って見ていたら、永田萌の甘さというのか、夢のあるイラスト的な軽さに、ふっと浮上して着地する。

コップの表面が濡れ、その濡れが指を濡らし・・・と上質のエロスの方向に持って行きながら、濡れた瞳に重ねていく。飛躍していても、断絶していない、このあたりの凝縮度が、短詩としてはかなり練られている。

まりも:コップ一杯の水から、哲学を語ることができる、と言ったのは、サルトルでしたか・・・コップ、心、精神、魂、といった観念的な連想を、そのまま静謐な精神性の中で簡潔させるのではなくて、あえてベタなポエム調の「落し」に持って行くところ、ライトな方向に息抜きする、と言えばいいのかな、そんな短詩のまとめ方、面白いと思いました。

優良に推すには、たしかに小品だとは思いますが・・・もう一作と比較して、という部分も含めて、完成度の高い一作だと思います。

花緒:ありがとうございます。完備さん作品、この種の作品を語るには、まりもさんの方が、私よりはるかに適任ですよね。完備さんに関しては、私は後退します。正直、あんましポジションはないです。

◆ 5or6 原発内はフィクションですが真面目に災害対策工事やってます。と一応断っておいての猫詩。

花緒:こういうジャンクな掌編小説は、私の好みではあるのですが、優良と言えるほどの、複雑さや繊細さがないのでは、というチャレンジをしたく思います。ジャンク小説って、中原昌也という先駆者がいる中で、かなり緻密にふざけない限り高く評価していいのだろうか、という躊躇いを感じるところあります。本作は、なんか粗雑な感じします。粗雑そうに見せて、実は、丁寧に計算している感じがあるとまで言っていいのかどうか、というポイントで、議論の余地を感じるのです。

花緒:再読しました。ううん、これを評価するのは勇気おありですね。面白い作品だと思うので、単純に異を唱える気はないです。議論への目線として、こういう書き方しかできないのだ、という、世界との距離感の取り方や、認識のあり方、現代文学への目線などが、ほんの少し入っているか入っていないかで、本作は全然評価変わる類の作品で、私は評価の遡上に明確に載せるには、ちょっと一歩足りないのではというツッコミを一回入れてみたい誘惑も感じます。

まりも:5or6さん「かなり緻密にふざけないと」その点は同意します。不勉強で、中原昌也、知りませんでした。中原中也のもじりみたいな名前の作家ですね(アーティスト、という感じなのでしょうか)

まりも:真ん中部分の、「調子乗って喋りまくってる」風情の書き方、あまりに「軽薄」すぎないか、と思ったのですが、あえて「軽薄」を装うことで、事態の重大さと比較する、批評性を持つことになる。

まりも:私は、「所長」を吉田所長と重ねて読んだので、特にそう感じました。戯画化すればするほど、事の重大さが際立つ、というような。人が目の前で食い殺されるような事態が起きているのに、みんなへらへら笑って、すぐに忘れるような異常事態が恒常的に起きていて、そのことに慣れていく、という、その「慣れ」に対する批評性を、面白おかしい、わざとふざけたようなライティングで描いている。

花緒:5or6さん、そうですね、あえて軽薄なんですが、軽薄を装うことの意味ですよね、なぜ、そのまま事態の重大さを直裁に書けないのか、ということが、一行入っているか入っていないかで、結構違う気がするのです。そこが書かれていないのでは、という目線に対してディフェンスしうる作品なのか、というポイントを議論したいのです。単純に、チャレンジしている訳ではありません。難しいところだとは思いながら話しています。

花緒:言い方を変えるならば、風刺漫画とどう違いますか?文学と言えるだけの要素が入っていますか、という、ツッコミですね。ただ、ネタがネタだけに、かなりアクチュアルな類の作品ですね。そこを評価するのはアリだと思います。

まりも:風刺漫画、シャルリ・エブドの描いた原発被災者や原発事故の風刺画は、様々な意味で波紋を呼びましたが・・・原発事故や重大問題について、深刻に真面目に書こうとすればするほど、むしろ書けなくなる。無理やりにでも、猥雑な笑いや、下卑た生命力のような部分、土俗的な、泥臭い力にまで「下降」していかないと、人間は対処できない、対応できない。そんな、「笑い」の力による突破の道しか残されていない。そんな行き止まり感のある事象だと思うのですよ。

現に、原発のことは、みな、心の中に澱のように抱えているはずなのに、きっともう事故は起きないとか、それほど大したことじゃなかった、という形で、「慣れ」が起きてきていて、そこに「再稼働」の動きもじわじわと迫ってきている。あまり、政治的な立場や考えを主張するのは良くないですから、ここで止めますが。

花緒:ええ、そうですね。風刺漫画を書くことの中に、<風刺漫画しか書けない>ことが書かれているかどうかで、文学作品としての価値は変わるはずで、本作は、微妙なところにあると思います。風刺漫画でしかないのかどうか、というポイントです。

 が、お話伺っていると、私はチャレンジする立場から、明確に後退しているところはあります。5or6さん作品は、天才詩人さん、百均さんの意見聞きたいですね。

天才詩人:5or6氏について。とても良いと思います。優良のボーダーはクリアしているのではないでしょうか。読みはじめ原子力発電所に獰猛な猫がいるという「ああ、そうなのか」という作品なんですが、大きな伏線もなくいきなり人喰い猫の話になる。ちょっと大げさに言うとマジック・リアリズム。異常としか言えない事態が一見平静な日常で起こっており、それをまた人々は平静に受け流している。

天才詩人:ポスト震災の日本社会とのパラレル。東京オリンピックを目前にして情報隠蔽に走る日本政府への不満など、そんなポリティカルな現状と対比して、いろんな批評的可能性を提示する作品ですよね。たしかに5or6さんは文体が粗いところがあり、ジャンク系寄りなんですが、(前月のリチウムは驚くほどスイートでしたが・笑)。野蛮な人喰い猫の話という内容と合わせるとジャンクな感じもうまくフィットしているのではないでしょうか。

天才詩人:たとえば読んだのがだいぶ前なのでうろ覚えで申し訳ないのですが、ガルシア≡マルケスの「百年の孤独」に、こんなくだりがあるんです。ふつうにリアルな家族のだんらんとか、村の歴史とかそんな話をしている部分で、

その日の午後雨がふり始めた。

とくる。続いて、

雨は7年間降り続いた

読者はビックリするわけです。

天才詩人:数パラグラフにわたって、子供が生まれたとか夫婦の喧嘩があったとか、ごく日常的な、自然なまともな頭でついていける話を淡々と書くんです。で「その子供が生まれた午後、雨降りだした」「雨は7年間降り続いた」とくるわけです。それまでフツーな話の展開だったのに、何の前触れもなく、雨が7年降り続いたりする。移行がシームレスなんですよねー。5or6さんの、所長が猫に食われるという話の挿入が、どことなくこれに近い感じがしたんですね。そしてこのシームレスさがインパクトの増幅感に役立っている。こう思うわけです。

花緒:有難うございます。5or6さん、では優良、わたしも同意します。

◇それぞれの選択理由

まりも:徐々にでいいからさんと、前田ふむふむさんの作品は、二点のうちどちらが良いかどうかと言うことよりも、方向性で悩んだ作品でした。花緒さんの選択理由を伺いたいです。

 

まりも:それから、りさんの中央特快、シンガーソングライターの歌詞のような軽妙さやかっこよさのような点に牽かれますが、私はいわゆる歌詞に疎くて、どのくらい、一般的に好まれそうかとか、そういう推測が出来ません。花緒さんから見た本作のアピールポイントを教えてください。とりあえず、この三点です

花緒:まりもさんの仰っていることはわかるような気がします。質問の趣旨というか。

①徐々にでいいからさん

 今月、両作ともに、凄まじく読みやすい作品ですね。誰が読んでも何が言いたいのかなんとなく分かった気になれる、そういう作品だと思います。斜になる、は標語をちょっと捻ったような作品ですし、白紙で出す、もすごく直裁な表現だと思います。あまりにも読みやすいのでライトヴァース感が強かったり、本格的な詩作品とは言えないのではないか、といった批判もありうるとは思います。

しかし、私が思うにですが、誰にでも読めるものを書くのは凄いことです。詩を書かない人、詩について一定の知識や興味関心を持たない人にでも届けることを企図した作品を、<本格的な作品に見えづらいから>というような理由で、簡単に捨て去るようでは、ネット詩がいつまでたっても、広く読まれるメディアにはならないということにも繋がりかねないかと思います。

私は、徐々にでいいからさんの今月の作品は、両作共に、とても読みやすく、フォルムも美しく、一種の造形美を感じさせる作品だと思いました。大日本図書の詩を読もう!シリーズなど、ちょっと前には、こういう誰にでも読める現代詩を広げていこうという動きもあったようですが、最近では、あまりそうした出版物はないみたいですね。今月の2作のうち、私は、斜めになる、は少し理屈ばったところが鼻につきますが、白紙で出す、は嫌味がない良作だと思ったので、強く推したいと思いました。

②りさん 中央特快

歌詞っぽいとは私は思わなかったですね。単純に、平易な言葉で編まれているし、音感がいいから、歌詞として、曲をつけようと思えばできるのかもしれませんが。軽く書かれているようで、しかし、よく読むと結構精緻に組み立てられているように思います。

今生の別れ、だなんて、結構古めかしい言い回しで別れを記述してみたり、うたう歌もない、と歌にならない絶望感や孤独感を示唆しつつも、まさに歌詞のようだと思う方も出てくるくらいに、軽めの叙述でポップに仕上げていくあたり、バランスがとてもいい作品だなと感じますね。

シティポップという、古臭いアナクロなワードが象徴的なように、わざとちょっと古めかしく書いていたり、わざとちょっと軽めに書いてみたり、軽い言葉しか持ち得ない都市の住人の孤独感をポエジーとともにうまく表現できている一作のように思います。

中央特快の可読性は相当、高いですし、どれくらい一般に好まれるか、定量的に語ることはできませんが、読者対象に含みうる層は徐々にでいいからさんと双璧をなしうるくらい広いのではないでしょうか。推すべきだと思います。

③前田ふむふむさんは、また後で論じましょう。

◆徐々にでいいから 白紙 と 斜になる

まりも:御二方とも、ありがとうございます。「誰にでも読める」詩、易しい言葉で書いた優ししい詩、と言い換えてもいいかもしれませんが、要するに読んでわかる、可読性の高い詩を書くべきだ、という詩人たちは今でも一定数いるし、前衛的、先鋭的実験、果敢な挑戦を続けるべきだ、という詩人たちも一定数いる。

問題は、新しく詩を創作しようとする人たちが、詩誌の投稿欄などから「頭角を現す」ことによって「見出される」という現行のシステムの中では、新奇さで目立ったリ、今までにないテイストや毛色の変わった作風、尖った個性、通常扱われなかったテーマ、などを打ち出していかないと、なかなか目に止めてもらえない、という傾向がある、ということだと思います。

まりも:あくまでも私個人の考えですが、新奇さや文学的実験は、現在のところ、ほぼやり尽くされているように思うのですね。大正から昭和初期にかけてのモダニズムの勢いは、今読み返しても非常に斬新ですし、あの時点で「行われなかったこと」を探していこうとすれば、後は自分だけにわかる「言語」を創造して、それが他者にも何らかの形で通じるように工夫しながら打ち出していく、といった、かなりイレギュラーな形をとるか、暗黙の内にタブーとされていたようなテーマに切り込んでいく、といった手法しか残されていない。

ネットメディアと連携して、新しい言語表現を探る、という手法が、今後盛んになっていく可能性はありますが(アニメーションとの連携や、文字を表示すると同時に音楽が流れる、色彩と文字が連動する、絵文字など、はじめて見る記号であっても汎用性のある文字を生み出す、など)現在使われている、伝わる言葉、通じる言葉で表現する。言葉に無理をさせない(文法を破壊したり、意図的に言葉に別の意味を担わせたりしない)ことも大切なのではないか、と思うのですね。

人間がせいぜい百年なのに、言葉は五百年、千年の年齢を生きていて、意味の変遷などのライフストーリーを、それだけの厚みで有しているわけですから。

まりも:前置きが長くなりましたが、ビーレビの「可読性」を大事にしよう、という方向性に賛同しています、大事にしていきたいと思っています。

まりも:徐々にでいいから さんの「斜になる」は、日常をユーモアやとんち、ウィットに富んだ見方で見ることによって、別の視点から見る、あるいは日常から少し外れて、自分自身の生きている日々を、客観視することができる。そんな詩の力を提案する、ひとつの作例として読みました。

ストレスフルな日常を、たとえば、「角が立つ」「杓子定規」といった慣用句を、比喩的な意味からあえてずらして、文字通りの意味で捉え直したときの面白みや、そこからの連想で文房具に他者をなぞらえていくという面白み、そうした「遊び心」を活かすことによって、日常からふっと遊離して、別の視点からとらえ直す余裕を得る。そんな効用を持った作品、ということですね。

まりも:他方、「白紙」の方は、作者自身の詩作の姿勢、いわば、アーティストステートメント、ともいえるのではないか。その意味で、作者にとって、とても重要な作品であろう、と思います。

白紙、それもテストを白紙のまま出す、という、きわめて身近で一般的、誰にでも連想可能な比喩を用いて、解答の無い世界に、作品を提出する、という自身の創作態度を重ねていく。

比喩としては、一時期言われた「タブラ・ラッサ」などの(別の意味で用いられた)白紙と被る部分があるし、比喩の「おもしろみ」や「とんちのきかせかた」といった、いわば、読者サービスに関しては、「斜になる」の方がうわてかな、とも思うのですが、うわて、ということは、それだけ小手先の技術が目立つ、ということでもあって、そこに「作り込まれた感じ」や「わざとらしさ」を感じる場合もあるでしょう。

繰り返しになりますが、作者にとって重要な作品は、「白紙」のほうではないか、という気がします。ですから、どちらを採るか、あるいは両方採るか、という点も含めて、皆さんの意見を伺いたかったわけです。

花緒:まりもさんのお話を違う角度からリピートするだけになってしまうかもしれませんが、例えば、現代思想の世界では、本人もよくわかっていないような中身のない話を、やたらジャーゴンを取り混ぜて、あたかも何か難しい話をしているかのように垂れ流すといった振る舞いが結構あるなと思っています。そういう種類の権威主義では読者を失うだけでしょう。権威以外の視線を重視できなければ、そもそも、ネットというオープンスペースで、合評も取り入れて、メディア展開する意味が一切ないということにもなりかねない。そういった意味もあり、私としては徐々にさんの作品を推したいという思いでおります。

まりも:わかりやすい言葉で、わかりやすい体験を語る、これは本当に難しい。誰にでも体験可能なこと、では、なかなかその人独自の表現にはならないし、そうすると、特殊な体験をした人のドキュメントしか、「わかりやすい言葉」で語ることができなくなってしまう。人生経験の浅い若者にとっても、それは同様ですね。老人と同じ深さで、人生を振り返るなんて無理です。

でも、若い人であればこそ、柔軟な発想を生かす事ができるのではないか。日常を、常識、という枠から外れて、こんな見方もあるよ、と提示する。ときどき、子どもがびっくりするようなことを言ったりしたりしますが(おばあちゃんってすごいんだよ、歯が外れるんだよ、と真顔で報告されて、噴き出したことがあったけれど、確かにすごいことではある)そんな童心を活かした作品にも、丁寧に目を注いでいきたい、という思いはありますね。

まりも:わかりやすさの志向、ということに、文体の軽さ、会話体の導入、という方法もある、と思うんですが、それに関していえば、5or6さんの作品もそうですよね。先ほどの議論に戻りますが、天才詩人さんの「ちょっと大袈裟ですがマジック・リアリズムという感じがしますね。」なるほど、と思いました。

まりも:マジックリアリズムが南米系の作家に多いのは、なぜなんだろう、とは思うけれども・・・ラテン系の、誇張表現を好んだり、幻想表現を好んだりする傾向と関係があるのか・・・5or6さんの作品に関していえば、いわゆる「若者言葉」で饒舌に、べらべらとしゃべりまくる、という感じの、実況中継的な描写部分の・・・それこそジャンクな表現をどうとらえるか、ということなのではないか、と思います。

シリアスな描写で迫真的に「再現」した場合、この情景は読者にとって耐えがたいグロテスクなものとなるでしょう。ちゃらい、と言ってもいいようなへらへらした感じで「中継」されるので、ギャグ漫画の一場面を見ているような感じで読み終えてしまう、けれども・・・その情景が意味しているものとは、何か。その悲惨な情景が、何事もなかったかのように素通りされていく現実とは何か。そうした問題が、現在の原発や原発事故に対する、ソフトな批判になっている。あえて過剰なほどの「ちゃらい」表現を用いていることに、この作品では意味があるのではないか、と、何度か再読して思いました。

まりも:遊び心が、批評性にまで拡大されている5or 6作品と比較するなら、徐々にでいいからさんの 斜になる は、遊び心が自分自身の身近な生活圏内にとどまっている。それならば、白紙の方が、作者にとっては一段深いわけですし、そこに共感する読者もいるでしょうから、白紙の方を優良に推しましょうか。

花緒:そうですね、わたしは白紙の方がいいと思います。斜になる は、説明的というか、理屈ばった感じが、ポエジーの醸成に繋がり切っていないところがあるように思います。

◆り 中央特快 

まりも:り さんの「中央特快」、なんとなくユーミンの「中央フリーウェイ」を思い出した、ということもあるのかもしれません、歌詞的、という印象を得たのは。

まりも:古くさい言葉を入れる、そこに昭和感を感じるところもありましたし、「出発するの黙ってみてた/よーし、これでみんな旅へ出たね」という会話体の軽さや、「こんな街に朝焼けとか、あるはずないとおもった」という舌足らずな、あえて子供っぽいような言い回しを入れて来るところ、非常に読者に寄り添った場所にある文体だと思います。

それでいて、「みんな」が旅にでる、という、この一文が意味するものは、いったいなんだろう。ちょっとアニメ映画的な表現になりますが、世界が滅びようとしている、その脱出列車に乗る、というようなシチュエーション、もうここで命が終わる、という最終列車、そんな設定を「妄想」してみる(そして、それは空想である、と認知しつつ、空想に遊ぶ)そうすると、比較的、すんなりと入って来る作品だとも感じました。

まりも:「ぎゅうぎゅう詰めのビルの悲鳴がきこえてきて」この部分も、ストレスフルな都市生活者の悲鳴が背景にあるわけですし、その悲鳴の集積が、ビルの林立として迫って来る、そんな圧迫感から脱出したい、という脱出願望を全体から感じます。それを、鼻歌を歌うような軽さと、「なーんかホロリとしちゃって」というような、会話体の軽さを持ち込んで描いているわけですが、ここまで文章を軽くしていいのか・・・ということに、戸惑いを覚えた作品、でもありました。

天才詩人:中央特快ですが、うまい作品だと思います。特に最後の  

そんな瞬間、まったくなかった

はじめからずっとずっとひとりだったし

こんな街に朝焼けとか、あるはずないとおもった

この落とし込みにひねりがあって良いなと。。

この街の朝焼けはもう二度とみたくない

アスファルトに根っこが生えたまんま立ってたら

ぎゅうぎゅう詰めのビルの悲鳴がきこえてきて

シティポップで上書きしようって

いけ好かない真似をしたのに

結局なーんかホロリとしちゃって

いやだなあ、こんな大人になる予定なかったのにねって

ふたりで何回か笑えたらきっとよかったんだけど

そんな瞬間、まったくなかった

はじめからずっとずっとひとりだったし

こんな街に朝焼けとか、あるはずないとおもった

前半で金輪際の別れの話があり、途中で「朝焼け」がどことなくセンチメンタルに挿入されるのですが、最後で「はじめからひとりだった」し「朝焼けなんて無い」と断言する。過去の記憶を根こそぎにしたい作者の意志表明だというロマンチックな読みも可能な反面、冒頭からつらつら書いてきたことを全否定するという、ちょっとシュールレアルな感じもある気がします。

天才詩人:書き手曰く「恋人なんてもともといな」くて「ずっと一人だった」し、そもそも「朝焼けなんて存在しない」ということは、ここまで書かれた内容はトランス状態で頭に去来した架空の話だったという読解できるわけです。そして、そうすると作品として読みの幅が出てくるんですね。しかも、恋人と過ごして別れた中央線沿いの場所があって、その「街」は「朝焼けがない」と本人が言う「街」とそもそも同じ場所なのか。この「街」は複数形なのか?現実と架空のレイヤーが重ね合わされている、何気ない、日常的な口語体で書かれているぶん、そうした謎が入っているところに魅力を感じました。

まりも:お二方のプレゼンを尊重して、優良で同意します。

◆m.tasaki 視点 

花緒:可読性云々の話とも関わるのですが、本来、前衛性や新規性を重視することと、可読性は無関係であるはずです。前衛的で読みやすい作品だってあるわけですからね。その意味では、現代アートのフレーバーを残しつつ、可読性の高い散文詩としては、天才詩人、藝術としての詩などがあるわけですが、今回、tasakiさんの視点には共通のものを感じます。

花緒:要するに中途半端な位置に固定された視点について、中途半端な視点に固定して叙述するという、まあ、メディアアート作品などで、カメラ二つか三つ用意してパフォーマンスされるケースあっても不思議ではないようなコンセプトの作品ですが、一行一行平易であるわりに、結局、何がやりたいねんと突っ込みたくなるくらい、それこそ中途半端な位置に意図的に宙吊りにされていることが面白い作品で、アートのフレーバーがあると思うのです。

花緒:文章の質、特に2連の冗長さとか、やや説明が勝ちすぎていて、躊躇半端な視点からの描写が十分にできていないのでは、とか隙のある作品だとも思いますが、わたしは天才詩人の意見など聞いてみたいですね。個人的には優良のボーダーという印象です。

花緒:また、若干話がずれますが可読性の話をさせていただくと、多くの場合、可読性を落として、文学性芸術性を取るというよりは、可読性を落として内容を読まれないようにする(=内容がしょうもないことをごまかす)方便として、前衛が使われていないかという、やや意地悪なことをとみに思います。

kaz. さん コリドラスの夢彩 

その意味では、わたしはkaz.さんの作品、コリドラスの夢彩などは、私は可読性の低さを補う魅力がある作品なのか、わざと可読性を落とすことの意味があるのか、疑問を呈したいところがあります。みなさんの意見を聞いてみたいのですが。

まりも:コリドラスの夢彩、掲示板の方でも書いたのですが、詩を生み出していく過程を、逆に解体して分析しているような印象があったのですね。分析する、という手つきで、あえて当たり前のことを当たり前の言葉で「説明する」形を取っている。一般的に知らないであろう、ことを説明する、のではなく、一般的に知られているであろうことを、別の視点で語る、のでもなく・・・

このあたりの「説明」単語の「解説」のスタイルを取る必然性が、いまひとつ伝わってこない。伝わってこない部分が中央部をしめていて、後半の情感を喚起されたであろう部分の表現が、背後に隠れてしまうようなもどかしさを感じる作品でした。

まりも:tasaki さんの作品は、今回は射程外でした。視点が自分の内面にあるのではなく、顔面の表面にあるのではなく、ある種の幽体離脱をしている、自分から浮遊した場所にあるという体感、その確認過程には非常に興味を引かれますが、離れた場所にある視点そのものの視野から語る方が、リアリティー(読者の追体験可能な迫真性)が増したのではないか?と思います。通常とは異なるであろう、という体験を、説明することに意識が向かってしまって、その体験そのものの不思議さとか不安定さとか、奇妙な快感といった体感が背景に退いてしまっている。身長150センチくらいの人の視点というイメージなのかな・・・

コーリャ:m.tasakiさんの作品はとてもコミカルですね。137センチの視線ってのは「僕」という一人称にとってはちょっと俯き加減なことが想像されます。2連目は、世界を眼差す僕/世界から眼差される僕、のような哲学的深みがでるかと思いきや、3連目で世界の実存を槌で叩いて確認していく。4連目ではまた中途半端な視線の行き先。あやふやな世界の眼差し方の記述に戻っていく。中途半端なやつがなんだかあやふやな哲学の悩みを抱えているというような、漫才てきな落語てきなおかしみを感じました。書き方も読みやすいですし、ユーモアとしては優良ですね。

まりも:コーリャさんのm.tasakiさん作品評、ユーモアとしては・・・というところ、私も同意です。視点の面白さや体験のユニークさ、もう一人の自分、という感覚の捉え方が面白い。ただ、文体があまりにも説明的である、自己体験を解説している感じになっている、そこの部分で、私は推せなかった、ということですね・・・

天才詩人:採点では落選にしていますね。たしかにこれまで作者が出したものと比べると良いと言えなくは無いんですけど。やはりイメージの打ち出し方がどこかしら作為的というか、そんなもやもやとした印象が残っています。

まりも:天才詩人さん、ありがとうございます。タサキさんの作品では、むしろ「暗夜の白花」の方が、気になっているのですが。表現が古風で言い直しなども多いですが、映像の捉え方や、闇の質感をとらえていこうとする意欲にひかれます。視点の説明の多い文体よりずっと芸術性は高いと思うのですが。古典的抒情詩、としての面白さ・・・もっとも、観念的なイメージに頼り過ぎているところや(体感的な詩情ではなく)掲示板でも述べましたが、若干、言い直しが多い所がもったいないような気がしました。皆さんの意見を聞くと、「視点」の方が多彩な広がりを持っているようですね。

花緒:タサキさん作品は、あまりに作風が2作違うので、別々に議論するのが適切でしょう。

花緒:視点、は、コーリャさんからの好意的なコメントもありましたが、コンセプチュアルな散文作品として推せると思います。他方で、文章の質という意味で優良相当なのかわたしとしても疑問があった中で、天才詩人まりもさんからの同意が得られそうにはないので、さしあたり、推薦作にしませんか?

まりも:タサキさんの「視点」、推薦作で同意します。

◆まりにゃん Sept Papillon 

花緒:他方で、まりにゃんのSept Papillon は可読性、低いとしか言いようがないですが、ここまで筆力を感じさせる作品だと、もはや中途半端に推薦作はありえなくて、優良ないしは選外でしかありえないような気がします。私はいまいち読めたと思えなかった作品です。皆様の意見を伺ってみたいところです。

まりも:まりにゃんさんの、Sept Papillon、博物学の時代、とでもいいたいような、イメージの大量集積が膨大な厚みを感じさせる、けれども・・・その堆積を前にして、読者は手をこまねいてしまう、というのか、そんな途方にくれるような感覚も覚えますね。作品の中に入っていきたいのに、飲み込まれるか、手前で払われてしまうか、そんな二者択一を迫られる感覚。その意味では、「道へ」の方が、作品の内部というのか、作品が生み出す空間の中に、他者を招き入れる猶予、余白が残されているように感じました。

まりも:可読性、ということに関していえば、やはり、セットパピヨンは、盛り込み過ぎなのではないか、という印象はありました。言葉たちひとつひとつが生み出すイメージや、塗り重ねられていく抒情に、ゆっくりと寄り添って、そこに浸るように読むなら、味わい深い秀作と言えるのではないかと思いますが・・・

まりも:言葉が、生まれては消えていく、イメージが確固とした像を取る前に過去へと流れていく。非在の場所から、呼び出されかけて、そのまま非在へと戻っていく、そんなイメージの戯れ、といってもよいかもしれない・・・言葉の音韻や文体の持つ、物理的な音楽性ではなく、音楽そのものが醸し出すイメージの出現と消滅をなぞっている、そんな作品でもありますね。(作者自身が、音楽からインスピレーションを得た、と掲示板にも書き込んでくださっていますし)

まりも:私自身は、推薦とするかどうか、そのボーダーの位置に、あえて今回は置いたのですが・・・悩むところです。作品そのものの持つ厚みというのか、重層性、その豊かさは味わい深い、いわゆる、好みの作品ではあるのですが、果たして一般読者にどこまで受け入れられるか、というところで、二の足を踏みます。

その意味で、花緒さんが言うように、「優良ないしは選外」という極端な評が出て来るのも、むべなるかな、という思いはありますね。

天才詩人:常用しない漢字を多用することから来る柔らかな視覚性。文章が感覚器官に直に滑り込んでくる心地よさがありますね。「意味」や「語感」が頭ではっきり知覚されてしまう前に離れていく言葉の置き方。デザインの仕方。デリダ的な意味での「痕跡」としての言葉。

天才詩人:この文章としてのソフトな感じは、浅井康浩さんのそれにも近いのですが、こちらはより身体的というか、作者の息遣いと言葉が徹底してシンクロしているような。浅井さんはもっと知的ですよね、おそらく。

天才詩人: 目を血走らせて意味を取るタイプの作品ではないですね。

まりも:言葉というか、モチーフ一つ一つの質感が柔らかく重なっては消えていくような、そんな感覚に身を浸す感じですよね。

天才詩人:ですね。

まりも:言葉やイメージが生まれていく源泉を探るような作品なのか?と思いながら読み始めたけれど、浮上してくるイメージをとらえては手放す印象が強い。

まりも:内的な連関はあるのでしょうけれど、必然として繋がっている、あるいは繋がっていることを知ってほしいという切実さよりも、その空間に逃れてたたずんでいる感じ・・・ものの見事に印象批評しか述べられませんでしたが・・・天才詩人さんの、作者の息遣いというコメント、重要だと思います。

花緒:さしあたり、セットパピヨンは、優良で確定にしましょうか。

◇可読性とは?

まりも:可読性という問題提起があったので、それに関連して、推薦作候補の中で気になるのは、

・丁寧すぎる表現が若干、冗漫な印象を与えますが、夏生さんの1セント銅貨、童話的な優しさと奥行きの深さにひかれます。

・桐ヶ谷さんのハンプティダンプティ、言葉を解体していきながらも、可読性を失わない。文体とイメージをうまく重ねることに成功していると思います。

この二点ですね。

花緒:正直、推薦相当作と思われるものは、前月同様、議論の俎上には今あげなくていいと思います。優良候補を優先的に議論しましょう。

まりも:優良に推したいもので、花緒選と重なっているのは、まりにゃんさんの「道へ」、白島さんの「塩の柱」、弓巠さんの「いいこ」、ですね。まりにゃんさんの「道へ」は、後で、大賞の決定の際に議論しましょうか。

◆白島真 塩の柱 

天才詩人:白島さん「塩の柱」。個人的にははいまひとつでした。たぶん白島さんという作者の実績のせいで読む前の期待値が高騰していたせいだと思うのですが、読点もなく一気に読み下すには長いフレーズの多さ、ブルーレイ、海水、塩の柱といった魅力的なイマージュもいまひとつ鮮やかさを欠いている、それが狙いではないと言われればそれまでですが、何か読者をその深奥まで招き入れるように見えて、表層で拒絶するというような、そうした不思議な読後感の作品でした。

まりも:白島さんの塩の柱、旧約聖書の物語という、歴史的な重層性を付与された物語を借用しているわけですが、その重みに作品が負けていないかどうか、というところがひとつのポイントかなと思っています。最果タヒさんのライティングに触発された、とコメントの中だったと思うんですが書いておられて、なるほど、それであの文体なのかと思いました。それが効果をもたらしているかどうか。

天才詩人:「塩の柱」にかぎらず聖書の話って教訓を引き出すのが難しいですよね。専門家ではないので詭弁の可能性もありますが・・(笑)。なぜロトの妻は塩の柱にされてしまったのか。「神」の力は絶大ということなんでしょうね。仏教だったらこんな「ひどい」話はありえないですね。(笑)

まりも:それが、モンスーン地帯で「生きるとはなんぞや」、と問うことから生まれた仏教と、砂漠地帯で生き延びる為に成立したユダヤ教との相違かもしれないですね。寛容と厳格。そのユダヤ教徒に寛容をもたらそうとしたのが、愛の宗教とも言われるキリスト教の、はずなのですが・・・起源をいつにするはずのユダヤ、キリスト、イスラムが、なぜか衝突を繰り返してきている。正しさを主張するからなのだろうと思いますが・・・せっかく仏教文化圏にいるのだから、多様性と寛容を旨としたいですね。

まりも:塩の柱・・・神に従わない者は厳罰に処される、という教訓と・・・その後の展開になるのですが、「正しい」人を産めよ増やせよ、という神の意志、いわば大義に従うためであれば、たとえば近親相関のような許されざる罪であっても罰せられない、という、かなり倒錯的な話と、本来はセットになっているんですよね。

まりも:そうした「物語」を想起させる題名のインパクトが、本編の方でうまく機能しているのかどうか・・・つまり、題名の選択が適切であったかどうか?これは私も苦手なので、自戒を込めての発言ですが、そこが食い違っている印象はありました。

まりも:苦い海水・・・苦しい想念を無理矢理飲まされてしまう、そうしたさがを持つ「僕」が、その苦しさに耐えかねて塩の柱になる・・・死を迎えることを望むとき、「きみ」はひとつの歌を、ひとつの祈りを口ずさむ。その事によって、「僕」はもう、「苦い海水」を飲まない、「書いたもの 書かれたもの 投げ捨てられたもの」であっても、「人の役に立つことだってある」と、僕はきみに語る。

生きなさいと語りかけ、祈ってくれる「きみ」に向かって、「僕」はこれから語ることにするよ、という、詩を書き続けることに対しての、ある種のステートメントだと思って読んだのですが、そうするとなおさら、塩の柱、という言葉が持つインパクトと、その言葉が歴史的に重ねてきた意味の層との齟齬が気になりました。

天才詩人:白島さんの作品は大賞には推しませんが、優良でOKだとは思います。

まりも:優良レベル作品とは思うのですが、以上の理由で、私も大賞には推せないです。

◆弓巠 いいこ 

まりも:弓巠さんの作品、「いいこ」、非常に良いです。

まりも:もともと、たゆたうような抒情をとらえる名手でしたが、とらえどころのない、曖昧なところで空転している感じが否めず・・・この前、感情過多というか、内面をさらけ出すような激しさを持った作品が投稿されて・・・どこに向かうのかと思っていたのですが。理性と感性と、うまくバランスをとる形で、寓意的に凝縮している。

天才詩人:うーむ。やはりこのスタイルなんですね。読み終わって改めてタイトルに戻るとドキッとするという。そうした「威力」はありますよね。

 ピンとこなかったんですが、まりもさんの評を読んだあと再読したら、なんとなく伝わってきました。比喩としてはクリシェなんですけど、詰め込み教育の。その常套さの臭みを感じさせない余力はあると思いました。

まりも: 数字が、水のように流動体として注がれているのに、それが意思をもって浸透していって肉体を支配してしまうような・・・ 内蔵から把握するみたいな、肉感的な実感がありますね。私の評、というのは、これですね。

飲み込んでいく数字とは、なにか。点数?偏差値?ポイント?感情を数値に換算していくような不気味さ。 〈たくさんの花が根を生やして たくさんの毒をあずけていて けれど数字は浮き上った〉その数字が、体内に流れ込んできたあとに芽吹く不気味さ・・・。その不気味さを実感している語り手。〈亡くしたものだけが美しく見えたりも/した〉無くしたもの、ではない。もっと強い言葉。永遠に不在とさせられたもの、愛する者を失う、その喪失感に匹敵する「亡くした」。

僕、と、君、との関係性が曖昧ですが・・・僕、がもう一人の僕(君)に「数字」を飲ませる、口から泡を吹くように吐き戻されているのにも関わらず、それでもなお、毒となって花開く数字、を、飲ませ続ける・・・僕。 僕、と男性のイメージで語られているけれども、御受験期の(父性的な権力を持った)母と、その息子、娘、との関係性。 企業であれば、ノルマ、という数字に人間性を蝕まれていく同僚や部下と、それを強いる自分、である僕。 最後の〈数字に触れる手が/樹々の透明になるといい〉ここに、浄化への切ない願いが、美しく歌われていると思いました。

まりも:弓巠さんの作品、異論がなければ、優良でよいでしょうか。

まりも:他の優良候補作品では、遠野さんの八月の不確かさ、前田さんの距離、バナナさんの園田の屋根、アンダーバーさんのフランツカフカと遊んでる、もなかさんのそのつぎ、大畑さんの環状道路、muさんの潮音も重なっていると言えそうですね。

まりも:私が優良に推していて、花緒さんが推していないのは、ハネダさんの「同じ日に」、ボルカさんの批評、田中さんの「おくわ団子」、でしょうか。

◆HAneda Kyouさん 同じ日に 

花緒:これは、、、私はとても好みのテーマで、優良に推したいという気持ちもあるのですが、その一方で、本当にこれでいいのか、という思いもある作品です。

花緒:テーマの重さと、フォルムなどを使った遊び心の乖離が、本当にこれでいいのかという思いにさせられます。深い、重層的なことを言っている訳ではないと思うので、重いテーマを、軽く書いているのは、どうなの?という目線に勝ち得るだけのものがあるのだろうか、という点で疑問を覚えます。

花緒:書いてあること以上のことを感じさせる作品ではない、広がりを感じない、というところで、優良には一歩届かずではないかという印象です。私は好きな作品ですし、楽しく読んだのですけれど、優良と言っていいのか、と。

まりも:HAnedaさんの「同じ日に」 私のコメントを掲示板から引用します。

死せる者が、見つめる生の世界。〈吊り上げられ/世界を見る〉死者。その死が、〈見えないように/運ばれた〉生者から隠蔽され、隠されたまま運び去られる、死。その死を、たじろがずに〈それを見ていた〉語り手。

この、観る、観られる、という関係性。死を隠す現代社会への視点も含め、非常に優れた作品だと思いましたが、たしかに、このフォルムの必然性があるのか、どうか・・・

まりも:右側の、どちらかというと堅牢な感じの文字のマッスと、左側の、浮遊するように散らされた文字、そこの余白。この関係性から、感じるものはあるのですが、それをうまく言語化できない。

花緒:繰り返しますが、私も本作は好きな作品で、当初、優良に推そうかなとは思いました。

なんというか、Our Daily Bread とか、それなりにすでに映画など他メディアではよくあるテーマなので、評価するポイントがあるとしたら、観る、観られる、という関係性を含めたフォルムだと思うのですが、何かちょっと描き方が浅いという印象も残るというのが正直なところですね

まりも:私は優良でよいと思いますが。 

花緒:他の方の意見聞きたいですが、わたしは正直、ボーダーだと思いますね。フォルムの面白さ以外に、あんまし読むところが真にあるのか疑問です。テーマの良さというか、生き物の生き死にが人目に晒されないよう忌諱された形で管理されているという現代社会の矛盾を明示的に書いているという良さ、みたいなところに焦点が当たって、優良相当ということなのだと思うのですが、(わたしもこのテーマは好きですが)あえて厳しく書くと、テーマそのものはありふれているとも言える。 

花緒:文学作品としての価値は、テーマ性もさることながら、どう描くか、というアプローチの方法こそ論じられて然るべきで、その意味では、フォルムだけで、優良にしていいのですかい?という疑問を覚えます。多分、このポイントは割と平行線を辿りそうなので、他の選考者の介入を待ちたいですね。

まりも:ハネダ作品のフォルムに注目していたのは、むしろ花緒さんだったのでは(笑)

内容、テーマは花緒さんのご指摘の通りで、私が推す理由は、ハネダさんらしい文体の完成度ですね。

花緒:お、それは誤解、失礼。文体の完成度を推してらっしゃったのですね。

まりも:詩史に照らして斬新とか独自であるとは言えないにしても、その人なりの完成度に達している、その人らしさを得ている、ということですね。

花緒:今回、提案なのですが、まりもさんとわたしで意見が割れたものに関しては、無理に意見の一致をさせようとはせずに、天才詩人さん、コーリャさん、百均さんなどで、適宜、裁定してもらうのはどうでしょうか。

花緒:ハネダさん作品に関しては、前月もコーリャさんから指摘あった気がしますが、大きめのテーマで、浅めの書き方をしているような印象があって、ここが評価が別れてしまう原因のような気がします。

まりも:繰り返しになりますが、絵画でいうタッチやマチエールにあたるもの、その人の作風、会話でいうところの「語り口」、節回しのようなもの・・・そこに、その人らしさが現れているかどうか、そうしたタッチを獲得しているかどうか、ということも、評価ポイントにいれていいと思います。その意味では、テーマにしても文体にしても、かなり確立されている作品ですよね。

◆田中修子 おくわ団子 

花緒:田中さん、おくわ団子は、一行一行に工夫がない感じがする中で、冗長という印象もある作品かなと思っています。

花緒:着想は面白いですし、クリエイティブライティング枠ということなのかもしれませんが、一行一行の叙述に冴えが感じられずに特徴と洗練さがいまいちなく、全体として、冗長な感じがします。

花緒:優良だということに強く反対したいわけではないですが、その一方で隙のある作品でもある気がしたので、あえてチャレンジしてみたいと思います。

まりも: 田中さんのおくわだんご、冗漫な印象を受けることは同意。

まりも:女たちの祭りのような幻想風景の立ち上げかた、彼女たちが現代の人身御供であるという、斬新とは言えないですが、ユニークな再解釈。ここに関してはどうですか。

花緒:はい。真っ向から対立する気は無く、優良相当なのか、という疑問なんです。

おくわ団子は、議論のためにあえて強めのツッコミを入れるとしたら、正直、これで優良なのだったら、それっぽい物語を編めば、誰でも優良取れるのでは?みたいな目線を感じなくはないですね。女性が現代の人身御供であるという、まあフェミニズムっぽい寓意はユニークでも斬新でもないのではないでしょうか。物語として、まとまっているとは思いますが、推薦相当ではないでしょうか。

まりも:おくわだんごは、書きたいと言う熱量も含めての推しですね。

花緒:多分ですけれど、まりもさんと、わたしは、結構、審査員の中でも正反対というか、作風の好みから言っても、おそらく一番距離がある二人なので、であるがゆえに、今回、議論が面白くなっていると思うのですが、適宜、第3者を混ぜた方が、選考の質が上がる気がします。

花緒

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